映画評

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カテゴリー「わ」の26件の記事

2018年2月27日

ワンダーウーマン(2017)

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Warner Bros. -

 

アマゾネス族の王女ダイアナが、戦いの神マルスがもたらした世界大戦を阻止しようと奮闘する物語。DVDで鑑賞。

 

この作品はかなりヒットしたらしい。一連のシリーズの互いの作品の相乗効果かも知れない。新たなヒロインが登場して、他のヒーローのファンたちがこぞって注目する流れがしばらくは続くように思う。それにアクションも格好よく、CGも迫力があって、映像としてよくできていた。

 

ガル・ガドット嬢が主演していることは知っていたが、相手役がハリー・ポッターの先生役だとは知らなかった。彼が登場した時点で、ある程度の筋書きは読めてしまう。もし可能なら観客を裏切るような配役が欲しかった。好人物の上役が活躍して上手くいくかと思いきや、意外な脇役が本性を表す・・・そんな設定のほうが面白くないだろうか?

 

あるいは観客の多くがアメリカ的な趣味であり、奇をてらう展開は支持されないだろうという読みがあったのか、もしくは原作の漫画がこのような流れになっていただけなのか、そのへんの事情は分からない。

 

ガドット嬢はスタイル抜群で、十分に魅力的だった。テレビのスターだったリンダ・カーター嬢のほうがもっと女性的でスタイルは良いかも知れないが、現代的な感覚ではガドット嬢のようなスレンダー体型でないといけない。でも意外に、グラマラス体形のワンダー・ウーマンを期待する向きもいたのではないかと思う。

 

昨今の美人の基準は少し細すぎているとは感じる。おっぱいが激しく揺れるほどの肉は必要ないかも知れないが、運動選手のような立派な体形の女優のほうが、もしかして支持されるようにならないだろうか?ピョンチャンオリンピックを観ていて、そんな感想が浮かんだ。

 

オランダやドイツの選手たちは体格が非常に立派で、太ももも一般的な基準ではえらく太い。でも健康的で、「大根足!」という印象は浮かばなかった。かっこいいアスリートという印象だけ。今は運動する女性も多いし、彼女らに憧れる人が増えれば、好みの基準も変わってくるのではないか?

この作品は、きっと続編が作られるだろう。ガドット嬢が年とるまでは可能だ。

2018年2月12日

わたしを離さないで(2005)

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Kazuo Ishiguro OBE ハヤカワepi文庫 -

 

カズオ・イシグロ氏の2005年の小説。映画やドラマにもなっているそうだが、まだ見ていない。イシグロ氏がノーベル賞を取ったのを契機に購読。

 

語り口が素晴らしかった。冒頭から献体の話が出てくるのだが、主人公の独白の中でさりげなく語られるので意味が曖昧。でも話が進むにつれて徐々に意味が分かってくる。彼らの運命や、彼らが感じた事々、彼らや彼らに関わる人達の感情が理解できて、共感もできるという仕組みが明確にできていた。

 

ジャズナンバーにタイトルとなった曲があるそうだ。聞いたこともありそうだが、そう認識はしていなかった。曲の雰囲気が小説に反映されるのは良い効果をもたらす。おそらく恋人と別れたくないといった内容の曲だろう。静かさや悲しみを連想させる。これもよく考えてあった。

 

大事な登場人物は男友達のトミー君と女友達になっていくのだが、学校に在籍している段階ではそれほど親密ではないという設定も素晴らしい。実際の学生生活、その後の親交に関する経験がないとなかなか書けない内容だと思う。いかにもありそうな関係。同じクラスにいる間は、他の友人たちの目を気にするせいか親密になれないことが多い。何かの偶然で、その後に再会した時に急に親密になる場合はある。学生時代の出会いや別れは、小説の題材として最適だ。たいていの人は未完成に終わった恋心を思い出して共感するものだと思う。

 

そしてストーリーに深みが生まれる効果もある。成長し、互いに影響しあって育った仲間たちが、運命によって悲しい終末に向かうことが分かると、同情せざるを得ない。よく考えてあった。

 

映画「アイランド」が似たような設定だった。清潔感あふれる巨大施設の中で暮らしているドナー達が、やがて臓器移植のために殺される運命にあるというサスペンス的な設定だった。最初、そのような設定であることが分からないが、提供という言葉が繰り返されて、やがて意味が判明する仕組み。事前の予備知識のあるなしに関わらず、時期は違っても最後には誰でも分かるような仕組み。映画の場合はより劇的に分かり、小説の場合は人によってバラバラなタイミングで分かる、そんなものだろうか。

 

「アイランド」との違いを感じるのは、主人公たちが何の反発もなく運命を受け入れている点。そこは不思議じゃないだろうか?正常な感覚を持つならば、逃げようと考えないほうがおかしい。その点の表現に問題ないのか、そこは気になる。劇場主は気になった。誰か逃れようとした人物が怖い罰を受け、恐怖で従わざるを得ないか、あるいは何かによって洗脳されているような設定がないと、おかしいと思う。

 

いっぽうで、逍遥と定めに従う異常な流れが、気味の悪い社会を表現したと言えるかも知れない。その意図があったのかなかったのか、読んだ限りでは分からなかった。強烈な管理体制によって運命に従っていることを表現できたら、もっと作品のレベルが上がったということはないのだろうか?そこが疑問。

 

 

2018年1月10日

わたしはダニエル・ブレイク(2017)

Idanielblake

 

Sixteen Tyne Limited etc. -

 

大工として長年働いてきた主人公は、心臓発作によって職を失い、支援を請求する。しかし、制度の狭間にはまってしまい、破産目前となる・・・・

社会制度の不備、貧困、格差と助け合いを描いた作品。DVDで鑑賞。

ケン・ローチ監督の作品は、劇場で観ることは難しい。地方都市ではDVDが基本になる。おそらく名画座は、福岡市くらいでないと経営的に成立するのが難しくなっているのだろう。熊本市では、かろうじて1軒が頑張っているのが現状。レンタルビデオに押された面もあるだろうし、DVDのおかげでマイナー作品を鑑賞できる状況を考えるとビデオ屋さんも大事ではあるし、ビデオ業界は諸刃の剣となっていて、難しいところ。

 

主人公の境遇は非常に不幸で、悲劇を演じているのだが、演じ方が喜劇的なので救われる面がある。これを本当にシリアスに演じていたら、観客も観ているのが辛くなるだけだろう。コメディアンの主人公がユーモラスに演じていたことで救われていた。

 

人として誇りを保つには、自分は自立した存在であり、税金を払い、社会的な義務を果たしてきたといった自負も必要だろうと思う。もし明らかな障害を持って生まれたり、精神的か身体的に重篤な病気で仕事が難しくなった場合は仕方ない、誇りを大きく損なわずに権利として支援を請求することも当然と感じることができる思う。問題は、そんな要求が多数になって、制度の維持が難しくくなった時にどう対処すべきかという点。権利ばかり主張する人間も多い。

 

旧共産圏の場合は、強力な管理によって制度を維持しようとして、結局は破綻してしまったように思う。自由に頑張ろうとすると密告されるから、皆が過剰に働くことを止める。そのツケが、社会全体にのしかかると、国が破綻するはずだ。働くなくても良い、うまく立ち回ったり権力者へのツテがあるなら楽できるとなれば、普通の人間は頑張ろうとは思わない。労働に対するモラルは破綻する。社会保障にも、どこかで制限を設ける必要はある。

 

でも、その制限が難しい。支援を要求している人間の本当の資産を把握することが難しいし、仕事をする能力、体力の認定も時間がかかる。素早く判定するためには判定組織を大きくする必要があるが、それでは管理者ばかりが肥大化した組織になってしまう。

 

日本の介護認定だってそうだ。現実とかけ離れた判定がされている。診断書を書いてはいるのだが、認定会議に行ってみたら無視されていて驚いた。使われているソフトが、これまた怪しい。ケアマネージャーら管理側が判定した内容に引っ張られ、真面目な人が損する結果になっている。事務する人が多すぎて効率も悪い。請求がややこしいから、事務専門の人間が多数必要で、旧共産主義社会の運営を連想させる。

 

介護保険の財政についても、最初から疑問に感じる。ドイツの制度を手本にしたそうだが、どこを見てきたのだろう。新しい建物を建てさせることが前提になっており、各施設が維持されるためには、建設費に介護保険料を回す大きな流れを作ったことになる。それでは介護のためではなく、建設業界のための資金を集めただけだ。介護する人、自分たちで努力する人に手厚くするよう、なぜやらなかったのか。大きく方針を買えない限り、財政を維持できる可能性は低い。

 

 

 

2017年12月 7日

ワイルド・スピード ICE BREAK(2017)

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- Universal -

 

人気シリーズの第8弾。今回はグループのボスであるはずのドミニクが、他の仲間たちと戦うという不可解な行動に出る。その理由は?という謎解きも加わった話。

 

このシリーズのアクションシーンは本当にすごくて、毎回感心させられる。優れたスタントマン、CGの技術者達が結集して、それこそ映画のファミリー並みに大活躍しているに違いない。息の合ったスタントをやれないと、必ず死人が出そうな激しいカーチェイスもあるから、関係者の連携は素晴らしいものだろう。プロの技が見られる。

 

車が自動運転で誘導されて、いっせいに走り出すシーンがあった。CGか実写かよく分からない。実写とすると腕利きのドライバー達が運転していたのだろうが、狭い道を走っている車に並んで侵入するのは、さすがに怖かったろうと思う。アクションの素晴らしさが、このシリーズの人気を支えていることは間違いないが、俳優たちも素晴らしい。特にジェイソン・ステイサムを引っ張ってきた点に意味があった。

この作品では彼が一番活躍していた。さらにドウェイン・ジョンソンが見た目に関しては最高級品だし、見た目と動きに関する現時点での最高級品を集結できている点で、他のアクション映画とは一段違うレベルを期待させる。下腹を殴った時、今までならただ吹っ飛んでいたが、この作品では下半身が先に飛ぶように、力学的に自然な動きが再現されていた。考えつくのは簡単だが、リアルに再現するのは大変だったろう。

 

水着美女たちの乱舞シーンもいつものように見られたが、今回はキューバ系の女史が多かったせいか、いつものモデル体型の女史より肉が見事過ぎて、ほとんどお尻がそのまま出ている娘もいた。もう少し隠したほうが、かえってセクシーではないかと個人的には感じたが、もろ出しが好きな観客も多いかも知れない。そこは、次回作で評価が明らかとなるであろう。やはり、この分野も思わず期待している。

 

今回の真の悪役は、シャーリーズ・セロン演じるハッカーだった。ハッカーだけじゃなく、自分たちの兵隊、航空機まで持っていて、資金をどうやって手にしたのか、手下をどう操っているのか疑問には思った。今までの首領は、たいていは腕力も充分に持つ兵隊上がりが多かった。もう路線を変えないといけないと考えたのだろうか?

セロン嬢は、今回は色気路線で勝負していなかった。スタイルは抜群だが、役割は憎たらしいだけの女を期待されているので、露出を控えたのだろうか?または、冷静に年を考えて色気は若手に譲ると決めているのか?劇場主としては、悪女には色気が必要と思う。峰不二子ばりの衣装で、主人公らを怒らせながら色気で出し抜くほうが面白かったと思う。

 

 

 

2017年8月27日

われらが背きし者 (2016)

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- Film4 StudioCanal etc.-

大学教授の主人公は、旅先で知り合った男から重大な情報を渡される。情報にはマフィアや英国の有力者たちが関わっていた。たちまち、彼に身の危険が迫ってくる・・・・

・・・ジョン・ル・カレ原作の同名の小説があるらしい。DVDで鑑賞。

ダミアン・ルイスという俳優がMI6の中間管理職的な立場を演じており、非常に良い味を出していた。主人公より役者としての魅力を感じた。頭が切れそうな表情、役人をイメージさせる雰囲気、その中でちゃんと実生活の匂いも感じさせる個性だった。腕力勝負ではなく、思考能力、判断力で勝負してそうな顔つきが良い。

彼と、彼の上司、元の長官などとの関係がリアルに描かれていた。いかにも本当にありそうな人間関係が、ストーリーと上手く絡み合っていた。

逆にアン・マクレガーが演じた主人公は、派手な活躍をするわけではないので、あまり魅力を感じにくい。それで良いのだろうか?主人公なんだから、彼が感じるであろう恐怖、悲しみなどが観客に充分伝わることが望まれる。その点で、演出か設定に問題があったと思う。

スパイ映画の見過ぎで、いつの間にか劇場主は英国の利益を最優先に考えるようになっている。まるで自分が英国情報部の一員であるかのような感覚でいるが、007などの映画鑑賞により発生する独特な副作用と思われる。ついつい自分が日本人であることを忘れるのだ。映画の怖ろしい影響力。

いまや英国が対峙しているのは、国家としてのロシア本体ではなく、国家にとりいったマフィアなのか!・・・実際がどうかは分からないが、そうであっても不思議には思わない。

ロシアの犯罪組織の中心は、米国にあるのではないかと思う。金の動く額が違うから、ロシア国内での活動は限られているのではないだろうか?でも、ロシアの内情も分からない。富や権力の偏在する国のこと、国内の政権にうまく取り入った犯罪組織が多いのかも知れない。国家の意志が、犯罪組織を通じて実行に移されることも多いに考えられる。

政治家もマフィアも、マネー・ロンダリングには似たような手を使っているだろう。海外の会社、銀行と取り引きを重ね、相手からも重用されるように信頼関係を築こう、リスクを分散しようと必ずしているはず。この作品で描かれていたのと同じような動きは、実際にも多いだろう。

日本のヤクザは、今かなり厳しい状況らしい。周辺にも廃業したらしい元若い衆らしき人物が多い。産業の形態が変わって、今は食っていくのが難しいはずだ。ネットを上手く利用した勢力や経済ヤクザ、合法的な会社を兼ねる組織だけが生き残っているのではないか?欧米ほどの金儲けは、おそらく難しくなっているはず。

それでも大きな会社に巣くうことに成功したら、巨額の収入を得ることができる。きっと海外に投資の形で送金し、節税しているだろう。どこの国にとっても、海外送金は税収の不足を生むから、国を超えて、管理方法の改善が望ましい。

 

 

2017年3月24日

ONE PIECE FILM GOLD (2016)

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- 東映 -

巨大カジノにして町であり、船でもあるグラン・テゾーロに入ったルフィー達一行は、博打勝負に負けて人質をとられてしまう。人質を救い出し、敵を倒せるのか?・・・・

・・・・50億円を越える興行収入があったという。末っ子はスクリーンで鑑賞したが、さすがにアホくさいので劇場主は遠慮し、今回DVDで鑑賞した。テレビの性能のせいかDVDのせいか分からないが、画質に関して不満を感じたので、もしかするとブルーレイか劇場での鑑賞が推奨される作品だったかも知れない。

今回も劇場映画用に、特殊な場所と独立した敵を設定し、テレビシリーズとは別個の戦いを設ける、映画専用のストーリーであり、当然のように敵はやられて話は一話完結という流れだった。ワンピース・シリーズの場合は、敵の能力を様々考え出せるので、劇場映画の設定においては本当に便利だと思う。最初の段階で能力の種類を限定していたら、こんなに話を作ることはできなかったろう。

でも今回の敵のキャラクター設定は、個人的には感心できなかった。金を操る能力だけでは、戦う際に極めて有利とは思えない。やはり、運を操る能力が、敵の部下ではなく首領個人にあったほうが面白かったのではないか?運は大きな要素。金を操る能力は、部下の戦闘要員で充分だと思う。

あるいはギャンブラーの能力を極限までたかめた敵でも良い。トリックでルフィー達を翻弄し、何度も煮え湯を飲ませる、そんな嫌らしいキャラクタ-なら、話はもっと二転三転の面白さにつながったのではないだろうか?

もし映画の設定のままやるなら、契約で人をしばり、底辺の人から搾取する悪党のキャラクターを、もっと徹底させても良かったかも知れない。騙す能力、契約でしばる能力からは、嫌らしいキャラクターが生まれる。株式やローンといった言葉を使って、借金返済で苦しむ大人達が涙を流すような話にすると良かった。

・・・・ 考えてみれば、ローン契約、株式売買といった概念をルフィーなみの戦闘能力で打破できたら、債務者達は一気に楽になる。劇場主が真面目に借金を返済しているのは、そうすべきと考えて契約に従っているからなのだが、契約の段階で本質に至るまで理解していたわけじゃない。ルフィー達と同じような勘違いで、はめられていたようにも感じる。契約の概念は、太古の昔はなかったもののはずだ。

この作品を観て育った子供達は、もはや契約に対しての義務感を持たないかも知れない。もちろん多少は従うだろうが、契約は所詮まやかしにすぎないという感覚は持っているだろう。徐々にそんな人達が増えれば、契約すべて破棄~革命といった結果につながりゃしないか?考えすぎだろうか?皆で破棄すりゃ怖くないかも・・・・

今回のルフィー達、勝ったことは間違いないが、法的にはどうだろうか?テゾーロのトリックは、裁判で証明されたわけじゃないから、単にルフィー達が契約違反をしただけで、当然ながら犯罪者になる。拍手喝采を彼らに送るのは、法的に問題ありだ。おそらく安倍総理は許さないだろう。籠池理事長も、石原元知事も都議会自民党も、財務省も許さない。 

しかし、ひょっとしての話だが、欧米資本の支配を脱するような価値観の破壊、契約の破棄を目指す海賊王が現れ、その力が明らかとなったら、一般の市民の行動は影響されるだろう。その力が、もしかしてロシアだったり、中国だったり、あるいは北朝鮮やイスラム圏の何者かだったら、どうだろうか?

おそらく、勝敗が見えていない段階でローン契約をいきなり破棄したら、罰則が来る。したがって、人々は初めは欧米のルールに従う。表向きは。でも欧米側の形勢不利が見えてきたら、人々は一気に勝ち馬に乗る。それで得すると分かれば、支配者がどんな犯罪者だろうと、拍手喝采と相成るはずだ。おそらく、昔からそうだったように力が全てを決するのである。。

この作品は、そんなことを予想させる怖ろしい内容だったのだ。

 

 

2016年7月19日

ワイルド・スピード SKY MISSION(2015)

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- for paul -

過去の戦いで恨みを買った一団は、元諜報部の殺し屋に狙われつつ、ハッキングシステムを奪うという難題に挑戦する羽目になる・・・

・・・ポール・ウォーカーの遺作。ラスト部分などは、彼の兄弟達の映像と彼の過去の姿を合成して作られているそうなんだが、観ていても気にならないほどの出来映えだった。その技術に感嘆した。

激しいカーアクション、水着モデルのお尻、殴り合いに爆発、友情、そんな様々な要素を集めて混ぜてごっちゃにしたら、こんなシリーズができるというわけ。そのセンスが素晴らしい。他は適当に済ませちゃおうという思い切り、アクションのアイディア、そこに注目した点が優れている。ストーリーや演技の面では明らかに二級品と思うけど、構わないぜい。

アクションの面では凄いレベルに達している。今回は装甲バスの中での格闘から、バスが崖下に転落しそうになり、それを這い上がりながら仲間の車に飛び乗るという、完全に現実を無視したシーンがあった。どうやって撮影したのか解らないが、たぶんCGや大がかりな装置をたくさん使って合成したんだろう。あいつらは、崖や峡谷が大好きなんだなあ。

坂を車で降りながら敵の攻撃を切り抜けるシーンも凄い。たぶんゆっくり降りて、早回ししたはずだが、実際にかなりの傾斜を降りていたようだから、ひとつ間違えば死人が多数出てもおかしくないシーンだった。高層ビルを車で飛び移るシーンも、現実離れぶりが凄かった。

車を空から降らせるシーンも、実に上手く撮影されていた。着地もスムーズにいって、直ぐに道を走り出す流れが素晴らしかった。広い所に降りて、そこから道路に出るほうが安全じゃないか?などと、ヤボな意見に従う必要はないのさ。

今回の敵はジェイソン・ステイサム。彼のキャラクター通りに演じていたから、やりやすかったろうと思う。じゅうぶんに憎らしく、冷酷で残虐、しかもタフで、見事な敵役ぶりだった。今回も死んだわけではないので、次回作に相変わらず出てきてもおかしくない。観客だって、かなりはそれを期待しているだろう。

カート・ラッセルが大事な役を演じていたが、あの組織が必要だったか劇場主には解らない。ハッキングシステムを奪うという話と、ジェイソン・ステイサムを結びつけるために必要になったと思われるが、安っぽい設定になった印象はある。子供相手のテレビドラマならこのままで良いのだが、劇場映画にはどうか?

まあ、このシリーズは金はかけていても、高級なイメージで売っているわけじゃないので、二級品のストーリーでも、モデルの尻などで観客をごまかし、アクションで感心させればヒットする。それに徹底していれば、それで良いのだ!

 

2016年4月15日

鷲は舞い降りた(1977)

Columbia

- 敵に敬意を -

チャーチルを誘拐せよという命令が下り、実行部隊長に、シュタイナー元大佐が選ばれる。IRAの協力者達とともに現地に降り立った部隊の作戦は成功しそうだったが・・・・

・・・・衛星放送で4月3日、鑑賞。タイトルは聞いて知っていたが、観るのは初めて。戦争映画なんだが、敵側の人間のほうが主役で、登場人物達の個性が丁寧に描かれ、敵の兵士に敬意さえ感じさせるほどの表現で、その点で面白かった。

戦後の作品なんだから、戦意高揚を目的とする必要はもちろんない。面白いことが大事。だから架空の作戦を考え、そこに挑む人々の個性や、起こる悲劇がいかに上手く描かれるかが大きな要素になる。そこを狙った企画だったようだ。

この映画には原作があるそうで、おそらく小説の場合は人物の表現がより詳細にできるから、より感情移入しやすいだろうと考えられる。敵側だった人物に対しても、その精神力や企画力に対し、尊敬の念を持つことが可能だったろう。映像の場合は、表現方法を端的にやらないといけないが、そこが難しい点。

主人公はシュタイナー元大佐だろう。計画を立てるラードルではない。だから、いかに主役を盛り立てるかが重要。登場場面の時間配分に、やや問題があったかも知れない。シュタイナーが活躍する時間が短めなように感じた。今なら事前に統計学的研究に基づき、観客が納得する時間配分を入念に計算してから編集するのでは?

古めかしい作品ではあった。基本に人道主義の観点があり、敵側の兵士でも味方でも、無条件で女子を救おうとする点は共通している。それが失敗の元になるとしても、仕方ないと考える・・・今のテロリストとは全く違った感覚。古き良き時代の物語なのであろう。

その感覚は、もしかすると現在の若者には受け入れられないものかも知れない。良い話であっても、あまりに理想主義に満ちた空想、世の中そんなに甘くないよなあ・・・と、子供でさえ思うかも知れない。まさに世も末の時代が現代なのだから。でも、恋人と観る作品としては、ロマンティックなほうが良い。

マイケル・ケインが気取った軍人を演じていた。彼らドイツの兵士達がドイツ語で話していたら、もっとリアルになったかも知れない。ドイツの俳優が演じてもらえたら、何か雰囲気も変わっていたのでは?

ドナルド・サザーランドが演じた人物は魅力的だった。詩人のような感性を持ち、格闘技術に優れ、女性を惹き付ける・・・まるで007である。基本はアイルランドのために行動しているのであって、ナチスのための行動ではない点も理解を得やすい。

 

2015年7月12日

わが母の記(2012)

Photo

- 演出 -

主人公は、かって母親に置き去りにされたことがある。認知症が進行していく母と過ごす中で、彼はかっての経緯を知ることになる・・・・

・・・・5月10日、衛星放送で鑑賞。

伊豆が主な舞台の作品で、たぶん本当に伊豆で撮影されたのだろうと思うが、川を中心とした非常に美しい映像が繰り返し出てきた。どこかのワサビ畑を撮影に使っていたようだが、かなり規模が大きく、本格的なものだった。

井上靖の小説はひとつも読んだことがないので、この話が完全なフィクションなのか、それとも私小説の一種なのか全く分からない。この作品も、もしかすると読んだ人にしか分からない、微妙なニュアンスがあったのかもしれない。

編集のされ方が気になった。前半部分では特にブツ切りのシーンが多い印象を受けた。静かな作品の場合、急に場面が代わると観客は驚いてしまう。どんなシーンか理解できるまでに時間がかかることも多い。一定のリズムでフェードイン、フェードアウト、またはモンタージュにしたりするような、単純な手法が原則ではないか?

この作品は子供には向かない印象。楽しいシーンが少ない。もっと笑いのシーンがあったほうが、悲しいストーリーが際立つように思った。恋人と観る場合は、静かで落ち着いた高級な雰囲気がデート向きと言えばそうだろうが、恋の盛り上がりに良い効果が出るかどうかは分からない。家族いっしょに観ると、家族愛を考える機会になるように思えるので、悪い選択ではないはずだが、盛り上がったりはしない。

この作品の一番の見どころは、やはり認知症の演技。どんな見事な無茶ぶりをやるか、そこが一番の魅力になっている。

樹木希林の演技には感嘆した。もはや彼女の場合は、実際の認知症と演技との区別がつかないレベルになっている。若い頃からお婆ちゃん役をやっていたが、最近の演技は本当に素晴らしい。

何かでインタビューを受けている映像を観たが、対応が本当におかしい印象も多少あったので、地でやっている部分が多少はあったかも。

認知症を演じる役者は多いが、返事のタイミングだけは若い方と同じにやってしまう場合も多い。返事の内容も当然どこか外れていて当然だが、タイミングも不適切で疎通に支障がある様子を再現しないといけない。例えば返事が遅れて、再度質問してくる相手の言葉に返事が重なってしまうことは多いが、そんな会話を繰り返さないとリアルじゃない。そのへんは、上手い方とそうでない方とがいる。

気になったのは、母親の体力が変化したように見えなかったこと。本来なら5~10年でどんどん力が落ちて、動きもスローにならないとおかしい。ところが、この作品の母親は最後のほうを除き、動きが変化していなかった。意図的にそうしたのだろうか?

宮崎あおいの演技に少し違和感を感じた。こっそり立ち聞きするシーンは、それとなく彼女らしい人影が写れば良い。何度も大写しで写るのは安っぽく味気ない演出で、少なくとも上品じゃない。日本映画だし、家族愛をテーマにした映画なんだから、上品さは必要。

酔っ払った後、テニスコートの審判席に登るが、ふらつくほど酔った人間は、高い場所を本能的に避けることが多い。安定した姿勢を目指す結果、床やソファーなどに寝てしまう。高いところに登らせたのは、あの酔い方の場合には不自然だと思う。酔っ払いの筆者が言うのだから、たぶん間違いない。宮崎は酔ったことがないのか?

ただし、彼女の表情や仕草は本当に素晴らしい。若くても既に大成した大女優の貫禄が漂う。彼女の存在感を生かせる企画を考え続けるだけで、日本の映画界が生き残れるような、そんな気にさえなってしまう。

一族の血を絶やさないために、移住の際にもわざわざ一人は残す、祖父母の養子にする等々、ごく普通にやられていたこと。井上だとて、おそらく幼少時からそんな理由を聞かされていなかったとは考えにくい。聞かなくても、阿呆じゃないかぎり、同じような考え方が引き継がれていることに気づかないはずはない。

だから、これはフィクションだろうと、個人的な印象だが思った。おそらく主人公である作者は、自分が生き残るために家族と別に暮らすことを強いられたと知っており、実は繰り返しそう言われてきたはず。当時はそんな例が多かったはずだし、母親は子供に理由を言わずに別れることは少ないはず。

母親としては、言い訳をせずにただ嫌われていることは普通なら辛い。何か家の事情があって秘密にしなきゃいけない昔なら、嫌われ役に徹する可能性もあろうが、戦中戦後の時代の場合は、そんな必要があるとは思えない。必ず母親は事情を子供に話しただろう。

最後に気づくというのは、母への愛情を強調するための文芸上の必要から来た演出だろう。文壇の中心的存在の大家の場合、そんな演出は気づかれない方が良い。

 

 

2014年12月 6日

ワールズ・エンド(2013) 

Relativity

- 路線間違いでは? -

高校時代の悪友に無理やり誘われて故郷の町にやってきた男達。パブをハシゴして飲み歩いていたが、とんでもない事件に遭遇・・・

・・・「ショーン・オブ・ザ・デッド」と似たような作品で、さすがにワンパターンすぎると思った。もっとヒネリが欲しい。本当にくだらない内容にも関わらず、かなりの予算をかけて製作されているようだが、理解に苦しむ。パロディやオマージュも満載だが、やはりワンパターンではいけない。

サイモン・ペグが主演。少しやつれて見えた。役柄を考えて病人らしく見えるように、ダイエットしたのかも知れない。

ストーリーに不満を感じた。普通なら、主人公が仲間を呼んだ理由が最後に明らかとなり、それが意外にマトモで友情に満ちたものだったりして作品に救いをもたらす流れを期待してしまう。でもこの主人公は救いがあんまりなかった。妙に納得、あるいは感心できる理由が隠れていると、なんだか全てが高尚なものに替わり、それで我々も救われるような、そんな効果があるのに。

例えばの話、友人の一人が病死し、その弔いの意味で昔の飲み会を再開しようかといった流れなら、わりと自然な展開になる。イヤイヤ参加することになる仲間達を説得する際に、「あいつを偲ぼうと思うなら参加しろ。」といった決め台詞もありうる。そんな始まりなら、途中でおかしな方向に話が変っていく際に、より驚きが生まれたかも。そして亡くなった友人の秘密が明かされ、皆が涙する・・・そんな流れが常道だ。

そもそもサイモン・ペグが無茶な人間のキャラクターだろうか?彼はむしろ平凡で大人しく、どちらかと言えば無茶なヤツに引っ張られて動きそうなキャラクターのはず。少なくとも今までの作品ではそうだった。今回の主人公は演技で頑張ってはしたが、少し無理をして演じていたのだろう。

無理する必要はなかったと思う。平凡な主人公が、引っ張られて仕方なく飲み会ツアーに参加する。性格のおかしい友人のせいで酷い目に遭う、戦う、やがて勇敢な戦士に変身して大活躍する・・・そんな流れの方が観客は満足するのでは?路線を間違っていたと思う。

この作品は子供には向かないし、恋人と選ぶべき映画でもない。劇場で観るとしたら、酔っ払ってないと腹が立ってきそうな印象。真面目に観る作品ではないし、満足感を伴う人は少なそうな、そんな印象が強い。企画の段階で、様々なミスがあったのでは?

英国にはパブが多いと聞いているが、実際に行って観てみると何の店か外見では知りえず、どこがパブなのか判らなかった。外にドアが開いている店で中で飲んでる人がいれば判るが、今回の作品で観たような店だとレストランと区別がつかないから、地元の人しか判りようがない。

作品のセリフを聞くかぎり、どうやら本当にチェーン店も増えて来ているのかも知れない。伝統に誇りを持つ英国人といっても、世代が代われば店の好みが変わらないはずはない。安価で品質の高いチェーン店が出来れば、客がとられてしまうのも経済の法則。若い客から新しい店に移っていくのでは?

英国のハイスクールでは、不動産販売員、弁護士、建設会社員、カーディーラーなどがいっしょに過ごすのは一般的なことだろうか?固定観念かも知れないが、階級意識の強い国だから、卒業生に一般の会社員が多い高校は皆が会社員。弁護士が普通にやっているような高校では、エリート会社員が多い。小学校時代から分かれている・・・そんな明確な差があるように思っていた。学歴がモノを言う日本とは違うのかも知れない。本当に大学で急に進路が分かれるのかも知れない。

 

 

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