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カテゴリー「ろ」の30件の記事

2017年6月22日

ローグ・ワン / スター・ウォーズ・ストーリー(2016)

Rogue_one

- Disney -

スターウォーズの最新版。といっても、この作品はジョージ・ルーカスが考えた話ではなく、スピンオフ作品で、上手く本流の話につなげてはあったものの、別人が考えた後付けのエピソードらしい。でも、オリジナルの流れとのつなげ方が実に上手かった。

劇場には行けなかったので、DVDで鑑賞。第一作で「非常に苦労して犠牲をはらって入手した・・・」と言っていたデス・スターの設計図を、どうやって盗み出したのかという話。この点に着目したアイディアが素晴らしい。

今作の中心人物たちは、ほとんどが死んでしまう話となる。話の流れからしてそのはずだ。よって本作はギャグ満載の楽しい作品ではない。笑えるシーンは少なく、笑いの担当はロボットの助手君が占めていた。

深遠な何かを持つ僧侶も登場していた。動きが美しく、カンフーアクション俳優と分かる。彼は皮肉めいたセリフも担当していて、ひねりの効いた笑いを生んでいた。フォースに通じる精神的な面は、彼が担当していたようだ。

今作はディズニーが制作の中心になっているという。したがって今後、シリーズとして話を作る場合は、デイジー・リドリー嬢が出演する本流のシリーズと、今作のようなスピンオフエピソードのシリーズが平行する形で作られることになるはず。いくつ作られるのか、死ぬまでに全て観られるのか、分からなくなってきた。

よほどな傑作ができない限り、かってほど興奮して新作を観ることはないだろう。だから全部観れなくても、今のところ劇場主は構わないと思っている。今は他にも凄いSF映画は多いし、高齢者がSFばかり観るのもバカにされそうで気が引ける。

本作のヒロイン、フェリシティ・ジョーンズ嬢は美しいが、野性的な表情をしている。口の近くはジェーン・フォンダのように出っ張っていて、意志が強い女性のイメージが漂う。今作のヒロインのキャラクターには合致していたと思う。もっとワルの雰囲気がする女優さんでも面白かったかも知れない。

悪役に、今ひとつ迫力が足りなかったと思う。デス・スター製作の責任者を、普通の人間がやる必要はない。その点は何を考えてああしたのか疑問に思った。ダース・ベイダーの弟子のような存在を考え、強さと狡さ、したたかさを持つキャラクターにしたほうが絶対に話を面白くしたと思う。強力な敵が最後に立ちはだかって、主人公らが絶望的な表情を浮かべることが、盛り上がりのためには望ましいはずだ。

 

2017年3月12日

ロンサム・ダブ(1989)

Lonesome_dove


- インディアンは・・・? -

テキサス州のロンサム・ダブからアイオワまで、牛馬を引き連れて乗り込もうと考えた牧場仲間達。しかし、彼らの前に自然や悪党、先住民らが立ちはだかった・・・

・・・・懐かしいテレビ・シリーズ。89年当時は夜遅くにNHKで放映されたのではないかと思うが、当直の合間の断片的な鑑賞しかできていなくて、全体を見たのは初めて。DVDで鑑賞。

ロバート・デュバルが主演していたのは覚えていたが、仲間役はトミー・リー・ジョーンズだったと初めて認識。彼は遅咲きの役者で、悪役として「逃亡者」あたりから印象に残るようになったのだが、今になって思えば当時からタフで頑固な人物を一貫して演じていて、この作品でも存在感たっぷりだった。

長編小説が原作らしい。単なる西部劇というより旅の物語で、冒険の中での悲劇が中心になった様々なエピソードを盛り込んだドラマと言える。NHKの大河ドラマのような重厚路線。ジョークでの笑いのシーンはあるが、ギャグの要素はほとんどなし。冒険と、それにともなう苦難、悲劇の凄さに圧倒される。重みのある物語だ。

重厚すぎて、もしかすると軽い考え方の若者には受けないかも知れない。ドラマを楽しむなら美男美女とコメディアンが出てないといけないと考えているようなアーパー人間には、このドラマは重すぎる。きっと途中で嫌気がさしてくるはず。子供には、その子の感性次第になるだろうか。観るのを止めてゲームをいじり出す子もいるだろう。

「チャンプ」のリッキー・シュローダー君が良き若者になっていた。少し笑顔が目立ちすぎたかも知れない。他の共演者と違った個性なので、よく目立ち、しかも印象が良い。彼がアクセントになって、他のしかめっ面俳優の味も生きていると感じる。

ダイアン・レインが若い頃に出演していて、たいへんな演技力を感じた。不幸な運命に陥った人間が感じるであろう感情が、派手ではない演技でよく表現できていた。他の映画では添え物的な印象しかない彼女だったが、この作品では素晴らしい。

悪役がいろいろ登場していたが、どれも非常に魅力的で、味のある役柄だった。仲間達も丁寧に焦点を当てられていたようだ。

テキサスよりアイオワのほうが歴史が長いと思っていたが、このドラマを見ると逆だった。おそらくインディアンを追い出す過程で、北部のほうが後回しになったからだろう。それにしても、この作品の中のインディアンは可哀相な立場。酷い偏見に満ちている。この作品の登場人物達も侵略者に他ならないのだが、ヒーローとして描かれている。

つまり、視点に関して言えば、非常な偏りがある。ただし、物語としてドラマとして限定した考え方をすれば、このような描き方をしないと、作品にならないのも確か。インディアン側だけの視点に立つ西部劇では、興業的に苦しい。せいぜい、主人公の白人が先住民と交流するといった程度に限られる。その傾向は、いまだ続いているようだ。

 

 

2017年1月30日

64-ロクヨン-前編/後編(2016)

64

- 奇想天外? -

昭和64年に起こった誘拐事件。時効が間近。県警を長官が視察し、事件の洗い直しが始まる予定だが、県警幹部は反発・・・・

・・・ベストセラー小説の映画化らしい。DVDで鑑賞。まだ新しい作品のはずなのに、すでに7日間借りられるということは、人気がないことを意味しているのかも知れない。原作は読んでいない。また、テレビドラマも作られたそうだが、そちらも観ていない。

作者は元新聞記者だそうだ。そのせいか、威勢の良い記者達が警察を恫喝する様子に迫力があり、リアルな印象。ただし、実際には対応が分かれ、リークなどの取り引きも行われ、持ちつ持たれつ、一部は非難といった複雑な関係が出来上がっているのではなかろうか?

県警が中央からの管理強化を嫌がる点は理解できたが、実際はどうだろうか?県によって県警あがりが本部長になったり、中央から派遣されたり違った人事があるものなのか?劇場主のイメージでは、県の上層部は全て中央からの人間しかいないものと思っていた。そうでないと、現場との馴れ合いが酷くなるはずだ。外部の人間が絶対に必要。

発想が素晴らしく、良く出来たストーリーと感心しながら観ていたが、後半部分は前半と展開が違い、意外な結末を迎える形だった。前半のラストで急展開があったのは、作品を二つに分ける際には良いことだったが、無理な点も感じられた。普通なら、大きな事件が起こったら、情報が署内に拡散するのでは?

舞台となった群馬地方の風習のドンドヤみたいな行事、県境の雪山、河原などの風景も美しく、ロケ地として魅力がある場所と思った。以前の邦画だと、主に東北地方の田舎が舞台になることが多かったが、今回は結構な都会と田舎が混在した場所だった。風景は、この作品には良い効果をもたらしていたようだ。

佐藤浩市が主演だったが、どこか役柄に不釣り合いな印象を感じてしまった。他の俳優達もそうで、新聞記者代表の瑛太は迫力に欠けていたし、部下の綾野剛も個性が不似合いな印象。役に期待される以上の演技力を感じたのは、犠牲者の父親役の永瀬正敏など少数ではなかったろうか?個人的な印象だが・・・

でも全体にまとまりのある作品で、テーマも良かったし、警察内部の事情などがいかにもありそうでリアルな感じだったし、作品全体に高級感がある雰囲気。B級作品では絶対にない。

小説がどうだったは分からないが、映画化する場合は、主役は刑事のコンビにしたほうが良かったかも知れない。まず基本的に警察は個人で勝手に捜査することなどできないので、署内で協力して動く複数の人間がいないとリアルにならない。ひとりのヒーローが犯人逮捕まで持っていくのはおかしい。その点で、無理があった。

おそらく中村トオル演じた管理職か、現場の他の刑事などが主人公に協力し、犯人をあぶり出しつつ、警察の内部の改革を目指すといった方向のほうがいい。一人に焦点をあてて活躍させるのも良いが、スーパーヒーローの物語では、およそ現実味が失われるだけと思う。

協力する仲間がいれば、友情の盛り上がり、あるいは上層部に楯突く際の緊張感といった他の要素が絡んで、話はさらに面白くなると思う。この作品は、それよりも新しい展開による面白さを追求したようだ。その結果、奇想天外なドラマに近づいてしまわなかったか?

さらに思うに、やはり前後編に分けずに、時間を短くして1作品にすべきだったと思った。二作に分けるほどまで、この作品の奥が深いとは残念ながら思えない。よく出来た話だが、120分程度に収まると思う。

 

2015年10月31日

6歳のボクが、大人になるまで。(2014)

Universal

- 母親が太めに -

両親が離婚して母親、姉と暮らすボクが、母親の再婚や転居を経て大学に入学するまでの日常を描いた作品。DVDで鑑賞。心に残る作品だった。

監督のリンクレーターのアイディアらしいが、12年間の長きに渡り少年の成長を追いながら断続的に撮影した企画。小さかった姉妹が大きくなり、母親がより太めになり、周囲の人達も年月相応に変化していく様子をそのまま撮影してある。まず、その成長の自然さが魅力。

家族のドラマの場合、通常はヘヤスタイルなどで成長を表現することが多い。それが約束になっており、リアルさを損なってしまう面は必ずある。それを避けるためには、この作品のように役者達の成長に合わせて定期的に集まって撮影するしかない。

でも、可愛かった子役が思いきりブサイクに変身したりしたら、企画そのものが失敗になる。急死されたらどうしようもない。この種の企画にはリスクが伴う。今後はCG技術を上手く使って、身長から顔まで、全て処理して映画にしたほうが良い。成長を待つ必要がなくなる。ただ、真実が持つ味わいは失われるだろうけど。

この種の企画は過去にもあった。多くは青年時代からスタートし、歳をとっていく様子の物語。かなりメーキャップも使われた例が多い。ドキュメンタリー作品なら、例えば日本の農村の動物好きな少女が成長して獣医になるまでを描いた企画などは、実際の成長が偶然ドラマティックになった記録。この作品はちゃんと役者が演じている点が面白い。

筋書きに特別ドラマティックなことが多いわけではない。誰でも経験しそうで、ややドラマ的かなといったレベル。それで観客に受け入れられるか、相当な自信がないとできない企画。普通のドラマのほうが観客の心に共感を生みやすい点はあると思うが、上手く盛り上がるかは賭けだ。

母親役のパトリシア・アークエットは、「トゥルー・ロマンス」のヒロインだった。あの頃は色っぽいセクシー女優だったが、たくましい母親に変化していた。子育てをしながら大学で勉強し直すという姿が、あのたくましい二の腕で表現されていた。スリムな美人女優が演じても、あの役は無理だろう。

子育てが終わって、彼女が「後は自分の葬式が待つだけ!」と、嘆く場面はおかしいが、実際にそんな気分になるものかも知れない。子育てを懸命にこなしたら、自分がいかに余暇がなかったかに気づいて、泣きたくなるかも知れない。

似たような境遇の女性は身の回りに多い。学校に入り直し、子供が熱を出して自分も倒れそうになって病院にやってくる若いママには同情する。学校、家事、子育てをこなす根性に、頭が下がる。さらに加えれば、豊かな米国でそうまでしないと生きていけない生活状況に、ちょっと驚く。

日本なら金銭的な状況は分かるが、米国の場合は個人の稼ぎで何とかする考え方が一般的らしいので、育児手当のようなものが少ないのかも知れない。格差の程度も凄いだろう。実際の家計簿がどのような状況か、気になる。

日本だって充分ではない。個人的に思うのは、少なくとも高校までの学費、子供の生活費に不自由を感じない程度の補助は必要だろう。予算は、たぶん数百億円で済む。妙な競技場の費用とは桁が違う。金が少子化に対する国の意志を示すと思う。他に国家の意志を示す方法はないだろう。今の補助金では、子を産むなと言っているに等しい。

子育ての補助を強化した場合は、問題も新たに生じるだろう。中国あたりから大勢の母親がやってきて、日本で出産しようとするはず。生活が楽と分かれば、国境を越えてやってくる時代。それに元々予算が足りないわけだから、どこから金を取ってくるかで紛糾するに違いない。

それでも、他に手はない。唯一にして最重要かつ必須の政策で、これ以外の考え方はありえない。人口問題、ひいては地域格差や国の経済的展望に、最小限の投資で最大限の効果が期待できる。

でも、もし本当に補助が実現したら、子育ての悩みの大半が消えて、ハッピーな家庭がほとんどになる。滅多に不幸な物語がない事態が生じ、映画関係者達が困るかも知れない。リンクレーター監督も、飯の食い上げになる。

 

 

2015年2月 6日

ロンドン・ブルバード(2010)

- 不完全 -

出所した男は犯罪組織から足を洗おうと、女優のボディーガードを始める。しかし、組織は彼の足抜けを許さず、身内の人間を次々と犠牲にする。彼の逆襲が始まった・・・

・・・コリン・ファレル主演の暗黒街映画。25日の衛星劇場で鑑賞。東映ヤクザ映画のような、懐かしい雰囲気が漂う。足抜けを許さない組織が卑劣な手段で主人公を苦しめ、ついに我慢できなくなった主人公・・・たとえば健さんなんだが、彼がバッタバッタと敵を倒す、そんな映画。

キーラ・ナイトレイがヒロインで、ものすごく痩せていた。以前よりも細くなっていたように思う。病的な役柄だから役には合っていたが、健康を考えるともう少し肉があったほうがよくないだろうかと心配した。笑顔が素敵で、最近の作品の中では一番魅力的だった。

コリン・ファレルは、筆者の目にはメル・ギブソンが少しオカマチックになったような、肉体的にあんまり強くなさそうな印象しか浮かばない。正直、この役柄に本当に合致する個性の俳優なのか、さっぱり理解できなかった。

できれば、殺気を内に秘めた静かな俳優が、後半に豹変するパターンか、もしくは見るからに迫力たっぷりの俳優が、無理に体を縮めながら、こいつは相当我慢しているなと誰でも分かる様子で耐える、そんなパターンが良い。弱そうな俳優が無理にコワモテの振りをしても、観客は共感しにくい。キャスティングは非常に大事だった。

ブルバードの意味が分からなかった。青い鳥のブルーバードじゃないはずだが・・・大通りということらしい。全然よろしくないタイトル。ブーラバードゥといった発音が本当らしい。

場面の移り変わり、全体の雰囲気、主人公を取り巻く連中の個性は、なかなかに優れた作品。家族で楽しめるタイプではない、昔の暗黒街映画が好きな、古いタイプの観客に好まれる作品。子供には全く向かない映画。

不完全さも色々感じる。主人公を助ける役目になる人物の心情が全く伝わって来なかった。主人公が彼を助けないかぎり、助力はするはずがない。また、彼自身も暗黒街の人間で場数を踏んでいないかぎり、実戦には向かないはず。彼のキャラクター設定は間違っていた。役者ではいけない。

大都市ロンドンの治安は、実際はどうなんだろうか?観光で行った頃には、外の都市より格段に安全という印象を受けたが、その後はイスラム圏の人間も増えているはずだし、アイルランド、インド、黒人やイスラム教徒、そしてスコットランドと、対立の火種には事欠かない街ではあるはず。たまたま今は上手く管理できているといった感じか?

パリでテロが起こったのだから、きっとロンドンでも誰かが計画しているはず。あれだけ雑多な人種の巨大都市なんだから、よほど上手く管理しないと、暗黒街の住人が活躍してしまうだろう。実態はどんなものだろうか?

イギリスでは大陸出身のギャングと違って、本物のワルが上流階級にいる場合もあると思う。伝統のなせる業で、武器商人や石油シンジケートを構成する人達は、資産階級であるのは当然、ナイトであったりもすると思う。上流の中の序列に関しては、様々だろうと思うけど、姻戚関係や投資の利害などを絡めて、手は汚さないけど実質は犯罪者の上流階級は多いと思う。

そんな敵が登場していたら、この作品はもっと魅力を増したかも知れない。芝居がかった旧来の悪役ではなく、小心で弱そうなエリート、だけど部下に怖い連中がたくさんいて、合法的に主人公を葬ろうとするなど、いやらしいキャラクターがいても良かったのでは?そんな連中が倒されたら、イギリスの場合は喝采をおくる人も多いと思う。

 

 

2014年12月31日

ローン・サバイバー(2013)

Universal

- 視点に問題 -

アフガニスタンのタリバン幹部を始末する計画のため、シールズ部隊の4人が現地に赴いた。しかし彼らは現地人に発見され、囲まれてしまう。4人対タリバンの戦いか始まった・・・

・・・この話は実話を基にしているそうだ。DVDで鑑賞。作品の宣伝を観た記憶はない。おそらく日本の劇場ではほとんど公開されていないのではないかと思う。およそ人気の出そうにないテーマだから。

この作品を観たくなったのは、やはり現実の紛争が原因。ウクライナやパレスチナでは、作品のような激しい戦闘が日常のように起こっているはず。銃は撃たないが、小笠原近海では数百隻の中国船が集結したという。そしてイスラム国の存在。平和な時代が去ってしまうかもしれないという危惧を感じる。それで最近、戦争ものを観たくなったのだ。

アフガニスタン人の視線で描かれた作品ではない。その点が残念ではあるが、純粋な兵士賛歌の映画は娯楽として観ていれば、やはり面白い。いかに酷い目に遭っても彼らは生き残るだろう、そうでないと映画にならないからという理由で安心して観られるし、危機の盛り上がりで緊迫感は味わえる。この作品は優れた技術を集めた高度な映画だと思う。

特に崖から転落していくシーンが素晴らしい。舞台の階段落ちの豪華版だ。ちゃんとクッションのある場所に本当に落ちるところを撮影し、現場の映像と組み合わせたのだろうと思うのだが、木や岩に激突するシーンが実に上手く撮影されていて、本当に落ちたとしか見えなかった。

実際に落ちていく時には、おそらく転がらないようにすべきと思う。みっともない格好になっても、壁面になるべくへばりつき、転がって自分の体のコントロールが効かないような落ち方は避けるべき。それが子供の頃に何度も転げた経験のある筆者の印象。転げて頭部を打撲して意識を失ったら終わり。

出演者の中でテイラー・キッチュは、少し演技がクサすぎる印象を受けた。格好良い役だったが、なかなかやれない役目だったと思う。実際に本部と連絡をつけたいなら、作品の中のような場所に立つのではなく、他の方法があったのではないかと思う。

他の兵士の個性についても、上手く演出できていたろうか?死んでいく兵士の傷つきぐあいの表現は非常に優れていたと感じた。敵側の個性も出た方が良いだろうが、そのへんは全く関知していなかった様子。敵も人間であり、組織の中で動く兵士であろう。作品のレベルを上げたければ、何か描いて欲しかった。

そもそも、敵の人質を解放すべきかどうかは大きな問題。通常の場合、自由を奪って自分達が安全な場所に逃れるまでは縛りつけておくのがベストでは?作戦は失敗したと判断し、さっさと逃げるのが正解。遂行を狙うなら、やはり捕らえておくしかない。実際には人質にするか殺す場合もあったろう。

通信手段に関しては、何か工夫はできないのだろうか?衛星を使うか無人機を24時間体制で飛ばすかすれば、いかな山の中でももう少し通信できそうな気がする。隠密作戦の時こそ、生命線である通信の確保には注意が必要。機器が進んだ米軍でも、このような失敗は多かったのだろうか?予算的な問題か?そこらへんは、よく分からない。意外に旧式の手段を使っていて、現場から苦情が出ているのかも。

 

 

2014年11月 6日

ロミオとジュリエット(1936)

- お勧めできない  -

シェークスピア原作の悲劇の映画化作品。安物のDVDで鑑賞。主演は、「風と共に去りぬ」の二枚目役レスリー・ハワードと、名前だけは知っていたノーマ・シアラー。

映画化としては最初らしいが、もしかするとサイレント時代に先に作られた作品があるかもしれない。セリフが大事な物語だから、理解するのは難しくなるはずではあるけど。画質は相当鮮明で、音もよく聴き取れた。韓国製のDVDらしいが、元のフィルムの保存状態が良かったのだろうか?同じ時期の他の作品よりも質が高い。もしかしたら、ヒットしなかったせいでフィルムの劣化が避けられたのでは?

この作品は、単純に言って面白くなかった。誰かに勧めたい気持ちにはなれない。私の世代の「ロミオとジュリエット」は、オリビア・ハッセーが出演した作品の印象が強い。若い二人が主演して、この作品より新鮮な感じがする。もっと若い人たちはディカプリオ版だろうけど、ヒロインが日本人好みの容姿だったのか、演技力よりまず見た目でハッセー版がお勧めとなる。

映画の当時のオリビア・ハッセーは純真そうだが非常にグラマー。アンバランスな点は、ヒロインのイメージにも合致していた。最近、彼女がマザー・テレサの役を演じている映像をチラッと拝見したが、本当の老人のようになっていた。ダイエットしたのか苦労のせいか分からないが、やや貧相な感じで残念。

この作品、セリフの多さも気になった。もともとが劇だから、今風の恋愛より言葉がくどくなるのは仕方ないと思うが、多少は映画用に削って、ダンスや剣戟スペクタクル、アクションなどの比重を増すべきではなかったろうか?当時、この作品は受けたのだろうか?ヒットしたとすると、ちょっと信じがたい。

セリフも変えられないのだろうか?いじると評論家から文句が出るのかも知れない。原作の良さが分かる人にとっては、この作品は良い映画かも知れない。韻を踏んだセリフに特徴がある劇で、いまだに上演しているところがあるだろう。その良さが分からない者には、この作品の良さも分かりようがない。

マキューシオを演じていたジョン・バリモアは完全に爺さんに近い風貌。若者のロミオといっしょに町に繰り出すなんて、無茶な話。キャスティングに無理があった。他にも俳優は大勢いたろうに、大失敗だと思う。

主役のノーマ・シアラーも、写りのせいか判らないが、若々しくは見えない。幼くて、純粋そうな雰囲気の娘さんを連れてきて、ベテランの男役に引き立ててもらうほうが、観客の共感を得たのではないかと、私は思った。

セットを作る技術も未完成だと思った。屋敷の塀を乗り越える体力があるなら、ジュリエットの部屋に直ぐ乗り込めそうな、そんな庭のセットだった。話していないで、さっさと部屋まで上がればいいのに、わざわざ止まってるなんて変だ。当時は舞台のイメージが強くて気にならなかったのだろうか?

舞台のイメージと言えば、タペストリーに描かれた人物達が舞台に姿を変える手の込んだ演出があった。当時はCG技術がないから、助監督達が指示して絵と人間の動きを合わせたんだろう。でも、CGがある昨今では、そんなに効果のある手法だとは感じない。当時は驚かれたのだろうか?

ロミオ達の物語の舞台となった当時のイタリアは、皇帝と教皇の争い、ジェノバとヴェネチアなどの都市間の争い、海賊達との争いなど、激しい抗争が日常茶飯事の時代と想像する。当時のパーティーは、実際に映画のようにできたのだろうか?私の感覚だと、反対派がテロを起こすから、よほどの警備をしないと開催できないように思う。実際には今のパーティーとは様相が違い、顔見知り以外は全て排除したのでは?

歴史の教科書のレベルだと、そういった争いの中でルネッサンスのような活動を生みつつも、徐々にフランスなどに覇権を奪われていったイメージがある。もし早くから統一国家を維持していたら、イスラム教徒や北欧、フランスなどの勢力を排除し、一貫して欧州の覇権を維持できたかも知れないと思うのだが、彼らはどんな理屈で争っていたのだろうか?

特に不思議なのは、イスラム教徒の海賊にやられて、大勢の市民が奴隷になって連れ去られていく時代に、連携して略奪を阻止する動きが成功しなかった理由。ほっておけば、自分達にも必ず悪い結果が来ると分かりそうなものだが、彼らの頭の中は何で一杯だったのだろうか?

イスラム圏が商売相手だったことも大きいだろう。商売、財産、日々の楽しみ、神への感謝が大事で、集団的危機管理、防衛に興味がなかった?あるいは宗教的な寛容、諦観が広く行き渡って、戦闘員以外の一般人は、殺されても神の意志、抵抗はしないといった考え方だろうか?つまり、抜本的改革といった過激な対応を嫌う風潮が仇となったのか?

宗教改革後に欧米諸国がイスラム圏を駆逐していったのは、武器の進歩や経済力の発達とともに、プロテスタントに代表されるセンスも関係していたに違いない。活発な経済活動は、裏返せば植民地支配や武力制圧、帝国主義、一方的な通商条約に近い。寛容の精神とは趣は違うはずだが、彼らの頭の中では矛盾しなかったようだ。

また、イスラムに対して団結しなかったのは、単に敵が強くて仕方がない面もあったのか?頭は宗教的なわりに争いごとが絶えない、内輪もめに終始、そんな時代が、どうにも理解できない。日々の幸福、自分の家族の商業的成功、資産の形成、ライバル家族との戦い、街の中における自分の社会的地位や名誉、それらを徹底的に追求したら、きっと他の街を見捨てて自分の家を守る態度が自然になるだろう。地域全体、国という観念がないと、巨大帝国には対抗できない。

ほぼ同じ民族でありながら、古代ローマと中世のイタリアの諸都市では政治的軍事的センスが大きく違う。もともと古代ローマも武力で統一されていただけだから、分裂が自然なことなのか?おそらく同じ宗教や同じ政治体制、民主主義、資本主義の社会でも、全く違った方針、互いの敵視は当然なんだろう。同じ地域で極端に帝国主義的な政策が発生したり、急に社会主義化することも、全く自然。迷いもなく、その時代の風潮に納得できる柔軟性が人には備わっている。

あんまり考えたくはないが、私の孫達がイスラム国の戦士や共産党員になっても、不思議ではない。

 

 

2014年11月 3日

ロミオ&ジュリエット(1996)

- 若いレオ様は素晴らしい -

バズ・ラーマンが監督した作品。なんで観る気になったのか忘れたが、目にとまったようでDVDで鑑賞。現代のベローナを舞台に、シェークスピア劇を再現している・・・が、そんな企画、誰が面白いと思ったのだろうか、最後まで製作者の感覚を理解できなかった。

現代版と言えば、「ウェストサイド・ストーリー」という古典的な作品がある。もはやいまさら現代版にしても、誰も興味を示してくれないのでは?そんな予感がするのが普通だろうが、よく予算がとれたものだ。

バズ・ラーマンの作品は、どれもあんまり好きではない。独特のカメラワークをしていて、非常にダイナミックでスピード感ある映像だとは思うし、この作品のラストの舞台である礼拝堂の映像は本当に綺麗だとは思うのだが、重みのようなものが不足しているような気がする。ミュージックビデオを撮らせれば最高、普通の映画ではクエスチョンマークといった印象。

それでも、この作品はなかなか魅力的だった。ディカプリオが特に素晴らしい。最近のレオ様は体格が良くなり、顔もふっくらして哀愁の気配が感じられないようになってきた。大柄体型の坊やとまでは言えないが、弱々しさや未熟な部分が消えて、かえって魅力を失ってしまったように思う。この作品やタイタニックの頃までの彼は最高だった。

このロミオは、明らかに喧嘩が弱そうな細身の体型で、心も未成熟、恋愛にのめりこんで失敗しそうな気配がプンプンする。実に役柄にはまっている。まさか彼がスパイになって銃撃戦や殴り合いをやって勝てそうには思えない。青春映画、恋愛映画に限定のキャラクターだったと思う。

なぜ彼があのままのキャラクターで大人になれなかったのか、その理由は分からない。頬に肉がつかないようにするためには相当な食事制限が必要だろうから、その点で現実的に無理だったのかもしれないし、タフな人物を演じたいという本人の希望のせいかも知れない。とにかく、残念だが「ギルバート・グレイプ」の障害者役や、この作品の主人公のようなキャラクターではなくなってしまった。

ヒロインのクレア・デインズも意外なほどに上手かった。絶世の美女タイプじゃないので、イメージとしてジュリエット役は相応しくないような感じがしたが、若々しくて一途な娘らしい雰囲気が充分に感じられ、ディカプリオの魅力だけでなく、彼女の魅力によっても、この作品は印象が良くなったと思った。

この作品は、たぶん今の若い人が観ても高く評価されそうな気がする。演技が派手で、セリフもかなり原作の通りだろうからくどすぎるが、純真そうな主演の二人の雰囲気の良さによって、作品の魅力はあると思う。たぶん家族で鑑賞するのも悪くない印象。殺人のシーンもむごたらしくはないし、エログロ映画ではないから。

この作品ができたくらいだから、ロミオとジュリエットは今後も繰り返しより現代版の作品が作られていくだろうと予想できる。恋愛~悲恋物語の基本となるシチュエーションがあるし、セリフが業界人に好まれるようだし、殺し屋や道化役、友情や勢力争いなどのプロットが網羅されているから、自分ならこう描きたいと感じる映画人が多いのだろう。

個人的には、全く異なる新しいストーリーがあるかに興味がある。毒薬を飲んで死んだふりするような展開が繰り返されると、よほどの魅力的な俳優か、凄い演出がない限り、興味を持って鑑賞を続けることはできない。全く違った展開に向かった方が自然だと思うし、観客の多くもきっとそうではと考える。いいかげんにシェークシピア作品の映画化は止めて欲しい。

でも全く世代が代わって、あと30年後くらいだろうか、レオ様さえ知らない世代が増えてきたら、きっとまた作られるんだろう。未来版だったり、ロボットや遺伝子操作などの要素を絡めて斬新さを狙うに違いない。あんまり観たくない。

 

 

2014年10月16日

ロボコップ(2014)

Mgm

- 時間つぶし用 -

正義感に燃える刑事が殉職し、彼を使って警察用ロボットが開発された。しかし、開発した企業の思惑により、彼は抹殺されることになる・・・

・・・バーホーベンが監督した作品のリメイク版。違いは、ロボコップが格好良くなり、洗練された戦闘服のような格好になっていたこと、動きも自然で活発なこと。主人公もスタイルの良いテレビタレントだろうか、見た目が違っていたこと。相棒が黒人に代わっていたこと、敵の手下となる悪そうな顔のギャング連中がいなかったことなど、微妙な設定がいろいろ。

ストーリー展開などに特に感心したわけではなかったが、結構楽しめた。ひとつの作品としての出来も悪くは感じなかった。前作よりも血なまぐさいシーンは減っていて、子供の鑑賞に耐えられそうになっていたし、それでも結構なアクションシーンがあるので、気楽に恋人と鑑賞するのも悪くないと思う。

前作は気味の悪いシーンが実に多かった。ラスト近くで悪役氏を倒すシーンでは、首をナイフで切られた悪役が、血を噴出しながら死んでいったが、あれは子供には良い影響はなかろうと思う。恋人があれをみて嬉しそうにしていたら、もう交際は遠慮したくなる。今作のほうが一般的な興行には向いていると思う。

ただし、圧倒的な売りがなくなった点も感じた。残忍さがないなら、鮮やかな身のこなしや、凄い武器、スピード感など、何か売りがないといけない。それが感じられなかった。だから、家族で楽しむためにわざわざ時間を作るという作品ではないように思う。恋人との鑑賞も、他にすることがない場合に限られるのでは?基本が時間つぶし用の作品と思う。

面白かったのは、中東に軍事用のロボットが輸出され、それにテロリスト達が挑むシーン。中継がさえぎられるが、隠そうと番組側が操作するのは、いかにもという感じ。

主役や、その奥さん役は、テレビ界のスターだろうか?悪役の会社社長は懐かしいマイケル・キートンだったが、「ガンホー」や「バットマン」時代とは随分と変っていて、悪役になってたのかあと感慨を覚えてしまった。ただし、本来望ましい悪役としての迫力には欠ける印象も受けた。

元々、マキャベリズム的考えをしたワルという役柄ではなく、結構淡々と商売を遂行するビジネスマンタイプの役だったようだ。その点から言えば、リアルな社長像だったかも知れないが、映画的な魅力ある個性となるためには、とことん商売に徹する単純で憎々しげな個性のほうが良い。設定を誤ったような気がする。

大いに目立ったのは、冒頭から登場するテレビキャスター役のサミュエル・L・ジャクソン。ロボット会社の意図のままに言っているのか、本人の考えだけで言っているのか分からないが、ロボットが必要であるという意見を強要し、反対派の出演者の発言を邪魔する著しい偏りぶり。最近の彼は極悪の人物の役が多くなっているが、この役も凄い迫力。

キャスターが派手で極端な意見を言うのは、昨今の日本のテレビでも珍しくなくなってきた。米国流が浸透してきたからだろう。意見を言わないニュースアナウンサーは退屈に感じる。日本のキャスターは、しっかりしたジャーナリスト系統の一派と、エンタメ路線の一派ときれいに分かれている。米国もそうだろうか?

極端な右翼、あるいは政府の意向そのままのキャスターが今後登場するのか気になる。政権がかってのような大政翼賛型になったら、キャスターにも当然影響が出てくるだろう。反政府的な評論家を徹底的にこき下ろすキャスターが登場しても不思議ではない。訴え方が上手ければ、それに喝采を送る人も多いかも。

太平洋戦争前の国民の意識は正確には分からないが、おそらく欧米が経済制裁してくるのに嫌悪感を持ち、戦闘に打って出るよう激しく要求していたのではないかと思う。「戦争は嫌だな」と考える人も多かったろうが、権利を要求し、迫害を打破する姿勢を求める人の方が目立ったろうし、数的にも多かったのでは?戦前の場合のマスコミは新聞が担当していたから、紙面は勇ましかったろう。

たぶん、三国干渉が遠因だったのだろう。あまりに露骨で酷い圧力だった。日清戦争の戦果の相当部分を分捕られたという意識を持った人が多かったのでは?実際には、当時の国力を考えると占領されないだけで御の字であったとも言える。日露戦争後の戦果もないし、自分達の努力が不当に評価された、勝利を掠め取られたといった心情が支配的になり、これで攻撃していかないなんてバカだ!・・・そんな論調が主流になったのでは?

今後もし日本の通商を妨害され、島を包囲されたり占拠されたりしたら、敵をひどく罵るタイプのキャスターでないと視聴者が許さないようになるだろう。理性的に「事実確認と友好を優先・・・」などと言ったらテロ攻撃されかねない。「ただちに相手をぶち殺せ!」のほうが受ける。受け狙いで派手な言動をとり、いっきに政治勢力を打ち立てようとする連中は必ず出る。

おそらく、それは敵の勢力の方でも同じだろう。対立が一定の段階に来たら、理性派は内部から攻撃される。より過激で、単純明快な人間に喝采が集まり、その言動に対してまた敵が過剰反応するといった、互いのアクセルふかし合いのような現象が発生するはず。それが始まったら、もはや話し合いの段階ではなくなる。

だから、この作品でのサミュエル・L・ジャクソンのようなタイプの人間(キャスター、コメンテイター、政治家)などが登場した時、煽られないように事前に学習するための教材として、この作品はなかなか良いのかも。

 

 

2013年8月17日

ローン・レンジャー(2012)

Dhisney

- パイレーツ・シリーズそのまま -

大陸横断鉄道が開通する時代。新任検事のリードは兄を殺される。彼は悪霊ハンターのトントとともに、極悪非道の犯罪者集団と戦う。

お盆休みの劇場で鑑賞。テレビドラマは観たことがない。随分昔の放送だったはず。言葉としてのローン・レンジャーは知っている。はるか昔のヒーローの代名詞だったことも。でも、はたして大昔のヒーローで、しかも空を飛んだり光線銃を使ったりできない人間が、今日の観客に受けるのだろうか?

そんな考えは杞憂だった。独特のギャグめいたオトボケキャラクターによる笑いと、スピード感あふれるアクションシーンの技術、CGの出来栄えなどによって、この作品はパイレーツ・オブ・カリビアンと全く同じ路線で、新たなヒーロー像を作り上げていた。たぶん、スタッフはこの路線でいけるという自信があったのだろう。

これは、ぜひ続編をと思った。子供達もギャハギャハ笑っていたし、見終わった後に満足げだった。これは恋人と見ても楽しい作品だと思う。娯楽に徹しており、気楽に楽しみたい時には最高レベルに近い出来栄えだと思う。

ジョニー・デップがトント役を演じたことで、この作品の成功はかなり決まっていたことになる。相当な出演料だったのではないか?でも興行収入の数パーセントを払うだけの価値はあったと思う。もともとのテレビシリーズのトントはどんなキャラクターだったのだろうか?たぶん、主人公の引き立て役だったのでは?

この作品ではアーミー・ハマーのほうが引き立て役だった。好人物過ぎて迫力のないほうが、奇怪な性格のトントと凹凸コンビになる。トントのとぼけたキャラクターが際立つ。美男子、好青年のハマーは役柄に完全に一致していた。

ラジオやテレビドラマの時代に、このようなキャラクターの絡みを構築した原作者達は素晴らしい才能を持っていたのだろう。そもそもインディアンが相棒、しかも戦士じゃなく呪術者というのが独創的。特異なキャラクターでないと客受けがないからだろうが、いいアイディアだった。

編集も素晴らしかった。銀行強盗に入る二人の慣れないセリフは笑わせる。でも彼らはヒーローで強盗はおかしい・・・その謎は後で解明されるという仕組みがいい。ディズニー的だし、パイレーツ~的な展開で、よくできていた。

逆転に次ぐ逆転の構図も、そのまま持ち込まれている。ヒーローが銃を放っても、直接人が死んだりしない。物に当たって偶然のように倒れていく。そんな出来すぎのマンガ的な演出は、子供だましと言えばそうだ。ギャグのセンスが良くないと失敗しかねない。

子供達は気づいていなかったが、ロケ地は昔からよく使われるモニュメント・バレーの光景をCGで加工して、さらに西部らしい雰囲気を出していたように思えた。美しい風景だった。音楽も、昔のラジオやテレビシリーズの雰囲気を大事にしていたように思った。

 

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