映画評

  •  若い人達の映画評は、「やっほーい、見ちゃった!(^□^)゛にゃはは(^□^)゛(^o^)」(゚ω゚)イイヨゥ! のような具合で、おじさんにはさっぱり理解できません。年寄り向けのサイトがあればと考えました。

劇場主

  • 乙女座 AB型 どの占いでも最悪の運勢 内科クリニックやってます。

カテゴリー「れ」の14件の記事

2009年8月20日

レッドクリフpartⅡ(2009)

- 戦闘の描写はハイレベル - 

監督 ジョン・ウー

赤壁の戦いの本番。魏の曹操は前哨戦で失敗したが、圧倒的な戦力を赤壁の対岸に並べ訓練をやっている。疫病が発生したのを利用し、呉蜀の連合軍に死体を流し、同盟を解体するのに成功。対する呉の陣営では弓矢の補給、敵の水軍の無力化のために孔明と周瑜が策略をめぐらし、ついに決戦が始まる。

・・・船が敵陣に突っ込んで行く場面は素晴らしい迫力だった。どんなふうに撮影したのか解らないが、実写で全部を撮影したら死人が続出しそうだから、CGを上手く使ったのだろう。今までの海戦は幼稚なものが多かったが、CG技術が進んで怖ろしいレベルの映像を見れるようになってきた。

趙雲らがアクロバティックな戦いをすると作品のレベルを下げてしまいかねないので、やり過ぎないように制限するのが難しいところだが、パート1よりは整理できていたようだ。

攻撃が敵の防御ではかどらない様子が上手く表現できていた。死体が折り重なって、無残な戦場になっていく様子もかなりの時間を使って描かれていた。ただし、女スパイと敵の恋物語は明らかに余計。サッカーも必要ない。

ドラマ的な部分の盛り上がりの作り方に欠陥があった。私情をはさんで映画を作ったのでは?ヒロイン以外の女性の活躍は必要ない。緻密な盛り上げに関しては大味。

ジョン・ウー作品に特有のスローモーションのアクションはやや控えめになっている。その関係で洗練された印象を受けるが、独特のバイオレンスの魅力は失われたかもしれない。

傑作とは言えないが、映画の本来の魅力である迫力に関しては申し分ない。家族や恋人といっしょに観ることができるレベル。

2009年7月24日

レボリューショナリー・ロード(2008)

主演 ケイト・ウィンスレット

ニューヨーク郊外の一軒家を買った夫婦の物語。夫は長時間かけて会社に通勤し、面白くない仕事をこなし、ちょいと秘書とアバンチュールを楽しんだりする。妻は家事をこなすだけの毎日に魅力を感じられないでいた。 倦怠期のせいか、夫婦の間でも険悪な会話が繰り広げられる。 生きている実感が得られる生活を求めて、夫婦は思い切ってパリに移住することを計画する・・・・

・・・・前知識なしに観たら、意外な佳作だった。特に主演のケイト・ウィンスレットが素晴らしい。近年の彼女は悩む主婦の役が続いているが、この作品での彼女は今までで最高の存在感を示していた。それもそのはず、彼女は企画の段階から深く関わり、実際に製作の中心にさえなっていたらしいのだ。

若い頃の彼女は「タイタニック」のイメージが大きかったので、イメージに潰されてしまうのではないかと思っていたが、意外な実力者で、しっかりしたセンスを持つ女優だったようだ。夫が芸術肌の映画監督であることも良い方向に働いていると思うが、企画力、文芸への造詣、いろんなセンスを持ち合わせた人物であると思える。向こうのスターは、自分で自分を売り込み、企画に参加していく企業家のような人が多い。

昨年から彼女は、この映画でゴールデングローブ賞、次の映画でアカデミー賞の女優賞を取っているから、まさに絶好調の状態だ。それだけの力があると思う。

この作品では共演者がディカプリオだった。スターなので宣伝効果はあったが、ディカプリオの存在感はそれほど感じなかった。演技は非常に上手くて自然ではあったものの、この作品はあくまでウィンスレットが中心だったようだ。

ただし、ウィンスレットの演技はややオーバーだった。最初から狂気じみた不機嫌さを見せすぎていたような気もする。口げんかをしながら徐々に興奮して狂気じみていくような順序だった演出があれば、もっと自然だったのでは?いきなり演劇で失敗するシーンを出さないで、日常の仕事に嫌悪感を感じていることから描いておくべきではなかったか?

そして、仲が悪い夫婦は、客の前ではにこやかにしていることが多い。その辺の見かけ上の仲良さを見せるとリアルだったと思う。

さらに交際を始める若い日の映像は冒頭に持ってくるとおかしいと思う。途中で「あの頃は生きている実感があった。」と話す時に出せば効果的だ。過去の映像は現在と解消させるのが原則だから、明るい未来に期待を抱いていた表情と疲れきった現在の表情をかぶらせる時に使うべきだ。編集には難がある。

50年代の雰囲気を再現するために大変な工夫をしたようだ。車や通勤客の衣装はもちろん、家の構造、仕草や話し方まで綿密に検証しているらしい。その効果はある。重厚な感じが漂っている。

日本人からすれば戦後アメリカが最も光っていた時期で、アメリカ人は全員が自信に満ち、豊かさを満喫し、更なる繁栄に希望を持って生きている、要するに我々とは人種が違うんだと感じていたはずなんだが、実際は想像と違う面もあったようだ。今日では、この作品のような会話は珍しくない。聞きたければ、我が家に来れば簡単に聞ける。

私がクリニックを開業したのも、家内が脅迫めいた言動を取ったからだ。勤務医の妻で安定した状態だが、家事や子育てばかりの毎日に希望を見出せなかった妻が「生きてることを実感できる生活」=開業医の妻を望んだようだ。彼女は開業で盛り上がって、おかげで子供ができたことまで映画と似ている。

もしかしてウィンスレットは私のブログを読んでいるのか? 

開業しても夢のような人生が来るはずはないと私が言おうものなら、「意気地なし」「覇気がない」「夢がない」などと、ないない男呼ばわりするので、最低限のリスクに抑えてかろうじて現実的なレベルの開業に成功した。結果的には無計画の冒険ではなかった。

こうして私はディカプリオよりも魅力的な男になれた(反論は無視)。

ともかく、私の場合は妻が子供を産んでくれたので感謝している。冒険をする必要が出たら、やはりすべきなのかも知れない。たとえ勘違いが根底にあると解っていても、踏み切って悪くはない。ひどい目に会ったとしても、退屈はしないだろう。

映画で登場していた夫婦は、結局の行動は狂気じみてはいたが、一般的にはごく普通の夫婦と言える。貧しい国の人達から見ればバカな考え、何を悩んでいるのだ、何が不満なのだと言いたくなる状況だが、本人達は真剣に悩み、より良い生き方をしようともがいている向上心ある人達である。 

狂人の客がはっきり言葉に出して批判していたが、普通の安定した生き方は何かしらの我慢をし、冒険から逃げていることは間違いない。それに対して、どのように現状を分析し、どう対処するか? 感情的にならないようにはすべきなんだが、なかなかそうはいかない。そのへんの表現が、この作品では非常に上手かった。

原作が素晴らしかったのだろう。

この映画は結婚前に見て欲しいのだが、そうはいかないかも。子供には全く向かないので、家族で観る作品ではない。倦怠期の夫婦がみるべきかどうかは事情による。喧嘩の材料になる可能性もあるので、この作品について話す時は、よく状況を考えてからにしたほうがいい。

「レボリューショナリー・ロードどう思う?」と、奥さんが聞いてきたら用心すべし。今の安定した生活に飽きた、希望に満ちた生活を求めたいと喧嘩を吹っかけている可能性もある。

 

 

 

2009年4月14日

レッドクリフ前編(2008)

- 企画の意図は? -

中国全土の覇権を目差す曹操に対して、劉備を中心とする軍団は敗走するしかない状況であったが、軍師の孔明のアイディアで呉の国との同盟を目差すことになる。

呉には将軍の周愈がいて、軍事訓練をやっていた。内部の反対派を押し切って同盟が成立し、戦いが始まる。曹操軍の見せ掛けを見破った周愈は、最初の陸上戦にカメの陣形を提案する。はて?カメとは? 

戦いが始まって、敵の将軍は、自分達がカメ型の陣形に誘いこまれたことに気がつく・・・

・・・三国志の大きな戦いである赤壁の戦いを中心に描いたアクション大作の前編。今(4月現在)は後編が公開されている。しかし、私はこの作品の意図を測りかねた。ジョン・ウー達は、どのような企画で製作を始めたのだろうか?

三国志関係の作品ならば、中国や日本ではある程度のヒットは確実に狙える。登場人物には知っている人も多いし、もともとの戦い自体が興味深いエピソードに満ちているからだ。さらに、それを新しいCG技術で作れるならば、きっと迫力の点で今までの映画を凌駕し、空前のヒットも狙える。そんな風に考えたのではないか?

この作品は駄作ではない。CGは細やかに作られていると思う。でも、香港のギャングと歴史上の人物とでは、描き方が違ってしかるべきである。全体の雰囲気をどのようにするかについて、個人的には不満を感じた。

家族で観るのは、悪くはないような気もする。剣を鮮やかに操っていて、ただのチャンバラよりは見ごたえがあると思う。ただし、ドラマが素晴らしいとは言えないので、恋人といっしょに観てもしらけるかも。もしかするとパート2では盛り上がるのかも知れないが、今のところはテレビドラマのレベルで観たほうがいいと思う。

私としては、別な作風を想像していた。

①全体的には乾いた作風、涙にくれる人々を覚めた目で見つめるパターン。徹底したリアリズム重視の、歴史叙事詩。どんどん人が傷つき、死んでいく。でも、めそめそしない。

②仲間や家族を殺されて復讐に燃えるねっとりした作風がひとつ。メロドラマ狙い。アップの映像のオンパレード。滅びる者の悲劇中心。日本人好みだ。

③叙情性を重視し、風景が動かないで人々が行き交う構図を中心とするパターン。残るのは、大河揚子江という絵巻物タイプ。オーケストラが鳴りっぱなし。

④歴史上の人物を、現代風にアレンジし、意外に繊細だったりする面を強調する。BGMにはロック。

前半部分では周愈がヒーローのようだが、彼の描き方が丁寧で、勇敢にして冷静で頭が切れるといった具合に、武将としての理想像で描かれている。彼と張飛、関羽のような有名な個性との描き方が非常に難しい。この作品を観た限り、少なくとも前半部分では中国のテレビ局が作った英雄物語のドラマ以上の表現はなく、要するに勇敢な英雄としか扱われていなかったようだ。

曹操の扱いは難しい。彼を悪のダースベイダーとして扱うか、極めて優秀な戦略家として扱うかによって、作品のレベルが違ってくる。最近の流れからいうと、曹操が圧倒的な能力を持つスーパーヒーローという作品のほうがレベル的に高い気がする。敵役が強く、したたかなほうが作品が盛り上がることは間違いないので、この作品での曹操の人物像には不満を感じた。

曹操は、おそらく実際にも織田信長のように頭の切れる人物だったはずだ。呂布や董卓のような殺気だった連中に伍して確実に自分の力をつけていったのは、無能な人物や荒武者にはできない芸当である。

劉備と孫権の描き方も、テレビドラマの延長のような感じがした。もちろん、今までと全く違った人物像で描く必要はないが、パターン化された表現は避けて欲しかった。全員が中国系アメリカ人や日本の役者で、しかも現代劇しか演じたことがないメンバーをそろえたら、ちょっと違った映画になったかも知れないが、それは冒険になるかも。

孫権の妹と周愈の妻の描き方、配役にも感心はしなかった。妹役は小柄すぎると思った。怒ると怖そうな姉御風の女優が最適だと思うが、ヤンキーの娘みたいな軽い感じがした。周愈の妻は美人だったが、熱情の持ち主のような印象は受けなかった。日本の女優には、もっと合う人がたくさんいると思う。

剣劇のシーンが最悪だった。スーパーヒーローが夢のような力で敵をバッタバッタとなぎ倒すのは見事だったが、あんまりやりすぎると現実感が薄れるし、荒唐無稽な娯楽時代劇の怪しい雰囲気が漂ってしまう。「あんなことできるわけないよな。」と、せせら笑う客が出たら、もう他の部分のデキに関係なく、作品のレベルが落ちてしまう。

敵のひとりを囲んで黙って見てないで、いっきに皆で刺し殺そうとするのが普通ではないかと思うのだが、香港映画のように並んでやられるのを待っていては笑ってしまう。チェーンを使ったアクションも、戦場以外でなら効果的だが、戦闘シーンではおかしい。スピードとリアルさを第一に考えるべきだった。

剣劇のシーンは短めに整理し、隊列、陣形、人馬のダイナミックな動き、風景などに時間をそぐべきだったと思う。特に、大勢の集団が正面衝突した場合には、勢いで圧死する兵隊も多かったと思うが、さすがにスタントマン達も圧死の表現はできなかったのか?

中国の客は剣劇が好きかもしれないから、彼ら用には別のバージョンが必要だろうが、日本にはアクロバット的な剣劇は向かない。

役者にも不満を感じたが、特に中心になる金城武とトニー・レオンは、私の感覚では軽すぎるし、見た目だけでヒーローたりえるような迫力はないと思う。トニー・レオンは特に顔が普通すぎる。見た目が大事なのだ。三船敏郎は見た目も尋常ではなかった。

パート2には期待するが、映画館には行かないでおこう。損したくないから。

 

2009年1月 2日

レイクサイド・マーダー・ケース(2004)

- 脇役が素晴らしい -

ある湖のほとりの別荘にて、塾の講師豊川悦司を講師に、有名私立中学の入試と面接の特訓が始まった。

主人公の役所公司も娘のために参加する。他の参加者は柄本明、鶴見辰吾と、それぞれの妻、子供達。

役所は現在妻と別居中で、愛人がいる。その愛人が、なんと合宿所に現れる。あわてる役所だったが、愛人とはホテルで待ち合わせる約束をして、とりあえずごまかす。

ところが結局愛人は現れず、帰ってきた役所が見たのは、別荘で死んだ愛人と、彼女を殺したという妻。そして他の夫婦。子供達を事件に巻き込んではならないという意見に従い、皆で死体を隠す。しかし、彼女の遺品を探ってみたところ、殺人の真相は別であることが明らかになってくる。

原作は東野圭吾のベストセラー小説。監督は青山真治という人 。

全体に静かで暗い雰囲気が漂う。ほとんどは夜の別荘の周辺のシーン。美しい湖畔の風景の中で、アクションシーン、格闘シーンなどもほとんどない、会話が中心の映画。時おり、ホラー映画ばりの不気味な死体の映像が挿入されている。映像は美しい。

でも役所はミスキャストだったのかも知れない。もっと激しい感情表現をする男優、もしくは心に深い傷を抱えた病的な感じのする男優のほうが良かったのかも知れない。彼は、のほほんとした男や気力をなくした人物を演じると上手いが、この作品のキャラクターには合っていなかったかも知れないと感じた。

共演の俳優達は適役だと思った。特に鶴見辰吾が素晴らしい。彼が若い頃はこんな俳優になるとは思っていなかったが、本当の脇役らしい脇役だった。できれば、ちょっと原作とは違うかも知れないが、もっと大きな役割を演じてくれると良かったかも。

例えば、「そんなヤツは親じゃない!」と柄本が言うシーンは、彼が泣きながらか~凄みながら言えば、心をうつ場面になったと思う。そう、この作品は、心をうつ場面をあえてさらっと静かに流してしまっている。全体の雰囲気が、静かで恐怖を秘めた感じに統一されているので、全体の流れから言えば浮いてしまうかも知れないが、やはり親子の問題は感動につながるので、盛り上げてもいいのでは?

黒田福美も素晴らしい。もともと女優らしい女優であるが、声やセリフの言い方が、いかにもおろかしい母親らしい感情を表わしていた。豊川の静かさも適切だった。

柄本明は、冷静で狂気を感じさせる大事な役どころだったが、ちょっと出過ぎだった。もっとコワモテ俳優のほうが良かったかも知れない。つまり「コイツが真犯人か?」と疑わせるブラフの役割と、親の気持ちを説明させる人物として、ヤクザ映画の常連のほうがシックリいくはずなのである。発音さえ良ければ、北野たけし御大でもいいかも知れない。

原作には問題ない。充分に練った作品に違いない。俳優達のほとんどにも問題ない。演出には、若干の違和感を感じる。

途中、死や殺意を連想させるためだと思うが、湖に沈む女のシーンなどが何度か繰り返されたが、効果的だったか解らない。観客は「この映画はミステリー小説の映画化作品で、あらすじは・・・」と、知っているはずなので、死~殺人のことは当然イメージしているわけだから、連想させる必要はない。

むしろミステリーの形式をとりながら、お互いの幸せを願う心をいかに描くかの感動路線を目差すのが原作の意図に近いのではないか?

子供が動揺していないのも不自然だった。実際に何かの事件を起こしたら、さすがに心の動揺を示す何かのサインが出るはずである。少なくとも、常に肝の据わった本当の異常者ばかりではない。きっと何かにオドオドしたりするはずである。それが全く描かれていなかったのは不自然である。本題に関係ないとしても、おかしい。

異常なくらい勉強に熱中するか、トランプでミスを連発するか、泣き出すか。いろいろ表現はあると思う。つまり、子供のキャラクター設定には問題があった。ただ良い子、ちょっとぐずな子、やや残酷な子では不足していた。

子供を犯罪者にしたい親はいないが、実際には家庭内暴力などに耐え切れなくて警察に頼らざるをえない場合は多い。それに更正を目差すなら、基本的には悪いことは悪いと、態度で示さないといけない。そのためには、安易に家庭内の問題に止めて隠そうとしないほうがいい。

少年犯罪者の多くは、何かの精神的な準備を経て、徐々に凶悪犯罪に向かっていくと思う。最初は昆虫を殺し、やがてネコ、そして人間へと進んだサカキバラなどが典型である。急に非行に走るかのように見える子供も、見ていて気がつかないだけで、実は徐々に病状が進行していると思う。

何か不幸なことが起こったら、最悪の事態を避けることを目差すべきであろう。

少年にとって最悪の事態は、繰り返し殺人を起こして更正もしようがないことだろうか。それに、周囲の人間までおかしくなることも最悪である。

はからずも殺人を起こした時には、「もう犯罪をやってしまった最悪の事態なんだから、いまさら更正を願って報告しても遅い、隠してみるべきだ。」と考えることもできる。しかし、その判断のために第二第三の犯罪を生んでしまったら、隠したことは犯罪の補助になる。「その時は、後で犯罪が続くとは思いませんでした。」と言ったところで、責任の持ちようもない。

責任を持てるかどうかを、どの程度重視するかが判断の分かれ道になる。責任より、感情を優先することも許される場合もある。批判は覚悟しないといけないが・・・。

一般的に、反社会的な行為はいっさい許さない態度を取り続けないと、兄弟など周囲に対する示しというか、ルール提示ができない。「ははーん、犯罪を起こしても、都合によって隠すんだな。」というふうに判断されたら、周囲の人間までおかしくなる。それは最悪である。

この映画の登場人物の判断が正しかったかどうかは、見ている個々人が判断すればいいが、やはり愚かさを持っていたことは否定できない。この後、どんな影響が出ると考えたのか・・・。それとも感情を優先するか?

もちろん、こういった問題には模範解答はあっても本当の正解はないのだが、最悪は避けたい。

 

 

2008年10月30日

恋愛適齢期(2003)

Rennai - 何事にも金は必要 -

独身貴族で有名なジャック・ニコルソンは御年63歳の実業家。30歳以上の女性は相手にしないらしい。今日もモデルのような若い女をはべらかして、女の別荘へとドライブする。

ところが予定していなかったことに、娘の母親ダイアン・キートンが別荘に執筆のために滞在していた。年の差がありすぎる娘の恋人に不快感を露にするキートンと、バツの悪さに早々の退散を希望するニコルソンであったが、ニコルソンが狭心症発作を起こしてしまったために、やむなく二人は別荘に同居することとなった。

この時に受診した病院の主治医はキアヌ・リーブス。彼はダイアン・キートンの大ファンで、恋愛感情を持ってさえいる。さっそく、キートンをデートに誘う。

いっぽう、いがみ合っていたニコルソンとキートンの間にも、いつしか恋愛感情が生まれる。しかし、すんなりとは行かない。ニコルソンは長年の習慣があるし、キートンも独特の男性への考え方がある。ニコルソンが若い娘と食事をしているのを見たキートンは、感情を爆発させる。もう、彼らは終わりなのか?

いやいや、ラブコメはそんな終わり方はしないはずだぜ・・・・

この作品も、いつの間にか古くなりつつあるが、大人のラブコメとして公開当時は結構高い評価を受けた。ほとんど絶賛されていた。スターの魅力、エッチなシーンも含めたユーモアのセンスの良さ、会話の一言一言に込められた計算、登場する美しい女性達など、魅力ある作品だった。

原題は「与えなければならないもの」といった意味だが、いったい何だろうか?

監督のナンシー・マイヤーズは、「ホリデイ」も監督しているから、ラブコメ専門のようだ。

女流監督だからか、冒頭で登場するモデルの女性達の扱い方は独特だった。ファッションショーのノリで歩いてみてって監督に言われて歩いてるなあと思える。彼女らは、映画からは浮いていた。しっかし、実に美しい。

ダイアン・キートンもウッディ・アレンの映画に出ていた頃は、美女の代表だった。やや演劇オタクのインテリっぽい女優だったが、美女ではあった。しかし、さすがに手の甲を見ると、年寄りの外人の手であった。外人の皮膚は硬さが違うのか、日本人のオバちゃんとはだいぶ違う。

美人女優が年を取ると、やはり美しい時代を知っているだけに、我々としては辛いような妙な感覚に襲われる。別に醜いわけではないのに。

映画の中の会話にもあったように、女は若い頃がピークで、男は年を取っても魅力的なやつがいるという我々の認識の違いがあるのだ。刷り込まれた誤解に過ぎないのだろうが、富豪が金にものを言わせて美女を獲得してきた歴史のせいか?女は、その点で確かに損をしている。

「そんなことはないのよ!」というのが、この映画の主題なんだろうか。

ジャック・ニコルソンは、今回は最もコミカルな面を出していた。お尻を見せたり、バイアグラのことを隠す様など、情けない役を上手く演じていた。役としてもオイシイ役だった。

それにしても、リッチな二人だった。会社を整理して半年も旅を続ける余裕があれば、実に羨ましい。私が必死に働いても、そんな金持ちにはなれそうもない。広い別荘も持てそうにない。

もし金がない中高年の男女が出会ったら・・・

きっと生活に追われて、恋愛ざたには発展しないだろう。ガソリン代や年金の心配をしながら恋愛する気にはなれない。だから、これは暇な金持ちの夢物語なのだ。

この作品は、家族で観るには少し気まずい感じもするが、恋人とならOK。若い人も、若くない人も楽しめそう。

2008年10月28日

恋愛手帖(1940)

- 少女の夢の結末は? -

1940年、サム・ウッドが「チップス先生さようなら」の次の年に監督した作品。これも主演がオスカーを受賞している。

ジンジャー・ロジャース演じるキティ・フォイルという女性の名前が原題になっていて、ベストセラーだったらしい。今ならなんてことはない恋愛物語かも知れないが、当時としては、特に日本人にとっては過激で、ハレンチ、ふしだら、積極的すぎる、これだから欧米の退廃した女は貞操観念がない・・などと評価されそう。

展開がよくできていた。非常に古い作品だが、今の恋人が観ても、意外に面白いのではないか?最初のほうで退屈さを我慢すれば、きっと最後には作品の出来のよさに納得すると思う。残念ながら、この作品は子供には向かない。

キティ・フォイルには、二人の恋人がいる。

一人はフィラデルフィアの金持ち一族の御曹司。かってキティと結婚し子供まで作ったものの、一族の反対を押し切れずに結局別れた過去がある。しかし、5年ぶりに会った彼からは、「自分といっしょに南米に行って暮らそう。」と持ちかけられる。

もう一人は貧乏な小児科医。当初は乗り気でなかった関係だが、相手の誠実さゆえに徐々に仲が深まり、ついにプロポーズを受けようかというまでに至る。

さて、いずれの男性を選ぶべきか?キティは、今まで自分に起きたことを振り返り、悩む・・・。古い置物の中の雪に見立てた白い粉が舞うたびに、話をつなぐことができる。

ジンジャー・ロジャースは、有名なダンサーのはずなんだが、もともとはバレーを本格的に習ったというより、ボードビリアンに近い存在らしい。でも、他の映画で見るバレエの踊りも素人には素晴らしいと思える。まともな演技の勉強をしたのか知らないが、この作品における演技は素晴らしい。オスカーにふさわしい。

きっとこの役をとるために激しい争奪戦が起こったように予想するが、詳しいことは知らない。ジンジャー自身も5回くらいの結婚、離婚を繰り返した女傑らしいから、役柄に合っていたのかも知れない。よく言えば自分の考えに忠実な女性像を見事に演じている。

女性にとって、誰をパートナーに選ぶかは大きな問題である。昔は特にそうだったと思う。若い頃はこの映画のように、「女は男がプロポーズするかどうかは勘で解るものよ。」と、自信たっぷりに言えた娘も、常に勝ち組になるとは限らない。

モデルのような美女も、結構売れ残っている例が多い。やがて、現実を知ることになるのだ。そして、「この程度で妥協しようかしら?」と、手近な対象で我慢するのだが、そのうち子供の世話で恋愛の問題など吹っ飛んでしまって、家事でアタフタしてるうちに、気がつけば恋愛が似合わない体型になっている厳しい現実。

客観的に見れば、キティが御曹司を選んだ場合は、しばらくは愛の生活を送れるものの、おそらく御曹司が経済的に破滅するか、逃げ出すか、連れ帰られるかが予想される。

もし、貧乏な小児科医を選んだ場合は、家庭は安泰かも知れないが、何か心に悔いのようなものが残るだろう。「あの時、御曹司といっしょになっていたら、こんな悩みはなかったのに・・」てな具合。下手すると、一生貧乏かも知れない。

さあ、キティの選択はいずれか?画面を観ていたら、あっさり笑顔で選んでいた。何かすがすがしい、当世風の笑顔だった。今日的な感覚を先取りしていたのだろう。

そういえば、映画の冒頭で、1900年ころから40年間で、女性の社会進出とともに女性の扱われ方が変ったということを、科学的に説明していた。しっかりした歴史感覚があるから、今を見通せたのだろうか?

さて、御曹司か、貧乏医者か?どっちだ!・・・それは映画を観てのお楽しみ。

2008年3月27日

レミーのおいしいレストラン(2007)

- 冒険物語ではない   -

作品のアイディアが素晴らしいと思う。まず料理の物語は、テレビでもマンガでも繰り返し作られるところからして、一般にヒットしやすいということが言える。誰でも美味しいものは好きなので、美味しい料理を作ったという話は、なんだか自分もそれを味わっているかのように想像されて、それだけで幸せを感じさせる要素となる。

それに加えて、料理人の苦心や努力、成長の物語、あるいは実際の料理のコツ、ウンチクめいた話が加わると、なんだか勉強して自分も一段成長したかのような気分にさせる。料理の話は、それだけでヒットする要素を持っている。

この作品の場合は、それに加えたアニメ的な要素として、優れた料理人が実はネズミであったという奇抜な要素を持ち込んでいる。映像の作り方や、登場人物の描き方、ストーリーなどを総合して、その試みは成功していたと思う。

しかし実際のところ、我が家では腹を抱えて笑った家族はいなかった。フフン、ハハ程度の笑いだった。ハリウッド製のアニメではなく、昔のヨーロッパの喜劇映画を観るかのような鑑賞態度だった。話もフランスだったが、あまりに雰囲気が出すぎて、作風までフランチになってしまったのかも知れない。そうだとしたら、この作品のレベルは高いと考えざるをえない。

考えてみれば、ネズミはキャラクターとして際立って魅力的だったろうか?例えば、通常の動物の物語は、勇敢さや臆病さなどの性格的な特徴を描くことが多い。それで主人公の成長や失敗が我々にも納得できる効果があると思う。今回のネズミ君は、果たして際立つ性格の特徴を持っていたろうか? 際立つ能力は持っていたし、かなり勇敢ではあったが・・。

主人公ではない人間のほうは、頼りなげであってキャラクターがはっきりしていたし、成長めいた話になっていた。しかし、この映画の流れでは中心はネズミであったので、彼の危機や成長がないと物語の盛り上がりには欠けてしまう。

キャラクターでなく能力が主人公を特徴づけていたなら、主人公の成長を通して我々が涙することは望めない。そんな感涙ウルウルの作風でないから、当然ながら爆笑を望むべくもない。この作品の感動度は最初から決まっていたのだろう。既に出来上がった能力を通じて展開される物語を見ることになる。

いつも大冒険ストーリーでディズニー風の感動ばかりしていると疲れるので、たまにはいいと思うが・・。

厳しい批評家が最後にどんな感想を持つのかは、だいたい誰でも想像がつくが、ラストのオチも、なんとなく予想できる。映像が美しく、雰囲気が良いので幸せなラストが似合った。

この作品は家族とも、恋人とでも見ることを勧められる。幸せな気持ちになれると思う。悪い印象を抱くやつはいないと思える。

2008年2月10日

レナードの朝(1990)

- 医療倫理と思いやり  -

神経難病の患者に対して新しい治療を導入した時の、患者と医療人の間の心の交流を中心に描いた作品。秀作だと思う。

原題は「目覚め」というようなタイトルだが、無反応の状態から目覚めることの他に、回復した後に感じる心の目覚め~葛藤なども描いている様子。

ロバート・デニーロを始めとして、登場する患者役の演技は素晴らしいもので、実際の患者さんを真似るだけでなく、心の葛藤などをちゃんと表現していました。おそるべき役者魂。

病気の中でも、特に神経難病は悲惨な病気の代表のイメージがある。ALS、筋ジストロフィーなどを担当することがあっても、手の打ちようのない患者さんが多くて、こちらまで不幸せな気持ちになるほど。もし家族がこのようになったら、自分はどんな気持ちになるだろうと考えてしまう。

もし自分がこのような病気になったら?

たとえ一時的であっても、意志の疎通ができるような状態に一回もどして欲しいと願うだろうか?それとも、再びもとに戻ってしまうならば、いっそのこと現状維持をして欲しいか? よく解らない。

「薬の治験」のあり方について考えてみる。

この映画における薬の導入は、いとも簡単にされていたような印象を持つ。実際には人体実験をするわけだから、倫理委員会を開いて危険性と見込みをバランスにかけ、もし悪影響が疑われた場合の手順などをきっちり決めてから行われるのが普通。いかに優れた医師であっても、思いつきで薬を開始するのは危ない。

この映画の頃は、まだ手順が固定化されていなかったのかも知れないが、医師の単独の裁量で量を増やしたりした場面があった。結果的には悪くなかったものの、医師の判断力には限界があるから、やはり事前のプロトコールから勝手に外れるようなことはいけないと思う。

この映画の医師の行動は、現在では犯罪といってよい。おかげで新しい治療法の糸口がつかめたのは確かだが・・。

L-ドーパという薬は現在も使われているが、少なくとも初期には単独ではなく、効果を維持させるために他の薬と合剤の形で使われることがほとんどのはず。私は自分でこの薬を新規に処方したことはない。やはり専門ではないので、思いつきで投与開始する前に専門家に相談すべきと考える。

この映画の医師は、もちろん一定の研修の経験はあるようだが、ほとんどの期間を基礎の動物実験で費やしていた。つまり専門と言えるほどの臨床経験がなかったわけである。いかに自信があろうと、もしかして患者さんに予想もできない害がある可能性がある行為に踏み切るのは、勇気というべきか思慮が足りないと言うべきか?

反応があったから良かったと言えるが、もし予想もできない大きな害があったら・・・。医療事故として報道されることのほとんどは、実は患者を思いやって起こることが多いと思う。「待ち時間が長くて可哀そうだから、この手続きを省略して・・」などと考えるのが一番危ない。

杓子定規の融通の利かない冷徹な担当者のほうが、安全なことがほとんど。おそらく、映画で悪者になってた医者のほうが、かかる場合は安全ではあるだろう。

2007年7月28日

Ray(2004)

Rayは、いい映画でした。おそらく本場での評論家達の評価も高かったのではないでしょうか? ただし音楽が古いので、若い人が見ても、古いジャズファンと同じようには楽しめないかも知れません。レイ・チャールズの音楽は、彼が相当ラリッているためか曲は元気なので、若くても分る人には分るとは思いますが。

家族で見る作品だとは思えません。子供には、あまり向かないでしょう。

主演のジェイミー・フォックスは、サングラスをかけて肩を揺するとレイ・チャールズそっくりで、存在するだけで絵になっていました。もともとコメディアンで、多分モノマネを昔からやっていたはずですから、この役もお手の物だったのかも知れません。

作品の構成も良かったと思います。弟の事故がトラウマになっていることが非常に分りやすく表現されていました。少年時代と現在のシーンの往復で、ちゃんと何を表現するかの目標がはっきりしていましたので、なぜ現在の彼がこのような判断をするのかが、過去の母親の言葉などと関連付けて、すんなり理解できました。

主人公を、純粋にミュージシャンとしてだけでなく、結構疑り深く、気難しく、ギャラ交渉などでもヤリ手な面を演出していましたが、たぶん実像に近いのではないかと想像します。これらによって作品の質は高まったと思います。脚本が良かったのでしょう。

ジェイミー・フォックスは、日本で言うならビートたけしに近いキャラクターだと思います。存在感や、キャラクターで売るタイプの役者ですから、昔のハリウッドスターのようにニヤけて白い歯を見せるタイプとは違うように思います。また、いわゆる演技派の名演とも少し様相が違い、ある意味ではモノマネに過ぎない、大根役者なのかも知れませんが、日本人の私から見れば充分な’名演’でした。

歌も見事でした。ミュージカルのようにセリフと歌詞を重ねるシーンが何度かありましたが、本職としても通用しそうな歌声で、多少の技術的効果も補ってはいたはずですが、歌だけ聞いても楽しめる作品に仕上がっていたと思います。

そういえば、本人のレイ・チャールズは、確か「ブルース・ブラザース」に盲目の楽器店主として登場していたはずです。盲目なのに、でかい銃をいきなりブッ放して泥棒を追っ払うというシュールな役でしたが、いつもの笑顔(あれは笑顔なのか?)と、いつもの機械仕掛けみたいな動作が役にあってて傑作でした。

助演で、最初の不倫相手でダンスとコーラスを担当する女優は、楽しく踊る時の表情がいかにも向こうのダンサー的で、生き生きとして雰囲気のある人でした。彼女のおかげで、ライブのステージのような臨場感が盛り上がっていたようです。

母親役も大事でしたが、いかにもあちらの若い未亡人(未亡人だと思うけど?)のような表情、振る舞いをしていました。彼女は本当の役者のようです。

これだけ素晴らしい作品でしたが、私はもう一度見直して見たいとは思いませんでした。仕方ないと思います。この作品は「ドリーム・ガールズ」とはキャラクターが異なる作品で、ビジュアルで惹きつけて我々をワクワクさせようという類の映画ではありませんから、感動の種類が違います。しばらくたって、暇な時に思いだして見たいと思うかも知れません。

2007年5月27日

RENT

- 見事だったよ   -

監督 ハリーポッターの監督だって

RENTの噂は、何かの情報雑誌で知りました。まだ、初演して間もない頃だったと思います。ある批評家が原作者のラーソンに対して書いていました。「ラーソン、見事だったよ。」 確かに、多くの人の鑑賞に耐えうる作品だと思います。子供が見て良いのか分りませんが、私は人類愛の観点から勧めてよいと思います。小学校高学年くらいからなら、解る子供は解ってくれそうです。

登場人物のほとんどがエイズウイルス感染者かゲイで、収入も少なく、悩みをかかえている極端な設定に驚きます。芸術家だから普通でないのは分るとしても、あまりにも我々とは違う世界です。でも同性愛に限らず、広く隣人を愛し助け合おうという、精神レベルの高さを感じました。

ストーリーは単純で、仲良くなったりケンカしたり、追い出されたり帰ったり、時々ショーがありましたが、あまりドラマチックな盛り上がりがあるわけではなく、小さなエピソードがいくつか繰りひろげられていました。そして、当然ながら死も。詳しい内容は、ここで紹介すべきではないと思います。配役は、オペラのラ ボエームから取ってあるそうです。

考えてみれば、このミュージカルの設定は、楽屋受けの内幕物とも言えます。ミュージカルの場合は、どうしても主役がダンサーや歌手であることが多くなります。現実に多いはずの一般労働者が踊り出すのは不自然ですし、脚本家自身がそんな人達から少々感覚的に遊離してしまっているため、内幕が多くなるのは仕方ないかも知れません。

この作品は芸術的には優れていると思いますが、その辺の遊離具合のためか、知らない人は全く知らないというタイプの映画になってしまいました。メジャーになり切れなかった感じです。出演者に誰かスターがいたら、もっと有名になっていたかも知れません。例えば、ムーラン ルージュは、この作品よりは知られていますが、この作品にニコール キッドマンが出演していたら、絶対観客は増えたはずです。彼女は大柄ですから、オカマのパーカッショニストのエンジェル役でも充分に演じられるでしょう。そしたら大評判になったのに!

現実の芸術家達が今どんな生活をしているのか知りませんが、けして優雅で健康というわけではないでしょう。エイズ患者は90年代よりは減っているだろうと思いますが、依然として病気の恐怖や生活の不安を抱えている人達は多いと思います。

原作者のラーソンも、日々の生活の糧ををアルバイトでしのぎ、とんでもないハードワークで作品を作ったそうです。書いてあった情報によれば、食事のほとんどはシリアルのような偏った内容で、作品を仕上げるのに5年以上かかり、曲も脚本もほとんど一人で書いたそうで、作品が初演される前日もアルバイトで深夜まで働き、そして急死したとのことでした。死因は大動脈瘤破裂だったそうですから、生まれつきの血管の脆弱性も関係していたのかもしれませんが。

ブロードウェーほどではないにしても、今の日本の若者の中にはストリートライブなどで明日の成功を夢みて頑張っている子達がたくさんいます。でもカップ麺が主食のような生活では、オーバーナイトサクセスを実感することなく急死しかねません。若者よ、食事には用心するべし。

明日の成功が夢見れるから、苦しい生活にも耐えられます。コーラスラインという作品が以前ありました。ダンサーとしての成功を夢見る若者達を描いていましたが、同じようにゲイが何人か登場して、キャラクター的には似ていました。この作品もテーマの一つは近いところにありそうですが、エイズのために設定がより深刻になっている印象でした。深刻なために心打つ反面、ミュージカルで笑いたい人には興ざめを生む結果になってしまったかも知れません。

私もサクセスを夢見て診療に励んでいます。サクセスといっても、職員に給料を払って生活ができれば良いという程度で、もう私の存在自体がボランティアです。さすがに食事だけは専門家で、極めて健康的な内容ですから、たぶん急死はしないだろうと思いますが、ワーキングプア状態ではあります。でも、夢だけはあります。

さて、作品中のナンバーのほとんどは名曲といえる出来栄えだと思いました。特に主演の一人のエンジェルが紹介される時のオカマチックなダンスナンバー、ストリッパーのミミが舞台で歌う曲などは、踊りの良さも相まって感動ものでした。いっぽう、歌手役がステージで歌う曲は、少しテンポが取り辛くて、ノレない感じがしました。

本当のプロであるロイドウェーバーのような作者は、そつがない曲の作り方をわきまえていますし、製作も大掛かりのプロ集団がやってるみたいですからアラが見えませんが、ラーソンの場合は荒削りな感じです。でも、実に斬新で才能を感じさせます。

全体にロック調ないし、初期のラップ調の曲で、ぜひ舞台で聞いてみたいと思いました。きっと迫力が違うでしょう。ヒヤリングを試みましたが、慣用句が多くてスピードもあるので、なかなか内容が理解できませんでした。あらかじめ、DVDで充分予習しないと何も理解できないだろうと思います。

不覚にも私は作品が映画化されていることも、日本でミュージカルが上演されていたことも知りませんでしたが、フラッと寄ったビデオ屋さんで、このDVDを見つけることができました。

感想は、「ラーソン、見事だったよ。」に尽きます。

2007年1月27日

レジェンド オブ ゾロ

- グレート スタントマン -

あまり期待しないで見たせいか、良くできていたと感心しました。ゾロの物語だと、アラン ドロンか誰かが剣劇を見せる退屈な作品を予想してしまいましたが、スタントマンの活躍で美しい活劇になっていたと思います。「インディ ジョーンズ」シリーズのノリの作品で、冒険活劇の現代におけるスタンダードな作り方をしていると思います。

前作でヒーローとなったゾロは民衆の人気ものですが、今回は秘密結社との対決をするはめになります。なぜか彼の奥さんがヒステリーを起こして、彼は家を追い出されてしまいます。ここからしばらくはだらしない生活が目立ちます。

ヒーローも一人身では生活が乱れがちになる傾向はあります。ヒーローでない私も家内が実家に帰ると、風呂に入るのも面倒になります。やはり奥さんは大事にしなければならないと再認識しました。しかし、私は食事に関してはかえって健康的になります。家では子供たちが野菜を食べてくれないために家内もやる気をなくして、次第に野菜料理が少なくなってきたのですが、自炊すると雑炊みたいなものばかり食べますから、体調が良くなります。私は食事に関してはヒーローにも負けないかも知れません。

彼の奥さんは、なぜかフランスからやってきた伯爵と仲良しになっていて、ゾロはしつこく彼女の周りを詮索します。未練たらしくて、情けない姿です。伯爵とポロ対決をしますが、あっさり負けてしまいます。やはり食事に注意していなかったからでしょうか?

秘密結社の存在に気がつき、屋敷や列車で激しい格闘をしますが、この列車の映像の説明がメイキングビデオに出ていました。精巧なミニチュアや、CG合成などを組み合わされていて、感心するほどでした。スピルバーグの周りには様々なアイディアマン、オタク的な職人がいるらしく、指示すれば自動的に映像が出てくるかのごとくできてしまうようです。

しかし、秘密結社のくせに箱に自分達のマークをつけるのはおかしくないでしょうか?

列車の上で馬が前足を上げるシーンは、さすがに無理がありました。

主演のアントニオ バンデラス、キャスリン ゼタ ジョーンズとも魅力的でした。バンデラスの役柄は、「スパイ キッズ」のままでしたが、コミカルでかっこいい演技がうまくできていました。

しかし、何といってもスタントマンの凄さが目立ちました。屋根の上を走って悪人を追うシーンは一歩間違えれば死人が出るはずの激しさですが、よく計算された構成でうまくつないでありました。吹っ飛ばされた悪人は入院しなくて良かったのかと心配になるほどでした。トランポリンを使って飛んで、ころがりながら着地していましたが、もと体操選手やサーカス団員でないと撮りなおしに耐えられないだろうと思いました。

実写にこだわったスタントの活躍と合成映像の効果のバランスが良いと思いました。

2006年12月30日

恋愛小説家

-  都会の孤独をいやす -

この映画と似た雰囲気の作品がいくつかあります。それらに共通するのは、都会に住む人達の心の交流をテーマにしていることです。日本ではあまりメジャーではありませんが、アメリカでは一人暮らしの歴史と数がちがいますから、繰り返し作られています。どれも共通の温かい感覚が味わえます。まさか、製作者達が皆仲間ではないとは思いますが、俳優も繰り返し出ているような気がします。

「ティファニーで朝食を」も、このグループの映画だったのかも知れません。主人公は田舎の生活を捨てて来ていましたが、次第に都会で生まれて都会で一人暮らしする、いわば第二世代、第三世代のシングルが根付いているような気もします。日本でも一人暮らしの人が増えていますので、マンションの住民の心の触れ合いを描く作品が多くなってくるかも知れません。

話がそれますが、田舎も一人暮らしが増えています。結婚が難しいことや、農業では生活が成り立たないために独身にならざるをえない、兄弟は都会に出ている、という人が増えているのは間違いありません。田舎の農家の結婚を扱った作品もいくつか出来ているようです。「恋するトマト」も、そのひとつです。

この作品は暴力的な映画ではないのですが、基本的には子供が見るべき映画ではないと思います。テーマが子供向きでないというだけの理由ですが。

恋人と見るのはお勧めです。しゃれた雰囲気があると思います。

主演のジャック ニコルソンは、この作品の公開当時60才だったそうですが、年をとっても昔とまた違った迫力があります。「カッコーの巣の上で」の頃はギラギラした感じが強く、「バットマン」の頃はコワモテというか本当のワルの雰囲気がしましたが、今回は自己中心的な神経症、偏執狂のような役柄を演じています。その演技には笑ってしまいますが、嫌悪感を感じさせるとマズイですし、あまりに病的だと笑えませんし、ちょうど良いバランスが見事だと感じました。

友人役のグレッグ キニアは有名作品で頻繁に見かけますが、どこか日本の風間杜夫のような顔の俳優です。善意を感じさせる顔と、独特の感性を持っているような雰囲気がよく出ています。暴行されたために破産するという話は気の毒ですが、アメリカではありえます。実際には足長おじさんのような人は少ないので、アメリカで病気になった貧乏人は我慢するしかないのが現状でしょうが、日本の場合は保険制度がアメリカより優れているために、優れた医者を受診することが可能です。

制度は優れていますが、制度の詳細は密室で決定されていますので、卓上の論議で結果を充分予測しないまま決められていることが問題です。日本は、医療に関しては完全に管理社会で、一方的にルールが決められます。極端な話ですが、役人が自分の退職後の利益のために業者に融通を図っても、国民も医師会も手を出すことができません。医者が病院からいなくなっても、熱意ある医者が過労死しても、役人が責任を問われることはありません。

また、平等を目指す点は良いのですが、平等にこだわりすぎたために細かな規則を作りすぎて管理機構が肥大化してしまい、事務作業で経費が無駄に使われています。効率が悪いのです。医療事務業者や検査会社ばかりが儲けて、医療機関は収入が上がらず、患者さんの自己負担も上げざるをえないという構図が固定されています。

そんな関係のないことが気になりましたが、映画を見終わった後にはやさしい気持ちになれる作品でした。

2006年12月 7日

レイダース(失われたアーク)

- 冒険野郎は、かくあるべし  -

この映画は、冒険活劇とはいかにして作るべきか研究され尽くした成果を盛り込んだ、学術的にも価値がある(オーバーかな?)作品です。子供、家族、恋人、ネオナチ、オタク、などなど見る人を選ばない面白さがあります。

特撮の技術に関しては、まだ現在ほどの強力なCGスタジオがない頃の映画ですので、CGで満足することは難しいと思いますが、かわりにシチュエーションでわかせてくれると思います。

この作品のヒロインは、全然美人ではない人で、確か「アニマルハウス」にも出演していた女優でしたが、予想通りに続編ではお払い箱になって、美しいケイト キャプショーに替わっていました。やはり、主人公が守るのは色っぽい女優に限ります。

この作品こそ、冒険ものの王道を行く、家族みんなが楽しめる映画だと思います。勧善懲悪、勇気、冒険、恐怖とスリル、知力、友情、少し愛情などの要素がぎっしり詰まって、退屈する人は想像もできないほどの作品です。

冒険映画には原則があると思います。① まず、巨大な悪の組織があること(今回はナチ) ② 想像もできないような危機が襲ってくること(巨大な石の玉など) ③ それを切り抜けても、危機は繰り返されること ④ 数人の仲間を連れて、ロードムービーの挿話があること(桃太郎効果) ⑤ 何回かの逆転劇があった後、主人公が勝つこと などです。最近の冒険映画も、この原則は必ず守っているようです。

勝負は、いかに想像できないような危機を演出できるか、CGなどを使ってスパイス的な映像で驚かせる効果が出せるかで決まってきます。加えて、主人公がかっこよく、ヒロインが美しいと夢にひたれます。これは、そんな作品でした。

2006年9月22日

レオン

レオン(劇場版)

 監督 リュック ベッソン 主演 ジャン レノ、ナタリー ポートマン

 もう随分前の映画になりましたが、初めて見ました。隣にヒットマンが住んでいるという設定は他の映画にもありますが、この作品が最も良いかも知れません。殺しの場面がどぎついので、この映画は子供には絶対よくありませんが、友人や恋人となら楽しめます。この映画の最大の魅力は、クールな殺し屋のジャン レノが、ナタリー ポートマンをいかに守り、敵をどう退治していくかのスリルにあります。良くできた作品で、ストーリー展開もオーソドックスで、悪役達も気味の悪い役者をそろえてあって、映画らしい映画だと思います。特撮が売りの映画ばっかりでは飽きてしまいます。考えてみれば、最近この手の映画でCGがない作品はもうないような気もします。

 監督のリュック ベッソンはハリウッドに呼ばれて大作を作っていますが、才能あふれる人だと感心します。この映画はニューヨークを舞台にしていますが、アイディアはずっと以前からあったはずで、作るにあたってアメリカの客の好みを相当イメージしたのだろうと推測します。

‘掃除人’というキャラクターには凄みを感じます。北野たけし監督作品にもクールな殺人者がいろいろ出てきますが、俳優のキャラクターの違いによるのか、単に人種の違いのためか、よりメジャーなのはリュック ベッソン作品のようです。

 ジャン レノが非常に魅力的です。この映画の前に、「ニキータ」という映画でも同じような役柄を演じていましたが、それより少し人間味がある設定になっています。私は「ニキータ」の時のイメージのまま、あくまでクールな殺人者を期待していたので、今回の役柄には正直なところ少し不満があります。思わぬ言葉に牛乳を噴き出す場面が2回ありましたが、2回はマズイ、1回で充分だと感じました。字が読めないという設定も、あまり意味があるとは思えませんでした。何かコンプレックスを持たせるなら、言語障害でも良かったのではないかと思いましたが、キャラクターを際立たせるために奇想天外な殺し屋を設定すると座頭市のように現実離れしてしまうので、仕方なかったのかも知れません。それに主な市場であるアメリカでうけるためには、牛乳も2回吹き出し、仲介人に2回も金のことを頼むようなサービスが必要なのかも知れません。

それでも魅力的なのは、ジャン レノが持っている雰囲気と、超人的な殺人技を持ちながら、なぜか植木を大事にしているアンバランスな点が自然に演じられていて、本当のヒットマンも結構こんな生活をしているかも知れないと思わせる演技力と、演出の良さによると思います。ジャン レノ以外の人がこの役をやることを想像してみましたが、怖くなりすぎるか軽くなりすぎる俳優がほとんどのような気がします。例えば、シュワルツネッガーがやったらどうでしょうか? 何か変な気がします。田中邦衛の骨格を1.5倍に大きくして、目をギョロメにしたら似ているかもしれませんが、あの声でシラけてしまうでしょう。

共演のナタリー ポートマンも魅力的です。頭が良いのか悪いのか役柄がよく分らないところもありましたが、好みの顔なので許しちゃいましょう。どうでも良いことですが、ニューヨークが舞台なのに髪型がフランス的すぎるような気もしました。たぶん監督の趣味か、スタイリストがフランス人だったのでしょうか? 練習でライフルを撃つ場面がありましたが、これは結局どんな意味があったのか私には理解できませんでした。警察ざたを極力避けるべきはずなのに、街中で練習するなんて考えられません。主人公の非情さを表現したければ別な話でないとダメだと思いますし、ナタリー ポートマンが実際に復讐をするためなら1発だけでは練習にならないでしょう。それを悟るために、このシーンを設けたのかなとも思いましたが、ちょっと中途半端な印象を受けました。

「二キータ」のヒロインとはキャラクターが違いますので、比較するのは意味がないかもしれませんが、せめて銃を撃たせても良かったのではないかと思いました。「二キータ」では、レストランで必死に銃を構える印象的なシーンがありましたが、この映画でも必死さを出すために構えるだけでも効果があったのではないかと思います。何かアメリカ特有の教育関係の制限があったのでしょうか?

 こまごま小言を言いましたが、良くできた映画だと思います。さすがリュック ベッソン、さすがジャン レノという感じです。

その他のカテゴリー

| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | 映画評