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カテゴリー「れ」の29件の記事

2017年3月15日

レジェンド 狂気の美学(2015)

Legend


- 英雄?-

ロンドンのギャング団を牛耳っている兄弟は、冷酷かつ狂人のような乱暴ぶりで町に君臨する。しかし、敵対勢力や警察から徐々に追い詰められる・・・

・・・・DVDで鑑賞。アクション俳優の中で特異な存在感を持つに至ったトム・ハーディーを観たいと、期待していた。「レヴェナント」の彼は、主役よりも重要な役柄だった。だから、きっと魅力的な悪役を演じてくれそうだ。今回は一人二役だったが、やはり実に上手い演じ分けをやっていた。

統合失調症を持つ弟の演じ方は難しかったと思う。あまり過剰に狂気の沙汰を演じてしまうと、リアルさを失ってしまう。厳しく言えば、少し異常すぎたかも知れない。隠した狂気が漂うといった微妙な表現のほうが良かったと思う。脚本に問題があったかも。

トム・ハーディーは凄く大柄のマッチョではないが、動きが素早くて自然で、アクションをやらせると非常に上手い。その点がキャリアを生むのに役立っていると思う。しかも、静かな芝居の場合でも怖さを漂わせることができる。だから、こんな役にはもってこいだった。

でも、この作品のテーマは理解できなかった。彼らを賛美する狙いはなかったと思うが、好意的ではないかと感じる。残虐な殺し、殴り合いをやらかすシーンでも、敵のほうが凶悪か、あるいは酷いマヌケといった描き方である。あれで良かったのだろうか?

ハードボイルド、クールさ、派手な英雄、そういった面を強調する狙いがあって、兄弟を伝説的な暴れん坊・・・・全くの悪人ではなく、憧れも感じる人物として描きたかったのだろうか?毒のある人物は、それを徹底すると好意的に受け取られるものだから。

実在のクレイ兄弟は、映画のように暗黒街のかなりの部分を一時期支配していたらしい。しかし、マフィア映画の連中と比較すると、個性が随分と違う。自分で人を殺しに行ったり、目立つ場所にノコノコ登場したりは自殺行為のはずで、英国と米国の犯罪組織は事情が違っているのだろうか?

マシンガンが武器になるマフィアとは、戦い方も全然違う。武器の流通の具合が米国と英国では違うのだろう。予算というか、動く金額の違いか?

長く君臨するためには、まず生き残り、犯罪の証拠を残さないことが必要と思う。慎重に行動し、上手に隠れるといった原則を無視して、よく生き残れたものだと思う。ホモセクシャルな部分が役立ったりしたようだから、幸運もあったのではないだろうか?

 

 

2016年10月11日

レヴェナント 蘇りしもの (2015)

20cfox

- 強欲 -

西部の山中でインディアンに襲われた一団は、逃げる途中でクマに襲われ、主人公は重傷を負って絶望的状況に陥る・・・・

・・・DVDで鑑賞。レヴェナントは、亡霊のように奇跡的によみがえった人間の意味らしい。復讐劇を描いた作品で、ディカプリオがアカデミー賞の主演男優賞を取った。しかし、劇場主としては、敵役のトム・ハーディーに助演賞を取らせたかった。彼こそが賞にふさわしい活躍で、素晴らしい悪役ぶりだった。

この作品は実話に基づいているそうで、奇跡的に生還した主人公は、かっての仲間を追ってテキサスまで実際に行ったそうだ。ただし、脚色された部分も多いらしく、映画ほど美しい話ではなかったようだ。

この作品には非常にリアルな殺戮、銃撃シーンがあるので、小さな子供には全く向かない内容。恋人と観るのは悪くはないように思うけど、気持ち悪いシーンもかなり多めで、観客を選ぶタイプの映画と思う。これを劇場で鑑賞するかと考えると、ちょっと遠慮したい気もする。

森を写した独特のシーンが何度も繰り返されていた。亡くなった妻が登場する神秘的なシーンだったり、空や雲を写しただけだったり、いろいろあった。主人公の心を表現しようという意図だったかも知れないが、理解できないシーンもあった。冗長な印象も受けたので、少し繰り返しすぎたかも知れない。でも、非常に美しかった。

作品は雪山の光景を中心にしていたから、荒涼として、常に生命の危機が付きまとうような寒々とした雰囲気に描かれていた。実際、夏場だって荒野では危険がいっぱいだろう。雪山は映画の背景としては非常に美しく、最高の舞台になる。

クマの映像がCGで再現されていたが、これが実に素晴らしい出来映えだった。人間や機械の動作を元に画像処理してクマに置き換えたのだろうが、力感が抜群に素晴らしく、実際に襲っているようにしか見えない。崖から馬といっしょに落ちる映像も、驚くほど自然。技術の進化と、それを利用するアイディアの素晴らしさを感じた。

この作品ではインディアンに対する敬意が感じられ、白人達の原罪を強調している。「白人は全て奪った・・・」といったセリフは、その典型。視点として、真摯なものを感じた。ただし、表現方法としては直接的すぎる印象も受けた。もっと映画に向く、高級な表現方法がなかったろうか?インディアン達の悲しみ、絶望感を強調する手があったように思う。

復讐に対する考え方にも、独特のものを感じる。特にラストシーンが妙な感じ。亡くなった妻が消えていくことに、何か意味があったように思う。妻が迎えに来たら、主人公が死ぬことを意味するが、そっぽを向くということは、復讐に批判的ということを意味するのだろうか?あえて曖昧にしたのかも知れない。いろいろ解釈が可能なように思う。

アメリカの発展に際して、反省点を表現しようとした印象。臭いものを隠そうとせず、罪を認識し、被害者に同情することは大切なことだろう。森に入って毛皮を取る側は、毛皮があり、商品価値があり、入手できるから入手する、立派な商行為であり、インディアンから直接奪うわけではないから人道的問題もない、批判されるべきではない・・・・そんな理屈だったろう。開発が神の御意志であるという感覚だったはず。

先住民を排除し、生産地と消費地、流通機構を構築できる条件が整っていたので、起こりうることが起こったと思う。ヨーロッパのように既に多数の国がある場合、征服し続けるのは難しい。理念や愛国心が優れていたからアメリカができたわけではなく、資源や土地があるのに、インディアンやメキシコ人しかいなかったからできたはず。

おそらく信仰や民主的理念は後付けだろう。金や権力への欲求が集結し、強欲な人間同士が争った結果、力と金のバランスが成り立ち、それが合衆国のシステムを作ったと思う。もし当時、今日のような国際機関が存在していたら、北米の原住民を虐殺するな!と、米国を非難して経済制裁など科していたろう。今日の米国がやっているように。国際機関がなかったから、米国ができたと言える。

その流れで、フィリピンや日本も傘下に組み入れられたと思う。最近、フィリピンの大統領が米国の犯した虐殺を非難していたが、残虐きわまるものだったらしい。日本に対しては占領に手間取ったとは言えるものの、支配下に収めようという持続的な意志があったからこそ成功したのだろう。強欲の成り行きに従って、戦前のような厳しい要求を繰り返したのだろう。日本側の対応もまずかった。相手がどれだけ貪欲か、理解しないといけない。

支配下に入れれば商売が大きくなり、豊かになる。それを望むこと、それ自体は当然のことであり、その権利があるという考え方も確かにできる。相手側の権利を侵害しないという視点が欠落しているのだが、今日でも現実には当時と近い状況と思わざるをえない。森の中で毛皮を手に入れていた時代の強欲が、今も拡がって続いているのだ。

 

 

2015年6月15日

レッドオクトーバーを追え(1990)

Paramount

- 現場対応の話 -

ソ連の原潜が謎の航海を始めた。アメリカへの先制攻撃が可能な情況の中、ただの演習か亡命の意志があるのか、アメリカ側としては判断が難しい。双方に危機が迫る・・・

・・・有名な作品。何度かテレビでも放映されていたのでは?公開当時も人気があった記憶がある。ただし、作り方は非常に古風で、目新しい技術があるように思えない。役者が渋くて、緊迫感がリアルで、盛り上げ方が良かったとは思うが、陳腐な演出だと決め付ける人がいてもおかしくはないと思う。少なくとも斬新さを売りにした作品ではない。

主役のショーン・コネリーが実に素晴らしかった。ほとんど笑わない、非常に渋い演技。冷静で頭脳明晰、判断力や勇気に富み、柔軟な発想ができる人物を演じきっていた。ちょっと考えても、彼以上にこの役を演じられそうな俳優が頭に浮かんでこない。

米軍側の軍人達も、なかなか良い味の俳優が揃っていた。直接対峙する潜水艦の船長のスコット・グレンは、ちょっとヤクザ映画の気どった役者のような雰囲気だが、この作品においてはツッパリぶりが役柄に合致して魅力的。おそらく正面からの表情がほとんどなかったことが幸いしたのでは?あっちを向いてばかりの妙な演技だったが、それがかえって現場の雰囲気につながっていた。

アレック・ボールドウィンが非常に若々しく、二枚目ヒーロー役として充分に勤まっていた。体型を維持していたら、凄いスターのままだったかも知れない。派手なアクションスターのキャラクターではなかったので、仕方ないのか?監督は「ダイハード」と同じ、ジョン・マクティアナン。主人公の描き方や役者の個性によっては、大ヒーローが登場してもおかしくなかったはず。マクレーン刑事より上品で、タフさが足りなかった。

ジャック・ライアン役としてシリーズで主演を続けることができていたら・・・スター=ヒーロー=ボールドウィン君のイメージができていたかも。彼は凄いダイエットを要しただろうが、その価値はあったはず。できれば、もっとタフなキャラクターであったほうが良かった。この作品では少々とぼけた雰囲気があり、戦いに慣れていない。心に残るヒーローとなるためには、もっとタフでないといけない。

ステルス性能は、戦闘機の場合は世界の常識になっている。アメリカ以外にも、中国なども研究しているという。潜水艦で可能かどうかは知らない。ステルス性能のある大陸間ミサイルというのは可能なのだろうか?そんなものができたら、先制攻撃による大戦争も可能になってしまい、凄惨な結果が待っているだろう。

今日の技術では、潜水艦の探知能力も相当に凄いものだと思うが、実際に何か事件が起こった場合、敵の位置が分かったとしても迎撃するかどうかの判断は相当にやっかいなものになるだろう。先制攻撃されたら被害は凄まじいものになる。でも、だから自分から攻撃したら、それこそ敵の攻撃の理由を作ってしまう。混沌とした現場の場合、反撃がいつの間にか先制攻撃した犯人扱いにされかねない。

軍や国の上層部と連絡が速やかにつくかどうか、指示がないまま敵に面と向かったらと考えると、現場の兵士の気持ちは、この作品の登場人物のようなレベルの緊張では済まないだろう。判断が正しいかどうか確認しようのない情況は耐え難い。手も足もガタガタ震えて、物を持つことも難しくなってるのが普通。この作品では、そこまで出演者が緊張しているようには見えなかった。その種のサスペンスよりも、ドラマ部分を中心に考えたからだろうか。

娯楽に徹していたと言える。だからか、色っぽいシーンは全くなく、そもそも女性がほとんど登場していなかった。その点は異常とも思える作品。でも、そのおかげでか、この作品は家族で楽しめる。

例えばの話、中国の潜水艦に何か事故が起こった場合、救出に向かうべきか中国の対応を待つか、厳しい判断が要求される可能性はある。善意の救出としても、放射能汚染や爆死、中国側が誤認して攻撃してくる可能性もある。そもそも全て作戦で、一気に侵攻してこようと考えていたら困る。特に尖閣諸島で座礁された場合、救出を拿捕と言い替えられると厄介なことになる。

予測しない段階で急に攻撃されたら・・・暴走する人間は必ずいるから、ありえない話ではない。事前に法的な対処法が判っていればいいが、決まっていない場合、現場は大変だろう。

冷戦・・・今となっては懐かしい。ソ連の戦闘機が数十分で日本の都市を攻撃できるといった話が語られていたが、実際には抑止力が働いて戦闘は起こらなかった。でも大韓航空機が撃墜される事件はあった。真相はよく知らないが、微妙な進路の違いにソ連の現場が過剰反応したか、もしくは完全に誤認して攻撃したのか?昨年のウクライナでの航空機撃墜と同じようなことだったかもしれない。「うほーい、間違って撃っちまったぜ!」という会話が、ロシア側のほうで起こっていたかも。

 

 

 

2014年12月18日

REDリターンズ(2013)

Red

- 良い企画 -

引退したはずの元スパイ達にCIAの追求が迫ってきた。封印された謎の爆弾の秘密を探るべく活動が始まったが、秘密を握る博士は長い拘禁生活で精神に異常を来たしてラチがあかない・・・

・・・年配のコワモテ俳優達が活躍する前作は意外に面白かった。今回も同じ路線で、しかも謎解きの要素が上手く絡んで、二転三転する展開がかなり良くできていた。娯楽に徹した点が優れた作品。マンガが挿入されていたのは、原作があるからだろうか?

良い味を出していたのは、博士役のアンソニー・ホプキンス。狂った様子や本性を表す時の演じわけは流石だった。ユーモアたっぷりに演じていたので、悪役をやっても印象が悪くなかった。

主人公となるブルース・ウィリスは随分と齢をとって、アクション映画では限界があり、今はやはりこんな役柄が最も合う。そのへんを、よくわきまえているのだろう。いつまでも大真面目なアクションスターでは成り立たない。

スタローンは笑われることを覚悟で演じきっているから、逆に凄い。スター達の生き残り戦略には、様々な方向がありうるということ。その個人の個性や体力、企画力などに応じて、適応していけば、かなり息の長い活躍ができるのだろう。

スパイ達の個性を端的に描いていたので、年齢や体力に応じてオシャレで格好良く、そしておかしい印象を受けた。そう描こうと考えていて、そして成功したんだろうなと感じた。役者達の演技も、演出側の意図も手腕もマッチしていて見事だった。良い企画、良い演出、良い演技だった。

元が劇画なら、劇画タッチに描こうという意志が浸透するだろうから、演技も劇画タッチになって、皆が嬉々としてオーバーに演じることができるから、自然と楽しい作品になる傾向があるように思う。この作品もそれか?気のせいか、楽しげに演じているようだ。

イ・ビョンホンが殺し屋役をやっていたが、彼がやって良かったという印象は受けなかった。体が細すぎて、殺し屋としての迫力には欠けていなかったろうか?顔も、元々が甘いマスクなんで、殺し屋向きとは感じない。他のタレントでも良かったかも。昔なら千葉真一で決まりだったろうに。

ビョンホンは大きなアクション映画によく出ているが、個人的には千葉真一のような眼力のない、よく理解できない立場の俳優。欧米人と関わる場合に、渡辺謙や真田広之のようなレベルに今の時点では至っていない。キャラクターが違うし、若いからかもしれない。でも下手すると、このまま便利屋みたいな扱いのままで終わるかも知れない。

この作品にグロテスクなシーンはないと思う。あんまり好ましくはないかもしれないが、家族で楽しめるかも。殺人のシーンはあるけど。恋人と観るとしたら、気楽に楽しめる点で悪くないはず。でも、爆笑、拍手喝采というほどの興奮はないだろう。感動的な第一級のアクション映画ではないから。

問題解決の仕方が、ちょっと安易過ぎた気もした。爆笑できるような奇想天外な解決方法を考えても良かったような気はした。アクション映画の場合、最後の締めで喝采を贈りたくなるかどうか、その作品の評価を決めると思う。ずるい方法でも良いし、あっけなくても良いから、爆笑できる解決策を用意して欲しかった。

この作品は、クールな映画とは元々の路線が違う。企画した路線通りに、比較的予算を使わないで、面白いスパイ映画を作ろうという、その意図がはまった感じ。最初から大ヒットを狙う路線ではないが、予想した通りの収入を確保したのではないかと思う。実際はどうだったろうか?

 

2014年4月16日

連合艦隊(1981)

- やむをえない? -

東宝製作の戦争映画。太平洋戦争の発生、終焉を、ふたつの家族を中心に描いた作品。4月13日のBS放送で鑑賞。

主演はまだ若々しい永島敏行と中井貴一だが、森繁久弥や財津一郎、丹波哲郎なども大事な役を演じていた。視点が独特で、いまだに勇ましい戦争映画が多い中、市井の人たちが悩み苦しむ様子が中心となった流れ。

戦艦の中が血と油でドロドロになる様子が再現されていた。実際もそうなるだろうと想像する。体験者の意見もあったのでは?でも、せっかく作った戦艦の模型は波の表現に限界があったようで、リアルではない。怪獣映画の技術のままで残念。CGがないと無理だったようだ。

昭和56-57年頃の映画だが、公開当時のことは全然記憶にない。戦争映画を学生時代に見るのは、よほどのオタクくらいだったのでは?娯楽のために、こんな映画を観る人もいない。今だって、この作品を家族で観るのは勧められない。恋人ともそうだろう。真摯な態度で作られた作品とは思うものの、娯楽や興行的な面では限界があると感じる。

そもそも、戦争映画というのは作り方が難しい。あんまり真面目に作ると、兵士をさげすみ国辱的で情けないといった反発が来るし、戦意高揚に偏ると戦争美化と批判される。視点は色々あるから、良いバランスというのがありえないのでは?

人物についての評価にも偏りがあるような気がする。敗戦の将たちについて論じても、記録は曖昧だろうし、言い訳や言いがかり、中傷非難合戦は免れえないので信用できない。無能に描かれた幹部にも、実は優秀な人が多かったと思う。

この作品は、戦争の犠牲となった家族に焦点をあてて、戦争や当時の指導部を批判する方向で作られている。人によっては偏りがあるという印象につながるだろう。この作品の家族への視点はかなり実情に近いと思うが、そう思わない人も多いだろう。

当時のことは想像するしかないが、おそらく子供が兵学校に入学したら、これは出世は間違いない、未来は明るいと思ったろう。真っ先に死ぬ可能性も高くなるが、社会的には誇れる立場になれる。社会的義務を果たす責任ある立場を意味したと思う。そんな家族の意識が、かなり重要視されていた点は、作品の特徴だと思う。

もし敗戦していなければ、視点がそのまま今も続いていたことになったはず。今の時代、いったいどんな風になっていたろうか?参謀達も英雄のままで、‘美しい国’になっていたかもしれないし、冷戦の主戦場になって荒廃し、悪魔のように言われていたかも。

米国との戦争が最悪の結果になりうることは、軍人達の相当数は理解していたと思う。いっぽう米国は、大義名分はあったとしても、おそらく経済的な理由を中心に考え、最大の公共事業として戦争に訴えることを望んでいたと思う。日本側はどう実戦を回避するかが腕の見せ所だったはずだが、何かに失敗した。その辺の詳細は、この作品では判らなかった。

詳細を描くと、米国にとって都合の悪い話になるから圧力がかかるかも知れないし、軍国主義礼賛、もしくは極端な自虐主義になって、誰からも非難される運命にあったかもしれない。気の毒だが司令官の誰かに悪役になってもらう方法しかなかったかも。

相手が戦争を望んでいる場合、奇跡のような手腕がない限り、戦争回避は難しい。当時の指導部も、一概に無能呼ばわりはできない。・・・できれば、たとえ指導部が若手将校に次々殺されても回避すべきだったとは思うが、実際に自分が軍幹部だったら、そうする勇気はなかったろう。

自分が殺されるだけなら良いが、子供達まで批判にさらされ、出世の道まで絶たれたら困る。

もしかすると、そんな家族への思いや出世への意識が日本側の問題の根底にあったのかもしれない。軍隊での出世には、勇ましい意見を言うことも必要。戦争回避ばっかり訴えていたら立場を失い、家族も失望させる。敗戦の危機より、自分の家族に見せる顔のほうが重要に感じた・・・やむをえない・・・そんな面はなかったろうか?

どこの国の軍人もそうだとは思うが、もっと社会的に成熟し、軍人としてより、会社員や政治家、学者などとして出世できる様々な道がある国では、軍隊での出世以外のことを意識できる。でも、当時は軍隊内部で出世するしかなく、そのせいで勇ましさに歯止めが効かない構造的な欠陥があったのでは?

やむをえないで開戦し、やむをえないで敗戦するという丹波哲郎のセリフがあった。‘やむをえない’という言葉のどこかに、家族に対する自分の顔の意識がなかったろうか?その顔のせいで悲劇を生むなら、社会的責任について考え直してみる教育を、兵学校で徹底する必要があったろう。

自分の出世を犠牲にして集団の勝利、生き残りを優先する精神、それが徹底しないと軍が勝利し続けることは難しい。クールな視点に立つ退却、最終的な勝利に必要な戦略に関しては、純粋に軍事的な観点から意見が一致しないといけない。その認識が足りなかったようだ。出世意欲が邪魔したように思えてならない。証拠はないが。

作品の中の軍人達は部下の犠牲は非常に気にしていた。その点は実像もそうだったと信じるが、その思いやりに酔っていたとも考えられる。それに自分の出世欲を隠した形跡も感じる。決まり文句がある。「部下が犠牲を払った戦勝を無駄にできないので、退却しない。」「部下に犠牲を強いられないので、攻撃しない。」・・・でも、そこに自分の都合を隠しているかもしれない。少なくとも、誰もそうでなかったと否定はできない。

そこまで掘り下げた視点は、この作品にはなかったと思う。そこまで描くと、深い情の部分に触れるので一般の広い支持を得られない。当人達や、関係者の遺族などには耐え難い侮辱になる。

ただ、一大叙事詩にするなら、いろんな視点を参謀達の意見の中に盛り込む中に、そんな視点のセリフもあったほうが良い。勇ましい意見を言う参謀に、「それは貴様の出世のためだけの意見だ!」と看破するくらいは、あっても良かったのでは?戦争映画は、つくづく路線が難しい。

女性の視点が少し表現されていた。小手川祐子が男だけの都合で自分の人生が勝手に決められることに不満を言う時の言い方や、奈良岡朋子がこっそり子供の死を嘆くシーンなどは上手かった。

今、ウクライナの情勢が緊迫している。遠い地域の紛争だが、日本にも影響はある。経済的な悪影響は凄くなってくるかも。今後ロシアと欧米の意見をどんな風に調整するのか、全く予想できない。戦争を回避できるかの危険な状態は、この作品の最初の部分とも似ている。

ロシヤの場合、ロシア系住民の権利を侵害されたら、国内の強硬派が黙ってはいないだろう。もともとクリミア半島やウクライナの東側は本来ならロシアだという意識が強いはず。クリミア戦争や独ソ戦でも凄い数の犠牲を払った記憶があるはず。黙認などはできようもない。

でも、本当に戦争になったら、また悲劇が繰り返されるばかり。ウクライナ側だって反撃するはずだし、占領を続けるとなるとロシア経済は破綻しかねない。欧米とは仲良く通商を続けた方が絶対に都合がいいのに、紛争が長引くと困る。でも、まさか方針を転換する動きがロシア国内から発生することはありえない。愛国心が優先されるだろう。

欧米側も黙認はできない。ウクライナ人を見捨てることは他の地域への影響を考えると難しい。でも、完全に支援したら大戦争が起こってしまう。ウクライナ支援が、そこまで重要と考えてはいないだろう。親ロシア政権でも構わないと思っているのでは?よくは知らないが、普通に考えるとそう思う。

ロシア側にとっては、ロシア寄りの政権が復活し、軍事予算を多く使わないまま紛争が休息に入ることが望ましいと思う。ロシア寄りの政権が難しいなら、中立的な勢力でも妥協するだろう。そこが、結局の落とし所だろうか?

あるいは、ウクライナの地方各州の権利を拡大し、親ロシア州は親ロシアの独自路線を進めさせるという先延ばし妥協案もありうる。やがて独立されても仕方ない。戦闘になるよりはマシと思う。

ウクライナ政権がどう行動すべきか、非常に難しい。ロシア軍に侵入されることは避けたいし、ロシア系住人やテロリストが長期間活動するのも許しがたいだろう。でも、占拠した連中を実力で排除することは危険。周辺と隔離して人道面に注意しつつ、相手の疲労を待つべきでは?

ただし、それを続ける予算があるか、ロシア系住民がさらに大規模な暴動を起こしてこないか、いざとなった時に欧米から支援が得られるかは分からない。誰が、どこの国が利害を調整できるのか、それもよく分からない。

ロシア系勢力と欧米志向の勢力が共存できる政権が成り立つなら、危機回避の道になると思うが、今まで度々政権交替が起こっていることからして、おそらくどちらかに偏るような制度しかないのだろう。憲法や国会の制度に欠陥があるに違いない。でも、それを変える手順には相当な手間をかけての改正が必要で、当面は無理。

ロシアの天然ガスへの依存は大きな要因らしい。長引けば、いったん妥協せざるをえなくなってロシアに有利に運ぶ。でも、また直ぐ反発する動きが出る。それを繰り返しているように見える。日本が石油の禁輸で米国と対立したように、エネルギーの問題が不満爆発の根底にあるようだ。「また、油で我々に指図するのか!」、と。代替エネルギーが登場したら、状況は変るだろうけど、直ぐには無理・・・

 

 

 

2013年10月 7日

レッド・ライト(2012)

Versus

- 筋書き予知能力 -

インチキ超能力を次々と暴いてきた学者の二人。ある日、彼らは伝説の超能力者シルバーと対峙することになるが、シルバーは怖ろしい相手だった・・・

・・・DVDで鑑賞。怖い映画だった。熊本の映画館で公開されていたろうか?ハリウッドの大手の映画ではなかったようなんで、大規模な興行にはなっていなかったのか、全く知らなかった。

超能力が題材になったら、昨今の流れだと超能力者同士の戦いになるはず。でも、この作品は地味な戦いで、子供達が喜ぶような作品ではなかった。恋人とみる映画としては結構よい線行ってるのじゃないかと私は思ったが、そもそも興味を持ってくれるかどうかは疑問。

超能力者を演じたロバート・デ・ニーロは、近年の彼の役の中で最高の迫力を感じた。もう体力勝負の刑事役には無理があるので、こんな気味の悪い役柄が似合う。今回はコンタクトレンズでメイクしただけ、あとは自分の動作や表情だけで立派に怖い人物を演じていた。

盛り上げ方が良かったのだと思う。演出や脚本の勝利だろう。実はたまたま、冒頭の部分であらすじを予見してしまったのだが、それでも充分にスリルを感じ続けることができた。演出、画面の色合いや音響など、すべてが高いレベルにあったからではないかと思う。

私には、あらすじを見通す予知能力があるのか?

過去に一回対決した時に、自分の弱点をつかれてしまった博士のセリフ、表情が、今回も起こる恐怖の体験を盛り上げる。だから、デ・ニーロのキャラクターへの恐怖は、シガニー・ウィーバー演じた博士によって盛り上げられたと言える。上手い演出だった。

シルバーの前に超能力者として舞台に立った俳優も上手かった。演技としての迫力は充分、本物のようにしか見えない。彼が刑務所に入って話すときのセリフも、話し方も素晴らしく個性的で、彼がこの作品で最も良い演技をしていたように思う。   

特殊なCGは、たぶん使われていなかったのではないか?旧来からの手法だけでも、怖さを充分に演出できるんだと再認識。いつの間にかCGがないと怖くないような気がしていたが、間違いだった。でも、ひょっとして子供達はCGによる画像上の怖さがないと、直感的な恐怖感を感じられない可能性もある。人によるかも。

主役である若い博士役キリアン・マーフィーは、素晴らしい個性の持ち主だと思う。彼のような顔の俳優は多くないし、細身で繊細そうな、純粋そうなキャラクターは、他に替えがたい。この役にも最適だった。

同じ大学の、別の研究者を演じていた小柄な俳優は、最近いろんな作品でよく見かける。こちらも素晴らしい個性。

タイトルが意味不明のままだった。暗室を意味しているのか?主人公とシルバーが対峙する部屋は暗室のような照明だったので、あれを意味していたのか?もうちょっと工夫しても良かったかも。「超能力者シルバー」ではだめだったろうか?

超能力が発揮されて、建物が動き、電灯が破裂する。次は誰かの体が無残に・・・と期待してしまったが、グロテスクなシーンをともなう殺人は最後までなかった。グロテスクなシーンを期待してしまったのは、最近の怖い映画の悪影響だろう。

でも、その点は結局、この作品を観終わった後の印象度を下げているかも。強烈な印象を残す作品にはなりきれていない気がする。主人公の行動の理由にも、やや理解できない点が残る。ストーリー展開に、ちょっと無理があったのでは?

筋書きを読むのは難しい。消費税もそう。

10月2日に消費税を上げることが正式に公表されたが、景気がどうなるのか不安。まず第一に、自分のクリニックの運営への悪影響が心配。薬代の消費税が上がって、たぶん支出は数パーセント上がるはず。それに対して、来年の診療報酬を1-2%は上げて来るはずだが、全体としてプラスにはならないだろう。理屈から言っておかしな話で、どんどん矛盾が貯まるだけ。薬代には消費税を乗せるべきだろう。薬価で対応すべき。

病人の薬代には税をかけないという理念から、今の制度が続いているのだろうが、流通の一段階である病院や薬局だけに負担を強いるのは妙だ。いっぽうで製薬会社を優遇するために薬価は高く設定し、自由な値引きを許さない。医療費を真剣に下げようとは思っていないようだ。

社会保障費を確保するために診療報酬を上げる。逆に消費税対策に法人税を減税。復興税を廃止。自民党には専門家達がたくさん集まっているはずなのに、屁理屈のような税制を解説できていない。根本的におかしいのだが、世論の大勢は景気回復に期待しているからか、反対の声は低い。景気に対する神頼みの気持ちだろう。

安倍氏に感心したのは、消費税を上げる発表の後、いろんな番組に出て自分の声で説明をしていた点。今までの首相は、何か発表する時に官邸では答えていたが、繰り返しいろんな番組に出ることはなかった。スタッフがしっかりしているのか、もしくは消費税はやはり特別で、人気に直結するから用心したのか。いずれにせよ、自分の言葉で言い訳したのには好感を持った。

景気が悪くなったら、非常に困ったことになる。基本が運試しと言える。アベノミクスは皆の期待や、たまたまアメリカの好景気によって好スタートを切ったが、アメリカや中国の景気次第で、いかなる工夫も吹き飛ぶ景気後退はありうる。アメリカ議会が混乱してるそうだが、このまま財政緊縮となれば、日本の対処能力を超えると思う。

神頼みだけでは仕方ない。正しい政策を採るかどうかだけを評価すべきと思う。消費税は、有効な政策にならない気がする。基本として、資産家の金を流通させてもらわないと経済は動かない。税制で資産家の投資を引き出すべきだろうし人口が急激に減って社会が崩壊しないように、若者に金をもたらす施策は必須。たぶん、それが最も大きな原則なんだろう。若い世代の活気、出産や消費の意欲が最大の目標。

法人や資産家が国外に出ないようにすることも必要だから、強制的に資産税をかけるわけにはいかないが、アメとムチの要領で国内に投資しないと損する規定は、たぶんできるのではないか?専門でないからよく解らないが。

予算を大きくせず有効な方面に資金を導入するためには、NPOや財団を組織し、そこに資金提供をしてもらう方法が望ましいと思う。少子化対策、出産費用の大規模な基金を作り、そこに出資してくれたら税金の軽減・・・そのようなアザトイ規定もできると思う。

せっかくの安倍氏の解説だったが、財政再建や短期間の景気対策などの話題に終始していた印象。実際にも反対が多すぎて、長期の根本的な政策に関しては決めきれないのかも。金を若者へ、それに尽きると思うのだが。

 

2013年7月25日

レント ライヴ・オン・ブロードウェイ(2008)

Rent_2 - 火をつけてよ -

ミュージカルRENTのブロードウェイラスト公演の舞台を記録した映画。初演は1996年だったそうだから、場所を替えながら12年間もロングランを続けてたことになる。

衛星放送で鑑賞。その後、レンタルビデオ屋さんでも見かけた。映画版は既にDVD化されていたが、舞台版は最近のことだろう。

俳優達は映画版とは随分違っていた。映画よりも、本来の魅力が感じられた気がする。その代わり、完全にミュージカルなんでセリフで良い部分も歌になってしまい、映画のほうが表現力を感じた部分も少しあった。狭い舞台では空間的な表現には限界がある。

この作品はアイディアや音楽が素晴らしいのだが、子供用の劇ではない。気の毒ではあるが、性倒錯者たちが多くを占めていると言えなくもないので、大人限定だろう。恋人と観るのは今のところ悪くないように思うが、時代限定の作品のような気もする。

今エイズが猛威をふるっているアフリカや東南アジアでは、古典的かつ現実の話。我がことを語った名舞台と言えるだろう。ホモセクシャルな関係に限らず、一般的な友情、愛情と人間的な思いやりが根底に感じられる。

ヒロイン的な役割を演じるミミ役は、映画版では人気の関係でか知らないがロザリオ・ドーソンが演じていたが、この舞台では知らない女優さんだった。歌や見た目の印象では確かにより舞台に向いている印象で、スタイルが良くて役柄に合致し、何か薄幸な印象を受けた。ドーソン嬢は、なにか健康的な印象がある。

ライト・マイ・キャンドルとアウト・トゥナイトという曲をミミが歌うが、どちらも非常に上手く、声量もありそうで、たぶん歌手としての力が舞台版の女優のほうが上ということなんだろう。歯が出ているせいか、そこらにいそうな庶民的印象を受ける。それが、この舞台には好都合。

ライト・マイ・キャンドルは、仲良くなりたい、触れたいという感情をよく表現している。自分に感染性の病気がある場合は、関係を持つ異性は限定される。単に仲良くなりたいという感情よりも、何か非常に切ない飢えた感覚が伴い、かなり悲しい曲になる。この曲を若い女優が歌うと、その後の厳しい運命が予想できるだけに、よけい悲しい。逆にアウト・トゥナイトは若さと、たぶんヤクで興奮した状態を表現してるんだろう。

パーカッショニストのエンジェル役は、この舞台版の俳優は逞しすぎた。映画版は細身で動きもよりオカマチックで、役柄にぴったりだった。見た目では解らないが、映画版の彼は本物かも知れない。

シーズンズ・オブ・ラヴが、このミュージカルを代表する曲で、テーマ曲と言えるようだ。2~3回使われている。その歌詞や、あの当時のエイズに対する恐怖、若者の希望や悲しみ、当事者でないと解らない独特のセンスが感じられる。

しかも、極めて不幸で救いようのない設定ながら、最後に希望的展開に持っていっても文句が出ないような雰囲気が素晴らしい。そこで「あんな奇跡なんて、おかしいよなあ、気楽過ぎるよ。」といった感情を浮かばせては、作品を作った意味がない。真に共感してもらう必要があったのだ。それくらいエイズは深刻な病気。

とにかく、これらの曲を書いたジョナサン・ラーソン氏の才能には感嘆する。特にそれまで目立った経歴があるわけではないらしいので、バイトで生活費を稼ぎながら大変なハードワークをこなして完成させた渾身作だったのだろう。改めて思うが、本当に見事な仕事だった。

RENTには中毒のようなファンがたくさんいるそうだ。特典映像には、RENTの中毒になった連中が大勢出ていた。中には本当にホモセクシャルでエイズ患者という例も出ていたが、堂々としていて感心した。

他のロングランミュージカル、「コーラスライン」「キャッツ」などは、洗練さの度合いが違って感じられる。完成度や格調の面ではRENTはまだまだなのかも知れない。だから、極めて優れた芸術性を持ちながらも時代は限定され、残念ながらやがて消えていく運命にあるのかも。でも、あの恐怖の時代を知っている人にとっては、心に染み入る傑作だろう。

 

 

2013年1月 4日

レ・ミゼラブル(2012)

Universal

- 歌が大事 -

ユゴーの小説のミュージカル版を映画化した作品。盗人だったジャンバルジャンが改心し、人を助け、愛する物語・・・

・・・1980年頃にミュージカルが企画されて、現在までヒットを続けているらしい。私はスーザン・ボイル嬢が歌った「夢やぶれて」の曲からミュージカルの存在を知ったくらいで、あの物語を舞台でやるのは大変じゃないか?などと懸念していた。

記憶では確か、ジャン・バル・ジャンが敵に警告をするために何かを銃撃する場面があったような気がするが、それを舞台でやっても距離感の演出が難しいはず。でも、映画なら迫力のある市街戦も描けるかと考えた。民衆の蜂起で、市街に人があふれ行進する様が、どんな風に再現されるのだろうか?まず、そこに注目した。

迫力は確かに凄かった。どこかにセットを作ったのだろうと思うが、広大な敷地に街並みを再現した、その財力に驚いた。裏町に作ったバリケードは大事なシーンだったが、あれは少々狭すぎて、スタジオの雰囲気が感じられて失敗だったように思ったが、実際の蜂起でも細い路地を封鎖したにすぎないだろうから、あれが正しい再現方法だったのかも。

映画の冒頭、船をドックに引き戻そうと囚人たちが引っ張る場面。よく考えたものだった。囚人の辛さや、非人道的扱いが見事に表現されていた。CGをまじえて撮影されていたのだろうが、違和感を感じなかった。

主演のヒュー・ジャックマン氏の冒頭の痩せ具合には驚いた。額に皺を寄せ、犯罪者にしか見えない表情を見せ、見事な演技ぶり。ただし、歌の力はプロの歌手達と比べると苦しかった。けして下手糞ではないのだが、声の質が歌に向くとは感じなかった。

それは前半のヒロインを演じたアン・ハサウェイ嬢も同様。なにしろボイル嬢の歌を聴いて知っている我々には、圧倒的な歌唱力の差を感じずにはいられない。ミュージカルで我々が感動するのは、やはり歌の迫力である。いかに広大なセットを作っても、ミュージカルの場合は歌が一番大事と思う。

音響に工夫して、ささやき声ですら音量豊かに加工すれば、もっと音で感動されたかもしれない。今のデジタル技術なら、完全に合成した歌声も可能。「グリー」のようなテレビドラマですら、歌の迫力ではずっと上を行っていると思う。

警部役のラッセル・クロウの歌は全くいけなかった。下手ではないのだが、感動させるほどではない。彼の役は絶対に本職のテノール歌手に担当して欲しかった。ホセ・クーラなどは理想的な顔と声だと思うが、他の出演者達との違いが際立ち過ぎてしまうかも知れない。

つまり、本職をキャスティングすると全体をオペラ調にするという、大きな方針転換が必要になる。私個人とすれば、これは題材から考えて断然オペラ調が望ましいと思うのだが、酒場でインチキ夫婦が滑稽なダンスをするシーンなどを大事にして、あくまでミュージカル調に留めるなら、やはり人気スターを揃えないといけない。

カメラの位置も気になった。どうも「ああ、無情」というと、文豪~古い舞台劇~といったイメージがあり、手持ちカメラで撮影するスタイルには馴染まない気がする。カメラは固定され、舞台で観客が見ているかのような位置を基本とし、たまに俳優の顔に注目する必要がある時だけ近づく、そんなスタイルではいけなかったのだろうか?

プロモーション・ビデオばりのカメラワークは、上手くいけば訴えかける力になるが、長く続くと威厳というか、作品の質を落とす結果になりかねない。私としては、舞台の観客席にカメラを置くかのごとき、離れた視点が望ましかったと思う。

アマンダ・サイフリッド嬢の登場シーンは素晴らしかった。天使のように美しい女優が印象的に現れ、若者と目と目が合う様が実に上手いタイミングで描かれていて感心した。美しい娘さんを見ると、つい目を奪われてしまう私だが、あんな感じの視線の奪われ方。いい年こいて・・・・

アマンダ嬢の歌声はミュージカルに通用していた。それに共演した恋人役のレッドメイン君は、彼以外に適役を思いつかないほどの好演だった。顔からして、もはや演技抜きに素晴らしい。意外に歌もイケていた。

テナルディエ夫婦を演じた二人は、得な役柄だったとは思うが、実におかしく、上手く雰囲気を作っていた。あざとい生き方が出ないといけないし、観客に嫌われるほど極悪ぶりがひどくてもいけない。上手くバランスをとっていたし、演出も良かったのだろう。何といっても、作品の主題が素晴らしい。キリスト教の慈愛の精神に満ち溢れている。

ただし思ったのだが、政治的に混乱が続いていたフランスが、文化的には高いレベルを保ち、経済的にも繁栄し続けているのは実に不思議。フランス革命の前には、高い税金にもかかわらず財政は破綻していたはずだし、革命後も度々政変が起こって、政策も右往左往したはず。揉めまくって何にもできなかったというのは、私の勘違いだったのか?

この話の後、普仏戦争で敗戦して、さらにフランスは激しく疲弊したはずというのも、私の勘違いだったのか?賠償金もあるはずだし、どう繁栄するのか考えつかないのだが?景気や財政は、いったいどうなっていたのだろうか?

そうなると、財政が厳しくドンヅマリに見える我が国も、まだまだ大したことないのかもしれない。政府がどうかよりも、若者達の恋に期待すべきなのかもね。

 

2012年3月15日

レインメーカー(1997)

- 判事が決め手 -

法律学校を卒業したばかりの新米が弁護士となり、法廷で争う最初の相手は大手の保険会社。敏腕弁護団を相手に、新米弁護士は戦い通すことができるか?

・・・スター達が集まって見ごたえある戦いを繰り広げていた。特に印象的だったのはダニー・デヴィート演じる補佐役。ヒロインのクレア・デインズ。ボス役のミッキー・ローク。それぞれが味を出していて、個性的だった。

ダニー・デヴィートはいつもながらの存在感。稀有の存在だと思う。似たような体型の役者はいると思うのだが、キャリアの凄さだろうか、彼を凌駕するほどの小柄系役者はいない。「カッコーの巣の上で」の時代には、ここまで息の長い活躍をするとは思わなかった。ラストで家から出る前に、襲ってくる人間がいないか確認する仕草がおかしい。

クレア・デインズは、この作品での役柄が良かったせいもあるのだろうが、オドオドした目の表情などが実にリアルで存在感があって、他の映画の彼女とはずいぶん違う。

ミッキー・ロークは、この作品の当時はチョイ役が多かったはずだが、既に昨今のふてぶてしい役柄を演じていて、なかなかの好演。大事な個性だった。

敵役であるジョン・ボイトも悪くなかったが、彼にキレ者という印象が沸くだろうか?メガネをかけてスマートな衣装に身を包んだ、見るからにイヤラシイ切れ者、そんな役者が他にもいたのでは?ボイト氏でなくても良かったはず。

コッポラ監督の作品らしい特徴は感じなかった。オーソドックスで、やるべき演出をきちんとこなしているかのような作品。つまり、上手い演出なんだろう。ドキドキするような怖さ、勝敗のスリルはやや不足していたかもしれないので、浮ついてない重厚な演出と思えるが、逆に言えば盛り上げ不足だったかもしれない。

唯一、あわや主人公が暴行でやられそうというシーンもあった。確かに動きは自然で、ちゃんと殺陣として成立していたが、恐怖の演出に関しては、やや大人しい。

その関係で、若い観客が「ああ、面白かったねえ!」と、うなるような作品とは思えない。でも恋人といっしょになら、主人公のカップルの今後に期待したい気持ちになれそうで、なかなかよろしいかも。子供が観て楽しい作品だとは思えないが、教育上の問題があるとも言えないし、まあ家族でみることも可能では?

レインメーカーという言い方は、確か裁判で膨大な金額の賠償金を得る弁護士を指すと思う。例えば株取引で大儲けする場合は、ニュアンス的にやや合わないのでは?この映画の原作が語源か、昔からある言葉かは判らない。

本物のレインメーカーなら、会社から搾れるだけ搾り取って、それでも会社を存続させないといけない。したがって、この弁護士君は二流という敵方の意見も正解かも知れない。せめて、陪審員達が会社が存続可能なギリギリの数字を出してくれていたら良かったのだが・・・

法廷では古い判例を引き合いにして論証するシーンが多いが、もしかして今はタブレットを持って戦う弁護士がいないだろうか?検索機能を使って、「盗品 証拠採用 判例」などと入力すると、何年の誰の判例などと表示され、直ちに反論といった具合に、ITで経験のギャップを跳ね除けるこも可能。裁判長が認めればだが。

保険会社の弁護の文の中で、「もし会社が敗訴すれば、保険は破綻し、満足な給付は期待できないが、それでも良いのか?」という論旨の話があった。まさに、それは今日も残る論理。TPPが成立したら、米国の保険会社が根拠としそうな論旨だろう。

おそらく高度医療がいかに素晴らしいか、メディアを使って執拗なキャンペーンが張られるだろう。こんな夢のような技術を認めない健康保険は役に立たない、意味がない、そういった気分にさせるに違いない。

高度な医療を受けたいなら、欧米の保険に加入しないとダメという時代はすぐそこに来ている印象。公的な保険を維持するのも難しくなってきているし、いっそ完全に民間に移行という考え方も成立しうる時代になってきたと思う。NTTや郵便事業と同じく、複数の社会保険株式会社が分離独立し、それぞれ顧客を募る・・・ありえる話。

が、営利目的で存在する会社では、支払いを操作されないはずはない。「会社を破綻させて良いのか!」という論調の圧力がかかれば、司法の世界は会社に有利な判決を下すと思う。

司法関係者が保険会社に天下り・・・それも充分に考えられる。つまり判事が誰か、ちゃんと正当に判定する人物かどうかが大事。この映画でもそうだった。判事をどう選ぶか?本来なら、判事を選ぶのは裁判員が望ましい。出世具合も、過去の所業から判断させるのが良い。裁判所に判断させたら、天下り先の利益を優先してくるのが道理。事実上、国民が選ぶ権利を破棄している現在のシステムは、そもそもの間違いの元。

 

 

2011年8月12日

RED/レッド(2010)

ー 痛快な作品でした -

主演 ブルース・ウィリス

かって冷戦時代にCIAなどで火花を散らした諜報員の主人公達も、今は年金暮らし。しかし、ある日そんな主人公の元に暗殺部隊が突入してくる・・・

ブルース・ウィリス主演のアクション映画となると、くさ過ぎてもう駄目だろうと思いながら観てみたら、意外に面白くて驚いた。これは主に監督らスタッフの処理の仕方と、俳優達の存在感がマッチしたからだろう。

絵葉書のような画像を使って場所の解説をする手法は珍しくないが、久しぶりだったので斬新ささえ感じた。適度なロケーションの移動の仕方で、手法とストーリーがマッチしていた。

傑作だったのはマルコビッチが演じた仲間のキャラクター。ギャグ的に完全に狂った様子がおかしいし、花の陰に隠れたり、ブタの人形を持ち歩いたりするのは日本のテレビ番組やアニメに出てきそうな感じ。

他にもアーネスト・ボーグナインが出演していて驚いた。何歳だろうか?

主人公達の動きには期待できない。腹も出ているし、ドタバタした印象。でも、それを補うだけのカメラワーク、爆発のシーンがあって、迫力には問題なかった。アクションスターなしのアクションも可能。

荒唐無稽な物語だったんで、腹を銃で撃たれた女性が直ぐに立ち直って敵を倒す奇跡も気にしない。

ある意味では完全にテロリストになっているのだが、ヒーローでもあるということで、これも無視。

子供に教育的に良い作品では全くないのだが、娯楽としては子供にも悪くない。ただし、登場する役者には全然興味を示さないかも。「あのお爺ちゃん見たことあるなあ。」ってな具合か。基本は30歳以上の成人用の映画。

実際に現役時代にひどい目にあった敵のスパイを、執念深く始末しようと考えることはないのだろうか?

裏切られたために左遷された仲間が、亡命先のスパイを探し出して数十年後に復讐する可能性はあると思う。最近でもウクライナとロシア、ロシアとアメリカでスパイの国外追放、暗殺事件などが報道されていた。内部ではクビになったり、左遷された人員もいたはず。

20年も経てば、さすがに敵のガードも下がる。国家同士も友好な関係になっているかも。そんな時に自分を守るのは難しい。ただし、実際に復讐してしまったら、自分を保護する法律はないし、組織の現役の者がかばうことも難しいだろう。完全な犯罪者にしかならないことを覚悟する必要はある。

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