映画評

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カテゴリー「る」の6件の記事

2016年11月16日

ルーム(2015)

Room

- 後が大事 -

親子が仲良く暮らす部屋。彼らはちゃんと体操し、掃除をし、歯磨きも欠かさない。でも、何かが妙だ。・・・彼らは監禁されていたのだった・・・・

・・・実際の事件を元に小説化された原作の映画化。DVDで鑑賞。この種の監禁事件は毎年のように聞く。監禁をテーマにした作品は、子供には向かないと思う。用心させるために見せるという考え方もあるが、ただ傷つく、あるいはトラウマを生じる可能性もあるように思う。

可愛らしい子役が登場し、女の子だと思っていたら、髪の毛を切っていないだけ、それには理由があるという設定で、これは実際の事件でもそうだったのか、あるいは「サムソン」の伝説を使ったフィクションなのか分からないが、後で生きてくる話だった。

子役が非常に可愛かった。この子の演技だけで、この作品は出来が決まっている。怒る表情などが素晴らしい。でも、子供時代にこんな役を演じたら、この子は今後どんな人間になるのだろうか?心配に思う。芸能界には関わらないほうが良いかも知れない。

若い母親役は主演女優賞を取っている。確かに迫真の演技だとは思ったが、女優賞ならもっと際立つ名優も大勢いるように思う。役柄に助けられた面があるのかも知れない。狂気を感じさせるほどの名演ではなかったはずだ。

作品の優れた所は、母子の作戦が終わった、その後の家族内のドラマの比重が大きかったこと。家族が楽しく暮らしましたとさ・・・のおとぎ話にしていない点。それこそがミソで、このような境遇の人にとっては、その後の暮らしこそ重要なのだから、この描き方は正解だった。

この作品の雰囲気は、かなり重苦しいもの。テーマから考えて、それが当然なのだが、逆に楽しい家庭生活を描きつつ、無理に楽しそうに笑顔を作っていたと分かるような、そんな演出もどうだろうかと思った。美しいBGMを流したり、楽しい童謡を歌うなどすれば、逆説的な悲しさが出る。このような場合の常套手段だと思う。

アメリカの例だったか、やはり拉致した女性に複数の子供を産ませ、中には成人した子もいた例もあったように思う。その家の子供達は、学校をどうしていたかはよく知らないが、この作品を観ると、会話に不自由しない程度の教育は可能なのかも知れない。

最近、日本の大学生が女子中学生を監禁していた事件が発覚した。特に性的な目的ではなかったのか、ただ観察を目的としたといった記事があったが、尋常な理解を超えた犯行で、そんな犯罪者が普通に大学に通って卒業間近だったのだから、世の中には怖ろしい連中が隠れていると再認識しないといけない。

子供や女性を閉じ込めた状態で、可哀相だという発想は、犯人達には起こらないのだろうか?劇場主が犯人なら、良心の呵責に耐えられそうにない。おそらく、なんらかの精神異常か認識の障害がないと、拉致などできないし、やったとしても怖れが生じて直ぐ解放してしまうだろう。

可愛い子供を、狭い部屋に押し込めて成長させるなど、普通の感覚ではない。それは、おそらく劇場主の場合、自分の子も他人の子も、一般に子供は成長させるべき、能力を伸ばすべきといった固定観念があり、ただオモチャでも渡しておけばいいとは考えないからで、成長に関する認識の問題かも知れない。犯人にすれば子供を殴って虐待するつもりはなかった、なぜいけないの?という認識だろうか。

昔は乳幼児の死亡率が高かったから、どんどん生んで放置し、生き残れたら幸い、そんな感覚も実はあったと思う。大事に育てる、学習させる遊ばせるのは無駄になりかねない。そんな余裕がある?・・・・そのように考える親も多かったかも知れない。容易に人が死んでいた昔は、病気や怪我で死ぬのは神の御意志、次の子でも作ろう・・・そのほうが気は楽だし、現実的でもあった。そんな考えは、今もないとはかぎらない。今のほうが過保護すぎる面は、たしかにある。

あるいは犯人自身が何か抑圧されて成長し、子供時代に自由に外を遊び回ったり、他の子供との会話を持ったりしていなかったら、自由に動けることの意味を、実感として感じられなかったかも知れない。それによる何かの認識不足、障害はありうる。いかに充分に教育内容を整えても、情緒が100%の人に出来上がるはずはないと思う。先生やクラスメート、親や家庭環境によって、中には狙った成長が得られない人もいるだろう。

もしかすると母子を解放したい、可哀相と常に感じてはいるが、実際に解放したら逮捕されるという強い恐れが、全てを決してしまったかも知れない。あるいは時が経って、誘拐した娘と本当に愛情が育ち、許してくれるのを待ちたい、いっしょにいれば家族になれるかも・・・そんな勝手な思いがあって実際に解放するに至らない状況も考えられる。

認識次第では誰でも犯人になる可能性がある。宗教がからむと、特にそうだ。イスラム過激派は、女学生や町の住民全部を人質にとったりしているそうだが、彼らの頭の中では、それは成すべきことなのだろう。権利意識は欧米に由来するもの、子供の発育についても欧米とは違った考え方はありうる。欧米も、奴隷貿易をやった時代が長かったのである。異なる認識を持てば、拉致や誘拐だってやれるものだろう。

では対策として何をすべきか、よく分からない。今までだって、誘拐や拉致がないように皆が考え、努力してきたはず。宗教でも教育でも、この種の犯罪を完全に防ぐことができなかったという現実を再認識せざるをえない、そんな作品である。

2015年3月14日

ルーシー(2014)

Europauniversal

- 方向間違い -

ヒロインは騙されて犯罪者組織の運び屋になるが、事故で大量の薬物を吸収してしまう。その結果、異常な能力が惹起されたヒロインは、犯罪組織と戦う・・・

・・・DVDで鑑賞。劇場で観なくて良かったと思った。演技やCGは素晴らしかったが、細かい点で満足に至れない気がした。方向性が狂って、アイディア倒れの印象。

主人公はスカーレット・ヨハンソンで、冒頭のいいかげんそうな女の演技が素晴らしく、いかにもいそうな遊び人の雰囲気が充分に感じられた。その彼女が突然手錠をはめられると本気で怒るのが当然の変化なんだが、その時の態度も素晴らしかった。

あの男女のやりとりは最高。もしかして、あれが作品のハイライトで、あのシーンで半分くらいは終わっていたのかも。そうだったら、せっかくなら男のほうも最後までストーリーに絡んでよくなかったろうか?もったいない話。

ヒロインのキャラクターについても根本的な疑問がある。普通に考えると、自分が何か不幸な情況になったら、自分の運命を呪ったり悲しんだりするのでは?それは能力が高い人間の場合は違うかもしれないが、能力が上がってもクールになるだけとは考えにくい。逆に精神的に不安定になるだろう。そして悲しみを表現することは大事だった。

筆者が考える理想のヒロイン像は、激しい能力を発揮して敵を皆殺しにするが、その後は敵を哀れみ、自分の運命を呪い、その能力を破棄したいと願う、そんなキャラクター。それなら観客も同情してくれるのでは?クールに自分の生き残りばかり考える路線もありうるが、この作品のシチュエーションを考えると、それでは支持を得るのは難しい。

能力の極限をどのように考えるか、その哲学的なレベルが、作品のレベルに直結していたのかも。ただのICチップの形成が究極の能力では、味気ないというもの。

そのヒロイン像の関係で、この作品は子供が楽しめるとは思えない。また、残虐なシーンもあるので、基本的に家族がいっしょに鑑賞するタイプの映画ではないはず。恋人と観るべき映画とも思えない。恋人が登場していたら、随分と印象が変わっていたろうに。万事、味気ない印象を受けた。

銃を取り上げたりする超能力ではなく、騙し操るズルイ能力や身体能力が発揮されるほうが面白かったかもしれない。銃で撃たれても素早く避けて、もっぱらアクションで立ち向かうなら、観客には好印象だったと思う。筋力や素早さ、賢さや計算能力、そんな生身の能力のほうが大事だった。

でも撮影技術的には素晴らしかった。カーチェイスが凄い技術。敵方の韓国~中国系犯罪者達の風体、演技も良かった。超能力に関しても、「アキラ」で表現されたような能力がCGで丁寧に描かれていたら、もっと良かったかもしれない。

ラスト近くでコンピュータが形成された。あれがラストに相応しいのか、疑問に思った。彼女の肉体が消滅するのが良いことか?製作者達は、人の能力の究極の形がデータチップと考えているのか?違和感を感じる。

筆者の感覚では、仮に肉体が消えたら神秘的、霊的な存在として存続するのが理想というイメージがある。肉体が消えることをヒロインが悲しむと、客も同情するだろう。その代わり、神のような存在になるわけである。携帯端末の中に現れるのも良いだろうが、そんなものを介しないで存在してくれたほうが、より至高の存在と感じる。

それに、能力が残っていなくてもいいから、できれば普通に戻って肉体が残ったほうが良かった気もする。ハッピーエンドになる。

ヒロインが元に戻ってアーパーな女になっていたら、科学者達も観ている観客も苦笑したろうが、それも良い後味になるのでは?

 

 

2014年2月 1日

ルーパー(2012)

- まとまり -

未来から送られてくる犯罪者の処分を担当する‘ルーパー’と言う仕事をしている主人公。ある日、彼の元に未来の自分がやってくる・・・・

・・・DVDで鑑賞。タイムマシンによって犯罪組織が殺人を処理する、また未来の自分と戦うはめになること、加えて突然変異による超能力の影響、愛情や道義的な問題、それらが上手く絡んだ優れたSFだと思った。

極めて画期的なアイディアかと言われると、過去のSFを継ぎ足しただけのようにも思える。アイディアの一つ一つを取り上げれば大したことはない。似たようなSFを読んだ記憶がある。でも、この作品は設定が互いにうまく絡んで、まとまっているのは間違いない。最初の設定の部分が最も興味深いので、竜頭蛇尾の印象は受けたけど。

この作品は結構ヒットしたらしい。おそらく、話としてのまとまりの良さによるのでは?この話はライアン・ジョンソン監督オリジナルらしい。子供が観るのも問題ないかと言えば、かなり残酷なシーンがあるので疑問。ワクワクのアクション巨編とも言えないので、あえて見せるべきとも思えない。恋人と観るのは問題ないと思う。

際立つCGの映像があったわけではない。基本は普通の銃撃戦と、人物同士のドラマなんで、CGを売りとする最近の主流となってるSFとは若干違い、やや古めの作り方のように感じる。CGを中心に考えると、まとまらせるのが難しくなる面があるのかも。

ジョセフ・ゴードン=レヴィットは、ブルース・ウィリスに合わせて表情を作っていたようだ。メイキャップも少し似せていた。でも客観的に言って、あんまり似てない。途中で彼が徐々にヘアスタイルを変えていくシーンがあったが、さすがに遠慮がちに短時間で済ませてあった。似てないことをスタッフも自覚してたんだろう。

ジョセフ・ゴードンはSF映画の常連になっている。当代きってと言えるほどかもしれない。何が良いのかよく分からないのだが、今回の役でも求められる責任を果たし、別に問題はなかったと思う。アクションもちゃんとこなせている。

でも、過去のヒーロー達と比べて、著しい迫力や際立つ個性のようなものは何にも感じない。真面目そうで印象が良いとは思うが、ヒネた様子はなく、心に残るヒーローを演じた記憶がない。ヒーローを盛り立てる個性ではないか?際立っていない分だけリアルな印象を受ける面があるのかも。

すると、齢をとっていった後、どんな役として出てくるのだろうか?アクションが厳しくなったら、ヒーローの良き仲間として出演するか?切れ者刑事の上司役などを演じるのか?もしかすると、今が旬(ピーク)の俳優なのかも知れない。

Looperdistributionllc

エミリー・ブラントがまたまた出演していた。表情が日本人にも解りやすく、今回も非常に上手く演じていて、母親としての愛情や悩みが深く感じられた。ただしアクションは苦手のようで、斧を振り回す仕草は全くのへっぴり腰だった。

切り株をいじる意味がないように思った。あのシーンは長過ぎたと思う。大地に生きる強い女を強調したいなら、別な女優でないと無理。しかも、切り株の位置から考えて、あれは無理に木を切って残した切り株としか思えない。妙な違和感を感じる人も多いと思う。

後半に出てくる子役は良い顔をしていた。でも、メーキャップか何かで怖い表情を強調させることもできたかも知れないと思った。能力の表現方法にも、何か工夫のしようがあったような気もした。

また、鉄則に従うなら、いやらしい敵役が最後まで主人公を苦しめるべきだった。自分の足を銃で撃った敵と、腕利きのルーパー、ルーパーたちのボスなど、いろいろと登場していたが、嫌われ役になってくれる強い敵が際立っていなかった。その点は中途半端に感じた。 

 

2013年8月23日

ルルドの泉で(2009)

Lourdescoop99

- 冷徹 -

奇跡によって長年の願いが叶うことを願う巡礼の集団。車椅子生活のヒロインは、自分の運命を呪っている。しかし、なぜか彼女に奇跡が起こる。すると、不思議な感情が周囲に起こる・・・

・・・心理的な表現が鋭い映画だった。DVDで鑑賞。心理的な面に限定した劇なんで、非常に大人しく静かな作品。子供には全く受けそうにない。恋人と観るにしても、ちょっと静かで盛り上がりに欠ける作品。

でも、心理描写の仕方は実に丁寧で感心した。病人達が実際の病気としか思えないほどリアルで、そのリアルさが作品の出来栄えに直結していた気がする。派手に演技をして障害者であることを表現していたら、作品のテーマから外れてしまう。

こんなテーマにしようと考える人は多いと思うのだが、実際に描くのは簡単じゃないだろう。役者達がリアルに演じてくれないと盛り上がりようがない。静かな劇なんだから。リアルすぎて演出が足りないと、今度は観客が理解できなくなる。バランス感覚が必要。作り手しか理解できないような愚かな演出がないのは素晴らしい。

コソコソと内緒話をする、そんなセリフの辛辣さが重要な作品であることは、作り手には最初から解っていたはず。脇役に近い御婦人の二人組や機嫌の悪い老男性が、実は本当の主役、最高のストーリーテラーだったのかもと思った。かなり捻った見方の作品とも言える。

もし誰かに奇跡的な幸運が舞い込んだら、「フン、あいつは信心深くないのに・・・」という感情が周囲に生まれるのは自然なこと。敬虔な信者でもそうだろう。それを戒めるのが宗教的な教えだが、信心深いはずの御婦人は真っ先に妬みの言葉を吐いている。そこが自然で、この作品の魅力になっている。

いっぽう、純粋に他人の奇跡を喜ばしいと思っていないこともないはず。滅多にない奇跡に遭遇できただけでも嬉しいのが普通の感覚。忌み嫌い呪うほどの嫌な感覚ではない。ただし、いっぽうで自分の願いが無視されたことの悲しみと、それによる恨みめいた感情が同居するのは仕方ないこと。

カンタータが流れる部屋で、音楽を聴きながら厳かな気持ちになって涙を流す人々がいる一方で、奇跡によって立っていた女性が倒れたら、「ザマミロ」に近い内容の言葉を吐く、もしくは「再び立てなくなったら、そのほうが悲劇だ」のような不吉な言葉を言う、それが珍しくないことを、この作品は実に端的に描いていた。役者達も自分の役割を充分に理解していた様子。

回復したかに見えた女性が倒れたら、やはり並みの付き合いは難しいと解る。「必ず戻ってきます。」と言いつつ、なにげなく離れていく男性の表情も上手い演出。こそこそとした様子を見せたらオーバーな表現になる。あんな時は、さもちょっと思い立った偶然のように装って離れるもの。

親切な男性が、いざとなると場を去ってしまう現実は、ちょうど合コンで美女が私の隣から去っていくのに似ている。残念ながら賢い選択だ・・・・納得する自分が情けない。

最近よく見かけるレア・セドゥ~セイドゥという女優さんは、この作品の公開当時に評判になった。かなり肥満体に写っていたが、たぶん着物を着こんで遊びたい盛りの娘を演じていたに違いない。役者らしくない顔のように映ったが、実はボランティアへの興味を失った普通の女の子がするであろう表情や仕草を、非常にリアルに演じていたようだ。

ラストでカラオケを歌う時の歌い方がおかしい。おそらく本当に下手ではなくて、天真爛漫な感じを出すために演じていたのではないかと感じたが、あの個性に好感を持った。お尻を突き出したダンスの踊り方もおかしい。あれも演技なんだろう。ボランティア活動に真剣に取り組める娘さんは少なかろう。パーティーではじけてしまうのが自然。

「ミッドナイト・イン・パリ」「ミッション・インポッシブル」では随分と細身になって、全く違った個性の女性を演じていた。本来は、下町の娘さんを演じる個性ではないかと思う。この種の女優は日本では少ない気がする。若手女優がいやらしい性格の女を演じると、その後の役柄に悪影響が出ることを心配して事務所が止めるのか?

認知症らしい女性が、勝手にヒロインを車椅子に乗せて世話してしまうシーンもおかしい。結局、きっちりと無償のボランティア活動をできるのは、認知症患者か、もしくは自分も病気の方だけなのか?

日本にはルルド詣でに相当するものはないと思う。伊勢参拝などの神社詣で、四国霊場まいり、千日行などは近いと思うが、特定の水や場所で雑多な奇跡が起こるという信仰はないのでは?だから、ルルドならではの作品だった。誰のアイディアだろうか?それに、よく撮影許可が降りたものだ。

 

 

2010年11月20日

ROOKIES-卒業ー(2009)

- リアルさはない -

不良学生を集めた野球部が甲子園を目指す物語。大ヒットのテレビ番組の続編にして、映画化作品らしい。漫画もテレビも見なかったので、宣伝でしか知らなかったが。

我が家の次男が主題歌を歌っていたので、何かスポコンものの感動作品らしいと知った。近所のビデオ屋さんに行ったところ、観るべきものがなかったので借りることに。

佐藤隆太の笑顔は鼻につく感じを受けた。やりすぎていた。ひところの広末涼子の演出もそうだったが、魅力的な笑顔があれば、それは小出しにしないといけない。演出に問題あり。

市原隼人はよい目をしていた。さすが人気があるのもうなづける。役者向きの目だ。若いうちはいけるだろう。

家族で観るのは、小さい子にどうかな?と思うが、ダメではないだろう。恋人といっしょに観るのは、ちょっと子供っぽい作品と思うが、これもダメではないか?中学生くらいが最適の映画。

子供の頃は「青春」シリーズの番組が、毎週恒例の必見番組だった。桜木健一や森田健作のシリーズ、やや遅れて中村雅俊ものはクラスの話題の結構な部分を占めていた。岡崎有紀もの、バレー物、サッカーものも好きだったが、巨人の星、あれは強烈だった。

当時は必殺技が印象的だった。「二段投げ」「地獄車」「イナズマ落とし」「サブマリンシュート」「大リーグボール」は、随分真似したもんだ。怪我しそうになったことも多い。実際に使われる回転レシーブや時間差攻撃などの影響か、必殺技、新兵器には魅力があった。

スポ根ものに影響されてか、やりすぎて故障した若者が多かったのではないか?無茶な指導者によって肩を壊された野球選手は少なくないはずだ。良い影響ばかりではない。

懐かしい雰囲気を再現した根性と友情のドラマが、今でも充分に受けることを証明した作品。わが国の青少年は、まだ熱い思いを失っていなかったのか?まだ燃えていたのか?

骨折しても仲間を守ろうとする心。完全に力んだフォーム(あれでは打てる球も打てないだろう)、あの表情、くさい芝居、試合中に勝手に控え室に長時間留まって仲間うちでドラマを展開する身勝手さ。普通なら審判から文句が出そうだが・・・

恋愛の要素が少なかった。わずかにマネージャーとエースの会話が盛り上がっただけ。会話だけというのも、近年珍しいかも。

昔よりもコメディの要素は増えていたかもしれないし、不良の程度も増していたかもしれないが、基本的に精神年齢というか、思考のパターンは変わっていないことを感じる。

自分達が入学した時代の先輩方は、ラッパと言われる幅の広いズボンをひらひらさせてのし歩いていた。格好が凄かったが、あれと共通する歩き方は、今回の作品の不良連中と共通していた。

先輩達は隅っこでは焼酎を飲むやらタバコを吸うやらしていたが、目を合わせるとヤバイので、速やかに彼らの視界の外に出るため、右往左往していた。

シゴキの激しい人もいたが、何を考えていたんだろうか?役に立たない理屈で、根拠のないトレーニングをさせられて非常に不満だったが、文句は言えないことくらいは理解していた。基礎体力トレーニングに対する理解が昔は不足していた。

部活の着替えのとき、たまたま遅れて一人でいたら、まずいことに最凶最悪の先輩と二人きりになってしまったことがある。「これはヤバイ、もう一巻の終わりか?」と覚悟していたら、無言のまま去っていかれた。基本的に、ワルは一人で活動することは避けるからか。

その先輩方、やはり卒後に逮捕されたり、本物の犯罪者になった連中もいたが、行方が解らない人も多い。田舎で職場がないからだ。彼らなりに精一杯自己主張していたと思うが、その内容はカッコづけだったり、下級生いびりだったりで、有効性や意義に関しては、もちろん大したものではない。

ただし、本人にとっては大事だ。勘違いしていても、譲れないものだったはずだ。少なくとも、当時の私は彼らを批判しようなんて全く考えなかった。

例えば、あんなロクデナシ達をリアルに、そのままの存在感で演技させたらダメなんだろうか? オーバーに演じず、真剣な物語として描いたら、観客はそっぽを向くのだろうか?シラけてしまうのか?よく解らない。

原作がたぶんオチャラケを含めて描いているだろうから、その雰囲気を壊したくなかったのかも知れない。リアルなスポ根物語を試すのは、ちょっと勇気が要ることだ。

 

 

 

2008年9月 7日

ルワンダの涙(2005)

- 国連軍のあり方は? -

ルワンダ内戦が舞台。ツチとフツの二つの部族が一触即発の緊張状態にある中、教会の神父と新任の教師が日々の仕事をこなしていた。

新任教師は利発で足の速い女の子を特に気に入る。「何があっても君を守ってみせる。」と約束する。

内戦が勃発する。

今まで同僚だった職員や、隣人が突然ブッシュナイフを持って襲ってくる。学校には避難のために大勢の人が押し寄せるが、周囲を暴徒に囲まれ、ついに白人達は国連軍といっしょに逃げ出すことになる。

白人達がいなくなれば、きっと虐殺が待っている。自分はいいから、せめて、子供だけでも連れ出せないか?懇願する避難民。教師と神父はどう判断するか・・・?

ルワンダの内戦については、最近まで全く知らなかった。

自分だけかも知れないが、アメリカがどこを攻めるか、アメリカのメディアが何を報じるかばかり注目してしまって、アフリカで住民同士が殺しあっても「殺し合いは無駄なことだ。もっと考えろよ。」程度のバカにした印象しか持っていないところがある。

アメリカと対決姿勢を見せる国があれば注目する。ただし、アメリカのテレビ局の言うままに、悪者、ならず者国家としてである。内部で何が起こっているのか、報道されなければ気にしない。そんな私であった。

ルワンダ内戦が最もひどい時期を過ぎた頃に、どうやら民族浄化と言うべき虐殺があったらしいと知ったが、知る限り日本が何か人道援助や国際的圧力をかけたということはないと思う。せいぜいODAのような開発援助くらいではないか?圧力のかけようもないかもしれない。

「ホテルルワンダ」は良い映画であった。主演の魅力もあってか、作品としての完成度が高かった。でも、この「ルワンダの涙」は主役が解りにくいせいか、完成度が高くなかった。重要度から言えば、主人公は神学校の若い教諭ではなく、校長である神父のほうであったろが、それが曖昧なままの印象を受けた。それが作品のデキに関係したように思う。

作品として盛り上るためには、観客が登場人物に共感しないといけない。テーマから考えて、キリストと同じように自らを犠牲にし、自分を殺そうとするものにさえ愛情を感じる神父は、もっと主役らしい比重で描くべきであった。完全にキリストとして描くべきだった。

もし新任教師を主役にするなら、神父の行動は客観的にあっさりと描き、いかにキリストのように行動できたかを描き、教師役が神父の最後の姿を聞いて号泣するべきであった。

神父の死に方にも問題があった。テレビの刑事ドラマレベルの死に方であった。キリストを連想させるために、苦しんで死ななければならない。必ずしも血まみれのメッタ差しになる必要はないが、観客の怒りを得るためには苦しむ時間が長い必要はある。

この映画の舞台は良かったのだが、残念ながら完成度は低かった。家族で観れる作品でもないし、恋人と観るような系統の作品とも思えない。

今後もアジア、アフリカのどこかで似たような部族紛争が起こると思うが、虐殺がないようにしたいものだ。国連軍のあり方を批判した映画が最近続いている。

介入しすぎて国連軍と現地の勢力との戦争にならないように、かたほうの勢力の手助けをして、もう片方の迫害を起こさないように、などと規制が多すぎて満足に活動できないことが問題であるらしい。たとえば、相手が攻撃してこない間は発砲できない。例え虐殺が行えわれようと、命令がない限りは間に入って、それを実力で止めることはできないらしい。

象徴的なエピソードがあった。犬が殺された人を食べるので、国連軍が射殺しようと言うと、「虐殺があっても、自分達が攻撃されないからと言って放置したのに!すると、今度は犬から攻撃でもされたのか?」と、皮肉られた。

今後同じような事態になった時は、非戦闘員に攻撃が及ぶようになった時点で介入し、中止させるべきだと思うが、圧倒的な兵力を持って抑止しないといけない。この映画の場合は、兵力が不足していた。

しかも民兵の場合は、戦闘員と非戦闘員の区別が難しいので、誰かを守っているつもりが、気がつけばどこかの部族を虐殺してしまっていたりすることもありえる。逆に、攻撃されるのを待っていれば、取り囲まれて撤退するしかなくなる。無言で力の圧力をかけないといけない。

大国間の代理戦争が多かった時代は、確かにやりようがなかった。片方が共産主義勢力だと、ソ連対アメリカの争いになってしまう。今も資源に関する利権が絡むと、そちらが優先されて、人権は後回しになることに変りはない。

ルワンダの場合は石油資源はないと思うので、その影響は考えなくて良いはずだが、何かイギリスの権益がからむ産物があったのか?イギリスの諜報機関が出入りしていたところを見ると、何か思惑があったはずである。隣国と代理戦争をさせたかったのか?詳しくは知らない。

状況を短期間で判断し、虐殺を未然に防ぐために現地で早期に対応できるようなシステムを作ることは可能だとは思う。でも現実には・・・・

 

 

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