映画評

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カテゴリー「り」の15件の記事

2015年11月27日

リトル・フォレスト 冬/春(2015)

Shochiku

- TPPへの考察なし -

田舎の集落で独り、農業にいそしみながら生活する娘の独白、料理、農作業を綴った作品のパート2。秋と冬編。

センスの良い構成、着想に感心するシリーズもの。元々は漫画エッセイ風の原作があるそうで、それがセンスに優れた作品のようだ。興行的に大成功を狙う作品では最初からないので、限られた観客だけを狙う独特の路線と思う。

子供にはそれほど受けないだろうと思うが、感性の鋭い娘さんなどは、大変な影響を受けて独り暮らしに憧れたりするかも知れない。恋人といっしょにデートで観る作品としては、静かすぎるかも知れないが、雰囲気自体には悪い影響はないように思う。大人の、静かな関係の人と観る場合には最適かも。

ただし、クセのある作品。画面を3個に割って画像が変わっていくシーンで、嫌悪感を感じる人がいるかも知れない。多少気取りすぎで、わざとらしい雰囲気と毛嫌いする人もいるかも。観客を選ぶタイプ。

はたして女性達の支持がどれだけあったかも気になる。少女趣味の独白は、所詮は男性から考えた女性の考え方の想像かも知れない。あるいは、本当の女性の感情を、男性の表現で置き換えて作られた話かも知れない。やや教育的~内省的な点は、反発を受けたり、興味を惹きにくい部分があるかも。

風景を上手く撮影してあることに感嘆した。日暮れ時の日光、雲の輝きなど、良い光景を丹念に撮影している。田舎では何でもない光景なんだが、そこにいるだけで幸福感を感じられそうな、そんな感覚。これは田舎人だから、そう感じるだけかも知れない。

舞台となった村は、それでも比較的人口が多そうだ。今は年寄りがどんどん高齢化し、農作業は厳しくなり、全く耕作されていない農地ばかりが目立つ場所も多い。村で祭りをしようにも、そろそろ非現実的かなと感じるくらいになったら、限界が近いということ。踊りなど、とうに廃れてしまっている地域もある。

映画では様々な料理を作っていたが、疲れ切った作業の後、料理をするのは辛いと思う。劇場主も結構料理をするほうだが、独り暮らしでやれるか考えると、自信がない。家内がやってくれることに感謝しないといけない。女性が農業で独り暮らすのは、おそらく相当な根性がないと難しいだろう。

経済的なことも考えてしまう。米は、換金できるほどの量を作るのは難しいかも知れない。生産者米価で一俵1万円以下だと、機械を使えば元が取れっこない。もちろん小遣い程度なら可能だろうが、米価に関して今後も期待は出来ないので、米作はあくまで生産品のひとつに過ぎないと考えざるを得ない。

現金を得るためには、かなり広大な畑を持ち、通信技術を駆使して効率の良い野菜生産をするなら期待できる。でも、子供の頃の経験では害虫やイノシシなどにやられるロスが多すぎて難しいようにも思う。農協などに勤務できれば良いが、電気代、ガス代などは何かの現金収入で稼がざるを得ず、歳をとってからは難しいだろう。

劇場主の家は土地の所有面積が少なく、農業を継ぐようなことは全く考えなくて良かった。その代わり、子供の頃から村を出て行って何かしなきゃいけないんだと、なんとなく自覚せざるをえなかったように思う。結果的に、それは学業への意欲を産んでいたのかも知れない。

農家を継ぐと分かっていたら、どんな気持ちになったろうか?若い時期に結婚して子供を作ろうと考えたと思う。生活に関しては、かなり覚悟を決めて、なんとか破産しないように、徹底的な倹約を心がけることになったろうか?現金を得るために、場所が良ければアパート経営なども考えたかも知れないが、それができるのは幸運な家だけだろう。工夫のしようがない家がほとんどでは?

TPPに関して、今頃必死に調べていたかも知れない。そして離農を考えていたかも。生きるためには、それも仕方ないと思う。

 

 

 

2015年10月28日

リトル・フォレスト 夏/秋(2014)

Syochiku

- 文句引っ込めます -

東北の寒村でひとり暮らす娘が主人公。彼女の日々の仕事、作る料理を中心とした映像の中に、母親との生活、周辺住民との会話などが織り込まれる。

鑑賞したのは夏と秋の編。そのほかに、冬と春の編があるらしい。

珍しい構成に驚いたが、原作の漫画がこのような作り方らしい。独特の雰囲気が出るから、作品の芸術的な価値は期待できそう。観客がどのように興味を持ってくれるかが大事だが、ドラマの部分が上手く展開すれば、それも期待できると思う。

今は田舎暮らしに対する認識が変わっている。都会で頑張っても、派遣社員のまま見込みがない人生になりそうと感じる人が増え、それくらいなら新天地の田舎で頑張ろうかと感じるようだ。自然な考え方だ。休耕地と空き家があれば、巨額の元手なしでもトライできるかな?という発想は生まれる。

期待は高かったようで、いろんな会社が企画に参加していた。意欲的な製作現場の雰囲気が想像される。良い企画にしようぜ!というノリを感じる。原作が漫画と言っても、なんだか欧州映画のような文化の匂いを感じる。ウィー!これはフランス風だ。

この作品は子供には向かないように思う。やや単調すぎて、子供は興味を保てないだろうと思う。若い人の場合は、恋人と観るのは悪くない趣味のように思う。料理に興味を持ったり、田舎暮らしに共感を持つ若者がいるかもしれない。自分達の人生について考えてみる材料にもなりうる。

感動する人も結構いるような気がする。生き方を考えるチャンスにもなりうる。

非常に静かな語り口で、ヒロインの橋本愛嬢がナレーションをこなしていく。セリフのほうが少なめで、ほとんどはナレーション。それが単調さを生んでいる。もっとセリフを増やす手があったかもしれない。あるいは、外人女性に客観的なナレーションをやってもらう手もあったかも。作風が劇的に変化したろう。

アップになった橋本愛は、失礼ながら男性っぽい顔をしていると思う。今後太ってドスが効くようになってきたら、ヤクザ映画の女将さん役が務まるだろう。熊本県には多い顔立ちで、クマソか隼人族の血が入っているかも。田舎っぽいとも言えるから、適役だった。

流行のアイドル女優達の多くは、チャラチャラした雰囲気を出す娘が多い。畑や田んぼで黙々と働き、何か哲学的な思考にふける女史は、橋本愛の独壇場かもしれない。もしくは井上晴美嬢か?

その他の出演者は、極端に登場時間が少ない。母親や、近所の若者、お婆ちゃん達がたまに出てくるくらい。それでは、よほど印象的な登場のさせ方をしないかぎり、ドラマで盛り上がることは難しい。原作がそうだったかもしれないが、映画用の演出があればと思った。

料理のメニューは実際に作られたものを、そのまま使っていたのではないかと思う。手が込んでいて、あらためて思うに、昔の主婦は壮大な時間をかけて作業し、ほとんど一日中働いてやっと料理をこなしていたのだろう。敬意を覚える。

いつも思うのだが、田舎を描く作品で登場人物が着ている服が綺麗過ぎないだろうか?我が家で自分達が着ていた作業服は、見事に汚れていた。破れていることも多かった。くたびれた服を準備することくらい、映画作りの基本ではないか?

日本人の食事について再考。

縄文期の時代まで、おそらく主食となりうるのはイモか栗だったのではないかと思う。栗の場合は遺跡から栽培されていた形跡が発見されているから、間違いない。シブさえ取れれば、作品に出ていたような料理ができるし、おそらく昔は湯がいて乾かして、保存していたのだろう。

イモもそうだろう。ジャガイモ、サツマイモはなかったはずだから、ヤマイモなどをすりつぶしたり焼いたり餅のようにしたり、試行錯誤で調理法を編み出していたに違いない。ワラビやゼンマイ、ウドは今でもかなりメジャーな材料だが、当時も使われなかったはずはない。柔らかい植物は必ず試したはず。

セリや水草の類を子供の頃に近所のお婆ちゃん達から勧められると、苦痛でしかなかった。牛か馬でないかぎり、こんなものは美味しいと感じないはずと思った。ところが不思議なもので、最近シソの実やサンショウ、フキを食べると実に美味しく感じる。

苦味や渋みは、感情に影響するような気がする。ただ甘いだけ辛いだけとは違う、精神安定作用のような沈静、消炎作用のようなものが含まれているのかもしれない。漢方薬と同じように、サポニン作用のような効果がある気がしてならない。

山菜は、もしかすると性格に関わったかも知れない。攻撃的で理詰めの態度が沈静化され、静かでワビサビを好む趣向に向かった可能性はないだろうか?カロリーのせいか、含まれる蛋白や脂質の影響か、はてまたサポニン作用か何か分からないが、日常の食事内容で自分の気持ちが変化するのは確かに感じる。

川魚を獲って川で食べることは、子供の頃の大事な行事。半日もあれば、数十匹は獲れた。最近は許可制になっているそうだ。故郷の場合は川の魚が減ったことや、漁協の権利をめぐる意識が高まって、勝手な魚とりは許されないらしい。魚は古代の貴重な蛋白源で、獣よりも管理が簡単だったはず。

生けすを作る知恵くらいはあったろう。夏場に獲ってきて池で飼い、冬場に食料としたはず。海の魚の場合は、獲るのが大変だったろう。網はいつ頃から使われたのだろうか?かなり高度な技術がないと、魚網は製作できない。麻などを使って器用な人達が作り、そのアイディアに触発されて他の人が作るといった風に広まったに違いない。

網のあるなしは、収穫量に大きく影響したはず。数十倍の収量があれば、村が生き残るかどうかにかかってくる。良い網を作った人は、自分のイノベーションで得意になったことだろう。漁業の神の化身、エビス様の生まれ変わりと讃えられたかも。釣り針も同様だろう。高性能の釣り針を作った人は、海幸彦と讃えられたのでは?

地を這い、木に登り、長時間の作業で体を壊しながら、動ける間は作業をこなして命をつないでくれたからこそ、今日の自分達がある。野菜の値段が上がっただけで「チッ。」と舌打ちするような不敬な劇場主は、反省しないといけない。文句があるなら、自分で作ればいいのだから。 

 

 

2015年7月 6日

リディック:ギャラクシー・バトル(2013)

Universal

- 嵐が遅い -

犯罪者リディックはワナにはまり、ある惑星に取り残された。彼は異変が迫っていることを悟り、自ら救難信号を発して宇宙船を手に入れようとするが、賞金稼ぎ達がやってきた・・・・

・・・・ヴィン・ディーゼル主演のSF映画。ほとんどのシーンは砂漠のような星の中で、怪物や賞金稼ぎの連中と殴り合い、切り合いに終始。合間にB級映画独特の格好付けたポーズでのセリフの言い合いが展開される、そんな映画。

最初からB級の路線。そもそも主演からして、路線は決まっている。リディックはシリーズになっているそうで、知らなかったがもう3作目らしい。夜でも見れるように、わざわざ目を手術した主人公は、明るい場所ではサングラスが必要ということらしい。

敵はいろいろいた。サソリ型の巨大な怪物が最悪の敵だったが、人間の方にも賞金稼ぎの連中、軍隊?風の集団、野犬のような動物など様々。でも、他の映画と比べたら種類は少なかった。スターウォーズなどは、キャラクターで受けようと、数十種類の怪物を登場させるが、そんなスタイルではなかった。

怪物の種類が少なめのことが良いのか悪いのか、よく解らなかったが、個人的には失敗じゃないかと思えた。いっぽうでリディックのキャラクター設定には感心した。怪物が毒を持っていることを察知し、免疫療法を実行するなんて、アホな犯罪者ではできないこと。その方法の表現も素晴らしかった。

ただし、神経毒に対して免疫療法が有効かどうかは知らない。マング-スがヘビと戦えるのは免疫の力ではなく、スピードと技術によると思う。

サソリ型怪物は、嵐とともに移動する設定だったようだ。でも特に水が必要というわけではなく、普通の砂漠の中で主人公達を襲っていた。なら、嵐は必要ない。主人公が救難信号を送る前に、さっさか襲って来ても不思議じゃない。

そして、仕方ないことかもしれないが、「エイリアン」の怪物にも似ている印象を受けた。もともとエイリアンがサソリをイメージして作られているから当然だが、連想されるのはまずい。全く違う動物、例えばタコやイカ、サメなどを題材にしたほうが良かったと思う。何か権利上の問題でもあったのか?

嵐が来るスピードが遅すぎる。人間達の間で長々ドラマが展開した後にやっと来た。それも絶対に不自然。二級品をさらに確実に二級品にする。

この作品は、一応子供にも見せられるレベルと思う。人に対して残虐なシーンは、さほどなかった。恋人と観ても悪くはないかも。ただし、恋の話はなし。やや味気ない印象はある。お色気シーンもわずか。

賞金稼ぎのメンバーに関して、もう少しキャラクターを与えるべきだったと思う。弱いけどずるい、強いけどバカ、冗談ばかり言ってるヤツ、無口、拷問好きな変態など。隊長や女性隊員ばかり目立っても、印象に残る作品になれない。

ヴィン・ディーゼルは不思議な俳優。実は優れた脚本を書くインテリらしいのだが、彼が演じるキャラクターは一貫して体力勝負。体格が良いし、豪快そうで、タフな人物を演じると非常に素晴らしく見える。さらにキャラクターを練れば、新しいシュワルゼネッガーのような立場に立てるかも。ヒット作が多いから。

共演していた女兵士も素晴らしいキャラクター。同じく体格が良いし、顔も美しくて強そう。彼女主演で別な企画が生まれるかも。

 

 

2013年6月25日

リアル~ 完全なる首長竜の日~(2013)

Seisakuiinnkai

- バブルの重しを感じた -

恋人が原因不明の自殺未遂を起こした。昏睡状態の恋人の意識の中に、恋人である主人公は特殊な機械を使って潜入する。自殺の理由は?また、彼女は回復するのか?そして、決め手となる首長竜とは?

末っ子が絶対に面白いからと請け負うので、劇場で鑑賞。いったい、どこで面白いという情報を得たの?と聞いても答えない。とにかく絶対に面白いの!と、言い張る。梅雨時で他にできることもない。バッティングセンターは先週行ったし、卓球もやった。遠くに行く時間もない。仕方ないので、鑑賞。

次男は「これは絶対に失敗作。俺は本屋に行く。」とか言って別行動。彼が正解だったか、または作品に映画代だけの価値があったかどうか、結構微妙な印象を受けた。

原作はマンガに違いないと鑑賞しながら思っていたが、違っていた。ちゃんとした小説で、しかも何かの賞を取っているらしい。ちょっと意外に思った。つまり、苦心して映画用に作られた脚本は、賞を取りうる題材を、そうでもない作品に仕上げてしまったのか?

アイディアは悪くない。恋愛とSFとの要素がうまく絡み合い、強い印象を残しうる題材。人の意識が問題となった類似作品で言えば、「パッセンジャーズ」は、行きずりの男女の恋愛感情がテーマになっていたので、感情の深さが違う。「インセプション」は、相手を救う話ではなく、自分の救済がテーマになっていて私小説のようだ。アイディア的には、この作品のほうが数段上を行っている。

でも、出来栄えやインパクトではどうだろうか?数段上とは感じなかった。

良い作品だと思う。子供には退屈に感じられそうな気がしたが、それはテンポの問題だったろう。恋人関係の人達が観るとしたら、この作品は悪くないと思う。完成度に関してはどうか解らないが、テーマとしては素晴らしい。

首長竜の映像も悪くなかった。CGのレベルは確実に上がっている。ハリウッド製の映画とは比較にならないかもしれないが、この作品のCGは鑑賞に耐えられるレベルだったと思う。

展開が遅すぎて、しかも緊迫感の盛り上げを狙うなどの、興行的あざとさが足りなかった。気味の悪い死体を並べるなら、とことん怖ろしい路線を狙ったほうが良い。ホラーと恋愛の路線に徹するべき。ただのホラー映画が美しい恋愛物語になったら、感動ものだから。

首長竜が防波堤のシーンで静かに海に帰って行って、それから工場跡で再び登場したのが、少し意外に感じた。映画的には二転三転の展開で面白いかも知れないが、感情の面で考えると、すっきり来ない。

亡くなった少年の心への理解、追悼などの意味合いは、脚本家の興味にはなかったのだろうか?

主演の佐藤健は実に良い顔をしていた。動作などにも相当注意していたのだろう。ヒロインの綾瀬は、表情が読み辛くて、どうも自分には判りにくい女優。この役に合っていたのかどうか、よく解らない。

アシスタント役の染谷将太は素晴らしい個性だった。あんな人、いかにもいそうな気がする。医者の役をしていた人達も、話し方などがいかにも医者風。でも中谷美紀は、少々お色気過剰で出しゃばり過ぎだった。

主人公の二人は、もっと年齢が上と設定したほうが良かったのではと思った。脚本では20~25歳くらいの男女をイメージしていたかもしれないが無理があった。15年前の同級生の死を、その場にいた人が若いうちに忘れるはずはない。強いトラウマになってしまうはず。設定として無理があった。

40~50歳くらいが自然。子供がいない友達のような関係の夫婦。それが自然と言えば自然。もっと上の年代の、高齢者の夫婦の話でも良かったかも知れない。意識の中では年齢など自由なんで、現実では老夫婦の話だったでも良かったかも。

若者に劇場に来て欲しいから、若い男女を主人公にしたのかもしれないが、せめて設定としては、もうちょっと上の世代にすべきだったと私は思う。

同級生・・・小学校時代の同級生は、なかなか忘れない。私の場合は幸い小学校時代に死んだ同級生はいなかったが、もしいたら大変なインパクトを受けたに違いない。この間までいたヤツが死んでしまうとは・・・俺、何か悪いこと言わなかったか?と、気になったろう。

主人公が、直接少年の死に関係する必要はない。死んだ時に、「ああ、やっとイジメられなくなる。」と喜ぶ自分を怖く思う、それをテーマのひとつにしたほうが良い。それなら、忘れていても不思議ではない。小説では、もしかしてそうだったのでは?

テーマパークの建設も、ひとつのテーマになっていた。バブル時代には無茶な計画が次々と打ち出され、破綻や整理の対象となっている。シーガイヤのプールなんぞは、まさに巨大な古代生物のごとく横たわる廃墟だ。最初から無理な計画だった。

壮大なる失敗に終わった計画は、ナイーブな子供の心には大きな傷になる。親がそれに関わっていたら、余計そうだろう。それを重石にして育ってきた世代は、たぶん主人公のような雰囲気の青年になるに違いない。

 

 

2013年5月 2日

リンカーン(2012)

20cfox

- 高級な交渉ドラマ -

南北戦争の終結が近づいた頃、憲法修正案を巡ってリンカーンは劣勢だった。このままでは終戦後に奴隷制度が残ってしまう。彼は工作を図る・・・

・・・・エイブラハム・リンカーンは歴代大統領の中でも常にトップ級の人気を持つが、伝記に出てくる程度の知識しかなiい。丸太小屋で育ったこと、若い頃は血気盛んで論争では激しく相手を罵倒したらしいこと、演説での印象的なセリフ、そして暗殺。その程度。

映画で問題だった憲法修正案の意義もよく知らなかった。開放宣言と戦勝だけで奴隷問題は解決したかのような認識をしていた。映画のセリフで始めて知ったが、戦争が終わっても奴隷解放を州が受け入れなければ、その州は制度を変える義務がないとは!

連邦制度独特の不思議な現象。集権的な国の住人には解りにくい。憲法修正は、重大な意義を持ったものであることが解った。観ていた私も、法案を通すべきだと理解できたくらいだから、映画に説得力があったということ。

作品は高級感漂うドラマだった。しかし、少し盛り上がりには欠ける印象も受けた。法廷ドラマと同じ演説や交渉、密室内の会話だけでは、盛り上げようにも限界がある。戦場が主体でないからアクションも少ない。良い作品ではあったが、静かなドラマに留まったと感じた。若い頃からの彼を描かないと、偉大さの片鱗しか感じられないと思う。

古い名画の持つ‘味’のようなものも特に感じられなかったと思う。スピルバーグ作品はどれも完成度が高いが、心象的な部分に独特の感性の特徴があるようで、監督の失読症のせいか知らないが、味の違いを感じる。出来栄えに感心しても、感涙する映画が意外に少ない。

映画の冒頭、一般の兵士達が口々にリンカーンの演説を暗誦するシーンがあった。感動的ではあったが、皆が正確にスピーチを覚えているはずはない。リアルさの点では全くいただけない話。他の脚本、演出方法があったのでないか?

交渉が中心のドラマだから、子供には楽しくないはず。小学校高学年以降なら、教育上は良い内容かと思うが、少なくとも大半の子供は退屈しそう。恋人と観る作品としてどうか解らないが、高級な感じは受けるので良いかも。正直、この作品は後でゆっくりDVDで鑑賞するくらいで十分な気もした。スクリーンの迫力は必要ない。

ラストシーンを見逃してしまった。ちょうど患者さんが亡くなって呼ばれたからだ。観た範囲で印象を述べているにすぎないが、たぶん静かなラストを迎えたのでは?まさか、ラストで急にアクション映画に変わったはずはないと思う。

主演男優賞を取ったダニエル・ディー=ルイスの演技は、実に見事。メイク効果もあったと思うが、リンカーンもそうだったとしか思えないくらいサマになっていた。

リンカーンが斧をふるって吸血鬼と戦う映画もあるようだが、まだ拝見していない。実際のリンカーンも大男で斧の使い手だったそうだから、相当な腕力があったに違いない。写真の顔をみると、巨人症に見えなくもない。迫力があったろう。

トミー・リー・ジョーンズが演じた急進派の政治家は全く知らない人物だったが、彼とリンカーンとの交渉が面白い。節度を保ちながら、相容れないと思える相手を説得していく姿に敬意を覚えざるを得ない。

仲間が足を引っ張ることも多い。方針をめぐって意見が分かれ、組織が分裂するのは常。停戦交渉をするかしないかで、ホワイトハウス内部に亀裂が生じる話も興味深かった。我々に秘密にしていたのか!と怒って、そのまま仕事を投げ出す人物だっている。再び信頼を勝ち得ていくまでのリンカーンの言動は、感動を覚えるものだった。ただし、いかなる説得も通用しない相手はいるので、スタッフ側の人格が優れていた面はあると思う。

風貌も大事だったのかもしれない。若い頃はヒゲをはやしていなかったが、支持者の女性から勧められて威厳を出すために生やしたという伝記のくだりを覚えている。それに年齢と体格、声の力などが迫力を生んだに違いない。それを上手く再現していた。

説得と交渉の術が表現されていた。譲ってばかりいる私にはできない芸当。いっぽうで、いっさいの譲歩をしないで、子供を人質に家庭内脅迫をするどこかの奥様にもできない芸当。譲歩したり、頑として譲らず激しい口調で指示を出し対処していく・・・その手腕が素晴らしい。

長男が入隊するかどうかでリンカーンを悩ませていた。家族というのは、自分が足を引っ張っていることに気づかないものらしい。長男本人にとってみれば、自分が戦場に行かないのは不名誉なことだから、自分の誇りのために止めて欲しくない、それが最も重要なことに思えるだろう。だが、我々にとっては大統領の心痛を減らすことのほうが大事。長男がどう思われようと大したことではない。足を引っ張らないで欲しい。

うつ病だったと思える奥様だが、悪妻として有名ながら、この作品では結構活躍もしていた。ただ、自分の頭痛をネタに夫の足を引っ張る様子は描かれていて、実像に近いのかなと想像。我が家にも似たような御婦人を一名見かけるが、彼女らにとっては自分の悩みを解決しない夫は、役立たずの人でなしにすぎないのだろう。スキャンダルを自ら起こして、悲劇の主人公を味わいたがるほどの病状でなかったのは幸い。

私だろうと大統領だろうと変わりはないことに、安堵と諦めと誇りを感じざるを得ない。リンカーン、君はよく頑張った。私も君を見習い、君に続こう。

本当によく頑張ったものだと感心。意志が強く、粘り強い交渉力、説得力があったに違いない。でも彼が奴隷制度の廃止にこだわった理由は何だろうか?

おそらく理由のひとつは、制度に嫌悪感を抱く風土があったのだと思う。憲法の精神には独立、自由、権利の保障などの概念が強く、奴隷制度はそれに馴染まない。開拓者達は元々は家族単位で農園や商店を切り盛りしたのが基本の姿。おそらく、多数の国民が奴隷制度をこころよく思っていなかったと思う。

でも奥さんが奴隷を扱う家の出身だったくらいだから、リンカーンが若い頃から制度廃止を願っていたとは思えない。廃止を早くから訴えていたら、おそらく排斥されて議員になれないし、大統領候補になることもできなかったのでは?廃止を訴えるには、時期も大事。若い時期からテーマにするのはマズイ。

穿った観方になるが、政治的な必要性があって、政策として盛り込んでいったのだろうと思う。戦争する上での大義名分、欧州からの介入を避けるネタ、南部の支配層の力を削ぐための決定打、それらが元々の人権意識と合致した結果では?南部を攻撃するために、奴隷制度は良い材料になる。それを利用しない手はない。

もしそんな側面があったとしたら、でもそのために数十万人の命を失う大戦争をするとは、やはり理解を超えている。私の感覚では、戦争を避けて陰謀や交渉で南部の力を削ぎ、徐々に改善していくほうが、生命保護の面からは望ましいと感じる。おそらく穏健派はそう考えて、南部と交渉させたがっていたのでは?

でも政治では、対決を辞さない姿勢が要求されることもある。リンカーンが戦争を強いたとは言えないが、圧力をかけ包囲網を敷いて南部が戦争に訴えざるを得ない状況を作ったのは北部側だと思う。ヤンキーの伝統、常套手段だ。日本に対しても、同様の圧力で成果を挙げている。圧力をかけた結果、多数の人命を失った責任がないとは言えない。

南北対立は昔からあったそうなので、リンカーンの行動はやむをえないものだったのかも。対立の詳しい内容は知らないが、南部の富裕層が連邦議会を牛耳ると、北部の利益が損なわれる。農園は基盤が安定している。北部資本の進出が阻まれ、北部の発展に必要な施策に繰り返し反対されたら、戦闘に訴えても不思議ではない。経済的対立が、ついに戦争という結果となったとも思える。

奴隷制によって強固な基盤を持つ南部の富裕層は、おそらく議会対策もしっかりやったことだろう。たぶん、富裕層同士が連携して政治会派を作り、北部財閥資本の工作を撥ね退けていたのでは?頑固な会派との交渉の場合、徐々に改善を狙うのは現実的ではないので、戦争は最初から避けられないものとなり、リンカーンだけのせいではなくなる。

現在の民主党と共和党のイメージでは、共和党が小さな政府を目指し、富裕層の利益を代表する側。でも発足当時は、逆に北部が地盤で南部の富裕層が敵。互いが支持層を奪い合い、取り込みながら政策を修正した過程で、地盤も政策も交錯してしまったように見受けられる。石油や自動車産業の発展、労働運動によって覇権が変化し、その動きに政党の戦略が連動した結果のように見える。

発足当時の共和党議員たちが、奴隷制度など本当はどうでもいいが、戦争に勝利し南部の農場主を壊滅し、自分らの政治的基盤を磐石にするために行動していたら・・・政治家達のやることだから、ありえない話ではない。人命は気にせず、大義名分をこしらえて勝利することのみ考える。そうしないと敗北が待っているなら、そうせざるを得ない。

近年の大統領選挙でも、ティーパーティー、移民層や貧困層、各種の教会勢力、自動車産業、労働組合などなど、様々な勢力との利害調整がさかんに行われている。支持層を広げるために候補者の公約がコロコロ変わって、整合性が取れなくなる事例もある。

おそらく北部出身政治家の支持層からは、北部資本の発展に必要な法案を通せと要求されている。南部に好意的な態度を取ったら、直ぐに失脚させるぞと脅しをかけられる議員は多かったはず。リンカーンとて選挙に関しては例外ではない。民主政治では支持層をいかに取り込むかが重要で、勢力ごとの綱引き、利害調整によって方針が決まるのは仕方ない。

数十万人の命を懸けるからには、単なる人道主義だけの争いとは考えにくい。抜き差しならない対立があったはず。党利党略で戦争、奴隷解放宣言、憲法修正の流れになってしまったのなら、我々がリンカーンに持つイメージは、その戦略の結果になる。単に北部資本の勝利であり、宣伝文句、攻撃材料がたまたま奴隷解放だっただけ。

ただ、もともと政治の歴史とはそういうものであり、なしえた結果は偉業には違いなく、彼の功績が色あせるものでもない。本当によく頑張ったと思う。

 

 

2012年6月25日

リアル・スティール(2011)

Dreamworksco

- アイディアがいい -

ボクサーくずれで、今はロボットのボクシングを扱う主人公が金目当てで子を預かることになり、仕事に精を出そうとするが・・・

・・・面白い企画だった。人間のボクサーと子供が共に戦う物語はいくつかあったが、まさかロボットが戦うなんて。しかも、その名前が「アトム」とは!冒頭で現れたロボットも、体に漢字が書いてあり、明らかに日本のアニメやフィギュアの影響が感じられる。アイディアが素晴らしかった。

でもやはり、ちょっと子供だまし的な作品であった。恋人といっしょに観る作品としては、やや不向きな印象。「チャンプ」「ロッキー」といった感動路線とは違う。「レイジング・ブル」的なものとも違う。父が子供のヒーローとなるまでが、マンガチックに描かれていた。

スピルバーグ監督がタッチする映画には、何か子供っぽさが感じられることが多い。何かの障害を持っているらしいので、その関係かも知れない。この作品のスタッフも、似たような個性があるのかも知れない。

発想としては、大人向きの普通の作品を作っても、感動を狙い過ぎた失敗作になる危険性もあり、適度に子供に受けるような作り方をするのは、適切な判断だったのかもしれない。もう少し涙を誘う方向に工夫していたら、もっとヒットしていたかもしれない。

でも、この作品は大人でも充分に楽しめる内容。ロボットの動きは実に自然で、CGの技術も完全に近い域に達していると思える。重量を感じさせる迫力が、あえて軽めに設定されていたように感じたが、自然さは凄いレベルだった。

メイキング編には、アトムを探し出すまでのシーンが解説されていたが、周到な準備をして崖から落ちるシーンが作られていた様子が解った。大がかりすぎて呆れるほど。日本の映画なら、たぶんスタジオで小規模なセットを作ってオチャを濁すだろう。迫力が違うと思った。

この作品の流れなら、主人公は暴漢にやられて動きも難しい状態になり、とてもロボットの操作などできないはずなのに懸命にやる苦しい表情・・・などというシーンが続くはずだったが、意外に元気な姿で試合場に現れ、いくらなんでも非現実的だった(非リアルなリアル・スティールだった)。

子供を主な対象に作られた映画だから、あんまりエゲツナイ傷は見せられなかったのか?長期間入院してしまっては、ストーリーが成り立たなかったのか?

戦いのシーンを、もっといろいろ設定することも可能だったかも知れない。個性的な敵を次々登場させ、苦しい戦いの中で、父子が工夫し合い、協力し合うことで逆転勝利となる盛り上がりが期待できたが、いきなりチャンピオンと戦うのはもったいない感じがした。

主人公達がアイディアを出し合い、アトムが何かの武器、もしくは必殺技を編み出し、一躍スターダムにのし上がる・・・工夫と成功、これは観客に訴えかける要素である。この作品では、音声入力システムと視覚情報を真似るシステムがそれにあたっていたようだったが、派手な技はダメだったろうか?

どれくらい感動の路線を狙うか、やり過ぎるとクサイ話になるし、足りないと当然ながら観客は感動しない、演出のバランスが難しい。

主人公のキャラクターとしては、いかにもだらしなっそうな、スレてそうな、別の俳優のほうが良かったかもしれない。悪役かコメディアンでも良かった。ヘヤスタイルに乱れがなかったが、キャラとしてそれで良いのか?無精ひげぐらいはあったほうが良い。嘘っぽい印象を受けた。

 

2012年6月 7日

リミットレス(2011)

Relativity_media

- ビジネスマン考 -

どんずまりの男が主人公。彼は偶然手にした薬の効果によって能力を開放させ、大きな成功を収めるが、ロシアンマフィアや投資家が彼を利用しようと迫ってくる・・・

ベストセラー小説の映画化らしい。この種のストーリーは、どこかで観たような気がするので、ストーリーのオリジナリティで売ることはできないはず。おそらく、文章自体の魅力か、人物描写などの技術的な力で売れたのだろう。でも、映画も非常に面白かった。

特に、冒頭から繰り返される特殊な視覚効果、あれはカメラのズームを繰り返して合成して作ったのだろうか、異常な神経活動を表現するのに効果的だった。これは映画館で観たら、ひょっとして気分が悪くなったかもしれない。それくらいの迫力。

中心となる撮影は本当のズームであり、流行のCGではなかったような気がしたが、最終的にはCGで合成されていただろう。または全てCGだったのかも知れない。とにかく、しつこいほど繰り返されるズームだけで、主人公の異常な感覚を表現することに成功していた。まさか、スタッフに本当のヤク注がいたのか?

この作品は子供には向かない。ドラッグを礼賛しているかのような内容だし、殺人のシーンもえげつない。恋人といっしょに観る娯楽としては悪くないと思うが、恋の話は中心ではなかったようだ。スカッとする話とも言えないかもしれない。

「ハングオーバー」のブラッドリー・クーパーが主演だったが、企画の段階ではシャイヤ・ラブーフ主演として交渉されていたのだそうだ。ラブーフはSF映画で活躍していたし、困った状況から抜け出すのは得意な印象がある。確かにラブーフでも成り立ったかもしれない。

クーパー氏もイメージとしては合っていた。「ハングオーバー」シリーズのような、とんでもない状況から脱していた役柄を、ちょっと真面目にやればいいとも思える。光を当てて顔の色や目の色を際立たせるだけで、凄い能力の変化があったことを、日本人でも解るように演じ、また演出できていた。

ただし、大スターのように、我々に強制的とも言えるほど感情移入をさせる俳優ではない印象も受けた。端正な顔立ちのせいか、苦渋ににじんだといった表情が感じられなかった。例えばトム・クルーズなどは、厳しい状態に陥ったときの表情が緊迫感に満ちている。あの表情は大事だ。

ロバート・デ・ニーロが演じていたビジネスマンには存在感、現実感があった。でも、騙しあう企業家の雰囲気としては、デ・ニーロ本来の野性味、暴力的なイメージは合わない。デ・ニーロは、もしかすると既にその役割を果たした役者かも知れない。もっとエドワード・ロビンソン風の、憎々しげな俳優のほうが望ましいと思った。暴力を用いない残酷さ、冷酷さが必要。

この作品では、成功やビジネスマンに対する感覚がカギとなっていた。単なる超能力がテーマではなく、不正で不健康な手段を用いてもビジネスで成功したいと考える、あくなき成功欲が強い国ならではの作品と思った。

実際のビジネスマンは、どんな人種なのか知らないのだが、おそらく巨額のマネーを効果的に運用し、政治家などにも強い影響力を持つし、自ら政治家になることもあるし、映画の中と同じように、買収や合併によって収入を得て、力を維持しているのだろう。私のような一般人とは、それこそ人種が違うはず。

あちらでは政治家も、主人公と同じように何かの事業で成功し、政界に打って出て、さらなる高みを目指し・・・というストーリーに基づいて行動しているに違いない。その辺の野心家ぶりがリアルだったのかも。ビジネスマンと政治家の関係が日本とは随分違う。おのずと、彼らの能力や野心も違うのだろう。

イメージとして、ビジネスマンは一人で目立った行動を採るような愚は冒さないように思う。単独行動は危険である。互いの利益を合致する方向で調整し、利害が一致すればどのような悪行でも遂行する。ドナルド・トランプ氏のように目立つのは例外的。

本当のところは解らない、おそらくの話だが、本物のビジネスマンは、ビジネスのために国民を使った戦争も辞さないし、候補者を殺すことも業務の一環と考えているし、もちろん買収や企業解体による職員の悲劇なども気にはしないだろう。ただし、その際にドラマのように悪巧みをするのではなく、使える道具をクールに使うという感覚ではないかと思う。

都合の良い法律を作ることは当然。そのために寄付をする。必ず法が成立するわけではないが、繰り返し利益の種になる改正を狙う。違法となると、せっかくの努力が水の泡になるから当然だ。弊害が後で明らかになる法律だろうと、とりあえず合法的であることは重要。屁理屈に近い形で利益を確保していくのがビジネス。

権利や利益に対する概念や、力の保持の仕方などが、日本社会の社長や政治家達、役人達とは違うように思う。動く金額も動かす兵力も違えば、考え方のレベルが違って当然。日本の場合は狭い島国の中で頭角を現すことが目標、一方あちらは反映の存続が目標といった違いか?奴隷制を理想と考えているように感じる。 

ユダヤ系を始めとして、世界各地から金と権力を求めて集まった連中だ。戦略的に正しくないと、生き残るのは難しいだろう。

松下幸之助氏のことを考えた。経営の神様と讃えられた氏だが、大きな動きとして中国や東南アジアに生産拠点が移ってしまった今の状況で、はたして従業員の雇用を維持して、国内生産を続けることができたろうか?苦しい時期こそ社員を守る・・・その理想を貫くことができたろうか?

堤財閥の堤義明氏や、中内ダイエー社長、田中角栄氏のことも思い出す。凄い才能を持つ国産ビジネスマンのようなイメージがあり、私の若い頃のヒーローだったが、失脚のような形で舞台を退いた。実際に何かの組織的暗躍によって失脚させられたようにも感じたが、欧米流の本物のビジネスマンは、あのような危機でも乗り越えていくのだろう。

たぶん、本物のビジネスマンは国家の縛りに捕らわれないで思考している。アメリカが、もともとそういう場所だ。儲けの舞台に過ぎない。生産拠点を米国から中国に移して稼ぎ、中国の人件費が上がったら米国に戻し、両国で解雇される人間のことは法律で対処する。それがビジネス的には正しい道と考えている。

例えば、田中角栄が邪魔になったら、日本の官僚を使って処分させる。堤氏も邪魔なら同様だ。彼らに関しては日本の役人が独自に行動した可能性もあるにはあるが、米国ビジネスマンがらみの何かの経緯がなかったとは考えにくい。彼らを自由にすると、ビジネスの利益を阻害すると判断したら、なすべきことをなすだろう。日本の検察、司法組織は本当に便利な道具だから。

ロシアのプーチンたちと中国共産党の指導者達、イランあたりの首脳が、もしかしたら権力としては欧米ビジネスマンと対抗しうるに近い存在かもしれないが、経済的な規模を考えるとケタが違う。完全な形で思いのままにはならないというだけ。それに、タフな彼らはどこに対しても常に侵食を計っているだろう。

中国の高官一族も資産を蓄えつつあるようだが、やはりアメリカの富豪とは性格が異なる気がする。強欲ぶりは同じでも、法律やマスコミ、株、政治家や役人達の使い方が、高度に戦略的で、よりグローバルである点と、その歴史が違う。

彼らに比べれば、日本の政治家や役人、社長達はサル程度の存在でしかない。もちろん非常に強く勇敢なサルだとしても、また人格もさておき、意味合いとしてはそうだ。サル山のボスとなることには執心するが、戦略的な意味において山ザルには違いない。

私は、そのまた下のノミくらいか?まあ、ノミにはノミなりの生き方もあるので、あんまり気にしてもしょうがないが。

 

2011年11月26日

リボルバー(2005)

- オタク路線にはまった -

刑務所から出所した主人公は、自分を刑務所送りにしたギャング団のボスに復讐を図る。務所にいた間に、主人公は不思議な能力を身に着けていた。チェスの腕と、サギの能力。それらを武器に、主人公が仕掛ける大胆な賭けは・・・

・・・実に凝った作品。ワケが解らない部分もあった。駄作でなんかないのは間違いないのだが、オタクが陥りやすい失敗により、明快さを失っていたような気がする。

主人公を助け、その後は操る人物達は、やや迫力が足りないような印象を受けた。デブの白人のほうは腕力がありそうだったが、本来なら銃をぶっ放すタイプの役柄ではないはず。ややキャラクターとして完成度が足りない印象。銃を放つシーンでは、だれか子分に救出させれば良かったのでは?

もうひとりの黒人のほうは、見た目の迫力に欠けていた。黒人である必要もなかったように思う。小柄で華奢な体つきでもいいから、眼光鋭く、敵をひるませる迫力だけは欲しかった。老人でもよかったのでは?

このふたりのキャラクターには完成度と、魅力が必要になる。悪者としても、観客は何らかの魅力を感じないといけない。とことんクールで、非人間的なほど冷静沈着、もしくはただただ残虐で、感情のかけらさえないなど、徹底することで魅力を出すしかないと思う。自ら銃撃戦に出向いて戦ったら、相手がプロの殺し屋なんだから、殺される可能性がある。そんなことをするのは、冷静な人間がすることではない。

女性があんまり登場していなかった点も気になった。主人公に絡む女性が絶対に必要。悪女でもいいし、犠牲になって死ぬ本当のヒロインでも良い。色気の部分を担当する女優が足りなかった。主人公に、なんらかの色気による迷いを生じさせないと、話がドライすぎる。

筋書きの複雑さや、どんでん返し、映像的な見せ場にこだわり過ぎて、全体としてのエンターテインメント的観点、バランスに問題を生じてしまったのではないか?

主人公は、他の映画では激しい殴り合いを演じているのだが、この作品ではそれを封印し、ギャンブルや騙しの才能で戦っている。キャスティングとしては、肉体派でない役者を主人公にしてもよかったのではという疑問もある。

半分狂ったような病的な思考に陥るので、楽しい映画ではなくなっている。もっと楽しい、子供でも解るようなワクワクする騙しあいのスリルを描いた映画ではいけなかったのだろうか?緊張感を持たせたギャンブル関係の映画だと、昔ならハスラーやシンシナティ・キッドを思いだす。今とは違って単純な設定で、演技や演出の力でスリルを維持しようと工夫がなされていた。それではいけないのだろうか?

作品の印象を上げるためには、観客が主人公に同情するか、カッコよさ、徹底ぶりに感心する必要がある。弱くても懸命に戦えば構わないし、とことん狡猾でクールでも良い。でも、この主人公は共感、憧れの対象としては解りにくい。

陰惨なシーンも多いので、子供向きの作品ではない。恋人と観ても、とにかく女がほとんど出てこないような妙な作品なんで、あまり勧められたもんじゃない。オタク的な映画が好きな人なら喜ぶかもという限定された作品。

 

 

2010年5月16日

理想の彼氏(2009)

- 品の良い物語 -

40歳の子持ち女と25歳の若者の恋物語。 子持ち女は離婚してニューヨークにやってきた。コーヒー店の店員の若者と知り合い、ベビーシッターを依頼する・・・

主演のキャサリン・ゼタ=ジョーンズも齢を取ってきたが、相変わらず美しい。今回は冒頭で元夫への怒りをぶちまけるシーンはさすがにギャグが過ぎていたような気はする。後半は演出のせいか、現実的なシングルマザーの役割を演じていた。控えめな演技が良かった。

ジャスティン・バーサという俳優が相手役だったが、好感を持った、これも控えめな演技で現実味を維持するようにしていたようだ。

映画全体も、いわゆるツカミのためか、最初はギャグの配分が多めであったが、後半はシリアス~ハートウォーミング的な展開に変化していたので、登場人物達もそれに合わせていたらしい。演出の方針がはっきりしていたために、違和感を感じる場面が少なかった。 

子供が成長して、役者が替わっていたが、これも自然だった。良く似た子役を探してきたんだろう。若者の父親役は、どこかで見た顔と思ったら、どうやらアート・ガーファンクルか?いい味を出していた。

この種の映画では印象的な脇役が必要だと思う。強力なライバル、もしくは変人の友人。

友人役はそこそこ変人だったが、見ただけで笑わせるほどではなかった。恋の邪魔をするくらいの役割が望ましいと普通は思うのだが・・・

ライバルはいなかったようだ。言い寄る金持ちが出現して、主人公の心が揺れるというのが、メロドラマの場合の常だと思うが、それも省略されていた。そんな関係で、割と大人しい話に終始し、控えめな印象を受けるのかも知れない。

後半の雰囲気が良かった。そのため、映画を見終わった後の印象もいい。特にレストランで主人公達が再開する場面、そして良い事を連想させるだけで終わるラストのさりげなさも良かった。人によっては、尻切れトンボ、解説不足ととられかねないが、ハートウォーミング路線を狙うなら悪くはないと思う。

この作品は、確か熊本では公開されていなかったように記憶する。DVDで宣伝を見ていたので知ってはいたが、ビデオ屋さんでも扱いが低い。軽めの作品の中では佳作だと思う。たぶん、30-50代の女性には受けるのではないか?

家族で観る映画ではないと思う。子供が出演してはいるが、大人限定が無難だ。恋人といっしょなら、この作品はオススメ。

2010年4月20日

理由(1995) 

- コネリー映画に外れなし -

死刑反対の立場をとる大学教授が主人公。ある日彼に死刑囚の家族から依頼が来る。死刑囚は無実の罪で処刑されるという。捜査を始めた教授は、驚くべき事実に直面する・・・

ショーン・コネリーの映画にハズレはなかろうと思って鑑賞。当たりだったと思う。と言っても、コネリーより脇役が良かった。

ケイト・キャプショーが懐かしい。彼女はインディー・ジョーンズやブラックレインの相手役だった。結構目がきついので、冒険野郎の相手役、強気の女の役には最適だが、この役にはどうだったか?

娘役はスカーレット・ヨハンソンであった。この頃から役者魂がはっきりしていたようだ。単なる子役に止まらない、かなり迫真の演技と可愛さ。

エド・ハリスが体を縮めながら凶悪犯人を演じていた。彼は極端にマッチョな役柄か、極めて異常な精神病の人間のいずれかを演じることが多い。今回の役柄は最もけったいな役だったが、迫力抜群だった。最高の個性。

ローレンス・フィッシュバーンも、今回は悪役としての迫力が素晴らしかった。ギャングか警官のどちらかしか似合わない個性のようだ。

死刑囚の黒人の若者は、ちょっと怖さに欠けていたような気がする。スマートなビジネスマンタイプの長身の役者か、もしくは小柄で目がギョロッとした役者のほうが良くなかったろうか?普段は温和そうに見えるが、怒らせると怖いという雰囲気が上手く出ていなかったような気がした。

誤解を招きかねないが、オバマ大統領なら、この役は簡単に演じることができそうだ。迫力、自信、説得力、粘り強さ、迫害された過去、強い意志と実行力など、この役にふさわしい雰囲気を持ってる。悪い意味ではない。ただし、このような印象は、白人達には感情的な反発を呼びそうだ。次の選挙はどうなるだろうか?

舞台も最高。保守的な街の人々。警察の捜査も違法スレスレが横行。ワニがうごめく川辺。今にも咬まれそうで不気味。

ストーリーもまとまっていて、適度なひねり、適度に意外、適度に真実味があるなど、よく考えた話で自然な感じがした。大傑作ではないが、適度に高品質な感じ。

もし傑作にするなら、時間の配分を調整して、犯人との追跡劇を長めにすると良かったかもしれない。知能犯との駆け引きで、互いに傷つき、消耗し合って、どちらが勝つか解らなくなるように作るべきだったと思う。

最後の戦いにおいて、激しい憎悪だけではなく、感動や同情につながる要素があれば、もっと高級な作品になったかもしれない。もう一ひねりの展開があっても良かったかも知れない。

してやられた教授が自分のミスを後悔する表情が、観客の同情につながるはずだが、この作品では意外に冷静だった。

残念ながら家族で観るのはオススメではない。異常者の映像は子供には好ましいとは思えない。恋人といっしょに観るのは悪くないかもしれないが、ちょっと後味がよろしくないかも知れない。同姓の友人達と見るのは問題ないと思う。

何と分類したら良い作品だろうか?サイコスリラー?法廷サスペンス?タイトルが失敗しているような気がする。

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