映画評

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カテゴリー「ら」の30件の記事

2017年3月30日

ラ・ラ・ランド(2016)

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- Summit GAGA etc -

スターを目指す女優のたまご、ジャズバーを計画しているピアノマン。彼らは恋に落ち、互いの成功を夢見て励まし合うが・・・

劇場で鑑賞。日曜日の午後の上映。満員だった。見渡せばカップルが多く、独りで観に来ていた劇場主は明らかに場違い。実はちゃんと我が奥様を誘ったのだが、ミュージカルなんぞ観るより寝たかったようで、断られてしまったのである。フンッ。所詮、情緒の分からぬ女には無理な作品なのさ・・・

アカデミー賞を取り損なった作品。滅多にないことだろうが、賞を取ったと思ったスタッフが、後で違うと知ったというおまけまでついていた。でも、他の賞をたくさん取っているから、価値が低い作品とは誰も思わないだろう。デミアン・チャゼル監督が学生時代から企画していたという。

懐かしい感覚を生かしたミュージカル。と言っても、今でもブロードウェイでは、さかんにミュージカルが上演されているはずだ。ただし映画作品は、確かに少なくなってきた印象はある。ヒップホップ系の激しいダンスをウリにした作品は多くても、かってのスタイルのミュージカルは最近なかった。その点で、新鮮でもあり、懐かしさを感じられる作品だった。

この種の映画では夢を味わいたい。夢のために観客は金を払う。この作品には夢を感じられるシーンがたくさんあった。ミュージカルで急に歌が始まるのは、そこから現実を離れ、夢のシーンに移るという約束である。そのルールにひたることに抵抗がなければ、この種の作品で夢を感じることができる。そのルールの下で、この作品は特に価値が高い。そもそも主役二人の夢が大きなテーマだったのだから。

この作品は、子供には受けないかも知れない。もしかすると女の子には受けるかも知れないが、ダンスが今風ではないので、それだけでシラケる子もいるだろう。ダンスだけでうっとりできるほど演出が良かったかどうかも、少し疑問に思う。公園のベンチ近くやプラネタリウムで踊るシーンは見せ場だったが、本職のダンサーがやるほどの美しさは感じなかった。

ラブストーリーとしては完成度が高いと思った。「シェルブールの雨傘」に近い流れで、現実に近い話になっていたから、夢物語に終わる古い年代のミュージカルとは、レベル的に違う。サプライズ・ディナーから口論になるシーンは、劇場主にも似たような経験がある。せっかく気を使ったセッティングが台無しになることは結構多い。良い反応を期待して、かえって反感を買うのである。そしてオーディションに失敗する場面など、他にも切実なドラマが各所に見られた。

主役のキャスティングに関して不満を感じた。二人とも演技は上手く、役柄から完全に外れたとは感じなかったが、どちらかは本物のダンサーが欲しいと思う。ミュージカルは派手さが魅力だから、見た目ではっきり分かるダンスの巧さは必要。少なくとも主役の片方は舞台から引っ張ってきたほうが良かったろう。

ライアン・ゴズリングは、劇場主の感覚ではミュージカルスターの雰囲気には遠い。ザック・エフロン君なみのダンサーは、きっとハリウッドには大勢いると思う。ドラマ部門のほうは、演出でなんとかなるから、ダンスやスタイル重視で選んだほうが良くなかったろうか?この作品は大声で歌うミュージカルではなかったので、ささやき声が美しい歌手を選らんでも良かったかも。

ヒロインのエマ・ストーンの過去の出演作から考えると、嘘が上手な悪女を演じた時が一番魅力的だったように思える。今回のヒロインは、性格的には全然違うタイプ。劇場主の感覚では、この作品のヒロイン役は悲劇女優のイメージが合う人のほうが望ましいように思う。カトリーヌ・ドヌーブ風の美貌で可憐なイメージの女優が演じたら、観客の涙が期待できる。

劇場で鑑賞して、損をしたなどとは感じなかった。チケット代だけの価値はある。でも、家内や子供を連れてこなくて結果的には良かったと思った。

 

 

2017年3月 9日

ライオット・クラブ(2014)

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- 嫌悪感 -

エリート大学の中で独特の伝統を誇るライオットクラブ。新メンバーを入れて、今日も過激な遊びに熱中しようとするが、事件が起こる・・・・

・・・DVDで鑑賞。非常に面白い作品とは感じなかったが、日本とは社会構造が違うイギリスの問題を、かなりの誇張はあるとしても、赤裸々に描いていたのではなかろうかと感じた。世界的に見て興味深いテーマを扱った作品かどうかは分からない。日本においては、少し違ったエリートの問題があるから、それなりの意義があるのかも。

物語の大きなストーリーとして、グループが何かの事件を起こして試練が訪れるという流れは良かったと思う。事件に対して、彼らが個々にどんな悪辣な態度で対応をとるか、そこは充分に描かれていた。できれば、もう少し色づけのようなエピソードがあったほうが良い。くだらないゲームのシーンは省略して、メンバーの個性が分かるように工夫すべきだろう。

主役に相当する比較的ノーマルな青年については、ラブシーンだって省略して良かったかも知れない。教授達を始めとする周囲の人間の対応の問題点や、下層階級の人間の卑屈な態度が象徴されるようなエピソードが様々あったほうが良い。対立に満ちていないといけない。下層階級の感情表現が少なかったのでは?

彼らが事件を起こす理由が、少しだけ理解できた。貴族階級の今後に不安を感じ、戦って生き残ろうとする闘争心が、乱暴な態度に表れてしまったように描かれたと感じる。基本に恐怖がある場合、人は過激すぎる行動に出てしまいやすい。もともと政治的問題にくどかった新入生役が、大事な役柄だった。

メンバーの俳優達の演技が上手かったのかは分からない。レストランの娘役は「ダウントン・アビー」に出演していた女優で、彼女と父親の店主役は良い味を出していたと思う。OBでえげつない個性の俳優は「パイレーツ・オブ・カリビアン」の提督役だったようだが、これも素晴らしい個性。

およそ日本人向けのテーマではない。貴族階級がほぼ崩壊している日本の場合は、大企業の創業家、珍しい成功を収めた企業一家が最も権威ある一族になる。あるいは代々政治家の一族だろうか?貴族社会ほど固定していない点で、健全と言えるかどうか分からないが、機会均等には近い状態とは思う。

日本の部活動も、いまだに酷いところは酷いらしい。サディスティックだったり、権威主義的なことが好きな連中はいつの時代にもいるものだ。部活動に限らず、何かの団体行動に際しては、時代感覚が遅れた人物、過激な人物のほうがリードしやすい。秩序に必要な権威と自分のわがままが判別できない連中が、皆を妙な方向に誘導するのだ。

とにかく、この作品のテーマなんだろうが、登場するエリート達の人格面は、酷いものだった。他者への敬意に欠けていて、身分中心にものを考える思考パターンが明らかで、観客が嫌悪感を覚えるように描かれていた。ただし、日本でも特権を持った人達は、ともすれば排他的、独善的になるもので、イギリスだけじゃないだろう。典型的な例は、2月に国会でも問題になった文部科学省の天下りだ。

熊大にも圧力が来ていたかも知れない。急に予算が通って新しい建物が建った時期、事務関係者を受け入れていたと、あくまで噂だが、聞いたことがある。大学の再編は、官僚達にとってみれば良いチャンスで、権益を確保する方向で、仲間うちでの話ができていたように思う。本来の仕事をして欲しい。そして退職しても、国家の利益を優先して欲しい。そんな人物だけを採用して欲しい。明らかにエネルギーが他の事に向かっている。

しかし、嫌悪感は相対的に生じるものだろう。劇場主は呑気にブログを書く余裕があるが、夫婦が共働きで一日中働いても、時間や金に追いまくられる家庭だって多いと思う。そんな家庭の人は、劇場主に嫌悪感を感じると思う。呑気さが嫌になるはず。あるいは真摯にボランティア活動にいそしんでいる人が、映画三昧で日々を過ごすアホンダレ劇場主を嫌悪しても、それは当然だ。

嫌悪感をテーマにした作品と言えるわけだが、それでヒットは狙いにくいのではないか?できれば、と言うか過去の売れ筋の考え方ではだが、何か青春時代特有の魅力を感じさせる話が欲しい。それをあえて排除する意味もあるとは思うが、そうなら他の描き方もあったのではと、ちょっと思った。

 

 

2016年6月25日

ラブ・ストーリーズ コナ-の涙 /エリナーの愛情(2013)

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- 関係修復のコツ -

夫婦二人が別れた後の出来事、別れていく過程を、それぞれの立場で描いた二部作。

独特の作り方が面白かった。ひとつの作品の中で、視点を変えて人物を描く作品はあったように思うが、完全に二つの作品に別れたものは記憶にない。サスペンス映画で、実は・・・という風に真相を描くなら解るが、視点を変えて同じ話を描くという発想に感心した。

この作品に、結論や教訓めいたものはないと思う。夫婦は大変深く愛し合い、互いを思いやっていたと思うが、それでも何かのきっかけで一緒に暮らせないと感じる場合があるのだいうことを、現実的なこととして上手く描いていたように思う。

ジェームズ・マカヴォイが夫役を演じていた。彼を最初に見たのは「ウォンティッド」だったと思う。その当時は、アクションに向かない端役タイプの役者のような印象を受けたのだが、演劇のしっかりした基礎がある俳優のようだ。この種の映画のほうが、彼の本領を発揮する舞台らしい。

妻役のジェシカ・チャスティンは、「ゼロ・ダーク・サーティー」で初めて知った女優で、こちらはそのイメージのせいか、恋愛映画には全く向かない個性のように思っていた。この作品は恋愛が成立する過程は、回想の形で出てくるのだが、彼女の個性のせいか、あらかじめ別れると知っているせいか、絶対に成就しないような雰囲気が漂ってくる。その意味では好配役だったのかも知れない。

別れが似合う俳優を、別れ話にキャスティングする・・・それは、この作品に限って基本的なことだったのかも。恋愛映画には美男美女が向くとは限らない。

夫婦の親を演じたウイリアム・ハートとキーラン・ハインズが良い味を出していた。見終わった後に気づいたのだが、彼らも傷ついたことが大事な要素なんで、悲しみながらも子供を思いやる姿勢が、この作品の重みになっていた。

エリナー・リグビーという名前は偶然のはずがなく、必ず意味がある。救いようにない孤独な人間のイメージを連想させるために、あえて選ばれたような気がする。ビートルズの曲そのものは流れなかったようだが、曲のイメージを利用し、解決策がない雰囲気を出すためには最高の名前。

離婚は、家族を不幸にする。親たちも、自分らに何か問題があったのではと考えてしまう傾向がある。子供に何をすべきか、どう言葉をかけて良いか、迷うものだろう。

この夫婦の場合は、子供の死が別れの大きな要因だったようだ。子供の死は最悪の出来事であり、誰でも乗り越えることは難しい。実際にそれで離婚に向かう夫婦は少なくないと思う。死は、良好な人間関係をも破壊してしまう力がある。

子供に何かしてやれたのではないかという後悔の念がある時は、特にそうだ。もっ早く気づいて病院に行けば・・・事故の危険性を予測して行かせなければ・・・後悔し出したら止まるはずがないし、ついつい相手を非難したり、八つ当たりを始めたりするのが自然と思う。

この夫婦のすれ違いも、八つ当たりといえばそう言えるかも知れない。何かを責めないと気がすまないような感覚は、ついつい相手を排除しようとする態度になってしまう。子供を愛する故に、相手を許さない・・・・その態度は、相手からすれば理不尽なものに写るだろう。

子供の死ほど大きな問題でなくとも、事故や怪我、災害や事業のトラブルなど、何かの問題で心理的ストレスがかかった時は、親しい人でも何か感覚的に相容れないものが生じやすい。イライラの現れだったり、ちょっと形を変えた甘えだったりすると思うのだが・・・・

夫婦の気持ちが、ずっと良好な状態で維持できれば良いが、そんなことはそう多くはないと思う。男女に限らず、人間の感情を完全に理解し合うなど、そもそも難しいことのはず。

傷ついた関係が修復するためには、本当は時間がかかるものだ。多くの男女は考える間もなく子供の世話や仕事に没頭せざるをえなくて、気がつけば次の子供が生まれたりして、なし崩しで日々の問題に気が行ってしまい、それが結果的に修復になっていくものと思う。

そんな修復は、本来の修復とは違うかも知れない。修復というより、脳内の伝達物質の流れを変える状況に放り込むダマシと言ったほうが正しい。しかし、深く考え相談し続ける修復は実に辛い。癒やしは簡単ではない。考える暇を与えず、曖昧にして、義務感や職務など、他の要因で動かざるを得ないように仕向ける。それが、コツだろう。まともに修復を目指したら失敗する可能性が高いし、少なくともこの夫婦のように長い時間の紆余曲折があるだろう。

夫婦は、劇場主のカウンセリングを受ければ良かったのだ! 

 

 

2016年5月26日

ラストマン・スタンディング(1996)

Newline

- タイトルは秀逸 -

荒野の町にやってきたガンマン。その町では二つのギャング団が、酒の密輸をめぐって対立し、住民が逃げ去ろうとしていた・・・・

・・・・4月24日、衛星放送で鑑賞。「用心棒」をリメイクしている。時代設定が禁酒法時代の米国~メキシコ国境というのは、最高だったかも知れない。砂漠の砂埃や、ガンマン達の戦いは西部劇の伝統に則っていて、日本の小さな宿場町を舞台にした本家よりも、殺し合いの舞台の雰囲気は出たと思う。

西部劇とちょっと違うのは、移動が馬ではなくクラシックカーになっていた点。カーチェイスができるような車ではなく、車高が高く、窓ガラスも簡単に割れるような車種で、移動しながらの銃撃戦の楽しみは期待していなかったようだ。動的な迫力は、銃撃戦だけ。殺陣の凄みがあった本家とは、その点でかなり違う。

この作品には結構残虐なシーンも多い。血もドバドバと出てくるし、女にも酷い傷を負わせたり、惨いリンチシーンもある。

主演のブルース・ウィリスは、当時のアクションスターの代表格の一人。芝居が非常に臭いと思うのだが、徹底して役を演じきっているので、悪い印象は受けない。中途半端にクールを装うと嫌悪感を持たれることが多いから、徹底したキャラクター作りは正解だった。

本家の映画には、ほんのちょっとした笑いの要素があった。酒場から盗み見すると、役人がワイロをこっそりもらっている、あるいは岡っ引きの顔なども、完全に道化師のようだった。でも、この作品には笑いがない。とことんクールな殺し合い路線のほうが良いと思ったからだろうか?味気ないような気もするが・・・

リメイクするからには、何か新たな解釈、あるいはオリジナリティを感じさせる魅力がないといけない。主役が有名俳優であることは大事だし、殺陣では絶対に敵わないから、銃撃戦に魅力を出すことが望ましい。加えて・・・何が必要だったのだろうか?

ヒロイン役は沢田亜矢子にそっくりだったが、「ザ・ファーム」でトム・クルーズを誘惑した女の役をやっていたセクシー女優さん。そう言えば、沢田亜矢子は最近何をされているのだろうか?離婚劇が凄かった。

あの離婚劇と比べたら、今回の銃撃戦も形無しだとさえ思える。ラストマンさえ残らないくらいの破壊力だった・・・

 

2015年2月24日

ラストミッション(2014)

Europa

- 設定に難あり -

ベテランのCIA要員である主人公が、余命いくばくと判明。治験薬と引き換えに、最後の暗殺命令が下る。主人公はイヤイヤながらも指令に従うが・・・

・・・DVDで鑑賞。いくつかのプロットがあって、興味を持ってみることができた。①主人公が病気で死ぬのかどうか、②家族と和解できるかどうか、③敵との戦いで死ぬのか、④違法な住人達との関係がどうなるか、⑤イタリア系、東欧系?などの敵の手下との関係がどうなるか、などなど。

描き方としてはユーモアたっぷりのボケのシーンと、凄惨な殺人、派手なアクションシーン、家族ドラマなどが入り混じって、それらが上手く整理されて場面が展開していくので、上手い作り方だと感心。アイディアは非常に良かった。ただし、味わいのような余韻があまり感じられなかったのも確か。何かが欠けていたか、もしくは余計だったか?

敵の中で心を通わす人物は、基本は一人で充分だろう。その人物とも結局は戦わないといけない・・・そんな流れは深刻だから余韻につながる。または、家族の誰かが犠牲になるか人質になって危機が迫る・・・それも深刻さが違うので、味わいにつながる。そこらの設定に難があったのかも。

主人公のケヴィン・コスナーは随分齢をとった。ひと頃より体を絞っているようには思ったが、アクション映画にはもう無理がある。走って敵を追いかけるのは難しい。この役は、ギリギリでトム・クルーズくらいの年代が最適だったかもしれない。表情は悪くなかったが、基本的に役柄から考えても、良いキャスティングだったかどうか。

周囲の人間はオトボケでも良いが、主人公はニヒルに徹するのも良いパターン。「ニキータ」などでジャン・レノが魅力的だったのは、とことんニヒルで仕事に徹していたから。中途半端に仕事をやっていては、魅力が損なわれる。もし適当な仕事ぶりなら、もっと完全にイカレた適当ぶりのほうがいっそ良かったと思う。

例えば、料理のレシピを聞いた後、無慈悲にもあっさり殺してしまう酷い人間はどうか?次々と質問しては殺すなら、それに徹した場合はブラックな魅力が出るかも知れないけど。

敵の側には、もう少し好敵手が欲しかった。用心棒役に残虐そうなコワモテ俳優、敵はもっと年配で良いから非常にシブイ俳優、そして手引き役のコメディ俳優、そんな役割分担が理想。少しずつずれていた。

お色気担当のアンバー・ハードは素晴らしい存在。イジワルそうな表情が役柄に最適。峰不二子的なキャラクターとして、現在最高のタレントだと思う。今後、他の方面の演技に展開できたら、大スターになれると思う。

カーアクションは素晴らしかった。「タクシー」などのシリーズ物で、充分に技術が磨かれているのだろう。パリのような大都市で、あんな撮影をやれるのは凄いこと。それに観光名所もいろいろ出ていた。意識して色々な名所を舞台にしていたのだろう。

有能なスパイが、不治の病に冒され、敵や仲間達と戦う話は様々あったと思う。この作品はユーモアの比重が大きい点で異色。設定として、よく考えてあったと思う反面、韓国系のドラマに似たような、やや御都合主義的な臭いも感じられ、重厚さや悲惨さを損なってしまったのではと想像。

 

2015年1月25日

ラン・ローラ・ラン(1998)

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- 純愛映画だったんだ -

ドジって組織の金を失ってしまった男を救うため、恋人のローラが街を走り、金を手に入れようとするストーリー。なぜか物語は三種類ある・・・

・・・ローラ嬢は走りが得意そうな体型ではなく、がっしりして格闘技にも適応できそうな印象。彼女が走るシーンが自然に写るためには、かなり痩せていないとおかしい。だからヒロインは交代すべきでは?という心配は私だけだったのだろうか、無事に走りきることに成功していた。

ヒロインを応援したい気持ちになった。それだけで、この作品は大成功だったのだろう。公開当時も話題になった。忙しい時期でとうとう観れなかったが、やっとDVDの存在に気づいて鑑賞。もう古い映画になってしまっていた。

彼女が長々と走り続けるシーンは効果的。躍動感が出ている。バイクを盗まれたから走らざるを得ないわけで、そもそも盗まれたから恋人との待ち合わせに遅れたことと、ちゃんと辻褄が合っていた。走っている彼女を見ていると、自分も移動しているかのような気分になる。ちゃんとリズムが出るようにカメラも移動し、よく考えて調子が悪くならないように、躍動感が損なわれないように撮影されていた。

手をぬいたような変なアニメが突然始まった。懐かしいポップアート調で、急に挿入されたことについていけない観客もいたのではと気になるほどだったが、筆者には面白く感じられた。元々重厚な映画ではないから、無茶な演出があっても普通のことと思えたからかも。「ゴッドファーザー」のような映画では使えない手法。

3種類の物語が繰り返される点も面白かった。時間軸を移動するようなSFの意味ではなく、ただ話を面白く感じるためだけの設定だと思うのだが、それが許されること自体が面白い。「どの話が本当なんだよ、どれが空想なんだよ。」と文句を言いたくなるような無粋な観客はほっておいて、いろんな話があったら面白いという発想のまま映画にしちゃう、その感覚がいい。好みは分かれるだろうけど。

ヒロインの走りの躍動感、あまりにも自由な作風、それぞれの話のまとまり、最終的な結末への期待感など、うまく噛み合って最後まで興味を失わずに鑑賞することができたように思う。自由な作り方も良いもんだ。

自由は良いもんだ。仮に映画が国家によって管理され、脚本にも役人の厳しい注文がつくようになったら、こんなアホみたいな作品は許されないだろう。犯罪者を英雄視している危険な企画として、最初から撮影許可が下りないかも。旧共産圏では、ちょっと考えにくい発想の作品だった。

そう言えば、2014年の年末に、キューバと米国の国交が再開しそうだという報道があった。時代は変るもんだ。キューバを支援する国は少なくないと思うのだが、ロシアから石油製品が入手できても、代金となる輸出はサトウキビやカクテルくらいしかないのでは?収支の面を考えると、いつまでもロシア中心は考えにくい。やはり米国と近いのだから、観光を始めとして多くの業種での交流が望ましい。

ただし、キューバの今後は3種類以上にわたる、多くのパターンが予想される。①新しい楽園が世界中の観光客を呼んで、豊かな国が形成される可能性もあるし、②かってのように犯罪者がうごめく歓楽街が出来上がるかもしれないし、③亡命したキューバ系米国人達による復讐、急な経済的変動による暴動など、悪い変化も起こりうると思う。豊かさと引き換えに、怖ろしい時代がやってくるかも。

ゲバラ氏が地面の底で泣くような事態にはならないで欲しい。

この作品は、家族で楽しむタイプではないと思う。子供には基本として向かない。でも恋人と観る映画としては、いまだに最高かも知れない。恋に関しては非常に真摯で、互いを裏切ろうとかいう発想すら全くない純愛映画でもあったから。

 

 

 

2014年11月 9日

ラッシュ/プライドと友情(2013)

Universal

- 古いタイプ -

ニキ・ラウダとジェームズ・ハントがF1の年間チャンピオンの座を争った時期を中心にライバル関係を描く作品。DVDで鑑賞。

よく出来た作品。当時の映像もかなり挿入されていたようだが、再現したと思える映像にも細部までのこだわりを感じた。メジャー路線ではなくても、良い作品を作りたいという意志を感じる。その意味では職人的な古いタイプの映画。子供だましでも売れれば良いというスタイルではない。

題材を上手く脚本化したと思う。ニキ・ラウダは有名だが、彼とライバルの関係に焦点を当てるのは脚本の勝利。アイディアの素晴らしさが活きている。CGなどを売りにした作品ではない。

したがって、この作品はたぶん子供には全く向かない。マセガキには最高の大人びた映画になりうると思うんだが、小さい子には向かない。恋人と観るのも良いか悪いかよく分からないタイプの作品。完成度の高い映画とは思うが、観客を選ぶタイプでもある。

主演のダニエル・ブリュールという俳優は記憶になかったのだが、過去の出演作を調べたら、結構見たことはあったはず。独特の個性がある、悪役向きの役者の印象。今回の役柄には仕事やプライドに固執する部分で最高の味が出ていた。キャスティングは大成功だった。

クリス・ヘムズワースのキャスティングも大成功だったと思う。役としては、こちらのほうが難しい。モテそうな圧倒的な雰囲気がもともとないとおかしいし、タフな部分や、緊張で吐いてしまう弱さも表現できないといけないし、少しでも臭い芝居をしたら映画全体が大きくダサい方向に陥ってしまう役だったはず。よく演じていたと思う。

構成も考えてあった。重要な転機となるドイツの試合の前から話が始まるので、ここで問題が発生すると誰にでも分かるようになっている。古典的な手法に忠実に作っているのだろう。ただし、それは人によっては古臭いという感覚につながるのかも。

ニキ・ラウダを知ったのは事故の後。やけどの跡が目立つドライバーの映像を観て気になって始めて知った次第。でも、私達の時代のチャンピオンはアラン・プロスト。やや遅れてアイルトン・セナ。ラウダは過去のスターであった。自分が車に乗れない時代は、F1への興味も持ちようがない。その後、シューマッハが強い時代は、今度は強すぎて興味が失せるという妙な現象もあった。

自分で金を工面して売り込むという話は本当だろうか?まるで独立プロダクションを作るハリウッドスターのようだ。映画ではあまり出てこなかったが、きっとエージェントとなる弁護士達を複数有する有力ドライバーもいるのではないか?エンジンメーカー、車体の工作者達、ドライバーや宣伝担当者、税務や収支関係の専門家など、多数の人間が互いに売り込む世界なんだろう。

F1に限らず、プロのドライバーがまともな感性を持っているとは思えない。仮にチャンピオンになれても通常の尊敬の対象とは違い、偏執狂、オタク、異常者の雰囲気が漂う連中。極度の興奮と緊張状態の中で耐えられる点は凄いが、どんなに念入りに点検していても、劣化した部品によって突然車がコントロールを失う危険性はあるから、自殺行為を競っている状態に近い。

筆者は4駆の車でダート走行をするのは好きだが、高速は出さない。万が一エンジンが止まっても何とかなるような状態でないとテクニックを試す気にならない。車で命を落とすなんてバカバカしい。だが、好きな連中は極端なスピードやGの体感に酔っているに違いない。

雨の中、高速でサーキットを走るなんて普通の感性ではやれない。おそらく強烈なライバル意識、成功への欲、それとツッパリ全開の向う意気、スリルへの中毒、そんなものによって頭がおかしくなった状態では?

ハントがレース前に吐くというのは、たぶん自律神経の興奮で胃腸の動きがおかしくなるということを表している。そんな状態で能力を発揮するのは、たいていの人は難しいのではないか?少なくとも球技の世界では力が入りすぎてミスをしやすい。カースポーツの場合もハンドル操作が過剰になりそうな気がする。そこをトレーニングでコントロールするのだろうか?

彼らの間に友情があったかどうか、本当のところはよく分からない。互いに強く意識し、競争意識を持っていたのは間違いないし、商売敵としての意識は強く持っていただろうが、それも一種の友情なんだろう。仲良くするばかりが友情とは限らない。戦いが終わった後、相手への強い意識を懐かしく思えば、やはり一種の友情なんだろう。

そのへんの複雑な感情を上手く表現できた作品だと思う。男っぽい映画。この作品を女性たちはどのように感じるだろうか?・・・「アホ同士の変態的関係よ!」って、思うのか?女性にもライバル心はあるはずだが。

個人的には、レースの迫力、加速力や風圧、振動の表現に、もう少しの工夫が欲しかった。あんまり過度にやってしまうと画像が激しすぎて吐き気が出るほどになるから、時間やカットを工夫して、顔の肉が歪み、恐怖が明瞭に写る、そんな細かい演出を工夫して欲しかった。今の技術なら、もっと迫力を出せるはず。

 

 

2014年10月 4日

LIFE!(2013)

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- 仕掛けたっぷり -

LIFE誌に勤務する主人公は夢想癖のあるサラリーマンで、周囲は変人扱い。自身のクビも心配。廃刊号を飾る写真の行方を追うことになるが、彼はそのためグリーンランド、アイスランド、アフガニスタンを旅する大冒険に出る・・・

・・・実に映画らしいアイディアと細かい芸当、仕掛けに満ちた作品。監督主演のベン・スティラーの才能を感じさせる佳作。この作品は家族や友人、子供、大人、恋人、嫌いな人、誰とでもそれなりに楽しめる本当に映画らしい映画。

ダニー・ケイ主演の有名な映画があるが、この作品はちょうどLIFE誌の廃刊のニュースの時期に、その悲哀の状況を利用するような形で上手くストーリーに組み込んで、自然な流れを作り出すことに成功している。良いアイディアだった。ただの失業よりも、誰でも知っている大きな雑誌の廃刊のほうが喪失感は大きく、悲劇的な設定の喜劇を作る上で最高だった。LIFE誌を使うのは誰のアイディアだったろうか?

会社や仕事内容に対する思い入れ、自分の人生や友情、恋に関わる感情などが、上手い形でストーリーに反映されていた。しかも、SNSなどの現代的な道具の使い方、各地の光景など、見た目で魅力ある映像も使っていて、作品の魅力につながっていた。

ベン・スティラーは、「メリーに首ったけ」や「ナイト・ミュージアム」の印象が筆者には強く、大げさで味のないコメディアンのような印象を持っていたが、この作品ではチャップリンを連想させるほどの大活躍で、才気あふるる~やや才気に走りすぎの印象さえある~演出もあって、後味の良い作品を作ることに成功していた。次回作が俄然気になる。

冒頭から、町の景色の中にタイトルなどのクレジットを入れていく細かい演出が笑えた。主人公が夢想家だから、現実離れした映像を挿入しても違和感がないし、観客の注意を惹く効果は充分にあると思う。ただし、少々字が小さすぎて、劇場でないと読めないであろう内容もあった。

センスが良いのか判らない部分もあった。悲喜劇だから、細かい点で観客が気づいて笑えるようなギャグを随所に織り込んだほうが良いと思うが、やりすぎるのも怖い。そのバランスが、おそらく国柄にもよって違うのだろう。現実から夢想に入る際に、観客が直ぐ分からないといけないし、あまりに明瞭に分かりすぎてもいけない。ヒロインの髪型などをヒントに、分かるような工夫も欲しかったと少し感じた。

ヒロインは過激なギャグで有名になった人らしいのだが、「宇宙人ポール」などの時から随分と役柄を変えていて、立派にヒロインになりきっていた。過度に美人面していない点で、良い配役だったかもしれないが、個性が感じられなかったとも言えるかも。

LIFE誌は有名な写真家が誕生する舞台となったことと、独特の優れたセンスで雑誌の代表選手のような存在だったが、何か経営戦略に問題があったのだろうか、何度か目の経営危機を乗り越えられず、ネットのみの状態に変えたようだ。でも、雑誌の復活はありうるかもしれない。

今のようなウェブ上での画像鑑賞では味気ないと感じる人も多いと思う。日本では写真週刊誌がまだ健在であることから考えても、記事の内容や読者層の開拓などによって、新しい形の購読者との関係が復活する可能性もあると思う。以前のように雑誌界に君臨するかのような存在ではなくなっても、年に数冊の特別版なら、きっと成立しうるし売れると思う。

LIFE社で活躍していた社員達は、おそらく凄いプライドを持っていたはずだが、どうされたのだろうか?他の新聞社などに再就職・・・といっても、今は紙媒体は全体に沈滞しているから、企画構成力などを武器に他の業種に移ったかも。それこそ、ネット媒体の会社とか。

ネット記事の社会も、作品でも登場していたSNSの世界も、移り変わりは激しい。一時期は台風のように騒がれていたフェイスブックも、他のSNSが出てくる度に魅力や独自性が失われていく気がする。動画サイトも、肖像権などの問題もあるので、過去のように勝手なコピーが散乱するようなことはなくなる。すると、法的な面を気にしすぎて面白味も失せる結果になり、やがて衰退する運命にあるのかも。

ネット関係の会社も、おそらくは首切り、新採用を繰り返し、あるものは大きく成長し、あるものは倒産の憂き目にあっているに違いない。そしてますます、それは大規模かつスピーディーになっていくだろう。何の心情も伴わないような、ドライな離職が普通になるかも。そうなったら、LIFE!のような映画が成立するのは稀なことになる。

自分が人生を賭けて取り組める仕事、趣味、伴侶、それを目指すことの大事さが、この作品のメインテーマと思う。喜劇なんだが、とても真面目なテーマで、説得力もあった。

筆者はクリニックを経営しているのだが、勤務医時代の方が重症の患者を抱えていたから、切羽詰った状況の患者に尽くすという意味では、以前のほうが充実していた。特に開業後しばらくは簡単な病気の人が、しかも人数も非常に少なく、退屈するわ経営が厳しいわで、充実とは程遠い状況だった。

徐々に患者さんが増えて来つつあるとともに、妙な病気、難しい病気や悩ましい患者さんも増えてきて、達成感や誇りのようなものが増しつつあるのは嬉しい。と言っても全然儲かっていないから、金銭的には満足できない状況だが。

時々考えるが、耳鼻科などになっていれば、おそらく何も考えなくても裕福になっていたろうが、充実感があったろうか?研究者や勤務医の道を続けていたら、仮に教授や研究施設長などになっていたら、どんな状態だったろうか?あるいは、そもそも医者を目指さず、当時の花形だったソニーなどを目指したり、ネット会社を立ち上げていたら?

年収数億に達していたら、もう既に半分は引退し、趣味と子育てに生きていたかもしれない。金銭面を諦めて医者を目指すという筆者の選択は、精神的な満足、プライドを重視しすぎていて、要領の良いものだったとは思えない。それに、自分の世間的評価は、自分が賭けただけの意味を成していないように思う。

ただ、評価を気にしすぎるのも良くない。この作品の中で登場した写真家などは、見ようによっては変人の偏屈者、偏った自己愛だけの人間でもあると言える。主人公を引き回す結果になったし、あらゆる視点から優れた生き方をしている人物とは言えない。理想的な生き方をして万人に評価されることなど、最初から無理だろう。そこまで期待する必要もない。

せめて筆者の家族から評価されれば良いと思う・・・・のだが、毎日遅くまでドラマなんぞを皆で見るばかりで、筆者の説得を一顧だにしない子供達は、評価しようなどとも考えていないようだ。家内も酷いもので、せっかく買い物した食品にケチをつけ、そのまま腐らせたり平気でする。感謝を強いることはできないから筆者は黙っているが、彼らの生き方はあれで良いのだろうか?

「LIFE!」でも観て、考えて欲しいと思う。

 

 

2013年11月18日

ライジング・ドラゴン(2012)

Jjetc

- 中華意識? -

清王朝の秘宝をめぐってトレジャーハンター、富豪の一派、オークション会社の面々が争奪戦を繰り広げるアクション映画。

DVDで鑑賞。ジャッキー・チェンの映画は久しぶり。独特の感性を感じる。香港映画の時代と同じで、ハリウッド映画とはテンポが違い、調子を知っていないとおかしくなってしまう。

ヨーロッパ系の俳優が大勢出てきたが、香港映画によくある都合のいい外人俳優という印象。昔あった、スペインのミスワールドだったかが出演した時もそうだが、いかに大スターとはいえ、ジェッキー・チェンは二枚目ではないので、恋の相手役には不向き。コメディタッチに最適の都合の良い悪役や、重みのない個性の一般白人達が出てくるばかり。これは感心できない。

中国人ばかりが見るなら、こんな感性の映画は受けるかもしれない。でも、他のアジア諸国では、主演が中国系でも白人にはそれなりの重みを持たせる傾向がある。悪役であってもそうだ。日本映画では二流の外人タレントが出てきて下手くそな芝居をしてるとしても、外人流に演技していることが多い。外人の使い方は難しい。ハリウッド映画に出ている日本人の扱いも、最近やっと正常に近づいているに過ぎない。

ハリウッドで活躍したはずのジャッキー・チェンだが、中華流のクセは抜けていないのか?

また普通に考えると、凄腕の敵を最初から登場させ、ジャッキー達が苦しめられるストーリーにすべきだ。敵が強くないと面白くない。アクション映画、スパイ物、泥棒が主役の場合は、これは絶対の条件だと思う。その点がまずかった。

中国の遺産の多くが外国に奪われたままでいるとしたら、日本も相当奪った側ではないかと思うのだが、具体的に何を奪ってどこにそれがあるのかが解らない。たぶん、エジプトのミイラやオベリクスのような目立つものでないと、一般人にはピンと来ないのだろう。国宝級の品は、おそらく故宮博物館に逃れることができたと思うのだが、それ以下の物は日本の誰かがこっそり隠し持っている可能性もある。

商取引でなかったものは、基本的に返還されるべき。強奪したという明らかな記録があれば、当然そうだろう。

最近、対馬の寺から仏像が盗まれ、品は韓国の裁判所によって返還されない決定となったという報道を読んだ。もともと盗んだのは日本側だから、盗み返して何が悪いという考え方らしいが、日本の寺が盗んだかどうか大昔のことで記録も曖昧だろうし、司法が今回の窃盗を認めるなどありえないことと思う。泥棒を奨励するようなもの。

占領中に韓国の国宝がよく残っていたものだと驚く。日本軍が根こそぎ持っていくような行為をやらなかったということか?韓国側が隠せただけか、日本側が愚かで価値が解らなかっただけか、現地人の心情に配慮したのか、もともと併合の目的が強奪じゃないからか、その解釈は解らない。

遺物に関しては国の誇りという感情が伴うので、トラブルはつきものだ。イギリスやフランスが強奪の規模が大きいと思うのだが、その当時は奪うのが当然であったことも事実。嫌なら負けなければいい、勝ったら勝者の権利を実行するのが当然だった時代。今の考え方を持ち込むと、抜き差しならぬ対立を呼び、新たな悲劇の原因となりかねない。一定の制限は必要と思う。

ただ、変換を要求する権利はある。暴力や強奪といった手段に走らないでならという条件はつくが。

 

 

2013年10月13日

ランナウェイ/逃亡者(2012)

Tcykllc

- アナーキーなアネキ -

ベトナム反戦運動時代のテロ・グループの残党が逮捕された。メンバーの一人は逃亡し、全米各地を点々とする。新聞記者とFBIが彼を追い詰めて行く・・・・

・・・・名画の雰囲気。それも時代限定の独特の味を持つ、重い内容の映画。映画の醍醐味に近いものが感じられた。ただ、超大作とは全く違う。サスペンスが売りではなく比較的静かで、内省的な内容に、時々逃走の緊迫感や謎解きの要素を組み込んだ作風。

設定された季節は秋。紅葉が目立つ山野を車で移動し、林を駆けて逃げる。美しい山々は、この作品の舞台にぴったりであった。企画に多くの俳優達が同調したのだろうか、スター級の俳優が大勢出演していた。オールスター映画だった。

この作品は、子供には受けないだろう。内容の理解には、一定の基礎知識が必要。若い恋人にも、あんまり受けないかも。劇場で周囲を見回したところ、女性客が少ないのは意外。70歳くらいの男性が多かった。もしかして、かっての全共闘世代のなれの果てが集まっていたのか?

麻薬の革命を目指していた人間が、今は自然食品を生業とする話。ギャグの意味だったのか、実際にもそんな人物が多いリアルな話なのか、あるいは両方を兼ねるのか、よく解らなかった。

ただ、そんな人物の弁護を、主人公が危険を犯してするものか?あちらでは弁護をしてくる敵に対し、検察官は弱みを調べたりしないものなのか、その辺には疑問を感じた。

テーマになっているのは、かっての荒れた時代。政府を許せない若者達がデモや暴動行為をはたらき、やがて戦争が終結して活動もしぼみ、気がつけば体制に組み込まれている構図。私の世代から見ると、いったい彼らはどうやって自分を納得させたのかと、不思議に思う。

日本は、戦前の軍国教育のノリのまま、理屈だけ民主主義を表面に付け足したような若者が多かったはず。強硬な姿勢はそのまま。姿勢を維持して趣旨転換し、そのまま右翼や管理職になる人物だって多かったはず。会社の労働運動などがそうだ。激しさが取り得の人物は、双方の勢力から重宝される。

日本の過激派たちは、ほとんどはサラリーマンになって企業戦士として生まれ変わった。外れ者が、物書きやヤクザ的業界に移ったりはしたはずだが、そのまま活動している人はまずいないだろう。市民運動に変化したグループからは政治家も生まれたが、大勢力を維持しているとは言えない。

激しくなかった、ただのナイーブな学生は、おそらく控えめながら家庭を維持することに汲々とし、ささやかな幸せをかみ締めつつ、過去の時代に何かの感傷を抱いているのでは?

解らないのはアメリカ。政治理論、哲学の分野でははるかに高度なレベルにある彼らが、いわば遅れた国々で流行したテロリズムに、なぜ乗っかってしまったのか?あちらの民主主義にも、やはり不合理、矛盾点は多く、許せない感情が鬱積していたのか?もともと暴力に満ちた国で、暴動やテロ行為にも違和感はなかったのか?

監督と主演はロバート・レッドフォード。彼は作品内容と同時代を生きてきた人間だろうが、若くして既に華やかな映画スターだったし、良心的なイメージはあるものの、派手な政治活動をしてきたとは言えないはず。一線を越えない節度は感じる。ジョージ・クルーニーのように逮捕まではされないだろう。

映画の中心は難しいテーマ。戦争を許せない人間が集まって、なぜか殺人に至るほど強硬に変化していけるのか?その逆転が、子供時代の私には理解できなかった。デモの映像は、子供にはほとんど戦争のように見える。浅間山荘事件の攻防戦なんて、実際にも戦闘そのもの。戦争反対で戦争する?

焦りがあったのでは?大多数の国民が戦争遂行を支持している場合、多数決されたら必ず負ける。殺される自分達世代を犠牲に豊かな生活をされたら、しかも敵のほうが悲惨な戦争で、大義がほとんどない戦いなのに・・・そこで焦って、過激化して事を決しようと考えたのか?

スーザン・サランドンが語るセリフが、彼らの考え方を表している。罪のないベトナム人を殺したくはないというのは正論。国の政策は許せないから、テロをはたらく。今日の感覚ではやはり、それでも人を殺してはいけないとしか考えられない。当時の国家や、歴代の政権すべてが無慈悲に国民の犠牲を強いてきたことは確かだが、人殺しの理由にはならない。私の感覚ではそうだ。

でも、もし革命が成っていたら、若者を犠牲にした資本主義を擁護する守衛は、殺されても仕方なかったという理屈が通用した可能性もある。可哀相な守衛さんだったけど仕方なかったのよと、母親が子供に語って聞かせる時代が来なかったとも限らない。怖いけど。

ロバート・レッドフォードが主演するべきだったのか、ちょっと疑問に感じた。もちろん、かっての大スターでハンサムの代名詞、アイドルに近い存在だった彼だから、おかしくはないのだが、過激派のイメージがない。誰か別な元アクションスターのほうが、本来は良かったのでは?もしくは有名な悪役。

逃げる際に、鋭い目をして筋金入りの運動家の印象が出たほうが良い。殴り合いになれば、若い捜査官を倒すくらいの勢いも感じたほうが良い。殺し屋の雰囲気さえ欲しい。ネームバリューと見た目、他の俳優達との相性などを考えると、誰が良いのか解らないけど。

さらに言えば、シャイヤ・ラブーフに切れ者記者のイメージがあるだろうか?この記者は、FBIをも上回る捜査の能力があったが、そんな切れ者は、人の良さそうなラブーフでは無理を感じる。表情を大きく変え、クールさや鋭さを演出しないと、やや嘘っぽい演技ということになる。

Tcykllcetc

ジャッキー・エヴァンコはYouTubeの歌声で有名で、大物歌手と次々共演している娘として知られているが、末怖ろしいほどの美少女ぶり。大スターの可能性を感じる。ブリット・マーリングという女優さんも非常に美しく、あらためて美女が作品に与える力を確認した。

いかにスーザン・サランドンが熱演しようとも、マーリング嬢が美人でなかったら、作品は台無しになってしまう。サランドンよりマーリング嬢が重要なのだ!そして15年も経てば、マーリングよりエヴァンコ嬢のほうが大事なのだと予想される。世の掟なのだ。

ただし、真面目な話、この映画の中で最も重要なキャスティングは、絶対にジュリー・クリスティだった。彼女はアナーキーなイメージがプンプンするアネーキだった。凄い美人だったが、役柄はかなり過激で、少なくとも社交界で暇を持て余すような人物には全く見えない。実際に過激派としてテロ活動をやっても意外には感じないイメージ。

ジェーン・フォンダも当時の闘士だったが、やや演出が先に立ち、イメージが違う。ワークアウトに転進した時点でアウト。ワークアウトでアウト。大金持ちの奥さんになった時点で、完全に化けの皮がはがれた印象。残念ながら、この作品に呼んでもらえる可能性は消えたのであった。

ジュリー・クリスティは時代を超えて生き残った戦士。実際にも政治的活動をやっているらしい。実際の生き方と雰囲気が合致した当時の理想のスターのままで、なかなかできるものではない。

 

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