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カテゴリー「や」の12件の記事

2016年8月 3日

ヤコペッティの大残酷(1975)

Mondocandido


- モンドセレクションではない -

楽園のような生活から追い出された青年カンディドが、恋人を追って世界を旅し、残酷な運命を体験する物語。DVDで鑑賞。

この作品の名前だけは知っていた。グロテスクさ、奇妙さをウリにしたドキュメンタリータッチの一ジャンルをモンド映画というそうだが、この作品もカンディド青年の物語をモンド映画で描いたら・・・という意味らしい。

確かに残酷な処刑シーン、無茶な拷問シーンなど、センスが良いとは言えない場面が多く、ロマンの薄い日活ロマン映画とでも言えるかのような、エログロ路線だった。

いっぽうで、花畑の中でイスラエルの女性兵士とアラブの兵士が互いに殺される場面は、ビジュアル的にも美しく幻想的なシーンなっており、美的センスを感じさせる。エログロシーンも美的シーンも、やたら強調してドギツク描くのが、モンド映画の特徴なんだろう。

まさか本当にイスラエルに行って撮影したようには思えないので、あのシーンはイタリアのどこかの風景だと思う。カッパドキアあたりの風景は本物のようだったから、かなりのロケはやったはずだが・・・・

パムッカレの石灰の棚の中を、主人公が堂々と歩いていたが、あれは今日では許されない行為のはずだ。当時は規制が緩かったのか?こんな映画のために、大事な遺跡を危険にさらすとは・・・

今日では、劇場でこんな作品はまず見かけないように思うが、ビデオコーナーの端っこの下の方に、決まってどぎついSF~あるいは戦争物作品が置いてある。ジャングルで現地人に食われるといった内容も繰り返し作られている。

ほとんどは表紙部分の絵で明らかに二級品と思えるため、なかなか借りる勇気がないのだが、あれは似たような路線ではないかと、想像だが思う。伝統は、きっと受け継がれている。

ヒロインは非常に美しい女優さんだったが、その後のキャリアが不明なので、おそらくポルノ女優ではないだろうか?主人公も、明らかに演技が得意な人ではなかったようだ。俳優で売るタイプの作品ではないということだろう。

営業を考えると、滅多に見られないような残虐なシーンで話題性を高めることは間違っていない。女優達が次々とフルヌードになっていくだけで、ある程度の観客数を期待できる。これも大事なこと。

珍しい光景の中でロケすることで、マイナーな子供映画とは一線を画すこともできるので、それも作品の価値を高める。そして過去の文芸作品から題材を採る、今日的な問題点である中東の紛争の惨さを描けば、真面目な主題を持つと強調することも可能。

したがって、この作品は営業努力を積んだ結果の産物と思える。真の狙いは、おそらく集客、金だけだったのではないかという雰囲気がプンプンする作品。

 

 

 

2015年5月22日

やぶれ太鼓(1949)

- 企画会議必要  -

家でも会社でもワンマンの社長。仇名はやぶれ太鼓。しかし長男は会社を出たがり、長女は政略結婚に消極的、会社の経営が危機に瀕する。ついには奥さんも・・・

・・・木下恵介監督の作品。DVDで鑑賞。音のほうは今の映画に近いくらい聴き取れる。画質は最低限という印象。DVDの画面が絶えず上下にぶれてしまうので、見にくいのは確かだが、リマスタリングはされている様子。

画質や音楽、音質の関係で、子供が興味を持ってくれる作品とは考えにくい。それなりにユーモラスなシーンもあるのだが、今日風のギャグはないので、おそらく笑いは取れない。恋人と観ていても、古すぎて呆れる男女の会話に耐え切れる人は少ないかも。

時代のせいもあると思うが、監督の演出のクセも関係しているかも。当時としても演技のスタイルが古すぎたのではないかと思う。はるか戦前のフランス映画のような大仰な演技をしてるような気がしてならない。当時の若者風に自由に演技してもらっても良かったのでは?

ミュージカル仕立てにしようという意図が感じられたが、ピアノの音量と俳優の声量、曲調がチグハグのように感じた。ハリウッド流の優雅なミュージカルとは随分違う。

長女が知り合う芸術家一家も妙な印象。夫婦は微笑みながら仕事をしているが、笑顔が怪しい印象も正直感じる。気でもふれているのかと、心配になるほど。不気味さを表現したいのか、ガツガツしていない優雅さを表現したいのか、意図が分からない。当時は、あんな笑顔が普通だったのか?

時代のせいだけじゃない、完成度や全体の流れの統一、観客に与える影響の分析など、企画としての総合力がどうか疑問に感じる。監督や主役のファンは多かったはずだから、その言いなりになって企画の分析が欠けていたのではないか?あるいは、劇団や会社の力関係などの要因で、意見を集約できない面がなかったか、なんとなく気になった。

主演のバンズマは、体型的に迫力不足の印象を受けた。本当に怖そうな、小太り体型のヤクザ者風の俳優が演じた方が迫力の面を考えると向いていたように思う。悪役俳優が良い。逆にユーモラスな雰囲気、実は人情に脆い点を出すには良いキャスティングだったかもしれないけど。

奥さん役を始め、ほとんどの俳優は知らない方ばかり。長男役の森雅之、三男役の大泉滉や、恋人役の宇野重吉は解るが、あんまり演技が上手いように見えないピアノ弾きの次男は妙な役者。と、思ったら作曲家の木下忠司氏らしい。監督の兄弟だから、演技は無視して演じさせたのだろう。良いことじゃないと思う。

やぶれ太鼓の曲は、この作品に合っていたようには感じなかった。曲調が軽快なので、歌詞は逆に悲しいほうが良いのではと個人的な印象だが感じた。あるいはシーンによって使い分けるために途中で変調させて、悲しい調子も笑いの調子もあるような作り方ではいけなかったのだろうか?映画に合っていないと思う。

会社が破綻して屋敷を売り払う、借金取りに追われる、暴力沙汰、子供達も各自バラバラになるといった際立った不幸、大失敗のシーンがなかった。もし、あったらどうだったろうか?

普通は、酷い状況に陥って主人公が初めて自分の誤りに気づき、過去を反省して家族が再生する流れがよく観られる。あえてそうしなかった理由は解らないが、実社会で破産は多いので、あくまで喜劇として映画を作るために、実社会から遊離した設定にしたのだろうか?

最初から、リアルな家族ドラマを狙わず、ワンマン社長を中心としたギャグ風のやり取りをドラマにしたいという企画なら、確かにこんな作品になってしまうだろう。でも、それでは中途半端な印象に終わらないかという懸念はなかったのだろうか?ギャグ映画で破産の話があると、観客は盛り下がってしまうはずだが・・・

最近、大塚家具の父と娘が激しいバトルをやったらしい。結果的に社長は娘が続けることになって、いったんは娘の勝利になったらしいが、おそらく父親は大株主だろうから、今後もクーデター的な攻防は続くだろう。

何を争ったのかは、会社内部の事情に詳しくないと解らない。運営方針の結果がどうなりそうかは、内部にいる人間でないと解るはずがない。双方が新聞や雑誌に意見を載せていたが、どこまで本音なのか判らない。

ただ、株式会社だから、たとえ家族であっても社会的な責任は果たさないといけない。法律に則って、社長を解任したり、役員を移動したりは人情にこだわらずにやらねばならないと思う。明らかに運営方針を間違っている、何か粉飾をやっているという場合は、身内意識より公的意識で行動すべき。

 

 

2014年12月21日

野生の証明(1978)

Touei

- 迫力 -

特殊部隊の訓練中、偶然に人を殺してしまった主人公。罪の意識から除隊して、贖罪を果たそうとする中で、かっての仲間や地方に君臨する勢力と戦うことになる・・・

・・・公開当時は高校時代だったか、非常に話題になった作品。珍しいほどの大作というイメージがあった。薬師丸ひろ子の可愛らしさ、高倉健の迫力、角川映画の宣伝の凄さが印象に残っている。「人間の証明」と‘証明シリーズ’になっていた。でも、作品の出来の評価が高かったとは思えない。今では知らない人のほうが多いのでは?

原作が、そもそも映画を作ることを前提とし、角川文庫が映画製作、優秀なアイドル的子役を発掘し売り込む、日本映画のチマチマした予算を逸脱する規模の撮影、宣伝。ハリウッド流の企画を推し進めた力を感じた。他の映画と異質のものを感じる。キャッチコピーとなるセリフを強調する売り込み手法にも、始めて気がついた。

子役の薬師丸の変化に愕然となった。彼女は今でも母親役で良い味を出して、上手い役者だなと感心するが、見た目の変化にはただただ驚くばかり。この作品の当時はピチピチして肌の弾力が感じられるが、昨今の彼女は目の回りの印象が激変して全くの別人のようになってしまっている。丸顔のまま、シワが増えて色気は・・・かわい子ちゃんの運命を思うと、残酷なものだと涙する。

いっそ作品など残ってないならいい。彼女は今でも美しい女優であり、年齢相応の魅力を持っていると言える。ピチピチ時代の記録が鮮明な作品としてあると、どうしても比較されてしまう。女優という商売は実に残酷。

高倉健も晩年の役柄とは随分と違う。この作品の頃は、まだ戦闘員が充分に演じられる。もともとアクションスターだったのだ。黄色いハンカチの時代より少し前の、若い頃のタフなイメージのままの役柄だった。そして充分に役と個性がかみ合っていたと思う。

ちょっと思ったのは、彼のような痩せ型体型では、殴られたら厳しい。直ぐに骨折する運命にある。殴られ強いのは、肥満体のレスラー~力士タイプ。したがって、この役は引退した力士に登場していただくのが本当なんだが、それでは観客が怒る。だから、殴られ強いという設定は変えたほうが良かったかも。

懐かしい俳優達の若かりし時代の映像が出てきた。舘ひろしの若者役は、今では想像もできないほど。30年以上も前だから当然だが、印象が全く違う。この頃は完全に悪役の目つきだった。デスク役の田村高廣が若く見える。この後、わずかな間に老人役を演じるようになってしまったから、この時代は若作りしていたのだろう。充分に役割を果たしていたように思う。

役割と言えば、中野良子が素晴らしい。当時も今も流行の顔ではないのだが、声や色気が良い。二役を演じ、しかもヒロインの役割も果たしている。憤るシーンでも躊躇するシーンでも常に色っぽく、感情のこもった解りやすい演技を心がけているように感じる。この作品には他にも多くの役者が登場しているが、皆がノッているように思う。皆がそれぞれの役割を演じることに集中しているような気がする。

ヤクザ者達の素振りのひとつをとっても、他の映画とは少し演技の仕方が違う。はりきっているような気がしてならない。現場の雰囲気がよかったのだろうか?監督かアクション担当の人の指示が違ったのだろうか?

DVDで鑑賞したのだが、場面の移り変わりが非常にアバウトで、急に場所や時間が変ってしまう。DVDに納めるために多くのシーンをカットしてあるだけかもしれないのだが、不可解な変化が気になった。例えば、戦車が数台登場して川を越えるが、そこから主人公の位置に至る連携ができていない。ただ迫力ある進撃を撮りたかった、主人公と対峙するシーンを撮りたかった、間のことは忘れていた・・・そんな印象。

さて、現在の自衛隊に特殊部隊はあるのだろうか?いわゆるレンジャー部隊が、それに近いのかも知れない。小学校の傍の谷で実演をやるのを見たことがあるが、動きは遅いし、身のこなし自体がアクション俳優ほど格好良くなく、訓練されて凄いという印象は受けなかった。

実際には重い装備品をしょっているはずだから、早く動けるはずはない。おそらく作戦の大半は沼地や泥の中など、敵が予想していない場所から進んでいくだろうから、汚れにまみれて傍に寄れないほど汚れた姿が日常になるのでは?

米国のシールズ部隊との性格の違いはよく解らない。役割は似ているはずだが、空軍に属するか陸軍かといった違いだろうか?そもそも陸軍の場合、ゲリラ相手の作戦は日常的に起こりうると思う。皆が藪の中や川の中を主戦場とする訓練を受けるはず。突撃部隊、死守部隊、暗殺専門、諜報専門など、訓練の中で選別すべきだろう。

常識で考えて国内での訓練は危険。無人島のような場所でないと、何があるか分からない。先日は矢部のそばの演習場にオスプレイがやってきて訓練をしていたそうだが、近くには民家もあるわけだし、危なくて仕方ない。映画のようなことは滅多に起こらないはずだが、極限まで訓練すれば、他の形での事件は起こるはず。

この当時、まだハンググライダーは珍しかったと思う。おそらく米国人のスタントマンが演じていたのだろう。格好は良いが、ハンググライダーやパラグライダーは発見されたら終わりなんで、実戦では怖い道具だと思う。

戦車もヘリも米国製だったらしい。民間のものを借りたとなると、映画用に購入した他の映画会社から借りたか、まさか武器商人と交渉したのか?戦車のシーンは本当に迫力があった。普通の日本映画では1台くらいしか出てこないが、やはり迫力を生むためには数が大事だった。

日本映画に欠けていた類の魅力を感じた。戦車の迫力もそうだが、ハリウッド映画的な手法が随所にあり、殺人のシーンもえらくグロテスクで、リアルさを出そうという姿勢が感じられる。夢でうなされる子供がいたかも知れない。今でも、子供には勧められない映画と思う。家族で観るのも、その点で好ましくはないかも。

 

 

2014年2月10日

屋根の上のバイオリン弾き(1971)

Ua

- 逆説と自嘲? -

ロシアの支配下にある田舎の村。ユダヤ人のコミュニティーに暮らす貧乏な家族の物語。娘達が結婚し、やがて集落全体に弾圧が加わるストーリー。

DVDで鑑賞。悲しい話だが、基調はユーモアにあふれている。

森繁久彌やの舞台がロングランになって題名だけは知っていたが、映画版の存在は知らなかった。偶然DVDを発見したが、たぶんツタヤでは定期的にビデオを店舗ごとに回しあって、隠れた古い作品を観たい客に探させてるんだろう。

主人公がバイオリンを弾く特技があるのかと勘違いしていたが、実際には別な若い男が弾いており、しかも実在の人間かどうか曖昧にしている。バイオリン弾きは古い伝説に基づく話らしく、強制移住を強いられるユダヤ人の象徴のような存在らしい。

主人公を演じていたトポルは、この作品の制作当時、実際には老人ではないはずだが、メーキャップと演技のせいで年寄りにしか見えない。ゴールデン・グローブ賞を取ったのもうなづける名演だった。ただ、ユダヤ人の物語が賞を取り易い傾向も否定できない。

テレビドラマで有名になったポール・マイケル・グレイザーが革命家の役で出演していた。目つきが鋭い点が良かった。

演出の仕方が面白い。娘たちが次々と意に反した結婚話を持ちかけてくる際に、いったん視点を変えて独り考え事をめぐらし、自分を納得させる時間がある。舞台風の演出をそのまま映画に持ち込んだのだろう。急に遠景になるのが変だが、面白いといえば面白い。

でも逆に考えると、映画向きの表現とは言い難い。何かリアルさを失った芸術作品のような雰囲気が出てしまう。どういった雰囲気を狙い、どこまで表現し、リアルな悲劇とするのか滑稽な田舎の話とするのかの見極めは、舞台と同じように考えるわけにもいかないだろう。

この作品の作者は実際に東欧の出身らしいので、実体験を混じえて作られた話だろう。たぶん、伝統を最優先する集落と言っても、時代の流れは感じないわけにはいかない。親の言う通りに結婚していた時代の感覚のままでは、海外にも移住する時代にはついていけない。かの国でも、世代間の対立はあったのだろう。

広大な農地の映像が印象的だった。家族を探して来たと言って、遥か彼方から歩いて来ているが、移動する距離の感覚が日本人とは全く違うようだ。地平線の彼方まで探しに行くような、そんな広大さに呆れる。

ユダヤ人たちが、なぜあんな地域に住んでいたのか、そのへんの経緯が解らない。元々は他の国に住んでいて、迫害を逃れて移住し、次々未開の地を開拓して、また迫害を受けて移住・・・といったことを繰り返した結果だろうか?

ロシア人達にも土地はあったはずで、間隙に住み着いたのか?開墾が難しい地域をもらって住み着いたか、あるいは奴隷の立場から徐々に自分の土地を所有するようになった結果なのか?私のイメージでのユダヤ人は、皆が都会で暮らして商売に勤しんでいる気がしていた。農民のほうが多かったのかも。

立派な教会を建てるまでには、たぶん相当な時間と資金が必要だったろう。あんな集落は、東欧のいたるところにあったというが、多数派住民からすると怪しい異邦人にしか見えないはずで、トラブルは必発と思える。

帝政ロシア時代のユダヤ人への迫害は、日本が日露戦争を戦う資金を融通する際に役立ったという話を何度か聞いた。先日の「坂の上の雲」でも、高橋是清がユダヤ財閥から資金提供を受ける話があった。本当の話かも知れない。

村を退去させられて、荷車を押して去っていくなんて、考えただけでも怖ろしい話。旧満州の開拓団の場合も同様だったろう。夢を求めて入植して、命からがら帰国を目指さざるをえないなんて、涙なしには語れない悲劇。もちろん、進出して来られた側の悲劇も忘れてはならないが。

そんな悲劇のシーンで、バイオリン弾きが登場して主人公と共に行動しようとするなんて、たぶん実在の人物ではなく、ユダヤ人の運命を特徴づける比喩的な存在として登場させたんだろうが、日本人の感覚ではセンスに合う良い話だった。狂気の混じったような笑顔を見せるバイオリン弾きの表情は、悲劇の場面に逆説的で自嘲的な笑いをもたらしていた。ああいった自嘲気味のセンスは、総ての国で通用するものではないように思う。

あんな悲劇の歴史を経ているからか、国を打ち立て、他の民族を押しのけ、世界有数の情報機関を持ち、高性能の武器も備え、超大国アメリカの協力を常に維持し、ある意味ではアメリカさえ支配下に置いたとさえ思える状況を作っていけるのだろう。生き残りの意志が極めて強いのも、当然と思える。押しのけられた民族は、たまったものではない。

 

 

2014年1月17日

野蛮なやつら/SAVAGES(2012)

Universal

- 映画も野蛮 -

カリフォルニアで小規模な麻薬組織を営む二人組。彼らには共通の恋人がいる。しかしメキシコの麻薬組織が、彼らを傘下に入れようと恋人を誘拐し、脅迫してくる・・・

・・・オリバー・ストーンが監督した娯楽作品。裏切り、暴力の応酬、駆け引きがストーリーを成しているが、友情や愛情、それぞれの人物の個性が上手く描かれた作品だった。ただし、かなり過激。テーマ性が薄いとも思った。パルプ・フィクションによく似た映画で、展開が面白かった。

二人組みの犯罪者が大きな敵と戦う、逃げる、そんな映画と言えば、作中にもセリフで言われていたが、「俺達に明日はない」「明日に向かって撃て!」を思い出す。この作品は、イメージとしては同じ路線だと思う。強大で容赦ない野蛮なやつらに挑む弱者の物語。蟷螂の斧には喝采を送りたくなる。ただし、今回は弱者自身も野蛮だが。

仮に二人組みでなく、単独の人物が組織と戦うとしたら、きっとジェイソン・ステイサムか誰かを連れて来てアクションで対抗してもらうしかない。単純な作品になる傾向はある。二人組みだと、互いの個性が引き立つ。その点は正しい判断。

ちょっと無理な点は、二人の男に共通の恋人がいる点。ある意味では現代的かも知れないが、不自然さは感じるし、必須の設定条件だったのかは解らない。片方の恋人ではいけなかったのだろうか?普通なら、主人公の片方が裏切りを諮るか、もしくは疑いを持つような流れが多いが、この作品では仲良しのまま、信用は変わっていない。それでは底が浅い設定とも言える。

オフィーリアという名前だと、当然ながらハムレットのヒロインを思い出す。作中でも確か、部屋のどこかに有名な絵の複製品が飾られていた。本家のオフィーリアは溺死してしまったので、この作品のヒロインもきっとそうなるだろうと予測させる仕掛けだろう。そんな古典的なアイディアも悪くはないと思うが、効果的かどうかは解らない。

演じていたブレイク・ライブリーは「恋するジーンズ~」で見たことがあるが、テレビドラマで有名になったタレントだと思う。女優としてのイメージが解らない。向うの感覚では非常に色っぽいのか知らないし、演技が上手いのかどうかも解らなかったが、美しい女優さんで、役割は充分に果たしていたと思う。自分の感覚では情婦という雰囲気を感じなかった。

やや優男の主人公を演じたテイラー・アーロン・ジョンソンには、確かな存在感を感じた。この作品の雰囲気だと、元兵士で猛者のテイラー・キッチュにほうが役柄としてヒーローになりやすい。二枚目で武闘派でない主人公が目立つためには、策略が鮮やかで、敵を欺く爽快さが必要だった。かなり良い線行っていたが、策士の部分の表現は足りない気がした。

ポール・ニューマンやレッドフォードとは役割が違うと思うが、少なくとも今回の主人公コンビに圧倒的なスターの魅力のようなものは感じなかった。でも、おじさんの私の意見は当てにならない。女性ファンは確実に増えたのではないだろうか?今後の作品では、凄い大スターになるかも。二人は、今が旬の俳優だから。

テイラー・キッチュは、今回の役はお笑いの要素がなく、いつものキャラクターより印象が薄い気がした。ヤクでラリッたり、酔っ払って失敗するようなエピソードがなく、残念。乱暴で無茶な男だが、好人物といったキャラクターのほうが好感を持たれるはずだが・・・

ジョン・トラボルタが脇役で出演していた。この作品で最もタフだったのはベニチオ・デル・トロで、良いところを彼に全部持っていかれていたように思った。殺されそうになった時の言い訳の仕方は情けない。ラストで多少の逆転劇があり少しは持ち直したけど、あの役はトラボルタには少々もったいない気もした。

ただ、タフネスを気取る人物の多くは真っ先に殺される確率が高い。生かしておくと怖いから、抹殺を計画される。有能すぎる場合も裏切りが怖いので、疑いの目を向けられる。生き残っていけるのは、情けなく命乞いをするほうかも。

実際の警官は、どんな風だろうか?ギャング達と取引をしていたら、映画のように出世はできないのではないか?強請られるし、噂で足を引っ張られるだろうし、命が惜しいから、麻薬がらみの犯罪に手を染めるのは少数派ではないかと思う。実態が解らない。

この作品は、冒頭から随所にリアルな殺しのシーンがあった。銃撃戦も泥臭く、はかどらない点でリアル。陰惨なリンチシーンもあった。だから、この作品は子供には絶対に良くない。劇場で公開しても、あんまり鑑賞できる対象者がいない印象を受けた。レイトショー専用でやるべき。

庭師の一団が、実は殺し屋というのはアイディアが良かった。一見すると殺し屋には見えない人物が、手際の良い殺し屋というのは、「ノーカントリー」の風変わりな殺し屋と似ている。でも誰か実際に真似る集団が出るかも知れない。

恋人と観る映画としては、リンチシーン以外は悪くないかも。ただ、お勧めとは言えない気もする。興行的な面を考えるなら、大麻を吸うシーンやリンチシーンは、もう少しボカしたらどうだろうか?と思った。

2種類のラストが用意されていた。あの作り方が良かったのかどうか、どんな効果があったのか、よく解らない。普通なら、とにかく印象に残るように、悲しい別れ、苦しい戦い、逆転の喜び、もしくは悲劇への空しさなどが描かれると良いと思うのだが、盛り上がりをわざわざ外した印象を持ったが・・・

 

 

2013年6月28日

闇金ウシジマ君(2012)

- 教訓は得られるが・・ -

クールな闇金業者ウシジマが、危機を乗り越え貸し金を回収する。敵となるのは、踏み倒しや強請りを図る借り手、半グレ、狂人達。

実に面白い映画だった。マンガが原作らしいが、それぞれの人物の個性の設定や焦点の当てかた、ストーリー展開などが高度にまとまっていて感心した。ゴルゴ13なみにクールな主人公を演じるのは、通常なら悪役専門~もしくは体力抜群のアクション俳優と思いきや、山田孝之。全くもって意外。

山田孝之は、昔はニヤケた二枚目の軽い役柄が多かった。直ぐに消えていく運命だろうとたかをくくっていたが、電車男みたいな作品や、不良役の路線が板につきだしてから路線が変わってきた感じ。小柄だが、顔つきと声の迫力が目立ち、この役には完全にはまっている。

ウシジマの個性が素晴らしい。クールで情け容赦ない個性が、結果として真面目な結論につながり、シュールな悪役の存在感がさらに高まるという良いサイクルになっているようだ。

この映画、共演者も素晴らしい。イベントで大儲けしようとする林遣都の顔は、役柄にぴったり。考えが甘いが可能性を信じて右往左往する個性、今風の話し方、体型の総てが役柄と合致していて、この作品のリアリティに直結していた。ウシジマ君は映画でもシリーズ化されるような気がするが、おそらく林ほど素晴らしいヤラレ役は出ないように思う。

ヒロインの大島優子も意外に素晴らしかった。元々演技の実力があったのだろう。セリフには難があった気もしたが、化粧っ毛の薄いメイクで普通の娘をうまく演じきれていた。

闇金業者を実際に見たことはないはずだったが、患者さんとして来た人の中に、どうやらそうらしい人物がいた。弁護士が過払い金返済の営業をするので困るといった話を向こうからベラベラ話していた。正業の会社と区別のつきにくい業者もいるらしいので、うっかりワナにはまる可能性はあると思う。

実際に酷い目に合っている人達には、この作品は良い印象を受けないと思う。冗談じゃない、人でなしをヒーローとして扱うなんて許せないというのが感想では?犯罪者でしかないんで。だから扱いにくい対象である。

この作品の中でも、実際に置き去りをやっていた。紛れもない殺人行為。後味が良いとは言えない。やられるのが若者を脅していた暴力団員や狂人だったら若干は許せるが、若者というのは納得がいく話ではない。クールではあるが。

実際のところ、若者が登山者に助けられたら間違いなく主人公の致命的なことになる。懲らしめだけに留めるべきと思うし、できれば自分達の手を汚さないほうが利口。

数万円の取立てのために、ウシジマが一人で回収にうかがっていたが危険な行為。この作品のような数人で営業する会社の場合は、大人数で押しかけられるとボロが直ぐ出てしまうはず。普通は少なくとも10人前後の実働部隊がいるはずと思う。しかも、ヤクザ組織から狙われたら実利を掠め取られる可能性が高い。独立は難しく、暴力団組織の後ろ盾が絶対に必要。つまり暴力団の一部としてしか存在しえないのでは?

その辺の実像が、この作品では描かれていなかった。独立したアンチヒーロー型ヒーローのまま。映画だから仕方ないのかもしれない。本人は独立した存在と思っていても、実像は犯罪組織の末端というのがパターンでは?

警察に情報を売られると、闇金商売は出来ない。だから、それをネタに強請られるのを常に覚悟しないといけない。延々と圧力をかけられたら、独立し続けることは難しいと思う。

ナニワ金融道を時々読んでいたが、この作品と同じような法律の知識、実像の一部がリアルに描かれていて面白かった。世間を学んだ気になるマンガだった。金には必ず群がる勢力が出る。イベント興行主には後ろ盾が絶対に必要と言える。新興の会社社長、冒頭で登場するリッチな青年達にも、必ず目をつける勢力があるだろう。

豪邸紹介コーナーや、カリスマトレーダー、カリスマ美容師などとテレビに登場してくる人物の気が知れない。誇らしい気分のまま、自分の成功や高い経済力を自慢したいのだろうか?隙があれば難癖をつけようという連中はウヨウヨしていると思うのに。

病院に目をつけられる例も多い。当直していて、いろんなヤクザ者に出会ったが、情報収集の目的で来ている連中がいる気もした。知り合いの先生達の病院も、何軒もつぶされている。病室に住み着いてしまい、結局は医院を廃業させられた例も身近にある。私のクリニックは貧乏なんで今のところ目を付けられてはいないようだが、何を考えるか解らない連中だから、今後はどうかは解らない。

年金生活者や生活保護者にも、闇金業者が手を出すという。元々少ない年金をむしりとって、いったいどれだけの収入になるのか不思議だが、数をこなしているのか?それなら、普通のサラリーマンや私のような個人事業主にもワナをかける連中はいるだろう。

弁護士と契約していること、検察庁に知り合いが多いことなどは少し防御力になるかもしれないものの、こじつけられると専門知識のない私には分が悪い。基本として、金を借りないようにするしかない。

 

 

2012年10月 3日

野郎どもと女たち(1955)

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- サイコロとは・・・ -

MGMに吸収されたゴールドウィン・プロ製作のミュージカル映画。賭博に精を出す野郎どもと女達が繰り広げるコメディ。とにかく明るい話で、ポスターでも皆が笑顔だ。

・・・DVD版で初めて鑑賞。なぜ買ったかというと、ホームセンターのレジのそばに置いてあったからだが、置いてあった理由は判らない。誰かが買おうとして止めたのか?作品の名前は知っていたが、特に評価が高いようには聞いていなかった。でも、よく出来ていて、当時の映画らしい雰囲気のする面白い作品だった。

画質が良くなかった。韓国製で、権利が切れたのを利用して作ったのか?リマスタリングしないかぎり、画像のぼんやりした感じはなくならないのかも。でも音は非常に明瞭だった。画質や音楽の性質は、ちょうどクレイジーキャッツの映画と同じ。ストーリーがよく練ってある点と、ダンスがアクロバティックなことは全然違うが。

適度にロマンティック。フランク・スナトラとマーロン・ブランド双方が互いの恋物語を展開し、お茶目なミュージカル・シーンやバンドミュージックがあったりして、実に古典的な構成になっていた。

結婚できないでストレスがたまった女が慢性の鼻炎で苦しむといったエピソードは、当時の映画にありがちの話だったが、その表現は今の韓流ドラマでも使われているような気がする。古さを気にしなければ、今でも笑えるということだ。

救世軍の幹部として現れた女性のダンナが、バクチ打ちの一人だったら面白いのにと思ったが、そうでなくてもどうせミュージカル、流れに沿ってりゃいいのだ。

おそらく大きなスタジオのどこかで撮影されていたのだろうが、セットの中を大型バスが走行できるし、カメラが色々動いても立体的に撮影が可能なように、かなりの規模のセットを作っているようで、予算も凄いものだったろう。

ストーリーと連動した歌や踊りが、よく次々と作れたもんだと感心するが、舞台の案を練っている段階で、様々なアイディアと歌詞と踊りを盛り込む手馴れた仕組みがあったに違いない。誰かがピアノを弾き、誰かがダンスの構成を考え、互いの不具合を調整して・・・といった作業があったのだろう。

そして映画化権を獲得し、スタッフを集め、配役、映画用に曲を追加したり削ったり、そんな気が遠くなるような作業をてきぱきとこなすシステムもあったろう。当時の娯楽の頂点に位置する作品だったはずだから、才能が集まっていたんで可能だった。昨今はCGに、それが偏っているのかと思う。

歌や踊りが上手とは思えないマーロン・ブランドが、この作品になぜキャスティングされたのかは判らない。おそらく歌を自分でも試してみたいという考えと、まだ自分でも道を模索する意図があったと思うし、何か偶然もあったのでは?ボクサーくずれの用心棒の雰囲気に近い話し方が、ギャンブラーに通じるものがあったからか?

肝心の歌は、たぶん音響効果をフルに使っていたとは思うのだが、発声は本職に敵わないとしても、歌い方自体は結構上手いと思った。

シナトラは、この映画にはもともと最適な配役だったと思う。結婚を迫られて困った顔をする時など、プレイボーイだったらしい彼の場合は、実像とかぶさるものがある。ただ、やはりダンスは得意ではないようだ。

当時の航空機の性能はどうだったか知らないが、ニューヨークからキューバのハバナまで日帰りする手段があったのだろうか?劇中で賭けのためにデートする話があったが、いくら何でも忙しい話だと思う。

女性達の化粧や服装が整い過ぎて、現実感は全くない。ジーンズを履いた女性が出ていただろうか?男性達も帽子を被り、部屋を出る時には忘れずに持って出ている。タバコやゴミは、気にせずそこらに捨てている。いかにも時代を感じさせる風俗。

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上の画像も、今では流行らないポーズ。宣伝用のスティール写真だろうか?女性達は色っぽいが、今風の色っぽさと違う。ただし正直な話、この一見淑女風の女性達に囲まれたダンディ男には憧れる。いまどき流行らないとしても。

なんで下着姿なんだ?などと疑問に思ってはいけないのだ。

映画で出てくる人々は、基本的に皆が豊かそうに見える。なんといっても50年代のアメリカ、金がないと言いながら、レストランで普通に食事してるし、服装もちゃんとしている。ミュージカルだから華やかなのは当然だが、基本となる雰囲気が明るい。

本当にサイコロ賭博に熱中した連中がいたのだろうか?ギャグではないかと思えるほど。カード賭博のほうが格好いいし、既にラスベガスなどは大きな町になっていたのでは?サイコロで満足できるとは信じられない。

今の子供や若いカップルには、受けはあんまり期待できないと思う。でも、もしかして彼らが齢をとって、はるか古代の映画でも観る気になって観たとしたら、健全なギャンブラー達と、明るいダンスに好感をもてるような気がする。

この作品は古典である。豊かな時代のおとぎ話のようだ。

 

2012年9月 3日

ヤング≒アダルト(2011)

- 流産の影響 -

美人だが結婚に失敗した小説家の女。仕事にも行き詰まり、生活も荒れている。故郷の元恋人を略奪して新しい人生を歩もうと考え、故郷の街に戻ってきた・・・・

・・・究極の美人女優シャーリーズ・セロンが演じる勘違いの我がまま女は、映画のキャラクターとして非常に魅力的だった。もちろん、付き合うには最悪。ブサイクな女がヒロインを演じていたら、好感の持ちようがないと思うのだが、美人の場合は下品なゲップも、だらしない寝方も、愛嬌で済んでしまうところがある。ヒロインは美人であることは得にならないと言っていたが、やはり得することが多いのだろう。

Photo

上の画像も凄い魅力。美男に生まれてこなかったので、美人の感じることは解らない。おそらく、美人なんだから人に好かれそうといった気分になるのでは?子供の頃は特にチヤホヤされるから、自然とそんな感覚になると思う。

ただし、女性からセロン嬢を見ると、もしかすると嫌悪感に近いものを感じるかも知れない。やはり嫉妬に近い感情は起こりうるし、この作品のヒロインはユーモアで済まない程度の我がままだったから。セロン嬢も凄い野心的な役柄を演じているので、人間的には激しすぎる人かも。

ストーリーも面白かったが、登場してくる人物も愉快な連中が多かった。ヒロインの親戚の男は、いかにもそうでありそうな話し方をする嫌なヤツ。同級生の肥満体の障害者は気の毒な男だったが、体格や表情、趣味など、いかにもというキャラクターだった。

この作品は、子供には見せたくない。大人だけだったら、同性の友人といっしょに観るのが最も正しい鑑賞のパターンではないか?異性が混じると、やや人の目を気にして観てしまうので、本来の味わいが薄れてしまう。そんな印象の映画。

カセットテープを使えるオーディオが少なくなってきて、そのうち冒頭のタイトルバックの映像が理解不能な時代が来るような気もするのだが、カセットの動きのテンポが非常に良くて、良くできた演出だと感心した。画面の切り替えを音に合わせるだけでも、テンポが良くなる。そのあたりのセンスが良かった。

ヒロインのキャラクターが映画的には非常に良かった。その行動が面白い。故郷の町に戻っても、実家に行かないでホテルで暮らし、見つかったら独特の表情を浮かべる。フライドチキンなどを大量に注文してガッツく、笑えるほどどリアルな行動パターンが、存在感たっぷりだった。あれも、ある程度以上の美人がやらないと、怒りたくなる。

乳にはめるカップ状の物は何という名前か知らないが(チチカップ?)、あれをはめたまま抱き合う姿は、悲しくもおかしい。

そう言えば、最近のブラジャーは、必ず下から支えるスポンジみたいなものが入っていて、診察の時に邪魔で困る。ブラジャーの下から聴診器を入れようとしても、乳房が落ちないようにしっかりと固定されて、間に聴診器が入らないのだ。

仕方ないから、ブラジャーの上から聞こうとしても、あまりに部厚い遮蔽物が邪魔して聞こえない。いちいちブラジャーを外してもらうと、変態医者かと勘違いするのか、嫌な顔をされる。こちらは弁膜症や肺炎を見逃すのが怖いのだが、若い女性の診察は要らぬ緊張をしないといけない。

診察する側の都合を無視して来院するのは、もしかして彼女達、ヤング・アダルト女性だったのか!そもそも、下から上げて横から寄せて、いわばオッパイの大きさを演出する詐欺行為をはたらくなんて、ロクな人種ではない。ハゲを隠そうとする私でも、帽子などで控えめに隠しているだけだ。詐欺には当たらない。

昔だったら、あんな女性はタバコをスパスパ吸っていたことだろう。タバコは、考え方を表す道具だった。いかに仕事熱心なやり手でも、周囲の人間への害などは気にしないという生き方が出る。健康に対する用心もアホ臭いと考えていること、怖れを知らないことなどが表現できる。でも、今は喫煙は極端に減っているから、映画でも使われなかったんだろう。

いろんな考え方がある。人への迷惑を気にしすぎて引っ込み思案になる人がいれば、自分の健康も人への害も気にせず、自由奔放な生き方に疑問を感じない人もいる。新聞をにぎわす汚職事件や、イジメ自殺事件などは、考え方や生き方が全く違った雑多な人間がたくさんいることを、改めて認識させる。

酔っ払ってベッドでうつ伏せになって寝るヒロインの姿がおかしかった。私の周りにも、全く同じ寝方をする女子が約一名いる。あいつらの生き方を表しているのかもしれない。誰かモデルがいるのではないか?監督の奥さんが、もしかしてそうなのか?

そう言えば、家内の母親によれば私の寝姿は必死に耐えるかのごとく、天井を見て微動だにしないと言う。また、歯医者さんによれば、夜間に歯軋りをしていそうだとのこと。それを聞いて、私は自分で自分が可哀相になった。

プリンターのインクが切れそうになったら、唾をつけてごまかすというのも良い演出だった。ついでに色々とエピソードをつけて欲しかった。物が腐ったキッチンや、冷凍食品100%の冷蔵庫、山のように溜まったイヌのエサの缶、ゴミ袋、そのくせオシャレ関係の物品は充実しているなど、観客が嫌いにならない程度の御愛嬌を見せて欲しかった。題材がなければ、我が家の台所を見てもらうといい。

独特の考え方を演じたセロン嬢の演技は見事だった。美人女優であっても、ニコール・キッドマンなどでは愛嬌が出てこないと思う。セロン嬢を選んだのは正解だった。

ただし、最後のほうで元恋人に不倫を迫る場面のセリフは、少しボカシたほうが良かった。色気たっぷりに迫り、元彼氏がタジタジとなるだけにして、セリフは少ないほうが自然だったと思う。色気が武器なんで、実際の場面ではしゃべらないと思う。

言葉をベラベラしゃべったことで、大人の関係、あうんの意思疎通、交渉術のレベルを落としてしまった。本物のヒロイン的女性だったら、大勢の人の前で失態を演じるような愚は犯さない。時と場所を選び、人気のない場所で速やかに事を成立させようと慎重かつ大胆に行動するだろう。

セロン嬢ほどの美女でない場合、彼女らの多くは愛想を良くしようとする。笑顔がステキな、なんて性格の良い娘さんだ・・・・と偽って、実はヤング・アダルトの本性を出す場合もありうる。どこで見分ければ良いのか、いまだによく解らないのだが、おそらくは映画などを参考に、行動や表情のパターンの共通点を探し、客観的な分析をする必要があったのではないかと反省している。

そう言えば、知り合いの先生夫婦と、その友人の話。夫婦の共通の友人が、「あいつとは絶対に結婚しないほうがいい。」と言っていたのに結婚し、ほれ見たことかと本人に話しているのを聞いたことがある。でも私から見れば、私達夫婦よりは良好な関係を保っているように見える。単に諦めの域に達しただけだったかもしれないが、外から見るだけではよく解らない。

今の時代は、とにかく勢いで結婚して子供を育て、後のことは後で考えるという生き方が良いのかもと思う。20代の前半で、一回は結婚を義務づけてもいいかも。そうしないと子供が増えず、国が成り立たない。24才くらいで未婚の人には、国から「あんたは誰それと結婚して1年以内に妊娠してください。」と赤紙が来るってのはどうか?「いやだー、あのブサイク男だけはいやだー。」ってな悲劇も生じるかも。

適当な結婚をしてしまうとケンカが絶えず、直ぐ離婚する、育児放棄、浮気など、いろいろなトラブルも多くなると思うが、相手を慎重に選んでいるうちに出産の機会を逃すことのほうが最悪。不妊や流産の危険は、医学が進んでも常にあるのだから、妊娠のチャンスは増やしておいたほうが良い。国家的に養育費を保証する必要もあるだろうが。

作品では、ヒロインは流産したことが心の傷になっていたようだった。流産は大きな失望、喪失感を生み、別れるきっかけにもなる。とらえ方によっては、この作品はひどい悲劇映画だ。少し描き方を変えるだけで、トラウマになっていることを観客に解らせることができたはず。

もし流産しなかったら、おそらくヒロインは文句を言いながら子育てしつつ、今頃は既に離婚していたかもしれないが、ひょっとすると子だくさんで文句の多い女になっていたかもしれない。それならば、それなりに立派なことだと思うのだが・・

 

 

 

2011年4月27日

ヤギと男と男と壁と(2010)

- 爆笑は難しい -

記者と特殊部隊出身の男とがイラクに赴いて起こす冒険。ただし、特殊部隊というのは超能力を扱う部隊だった・・・

・・・ジョージ・クルーニーが主演した映画の中では、最も完成度が高いかも。製作をやってるらしいから、意気込みもあったのだろう。大物俳優達が共演しているし、それぞれの役割分担、存在感のバランスが良い。

映画の題材として使えると判断したのは確かに正しかったと思う。でも、大ヒットする話とは思えない。金をつぎ込む対象としては、自分なら遠慮したい。

もし、もっと昔に作ったならば、この作品は喜劇役者達が総出演していたかも。絶対にサミー・デイビス・Jr.は出演していたはず。キャノンボールシリーズ風の怪しい映画になっていたのでは?この作品は、時代の変化かスタッフの意向か、多少は雰囲気が違う。

その分、笑えないような気もする。爆笑できるシーンは少ない。誰に、この作品を進めたらいいか考えたが、独身の人で、極めて暇な時間に観るというのがお勧め。家族で観てもつまらないし、恋人と観るのも非常に良いかどうか解らない。

ありえない話のように思えるが、部分的には真実らしい。

少年コミックには繰り返し掲載されていた。ソ連でやられている実験の写真という説明付きで、なぜか非常に古めかしい写真が載っていた。その道の専門家という人物の解説もついていて、どこまで成功したのかが書かれていたが、さすがに信じることはできなかった。

子供の頃は米ソが対立していたから、互いに偽った情報を流し合っていたのだろうが、その中にこの種の怪情報も含まれていたのかもしれない。

よくは知らないが、LSDを使ってハイになると、自分が超能力を出せるような気分になるのかも。覚せい剤でハイになった状態の人を直接見たことはないので、どんな感じ方をしているのかも本でしか知らない。

精神安定剤の多量飲みの人は救急外来でたくさん経験。開業してからも一人やってきたが、しつこく処方をせがむので困った。最初は騙されて一か月分処方してしまったが、翌日に「無くしましたあ。」と言ってきたので気がついた。

後で同居人に聞いたら、安定剤なのに興奮状態になって、大声を出して暴れるという。通常なら眠くなりそうな薬でも、人により、量により作用が違うようだ。一か月分を一気に飲むらしい。

危機管理の意味もあって、麻薬の類は医院には置いていない。万が一、泥棒に入ろうと考えられたら防ぎようがない。それこそ異常な連中なんで、通常の警報など気にならないだろう。鍵を3重にかけているが、ハイになるためには壁を壊すことも気にしないかも。

 

 

2011年4月 8日

やさしい嘘と贈り物(2008)

- 美しい物語にするには -

一人暮らしの老人が近所の御婦人と恋に落ちる。緊張しながらデートを重ね、思いがけない幸せを味わうことができたが・・・

・・・筋書きは直ぐ解ったが、演技派の老人二人の演技は素晴らしく、退屈はしなかった。

ヒロインのエレン・バースティンは公開当時74歳?さすがに齢を取った。「アリスの恋」の頃はパワフルな若奥様の雰囲気だったのに。

主演のマーティン・ランドーという役者は知らなかった。晩年の西村晃と表情がそっくり。鏡を見るシーンでアップになると、病的なところが解る。でも、あんまり繰り返すと、あざとい演出になる。

ごく普通に行動しているように見えて、実は間違っていることに観客が徐々に気づくという流れのほうが良くなかったろうか?最初のアップの表情や、出ていく時にドアが開いていることで、直ぐ解ってしまい、話の流れも解ってしまう。

タイトルも、そう考えると解りにくいほうが良かったかも。ささいなエピソードから持ってくるか、もしくは最後まで観て解るような、しゃれたタイトルのほうが効果的。

病的なイメージを出させる妙な文様は、この作品の質をかえって落としていたかもしれない。のんびりした画面、静かで全く正常に見える主人公の動きが実は大きな間違いによっていた・・・そんな演出がオーソドックスな道だろうから、美しい風景や街並みを前面に写しても良かったのではないか?

この作品は子供には退屈だろう。家族で観たい気もするが、子供達から苦情が出そう。恋人といっしょに観る映画としては、観た後にしっとりした優しい気持ちになれる点ではお勧め。わくわくする娯楽の面では最悪。

認知症の表現をどのようにするかが難しい。認知障害を自覚するのは楽しいことではないはず。多くの人はスムーズにいかないことを悟って、うつ状態に近いような諦め、怒り、悲しみ、怖れが混在した精神状態になる。

役者は上手に演じる人も多いが、オーバーにやると白々しくなる。演出をいかに自然にやるかがカギ。この作品の流れから言えば、一人暮らしの生活でちゃんとやっているかのように最初は見せておくべきだった。

観客が徐々に最初の自分の理解が間違っていて、主人公がおかしな行動をとっていることに気がつき、なぜ彼がそのような行動に至らざるを得なかったのか理解するなら、そこで初めて深く同情することができる。それを狙うのが常道だろう。この作品では、少し流れが違っていたようだ。

「君に読む物語」は、ヒロインのボケぶりが凄かったので、この作品よりも悲しく美しい話になっていたと思う。衰えは悲しく、悲惨なものであるが、少しの救いがあると、それは非常に美しく写る。

もし自分が自分の家族さえ忘れていたことに気がつくとしたら、どのような感情が浮かぶだろうか?認知症の患者さんを見る限り、あまり反応を示さないか、ただ悲しそうな表情をするか、妙に不機嫌になることが多いような気がする。

あの不機嫌は、自分の間違いを指摘されて機嫌を悪くする子供と同じ反応かも知れない。子供を見ていると、何かの答えが当たると嬉しそうな、誇らしそうな顔をする。間違っているよと指摘すると、もうやる気を失くしそうになる。別な面白いことないかな?と視線を他に向ける。

だから、本当なら主人公が気がついた場面では、興奮した顔から急に表情を変えて席を外し、贈り物を取り出して遊び出すなどの、全く関係ないことを始めたりするのが正しいのかも。

最近、同窓会の誘いがあったが、かなりの同級生を忘れていることに気がついた。高校時代は部活動もしてなかったので、深い付き合いはない。休み時間に雑談するくらいが関の山。よく話した連中しか覚えていない。それを認識するのは悲しい。

 

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