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カテゴリー「も」の7件の記事

2018年12月25日

モリーズ・ゲーム(2017)

Mollys_game

STX films.etc. - 


実在の人物の自伝を基に、脚本家がみずから監督した作品。DVDで鑑賞。実話だから脚色するにも限界はあるはずなので、ものすごい展開があったわけではないと言えるが、非常に出来栄えが良かった。 


ヒロインを演じたジェシカ・チャスティンが持つ独特の迫力が効いていたし、セリフも素晴らしかった。オリンピック代表を狙えるほどの選手たちは、精神の強さもあるが、常識を何かしら外れた面を持つ印象がある。顔に凄いクセがあるジェシカ・チャスティンは、そんな役には最適だ。良い意味で、何かしらの狂気を感じさせる。彼女は期待を裏切らない。共演者のケヴィン・コスナーも、今回は一種の悪役のような役回りだったにもかかわらず、良い魅力を出していた。   


モリー氏は学業でも優秀だったらしいので、自叙伝にもその才能が現れているのかもしれない。かなりのベストセラーになったらしいから、おそらく優れた記述も多かったのでは? セリフには、そのオリジナルの会話も再現されていると思う。映画の中の会話は実にリアルで、上手い脚本だなと感心した。翻訳も良かったのかもしれない。  


監督は有名な脚本家だそうで、名前は知らなかったが、「ア・フュー・グッドメン」「ソーシャル・ネットワーク」など、独特の取り上げ方をしてある作品が多い。視点の鋭さで作品を仕上げる、熟練の職人といった手際の良さがあるのだろう。確かな能力を感じた。  


キャスティングに関しては、概ね上手く行っていたと思うが、やり手のギャンブラー役にだけは迫力が足りなかったように思えた。最後のほうで強面路線の態度を見せるから、少なくとも凄い切れ味の能力を持っていることが分かったほうが良い。ヒロインを出し抜き、自分だけは逮捕を免れるような、鮮やかな手際を感じさせた方が良かったはずだが、画面ではチャラ男のような雰囲気しか感じなかった。彼にも狂気をにじませたほうが良い。


ヒロインの私生活に関して、特に恋人の存在が全く描かれていなかったが、少し不自然ではないだろうか? 原作でどう描かれていたのか知らないが、生身のヒロインを描くためには、セクシーなシーンがあっても良かったのではないだろうか? 


それにしてもギャンブル中毒者というのは、劇場主には理解が遠く及ばない人種のようだ。劇場主の場合は金がない状態が一生ついて回っているので、金を使うことが嫌いである。少しでも「無駄じゃないか?」と感じたら、即座に使用は却下。ギャンブルの類には興味が湧かない・・・というか、悲しいかな持てる余裕すらなく、今日まで暮らしている。  

身近にパチンコ中毒は複数いた。取り立て組織からの電話が近所の家にかかってきて、「お隣の○○さんに払うように言ってください。」など、余計なことをさせられたという。今はインターネットによって地図から電話番号がかなり分かる。関係ない近所の住人にとっては困る時代である。  

 

もし劇場主が大金をせしめて、使い方に困るような状態なら、どう感じるかは分からない。 余裕が心の隙を生むかもしれない。 一攫千金を得るかどうかの興奮は、中毒に誰でもなりうるほど魅力のあるものかも知れない。芸能界やスポーツ選手で、若くして一気に金持ちになった人間は、簡単にはまり込むものかもしれない。恐ろしい世界だが。

 

 

 

2018年12月15日

モネ・ゲーム(2012)

Gambit

- Momentum,FilmNation,etc.-   


富豪の美術顧問をしていたモネの絵の専門家。富豪から酷い仕打ちを受けるのに我慢がならず、偽の絵を売り込む計画を立てる。そこで雇ったのは、テキサス出身のカウガールだったが・・・・DVDで鑑賞。    


シャーリー・マクレーンとマイケル・ケインが主演した「泥棒貴族」のリメイク版。泥棒貴族で興味が湧いたので、鑑賞に至った。今作に特別な感動は覚えなかったので、失敗作と言えるかも知れない。ウイキペディアによると、この企画は10年以上もかけて徐々に進んだものらしい。リメイク版でオリジナル版にない魅力を出すのは簡単じゃないだろうから、いろんな人間が関わって、紆余曲折あって出来上がっても不思議ではない。  


この作品で一番魅力的に写ったのは、スタンリー・トゥイッチだった。主人公にやられる側の人間で、出番もそう多くはないのだが、やられ方や個性が明確だったので、好感を持てた。主人公もビルの内外をうろうろして、ズボンをなくすシーンはおかしくはあったが、よくあるシーンでもあり、特別に面白いとまでは言えないように思えた。もしかしての話だが、あれをヒーロー俳優、たとえばジェイソン・ステイサムのような肉体派俳優が演じていたら、ずっと面白くなっていたと思う。普通の個性では何も斬新な点がないので、観客には受けない。主役を変えるか、他に何かウリとなるシーンを作らないといけなかったと思う。


主人公が押し入った部屋の住人が、たいへんなセクシー美女で、主人公が誘惑されて大事な仕事を忘れてしまうなどの展開も考えられたと思う。主人公がだらしない方向に個性を変えることになるが、この作品の主人公の個性では、面白みに欠けるように思うので、そんな方向転換があっても良いのではないか。    


富豪役を演じたアラン・リックマンは、この作品の公開4年後に亡くなっている。この作品でのリックマンが個性的な悪役だったかは、少し疑問に思えた。オリジナル版では主役たちの演じ分けが大きな要素で、予想と異なる隙のないビジネスマンぶりを演じる手もあったと思うが、ストーリーの関係で演じ分けはできない設定だったから、何か他の要素でもって、観客を笑わせることが必要だったと思う。ヌーディスト趣味だけが、演じ分けに近い設定だったかも知れないが、それだけで客受けするものだろうか?   


ヒロインのキャメロン・ディアスは、この作品の頃は40歳近い。個性はヒロインの設定に近かったかも知れないが、キャスティングされるべき必然性は感じられなかった。もし、もっと太っていても良いから、グラマーで野性味ある田舎娘のような女優が演じていたら、そして主人公との関係が深まっていたら、話は相当違ったものになったのではないかと思った。

 

 

2017年9月14日

モアナと伝説の海(2016)

Moana

- Disney -

プリンセスの話に、随行する人物が豊かな個性を持つという伝統的スタイルの作品。決め手は脇役のキャラクターがどれくらい魅力的かということになる。DVDで鑑賞。

この作品の随行者マウイは、不思議な力を持つ怪人だった。体の各所にある入れ墨が動き、模様が各々個性と意見を持って意思表示するという設定は面白かった。それにヒーローだった過去から、失敗して現在は苦しい状態という設定も成功していた。敗北に打ち勝ち、新たな成功を夢見るというのは伝統的で、良い方向性だ。見ている側も健全な感覚を覚え、気分的にも良くなる。夢につながる。

さらに海が主な舞台だから、CG技術で美しい海原を表現できるはずだ。上手くいけばその技術だけで、観客はきっと感動できる。ファインディング・ニモのような魅力が期待できる。この作品は、企画の段階である程度の成功が約束されたような映画だと思う。

実際にも相当なヒットだったらしい。しかし、「アナと雪の女王」ほどの大ヒットにはなっていないようだ。アナ雪よりは設定の段階ではずっと上を行っていると思うのだが、何のせいだろうか?曲の魅力か、吹き替えタレントのせいか?

厳しく言えば、日本語版の歌声は、ハッとするほど魅力的ではなかったかも知れない。もちろん美しい声で、たぶん一流の歌手が歌っているのだろうが、誰が歌っているか気にはならなかったから、楽曲の魅力はアナ雪のほうが高かったかも知れない。アナ雪は、松たか子らが意外に素晴らしい歌声だったので感動した面もあった。この映画の日本版の歌声は、期待以上ではないだろう。

ミュージック・クリップにはハワイにルーツを持つ歌手の曲が入っていた。その歌声、音響技術は本当に素晴らしかった。おそらく、劇場で字幕版で鑑賞するなら、この作品の魅力はずっと増すのだろう。本物のハワイ娘が歌うと分かっていれば、聞くほうも印象が違うから。

ハワイやポリネシアの島々には、マウイの伝説が残っていると言う。伝説のマウイは、映画とは少しキャラクターが違うはずで、おそらくミュージカルのような動作はいっさいしないだろう。ジョークを言ったりするものではない。伝説的な存在だ。

伝説の勇者に対しての敬意は、このような作品ではあまり必要ないのだろうか?少なくとも米国本土は、ハワイを征服したのであり、もう少し被征服者の神に敬意を払っても良かったのではないかと感じた。マウイはもっと神聖な存在として描き、おちゃらけの部分は、他のキャラクターが担当すべきだったのでは?

 

 

2014年4月 1日

モスキート・コースト(1986)

- 一理あるけど -

アメリカの現状に絶望し、ホンジュラスの密林に一家で乗り込んだ家族。農園を作り成功したかに思えたが、武装集団との戦いで村ごと失ってしまう・・・

・・・既成のルールや、文明社会からの脱出を描いた作品が多いピータ・ウィアー監督作品。名前だけは知っていたが、観る気にはなれなくて今回初めてDVDを借りた次第。随分と重い内容だった。

楽しくはない作品。示唆には富むと思うが、主人公に共感できるような設定が足りなかった。故郷の町で友人が何かの犠牲になって死ぬとか、絶望的な現状を表す出来事がぜひとも必要だったと思う。それがないと、この作品は誰にもお勧めできない。

懐かしいリバー・フェニックスや、まだ若いヘレン・ミレンが出演している。ヘレン嬢は、いまやお婆ちゃんの殺し屋役が似合うけど、この当時は色っぽい。

ハリソン・フォードが狂気にかられたような主人公を演じていた。この主人公のキャラクターを考えると、今ならダニエル・デイ=ルイスなどが最適。強いこだわり、強烈な個性を貫くイメージが合致しているから。ハリソン・フォードも頑張って抵抗するキャラクターだったが、狂気が似合うとは思えない。

有能な発明家でありながら、周囲の人との交流を絶ち、独自の世界観に捉われている。家族の危険を顧みずに成功の保障のない事業に乗り出す・・・そんな見方をするなら、なんて酷い男としか思えない。

とにかく主人公は酷かった。海岸の傍に、それも河口のそばに小屋を建てたら、ハリケーンが来たら終わりだ。水害に遭ったことがないのか?大陸育ちだから、経験がなかったかも知れないが、あの立地は酷すぎる。親切な友人の忠告に、あんな態度をとるなんてありえない。強情だけでは済まない、偏屈者だった。

危機管理はしないといけない。水害が来たら、強盗が来たら、ハリケーンは、病害虫は?それらに対して、一定の危険性を想定し、準備をしないなら、子供を連れるのはダメ。親たる資格はない。一人でやるべきだ。

しかし、考え方は色々。主人公の言い分にも一理ある。文明社会には欠点も多く、日本製のテープしか買えないことに主人公が怒ったように、グローバリズムの中で個人の自由が侵される場合も多い。キリスト教の勧誘の仕方にも、嫌悪感を感じる場合はあるだろう。

教会への誘いを‘洗脳’とする言い方が映画で使われていたが、アメリカであんな風に描くなんて怖ろしいこと。でも、逆に恐ろしいという事実が、そもそも病的とも言える。教会批判しても何も怖くないのでないなら、何かの強制力がはたらいている証拠。

牧師が銃を持ち出して攻撃してくるシーンがあったが、あれは宗教家の一面を表すことは間違いない。宗教と戦争、殺戮は切っても切れない関係にあり、宗教戦争で失われた人命は計り知れない数。宗教は殺人に関係している。非常に密接に。

牧師がいないのにテレビかビデオで講義をしている、あのシーンも偽善性を表現すると思う。その場にいないから仕方ないといった理屈もあろうが、何かおかしいのである。おかしいという感覚は、偽善性を嫌う点では間違ってない。

ただし、窮地に陥った家族が助かるために、教会の援助を求めていればと感じざるをえなかった。とりあえず援助を請うべきと私は思う。命が一番。一般的に、そんな感覚で宗教を信じる~使う?人が多いのでは?安易な考え方で偽善的だが、私の場合はそうだ。

つきつめて考える人間は、アメリカ社会では‘アカ’と評価されるだろう。70年代に多かったドロップアウト集団は、たぶんアカというレッテルで捉えられ、良い点は無視して阻害され、やがて齢をとって社会に飲み込まれてしまったのでは?

・・・モスキート・コーストというのがどの辺りを指しているのか知らない。ホンジュラス近辺の密林地帯のことらしいが、簡易な地図では記載されていなかった。俗称かも知れない。

この話の原作がどんな経緯で書かれたのかも知らない。ある程度の実話なのか、モデルがいるのか気になった。ヒッピー達の中には、こんな冒険をした連中がいたかも知れない。コミューンを作ろうという話は多かった。麻薬まみれになった集団も多かったかも知れない。確か、リバー・フェニックスはそんな場所で育ったのではなかったか?

普通、密林に入る場合は、子供の病気が一番の問題になる。怪我がないはずもなく、医薬品の備え、医療知識がない家族の場合は全滅を覚悟しないといけない。武装集団の襲撃も怖い。生活が成り立つ村には、必ずのように侵入してくる犯罪者がいると考えないといけない。つまり、こちら側も武装が原則になる。

そこが、まさに失敗の原因となっていたようで、現実を示すものだった。完全に文明から遊離するのは非常に難しい。武装集団が持っている高度な武器は、文明道具でもあるのだが、密林の中にも武器は出回っており、その毒から逃れることは難しいのが現実。夢のようなパラダイスは、なかなかない。無人島に行かないと無理。

私自身は偏屈な点は主人公と似ているが、主人公より臆病なので、文句をブツブツ言いながらも都会で暮らしたい。文明の利器にまみれていないと耐えられない。山の涼しいところで育ったので、暑いところは全くの苦手。自衛隊の体験キャンプに行ったら、汗まみれになって耐えられなかった。テント生活は嫌だから、ジャングルにドロップアウトしたりはしない。

私は生まれつき危機管理の考え方が好きで、悪いことを考えすぎてしまう。偏屈で、何か自分が勘違いしていると常に思ってしまうクセがある。だから冒険ができない。それも仕方ないと思う。冒険もいいが、海辺に家を建てるのはアホウだ。

子供達の成長のためには、工具を持って木を切ったり、ヤブを切り開いたりする経験は望ましいと思う。都会育ちで、受験勉強ばかりやっていたら、センスの部分で世界に通用しない気がする。キャンプではなく、開墾に近い体験は、一度はしたほうが良いと思う。でも、移住はリスクが大きい。

 

2012年1月30日

モンスターズ/地球外生命体(2010)

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- 子供用ではない -

メキシコに地球外からのモンスターが出現し、危険地帯が軍によって設定される。社長令嬢と、彼女を護送する役目を担ったカメラマンの旅を描いた作品。

間違いなく相当な傑作。予算が非常に安かったらしいが、そんな印象はほとんど受けないほどの演出の腕を感じた。

戦闘機が飛ぶシーンは、たぶんニカラグアなど南米で実際に町の上を戦闘機が飛び交っている場所を背景にしただけだろう。映画のために戦闘ヘリをチャーターするのが普通のハリウッドスタイルとは全く違った方法が採られたに違いない。きっと少年時代から映画を作ってきたような人物が、この作品を作ったんだろう。

それにしても、日常であのように街が破壊され、戦車がそこらに破棄されたまま、戦闘機は頭上を飛び交っている国とは、今の日本では考えられない、あきれた状態である。本物の凄さがあった。

監督はギャレス・エドワースという人らしい。本人が脚本も書いたようだが、日本語のセリフはやや表現内容に何かが足りないような印象を受けたものの、間がゆっくりした点や、ドキュメンタリー風の編集が緊迫感につながって、なかなか味のある雰囲気を出していた。とにかくセンスが良い。

親子の感情、恋人との仲違い、ラブ・ストーリーなどの要素がうまく盛り込まれていて感心する。

ロードムービーとしても王道に近い。色んなエピソードが主人公達の心の結びつきに影響していくことが丹念に描かれていたと思う。やみ雲に怪物が襲ってくるだけでは飽きてしまう。

怪物の出し方も良かった。あんなでかい怪物がいたら、昼間にさっさと爆撃されてたちまち退治されそうなものだから、荒唐無稽な話だと解ってはいるが、暗い場面でのっそり動くモンスターがかすかに見えると、何か神秘的な感じさえ受けてしまう。

モンスターは、だからもっと小さくて良かったかも知れない。動きが素早く、簡単に銃撃できないので、はびこってしまう。隠れるのが上手い。繁殖力がある。そのようなキャラクターの面での検討は足りなかったかもしれない。

現地の人として登場する人達は、驚いたことにほとんどが素人だったらしい。とてもそうとは思えないほどの芸達者ぶり。エイリアン達を壁画に描いている点は、ちょうど「第9地区」などでリアルさを演出していた手法だったようだが、ここでも有効。

しかし、この作品はたぶん子供にはそれほど受けないだろう。やはり子供は解りやすい怪物の実際の映像や、激しい爆撃、空中戦などを欲する。通好みといえる地味な映画は、たぶん喝采をあびるのは難しい。興行的に成功するためには、少し予算をかけてCGを使うべき原案だったのかもしれない。

その代わり、大人の観客には受けるはず。

この作品の監督の今後に期待したいが、このセンスはしかし、応用が可能だろうか?この作品で使ったアイディアは、作品を量産する場合には使えない。スピルバーグのような立場になるためには、別なアイディアと、やはりCGスタジオの助けが必要ではないかと思う。

2012年1月16日

もののけ島のナキ(2011)

鬼達は人間に追われて異次元の海に住んでいた。そこに人間の子供が侵入したことから起こる騒動を描いた作品。3Dではなかったようだが、立体感が抜群の映像。童話の「泣いた赤鬼」をモチーフにした物語。

長いこと劇場で宣伝はしていたが、公開が随分と遅れた印象。おそらく映画の企画から製作に至るまで、何かトラブルがあったのでは?もしくは、スタッフが主に日本人だったようなので、ドラエモンのように海外のスタジオで一気に作り上げるようなシステムがなかったということか?とにかく、宣伝を見出してから実物を見るまで、1年近くは過ぎていた。

費用のことを考えると、海外のスタジオに頼んだほうが圧倒的に安いに違いない。でも、国産の技術の維持、育成も大事。山崎貴監督達に限らず、こだわりをもつ映画人は多いのでは?

CG関係の技術にも、おそらく多くの特許が絡んでいるに違いない。CGは、いったん作ってしまうとコピーの要領でいくらでも似たような画像を作れる。人物の顔や姿を微妙に変えて、動きのバージョンはモーションキャプチャーで得た情報にインプット・・・といった具合で、ペンギンもライオンも同じ動作のダンスが踊れる、当然鬼も人間も同様に動き、泣ける、そんな情報がストックされれば、将来はパソコン上で多数の映画ができるし、”誰々編集バージョン”も可能になる。

「いやあ、スターウォーズの”白組”版は、本家のスターウォーズよりも自然だったね、感動したよ。」ってな時代も、権利が切れる頃(50年後?)には期待できるかも知れない。

よく出来ていた。人間達の造形はマンガチックに過ぎたかも知れないが、もっとリアルにすると動きが気になってくる。マンガに近いほうが、動きも自由にできると思う。立体感や、絵の細やかさが素晴らしい。森の上を鬼が飛ぶシーンの美しさは、海外のCG映画に近いレベル。

ただし、「アバター」のCGのような自然な動きには至っていない。

今では普通になってしまったが、波の動き、涙の流れ方から衣服に落ちた時の染込み方に至るまで、手を抜かずにやっている。3D映画だと眼が疲れてしまうが、この作品は専用のめがねが要らないから楽。それでも充分な立体感があったから、今後もこの方式がメジャーになってくれたほうが、自分には有り難い。

この作品は当然だが子供に向く。大人でも楽しめると思う。恋人と見に行く映画ではないと思うが、SMAPの香取君ファンの女子なら許してくれるかも。

Gunnjyou

キャラクター設定が少し気になった。原作の青鬼は、比較的物静かな、”黙って仕事をこなす”クールなタイプではなかったかと、これは個人の記憶なんだが思う。原作には、いくつかのバージョンがあるようだし、二人の鬼のキャラクターも本によって様々なようだが、少なくとも火をつけられて暴れるキャラクターではなかった。

そんな役割は、赤鬼と他の小さな物の怪達が演じれば良いはずである。青鬼は徹底してクールで、物静か。赤鬼を完全に騙し、本気で戦わせる仕事を見事にやってのける、そんな仕事人にして得がたい友人、そのキャラクターであって欲しかった。

もしくは赤鬼の危機を助ける、鬼達からも嫌われる赤鬼をかばう明確なエピソードをひとつだけでも挟んでおくべきだった。笑いなしに。そうなると、後半の二人の戦いは非情なものになる。

笑いの部分は、せっかくだから個性的な他の住民達に演じてもらえば良い。普通の考え方ならでは、役割を明確に分担すべきだった。現代ではクールな怪物は受け入れられない、全員がギャグに走らないといけないという確かな判断があったのか? たぶん、深い考えなしでやっちまったのでは?

さらにピクサー~ディズニー的な流れにするなら、鬼の中にも悪玉がいて、人間の子供を利用して何かを企もうとする、まんまと赤鬼達はワナにはまる、そして赤鬼青鬼の連係プレーで危機を逃れるってな調子の物語が好まれる。そうなると、もう長時間にわたる大河ドラマ・サーガの誕生だ。そんな物語はさすがに誰も期待しないと思うが・・・

 

 

2011年6月10日

モンタナの風に抱かれて(1998)

- 癒しの難しさ -

事故で片足を失った少女、体と心に変化を来たした馬。双方の傷をいやすことができるのは、ホース・ウィスパラーという特殊な技能を持つ男。彼を訪ねて、少女と母親がモンタナにやってくる・・・

・・・ロバート・レッドフォード62歳の頃の作品。製作、監督、主演をやっているから、意気込みのほどが解る。相当ヒットしたらしい。良い話だった。原題はそのまま「馬にささやく者」といった意味で、馬の調教~治療師のことらしい。実際にも、そんな仕事をする人がいるのかも。

日本語のタイトルも悪くはないかも知れないが、別にモンタナでなくても良いような気がするし、そのまま「馬にささやく人」でも良いのでは?その存在だけで面白いと思えるし、何か神秘的でいかにもスピリチュアルな雰囲気がする。

癒しの表現が素晴らしかった。簡単に解決しないこと、互いの信頼に傷がつきそうになること、美しい自然、それらが調和を持って描かれていた。

ただし、映画の話の流れとは関係ないが、あの美しい土地は絶対にインディアンの物だとも思える。白人達は権利を得て入植しているとは言っても、強引な契約によって得られた権利には違いない。インディアンにもささやく必要がある。

14歳のスカーレット・ヨハンソンの演技には驚く。傷ついて母親と口論する時の顔が実に自然だった。うちの娘も似たような顔つきをする。自己を主張する時の「権利~自由意志を守りたい」という戦いの姿勢が見て取れた。

母親とカーボーイの展開は、もしかすると過剰だったかも知れない。叙情的な作品にと思うなら、言いたくても何も言わず、ただ泣いて別れるほうが美しい話になったはず。ダンスくらいは良かったと思う。盛り上がるが、それこそが二人の唯一の愛の場であったと後で観客にわかるくらいがちょうど良い。

子供ともよく口論になる。先日もそうだった。次男が三男の頭をひじで打ちながら、自分の寝場所を広げようとしていたので、紙のパイプで作ったおもちゃで頭をたたいて「頭をたたくならお父さんがたたくぞ!」と怒ったら、泣き出して逃げようとした。

捕まえて、遊び半分で殴ったりしないこと、頭をたたかないこと、ストレスを人に向けないことなどを約束させた。その後、機嫌直しに兄弟いっしょに映画館に連れて行った。次男はふてくされないことが偉い。怒られると自分が子供の頃は数日は会話も嫌だったが、参らないところは凄い。反省の度合いも低いようだが・・・

足を失うような事故は、さすがに精神に影響するはず。なにげなく出歩くことも容易でなくなると考えたら、ぞっとする。「命が助かってよかったね。」などという言葉も本人には白々しく写るだろう。

我が家の子供達も心に傷をもっていることが窺える。自分が子供時代にもトラウマになりそうなことはたくさんあったが、運よく解消できた。でも子供達は、はつらつと問題に対処できていないようだ。心の問題だから、基本的には自分で解決してもらうしかない。

援助を期待されたら応じるくらいはできるが、能動的に解決しようとしても難しい。特に我が家の場合は何をするにしても母親が反対するし、反対だけじゃなく家事をサボタージュしたり子供に毒づいたりして、さらに子供を不安にさせるので、対処は無理。

怒るばかりではだめとは思うが、優しくするだけでもだめ。能動的に動くと母親が荒れて逆効果だし、子供も反発するし、効果的な手を打てない。

希望を持って今やれることをやるという姿勢を促したいが、相手のほうに答えられるだけの自我や自立心がないと理解はできまい。実際にどう話すかは難しい。いかに話すかより、子供自身がいかな情緒を持っているかのほうが大きく、親ができることには限度があるような気がしている。

 

 

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