映画評

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カテゴリー「む」の3件の記事

2009年7月20日

ザ・ムーン(2007)

- シミュレート能力 -

ドキュメンタリー作品。アポロ計画で月に行った宇宙飛行士達のインタビューと宇宙での映像を混じえて、月探検の意味や影響を考えさせる内容。

この作品は家族で観れる。おじいちゃん世代から子供まで、感じ方は違っても楽しめそうだ。ただし、宇宙の映像に興味があれば。途中のインタビューが長すぎる感じはする。もっと宇宙の映像を見せて欲しい。

当時の宇宙飛行士達も今はおじいちゃんになっているのに驚いた。当たり前なんだが、インタビューに答えるおじいちゃん達は、60年代には第一線の飛行士だったわけで、その時の若々しい映像が頭にあるので、今見ると感覚的な違和感を覚えてしまう。

当時小学生だった私は、大阪万博のアメリカ館に月の石が陳列されたらしいと知ってはいたが、やはり別世界の出来事にしか思えなかった。実際には万博でも混雑して見ることは難しかったらしい。本当に月の石か?そのへんの石じゃないの?石ころを見て何すんだ?と思っていた。

当時のコンピューターは大型で、たぶん真空管などを使ってあったに違いない。よく地上に帰って来れたものだと思う。スタッフの努力と想像力が凄かったのだろう。予備実験を繰り返し、これから起こりうる危険を事前に察知し、対策を速やかに検討できるチーム作り、そんな組織作りがしっかりしていた。

今のコンピューター技術は凄い。処理能力などは数万倍に達しているかもしれない。でも人間の能力や気迫はどうだろうか? おそらく国家事業として、当時の最も優秀な技術者達が熱意を持って取り組んだ仕事だったろうが、今は別な方面に才能が流れているように思う。昨今は、米政府の計画の失敗を散見する。 

日本の場合は特にアラが目立つ。

今、私は特定検診用に国が作ったソフトを使用しているが、設定の仕方、使い勝手などに関してはあきれている。中学生のレベルの仕事にしか思えない。作ったのは優秀な成績で大学を出た人達のはずなんだが、「もしこうなったら、このような不具合の可能性は?」とシミュレートする能力には欠けているようだ。

さらに、このソフトを使って保険組合に提出するシステムがおかしい。データを暗号化するのは良いアイディアだったが、中枢部でまとめて漏洩されたら途中の暗号化など意味がない。しかも、読み取りできないことが続いている。別にこちらのやり方が不適切だからではない。使い手の立場に立って考えていないからだ。大事なことを解説していない。

他の施策を見ていてもそうだ。麻生首相や大臣達の答弁を聞いていても、視点がおかしい。責任逃れに重点があるので、人のやる気や希望につながらない。省庁から出てくる指示がまたおかしい。問題をいかに複雑にし、実効性を奪うか工夫したかのような、おバカな施策ばっかりだ。

核の持込に関することは、昨今の資料の公表によって明らかになってきたが、名言を避けるために要領を得ない答弁があっても仕方なかったかもしれない。アメリカからの要求が施策の根幹にある場合には、答弁がおかしいのも仕方ない。でも、それと関係ないはずの分野でも明らかにおかしい。

今年のインフルエンザの騒動は、大臣のパーソナリティを差し引いても、無駄と無理が目立った。たぶん他の省庁も似たようなものだろう。想像するに、もし外国が攻めてきたら、無駄に劣勢に立たされるだろう。トンチンカンな人物ほど重要な立場に立っていて、不必要に頑固で融通が効かない状態が蔓延しているのだ。臨機応変の対応など期待できない。

こんな社会では若者が希望を持つのは難しい。頑張れる方がおかしいのかも知れない。勉強熱心でいれるのは利己的で、社会がどんな状況でも気にしない、もしくは状況が解らないからこそかも知れない。

とにかく月から持ち帰った情報で、地球の歴史への理解は深まったと思う。最近の図鑑を見ると、子供の頃とは内容が随分違っている。天体の写真も非常に美しい。膨大な予算を使って無駄とも取れる仕事をしてくれた彼らの業績があったからこそ、我々は新しいことを知ったわけで、感謝しなければならない。

まさか「カプリコン1」のように我々がだまされているわけではないと思う。

 

 

2007年10月19日

麦の穂をゆらす風(2006)

- 内ゲバの論理   -

なんて悲しいストーリーでしょうか。主題は愛やIRAの成り立ちなどと言うより、内ゲバだったと思います。

この作品のレベルは高く、実に良くできていたと思いますが、家族や恋人といっしょに観るべきだとは思いません。完全に娯楽の範囲を逸脱した映画ですから、観ても楽しくないし、愛の物語で泣けるわけでもありません。これは、基本的には一人で観たほうがいいと私は思います。この作品はカンヌ映画祭でグランプリを取ったそうですが、確かにカンヌに集まる芸術家達には、最もお勧めの作品でした。

純粋な性格の医学生が主人公でした。彼の仲間は、政治路線としては比較的穏健な派として活動するものも多くなりますが、主人公のほうは急進的で過激なIRAの活動家として、最初は英軍相手に戦い、やがて仲間だった連中の派閥とも対立することになります。

麦の穂をゆらす風というのは、アイルランド民謡のひとつの曲名だそうですが、性能の良いカメラで撮られた草原と丘陵が続く土地の美しさは、確かにこの土地を愛したくなるのも分るような気がしました。その中で、凄惨なリンチと戦争、テロリズムが繰り広げられて、風景との違いが印象に残りました。

急進派と穏健派の対立という構図は、太古の昔から飽きることなく繰り返されてきた人間のクセのようなもののようです。集団において中心となるためには、意見の内容や表現の仕方が斬新であったほうが良い場合があります。皆が不安感を抱いている時は、特にそうです。

そのような急進的で純粋な意見の持ち主は、より純粋さを目指して、ますます急進的にならないと自分も納得できないし、仲間の支持を維持できない傾向があります。純粋さは共感を生みます。理論的な正しさがないと求心力を維持できないから、極端に走ります。

この作品では、作戦会議や裁判の後などに、リアルな議論が繰り広げられます。リアルと私が感じるのは、つまり民族を問わず議論の基本的な内容が同じで、日本でも同じレベルの話し合いをやってるからでしょう。

「これを死守しないと、今までの努力が無駄になる。」vs「ここで妥協しないと、今までの努力が無駄になる。」  「いかなる犠牲を払っても、これを求めずにはおれない。」vs「あれだけ犠牲をはらって、これを求めた意味はあったのか?」 作品の中でもさかんに討論されていたのは、我々の日常の討論と仕方はいっしょです。

議論が正しいかどうかは、結局はどちらの見通しが正確かに因ってくるように思います。突き詰めて考えれば、強硬に攻めて譲歩を引き出せれば急進派が正しく、戦闘に突入して負ければ穏健派が正しかったということになります。正しい分析(対戦相手の戦闘能力、戦いを取り巻く世界情勢、自分達の団結力、戦闘能力)ができれば、おのずと対応は決まってくるはずですが・・・。それがなかなかできません。

最近のテロはアルカイダが中心ですが、つい最近までIRAの爆破テロは頻繁に起こっていました。今もくすぶっていると思います。目の前で肉親を殺されたら、今どれだけ友好的になろうと感情的に許せるはずはありません。

日本では、この作品のようなレベルで日本赤軍等の活動家を描いた作品はないと思います。リアルに描くのは、たぶん命がけの行為になるでしょう。集団の性格としては新撰組や旧日本軍も近いものがあると思いますが、日本ではどのドラマもリアルさに欠けます。視点も、ヒーローものが多いようです。 

 

2007年1月22日

無防備都市

- 昔のリアリズムはおとなしい  -

イタリアン リアリズムの代表作として、名画名場面の特集などで繰り返し紹介される映画ですが、今はもっとリアルな映画がたくさんあるので、殺人のシーンさえおとなしくて迫力不足のような気がします。今は子供が見る番組でもグロテスクな死体が出てきますし、爆発も暴動も普通にテレビで上映されて、かっこいいもののようにさえ感じる子供がいるだろうと思います。

「戦場のピアニスト」でも、人を一歩前に進めさせ、前列を殺して人数を間引く場面など、リアルで恐ろしいシーンがありました。したがって今この作品が上映されても、非人道的行為が目立たないかもしれません。

ドイツに占領された当時のイタリアが舞台です。戦時中でも結婚しようという地下活動家と子持ちの女のカップルがいます。同志の地下活動家がゲシュタポに目をつけられて、彼の恋人を通じて徐々に追い詰められていきます。恋人は活動家が彼女を巻き込みたくなくて離れていることに耐えられず、かえって情報を渡して活動家がつかまる結果となってしまいます。女心は地球上で最も怖いものだと知りました。

子連れの女は、婚約者が連行されるので気が狂ったように車のあとを追ってしまい、簡単に撃ち殺されてしまいます。有名なシーンです。このシーンは今でも迫力がありますが、この迫力は主に彼女が駆け出すのを制止しようとする人達の力加減によるような気がしました。女性の力では振り払えないだろうと思えるほどの力が、彼女の動作でよく分ります。

安物のドラマでは、いかにも演技だといわんばかりの動作や目線が気になります。カメラを意識してしまって相手を見ていなかったりするヒドいシーンも時々見かけます。自分がどこを見て、力がどれくらい出て、それによって重心がどれくらい変化するかくらいは打ち合わせないとリアルな演技は出来ません。実際そうするとケガが絶えないでしょうが。

登場人物で最も魅力的だったのは美しいゲシュタポの女性だったと思います。これに対して、ゲシュタポの親玉はひよわな感じがして、冷酷さに欠けていたような気がしました。もっとゆっくり話させて、にくにくしげに演じさせたほうが我々としては良かったと思いますが、イタリアの観客からすれば彼があせってくれたほうが嬉しかったのかも知れません。

ところどころに監督の実験精神を感じさせる映像がありました。登場人物の移動に合わせて場面が変わる工夫は、昔の映画では珍しいと思いました。でも、効果的だとは思えませんでした。

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