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カテゴリー「ほ」の28件の記事

2016年10月17日

ボーダーライン(2015)

Sicario

- 設定に甘さ -

誘拐犯を追っていた主人公は、麻薬組織のワナによって仲間を失う。マフィア撲滅グループの一員に選ばれた主人公は、メキシコ国境に赴く・・・・

・・・・DVDで鑑賞。麻薬組織と、捜査側のやりとりが非常にリアルに表現され、腹黒い連中だらけの騙し合いが面白かった。いっぽうで、やや陰惨すぎる表現も各所に見られ、子供も鑑賞できるような普通のビデオコーナーに、こんな作品を置いておくのはよろしくないとも感じた。これは、大人専用だと思う。

恋人と観るのも良くない。気味悪いゾンビ映画よりも、もっと気味の悪いリアルな惨殺死体が繰り返し出てくるので、恋の邪魔になりそうに思う。・・・一般的な感覚ではそうだ。ゾンビが趣味の人なら分からないけど。

ベニチオ・デル・トロが良い味を出していた。あらためて思うのは、こんな役柄を最近のブラッド・ピットがよく演じたがっているが、目つきが悪いデル・トロ君のほうが圧倒的にワルの雰囲気が出ており、キャラクター的にピット君は無理だと思う。ピット君はプロデューサー業に徹し、タフガイを演じるのは止めて欲しい。

ジョシュ・ブローリンも、悪役に近い役柄を演じており、この映画の雰囲気作りに役立っていた。ひょっとすると、もっと笑顔が似合う役者のほうが良かったかも知れない。ヤンキーのワルは、やたら明るく、調子が良いのに極悪というイメージがある。だから、少し大人し過ぎたかも知れない。もっとジョークを飛ばして良かったのでは?

ヒロイン役のエミリー・ブラントは、戦士の役柄には体型的に合っていない。もっと好戦的な顔をした体格の良い女優のほうが役に向いていたのではないだろうか?セリフにも問題があったかも知れない。自分が作戦になぜ選ばれたのか疑問に思う前は、仲間の復讐に熱心のあまり、積極的に参加してしまい、やがて後悔・・・そこらが分かりやすいガッツのありそうな女優が欲しかった。

麻薬をめぐる犯罪組織と各国の捜査機関の関係は、映画ほど複雑ではないように思うのだが、部分的には現実を反映した面があっても不思議ではないように思う。映画のように一人のスーパーマンが敵の首領を退治するような話はなく、実際には大勢で押し入って虐殺するスタイルが主流のはずだが。

政府機関がメデジンカルテルのような犯罪組織を支援することは考えにくい。複数の組織が乱立すると収拾が付かない点は確かだが、巨大組織ひとつだけにしたほうが管理しやすいといった理屈は、普通なら受け入れにくいだろう。おそらく、片端から逮捕を続ける方針が、今も続いているのでは?

また、映画のようにトンネルに押し入っても、銃撃戦が起こるだけで、敵の首領につながるルートまで把握できるとは思えない。映画でも偶然に取り引き場所に重要人物がいただけで、組織の上層部につながるルートは、全く別個に発見するしかなかったように感じた。設定に甘さがあったかも知れない。

マフィアが、原罪の警察や政府機関にどの程度の影響力を持っているかは気になる。おそらく、マネーロンダリングした金を使って、正規のルートで資金を使い、政治家や企業に影響力を持っているだろう。献金や投資の形で、金を使っていないはずがない。ワイロも広範囲に渡され、それが脅しの材料にもなっているだろう。

だから根本的な対策としては、おそらくマネーロンダリングができないように、タックスヘイブンを管理することが最も優先されるように思う。いかに捜査機関が頑張っても、資金があれば敵は対抗できるように思う。

 

 

 

2015年10月10日

ホビット 決戦のゆくえ(2014)

Warner

- ゴラム君は? -

火を吐くドラゴンとの戦いは前作から続き、町が壊滅。町の人々は遺跡に入ろうとするが、遺跡の主は財宝に目がくらんで戦いが起こる。人間、ドワーフ、エルフ一族がにらみ合う中、怪物オークの軍団がやってくる・・・

・・・筋書きは、このシリーズの場合、あまり重要ではない。怪物の集団とアクロバティックな戦いが起こり、迫力のある怪物が登場し、英雄的な行為が行われ、剣士が表情豊かに死んでいく、そして美しいニュージーランドの風景、それらがあれば良い。

主人公のビルボ君は、あまり魅力的なキャラクターには思えなかった。「ロード・オブ・ザ・リング」のフロド君とは性格が違う。フロド君は深刻に悩みすぎていて、観客の楽しみを損なっていた面はあると思うので、ややとぼけた味に方向を変えたのかも知れない。確かに深刻すぎてはいなかった。

この作品は、もしかすると前作と合体したほうが自然だったかも知れない。不必要に引き延ばされ、盛り上がりが少しタイミングを失し、間延びしてしまった印象を受けた。元々は2部作の予定だったのを3部にしたから、当然かも知れない。

でも子供にはそこそこ受けるかも。多少の間延びは、こどもにとっては重厚な印象につながる場合があるようだ。TVマンガなどを見ていると、そんな感じがする番組がある。さすがに、気味の悪さの点から考えると、この作品を恋人と鑑賞する意味はあんまり感じられない。

戦いのシーンは迫力満点。でも、さすがに飽きも多少は感じてしまった。シリーズ最初の作品では、城攻めや剣劇をリアルに再現した技術に驚いたが、もう普通になってしまった。今はテレビ番組にも応用されているようだ。DVDに付いてくる宣伝で観られる。

敵の側が周到に用意するワナが、このシリーズの特徴でもある。それで味方側には甚大な被害が出て、誰かが死んでしまう。そこを正攻法で乗り越える点は、まるで日本のチャンバラ映画のようだ。ワナが好きな西洋人も変わったのか?これは世界共通の感覚なのかも。

風景に関しては全く飽きない。「ロード・オブ・ザ・リング」から数えて、シリーズ作品は既に6作目くらいではないかと思うが、何度見ても美しい光景に圧倒される。

人間の町がある湖は、本当にブルーの色をした湖のようだ。メイキング編で解説されていた。町は総てCGで合成されたそうだが、もちろんCGの跡など全くない。巨大なセットができたとしか思えない。

山々の景色も美しい。ニュージーランドは小さな国土ながら、急峻な山があって氷河があり、映画の舞台には最適。

私がシリーズで最も好きなキャラクターであるゴラム君は、この作品には出ていなかったようだ。残念で仕方ない。ゴラム君は凄く長生きしていたはずだから、この時代にもどこかにいたはずだが・・・

 

 

 

2015年6月24日

ぼくたちの家族(2014)

Phantom

- 診断の手際 -

豪邸に住まう社長夫婦。子供が二人。記憶障害が目立つ母親が検査を受けたら、脳腫瘍が見つかる。余命わずか。しかも夫の会社は倒産寸前、妻にも借金、長男は保証人なので一蓮托生の運命、次男は留年中という状況。破綻寸前の家族であったことが判明・・・

・・・映画の題材として最高の話だった。実話を基にした原作小説があるらしい。設定も流れも非常にリアルで、出てくる医者達も実在感に満ちていて、経験者でないと解らないような細かい部分が再現されていた。

基調としては美しい家族愛に満ちた話で、協力しての努力の記録であり、奇をてらった奇想天外な物語でないから、笑いを期待して観る場合には向かない作品。今あるのか知らないが、学校や公的ホールで上演されるような教育的作品にも近い、極めて真面目な路線。家族で鑑賞できる映画と思う。子供でも理解はできるだろう。

妻夫木聡が長男役で、いちおうの主人公だったようだが、この作品では主に4人の主演者が、ほぼ等しい重要な役割を演じていて、4人主演のスタイルだった。

妻夫木の演技は自然で、ちょっと頼りなさそうな、うつむいたままの話し方など、演技演出上の工夫もあって、好感を持った。ただ、もう少し観客の涙を誘う役割を演じても良かったような気もした。引きこもり少年が大きな会社で普通に頼られているのは少々不自然。やっと採用されて、現在も非常に苦しい立場を懸命に維持している、何かあると直ぐに泣くくらいが良いのでは?

次男役も非常に上手い俳優。リラックスした話し方、素振りが非常に良い雰囲気。

父親役の長塚京三は話し方が紳士的で、こんな役をやらせると、これまた非常に上手い。ドスを効かせるタイプの社長だと他の俳優に代わらざるをえないが、決断力や実行力に欠ける人物、でも一定の社会的地位がある、そんな役には最適。中村雅俊も、最近はこんな役をよく演じている。

妻役の原田美枝子は、筆者の小年時代はグラマー、セクシー系の代表のようなイメージだったが、いつのまにやら善き老妻役が似合うようになってしまった。時の移ろい、ものの哀れをしかと感じるに至った筆者であった。

記憶障害者を演じた演技は、非常に感心するほどのキレのようなものは感じなかったが、テレビドラマの女優達の演技より高級な印象は受けた。異常なんだが、隠そうとしている、取り繕う、気づいていない、そんな逆の精神活動を表現できると非常にリアルになる。だから彼女が自分自身の障害に気づいて深刻な表情をすることが必要と思うのだが。

結局、病気の診断の手際が、家族に大きな影響を与えていたと思う。医者の能力や対処の仕方によっては、この家族の苦しみは多少は違っていたかも。最終的な病気の経過に関しては大差がなかったとしても、手際が良いか悪いかは、家族には大きな問題。

画像が何度か登場していたが、CTだけで診断しようという点が気になった。CTを見る自分の目に自信を持ってよいか、そこが大事。脳腫瘍には各種の画像上のパターンがあるようだが、あくまで傾向があるにすぎない。いかなる名医でも、CTだけで診断できるはずがない。

たとえ20年前だとしても、MRIは必須だろう。命に関わる病状が明らかな場合、診断は緊急性を持ってあたるべきで、少なくとも当日中か翌日くらいまでにはMRIを受けさせるべき。関東では検査を受ける際の便利が良くないのだろうか?

もしMRIの予約に凄い時間がかかるなら、とりあえず脳浮腫を治療することが優先される。ケイレン、ヘルニアなど起こしたら、検査どころではないから。その場合、検査を後回しにする理由を説明できないといけない。

知り合いなどから相談があった場合は、先にMRIを予約してから受診させたりしている。質的な診断が必要な時は、いずれにせよMRIが必要になるから、まず受けるべきで、その後に造影検査などを計画するのが普通。この作品の検査の流れは妙だった。明らかに脳出血の典型的パターンだったら、費用的な理由からMRIは省略すべきかもしれない。でも脳腫瘍の場合、CTもMRIも必須。

見えた限り、脳浮腫が明らかな画像だった。それなら、入院して減圧をまず試みることは正しいかも知れない。根本治療でないとしても、当座の危険性を減らせる。その点に関しては間違っていない。今でもステロイドとグリセオールだろうか?でも、同時に診断も進めないといけない。数日中にMRIは必要。

結局、診断の遅れが家族を迷わせた可能性はある。初診時の担当医には何かミスがあったかも知れない。紹介状の問題も妙。他の医療機関への紹介は断わるべきでないというのが常識。できない場合は、脳浮腫があるから動かせないといった説明は必要。たまに偏屈者の医者が紹介拒否したりするが、普通は患者の希望に従うだろう。

特に命の危険が迫っている場合はそう。延命はできても、完全治癒はできない病気の場合、総て患者側の希望に従うべきと思う。治癒が可能な場合は、かなり病院側の勧めもやるべきと思うが。

MRIでは何度か失敗した。

ちょうど冠動脈ステントが広まった時期とMRIが広まった時期は一致している。ステント挿入した患者を検査してよいか確定していなかった時期、予約したためにキャンセルとなって文句を言われたことがある。確かに当時は曖昧だったので、事前の確認が必要だった。

CTで髄膜腫が疑われる患者。つい最近のMRIでは問題ないと言われたとのこと。妙だなと思って、神経内科の診断を脳外科にチェックするよう依頼したら、神経内科の誤診が明らかとなってしまった。すると神経内科から怒りの電話がかかってきた。プライドを傷つけた結果と思うが、こちらに文句を言うとは・・・

その種のプライドは、勉強する上ではやる気につながって意味があるだろうが、診断や速やかな治療に際しては、この映画の例でも想像できるように、支障となる傾向がある。医者の感情、プライドを患者の利益のために捨てられるか、そのへんを改善するためには、絶えず医者を評価するシステムが必要だろう。

有能な医師でも、基本的に真摯な態度を保つ必要がある。間違わない医者はいないので、間違う可能性を絶えず認識し、独善的な治療の進め方に陥らないようにしないといけない。

 

 

 

2015年6月 9日

鉄道屋(1999)

Touei

- 滅びの美学の表現 -

国鉄一筋数十年、今は駅長を務める主人公は、責任感が強く、妻や娘の臨終にも立ち会えないままだった。路線の廃止と自分の退職が迫ってくる・・・

・・・浅田次郎原作の短編が原作らしいが、読んだことはない。素晴らしい設定の話だった。5月19日、衛星放送で鑑賞。

美しい話。滅び行く者の哀感、愛情や友情など、話を形作る要素が総て美しい。この種の滅びの美学が万国共通のものか知らないが、少なくとも日本ではメジャーな路線だと思う。そのためもあって、この作品は家族で楽しむことができると思う。ただし、小さい子は退屈するかも知れない。

主役の高倉健は、実年齢は役よりはるかに上だったと思うが、メーキャップ技術が良かったのか、かろうじて役柄に合致していた。いつもよりセリフが多い気がしたが、原作のセリフがそのまま残ったからではないかと想像する。

共演者が大勢出ていたが、子役に素晴らしい娘を選んであって、可愛らしかった。当時の広末涼子はニヘラニヘラした笑顔が気になったが、この作品では適度に抑え気味の笑顔で、なかなかの好演。でも、もし可能なら悲しげな表情を中心に演じて、メロドラマの盛り上げ効果を狙っても良かったのではと感じた。

大竹しのぶや、その他の俳優達も全般にセリフが多い。普段は黙って芝居する傾向がある俳優でも、やたら話したり、電話で一人芝居をしたり、ちょっと忙しい芸風に変わっている。でも、それが良かった。あまりに寡黙すぎると、暗くなりすぎるきらいもあるから。

珍しく志村けんが出演しており、まことに真面目な役者ぶりで演じていた。彼の本当の顔つきは、実はかなりシリアスな芝居向きのように思う。先日のNHKのギャグ番組では、サラリーマン役を終始厳しい表情で演じていたが、あんな顔だと深刻なドラマでも充分にやれそうだ。

おそらく、そのへんを見越した高倉健やスタッフが、話題集めの一環もあって呼んだに違いない。タイトルもよく考えてあった。普通の言い方では誰も注目してはくれないはず。「ぽっぽやって何?」と意外性を持たせたのは効果抜群だったろう。

‘ぽっぽや’という言い方が一般的に使われていたのか分からない。国鉄職員の間では普通だったのか?それに、作品の中で繰り返し使われるべきだったかも分からない。何か自虐的な意味合いなどで、仲間内でこっそり使われる用語なら、もっと回数を絞って使われるべきだったかも。

クワイ川マーチが使われていた。主人公は日本の復興に尽力しようという認識を持っていたから、かなりの軍国青年だったはずだが、その周囲の人間が、日本が悪役の映画の曲を平気で好むところが面白い。実際、日本人の多くは名作として「戦場に架ける橋」を楽しみ、曲も口笛を吹くまで親しんで、何の問題も感じなかったろうと思う。日本独特の感覚かも。

夢のような話が後半に登場していた。ところが、他の映画でよく使われるノスタルジックな雰囲気や、メロドラマ調の盛り上げ方はされていなかった。ちょっと妙な態度の娘達が登場していたが、ごく普通の色彩の中、ドラマの演出はごく普通。

「ニュー・シネマ・パラダイス」のような、強い郷愁、抑えがたい愛着を感じさせる演出でなかったのは、やや意外な印象。滅び行く職場や、終わりつつある自分の人生を思うなら、もっと主人公の心が震える様子が分かったほうが良い。何か狙いの違う演出だった。舞台や、テレビドラマ的な印象を受けた。

都合の良いタイミングで、寺から電話がかかるのもおかしい。その点は常識的に気づきそうなものだ。どこかで事前に寺と電話で話すシーンを折り込み、毎日のように電話がある関係を描いておくなら自然だが。

そう言えば、カメラの移動が少なかった気がする。列車を撮影する時も、同じ位置。駅の光景も数種類の位置からの視点に限定。主役と娘が会話する際も、カメラはほとんど固定されたままだった気がする。

滅びの美学、亡くなった者への感情を表現する場合、昔からの約束のようなものから外れない方が良いと思う。互いの感情の変化に合わせながら、カメラの位置も変化しないとおかしい。

 

 

2015年4月19日

僕達急行 A列車で行こう(2012)

Touei

- 雰囲気だけ -

不動産会社所属の小町と、鉄工所勤務の小玉は、鉄道が趣味で意気投合した。二人は転勤や会社の資金不足と、互いの恋愛に関して悩みを抱えていた・・・

・・・・衛星放送で鑑賞。登場人物には列車の名前が付いている。ギャグの意味だろう。かなり徹底した鉄道オタク映画。興味のない人間には意味のないギャグもあり、一般受けするとは考えにくい企画だと思う。これが森田監督の遺作らしいが、だとすると寂しい。

この作品には悪役がいなかった。ほんのりとした雰囲気で、にこやかな人物同士が会話する場面が多く、対決、勝負の要素がほとんどない。恋愛関係も少し発生するが、会話のシーンくらい。濡れ場らしい場面は全くなし。こんなんで良いのか、少し疑問。

全ての映画に濃厚なラブシーンがなくても良いだろうから、こんな作風があっても怒ることではない。ただ、金を払ってこの作品をわざわざ観る客を想像しにくい。鉄道オタクであっても、映画には大きな物語を要求する観客は多いかも。映画は映画、鉄道は鉄道。

主演は瑛太と松山ケンイチ。瑛太のほうは彼独特の髪型をして、かなり女性的な輪郭。性格的にも非常に大人しい。松山のほうは髪型はスポーツ刈に近いが、こちらもまた大人しく、出世に燃えてそうな感じなどなし。両者とも肉食系の気配なし。

いまどき男子の理想形は、このような個性なんだろうか?

ただし鉄道オタクは、いまどき流行の最先端ではない。多くの人たちが時間として最も大きな比重で使っているのはメールやSNS、モバイル端末でのゲームではないか?趣味に使う時間をも奪っている気がする。それでもサッカーやサーフィンなどはメジャーな趣味。鉄道趣味はあくまでマイナー路線であろう。

雰囲気だけとれば、彼らのような若者がメジャーかも。生活臭のない、大人しい男子。でも一時期の就職難の影響で、かなり厳しい競争意識や焦りを漂わせる人も多いような気もするし、格差に打ちひしがれた人も多いように思うので、千差万別かも知れない。彼らは勝ち組にあたるかも。

時々、男二人だけが遊びに出かけてる姿を見る。目的はガールハントかな?あいつらモテそうな顔してないから、連れて行く女がいないだけか?ついつい、そんな評価を下してしまう。家内などは失礼にも、「あんな野郎になってはいけない。」と、子供に説教している。彼らもそんな視線を感じて、目線を合わせない。

この映画の二人も、おそらく同じ車輌内の客からは、そのような視線を向けられていたに違いない。あるいはホモセクシャルだろうと想像されていたりもするだろう。彼らは少なくとも旧式の観点によれば理想ではないと思う。

彼らに共感はできなかった。魅力的な生き方とは感じない。ガツガツしていない点は良かったが、あまりに偶然の幸運が多すぎると思うし、現実感のないキャラクターで、憧れの対象になりにくいのでは?鉄工所は経営破綻寸前、松山の仕事には何も進展がないのが普通だ。

できれば、もう一人くらい、同じ鉄道趣味だけど、何かに失敗して会社をクビになるような仲間がいたらどうだろう。彼への態度で、もう少し思いやりや連帯といった通常の友人関係にある要素が増す。普通の青春モノになってしまう欠点もあるが、現実感を取り戻す効果はあったのでは?

幸運を期待し、趣味に生きる、好きな方面で交流を拡げるのが理想・・・確かにそうではあるが、現実としては会社の論理、会社内の人間関係のほうが重要なことが多い。それに引きづられてはいけないんだが、現実社会にそうそう幸運はない。

ただ、現実社会を正確に写しても、気晴らしにはならない。そんな映画をあえて観たいと思えない。夢の話として、生活が極めて安定しているなら、趣味に重点を置くのも大事。人間らしい生き方は、その人の魅力にもなる。

共演の女優陣には貫地谷しほりらがいたが、大恋愛には至らなかったので、彼女らにも思い入れは生じなかった。それなりの魅力をほんのりと漂わせていただけの印象。実際、よい娘はさっさか去ってしまうものだ。

この作品の狙いがよく分からなかった。何か暗示しているものでも見逃したのか?お伽噺を作ろうと考えただけだったのか?

筆者もお伽噺は嫌いではないが、現実感のある話のほうが好きだ。怪物が出てこようと、宇宙に飛び出そうと、登場人物に現実感のある物語が欲しい。その点、この作品は雰囲気に酔いすぎていたように感じた。

趣味を通じて人間関係を拡げることができたら素晴らしい。その点は、この作品で再認識した。飲み明かすような濃厚な関係でない点が、昔ながらの友人関係とは違っていたが、濃厚な関係は学校や職場でないとできにくい。そして職場の人間関係は、昔とは違う。今は管理や規則がやかましい。

筆者(劇場主)も子供の頃には趣味がいろいろあった。切手も少し集めたが、資金力に限界があって長続きしなかった。コインも相当頑張ったが、同じく希少価値のあるものは子供には手が出ないから、諦めが必要。化石採集もかなりやったが、これは遠出できる範囲に限界がある。

魚獲りは一番の娯楽だった。趣味と言えるかもしれない。臭いや魚の表情のようなものも鮮烈に覚えている。これは近所の子供に共通する遊びで、大物を捕まえれば極度の興奮が味わえ、最高の娯楽だった。手で触った魚の感触、逃がした時の落胆、獲物の自慢、あの時の感覚が懐かしい。しかし、鉄道のように続く遊びではない。大人になって川魚を採っていたら頭がおかしいと思われる。

暇になったら陶芸などやってみたいが、おそらく無理だろう。運動関係の趣味は、関節や視力の関係で無理。鉄道は確かに良い趣味だろうが、時間的に難しい気もする。まだまだ子供の相手で余暇は完全に消えてしまっている。20年も子育てしているから、他が何もできていない。

子育てが趣味か。

 

 

2015年1月13日

ボラット(2006)

Pamela_anderson_2

- 女神降臨 -

カザフスタンの架空の報道員がアメリカを旅し、住民達とトラブルを起こしながらカリフォルニアでパメラ・アンダーソン嬢と結婚を目指す物語。DVDで鑑賞。

この作品は撮影の際、ほとんどの住民達には何も知らせず、勝手に撮影して映画として公開してしまったらしい。当然怒る人たちも出るわけで、作品の公開の後にはいろいろと訴訟沙汰があったらしい。賠償がどうなったのかは知らないが、迷惑な企画をやらかしたものだと思う。

アイディアが素晴らしかったかどうかも疑問。日本のバラエティ番組のほうがまだマシだったかもしれない。架空の国を考えて、能天気な住人が騒ぎを起こすなら問題ないが、実際に存在するカザフスタンをバカにするような表現は、笑って済ませられるのかと思う。一定の配慮は必要だろう。

いっぽうで、アメリカ社会の問題点、住民の本音の部分の表現に関しては非常に優れたルポだとも思った。突撃インタビュー形式でないと、なかなか本音は出てこない。人種差別意識に関しても、例えば日本人の記者が質問しても構えられてしまって本音は出てこない。こんな形で乗り込めば、彼らの本性が表現できる。その点は優れた企画。

ちょうどマイケル・ムーア監督の作品と似ている。あちらのほうがずっと高尚な路線だが、突撃インタビューの手法は同じ。後で笑われる出演者達には気の毒だが、第三者にとっては面白いし、本性の点は興味深い。この作品、日本人なら許容できる。ただし、正直に言って好感を持てる作品ではなかった。

子供には向かない作品。恋人と観ることも、ちょっと想像できない。でも、若い学生などがドヤドヤ騒ぎながら観て笑って過ごすには最高かも。毒のある笑いは、学生時代には必要な面もあると思うから。

この作品のアイディアは、イギリスのテレビで人気を博していたらしい。確かにイギリスや日本のテレビ限定なら人気は出ると思う。しかし映画の場合は観客が英国人や日本人とは限らないことが一番の問題。カザフスタン人が見るかも知れない。

この作品の場合はテレビの企画を知らない人たちを写して、笑いの対象にしている。テレビだって外国で放送されることがあろうが、元来テレビはスタジオ限定という意味合いから考えると、テレビはOK、映画は疑問という企画。やってしまったものは仕方ないが、製作者達は訴訟を受けないといけないだろう。作り方を考えるべきだった。テレビ向きの企画と思う。

1月10日頃、フランスの新聞社でテロが発生した。それに対して、昨日はパリで大規模な抗議デモがあって、160-200万人も集まったらしい。表現の自由と宗教や人種の問題は、根が深くて簡単には解決できそうにない。

事件の根底には基本、フランスの植民地支配の後遺症はあると感じる。今回もアルジェリア出身者の子孫が犯人の一人だったらしいが、おそらく仏国国内で仕事のことなどで不満を抱えているアフリカ出身者は多いだろう。失業率が日本とは違うから、それだけで誇りを傷つけられて育っているに違いない。かって彼らの祖国を支配したこと、労働者を呼んだことのツケは払わないといけない。

自由が大事なものであることくらい、誰でも知ってはいると思うが、現実に虐げられて育った住人には、差別や反目がないことのほうが重要で、口先だけで自由と言われても偽善としか思えないだろう。その認識の不一致を解決する方法は、基本は経済的に好調を維持し、職を提供するしかない。職があれば誇りはかなり保てるが、職が保障できないと理念だけで納得させることは絶対に無理。オレの祖国がフランスだと思ってもらわないといけない。

おそらく、今後は警察の捜査が一段と強まるだろう。もともとフランスの警察は非常に暴力的で執拗だと聞くが、さらに強硬になってアフリカ系住民とのトラブルは増えてしまうだろう。でも、テロ防止のために管理は必要と思う。融和政策の進展も必要。もともと西欧諸国は人種の融和に努力をしているはずだが、もっと計画的で大がかりなものになるのでは?

工夫はされると思う。それでもテロは頻発するだろう。武器は出回っているし、EUの経済が不安定で、雇用が満足されるとは到底思えないし、イスラム国が続こうと破綻しようと、戦闘員達が多数残ることは間違いないので、残党が絶えず攻撃を仕掛けてくるに違いない。不安が一掃されることはないだろう。それでも最小限の被害に留めるべく、努力するしかない。

日本は、あせって外国の労働力を安易に受け入れないことや、人口が減らないように資金を投入すること、宗教や人種への偏見を生まないような教育を継続することなど、昨今やっと見えてきた政策を続けて行くしかないと思う。ただし、充分に教育されてきたはずの日本人が、激しいヘイトスピーチをやらかしてるそうだから、ある程度の数の人には融和の努力も意味を成さないかもしれない。

対立、暴力、戦争がいかに不幸で悲惨なものか、それに対する恐怖をどの程度実感できるか、その認識の程度が高ければ最後の砦となってくれるだろう。それらよりも今日の反感、誇り、収入が大事と感じるようになったら、なるようになるしかない。全ての対立を消すことは難しい。せめて反感を煽るような内容は、いかに優れたジョークとしても使えないと思う。

 

 

2014年12月 9日

ホタル(2001)

Photo

- 昭和を引きずり・・・ -

特攻兵だった主人公は、戦後も特攻の過去を引きずる。妻の病状が悪化し、天皇の崩御を機会に仲間の一人は何かを決意したようだ。また、韓国人特攻兵の遺品を遺族に届けることを頼まれ、苦慮する主人公だった・・・

・・・重いテーマを扱った作品。11月25日のBS放送で鑑賞。高倉健特集のひとつだった。

高倉健でないとやれない役だったと思う。高倉は昭和6年の生まれだから、幼少時は軍国少年だったろうと想像する。特攻兵の役は、同世代に近い人物を演じることになり、今の若い俳優達が演じるのとは感覚的に違ったものがあると思う。

でも思い入れが強すぎると、軍隊礼賛になってしまったり、極端な反戦主義から兵隊を軽蔑する姿勢が強くなってしまう。演出も演技も非常に難しい。それでも特攻の問題は、昭和の終わりには考えてみるべき・・・そんな意図が感じられた。

自分の過去を誇らしげに語らない人物を演じるに、高倉健以上のタレントはいない。彼も若い頃は二枚目で、そんなに良い老け役になりそうな予感はしなかったが、渋く齢をとることに成功した。寡黙でたくましい俳優はたくさんいるとしても、役歴やイメージの面で高倉健が圧倒的なイメージがある。彼の元々の個性や生活ぶり、自制的な態度が可能にした成功だろう。

珍しいように感じたが、鶴を眺める主人公が「鶴に負けてはいられない。」といって求愛ダンスを真似るシーンがあった。はしゃいで妻を笑わせようとするが、重いテーマの作品の中で救いとなるシーンを入れたかったのだろうか?高倉健がギャグめいたことをすると、普通の俳優がするより印象が残る。あのシーンの前に、「ああ、あれは求愛ダンスだな。」といったセリフがあると、もっと良かった。

妻役の田中裕子は、私のイメージでは年齢的に高倉とは合わない気がするのだが、演技力や独特の笑顔など、他の女優にない魅力を使うために、高倉とのコンビが出来上がってしまったのだろう。

ただし、この作品では若い時代の御両人と現在の二人の風貌が全く違っていた。適当な俳優がいなかったのだろうか?少しでも似た人を選ぶべきだったと思う。たぶん、外人が鑑賞する時には何かテロップのような手段で解説しないと、とうてい理解はできないだろう。

特攻作戦・・・悲惨さの極限。もともと人道を無視した軍隊の行動の中でも最悪の作戦。でも映画の題材としては逆に最高になる。問題は描き方。軍隊礼賛になるか、徹底批判になるか、何に焦点を当てるか、何を演出するかによって正反対の映画が出来上がる。

「永遠のゼロ」と、この作品。作り方や感じ方がかなり違うことは直ぐ感じる。同じテーマを扱っているはずなのに・・・

元特攻兵であっても、考え方は様々だろう。当事者でも、正確な事を話せるとは限らないと思う。彼らなりの脚色を含んだ証言になってしまうことは避けられない。ただ、仮に旧日本軍を礼賛する人たちでも、さすがに特攻作戦は無謀で意義が低いとは感じると思う。犠牲になった若者達への思いは、右翼も左翼もそれほど違わないと思うのだが、その描き方は随分と違う。

兵士が納得して出撃したように描く映画があれば、ただ無駄にやられるシーンばかり写す作品もある。敵の船に当たるシーンと、失敗して海に落ちるシーンの比率は重要。船に当たるシーンが多いと、作戦はかなり成功していたと肯定的に表現することになるが、ほとんどが撃ち落されるなら無茶な作戦だったことを訴えることになる。実際の割合は実証が難しいから、つまり史実通りというも無理。描き手によって如何様にもなる。

そのへんのバランスに関して、この作品は異質な印象を受けた。監督は左翼支持で有名な方らしいが、特に軍部を攻撃するばかりというイメージは受けなかった。責任問題より、兵士達への追悼に焦点を絞るために上官を登場させなかったのが正解だったように思う。悪役の上官を登場させて特攻兵を殴らせたりしたら、救いようのない作品になってしまう。この作品は追悼がテーマであるから、恨みは排除すべきだった。

恨みを主体に考えるのが悪いとは言えない。犠牲が激しかった人に「恨みを捨てて追悼しろ」「賠償は済んだ、協定を結んで処理済みだ」などと言えるのは、やはり反省が足りないのだろう。相手方に突っ込まれないためもあるのだろうが、自分を正当化しようとしているのは間違いない。

恨みが消えていない人達からすれば、この作品の高倉健でさえ、いい格好のしすぎで許し難いものかも知れない。美化が足りないと感じる人と、どうせ許さない人の双方から攻撃される、それが戦争に絡んで引き起こされる。

生還できた兵士達や整備兵のインタビューを読むと、志願するように仕向けただけで、実際には逃れようのないように巧妙な手順を踏まれ、命令されて特攻兵にさせられていたようだ。いかに勇敢な兵士であっても、生きて帰ることすら許さない作戦は、さすがに納得が難しい。

実社会での話。犠牲になろうという精神は、日本国内でも多く見かけるものではない。道を譲る、対向車を入れてあげるような簡単な場面でも、酷い自己中心的な人が多い。人を助けようとして自分が犠牲になる人の話はニュースになるが、それは要するに多くないから。軍人だけは皆が犠牲に耐えるとは考えにくい。醜い場面も多かったはず。昔も今もそうだと思う。

朝鮮半島出身者の特攻兵がどれくらいいたのか知らないが、彼らの心境は計り知れない。彼らも徴兵されていたのか志願したのか、それすら知らないのだが、少なくとも逃亡することは出来なかったはずで、不運、矛盾、憤り、諦観が彼らの心を苛んだことだろう。

悲劇的な兵士達を象徴する存在として、ホタルは最適な題材だった。いかにもはかない運命をイメージさせる。「火垂るの墓」に使われたように、ホタルは死者を思わす重要な要素で、サクラもそうだったが非常に印象に残った。

ただし、夕方でもない時間にホタルを飛ばしたシーンがあり、さすがに無茶な印象も受けた。大事なシーンだから、夕方まで待って撮影すべきだったのでは?カメラの技術は実に素晴らしい映画なんで、暗い海を背景に主人公が語るシーンなどは抜群に鮮明な撮影をしていた。ホタルのシーンも同様にやって欲しかった。

途中でシーンが急に変わる点も気になった。東北の風景から鹿児島のシーンに急に変わる妙な展開があった。それぞれのシーンが素晴らしくても、展開には一貫性がないと理解し辛い。「あなたへ」でも、そんな傾向があった。編集者だけが解るような編集では困る。また、桜のシーンや少尉が話すシーンが二度ほど繰り返すのも妙だった。印象的なシーンにするためには、あまり繰り返してはいけない。

昨今のアラブのテロリスト達がやる自爆行為。敵の兵士に限らず、一般の民衆も犠牲にすることを厭わない点が理解できない。かっての日本軍や各国のゲリラ達も相当な数、自爆をやっていたようだ。今のテロリスト達の頭の中で、どのような決心がなされているのか、そのへんが理解できない。

日本軍がやった中国への爆撃も無差別だったらしい。だから少なくとも日本軍が常に一般人を守ったとは言えない。特攻は主には敵の戦艦を狙ったものだったが、精神面においては特攻と今のテロを全く異なると断言できないかも知れない。「全く違うものだ!」と強弁する人もいるが、人命無視、非道で無茶な点など、類似点も間違いなくある。

 

 

2014年11月12日

ホビット 竜に奪われた王国(2013)

- 観光宣伝作 -

火を吐く竜に奪われた王国を取り戻すための旅に出た一行は、ついにかっての王国にたどり着く。しかし竜の退治に失敗し、また魔王の復活をも知ることとなる・・・

・・・ニュージーランドの素晴らしい風景、高度なCGによる怪物や建物の迫力、役柄に徹した役者達の活動が素晴らしいシリーズ。バカバカしい御伽噺ではあるんだが、怪奇時代劇の西洋風完成版みたいなもので実に見ごたえがある。12月には最終章が公開されるらしい。劇場で観たいとは思えないが・・・

基本として、子供映画だと思う。この作品に最も興味を持つのはオタクの世界の住人ではないかと思う。見たことはないが、たぶんフィギュアなども多数作られているのでは?女エルフのフィギュアを毎晩抱きしめて寝ている若者がいるような気がしてならない。そんな変態は置いとき、この作品は家族で楽しむことが出来ると思う。

CGのレベルは作品ができるたびに、どんどん上がっていると思う。動きはより自然に、力感も増している。竜の動きが早すぎること、重量の表現が不足していた点は少しセンスとして間違っているような気がしたが、そのほかに関してはアラらしきものを感じない。

風景が、いつも思うのだが素晴らしい。金も時間もかかるが、ぜひ一度ニュージーランドに行ってみたいと思う。確か世界遺産になっている氷河は、海岸の直ぐ傍まで迫っているそうだし、国が小さいから観光で回るにはベストの国ではないか?1週間くらい行けたらよいが・・・

架空の時代劇だから、演技は大仰で、ギャグも古く、爆笑するには至らない。子供達は退屈するかもと思える静かなドラマの時間も結構長い。大型のクモや巨大な怪物が登場するシーン、敵のゾンビもどきの怪物と剣や弓で戦うシーンはそこそこ楽しめると思うが、よほど連続した動きの中で構成しないといけない。この作品は、連続技の意義をよく理解していた。

エルフの国から主人公達が川を使って逃れるシーンは、長い上に次々と敵が襲ってきて実にダイナミック。湖畔の町で襲われるシーンも、ただ剣を交わすだけではなく、蹴ったり殴ったり、逃げたり追いかけたり、そのバランスが上手く構成されている。アクション部門を専門にスケジュールする人がいないと、ああはできないだろう。

気になっている点がある。この作品で大きな存在の竜だが、確か「ロード・オブ・ザ・リング」の中で登場していた竜と、少し形態が違っている。このシリーズの最後がどうなるのか知れないが、あの竜がいったん退治されて形を変えてまた復活したという設定にするのだろうか?違う竜にしようというのか?

財宝の倉庫の今後も気になる。「ロード・オブ・ザ・リング」では同じ宮殿の中で財宝が登場したろうか?なかったとしたら、このシリーズの中で埋もれるか奪われるか、何かの変化があるはず。そんな細かい理屈面も処理しないと、本当のお伽噺になってしまう。シリーズのオタクファンは、おそらく細かい理論的整合性が気になるはず。

エルフの王子役のオーランド・ブルームは、ロード・オブ・ザ・リングで始めて知った俳優だが、このシリーズにも出演していて、おそらく次回作でも大事な役割を果たすだろう。個人的に思うのは、できれば自分なら同じ役は演じたくないと考えたろうということ。役柄が固定されるし、イメージとして「他に仕事のオファーがなかったのね」と思われるのも好ましくない。彼はどう考えたのか?

 

 

2014年5月22日

ホビット 思いがけない冒険(2012)

- もっと真面目に -

ドワーフの王国を滅ぼしたドラゴンに復讐しようと、ホビット族の青年達が旅をする物語。DVDで鑑賞。

「ロード・オブ・ザ・リング」の前の世代の物語を、同じスタッフらが集まって作った作品。三部作になっているそうだ。

本当によくできた話で、原作も大作らしいのだが、映画のほうも実に長く、しかも手抜きを感じさせない、ちゃんとした時代劇風の演技、演出が素晴らしい。日本でも時代劇は家族で安心して見られる。この作品も家族で楽しむことができると思う。ただし、幼稚なストーリー、陳腐な演出は覚悟しないといけない。

あまり知らないのだが、欧米では日本の時代劇に相当するドラマが絶えず制作されていて、剣劇や時代劇風の演出、演技の下地というか、約束事の類が蓄積されているのではないだろうか?何も言わなくても皆のセンスが合致しているかのような、独特の盛り上がりを感じる。

キャラクターも非常に素晴らしい。最も魅力的~もしくは奇異なキャラクターは、指輪の魔力に犯された二重人格のゴラム君だろう。彼の動きはモーションキャプチャーで描かれているのだろうが、その表情の微細な表現が実に上手い。気味は悪いけど、可愛らしさもちゃんと表現されている。よく考えたキモカワ系キャラだ。

基本は童話程度の物語で、いい大人が賛美するのは少々恥ずかしい。でも、技術的完成度に関しては誰も批判できないのでは?高度な映像技術で、時代劇を作れば・・・そこが、このシリーズや「ロード・オブ・ザ・リング」の企画の基本コンセプトだろう。それが成功している。

厳粛な雰囲気も漂わせるが、特に険しい山々の風景を写す場面では、子供映画のレベルを超えた、何かのドキュメンタリーのような雰囲気になる。ニュージーランドには映画の撮影場所をめぐるツアーがあるそうだが、本当に美しい。

主人公のキャラクターは、少々オトボケが過ぎる感じを受けた。大真面目なキャラクターのほうが良かったと私は思う。無理やり押し入ってきた客人達に対する態度は、漫才のギャグに近い子供向けの態度だったが、作品のレベルを下げてしまうような気がした。本気で怒らせたほうが、かえって観客にはおかしかったりすると思う。

リチャード・アーミテッジという役者さんが実に良い顔をしていた。日本の時代劇にも、時代劇でないと存在感が薄い役者がいるのだが、アーミテッジ氏も現代劇では少しオーバーすぎるかも。ギャング映画には向くだろうが。

2014年3月26日

ホワイトハウス・ダウン(2013)

Columbiasonyetc

- 条件整いすぎ  -

アメリカ議会の警護官を勤める主人公。娘と訪れたホワイトハウスで、偶然テロに巻き込まれる。大統領を狙うテログループと戦うが、思わぬ黒幕が隠れていた・・・

・・・不思議なことだが、ほとんど同時期に「エンド・オブ・ホワイトハウス」という作品も作られた。どう考えても何かの情報が伝わり、アイディアを利用して別の作品を作ったとしか思えない。映画は多くの技術者が集まるから、どんな作品なのかは直ぐに知れ渡り、俺達はもっと良いアイディアで・・・と、話が進むのかも。

この作品の主人公のキャラクターはよく出来ていたと思った。条件が整いすぎて、できすぎた感じすらした。元兵士、議会議長のボディーガードで、大統領護衛官を希望、ホワイトハウススタッフには昔の恋人がいて、しかも今は離婚した後で娘との関係もよろしくない・・・揃いすぎていると思う。

まとまりすぎて、新味に欠ける印象が少しあった。期待を裏切る展開があったろうか?次に何か起こるか、ある程度は予想できるほうが安心感はあるけど、観客にハラハラさせる逆転、再逆転の仕掛けには、やや不足気味。

本職の脚本家が集まって作ったような、完璧すぎる臭いを感じた。もう一作がジェラルド・バトラーのオリジナルアイディアが先走ったので、脚本家協会として本領を発揮してやろう・・・そんな駆け引きが生じたのか?まあ、面白ければ我々としてはどうでもいいのだが。

ローランド・エメリッヒ監督には良いイメージがない。スター監督になった後は、どうもCGだけにこだわったかのような、味が大雑把な作品が目立つ印象。ヒット作を次々作るから、製作者からは重宝されているようだが、センスに疑問あり。でも、この作品は設定が良かった点もあって、悪い点があまり気にならなかった。まとまりがあって、CGやアクションも満載、良い活劇だったのでは?

活劇好きな人間なら、子供でも大人でも、恋人でも他人でも、誰とでも観れそうな気がした。この作品が日本で大ヒットしたような話は聞かなかったが、アメリカでならヒットしてもおかしくない。

主演のチャニング・テイタムは申し分ないと思った。体格、動き、個性ある表情は、少しひねたヒーローに最適だと思う。ヒロインに相当するマギー・ジレンホールもよく出てくる女優だが、こちらも特徴ある顔が印象的。際だつ美人ではないと思うのだが、ちゃんと頭を使ってそうな役をさせると、なぜか非常にリアル。

今回の大統領役のジェイミー・フォックスは、個人的にはミスキャストと思った。オバマ氏のような威厳を出す必要はないが、大統領として実在しそうな重々しさが感じられなかった。あちらの感覚では違うのだろうか?

テログループを引き入れる護衛官は良い味を出していた。できれば、彼の妻も事前に作戦を総て理解し、納得している設定のほうが良くなかったろうか?敵にも一理あったほうが、物語の重みが違うから。

犯行の実働部隊の連中も、それぞれの個性がちゃんと描かれていて、なかなか丁寧な演出だった。部隊内部の意見の対立や、成功、失敗が細かく描かれたら、それでリアリティは増す。細かい諍いをちゃんと挿入していたのは、やはりプロの仕事だったのだろう。

CGも美しかった。でも、ワシントンの街中を戦闘ヘリが飛び交ったら、古い町なんで、壁の一部などが壊れるビルも出る気がするが、空気の振動、窓のゆがみ、音響などに関して、少し不足する何かの技術的問題があったようには感じた。

戦闘機のパイロットには、遥か彼方の少女が旗を振っている姿が見えるのだろうか?よほど視力が良いのだろう。また、少女がいるからと命令を拒否するようで、職務が務まるのだろうか?その点は疑問に感じたが、美少女が好きなパイロットだったんだろうと、お茶をにごすしかない。

実際のホワイトハウスは、すぐ脇の小道、確か公園と道路つなぐ歩道だったか?を誰でも歩いて行けるので、誰かに紛れて入ろうとすれば可能なんじゃないかと思えた。建物の中に入る段階で、おそらく顔なじみしか入れないような検問があるんだろうけど、内部に複数の協力者がいれば、このい作品のように侵入することも可能かも。

銃火器を詰めたトラックを傍に停めていても、なにしろ広いし、あんまり気にする人は少ないだろう。そこから検問を一気に破壊し、複数の方向から侵入すれば、制圧も可能かも。

でも、いろんなパターンに対応できるように、訓練は充分やっていると思う。武器の保管庫に入る前に、テログループはかなりの人間が倒されていたはず。防御側も、物陰に隠れて応戦しないはずはない。今回の作戦は、少々上手くいき過ぎだったと思う。

「エンド・オブ・ホワイトハウス」と、この作品のどちらが良かったかと考えたが、大きな差はないような気がした。どうせなら併映してみたらいかがか?3時間連続、本日オールナイト上映!観るのはいつ?・・・いまでしょ!といったキャッチコピーでいい。

 

 

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