映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主


Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

カテゴリー「ほ」の36件の記事

2019年5月22日

ホモ・デウス(2018)

Homo-deus

- 河出書房新社 -

イスラエルの哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書。文明論にとどまらない幅広い知見からの論説をまとめた内容で、内容から想像するに講義集なのかも知れない。本屋さんではかなり大きなスペースで売られていた。前作の「サピエンス全史」が評判になった著者なので、今作も前評判が高かったからだろう。映画の原作になる本ではないが、きっと影響を受けた映画も出て来ると考える。

今作も文章は非常に難解だ。もともとの原文が難しいのか、和訳しづらかったのか理由は分からないのだが、日本語になっているのか微妙な文章も多く、よほどな根気がないと集中力を保って読み続けるのは難しい。そして具体的なデータに欠けていた。学術書とは少し違う記述の仕方をしていたようだ。 

でも概要はよく分かった。なるほどと思わせる説得力を感じる。理屈は全てオリジナルとは言えないが、「ホモ・デウス」という表現が斬新だ。それによってオリジナルな考え方のイメージを構築することに成功していると思う。 

現代の技術革新は、人間の認知の仕方を大きく変えつつあることは間違いない。若者が座っているところを見ると、ほとんど例外なしにスマホをいじっている。これは、この20年の間に起こった現象で、古い感覚から言えば明らかに異常。 劇場主が若いころにスマホがなかったから、そう感じるに過ぎないのだろうが、当の若者本人は、どのように感じているのだろうか? たぶん、何も不自然には感じていないだろう。

スマホに害はあると思う。まず目が疲れたり、姿勢を悪くしたり、単調な作業の繰り返しで脳の活動性にも影響があるだろう。若者は自分のデータがGAFAに読み取られていくことへの不安など、悪い面について何も考えないのだろうか? おそらく、まったく問題ないと考えるアホウと、不安を抱えつつ仕方なしと考える人間がいるのでは?。情報から取り残されると、そのほうが怖い。劇場主自身も、IT機器が全くなくなると、仕事が成り立たなくなっている。少し異常な時代なのではと、不安に感じる。

ハラリ氏は読者の不安感を煽るような記述を繰り返している。人間は単なる端末のような存在になり、GAFAやその先の強力なAIの指示通りに生きるアルゴリズムになるという。まさか・・・と思いつつも、なんとなく近いところに行ってしまいそうな不安を感じざるを得ない。 

劇場主が予想するのは、ヒューマニズムや宗教などの旧来の価値観がAIに取って代わられるのではなく、互いに影響し利用しあっていくことである。既にISがIT機器を駆使しているように、宗教がAIを利用していくこともあるだろう。中国政府は、IT機器を監視に役立てているようだ。AIを政権が利用し、その主張に力を与えている。日本の国粋主義者だって、ツイッターくらいは使うだろう。完全に対立するのではなく、混在した形で双方が変化していくのではないかと、期待と不安が混ざった予想をしている。

理屈を超えたものである宗教、信条は、完全に消し去ることが難しい。世界の隅っこに押しやられるとしても、情報社会に反発したり、逆にAIを利用して主張したり、AIから得た情報に影響されてテロ行為などもやるだろう。AIが人を洗脳し、政治や経済を動かす・・・それは現状を見れば充分に予測できる。

GAFAに対する法の規制が始まったようだ。個人情報の管理について、国や地域ごとに規制の方法が違ってしまうだろうが、その違いを利用して利益を得ようとする連中が必ず出て来るので、規制の具体的な方法は想像もできないくらい難しいものになると思う。でも、なんらかの規制をしないと、本当に我々は情報社会のモルモットになるかもしれない。規制によって、ホモ・デウスの在り方も変わるだろう。

 

 

 

2019年5月14日

ボヘミアン・ラプソディ(2018)

Bohemian-rhapsody

- 20th Century Fox -

ロックバンド、クィーンのボーカルで、早世したフレディ・マーキュリーを主人公にした映画。ロングラン上映になっていて、評判が高かった。劇場ではなく、DVDで鑑賞。公開の時期がインフルエンザの流行と重なっていたので、映画館を遠慮したからだ。 

主人公を演じていたのはラミ・マレックで、「ナイトミュージアム」で古代エジプト人役をしていた俳優だ。小柄で、迫力の面ではドヤ顔のフレディ本人には及ばない。でも、おそらく本人の映像を繰り返し見て、動作を忠実に再現していたのだろう、ライブシーンの動作には大変な迫力があった。いっぽう、悲しさや孤独感の表現に関してはどうだろうか? 病的な感じが足りてなかったと思う。メーキャップなどで、もう少し青い顔、長いまつげにしたらよかったのではないか? 

ドラマに関して、特に優れていたとは思えない。アーチストを描いた他のドラマと同じレベルではないか? 観客の印象に残るようにだろう、フレディが恋人とライトを点けたり消したりして遊ぶシーンは、寂しい彼の心情が感じられて良いシーンだったと思うが、あのような演出は珍しくはない。際立つものは感じなかった。 

ステージ・シーンは素晴らしい。ライブエイドの映像は何度か観たことがあったが、細かい動作まで真似ていたはずだ。ライブ会場の迫力は、たぶんCGで演出していたと思うが、様子がよく分かった。クィーンが登場したころ、劇場主は中学生だった。「キラー・クイーン」がヒットして、特徴ある曲で、その存在を知った。いろんなロックバンドが登場しては消えていったが、それぞれに特色を出そうと、いろんな工夫をしていることは感じていた。クイーンの特徴は、オペラボイスと言われたフレディの歌い方だと思うが、当時からオカマチックな印象も感じられ、なんとなく狂気に近い、日本の歌舞伎役者にも通じる異常性がそのまま魅力になっていたようだ。 

劇場主がビートルズの次にファンになったのは、クイーンだった。気に入った曲は伝説のチャンピオンなど数曲で、ビートルズほど多数の名曲があったわけではない。理解不能な曲も多かった。特色を出そうと彼らも苦闘していたのだろう、妙な方向に進んでいて、もしかするとグループ内の意見がまとまらないまま出来上がった曲なのかなと感じるものもあった。個性を演出し、常に変化をもたせて観客の期待を裏切らないようにするためには、才能と共に病的な部分が必要だったのかも知れない。性的嗜好の問題が、孤独感を表現した歌詞や独特な表現方法につながっていた可能性はある。

ボーカル担当のパフォーマンスには限界がある。踊りも凄いか、ミック・ジャガーのようにシナを作るかだ。ミック・ジャガーは完成されたパフォーマーだったので、彼を超える存在になるのは難しい。よりホモセクシャルな方向に進むなら、本物のホモセクシャルであったほうが自然だ。そんなパフォーマーでないと、不自然に写るのかもしれない。

そもそも、一日中演奏や歌の練習をしたり、スタジオにこもって編集や録音の作業を続けていたら、体に良いはずはない。長くやろうと思ったら、ランニングや体操などの時間を確保しないといけないが、ロックミュージシャンでそんな規則正しい生活をする人は滅多にいなかったはずだ。アルコールや薬物の中毒も酷かったろう。偉人とは違う生き方で、伝記映画の対象とは本来なら少し違うと思う。悲劇的ヒーローの記録映画と表現すべきか?

 

 

 

 

 

2019年5月10日

ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ(2018)

Columbia

- Columbia -

テロの黒幕を葬るため、メキシコの犯罪組織間の抗争を発生させる計画が始まり、その材料として秘密の作戦が組まれ、ボスの娘を誘拐する。しかし、妨害によって作戦部隊は窮地に陥る・・・・DVDで鑑賞。

シリーズ前作では、国境警備に関わる作戦に、麻薬組織を恨む主人公が加わり、残虐な暗殺行為をやっていた。この作品も、銃撃戦の迫力が凄く、殺し合いのシーンはリアルで恐ろしい。残虐性は、間違いなくシリーズのウリになっている。主人公はベニシオ・デル・トロで、独特の風貌がクールな主人公の個性を浮きだたせている。ブルース・ウィリスやクリント・イーストウッドなどは顔をしかめて無理にクールな人物を演じていたが、デル・トロの場合は、そのままでも怖い顔をしている。

もう一人、軍の関係者である作戦の実務者を演じていたジョシュ・ブローリンも、なかなかにクールだった。ふたりの人物像に魅力があったので、この作品は盛り上がる大事な要素を備えている。 クールな主人公が、娘を救うために命を懸けると、話は美しくなり、観客は共感できるはずだ。良いストーリーだった。 

映像技術面も優れていて、嘘っぽく感じない。戦いのシーンが非常にリアルに描かれていた。銃撃される時に撃たれる側が見るであろう光景が、上手く表現できている。カメラの位置、破壊される物の表現、流れる血のりなど、細かい作業を念入りにやっていたようだ。  

話で気になったのは、今のトランプ政権が問題視している壁の問題。有効性や必要性が分からない。日本人の常識としては、無効で無用と思えるが、あちらではそう思われていないようだ。犯罪組織が関与して、抜け道を作っているのは間違いないと思うのだが、壁の建設によって本当に侵入を防ぐことができるのだろうか? 

長い国境線がある米~メキシコ間では、地下にトンネルを作ったりすることは可能だと思う。万里の長城だって、結局は充分な効果を発揮できなかったように、犯罪者側もドローン、通信機器、移動手段を工夫して、なんとか侵入してくるものだと思う。 それらをはねのけて、本当に機能する壁を作ろうと思ったら、膨大な予算を要するだろう。非現実的ではないか? 

あるいは、密入航者を多少なりとも減らす効果があるのかもしれない。本来は両国が協力すれば良いのだが、メキシコ警察、国境警備隊が犯罪者とつるんでいたら、この映画のように襲ってくることも考えられるので、メキシコ側の国境警備を資金的に支援し、連携に力を入れたほうが効果的じゃないだろうか?

 

 

 

2019年3月17日

ボルグ マッケンロー(2018)

Borg_mcenroe

- SF studios.etc. -   


ボルグとマッケンローのウィンブルドン決勝の試合を題材に、おそらくは創作された部分も多いと思うが、彼らの生き様をドラマ風に描いた作品。DVDで鑑賞。   


あの試合はよく覚えている。テニス部に入って2年目だったろうか? 部活動はサボり気味で、半分は活動していなかったのだが、この試合を見て感動し、がぜんやる気が出た。素晴らしい試合だった。際どさで言えば、マッケンローとビランデルの試合で、もっとジュースの多い試合もあったように思うが、試合の重要度、インパクトが違った。   


あの時代は個性豊かな選手が多かった。常に冷静で、ストローク戦に強いボルグと、ネットプレーが職人肌、暴言が目立つマッケンローは、その中でも際立つ個性派だった。ジミー・コナーズも懐かしい。当時の三大スター選手だった。    


あの年の準決勝で、コナーズはマッケンローと対戦し、かなり際どい勝負を演じたと記憶している。コナーズのストロークが強力で、マッケンローも相当に体力を消耗したはずだ。次の1981年、今度はボルグのほうがコナーズと対戦し、フルセットを戦った。つまり、コナーズと対戦して消耗したほうが、決勝では敗れたことになる。コナーズも大きな役割を果たしていたと、あの時は思った。でも、この作品では扱いから外れていたようだ。  


ボルグはガットの調整に神経をとがらせ、常に固く張り、映像にもあったように音を聞いたりして、状態のよいものを選んでいたと、雑誌のインタビューでも答えていた。通常が50ポンドのところを、たしか70ポンド位にしていたと記憶する。でも、学生当時の劇場主には、その感覚は理解できなかった。金もないので、ヒビの入ったラケット、ガットが部分的に切れたままでも我慢せざるをえなかった。金がないと、調整もへったくれもない。   


ガットのヨレをひたすら直し続けるボルグは、風貌のせいもあるだろうが、哲学者のようなイメージだった。ただ、神経質な部分もあったのかも知れない。引退は早かった。理由は明らかではなかったが、この作品に描かれていたように、ストレスは非常に多かったはずだし、闘争心を維持するのは大変だったのだろう。神経を研ぎ澄ましてミスをなくし、ストロークの力で押し切るスタイルの戦い方だったから、緊張を維持し続けるのは相当な負担だったはず。それに、あの頃からラケットも進化し、ボルグのスタイルでの戦い方では厳しくなりつつあった点も、きっと感じていたに違いない。  


彼らが考えていたような内容をまとめ、うまく演出したと思う。マイナーな作品で、ビデオ屋直行のプランだったが、よく出来ていたと思う。      

 

 

 

 

 

2018年9月30日

ボス・ベイビー(2017)

The_boss_baby                  

- Universal,Fox -                 


ある日、一人っ子の家に弟がやってきた。しかし、そいつは言葉をしゃべり、大人と同じように活動する会社員だった・・・・DVDで鑑賞。                


アイディアが素晴らしい作品だと思う。似たように赤ん坊が大人びた言動をとったり、スーパーマンのような能力を発揮する話は過去にもあったとは思うが、この作品は主人公が赤ん坊なのに会社員という設定が特に素晴らしいように思う。         

 

この作品はドリームワークスが制作しており、アニメの画質はピクサー製よりは低めだったかも知れない。もちろん手書きアニメよりはずっと鮮やかなんだが、必要最低限の画質に留まっている印象も受けた。              

これに対してピクサーの作品は、肉や髪の毛の表現にもこだわりがあるようで、実に細かく描かれている。その鮮やかさに、まず感動してしまう。どこに重点を置くかについて、会社によって考え方が違うのだろう。この作品は設定やストーリーに重点を置き、赤ちゃんの言動や兄弟の戦いに重点が置かれていたということだろう。そして、その狙いは達成されていたように思う。           

 

しかし、たとえば赤ん坊がスパイ組織のエージェントだったとしたら、アクション面に関してはもっと盛り上がったかもしれない。おもちゃが思いがけない武器となって、敵を倒すことなど面白そうだ。そして、もし画質にこだわっていたら、もっと高く評価されたのではないかとも感じた。兄弟が戦うシーンがあったが、やはり赤ちゃんの体力を考えると無理を感じた。力は使わず、頭で戦う方法を表現したほうが良かったのではないだろうか?     

 

そして赤ちゃんの表情の表現にこだわれば、もっと可愛らしい映像ができて、そこに感情移入してくる観客もいたかもしれない。画質に意味はあると思う。そういえばドリーム・ワークスのアニメーション部門はユニバーサルスタジオに吸収されたそうだが、画質の問題は影響していないだろうか?   

 

ともあれ、この作品の画質に、劇場主は個人的には満足できた。全体に明るい画像が多く、昔のアニメのようなタッチにも特に不満は感じなかった。ディズニー映画のようなテーマにも不快感は感じない。良い話で面白く、雰囲気も明るくてギャグもふんだんに盛り込まれ、家族愛、兄弟愛に満ちた作品だと思う。    

子育てに苦労した時期を思い出すと、また感じ方が違う。夜中に泣かれてヨシヨシとだっこしているうちに、家内はよく爆睡していた。協力して乗り越えた場合もあれば、孤軍奮闘、なんで自分だけ抱っこで苦労しないといけないのかと腹立たしく思ったことも、今となっては懐かしい・・・許したわけではないが。   

 

 

2018年5月 1日

僕のワンダフルライフ(2017)

A_dogs_purpose

- Amblin etc -

 

少年に拾われた主人公の犬は幸せな生活を送るが、やがて亡くなり、別の犬に生まれ変わる。それを何度も繰り返し、再び少年に遭うことができるか?という話。DVDで鑑賞。  

 

もちろん映画だから、主人公は少年に再会することができる。どんな形で会えるかかが問題で、途中にほろ苦いエピソードが何度か繰り返されることになる。そのへんは、お約束。即座に再会できたら物語にならない。    

 

途中で他の生物に転生したりするような、他のいろいろなパターンがありえたと思う。他の作品ではそんなものが多い。でも、この物語では主人公は犬以外の生物にならない。それで良かったようだ。種が変わると、主人公のキャラクターも変えざるを得ない。それでは主人公の一途な思いが伝わりにくくなってしまう。だから、この物語は設定で成功が約束されていた。実際にもかなりのヒット作だったらしい。  

 

スピルバーグ系列の会社が制作しており、手慣れた手腕で美しく物語を作り上げていた。逆に言うと、劇的な面では少し足りない部分があったかもしれない。話の筋が早い段階で読めてしまうので、心から涙するほどの意外な幸運、登場人物たちの心に感動るといった物語の深みは、それほどでもなかったかも知れない。定型的過ぎる話、そんな印象も受けた。 

 

でも犬への愛情、ペットと人との関係に感動を覚えざるを得ないような、そんな心温まる作品だった。もし少年がひねくれた人生を過ごし、足を引きずりながら苦しそうに作業を繰り返すだけで、結局は不幸な死に方をしたりしていたら、物語としての深みは増したかもしれない。そこまで行かなくても、ハッピーエンドと言えるか微妙な形になっていたら、雰囲気としてはもっと高尚なものに仕上がらなかったろうか?  

 

例えばデニス・クエイド演じた人物を、もっと悪役にするか、30代くらいの微妙な年齢にするか、あるいは老人ホームに入りそうな人物にしていたらどうだろうか?彼が主人公を殺してしまうなどもありえる。アメリカの観客には受けなくなってしまうだろうけど、描き方次第ではより深く、美しい話になったかもしれない。

2018年4月 4日

星空の用心棒(1967)

Long_days_of_vengeance

- Long Days of Vengeance 

 

実実の無実の罪で服役していた主人公は脱獄に成功し、自分をはめた連中に仕返しをしていく・・・2月25日、衛星放送で鑑賞。   

 

驚いたことに、アメリカ西部からメキシコ付近の物語のはずなのに、登場人物たちは平気でイタリア語を話していた。たぶん米国では英語に翻訳されていたはずだが、口元をみると変だと気づいていたのではなかろうか?都合の良い作り方をするイタリアの映画人たちは、あえて無理して英語で話そうとは考えなかったのか?合理的といえばそのようだった。    

 

言葉もそんな具合だが、全体が明らかにマカロニウエスタンの作り方。主人公が敵の散髪屋に対して、自分の髭を剃れと命じるシーンがある。普通なら敵にナイフを持たせたりするはずがない。マカロニウエスタンでないと難しいシーンだった。リアルさを完全に損なうシーンだと思うが、緊迫感は確かに盛り上がる。そのためにはリアルさは犠牲にするのも、ある意味では合理的であろうか?よく分からないけど。   

 

主人公の脱獄の方法も素晴らしかった。どうやって仲間と連携したのかはさっぱり分からないが、簡単な仕掛けを少しずつ整えてついに大掛かりな方法にたどり着くのが面白かった。敵がたくさん迫って来る中で、わざと目立つ場所に立ち、ライフルで次々と餌食にするシーンも格好良い。でも、普通なら敵からやられるほうが先じゃなかろうか?細かく言っていくと、キリがない。    

 

主演のジュリアーノ・ジェンマは体格が良くて動きも軽く、確かに格好良い。演技力に関してはよく分からないのだが、西部劇の主人公は表情をあまり変えず、タフそうな、クールそうな顔をして動きが良ければだいたい務まる。演技力は、長いキャリアを保つためには必要でも、単発の作品でならあまり必要ない。    

 

この作品の復讐の方法はかなり複雑だった。少し考えすぎていたかもしれないと思う。原案は「モンテ・クリスト伯」らしいが、原案のほうがもっと単純な方法だったように思う。わざわざ法の裁きを要求するのは、やはり映画の盛り上がりのための設定であり、無理があったように思う。

 

 

2017年12月27日

ポンペイ(2014)

Pompeii

 

- Summit, LionsGate

 

ローマに侵略されたケルト人の生き残りの青年が主人公。彼は剣闘士として育ち、ポンペイに連れていかれる。そこで富豪の娘と恋に落ちるが、ローマ軍と対立することになる・・・・

 

11月21日、衛星放送で鑑賞。ベスビオ火山の噴火、火砕流、噴石や津波の迫力をどう表現するかが、この作品のテーマだったのではないかと思う。ストーリーには特別な工夫を感じない。ロマンスの要素も、どうやら最初からたいして期待されていなかったと思う。あくまで火山と剣闘のスリルが作品の中心だったはずだ。

 

バイオハザード・シリーズのポール・アンダーソン監督の作品。CGに関しては非常に完成度が高く、迫力満点の映像だった。おそらくシリーズのCGスタッフがごっそり参加していたのではないか?手慣れた表現手腕を感じた。火山噴火のスペクタクルに関しては大合格だったと思う。津波が起こったとは知らなかったが、本当に発生した形跡があるそうだ。

 

剣闘のシーンについては、さすがに工夫のしようがなかったかも知れない。剣での戦いは、既に「ロード・オブ・ザ・リング」の頃に一定の完成段階に達している。血しぶきの表現などについては、今作品のほうが抑え気味で、やや迫力不足に感じた。したがって、剣劇アクションに関しては不合格。そしてラブシーンについては、まったく盛り上がりに欠けるものだった。

実際の火砕流はどんな形だったのだろうか?「ローマ人の物語」に紹介されていた文章だと、火山灰に困ったと報告した元老院議員が、やがて被災して亡くなったと報告されていたから、映画のように一気に町が壊滅したわけではなく、大量の火山灰、繰り返す火砕流で徐々に被災範囲が広まったのかもしれない。「これで終わるだろう。」と思って避難しなかった人達が、気づいたときにはやられていたという具合では?

 

この作品、本当に火山のCGを狙いにしていたのだろうか?制作の意図が、今一つ分からない。それだけで観客が満足できるだろうか?監督たちの表現の手腕に関して不安はなかったと思うが、作品の個性を際立たせる魅力、独自の何かが定まっていたのかどうか、よく理解できなかった。

 

主役の二人も良く知らない俳優。ヒロインは「世にも不幸な物語」の少女役らしいが、そういえば評判を聞かなくなっていた。ヒロインよりも、召使い役の女優のほうがずっと美人でセクシーだったように感じたが、どんな狙いでセクシー美女がキャスティングされたのか、よく分からなかった。

 

ポンペイには一度行ってみたいと思うが、当面は金も時間もないので無理だろう。同じ火砕流被害に遭った島原には毎年のように行っているが、外国まではそう簡単には行けない。島原の火砕流では酷い火山灰に悩まされたが、あんな現象が起ころうとは、最初は全く考えも及ばなかった。最初、噴煙が立ち昇ったと報道されても、フーン、たまにはそんなこともあろうね、くらいの軽い気持ちでいた。まさか大火砕流が発生しようとは!

 

今でさえそうなんだから、古代ローマ人は何も予想できなかったろう。熊本地震も意外な場所で起こり、想像を超える被害を受けた。阿蘇地域に限定して起こるだろう、熊本市は軽く揺れる程度では?と予想していたが、甘かった。人智の限界を感じる。次はどんな災害が起こるのか、怖いけれども予測できないからどうしようもない。

 

 

 

2016年10月17日

ボーダーライン(2015)

Sicario

- 設定に甘さ -

誘拐犯を追っていた主人公は、麻薬組織のワナによって仲間を失う。マフィア撲滅グループの一員に選ばれた主人公は、メキシコ国境に赴く・・・・

・・・・DVDで鑑賞。麻薬組織と、捜査側のやりとりが非常にリアルに表現され、腹黒い連中だらけの騙し合いが面白かった。いっぽうで、やや陰惨すぎる表現も各所に見られ、子供も鑑賞できるような普通のビデオコーナーに、こんな作品を置いておくのはよろしくないとも感じた。これは、大人専用だと思う。

恋人と観るのも良くない。気味悪いゾンビ映画よりも、もっと気味の悪いリアルな惨殺死体が繰り返し出てくるので、恋の邪魔になりそうに思う。・・・一般的な感覚ではそうだ。ゾンビが趣味の人なら分からないけど。

ベニチオ・デル・トロが良い味を出していた。あらためて思うのは、こんな役柄を最近のブラッド・ピットがよく演じたがっているが、目つきが悪いデル・トロ君のほうが圧倒的にワルの雰囲気が出ており、キャラクター的にピット君は無理だと思う。ピット君はプロデューサー業に徹し、タフガイを演じるのは止めて欲しい。

ジョシュ・ブローリンも、悪役に近い役柄を演じており、この映画の雰囲気作りに役立っていた。ひょっとすると、もっと笑顔が似合う役者のほうが良かったかも知れない。ヤンキーのワルは、やたら明るく、調子が良いのに極悪というイメージがある。だから、少し大人し過ぎたかも知れない。もっとジョークを飛ばして良かったのでは?

ヒロイン役のエミリー・ブラントは、戦士の役柄には体型的に合っていない。もっと好戦的な顔をした体格の良い女優のほうが役に向いていたのではないだろうか?セリフにも問題があったかも知れない。自分が作戦になぜ選ばれたのか疑問に思う前は、仲間の復讐に熱心のあまり、積極的に参加してしまい、やがて後悔・・・そこらが分かりやすいガッツのありそうな女優が欲しかった。

麻薬をめぐる犯罪組織と各国の捜査機関の関係は、映画ほど複雑ではないように思うのだが、部分的には現実を反映した面があっても不思議ではないように思う。映画のように一人のスーパーマンが敵の首領を退治するような話はなく、実際には大勢で押し入って虐殺するスタイルが主流のはずだが。

政府機関がメデジンカルテルのような犯罪組織を支援することは考えにくい。複数の組織が乱立すると収拾が付かない点は確かだが、巨大組織ひとつだけにしたほうが管理しやすいといった理屈は、普通なら受け入れにくいだろう。おそらく、片端から逮捕を続ける方針が、今も続いているのでは?

また、映画のようにトンネルに押し入っても、銃撃戦が起こるだけで、敵の首領につながるルートまで把握できるとは思えない。映画でも偶然に取り引き場所に重要人物がいただけで、組織の上層部につながるルートは、全く別個に発見するしかなかったように感じた。設定に甘さがあったかも知れない。

マフィアが、原罪の警察や政府機関にどの程度の影響力を持っているかは気になる。おそらく、マネーロンダリングした金を使って、正規のルートで資金を使い、政治家や企業に影響力を持っているだろう。献金や投資の形で、金を使っていないはずがない。ワイロも広範囲に渡され、それが脅しの材料にもなっているだろう。

だから根本的な対策としては、おそらくマネーロンダリングができないように、タックスヘイブンを管理することが最も優先されるように思う。いかに捜査機関が頑張っても、資金があれば敵は対抗できるように思う。

 

 

 

2015年10月10日

ホビット 決戦のゆくえ(2014)

Warner

- ゴラム君は? -

火を吐くドラゴンとの戦いは前作から続き、町が壊滅。町の人々は遺跡に入ろうとするが、遺跡の主は財宝に目がくらんで戦いが起こる。人間、ドワーフ、エルフ一族がにらみ合う中、怪物オークの軍団がやってくる・・・

・・・筋書きは、このシリーズの場合、あまり重要ではない。怪物の集団とアクロバティックな戦いが起こり、迫力のある怪物が登場し、英雄的な行為が行われ、剣士が表情豊かに死んでいく、そして美しいニュージーランドの風景、それらがあれば良い。

主人公のビルボ君は、あまり魅力的なキャラクターには思えなかった。「ロード・オブ・ザ・リング」のフロド君とは性格が違う。フロド君は深刻に悩みすぎていて、観客の楽しみを損なっていた面はあると思うので、ややとぼけた味に方向を変えたのかも知れない。確かに深刻すぎてはいなかった。

この作品は、もしかすると前作と合体したほうが自然だったかも知れない。不必要に引き延ばされ、盛り上がりが少しタイミングを失し、間延びしてしまった印象を受けた。元々は2部作の予定だったのを3部にしたから、当然かも知れない。

でも子供にはそこそこ受けるかも。多少の間延びは、こどもにとっては重厚な印象につながる場合があるようだ。TVマンガなどを見ていると、そんな感じがする番組がある。さすがに、気味の悪さの点から考えると、この作品を恋人と鑑賞する意味はあんまり感じられない。

戦いのシーンは迫力満点。でも、さすがに飽きも多少は感じてしまった。シリーズ最初の作品では、城攻めや剣劇をリアルに再現した技術に驚いたが、もう普通になってしまった。今はテレビ番組にも応用されているようだ。DVDに付いてくる宣伝で観られる。

敵の側が周到に用意するワナが、このシリーズの特徴でもある。それで味方側には甚大な被害が出て、誰かが死んでしまう。そこを正攻法で乗り越える点は、まるで日本のチャンバラ映画のようだ。ワナが好きな西洋人も変わったのか?これは世界共通の感覚なのかも。

風景に関しては全く飽きない。「ロード・オブ・ザ・リング」から数えて、シリーズ作品は既に6作目くらいではないかと思うが、何度見ても美しい光景に圧倒される。

人間の町がある湖は、本当にブルーの色をした湖のようだ。メイキング編で解説されていた。町は総てCGで合成されたそうだが、もちろんCGの跡など全くない。巨大なセットができたとしか思えない。

山々の景色も美しい。ニュージーランドは小さな国土ながら、急峻な山があって氷河があり、映画の舞台には最適。

私がシリーズで最も好きなキャラクターであるゴラム君は、この作品には出ていなかったようだ。残念で仕方ない。ゴラム君は凄く長生きしていたはずだから、この時代にもどこかにいたはずだが・・・

 

 

 

無料ブログはココログ