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カテゴリー「へ」の21件の記事

2017年1月27日

ヘイル、シーザー!(2016)

Universal_2

- 観客選び -

ハリウッドのスターが撮影中に誘拐された。対応するのは問題処理係の主人公。問題児の俳優達にも対応しつつ、解決を目指すが・・・・

・・・・DVDで鑑賞。コーエン兄弟の作品で、独特の皮肉めいた会話がおかしいが、今回は変質的な悪人が出てくるわけではなく、静かな喜劇に終始している。したがって、コーエン兄弟の作品と知っていなければ、たぶん観ることはなかったろうという印象。

有名スターが登場している。これもコーエン作品だったからだろう。でも彼らの特徴が凄く出ていたかと言えば、そうでもないように感じる。西部劇のスターがなまりで困るシーンは、日本人には分かりにくく、冗長な印象を受けた。どうも全体に、スピード感には欠ける印象。

今回の特徴は、宗教や主義に関して、堂々とギャグにしている点。共産主義については、実質的に崩壊してしまっているから構わないと思うが、宗教がらみの話題は、米国においては殺し合いに発展しかねない問題。特にイエスを人間と考えるかどうかといった話題は怖ろしい。そこをあえて扱う点が、逆に面白い。

タブーを扱う芸風。それはビートたけしを始め、日本の芸人達が好んで扱うスタイルだ。コーエン兄弟は、日本の漫才を参考にしているのかも知れない(まさか)。ただし、実際に映画の中でそれをやる場合は、本当に問題処理係が根回しをやらないといけないのではないか?

海兵スタイルでダンスを踊るシーンは、ジーン・ケリーの有名な映画を模倣したものだろう。そうなると、ジーン・ケリーに政治的な活動があったのか?と、普通は考えてしまう。遺族は何か文句を言ってこなかったのだろうか?

おなじく、水着のスターだったエスタ-・ウイリアムスの遺族は、ふしだらな女のイメージに対して、訴訟を起こしたりしなかったのだろうか?事前に法律家の仲立ちが、何かあったのかも知れない。

この作品は家族で楽しめる内容だろうと思う。殺し合いなどが出てこないという点ではそう。でも、子供は面白いと感じないはずだ。皮肉めいたセンスがないと、この作品は面白くない。大人専用だろう。しかも、爆笑を狙える映画ではないはず。観客をかなり選ぶ映画だろう。

主人公がジョシュ・ブローリンでなく、もう少し年齢が上の、うらぶれた肥満体の俳優なら、もっと哀愁が感じられて同情を得たかも知れない。喜劇専門のギャグマンのほうが良かったように思う。家族に愛想をつかされ、情けない仕事ばかりやっているが、仕事場ではタフで準備周到、熟練の腕で驚異的な問題解決能力を発揮する・・・でも外見はショボい、そんなキャラクターのほうが好まれるだろうに。

 

 

 

2016年11月22日

ヘイトフル8(2015)

Thehatefuleight

- 安全確認の必要性 -

吹雪で密室状態になった宿に、賞金稼ぎや保安官、犯罪者達が集まった。不穏な雰囲気・・・やがて殺し合いが始まった・・・

・・・DVDで鑑賞。実によくできた話だった。人物の個性、話の設定、進行具合も非常に良く考えてあって、6つの章に分かれた古風なスタイルと、残虐な殺し合い、差別用語満載の毒々しいセリフなどがアンバランスなので、常に悪趣味な笑いがあるように仕組んであった。

主役は一応黒人の元兵士で、賞金稼ぎの男らしい。演じたサミュエル・L・ジャクソンの表情が、役柄と非常に合っており、最初から彼をイメージした役だったのかも知れないと感じた。毒のあるセリフが実に素晴らしい。シチューの味や、床に落ちたジェリー粒などに注目する鋭い視線が、彼の元々鋭い目によって印象的なものになっていた。

こちらも実質的な主役に近いのが、カート・ラッセル演じた賞金稼ぎの白人。カート・ラッセルもタランティーノ映画ではお馴染みの俳優だが、今回の役は最高の存在感だった。彼の年齢、髭面メイク、元々の顔が悪人面であることもあって、どうみても西部の人間にしか見えない。いかにも残酷そうな、荒々しい雰囲気が漂い、個性が最もリアルに見えた。

この作品は、ほとんど全員が悪役。保安官らしき人物が結局は大事な人物になるんだが、ほとんどの時間は弱めの立場の、小悪人的な役割を負っていた。演じていたウォルトン・ゴギンスは、あまり度胸がありそうに見えない。腕力があるタイプでもなさそうで、主人公をいじめたり、邪魔したりする役を得意とする俳優。今回の役も、複雑な立場だったので、彼の存在が作品の出来映えに大事だったと思う。

もしかしてだが、違った個性の俳優のほうが、作品の出来映えは上がりはしなかったかと、すこし思った。もっと大柄の俳優を使い、残虐そうなマッチョに見えて、途中で命の危険が及ぶと外見とは違って弱々しく命乞いを始め、毒で死にそうになったら恐怖におののきと、だんだん弱い個性に変身すると面白い。この役がもっと目立ったら、作品は違ったものになったかも。

悪女役のジェニファー・ジェイソン・リーも素晴らしい出来だった。この年のアカデミー助演女優賞は、彼女ではなかったそうで、ノミネートだけに終わったようだが、ぜひ彼女にも差し上げたかった。彼女の今までの出演作を観た記憶がないが、今後は期待できそうだ。だが、こんな良い役は、そうそうあるもんじゃない気もする。

この作品の音楽はモリコーネが担当し、作曲賞を取っている。確かに印象的な曲が多かったが、個人的には作風が映画と合致していないようにも思えた。この作品の場合は、奇妙な偶然やアンバランスなおかしさが大事なんで、曲もふざけた調子が感じられたほうが良い。「ジ・エンタテイナー」のような曲が欲しい。だから、必ずしも作曲賞に値したか疑問で、モリコーネの業績に対しての敬意の意味合いではなかったろうか。

もし、自分が犯罪者を護送中なら、どのように行動すべきであったか、そこが気になった。カート・ラッセル演じた賞金稼ぎ氏は、コーヒーやシチューを口にする際は、必ず犯罪者で試すべきだった。レディー・ファーストにもなる。また、小屋に入ったら、トイレや床下、天井まで一応は探索しないといけない。銃を奪っても、安全確認を怠ってはいけない。

安全確認を怠った状態でブランデーなど飲んでいたサミュエル・L・ジャクソン氏も、やはり注意が足りなかった。銃を奪っただけで優位に立ったことは確かだが、敵は先に小屋に着いていたわけだから、銃やナイフをあちこちに隠している可能性は高い。顔をそばに寄せて話したら、危険と考えないといけない。状況から考えて、皆を縛って動けなくするのが正解だったろう。

安全確認の重要性に関して、あらためて認識させてくれた。教育上、良い映画である。これはぜひとも少年少女に鑑賞させ、鑑賞後には分析して、彼らの正しい対処法を考えるべく、教室でとりあげて欲しい・・・・が、残念ながら映像表現が残虐すぎて、それが難しい。わざわざ残虐に描かなくてもよかったのに。

タランティーノの毒が蔓延している。アイディアだけ盗んで、他の監督にやらせたらよかった・・・・この作品は、実際にもそんな事件があったと聞く。惜しかったねえ。

 

2016年6月22日

ペーパームーン(1973)

Paramount


- 今日的か? -

詐欺的手法で聖書を売る男が、少女と旅する話。少女は男の娘かも知れない。ふたりで協力して金儲けに成功したかに思えたが・・・・

・・・・味のあるロードムービー。モノクロ作品で、わざわざ時代を感じさせるように演出していた。キャスティングは、娘役のテイタム・オニールが先に決まったと聞いたが、本当だろうか?当時は天才子役現ると、大変な評判になったことを記憶しているが、親子セットで選んだのではなかったのか?

仮に、既に知っている有名な子役がこの少女役を演じていたら、どんな印象だったろうか?もしかすると作品の斬新さは損なわれ、いかにも芝居のための芝居だなあという印象が強まったかも知れない。新人のほうが先入観がないから良い。

後年の話だが、テイタム・オニールがマッケンローと結婚したので、えらく驚いた。業界が違うから、ふたりが結びつきそうだと事前に考えたりはしなかった。ブルック・シールズも確かアガシと結婚したから、当時のアメリカのテニスプレイヤーは、女優達との交流が盛んだったのだろうか?

少女が堂々とタバコをすう仕草がおかしい。小さい頃から、こんな役柄を演じることがテイタム自身の精神に良かったのかは分らない。彼女も薬物中毒になったらしいので、やはり業界に入ることは、情緒面に良くない影響もあるのでは?女優に憧れている子であっても、業界に入るのは勧められるものではない。やむをえない事情がない限り、業界は避けるべきと考える。

男役のライアン・オニールは適役だとは思えなかった。詐欺師という雰囲気が漂うとは思えない。上手く演じていたとは思うのだが、いるだけで怪しそうなほどのリアリティはない。たぶん、他に適役がいたのではないかと思う。実の親子が演じていることを宣伝したら、きっと観客の笑いが生まれる・・・・そんな理由がなかったら、彼はキャスティングされなかったはず。

話の中では二人が実の親子なのかは曖昧にしているものの、男が親子関係を否定するシーンを、実際の親子が演じているからおかしい。「あんたたち親子じゃない?」と言って、懸命な表情で否定するだけでも笑える。そのうえで、互いにだまし合い、金を独り占めしようとしたり、協力して売り上げを伸ばしたり、警察から逃れようとしたり、二人の関係が二転三転するのも絶妙な流れだった。

ラスト近くで、二人の間にどんな感情が生まれているか、自然に理解できる仕組みが素晴らしかった。ただし、この流れはロードムービー一般にあるもので、この作品だけが特別に何かを編み出したとは思えない。プロットや配役が適切に選ばれ、基本に忠実だったに過ぎない。

したがって、ひょっとしてだが、今日の若い方には、この作品は受けない可能性があると思う。古典的すぎる、古めかしい、そんな印象が全面に出てしまい、良い点を覆い隠してしまうかも知れない。今の時代は、もっと派手な戦いがないと退屈に感じられてしまう傾向があると思う。

 

2016年6月16日

ペイル・ライダー(1985)

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- 孤高もいろいろ -

金の採掘をめぐって脅迫を受けていた村に、蒼い馬に乗った男がやってきた。彼は村人の独立のために協力するが、いよいよ対決の時、彼はガンマン達に一人で立ちむかうことになる・・・・

・・・6月14日、衛星放送で鑑賞。「シェーン」「真昼の決闘」などと同じようなストーリー。孤高のヒーローが戦い、去って行くまでを美しく描いていた。過去の名作との違いの第一は、カメラの性能だろう。非常に美しい風景をバックに、前面の人間達の姿も実に明瞭に記録され、ビジュアルに関する進歩が凄い。「シェーン」などは、スタジオ撮影であることが明らかなシーンが多かった。

冒頭で、娘が神に祈る。そして、救世主が登場する。しかも、少女は小説を読みながら、蒼い馬に乗って現れるのは不吉な人物であるという前置きをしてくれる。よく使われる手だが、叙情的な劇では有効な方法と思う。少女らしい空想を表現していたので、あざとい印象は受けなかった。

名作の伝統に従って、美しい作品を作ろうという意識を感じた。出来映えも良かったと思う。ヒロインは若い娘と、その母親も相当するようになっていた。母親のほうは、少々付け足しに近い感じもして、もしかしてもっと美人女優だったら違った味わいが出たのではと、少し惜しい感じもした。

銃撃のシーンはあるし、何度か頭部を撃ち抜く様子がリアルに映し出された。作品の全編が血みどろの激しい殺戮シーンだらけではないとしても、子供に好ましい映画とは言えないかも知れない。それでも、最近の映画よりは大人しいと思うけど。

主人公が別れを惜しんでいることが明らかだったのは「シェーン」のパターン。この作品も、おそらくはそうかな?という雰囲気は漂っていたが、観客全員がそう思えるほど明確に表現されてはいなかった。そこで、主人公の境遇に同情することが難しくなってしまったかも知れない。

よき脇役が多数いた。村の真面目な男は、雰囲気からして真面目そうな印象がよく出ていた。彼がラスト近くで活躍してくれたことも、話の流れから考えて正解だった。主人公ばかり活躍しても、ちょっと味気ない面があるから。

雇われた保安官役は、銃を抜くのが遅すぎなかったか?あれならクリント・イーストウッドでなくても倒してしまいそうだ。でも、顔は素晴らしい悪役ぶりだった。

金塊を見つけて町に繰り出す人物も印象深い。劇場主は、かってこの作品を観たことがあったのだが、覚えていたのは、この男だけだった。金塊を持ったまま酔っ払って、敵の首領に毒づくシーンは、次がどうなるか容易に予想できるし、ひょうきん者の最後はなにか哀れさが違うので、効果的だったと思う。

懐かしいリチャード・キールも出演していた。ちょっと存在意義に欠けていたようには感じたが・・・・・

強大な敵に対し、孤高の人物が単独で立ち向かう姿は心を打つ。恐怖を感じないはずはない。それでも勇敢に戦う人と、自分には関係ないと協力を拒む人と、見ていて共感できるのは当然前者のほうだが、でも実際には周囲の流れに従って遠巻きに見てしまいがちなのが現実。

今、最も孤独な立場は・・・舛添氏だろうか?

6月中旬までの舛添知事の辞任劇は、ニュースバラエティの大半の時間を占めてしまうので、嫌気がさしていた。地震関連の話題より面白いからだろうか、各局とも長時間にわたってコメンテイターが繰り返し批判し、氏はサンドバック状態だった。確かに報道の通りなら、人物的に氏は信用ならないと思う。

東京都民でないからかも知れないが、この問題にあまり興味を持てない。氏が起訴されそうなら辞職は必要だろう。違法が証明されたら辞職は必須。でも、法に欠陥があって違法性が曖昧な場合は、法治国家においては勢いまかせに辞任させられない。法治国家とは、そんなものじゃない。「信頼できないから一時も許せない、即刻辞任せよ。」というのは、幼子の理屈。違法性か公約違反を証明できないといけない。

首長を選ぶのは基本的には選挙であるべきで、辞任は違法性や公約違反が明白な場合に限るべき。主要会派の意向が辞任の要求であっても、恣意的な圧力で事が決しないようにしないといけない。正式な手続きは、選挙だけである。たとえば昭和の青年将校が声高に何か言った場合、その勢いに負けていいだろうか?圧力行為の結果を忘れたのか?いかな内容でも、圧力で事を進めるのは好ましくない。

クズ人間の首長なら、次の選挙で落として欲しいと思う。しかし違法行為がない場合は、いかにクズであっても辞任を要求して良いとは言えない。選んでしまった選挙民に責任がある。主要会派の談合より民主的な手続きを大事に考えるほうが、歴史的なセンスに従えばより重要。

冷静に考えるのもバカバカしい例だと思う。実際、舛添氏が辞任せず頑張っても、議会を解散して再度辞職勧告決議が通るだけ、時間の無駄は明らか。辞任すべきだった。でも感情任せで手続きをスルーし、都政の混乱を際立たせて良いとは思えない。問題行為をやった氏が最悪なんだが、議会にも報道機関にも問題がないわけじゃない。

都民の意向を議会がおもんばかって、辞任勧告決議案が提出される方向が決まっていたと聞くが、彼を支持してきた運動家達も政党も、同時に責任をとるほうが正しい。支援者は舛添氏の本性を知らなかったはずだが、それでも責任はある。支持するという判断に責任を持つべきだ。

無責任はいけない。一人だけを犠牲にするのは、この映画の村人達を連想する。理想を言うなら、氏を支援した議員が辞職願をそろって提出し、自らの責任を認めるべき。氏を支援したなら辞職するのが筋であり、支援団体も自民公明の都議連も解散、ついでに議会も知事選も再選挙・・・・うわああ、責任を取るって大変だ。そこまでやると、いよいよ都政が無茶苦茶になってしまうww。

こういう例を見ると、議員連盟単位で誰かを支援するのは禁止すべきだろうと思う。本来、行政府の長たる知事は、立法機関の都議会からすれば敵~競合関係であるべき。支援するなんて、おかしい。議事運営の融通を優先し、根本を忘れていないか?

 

 

2015年8月 5日

ベスト・フレンズ・ウェディング(1997)

Tristar

- 典型的 -

親友の男友達が結婚することになり、ショックを受けたヒロインは、結婚を邪魔して男と縁りを戻そうと画策・・・・

・・・・当時ロマンティック・コメディを演じていたジュリア・ロバーツの映画。7月28日、BSプレミアムで鑑賞。

同じような流れのラブコメ作品は結構多い。大抵は主人公が悪だくみするが失敗してドタバタ喜劇を展開し、結局は若い花嫁に軍配が上がり、気づいたらヒロインは他の愛に目覚めていたといったパターンで、この作品もその点では通常通りであり、新味に欠ける点は確か。

でも、この作品は結構ヒットしたらしい。ヒロインに人気があったし、典型的なパターン通りであることは、この種の喜劇ではかえって魅力になるし、途中のギャグや仕掛けの面白さ次第では、爆笑ものの映画になりうるようだ。

そして、この手の話題には常に安定的に興味を持ってくれる固定客がいると思われる。行き遅れ女子や、結婚に失敗して後悔している連中などはそうではないかと、失礼ながら勝手に想像する。結婚は、男女とも非常に気になるテーマのはず。

その点から考えて、この作品は子供には向かない印象。下品なセックスネタは少なかったが、子供が喜ぶような話とは思えない。家族で楽しむより、同性もしくは同世代の友人と鑑賞するのが最適な類の作品と考える。

バート・バカラックの曲が様々使われていた。音楽の使い方が独特の作品。劇中で歌うし、BGMとしても使われるし、音楽の比重が大きい。監督の趣味だろうか?あらためて聴いてみると、どの曲も本当に素晴らしい。歌詞もロマンティックなものばかり。サントラ盤があったら、きっとヒットしているはず。

この作品では、男優のキャスティングに疑問を感じた。普通に考えると、こんな作品でヒュー・グラント様がお出ましにならないのは妙だ。どっちつかずで迷う花婿で笑えるはずだから、情けない表情が得意なグラント君が最適だったはず。スケジュールかギャラに問題があったのか、もしくは女優だけが目立ちたいと、ジュリア嬢がごねたのか?

敵となるキャメロン・ディアスは、まだ大スターになる前の段階で、可愛らしい女を演じていた。若々しくて魅力的に写った。

ヒロインがやる工作は、それにしても酷かった。笑いの対象にならない。バイキンでさえ反吐を吐くようなとはオーバーだが、もう少し笑える小細工のような計画のほうが良くないかと思った。

 

 

2014年6月 6日

ヘンリイ五世(1944)

- 古さも効果的 -

イングランド王ヘンリー5世がフランス領に進出し勝利する過程を、劇中劇の形で表現した作品。ローレンス・オリヴィエ監督、主演。

・・・製作当時は戦争中だったらしい。そのわりに新しい。

ロンドンの街並みの模型が登場するが、芝居小屋にカメラが移る流れのために作っていたようだった。あれが必要な演出だったのかは分からないが、ラストで出演者の名前が出る前に、空から紙が降って来て急に画面に広がり、そこに名前が書かれているという細かい演出には役立っていた。

劇中劇の形が、他の映画よりも効果的に使われていたように感じた。微妙な演出の上手さが、無理な劇中劇か高級感のある劇中劇になるかの分かれ目らしい。近年のCGが使われた劇中劇は、どうも安っぽさにつながるような気がする。

原作も劇中劇形式になっているのかは知らない。たぶん、映画限定の演出ではないかと感じたが、他に先行した劇があったとしても不思議ではない。舞台となった芝居小屋に雨がふるシーンなどは、無駄な時間のようにも思えるが、雰囲気作りには効果的と思った。

舞台に出て行こうとする時に、ローレンス・オリヴィエが咳払いをする。あれはリアルさを出そうと考えてやったことだろう。センスと意気込みを感じた。

おそらく今なら、デジタルの鮮明な画質で、気どった仕草の役者が劇を演じるリアルな舞台劇として作れる。コンピューターで制御された立体的なカメラワークを使い、役者の汗まで映せるだろう。さらにリアルで高級な作品を作れる。

DVDは韓国製の安物で、画質は良くなかったが、鑑賞には耐えられるレベル。音もこもったような印象を受けたが、これはおそらく原版もそうだったのでは?何といっても戦中の作品だから。

この作品は家族で楽しめるとは思えない。画質や音質の問題もあるし、古めかしさがもろに出てしまう内容だから、子供達は退屈してしまうだろう。恋人とこの作品を観るシチュエーションも想像できない。大人がひとりで観ること限定の作品と思う。

古い映画でも、その古さが高級感につながることがある。舞台での芝居に特徴的な、回りくどい説明、かしこまった仕草が、伝統的な重厚さをかもし出す場合がそうだ。この作品は劇の部分で、それが感じられる。

凝った演出は他にもあった。フランス軍が攻め込んで来るシーンは、たぶん西部劇映画を参考にしたのではないかと思うが、騎士といっしょに横に並んで撮影しており、ダイナミックな感じが良く出ている。作り手の意図がよく分かる。

フランスの将軍達が馬に乗ろうとする前に、気どった振りで彼らを案内する芸人のような人物がいる。当時の趣向かも知れないが、無骨なイングランド軍とはセンスが違っていたのか?

戦意高揚の目的で作っているのに、相手がフランスで良いのか気になった。フランスは同盟国でしょう?心のどこかに、同盟国といっても敵愾心があるんじゃないの?さっさと占領されやがって、もっと持ちこたえろよと思ってたのか?と疑ってしまう。

イギリスとフランスの戦いについては、日本人の私にはピンと来ない。広大なフランスが、イギリスの一部に過ぎないイングランド王によって支配されたり、フランスの一部に過ぎないノルマンディ公がイングランドを支配するなど、軍事力次第で攻め手の入れ替わりが激しい。

日本の戦国時代も攻守が入れ替わった例は多いから、騎馬戦と城の攻防を主体にした戦の場合は、今の戦争とは様相が違っていたんだろう。桶狭間の合戦のような劇的な展開が起こりうるのだろう。戦士が揃った時に優勢になり、伝統が廃れたり戦力が育っていない時に攻められる・・・なにかプロ野球の球団の盛衰と同じような感じかも。

映画の中で主人公が話す演説のセリフが素晴らしい。「命が惜しい者は必要ない~」から始まって、「聖クリスピアンの日を子孫が讃えあうだろう。」といった戦意高揚を謳う場面は、原作にもあったセリフだろうが、当時のイギリスの世論にも通じるものがあったのだろう。

本当のヘンリー五世がどんな人物だったのかはよくは知らない。少なくともフランス征服の野心を持つ、好戦的な人物だったはずである。フランス側からすれば明らかな侵略者。姻戚関係や先祖の所有地の関係で、フランス内に権利はあったと思うが、今日の感覚ではプーチン的・・・というと失礼になるが、拡大主義の軍国主義者のようなものだろう。

当時のイギリス経済だと、羊毛を輸出してベルギー辺りから代価をもらうことと、農業が産業の主体ではなかったかと思う。いずれも土地が広い方が有利だから、土地を確保するために言いがかりをつけるのも正当と感じていたのかも。

今の時代だと、土地のような管理が面倒な実物より、利権や動かせる金額の大きさ、通商のルールなどに関心が集まっていて、国境争いは意味を成さない傾向がある。領地や国境で争うと、悲惨な戦闘が必要になってくるから、実利に走るのは賢い。

ロシアや中国のように土地がらみで動くほうが、もはや珍しい。ウイグル自治区での中国の対処法は、いかにも中世から帝国主義の時代のようだ。資源を確保する必要があるのは分かるが、ウイグル人に管理させても良くないのか?利益だけ中国が頂けばよい。

ウクライナに対して、ロシアが望むものは何だろうか?ウクライナ全土を管理するのは大変だろう。ロシア人へのテロも増えてくると思うし、管理のための予算が嵩む。普通なら圧力だけかけて、利益を確保して手打ちを目指すしか考えられない。クリミア半島を併合する必要があったのか?

占領はできるとしても、昔より高度な武器が出回っている今日、管理や警備、テロ対策に膨大な人員と予算を要する。そこまで考えて支配しているのか疑問に思う。

 

 

 

2014年4月 4日

ペーパーボーイ 真夏の引力(2012)

Paperboy


- 汚れ役が好き -

フロリダで地域新聞を扱う家の次男が主人公。主人公の元に、冤罪事件の犯人の恋人を名乗る女が現れ、主人公は彼女に恋をしてしまう・・・

・・・DVDで鑑賞。しばらく熊本市の電気館でも上映されていたが、人気がなかったのだろう、観ないうちに別な作品に代わっていた。

よく出来たストーリーだった。現代アメリカを舞台にした小説を書くなら、かくあるべしと言えそうな完璧な舞台設定、人間関係。そろぞれの個性の設定や、その描き方、展開の仕方も、おそらく作者の意図を完璧に反映していたのではないか?

大人向けの作品。子供には向かない。恋人と観るのに向く作品とも思えない。オタク、暇人、同性の友人と観る場合、そんな時には良い映画かなと感じた。

役者達は皆が上手かったが、中心はヒロインのニコール・キッドマンだった。色気や毒々しさ、禍々しい雰囲気が漂いながら、結構よい人間ではないかと感じる微妙なキャラクターを、キッドマン嬢は本当に上手く演じていたと思う。歩き方が下品になるよう注意していたように見えた。

外国から来てスターになった女優は、自分の表現力や魅力に自信を持っているのだろう。凄い汚れ役を演じる傾向がある。強烈な競争心や、派手なことをやりたいという強い意識があるのだろう。シャーリーズ・セロンとキッドマンは、美しさと迫力が際だっている。

Paparboyinc

気になったのは、この作品の画質。70-80年代の古い青春映画のような、淡い色彩、ぼやけたような画質は、最近の劇場版映画では珍しい。この作品はメジャー作品とは言えないので、予算の関係だろうか?それとも、ヒロインのキッドマンの肌の衰えが目立たないように、客がゲンナリしないようにという配慮か?私は邪推してしまった。

もし彼女以外の女優が演じているとしたら、役柄を少し変える必要がある。もっと悪女の雰囲気を出す手もあるし、考えの足りない色ボケの可愛い女の路線を選ぶ手もあると思う。少し頭が足りない女の可愛さを強調したら、不幸な女の物語になって、作品はもっとヒットすると思うが・・・

脇役の俳優達も、嫌われそうな酷い役柄を堂々と演じていて、感心した。悪人役のジョン・キューザックは、過去の作品の印象ではのっぽの優男だが、この作品では犯罪者の雰囲気が充分に感じられ、上手いこと演じていると感心。主人公の父親役、メイドの黒人女性役なども雰囲気が出ていた。

設定として、救いようのない悲しいストーリー。夢にあふれるような良い話がほとんどない。性欲や変態趣味、暴力に満ちた物語で、観ていて楽しくなるはずがない。でも、だからこそ現実的な話とも言えるし、独特のインパクト、深みのようなものもある。楽しく美しい話ばかりでは飽きる。お笑い映画に飽きたら、こんな作品もいいのかも。

個人的には、もう少し美しいエピソードを増やすべきではなかったかと思った。黒人メイドと主人公が家族以上に心を通わせる部分と、主人公と兄との結びつきをもっと強調し、それと悲劇的な展開を同時に描ければ、さらに美しい話になったのではとも思えた。エピソードが足りなかった。時間的に無理だったろうか?

主人公の兄の本性には驚いた。あれが観客を驚かせる効果は確かだったとは思う。でも、救いがたい雰囲気にもつながるので、少し映像表現での工夫があっても良かったのではないか?つまり曖昧に済ませても良くなかったかと、多少思った。

サドマゾや女装趣味は、自分にはよく解らない。私は変人と思われているが、実は非常にマトモかも。整理整頓も最小限はするし、家事もこなし、子煩悩で、映画気違いでチョコレートとアルコール中毒で・・・ま、自分では正常だと信じる。

フロリダの湖沼地帯は、よく映画に出てくる。ワニが出てくるだけで気味が悪いし、密林地帯を探索するのはスリルにつながる。舞台として最高。仔鹿は、この作品では出てこなかったが、沼地に鹿がいるのは変な気もする。もっと別な地域の話だったのだろう。

アイスクリームをバケツに入れて回して食べるなんて、気持ちが悪くないそうなシーンだった。どんな生活をしているのか、たちどころに解る。実際に、あんな生活をしている家族がいるのだろうか?‘ハッシュパピー’のようなコロニーがあれば、あんな感じなんだろう。

行ったことはないし、足を踏み入れたら銃を撃ってきそうだから行きたくもないので、実体は全く知らない。プアホワイトの究極の人種がいるのかも。開発された地域は、ボートなどで遊ぶ老富豪も大勢いると思うけど、ジャングルの奥地に好き好んでかどうか、生きている漁師や農夫がいるのかも。

 

 

2013年7月10日

平気で嘘をつく人たち(M・スコットペッグ著)

M_3 - 集団心理は無視 -

この世には、一見普通に見えるが邪悪な心に満ち、人を欺き支配しようとする人間がいるといった内容。原作は随分前に発行されていたそうだが、邦訳は最近らしい。

この本は、精神科の病気、心理分析に興味がある人に向くと思う。それ以外の人には、変わった視点で物を見る好奇心の強い方、そんな方達の本。やや面倒くさい内容なので、軽い気持ちで読むことは難しい。なぜ自分がこの本を買ったのか忘れてしまったが、表紙のデザインが気に入ったのかも。

邪悪性の定義が難しい。単に人に害を与えることを気にしないといった意味から、奥深く病的で悪魔を連想させる意味など、色々あると思う。

親が子を独占しようとする、自分の周りに居させようとする感情は、愛情の一種だと思うが、よく見かける。マザコンになった人物は身の回りにもいる。

我が家の子供達も、自分の下着の管理でいつも母親の世話になっている。勝手に片付けると母親が怒るから、自然と母親任せになる。家内は「自分で管理しろ!」と言いながら、必ず他の大事な用事をほって服を探すことを優先する。

こんな行為の連続で、親離れしない人ができるのだろう。やがて就職でもして独立したら、相当なショックが来ると思うが、ほとんどの母子では、しばらくドタバタした後、独立が果たせると思う。それを願っているが、母親が付いていったり、子供が直ぐ舞い戻ったりする可能性もある。

愛情と、支配欲≒害を与える意味で邪悪な心情は、必ずしも明確に分けられないと思う。母子関係の場合はそうだ。子供を独立させようという気持ちは、前頭葉を使った理性の分野から起こると思う。子供に害が生じても、自分のそばで過ごして欲しいという感覚は、理性とは違う。ペットと勘違いしているのか?

ただし、動物でも子供を早く泳がせようと促したり、空の飛び方を練習させようと厳しい態度をとることがある。あれは、脳のどんな反応でなされるものだろうか?あんな動物よりも人間のほうが安易な道に陥る場合は、かえって高度な思考が子育てに有害な結果をもたらす危険性を示しているのかも。よく解らない。

本の最後の章では、ベトナム戦争中の虐殺事件であるソンミ村のことが題材になっていた。確かに邪悪な行為で、ソンミ村では数百人が殺されたらしいが、小さな部落の数十人程度の場合は、もしかするとゲリラの選別が難しいからと全員殺して証人もいないような例も他にあったのでは?

旧日本軍や、ベトナム戦争時代の韓国軍も酷い虐殺を繰り返していたという。全員虐殺するので、証言者がなく証拠が揃わないことまで計算に入れているようだ。戦争では一般に、関係ない住民への暴力、略奪、殺害が日常。一般的行為だから、兵士個人の問題とは考えられない。

軍隊は、邪悪になることを強いる組織。基本的に敵の最も大事な権利である生存権を奪うのが職務なんだから、倫理や同情を頭から外す訓練をやってこそ、兵隊になれる。邪悪性を論じても仕方ない面はある。虐殺を正当化するつもりはないが、戦争はそんなもの。

邪悪な人というと、悪行を個人の問題であるかのように扱っていることになるが、本質から考えれば集団、組織や規則、法律の問題だと思う。作者があえて個人のほうに焦点を変える理由がよく解らない。本が売れるための独自性を出すためか?

確かに、なかには個人で非常に特異な性格で、独特の害を他人に及ぼす人物もいる。本の中で例示されているような極端な例はそうだろう。でも現代社会の場合、ほとんどは集団による残虐行為だと思う。

私自身を鑑みるに、充分に邪悪な性格を自覚する。若い頃は特に酷かった。世間を恨んで、回りの誰でも殴ろうかといった破壊的衝動があった。実行しないのは、その一方でやたら公共精神が強く、妙に高貴な意識があるからだろう。矛盾したまま頭が整理できていなかった。

そんな私でも、例えばいじめられている人間をいっしょにいじめたいとは思わない。楽しみのため人に害を与えるセンスは理解できない。立場を利用していじめるのは卑怯という観念があるからと思うが、学生時代には楽しみでいじめてるとしか思えないワルも結構いた。彼らは私より邪悪かも知れない。

優位な立場に立つと途端に高圧的になるパワハラ人物がいるが、結果として集団全体に邪悪な精神を蔓延させ、軍隊なら敵に対する残虐性、会社の場合は極端な管理主義、成果主義といった方向に向かうように思う。役職や立場というのは概念に過ぎないが、システムや規則などで人をしばり、凶行に走らせることもできる。

何かあれば下級生をいじめようとする先輩。二人きりになったら意外に大人しい。居心地悪そうにしていた。他の人の目があって始めてイジメ道に励むようだ。誰かの目を意識しながらの悪行は、彼の強さや容赦ない性格を表現するための、荒ぶる行為。多くのイジメは、彼らのパターン。

一人でも悪行をできるのは、本物の邪悪さと思う。でも、そんな人間は自分が先頭に立ってワルさを働いたりはできないことが多い。隠れて、一人で、そして自分が安全な立場で弱者相手にといった特徴がある。通常はボスの下の下に位置する人物で、下っ端と言える。その位置にあることが、鬱屈した感情を生むのではと想像。

さらに、極端に残虐な行為を働くのは、普段は大人しい人物のほうに多い。楽しみのためではなく、自分を守る意識が極大化するため、もしくは溜め込んだ衝動を一気に発揮するため凶暴過ぎる行為を働く、そんな印象が強い。駅や秋葉原などで最近起こった無差別殺人事件は、そんな傾向がないだろうか?

そういった事件の社会的な病理に関しては、作者も言っていたように他の本で語られている。重要度から言えば、個人の問題より社会的な要因、集団心理のほうがずっと大きい。でも、奥底に潜む邪悪な面を全く無視することも良くない。センスは持っていたほうが良い。邪悪性を上手に隠されている場合は、センスがないと解らないから。

私が思うに、邪悪な人間でも偉業をなすことは可能だと思う。邪悪性は、倫理の縛りを越えて職務に邁進することを可能にする。また、邪悪な視点から同じように邪悪な敵の狙いを感知することが可能。味方を守るために、邪悪性が必要な場合もあると思う。

したがって、偉い人は例外なく邪悪。政界や財界を見れば解る・・・というのは言い過ぎだろうが、そうそう外れてもいないのでは?

全くのお人良しでは人を信じすぎるから、何かを企画しても夢のような話で終わってしまう。何らかの敵や障害となるものの存在を感知し、企画に沿いやすく誘導することが必要だが、それには邪悪な面のセンスも必須だと思う。場合によっては、きたない騙しや脅しも必要。

そして、おそらく邪悪性はほとんどの人間にある。邪悪性は自分を守ろうとする情動に直結しているように思う。自分を守ろうとする動物時代の反射が、自分の意図を相手から隠し、出し抜き生き抜こうとする目的のために働き、そのための害は無視、そんな情動の名残りではないか?

時にはそれがオーバーリアクションになり、自分自身や友人、家族をも敵~異物のように扱ってしまう、一種の免疫アレルギー反応のような過剰防衛、それが邪悪性と表現できると思う。そんな視点は、この本にはあまりなかったようだ。

いっぽう、宗教の良い点は規律で我々の邪悪性を縛り、実際の悪行に至らないように押し止める効果があること。問答無用で、「神はこう言った。聖人はこう諫めている、聖書では・・・」といった強力な抑制ができる、それは素晴らしい点。

それが宗教の本質に近いのかもしれない。ちょうど兵士の訓練と逆方向への洗脳。怒りを抑えて相手を理解し、衝動で殺したりしないようにと、多くの宗教は説いている。動物のような反射から離れ、理解や共感を持つこと、それは兵士にはあってはならない性質。

他人や本人の邪悪性を例示し、それに対する解説や分析を集大成した治療対処マニュアル、指針、規範集が聖典に他ならない、そうではないか?

それなのに、宗教がらみのテロリストが残虐のかぎりを尽くすのは逆説的な展開。宗教の限界を示しているのだろうか?もともとイスラムの場合は、そういった修道士的な規範とは違うのかも知れないが、一般に宗教家といえども、特に集団で行動している場合は、集団論理が優先し、邪悪な心境に陥っている人物は多いのでは?存命中のキリストだって、ユダヤ教の神官たちからは酷く排斥されていた。ユダヤ教の神官も、敬虔な宗教家だったのでは?

 

 

2012年12月14日

ヘルプ~心がつなぐストーリー~(2011)

- 勇気に感動 -

人種差別が激しい南部の町で、黒人のメイド達の本音を本にしようと考えたヒロイン。しかし、公表すれば命の保証はない。メイドたちも尻ごみする・・・

・・・勇気ある女性達の話。非常に美しい物語だった。作品のテーマがそうさせたのだろうが、全体を通じて穏やかな調子でドラマが繰り広げられている。本当は激しい暴力や、厳しい口調の命令、罵声が繰り広げられたに違いない。でも、そこをリアルに表現しても効果的ではないと判断されていたようだ。

お蔵入りした映像を観ても、殴られた女性が鼻血を流して逃げているシーンなどはカットされ、全体のムードにそぐわないと監督自身が述べていることから、穏やかな演出に統一した編集作業があったことが解る。

映像の色調も概ね明るい。暗い作業場で殴られる使用人・・・といった陰惨なシーンはない。直接の暴力行為も、もちろんない。だから家族で観ることが可能な作品。ただし、子供に受けるかどうかは別。感受性の強い人にしか意味をなさない作品だと思う。

Emma  

ヒロインを演じていたエマ・ストーンの表情が素晴らしい。画像のように実は相当な美人なんだが、メイクや表情でややガサツな文芸少女のように演じている。お見合いの席で相手の男のバカぶりに怒るシーンがおかしい。軽いユーモアがないと作品全体が暗くなるから、おしとやかでないのは良いキャラクターだった。

おそらく齢をとっても悪女役などで充分に活躍できる予感がする。大女優の可能性を持つ印象。

眼が大きくて顔が丸い点は、アマンダ・サイフリッドとよく似ている。「マンマ・ミーア」のような役柄には確かにアマンダ嬢のほうが合うと思うが、「TIME」の場合は、もしかしたらエマ嬢のほうがリアルだったかも知れない。キャラクターが少しかぶるのは確か。

黒人女性のメイド役の中心になる二人も素晴らしい。実際のメイドとしか思えない実在感があった。特にミミー役をした女優さんは、体と頭のバランスがとれてないというか異様に顔が小さく、表情も黒人独特のもので、存在感が抜群だった。

メイド役をする女優が美人過ぎたらおかしい。手が美しく動作がなめらか過ぎても変。バレーの素養のある女優は不向き。日本の女優の場合は、劇団で他の役柄も演じることが出来る美女達が女中役をしてしまうことがあるが、役にそぐわない存在感を出す場合もあって妙だ。

彼女らの努力と工夫には感心したが、60年代より前になぜ公民権運動のような活動が盛んにならなかったのか不思議な感じもする。憲法で権利を保障されていても、明らかにその精神に反する州法が成立しており、しかも‘トイレを黒人と白人で分ける’といった規則が新たに成立するなど、信じ難い現象。

多数派が白人なら、非人道的だが合法的な仕組みが維持されるのも当然ではある。正しくなくても、民主主義のルールには沿っている・・・だから正当、だから良いとは言えないが、まかり通るのは現実。

金の力、雇用者と被雇用者の力関係で言えば、確かに大きな違いはあると思う。被雇用者が雇い主に対して対決するのは限界がある。職を失い、しかも再雇用に関してカルテルまがいの圧力をかけられたら、クビは破産に直結するから、黙らざるをえないという経済面での圧力が続いていたということか?社会的な力関係が、長らく維持されたのだろう。

200年かけて徐々に経済的に独立した黒人が増え、軍や警察の上層部にも進出し、白人からの圧力に抵抗することができるようになって初めて、ものを言うことも可能になったという流れかもしれない。

仮に警察は総て白人だったとしたら、法がどうであれ公務執行妨害の現行犯などとでっち上げられて、その場で射殺される危険性がある。ある程度の黒人がいれば、人種差別以外の要因である法や金によって対応が変わる可能性もあるが、人種差別は減る。人的な進出は絶対条件だろう。

 

2012年8月13日

ペントハウス(2011)

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- ミッション・インポシブルですか? -

高級マンションの職員達の年金は、ある投資家が管理していた。しかし、この投資家が資産を持ち逃げしていることが判明。管理人たちは泥棒の手を借りて強奪を目指すが・・・・

・・・・面白い企画だった。主人公はベン・スティラーで、泥棒役のエディ・マーフィーは脇役の扱いだったのだが、あのエディ・マーフィー様が脇役に甘んじるとは、時代の流れかも知れない。ただし、主役以上に目立った脇役だった。

他の人物もかなり有名な役者が多かった。マシュー・ブロデリックは、個性からしてはまり役だったと思う。 マイケル・ペーニャも、どこか役にたたなそうなトボケた個性が役柄と合致していた。もう少し大きな失敗をやって目立って欲しかったほど。

アラン・アルダの演技も非常に良かった。拘束されていても動じない、ふてぶてしい態度、計画性に優れた悪役のイメージがバッチリ出ていたが、本当の悪役のような殺気めいた印象が薄く、喜劇には最適の悪役の個性だったと感じた。

実際の投資家達も、こんな生活をしているのかもしれない。セキュリティがしっかりしたマンションは、金持ちには望まれる。ホテルを改装したのか、最初から分譲用に作るのか知らないが、一般のホテルに暮らす富豪もいるそうだが、ホテルよりは安全と思う。でも、スタッフに侵入されるのを防ぐのは難しいだろう。

実際の詐欺師も、こんな表情で仕事しているのかも知れない。あちらでは資産管理は証券の形にするから、珍しくないパターンなんだろう。法律を上手く使えば、資産は確保して司法取引が成立し、客の金はどこかに消えてしまっているという不思議な現象が起こりうる。最初の設定がリアルだった点は良かった。

例えばの話、悪役をロバート・デ・ニーロが演じることも考えられる。マフィアのボスめいた人物なら最適の配役だと思う。でも、投資家達は相手を殺して目的を達するようなヤバイ雰囲気はしていないと思う。裕福な生活がにじみ出て、よく遊んで健康的な外見をしていて、まさにアラン・アルダ風の外見がパターンだと思う。役柄から考えて、デ・ニーロタイプでは不適。

さらに例えばの話、マイケル・ダグラスが迫力ある投資家を演じることも可能だった。金を隠そうと手の込んだ画策をして、主人公達を何度も窮地に陥らせる、そんな敵役もありえた。逆転につぐ逆転のアクション・コメディでも話は面白かったと思うのだが、そうなると主人公達による笑いの要素は減る。それは困ると思ったのか?

疑問はベン・スティラーの役割。彼の本来の役目は、ひどい目に遭うことである。敵からやられ、仲間から裏切られ、四面楚歌であり、しかも良い人間過ぎてバカを見てしまう。そんな役割が望ましい。

だから別な恋人役が必要だった。人の良いドジな主人公に愛想をつかし、途中で去っていくような恋人が。最後の逆転で勝利と愛を勝ち取る・・・そんな流れなら拍手喝采だったはず。それこそ、弁護士役が恋人だと最高だった。

主人公の窮地を際立たせるためには、敵が主人公の口座に偽りの振込みをして偽装工作をする、または元々の仕事のパートナーで罪をなすりつけられる、そんな展開も可能だったはず。ビルの管理人であることは、話の流れから必ずしも必要だったわけではない。

スティラーの役割が少し曖昧だった関係で、最後の爽快感が不足する結果となった印象を受けた。私だけだろうか?それに、エディ・マーフィーも、やられないと話しにならない個性。やられ役が二人必要とは思えない。もし二人ともやられるなら、徹底するべきだった。

FBI捜査官のティア・レオーニも、よく解らない個性。色気と男勝りの性格を期待しての配役だろうか?キスくらいはやって欲しかったが・・・

奪った車が見つからないはずはない。館内を徹底的に探しても解らないように、奇想天外なアイディアで隠していたなら、作品の評価も上がったかも知れない。そもそも、車の秘密にFBIが気づかないはずがない。もう少し、設定に工夫があると良かったろう。

この作品は、家族で楽しめる作品だと思うが、大興奮の傑作という評価は得られにくい印象。恋人と気楽に楽しむ映画としては悪くない。毒が少なく、えげつないシーンもない。

コメディなんだが、高層ビルでのスリルあるシーンもあり、騙し騙されという展開もあり、いろんな要素があって悪くない作品だと思う。家族で楽しめるのでは?

ペントハウスに住むということに、自分は憧れない。ニューヨークだと感覚が違ってくるのかも知れないが、同じ金額をかけるなら郊外の一軒家の豪邸のほうが豊かな感覚がある。ただし、セキュリティを完璧にするのは難しいだろう。

日本にも数億円クラスの高級マンションがあるが、住む人の気持ちは解らない。特に東京の場合は空気も水も汚いし、今は放射能汚染の問題もある。国際的な価値は下がったに違いない。

都心の便利は良いだろうが、地方都市の郊外でも買い物にはそう困らない。私の生活レベルだと買える物も知れているので、特に何か買いたいと切実に願う物がない。資産家の感覚は違うのかも知れないが、高級品をしじゅう買える人は少ないし、いかな巨大な資産と言えど、放蕩すれば直ぐなくなるだろう。

別荘にも興味はない。別荘は、よほど丁寧に管理しないと、カビやコケ等でいっぱいになるだろうし、草むしりなど時間の無駄でしかない。管理人を置くと、その管理にまた手間がかかる。別荘より、たまにホテルに行くほうが現実的。

今の自分の場合は、巨額の資産を得る可能性もない。その希望もない。子供達が大学に進学できて、就職が何とかなれば程度の願いしかない。そんなことでは大きな仕事ができるはずもない。

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