映画評

  •  若い人達の映画評は、「やっほーい、見ちゃった!(^□^)゛にゃはは(^□^)゛(^o^)」(゚ω゚)イイヨゥ! のような具合で、おじさんにはさっぱり理解できません。年寄り向けのサイトがあればと考えました。

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カテゴリー「へ」の9件の記事

2009年11月 6日

ベティ・サイズモア(2000)

- ドタバタに徹すべし -

メロドラマに登場する医師デヴィッドに夢中の女が主人公。ある日、彼女の夫が盗難車を売りさばこうとして犯罪組織によって殺されてしまった。そのショックで彼女はドラマと現実の区別がつかなくなり、ドラマの主人公に会いにハリウッドに出かける。いっぽう、問題の車を探す殺し屋達は、彼女の行方を追って、これまたハリウッドに向かう・・・

・・・登場人物は結構な大物スターぞろいだった。モーガン・フリーマンとクリス・ロックの殺し屋役は、それなりにいい味を出していたような気がするが、抜群に魅力的だったとは言えない。その他の、グレッグ・キニア、アーロン・エッカートも上手く演じていたとは思うが、魅力に関しては?のレベル。

主人公のゼルウィガーの演技も、自分にはよく解らなかった。評価は高かったようだが、演技くさい印象を受けてしまった。可愛くて同情したくなるような気の毒な状況を演出しないといけないと思うのだが、少し役柄とキャラクターがあってないような印象を受けた。人は良いが頭が悪そうな感じが出ていれば良かったが、少し違う印象を受けた。

この作品は子供には見せたくない。なぜか頭の皮をはぐシーンがあるからだ。必要だとは思えない。血を見せないで、無様でおかしい死に方を見せるべきだったと思う。恋人といっしょに観るのには悪くない。基本的にはラヴ・ストーリーであるし、コメディだし、ギャグもおかしいからだ。

もっとドタバタに徹したら良かったのではないか?

ドジな主人公が気の毒に思えないと観客は喜ばない。徹底的に不幸な状況を見せて、それでもテレビの世界でだけ幸せを感じている状況を、もう少ししつこく見せるべきだったのではないか?「なんてバカな女。でも可哀そう・・・」という感情を演出しないといけない。そのための音楽なども望まれた。

殺し屋のキャラクターも練り直して、人格的に破綻しているが腕だけは良いとするのが常道だ。哲学を持っていて、妙なこだわりの手順を踏まないと仕事を始めないが、いったん危険が迫ると怖ろしい腕で皆殺しにする、そのようなキャラクターが普通ではないか?

主人公と共に行動するキャラクターも、普通の人物ではもったいない。完全なジャンキーで、違う世界に行っているような女が望ましい。二人が完全に普通でない部分で理解しあうなんて、おかしいのでは?

ラストで、一人旅をする主人公だったが、絶対に新しい恋をイメージさせるべきだったと思う。ただ旅をして、新しい何かをつかむというのでは満足度が足りない。大いなる幸せを予感させて欲しかった。

 

2009年8月26日

ベンジャミン・バトン 数奇な人生(2009)

- 実験的手法 -

ベンジャミン・バトンは老人のような姿で生まれたために捨て子にされ、施設の管理人の女によって育てられる。徐々に体が若返り、成長していく中で、死に行く老人達、幼なじみのデイジー、初恋の女、ボートの船長らと出会い、別れを繰り返す。デイジーの記憶と、彼の日記の中で彼の人生が語られる・・・

原題では数奇なケース(症例)という言い方になる。奥が深、く味わいのある作品。ストーリーは単純で、もともとの原作がフィッツジェラルドの短編小説だからか。それに色々な味付けをして映画化したようだ。時代背景からのノスタルジー、様々な不幸、出会い、恋愛などなど。

この作品で驚くのは、顔と体の映像をくっつける映像技術。ブラッド・ピットの顔を特殊メイクで年寄りにして、アンバランスな体とくっつけてあるはずなんだが、あまり不自然さが感じられない。普通なら顔と体の向きが微妙に食い違うところをCG処理している。

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挿入されるエピソードの中には、ストーリーとは関係が少ないものもあるようなのだが、それらがあることで話に奥行きが出ているように思う。雷に打たれる男の映像は、ちょっと観客を笑わせる効果と、悲しさ、哀れさなどをかもし出す。

映画の冒頭で述べられる逆回転時計の話も、作品全体の悲しい雰囲気作りに効果的だった。ハリケーンカトリーナの悲しい記憶も効果的。うまく盛り込んだことで、映画の高級感がかもし出された。

途中、特に面白いシーンがあった。デイジーがけがをするくだりだが、色んな偶然が重なって事故にあうことを、くどいほど解説していた。あのシーンは人生の偶然さを解説する目的で挿入されたのだろうが、他のシーンとは調子が異なる部分だった。あれで良かったのか判らない。

ブラッド・ピットも映画のコンセプトに合わせているようで、非常に表情が少ない演技だった。泣くのは船長が戦死した時くらいか?別れの時には悲しげな表情を少し浮かべるだけ。それが適切だったのかも判らない。

人生を描く作品ならば、淡々と描くスタイル、ほんわかとするスタイル、悲しさが全編を被うスタイルなど、コンセプトの設定が大事だ。一般的に成功しているのはチャップリン映画や「フォレスト・ガンプ」のような喜劇スタイルであるから、この題材の場合も喜劇スタイルを選ぶべきではなかったか?

老いや若さがもたらす滑稽なエピソードを挿入すれば、笑いながら共感する人は確実に増えたと思う。悲しいテーマこそ、おかしなエピソードで彩るべきだ。

悲しい別れがあっても人と自分の人生を愛し、懸命に生きろという単純なテーマを、特異な設定、様々なエピソードで語る実験的な手法。かなり成功していると思う。でも、心にしみいる悲しさや、爽やかさを伴うような味わいまでは至っていないような気がする。

我々はついつい後ろ向きに考えてしまう。後悔や非難にばかり熱中して自分の拠り所を確保しようと、いじましい強がりを繰り返すのだ。私は特に後ろ向きに加えて「下向き」とさえ言えそうだ。

家族で観る映画ではないような気がする。大人限定だろう。恋人と観るのはおススメ。

2009年6月 2日

ペギー・スーの結婚(1986)

- キャスティング -

監督はコッポラ。特に原作はないらしい。誰の原案かは不詳。結婚がほぼ破綻した状態の夫婦がいる。ふたりは高校の同級生で、かって夫婦が在籍した高校の同窓会が開催され、ともに出席する。主人公は迷い込んだ過去の時代で人生をやり直す・・・というストーリー。

主役のキャスリーン・ターナーは公開当時32歳だった。いくらなんでも高校生を演じるのには勇気が要る。まあ、あちらの若者を見ると、本当の年齢がまったく判らないほど老けているやつらも多いが、この作品の主役の場合は、逆に若い役者に老けた役をやらせたほうが良かったのでは?

いっぽうのニコラス・ケイジは当時22歳。ニコラス君は昔からひどく老けていたようだ。彼の歌声は良かったのかどうか?本当のアイドルでも連れてきたほうが、絶対に面白いと思うんだが・・・

いかにスターで名優であったとしても、老けた二人を中心に描かれたこの作品には、とうとう魅力を感じられなかった。演技以前の問題。キャスティングだけでがっかりしてしまう。懐かしいオールデイズミュージック、どでかい車、古めかしいファッション、そんな色んな受ける要素があったにもかかわらず、キャスティングの問題が最後まで尾を引いたように感じた。

ストーリーに新味がないといえばないが、面白くないわけではない。ラストも読めるが、あまり斬新なストーリは必要ないような気がする。

だもんで映画に関しては、これ以上の批評はしない。でも、キャスリーン・ターナーは素晴らしい演技だし、年齢相応以上の美しさ、魅力を持っていた。

もし自分の人生をやり直せたら、どうしたいか?結婚相手を代えられたら、誰と結婚したいか?中学時代の憧れの娘は近所のカワイコちゃんだったが、全然相手にしてくれなかった。おそらく異性とは感じていなかったのだろう。異星人と思っていたふしもある。

私があと10センチ足が長く、目と鼻と口の配置にもう少しの工夫があれば展開も違っていたかも知れないが、顔は整形しないと工夫できないので中学生には如何ともし難い。

もし故郷の娘と結婚していたら、たぶん故郷の町の病院に勤務して、今頃は院長先生だったかも。田舎なので、外に出るわけにもいかない。病棟に張り付いて、おそらく家内と子供は学校のために市内に住んでもらって、事実上の別居になっているだろうか?

さすがの美少女も色あせていないはずはない。すると私はもしかすると今頃は愛人でもこしらえて、夫婦は泥沼の状況になっているか離婚しているか?どんどん妄想が拡がる。いろんな展開が考えられるが、どんな展開でも自分は平和な時代に生きてきたので、わりと楽しい時代を過ごせて良かった。今のところ失業もしていないし、家もある。かわいい子供もいる。満足しなきゃって、この作品で教えてもらった次第。

そういう安心を得られる点では優れた作品。いちおう家族や恋人と観ることもできると思う。感動を得るのは難しいかも知れないが。

2008年6月26日

ヘアスプレー(2006)

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- ベスト・キャスティング -

傑作ミュージカルだと思う。観客を楽しませるという本来の意味では完璧か。

ミュージカルはなぜ登場人物が急に歌いだすの?おかしいよ、という人が多い。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でも、ミュージカル好きの主人公が2~3回そう言っていた。でも、この作品のように楽しいと、自然に歌いたくなっても変じゃないとさえ思えてくる。

基調となるテーマは深刻だった。アメリカにおける根強い人種差別である。それを、実に健全な方向で訴えていた。暗い面には蓋をかぶせて、あっさりと前向きに考えて、行動を起こせ!という姿勢を貫いていた。

映画は、基本的にこうあるべきだと思う。真面目に問題提起する作品や、悲しみに打ちひしがれる姿から強く訴える作品もあってよいが、そればっかりだと気が滅入る。解決を目差す姿勢は間違ってはいない。打ちひしがれた人を勇気付けるのも、映画の力のひとつだと思う。

ただし、こんな安易な方向ばかりでも困る。そんなに簡単に物事が解決するなら苦労しない。実際に行動すると、すぐ命がかかってくるほど深刻で、根強い反目がある。それはそれで、映画は映画と割り切るべきなんだろう。作品として、この映画は高いレベルでまとめていた。

キャスティングが良かった。

主人公の女の子がかわいらしかった。表情がいかにも健全で、役柄とバッチリ合っていた。ダンスは迫力満点とは言い難かったが、ちゃんと見れる程度に踊れていた。あまりにはまり役すぎて、今後どんな映画に出演するのか想像できない。

トラボルタの母親役も非常に目立っていた。体がバカでかいこともあったが、表情も実に良かった。本当の女性が演じてもよかったかもしれないが、彼ほどネームバリューがあって大柄のダンスが得意な女優は、そういない。ダンスが上手い女優はたくさんいるだろうが、ダンスで目立つべき役ではなかった。適役だった。

でも、あの顔はひどかった。見るだけで笑えた。

主人公の友人の女の子役は、ちょっと中途半端な印象だった。歌はとても上手そうで、おバカな役でかわいらしかったが、ダンスで目立つわけではなく、歌のシーンも少なかった。ストーリーとしては、彼女が危機に陥って、それを助けてくれた黒人と恋に落ちて、主人公がそれを応援するうちに、黒人の人権運動に加担するというほうが、流れとして自然だった気がする。

主人公が憧れる学生タレント役は、「ハイスクール・ミュージカル」で主演している彼だったが、いかにもあの時代のアイドルっぽい雰囲気を出して、上手かった。ハイスクール・・でのキャラクターと微妙に演じ分けているところなんか、完全に本格的なタレントだと思う。向こうのジャニーズに所属しているに違いない。

思えば、アイドル達も随分変ってしまった。

私の頃は、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎、アグネスチャン、天地真理などが全盛だった。郷ひろみはりりしく、西城秀樹はほんとにカッコよかった。今のジャニーズの若手も、イメージはそんなに変っていないが、SMAPなどはタイプの異なるアイドルなんだろう。必ずしもカッコよいというより、個性的であることで売っている感じがする。

アメリカのアイドルも、随分と変っている。アイドルという言い方が通用しないタレントが多い。ラップ系のミュージシャンは、アイドルというイメージではない。もっとワルの、ストリート・ギャングの仲間みたいな雰囲気のヤツが多い。ブリットニー・スピアーズのようなのは、少数派のように見える。

悪役のミッシェル・ファイファーは、この作品で最も大事な役どころだったと思うが、こちらも上手く演じていた。ダンスや歌が上手くはないようだったが、周りの演出でごまかしていた印象。雰囲気を出せていたから、適役だったのだろう。

よく解らないが、あちらのセクシー女優には左右の眼の間隔が離れている人がいる。日本人の感覚だと、ちょっと人間離れしたギャグっぽい顔つきになるが、あちらの人とは違うらしい。

ミュージカルだからといって、皆が素晴らしい踊り手、歌い手である必要はない。ジェームズ・キャグニーの昔から、少々調子外れの歌がかえって好感を得ることが知られている。無骨な歌い方のクリストファー・ウォーケンが、この作品で結構はまって見えたのも、その効果によるものだろう。

黒人たちの踊りは見事だった。特に女性3人組のグループの踊りは、デスティニーズ・チャイルド以上の完成度だったと思う。対して、劇中劇の形で番組の冒頭で踊られるショーのダンスは、今となっては笑えるような懐かしい踊りだった。だが、これが非常に上手いのだ。X-MENの彼が、まさかと思うようなニヤけた司会者を演じていたが、上手かった。

この映画全体を通じて、そのようなタレントをうまく集め、全体の流れの中で適切に配分できる鮮やかな手腕を感じる。プロデュース能力は、映画作りに限らず、センスの良さがあるから可能だと思うが、本当にセンスの良い仕事だった。

昔は本当にブラック・デイなるものがあったのだろうか?それこそ差別的で、許しがたいと感じる人がいなかったのか?ミスコンテストの場面で、白人と黒人のフロアがロープで分けられていたが、なんと屈辱的なことか!

学会などで白人の学者に質問すると嫌な顔をされることがあるが、彼らの感覚がよく解らない。単にこちらの英語力が不足して失礼な言い方をしているのか、若造なんぞ相手にしないと偉い先生が思ったのか、本当の人種差別か、表情だけでは判別できない。

質問のタイミングに注意しないといけない。話題をそらすことができないような場面で話しかけないと、あっさり顔をそむけられる。やはり、それが現実である。

2008年6月18日

ベオウルフ(2007)

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- パフォーマンス・キャプチャーの使い方 ー

宣伝を見た時点では実写だと思っていたのに、作品冒頭のロビン・ライト・ペンの表情を見て、始めて合成画像であることに気がついた。なんという手間のかかることをしたんだろうか!

パフォーマンス・キャプチャー(動作補足、とでも言うべきか)という技法を用いて、役者の動作をCG映像化してあって、実に自然な動きながら実はマンガ的であるという、込み入った工程で作ってあったが、その技法により、実写で難しいアクションも簡単に表現できていた。

その反面、顔の表情には難点があった。したがって、現時点で、この技術を使うなら、動きが少ない場面では実写、動きが目にも止まらないくらいになる時はCGで、というのが現実的であり、ほとんどの映画ではそうやっている。

そうすべきだったと思う。

悲しむ王妃の顔は判読できたものの、やはり訴えかける力は実写ほどのレベルに達していない。そのうち実写を超えるようになる日も近いと思うが、まだ現時点では差がある。表情は大事だから、表情の表現が必要な場面では、実写でやるべきだろう。

逆に、マスクやマントなどで口を隠して、目だけで表現すれば観客が勝手に登場人物の気持ちを想像してくれるので、CGでも満足できる結果もありえる。隠すことも考えるべきだった。

この作品は人気がなかった。欧米では日本よりも客が多かったはずだが、それでも大ヒットにはならなかったらしい。原作は古い伝説みたいな話らしく、それを修道士達が詩にまとめたと書かれてあった。近年の映画では、有史以前の物語を設定することが多いが、この話は西暦500年くらい?だとかで、古代の話に比べて多少ロマンスに欠ける。そのへんも影響しているのか?特に日本人にとっては、特別親近感を持てる時代設定ではない。

ベオウルフが王になってから年を取るまでが省略されていたが、自分の呪いの重さや力の限界を知るためには、もうちょっとエピソードがあったほうが良くはなかったか?例えば、王子が何人か生まれるが、原因不明のまま次々と急死する。戦いに勝っても、次々と挑戦者が襲ってくる。王妃から疎まれる。繰り返し悪夢にうなされる等、いくらでもあるはずだ。それが主人公の苦しみを説明してくれると思う。

主人公の顔にも問題があった。いかにもタフそうではあったが、細目ではいけない。やはり目の力が必要であった。

いっそのこと、シュワルツネッガー知事にご登場いただいていたら、どうだったろうか?もちろん実際に演技する必要はなく、代役がアクションをして、キャラクターだけを借りるのである。そうしたらきっとヒットしていただろう。いくら大柄でも、ヒーローにはヒーローらしい顔が必要である。

バケモノの母親のアンジェリーナ・ジョリーが登場してくる場面は、とてもセクシーで良かった。素晴らしいシーンだと思う。シッポの動き方や誘惑することに注目すると、おそらくは悪魔をイメージしていた。あのシーンを最高に生かすためには、カメラの位置設定を、もうちょっと変化させるべきだったと思う。要するに、ポルノ映画のように撮影する感覚でいいのであるが、監督は一流の人なのでポルノ的な感覚が足りなかったのかも知れない。

ヘビのようにしなやかな身のこなしで主人公を誘惑し、度々夢の中に現れてくれれば、その魅力と怖さをさらに印象付けることができるはず。そういった段取りが不足していたのではないか?

キリスト教が拡がっていく途中の時代を設定してあったが、物語は宗教的なことを直接には訴えていなかった。強いて言えば、悪魔をイメージしたバケモノと契約した王に、王妃が嫌悪感を示していること、そして王達が自滅していくことが、反悪魔的なもの=宗教的なものであったとは言える。

悪魔やバケモノが、勇敢なヒーローの心のうちから生まれるというのは、確かにその通りであり、いたって真面目なテーマであった。教訓として、人は、あんまり英雄を目差してはいけないのである。

2008年4月22日

ベクシル2077(2007)

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- 吉川晃司顔   -

作品のアイディアや技術は素晴らしいと思った。映像の作り方は解らなかったが、おそらく実写に加工してアニメ化したのではないかと思えた。そのためか、動作がアニメ本来の派手さがなく、自然ではあったが大人しいものに止まった。

機械や鉄の塊りが竜巻のように襲ってくる映像も、非常に迫力があった。振動が伝わる仕組みをやってくれたら、さらに凄かったと思う。

冒頭の戦闘シーンも良かった。実際に人間が空から降ってきて直接機械にぶつかったら、どんなに頑丈なボディスーツを着ていても生身の部分がミンチ状態になってしまうだろうが、カンフー映画の手法を参考にしたアクションは迫力があった。

さらに露天商や商店が立ち並ぶ町の雰囲気も素晴らしかった。この映画で最も優れたシーンだと思う。

日本がハイテク鎖国をするというアイディアも良かった。もっと、この設定を生かして話の展開ができたような気がする。鎖国にからんで利益を受けるグループが存在し、主人公がこれに対抗して命を落とす、というのが旧来のSFのパターンだと思うが、それで良かったのではないか?

登場人物達の顔が東洋人風ばかりなのも気になった。もっと個性豊かなドングリ目、金髪、ちじれ毛などを混ぜて、完全にアメリカの軍隊風にすべきである。全員が東洋系で吉川コージみたいな顔なんて明らかにおかしい。所作も当然ながら外人は外人風にすべきであったが、日本人もアメリカ人も同じだった。

アニメーター達のクセなのかも知れない。顔の表情を変えるソフト、美しくスムーズな動作をさせるソフトはパターンが限られていて、あまり選べないのかも知れない。

最初に原案から登場人物達のイメージコンセプトを提示して、鼻が低いだの、髪の毛はこうだの議論されると思うが、アトムやドラえもんのように極端な個性がアニメ製作所のパソコンには入っていなかったのか?

似たような顔形の登場人物では、感情移入できるわけない。個性をはっきりさせるべきだった。くだらないクセや、動作の早さ、歩き方、なんでもいいので、主役級以外の人物にも個性を持たせるべきであった。

同じスタッフで今後も製作を続けていたら、おそらく素晴らしい傑作が生まれるような気がする。アイディアが素晴らしいので、あとは脚本の練り方、細かい演出方法を磨くことだと思う。

2008年3月29日

北京の55日(1963)

- リメイクを望む -

義和団の乱を題材にするアイディアが秀逸だった。

チャールトン・ヘストンは、いつものような圧倒的なヒーローではなく、やや目立つ兵隊としてしか働いていなかったが格好良かった。冒頭の登場シーンでカウボーイみたいな姿で中国の街を進み、宣教師を助けるために値段交渉をする姿は、主人公の姿勢を表わして効果的だった。

つまり圧力に屈しない意志、勇気、残虐行為を許さない精神、そして抜け目ない交渉術など、ただの体力バカではないことを表わす優れたシーンだと思う。

戦闘でも結構活躍していたが、この作品では圧倒的に目立つほどではなかった。いつもの筋肉隆々たる姿はなく、結構スマートな兵隊役に止まっていた。現実に近い感じだった。

史実映画としては、この控えめさの関係で出来が良いほうにあたると思う。もちろん中国人はそう思わないだろうが。エキストラをどうやってそろえたのか知らないが、数の迫力があり、広大なセットは見事な迫力を出していた。ラストシーンも凝っていた。砲弾の痕の穴から立ち去るヒーローを見るというのは、うまい表現だったと思う。

題材の取り方、描き方などは史劇の教科書になりそうなオーソドックスな作り方であった。男達のキャラクターはよく描かれていたと考える。

エバ・ガードナーは、あんまり出演作を観たことがない。子供の頃、裸足の伯爵夫人を見たけれど、良さは解らなかった。今回の役も良く演じられていたのかどうか自分には解らない。色っぽいとは思う。ふてぶてしさやユーモアやなんかも解るが、悲劇のヒロインとしては少々描き方がおかしい。最後の場面で、主役と話さないなんて、映画の最高の盛り上がりを自ら破棄しているに等しい。いったい彼女は何を期待されて、この役を演じているのか?

中国人のほうは皆が悪役だった。特に中国皇太子は最悪の人物として描かれていた。しかし、今の中国人がこの映画を観たら、何と思うだろうか?「侵略してきた列強に反抗して何が悪いんだ!」と感じるに違いない。

確かに非戦闘員を殺すのは、明らかに殺人であるから国際法上は犯罪行為であることは間違いない。この映画の冒頭で宣教師を殺す、居留地の一般市民を殺すのは処罰の対象であるだろう。

かっての侵略は、①宣教師や商人が居留を許可される ②居留民の安全確保のために軍隊を派遣 ③さらなる商取引のための投資先(植民地)を拡大していく の繰り返しであったと思うが、そもそも存在すること自体が衝突の原因なんで、すべては現地の法律に従い、紛争は現地の警察組織が鎮圧、というのが本来の原則ではないか?軍隊を持ってくること自体が違法、侵略の意図を示すと考えるべきである。

侵略者の言い分では、「アヘン戦争で得た権利により軍隊の駐留を正式に認められた」、イギリス以外は「各々の政府交渉で得た権利である。」と主張するだろうが、今で言えば麻薬シンジケートが実力で支配するみたいなものであり、居留地の存在自体が犯罪である。

すると、犯罪者集団が中国のかわいそうな民を巻き添えにして砦に不法占拠し、立ち退きを命じた現地の政府に反抗して武力行使した際の映画と見る事ができる。

シンジケートの犯罪者達がわるだくみして、55日間も民衆を殺しまくる映画だなんて、ああ考えただけでもシュールで面白い。

中で犯罪者達が恋愛感情を抱くのは結構だが、中国人からすればロマンスのかけらもない野獣のサカリくらいにしか思えないかも。

視点を変えて、中国側から見た映画をパロディで作ると面白いかもしれない。「ロード・オブ・ザ・リング」のバケモノのような特殊メイクをした俳優が55日間人間を襲う映画は傑作になるだろう。

 

2007年12月31日

ペリカン文書(1993)

- 構想が見事  -

着想が素晴らしい作品でした。荒唐無稽にならず、かといってリアルになりすぎず、適度にエンターテインメントの範囲に収めているように感じました。

殺人のシーンが少々リアルなので、小さい子が観るのは勧められませんが、その他は一人で観ても、大人数で観ても充分楽しめるだろうと思います。ただし、アクションでわかせるタイプの映画ではないので、サスペンスの意味が分る一定の年齢以上でないと、興味を持てないかも知れません。

政府部内での立場がうまく整理されていました。FBI、CIA、ホワイトハウス、各々の思惑と各々の活動が、多少脚色づけはしてありましたが、リアルに描かれていたと思います。

実際の政権内で、どのように政策決定がされているのかには興味があります。

日本の場合はアメリカの要求か官僚の情報分析に応じてレールがしかれているようですが、アメリカは企業からの要請、圧力の要素が大きいのかも知れません。選挙の際に献金することで発言力を持つ軍需、エネルギー産業からの圧力で戦争をしかけることも実際にあるだろうと想像します。

米政府内で誰かが更迭されたり辞任したりする時に、政策の変更がされたようだと想像することはできますが、その時にどのような話がされて、大統領がどう判断しているのかは分りません。まさか、占いで決めたりしてないとは思いますが。

日本の場合は甘えの精神構造のためか、大学の派閥や天下りが蔓延していることなどの影響からか、司法も行政も財界も一体に近く、利害が一致するほうに談合して決める傾向がありますから、国益に反しても仲間うちで利害が一致すればいいやという、モラルに欠ける判断がされる可能性はあります。

アメリカも日本も政策決定の仕方には問題がありそうですが、公開度の点から言えば、中国などよりはマシなのかも知れません。

主人公のラストの笑顔が素敵でした。最近のジュリア・ロバーツは、やせすぎて貧相な感じがします。また、この作品では追われる恐怖感が出ていない印象を受けました。自分のすぐ横で人が死んだり、銃を持ったエージェントに追われれば、泣きそうな顔をするのが普通だと思います。勇敢すぎる気がします。

この作品は、脚本が良かったせいか、大物ではないとしてもオールスター出演の感があります。殺し屋役のスタンリー・トゥウィッチは、最近では喜劇が主体ですが、今回は意外な役柄で驚きました。編集長役のジョン・リスゴーは、「ガープの世界」でのオカマのプロフットボール選手役からは想像もつかない老けっぷりでした。「ゴースト」で主人公を裏切る友人役のトニー・ゴールドウィンが、今回も悪役をやってました。

デンゼル・ワシントン役は、本当に良い役でした。ちょっと格好良すぎと思います。普通なら、あっさりエージェントに殺されて、真実は闇に葬られそうです。

日本なら、新聞は発行できないかも知れません。記者や編集長が死なないまでも、自分の退職後のことを心配した上層部が勝手に矛を収めてしまうでしょう。記者は会社では左遷されますし、不当な処遇を訴えても、検察官も裁判官も政治家や企業の重役と友人ですから、本気でやってくれません。

2007年10月 4日

ベン・ハー(1959)

「おい、今夜ベンハーがあるってよ。」「便ハ~って何や?」

私達の世代にとって、月曜ロードショーなどのテレビ番組は、文化に触れることのできる数少ないチャンスでした、というのはオーバーですが、とにかく非常に楽しみでした。大作を見なければ文明人になれないように勝手に思い込んでいました。ベン ハーのような作品が放送される日は、皆そわそわして、早く風呂に入って準備万端整えて見たものです。ちょっと休憩している間に寝過ごして、「なんで起こしてくれなかったのよー」と、涙したこともありました。

この映画は、家族みんなで見れます。殺人のシーンもあるのですが、血が出てもグロテスクな描き方はされていませんので子供でも大丈夫だと思います。このへんは今の映画と違います。恋人と今見たらどうかを考えてみましたが、「あれえ~CGを使ってないじゃん。」という理由で感動しないとしても、退屈しっぱなしということはないと思います。昔ほど感情移入してはくれない人が多いとは思いますが、結構面白いねと言ってくれるような気がします。

ストーリーが良いと思います。悲惨な状態になった主人公が堂々と復讐し、家族を救い出す物語ですから爽快感があります。やっぱ映画はこうでなくちゃと私なんぞは思うのです。もちろん勧善懲悪ばかりではいけませんが、最近の映画のように悲惨さ残虐さが売りの映画が多いと、見ても楽しくないのです。ヒーローはあくまでもかっこよく、厳しい試練にも耐えなければいけません。私も家内に何と言われようとも子供のために耐えていきたいと思っています。耐えられるのは、ベンハーが勇気をくれたおかげです。

加えて、私達のために戦車レースと海戦という珍しいスペクタクル(この言い方も懐かしい)を用意していただいております。この映像を今の技術でやると、たぶん海戦は迫力がアップするかもしれませんが、戦車レースはどうでしょうか? そういえば「グラディエーター」にも戦車が出ていましたが、いまひとつ怖く感じませんでした。「スターウォーズ」のポッドレースも迫力はありましたが、迫力の種類が違ったような気がします。この作品では撮っているカメラも振動して臨場感を上げていました。原始的な撮影方法が、かえって良かったと思います。

いずれ、これらもCGで再現できるとは思います。見ているカメラが振動し、風圧でカメラの焦点が変わるような効果を加えればいいのでしょう。まだ、そこまでこちらの視点をうまく表現した映画には出会っていません。もうすぐだと思います。そんな映画を楽しみにしています。

教会関係者の圧力は凄いと聞いています。神父が事件を起こしたら、警察に圧力をかけて国外に逃げさせたりしたことがあったそうです。それが映画になっています。この作品では生きているイエスを扱っているので、教会のクレームがつかないように、あらゆる点に検討を重ねているはずです。

映画の各場面も、大作に似合わない細やかな配慮を感じます。同じような予算を使っていても大ざっぱな作品が多いのに、この差は何でしょうか?プロデューサーが偉かったのでしょうか?

この時代の女優はメーキャップがはっきりして、日本人の感覚でも表情が分りやすいのは良いことですが、時代劇モードとでもいうべき色彩と表現方法を、そのままスクリーンに拡げたようなクセに慣れてもらわなければ、若い人達は笑ってしまうかもしれません。

チャールトン ヘストンに近い俳優は、今だと誰でしょうか?少し前ならシュワルツネッガーでしょう。 ヒーローも笑いを取らないと生きていけない厳しい時代です。彼のような人類の代表選手的キャラクターは、もう今後は出てこないかも知れません。

原作は、この作品以前にもセシル デ ミル監督?で映画化されてたはずですが、私は見たことはありません。この作品の迫力を上回ることは期待できないと思うので、あえて見ようと思いません。

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