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カテゴリー「へ」の18件の記事

2020年4月 3日

ベン・イズ・バック(2018)

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- ピーター・ヘッジズ監督 -

クリスマスイブの日、薬物依存患者の息子ベンが突然帰ってきた。しかし家族の平穏は損なわれ、母親は息子を探しまわる羽目になる・・・・DVDで鑑賞。薬物依存症の問題点を上手く表現していて秀逸な作品だった。 

令和2年中に映画館に行くことはないだろう。コロナウイルスの流行のせいだ。こんな時期には、ビデオを観るしかない。ゲームにはまったりしたら、時間がいくらあっても足りない。映画なら、使う時間に限りがある。なんとか日常の仕事をこなしながら生きて行ける。やはり映画しかない。 

オピオイド危機を扱った映画と言えると思う。オピオイド以外にも、米国には様々な薬物があふれ、それぞれの問題が非常に深刻であると聞く。この作品は、母親を主人公にして描き、中毒患者を中心に描いていないことが特徴だと思う。中毒患者が主人公の映画なら古くからある。息子のほうを主人公として描くこともできたろうが、病的な面を描く場面が多くなると、観客が辛くなりすぎる。家族のほうを主人公にして、ホームドラマ扱いにしたほうが、鑑賞する側としてはやりやすい。

主人公のジュリア・ロバーツは、若い頃の美しさは感じられなくなって来たが、今は役者としての魅力が増している。見事な母親ぶりだった。強さや弱さ、考えの深さや浅さが同居しているようなリアルな母親像を演じていた。もっと賢い人物、あるいは軽薄な人物だったら、どこか母親を軽蔑する感情が生まれていたかもしれないが、この母親は懸命に、真摯に生きていることが感じられたので、嫌悪感が生まれる要素はほとんどなかったと思う。 

いっぽう、息子を演じていたルーカス・ヘッジズ。ヒネた若者役を演じると当代ナンバーワンの役者だが、今回は病的なイメージが不足していたように思えた。演技力は充分でも、本当の病人を感じさせるほどではなかった。おそらく、もっと痩せていたほうが良いし、メイクでも工夫ができたはず。目の下にクマを作ったりは、簡単にやれたのではないか? 

病的な人間を演じる場合は、極めてノーマルで快活を装うかのような仕草が欲しい。完璧にノーマルに見えて、どことなく違和感を感じる、やがて明らかに異常と分かる、そんな演出が常道だろう。今回の息子役は、栄養状態が良すぎるし、病的な印象が薄いと感じた。   

薬物依存症に陥ると、患者は実に上手い嘘をつく。たまたま落ちていたもので、自分は拾っただけ、そんな分かりやすい嘘だけじゃなく、巧妙な嘘でも考えつくもののようだ。必死だからだろう。映画なら、観客が見事に騙される嘘を表現できる。今作でも、上手い嘘が何度か描かれていた。もっと派手な演出をしても良かったと思う。  

オキシコンチン・・・劇場主も処方経験は多いが、嫌いな薬だ。通常は連用のための処方はしない。今はデュロテップ貼布剤など、飲まなくて良い薬があるから、末期がんの患者に無理やり処方する必要はないと思う。わざわざオキシコンチンを処方するのは、保険の規定のせいで、最初はオキシコンチンなどを使うように規定されているからだ。

ひょっとして、米国政府を通じて日本政府にも、製造元のパーデュ・ファーマ等の強い影響力が及んでいたのかも知れない。あるいは学会のほうに力が働いたか? 実際には、最初から他の薬剤を使っても、注意していれば問題は少ない。オキシコンチンのほうが、成績が悪いイメージもある。

日本では医薬品に限定されているデュロテップも、海外では麻薬として合成されているらしいので、もっと抽出しにくく、純粋に医薬品としてしか使えないような薬品が開発されると良いと思う。依存性が低くて、痛みだけが除かれる薬が欲しい。リリカやトラムセットなどにも期待したが、実質は宣伝とは少々違っていた。

痛みを取ることは、幸福な感覚に近いものに通じるようだ。睡眠剤も幸福感につながるが、依存を生じる。純粋に痛みを軽減し、中毒量が非常に多い薬物はできないものだろうか? 良い薬を開発すること、犯罪組織の摘発、法制度の調整、処方医や患者の意識改革、それらが必要だ。

 

 

2020年2月 2日

ベトナム戦記(1965)

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- 開高健・朝日文庫 -

開高健が、ベトナムの人々や町の様子、米軍やベトナム軍の人々との会話などを綴った手記。ラスト近くでは実際の戦闘に参加し、九死に一生を得て、その報告をしている。文庫本を購読。初版本の発売は1965年らしい。  

ベトナムの風俗を、自身の飲み食いの解説とともに記した文章は面白い。著者の個性も面白いし、現地の人々とのジョークまじりの会話だけでも充分に読みごたえがある。

ただし文章は、必ずしも質の高いものではないと感じた。記録、日記だから流暢な語り口である必要はないが、クセを感じる。開高健は賞を取ったこともある有名著作家だが、文章に文学的味わいのようなものが感じられない。それは戦時中に教育を受けた人の文章の特徴かもしれない。簡潔で明解だが、論理の運び方がスムーズではなく、感覚に頼って飛躍する部分があるように思う。 

戦前の文豪の文章は読みやすくても、開高健らの書く文章は、少し時間をかけないと流れをつかみにくい。 開高氏だけではなく、当時の文章の流行りなのかもしれない。論理を無視した時代の教育の、何か独特な影響があったのかもしれない。 

開高らがベトナムを訪れたのは1964年で、既にディエンビエン・フーの戦闘から10年くらい経っている。10年間も混乱に次ぐ混乱が繰り返され、当時も安定していなかったということに驚く。そして最終的に米軍が撤退したのが1975年くらいなので、それからまた10年後に相当する。そこまで戦闘やクーデター、テロが長い期間にわたって日常となったベトナムの歴史には同情を禁じ得ない。

大戦中に日本軍が侵攻した時期もあることから、日本もベトナムの不幸に責任がある。冷戦の時代に、米ソの対立の実験台のような目に遭っていると思うし  仲間だったはずの中国から、その後攻められたり、踏んだり蹴ったりされるのも、ベトナム独特の事情があったからだろう。  

事情のひとつは国土の特徴だろう。もしベトナムが森林豊かな国土でなかったら、軍備の整った米軍に蹴散らされて、抵抗は難しかったと思う。森林が抵抗を可能にした。日本のように、ある程度工業化された国では、米軍の武器は有効だ。森林では攻撃の効果が薄い。そのせいで混乱が長引いた面もあるだろう。 

農耕地帯で人口が多く、平均すると貧しい人が多い国だった点は、共産主義が浸透するのに好都合だった。ある程度豊かな国なら、戦争より商売を望み、すぐ降伏する。貧しい国は、厳しいゲリラ戦でも、日常よりマシだったりするので続けられる。植民地主義によって被害を被った人達は、反対の共産主義に流れるしかない。共産党が力をつけるには有利な条件だった。 

もし共産主義が、もっと早くベトナムの国土を支配していて、仏軍や米軍が介入するには遅すぎたら、あれほど長く戦闘が続かないで済んだかもしれない。ちょうど運悪く、米国が共産主義の勢力拡大を阻止しようと躍起になっていた時代に当たってしまった点は、不幸な要因だったと思う。  

さらにもし、ソ連が援助する余力もないような時代だったら、やはり戦うこともできないまま、フランスや米国の支配下に陥らざるをえなかっただろう。ソ連にも予算があったという条件が、混乱を長引かせるために揃っていた。

米国は勘違いをしていたと思う。ベトナムを失っても、米国にとって大きな損害がないことに気づくべきだった。共産化を恐れる恐怖心が、過剰反応を生んでしまい、戦略を間違ったのだろうと思う。米国の間違いは、最悪の条件だったと思う。 

もしベトナムが共産化しなかったら、どうなっていただろうか? 経済発展は早かったと思う。そのせいで、格差などの問題が大きくなり、政府はより不安定になっていたかも知れない。

中国共産党が軍事侵攻していた可能性も非常に高い。そうしたら今ごろ、ベトナム人たちは収容所に入れられて、ウイグル族のように思想教育を受けていたかもしれない。どう転んでも、酷い時代を過ごさないとすまない運命にあったのかもしれない。

 

2019年4月 3日

ペンタゴン・ペーパーズ(2017)

- Dream Works etc. -
ワシントン・ポスト誌の記者、編集長、社主らが、ホワイトハウスからの圧力に抵抗しつつ、秘密文書を報道できるか?という物語。1971年に実際に起こった事件を再現したものらしい。DVDで鑑賞。 
 
当時の記憶では、ウォーターゲート事件のほうが圧倒的に印象深い。72年に発覚しているから、この文書の発覚のすぐ後である。
劇場主のイメージでは、この二つのスキャンダルは混乱してしまっていて、一連のものとしてつながっている。まだ子供の頃で、よく理解しないうちに大統領が辞任し、そこであらためて何が起こったの?と注目した次第。辞任前は興味も湧かなかった。 
この文章の存在によって、政権側の手法を疑問視する動きが強まり、ウォーターゲート事件を解明する強い力になったのかも知れないと思えるから、ふたつの事件は実際にも関連しているのだろう。
 
 
広い新聞社内で、記者たちの動きをカメラが追っていくが、そのカメラワークが良かった。滑らかな動きが緊迫感を生むと考えたのだろう。その通りだった。
ほとんどの人間は派手な演技をしていたが、主役のメリル・ストリープが、敏腕記者たちとは違った個性で、裕福な人種によくあるように、どこか呑気に世間離れした所作をして、あまり緊張感を出そうとしていなかった点も良かった。実際の社主がそんな人物だったのかも知れないし、映画用の演出なのかもしれない。
トム・ハンクスは名優だと思うが、この役の場合は猛烈な迫力が感じられる俳優のほうが良かったと思う。
トム・ハンクスには、必ずしもコワモテの迫力はない。もっと悪役に近い風貌の、人に言うことを聞かせるだけの怖さがにじみ出る役者のほうが、映画的には向いていたのではなかろうか? 反論したら殺されそうな狂気を感じさせていたら、この作品の質は上がったと思うが、そんな路線ではなく、史実に忠実に描こうとしていたのかも知れない。    
それにしても、新聞社の人達の勇気には感銘を受ける。
もちろん勇気だけじゃなく、ここで名を売れば、仮に会社をクビになってもジャーナリストとしての評価は高まるという計算もあるのだろうが、大統領を相手にしても戦う姿勢には、敬意を表さないといけない。
特に編集長は完全ににらまれていたはずだから、命の危険もあったと思う。 
 
それに比べ、日本の社会はどうだろうか? 
役人の中で統計をいじって政権に有利な方向にしようという、そんな恐ろしい判断が通ってしまうのは、末期症状だと思う。太平洋戦争の時代と同じだ。職務に忠実にありたいと考える人が少ないということだろう。
役人をクビになっても、命まで取られるわけじゃない。モラル、誇り、義務感より、自分の利益、出世欲、阻害への恐怖、それらが上回っていると疑われる。
でも仕方ない。役人個々のレベルを批判しても、意味はないだろう。政権が変わらないのだから、政権側におもねるしかない。こんな問題は続いてしまって当然だ。
定期的に政権を替えることが、国家にとっては必須である。権力を集中させない、それは常識。なのに、政権安定が経済にとって重要と強調する人が多い。長期的な害を認識できず、短期の景気などを優先するのは、わが国の伝統のようだ。
国民の中に、この種のモラルを重視する人が比率として少ないから、救いようがないのかもしれない。役人さんだって、人の子だから・・・・そんな感情が働いて、まず許すことを優先してしまうのではないか? もちろん許して良いのだが、再発を予防しないと国策を誤るだけだと思う。

 

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2019年3月 9日

ペティコート作戦(1959)

Operation_petticoat


Universal-  


太平洋戦争の時代。修理のために南洋を航行する潜水艦は、物資の不足や女性兵士の救助、敵、味方からの攻撃にさらされながら、航海を続ける・・・DVDで鑑賞。  


戦場で作戦中の潜水艦がピンク色になること、密室の艦内にお色気たっぷりの女性陣が加わることによる影響、物資を調達するためにヤクザな手段をとること、そして最後の生き残りを賭けた作戦、いずれもがおかしく、娯楽性たっぷりだった。   


監督はブレイク・エドワースで、この後に「ティファニーで朝食を」を撮影しているから、脂の乗った時期の作品だろう。驚いたのは、潜水艦の使い方。沈んだ潜水艦を浮き上がらせるシーンなどは、どう見ても本当の船を使っているとしか思えない。模造品にしては頑丈すぎるように思えるので、実際の船を借用したのではないか?潜航していく時も、人間が実際に入り込み、直ぐに海中に沈んでいる。今と違ってCGはないはずだから、海軍の協力を得て、実際の船で撮影したはずだ。海軍兵士でないと、水中での作業はできなかったろう。出演していたはずだ。   


主役はケーリー・グラントだったが、目立つ役割は、要領が良くて憎めない伊達男を演じたトニー・カーティスのほうで、ケーリー・グラントは真面目男に終始し、引き立て役だった。よく出演したものだ。   


美しい女優たちが兵士役で登場していたが、名前を知っている方はいなかった。ハリウッドには美人だけなら数限りなくいるだろうから、生き残れなかったのか? それでも各自がちゃんと演技をしていて、ドジな個性やお色気を効かせて、話を面白くすることに成功していた。兵士たちのそれぞれも、名前が残ることはなかったようだが、それぞれに優れたな面や、だらしない部分を見せたり、個性をちゃんと表現していた。   


手際よく細々したシーンを撮影していたはずだ。熟練の作業員たちが、ハリウッドの伝統に基づいて作った作品のように感じる。そのせいか、斬新さは感じられない。破天乱な人間を描く場合、70年代以降の作品なら手法が少々違っていただろう。ラブシーンは当然もっと派手にあっただろう。観客が驚くような描き方をしないと徐々に飽きられて、あまり印象に残らないままに終わる。この作品には、そんな古風な臭いを感じる。

2019年1月 1日

平成という時代(1989~2019)

いよいよ平成最後の年になった。4月頃に新しい年号が発表される。平成の初年頃は、昭和天皇が入院されて、その病状が報道されるのを、病棟の同僚とあれこれ議論しながら眺めた記憶がある。大量の輸血が延命だけを目的としてされているんじゃないか、あるいは東大の年配の担当医で適切な処置をする能力が本当にあるのか? だめだろう、日頃からICUで働いている現役医師を連れてきたらどうか?など、勝手なことを言っていた。   


小渕氏が官房長官として発表した年号には違和感がなく、よく考えたねと思った。しかし、劇場主や日本にとって、平成は穏やかな日々ばかりでは済まなかった。仕事の面で個人的に苦労したし、災害もどんどん増えていくばかり、よく耐えたと、個人的には自分を褒めたい気分である。   

国を取り巻く環境は、当然ながら非常に流動的で、すぐ先のことも予想するのが難しいほど、日々目まぐるしく変わっている。


変化その① 

ソ連が崩壊したのは平成2年。これは大きかった。崩壊間近の頃は、偶発的な事件が起こらないか心配した。強大な軍備と諜報機関を有し、そう簡単に倒れるはずのなかった国家が倒れてしまった。その5年前くらいから予兆はあった。経済面を維持するのが難しいらしいという噂は雑誌でよく見かけていたし、東欧諸国が離れる動きに対処しないと判明した時点で、崩壊は確実と感じられた。計画経済で恐慌を乗り越えた頃や、ドイツ軍を撃退した頃は愛国心によって国を維持できたのだろうが、冷戦になると目的意識を保つのが難しい。経済的な面も大きかったろうし、国民の意識が、国家を維持しようという意欲から離れて行ったのだろう。共産主義国家に限らず、どの国でも崩壊は起こりうることと感じた。  


変化② 

代わって台頭中の中国。海洋進出が目立つ点が一番大きな懸念材料。南洋のサンゴ礁を次々と征服し、基地を作っているし、日本が権利を主張する海域にも多くの船が押し寄せているらしい。これは今後もひどくなるだろう。国威発揚のために、日本を挑発することも予想される。経済的な成長は著しく、富豪も増えたようだ。でも中国も安定しているとは思えない。ソ連と共通する政治体制であり、一党独裁で強権的な政権だから、紛争や景気、天変地異、事故など、何かのきっかけで一気に崩壊する可能性はある。その時は、恐ろしいほどの混乱がやってくるだろう。ソ連よりも大きな影響がありそうだ。


変化③ 

少子化が多くの人に認識されるようになった。劇場主の頭の中では30年前の時点で最大の懸念材料で、社会に憤懣を抱く原因だったが、最近まであまり問題視する人がいなかったので、バカバカしいことを気にする人と思われていたようだ。景気対策が皆の注意のほとんどを占めていて、ことの重大さに気づいていなかったと思う。今でもそうだろう。対処が遅れれば処置なしの大問題。でも今後、皆の認識がもっと強くなれば、改善策が生まれるかも知れない。基本的には金銭的な誘導をするしかないはずだが、そんな予算がついていない現状。   


変化④ 

SNSのシステムや、スマホなどの機器が進歩して、情報入手、決済、流通全般に大きな変化が起こった。ポケベルで悩まされていた平成初めの頃は、スマホが一気に大勢の人のライフスタイルを変えるなんて、考えてもみなかった。今後、どのように進化するのか予想できない。スマホに時間を取られている人が多いから、弊害が調整される動きも出て来ると思う。    


変化⑤ 

産業の空洞化 中国や東南アジアなどを生産の場にして製造を委託し、安い商品を輸入することが大規模に行われた。既に昭和の時代から徐々に進んでいたのだが、勢いが増したようだ。劇場主たちが学校で学んだ「加工して付加価値を付け、高く売って国を豊かに」という路線からは外れてしまった。価格破壊によって国内の製造業は衰退し、上手くシステムを作ったユニクロなどが大きな会社になった。国際競争に勝つために生産を外注し、一般国民は低収入になり、特権的な富豪が少数生まれるという構造。農村の崩壊傾向も、これに連なる現象なのかも知れない。 


変化⑥ 

テロの横行や、理解不能の事件があった。オウム真理教は奇怪な集団だった。波野村に進出していたから、おそらく信徒とすれ違うこともあっただろう。海外では銃乱射事件がしょっちゅう起こっているし、特に平成の後半になるとイスラム勢力によるテロが目立つようになり、空港の手荷物検査が厳しくなるなど、物騒になった。この傾向はまだ続きそうだ。    


変化⑦ 

右傾化、ブロック化 日本では右傾化が目立つ。海外でも自国優先で対立を厭わない勢力の力が増しているのは、ここ数年の著しい傾向。今後ひどくなっていくと、戦争が近づいてくるに違いない。善き時代を過ごせた我々も、人生の後半でひどい目に遭うことになるかもしれない。技術や輸送手段の発展によってグローバリズムが進んでも、人は基本的に定住し、伝統的な作業をして日々を暮らしていくものだ。突然、自分の生産物が売れなくなり、安い外国製品が流入したら、許せるはずがない。怒りで壁を作り、輸入阻止を訴えるのが道理だ。


変化⑧

気候や自然災害の頻度に変化があった。温暖化は確実に進んでいる。気温37度でも、それほど驚かなくなった。集中豪雨も毎年、激しさを増しているように感じる。東日本大震災以降、各地で地震が続いていて、まさかの熊本地震も起こった。地震は、日本列島周辺部の一連の動きで仕方ないと思う。今は、国内各地で地盤のずれを調整するために、地震が頻発してしまう時期なのだろう。でも、どうも希望に傷をつけるような、精神面への影響を伴う様相は、昨今の特徴かも知れない。人口が減り、過疎が進む中での災害は精神にこたえる。


変化⑨

レコードからCDへ。そしてダウンロードへ。音楽の媒体はえらく変わってしまった。学生時代にテープをダビングする店があったが、ほんの一時の商売だった。それに伴い、ラジカセがウォークマンになり、MDプレイヤーからアイポッドになり、格安MP3プレイヤーになり、またハイレゾウォークマンになりと、音楽の端末も目まぐるしく変わった。最近の端末の音質には驚く。しかし、こんなに変化されると、音楽関係の業者は安心して仕事できないのではなかろうか?


次の時代、どうなるのか? 希望より、不安のほうが大きい。さらに豊かになれるだろうか? 劇場主も齢を重ね、体力的に仕事が辛くなるばかりだろう。収入を大きく延ばすことは難しい。子供たちが立派に仕事してくれると良いのだが、見込みは必ずしも明るくない。 国内は子供が減り、農村が衰退し、ネット企業しか儲けていない、トヨタさえも不景気、国は戦争の準備を進めようとする、そんな時代になるのだろうか?   

 

投票する際の意識に、様々な間違いがあると思う。意思決定のあり方がよろしくない点が根本的な懸念材料。国の機関では、政党と役人たちが一塊となっており、反対意見が通らない状況。野党の意見も的が外れているようだ。公明党も妥協を重ねてしまっているようで、選挙の際の動員力を利用され、権力安定のための道具に成り下がっている印象。安定は良いことだが、長期では自浄作用を失い、大きな失敗につながることが歴史の必然でもある。 

 

劇場だから映画についても述べないわけにはいかない。技術面で大きな変化があった。CGの技術が凄く進んだ。スターウォーズのような有名作品以外にも、実写と見分けがつかない高度なCG映像が使われるようになった。アニメなのか実写なのか分かりにくい映像が、子供用の作品でも普通に使われる。この点は大きな変化だ。


カーアクション技術も進化した。運転中の車に横から敵の車がぶつかる様が、車載カメラによって記録されるのも普通になったし、縦回転で車が吹っ飛ぶ、人間もワイヤーで引っ張られて吹っ飛ぶ、迫力の点で昔とは全くレベルが違う。  


映画館も随分変わった。複数のスクリーンを持つシネマ・コンプレックスが増え、単独でやっていた古い劇場は淘汰された。汚い劇場にもずいぶん通ったものだが、今は同じ系列で興行する劇場しかないので、独特の作品は観にくい。リバイバルを待つということは滅多にしなくなった。ビデオ屋さんがあるので、古い作品はそれで観るし、ダウンロードという手法も可能になった。映画専門チャンネルもあるし、観たいならなんとか観れる時代。ありがたみが薄れて来たかも知れない。  


今後はさらに通信技術が進むらしい。5Gという方法が始まれば、もしかすると小型シアターをレンタルし、数万作品から選んで通信によって映画を鑑賞できるかもしれない。そうなると、数人単位の客で興行が成り立つ。消え去った田舎町のシアターの跡地、たぶん駐車場などになってるはずだが、そこでドライブインシアターのような小型上映もできるかも知れない。配給会社の存在意義も変わって来るだろう。 

 

 

 


2018年10月12日

ベイビー・ドライバー(2017 )

Baby_driver                       

- Tristar.Sony -                            


運転の技術に長けた主人公は、強盗団の計画の手助けをしている。彼を脅すギャング達が彼と彼の恋人を襲ってくるが・・・という話。DVDで鑑賞。             


マイナーな企画だと思う。主人公も知らない俳優だった。でも実に面白く、最後まで飽きずに鑑賞できた。まとまりがあって、完成度が高い作品だったからだろう。 この作品が優れていた点は、強盗団の仲間同士でいがみ合い、敵対したり共謀したりの複雑なやりとりがあることだろう。凶悪で、しかも頭も切れる犯罪者たちが互いに競争して生き残ろうとするので、犯罪自体が上手くいくかどうかだけではなく、仲間同士の戦いのほうも面白いことになっていた。 犯罪映画に仲間割れは必須だが、この作品はそれが非常に上手く展開していた。             


ジェイミー・フォックスが脇役を演じていたが、充分に存在感を示していて、おそらく彼とケヴィン・スペイシーの参加が、この作品の魅力アップにつながっていたのだろう。ただし、演技はB級映画のノリだったと思う。この作品は名優が名演をしても仕方ない。くさい芝居の方が、犯罪者たちの雰囲気が出ると思う。   


監督はエドガー・ライト。新しいヒットメイカーだ。音楽のセンス、B級映画のような雰囲気の再現が上手い。アイディアが枯渇するまでは、おそらくヒット作を連発すると思う。    


カーアクションの技術には限界があると、長いこと思っていた。ところが、カメラの位置やコマワリ、効果音やCGなどを組み合わせると、実に斬新な映像が可能であることを最近の映画は実証している。車が縦に回転するなど昔なら想像すらできなかったが、マトリックス・シリーズ以降はごく普通に見られるようになった。 ワイルド・スピード・シリーズやタクシー・シリーズも、それぞれが影響しあっているのか、素晴らしいアクションを見せている。 この作品は独特の技術で、やはり迫力のあるカーチェイスを可能にしていた。      


残念なのは、大事な役割を演じていたケヴィン・スペイシーが、セクハラ報道で失脚に近い状況になったことだ。この作品の興行には影響しなかっただろうと思うが、復活して活躍できる状況かどうかは分からない。出演しようとすると、抗議が殺到して降板せざるを得ない事態も考えられる。彼のキャリアは、もしかすると終わっているのかも知れない。

2018年6月13日

米朝首脳会談(2018.06.12)

Ap

- AP? -


2018年の6月12日朝から、シンガポールでトランプ大統領と金正恩氏が対談し、合意文書を交わした。画像は、おそらくAP通信が発信したものではないかと思う。朝からテレビでもネットでもライブ映像が流れていた。   


まるで劇場のようだと思ったので、この劇場で上映することにした。  


歴史的な会談だったと思うのだが、会談内容ははっきりとは公表されていない。トランプ氏は著名した文書を記者団に見せたようで、そこから概要が報道された。文書を見せて良かったのか分からない。相手国も了承しているなら問題ないし、トランプ氏がいつもの癖で記者たちに見せただけなら、北朝鮮国内に反発を生じ、後で問題になるかも知れない。会談後に結構長い時間、トランプ氏は記者会見を開いていたが、北朝鮮側が何かを公表したかどうかは分からない。一方的な会見だけなら、会談の本当の内容は分かりようがない。   


会談の前には、様々な評論家たちが合意内容について予測をしていた。朝鮮戦争の終結に関しては、宣言が出るかもしれないと述べる人もいたが、おそらく宣言してもひっくり返される可能性があり、まだ早すぎるのではと感じていた。今のところ終結宣言は出ていないし、合意内容を見る限りは終結に向けての交渉開始程度のレベルのようだ。それが現実的だし、双方が合意できそうな基本部分だと思う。  


北朝鮮が今後どのような行動をとるのかは分からない。普通に考えるなら、時間をかせいでいる間に作業を進め、核の完全な廃棄が困難な状況に持っていくことが考えられるが、米国の監視をかいくぐって作業を完成させるのは難しいと思う。隠れた行動を指摘された場合、危機は一気にやってくる。今までのようには行動できないのではと予想する。  


そもそも、既に出来上がった武器と技術を完全に排除することができるものなのだろうか?技術者の全員が亡くなり、隠された施設も破壊され、武器もすべて解体されるなど、そう簡単にできそうには思えない。山の中、地下、一般の家屋に分散して保管し、いざとなれば直ぐに合体させて実戦で使うといったことも、ある程度はできそうに思える。民家の一軒一軒を探索するのか?それは現実的じゃない。かなりの状況を把握したが、不安は残る・・・そんな程度しか達成できないと予想する。  


米国の狙い、最終的な落としどころも分からない。実際に戦争になることは望んでいないと思う。戦争で得るものは核兵器の排除による安心だけだろうが、中国やロシアの脅威がなくなるわけじゃない。朝鮮半島の北側を得ても、管理はややこしく、後が面倒になるだけだろう。失うものは多くの兵士、多額の費用、韓国人や日本人の命と、国際的批難。もしかすると米国都市への核攻撃で、国内に甚大な被害が出るかもしれない。それらは誰でも分かることだから、戦争は回避されるだろうと思う。    


でも、当事者達の予想を超えることで会談が無駄に終わる可能性もある。とりあえず第一歩は踏み出せただけという状況だろうか?    


 



2017年7月28日

ペット(2016)

Universal

- The Secret Life of pets -

ニューヨークでペットとして飼われていた犬のマックスは、飼い主が新たに飼い出した犬デュークによって町に放り出されてしまう・・・・

・・・DVDで鑑賞。この作品はピクサー映画ではなく、イルミネーション・エンターテインメントというアニメ制作会社が作っている。両社の技術的な優劣は分からないが、ピクサー作品ほど金をかけていないような印象。画像は美しいのだが、ファンタジーチックで漫画の延長のようだった。

この作品は完全に子供向けと思われる。ギャグは古いし、映像の質から考えても、大人を感動させることは目標としておらず、せいぜい子供を連れた家族が退屈しないかな?程度の軽い笑いを狙った印象。恋人といっしょに観ても仕方ないような作品。

画質で勝負するためには、おそらく人員を多数そろえて、高額の予算をかける必要がある。もしかすると、画像処理方法についても様々な特許があって、高度な画像を作るには、料金を多量に払う必要があるのかも知れない。しかし逆に低予算で子供限定の作品を狙えば、収益率は上がるだろう。そこを考えた企画なのかも知れない。個性やストーリーで勝負といった狙いか?

仲間と共に戦う話で後味が良い。虐待されたペット達が登場するのだが、皆たいていは表情が明るくて、暗い鬱屈した恨み辛みといった要素がほとんどない。ディズニータッチの作品。ユニバーサル映画が子供映画の市場を確保するために、子会社を使って企画しているのだろう。子供には向くと思う。

でも、キャラクタ-が非常に際立ち、強く印象に残る個性的な動物があったかと考えても、あんまり印象の強い動物はいなかった。主人公と、活躍する小型犬、敵側の残忍なウサギくらいか?彼らにしても、過去の作品で観たことがありそうな感じがする個性だった。

個性をどのように際立たせるか、その点に関しては改善の余地があったと思う。子供映画であったも、真に優れた企画は、何かを感じ取れる子は必ずいる。幼稚園でも人間関係があり、そこで経験したことがあるような事例が作品で出ていれば、「ああ、こんなヤツいるよねえ。」と、追体験できる。そんな事例を集めるだけでも面白くなると思う。

 

2017年7月 1日

別離(2011)

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- Asghar farhadi -

教師の妻と公務員の夫が離婚を申請し、別居する。夫側は親の介護のためにヘルパーを雇ったが、トラブルが発生し、訴訟沙汰になる・・・・

・・・・きわめて現代的な問題、普遍的とも言える現象を扱った作品。大変に説得力のある、優れた映画と思う。

イスラム社会の話のはずなのに、欧米とちっとも変わらない別居、離婚話、そして介護トラブル、訴訟に関する話が展開され、おそらく世界中のほとんどの地域、東アジアでも同じ感覚で鑑賞できる話だと思う。その表現が実に的確にして自然で、高い完成度の作品だった。

認知症の父を演じた俳優は、本物としか思えなかった。よほどな個性派俳優でないと、ああは演じられない。妙にオーバーアクションで演じていない点が素晴らしい。悲しむ少女が、はっきりモノを言わずにただ涙を流す演出も秀逸。基本としてオーバーに演じていないのが素晴らしい。

イラン製の映画だと言う。旧来の発想だと、田舎の集落におけるイラン独特の問題点を描く路線が思い浮かぶだろうが、そこを都会の話にした点が独特。監督の体験とアイディアから作られた作品らしい。この監督、アスガル・ファルハーディー氏の能力は相当なものと思う。ハリウッドの監督より、一段上ではないかとさえ感じる。少なくとも、質が異なる。

離婚や別居を扱った作品で印象深いのは、劇場主の年代では「クレイマー・クレイマー」である。子供とダスティン・ホフマンのやりとりがおかしく、子役が非常にかわいらしかった。訴訟のシーンも、この作品とは異質の雰囲気だったが、緊迫したもので、よくできた作品だった。だが、話としては、この作品のほうがドラマティックかも知れない。

イランはパーレビの時代までは欧米化していたはずで、作品の中でも車が道にあふれ、建物も欧米の都市とあまり変わりない。物語は都会の中に限定された物語である。電化製品などが少し古めに見えるから、多少の流行の違いはあるようだが、古い社会でみられるような大家族で、介護を引き受けるといった社会構造ばかりではないようだ。田舎は違った構造かも知れないが。

介護を引き受ける人間は、経済的に何かの問題を抱えていることが多いのも自然に理解できる。この作品では夫が失業中で、借金問題を抱え、身重なのに仕事をせざるをえないという設定だったが、これは日本でもありうる話のように思う。今は共働きが非常に多いから。

訴訟の形式が面白かった。日本では、狭い部屋に対立する双方の人間が入って、直接申し立てをすることは少ないと思う。刑事か検察官が片方ずつ話を聞いて静かに調査し、互いの食い違いを検証していくといったスタイルだろう。おそらく、イランでは時間的にも予算的にも、そこまで余裕がないということだろうか?

宗教の関わり方については、日本と大きく違っていた。コーランに手を置くという行為の重みが、全く違うようだ。日本でも偽証は嫌悪され、おそらく世界の中でも、その傾向がかなり強い部類と言えるだろうが、それは宗教とは関係なく良心からくるものだ。日本では、宗教や主義がらみの弊害のほうが、より重視されて来たと思う。

そんな違いがあっても同じように偽証はあるものだし、偽証の理由も人情のためだったり家族を守るためであり、思いやりが嘘につながるというドラマ的構図も同じのようだ。実際、転ぶ時に押されて転んだか、メマイで転んだか曖昧なことは多いと思う。自分がどうして転んだのか分からなくなる、そんな場合は、自分の証言に自信を持つことはできない。それが争点になると、悩ましい問題であろう。

また、この作品で気になったのは、祈りのシーンが少なかった点。イスラム圏であり、しかも宗教革命を経た国のはずなのに、敬虔でない人間も多いということだろうか?あるいは監督独自の考え方による表現だろうか?

イランは制裁の解除で、今後は訪れることも可能な国になるかも知れないが、米国の大統領が代わって、どうなるか分からない。今までほとんど情報がなかった。少なくとも、こんな作品を作れる国は、文化的には非常に高いレベルにあるはず。 

 

 

2017年1月27日

ヘイル、シーザー!(2016)

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- 観客選び -

ハリウッドのスターが撮影中に誘拐された。対応するのは問題処理係の主人公。問題児の俳優達にも対応しつつ、解決を目指すが・・・・

・・・・DVDで鑑賞。コーエン兄弟の作品で、独特の皮肉めいた会話がおかしいが、今回は変質的な悪人が出てくるわけではなく、静かな喜劇に終始している。したがって、コーエン兄弟の作品と知っていなければ、たぶん観ることはなかったろうという印象。

有名スターが登場している。これもコーエン作品だったからだろう。でも彼らの特徴が凄く出ていたかと言えば、そうでもないように感じる。西部劇のスターがなまりで困るシーンは、日本人には分かりにくく、冗長な印象を受けた。どうも全体に、スピード感には欠ける印象。

今回の特徴は、宗教や主義に関して、堂々とギャグにしている点。共産主義については、実質的に崩壊してしまっているから構わないと思うが、宗教がらみの話題は、米国においては殺し合いに発展しかねない問題。特にイエスを人間と考えるかどうかといった話題は怖ろしい。そこをあえて扱う点が、逆に面白い。

タブーを扱う芸風。それはビートたけしを始め、日本の芸人達が好んで扱うスタイルだ。コーエン兄弟は、日本の漫才を参考にしているのかも知れない(まさか)。ただし、実際に映画の中でそれをやる場合は、本当に問題処理係が根回しをやらないといけないのではないか?

海兵スタイルでダンスを踊るシーンは、ジーン・ケリーの有名な映画を模倣したものだろう。そうなると、ジーン・ケリーに政治的な活動があったのか?と、普通は考えてしまう。遺族は何か文句を言ってこなかったのだろうか?

おなじく、水着のスターだったエスタ-・ウイリアムスの遺族は、ふしだらな女のイメージに対して、訴訟を起こしたりしなかったのだろうか?事前に法律家の仲立ちが、何かあったのかも知れない。

この作品は家族で楽しめる内容だろうと思う。殺し合いなどが出てこないという点ではそう。でも、子供は面白いと感じないはずだ。皮肉めいたセンスがないと、この作品は面白くない。大人専用だろう。しかも、爆笑を狙える映画ではないはず。観客をかなり選ぶ映画だろう。

主人公がジョシュ・ブローリンでなく、もう少し年齢が上の、うらぶれた肥満体の俳優なら、もっと哀愁が感じられて同情を得たかも知れない。喜劇専門のギャグマンのほうが良かったように思う。家族に愛想をつかされ、情けない仕事ばかりやっているが、仕事場ではタフで準備周到、熟練の腕で驚異的な問題解決能力を発揮する・・・でも外見はショボい、そんなキャラクターのほうが好まれるだろうに。

 

 

 

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