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カテゴリー「ふ」の97件の記事

2017年3月27日

42 世界を変えた男(2013)

42

- Warner,Legendary -

黒人リーグで活躍していたジャッキー・ロビンソンは、メジャーリーグのドジャースからスカウトされる。しかし、激しい反発が待っていた・・・・

・・・・近代では黒人初のメジャーリーガーと言える、ジャッキー・ロビンソンの伝記映画。3月21日、NHK衛星放送で視聴。

真面目な内容の、教訓に満ちた映画だった。主人公の挫折を扱うタイプの映画ではないから、理想主義的すぎて少しリアルさを欠く内容とも感じたが、まとまった作り方の、テーマを訴える力を感じる作品だった。子供が観るのもお勧めだろう。学校の道徳教材になるかも知れない。

厳しい差別にさらされた時、人はどのように行動すべきか?そこがテーマだ。あたかもイエス・キリストのように行動した主人公は賞賛に値する。彼が違った性格の持ち主で、粗暴な態度にでも出ていたら、その後の黒人達の進出は、きっとかなり遅れていただろう。

この作品では、球団オーナーの老人役がハリソン・フォードだった。いかにも老人臭い振る舞いをしていた。彼が新しい時代の道を開いた本当の理由は分からないが、劇の中ではかってのチームメイトへの思いや、時代を見るしっかりした目、そしてメソジスト派の信条などから当然の行動を採ったのかと思えた。説得力があった。

終戦後まで、黒人大リーガーがいなかったという点に驚く。少なくとも軍隊では行動を共にしていたはずなのに、スポーツの世界で壁を作ろうとしたのは何故だろうか?おそらく、嫌悪感を持つ相手とスポーツすれば殺し合いになりかねないから、無用の混乱を避けたいといったオーナー達の配慮が働いたのか?それに、白人の客が減るのが怖かったのかも知れない。

選手達のレベルでは、負かされるのが嫌という感情もあったのかも。スポーツだから、負けても仕返しすることは許されない。レギュラーを奪われて、平静でいられるわけはない。勝利者となった黒人に対して、悔しい思いをしたくない、そんな感情は必ずあっただろう。それが激しい差別の原因のひとつになっても不思議ではない。

ロビンソン氏とは比較にならないレベルでだが、我々も差別的待遇を受けることがある。役人、上司などから指示に従うよう強制されないではいられない。学生時代は先生や先輩から、時には無茶なことを言われたり、殴られたり、人としての誇りを損なう場面があった。いまだに当時の怒りを思い出す。

でも、あらためて思うが、我を忘れて暴力沙汰など起こしたら、立場を悪くするだけだ。原始時代じゃないんだから、紳士的態度を保たないと、今日の日本では負けである。仕返ししない勇気、耐え続けるガッツがないと、自分の立場を悪くするだけじゃなく、後に続こうとしている者に申し訳ない結果が待っている。

もしかすると結果的には負け続け、チャンスを得られないまま酷い仕打ちを受けるばかりで終わるかも知れない。ロビンソンの前の黒人達は、皆そうだったはずだ。ロビンソンのようになれないかも知れない・・・・それをも覚悟する勇気が必要ということだろう。

・・・・ここ数週間の籠池元理事長(森友学園)は、憤懣を抑えきれない状況かも知れない。彼ひとりが吊し上げられるのは、耐えがたいだろう。

政治家達が攻撃しており、テレビ局も批判的報道姿勢が基本になっている。でも、森友問題を国会で扱うのは止めて欲しい。与野党がチキンレース、ワイドショー的な劇場にはまっている。国会は、もっと重要なことを検討すべきだ。それに犯罪に相当する事象があれば、まず警察や検察で調べないといけない。財務局、大阪府、森友学園、総理夫人は、国の財産を不当に扱った疑いがあるから、まず捜査が先だ。籠池氏の相手をするのは、刑事が望ましい。

ただし、捜査は進まない可能性が高い。忖度は、犯罪としての立証が難しいので、うやむやのまま終わるかも知れない。捜査機関自身も、忖度してしまうだろう。会計検査院も、普通に考えると、やはり忖度してしまうはず。制度上そうなっているので、仕方ない。もし制度を変えたいなら、まず政権を変えるしかないと思う。そして、政府から独立した立場で、政府や役人個人を調査できる監査機関も必要だろう。

 

 

2016年12月16日

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(2016)

Warnerbros


- 地震の影響 -

魔法界の生き物を保護する魔法使いが、英国から米国に渡ってきた。そこで彼は魔法界を揺るがす事件に巻き込まれる・・・

・・・・この作品を観る予定などなかった。もともとの評判が高かったわけではないし、ハリー・ポッターシリーズで懲りているから、眼中になかったのである。しかし、観ざるを得なかった。それはつまり、複合的な理由による。

①長男が引きこもりがちで、彼を引っ張り出すため、家族一緒の映画鑑賞を理由にした。

②熊本地震で映画館のシネプレックスが長く休館し、久しぶりに劇場で鑑賞したくなったこと。

③外食に出て、そのままできる行楽が限られていること。やはり地震の影響で、行ける場所が限られているのである。

そのような事情を検討した結果、評判の「君の名は。」を観ようと出かけたのであるが、その人気は恐るべし。入り口から大渋滞で、チケット売り場に到達するのにも疲れてしまい、さらにそこで満席と確認するにも時間を要してしまう始末。空席が多い作品を代替えに観ざるを得なくなって、それで鑑賞に至った。

この作品のCG技術は素晴らしかった。遠近感、立体感、美しさなどの点では非常に満足できた。音響も素晴らしく、迫力満点だった。ただし、気味の悪いシーンも多く、子供に本当に向く作品かどうかは疑問。小さい子には、あまり向かないのではないか?

主役のレッドメインのキャラクターに疑問を感じた。おそらく、もっとコメディ・タッチにして、好人物で動物思いだが失敗ばかりするドジ、あるいは凄い能力を持つのだが、どこか抜けていてだらしないなど、人間くさい魅力が不足していたのでは?暗い過去など、この作品に限れば必要のない話だった。

基本的に、成人である必要を感じなかった。見習い役人、動物学者の助手などの、まだ成長過程の人間のほうが共感を得やすいはずだ。わざわざ話を暗くしている。

作者のローリング女史は、もしかすると何かのトラウマに縛られていないだろうか?ハリー・ポッターから派生した話だからといって、同じような暗い人物を描く必要はないはず。ズッコケの人物が中心になるべき話だったと思う。

ヒロインにも魅力が足りない印象を受けた。子供映画であるから、極端な個性のほうが分かりやすい。クールな峰不二子タイプか、勇敢で向こう見ずなど、何か世間とずれた個性のほうが共感を得やすい。

あるいはヒロインが主人公でも良かったかも知れない。失敗続きのヒロインが、風変わりな英国人と協力して活躍する流れのほうが、最後の盛り上がりの面で優れた設定になったと思う。もしかすると小説では素晴らしい設定だったのかも知れないが、映画的には優れた話とは感じなかった。

 

2016年12月 1日

フェノミナン(1996)

Phenomenon

- 徹底不足 -

アメリカの田舎町の自動車修理工が、天才的能力と超能力を一度に身につける。住民は敬意と恐怖の両方を感じるようになり、いっぽうでFBIが彼を危険視する・・・

・・・DVDで鑑賞。ジョン・トラボルタ主演のファンタジー。同じ頃に「マイケル」に出演していて、そちらのほうは観たことがあった。「マイケル」の時は、彼のあまりの肥満ぶりに驚いたが、この作品ではそうでもないように見える。

ロバート・デュバルやフォレスト・ウィテカーなどが出演しており、また挿入歌に有名な曲が色々あるので、すごく力の入った作品と思うのだが、なぜだか冗長で流れがバラバラの印象を受ける。編集作業か撮影手順に、何かの問題が発生したのかも知れない。トラボルタの特徴が良く出た作品ではないように思う。

おそらくイタリア系のスタッフが中心となった仕事ではないかと思う。内部で意見が割れたのだろうか?

フェノメノンとは現象の意味と思っていたが、傑出した人物の意味もあるという。この作品の場合は、たぶん天才といった意味ではなかろうか?超能力も現れるのだが、特撮技術を使った驚くほどの力ではない。普通の映画なら、神秘的な力で奇跡を次々起こすようなシーンが続きそうだが、この作品はあまり非現実的な路線は考えていなかったようだ。

その点が、歯がゆいような印象につながってしまったかも知れない。CG満載でなくても、夢のあふれる奇跡はあってよかったと思う。ファンタジーなんだから、夢のようなシーンは欲しい。

一流の俳優が出演し、子供達も可愛らしく、田舎の風景も美しく、BGMは最高級品。それだけ揃っていても、何か企画上の問題があれば大ヒットしないとは、映画作りとはなんと難しいことかと、あらためて思う。

ただし、大人しい映画なので、この作品は家族で鑑賞できると思う。恋人と観るのもお勧めだろう。悲しいラブストーリーになっている。家族の皆が満足するかと言えば、そうとは言えないように思うのだが、たぶん面白くないと言って怒り出したりはしないはず。

もしヒットを狙うとして、どのような路線変更を考えるべきだったのだろうか?難しい問題だが、たとえば単に時間を短くする、恋愛以外の要素を極力排除する、能力を超能力に限定するか、あるいは逆に思考能力に限定するなどは考えられる。

FBIの関与は、結果的には必要なかったかも知れないが、もしくは徹底的に主人公を悩ます中心的存在にしても良い。強力な敵の存在は、盛り上がりのために望ましいからだ。徹底した悪い組織として描く勇気が足りなかったのかも知れない。その他、いろいろな点が中途半端だったように思える。

 

 

2016年9月 5日

ブリッジ・オブ・スパイ(2015)

Fox


- 不屈は難しい -

冷戦時代が舞台。主人公はソ連のスパイを弁護する。世間から冷たい視線を浴びながら仕事をした主人公に、スパイ交換の交渉人の依頼が・・・・

・・・・実話に基づくという。静かなテーマで、大ヒットを狙える作品ではないが、スター俳優とスター監督が作っているから、それなりの理由があるに違いない。スピルバーグ監督は、そう言えば最近は戦争映画ばかり作っているようなイメージがあるが、何か特殊な興味の偏りがあるのか、あるいは政府から求められているのか?

監督はオーディションの際にセクハラをかましたりする人物だというし、読書障害もあるというから、何か弱みを握られて政府機関の注文通りに宣伝映画を作ることを強要されてはいないか?邪推に過ぎないだろうが、あまりにも旧式の映画が多くなっており、不自然な印象を受ける。

健全な精神に基づく作風。愛国心や家族への愛情、友情、責任感、そんなものが物語を彩っている。激しいアクションやお色気の路線ではない。したがって、若者達にはそっぽを向かれる運命にあるのではないか?デート中にこんな映画を観るのは、おそらく米軍関係者だけだろう。

ソ連のスパイ役が素晴らしかった。マーク・ライランスという俳優らしい。強い意志、信念に基づく人間であること、冷静沈着な態度などが実によく分かった。助演賞を取ったのもうなずける。彼を、いわばヒーローのように描いたことで、この作品のレベルは上がったと思う。彼が子供の頃の体験を話すことが、やがて主人公の評価にそのままつながる流れが良かった。つまり脚本がよかったということだ。

主人公のドノヴァン弁護士には敬意を表したい。劇場主は、とても真似できそうにない。彼は実際に不屈の意志を持ち、仕事に誇りを持ち、義務を果たし、法に忠実で周囲の圧力に対抗しうる人物だったようだ。彼だけではなく、彼のような存在に力を与え、行動を可能にしうる米国社会も、優れた部分を持っていると思う。

米国といえど、無茶な勢力はたくさんあって、それこそ主人公の家に発砲してくる連中も本当にいただろう。多種多様な意見の混在ぶり、乱暴ぶりは日本よりもずっと激しいと思う。でも、住民全体が団結して主人公を圧迫し、彼の権利を停止したりはしていない。権利に関するセンスを持つ人も多い。彼に圧力をはねのける力があったことも理由だろうが、彼は最低限は保護されていた。

日本では、権力者に反抗したような場合は簡単に保護が失われる。職場はクビ、クビにする権利があろうとなかろうとクビ。家庭では離婚の上に慰謝料を請求され、彼は反論すら許されない。兄弟は連絡不能、友人は率先して彼を排斥、近所は石を投げてくる、マスコミと暴力団が協力して攻撃といった四面楚歌状態に陥る。警察も裁判所も、法をいじくり回して彼への協力を拒み、それでも仕方ないのよといった顔をする。そんなことも充分に起こりうる。

歴史的なものが違うのかも知れない。米国の場合、主人公も言っていたが、雑多な人種、宗教が混在した米国をまとめているのは法の支配である。法に反した行動は、米国の誇りを損なう。いっぽう、日本で法の支配というと、法を楯にした権力者(実は無法者に近い)に支配されるという歴史認識が優勢なので、良いイメージを持ちにくい。過剰に縛られるもの、国民を支配する目的のものという法へのイメージがある。

政権側も同じ認識を持っている。閣議決定で何でもやっちゃおうと考える。認識が同じなのは良いこと・・・・・の、はずがない。

経済的なものも違うはず。クビになっても、なんらかの資産か収入が得られ、生きてはいけると判断できたら、自分の信条にこだわることもできる。こだわれば生命の危機、経済的にも持続困難、援助は全く期待できないなら、いかに優れた信条でも捨てないと仕方ない。彼には資産があったのでは?

日本も国際社会の中では国内法、国際法と条約に従って行動せざるを得ない。中国のように強大な国力を持つなら、国際法を無視することも可能だろうが、日本の場合に勝手は無理。猛烈な圧力、実際の力の行使もあって、酷い目に遭うことも増えるだろう。そこで不屈の意志を持って行動できるか、そこが問われているということ。

 

 

2016年8月30日

ブラック・スキャンダル(2015)

Warner

- コンタクト効果 -

ボストンを根城とするギャング団。幼なじみがFBI捜査官、弟が上院議員。立場を利用してライバルを蹴落とし、町の裏社会の頂点に立つが・・・・

・・・・DVDで鑑賞。原題はブラック・マスで、マサチューセッツの犯罪組織の首領だったジェームズ・バルジャーが主人公になっており、そのドキュメンタリー風の原作の映画化らしい。

主人公の目つきが非常に怖かった。「アリス~」シリーズでカラーコンタクトをした怪人と同様、ジョニー・デップの目の色が薄くなると、悪魔のような顔になる。この目つきは強烈な効果を出していた。

FBI捜査官を演じたジョエル・エドガートンは、「華麗なるギャッツビー」で悪役を演じていた俳優だったが、この作品では迫力に欠ける印象を持った。童顔に近い顔つきだから、髭などがないと、彼の場合は切れ者でない印象につながるようだ。もっと迫力のある人物が演じたほうが良かったと思う。

この作品でバルジャーは、根っからの犯罪者として描かれていた。本人は、この原作には不満があったようで、もしかすると若い頃の劣悪な環境など、同情の余地に関与しそうな話があれば、少し印象は変わっていた可能性もある。

それにしても、仲間として行動していた連中を根こそぎのように殺していく点は、用心深さというより、猜疑心が強すぎること、ある意味では弱さを表しているのかも知れない。できれば、なぜ彼が仲間を殺すのか、彼の理屈が分かるように描いて欲しかった。そこまでできれば、一段レベルが上がったろう。

失脚というか逃亡生活に入ったのは1999年で、既に70歳だったらしい。70歳まで誰にも殺されず、町を支配できたのは、怪しい敵を全て葬ったことに加え、ただのギャング団ではなく、FBIと取り引きしていた点が大きいだろう。FBIから情報を得て、自分を襲わんとする連中を処理していたのかも。

逮捕されたのは16年後というから、後期高齢者になってから見つかったことになり、よく逃げておられたねと感心してしまった。資金は豊富に持っていたのだろうけど、事前に準備をして、信頼できる協力者も確保していたのだろうか?日本の大物の犯罪者で、ここまで逃げていた人はいたろうか?国が広く、個人の権利意識が高いこともあるだろうが、米国の広さを感じる。

2016年8月 9日

ファイブ・イージー・ピーセス(1970)

Columbia


- チキン抜き -

石油採掘現場で働く男は、音楽一家から離れて放浪中。彼の恋人は妊娠中なのだが、彼は結婚を嫌がっていた・・・

・・・・ジャック・ニコルソンが主演した作品だが、ヒロイン役のカレン・ブラックのほうが素晴らしい味を出していた。上品ではない育ちっぷり、教養のなさを感じさせ、センスや運動神経にも優れていないが、それなりに自分の世界で生きてきた、そんな女性の可愛らしさが強く感じられた。

そう言えば、「華麗なるギャッツビ-」でも愛人役で、似たような個性を演じていたように思う。少し斜視があったのだろうか、なんとなく知的でない印象があり、売春婦や場末のウェイトレスなど、下層の役柄が似合う女優だった。おそらく実際は凄く頭の切れる女性だったろうが。

もし可能なら、この作品をカレン・ブラックを主人公にして、超悪役ニコルソンの極悪ぶりを延々と描き、品はないけど可愛い女性の悲劇として描き直せたら面白いと思う。同じフィルムで、編集方針さえ代えればできるのでは?

その場合のタイトルは、そうだなあ・・・「チキン抜きチキンサンド」はどうだろう?売れそうにないかなあ・・・

この作品のタイトルの意味がよく分からなかった。作品のセリフの中に、おそらく聖書の謂われか、音楽的な慣用句(ピースが曲を意味する?)かなにかで語られていたはずだが、聞き漏らしてしまった。聞き漏らしても、主題には影響ないような気がしたので、見直さなかった。たぶん、真に作品のテーマを表現したタイトルではないのでは?

おそらく、この作品のメインテーマであり、最もこだわるべき点は、主人公が逃避したい気持ちを表現し、観客に納得させられるかだと思う。彼が何にうんざりした表情をし、怒り、何を望んだかが、その気持ちを表現しているはず。上手く描けて、観客が共感できたら成功だ。

自分に居場所がない感覚、他の人間と共感し、連帯感を持って生きられない感覚、挫折感や喪失感、孤独感、そういった感覚は、70年代当時は世界中に蔓延していた。景気や戦争や、情報公開によって、古い考え方の修正が求められた時代だった。

政府やマスコミの嘘が明らかになり、古い観念に基づく健康的な生き方は、偽善に満ちたものだと判った場合、どう生きて、人とどう付き合うのかは難しい問題になる。そこに主人公は戸惑っていたように思う。偽善が大きなテーマで、それに対する主人公の嫌悪感、イライラする感情、逃げていくまでの思考過程が、この映画で描かれたものと推測できる。

メインテーマはそれで、好意を抱いて誘惑を試みる女性との関係などは、おそらく枝葉的に挿入されたものでは?

利益しか考えない人間は、偽善が明らかになっても気にする必要はない。例えば米国の生産現場が海外に移り、地域の経済が悪化しようと、企業の重役や株主は困らない。グローバルに生きて利益が得られれば良い。そうでない人間、利益以外のことにこだわる人間は、世代間でも異性間でも、価値観で対立するのだろう。

レストランで無理筋の注文をするシーンがおかしい。チキン抜きのチキンサンドといった注文は、真面目な店員だったら怒り出すのも当然だ。注文の際の態度も慇懃無礼な感じが濃厚で、これもバカにする意図がよく出ていた。真面目な注文する客や、公衆の嘘っぽいマナーをバカにしたと言えるかも。

音楽一家のハイソな趣味には、確実に嫌悪感をもっていたはず。だから逃げ出したのだろう。パーティーで、論理的な口調で語っていた女性に腹を立てたのは、そのせいだと思う。そして一方で、自分の恋人のあまりに低レベルな会話にも愛想をつかしていたのは、能のない人間への嫌悪も表すと思う。一定の知性やセンスに好意を持ち、それから離れると嫌悪感を持つ、そんな態度に主人公はなっている。

ヒッピーのような二人組の女性の存在は、どういう意味だったか曖昧な印象を受けた。ベラベラと独特の意見を言い続ける女に対しては、主人公は肯定も否定もしていなかった。共感した様子もなかったので、あまりに世間から逸脱した理屈に納得はしていなかったのでは?つまり主人公は隠遁生活までは目指していないと思える。

だから、世間一般の人のように恋人と結婚して責任をとるのも嫌、芸術的な活動に戻るのも偽善的で嫌、ヒッピーと行動を共にするのも嫌、新たな恋に生きるのは相手から拒否され、つまりは逃避して新しい町で仕事を探そうかという流れになる。逃げることしか選択できないのだ。

ガソリンスタンドでふいに恋人を置き去りにして、逃避行に出るシーンが、そのままラストになっていた。秀逸な終わり方だと思う。あのラストは、カレン・ブラック主演版でも使わせていただきたい。

 

 

2016年3月28日

プレイス・イン・ザ・ハート(1984)

Tristar

- 弱いヒロイン -

大恐慌後の米南部の町。突然の夫の死後、借金の存在に気づいたヒロインは、知り合った黒人らとともに、綿花栽培に乗り出すが・・・・

・・・・DVDで鑑賞。観客に勇気を与える力を感じる映画だった。アカデミーの脚本賞を取ったそうだ。良い話だった。

ヒロインが前半で体験する悲劇が、ドラマティック過ぎなかった点に気づいた。普通のメロドラマとは違い、かなりドライに、ほんの普通のことのように起こる悲劇。あれがかえって、お涙頂戴の安っぽさにつながらせない効果があったようだ。

ヒロインが、その後体験する苦労や困難も、メロドラマの悪弊に陥らせないまま、リアルさを保ったままの日常的な物語で描けていると感じる。必要なさそうな不倫話、姉妹の間の会話なども、現実感につなげる効果があったに違いない。

この作品のことは少しは知っていたが、なかなかビデオ屋さんに並ぶタイプの映画ではないので、観る機会がなかった。ど派手な宣伝をされた大作なら、後々までビデオ屋でも大きな顔をされるが、企画が小さかった場合は、いかな名画といえども隅っこに行ってしまう傾向を感じる。

ヒロインのサリー・フィールドが好演していた。あまり派手に立ち回りすぎると、この作品の場合はおかしくなる。優れた能力で乗り切るタイプのヒロインではなく、健全な精神で耐える人物像なので、少なくとも強そうなイメージ、鋭い眼光などは必要ない。弱々しいくらいのほうが、かえって好印象につながっていたと思う。

彼女は、この作品で主演女優賞をとったそうだが、確かにそれだけの価値があったように思う。強くなさそうな点が良かった。体力的には全く弱いし、負けん気が非常に強いわけでもない。信仰心は厚く、家族への愛情に満ちているので、それを守るために賭けに出る勇気がある・・・そんな個性が上手く表現できていた。

ダニー・グローバーやジョン・マルコビッチの演じた個性も素晴らしかった。何かモデルのような人がいたのだろうかと、ちょっと思った。戦争による視覚障害者という個性が、この作品のストーリーに必須だったかどうか分らない。もしかすると、監督の故郷で、モデルになった実際の人物がいたのではないだろうか?

実際の話、当時の南部で綿花の栽培を初め、直ぐに経営が成立しえたのだろうかと、疑問に思えた。景気が悪かった時代、繊維、衣料品産業だけ好況とは思えない。よほどな偶然がないかぎり、高値で売れて、家計を持ち直すことは難しかったのでは?

 

 

2015年11月 3日

プレデスティネーション(2014)

Presidioetc

- 本物求むべし ー

時空を旅して爆弾魔を捜査する組織のエージェントが主人公。爆弾魔の捜査の鍵となるのは、犯人の恋人。主人公はバーテンに扮して、彼女と接触・・・

・・・DVDで鑑賞。複雑な展開で、描き方や配役によっては凄いSFになったかも知れないと感じた。なぜかは分からないが、途中でストーリーが読めてしまったので、演出に問題があったのかも知れない。

アイディアは素晴らしかった。原作の小説があるらしいが、これは小説で読むなら傑作と感じただろう。映像化は非常に難しい。観客の予想を超えないといけないし、最後には理解され、納得いくようにしないと後味が悪くなる。

バーに一人でやってきた若い男は、元々は女性だった・・・・これが納得できるためには、特殊な風貌の女優~男優が必要になると思う。いかに演技力があっても、見た目で男と女の区別がつかないほどまで演じ分けられる俳優は少ない。元々性転換をやったような俳優しか難しいだろう。

今回、その役を演じていたのは女優で、独特な風貌をしてはいたが、明らかに女性であり、男の格好には無理を感じた。性転換した俳優を探す必要が絶対にあったと思う。本物には、なかなか敵わない。

観客の納得を得るために、本物が必要。本物が見つかった時点で、映画の企画を進めるくらいの覚悟が必要だったと思う。

主人公を演じたイーサン・ホークは、充分に役割を果たしていたように思った。いつの間にか彼はタフなエージェント役が板につくようになってしまった。今後は悪役が向いていると思う。誰にも真似できないような、寒気のするほどの悪役が、彼ならきっとできると思う。

この作品に、もし敵役がいたら素晴らしい出来上がりになっていたかも知れない。爆弾魔でも良いし、組織の上司でもいい。目で見える敵がいたほうが、分かりやすい展開になるはず。そのために、爆弾魔の顔を隠す必要はなかったかも知れないと思う。顔については、整形を繰り返して正体不明とでも設定すれば、説明はつくと思う。

なまめかしいお色気の要素も不足していたかも知れない。性転換が大事な要素となった映画である。ホモセクシャルを連想させるようなシーンはあっても良いはず。セクシー系の音楽を全編で使うという手もあったと思う。

 

2015年8月29日

フランク(2014)

Frank

- マスクと鎧 -

バンドに参加した主人公の前に現れたのは、奇妙な人物フランク。けっして仮面を脱がない。彼の音楽の才能に引っ張られ、バンドはついに音楽祭に出演するが・・・

・・・DVDで鑑賞。かなりマイナーな企画だったらしく、このビデオはツタヤでしか観れないと宣伝されていた。でも、出演者は一流で、マイケル・ファスベンダーやマギー・ギレンホールが熱演。

主役の青年役は、どう見ても堺雅人とそっくり。表情やキャラクターまで共通するものがある。昨今のIT事情だと、堺を参考にキャラクターを練られた可能性だってある。キャラクターのパクリだ!と訴えてよい。

この作品の企画は実にマイナーで、カルト的な路線に徹していた。彼らが何度かステージ上で歌うのだが、ちっとも上手くない。歌詞も意味不明で、完全に常軌を逸している。歌以外も個性的で、全員が異常と言ったほうが早いくらいに個性的な人間の集団。

芸術家をあつかった映画でよくあるパターン。個性を強調するあまり、現実感のない人間関係が作品の基調だったようだ。

脚本家が、モデルとなったコメディアンの‘フランク’と行動を共にしていたらしい。実際のフランクはコメディアンで、仮面を脱げないような人物ではなかったようで、あくまで個性を浮き立たせるために、この作品のような設定にしただけらしいのだが、アイディアとして良かった。

おそらく本国イギリスでは、この作品もカルト的な人気を生んだのでは?オリジナルのフランクのアイディアも良かったが、それを使って障害者のミュージシャンとするアイディアも良かった。

面白いと言えば面白かった。登場人物が個性的だったからだ。でも、現実味をもう少し出したほうが、観客の感情に訴える力は大きかったのではないかと思う。こだわった映画はよく失敗する。観客の嗜好に従いすぎるのも飽きられる元だが、完全に遊離するのもいけない。

ほんの少しで良いからタッチを変え、奇妙な人物フランクの生態を中心に描くなら、きっと万人に受ける悲喜劇になると思う。役者には喜劇俳優で実績のある人間を揃える必要がある。その価値はあると思う。約束されたギャグのほうが、観客は安心して笑えるだろうから。

そして基本としては不幸な物語だから、物悲しい結末に心を打たれることも期待できる。素晴らしい企画になりうる。

おそらく、この作品は子供には向かない。理解不能に終わると思うし、退屈に感じるだろう。こんな作品を恋人と観ても、なんだか後味が悪そうな印象。爽快感はない。この作品に向くのは、相当な暇人、現実から遊離した人物かもしれない。音楽をやっている連中は楽しめるかも。

でもフランクは好感を持てる人物。彼の存在によって、このバンドグループは保たれていたようだ。まず音楽的な能力、センスが優れていたらしい。いかに良い人物でもトンチンカンでは、皆を引っ張っていくことはできない。能力は必要。

調整能力もあったようだ。主人公がバンドの旧来のメンバーと不仲であっても、なんとか活動を続けられたのは、彼の調停によるものが大きそう。どうやらフランクは主人公の音楽的能力に呆れていたようだが、それでも彼を傷つけまいという態度をとっていた。

ただ、フランク自身も相当な障害を抱え、無理していたこともよく分かった。実際、彼のような個性の人間がいたら、あんな風になっていたかも。マスクなしでは人前に出ることすら難しいのも解る気がする。フランクの場合はマスクだが、化粧や表情などでマスクの代わりをできる場合は、それがマスクと同じような意味で使われることもある。

ミュージシャンには個性が要求される。音や楽器は共通のものだから、微妙な違いを出し、自分を表現することに徹しないといけない。しかも売れるために、それは強烈に訴えかける物でないといけないし、独特でないといけない。完成度も高く、芸術として成り立っていないといけない。

それらを達成できるためには、相当なプレッシャーに耐え、演奏の実力をつけ、トレーニングと新しいアイディアの構築に努めないといけない。奇抜であるために、生き方まで妙になってしまう傾向はある。薬物の誘惑も強いらしい。ヤク中が多いから。

強烈な目立ちたがり、成功への野心などがあれば、プレッシャーや苦難にも耐えて成功できるかもしれないが、競争も厳しいから這い上がれないグループが多いだろう。没落の恐怖も絶えない。

それに薬物が蔓延した業界だから、何か心に問題を抱える人間は依存にはまりやすいと思う。人気が落ちれば・・・新しいアイディアが浮かばない・・・離婚問題、バンドの仲間割れ・・・いろんなことで精神に限界が生じうる。

そんな状態の人間には、仮に好意からであってもストレスを強めることは危険。この作品を観て、そんな風に思った。バンド仲間にも個性は色々だろう。野心家で、なんとかして売れたいという強い気持ちを持つ人間は、多少の妥協をしてでも売れたいと願うが、妥協に耐えられない人間もいる。

そうやって対立は生まれる。その対立が、ミュージシャンの場合は直ぐに音楽に直結する。微妙な表現の違いに、仲間割れにつながる反発が生じそうなことは、筆者にも理解できる。バンドマンたちの関係は、常に離合の危険をはらむようだ。

筆者も、人間関係を上手く作れていない。もしかして、マスクを借りるべきか?

真摯な関係でありたいと願っている家族とも、心が通じているとは言えない。自分が子供の頃、親に対して抱いていたような感情は、子供たちの場合も漠然とはあるようだが、随分すねた形になっている。

子供の頃は簡単に思っていたが、心から打ち解けることは、大人になってみると意外に難しい。自分の精神の発達具合が足りていないせいもあるだろう。相手と心を通わすには、こちらの理解力が充分ないといけない。たぶん、相手側にも必要だろう。そして似たような事を考えていたほうがやりやすい。

世の中には理解不能な人間が多い。妙にイジケていたり強烈な野心を持っていたり、ISなみの激しい敵愾心に取り付かれていたら、うすボンヤリした筆者のような人間には理解できないのが当然。だから、理解が不充分な自分に、あまり悩むこともないのかも。それが当然と考えたほうが良いかもしれない。

震災や原発事故の経緯を見て、いろいろ考えた。震災の前、地震対策に関しての一般常識に、筆者は納得できなかった。原発に関することを考えると、イライラしていた。でも、ほとんど人は筆者とは感覚がズレていたように思う。そもそも、事故を考えること自体、普通の人はしていなかったのでは?きっと「考えても仕方ないよ」で済ませていたはず。

地震防災はもちろん、原発行政も他人事ではないのだが、意味の理解は難しい。被害にあって初めて解る人が多いと思う。被害者とそれ以外で、ズレるのも当然。興味や危機感の持ちようも様々だろう。原発の近くにいる人でさえ、考えても仕方ないと思っていたのではないか?

会話ってのは難しい。会話の進め方に関して、センスが合ってないと成り立たない。

いつも正しい判断を目指すと、都合はよろしくない。正しい答えを追求してばかりだと、相手が疲れる。仲のよい関係は、正しいかどうかより、利益があるかどうか、楽しいかどうかを優先しないと保てない。実利を与えなくても、相手に夢を持たせないといけない。関係を維持するためには、正しさにこだわらないことも大事。でも、そんな関係ばかりだと情けない。集団全体が間違う結果にもなる。

原発に関しては正しさを求めて議論しないと危ないでしょと筆者は思うが、いやいや経営が最優先じゃから、国民がどうなってもいーじゃん、細かいこと言うなよと考える人がいても不思議ではない。あるいは、どうなるか予測できず議論にならない人もいただろう。

感覚の違いは正しさゆえの場合はあると思う。もちろん根拠なしの過信は禁物。筆者のほうが勘違いすることも多いはず。それが怖いから、基本発言が少なくなる傾向はある。意見を押し付けることはしない。意見が合わないと、相手のセンスを疑うから自然と黙り込むという態度になる。でも、それも人間関係を悪くする。

皆の結論に、かなりの場合、筆者はついていけない。全員、何もかも思い切り間違ってるみたいだと思うこともある。だって原発政策はおかしいし、少子化対策も景気対策も、医療行政も社会保障政策も、何もかもおかしいもん。・・・そんな状態では、人と面と向かう時には支障になる。同じように、感覚的な違いに折り合いをつけにくい人は多いと思う。

いっぽう、思い込むことで精神状態を保つ人も多い。いろんな意見を取り入れたら、考え込んでしまって精神衛生上、良くない。したがって、それを避けるために意固地になり、意見が違えば強硬に押し付けを狙う、それが幼少時から身につけた防衛反応のようなもの。防衛の意志から発生したマスクか、‘鎧’だ。

鎧は、脳の中での認識と対処のパターン。条件反射で自分を守る。

事故があって大きな被害が出る時に残念に思うか、それとも関係ないこととして日々の暮らしに没頭するか、「おや、想定外だったね。」で感傷なしでおられるか、何か責任を感じても無視して逃げるか、判断はいろいろある。その判断に際し、およその人は鎧のような防御的思考パターンを作って、自分の心の平静を優先したいと願う。それが精神的防衛のパターン。

自分が防衛の鎧を身につけていることを自覚し、他者の鎧のありようも認識できれば、ルールが解る状況になり、集団に参加できる。そんな関係が縦横にひしめき合った状態が、一般の社会と言える。妙な緊張状態。そこで互いの鎧の誤りを指摘するようなことは、反発を生むから良くない。防衛反応は、本能から発生しているのだから。

相手の本能には手をつけずに、折り合いをどうにかつけるしかない。フランク君も、どうにか折り合いをつけてくれることを期待する。どんな障害があっても、できると信じる。マスクなしでも、世間に出て行くことは可能。音楽を通じてか、他の活動によるかは分からないが。

 

 

2015年6月18日

フューリー(2014)

Kadokawa_columbia

- 解説不足 -

第二次大戦末期、ドイツ本国に侵入した米軍の戦車部隊の物語。敵を蹴散らして侵攻していったが、反撃に遭って孤立し、ついには戦車も故障。撤退するしかなくなるが・・・・

・・・・DVDで鑑賞。この作品はアカデミー賞の候補にも挙がっていたというが、そこまでの完成度は感じなかった。でも、力作だと思う。観ていて楽しくはないが、重量級の表現力を感じ、感動するものがあった。

子供が楽しめる映画とは思えない。戦闘シーンは非常に迫力があって、しかもビジュアル的に分かりやすく、表現する力を感じたから、戦闘だけ見るなら子供も楽しめるかもしれない。ドラマの部分はかなり暗い。退屈してしまうかも。

主人公は戦車隊長役のブラッド・ピット。スターの存在感はあるが、表情がいまひとつの印象。もともとタフな印象の役者ではないから、この役柄に彼は不適だったような気がする。もっと体力がありそうな俳優が良いだろう。

彼のキャラクターに問題があったと思う。過去にどんな悲劇があったか、どんなトラウマを抱えているかが重要。そこらへんが省略されてて、物語性が欠けてしまったのでは?

戦車隊の仲間達の生い立ち、過去のいきさつなどがもう少し丁寧に織り込まれていたら、観客は感情移入できたと思う。時間配分、キャラクター解説への重点配分に配慮が足りなかった。

新兵役のローガン・ラーマンは素晴らしい。目立つし、好人物の得な役だった。真面目そうな表情、怒りなどの表現が良くできていて、登場人物の中では最も魅力的に思えた。

シャイヤ・ラブーフが同僚役で出ていたが、彼には迫力の点で満足できない。だいたいなら、彼が新兵の役をしそうだ。何か交渉段階で間違ったに違いない。もっと年齢が上の俳優のほうが実在感、迫力の点で良かったはず。なぜ彼がキャスティングされたのか、狙いが分からなかった。

ドラマの部分は、なかなかリアルだった。新兵に対する不信感、彼の失敗によって味方に損害が出たことへの怒り、仲間同士の対立・・・あれには人種や階級(将校と兵士)の対立が伏線になっていたのだろうか?そしてラスト近くで、撤退するかの判断、そのへんはなかなか上手く出来ていた。

戦車の中で会話ができるのか、疑問には思った。巨大なエンジンで、しかも防音装置などはないはずだから、大声でどなっても走行中の会話は難しくないか?人生を語り合うなど、実際は無理では?

戦車の砲弾は、あんな風に目に見えるものなんだろうか?自衛隊の演習の報道を見ても、弾道は全く分からない。発射の煙と着弾点の爆発が見えるだけ。この作品で砲弾が光って見えたのは、演出ではないか?

でも迫力が出ていたし、何が起こっているか分かるから、悪い演出ではないと思う。

戦争オタクではないから、戦車の性能に詳しくない。実戦がどのようなものだったかも分からない。小さい頃に戦友会で聞いた話から想像するに、映画のようによく敵が見えることは滅多にないのではないかと思う。お互いになんとか隠れようとするのでは?

煙や埃も凄いと思う。何が攻めてきて、誰が逃げているのか、隣が敵か味方かもはっきりしない状況も多いのではないか?

敵のタイガー戦車が平原の中に出て来てたが、装甲に優れた方はおそらく重いので、平原にノコノコ出て行くのはまずいと知っていたはず。たぶん実際は林の中、米軍側が動きを制限される場所に隠れ、火力と装甲版の勝負に持ち込むのが常道では?だから、この作品の戦闘は上手く行きすぎ。

地雷の性能、シャーマン戦車の頑丈さにも疑問。地雷の威力で、戦車の中の人間も死傷するくらいが普通ではないのだろうか?脱出口があったようだから、そこからの爆風で内部まで破壊されないのだろうか?

この作品の中で若い兵士と現地の娘が恋仲になっていた。でも、兵士がご婦人の家に乗り込んで、平和的に過ごすのは不自然。娘の態度も友好的過ぎる。実際には、かなりの強制的な事例があったと疑う。実際、作品中の同僚の言動はそれを暗示している。

リアルに深刻な現場を描こう、実際の戦争の問題点を表現しようとは考えてなかったように思う。部隊長が居残りを命じない場合は、実際にあるだろうか?普通、皆が逃げるか皆残るか、そのどちらかが命ぜられると思う。

さて、最後の判断。その場に残るべきか、退くべきか。戦車一台で戦えるレベルは知れていると思う。敵が対戦車砲を持っていたら、特に暗闇の中から撃たれたら、数回の攻撃でやられる。しかも、自分達をほっといて味方の部隊に攻撃されたら、自分達の戦いは無駄になってしまう。当時、戦車に対する武器はあったのか?

敵のトラックを破壊する意味はあると思う。敵の物資が減って、味方は戦いやすくなる。でも、普通は敵も逃げるだろうから、必ず戦果を挙げるとは限らない。一発目で成功しなかったら、ほとんど終わりと思ってよい。

敵としては、無駄に犠牲を増やすのは得策ではない。手榴弾と銃を組み合わせて戦えれば、動けない戦車は1時間も持たない。判断が良くなかった。兵士は分散させ、狙撃兵と対戦車砲数台で取り囲んで対応し、残りの兵士は重要な作戦に向かわせるべき。

敵の部隊が迫っていると解った時点で、味方への連絡を第一に考えるべきでは?

 

 

 

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