映画評

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カテゴリー「ふ」の111件の記事

2019年3月 1日

ブリグズビー・ベア(2017)

Brigsbybear

 

- SONY -   


コメディアンのカイル・ムーニー氏らのアイディアに、仲間らが参画して作ったコメディ。マーク・ハミル、グレッグ・キニア、クレア・デインズらが出演している。   

 

設定が素晴らしかった。この作品のアイディアは、主人公を演じていたカイル氏が、実際にオタク趣味の持ち主だったかららしい。その個性をそのまま生かし、世間離れした人物がもたらすエピソードを描けば、きっと面白いだろうと予想できたのだろう。そして実際にちゃんと個性的な物語に仕上がっていた。     

 

主人公の個性も良かったが、クマの縫いぐるみの構造や機能、さらにはビデオを作っていたという話も、ストーリーとの整合性が素晴らしかった。おそらく映画作りを若い頃からやっていた仲間がいたから、自然とこのようなストーリーを思いつけたのだろうが、そのアイディアに資金が集まり、仲間たちが結集して作品に仕上げられたことに感心する。ベンチャー企業のようなものかも知れない。リスクを取って、斬新なアイディアの成功に賭ける、その精神に敬意を表したい。     

 

夢物語ではあると思う。警部が証拠品を盗み出したり、劇に参画したりは、通常ならば無理な話だろう。暇もないだろうし、保身のことを考えて被害者と距離を置く関係者がほとんどだと思う。この作品ではカウンセラーが厳しい態度をとっていたが、カウンセラーなら主人公の心のケアのために計画し、周囲を巻き込んで映画製作に持ち込むことはありうると考える。それなら、警部が劇に友情出演することも難しくはない。   ビデオの世界から抜け出させることを考えるか、話を完結させて卒業を目指すか、そこは専門的な判断になるだろうが・・・     

 

荒唐無稽な話のように思えるが、実際に多数の子供たちが誘拐されているはずで、この作品のような妙な教育を強いられるケースも、実際にあるかもしれない。誘拐犯が自分でビデオを作って見せるのは難しいとしても、ディズニー映画しか見せないなんて話はありうる。もしかすると、宗教的なビデオしか見せない教育をやっている家庭も、実際にあるのではないか?     

 

自由にネットを利用させると、さすがに外界と自分の境遇の不一致に気づいてしまう可能性が高いから、本物の誘拐犯は外界から被害者を完全にシャットアウトしようとするはずだ。テレビも見せないかも知れない。赤ん坊の時に誘拐されたら、誘拐犯が自分の親だと思い込むだろう。   

 

主人公は、もしかしたらカイル氏ではなく、いかにも純真そうな、神々しいほど美しい青年が演じたほうが良かったかも知れない。ビデオの世界にはまった美しい青年を見たら、多くの観客が笑いながらも、哀れさに涙を誘われたと思う。   

 

 

 

2018年12月18日

ファーウェイCFOの逮捕(2018)

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ゴーン元会長の逮捕劇で驚いていたら、ついでにでもないだろうが、ファーウェイの副会長の孟晩舟氏が12月6日、カナダで逮捕された。つい先月の文芸春秋に経済界のニューヒロインとして紹介されていたと思うから、急転直下の逮捕には驚いた。まさに映画みたいだ。この劇場で取り上げないわけにはいかない。 

 

氏に関しては、以前からカナダ政府に対し、米政府が逮捕を要求していたらしい。逮捕理由は、イランへの制裁に関して何かの不正をした疑いだそうだ。ファーウェイは中国政府や中国軍との関係が深いという特徴があるらしく、急激な発展には中国政府の思惑も関係していると噂されてはいたが、明確な根拠となる文章を読んだことはない。噂に過ぎなかったと思う。 

 

でも基本的に中国政府が許すものは、政府や党と利益が一致しているはずだ。それがどの程度なのか、何を計画しているのかは普通の人には分かりようがないが、何もないとするのは無理がある。もしかすると米国発のフェイクニュースに影響されて、不必要な不安を持ったに過ぎないのかも知れないし、中国政府の恐るべき陰謀が既に進んでいて、各国の諜報機関が対抗策を考えており、いっせいに動き出しただけなのかもしれない。   

 

しばらく前、CIAがネット上の情報を監視し、各国要人の携帯電話を傍受していたことが明らかになった。それと比べると、中国のほうはマシなのかも知れない。まだ疑いがはっきりしていないという点で、だが。   

 

劇場主が中国共産党の幹部なら、電子機器を利用しての諜報活動には魅力を感じると思う。でも、秘密をキープするのは難しいだろう。妙なチップを埋め込んだり、特殊な指令で情報を抜き取ったりして、その痕跡を完全に消し去り続けることは難しい。証拠が残りそうだ。   

 

共産党や中国軍内部からの告発だってありうる。中国国内の権力争いがないはずはないから、自分の上の人間を失脚させるために、海外に情報を売ったりすることは充分に考えられる。そんな危険な道を探るより、まっとうな商売、良心的な価格で自然に経済的な覇権を握り、自然と意見が通るようにしたほうが、普通に考えると賢いと思える。あえて謀略みたいなことをしないといけないのだろうか?  

 

いずれにせよ、中国からは激しい反発があるだろう。おそらく欧米の人間をスパイ容疑で拘束してくるに違いない。やりすぎれば人道問題を攻撃される材料になり、足りなければ欧米側の言う通りと認めることになるから、難しい選択が必要になる。それを避けるために欧米ではなく、日本人を対象に拘束するという手も考えられる。日本もファーウェイ製品を公的機関の入札から外すそうだから、当然の措置と中国側は言うだろう。しかも日本は反撃しにくい。格好の標的と思うに違いない。

2018年10月23日

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法(2017)

The_florida_project

 A24  -                         


ディズニーワールド近くで暮らす少女は、シングルマザーと暮らしながら近所の子供達とイタズラに励む日常だった。しかし、徐々に周囲の人々との軋轢が増してくる・・・・DVDで鑑賞。監督のショーン・ベイカーという人が考えた企画らしい。子供たちの自然な表情、母親役の女優のリアルさが印象に残った。 


劇場主が子供の頃は、意味のない事に勘違いして反応して大きく感情が動いたり、無駄な動作をやってしまったり、何もすることがなくてグータラ寝そべっていたりすることも多かった。大人になると、無駄な時間を徹底的に排除するクセがついてしまっている。友人と話すのも、宴会の時だけだ。階段下のスペースでだべったりは、まさか恥ずかしくてできない。    


でも、建物の隅っこでボンヤリ過ごした時間は、実に幸せな気持ちが得られたと記憶している。意味のない時間が幸せなのだ。あんな時間を過ごす姿を、この作品はよく描けている。それで作品にリアリティが増すし、観客の子供時代の記憶と相まって、共感につながる効果もあった。      


俳優たちの中で唯一といって良い有名俳優はウイレム・デフォーだった。彼が出演したことで、作品の認知度は上がったと思うが、必須の存在感を感じたとは言えない。良い役すぎなかっただろうか? 管理人にも何かの問題があって、この仕事をやらないといけないという設定のほうが、役柄に重みが増すと思う。その部分はカットされていたようだ。   


今日、米国は大変な好況らしい。こんな母子は、おそらく少しは減りつつあると思う。でも、豊かな社会にあっても、どこかにワリを食う人間はいるものだ。税制や社会保障制度の方針により、富の偏在が助長された点も考えないといけない。大企業の発展のために犠牲になった存在も、必ずいる。米国は特に格差が激しいから、底辺の人間はがそこから抜け出すのは簡単じゃないだろう。   


日本でだって、たびたび児童相談所の介入不足が問題視されている。アパートでファストフードばかり食っている子供も、きっと相当いるだろう。この作品の中で見られた食事内容は酷いものだった。あれでは肥満体の動脈硬化が出来上がるだろう。   


最近の米国の好況は、おそらく石油資源が確保された事、ベンチャービジネスが発展できる社会基盤があること、元々の国土、人口、市場の大きさなどが良い方向に働いたからだろう。日本の場合は、岩盤規制に代表される発展を阻害する仕組みが足枷となって、対処のスピードで負けてしまっている。    


劇場主は、若い頃に上司や先輩たちから方向違いの指導を受けたという感覚がある。研修を受けている当時は、自分が間違っているかもしれないので、思い切ったことはできない。理不尽さを感じつつも、あえて強硬に反論することは避けていた。だが、あの時感じた違和感は、正しいものだったと後で分かった。劇場主が問題と思ったことは、10年後、20年後には改善が図られるような問題であった。社会の認識が遅かっただけだ。    


おかしいと思ったら、あるいは新規のアイディアがあったら、それを採り上げて検証し、改善を目指す仕組みが必要で、忖度や組織の論理ばかりに捕らわれていては、発展は望めない。年長者、先輩を敬う伝統が、問題点を問題視しない意思決定につながり、忖度や贔屓など、状況の改善を阻む岩盤にもなっている。社会保障についても、曇りのない視点で考えるべきだ。

 

 

2018年8月31日

フェリーニのアマルコルド(1973)

Amarcord

Warner Bros.-         


海岸そばの田舎町で暮らす少年チッタは、ファシストが台頭する時代だというのに、仲間たちとバカばっかりやっていた・・・ DVDで鑑賞。この作品が棚に並んでいたのは、デジタル処理されたのが比較的最近らしいので、その関係で準新作の扱いになっていたためだろう。    


アマルコルドという言葉は方言で、「私は覚えている」という意味らしい。フェリーニ以外の監督だったら、あえて方言をタイトルにしたかどうか分からない。分かりやすいタイトルにしたほうが良いと考えるのが普通だろうが、有名監督だから奇をてらっても、文句を言われにくかったのかも知れない。 


この作品が名作と言えるのか、個人的には疑問に思った。青春時代を懐かしむ気持ちは非常に強く感じ、共感はできた。誰でも感じるものだろう。そして挿入されたエピソードのそれぞれも、なかなか面白いものばかりだった。それでも、様々なエピソードの間のつながりがない場合は多く、シーンの間にはたびたびブラックアウトがあった。   


バラバラのままの内容になるのは、実際の体験も様々な時期に起こったはずだから当然だろうが、映画としての出来栄えにはマイナスに作用すると思う。バラバラで、寸断された喜劇シーンの集まり、そんなスタイルではドリフの大爆笑と大きく変わらないレベルになる。郷愁をあつかった「ニュー・シネマ・パラダイス」とは物語性の面でまったく違ってしまう。だから、この作品は郷愁を誘うこと、若き日々への甘酸っぱい感覚などが感じられるだけの、監督の私小説ではないかと思う。本格的な物語とは、また違う楽しみ方が必要と言えるだろう。ストーリー性が乏しいので、名作という範疇には入らないのではないか? 名作の間に、ちょっと趣向を変えた独特の作品があっても良い・・・そんな感覚で作られた作品に過ぎないと思う。    


ファシストが拷問のためにヒマシ油を使うという話は本当だろうか? 相手の自尊心を損なわせるためには良いアイディアだが、笑える話でもある。本当にあった話なら、敵愾心が薄く、ユーモアを理解するファシスト党員がいたということになる。特高時代の日本では、こんなユーモアを感じる話を聞いたことがない。真面目過ぎて過激になり、必要以上に厳しく国民を縛りつけていたのだろうが、イタリアの場合は国民性も制度も違うので、緩やかな部分もあったのかもしれない。

2018年6月 6日

不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか(2017)

Koudannsya

 

- 鴻上尚史、講談社現代新書 -  

 

実在の元特攻兵、佐々木友次氏の伝記。著者は鴻上氏。演出を主な仕事とする鴻上氏が、特攻兵に興味を持ったのは、なぜだろうか? 本によれば偶然の成り行きもあったようだが、やはり劇作にならないかと考えたのではなかろうか?    

 

生き残った特攻兵は多いが、9回も出撃したというのは、おそらく他にはいないだろう。生き残るだけの操縦の腕と、無駄死にをよしとしないプライド、洗脳から距離を置くことのできる精神の力など、本人の特性があったと思う。それに加え、どうしても佐々木氏に死んでもらいたいと考える連中以外に、彼を生き残らせる、あるいは戦力として有効に利用したいと考えた人間もいた点で、彼は救われてもいるのだろう。   

 

作品の中では整備兵達が、上官の命令を無視する形で、爆弾を外せるように調整していたと書かれている。これは軍法から考えると、とんでもない命令違反に相当するから、本当は書籍に書くのは問題かもしれない。当時の整備兵たちのメンツは判ってしまうので、関係者がすべて亡くなったことを確認するか、あるいは本人たちの同意をすべて得てからでないと書くことに問題はある。良いことをしたとしても、命令違反ではある。    

 

特攻の命令をした人達が、その後は自衛隊で活動していたという記載に驚く。いかに優秀な人物であっても、特攻作戦は成功したとは言えない作戦であるから、責任はとらないといけない。軍事関係からは足を洗うべきだ。 効果に疑問があり、犠牲はすさまじく、作戦の性格的にも問題が多いことは明らかだから、そんな作戦に参画した上官には厳しい対応が必要だと思う。それが組織を維持するために必要な判断だ。自衛隊の人事に疑問を感じざるを得ない。    

 

何か不公正な理由で自衛隊に復帰し、引き立てられたということは大いに疑われる。自衛隊がそんな組織なら、戦えばまたきっと無残な結果に終わるだろうと、予想がついてしまう。間違った思考をする人物と分かっていて、その人物に判断をゆだねる・・・・それは破滅的。不公正さを排除する必要性に、気づかないようではいけない。    

 

最近の国会は荒れている。財務省の忖度、セクハラ疑惑に加え、PKO活動中の記録の管理が問題になっている。日報は公文書だから、国が続く限り永遠に保存するものと思っていたら、簡単に処理する規則があったのだそうだ。後で事実確認する必要が出た時に、分からないようにしたいという思惑が働いたとしか思えない。検証するのを難しくしようという、ずるい考え方ではないか?  


狡くても、狡賢い考え方ではない。 弱みを作ってしまうからだ。 そして戦略を間違える原因になるかもしれない。正確な記録は、勝つためにある。   

 

劇場主が敵なら、おそらく100年前の行為でも問題にして攻撃する。攻撃のネタになるものは何でも利用するのが戦いである。こちらに記録がなければ、敵の言う通りが歴史となる。記録で既に負けることになる。反論するために、記録は必要である。正確で詳細な記録は、武器の一種であると考える。自分の保身のために敵にネタを与えることを厭わない姿勢では、職務に残る資格がないと考える。  


もちろん現場の隊員は自分の不利益を覚悟しないといけないので、耐えがたいことだろう。その立場には同情するが、耐えて欲しい。そうしないと、しわ寄せが最終的には特攻作戦のような無茶につながるからだ。  

 

 

 

2018年5月16日

ファニー(1962)

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Warner Bros.

 

娘ファニーは若者に恋するが、相手は夢を追って町を去る。残された娘と、彼女を取り巻く町の人達の物語。DVDで鑑賞。最近DVD化されたのだろうか? 

 

有名な舞台劇の映画化らしい。同じ作家が作った三部作を、ひとつの映画にまとめたそうなので、その関係か、かなり話が長い。劇場主の感覚では、後半の三分の一くらいは余計なようにも感じた。 

 

若者の父親や、再婚相手を探す老人の個性が独特だ。物わかりが良く、思いやりも兼ね備えた人物として好意的な描かれ方をしている。普通なら無理解の堅物が出てきそうだが、それがない点で、この作品は独特。時代のせいかもしれないし、お国柄のせいかもしれない。 

 

この作品の場合、ラストをどうするかが問題だが、一般的な傾向としては簡潔にして余韻を残したほうが後味はよいだろう。長すぎると注意を維持するのが大変になる。だから、ヒロインが不幸のまま終わったとしても、それはそれとして別れてそのままでも良かったのではないか? 

 

ストーリーの大筋は古典的なものと感じる。自分の夢を追う若者と、その恋人がすれ違って行く話は多い。現実にも、そんなストーリーは起こっている。リアルで切実な、誰にでもありそうな悲恋物語だが、この作品はそれが自然に展開していて、物語としてまとまっていた。メロドラマに偏りすぎたり、喜劇になりすぎたりしていないのは、センスが良いからだろう。 

 

娘役のレスリー・キャロンは、この作品の当時は30歳くらいだったようだ。彼女のアップの時だけ画面にフィルターがかかって、彼女の肌の様子か何かを隠そうとしているように見える。フィルターがかかったりかからなかったりを繰り返すのは、良い手法とは思えない。多少の肌荒れがあったとしても気にせず、自然のまま写して良かったと思う。

 

「パリのアメリカ人」の時の彼女は、ダンスの上手な田舎娘のような印象を受けたが、この作品の彼女は女性の感情を分かりやすく表現していて、十分に役者としての役割を果たしていたようだ。オーバー過ぎない程度で、娘ごころが表現できていた。 

 

娘ごころ・・・を表現できていたと、劇場主が思うだけかもしれない。なにしろ、娘心は隠されることが多いので、劇場主にはさっぱり分からないから、理解の程度は知れている。本物の娘が観たら、彼女の演技は的外れに過ぎない可能性はある。

 

シャルル・ボワイエやモーリス・シュバリエなど、いにしえの名優が出演しているから、この作品は相当に力が入っている。何度かマルセイユの上空をヘリか飛行機で撮影した画面が出ていて、金をかけてロケしたようだ。ヒットした劇の映画化だから、予算も多かったのだろう。

 

でも個人的には映画用に作り直し、短くして、人々の無理解による悲劇といった内容にして終わらせたほうが心に残ったのではないかと感じた。

 

 

 

2018年5月10日

ブルーム・オブ・イエスタデイ(2017)

Bloom_of_yesterday

- Dor Film-West,etc -

 

ホロコーストを研究する施設に、フランス人の実習生がやってくる。嫌われ者の主人公は、彼女の指導係を命じられるが、彼女の来訪には隠された意図があった・・・DVDで鑑賞。

 

主人公はしょぼくれた乱暴者の雰囲気が出ていて好感を持った。いっぽうのヒロイン嬢は、エキセントリックな感じはあまりせず、ミスキャストかも知れないと感じた。この役は、目つきが怪しい異常者の雰囲気が出たほうが良かったと思う。彼女はノーマルな印象だ。目つきの異常さが必要だった。 

 

この作品は、語り口が斬新だ。ナチスの一員だった家族を持つ者と、虐殺された者の家族を対峙させた作品だが、今までの映画なら、互いに友情や愛情を感じながらも反発したり、ぬぐいようのない恨みや後悔によって不幸な結末に至る、あるいは逆に、最後は寛容の精神が生まれるといった話が多かったと思う。どの作品もギャグめいたシーンは少ない。異常な人間も、あまり登場してこない。真面目路線が基本だった。 

 

この作品は、かなり強烈な個性の人物が中心になっており、自殺未遂を突然起こしたり、犬を放り投げたり、コメディタッチであったことが、まず非常に変わっていた。個人的には、こんな描き方も必要じゃないかな?とは感じていたものの、それを許さない勢力がどこの国にも多いので、なかなか作品を作り上げることが難しいのかな?と、感じていた。だから、よく作れたものだと感心する。

 

しかし、やはり普通ならメロドラマの方向で作られるべきストーリーではなかったかとも思う。そのほうが美しい作品になり、強く印象に残るだろうと予想できる。ちょっとしたユーモアのつもりが、えらく激しい反発ばかり生む、そんな事態も大いに予測されること。ユーモアは危険だと、劇場主は過去に寂しい思いを感じてきた。 

 

日本でユーモアが許されるのは、場所としては狭い居酒屋くらい、しかも相手が仲の良い同僚か気ごころ知れた友人だけに限定される。居酒屋で上司にユーモアをはたらかせたら、一発で激高されることも珍しくない。寛容なヤツは、滅多にいないものだ。友人でも、普通の関係では許されない場合が多い。   

 

ライバル組織をけなす場合は、基本として許される。性善説に立つ博愛精神が根底にあるユーモアは、日本では避けないといけない。場違いと感じる人が多い。きっとドイツでも、この作品の場合は反感を感じた人が多かったはずだ。どのように描いても、描くことをまず許さない連中がかなりいる。ネットにも、そんな連中はうごめいている。

 

財務省の事務次官だった福田氏は、発言を録音されて辞任した。たぶん悪意はなく、マスコミの人間に対してユーモアをはたらかせたつもりだったようだ。でもセクハラだったことは、会話が合成でなく事実なら間違いない。氏は立場をわきまえていなかった。

 

 

 

2018年4月13日

ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ(2016)

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- TWC -

 

マクドナルドがフランチャイズ展開するに至る経緯を、マイケル・キートン主演で描いた作品。DVDで鑑賞。    

 

見ごたえのある作品だった。マイケル・キートンの演技はオーバー過ぎてしまうのが常だが、今回は少し抑制が効いていて、野心を秘めて交渉にあたる人物が上手く表現できていたと思う。迫力たっぷりに怒鳴り散らす強面の演技だったなら、作品が安っぽくなってしまう。冴えない風貌でありながら、粘り強く成功を目指すタフな人物にはコメディアンだったほうが良い。前半で商売が上手くいかない哀れな様子が丹念に描かれていたから、彼が後半になってアクドイことをやっても、なんとなく観客は許してしまうのではなかろうか?描き方が良かった。 

 

しかし、肯定的に描いてよいのかという疑問は多少残る。冷酷なアイディア泥棒、権利の簒奪者、嘘つきの極悪人をヒーローとしてしまうのは米国では一般的でも、世界的にはどうか?あまりに起業優先のアンモラルな考え方ではないか?・・・・そう感じてしまうようでは、生き残れないのかもしれないけどねえ・・・と、思う。   

 

マクドナルドには最近は全く行っていない。子供達も大きくなり、ハンバーガー屋よりもまともな外食を好むようになったからだ。そしてチキンナゲットの悪評も影響している。ナゲットの品質については、マクドナルドのせいというより委託した中国企業のモラルのせいだと思うのだが、食品製造を中国に委託するというのは危険が大きい。世界展開をしている企業は、イメージを大切にするため、管理が及ばない企業には絶対に委託してはならなかった。モラルは元々が欠けていたのだろうが、イメージは大切だ。    

 

規模が大きくなれば、オリジナルの企業家であるマクドナルド兄弟を駆逐できるということに驚く。訴訟国家のアメリカだから、兄弟とクロック氏の間に交わされた契約は相当なものだったはず。制約さえしっかりしていたら、企業乗っ取りのような事態はなかったはず。フランチャイズ契約と、土地をからめた資金確保の手法、それらを最初の時点で読み切れなかった点が、ファウンダーとなるかどうかを分けたのかもしれない。   

 

資本主義は、こんな事業家が評価される傾向を生んでしまうようだ。富に対する偏重がある。まず金をつかむことが重要と考えられ、手段については目をつぶっても良いか?仕方ないか?という感覚になるものらしい。後は法的にどうかの判断になり、法規制をすり抜ければ構いやしないさ・・・・それが社会の基調になる。そんな仕組みが出来上がると、自然と外部にまでその影響が拡がる。その傾向が、まさにグローバリズムってやつかも知れない。 

 

それにしても恐ろしい企業家魂。こんな連中がうごめくなら、アイディアを盗み、権利を奪い、政治家やマスコミを誘導し、嘘を信じ込ませてでも富を得ることが許され、尊敬さえされるだろう。実際、大企業の多くはそんな歴史を経ていると思う。大統領や閣僚たちにも、そんな臭いを感じる。

 

劇場主は、そこまでの覇気がなかった。オリジナルの兄弟のように、自分のやる気で小さな診療所を管理し、ときに患者から感謝をもらえる、そこに最大の意義を感じている。チェーン化とか多角経営化などは、本来の運営目的からは逸脱しているように思う。そこが限界なんだろう。 

 

マクドナルド自体も、少なくとも熊本市では売り上げは頭打ちのようだ。だが工夫をして企業を維持していく姿勢は感じられ、その努力には頭が下がる。それでも今は回転ずしのほうがイメージ的に上に行っている。「健康」「安全」「清潔」「高品質」「低価格」「早い」「間違えない」など、多くの要素を満足させている。ハンバーガー業界は衰退期にあると思う。帝国の逆襲はあるだろうか?

 

 

 

 

2018年4月 7日

ブレードランナー2049(2017)

Blade_runner_2049

- SonyColumbia -

 

新型レプリカントである主人公。生殖に成功したらしい謎のレプリカントを探る任務が彼に下されるが、思いがけない事態が待っていた・・・DVDで鑑賞。

 

CG技術が素晴らしい新作だった。ヒロインのAI画像の表現が特に素晴らしい。演じていたアナ・デ・アルマス嬢の色っぽさと相まって、魅力的な愛人といった雰囲気に仕上がっていた。

 

前作も斬新な街並みの光景が印象深いが、この作品も広告表現がより立体的になり、表現が進化した様子が見事に描かれていた。技術の進歩が、そのまま画像の進歩につながり、絵もきれいだった。  

前作よりも戦いのシーンが少ない気はした。多くの時間は主人公が静かに捜査するだけで、緊迫感はあるものの、アクション映画のような興奮には至らないと感じる。 

 

おそらく、10分に一回くらい、敵と戦うシーンがあったほうが良かったのではないか? 前作ではいろんな敵が登場し、敵のそれぞれが個性的だったので飽きなかった。この新作では、そこの魅力が欠けている。

 

難題を次々クリアしていくように、難敵をなんとか倒すことは快感につながる。そこが魅力になっていたことを、製作者自身が理解していなかったのかもしれない。最大の魅力を破棄していたと言えるのではないか?

 

もちろん、ラストのほうでは激しい戦いがあり、相当にリアルな殺し合いとして描かれていたが、大事なのは定期的に戦いが繰り返されることではなかったかと劇場主は思う。観客の飽きを避けるためには、定時的に何かあって欲しい。その対策が不足していた。

 

主役を演じたライアン・ゴズリングは、現時点での最高の人気スターになっているが、あまりタフな印象を受けない。流行りの肉体派スターのほうが役柄に合っていたかも知れない。ハリソン・フォードが演じた前作の主人公は、敵のほうが腕力があるから当然なんだが、ひどいやられようだった。女レプリカントから首を絞められてヒーヒーいっていた。やっとこさ武器で敵を倒すには倒したが、ヘロヘロ状態になっていたのが結果的には良かった。今回は主人公もレプリカントなんで、クールに戦うという設定だったのかも知れないが、それで観客が感情移入できるはずがない。

 

したがって製作者は考えを変え、主人公は人間で、彼の恋人が問題の新型レプリカントなのか?と疑うような展開のほうが良かった。主人公は表情豊かに戦い、悩み、苦しむほうが良い。苦しい戦いをしのいで始めて観客からの拍手が得られるものである。その点が検討不足だったように劇場主は感じた。

 

 

 

2018年2月18日

舟を編む(2013)

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- Shochiku -

 

辞書の編集を担当する青年の物語。人とのコミュニケーションに難がある青年は、編集作業を延々こなすことになるが、作業は膨大。企画自体が危うくなってくる・・・・DVDで鑑賞。

最近、広辞苑が再版になっている。より巨大化し、片手で持つのは難しいほどの書物。ネット時代に、あえて巨大化で勝負する、その心意気に感心する。体力のある会社でないとできないことだ。

 

作品の宣伝は何度も観ていたが、あまりにもマイナーな企画なので、さして興味も持てないまま、鑑賞はお流れになっていた。今回は近所のビデオ屋さんの棚でたまたま見かけたので鑑賞。ビデオとしては高級な出来栄え、でも劇場での鑑賞にはどうだろうか?といった印象を受けた。素晴らしい題材だが、テンポを調整して心地よい雰囲気をつくるまでには至っていない印象。

 

作品として実によくまとまっていた。コミュニケーション障害のある主人公は、存在するだけでも興味を惹く。その彼が壮大な仕事をこなしていくと、達成できるか期待する気持ちが生まれる。その気持ちは作品全体への期待につながる。実によく出来た話だった。

 

宮崎あおいが出演しているから観たのかもしれない。彼女が出演した作品に大きな失敗作はない。きっと作品の質を上げる稀有な才能を持っているのだろう。もっと美人のスターはたくさんいるが、まなざしの使い方、幼児のような顔と体型などが相まって、旧来の名女優たちとは個性の違いがあり、そこに観客が何かを期待するという仕組みが出来上がっているように思う。

 

そう既に名女優だろう。大竹しのぶや、古くは高峰秀子や沢村貞子など、名女優はたくさんいる。名女優になるためには個性と演技力、自分の個性を生かす能力、集中力や企画力も必要なのかも知れないが、宮崎あおいの場合は相手役の支えになりそうな強さ、自分の世界を確実に持っていそうな雰囲気が実にうまく表現できている。子供のような顔が、たぶん役立っているのだろう。名子役のような存在なのだろうか?子役がそのまま順調に大人になったら、たぶん彼女のようになるのか?

 

主演の松田龍平も役柄に個性が一致していた。彼はバラエティ番組にもたまに出演しているが、この作品の役柄とあまり変わらない個性のように見受けられる。ボソッとした話し方や、表情のとぼしい所は、この役には最適な個性だった。他の俳優がうまい演技で演じても、ここまでの味はなかなか出ないだろうと思う。

 

発達障害やコミュニケーション能力の障害がある人間は、社会に出て活躍を続けるのは難しい。出世の道から外れやすいし、伴侶を得るのにも苦労する。お見合いのような機会がないと、話し下手な人間はなかなか結婚できないままになる。

 

昨今は事業として結婚の斡旋をする会社が多いようだ。劇場主もデートは面倒と感じるほうだったので、話するよりも先に段取りをつけてくれたらと思うところがあった。デートで自分を高く売るためには、ある程度の虚勢、嘘に近い見栄が必要だと思うが、演技めいたことをするのが嫌だった。そこが障害だったのだろう。

 

罪にならない程度の嘘なら、こだわる必要はない。ただ、自分のセンスで罪にならないと思っても、許しがたい傷をつけて気づかないままでいるだけでは?という不安は残る。嘘と言えないほどの誇張が、意外な形で人を傷つける可能性はあり、後でしまったと思うことも多い。おしとやかなふりをして結婚した娘さんは、後で地を出した時に夫にすまないと思うことはないのだろうか?家内を見る限り、そんな感情は一切ないようだが・・・

 

男女に限らず、友人や先輩、上司や広く社会全体との関係においても、できれば真摯な態度をとりたい。そう考えている人も多いと思う。ただ真摯な生き方は融通のなさと隣り合わせであり、コミュニケーションでも支障になる。さらに真摯という感覚も、時代によってかなり変化していくものだ。平成29年に明らかとなった東芝などの企業倫理は、やや古いタイプのものだったと思う。かっては許され、推奨さえされたものだったろうに、今は倫理にもとると断罪される。そこに我々が勘違いしまくってきただけなのでは?

 

 

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