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カテゴリー「ふ」の116件の記事

2019年11月10日

PROSPECT プロスペクト(2018)

Prospect

- Bakhorma LLC -

宝石を産出する惑星に降り立った父娘。しかし、欲に目がくらんだ父親は、盗賊たちに襲われてしまう・・・DVDで鑑賞。 

豪華な作品ではなかった。おそらく低予算の、マイナー系の映画だろう。出演していた俳優達は、すべて記憶にない人たちばかり。CGも少し使われていたかも知れないが、基本は普通の森林の中で、前面にモヤのかかったフィルターを通した映像に過ぎず、素人映画に近い雰囲気。でも、それなりの完成度を感じた。 

おそらく、ストーリーが自然で、予算以上の派手さを狙って無理をしていないことが良かったと思う。さらに、ヒロインと一緒に行動する男が狡くてタフな悪役だったことが、ストーリーを面白くしていたように思う。悪役の魅力が、作品の魅力になっていた。彼の個性をどう決めるかがポイントだったのだろう。  

もう少し悪役の程度を強めにしたらどうだったろうか? たとえば、何度もヒロインの期待を裏切り、自分だけ助かろうとしてしまうが、仕方ない事情でヒロインと彼は互いを許さざるを得ない。憎くて仕方ないが、相手を助けないと自分も助からない、そんな判断を繰り返す出来事が何度もあれば、印象はもっと強くなったと思う。

ヒロインと彼の立場の逆転が繰り返されると面白い。どちらが誰を味方につけるかで、有利になったり不利になったり、二転三転する展開は、物語の常道のひとつだと思う。この作品では、極端に立場が変わっていなかった点を、少し残念に思う。 

宝石の入手の仕方にも、工夫できた部分はあったかもしれない。たとえば生きている動物を捕まえ、悲しい叫びをあげさせながら体内から宝石を取り出すとしていたら、印象はもっと強くならなかっただろうか? よりグロテスクになるだろうが、象牙の入手方法はそんなものだから現実に大きな問題を連想させる。乱獲や動物虐待、種の維持に反する行為を、欲にまみれた人間がやらかすことへの怒りを、ヒロインに体現させたら、意味も変わっていたかもしれない。

さらに、もし作品にもっと予算をつぎ込めていたら、質はずっと上げられていたかも知れない。宇宙船の設備を意識的にオンボロに設定していたが、あれは逆効果だったように思う。高度な技術を平然と使わせるべきだった。ヒロインか悪役に有名な俳優を連れてきて、グロテスクな面を強調し、CGの技術で観客を幻惑すれば・・・たぶん、それなりに評価は高まったのでは? そんな作品も、過去にあったと思う。

 

2019年10月21日

ファクトフルネス(2019)

Factfulness

-日経BP社-

スウェーデンの公衆衛生学の教授が、統計事実と一般的な感覚とのズレを論じた著作。教授は、この本の出版の直前に死去してしまわれたそうだが、共同で作業していた息子夫婦が意志を継いで出版したのだそうだ。

最初から出て来るクイズのほとんどを、劇場主は間違ってしまった。チンパンジーより少し上くらいの成績。でも、恥じ入る必要はない。もっと酷い成績の人も多いはずだ。

劇場主は医者なので、商売柄、感覚と統計結果とのすり合わせをやり続けないといけない。自己流で治療していたら、後で患者さんの不利益を生じてしまう。新しい統計が出るたびに、自分の治療内容に訂正が必要ないか確認して行かないといけない。その統計の数が多いことと、それが延々と続く点が問題で、全てに目を通し、情報を整理することは無理な話。だから、外国の衛生環境については知識不足。

しかも、医学論文と言っても間違いやインチキの報告も多いので、嘘を見抜く能力も要求される。ファクトをつかみ、実際に応用していくのは簡単じゃない。ネット情報も、テレビのニュースや医学雑誌、広告も、嘘や誇張に満ちている。  

どうして勘違いしてしまうのかだが、劇場主の場合を例にとると、社会科で勉強するような内容を、今は全く学ばないというのが理由の第一だ。昭和の頃の知識しかないから、経済発展した地域の変化の具合を分かっていない。ワクチンの普及や食糧援助に関して、今でも酷いままでなにも改善されていないような認識のままだった。

その認識のままでも、日常生活で困ることはない。社会科のテストを受けるわけでもないし、アフリカでワクチン接種がどうだろうと、気にする余裕もない。自分のクリニックで購入するはずのワクチンを入手できないといった日常の不都合、ゴタゴタのほうが、よっぽど気になる事である。

肝炎やは麻疹ワクチンなどは、必要なくなるはずのない製品なので、流行や緊急事態に備えて、必ず一定量の余分な生産をしておかないといけないのが常識。ところが、なぜか毎年のように不足する。何が問題なのかは分からない。日本では製造会社の自由な経営方針が最優先なのだろうか? 足りなくても気にしないで良いと考えている? 製薬会社に天下りが入って、国の追及がされないようになっているのか、あるいは国の側に、そもそも事態に対応する意志がないのか、単に予算不足で予備の生産を促せないのか、何かがおかしいのだろうが何故かは分からないまま。 

とにかく、そんなゴタゴタへの対応だけで精一杯で、世界の現状がどのように変化しているのかについては、情報整理がおろそかになって久しい状況。ただ、さすがに自分の頭が古いことに気づくようになって、便利な地図帳を購入している。 貿易統計などを地図帳に付随して記載してある、あの地図帳だ。劇場主が習った統計とは全く内容が違う。統計は知識をバージョンアップさせる材料になる。

おそらく、地図の内容を基にクイズを作って「ファクトフルネス」の著者に質問したら、著者達は正解を出せないだろうと思う。公衆衛生以外の事に関しては、彼らの知識バージョンが古いとしても不思議ではないからだ。

 

2019年8月26日

冬の華(1978)

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- 降旗康男監督・東映 -

兄貴分を殺して受刑していた主人公が出所した。しかし、おりしも関西の勢力が浸透してきて、周囲はキナ臭い。主人公は再び殺人者になるのか?という話。DVDで鑑賞。 

降旗康男監督は本年5月に亡くなられた。新聞記事を読んでいて、この作品の存在を思い出し、DVDを借りた次第。この作品の公開当時、高倉健は47歳くらいで、主人公の年齢に近い。一番乗っていた頃かもしれない。脚本が倉本聰で、おそらく原案も彼によるものではないだろうか?   

この作品の主人公が、ヒロインである少女に声をかけられないシーンが何度もあるわけだが、さすがにじれった過ぎると感じた。女々しさ、弱々しさを感じさせずに、ただ思いやりや後悔の念だけを感じさせ、殺し屋の迫力を損なっていない状態を描かないといけないので、イジイジしたシーンは、あまり繰り返せなかったと思う。何気なさそうで、実は大きなトラウマから抜け出せてない、そんな描き方のほうが望ましい。少し演出過剰ではないか。

しかし、足を洗うかどうか、忠義に尽くすかで悩む主人公の姿は素晴らしいし、暴力沙汰が繰り返される緊迫感の中で話が進む展開も、ドラマの教科書のようなものだった。主人公を演じる役者は二枚目過ぎてはいけない。弱く見えるからだ。肉体的にも迫力がないといけないから、細すぎてはいけないし、筋肉隆々で動きに問題がありそうでもいけない。律儀で真面目そうだが、怒ると野獣のような行為をやらかしそうな、そんな人物・・・要するに高倉健的な俳優が必要だった。この作品はきっと最初から高倉健をイメージしながら進んだ企画だったろうし、当時の既定路線に沿って作られた作品のはずだ。 

最近読んだ「羊をめぐる冒険」に続き、この作品でも児玉誉志夫らしき存在が関わっていた。実際に児玉氏が、東西のヤクザ集団をまとめようと画策した時期があったそうなので、その時代を舞台にしたヤクザ映画は現実味のある話になり、興行的にも良い効果が期待できたと思う。 

組長役の小林亜星が、自分はカラオケ三昧の妙なヤクザなのに、「このままじゃ日本はどうなる!」と言うセリフがおかしい。「あんたみたいな変な人物が言うなよなあ。」と思わせる効果を狙っていたようだ。 任侠独特の世界観があれば、愛国精神を持ちながら犯罪行為を働くことも、正当化されるのだろう。その理屈は、海外のギャング団とは違う。ロシアのマフィアが国を愛しているだろうか? ドライに利益を追求する組織が多いだろうし、国よりも家族愛や民族愛のウェイトが大きいと思う。

愛国心は宗教と同じく、理屈を超えて組織を強化する材料にはなるが、組織内部の強烈な勢いのまま過剰に自分たちの信条を強制しやすい。もともとが、理屈を超えているからだろう。信じたことを強制するために激しい暴力を生んで、後に遺恨を残す。東アジアで児玉氏らが諜報、商売、麻薬取引などをやれたのは、愛国心=絶対正義という認識を利用できたからだろう。過剰な暴力と搾取は、やがて日本への反発を生む理由になった。今日でも、それでもめている。

国を愛しても殺しは嫌だという考え方は、ちょうど高倉健の理屈にあたる。傷ついた愛国者が多かった時代の戦後の考え方だ。敗戦でも心が傷つかない児玉的感覚の勢力が、高倉健的勢力を駆逐して行く様子を、この作品では描いていた・・・・と言ったら大げさだろうか。

 

 

2019年8月18日

ファースト・マン(2018)

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-Universal-

アポロ計画で、人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長の物語。DVDで鑑賞。

主演ライアン・ゴズリング、監督はデイミアン・チャゼルのコンビ。ゴズリングが適役だったかどうかは分からない。冷静沈着ぶりは上手く演じられていたが、あまりに表情がなさ過ぎたかも知れないし、そもそも実際の船長本人のようなタフネスのイメージが感じられなかった。

本人の映像を見ると、いかにも無骨な歴戦の軍人風で、どんなトラブルにも冷静に対処し、体力的にも頑強そうな感じなので、演じる役者も本来ならアクション俳優のほうが向いていたように思う。ただし、この作品は彼の内面に焦点をあてており、派手な活躍は描かない方針だったようで、最初から細面の俳優を考えていたのかも知れない。

観客としては、もっとアームストロング船長への敬意が感じられるように描いてほしかったようにも思う。そのためにはヒーローとして、かなりの誇張も含めて颯爽と描く必要があるが、そうなると映画としての価値は下がるだろう。ただのアクション映画になってしまう。どのように描くべきだったかは難しい問題だ。

実験機や宇宙船の中で、多くのトラブルがあったことがよく分かった。その点の描き方は素晴らしい。「ライトスタッフ」や「アポロ13」でもいろいろ描かれていたが、想定外のマシントラブルはたくさん発生していたようだ。実験で問題点をはっきりさせながら、徐々にレベルを上げていった歴史が、この作品でもよく分かった。

ボルトで固定されただけの鉄板みたいな機体に、豆電球のような警報表示、完全にアナログのメータ類。あんな装置で宇宙に飛び立ち、ドッキングをこなして帰還するなんて、さすがに無謀だと思う。音がするたびに、ドキドキしないといけない。パイロットの腕に頼る必要もあったろう。月面着地の時は、かなりのスピードで危なかったと、オルドリン飛行士も証言していた。

作品の中で、最初は旧式の装置だったのが、時代が進むにつれてデザイン的にも進んでいくように、おそらく研究者達の力を借りて忠実に再現しようとしていたようだ。トラブルの描き方が実に秀逸だった。超高速の飛行に耐えられる構造を作るまでは、いつ分解するか分からない物に乗って実験する飛行士が必ず必要だから、本当に命を懸ける必要があったろう。普通の神経ではおかしくなってしまいそうだ。

たぶん、勇敢さも必要だが、かなりの異常さもないと、長く続けていくことは難しかったと思う。未開の道を進む者は、恐怖と戦って知見を集めレベルを上げていく必要がある。無茶も平気でないとやれない。主人公と妻の関係も微妙だったようだ。当然だろう。そんな宇宙飛行士たちの異常さに、もっと焦点をあてて描くという考え方もあると思う。もっと彼らの苦悩を強調して描くことになるかもしれない。残念ながら、それだけでは観客動員数は減ってしまうだろうが。

 

2019年7月29日

ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生(2018)

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- Warner Bros. -

投獄されていた魔法使いのグリンデルバルドが逃亡した。ダンブルドア校長から依頼を受けて、主人公ニュートはパリに向かい、彼を探す・・・・DVDで鑑賞。劇場でも意外に人気があったらしいと聞いたのだが、時間の節約のために行かなかった。 

前作はセリフの間合いに違和感を感じる変な映画だった。ハリー・ポッター・シリーズの作者は、このシリーズには脚本家として参加しているそうだが、映画用のテンポを学んで欲しいと感じた。たぶん彼女も反省したのか慣れたのか、今作は前作より改善されていたようだ。わりと無口な主人公だが、最小限の感情表現をしていたし、セリフのつかえぶりも軽めで、映画鑑賞に堪えられるレベルだった。 

今作は夢あふれるファンタスティックな作品だったろうか? 劇場主には、そうは思えなかった。前作よりは良し・・・程度ではないか? 動物たちの映像は素晴らしい。特に中心となった中国の怪物は、動きや大きさの表現の完成度が高かった。もしかして、中国マネーが参加していたのではないかと思って再確認したのだが、公表はされていないようだ。しかし、人口の多い中国受けを狙って登場させていたのかも知れない。

考えてみれば、ビースト使いに着目したのは素晴らしいアイディアだ。世界各国に伝説の生き物はいるはずだから、それらを順番に登場させ、重要な役所を演じさせれば、各々の国の観客は自然と興味を持ってくれるだろう。次の怪物はどんなやつだろうか?インドあたりのものだったら、少しアザトイと感じるかも知れないし、また中国だったら、お前ら金の事しか考えないのかよと、さすがに呆れられるだろう。楽しみである。  

ストーリーに感心した。主人公とアメリカ魔法省のティナとの恋に加え、人間との恋に悩む妹の運命が悲劇的な展開に向かうことは、話に奥行きが出る設定だと思う。おちゃらけ担当だったはずの関係が変わったことで、意外性も感じた。さらに、魔法界の名門一族の末裔の問題、ダンブルドア校長とグリンデルバルドの関係も今後の展開を複雑にしそうで、単調にならないように周到に組まれた工夫を感じた。

いっぽうで、ハリー・ポッター・シリーズが陥った暗い雰囲気を踏襲しそうな悪い予感も感じる。あんな暗さは、さすがに必要なかったと思う。恋が絡むのは良いが、悲恋が多すぎる印象も受ける。作者のローリング女史は、悲恋を経験し過ぎたのだろうか? こだわりすぎではないか? でもビーストたちが活躍できれば、話の暗さを緩和できるだろうし、映像の迫力や美しさの面で良い効果が期待できる。ビーストが決定的な役割を演じれば、動物愛にも似た善き満足感が得られると思う。その点で、このシリーズは大きく人気を集める可能性を持つと思う。

 

 

 

2019年3月 1日

ブリグズビー・ベア(2017)

Brigsbybear

 

- SONY -   


コメディアンのカイル・ムーニー氏らのアイディアに、仲間らが参画して作ったコメディ。マーク・ハミル、グレッグ・キニア、クレア・デインズらが出演している。   

 

設定が素晴らしかった。この作品のアイディアは、主人公を演じていたカイル氏が、実際にオタク趣味の持ち主だったかららしい。その個性をそのまま生かし、世間離れした人物がもたらすエピソードを描けば、きっと面白いだろうと予想できたのだろう。そして実際にちゃんと個性的な物語に仕上がっていた。     

 

主人公の個性も良かったが、クマの縫いぐるみの構造や機能、さらにはビデオを作っていたという話も、ストーリーとの整合性が素晴らしかった。おそらく映画作りを若い頃からやっていた仲間がいたから、自然とこのようなストーリーを思いつけたのだろうが、そのアイディアに資金が集まり、仲間たちが結集して作品に仕上げられたことに感心する。ベンチャー企業のようなものかも知れない。リスクを取って、斬新なアイディアの成功に賭ける、その精神に敬意を表したい。     

 

夢物語ではあると思う。警部が証拠品を盗み出したり、劇に参画したりは、通常ならば無理な話だろう。暇もないだろうし、保身のことを考えて被害者と距離を置く関係者がほとんどだと思う。この作品ではカウンセラーが厳しい態度をとっていたが、カウンセラーなら主人公の心のケアのために計画し、周囲を巻き込んで映画製作に持ち込むことはありうると考える。それなら、警部が劇に友情出演することも難しくはない。   ビデオの世界から抜け出させることを考えるか、話を完結させて卒業を目指すか、そこは専門的な判断になるだろうが・・・     

 

荒唐無稽な話のように思えるが、実際に多数の子供たちが誘拐されているはずで、この作品のような妙な教育を強いられるケースも、実際にあるかもしれない。誘拐犯が自分でビデオを作って見せるのは難しいとしても、ディズニー映画しか見せないなんて話はありうる。もしかすると、宗教的なビデオしか見せない教育をやっている家庭も、実際にあるのではないか?     

 

自由にネットを利用させると、さすがに外界と自分の境遇の不一致に気づいてしまう可能性が高いから、本物の誘拐犯は外界から被害者を完全にシャットアウトしようとするはずだ。テレビも見せないかも知れない。赤ん坊の時に誘拐されたら、誘拐犯が自分の親だと思い込むだろう。   

 

主人公は、もしかしたらカイル氏ではなく、いかにも純真そうな、神々しいほど美しい青年が演じたほうが良かったかも知れない。ビデオの世界にはまった美しい青年を見たら、多くの観客が笑いながらも、哀れさに涙を誘われたと思う。   

 

 

 

2018年12月18日

ファーウェイCFOの逮捕(2018)

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ゴーン元会長の逮捕劇で驚いていたら、ついでにでもないだろうが、ファーウェイの副会長の孟晩舟氏が12月6日、カナダで逮捕された。つい先月の文芸春秋に経済界のニューヒロインとして紹介されていたと思うから、急転直下の逮捕には驚いた。まさに映画みたいだ。この劇場で取り上げないわけにはいかない。 

 

氏に関しては、以前からカナダ政府に対し、米政府が逮捕を要求していたらしい。逮捕理由は、イランへの制裁に関して何かの不正をした疑いだそうだ。ファーウェイは中国政府や中国軍との関係が深いという特徴があるらしく、急激な発展には中国政府の思惑も関係していると噂されてはいたが、明確な根拠となる文章を読んだことはない。噂に過ぎなかったと思う。 

 

でも基本的に中国政府が許すものは、政府や党と利益が一致しているはずだ。それがどの程度なのか、何を計画しているのかは普通の人には分かりようがないが、何もないとするのは無理がある。もしかすると米国発のフェイクニュースに影響されて、不必要な不安を持ったに過ぎないのかも知れないし、中国政府の恐るべき陰謀が既に進んでいて、各国の諜報機関が対抗策を考えており、いっせいに動き出しただけなのかもしれない。   

 

しばらく前、CIAがネット上の情報を監視し、各国要人の携帯電話を傍受していたことが明らかになった。それと比べると、中国のほうはマシなのかも知れない。まだ疑いがはっきりしていないという点で、だが。   

 

劇場主が中国共産党の幹部なら、電子機器を利用しての諜報活動には魅力を感じると思う。でも、秘密をキープするのは難しいだろう。妙なチップを埋め込んだり、特殊な指令で情報を抜き取ったりして、その痕跡を完全に消し去り続けることは難しい。証拠が残りそうだ。   

 

共産党や中国軍内部からの告発だってありうる。中国国内の権力争いがないはずはないから、自分の上の人間を失脚させるために、海外に情報を売ったりすることは充分に考えられる。そんな危険な道を探るより、まっとうな商売、良心的な価格で自然に経済的な覇権を握り、自然と意見が通るようにしたほうが、普通に考えると賢いと思える。あえて謀略みたいなことをしないといけないのだろうか?  

 

いずれにせよ、中国からは激しい反発があるだろう。おそらく欧米の人間をスパイ容疑で拘束してくるに違いない。やりすぎれば人道問題を攻撃される材料になり、足りなければ欧米側の言う通りと認めることになるから、難しい選択が必要になる。それを避けるために欧米ではなく、日本人を対象に拘束するという手も考えられる。日本もファーウェイ製品を公的機関の入札から外すそうだから、当然の措置と中国側は言うだろう。しかも日本は反撃しにくい。格好の標的と思うに違いない。

2018年10月23日

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法(2017)

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ディズニーワールド近くで暮らす少女は、シングルマザーと暮らしながら近所の子供達とイタズラに励む日常だった。しかし、徐々に周囲の人々との軋轢が増してくる・・・・DVDで鑑賞。監督のショーン・ベイカーという人が考えた企画らしい。子供たちの自然な表情、母親役の女優のリアルさが印象に残った。 


劇場主が子供の頃は、意味のない事に勘違いして反応して大きく感情が動いたり、無駄な動作をやってしまったり、何もすることがなくてグータラ寝そべっていたりすることも多かった。大人になると、無駄な時間を徹底的に排除するクセがついてしまっている。友人と話すのも、宴会の時だけだ。階段下のスペースでだべったりは、まさか恥ずかしくてできない。    


でも、建物の隅っこでボンヤリ過ごした時間は、実に幸せな気持ちが得られたと記憶している。意味のない時間が幸せなのだ。あんな時間を過ごす姿を、この作品はよく描けている。それで作品にリアリティが増すし、観客の子供時代の記憶と相まって、共感につながる効果もあった。      


俳優たちの中で唯一といって良い有名俳優はウイレム・デフォーだった。彼が出演したことで、作品の認知度は上がったと思うが、必須の存在感を感じたとは言えない。良い役すぎなかっただろうか? 管理人にも何かの問題があって、この仕事をやらないといけないという設定のほうが、役柄に重みが増すと思う。その部分はカットされていたようだ。   


今日、米国は大変な好況らしい。こんな母子は、おそらく少しは減りつつあると思う。でも、豊かな社会にあっても、どこかにワリを食う人間はいるものだ。税制や社会保障制度の方針により、富の偏在が助長された点も考えないといけない。大企業の発展のために犠牲になった存在も、必ずいる。米国は特に格差が激しいから、底辺の人間はがそこから抜け出すのは簡単じゃないだろう。   


日本でだって、たびたび児童相談所の介入不足が問題視されている。アパートでファストフードばかり食っている子供も、きっと相当いるだろう。この作品の中で見られた食事内容は酷いものだった。あれでは肥満体の動脈硬化が出来上がるだろう。   


最近の米国の好況は、おそらく石油資源が確保された事、ベンチャービジネスが発展できる社会基盤があること、元々の国土、人口、市場の大きさなどが良い方向に働いたからだろう。日本の場合は、岩盤規制に代表される発展を阻害する仕組みが足枷となって、対処のスピードで負けてしまっている。    


劇場主は、若い頃に上司や先輩たちから方向違いの指導を受けたという感覚がある。研修を受けている当時は、自分が間違っているかもしれないので、思い切ったことはできない。理不尽さを感じつつも、あえて強硬に反論することは避けていた。だが、あの時感じた違和感は、正しいものだったと後で分かった。劇場主が問題と思ったことは、10年後、20年後には改善が図られるような問題であった。社会の認識が遅かっただけだ。    


おかしいと思ったら、あるいは新規のアイディアがあったら、それを採り上げて検証し、改善を目指す仕組みが必要で、忖度や組織の論理ばかりに捕らわれていては、発展は望めない。年長者、先輩を敬う伝統が、問題点を問題視しない意思決定につながり、忖度や贔屓など、状況の改善を阻む岩盤にもなっている。社会保障についても、曇りのない視点で考えるべきだ。

 

 

2018年8月31日

フェリーニのアマルコルド(1973)

Amarcord

Warner Bros.-         


海岸そばの田舎町で暮らす少年チッタは、ファシストが台頭する時代だというのに、仲間たちとバカばっかりやっていた・・・ DVDで鑑賞。この作品が棚に並んでいたのは、デジタル処理されたのが比較的最近らしいので、その関係で準新作の扱いになっていたためだろう。    


アマルコルドという言葉は方言で、「私は覚えている」という意味らしい。フェリーニ以外の監督だったら、あえて方言をタイトルにしたかどうか分からない。分かりやすいタイトルにしたほうが良いと考えるのが普通だろうが、有名監督だから奇をてらっても、文句を言われにくかったのかも知れない。 


この作品が名作と言えるのか、個人的には疑問に思った。青春時代を懐かしむ気持ちは非常に強く感じ、共感はできた。誰でも感じるものだろう。そして挿入されたエピソードのそれぞれも、なかなか面白いものばかりだった。それでも、様々なエピソードの間のつながりがない場合は多く、シーンの間にはたびたびブラックアウトがあった。   


バラバラのままの内容になるのは、実際の体験も様々な時期に起こったはずだから当然だろうが、映画としての出来栄えにはマイナスに作用すると思う。バラバラで、寸断された喜劇シーンの集まり、そんなスタイルではドリフの大爆笑と大きく変わらないレベルになる。郷愁をあつかった「ニュー・シネマ・パラダイス」とは物語性の面でまったく違ってしまう。だから、この作品は郷愁を誘うこと、若き日々への甘酸っぱい感覚などが感じられるだけの、監督の私小説ではないかと思う。本格的な物語とは、また違う楽しみ方が必要と言えるだろう。ストーリー性が乏しいので、名作という範疇には入らないのではないか? 名作の間に、ちょっと趣向を変えた独特の作品があっても良い・・・そんな感覚で作られた作品に過ぎないと思う。    


ファシストが拷問のためにヒマシ油を使うという話は本当だろうか? 相手の自尊心を損なわせるためには良いアイディアだが、笑える話でもある。本当にあった話なら、敵愾心が薄く、ユーモアを理解するファシスト党員がいたということになる。特高時代の日本では、こんなユーモアを感じる話を聞いたことがない。真面目過ぎて過激になり、必要以上に厳しく国民を縛りつけていたのだろうが、イタリアの場合は国民性も制度も違うので、緩やかな部分もあったのかもしれない。

2018年6月 6日

不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか(2017)

Koudannsya

 

- 鴻上尚史、講談社現代新書 -  

 

実在の元特攻兵、佐々木友次氏の伝記。著者は鴻上氏。演出を主な仕事とする鴻上氏が、特攻兵に興味を持ったのは、なぜだろうか? 本によれば偶然の成り行きもあったようだが、やはり劇作にならないかと考えたのではなかろうか?    

 

生き残った特攻兵は多いが、9回も出撃したというのは、おそらく他にはいないだろう。生き残るだけの操縦の腕と、無駄死にをよしとしないプライド、洗脳から距離を置くことのできる精神の力など、本人の特性があったと思う。それに加え、どうしても佐々木氏に死んでもらいたいと考える連中以外に、彼を生き残らせる、あるいは戦力として有効に利用したいと考えた人間もいた点で、彼は救われてもいるのだろう。   

 

作品の中では整備兵達が、上官の命令を無視する形で、爆弾を外せるように調整していたと書かれている。これは軍法から考えると、とんでもない命令違反に相当するから、本当は書籍に書くのは問題かもしれない。当時の整備兵たちのメンツは判ってしまうので、関係者がすべて亡くなったことを確認するか、あるいは本人たちの同意をすべて得てからでないと書くことに問題はある。良いことをしたとしても、命令違反ではある。    

 

特攻の命令をした人達が、その後は自衛隊で活動していたという記載に驚く。いかに優秀な人物であっても、特攻作戦は成功したとは言えない作戦であるから、責任はとらないといけない。軍事関係からは足を洗うべきだ。 効果に疑問があり、犠牲はすさまじく、作戦の性格的にも問題が多いことは明らかだから、そんな作戦に参画した上官には厳しい対応が必要だと思う。それが組織を維持するために必要な判断だ。自衛隊の人事に疑問を感じざるを得ない。    

 

何か不公正な理由で自衛隊に復帰し、引き立てられたということは大いに疑われる。自衛隊がそんな組織なら、戦えばまたきっと無残な結果に終わるだろうと、予想がついてしまう。間違った思考をする人物と分かっていて、その人物に判断をゆだねる・・・・それは破滅的。不公正さを排除する必要性に、気づかないようではいけない。    

 

最近の国会は荒れている。財務省の忖度、セクハラ疑惑に加え、PKO活動中の記録の管理が問題になっている。日報は公文書だから、国が続く限り永遠に保存するものと思っていたら、簡単に処理する規則があったのだそうだ。後で事実確認する必要が出た時に、分からないようにしたいという思惑が働いたとしか思えない。検証するのを難しくしようという、ずるい考え方ではないか?  


狡くても、狡賢い考え方ではない。 弱みを作ってしまうからだ。 そして戦略を間違える原因になるかもしれない。正確な記録は、勝つためにある。   

 

劇場主が敵なら、おそらく100年前の行為でも問題にして攻撃する。攻撃のネタになるものは何でも利用するのが戦いである。こちらに記録がなければ、敵の言う通りが歴史となる。記録で既に負けることになる。反論するために、記録は必要である。正確で詳細な記録は、武器の一種であると考える。自分の保身のために敵にネタを与えることを厭わない姿勢では、職務に残る資格がないと考える。  


もちろん現場の隊員は自分の不利益を覚悟しないといけないので、耐えがたいことだろう。その立場には同情するが、耐えて欲しい。そうしないと、しわ寄せが最終的には特攻作戦のような無茶につながるからだ。  

 

 

 

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