映画評

  •  若い人達の映画評は、「やっほーい、見ちゃった!(^□^)゛にゃはは(^□^)゛(^o^)」(゚ω゚)イイヨゥ! のような具合で、おじさんにはさっぱり理解できません。年寄り向けのサイトがあればと考えました。

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カテゴリー「ふ」の41件の記事

2009年9月22日

プリティ・ウーマン(1990)

- 何が決め手だったのか? -

企業買収で巨額の収入を得るビジネスマンのリチャード・ギアと、ストリート・ガールのジュリア・ロバーツの物語。ある日、仕事のために立ち寄った街で道案内を頼んだことから、彼らは知り合う。ギアの気まぐれから、一週間生活を共にする契約を結んだ。上流階級の生活を体験し、洗練されていくジュリア・ロバーツには自覚が芽生え、人生をやり直す気持ちになるが・・・

・・・テレビで鑑賞。デジタル・リマスタリング版だった関係か、昔見たよりもジュリア・ロバーツの肌の張りが感じられるような気がした。最近の彼女は非常にふけた。そんなに昔の映画ではないのに、既にデジタル処理されているとは驚く。需要がある、人気があるということか。当時も大ヒットした映画だ。

この作品は数回観たはずだが、いつも結構楽しめる。何が良かったのだろうか?

ストーリーは少女マンガなどでは繰り返されているパターンで、斬新さは全くないものの悪い気分にはならない話。ただし女性ならそうだが、私の場合はさすがにシンデレラストーリーだけでは盛り上がらない。リチャード・ギアは人気があるが、私には馬面にしか見えない。女性には別の視覚認識パターンがあるので良く写るのかも知れないが・・・

爆笑コメディではない。クスクス笑えるシーンは少しあるが、大笑いはできない。感動の涙をボロボロ流すようなシーンはないが、女性の観客はウルウルするかも知れない。幸せな気持ちになれることは間違いないが、男の目から言えば、「また、シンデレラストーリーかよ」というバカにした気持ちが生まれる点は否めない。女性でも「いかん、いかん、また夢見てる。現実に戻らなきゃ」という感情も生じるのでは?

したがって、一歩間違えれば失敗作になりそうだ。いったい、何が良かったのか?

ラストシーンは、若い女性の夢心地の気分を盛り上げたいなら、せめてテラスか何かの見栄えのする場所が望ましいが、この作品では笑ってしまうほど情けない階段が舞台だった。でも、それがなぜか好印象につながっている。節度を持って、ある程度リアルに、ある程度おかしく設定したからか?

改めて感じたのは、ジュリア・ロバーツの笑顔や、彼女が洗練されていく姿が素晴らしいことだ。ニンマリと笑う表情は本当に魅力的。あの笑顔がないとヒロインとしては失格だ。たぶんオードリー・ヘップバーンなどをイメージしたのだろう。大きく口を開き、歯を見せる笑いは本来なら品がない感じもするが、彼女のような人がやれば魅力が出る。観客を味方につければ、後は陳腐なストーリーであっても許せるのだ。

彼女の歩き方は、特に最初のうちはガニ股だ。本当に洗練された女性は歩き方のトレーニングも受けているのか、バレリーナのような印象を受けるが、その辺が違う。笑顔にごまかされているような・・・

洗練されていく姿に、観客は喜びを感じることができた。自覚が芽生え成長することは、ややもすれば陳腐な印象を与えかねないのだが、大真面目に演じていても違和感がなかった。この辺は、ジュリア・ロバーツの個性、演技力のせいかもしれない。ヒロインが魅力的で共感を得ないと、かえって反感を買ってしまう。

脇役の中では、ホテルの支配人、ギアの顧問弁護士、ヒロインに無礼を働く女性店員、同居人の女などが役割をきっちりこなしていた。オーバーすぎて全体のバランスを壊したりしないように、整然と編集、演出された感じ。特に支配人は決め手に近い感じで、彼の表情がないと話の重みが失せてしまいかねなかった。決め手、その二だったかも。

構想の中で、主題曲とタイトルをどのように決めたのか?最初が曲か、もしくはタイトルか?あの古い曲を使ったことも雰囲気作りには大事だった。例えばタイトルを普通の「~ストーリー」などとしていたら、またイメージが違っていたかも知れない。懐かしい感じが大事だったようだ。

この作品は万人向けだと思う。家族でも観れるのでは?

 

 

2009年9月 2日

ブラインドネス(2008)

- 意外性 -

突然ある男が視力を失う。彼は眼科を受診するが、そこの待合にいた人達や医者などが次々と同様の症状を呈する。原因不明の伝染病だったのだ。町中が視力を失った人達であふれ、政府は患者を収容所に閉じ込める。収容所の中では患者達が食料を奪い合い、殺人やレイプも横行する。主人公達は、これに立ち向かう・・・

・・・この作品は、あんまり宣伝を観た記憶がない。題材も目立たないので、俳優が目が見えないことを演じるつまらない作品だろうと考えてたが、盆休みにたまたま待ち時間が発生した関係で鑑賞したところ、結構まとまった作品だった。

日本からは木村佳乃が出演していた。なぜ日本人なのか、ちょっと気になった。麻疹の流行が日本人から始まったことに関係しているのか、それとなく人種的偏見があるのか?

ダニー・グローバーやジュリアン・ムーア、マーク・ラファロなどの一流どころも出演していたし、途中の荒廃した街並みの遠景、ストリートのシーンは、CGかもしれないが結構大がかりな撮影をやっていたように見える。意外に金をかけて作ってあった。

役者達の演技には満足できた。ついついオーバーすぎる演技が出そうだが、適度にに判りやすく、節度を保って盲目の状態を表現していた。

普通なら主人公の夫婦は険悪な関係で、日本人の夫婦は愛し合って対照的、苦難を乗り越えていく中で助け合うことを学ぶという話が多いはずだが、今回の主人公達は最初は理想的、途中もかなり努力していた。意外な設定。

テーマは単純で、「見えないことで見えてくる人間性」と、「容易に、それをも失うこと」か。セリフで売るタイプの作品ではない。恐怖感をいかにリアルに演出するかが決め手になる。眼が見えないことによって発生しそうな状態を上手く話として成立させていけるかが、作品の出来に関わる。

もっと別なテーマを考えても良かったのではないか?失われない愛や人間性が最後に勝利を生むことをメインに、様々な形での危機を乗り越えて旅をする物語のほうが面白いと思う。収容所に留まっていては限界がある。

第三病室の‘王’が暴走する話には無理があったかも知れない。まず第三病室が食料に最初に近づけるかどうか、銃を持った男のそばにいれば殺される可能性が最も高くなるので仲間になるかどうか、眼が見えない状態で誰かと戦おうと考えるかどうかなどが違和感があった。

収容施設の管理者達との戦いが中心で、中のいざこざはマイナーな対決にするのが自然だったかもしれない。自然でないと観客がしらけてしまう。

汚さや臭いの表現にも若干の問題を感じた。ハエがたかっていたら自然で、より気持ち悪い状況が表現できる。不衛生にしていたら、たかっていないはずはないし、衛生的状態を保つためには視力が必要なことが多い。

いっそのこと、究極のバイオレンス映画にするのも面白かったかもしれない。主人公の女性が敵のアジトに押し入って、次々と殺しまくる映画は凄いだろう。「お前らには私達の悲しみが見えないのだ!」が決めゼリフになる。「手前ら人間じゃねえ」でも良い。シャベルが武器だ。ああ怖ろしい。

さて、視力を失ったらどうすべきか?まず路上をうろうろしたりして体力を消耗することはすべきでない。転落でもしたら大怪我するからだ。スーパーに殺到して、中で手にいる物をあさることになるのでは?だから、スーパーの中はもっと混雑していないとおかしい。

おそらく銃を持った奴らが少数内部に立てこもり、周囲にはおこぼれを狙う多数の人達。そしてそこらじゅうに死体の山と食い散らかした袋があるのが自然だ。

皆が視力を失った状態で人間性を保つのは難しい。食料を独占したり誰かを支配しようとは思わないだろうが、絶望感に打ちひしがれるだろう。

 

2009年8月 6日

ブロンド・ライフ(2002)

- ヘヤスタイルがラジー -

人気レポーターにして、大リーグ選手の婚約者、さらには中央のテレビ局に引っ張られる候補者という前途洋洋の女性が主人公。彼女は突然「1週間後に死ぬ」と予言されてしまう。まさかと思った主人公だったが、予言が次々と現実のものになり、絶望のあまりの騒動を引き起こしてしまう・・・

・・・アンジェリーナ・ジョリーの作品は評判が良いものが多いが、この作品はラジー賞に輝いたという情報があるほどで、ヒットはしなかった稀な例らしい。

確かに感動するほどの出来ではなかった。でも、駄作とも思えない。主演の演技は悪くはなかった。ブロンドヘアにする必要があったのかは疑問だったが、その他の設定には問題なかったと思う。

映画ではコメントがなかったようだが、子供の頃からブロンドヘヤだったようなので、子供の頃から髪を染めるほど野心家だったか、もしくは本当のブロンドという設定だろう。でも、いずれにせよアンジェリーナ・ジョリーのヘヤスタイルはおかしかった。そのせいで観客の同情が得られないかもしれないほど、おかしかった。

別にブロンドにこだわる内容の作品ではなかった。出世欲、野心を表すなら、演出や彼女の演技力だけで充分だ。ヘヤスタイルだけが失敗だった。

主人公の野心やライバルへの激しい対抗意識を表すギャグがあってもよかったのではないか?ライバルと仲良く運動する意味はない。横目で眺めて口もきかずに運動し、やりすぎて倒れてしまったほうが面白い。主人公のキャラクターの演出をギャグにすべきか、おとなしくすべきかは意見が分かれるかもしれないが、喜劇なら激しくやったほうがいい。

預言者役は名探偵モンクの役者だが、テレビより数段素晴らしい。存在感があった。

相手役のカメラマンと、ギャグめいた口論が激しく繰り広げられると面白かったと思う。口論はあったが、少々物足りない印象を受けた。

この作品は、特に人に勧めるような出来とは思えない。子供にも、恋人にも。でもひどい駄作とも思えない。演技力が確かな役者がそろっていた。

2009年8月 4日

プリシラ(1994)

- ゲージュツ -

シドニーのバーで働いていた主人公達オカマダンサーは、砂漠の真ん中アリススプリングスのショーに参加するため、はるばる荒野をバスで旅することになる。途中、口喧嘩や車の故障、乱闘騒ぎなどを経験しながら、ホテルに到着。ホテルの支配人は、なんとメンバーの一人のかっての妻(女!)で、彼らの間には息子もいたのだった・・・

・・・この当時のDVDは良かった。本編がいきなり始まるので、時間のロスが少ない。今のDVDは余計な宣伝をいちいち飛ばして見ないといけないので、最初で疲れてしまう。客へのサービスとしては好ましくない設定だ。

この映画は、まさにゲージュツだ。

バスの屋根に乗ってマントをひるがえす美しい姿は芸術的である。ケバケバしい衣装に身を包んで岩山を登る姿も、なぜか美しい。顔を見ると気持ち悪いが・・・

ガイ・ピアースは顔立ちが美しいのでオカマもサマになっていたが、他の二人はあえて最もオカマらしくない役者を選んだかのような人選だった。でも悪役が似合うテレンス・スタンプとヒューゴ・ウィーヴィングの両者は、凄みと哀愁の表現力はあった。

ガイ・ピアースの芸域の広さには驚いた。LAコンフィデンシャルのタフな警察官や、告発の行方でのクールな軍人を同じ人物が演じているとは思えない。

ヒューゴ・ウィーヴィングがいちおうの主人公らしいが、砂漠の真ん中で真面目にダンスの練習をするのが可笑しかった。主人公の性格を現しているし、同時に滑稽さが感じられる狙いがあったのだろう。ダンスが上手かったら、さらに可笑しかっただろう。

ほとんど無表情と言ってよいテレンス・スタンプがまた可笑しい。若い恋人に突然死なれてしまったという設定や、全く美しくない踊りなど笑わせる。エリマキトカゲを演じたステージは気持ち悪いが、素晴らしいショーだった。

ロードムービーとしての出来栄えはすこぶる上級の部類に入る。途中出会う人達との交流、危機に際してのギャグめいた行動、おかしく悲しい運命、心の結びつきなどを上手く織り込んで退屈しなかった。編集も手際がよく、素人くさい部分がなかった。

涙したり、何かを学ぶ類の映画ではなかったが、妙な感動めいたものが感じられた。あまり共感できないのだが、彼らなりに懸命に生きていることが伝わってきた。さて、この映画は誰と観たらいいのだろうか?難しいが・・・.もし身近にゲイの方がいらしたら、その方といかがでしょうか?

 

2009年2月 6日

フローズン・タイム(2006)

Furozunn

- ファンタジーと言うべきか -

美術学校に通う主人公の青年は、ある日のこと恋人にふられる。そのショックで彼は不眠症になるが、やがて時間の感覚がおかしくなる。ついには自分だけ動いて、他の人間は止まった感覚に達する。彼の周りは全てフローズン状態である。

彼はさっそくこれを利用してデッサンを開始する。女性のセミヌードをデッサンして、後はちゃんと服を元に戻しておくのである。普通できないことをしているので、傑作が次々と生まれる。アルバイト先の同僚の女性もデッサンするうち、彼女を好きになる。

彼女はスペイン語を学んで旅行会社に勤めるのが夢である。何度かデートを重ねることに成功するが、あるパーティーで彼をふった元カノといっしょの姿を見られてしまい、そのまま別れてしまう。

傷心の彼には展覧会のチャンスが舞い込んでくるが、これはイタズラ好きの同僚が仕組んだガセのチャンスであった。「なんだ、そうだったのか・・・」落胆する主人公。でも話はそこで終わらなかった。

・・・この映画で最も魅力的だったのは何か知っているか?

実は、それは映画のワンシーンではない。この映画の宣伝のためにカットされたご覧の写真である。あの彼女の表情、スタイルが実に魅力的だったのだ。無表情で下着姿のモデルか女優の卵らしい女性、あれこそめったにない素晴らしいデキだった。だから映画の宣伝でも、あれが使われていたろう?

さらに登場してくるヌード達は全て非常に美しかった。もちろんオーディションで特に美しいモデルを集めたんだろうが、この作品はポルノ映画としても充分通るくらいに出来上がっていた。

ヒロインの女性は、私の感覚では美しくなかった。本当は凄い美人なんだろうが、あまりに色素が薄すぎて、眉毛が見えないので表情が解らないのだ。大げさな表情をしないと理解できないから、話の内容から想像するに不幸なんだろうな、くらいにしか読めない。

主人公はハリーポッターの先輩役をやっていた男だ。特別カッコよいとは思えなかった。きっと今後もスターにはならないタイプではないか?でも、こんな映画ではカッコいい男は似合わない。

監督は新人らしいが、カメラワークなどは非常にオーソドックスな感じを受けた。視点の高さ、色彩、俳優の配置に至るまで、極めて常識的で理にかなった撮影の仕方をしているように思う。あちらには国立のちゃんとした映画学校があるらしいから、そこで学んだのではないか?

話には特別な工夫があったわけではない。いたって真面目な、普通の、といっても病的な男なんだが、不眠症から不思議な能力を身につけた男が体験する夢のような話であった。少々エッチだが、ヒワイな感じに演じていなかった関係で、やはりこれはファンタジーの一種であったのだろう。

ラストの雪のシーンも素晴らしく美しかった。エッチなスケベ男がいたずらをするだけなら、主役を日本の‘志村けん’にすればいいが、幸いにも(当たり前だが)そうしなかったことで、最後の美しいシーンも生きてきた。

ストップモーションが突然終わって、気がつくと変な男が女の下着をいじっている。「誰だ君は!」「そーです。ワタスが変なおじさんです。」ってなギャグも、それはそれで非常におもしろいんだが・・・

 

 

2009年1月27日

プレデター(1987)

- 安定した人気の秘密は? -

テレビでやっていたので、久しぶりに見た。確か3回くらい、いずれもテレビで見た記憶がある。筋書きは覚えてしまっているので、今回は本を読みながらの、ながら見だった。今回はデジタルリマスタリングされていたそうで、そういえば見なかったシーンがあった。解りやすく、解説めいた表現を付け加えてあったようだ。

コマンド部隊の長シュワルツネッガーに出動の命令が來る。どこかのジャングルの奥深くで行方不明になった軍の要人?を捜索するのが役目だ。軍のヘリは墜落しており、兵士達は無残な姿に処理されていた。潜入した部隊は怒りに燃えて、CIA要員とともに現地のゲリラを襲撃し、敵の女性兵士を捕虜にして脱出に向かう。どうやら彼らはCIAに利用されていたようだ。脱出するには、ジャングルを越えて行かないといけない。

ところが、そんな彼らを追うものがあった。インディアン出身で、鼻が利く兵士は何かの存在を感じていたが、何かが解らない。不安を抱えたまま、部隊は進む。そして、ついに何かが襲ってきた。その何かは、特殊なスーツで透明化しているようだ。彼ら部隊は次々と殺され、ついに残るは隊長ひとり。彼はワナをかけようと考える。

この作品ができた頃は、まさか現在まで続くシリーズになるとは思わなかった。この後はダニー・グローバーが活躍する第二作、そしてエイリアンと対決する三作、さらに最近また新しい作品が出ているようだ。

これは、所詮はゲテモノに近い2級品だと思う。でも、なぜか作品の出来は悪くなかった。おそらくシュワルツネッガー隊長はヒーローとして大真面目に戦っていたし、他の俳優たちも役目をきっちりとこなして、ソツのない出来栄えだったからか。

相手役の宇宙人は、かのジャン・クロード・バンダムが演じていたと報道されたが、体格的にはもっと大柄のスタントマンがやっているように見える。気味の悪い顔の構造はよくできていた。

展開の仕方も良かった。さすがのシュワちゃんも、見えない宇宙人相手では分が悪い。逃げまくるしかない。彼が恐怖を抱えた時の表情は上手い。屈強な男だからこそ、恐怖感がさえるのだ。観客もハラハラしてしまう効果がある。もうだめかと思った時に、宇宙人から隠れる方法があることが解る。意外に単純な方法で、そんなら雨で塗れた場合や、寝ていて冷え切った時は見えないのと思ったが、細かいことは無視だ。ワナをかけるが、簡単に引っかかるようなアホ宇宙人でないことが、また良かった。

このようなこ細かい条件、いくつかの試練を用意したストーリーを構築できた点が、この作品のヒットにつながったのだと思う。丁寧にアイディアを練ったのだろう。 

家族で観るには少々残虐なシーンもあるが、恋人と観るには悪くない。もちろん恋にはなんの関係もないのだが、作品の構成や演出はデキがいい。

2008年12月29日

ブラック・レイン(1989)

- 設定ミスあり? -

ニューヨークのデカのマイケル・ダグラスは、偶然立ち寄った店でヤクザの殺し合いのシーンに遭遇する。激しい銃撃と追跡の末、彼らはヤクザの松田優作を逮捕する。

ちょっと日本への旅行も兼ねて、松田を護送したはずのマイケル達だったが、偽刑事にだまされて、まんまと松田を逃がしてしまう。大阪府警に行った彼らは、バカにされて口惜しいかぎり。

彼らは日本の刑事、高倉健に監視されながら、捜査の端っこに置いてもらうことになった。そんな中で、あるクラブで抗争事件が起こる。そこから、松田達がニセドル札を作ろうとしていること、親分の若山富三郎と抗争していること、恋人は小野みゆきであることなどが解る。

ところが、町を歩くマイケル達は松田に襲われ、同僚のアンディ・ガルシアは殺されてしまう。

看視の目を盗んで若山親分を訪れたマイケルは、松田が現れるヤクザの手打ちの場を教えてもらい、こっそりと忍び込む。そこには同情した高倉健もライフルなんか持ってやってきている。規則違反だし、ライフルどっから持ってきたんだあ?

とにかく、手打ちが決裂してもめている最中に、マイケル達は乱入し、やくざどもを皆殺しにして、松田を追う。

この作品のスタッフは凄い。意気込みが凄かったことが解る。

監督はブレードランナーやエイリアンを撮った後のリドリー・スコット、主演は、ナイルの宝石の後のマイケル・ダグラス、共演はアンタッチャブルの後のアンディ・ガルシア、撮影も名手。ほとんどベストメンバーがそろっている。

かってない刑事の映画を作ろうとしたに違いない。

出来は非常に良かった。しかし、最高とは言い難かった。おそらくストーリーに問題があったのだろう。私なら、高倉健には死んでもらいます。主役のダグラスを引き立たせるためには、ぜひとも死んでもらう必要があった。

大阪市の許可を得るのが非常に大変だったらしい。夜中の商店街をバイクが暴走するシーンがあったが、普通の暴走族は商店街は走らないだろう。でも撮影できるのは、やはり閉ざされた商店街しかない。一般道では、許可が出ないし、撮影のメリハリが効かない。

ヤクザの手打ちの農園は、ハリウッド近郊で撮影されたらしい。日本人のエキストラ達も、大挙して行ったわけだ。懐かしい安岡力也や、ガッツ石松、内田裕也なんかも出演している。

そして、この作品は何と言っても松田優作の遺作である。

後年読んだところによると、当時の松田は膀胱がんのために血尿がひどくて死期を悟った状態だったらしい。

私達には、テレビでの彼の活躍のイメージがあるので、彼の演技には涙せざるを得ないが、外人にはどうだろうか?かえってビートたけしのほうが気味が悪くて迫力があるような感覚もあるのかも知れない。目をむいて凄むシーンでは、ちょっと彼らしくない印象も受けた。

もっと小柄な性格俳優でも良かったような気もする。外人ウケするのは、目がギョロっとした仲代達也などではないか?

役者には急逝する人が多い。たまたま目立つからなのか、何か無理をしているからか?確かに健康的な人では、見ても面白くない。

主役のマイケル・ダグラスの魅力は、ダイ・ハードの主役ほどはない。ワイルドで、金にも汚そうなタフなイメージを狙っていたようだが、例えば最近悪徳警官の役をやったデンゼル・ワシントンほどタフには見えない。

もっと悪役に近いほうが良かったのでは?ワルから暴力で金をむしりとるくらいの、ちょっと嫌悪感を抱かれるくらいのキャラクターでも良かったかも知れない。それくらいタフなら、頑張れるだろうという存在感も得られるのだ。

そして、もっと人情味も欲しかった。何かの優しいエピソードが欲しかった。

同僚は死なないといけない。犯人のワナにはまってか、誰かを救うために。そうしないと、話が盛り上らんでしょうが!したがって、ガルシアとともに、健さんにも死んでもらいます。

途中で出てくるケイト・キャプショーか健さんが人質に取られて、「さあ、俺を殺すか、こいつを殺すか?」なんて究極の選択を迫られる。また俺のせいで犠牲者が出るのか?・・悩むマイケル。すると健さんが自らを犠牲にして松田を倒す。健さんは苦しい息の下から、マイケルへの友情の言葉を最後に・・・なんて、涙が出そう。

その辺の設定の基本ができていなかった。でもアイディアは良かった。

爆撃の後の黒い雨が降った後には、目上の人に敬意を払わない連中が生まれてきた。あんたらの民主主義は、手に負えないなんてセリフは、確かにそうだなと思う。

ただ、そんなセリフがドラマには生きていない。セリフの謎かけが、ラストに明かされるようなシャレた演出もない。全体として、復讐の達成を目差すのか、ただ殺しまくるのか、逮捕するのか、流れを決めていなかったような気もする。

ラストで、松田優作が杭に貫かれて死ぬバージョンも撮影されたらしい。何かで見たことがある。はっきり決めてから撮影すべきだ。

この作品は、家族で観るのはいけない。残虐な犯罪者をカッコよくえがいているからだ。恋人と観るのは、多少は古いとしても、悪くないかも。

出来のいい作品だが、胸にしみるほどのドラマが欲しかった。

 

 

2008年12月20日

ブラザー・ベア(2003)

- 輪廻の発想 -

昨今のスピリチュアルなものに対する報道には疑問を覚える。昔もギボさんがよくテレビに出ていたが、この頃は江原氏が前世を占って診断している。名誉毀損めた事件もあったらしく、批判されたりもしているようだ。

テレビがからむと、途端にいかがわしくなる。

演出効果が優先されるからだが、出演する霊能力者の態度にも疑問を感じる。悩んでいる人と二人きりで話すのはいいと思うが、内容をベラベラ他人に喋っていいはずがない。本人が納得しているから何でも話して良いとは限らない。その人の家族が困ることもありえる。秘密厳守が原則だと思う。

占い、診断が正しいか否かは別問題である。どれだけ自分の能力に自信があろうと、テレビに出演すること自体が間違っている。

この作品は、古代氷河期の時代の人間と、熊のスピリチュアルな体験を描いていた。熊の母親を殺した男が、殺した熊の息子と旅をすることになる物語である。その際、自分の姿がスピリチュアルな能力によって熊の若者に変えられてしまう。

こんな設定は、かってアメリカの作品にあったろうか?少なくとも、多くはないだろう。

魔法で変身するのはよくあったが、たいていは魔女によってだった。神が直接手を下したらしきケースもあったが、この作品は神様というより、自然の中の原始的崇拝の対象、日本的な意味での神に近い存在によって変身していた。欧米的ではない。

このような変身ものは東洋の伝承物語にはたくさんある。ギリシア神話にもあったかも知れない。だから、この作品は日本では受け入れられるが、きっとアメリカでは微妙な反感を買うのではないか?キリスト教的な宗教観では描かれていないのだから。

この種の映画では、基本は悲劇的な結末の方が期待される。動物の姿をしているので、もとが人間であることに気がつかないまま親しい人に復讐をされてしまい、やっと天に昇っていくことができるという展開が普通である。ラスト近くで大きな悲劇があるとドラマの印象度がグッと強くなるので、名作と言われる作品を作りたいなら、そうすべきだった。

しかし、この作品はディズニーの伝統に則り、ハッピーエンドに展開されていた。したがって、名作にはなりそこなっていたようだ。逆に我々にとっては解りやすい話になった。家族で観ることもできると思う。悲しい結末でも、最後にちょっと救いがあれば後の印象が良い。恋人といっしょに観るのは、あんまり意味がないかも知れない。

輪廻めいた死生観が描かれていたのは、ディズニーのスタッフの間では、もはや日本的な感覚が普通になっていることを意味するのかも知れない。きっと日本のアニメを見すぎると、こんな作品を作りたくなるんだ。

2008年11月24日

プレステージ(2006)

- 現実路線が望ましい -

ヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールはマジシャンである。

あるショーの最中、ヒューはマジックの失敗で水槽の中から脱出できず、そこに居合わせたクリスチャンは殺人罪で捕まる。クリスチャンの気がかりは、一人残してきた娘の行く末。娘の養育は、彼がマジックのトリックを富豪に明かせば可能になる。

ヒューとクリスチャンには長い争いの歴史があった。互いに技を競い合う間柄だが、脱出マジックの際にクリスチャンのせいでアシスタント役の女性が死んでしまう。この女性はヒューの妻だった。

ヒューは、クリスチャンのマジック「弾丸つかみ」の場に紛れ込み、実際の弾丸を放ってクリスチャンの指を2本つぶしてしまう。

仕返しに、今度はクリスチャンがヒューの舞台に忍び込み、クッションを隠して、落下してきたヒューの足を骨折させてしまう。

お互いに相手のトリックを見抜こうとしてスパイを送り、または変装して忍び込んでは邪魔をする争いが繰り広げられる。さらにはお互いの日記を偽装して、相手をワナにかけようとする。

スパイが逆にスパイするために送り込まれた人物なのか、誰が真実を言っているのか複雑に入りこんだ展開になる。最後に笑うのは誰か?

よくできた作品だった。どんでん返しの連続で、ハラハラさせる効果があった。人気小説の映画化らしい。

でも、この作品は基本的には異常者を扱っている関係で、子供には向かない。恋人と観るとどうだか知らないが、全体に雰囲気が暗いことは否めない。

マジシャンがおかしくなる作品は、そのままズバリのタイトルの「マジック」が有名。後にハンニバル博士を演じる性格俳優のアンソニー・ホプキンスが、芸を磨くうちに二重人格になってしまう主人公を演じていた。今回の作品も、トリックを極めるために人生をかけるところでは同じである。

マジシャンの本質を問いかけるシーンが2回くらいあった。結論は、観客の驚きが最高のテーマで、トリックの内容は関係ないというものだったようだが、結構哲学的だ。

一芸に秀でるためには、確かに家庭生活を犠牲にしないといけない部分はあるのかも知れない。昔のモーレツ企業戦士も、家庭ではバタンキューでゴロゴロ、会社が人生の中心という人が多かったらしいが、あれも似たようなものかもしれない。

医者もそんな感じがする。循環器の第一人者みたいな先生は、癌をほとんど見逃してしまう。逆に消化器の専門医は、心筋梗塞を胃潰瘍と間違って胃カメラをしたりする。結構な大ベテランにしてそうだ。専門家ほど危ない。そして、日曜日も病院に顔を出してパソコンをパシャパシャやっている。

かっては私もそうだった。365日のうち、病院に行かないのは5日くらい。学会に直接行って、帰ってきたら病棟を回る日々で、それが普通だった。でも、やはり異常である。

ヒュー・ジャックマンの演技は悪くなかった。特に酔っ払いのソックリさんの目つきなどは、適度にイカレタ感じがして良かった。敵役のクリスチャン・ベールは知らない俳優だったが、個人的には迫力に欠けていたように思う。

スカーレット・ヨハンソンは、もちろん美しかったが、特に魅力的には写らなかった。徹底的な悪女で、二人のライバル関係をもてあそぶような怖ろしい女という設定だったら面白かったかも知れない。

マイケル・ケインはいつもながらの上手さだった。だが、彼が実は大悪人という設定でも面白かったかも知れない。

いくつか疑問点が合った。

中盤までは二人のライバルの争いに男と女の関係が絡んで、昔風の愛憎劇が展開されていたのに、そのままではいけなかったのか?解らない。

最後の方で荒唐無稽な瞬間移動装置が出てきた点はいただけなかった。せっかくの盛り上がりを、子供映画並みのレベルに下げてしまったような気がする。少なくとも私にはそうだった。SFチックな展開になって面白くなった人もいたかも知れないが。

適当に言ったテスラという人物が都合よく機械を作るなんて、出来過ぎで真実味を失うとは思えないだろうか? 富豪のふりをする展開があったが、そんな資金はどこから出てきたのだろうか?いかに人気のマジシャンだとしても、出演料は知れていると思う。人を大勢雇うことができるのはおかしい。

今回の主演の二人はライバル関係になっており、互いにトリックを盗み合い、邪魔しあう関係だったが、マジックショーを観に来る客は限られており、ライバルがいない町に巡業するほうが自然である。ずっと一箇所の劇場でやっていけるような芸人はいない。そのへんも不自然だった。

もしソックリさんを使うなら、最初から使っておけばメジャーになれるはずなのに、なぜあえて普通の芸にこだわっていたのか?

つまり、根本的に設定に無理があったような気がする。

大きなマジックショー大会で優劣を競う関係、もしくは同じマジシャン集団でトリを争う関係でもいい。老人の師匠がいて、次のスターの座を争う関係でもいい。マジックだけで客を惹きつけることは無理だから、サーカスや何かの集団でもいい、劇場専属の芸人のなかでトップの座を争う関係でもいい。

最初から女をめぐって争うのも自然である。結果的に、二人とも女に操られていたという結末も現実的(?)である。

そして、あくまでトリックは本物のものにこだわるべきだったと思う。奇想天外な機械には納得できない。

2008年9月26日

プロヴァンスの贈り物(2006)

- 惜しい! -

イギリスの証券会社で辣腕を振るう主人公のラッセル・クロウは、かって少年時代に好きだった叔父さんとフランスのプロヴァンス地方で過ごしたことがある。叔父さんは名門ワインのシャトーを持ち、優雅に暮らしていたが突然亡くなってしまう。

遺産の処理のために休暇を取ってシャトーを訪れた主人公は、いつものキレモノらしくない失敗が続きシャトーを処分することに失敗し、しばらくシャトーで暮らさざるをえなくなる。その間に彼の生き方を変える出会いが待っていた。

この作品は大変な魅力を秘めているような印象を持った。結果としては名作にはなっていなかったようだが、おそらく作品のコンセプトを練り上げる時点で何かを間違ってしまったのではないかと考えた。

雰囲気は悪くなかった。

まず、風景が良かった。西ヨーロッパの国々を飛行機やバスの中から眺めると、国中が公園のような感じがするが、この映画の中の風景も非常に美しく、のどかであった。きっと欧米人が見ると、心の原風景のような効果をもたらすのではないか?と、想像する。

役者達も悪くなかった。特にマリオン・コティアールが魅力的だった。「ピアフ」を演じた女優と同一人物とはとても思えない。「ピアフ」では小柄で猫背の女のように見えたが、この作品ではスタイルのいい結構大柄の女性のように見える。演技とメイキャップで、こんなに印象が変るのには驚く。

気性が激しそうなキャラクター設定も良かった。あのような女性に、なぜか男は魅力を感じるのである。全く自我がないような、大人しい女性にも、それなりの強さや思慮深さがあるのだろうが、映画でそんな女性が出ても面白くない。

キスをしながらの表情が特に良かった。ただ、うっとりとしているのではなく、悲しげな表情を浮かべていた。きっと観客の印象を綿密に計算してキスしていたのだろう。計算高くて何か怖いけど、ただものではない。

ブドウ畠を管理する農夫夫妻も良かった。二人とも雰囲気が良かった。友人や同僚役も存在感があって良かった。

ただし、彼らのキャラクターは不自然だと思った。農夫の場合は、通常なら主人公と仲良くなる必要はない。終始不機嫌で、頑固に畠を管理しているほうがストーリーに合致している。仲良くテニスをするような体型でもない。せっかくテニスをするなら、体型に似合わず猛者で、主人公を一方的にやっつけてニコリともしないほうが面白かった。

さらに、主人公を家に招いて歓談するのはおかしい。しかめっ面を貫いて、女房からたしなめられるほうが自然である。

主人公とケンカし、意見をぶつけて、その結果で主人公が得るものがあったり、考えを変えたというのがオーソドックスな流れであったはずだが、この作品では違った味付けを狙っていたようだ。たぶん、ほんわかとユーモラスな路線であったのだろう。

軽いユーモアのあるシーンは多かった。ちょっぴりセクシーなシーンもサービスで付けてあった。どれも悪いシーンではなかったが、主人公のキャラクターには合っていなかった。

生き方を描く作品では、主人公には反省~挫折~後悔などのエピソードがないと真実味が薄れる。美しいマドモアゼルが登場しただけで生き方を変えるほどの情熱家ならコメディータッチも良いが、この作品の主人公はそうではなかった。キャラクターと展開がマッチしていなかった。

せっかくフランスを舞台にするなら、何か主人公が後悔し、叔父か農夫に謝るようなエピソードがあっても良かったのではないかと思った。また、叔父の娘役の出現にどんな意味があったのかも曖昧であった。

コメディ路線が狙いなら、主人公はもっと失敗を繰り返すべきではなかったか?トレードの専門家が農園生活をすれば、失敗のネタはたくさんありそうなものである。

さらに、主人公はラッセル・クロウで良かったのだろうか?キャラクターとしてマッチしていたのだろうか?こんな役はトム・クルーズの独壇場だと思っていたが・・。当時のラッセル・クロウは実生活のトラブルが報道されていたので、監督に頼んで挽回を狙ったのか?

スマートで冷徹と表現されるような俳優が、徐々に人間らしい表情に変るほうが自然だったと思う。ラッセル・クロウはタフなイメージがあるが、冷徹とは言えないような気がする。

2008年9月20日

フレンチ・コネクション(1971)

- フリードキンよいずこ -

フリードキン監督によるスリルあふれる作品。実話がモデルになっているらしい。

映画の冒頭では、フランス人の実業家を尾行する男が殺し屋に殺される。殺されたのは、どうやら刑事らしく、実業家風の男は麻薬取引の大物らしい。大物はニューヨークでの取引に乗り出す。

ジーン・ハックマンとロイ・シェイダー(シャイダー?)演じる刑事は、偶然立ち寄ったクラブで麻薬取引に何かの動きがあることを知る。捜査の結果、フランスの実業家風の男からブツを取り寄せる交渉をしていることが解るが、フランスの俳優の自家用車を使って輸入する、地下鉄を使って発車直前に飛び降りるなどの慎重な工作により、なかなかシッポをつかめない。

俳優の車を疑ってヤクを探してみるが、なかなか発見できない。車をバラバラにして、あらゆる場所を探したつもりだったが、検査官からは「この車はシロだ!」と、宣告されてしまう。果たしてハックマン達の努力は無駄足だったのか・・?

危機感を感じた殺し屋からハックマンは狙われてしまう。間一髪狙撃を逃れたハックマンは、殺し屋を追って列車とカーチェイスを繰りひろげる。殺し屋は列車の中の乗務員を何人か殺し、止まるべき駅をすっ飛ばしてしまう。次の駅で待っていたハックマンは、あわてて追走を再開するが、車はあちこちぶつかって彼自身がフラフラ状態になり、犯人と向き合っても立っているのがやっとの状態。

見どころがたくさんあって、何度見ても感心するほどよくできている作品。まず、配役が良かった。主演のハックマンの強引な様子、相棒のシェイダーの渋く抑えた役割、敵の中心人物のフランス人のしたたかな顔つき。いかにもという雰囲気があった。

殺し屋も出てくるし、無茶なカーチェイスや乱暴な捜査など、子供に見せるのは教育上の問題もありそうな作品。でも、グロテスクな殺人シーンはないので、小さな子でなければ構わないかなという感じはする。恋人となら、Ok。

キャラクター設定も問題なかった。ハックマンの無茶な行動がないと犯人の特定は難しいが、彼に存在感があったことで話がとんとん拍子に進んで、展開がスピーディーに進んでも違和感を感じなくする効果があった。二枚目俳優では、こうは行かなかっただろう。敵のフランス人も、若い愛人を囲って豪華な生活をやっていることなどがサマになっていた。

車を解体してブツを探す場面も、他の俳優が演じたらクサイ発見シーンになったかも知れないが、ロイ・シェイダーが話すとなぜか自然である。不思議だが。

殺し屋を追うハックマンのカーチェイスは、ストーリー的には必須ではなかったと思うが、迫力があった。特別な技術を使ったようには見えなかったが、列車の高架橋の下の狭い道路を走ったことでジェットコースターのような視覚効果が得られたことと、飛び出してくる人や車の配置が適切だった関係か、他の作品より迫力のあるカーチェイスに出来上がっていた。

こういった様々なシーンの迫力の積み重ねであろうか、実にリアルで緊迫感を保った作品になっている。役者の力と演出家達の工夫が相乗効果を生んでいたのか?多くの映画人が感服したに違いないとさえ思える。

 

 

2008年8月24日

プライベート・ライアン(1998)

Photo - 作戦の意義は? -

軍のある上層部(将軍?)からノルマンディ上陸後のミラー大尉に命令が下る。その内容は、前線深くで戦闘中と思われるライアン二等兵を救出し、速やかに後方に移動させること。

なんでまた、そのような命令が出たかというと、ライアン二等兵の兄弟二人が戦死したため、家族の子供すべてが戦死したという悲劇で厭戦ムードを高めてはいけないという配慮か、純粋な思いやりか不明だが、一人だけでも生き残らせようという目的である。

ライアンを探して、戦場をさまようことになった部隊は、途中で戦闘になって仲間を失い、着いた先ではドイツ軍の反撃で全滅しそうになる。そんな中でも、捕虜になったドイツ兵を助けてやったり、村人を救おうと努力する兵士達であったが、そんな人道主義は戦場では命取りになる。

いよいよドイツ軍の戦車部隊が襲ってきて、激しい戦闘の中、仲間が次々と犠牲になる。さて、ミラー大尉とライアン二等兵は生きて帰れるのか?

この作品のタイトルは、これでよかったのだろうか?普通、プライベートというと、我々は「個人的な」とイメージしてしまう。自分も、受験英語で軍隊の階級を意味したこともあったかな?程度しか覚えていなかった。

したがって、もっと別のタイトルを考えたほうが良かった。「ライアン二等兵」「ライアン救出作戦」「ミラー大尉」「ライアンはどこに?」「ライアンを探せ!」なんか、どうだろう。(そんなアニメもあったか?)

作品のウリは、戦闘シーンだった。撮影技術は素晴らしかった。爆弾が炸裂して振動が伝わる様子、音響効果などなど、いろんな技術の積み重ねが実際に戦場にいるような恐怖感さえ感じさせるレベルに達していた。

水中を弾丸が走る様子も表現されていたが、おそらく何度もリハーサルをする必要があるだろうし、実際にそばで火薬を爆発させる中で撮影するわけだから、カメラマンも大変だったろう。しかし、カメラの位置をなるべく近くしないと臨場感が出ないので、決死の覚悟で臨んでもらうしかない。

ライアン二等兵を探すための部隊のメンツが良かった。個性的な役者を揃えて、存在感を出そうとしていることが解った。神様に祈りながら銃を放つ狙撃兵は、さながら聖職者のようなストイックな感じ。実戦経験が豊富な副官である軍曹は、たたきあげの兵隊の雰囲気が充分にあった。

そんな中で、マット・デイモンの演技には不満があった。

彼が自分の兄達のエピソードを話しながら噴き出す場面は、おかしなことを思い出して笑うことで、かえって悲しさを思い出させることを狙うシーンだが、エピソードが良くなかったのか、無理に笑っている演技力の不足のためか、いわゆるクサイ演技になってしまっていた。一般的には演技派と言われる彼なのに・・。

また、ライアン二等兵が後年、年を取ってからノルマンディーの墓地を訪れるシーンでは、CGを使って顔が老けるのを表現していたが、これには意味がないと思った。

多数の死傷者が出る戦場において、兄弟が戦死するかしないかなどは大きなことではない。例え兄弟が自分の知り合い、親戚であっても、救出のために部隊を派遣などしてはならない。そのために部隊に犠牲を引き起こすようなことがあったら、それこそ軍事裁判ものの失策である。

この作品でも、兵士達は呆れながら任務についていた。

恣意的判断は、日本の軍隊では特に多かったと思う。恣意的判断をされた、けど反対できない・・・という感情を持たれると、よほど強制されないかぎり、組織として機能することなどできない。戦う集団に、恣意的判断は禁物である。

今でも会社や官庁において、村社会のような仲間優先の意識がまかり通っている。汚職や天下りの弊害が全く改善されないところを見ると、戦前と今とで社会に対する我々の意識レベルは全然変っていないと思われる。

どこかの国と戦わなければならない時にも、組織の力を発揮できないことは疑いようもない。そんな状況があると、兵士達は許せなくてクーデターに出るだろう。古代の民主国家が専制政治に変る時はそうだし、かってのわが国でも、そうだったのではないか?

今後も、そんな歴史が繰り返されなければいいが・・・。

トム・ハンクスの部隊の犠牲は大きかったが、彼らのおかげで生き残ったライアン2等兵は、その犠牲の上に生き延びて、自分の家族を養い、社会に貢献もできた様子だった。我々も多くの先人の犠牲のおかげで生きているので、あまり過去の人を悪く言うことはしたくないと思う。

2008年6月14日

ブレイド3(2002)

Photo - 暗闇にサングラス・・ -

ジェシカ・ビールが出演しているので期待して観てみた。彼女は新しいアクションヒロインで、ミラ・ヨボビッチの後継者らしいので、観ておかなければならないと考えたのである・・別に義務はないんだが・・。

この作品の前の2作はウエズリー・スナイプス単独がアクションをやっているのに近く、特に2作目は格好づけた刀の使い方がおかしいほどであったが、カッコいいといえばカッコ良かった。相手を切った後に、いちいち地面に刀をつけてポーズをとるなんて、本物の殺し屋がすることではない。

今回のスナイプスは、刀の迫力は前回ほどではなかった。でも、相手役が刀の使い方が上手くなかったから剣劇の見栄えがしなかったためかも知れないので、スナイプス君ばかりを責めることはできない。

肝心のジェシカ・ビールは、私にはミラ・ヨボビッチほどの超美人とは思えないが、充分に美しく、スタイルもカッコよく、適度に野性的で人間的というか、モデルにありがちな冷たさを感じさせない女優だった。アクションは上手かったが、動きがとてもよいとは言えない気がした。

今後はどんな役を演じるのだろうか?とりあえず、ファンタスティック・フォーの女科学者役は、彼女のほうが向いているかも知れないと思った。適度にユーモアのセンスがあって、皮肉などを言えるキャラクターだからだ。

家庭の中で母親役をやっても充分やっていけそうな気がするが、彼女の魅力がだせるかどうかは解らない。恋愛映画でおしとやかにするのでは、果たして観てる客がどんな印象を受けるのか解らない。セックスシーンは得意のような気がする。

敵役の俳優は、全然怖い顔ではなかった。配役を間違っていなかったか?

スナイプスはギョロメが気持ち悪く、いかにも半分吸血鬼みたいな、怪しい雰囲気が良かった。マンガでもそうなんだろうが、奇妙なヘヤスタイルと「暗いところではサングラスが不必要では?」という素朴な疑問を無視したファッションも良かった。

最後のナレーションで聞くかぎり、どうやらシリーズはこれで終了らしい。本家のドラキュラまで倒したんだから、次は宇宙吸血鬼しかないと思っていたんだが・・。

 

2008年6月 6日

ブレイブワン(2007)

Photo - 女版、狼よさらば -

実際に犯罪でひどいめにあった経験がある人は、きっと復讐したいと感じるはずだが、法律は犯罪者を保護する方向に規定されているので、犯人と解っていても手出しできない可能性はある。

特にアメリカのような広大な国で、基本的に他人に無感心な環境では、近くで犯罪が行われていても気がつかない、犯人の特定が難しいなどということは多々あるはず。証拠不充分で保釈、野放しになって口惜しい思いをする人も多いだろう。

恋人を暴漢に殺されて復讐を謀る物語は以前にもあった。チャールズ・ブロンソン主演の「狼よさらば」が代表だろうか?しわだらけのブロンソンが、チンピラのような犯罪者達に銃をぶっぱなし、つぎつぎと殺していく、無差別?復讐の物語だった。

復讐物語は日本のテレビドラマにもあった。ちょっと題材が違うが、覚えているのは、確か赤井秀和が子供を殺されて学校に復讐する話だったが、私も子供が殺されたら平気ではおられないだろう。

しかし、一見犯罪者風の風体で、実は単にからかっているだけの若者が混ざっていたら、ちょっかいを出しただけで殺されていいのかという問題がある。突き詰めて考えていくと、結局やられるまでは手出しできない、でもやられてしまえばオシマイというジレンマに陥る。

実は、うちの診療所には以前から無断駐車する車があるが、道路以外に止めてある車には警察も手出しができないそうで、相談した警官もとりあってくれなかった。もちろん個人がナンバーから相手を調べることもできない。そんなことをすると、個人情報保護法にひっかかり、こちらが犯罪者になるそうである。

よく「無断駐車は1万円いただきます」といった看板があるが、あれには法的な拘束力はなく、「俺は払わないよ。」と言って立ち去っても全く構わないそうである。管理者の権利を保証する法律がないとは驚きだが、犯罪に結びつく行為であっても基本的に犯罪前の段階では何もできないし、犯人を特定できなければ何もできないのが現実である。

腹が立っても、車に傷をつけるわけにはいかないので、レッカー移動もできない。ましてや車の窓を開けて勝手に移動することもできない。腹立たしい。

腹立たしいジョディ・フォスターには武器があった。やはり拳銃があれば便利である。アメリカライフル協会が支持を集めるのには、確かにそれなりの理由がある。ただし、協会員が殺人者となる場合が多い可能性もあるが。

銃で武装すると、相手もエスカレートするという問題がある。犯罪者達も頭が悪い。ジョディ・フォスターなんか、レイプした後にすぐ殺しておけば復讐されることもなかったのに。用心のために復讐できないように徹底的にやるといった具合に、敵も過激になっていくだろう。

この作品は、子供には見せない方が良い。簡単に復讐に走るのは、賢いやり方ではないからだ。やられっぱなしは、もちろん良くないが・・・。

恋人といっしょに観るのは悪くない。

「俺は君を傷つけたやつを、けっして許さないからな。」なーんて言うと、「あら、この人、私を心から愛しているのね。」と思ってくれるかも。でも実際には、こんな男が一番彼女を傷つける可能性が高いのだ。

ラストは、あれで良かったのだろうか?多数決を取ったら、きっとジョディ・フィスターが逃げきってくれることを支持する人が多いのは間違いないが、やっぱし彼女の行動は犯罪行為には違いない。最初の殺人は正当防衛だろうが、2件目は獲物を探していたので、殺人の意図があった。3件目は、明らかに証拠が挙がってる。

彼女の心の奥の深い怒りや、悩みがうまく表現できていただろうか?何かエピソードで精神的な変化をうまく表現できれば良かったのだが、そのへんが不足していたような気がする。彼女は製作にも関わっているそうなので、ほぼ自由に感情表現をできたはずなのだが、何が不足していたのか?

もしかすると、単にもうちょっと若い女優が主演してるだけで違った印象を与えたのかも知れない。彼女はもう母親役の世代である。もっと若い女優に道をゆずるべきだった。

事件後に適応障害、PTSDの症状が出て、激しく悩むことを、もっと上手く演出できていれば心に残る映画になったと思うが、駄作ではないものの、深みに欠けていたような印象を受けた。

 

 

2008年4月24日

プラネット・テラー(2007)

Photo - ゾンビ列伝  -

なんとまあ、過激な映画か!子供には絶対に見せないほうが良い。

タランティーノ監督とロドリゲス監督のコラボレーションというアイディア、2級品映画の雰囲気を出そうという狙い、派手なアクション、格好づけした演技の数々、オーバーな表現など、いろんな点で極端な作品だった。

なんとカッコ付けした演技が多かったことか。キメのポーズを皆がとるために、2級品の臭いがプンプンしていた。なんだか懐かしい感じ。日本のヤクザ映画にも似たような雰囲気があった。

ヒーローに相当する男は周囲の俳優に比べると迫力のない顔つきで、全然役柄に合っていなかった。でも、おそらくそこを狙っていたのだろう。はまり役だと映画の価値が上がりすぎて、本格派の作品になってしまう。そうすると、この作品の意味がなくなってしまう。

ブルース・ウイリスまでが見事にグロテスクな変身をとげていた。ゾンビ達があまりにグロテスクで、下品で、とても子供に見せられるものではない。しかし、自分が子供の頃は、そんな過激な映像が観たかったものだ。

過激さ、刺激の強さも映画の大事な要素である。

「エクソシスト」の中で首がぐるっと回るシーンにはシビレた。気味が悪いんだけど、見たい。見たいけど怖い。後味が悪い。そんなシーンを、なんでわざわざ見るのだろうか?何か我々の本能であろう。怖いものを見て、それに慣れようとする自然の反応か?

ゾンビ映画を面白いと感じたことは全然ないのだが、気がつけばたくさん見てしまっている。皆同じような顔をして、うごめいているだけなのに、なんで繰り返し観るのだろうか?これも死への恐怖の裏返しか?

ゾンビが映画界に進出してメジャーになったのは、ここ20年くらいか?昔はキョンシー映画はあったが、肉がボトボト落ちたりしない衛生的(?)な死人だった。

「ビートルジュース」の頃は、すでに現在と同じようなメイキャップが完成されていた。気味悪くて見るまいと思いながら、ついついテレビで観てしまった。

「バイオハザード」は、もはや古典的な存在になってしまった。これは典型的なゾンビのキャラクターで、中枢部を破壊すれば起き上がれなくなるというルールを解説してくれた記念すべき作品である。それまでは、焼きつくすか機械でつぶすしかなかった。

この映画では、タランティーノ監督が、これ以上ないほどの最悪のゾンビ(みたいなもの)を演じていた。肉か便か解らないようなものを落としながら女に迫っていくシーンは、ある意味では傑作だった。

主演の女優はカッコよかった。足にマシンガンというのは、日本のアニメにも似たようなのはいた。

「どろろ」の実質的な主人公である「百鬼丸」は、うめてあるのは刀で、銃ではないが奇抜だった。マンガの「コブラ」も、サイコガンという画期的な武器を持つタフガイで、シビレるキャラクターだった。石森章太郎の「00九の一」は、おっぱいにマシンガンか毒針を入れていた。あっちのほうがセクシーさでは勝っていたかも。

彼女がマシンガンをぶっ放すのは良かったが、ところで弾の補充はどうやってたのか?ケガをした直後の割には元気で、セックスして走りまくって、空も飛んでた。

いーや、そんな細かいことには目をつぶろう。なんせ、2級品だから。

 

2008年4月 6日

ファンタスティック・フォー(2)

- 鮮やかだったか?    -

前作は我が家の子供達に非常に受けた。ラストに近づくにつれ盛り上がり、最後に鮮やかな勝利の爽快感が得られた。今回の作品は、スケールが大きくなり、敵も非常に強力で、物語が壮大な感じになるストーリーであったが、なぜか終わり方が不自然な感じがした。

シルバーサーファーというキャラクターは素晴らしかった。原作での扱い方は知らないが、一回で終わらせるのはもったいないような印象。窓を通り抜ける力は映像として見ると非常に美しく、迫力があって、彼だけを敵にした物語のほうが盛り上ってのではないだろうか?

真の悪役である謎の生命体は、最後にあっけなく消滅していたが、それくらいなら最初からシルバーサーファーの種族がさっさとやっつけていたはずではないのか?言うことを聞いて他の星をやっつけるくらいなら、最初から戦えばよかったのに。

また、ジェシカ・アルバを見て自分の恋人を思いだすなんて、いかにもマンガチックな話で、作品のレベルを下げてしまっていたような気がする。

テムズ川に穴を開けてしまったが、その後で上流から流れてくる水すらなくなっていたのはおかしい。穴に水が流れ込むのは当然だが、上流を止めない限り、流れてくる水が少しくらいはあるはず。

主役のキャラクターは素晴らしい。お互いの会話はテレビドラマのレベルで、深みはないが、パターンとして出来上がった感じで安心して見ていられる。仲たがいして怒ってもテレビの怒り方、きっとまた仲良くなるだろう・・ってな感じ。

ジェシカ・アルバが金髪の女科学者を演じるのは、やはり無理がないだろうか?スタイルはバツグンだが、この作品では水着シーンがないので、別にスタイルはそこそこでも構わない。顔さえ美しいなら、他にも候補になりそうな人がいると思うが。

サービスのために、ちょっと一瞬ヌードになっていたが、観客の対象が子供だと想定してあるのか、ちらっとしか見えない。そんくらいなら、他の女優でもよかったはず。

そういえば、ネットサーフィン中に見つけたのだが、彼女のことばかりみっちり記録したサイトがある。どうやって情報を得ているのか知らないが、どこそこに買い物に行ったまで書かれており、たぶん事務所かファンクラブからの連絡がありから書けるのだろう。買い物なんて、どうでもいいような気がするが・・。

この作品は結局、ハッピーエンドになったようだが、鮮やかな勝利ではなかった。そんなら、敵のスケールを小さくしてでも鮮やかになるようにすべきだったのでは?

2008年3月19日

ブラッド・ダイアモンド(2006)

- 現実感に乏しい  -

私の個人的な偏見か知らないが、ディカプリオが密貿易をするようなタフな男にはとても見えない。険しい表情をしても、もともとの顔がかわいらし過ぎて迫力が出ない気がする。彼がこの役をやっても、話本来の魅力は感じない。

演技は非常に上手なので、細かな表情に注目して見る彼のファンならたまらなくセクシーに映るのかもしれないが、私のイメージとしては、胸毛たっぷりひげズラの男臭い俳優のほうが、この役には似合っていたと感じる。タフな男が恐怖の表情を浮かべて、それからファイトを奮いだすのが映画の興奮度を上げると思う。ディカプリオは、やはり恋愛もののほうが合うと思うのだが・・。

ストーリーはいかにもありそうな話。本当にあるかも知れない。映画では別な会社名だったけど、ダイヤモンドのシンジケートは価格を維持するために結構アクドイことをやっていると聞く。本当に、いかにも、というストーリーだった。

ところが映像表現に限れば、あんまり現実感が湧かなかった。主演のキャラクターのせいか、演出家のせいかは解らない。

ラスト近くで、ゲリラに襲撃された街から主演二人が脱出する場面は、戦場の迫力を出そうとして撮影されたのは解ったが、なぜか真実味が足りなかった。激しい戦闘風景だったのに、なぜか?

最近の戦場シーンは技術が進んで、非常に激しく銃弾や爆弾が飛び交う。迫力が凄まじいのだが、やはり安全管理のために手順が決まっているようで、次はここが爆発、次はこれと予想できてしまう。慣れてくると、かえってウソっぽくなってしまう。不思議だが、それも影響しているのかも知れない。

映画全体のことを考えると、爆弾が激しく飛び交うよりも、ゲリラの追っ手がライフルを片手にしつこく探してくるほうが恐怖が伴うように思える。爆弾は派手だが、牛刀でリンチみたいな殺され方をするほうが恐怖の度合いが強い。そっちを狙ってみたら良かったのではないか?

ゲリラの隊長みたいな男が、ダイヤを隠した男を執拗に追う話は面白かったが、人質にするために、どうやって息子を探し出したのかが不思議だった。観客に「あれっ?」と思わせたら、途端に現実味がなくなる。このへんの細かいところが抜けていたのかも知れない。

家族で見ることもできるかも知れないが、村の襲撃場面などは子供には見せたくない。恋人と観るのは、結構面白く感じる若者も多いのではないかと思うので、構わないかも。

 

 

2008年2月28日

フェイス/オフ(1997)

- 当然ながら香港系 -

この映画の演出は、やはり監督の個性~香港映画の特徴が濃厚に出ていました。主演俳優の表情にも独特の激しさがあり、演出過剰な感じがしました。香港映画でした。

アイディアはマンガチックでした。顔を入れ替える方法が原始的で、切ってはがしてくっつけるというものでしたが、実際にそんなことをやったら、まず免疫反応を起こして移植した部分が拒絶反応をおこされるはずですから、免疫抑制剤を併用しないといけません。マスクがくっつくためには、繊維細胞が遊走して組織の中に入りこむ時間が必要ですから、手術した日に激しい乱闘なんぞをやったらすぐ剥がれていくでしょう。殴り合いは禁忌です。

荒唐無稽な設定の作品で演出も香港風ですから、面白く感じる人は限られているかも知れませんが、私は結構おもしろいと思いました。良かったのは、主演二人の個性の交換、激しい逃走劇、銃を乱射するシーンの見事さです。

必ず2丁拳銃で戦うのが監督の特徴のようですが、実際に2丁持つのは安定しなくて大変かも知れません。ショットガンか、小型のマシンガンを持ったほうが威力があるような気もします。でも映画で観ると、昔のマカロニウエスタンのような格好よさ、妖しげな安っぽさがあって、私には魅力的です。2流の良さを感じます。

長いコートをたなびかせてカッコをつける仕草は、香港映画~ヤクザ映画のもので、マトリックスにも共通するものでしたが、やっぱし品が落ちます。

きっと子供には受けるんじゃないかと思います。まだうちの子には見せていませんが、顔を変える話や、撃ち合い、アクションなど、きっと受けるような気がします。若い恋人達は今どのように感じるか解りませんが、韓国や香港映画が好きなら問題なく受けるでしょう。

ボートを使って追跡するシーンは素晴らしい迫力でした。ボートで戦う映画はたくさんありますが、この作品が最高かも知れません。スピード感が実によく出ていて、撮影で何人か死んだんじゃないかと気になるほどでした。

ジョン・トラボルタは、いつもの彼の個性は出てなかったかも知れません。キャラクターが独特でしたし、監督の演出がトラボルタ風のクールな感じではなかったので、仕方ないかも知れません。

もう一人のニコラス・ケイジですが、私は彼の良さが他の映画でもさっぱり解りませんので、今回も解りませんでした。演技力があるんですかね?

でも全体としてデキがよく、特に技術面では素晴らしいものがあったと思います。

 

2008年1月12日

ブラック・ダリア(2006)

- ハードボイルドに慣れる必要あり  -

この映画の形式は、なんだか懐かしいハードボイルド刑事ドラマで使われていたものでした。人の移動とともに場面が変わり、話の展開が早く、主人公が推理する時には丁寧にアップ画面がありました。

知り合いの方に、この映画の印象を聞いてみましたら、コロコロ画面が変わって、何だか話の筋がわかりにくかったと評されました。確かに、そんな印象はあります。

昔のドラマでは、主人公が誰かを殴るか逆に殴られて失神し、そこでシーンが変わって、うまいこと話が展開していくうちに真犯人が明らかになる寸法でした。この映画も、その手法を取っているのだと知っていれば、「そろそろ犯人が解る頃だ。」「このシーンは、犯人を暗示しているはずだ。」という約束事に気づいて、話が解りやすかったでしょうに。

話のアイディアは、「L.Aコンフィデンシャル」と良く似ていました。ハリウッド女優を目指す女の子と、ハリウッド女優に似た娼婦との違いはありましたが、女優がらみの女をめぐる殺人、警察組織内部の暗闇、友情とちょっと危険な男女関係など、ああいかにもハードボイルドだな~と感心させる設定が、両作品に共通する要素でした・・と、思ったら原作者が同じだったようです。

でもLAコンフィデンシャルは、ここまでハードボイルド形式ではなかったようです。なまめかしいヒロインは共通でした。この作品のヒロインのほうが若い分だけ軽い雰囲気だったかもしれませんが、好みの問題かも知れません。

見たことはありませんが、おそらくハリウッド女優に憧れて、通りをしゃなりしゃなりと歩く女の子がいるような気はします。そこまでしなくても、ハリウッドそばに職場を求めて、演技学校などに通いながらチャンスを待つ子は多いでしょう。そんな子を餌食にする業者もきっといるはずです。話の真実味を感じました。

俳優達は一流でした。主役のジョシュ・ハートネットは、私にはさっぱり魅力が解りませんが、スカーレット・ヨハンソン、ヒラリー・スワンクは、魅力あふれる演技だったと思います。ヒラリー・スワンクは映画によって驚くほど表情を変えて来ます。美しいという表現が当てはまる人ではないような気もしますが、映画の質を高める力を持った女優だと思います。主人公がヒラリーを始めて見た時、「際立って美人だった。」みたいなことを言いますが、私は正直「は~?」と違和感を覚えました。セリフを変えてもよかったのでは?

仲間の刑事役、上司役なども雰囲気が出ていました。昔の映画の雰囲気を大事にして、いかにもという人達を選んでいたようです。警察内部の広い部屋にタバコの煙かなんかがモヤのように立ちこめるところなんか、もうそれだけで懐かしくなります。よく雰囲気が出ていました。

ボクシングの試合も非常に雰囲気が出ていました。おそらく試合をした二人の役者は、相当な経験者だと思います。ロッキーなんか比較にならないくらい、本当の動きでした。

そんなこんなで雰囲気がいい作品でした。慣れが必要なようですが。

家族で観るのは勧めません。恋人とならOKかなと思いますが、果たして相手はハードボイルドの手法に慣れてるかな?

2007年12月30日

フィラデルフィア(1993)

- 小津監督にささぐ?  -

「フィラデルフィア」では、登場人物が向き合うアップの画面が多用されていて、小津監督の真似でもしてるのかと感じたが、この手法はお互いに心が通い、信頼しあうことを表現する時には本当に効果的。この手法に加えて、様々にカメラの位置を変化させる、照明などを変化させるなどの細かい工夫をしていることが伺えた。

よくできた映画。家族や恋人で観ることを勧められる作品だと思う。いたって真面目なテーマなので、爆笑したい時には別な作品にしないとダメかも。

この監督は、「羊たちの沈黙」で気味の悪い映像を作っているから、いろんな手法を使う’手法オタク’なのかも知れない。カメラアングルも独特な気がした。どの監督も、程度の差はあれ、皆オタクだとは思うが・・。

敵対する弁護士達が本当にエイズのことを知っていたのかが、明確に描かれていなかった。ストーリーから想像するに、少なくとも彼らの誰かが調べてから解雇したはずだと思えたが、はっきり描かないのは珍しい作り方だった。

実際の事例でも、例えば裁判の陪審員のおかれた立場でもそうなのですから、この流れはリアルになる効果があって正解だったと思える。しかし、はっきりしないなんて嫌という観客もいそうな気がする。やさしいヒントがあったほうがウケがいいかも。

いくつか気になった点があった。

ラストでトム・ハンクスが横たわるベッドにデンゼル・ワシントンが座って話をするが、その脇で家族達が家族だけで話している。普通は自然にトム・ハンクスに皆の視線が集まりそうなものです。たぶん家族同志で話しながら、チラチラと病人のことが気になって目を向けるのが自然だと思う。

不必要に長いシーンもあったように思う。マリア・カラスの歌を聞くシーンは、主人公の感情や感性を表現する良いシーンだったが、トム・ハンクスを長々映さず、かえってデンゼル・ワシントンの背中や、レコードや遠景、影などを映したほうが観客のイメージが拡がるはず。トム・ハンクスの顔は時々チラッと見せるほうが良かったのでは?

歌に酔いしれているのかと思って、くるっと振り向いたら大泣きした顔だったら、本当に可哀そうな気持ちになるだろう。「こんな曲で感動すんなよ。」と、笑っていたデンゼルが、「笑ってすまない。」と、感じるのが普通の演出ではないかと思う。

エイズという病気に対する当時の認識の仕方がよく描かれていた。

研修医の頃、病棟に始めてエイズ患者の血液が持ち込まれた時は、正直言って一刻も早く立ち去りたかった。こんなの持ち込むな!と真剣に思った。患者さんに一度もさわることがなかった婦長が、「エイズ患者の看護」と題して講演したりするという笑い話のような本当の話もあった。

トム・ハンクスの演技は、確かにアカデミー賞のレベルだった。最近の彼よりも役柄の深刻さもあるのか、もっと険しい表情が目立った。初めて弁護を依頼しに来る時の半分ヤケクソで怒りを秘めた目つきは、病院の患者さんに時々見かける目でした。あの怒りは独特のものだ。

デンゼル・ワシントンの演技の仕方も、今とは少々違う。最近は、もっと鋭い目をしていることが多くなったような気がする。この作品では、結構にこやかな好人物、よくいる有能なエリート型に近い雰囲気で演じていた。

アントニオ・バンデラスが、今では考えにくい役柄で出演していた。ホモセクシャルの感覚は正直まったく解らないが、だから迫害することはしたくない。私が道を歩くギャルのお尻を見てにやけるような感覚で、同姓のお尻を見て興奮しているなら、たぶん私も同罪。迫害されたくない。したがって、ホモセクシャルを迫害したくない。

お尻をながめるのは、「自由だあ~!」

法廷でのシーンは、珍しい穏やかな雰囲気。今までの裁判ものは、決まって激しい口論、誘導尋問、意義あり!という叫び声の応酬で終始したものですが、この作品では節度を守り、時にはジョークをまじえる演説が目立った。

「宣誓して答えなさい。汝、目で姦淫したことはあるか?」

「うっ・・お尻を・・。(何て答えればいいのか?)」 

 

2007年12月26日

プラトーン(1986)

- 個性光る登場人物達  -

スパイダーマンを観ていて、急に思い出して観てみた。

この作品は高く評価されアカデミー賞を取ったが、今は知らない人のほうが多いかも知れない。よくできてはいたが、いわゆる娯楽作品ではなく、あざやかな勝利でスカッとしたい人には向かない。家族や恋人といっしょに観るタイプの映画でもないと思う。

役者では、ウイレム・デフォーが最も印象に残った。彼は、確か「ストリート・オブ・ファイヤー」に悪役で登場していたが、その当時は迫力不足の印象しかなかった。でも、この映画でアップでの表情を見ると本当に魅力的。最近も悪役の代表選手のような存在だが、単純な悪役でないように工夫している様子。

トム・ベレンジャー演じるバーンズ大佐も光っていた。最も大事な役どころだったと思う。この映画ではタフネスの印象だったが、「メジャー・リーグ」では少しきゃしゃなベテラン選手の印象しか持てません。意外にマッチョマンではなかった。演技の力か、演出の力か?

この二人にはさまれるチャーリー・シーンの演技にも好感を持てた。彼はギャグで「ホットショット」にも出演しているが、この映画のような役柄が最高に合う。

バーンズ大佐は、ある意味で戦場における勇者の代表選手を演じていたと思う。部隊の中でも巧みに君臨し、生き残り、戦争犯罪を起こしても有罪にはならないように、ちゃんと手を打つ。このような人間は、会社組織の中にも必ずいる。

このような人間は優秀な兵士~会社員ではあるので、多くの場合は出世していくが、長期的に見ると組織の機能を損ない、映画の中と同じように仲間を平気で処分するため、いっしょに活動する者達は悲惨な目に合う可能性が高くなる。

そのへんの仕組みが、自然な形でストーリーに反映されていた。作者の視点が優れていたからできたことだろう。麻薬などにおぼれる兵隊達の気持ちも、少しは解るような気がした。戦場のような極限状態では、バーンズみたいな人間が適応して君臨していく。

かっての日本軍も似たようなものだったかも知れない。君臨すると周りを不幸にするタイプは、特に日本のような精神風土には多いかも知れない。集団になった時に、ルールに則った議論の仕方を続けるトレーニングができていないからだと思う。大の大人が、それこそ我が国のエリートですら、仲間内の人間関係で組織全体の方針を誤ることを繰り返している。

敵を待ち伏せしているうちに当番が居眠りし、ゆっくり敵がせまるシーンは臨場感のある場面だった。戦闘シーンも、華々しい爆撃で敵を片付けるのではなく、白兵戦で乱闘する状況が多かったのだが、実際に従軍した監督ならではの演出だった。

ラスト近くの戦闘は、ディエンビエンフーの陥落がモデルになっていると思う。エリートの司令官の指揮の下、現場の状況を把握できないまま戦闘に入り、ゲリラと米軍が入り乱れ、とにかくそこらじゅうに爆弾をばらまけ!と命令するくらいの混乱が解りやすかった。

ゲリラ戦は、まさにそのような混乱を目標にしている。まともに米軍と戦ったら爆弾の餌になるから、まず戦闘員と非戦闘員が区別できないようにすること、時には戦闘の常識を破る人海戦術を取ること、自爆攻撃など人道無視の方法で戦い、混乱の中に引きずり込むことを目指さざるをえない。

今のイラクも似たような混乱状態にあるのではないか。

小隊の中での人間模様、せまる敵の怖さ、失敗の仕方、兵卒の感情などを実にうまく表現できていたと思う。残念ながら、ベトコン側の視点はなかったが、これは仕方ないでしょう。

 

2007年12月 8日

プライドと偏見(2005)

- 負け組にならないように  -

原作は超有名な作品ですが、私は読みたいとは思いません。今までに多くの映画やマンガで踏襲されたストーリーだからです。しかし女性の方なら一回は読んでおいた方がいいかも知れません。女同士で話す時に、万国共通で話題になるはずです。

ちなみに原作者は一生独身だったそうです。「やはり」と言ったら失礼ですが、なんとなくそのような匂いがします。作者が自分の結婚がなぜ失敗したかを分析した結果、自分のプライドと第一印象の偏見に問題があったと結論が出ました(うそです)。しかし、解った時には遅かった。解る前に恋せよ、乙女。

昔は結婚の重要性は今よりもずっと高かったので、結婚ノイローゼ、もしくは結婚狂のような女性はたくさんいたと思います。私のようにイケメンで人格にも欠点がない人物(反対意見もあります)と結婚できれば、一生笑って暮らせるはずですが、なかなかそのような縁は少ないのが現状です。

ダンスなどの数少ないチャンスを狙って、なんとか仲良くなろうと激しいバトルが展開された様子が、この映画ではうまく描かれていました。早く売りすぎて貧乏くじを引いてしまうか、玉の輿に乗るかは本当に大きなことで、それは今も変っていないと思います。

学生の飲み会などを横目で見ていると、将来有望そうなイケメンには、激しい奪い合いが展開されます。その学生が一人きりになろうものなら、偶然を装ったメスどもが近寄って、何とか二人きりになろうと工夫します。見ていて、野生の王国を見るかのような迫力を感じます。

思えば、私には全然バトルが起こりませんでしたが、あまり出世しなかったことからすると、ケッ、女どもの目が正しかったってことかいな。

私の話はどうでもいいのですが、主人公もあやうく牧師の貧相な男の妻になるところでした。もし、そうなっていたら話は大悲劇になって、映画化されるほど人気が出なかったでしょうから、大事な選択でした。しかし、一歩間違えれば、一生独身を覚悟しなければなりません。カケが成功して良かったですね。身の回りの現実の女の子達も、結構独身のままの子がいますが、負け組は可愛そうです。

特に看護婦さんの場合は、研修医と結婚できるか否かは大きな賭けになります。KKKKK研究をご存じでしょうか?ご存知のはずはありません。私が考えたからです。正式には「kumamoto  kanngofu  kennsyuui  kekkonn  konnnann  研究」です。つまり臨床研修制度が変って、研修医が来なくなった田舎の病院の看護婦が結婚できないので、そのまま行かず後家になるという怖ろしい実態の調査です。

結果が出れば、田舎の看護婦が今の研修制度に反対しない愚かさが浮き彫りになるでしょう。また、看護婦が都会の病院に引っ張られて、田舎で募集しても集まらない真の理由が解るでしょう。看護婦も、ただ仕事のことだけを考えるほどバカじゃありません。

また話が外れましたが、第一印象で高慢だと思えた相手が実は紳士であった、気がついて徐々に好きになるという話は、女性にはたまらない話のようです。ユー・ガット・ア・メールやブリジッド・ジョーンズの日記も原作のアイディアは、この話からです。確かに夢がある話です。

私も外見上さえないように思えて実は紳士なんですが、誰も気がついてくれなかったようです。今度は作者に、私をモデルに「ハゲと短足への偏見の誤り(見落としに注意)」というタイトルで、男性側の視点で描いてくれないかとお願いしたいと思います。

話が外れっぱなしのようですが、キーラ・ナイトレイは人気者で、笑顔が素敵な女優ですが、この作品には笑顔はあんまり必要ありません。メスの戦いを描いた戦争映画、野生動物の記録ですから、野生本能でぎらついた目を中心に描き、オスに向いた時だけ瞬時にニッコリする怖ろしい姿を表現して欲しかったと思います。

オス以外に対しては、笑顔なんて見せる必要はありません。戦いの場においては、笑顔と仕草を武器に、オスをしとめましょう。

 

2007年11月 8日

フレンジー(1972)

- 様式美と冒険  -

フレンジーという言葉の意味は、友人が重要な役割を果たすからだと思いますが、いかにも監督らしいタイトルだと思います。思えばヒチコック監督は、北北西~だのと訳の分らないタイトルで人の注意を引いてほくそえむような人の悪いところがあり、だまされないかと注意してしまうところが、また楽しい点でした。

ネクタイを使った連続殺人が起こりますが、犯人として候補に挙がったのは戦争の英雄だった男です。何か戦後はうまくいってないようで、まず服装が怪しいと思います。それに何かイライラしているところも怪しいと思えます。また新しい犠牲者がでました。画面を観る限りでは、この男が犯人だとは感じられません。いったい、どんなトリックで犯行を犯しているのでしょうか?きっと監督のことだから、とんでもないどんでん返しを用意しているに違いないと、今までの経験から私などはついついヒントはこれかな?などといらんことを考えながら観てしまいした。

この映画は、正直なところ家族で観れる作品とは思えませんし、恋人と観てもいったいどんな感想になるんだろうと思えるような作品です。なんで、こんな映画を作ったのか、監督の人格を疑いたくなるような、そんな作品です。実際の事件がヒントになっていたように記憶していますが、それにしても監督の作品には、やたらロープなどで首をしめる犯人が出てきます。何かトラウマがあったのではないかと思います。

恐怖に引きつった女性の顔が何度か出てきますが、かなり色っぽい女性もいて、なんだか艶めかしい印象も受けました。監督の趣味だろうと思いますが、最近流行のスレンダーな女性は登場せずに、結構グラマーな女性が殺されます。監督に独特な嗜好があったに違いありません。殺人でエクスタシーを感じる種類の、変質者だったかも知れません。映画で発散していなければ、本当に犯罪を犯していたかも・・・。

ネクタイというものを考えてみると、これほど危険なものはありません。車か何かにひっかかってしまったら、それこそ命取りになりかねません。こんなものをつける習慣は早くくなくなったほうがいいと個人的には考えています。寒ければ襟を高くすればいいし、飾りならリボンのほうがずっと便利ですし、私のような暑がりは夏はTシャツが一番なので、ネクタイ着用がマナーなどと言われると、それだけで参加したくなくなります。

作品には様式美のようなものを感じます。冒頭の死体発見の場面などが代表だと思いますが、演説を聴いてる人達から、ある人にカメラが移動し、死体を見つけて聴衆がいっせいに駆け寄るというように、視点の移動が決められた様式でなされます。監督の晩年の作品なので、最初は実験的だったカメラワーク、シーンの連続性も、この頃は様式化していたのかも知れません。

観客を飽きさせないために、いろんな展開の仕方をしたほうがいいと思います。ひとつとして同じ展開がないくらい冒険をするなら、作品の寿命も長いと思います。監督は、この作品で充分に冒険していたのでしょうか?

2007年10月26日

フェーム(1980)

- いいタイトルはないんかのう   -

この作品は今でも共感を得るだろうと思います。でも家族で見る時には、さすがに小さい子にとっては少し古くさいような印象があるかも知れませんし、ミュージカルのせいかDVDの日本語版を選べないため、訴えていることが分らないかもしれません。

メイキング ビデオによると、この作品の舞台になった高校は、ニューヨークに実在するそうです。ダンス、クラシック音楽、現代音楽、演劇などを専攻して、将来はブロードウェイやハリウッドなどにも進出して名声を得ようと考える学生達は、夢の塊のような存在でしょう。

もちろん映画のように道路に飛び出してダンスされたら、交通渋滞を引き起こして大問題になりますので、多少の誇張はあると思います。この学校を題材にすることを誰が考えたのか知りませんが、夢と葛藤を描く場として、題材として、最高だったと思います。

バレエを踊る子達の体は、ほっそりしていて本職のダンサー達に比べると華奢でパワーに欠ける感じもしますが、その未完成なところがかえって魅力に写りました。

アイリーン・キャラは一世を風靡した感がありましたが、最近は声を聞くことはなくなりました。私が知っているのはフラッシュダンスの曲までですが、あちらのテレビ番組には最近までいろいろ出演していたそうです。この作品は、彼女ひとりが主演ではないのですが、歌が見事なので自然に目だっていました。今でも曲さえあれば充分に通用すると思います。かすれたような声で、人に希望を持たせる力を感じます。

似たような声質のグロリア・エステファンに人気が出たことも、出番が減ったことに関係しているのかも知れません。また、あまりに若者の夢を歌うイメージが強すぎて、年をとってからの歌を歌いにくいところもあったのかも知れません。

登場人物では、他にポール・マクレーンが有名です。テレビのERで嫌われ者のロマノ部長を演じていました。この作品でも独特の風貌を生かした性格俳優ぶりを見せていましたが、顔からして性格俳優になるために生まれてきたかのような感じがします。そういえば、ロボコップでも悪役を演じていました。

芸能を専攻する学科を設けるというのは、日本の公立高校では考えにくいと思いますが、かわりに宝塚とジャニーズ事務所が機能しています。宝塚のような学校は他の国にもあるのでしょうか? バレエの学校や国立の養成機関は各国にありますが、礼儀作法などもしつける、しかも女性だけの歌劇学校というのは、本当に珍しいと思います。

日本もテレビや映画、ミュージックシーンの市場は大きいのですから、名声を目指して頑張る若者のために、専門学校ではなく公立の学校を作ってもいいような気がします。ジャニーズが登竜門のままでは、トシちゃんみたいになると悲惨ですし、年をとってから常識を知らないバカなクイズ回答者としてしか生きれないようになるかもしれませんし、なによりジャニーズの意向で芸能界がゆがむようなことはよくありません。

バレエを含めたダンスの学科、演劇、軽音楽学科、クラシック学科、民謡、演歌学科、手品学科、サーカス学科、漫才~落語学科なども面白いのではないでしょうか。少なくとも、各分野のレベルを上げる効果はあると思います。需要もあると思います。あの学校を卒業しているから劇団四季のオーディションでも勧めてみようか、あるいは今度のドラマに抜擢してみようかというような話も来やすいと思います。

芸能に限らず、学びの場に多様性があったほうが国全体の人材育成を考えた場合は良いのでは?東京に一校だけでもいいので、とんでもない才能が集まる特殊な学校を作って欲しいと思います。受験技術の習得に教育が偏っても人事育成ができるわけがないと、役人達が気づかないのか不思議です。

この作品を見ると、名声を夢見る若者の姿に力づけられますが、このタイトルのフェームには納得できません。フェイムもしくはFAME、それとも「学校へ行こう!」などはいかがでしょうか? パクリと言われるかもしれませんが。

とにかく、もっと響きの良い言葉があったろうにと感じます。

 

2007年9月 2日

ブルース・オールマイティ(2003)

- アホみたいに笑いたい  -

この映画は、いかにもジム・キャリーらしい作品でした。彼のために作られたに違いありません。家族で観れる作品だと思います。恋人といっしょなら、軽いノリで観る場合に限ったほうが良いかも知れません。作品としての出来栄えを鋭く批評すると、ちょっと楽しみが減ってしまう気がします。

何も考えず、アホみたいに笑いたい時には最高の作品です。

キャスターの仕事で、同僚の後塵を拝することとなって意気消沈している男が主人公ですが、彼は神様から能力を貸してもらうことになります。皆の祈りがうるさくてしょうがないという困った点はありますが、仕事でも恋でもたちまち絶好調になります。ところが、適当に願いをかなえていたら社会がメチャクチャになり、恋人との仲もおかしくなってしまいます。彼はどうやって解決するつもりでしょうか?

私は宝くじを買う時だけ神様に祈るような不信心な人間でしたが、最近は反省して毎日家族の幸せを祈るようになっています。宝くじは相変わらず買っていますので、できれば神のお力添えがあれば良いのですが・・・。

ストーリー展開から考えて、神の力で引き起こすエピソードが予想されますから、話の筋が見えてくるとワクワクできました。映画を観る時に我々の期待するものは、とにかく腹を抱えて笑える話か、見たこともない迫力や美しさ、あるいは怖さなど日常で体験できない感覚です。この作品は、それがこれから見れるのだと誰でも解るので、楽しく見れました。

ただし、映像はとんでもないほどではなかったように思います。ジム キャリーの映画では「マスク」のほうがとんでもない映像でした。この作品は、あまりCG効果を使わず昔のテクニックで撮影されていましたから、ノーマルに面白いという感じでした。見たこともないCGがないと面白くないという人は、ちょっとガッカリするかもしれません。

ライバル役の俳優は面白い演技(顔技?)でした。ジム キャリーより面白かったかも知れません。メイキング映像も見ましたが、これもかなり笑えました。「たまには、こんな映画でアホみたいに笑いたいな。」と思います。

ジミー ホッファの遺体を発見した!といって、意味が解る人はどれくらいいたか解りませんが、きっと若い人も子供の頃に観た映画のような、オーソドックスな作品として楽しめるのではないでしょうか。

2007年7月24日

フラガール(2006)

- 体育会系   -

常磐炭鉱のどこかの町が舞台でした。炭鉱が閉山間際になって、会社はハワイアンの温泉センターを企画しますが、東北の町にハワイと言うのは、いかにも無理な感じがします。町の人にしてみれば、閉山リストラ路線を進める会社に協力してなるものかと、冷たい態度が主流です。当時の状況を思えば、当然でしょう。

この炭鉱は、実際のところ温泉を捨てて石炭を掘っていたそうで、無駄な温泉の有効利用法として、温泉センターは良い考えですが、まだバブルの時代ではありませんから、ハワイアンセンターのアイディアには懐疑的な人が多かったはずです。

で、町の娘が数人、ダンサーに応募してきましたが、当然ながら素人です。松雪演じる先生の指導で、少しずつサマになってはいきますが、その間には様々なトラブルが起こります。ダンサー各々の家庭でもケンカが起こります。さて、うまく開園できますことやら、というストーリーでした。演出はされていましたが、この経過はリアルに描かれていました。

いい作品でした。出演者達の感動が伝わる珍しい映画だと思います。実話が基になっているそうですが、うまくまとめないと単なるサクセスストーリーになってしまう危険がありそうな題材です。でも、踊り手達の興奮が私達にも伝わってきましたので、いっしょに喜べるような感覚になりました。家族で見ても、恋人と見ても良い作品だと思います。

スポ根ものの作品に多いのですが、ヒーローがいて、最初は挫折し、やがて周囲の理解を得て、最後に感動のサクセスストーリーでは、決まりきったクサイ芝居で、動作も実際の選手ほど美しくない、いかにも芝居という雰囲気が漂うことがほとんどです。これを避けるためには、実際に役者達が高いレベルの競技ができることが必要です。「スウィング ガールズ」も成功した作品だと思いますが、あれも演者達が感動していることが伝わりました。

この映画のダンサー達は、相当な練習をしたに違いありません。テレビで社交ダンスに挑戦する芸能人の番組がありましたが、あれも似たような感動を得ることができました。我々の多くは、自分であろうと人であろうと関係なく、努力が報われることに幸せを感じるように思います。

この映画の演出は、特殊な点はないはずです。今までの日本映画の演出となにも変らないような気がします。松雪の踊り、演技は上手でしたが、彼女は旧来の芸達者な役者と同じようにパターン化した演技をしていたにすぎないような気がします。でも、彼女の持つ何となく薄幸なイメージが演技以上の存在感を感じさせたように思います。

その他の富司純子、豊川悦司も非常に巧く、計算された演技の迫力が感じらられましたが、やはりそれだけで我々を感動させるほどの名演とは言えないような気がします。決め手は、ダンサー達の息使いと目です。やはりダンサー達が必死にやった体育会系の感動が成功の秘訣だったように思います。

そういえば、この映画は恋愛を排除していました。普通なら豊川と松雪の間に何かあるなり、踊り手の誰かが恋人に止められて困るようなエピソードがありそうなものですが、きれいに排除されていました。恋人より家族を優先せざるをえない、せっぱ詰まった状況が舞台の映画ですから、超体育会系で恋愛どころじゃなかったのかも知れません。また実際と違うと、モデルの人達が困るのかも知れません。

結果的に恋愛がなかったのは、テーマがしぼれて良かったような気もします。町の浮沈をかけたプロジェクトに、愛だの恋だの言ってらんね~だ。話が単純になって、よがったとオラも思う。 

友人との別れの場面の「じゃ~な~。」も良かったと思います。良いセンスでした。じゃ~な~。

2007年7月21日

ブラックホーク ダウン(2001)

Photo_21 - 後手に回った作戦記   -

この映画も作戦失敗からの脱出劇を描く作品でした。救出のために、さらに大きな犠牲が出てしまい、司令官はこの作品の後で更迭されたと思えました。

ゲリラの支配地のど真ん中で、相手の大物を捕らえるための作戦が始まりました。敵を確保して、さあ引き上げようとした時にトラブルが発生してしまいます。救出に行った部隊が、これまた大勢の敵に包囲され、次々に死傷者が出て行きます。どうやって脱出するか、というお話でした。 

主演が誰かはっきりしない映画でした。いろんな兵隊が活躍しましたが、ヒーローめいた活躍をしたのは、後方勤務のユアン マクレガーだったようです。

敵地で作戦を決行するのですから、不必要なくらいに準備を整え、強力な装備で一気にことを片付けるべきでした。暗視装置、もしヘリが撃墜された時のための地上部隊の配備、救出用へりなどなど、十重二十重のリスクマネジメントが必要だったことが分りました。

医療現場でも、このようなことはよく起こります。例えば検査のために移動している最中に突然患者さんが急変してしまった時には、廊下やエレベーターの中などには薬も何もありませんから、処置のしようがないまま亡くなってしまうことがあります。待合室で体温を測っている最中に急死した患者さんも何度か経験があります。どんな患者さんか誰も知らないうちに、いきなり倒れられて、あたふたします。

ある意味で移動や検査は作戦みたいなものです。あらゆる可能性を考えて、点滴や救急用品をいっしょに運ぶなどの、一見バカバカしい準備が必要なこともあります。心筋梗塞のような緊急性の高い病気の時は誰でも注意しますが、例えば胃潰瘍で療養中の人が急にショックになるなんて、普通は予測できません。でも、頭を使えば迅速に対応することは可能です。一見ありえないことを予測する能力が現場には要求されます。

中規模の病院では、通常は夜間の当直は一人しかいません。その時に患者さんの2人が同時に心臓が止まったら、どうしたらいいのでしょうか? めったにないことですが、数年に一回くらいはあります。看護婦に手の開いた人がいればよいのですが、そういう時に限って重症患者も多くて、結局その場しのぎの処置で乗り切るよしかないことになります。

政府は充分な看視が可能なほどの人員の配置を認めません。この映画でも、最小限の人員で出発せざるを得ないようなことを述べる場面がありましたが、わが国でも医療費節減のために現場に厳しい締め付けがあります。重症患者が増えた時は、看護婦も倒れそうなほど働きますが、それに対して人員を増やして対応しようにも、経営的に成立しえないように医療費を設定していますので、緊急事態ではお手上げ状態です。

後手に回らないように注意してやるしかありませんが、、、。

作品として、この映画は結構迫力があって、よくできていたと思います。結構残忍なシーンがありましたので、家族いっしょに、または恋人といっしょに見るのに最適ではないと思いますが、友人と見るならいけると思います。

どんどん状況が悪化し、次々と死人が出るのでスリルがありました。映像も、カメラワークが良いのか、迫力がありました。現実の戦闘もこんなものかと思えるほどでした。それが、この映画の特徴でしょう。登場人物のキャラクターとしては、ユアン マクレガーは文官みたいなキャラがうまく出ていたと思いますが、本来の主役のジョシュ ハートネットは、なんで主役に選ばれたのか分りませんでした。表情がはっきりしませんし、体も細身ですし、兵隊役には無理があったように思います。

せっかくの技術さん達の腕が、役者のキャラクターや芝居の問題のために少し足を引っ張られた印象を受けました。でも、全体としてはかなりよくできた作品だと思います。監督の趣味が出ていたのかもしれませんが、残忍だけどリアルで迫力ある映像というのがまとめでしょうか。

2007年7月10日

ブラザーフッド(2004)

- 迫力ありすぎドラマありすぎ  -

戦闘シーンは、ほとんどメチャクチャな状態で迫力ある映像でした。普通、この映画くらいの戦闘に巻き込まれたら何度も死んでないとおかしいと思います。

靴屋を営む夢を持ちながら弟を学校にやろうと考えていた兄と、ちょっとほっそりしたやさ男の弟の物語でした。突然、朝鮮戦争が起こり、兄弟は否応なく戦場を駈け巡るはめになります。

弟を除隊させるために、兄は手柄を立てて除隊の権利を得ようと考え、無茶な働きをします。その結果、英雄になってしまいますが、弟はそのような兄に反発し、軍隊に残ってしまいます。戦線が南北を上下する間に各地でリンチが起こり、兄弟の仲良かった男、兄の妻などが次々殺されます。絶望した兄は、なんと敵側に走ってしまいます。兄を連れて帰るために、弟は戦場の真っ只中を敵の陣地に向かいます。

この辺のストーリーは、私の理解を超えています。韓国のテレビドラマのように話が二転三転し、現実と遊離してしまっている気がしますが、見方を変えればドラマチックにはなっています。このようなドラマがないと満足しない人もいるので、これはこれで良かったのかも知れません。

戦闘シーンはすさまじい迫力で、爆弾が主人公のそばでガンガン炸裂します。カメラを振動させるテクニックはやりすぎではないかと思えるほどでした。このテクニックは最近の映画ではよく見かけますが、振動幅に注意しないと画面が見にくくなります。また、縦の振動だけでなく、横や前後の振動を使い分けると迫力がさらにアップするかも知れません。

主人公が敵側に寝返るストーリーは必要だったのでしょうか?しかも戦闘の最中に兄に会いに行くのは、いくらなんでも無理があると思います。戦場では、動くものには反射的に銃を向けるようになりますから、味方でさえ誤射されないように注意しないといけないはずです。その中で兄と会うなど、まずありえないでしょう。

主演のチャン ドンゴンはいい眼をしていました。野性味があって、他の韓国の俳優よりも我々の感覚に近い感情表現ができる感じがしました。眼に力がないと、主人公としてやっていいくのは難しくなります。目玉の松ちゃんと言われた俳優が昔いたそうですが、眼がギョロっと見開いているのは良いことです。

朝鮮戦争は、戦線が国内を上下しましたので、映画の中でもありましたが悲惨なテロが繰り広げられたようです。共産主義に共感するか否かに関係なく、肉親を殺されでもすれば抜き差しならぬ敵意を生みます。今の韓国政府は北朝鮮に同情的ですが、ちょっと前までは大統領が暗殺されかかったくらいの激しい敵対関係にありました。国民の中にも北を信頼できないと考えている人は多いそうです。

戦えば、それによって新たな敵意が生じます。戦争など起こってほしくはありません。

2007年6月11日

プラダを着た悪魔

Photo アン ハサウェイの目は藤子不二夫的だと思いませんか?

この作品の主人公、アン ハサウェイはジャーナリスト志望ですが、就職口がないためファッション雑誌の編集者の秘書として働くことになります。この編集者メリル ストリープは、尊大なカリスマで、職員は皆彼女にかしづいています。場違いなハサウェイでしたが、次第に無理難題に応じることができるようになり、信頼を得ます。ところが、それに伴い恋人や友人達との関係はギクシャクするようになり、彼女は職場と恋との二者択一を迫られることになります。さて、彼女の判断はいかに?

恋人と見ても家族で見ても良い作品だと思います。イジメと言えるような要求が主人公になされますが、露骨な部分や暴力沙汰がほとんどありませんので、子供も見れると思います。

若い女性がキャリヤアップを目指して奮闘する物語はたくさんありますが、どれも主人公に共感してしまいます。この作品は、その中でも特に指折りの佳作だと思います。原作がベストセラーだったそうですが、この作品は映画用にうまくまとめてあると思います。

DVDの付録には、「恋するアンカーウーマン」の宣伝が載っていました。これも同じようなテーマですが、より主人公がパワフルでセクシーな設定のようです。ミシェル ハイファーが出た「アンカーウーマン」や、シガニー ウイーバーが敵役を演じた「ワーキング ガール」も、同じように主人公の女性が明日を夢見て努力する筋書きでしたが、主人公のキャラクターによって、微妙な味のちがいがありました。

登場人物のほとんどは仕事熱心で、上昇志向が強く、しかも確固たる人格を持つという視点から描かれていました。ちょっときれいに描き過ぎかも知れません。しかし、昔の健全な映画のように、見た後に幸せな気持ちになれました。リアルでえげつない出世競争、人を蹴落とす物語を見てもあまり後味が良いはずもありません。

視点と言えば、カメラの視点が非常に良かったと感じました。カメラの高さのちょっとした調整にも神経が行き届いているようで、もしかするとファッションショーの場面が多かったからかもしれませんが、ショーを見るかのように視点がスムーズに移動されていると感じました。色彩も人物の顔色も的確に調整してあり、センスのある美しい映像でした。メーキャップがファッションショー的であった感はありましたが。

気になったのは、主人公のファッションが次第に洗練されていくのは良いのですが、いかに責任者が許可したとしても撮影で使うはずの会社の衣装を借りて良いのか?ということです。あちらの会社は、その辺が自由なのでしょうか?ちょっと、ありえないような気がしますが。

それに、アメリカの出世競争は実に激しくて、この映画のように協力的な同僚がそれほどいるのは、現実では稀ではないかとも思います。失敗するのはお前のせい、みたいな表情をする人がほとんどではないでしょうか。人種、キャリア、コネなどに強大な壁が存在するはずです。

アン ハサウェイは、もともと愛嬌のある顔で、この役にはうってつけでした。彼女がひどい要求をされると面白くなります。アンカー ウーマンでは迫力のあるレベッカ ローミンが、凄い顔をして強引に乗り切る姿が笑わせることになるでしょうが、アン ハサウェイの場合は、かわいく賢く乗り切るのが爽快でした。可愛くか、迫力か、いずれかがポイントのようです。

メリル ストリープはいつもながら巧く演じていました。少し細眼を多用していたようですが、もしかすると人を小ばかにしたした細眼は、万国共通の尊大さの表れなのかもしれません。私のボスの中にも似たような表情をする人がいました。思い出しても背筋が凍るような目線でしたが、彼らも上昇志向が強くて、何でも競争してしまうクセのある健全(?)な人達だと考えるようにしています。

 

 

2007年5月 1日

プロデューサーズ

-   オーソドックス!    -

実にオーソドックスなミュージカルでした。たぶん脚本の性格から、メジャーな製作者が作り、演出家も、音楽家もみんなできあがった路線で作られたのではないかと思えるほどに、いかにもミュージカル的でした。家族で楽しめる作品です。恋人とも軽い気持ちで見れると思いますが、ミュージカルが基本的に嫌いな人には、バカかと思われるかも知れません。

アイディアがいかにもミュージカル向きでした。多くの予算を集めて、少ない制作費で舞台をやれば大もうけになるという悪いたくらみを抱いた製作者達が、最悪の劇を作ろうと画策する物語でした。使おうという脚本がまず最悪でした。ナチ崇拝者によるヒトラーの劇ですから、欧米で見せたら暴動が起こりそうなテーマです。しかも、演出家が変態趣味のゲイです。主演も、脚本家自身がやる計画で、どう見ても非難ゴウゴウの最悪の作品になりそうです。

主演のマシュー ブロデリックは、今までは軍人や科学者を演じていましたが、確かに何となくユーモア精神を漂わせた演技ができる人でした。でも、ミュージカルを演じるとは思っていませんでした。結構、はまり役だったかも知れません。ただし、登場の場面では少しオーバーすぎる演出をされていたような気がします。アメリカの客は、あれで笑うのでしょうか?

 もう一人の主役の俳優は始めて知りましたが、アクが足りないような気がしました。この役は、ジャック ニコルソンかジーン ハックマンのような俳優が向くような気がします。迫力があれば、さらに面白くなるはずです。もしくは、思い切り美男の女たらしのキザな役者でも良かったかも知れません。

ユマ サーマンは充分魅力的でしたが、もっとグラマラスでダンスが巧い女優でも良かったかも知れません。ただし、この作品はメジャー作品ですから、いかに美女でも無名の俳優ではいけなかったのかも知れません。最近のミュージカルは、大掛かりな予算を使って、絶対にコケない安全な作り方をする傾向にあると誰かが書いていましたが、配役も同じような考え方をしているような気がしました。

エキストラのダンサー達は見事な表情、ダンスでした。舞台も、さすがという感じで、懐かしい雰囲気がしました。そう言えば、こんな作品は久しぶりのような気がします。最近のミュージカルは画像処理にこりすぎて、のんびり画面を見ていられないという感覚がありましたが、この作品はテクニック倒れになっていません。音楽も、古めかしい感覚のジャズっぽい曲が中心でしたが、作品のテーマとあっていたと思います。

作品に重みはなかったかもしれません。でも、本来ミュージカルに我々が期待するのは夢のような世界で、あまり教訓や感銘をねらうこと自体がおかしいと思います。適度に笑い、適度におしゃれで、良い作品でした。涙をねらって失敗した作品より、軽い雰囲気に徹したところが好感をもてると思いました。

2007年1月28日

ファイヤー ウォール

- 引退勧告  -

ハリソン フォードは銀行に勤務し、コンピューター セキュリティを開発管理しています。ところが、ある時知らないところで自分が賭けで大損をしていると言われます。誰かが彼の名をかたっているようです。次に彼の家に大勢の強盗団が押し入り、家族を人質に、銀行のコンピューターに操作をして、金を引き落とさせようと脅されます。

その手口が凝っています。彼が通報しないように、監視カメラ、マイク、ネット上の通報の阻止まで、きっちりやってしまいます。ここの真実味が、この作品のデキにかかっていたと思いますが、かなり高いレベルで描けていました。実際には、監視カメラで監視しても、駆けつけるまでに通報が終わってしまいますから、ちょっとしたメモで連絡されれば終わりだったかもしれません。

ハリソン フォードと犯人達のだましあいが続きますが、犯人達の優勢のうちに、彼は警備担当者を殺し、銀行口座に侵入した張本人扱いに仕立て上げられてしまいます。犯人を逮捕することはおろか、家族はおそらく口封じのために消される可能性が高く、完敗に終わりそうな状況です。

逆転のきっかけになったのは、犬と携帯電話の写真でしたが、高性能の携帯でもモニター画面の写真から番号を読み取ることはできないような気もしました。

犯人と格闘になりましたが、高齢でおじいちゃんのハリソン君が結構強く、さすがダースベイダーを倒しただけのことはあると思いました。間違いました、倒したのはルークでした。とにかく、格闘には無理がありました。もうこの役は、誰かに譲るべきだったと思います。ブルース ウイリスなら許せますが、「ホステージ」で似たような役をやっていますし、コンピューターは苦手なようなイメージがありますので、もっと他の俳優の方が良いかも知れません。

全体の緊張感、それと画面の美しさ、細かい注意などが高いレベルで維持されていると思いました。スタッフのレベルの高さを感じました。脚本家のインタビューがDVDに載っていましたが、今回初めて採用されたそうで、次回作に期待できそうです。ただし、この脚本家の目はヤク中の芸術家みたいな気がしました。

秘書役の女優は目がきつく、私は彼女が犯人の一員で、最後に裏切りが明らかになるのかと思っていました。そんな大どんでん返しはオタク的で適切でないと判断したのかもしれません。途中の役柄から考えても無理だったようです。

2007年1月12日

ブロークバック マウンテン

- 偏見に満ちた世間  -

この作品は名作に違いないと思いますが、子供にも恋人にも向かない映画だと思います。理解力が充分にあって、偏見を嫌う性格の子ならば感じるものがあると思いますが、そうでない場合はかえって偏見を植え付けてしまうかも知れません。

一般的に、イジメの行為を中心的にやってしまう人物は、自分がいじめられることへの恐怖を強く持っていることが多いと思います。それが行為を激しくさせる理由の根底にあるのではないかとさえ思います。ホモセクシャルな感情が辛いことだと頭にインプットされると、その怖れから偏見へと移行してしまい、自分が違う人間であることを表現するためにリンチしてしまおうと考える人間が出てくるのかと思います。

ブロークバック マウンテンは美しい山です。ここで羊を飼う仕事のために、二人の青年が雇われます。テントを張って寝泊りし、粗末な食事や熊や狼に注意しないといけない辛い仕事ですが、二人の間に愛情が芽生えてしまいます。でも、もしこれが知られてしまうと、リンチで殺されてしまう可能性がありますし、家庭も失ってしまいます。二人は定期的に釣りをするなどと偽っての逢瀬を数十年も続けることにします。

恋人にこの映画を勧めると勘ぐられてしまいますので、積極的には進めない方が良いと思います。人間愛の観点からは正統派の作品ですので、見る人の理解力さえあれば美しく良質の作品だと思います。

残念ながら、主演の二人の感情は私には理解できませんでした。お互いの不幸な境遇に同情し、仕事の連携で信頼し強い結びつきができる過程が、おそらくもう少しトラブル(例えば生死をさまようような病気やケガなど)がないと分りにくい感じがしました。

この映画の一番の魅力は美しい風景でした。天気の良い日に羊の群を追うシーンが撮影されていましたが、カメラの性能がよいのか細かいところまで実によく写っていて、やや暗めのフィルターの効果も効いて、透明感のある風景が素晴らしいと思いました。そういえば同じ監督の「グリーン デスティニー」の竹林の映像も同じ色彩だったような気がします。

風景を見るだけでも素晴らしい作品でしたが、ラストシーンも印象深い終わり方でした。恋人の服を大事そうに扱い、眺めるしぐさが、いかにも愛情を感じさせるものでした。良いアイディアだったと思います。でも、そこにつなげる手順には少し無理があったような気がしました。

「プリティ プリンセス」のアン ハサウェイが奥さん役役で出演していましたが、何のために彼女が出演しているのか理解に苦しみました。単に契約のためでしょうか?

2006年12月14日

プリティ プリンセス2

- 実はファンなんです  -

おじさんは実はアン ハサウェイのファンです。見てもしょうがないかなと思いつつ、パート2も見てしまいました。パート1よりも少し成長したプリンセスの物語でしたが、相変わらずお茶目な行動で女王を困らせていました。前回結ばれたはずの淡い恋は、簡単に思い出に変っておりまして、やはり少女の心に付き合っていてはロクなことがないなと、私は再認識しました。

パート1と同様、この作品も夢見る少女が見るぶんには良い作品ですが、さめたギャルや、ノーマルなおじさんが見てもあきれてしまうようなギャグが中心の作品です。プリンセスが恋心で悩むために、どこかの貴族の青年は振り舞わされてしまいますが、この青年のことなど少女の迷いのためならどうなってもいいのよと、この作品は訴えています。こんなことでいいのでしょうか! かわいそうな青年の視点からの作品はないのでしょうか?

でも主演のアン ハサウェイは、可愛い女優です。年をとってから、どんな役柄を演じられるか分りませんが、イメージが固定されているような気はします。最近、「プラダを着た悪魔」に出演しているそうですので見てみようと思います。

しかし、実にくだらない映画です。やはりおじさんは見るべきではありませんでした。

2006年12月13日

プリティ プリンセス

- 少女のための映画でした   -

この作品は、ディズニー製作の映画の中でも、特にティーンエイジャー限定の作品だと思います。私のようなおじさんが見るのには、ちょっと無理がありました。プリンセスにあこがれる女の子、ちょっと幼い男の子、ちょっと変態趣味のおっさんが見るべき対象ではないかと考えます。恋人と見てはいけません。バカか変態と思われるかもしれませんので。

主演の アン ハサウェイは、本当にかわいい女優でした。よく探してきたものです。ひところシャンプーのコマーシャルで出ていました。ただ、おかしな顔をするときの表情は、外国のへんなおっさん役者の表情そのものでしたので、今後彼女が老けていったら非常に変な顔になるような気がしました。走り方も、いかにもディズニーのギャグ風に走っていて面白いと思いました。

ジュリー アンドリュースは、この映画では脇役に徹していて、ほとんどダンスも歌もひけらかさないのですが、そうすると彼女のよさはほとんど見られないので、この役は別に彼女ではなくて別な派手な女優でも良かったのかも知れません。抑えた演技で、良い雰囲気と上品な物腰はできていました。

作品の中のギャグもいたずらも、ストーリーも何もかも、少女の趣味に完全に合わせてありました。キスの時に片足を上げなければならないという思いは、おじさんにも少し分りました。私には理解し難いオーバーな表情も、きっと女の子にはバカウケではないかと思います。ただし、ひねた女の子には「ふん、バッカじゃないの。」と、反発を買うかもしれませんので、娘のためにこのビデオをわざわざ見せても、うけない時は全くうけないでしょう。

もっと学園青春映画のような、淡い恋や、エッチなシーン(例えば、いたずらをした男の子が、仕返しに裸にされるなど)などを満載すると、子供たちにはもっと面白くなったような気もしないではありませんでしたが、そうするとディズニー映画でなくなってしまうかも知れません。

2006年11月28日

ブレード ランナー

- ドギモ抜き映像ー

監督 リドリー スコット、主演 ハリソン フォード

この作品のセンスには驚かされました。製作当時は日本企業の調子が良かった頃で、日本製品がアメリカ中を席巻していました。その心理的な影響のためか、もしくは監督が日本を旅行した時のインパクトが強かったためか、映画の中で日本製品のCMがあふれています。欧米の人が見たときと私達が見た時の印象は違うでしょうが、効果は双方にあると思います。

SF映画の鉄則は、まず映像で迫力を出すことです。精緻なミニチュアでも、細かいCGでも良いのですが、信じられないくらい巨大な建造物の量感を出すことが、作品の人気に直結します。

「スターウォーズ」でまずドギモをぬかれたのは、冒頭の巨大宇宙船の映像がいつまでたっても続いていたことでした。オープニングで、観客にうわーっと感じさせることは作品全体の出来を左右するほど重要です。この映画の中の都市の映像も、建物の大きさがとんでもないものであるように設定されていますし、町自体が広大で複雑です。あちこちで炎が吹き上がる不気味な様子も現実離れしたスリルを予感させるかのようです。

例えばこれが清潔な感じの未来都市だったら、何か違和感があるだろうと考えます。もしかすると、「アイランド」の映像が清潔なイメージだったのは、思わぬところで迫力を損なっていたのかも知れません。せめて建物の大きさをイメージさせる映像を最初に入れておけば、かなり迫力が増したのではないでしょうか。工夫が足りなかったと思います。

脱出した人造人間達との各々の話は、他のSF映画のドラマと特別にレベルが違うものではなかったと私は思います。しかし、悲しさはよく出ていました。逃げようとして撃たれて死ぬ女の無念そうな感じ、悪役?のルトガー ハウアーが自分達の取った行動を説明するラスト近くのシーンには、訴えかけるものがありました。演出の力を感じます。

少し長い単調な部分もあって、落ち着いた時間でないと見れない作品ですが、傑作だと思います。映像のフィルターは、同じ監督のエイリアンと似た雰囲気で、不気味な感じでした。原作は、有名SF映画の原作をたくさん書いている作者ですから、千両役者ならぬ製作者達がそろって作っていることになります。役者達も一流でした。

この映画を真似た作品が、いくつか後に作られました。確かにそれくらいインパクトがありました。

2006年11月23日

二人のトスカーナ

- 美しい風景と悲劇 -

この作品は、子供が見て良いと思います。暴力やセックスの直接的な表現をうまく避けています。恋人と見るべきか否かですが、文部省推薦の映画は死んでも見たくないというカップルは止めたほうがいいでしょうが、まじめな作品もたまには見てみたい気分の時には悪くないと思います。話の大半に結構ユーモラスな場面もあります。悲しいばかりの映画ではありません。

この映画で二人の姉妹を預かる家の奥さん役は、バーグマンの娘のイザベラ ロッセリーニでした。確かカメラか何かのコマーシャルで日本のテレビにも出ていたことがあったような気がします。当時は色っぽい雰囲気でした。この奥さんが美しければ美しいほど、また立派であればあるほど悲劇が際立つことになります。

トスカナ地方は、イタリアの中では農耕に向いていないほうだと聞いたことがありますが、映画でも丘が多くて広々した感じはしないようです。その代わりに川や木々が美しく、子供たちが遊ぶ場所には困らない感じがします。この風景が美しければ美しいほど、これまた最後の悲しさも増す効果はあります。

二人の姉妹が経験する村でのエピソードに、もう少し工夫があると話はさらに美しくなったかもしれませんが、この作品は製作者の実話に基づいているそうですので、そこまではできなかったのかも知れません。姉妹がドキドキするような小さなエピソードを、多少作ってでも加えると、それだけで懐かしくて涙が出る人もいるかもしれません。楽しい物語であるほど、またまた悲劇は際立つでしょう。

この作品のラスト近くで殺人の場面が出てきますが、鏡をうまく使って生々しさを避けているようです。このシーンを見て改めて考えてみましたが、殺しの場面を直接見せると俳優の演技や技術的な効果には限界がありますので、うそっぽくなってしまうことが多いと気がつきました。他の映画では、銃声だけで済ませる、手だけをバタッとのぞかせるなどの色々な工夫がありましたが、それもあまり頻繁に行われるとパターンに嫌気がさしますので、鏡も悪くないと思いました。

子役が上手だったのか、そうでなかったのか私にはよく分かりませんでした。かわいらしかったことは間違いありません。

2006年11月17日

ザ ファーム

- 長時間緊張感ただよう -

監督 シドニー ルメット 主演 またトム クルーズ

この作品は子供や恋人といっしょに見て良いと思いますが、静かな恐怖が全体を覆い、しかも長いので、さすがに子供は退屈すると思います。殺人のシーンは意外に少なくて二ヶ所だけでしたし、非常に残忍とは言えない表現でした。不倫のシーンもありますが、表現はマイルドでした。

原作がベストセラーだそうです。確かに、この作品の良い点は原作の魅力に負うところが多いように思います。苦労してロースクールを卒業するトム クルーズは、破格の待遇の法律事務所に勤務することになります。その事務所は、家庭的で待遇も信じられないほど良いのですが、トム弁護士はふとしたことから事務所に疑惑を抱くようになります。話が進むにつれて、事務所が組織ぐるみで不正をしているのではないか? 自分はすでにワナにはまっているのか? それともこれからワナが用意されているのか? 身の安全は? 妻と自分の愛情は保てるのか? 誰が味方で、誰が敵なのか? たくさんの問題が主人公を襲います。

組織がしかけるワナ、守ってくれるはずのFBIの怖さ、抜け出す糸口さえないような状況の設定が見事でした。脇役達が素晴らしい演技をしていました。彼らの怖さがなければ、話が軽くなってしまいます。全体の静かな雰囲気、豪華なセット、そして分るにつれて強くなる恐怖が、上質のエンターテイメントってやつでした。

ただ、私には話が長すぎて、いくつか削っても良い話があったように思えました。この作品は超大作ではないので、上映時間は2時間以内が原則だと思います。編集に問題ありです。また、組織の殺し屋は簡単にやられすぎだとも思いました。もっと映画用に脚色してでも、現実的な演出に徹するべきだったと思います。基本的にトム弁護士は肉体派ではないので逃げることに専念すべきで、殺し屋がやられる必要はないと思います。

複雑な問題をプロットした原案には脱帽します。最初のアイディアは、不正請求に対する変な法律から出たのかも知れません。1件1件の罰則は小さくても、積もり積もれば数百年の禁固刑という、おバカな法律がアイディアを刺激したのかも知れません。弁護士が登場する他の作品でも、米国の法律の欠陥をうまく使った話がよくあります。軽く思える犯罪でも、刑罰だけは激しいことが珍しくないようです。

トム クルーズはまだ若く、独特の必死の表情がこの役のイメージには合っていたと思いますが、ベストの配役だったかは分りません。緊張感はよく出ていました。推測ですが、この頃の彼はスターではあっても、まだ監督や他の役者ほどの実績はありませんでしたから、あまり自分の意見を強く通せなかったのではないでしょうか? それが、この作品の成功につながっているかも知れません。大スターになって自分の意見が通りだすと、気がつけば抜き差しならない、ちょうど「ザ ファーム」のようなことにならなければ良いのですが。

もうなってる?

2006年11月 5日

ファインディング ニモ

- 感動モードをクリックせよ-

この作品は、子供のために作られています。当然、子供は見て良いのですが、家族あるいは恋人といっしょに見ても結構いい雰囲気になると思います。テーマは家族愛です。小さい子達は非常に喜んでくれました。長男は少し反応が薄かったようですが、それでも面白かったようです。独身の人には、特別にお勧めはできません。テーマもキャラクター達のオーバーアクションも、幼稚に感じるでしょう。

美しい海で、クマノミの夫婦が卵を守っていましたが、母親と卵のほとんどを大きな魚に食べられてしまい、残ったのは1個の卵と父親だけです。やがて卵はかえり、むなびれにちょっと障害がありますが元気な子供が誕生します。これがニモです。ニモは人間に捕まってしまい、これを追って父親が長い旅をする物語です。途中出会う仲間や、サメ、クラゲ、ウミガメなど各々のキャラクターが面白く、ニモ自身も冒険して成長をしていく姿がかなりディズニー的にほほえましい話です。

まず感動したのは、水面の表現です。どんな風に作っているのか知りませんが、この作品の頃から海のきらめきが実際の海の映像と区別しにくいくらい美しくなりました。ひょっとすると今は、アニメ風、実写風、嵐モード、なぎモードと、クリックひとつで水面のイメージを入力できるのかも知れません。そのうち実写をいっさい使わないサーフィン映画ができるかも知れません。美しい海だけでも見る価値があると思います。

アニメのピノキオ時代の海の絵は、例えばクジラが襲ってくる迫力は波の大きさや流されるピノキオ達の動きで表現できましたが、今見直すと幼稚さが気になります。リトルマーメイドあたりから部分的にCGを使っているようですが、この作品では魚の動きに加えて顔の筋肉の動きまでが再現されていて、ほとんど役者なみの表現力です。やがては感情表現も、トム クルーズ風、ブラッド ピット風と、クリックで選べるようになるかも知れません。DVDよりも容量の多い媒体なら、客がモードを選んで、例えば「ヨン様バージョンのファインディング ニモ」を見ることもできるかも知れません。私は見たくありませんが。

魚達のキャラクターもよく考えてあると感心しました。おそらくピクサーの企画会議で、複数の脚本家達が綿密に計算したのではないでしょうか。いや、ひょっとすると企画もコンピューター化されている可能性もあります。そして、そのうち会社自体に人間が一人もいないことになるかも知れません。怖い!

あまり威厳はないけど教育熱心な父親と、かわいいけど時々むくれる子供は、世界共通のいまどき親子像かも知れません。周囲の魚達が、これまた傑作なキャラぞろいです。もし、この話を人間版でそのままやったらどうかと考えてみましたが、やはり誘拐が設定されると話が重くなりすぎます。笑いごとで済ませるには動物でないとダメです。

よく出来た作品で、小さい子といっしょに何度でも見たいと思います。

2006年10月 8日

フィールド オブ ドリームズ

監督 フィル マルデン ロビンソン 主演 ケビン コスナー

 すばらしい映画でした。だいぶ古い作品になってしまいましたが、まだ色あせていないと思います。子供もそれなりに興味を持ってくれるかも知れません 少し「間」がある作品ですので、意味が分らない子にはつまらないかもしれませんが、敏感な子はボロボロ涙します。くつろいだ時に恋人や家族と見ると良い作品です。

 原作がいいんだと思います。昔、ある球団が移転したことのショックが、この作品のヒントになったのかなと想像しますが、アメリカの人達の野球に対する感情は私達とは歴史が違うと感じます。メジャーリーグの存在が文化になっているようです。

 ストーリーは、主人公の畑に不思議な声が響き、それにしたがって球場を作り、作家を尋ねる旅をすることになり、思いもよらない人達に出会う物語です。おとぎ話ではありますが、懐かしい記憶や親子の理解、そして野球への愛情が織り込まれて美しい話に仕上がっています。途中で選手達が畑に消えていくシーンがありますが、畑のトウモロコシが揺れて人が消えていく効果が自然で、これが不思議な雰囲気をかもしだしてます。よく撮ったなと感心します。

 主人公のケビン コスナーは「さよならゲーム」で野球選手を演じていますが、フォームを見る限りプレーの経験はあまりなさそうです。でも声や表情が主人公にぴったりで、この映画は彼の最高傑作ではないかと思います。脇役達は、良かったり悪かったりのような気もしますが、雰囲気の良い俳優を集めていると感じました。音楽も盛り上げています。 見るときは、落ち着いて映画を見れる時でないとダメです。スリルのある映画を見たい時は、この作品では退屈してしまいます。子供が感動すれば、親子でキャッチボールでもしようかという気持ちが湧いてくるかも知れません。したがって野球日和の前日に見るのが最高でしょう。

2006年10月 6日

プリンス アンド プリンセス

監督  ミッシェル オスロ

 この映画は、不思議な雰囲気の作品でした。何かの本で紹介されているのを読んだことがあったので見てみましたが、まず子供達には結構うけていました。家族いっしょに見ることを想定した作品だと思います。恋人と見ても、けして幼稚で見ていられないというような心配はないでしょう。幼稚すぎず難解すぎない、その辺のバランスが良い作品だと思います。ただし、オタク的なクセに耐えなければいけません。

6つの短編の作品を、評論家か役者か分からないような人達が実験的に演じてみるという設定で、短編のいずれもが王子や王女の物語です。各々の短編は、イソップかグリム童話で聞いたことがあるような話ですが、その語り口が独特です。影絵のような映像で、たぶんCGを使っていないと思いますが、私の勘違いでCGを使わないように見せるCG技術を使っているのかも知れません。

この作品の企画はどなたが中心なのか興味がありますが、調べたところでは監督ご自身のアイディアのようです。影絵で出てくる人物の描き方、色彩、動きなど全てに、フランス人のオタク的な雰囲気がただよっています。エジプト象形文字などに造詣のあるかたらしく、エジプトオタクであると推測されますし、また絵本オタク、鳥類オタク、演劇オタクの映画オタクであることが強く疑われます。さすがオタクらしく、この物語はよくできています。

2006年9月25日

フライトプラン

監督 ロベルト シュヴェンケ  主演 ジョデイ フォスター

 良くできた作品だと思います。テロリストから逃げる映画かなと思っていましたが、サスペンス映画でした。

 子供が見ると、少し長すぎて最初は退屈するかも知れません。死体は出てきますが、殺人場面はないので子供にも見せられると思います。家族や友人、恋人といっしょに見てもいい作品でしょう。勘のいい人は最初の段階でストーリーが分ってしまうかもしれませんが、それでも充分楽しめるだけの演出です。

 主演はジョディ フォスターで、「タクシードライバー」の頃からの長いキャリアの持ち主ですが、最近は母親役で活躍しています。この物語では、夫を埋葬するために娘と飛行機に乗りますが、うたた寝からさめてみると娘がいなくなっています。話が進むに連れ、不可解なことが明らかになります。娘が搭乗した記録がないということです。つまり、もしかすると私達観客は彼女の幻覚を見ていたに過ぎないのかということになります。幻覚をうまく使った近年の映画には、「ビューティフル マインド」がありますが、あの映画では私もだまされました。この映画でもトリックを解いていこうとして、何が正しいのか分らなくなります。さて、どんな結末が待っているでしょうか? 悲惨でなければ良いのですが。

 飛行機のスタッフ役も雰囲気が出ていました。機長役は悪役でも良い役でも最近よく見る俳優です。したがって、この機長は悪役か?と、映画通なら考えます。スチュワーデス役の2人、乗客役のそれぞれも不安な感じをうまく盛り上げていました。機長、スタッフがそれぞれに難しい判断をせまられ、密室での推理ドラマになりますが、なんとか対処しようとする姿には臨場感がありました。

 母親の娘に対する愛情、夫の死去のショック、そして特に最近の航空機事故やハイジャックに対する不安などの心理的な要因が話に重みを持たせているようです。 母親が拘束されたときに乗客が拍手をする気持ちも分る気がしました。 話の設定には無理な点があります。もし娘がいるなら誰も見ないということは難しいし、機内を停電させるようなメチャクチャな母親がいたら普通なら縛り上げて動けなくしないと怖いでしょう。そのような細かい点には問題がありますが、全体的に緊張感ただよう良い作品だと思います。

 見終わった後、子連れで飛行機に乗るのが怖くなったのは私だけでしょうか?

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