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カテゴリー「ひ」の38件の記事

2018年7月 6日

BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント(2016)

Bfg

Dizney


施設に暮らす少女が巨人の国で暮らし、凶暴な巨人たちと戦う羽目になる話。DVDで鑑賞。 


この作品のBFGは、実際の俳優であるマーク・ライランスと顔がよく似ている。動作に関してはモーションキャプチャーを利用して画像が作られているようだ。顔まで再合成した意味はよく分からなかった。俳優が誰か分かりやすいという点では良いかも知れないが、それが必要なことかどうかは不明。   


ヒロイン役は少しボーイッシュな印象を受けるルビー・バーンヒルという少女。これ以外の作品に出演してはいないらしい。演技が上手いかどうかは分からない。演出は、学芸会レベルに近いような印象を受けた。オーバーに手で顔を覆ったり、古いタイプの仕草が目立った。ディズニー映画だから、あまり妙なことはできないので、仕方ないのかも知れない。   


監督はスピルバーグ。いつの間にか、彼の作品だから観なきゃとは思わなくなっている。さすがの大監督も、最近はメガヒットを飛ばすことは期待できない。内容が子供っぽかったり、斬新さを感じなくなっているようだ。もともと障害を持つ人らしいので、年齢が関係して演出手法が固定されてくる運命なのかも知れない。 でも一定程度の面白さ、一定レベルの仕事は確実にやってくれると期待できる。そつのないないアベレージヒッターとして、いまだに現役選手だ。優秀なスタッフも大勢ついているんだろう。     


この作品には原作があるそうだ。イギリスでは童話が限りなく作られ続けているらしい。魔法使いやライオンの王様など、いまさら何が珍しいんだろうとバカにしていると、とんでもない人気シリーズが出来上がってしまう。幼稚な内容だとバカにしてはいけない。立派な映画シリーズになり、テーマパークの一角を占めることで、産業にさえなる。一種のイノベーションが起こり続けていると考えるべきだろう。伝統と、再利用、再評価が常になされている点を評価しないといけない。    


ただ、このBFGはテーマパークになるほどの人気は出ていないと思う。理由はいろいろ考えられる。   


まずBFGの表情が冴えなかったように思う。むしろ昔のアニメのような方法のほうが、自由な表現が可能になって、より面白い雰囲気を作れた可能性がある。マーク・ライランスにはとぼけた雰囲気があり、かなり無表情なのが特徴とも言えるので、この作品には向かないのではないか?子供映画なので、むしろオーバーな表情をする喜劇俳優が演じたほうが、ドジで優しい愛すべき性格を表現できたと思う。CG合成するのだから、演技力は関係ない。オーバーであること、見た目だけで笑わせることができるかどうか、それが映画用に必要な個性だったと思う。   


あるいはBFGの個性に問題があったのかも知れない。優しいだけじゃなく、狡くて妙なクセを持っているようなヒネた個性のほうが、観客の支持は得られたかも知れない。欠点が多かったほうが、逆に好かれる傾向はあるものだから。


 

 

 

 

 

2018年6月18日

ひるね姫~知らないワタシの物語(2017)

Warner_bros


- 神山健治・ Warner Bros. -  


居眠りする女学生が主人公。彼女は夢の中で機械都市の姫様になるが、現実世界の自分の境遇と夢が連動していることに気づく・・・・DVDで鑑賞。  


この作品はDVDの予告編でさかんに宣伝されていたから知ってはいたが、さほど興味を持てないまま、鑑賞を延ばしていた。やはり固定観念としてだろうが、アニメはしょせんアニメであり、子供のためにあるもの。老年にさしかかった人間がわざわざ観るのは、なにか自分が幼くなったような、情けない気がする。時間がもったいないこともあるし、そんなテライめいた感傷が働くのかも知れない。いまさら気取ってもしょうがないんだけど・・・   


それに、夢と現実が交錯する話なんて、掃いて捨てるほどあったし今更ねえ・・・そんな意識もあった。よほど斬新なことを盛り込まないと、まさか満足はできないだろうねえ・・・ 


鑑賞して、素晴らしい出来栄えの、完成度の高い優れた企画だと感じた。レベルの高い仕事だった。この作品が優れている点は、東京オリンピックの頃を時代設定に用いていたこと、スマホやタブレットを駆使する現在と、自動運転技術という今後の問題を扱い、さらには親と子供、田舎と都会、男女の関わりなど、日常の物語も挿入されていることなどだろうか。入念に企画を練った様子が感じられ、感心する。


居眠りを設定に使う話は多い。夢と現実が交錯する話は毎年のように作られている。手塚治虫の漫画「ジェットキング」は面白い小品だった。居眠りの間だけヒーローになる弱い少年が、現実とかぶる登場人物たちと戦ったり、仲良くなったり、夢にあふれる話だった。設定はよく似ている。より多くのものを盛り込んだようだ。 


敵の個性が大事だったかもしれない。あまり憎まれないタイプの重役が悪役だったようだが、もっと怖い存在がいたらどうだったろうか?戦いの興奮度は上がったのではなかろうか? 


アニメの動きに関しても改善の余地があるように思った。特にヒロインが走る仕草には改善が必要だろう。体重を上手く表現できないのは、もはや許されないと思う。ピクサーによるCGアニメは、動きの自然さに関しては数段上を行く。あれを観た人は、あのレベルの動きを要求してくる。この作品の動きに関する表現は、全般にかなり古くなったものを感じる。建物や風景に関しては今の日本のアニメも進歩したが、人物の動きの表現に欠点がある。


微妙なもので、重力や体重、加速度などの感覚が表現できれば良いだけなんだろうが、おそらく人の手でいじるのではなく、コンピューターによって加工すべきものなのだろう。巨額の資金が必要で、まだ入手できていないだけなら、今後バージョン落ちのピクサーソフトを購入できれば、十分に使えそうな気もする。既に市販されたソフトにも、そんなものはないのだろうか?


あるいは中国の違法コピーを購入する手もあると思う・・・・いや、違法だからダメだ。   

 

中国と米国は、知的財産に関する権利を中心としてもめている。両国が互いの関税を上げると発表し、貿易戦争のようになりつつある。違法コピーは中国だけじゃなく、日本も韓国も酷かったが、中国の場合は米国の司法行政の力が及びにくい点で特殊だ。欧米は権利のために平気で戦争をしてきた。中国が少しでも弱みを見せれば、情け容赦なく権利を追求するだろう。もちろん中国だって長いこと欧米や日本に権利を蹂躙されてきたから、簡単には引かないだろう。     

 

ただし思うのは、貿易の交渉は数十年単位で積み上げるべきものと思う。大統領が交代して、急に「俺は許さん!」などと方針が変わるのは、混乱を生むだけだろう。結果に責任を取れるなら良いが、今の大統領には、そんな気もないはずだ。







2018年5月 4日

日の名残り(1989)

- 中央公論 -

 

英国の名家に仕えた執事長が主人公。休暇を利用して旅する彼が、過去の出来事に関して想いをはせる物語。カズオ・イシグロのノーベル賞受賞を契機に、単行本を購読。映画化されているらしいが、まだ観ていない。 

 

同じ作者の「私を離さないで」では分からなかったが、この本は確かにノーベル賞級かも知れないと思った。語り口、雰囲気が高尚で、寂寥感や時代の流れに翻弄された人たちの哀れさなどが自然と読み取れる展開など、構想が素晴らしいと思う。小説らしい小説だ。 

 

英国の執事なら、語り口は自然と丁寧なものになるだろう。その語り口が、小説の語り口にそのままなるのだから、小説も当然高尚なものになる。主人公がドライバーだったら、もっと品位が下がっていただろう。それでは誇り高き世代の感情が表現できない。よく考えてあった。英国の文学賞を受賞しているそうだが、本場でそのような評価を受けるのだから、原文でも表現が的確だったのだろう。 

 

翻訳の仕方も良かったのかも知れない。日常会話と英国貴族たちの会話の違いは、よほどなセンスがないと理解できない。その違いをうまく表現できていたと感じる。もちろん、実際に貴族が話す様子を垣間見たことはないのだが、雰囲気としてそんなものではと想像する通りであるから、そう思う。 

 

英国貴族の話は、テレビシリーズの「ダウントン・アビー」で高い視聴率が得られたということから考えても、一般人の興味をそそるものらしい。どこかに一般的な憧れがあり、その繁栄やスキャンダルには注目が集まるようだ。 

 

日本の場合も、有力政治家は二世、三世の人が多い。一種の貴族階級のようだ。でも、まだ財界や学会の著名人の家族が政治家に転身するといった流動性はある。英国では、歴史や制度の違いもあるのだろう、チャーチルのような貴族が政治家をやって、それで成功していた。ただ、交渉の専門家達が相手となって来ると、貴族の能力だけでは対処できない事態も実際に多いのかもしれない。日本のように国力に限界がある国では、人材は底辺からも拾い上げるべきである。二世議員は、基本的には排除すべきと思う。 

 

もはや誇りや精神力だけでは通用しない、情け容赦のない戦いの時代が来ている、そのような諦観が英国にはあるのかもしれない。ただ日本から見れば、英国は依然として有力企業を有し、独立した軍備を持ち、文化面で世界をリードしているように思える。それでも米国や中国、ロシアなど、規模が違う国とでは、対抗する手段に限界があるというものだ。誇りが通用しないのは、国力の規模によるもので当然であり、貴族階級の能力が失われたことを意味するものではない。 

 

運や能力の問題もあると思う。もしもの話だが、ドイツ軍がソ連に侵攻していなかったら、ドイツはそのまま今も欧州に君臨していたかも知れない。米軍が戦争に参入できる要件を満たしていなかったら、戦いは膠着していたはず。そうなると、チャーチルなんぞは妄想狂と批判され、主人公はと言えば屋敷の主人が活躍してしまって、あおりを喰らって忙しい日々を過ごすことになり、過去を回想することもできなかっただろう。  

2018年4月19日

ビリー・リンの永遠の1日(2016)

Billy_lynns_long_halftime_walk_2016

- Columbia etc -

 

イラク戦争で英雄になった主人公は、帰還中にショーに駆り出される。疑問を感じながら出演するが、戦地のことが回想される・・・DVDで鑑賞。 

 

戦争が兵士たちに及ぼす影響の一面を、独特の視点で描いていた。おそらく普通の兵士は英雄になろうと考えるより、生き残りたいとか金銭的なことなどを考えるものだろう。PTSDになりそうになりながら、なぜ戦地に戻るのか?その迷いが上手く表現され、確かなレベルの芸術性が感じられた。 

 

監督はアン・リー。映像が非常に美しく、高性能のカメラを使い、3Dを基本にしてあるようだ。メイキング編の解説によれば、あまりの高解像度のために、役者達には演技臭い演技をしないように注意が出されたという。技術の進歩は、映画の作り方や俳優の演技の仕方にまで変化をもたらすもののようだ。でも実際の演技が特に斬新だったとは思えない。役者の能力のせいかもしれないが、真にリアルに演じ切れていたか疑問は残った。

 

主人公を演じていた俳優は初めて見たように思う。特に何が優れていたか分からなかったが、悩める普通の人物の雰囲気は充分に感じられ、この作品には向いていたかも知れない。ヴィン・ディーゼルがなぜか出演していた。彼のキャリアから考えると、この種の作品には個性が合致していないように思う。彼が有名になったのは、どちらかといえば二級品の、格好つけたアクション映画によると思う。リアルさが要求される映画で、彼はミスキャストだったのではないだろうか?そんな気がした。 

 

戦闘シーンについても、かなりの迫力はあったが、今は凄い映画も多いので、特別に臨場感で他より勝っていたとは感じなかった。音響や、アクション映画に必要なセンスの面で、専門のアクション映画に劣る部分があったかもしれない。でも新兵たちが緊張している様子の表現は優れていた。口や手が震えていることなどは、的確に描けていたと思う。  

 

この作品の特徴から考えて、戦闘シーンはもっと長く、もっとビビった様子が描かれていたほうが良かっただろう。無残な死体を見せられて、恐怖におののくシーンがあったほうが良い。 ゲリラの反撃で参ってしまうシーンも欲しい。そして繰り返す緊張、疲弊によって精神に影響が出ていく様子が描かれたほうが絶対に良い。戦地の緊張したシーンに、もっと時間を割くべきだったと思う。  

 

2018年1月 1日

PK(2014)

Pk

 

- RAJKUMA HIRANI Films -

 

地球にやってきた宇宙人が、通信機器を奪われてしまう。放浪の最中、インド人女性と知り合った彼は、宗教の教団が彼の機器を持っていることに気づく・・・・DVDで鑑賞。

 

この作品のテーマは大きい。宗教を正面から扱っている。「かけ間違え」の表現が秀逸だった。誰のアイディアだろうか?劇場主の宗教観も、かなり偏ったものかもしれない。宗教活動を熱心にしている人たちは、どのように感じるだろうか?

 

主演はアーミル・カーンで、ヒロインはアヌーシュカ・シャルマ嬢。

シャルマ嬢はスタイルの良いモデル出身の女優さんで、30代だろうと思っていたら、この作品の公開当時は24歳くらいだったらしいので、うかつに外人の年齢を言うのはよろしくないと感じた。

 

アーミル・カーンの演技は、志村けんとよく似ていた。もしかすると参考にしたのかもしれない。チャップリンなどの伝統に基づき、芸人らしい表情や妙な走り方によって、頭のおかしい人物らしい行動を表現していた。

 

インド映画はミュージカルが突然始まる妙な伝統があるので、冒頭部分はかなりつまらない印象を受け、飛ばして鑑賞した。全体には長すぎて、おそらく編集を工夫して、焦点を絞って作ったら、世界的な興行成績はもっと上がったのではなかろうか?   

 

でも、十分に面白い作品だった。ただ、危険な作品でもある。宗教家たちにとってみれば、この作品は痛い所をついてくる嫌らしい内容で、できれば無視して過ごしたいだろう。インドのような国で、こんな内容の作品を発表する勇気に敬意を表さないといけない。

 

もしもだが、主人公が宇宙からやってきたか分からない筋書きだったら、どんな作品になったろうかと思った。冒頭部分の、通信機器を奪われるシーンがないとすると、おそらく観客は主人公は単に頭がおかしいと思うだろう。

 

最初はトンチンカンな言動をする主人公に呆れていると、徐々に真相が分かってくる。彼が実は気の毒な境遇にあり、真剣に考え、真実に近い考えを持つ存在であることを徐々に観客が悟るという流れにならないだろうか?あるいは、彼こそが神であったと最後に分かるストーリーもできなくはないだろう。

 

理解されるか賭けになり、大失敗につながりかねない危険な筋書きだが、作品のレベルとしては上がるかも知れない。

 

 

 

2017年12月13日

美女と野獣(2017)

Beauty_and_the_beast

 

Dizney

 

ディズニーの実写+CG版。ヒロインはエマ・ワトソン嬢。相当なヒットだったらしい。熊本市の映画館でも結構長く上映されていた。DVDで鑑賞。

 

劇場主には、エマ・ワトソン嬢は特に歌が上手い女優というイメージはない。歌手デビューしたとかミュージカルに出演したと聞いたことがなかったからだが、この作品での歌唱力には特に問題を感じなかった。アフレコで誰かが歌っているようには見えなかったので、技術者達の力でかなりの補正をしたとしても、声質が良ければ十分にミュージカルで通用するのだと理解できた。

 

エマ嬢は理知的で美しい女優さんだが、見た目だけでハッとするほどの絶世の美女とは思わない。ハリウッドには天使クラスの美女で、しかも歌も本職級のタレントが大勢いると思う。人気のエマ嬢をとるか、実力の天使嬢を選ぶかは難しい問題だが、興行面で安定しているのはエマ嬢だ。無名の新人だと、おそらく興行成績は落ちていたに違いない。いかに優れたタレントであったとしても、そうだったろう。

 

エマ嬢は本が好きそうなイメージもある。「ハリー・ポッター」シリーズでも、本を自分で調べる有能な魔女ぶりだった。あのイメージは、普通なら優等生タイプとして嫌われそうなキャラクターになるが、役柄が良かったのか戦略が良いのか、この作品では有効に働いている。天使系の美女だと、本を読むイメージが湧きにくい。その点でもキャスティングは成功していた。

 

そのほかの俳優では、ガストンの役割が重要で、おそらく本当の主役は彼が相当するのだろうと思う。腕力がありそうで狡そうで、冷酷かつ野蛮だが、陽気な面もある目立つ悪役であることが望まれる。ガストンを主役にして、思い切り目立つダンス・ミュージカルにするなら、奇抜な作品になったかもしれないし、そうなればヒロイン役はただ可憐な少女で良い。

 

だから、もう一つの戦略としてはジョニー・デップ並みの有名俳優をガストン役にし、冒頭から彼に暴れまくらせ、清く正しい可憐な天使系美女を添え物にする手もあったかもしれない。興行面は不安定になるだろうし、非難ゴウゴウ、旧来のファンからそっぽをむかれてひどい目に遭うかも知れないが、劇場主としてはそんな作品を望む。

 

1991年のアニメは素晴らしい作品だった。セリーヌ・ディオンの主題歌は実に美しい曲で、いまだにロマンティックな場面でよく使われる。アニメのダンスシーンも立体的で、表現力が素晴らしかった。あのアニメがありながら、実写版で成功することが可能なのだろうかと、劇場主は疑問に思っていた。もちろん、この作品も劇場で観たいなどとは全く思わなかった。アニメのほうが上ではないか?それに子供達も大きくなって、ディズニー映画で観たがるのは「パイレーツ~」シリーズだけになってしまったから。

 

で、実際に観たこの実写版の印象だが、想像を超える完成度だった。ダンス、パーティーなどのシーンは実に美しく壮大なスケールで描かれ、アニメ版と違った迫力を感じた。立体感に関して言えば、やはり実写+CG技術であったほうがずっと上の表現力を感じる。家族で観るだけの価値はあったと思うし、それが興行成績にも反映されていたようだ。

 

 

 

2017年11月28日

羊と鋼の森(2015)

Photo

 

- 宮下奈都著 文藝春秋 -

 

高校を訪れたピアノの調律師に魅せられ、同じ職場で調律の世界を目指す青年。自分の才能に確信を持てないまま、現場で修業を続ける。そして、ある姉妹のピアノの調律を担当することになる・・・・

 

本屋大賞を取った作品。若々しい感性に満ち、しかも滅多に扱われることのない仕事に光を当てた独特の視点、そして無理のないストーリー展開に感嘆した。まだ映画は公開されておらず、平成30年公開を目指して製作中らしい。が・・・多分劇場で観ることはないだろう。おそらく派手な映画にはならないだろうから。

 

調律師には、1~2回、妻のピアノを扱ってもらったことがあるが、何をやっているのか分からないので、ぼんやり見ていただけ。あの仕事にやりがいを感じるという発想は浮かばなかった。そのへんが、小説家とそうでない人間の差なのかもしれない。あるいは、ピアノを学んだことがある人間と、そうでない人間の違いだろうか?

 

上手なピアノを聞くと感動することはあるが、そこに演奏者独特の特徴を感じることはない。フジコ・ヘミングの演奏はえらく独特で上手いのかな?と疑問に感じたが、他の有名ピアニストは誰もが凄いテクニックで、まったく同様に上手いとしか感じない。人による違いは、相当聞いていないと分からないだろう。音を色や景色で表現できる発達障害の方がいるそうだが、それに近い独特の鋭さを持っていないと、違いも分からないし、仕事の意義も見出せないのかも知れない。

 

この作品は実際に調律師から話を聞き、その表現を借りた部分もあるそうだから、本当に微妙な感覚の部分を、いかに上手く文章化し、ストーリーを構成するか、そこが作品の出来栄えの決め手だったに違いない。劇場主には音へのセンスがないが、それでも表現の一端を理解したような気分になれた。それは作品の表現力ゆえのことかもしれない。

 

さて、映画化された作品の出来栄えはどうだろうか?おそらく、映画では映像や音響に関しては、小説よりも明快で力強い表現ができるに違いない。音響は、もしかするとハイレゾの極致を行くような新しい技術を盛り込んで、通常の映画よりも高音質の音が使われるかも知れない。作品がそんなテーマだから、何か音で驚かせるものが欲しい。

 

演奏がもたらす感情、感覚についてのイメージは、かなり映像化できるだろう。ピアノの中身と演者の顔、指先の動き、背中からの映像を同時に記録し、いかに組み合わせるか、そこに自然の風景やCGなどをどう入れるか、そこらのセンスが問われることになるだろう。芸術を扱った作品だから、妙に素人受けを狙わずに繊細な映像表現にこだわれば、相当な名画ができるかもしれない。

 

 

 

2017年7月13日

ビッグ・トレイル(1965)

The_hallelujah_train

- UN -

バート・ランカスター主演の痛快西部劇。 ランカスター率いる砦に、禁酒運動をする女性運動家が舞い込み、酒を求める住民、横取りを目指すインディアンなどが複雑にからむ騒動を描いている。DVDで鑑賞。

愉快で脳天気な作品だった。ハレルヤ・トレイルというのが原題らしい。と言っても、作品は神様を称える内容ではない。どちらかと言えば、神様なんぞ気にもしないような連中の話で、そこにハレルヤとタイトルをつけたことも、笑いのネタかも知れない。沼に沈んだ酒樽の行方については、ちょっと神がかったものがあったが、それも神聖なものではなく、お笑いだった。

銃を撃ち合っているのに、痛快な喜劇と言えるのか?また、インディアン達が騙されて酷い目に遭っているのに、それをゲラゲラ笑っていただろう当時の観客は、どんな精神構造だったのか、疑問点もある。ドタバタがおかしいと言えばそうだが、センスは今日と違っている・・・

主役のバート・ランカスターは、タフで思慮深い人物を演じることが多い。大作映画で、そんなヒーローを何度も演じていた。体格が良くて、線の太い印象が直ぐに伝わってくる。でも、この作品では、たぶん逆説的にだろう、彼のキャラクターが空回りするように設定されていた。そして、それが効果的だったようだ。

今の時代には、バート・ランカスターなど知らない若者も多かろうから、意外性を狙ったキャスティングも、もはや意味はなくなってしまった。もっとドジそうなコメディアンが主役を演じていたほうが、より長い時代に通用し、笑いを狙えたかも知れない。でも映画は基本、公開当時の売り上げが勝負だから、大スターが演じたほうが良かった。当時はビデオ化されることなど、思いもよらなかったに違いない。

本当に当時、禁酒運動があったのだろうか?禁酒法の成立よりずいぶん前の時代で、女性が単身で荒野を旅して運動するのは、あまり現実的じゃないような気もする。ある歴史書によれば、南北戦争以前から、宗教界を中心に全国的な組織はあったようだし、勇敢な女性活動家だっていたのかも知れない。

活動家を演じていた女優が、「酒とバラの日々」のヒロインとは・・・・そこは偶然じゃないはずだ。

広大な西部で、多量の酒を輸送していたのかと、少し疑問に思えた。酒類は各地で作られていたのではなかろうか?それともケンタッキー以外は特許の関係で作れなかったのか?デンバー周辺にも、たとえばメキシコ人達が飲んでいた蒸留酒ならありそうに思う。高級な酒だけは輸送したかも知れないが、それでも破損による損失が大きかろうから、そんなに輸送されなかったのでは?

 

 

 

2016年7月 1日

東ベルリンから来た女(2012) 

Schramm_film_koerner

- 管理社会考 -

地方の病院に、ベルリンから転勤してきた女医。妙によそよそしく、同僚と関わろうとしない。彼女は西ドイツへの出国を希望し、監視されているからだった・・・

・・・・東ドイツの監視社会を扱った作品のひとつ。「善き人のためのソナタ」と同様、執拗な監視で住民が支配されていた様子が上手く描かれていた。

ヒロインを演じていた女優さんはスタイルの良い人だったが、目つきが厳しく、おそらく役作りのために激しいダイエットをしたのではないかと思う。ギスギスした雰囲気がよく出ていて好演だった。いっぽう相手の男性医師役は、ちょっと良い人過ぎて面白くなかったかも知れない。相手役側も、もっと影の部分を存分に出したほうが、より深刻さが際だったと思う。

そして怖さを強調するためには、監視役の親玉はもっと陰険なほうが良い。商業的な面を考えるなら、この作品の演出は大人しすぎた。少しはアクションが欲しい。

医師同士も監視するようになっていたが、過去のミスを不問に伏す代わりに秘密警察に協力させる、そんな飼い殺しの手法が実際にどの程度行われていたのだろうか?旧東ドイツの実情はよく知らない。旧共産圏に限らず、捜査機関の権力が強く、情報公開が進んでいない社会では、どこでもそんなものではないかと思うのだが、正確には分からない。

欧米だって、司法取引の形で犯罪者を利用したりするから、この種の管理方法は旧共産圏独特のものとは思えない。日本だってそうだったはず。隣組などの機構が監視に役立っていたと聞く。軍事政権が支配する国々は、どこも似たような状況だったと思う。一党独裁の某国も、違うとは思えない。

捜査側にとっては、犯罪者を無駄に処罰せず、より重要な情報を得るため都合が良い方法。協力者が逃げ出せない地域なら、上手く操ることが可能である。効率的で要領の良い方法だろう。

やられる住民側にとっては辛い。監視を怠れば直ちに自分が厳しい罰を覚悟しないといけないし、住民同士が疑心暗鬼に陥って仲間意識を損ない、公共精神に疑問を感じる方向になり、やがては社会の停滞を生む。管理社会は、やる気を損ないやすい。監視役を維持するために、コストも嵩むと思う。

管理社会でも仕事に精を出させ、発展を目指す方法もある。たとえば恐怖や、激しい競争意識を利用する手だ。でもそのためには、非常に苦しい立場の人間が必要で、あんな立場になりたくないから頑張るという意識が必要となる。皆が豊かになってしまうと、競争意識は育ちにくい。したがって全体が豊かになりにくい・・・そこがジレンマになる。

体制に不利な報道をしたから連行し、殺しはしないとしても脅迫を繰り返して管理する。そんな行為は今でも世界各地で発生していると聞く。見せしめを作って激しく攻撃し、「ああはなりたくないから、批判は避ける」・・・そんな意識を広く作れるかどうかが、管理する側にとっては重要。手を緩めたくても、自分に火の粉が降ってくるのが怖くてできないだろう。厳しくするしかない。

劇場主は、見せしめを作る形で人を管理することを嫌悪する。管理する側に立って便利だからといって、やがて会社全体が停滞するのは嫌だ。自分が所属する社会が衰退することを好まない。厳しい管理で発展し続けた組織があれば考えを改めないといけないが、基本的に管理は最小限であることが組織の発展に必須と考える。

でも、いまだに管理というと見せしめが必要と考えている人は多い。脅迫に基づく管理をやらないと、すなわち管理能力のないヤツと判断する人も多い。恐怖がないと指示が無視され、管理が難しい局面が確かにある。そこで焦って管理を強めると・・・停滞が待つのだが。

見せしめを作る人間がいれば、全体がその人間に引っ張られやすい。見せしめの恐怖には、管理する側もされる側も同様なセンス、いわばイジメや仲間外れごっこの感覚が必要で、互いにそのセンスがないと成り立たない。やがて社会全体が、その管理下に陥り停滞する。そこを歴史から学びきれていない。見せしめ好きの人間は、自分が所属する組織の行く末は気にならないのかも知れない。

見せしめを作る人間を、出世させてはならない。そんな人間に権力を与えてはならない。民主主義社会から管理社会、全体主義への転換は、法に基づきスムーズになされることが証明されている。よくよく考え、冷静になるよう努めないと、強圧的な勢力に力を与える愚行は、繰り返されるだろう。

 

2016年5月20日

ビリギャル(2015)

Seisakuiinnkai

- やはりドラマティック -

女子校で呑気にグータラ生活を送っていたヒロインが、一念発起、現役での大学合格を目指す物語。実話を元に書籍から映画化された作品。

・・・・DVDで鑑賞。監督は土井裕泰という方で、教師役を伊藤淳史が演じ、ヒロインは有村架純という知らない女優だった。書籍のほうの表紙の不良っぽい女性とは別人らしく、映画のヒロインは、より可愛らしさにふったようだった。

有村嬢の演技には満足できた。適度にかわいらしく、極端に色っぽいわけではなく、際だって整った美形でもない、普通に近いが美人、ただし絶世の美女ではないといえる身近な印象が、この役には最適だったと思う。演技も自然だった。この役の場合は、名優のような大仰な演技は必要なく、自然さが第一だった。

この作品は家族での鑑賞に向くと思う。真剣に努力するヒロインの姿は、何ごとにせよ懸命にうちこむことの意味を感覚として感じさせるように思う。不満を言うばかりでダラダラしてては何も解決しない・・・そんなことを改めて思った。

大学受験は究極の目標ではない。実際、この作品のモデルとなった女性は、その後はごく普通の道をたどり、家庭に入ったらしい。その後、大きな事業を成し遂げたわけではない。普通の生活に至るのにも、ドラマはあるものだ。ドラマはあっても、高尚な哲学に導かれるような物語ではない。

慶応大学にも色々な学部があり、彼女はハイソな世界に通じる教室とは違った学部に合格したに過ぎないのかも知れない。慶応はブランドだが、医学部の業績は意外にパッとしない。地方大学のほうが、より成果を出しているように感じる。優秀な学生を普通の医者にしているだけではと、少し疑いを持って見ている。

受験制度、教育制度、社会全体のシステムが、際立つ才能を育てる方向に向いていないせいかも知れない。それでは、やがて競争に負けてしまう運命にある。

受験は誰にとっても大きな関門で、いろいろな物語がそれぞれに展開されるものだと思う。劇場主は完全に違う世界に行ってしまって、日本や世界の将来に興味が傾き、勉強しないまま受験に臨んでしまうという情けない物語になったが、大きな自信をつかんだり、悲劇的な物語となったり、それらが様々、いたるところで起きているはず。

映画にはなかなかなりにくい物語ではあるものの、極端な成功の場合は、題材となりうる。このヒロインの場合以外でも、本屋に行けば様々な例が取り上げられている。キャバクラ店主の息子が東大に入った、ヤンキーが教師になったなども、その一連のシリーズと言えるだろう。

でも名門大学に進んだ彼らが、大事業を成し遂げるとは限らない。国家の将来を心配する身としては、際だった才能を次々と生み出すよう、各大学には努力して欲しいのだが、そんな望みにこだわるような愛国者は、受験に失敗してしまう。劇場主のように。

受験においては、やはり合格に向けて集中すべきだ。大事なことは、また他の機会に考えれば良い。

 

 

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