映画評

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カテゴリー「ひ」の31件の記事

2017年7月13日

ビッグ・トレイル(1965)

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- UN -

バート・ランカスター主演の痛快西部劇。 ランカスター率いる砦に、禁酒運動をする女性運動家が舞い込み、酒を求める住民、横取りを目指すインディアンなどが複雑にからむ騒動を描いている。DVDで鑑賞。

愉快で脳天気な作品だった。ハレルヤ・トレイルというのが原題らしい。と言っても、作品は神様を称える内容ではない。どちらかと言えば、神様なんぞ気にもしないような連中の話で、そこにハレルヤとタイトルをつけたことも、笑いのネタかも知れない。沼に沈んだ酒樽の行方については、ちょっと神がかったものがあったが、それも神聖なものではなく、お笑いだった。

銃を撃ち合っているのに、痛快な喜劇と言えるのか?また、インディアン達が騙されて酷い目に遭っているのに、それをゲラゲラ笑っていただろう当時の観客は、どんな精神構造だったのか、疑問点もある。ドタバタがおかしいと言えばそうだが、センスは今日と違っている・・・

主役のバート・ランカスターは、タフで思慮深い人物を演じることが多い。大作映画で、そんなヒーローを何度も演じていた。体格が良くて、線の太い印象が直ぐに伝わってくる。でも、この作品では、たぶん逆説的にだろう、彼のキャラクターが空回りするように設定されていた。そして、それが効果的だったようだ。

今の時代には、バート・ランカスターなど知らない若者も多かろうから、意外性を狙ったキャスティングも、もはや意味はなくなってしまった。もっとドジそうなコメディアンが主役を演じていたほうが、より長い時代に通用し、笑いを狙えたかも知れない。でも映画は基本、公開当時の売り上げが勝負だから、大スターが演じたほうが良かった。当時はビデオ化されることなど、思いもよらなかったに違いない。

本当に当時、禁酒運動があったのだろうか?禁酒法の成立よりずいぶん前の時代で、女性が単身で荒野を旅して運動するのは、あまり現実的じゃないような気もする。ある歴史書によれば、南北戦争以前から、宗教界を中心に全国的な組織はあったようだし、勇敢な女性活動家だっていたのかも知れない。

活動家を演じていた女優が、「酒とバラの日々」のヒロインとは・・・・そこは偶然じゃないはずだ。

広大な西部で、多量の酒を輸送していたのかと、少し疑問に思えた。酒類は各地で作られていたのではなかろうか?それともケンタッキー以外は特許の関係で作れなかったのか?デンバー周辺にも、たとえばメキシコ人達が飲んでいた蒸留酒ならありそうに思う。高級な酒だけは輸送したかも知れないが、それでも破損による損失が大きかろうから、そんなに輸送されなかったのでは?

 

 

 

2016年7月 1日

東ベルリンから来た女(2012) 

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- 管理社会考 -

地方の病院に、ベルリンから転勤してきた女医。妙によそよそしく、同僚と関わろうとしない。彼女は西ドイツへの出国を希望し、監視されているからだった・・・

・・・・東ドイツの監視社会を扱った作品のひとつ。「善き人のためのソナタ」と同様、執拗な監視で住民が支配されていた様子が上手く描かれていた。

ヒロインを演じていた女優さんはスタイルの良い人だったが、目つきが厳しく、おそらく役作りのために激しいダイエットをしたのではないかと思う。ギスギスした雰囲気がよく出ていて好演だった。いっぽう相手の男性医師役は、ちょっと良い人過ぎて面白くなかったかも知れない。相手役側も、もっと影の部分を存分に出したほうが、より深刻さが際だったと思う。

そして怖さを強調するためには、監視役の親玉はもっと陰険なほうが良い。商業的な面を考えるなら、この作品の演出は大人しすぎた。少しはアクションが欲しい。

医師同士も監視するようになっていたが、過去のミスを不問に伏す代わりに秘密警察に協力させる、そんな飼い殺しの手法が実際にどの程度行われていたのだろうか?旧東ドイツの実情はよく知らない。旧共産圏に限らず、捜査機関の権力が強く、情報公開が進んでいない社会では、どこでもそんなものではないかと思うのだが、正確には分からない。

欧米だって、司法取引の形で犯罪者を利用したりするから、この種の管理方法は旧共産圏独特のものとは思えない。日本だってそうだったはず。隣組などの機構が監視に役立っていたと聞く。軍事政権が支配する国々は、どこも似たような状況だったと思う。一党独裁の某国も、違うとは思えない。

捜査側にとっては、犯罪者を無駄に処罰せず、より重要な情報を得るため都合が良い方法。協力者が逃げ出せない地域なら、上手く操ることが可能である。効率的で要領の良い方法だろう。

やられる住民側にとっては辛い。監視を怠れば直ちに自分が厳しい罰を覚悟しないといけないし、住民同士が疑心暗鬼に陥って仲間意識を損ない、公共精神に疑問を感じる方向になり、やがては社会の停滞を生む。管理社会は、やる気を損ないやすい。監視役を維持するために、コストも嵩むと思う。

管理社会でも仕事に精を出させ、発展を目指す方法もある。たとえば恐怖や、激しい競争意識を利用する手だ。でもそのためには、非常に苦しい立場の人間が必要で、あんな立場になりたくないから頑張るという意識が必要となる。皆が豊かになってしまうと、競争意識は育ちにくい。したがって全体が豊かになりにくい・・・そこがジレンマになる。

体制に不利な報道をしたから連行し、殺しはしないとしても脅迫を繰り返して管理する。そんな行為は今でも世界各地で発生していると聞く。見せしめを作って激しく攻撃し、「ああはなりたくないから、批判は避ける」・・・そんな意識を広く作れるかどうかが、管理する側にとっては重要。手を緩めたくても、自分に火の粉が降ってくるのが怖くてできないだろう。厳しくするしかない。

劇場主は、見せしめを作る形で人を管理することを嫌悪する。管理する側に立って便利だからといって、やがて会社全体が停滞するのは嫌だ。自分が所属する社会が衰退することを好まない。厳しい管理で発展し続けた組織があれば考えを改めないといけないが、基本的に管理は最小限であることが組織の発展に必須と考える。

でも、いまだに管理というと見せしめが必要と考えている人は多い。脅迫に基づく管理をやらないと、すなわち管理能力のないヤツと判断する人も多い。恐怖がないと指示が無視され、管理が難しい局面が確かにある。そこで焦って管理を強めると・・・停滞が待つのだが。

見せしめを作る人間がいれば、全体がその人間に引っ張られやすい。見せしめの恐怖には、管理する側もされる側も同様なセンス、いわばイジメや仲間外れごっこの感覚が必要で、互いにそのセンスがないと成り立たない。やがて社会全体が、その管理下に陥り停滞する。そこを歴史から学びきれていない。見せしめ好きの人間は、自分が所属する組織の行く末は気にならないのかも知れない。

見せしめを作る人間を、出世させてはならない。そんな人間に権力を与えてはならない。民主主義社会から管理社会、全体主義への転換は、法に基づきスムーズになされることが証明されている。よくよく考え、冷静になるよう努めないと、強圧的な勢力に力を与える愚行は、繰り返されるだろう。

 

2016年5月20日

ビリギャル(2015)

Seisakuiinnkai

- やはりドラマティック -

女子校で呑気にグータラ生活を送っていたヒロインが、一念発起、現役での大学合格を目指す物語。実話を元に書籍から映画化された作品。

・・・・DVDで鑑賞。監督は土井裕泰という方で、教師役を伊藤淳史が演じ、ヒロインは有村架純という知らない女優だった。書籍のほうの表紙の不良っぽい女性とは別人らしく、映画のヒロインは、より可愛らしさにふったようだった。

有村嬢の演技には満足できた。適度にかわいらしく、極端に色っぽいわけではなく、際だって整った美形でもない、普通に近いが美人、ただし絶世の美女ではないといえる身近な印象が、この役には最適だったと思う。演技も自然だった。この役の場合は、名優のような大仰な演技は必要なく、自然さが第一だった。

この作品は家族での鑑賞に向くと思う。真剣に努力するヒロインの姿は、何ごとにせよ懸命にうちこむことの意味を感覚として感じさせるように思う。不満を言うばかりでダラダラしてては何も解決しない・・・そんなことを改めて思った。

大学受験は究極の目標ではない。実際、この作品のモデルとなった女性は、その後はごく普通の道をたどり、家庭に入ったらしい。その後、大きな事業を成し遂げたわけではない。普通の生活に至るのにも、ドラマはあるものだ。ドラマはあっても、高尚な哲学に導かれるような物語ではない。

慶応大学にも色々な学部があり、彼女はハイソな世界に通じる教室とは違った学部に合格したに過ぎないのかも知れない。慶応はブランドだが、医学部の業績は意外にパッとしない。地方大学のほうが、より成果を出しているように感じる。優秀な学生を普通の医者にしているだけではと、少し疑いを持って見ている。

受験制度、教育制度、社会全体のシステムが、際立つ才能を育てる方向に向いていないせいかも知れない。それでは、やがて競争に負けてしまう運命にある。

受験は誰にとっても大きな関門で、いろいろな物語がそれぞれに展開されるものだと思う。劇場主は完全に違う世界に行ってしまって、日本や世界の将来に興味が傾き、勉強しないまま受験に臨んでしまうという情けない物語になったが、大きな自信をつかんだり、悲劇的な物語となったり、それらが様々、いたるところで起きているはず。

映画にはなかなかなりにくい物語ではあるものの、極端な成功の場合は、題材となりうる。このヒロインの場合以外でも、本屋に行けば様々な例が取り上げられている。キャバクラ店主の息子が東大に入った、ヤンキーが教師になったなども、その一連のシリーズと言えるだろう。

でも名門大学に進んだ彼らが、大事業を成し遂げるとは限らない。国家の将来を心配する身としては、際だった才能を次々と生み出すよう、各大学には努力して欲しいのだが、そんな望みにこだわるような愛国者は、受験に失敗してしまう。劇場主のように。

受験においては、やはり合格に向けて集中すべきだ。大事なことは、また他の機会に考えれば良い。

 

 

2016年5月 2日

ピッチ・パーフェクト(2012)

Universalpitch

- プロデューサー考 -

親の勧めでしぶしぶ大学に入学した主人公。アカペラコーラス部に入部し、次第に活動に熱心になるが、部のルールは恋の道の障害になる・・・

・・・DVDで鑑賞。テレビの「グリー」とほとんど似たようなドラマだと感じた。中心に一人のヒロインがいることと、長いドラマシリーズになっていないこと、悪役の教師がいないことなどが違うが、個性が目立つ仲間達が歌い踊り、曲が数年前からせいぜい20年前程度に流行したものに限られるといった点は同じ。ダンスも似ている。舞台となるコンテストも、ひょっとすると共通しているのかも。

ピッチ・パーフェクトというタイトルの意味がはっきり分らなかった。ピッチは、調子、リズムの意味だろうか?ノリが良い、テンポが完璧といった意味合いと、何か他のものを賭けているのかも知れない。アカペラの世界の用語なのかも。

コンテストでの勝利を目指す青春ものと思う。それだけじゃつまらないので、ギャグや歌、踊り、そして曲のアレンジを上手くこなしたミュージカルも狙いだったと思う。よくできていた。当然だろう。短時間のテレビ番組だって凄いレベルのアレンジがされているくらいだから、大手映画会社が作った作品で、技術的な問題があろうはずがない。

ヒロインは最近よく出てくるアナ・ケンドリック。元々がミュージカルで有名になった人らしいのだが、「グリー」のレイチェルのような大口で歌う歌い方ではないので、上手いのかどうかよく分らなかった。

「グリー」に出てくるタレント達は、一見して踊りも歌も凄く高いレベルと感じる。とすると、何か演出面で問題があったのかもしれない。カメラワークにあまり躍動感を感じなかった。ミュージカルが得意なカメラマンじゃなかったのか?

アメリカの大学では、音楽プロデューサーを目指しているからと、入学を嫌がる場合があるのだろうか?業界の大きさや景気、金の動く額などが違うから、プロデューサーとして成功したら、たいしたリッチウーマンになれるのかも知れない。普通の学部で、しがないOLを目指しても仕方ないという考え方はありうる。

日本の業界の規模の場合、基本は会社に就職して制作の分野で修行し、ある時期に独立というのが普通の流れではないだろうか?ミュージシャンとして有名になり、仕事の中で制作を学び、徐々にプロデューサーに変身していく人はいると思うが、大成功する人が多いのか?

今はパソコンで高度な処理ができる。センスさえ良ければ、過去にはできなかった処理が、自宅で簡単にできる。そうなると、会社に所属したことがない制作者が主流になっていくのかも知れない。

この作品の制作には、出演もしていたエリザベス・バンクスが大きく関わっていたそうだ。彼女は、そんな切れ者には見えないが、お気楽路線の映画では存在感のある女優。自分の役割をしっかり認識しているのだろう。俳優が、映画制作で意外な力を発揮する例は少なくない。センスが関わるからだろう。

 

2016年2月18日

ビッグ・アイズ(2014)

Weinstein

- 契約の必要性 -

夫から逃れたヒロインは、商才のある男と知り合い、男の名義で絵を売り出して成功する。しかし、やがて嘘をつくことに耐えきれなくなって行く・・・・

・・・・実話が元になっているそうで、そういえば雑誌か新聞で裁判のことを聞いたような気もする話。DVDで鑑賞。

この作品の成立には、クリストフ・ヴォルツの登場が絶対に必要だったと感じた。当代きっての悪役、嫌らしい個性を演じたら類を見ないほどの完成度を持つヴォルツの存在が、この作品の企画を可能にしたと思う。最終的な勝者はヒロインだろうと最初から分かっているが、手強い悪役が作品の決め手になる。ヴォルツがそれを担当していた。

素晴らしい存在感だったと思う。ただし、演出には難があったかも知れない。彼が好かれる必要はなく、とことん嫌らしい人物として、情けない姿、怖さを徹底的に演出したほうが、作品の印象は高まったと思う。嫌らしさが抑えてあったのが残念。

裁判で負けた場合、自分の名誉や財産が失われることは確実なので、必死の弁護をすると思う。あさましく、殺気だつほどの姿が描かれたほうが自然だし、かえって好印象につながったのでは?笑えるような姿は必要なかったと思う。

実際のところ、真相がどんなものか分からない。微妙な点で、真相とは違う部分があるかも知れない。描き方次第で、悲劇のヒロインが一方的に利用されたのか、あるいは共同作業が破綻し仲間割れしただけか、理解の仕方は色々ある。

ヒロインは夫の名前で絵を売ることに、当初は同意していた可能性が高いと思う。真相は分からないが、最初から強制的に名義を変えられていたら、長期間にわたって黒子に徹することは考えにくい。脅しが根底にあったのだろうか?そのようには描かれていなかったようだが・・・

ヒロインの名誉を傷つけるつもりはないが、おそらく夫婦仲が破綻し、離婚が前提になって初めて解約を本格的に考えたのではないだろうか。離婚する相手に同情する必要はない。離婚後の自分の生活は大事なので、権利を総取りする必要を感じ、その際に穏便な解決策を選択しなかった・・・それが基本では?

もちろん夫婦仲の破綻に、隠し事が関係していた可能性も高いと思う。公表するかしないかで、常に意思統一が図られるかは分からない。普通は夫婦喧嘩の材料になって、離婚の誘因になりそうなものと思う。妙な約束は、結婚当初は良いが、維持するのは難しい。お互いの我が強まる頃には、維持が無理になってくるものだ。

夫側が殺人をほのめかしたのが事実なら、間違いなく夫には非がある。脅迫できる立場にあるとは思えない。でも、あれが演出なら、少し同情の余地もある。共同作業で絵を売っていたのも事実だろうからだ。もし書類で権利を共有するとでも契約を交わしていたなら、絵に関する権利を主張もできようが、それがないなら絵の権利は描いた人にあるはず。

共同作業でもめない例は少ない。ビートルズのジョン&マッカトニーの間では、売れる前から共同作業の約束をしていたそうだが、どうも関係の維持はできなかったようだ。夫婦の間でも、書類を交わすことくらいは常に考えておくべき。

劇場主は掃除、洗濯、子もり、買い物をこなす契約をしたはずはないのだが、こなしている。これに妻からの脅迫が加われば、裁判では有利になるとふんでいる。暴力沙汰は厳禁である。

 

 

 

2015年11月12日

ヒトラーとナチ・ドイツ(2015)

- 講談社現代新書 -

・・・・ナチスドイツが、民主的な選挙によって権力を掌握した経緯を解説した本。なんで、こんな本を読んだかと言うと、昨今の日本の国会の状況が怪しいからだ。別に安倍氏がヒトラーだと言ってるわけじゃないが・・・・

著者の石田勇治氏は東大教養学部の教授。ホロコーストが専門らしい。この方以外にも、なぜ民主主義が全体主義に変わられたのかを研究している方は多く、いろんな本が出ているようだが、決定版はないのでは?と、思う。この本を読んでも、非常によく分かったとは感じなかった。

事実の羅列の部分がかなりあった。わざわざ書く必要があったのか疑問に思ったが、ヒトラーの本を読んだことがない人は、おそらく歴史の授業で1頁くらいの記述を読んだくらいしか知識がないと思うので、理解を深めてもらうために羅列も必要かも知れない。もっと短いと、こちらとしては有り難かった。

経済面の分析、特に失業率対策の裏技は、読んだことがなかったので驚いた。有名な話なんだろうか?今までは、アウトバーン工事などで雇用を産んだなど、良い仕事もやっていたようなイメージがあったが、宣伝に騙されていたのかも知れない。あるいは、氏は過剰に経済効果を低く表現しているかも知れない。

女性が家庭に入るように補助金を出したというのも知らなかった。家庭に入れば、確かに失業者ではなくなる。発表される失業率は良くなるだろう。今後、日本でも政府が使う手かも知れない。

最初からヒトラーがナチス独裁を考えていたのかは、よく分からなかった。「我が闘争」も一度目を通したことがあるが、長いし内容に乏しいので、どんな計画を練っていたかは理解できなかった。この本の記述だと、偶然のように権力を握ったに過ぎないと思うのだが・・・

今後、ヒトラーのように権力を握る勢力が出るか、そのへんが非常に気になる。橋下大阪市長や、安倍総理などには、そんな危険な臭いが漂うが、文明国で教養の高い人間が多かったはずのドイツで、簡単に独裁政権が誕生するくらいなら、日本では何でもあり得るだろう。日本人の政治的判断力では、レベルの低いことしかできないように思えて不安。

文明国とは言っても、おそらくヒンデンブルグのような人物が大統領になるということは、軍国主義に好意的な国民の意識が基本にあったはずと思う。鉄血ビスマルク時代からの伝統が、まだ生きていたはず。米国でも戦争の英雄が大統領になることはあったが、伝統の違いがあるから、民主主義に移行して間もないドイツの場合、首長が軍人ということは、イコール、民主主義は嫌いということを意味していたのだろう。

その下地があるので、何かあって民主主義政権が支持を失うと、一気に独裁政権が生まれる構造だったのではないか?要領を得ない政権に見切りをつけて、手際よく政治を行う独裁政権に期待する心情が生まれたのではと思う。それは日本でも同様だったろう。

自分の過去の経験でもそんなものだった。部員に意見を求める先輩より、「オレについてこい。反論は許さん。」というような先輩のほうが、部活動などの場合はまとまる。「どうしようかねえ?」などと相談されたりしたら、大丈夫かいな?と不安になる。部活動も政治も、似たような感覚ではいけないと思うのだが・・・

国会議事堂の火事は、ナチス独裁に巧妙に利用されたようだが、あのような自作~他作の事件が、今後も上手く利用される危険性は高いように思う。

日本の経済は、安倍政権誕生の頃と比べると、失望感が拡がりつつあり、沈滞ムードに入っている。成長率が全てではないと思うが、米国のように数値が伸びていないことは確か。政権にとっては数字をよく見せる必要はあり、何かやろうと考えているはず。でっち上げめいた事もあるかも。

 

 

2015年10月22日

美女と野獣(2014)

Path


- 求むイケメン -

魔法で野獣に変わった王子と、父親を救うために人質となった美女との話。DVDで鑑賞。大きな看板で宣伝していたので気になっていたが、劇場に観に行かないで良かった。行ってたら、猛烈に後悔していただろう。

美しいシーンは多かった。森が人の行く手を阻もうと動く場面や、城の広大な光景、鏡を上手く使った回想めいたシーンは、表現力を感じた。CGの出来には満足できた。

過去の姫役は美人女優で、なんとなく鹿のような顔をした適役だった。ヒロインに姉がいたという設定は知らなかったが、姉たちは役割を上手く果たしていたように思う。シンデレラの姉のような役割だったようだ。

でも、作品の制作の意図が分からなかった。例えばディズニー作品との違いを挙げるなら、①アニメでないこと、②アメリカ女優が登場していないこと、③巨人が登場して人間と戦っていたこと、④魔女も登場していないこと、⑤昔の恋愛物語が大きなウェイトを占めていたことなど。どんな意味があったのだろうか?CGを使うことだけか?

主人公の恋愛感情もよく理解できなかった。なぜヒロインは野獣を好きになれたのか、理解できなかったのは私だけだろうか?同情心か?一般的にも理解できないように、個人的には感じた。アニメ版ではオオカミとの戦いなどがきっかけになっていた。

理屈抜きで納得してしまうためには、ヒロインが猛烈に美しいか、王子が問答無用の美男子で、どんな性格をしていようとも見た目だけで惚れざるを得ない、そんなビジュアル面の説得力が必要だった。今回の主演に、そこまでの魅力は期待できないと思う。

今、フランスにどんなイケメン俳優がいるのか知らないが、いないはずはない。演技など無視して、台詞を減らしてでも、もっと若いイケメン俳優を使い切ったほうが良かったと思う。

観客としての対象を、どのように予定したのだろうか?童話の実写化の場合は、基本は少年少女、特に女の子、あるいは元少女で、現在は行き遅れの夢見る女性が思い浮かぶ。画面は美しく、夢に浸れることが望ましい。宝塚に近い路線。それなら、配役もストーリーも全く変えないといけないだろう。

ディズニーアニメ作品は美しいダンスのシーンがあった。皿やフォークが踊る舞踏会は、立体的な構成になっていて、大人も子供も楽しめるように工夫してあったと思う。あれを見ている我々は、実写化された映画にもCGなどを使って夢あふれるシーンがあるのでは?と期待してしまう。そんな路線は完全に排除されていたようだ。

踊りのシーンにCGは必要なかったかも知れない。素朴でシンプル、でも心温まる、そんなダンスなら、観客は二人の心の結びつきを理解しやすい。それに、狂言回しの役割をする存在が足りなかったようにも思った。

 

 

 

2015年7月24日

ヒミズ(2012)

Gaga

- 若者よ頑張れ -

両親に見捨てられた青年は彼を慕う少女、浮浪者達と生きようとするが、貸金業者、父親などに虐待され、正義の殺人の衝動に駆られる・・・・

・・・・染谷将太が出た映画が気になって、DVDで鑑賞。同名漫画の映画化作品だそうだが、漫画は見たことがない。漫画とは地理的な設定や、人物の個性も多少違うようだ。

震災の後のガレキの風景が何度か出てくる。荒涼とした風景は、作中の荒んだ雰囲気を出すことに役立ってはいたが、被災者の心情を考えると少々アザトくて不謹慎な印象も受けた。被災地を写すなら、被災地の復興を基本テーマにすべきと思うのだが、この作品は少し違う部分が目立ったように思う。

もちろん、復興には若者の心の整理、励ましも必要。彼らが心を癒し、前向きになるまで、無茶でも耐えて頑張ってもらわないと仕方ない。画像のラストシーンの「頑張れ!」という叫びは、若者全体に向けたものだったろう。

震災を漫画的ストーリーで描く場合を考えると、この作品のセンスは抜群に素晴らしかった。苛立ちや絶望、嫌悪感、希望を持てない状況の表現は、無茶な暴力への衝動を上手く描いたことでよく理解できた。また、ラストシーンのセリフ、二人の声の出し方が良い。ヤケクソのような励まし方は、震災にあった人の心情に合致するように想像する。

ストーリーは、さすがに漫画的すぎて、映画用の流れから考えると適切ではない印象も受けた。過剰に殴ったり、いらだったり、演技と演出が激しすぎて、リアルな雰囲気が出ていなかった。もう少し抑制したほうが、映画としての訴える力にちながったのではないか?原作は原作、映画は映画だと思う。

染谷の演技は素晴らしい。もっと怖がった様子が声に出ていれば、さらにリアルで共感を得る人物になっていたかも知れない。そして、もっとダイエットし、丸刈りのヘヤスタイルだったら、さらに良かったかも知れない。まともに殴られたら、歯は折れるし拳も傷めるはず。素手でそうそう何度も人を殴れるものではない。

彼のような俳優は若いうちは光るが、齢をとると価値が下がる傾向がある。皺や白髪が増えた時、どのような人物を演じると良いのか、今の時点ではよく分からない。悪役には向かないように思う。

ヒロインは二階堂ふみという女優さんだったが、演劇部の女学生の雰囲気がそのまま映画の個性と合致していて、この作品にはピッタリの印象。もっとクールな役柄か、無理にカワイコぶったキャラクターのほうが、現代風だったかもしれないと思った。

拳銃の扱い方が気になった。ラストのほうで重要なアイテムになるのだが、映画の中ではリアルさを損なう原因にもなっていたと思う。入手方法が不自然すぎて、やはり漫画的な話だったのだなと、観客の冷めた印象につながりかねない設定。これはありそうな話だと、納得できる設定も必要。

もっと思い切った演出方法があったかも知れない。被災地と夜の街だけロケを使い、後は舞台で夜のボートハウスを写すといった方法なら、詩の朗読が有効になる。学校のシーンは重要ではないから、削除していいかもしれない。心理劇の部分を強調したいなら、舞台の雰囲気と詩の朗読は有効では?ギリシア悲劇のような荘厳な物語になるかも知れない。

さらに予算があればCGを使って、被災地の中にたたずむ姿とボートハウスの光景が合体したような奇妙な空間を作ることが出来たかもしれない。

園子温という方が監督をしていた。堤防の道が、そのまま被災地の道路に重なるように編集したり、細かい演出のセンスが良い。拳銃が最初から出てきて、ラストの大事な場面につながることや、詩の使い方も印象的。エログロ、過激路線、演出過剰の特徴を出しながら、基本に従っているような印象。

震災の後の日本を覆う雰囲気の表現に優れていた。怒り、憤り、不安感、無力感、それらが記録された価値はある。原発事故の報道は、聴いているうちに気分が滅入ってくる。おそらく若者はもっと敏感に、世の中に希望を持てない感覚、大人達の嘘や勘違い、無能ぶりに腹が立つやら、それこそ主人公のような感覚に襲われたと思う。

社会的敗者は自己責任で対処してもらう・・・そんな風潮は、破壊的で暴力的な衝動につながると思う。東京電力も、そしてあの東芝でさえも、違法、無能、虚飾、改竄に満ちた運営をやっていたようだ。そんな社会でも、若者には生き抜いて欲しいと願う。とにかく、いかに矛盾に満ちた世界であっても、頑張って欲しい。無茶苦茶なのは、今に始まったことではない。昔からそうだったのだ。

 

2015年5月 4日

ピアノ・レッスン(1993)

Miramax

- 迷惑だわ -

発語障害の女性が、娘を連れてニュージーランドの開拓者に嫁ぐ。嫁ぎ先とは馴染めない女性だったが、ピアノのレッスンをきっかけに、近隣の男と知り合う・・・

・・・女性監督のジェーン・カンピオンの構想、脚本によるらしい。筆者(劇場主)は事前の知識なしにDVDで鑑賞。娘にレッスンする話かなと思っていたら、レッスン相手は現地の開拓者だった。この作品は子供には全く向かない内容だった。

ヒロインは発語障害。ラストで発声はできていたから、構語、発語の段階での問題。言語の理解は充分できているから、言語的な情報処理は可能で、どんな病態か分からないが、もっと発音があったほうが自然だったかも知れない。

あえて話さない設定にしたのは、ヒロインの感情が態度以外では分からないようにしたかったからかも。例えば少し好意を持っている段階でも、「あんたなんかと付き合うつもりはない。」と、言葉で言うことはある。態度だけで表現させたほうが、心理的な変化を表現する場合には都合が良い。

吃逆が高度になると、もしかしてこのような病状になりうるのかもしれないが、話そうという意志があれば、声は出そうな気がする。声を出さないという意志が働いた状態・・・つまり、頑固さがある・・・やはり映画用の特殊な病態ではないか?

ピアノが自分の表現手段になっている点が、映画のストーリーでは重要なことだった。話せない分だけ、ピアノに対する執着、依存度が高く、ピアノを平気で捨てる人間を許さないこだわりにつながっている。そこを強調するための、映画用の病態かも。

女性に限らず、誰でもこだわりはあると思う。こだわりがないと疲れる。慣れたものと同じであることで、我々は安心する。いちいち判断する場面が多くなると、時間的にも精神的にも無理がかかる。慣れた一定の行動パターンは必要。毎日すべてが違ったら、精神の安定を欠いてしまう。ピアノに触れることが大事な障害者の設定は、それを際立たせる意味があった。

女性を演じていたのはホリー・ハンターで、筆者はよく知らない女優。この役は自分から売り込んで主演したらしい。存在感、実在感が充分に感じられ、適役だったと思う。演出も良かったのかも知れないが、傷ついても声を出さずに歩き出し倒れる姿など、迫力満点だった。

神経質そうな顔、筋肉質で小柄な体は、役柄を考えると最適だったと思う。ふくよかな女性が、あんな個性だとは考えにくい。演技力以前の段階で、この役はスリムな女性しか演じられない。

体型と性格は関係すると思う。神経質な人は、筆者のイメージのせいかもしれないが、傾向として体が細いように思う。中には太った神経質人間も、特に躁鬱の傾向がある人の場合はあるかもしれないが、神経質に何か考えて、しかも大量に物を食べれるのは、この役とは違う精神病態では?

娘役のアンナ・パキンが気になっていた。「グース」の頃よりも少し前の出演のようだ。それでも充分に演じている。子供の頃からこんな役を演じていたら、精神発育に良いかどうか分からない。今後の彼女の行動を見守るしかない。

ヒロインの行動、考え方の是非はともかく、彼女の影響を受けた娘がどのように成長するか、ヒロインがそこまで責任を問われるべきか、そこらは結果次第と思う。どのような結果になっても、甘んじて受け入れる覚悟は必要。ヒロインに共感できる面は多いが、結果も気になる。子供の成長や、そもそも子供が安全に生きていけるかも大事と思う。

この映画には色々なテーマがあったと思うが、第一は女性による選択の自由、感情面の重要度が挙げられる。ヒロインには、当時の時代のことだから配偶者を選ぶ権利がなかったはずだが、自分の好きにしたいと願い続けていた。それを肯定的に描いていた。選択の自由はあるべきだ。

女流監督だったからこそ描けた面はあるはず。不倫映画と言えばそうなので、このような展開は許せないと考える人は多いはずだが、この作品では気の毒な境遇の障害者がヒロインだったことと、ピアノに対する執着が絡んだことで、評価は変わってくる。

ヒロインは許されるべきか否か。賞賛されるべきか否か。糾弾されるべきか否か。それとも、そんな評価自体がそぐわない存在なのか?筆者には分からない。

嫁ぎ先の一家が生死の境をさまよっている、または経済的に極めて厳しい状況なら、命より大事なピアノであっても捨てるべきと思う。ただし、その後の人間関係は諦めるしかない。一生口をきかなくても当然。でも、この家族のシチュエーションは、そこまで逼迫してなかった。

ピアノを取りに行くというのは約束。それを破っているのに、彼女の気持ちに気づかないのは、夫婦の仲を考えると非常に考えの足りないことは間違いない。ただし、それが不倫の理由になるかと言えば、やはり別問題だろう。

したがって、ヒロインは賞賛されるべきとは思えない。気持ちは分かるし、糾弾されるには気の毒な境遇で、できれば好きな人と暮らさせてあげたいと思うが、ヒロイン側にも問題はある。旦那も可哀そうではないのか?

もともと男女関係について、この種の評価をすべきではない。良い悪いの評価をしても仕方ない面はある。ただ、子供や家族の生活に影響したりしなければと個人的には思うが、あんまり家族を気にしすぎると、女性の人権を抑圧するのも確かだし・・・

では、この作品でハーヴェイ・カイテルが演じていた人物。彼は、賞賛されるべき人間であろうか、糾弾されるべきか?もしくは、良し悪しは関係ない存在か?

彼がレッスンを受け始める段階で、どのような意図があったのか?最初から完全な企みがあったかは判らないが、野望や妄想めいたものはあったように想像する。よほどのバカでない限り、純粋にヒロインを気の毒に思ってピアノを運んだとは思えない。

たぶん同情の意味など全くなく、彼には欲だけしかなかった。単にひと目で好きになっただけかもしれないが、ピアノの話を持ちかけた時点で、ある程度は騙し、ヒロインの気持ちを利用し裏切る意図で計画的に企んだと考える。そんな人物が得する流れを、推奨していいのか?

だが、彼の気持ちも分かる。ただ糾弾されるべきとは思えない。彼の計画で不幸な人間が出ることは明らかだが、結果的にヒロインが救われるのなら、許されるべき面もあると思う。ただし、これはかなり稀な成功例だったかも。もしヒロインが殺されたら、彼は最悪の人間だったとなる。

彼は事を急いてはいなかった。それが成功理由のひとつだろう。触ったりから、徐々に関係を深め、慎重に相手の変化を待った。途中は騙す場面も多かったが、最終的には完全に相手の判断に任せるという、ギリギリ正当な態度は守っていた。その点は褒めても良いかも。

もし最後まで強引な取引の関係のままだったら、もう明らかに彼を許せる点はなくなる。ただヒロインを苦しめ、友人を裏切っただけになる。ヒロインは話せないから気持ちは判断しにくい。感情を理解しにくくて、この映画のようにならないことが多いと思う。単純に評価できない。

彼を正当化したら、ストーカーも許されかねない。関係の初期段階では、ストーカーと彼に区別のつけようがない。ヒロインがピアノにこだわっていなかったら、絶対に関係はストップしていたろう。嫌がるヒロインに付きまとうストーカーの成功例を描いた作品、少なくともそれと厳密に区別しがたい作品・・・それを評価して良いのか?

現実の交際も、客観的に見れば似たようなもの。男女の関係は、かなりの場合ゆっくり静かにレイプしているようなもの。段階を追って納得したり、諦めたり契約を交わしたりしても、他人から見ればただくっついたかどうかの点で変わりはない。互いに一目ぼれし、無条件に愛し合う関係でない場合、打算や諦めの要素が多いはず。

さて旦那さんだが、彼には落ち度があった。せめてピアノの位置を変えて、波にさらわれない工夫、日をおいて約束を果たす努力くらいはして欲しい。はるばる持ってきた品。大事でないはずがない。

理解力の足りない旦那さんだったのは確かだが、結構気を使う人間で、悪いヤツではなかったようだ。ヒロインの気持ちで勝手に不倫三昧をされたら、彼の気持ちの方は無視されて可哀そうに思う。理解力がないからと、罰を受けても当然だろうか?

彼はヒロインに謝罪し続ける必要があった。許されることがないとしても、事あるごとに事情を説明し、陳謝の態度は続ける必要がある。ただし彼はかなり紳士的な態度を保ち、ヒロインの気持ちが変わるのを待っていたようには見えた。自分の努力と我慢で関係が好転するのを待つ姿勢は、ひどい態度とまでは言えない。

開拓という事業の中で、無駄な金を使ってピアノを運び、事業の方に支障を来たしでもしたら、そっちのほうが許されない。経営状態によるだろうが、事業優先、そして花嫁に一家の一員として状況を理解し、一定の協力をするよう自覚を持ってもらう必要性、そこらを考えると、ヒロインの気持ちを重視するのに限界があったかも。

基本、開拓地では仕事と育児以外のことは考えないのが正しい。それがルールと言える。そもそもヒロインはルール違反で、彼女の気持ちがどうかは大事に考えてはいけないのかも。意思に反した結婚で夫は無理解だとしても、新参者は土地の伝統や習慣に従うべき。

韓流ドラマのような非現実的な世界なら、ヒロインの気持ち優先がよい。現実社会、ジャングルでの開拓地なら現実優先、そこいらを開拓者の妻は自覚すべきと考えても当然。もちろん、従うのが嫌でもいい。とことん嫌で従う意志がないなら、最初から来ないなら良い。

ラスト近くで、ピアノを船に積むかどうか、ピアノといっしょに心中するかどうかが問題になる。ピアノを諦めるということは、ヒロインの生き方を変えること、皆の命を優先すること、新しい生き方に賭けることなどを象徴している。過去の彼女の選択の根拠を捨てることにもなる。さて、彼女はどう判断するだろうか?

フランス映画なら、船が転覆して皆が死ぬかも。あるいは、ヒロインの娘だけが犠牲になるといった最悪のラストも考えられる。アメリカ映画なら、なぜか皆が金持ちになって終わるかも。さて、ニュージーランドではどうか?

周囲の人々は、ヒロインを理解できていなかった。病的と評価していたようだ。原始的な社会では気持ちを慮る余裕などないから、彼らが粗野で酷い連中だとは言えない。マトモだったとも言える。彼らが豊かになり、暇になって、恋愛のことだけ考えても良くなれば、ヒロインの気持ちは大事に扱われると良い。格差社会で皆がヒーヒー言っていたり、テロリストに銃を突きつけられた村なら、ヒロインのことは忘れるべき。無視したほうが利口。

現実は厳しい、もっと大事なこともあるのでは?と感じてしまう筆者は、一生もてることがないだろうが諦めましょう。こんなヒロインに振り回されたら、仕事などできない。迷惑だわ。

尚、この文章は、特定の人物、例えば筆者の奥様などを念頭に書いたものではなく、怒りや憤りの感情をいっさい含んでいないことを断わっておく。

 

2014年9月 4日

ビフォア・ミッドナイト(2013)

Sony

- コアなファン? -

出会ってから18年、再開してから9年、同居してから数年。二人はギリシアでバカンスを過ごしているが、シカゴに残した子供のことをきっかけに、破局の危機が訪れる・・・

・・・思いもよらぬ長編シリーズとなったシリーズの最新作。でも、劇場でわざわざ鑑賞するタイプの作品ではないと思う。少なくとも立派なオジサンとなった私が観ていると、全くもって絵にならない。これは夫に先立たれた美人の御婦人か、大恋愛が急にポシャッた美人の行き遅れOLが観る場合には周囲からも同情の目が注がれ、劇場の皆が涙を共有できる、そんな不思議な映画である。質の高い恋愛映画は、観る観客にも一定の質が要求されるのだあ~。

この作品は子供向けとは言えないセリフも多い。したがって、原則としては中学生以上の鑑賞が望ましい気がする。でも、おそらく女の子なら、幼児の時期からそれなりに何となく感動してしまうことも多いのではないかと思う。ガサツな男性には全く向かない映画。恋人といっしょに観る場合は、そんな彼氏は感動したふりをする工夫が必要。また、顔と体はもろに体育会系だがメロドラマに弱い純情な男性は、基本的には一人部屋で鑑賞したほうが良い。嗚咽などを漏らしてしまうと、周囲の観客が怖がるから。

このシリーズの特徴だが、二人が会話しながら長々と町を歩き、ああでもない、こうでもないと半分は下らない内容の会話を楽しむシーンがある。今回の会話は特に素晴らしかったように思う。毎回そう思うから、作り手の人達も充分に検討して、脚本を練っているに違いない。演じている二人の目線も自然で、演技の臭いがしないように、入念に工夫しているように見える。

主人公のイーサン・ホークは、今のところ大スターにはなっていないが、もう長いこと大スター候補だと思う。アクション映画で主役をはりにくいこと、やや悪役タイプの顔であること、どうも役を選んでいる様子などが障害になっているのかもしれないが、色気に欠けているはずなのに恋愛映画の主役を務めていることから考えて、まだ今から大化けする可能性もあるように思う。このシリーズにおける彼の演技は、本当に完璧なレベル。

ヒロインのジュリー・デルピーは、さすがに随分と肥満体型が目立つようになったが、時間の経過から考えて、少女体型のままではおかしい。現実的だと思う。一般の人気シリーズだと、体型や容姿が衰えた役者の代わりに新たな役者が後を継いだりするが、いかに上手い演技をされても、私は興が冷める。役者には頑張って節制してもらい、賞味期限が切れないように管理しないといけない。

ジュリー嬢は、今後はロングブレス~炭水化物ダイエットなどに精を出してもらう必要がある。

Warner

脇役として老文学者や、芸術家夫婦、役者の若者達などが登場していたが、彼らが交わす会話もなかなか面白い。本当に、このシリーズは会話=脚本が中心であり、一定のレベルを保ちながらユーモアもあり、含蓄もあり、また難し過ぎないという、よく練られた内容で感心する。完成するのに相当な時間を要しただろう。そんな会話が、映画全体の中ではほんの数分で、ほとんどは主役二人の会話だけという珍しい作り方だが、もう定番になってしまった二人の会話は充分に見ごたえ、聞き応えがある。

Columbia

画像を遡ってみると、ジュリー嬢の衣装の好みは、昔からあんまり変わっていないようだ。意識的にそうしているのだろう。

このシリーズは、おそらくコアなファンを多く抱えている。一種の宗教のごとき崇拝者がいるような気がしてならない。私は少し時期を逸してしまったと思うが、この映画と同時期に育ち、少しでも影響される時代があったなら、きっと一生ものの思い入れが生じる映画に違いない。

シリーズ次の流れは、おそらく別れであろう。口喧嘩を繰り返しながらも続いていた二人の間に、子供の結婚やどちらかの病気、そんな発展と別れの事件が訪れるに違いない・・・などと予想をするのは、野暮な行為。話がこれで完結でも構わないように、このシリーズはうまく作られているのだから。

・・・でも、やっぱ次回作の夢が・・・

 

 

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