映画評

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カテゴリー「ひ」の34件の記事

2018年1月 1日

PK(2014)

Pk

 

- RAJKUMA HIRANI Films -

 

地球にやってきた宇宙人が、通信機器を奪われてしまう。放浪の最中、インド人女性と知り合った彼は、宗教の教団が彼の機器を持っていることに気づく・・・・DVDで鑑賞。

 

この作品のテーマは大きい。宗教を正面から扱っている。「かけ間違え」の表現が秀逸だった。誰のアイディアだろうか?劇場主の宗教観も、かなり偏ったものかもしれない。宗教活動を熱心にしている人たちは、どのように感じるだろうか?

 

主演はアーミル・カーンで、ヒロインはアヌーシュカ・シャルマ嬢。

シャルマ嬢はスタイルの良いモデル出身の女優さんで、30代だろうと思っていたら、この作品の公開当時は24歳くらいだったらしいので、うかつに外人の年齢を言うのはよろしくないと感じた。

 

アーミル・カーンの演技は、志村けんとよく似ていた。もしかすると参考にしたのかもしれない。チャップリンなどの伝統に基づき、芸人らしい表情や妙な走り方によって、頭のおかしい人物らしい行動を表現していた。

 

インド映画はミュージカルが突然始まる妙な伝統があるので、冒頭部分はかなりつまらない印象を受け、飛ばして鑑賞した。全体には長すぎて、おそらく編集を工夫して、焦点を絞って作ったら、世界的な興行成績はもっと上がったのではなかろうか?   

 

でも、十分に面白い作品だった。ただ、危険な作品でもある。宗教家たちにとってみれば、この作品は痛い所をついてくる嫌らしい内容で、できれば無視して過ごしたいだろう。インドのような国で、こんな内容の作品を発表する勇気に敬意を表さないといけない。

 

もしもだが、主人公が宇宙からやってきたか分からない筋書きだったら、どんな作品になったろうかと思った。冒頭部分の、通信機器を奪われるシーンがないとすると、おそらく観客は主人公は単に頭がおかしいと思うだろう。

 

最初はトンチンカンな言動をする主人公に呆れていると、徐々に真相が分かってくる。彼が実は気の毒な境遇にあり、真剣に考え、真実に近い考えを持つ存在であることを徐々に観客が悟るという流れにならないだろうか?あるいは、彼こそが神であったと最後に分かるストーリーもできなくはないだろう。

 

理解されるか賭けになり、大失敗につながりかねない危険な筋書きだが、作品のレベルとしては上がるかも知れない。

 

 

 

2017年12月13日

美女と野獣(2017)

Beauty_and_the_beast

 

Dizney

 

ディズニーの実写+CG版。ヒロインはエマ・ワトソン嬢。相当なヒットだったらしい。熊本市の映画館でも結構長く上映されていた。DVDで鑑賞。

 

劇場主には、エマ・ワトソン嬢は特に歌が上手い女優というイメージはない。歌手デビューしたとかミュージカルに出演したと聞いたことがなかったからだが、この作品での歌唱力には特に問題を感じなかった。アフレコで誰かが歌っているようには見えなかったので、技術者達の力でかなりの補正をしたとしても、声質が良ければ十分にミュージカルで通用するのだと理解できた。

 

エマ嬢は理知的で美しい女優さんだが、見た目だけでハッとするほどの絶世の美女とは思わない。ハリウッドには天使クラスの美女で、しかも歌も本職級のタレントが大勢いると思う。人気のエマ嬢をとるか、実力の天使嬢を選ぶかは難しい問題だが、興行面で安定しているのはエマ嬢だ。無名の新人だと、おそらく興行成績は落ちていたに違いない。いかに優れたタレントであったとしても、そうだったろう。

 

エマ嬢は本が好きそうなイメージもある。「ハリー・ポッター」シリーズでも、本を自分で調べる有能な魔女ぶりだった。あのイメージは、普通なら優等生タイプとして嫌われそうなキャラクターになるが、役柄が良かったのか戦略が良いのか、この作品では有効に働いている。天使系の美女だと、本を読むイメージが湧きにくい。その点でもキャスティングは成功していた。

 

そのほかの俳優では、ガストンの役割が重要で、おそらく本当の主役は彼が相当するのだろうと思う。腕力がありそうで狡そうで、冷酷かつ野蛮だが、陽気な面もある目立つ悪役であることが望まれる。ガストンを主役にして、思い切り目立つダンス・ミュージカルにするなら、奇抜な作品になったかもしれないし、そうなればヒロイン役はただ可憐な少女で良い。

 

だから、もう一つの戦略としてはジョニー・デップ並みの有名俳優をガストン役にし、冒頭から彼に暴れまくらせ、清く正しい可憐な天使系美女を添え物にする手もあったかもしれない。興行面は不安定になるだろうし、非難ゴウゴウ、旧来のファンからそっぽをむかれてひどい目に遭うかも知れないが、劇場主としてはそんな作品を望む。

 

1991年のアニメは素晴らしい作品だった。セリーヌ・ディオンの主題歌は実に美しい曲で、いまだにロマンティックな場面でよく使われる。アニメのダンスシーンも立体的で、表現力が素晴らしかった。あのアニメがありながら、実写版で成功することが可能なのだろうかと、劇場主は疑問に思っていた。もちろん、この作品も劇場で観たいなどとは全く思わなかった。アニメのほうが上ではないか?それに子供達も大きくなって、ディズニー映画で観たがるのは「パイレーツ~」シリーズだけになってしまったから。

 

で、実際に観たこの実写版の印象だが、想像を超える完成度だった。ダンス、パーティーなどのシーンは実に美しく壮大なスケールで描かれ、アニメ版と違った迫力を感じた。立体感に関して言えば、やはり実写+CG技術であったほうがずっと上の表現力を感じる。家族で観るだけの価値はあったと思うし、それが興行成績にも反映されていたようだ。

 

 

 

2017年11月28日

羊と鋼の森(2015)

Photo

 

- 宮下奈都著 文藝春秋 -

 

高校を訪れたピアノの調律師に魅せられ、同じ職場で調律の世界を目指す青年。自分の才能に確信を持てないまま、現場で修業を続ける。そして、ある姉妹のピアノの調律を担当することになる・・・・

 

本屋大賞を取った作品。若々しい感性に満ち、しかも滅多に扱われることのない仕事に光を当てた独特の視点、そして無理のないストーリー展開に感嘆した。まだ映画は公開されておらず、平成30年公開を目指して製作中らしい。が・・・多分劇場で観ることはないだろう。おそらく派手な映画にはならないだろうから。

 

調律師には、1~2回、妻のピアノを扱ってもらったことがあるが、何をやっているのか分からないので、ぼんやり見ていただけ。あの仕事にやりがいを感じるという発想は浮かばなかった。そのへんが、小説家とそうでない人間の差なのかもしれない。あるいは、ピアノを学んだことがある人間と、そうでない人間の違いだろうか?

 

上手なピアノを聞くと感動することはあるが、そこに演奏者独特の特徴を感じることはない。フジコ・ヘミングの演奏はえらく独特で上手いのかな?と疑問に感じたが、他の有名ピアニストは誰もが凄いテクニックで、まったく同様に上手いとしか感じない。人による違いは、相当聞いていないと分からないだろう。音を色や景色で表現できる発達障害の方がいるそうだが、それに近い独特の鋭さを持っていないと、違いも分からないし、仕事の意義も見出せないのかも知れない。

 

この作品は実際に調律師から話を聞き、その表現を借りた部分もあるそうだから、本当に微妙な感覚の部分を、いかに上手く文章化し、ストーリーを構成するか、そこが作品の出来栄えの決め手だったに違いない。劇場主には音へのセンスがないが、それでも表現の一端を理解したような気分になれた。それは作品の表現力ゆえのことかもしれない。

 

さて、映画化された作品の出来栄えはどうだろうか?おそらく、映画では映像や音響に関しては、小説よりも明快で力強い表現ができるに違いない。音響は、もしかするとハイレゾの極致を行くような新しい技術を盛り込んで、通常の映画よりも高音質の音が使われるかも知れない。作品がそんなテーマだから、何か音で驚かせるものが欲しい。

 

演奏がもたらす感情、感覚についてのイメージは、かなり映像化できるだろう。ピアノの中身と演者の顔、指先の動き、背中からの映像を同時に記録し、いかに組み合わせるか、そこに自然の風景やCGなどをどう入れるか、そこらのセンスが問われることになるだろう。芸術を扱った作品だから、妙に素人受けを狙わずに繊細な映像表現にこだわれば、相当な名画ができるかもしれない。

 

 

 

2017年7月13日

ビッグ・トレイル(1965)

The_hallelujah_train

- UN -

バート・ランカスター主演の痛快西部劇。 ランカスター率いる砦に、禁酒運動をする女性運動家が舞い込み、酒を求める住民、横取りを目指すインディアンなどが複雑にからむ騒動を描いている。DVDで鑑賞。

愉快で脳天気な作品だった。ハレルヤ・トレイルというのが原題らしい。と言っても、作品は神様を称える内容ではない。どちらかと言えば、神様なんぞ気にもしないような連中の話で、そこにハレルヤとタイトルをつけたことも、笑いのネタかも知れない。沼に沈んだ酒樽の行方については、ちょっと神がかったものがあったが、それも神聖なものではなく、お笑いだった。

銃を撃ち合っているのに、痛快な喜劇と言えるのか?また、インディアン達が騙されて酷い目に遭っているのに、それをゲラゲラ笑っていただろう当時の観客は、どんな精神構造だったのか、疑問点もある。ドタバタがおかしいと言えばそうだが、センスは今日と違っている・・・

主役のバート・ランカスターは、タフで思慮深い人物を演じることが多い。大作映画で、そんなヒーローを何度も演じていた。体格が良くて、線の太い印象が直ぐに伝わってくる。でも、この作品では、たぶん逆説的にだろう、彼のキャラクターが空回りするように設定されていた。そして、それが効果的だったようだ。

今の時代には、バート・ランカスターなど知らない若者も多かろうから、意外性を狙ったキャスティングも、もはや意味はなくなってしまった。もっとドジそうなコメディアンが主役を演じていたほうが、より長い時代に通用し、笑いを狙えたかも知れない。でも映画は基本、公開当時の売り上げが勝負だから、大スターが演じたほうが良かった。当時はビデオ化されることなど、思いもよらなかったに違いない。

本当に当時、禁酒運動があったのだろうか?禁酒法の成立よりずいぶん前の時代で、女性が単身で荒野を旅して運動するのは、あまり現実的じゃないような気もする。ある歴史書によれば、南北戦争以前から、宗教界を中心に全国的な組織はあったようだし、勇敢な女性活動家だっていたのかも知れない。

活動家を演じていた女優が、「酒とバラの日々」のヒロインとは・・・・そこは偶然じゃないはずだ。

広大な西部で、多量の酒を輸送していたのかと、少し疑問に思えた。酒類は各地で作られていたのではなかろうか?それともケンタッキー以外は特許の関係で作れなかったのか?デンバー周辺にも、たとえばメキシコ人達が飲んでいた蒸留酒ならありそうに思う。高級な酒だけは輸送したかも知れないが、それでも破損による損失が大きかろうから、そんなに輸送されなかったのでは?

 

 

 

2016年7月 1日

東ベルリンから来た女(2012) 

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- 管理社会考 -

地方の病院に、ベルリンから転勤してきた女医。妙によそよそしく、同僚と関わろうとしない。彼女は西ドイツへの出国を希望し、監視されているからだった・・・

・・・・東ドイツの監視社会を扱った作品のひとつ。「善き人のためのソナタ」と同様、執拗な監視で住民が支配されていた様子が上手く描かれていた。

ヒロインを演じていた女優さんはスタイルの良い人だったが、目つきが厳しく、おそらく役作りのために激しいダイエットをしたのではないかと思う。ギスギスした雰囲気がよく出ていて好演だった。いっぽう相手の男性医師役は、ちょっと良い人過ぎて面白くなかったかも知れない。相手役側も、もっと影の部分を存分に出したほうが、より深刻さが際だったと思う。

そして怖さを強調するためには、監視役の親玉はもっと陰険なほうが良い。商業的な面を考えるなら、この作品の演出は大人しすぎた。少しはアクションが欲しい。

医師同士も監視するようになっていたが、過去のミスを不問に伏す代わりに秘密警察に協力させる、そんな飼い殺しの手法が実際にどの程度行われていたのだろうか?旧東ドイツの実情はよく知らない。旧共産圏に限らず、捜査機関の権力が強く、情報公開が進んでいない社会では、どこでもそんなものではないかと思うのだが、正確には分からない。

欧米だって、司法取引の形で犯罪者を利用したりするから、この種の管理方法は旧共産圏独特のものとは思えない。日本だってそうだったはず。隣組などの機構が監視に役立っていたと聞く。軍事政権が支配する国々は、どこも似たような状況だったと思う。一党独裁の某国も、違うとは思えない。

捜査側にとっては、犯罪者を無駄に処罰せず、より重要な情報を得るため都合が良い方法。協力者が逃げ出せない地域なら、上手く操ることが可能である。効率的で要領の良い方法だろう。

やられる住民側にとっては辛い。監視を怠れば直ちに自分が厳しい罰を覚悟しないといけないし、住民同士が疑心暗鬼に陥って仲間意識を損ない、公共精神に疑問を感じる方向になり、やがては社会の停滞を生む。管理社会は、やる気を損ないやすい。監視役を維持するために、コストも嵩むと思う。

管理社会でも仕事に精を出させ、発展を目指す方法もある。たとえば恐怖や、激しい競争意識を利用する手だ。でもそのためには、非常に苦しい立場の人間が必要で、あんな立場になりたくないから頑張るという意識が必要となる。皆が豊かになってしまうと、競争意識は育ちにくい。したがって全体が豊かになりにくい・・・そこがジレンマになる。

体制に不利な報道をしたから連行し、殺しはしないとしても脅迫を繰り返して管理する。そんな行為は今でも世界各地で発生していると聞く。見せしめを作って激しく攻撃し、「ああはなりたくないから、批判は避ける」・・・そんな意識を広く作れるかどうかが、管理する側にとっては重要。手を緩めたくても、自分に火の粉が降ってくるのが怖くてできないだろう。厳しくするしかない。

劇場主は、見せしめを作る形で人を管理することを嫌悪する。管理する側に立って便利だからといって、やがて会社全体が停滞するのは嫌だ。自分が所属する社会が衰退することを好まない。厳しい管理で発展し続けた組織があれば考えを改めないといけないが、基本的に管理は最小限であることが組織の発展に必須と考える。

でも、いまだに管理というと見せしめが必要と考えている人は多い。脅迫に基づく管理をやらないと、すなわち管理能力のないヤツと判断する人も多い。恐怖がないと指示が無視され、管理が難しい局面が確かにある。そこで焦って管理を強めると・・・停滞が待つのだが。

見せしめを作る人間がいれば、全体がその人間に引っ張られやすい。見せしめの恐怖には、管理する側もされる側も同様なセンス、いわばイジメや仲間外れごっこの感覚が必要で、互いにそのセンスがないと成り立たない。やがて社会全体が、その管理下に陥り停滞する。そこを歴史から学びきれていない。見せしめ好きの人間は、自分が所属する組織の行く末は気にならないのかも知れない。

見せしめを作る人間を、出世させてはならない。そんな人間に権力を与えてはならない。民主主義社会から管理社会、全体主義への転換は、法に基づきスムーズになされることが証明されている。よくよく考え、冷静になるよう努めないと、強圧的な勢力に力を与える愚行は、繰り返されるだろう。

 

2016年5月20日

ビリギャル(2015)

Seisakuiinnkai

- やはりドラマティック -

女子校で呑気にグータラ生活を送っていたヒロインが、一念発起、現役での大学合格を目指す物語。実話を元に書籍から映画化された作品。

・・・・DVDで鑑賞。監督は土井裕泰という方で、教師役を伊藤淳史が演じ、ヒロインは有村架純という知らない女優だった。書籍のほうの表紙の不良っぽい女性とは別人らしく、映画のヒロインは、より可愛らしさにふったようだった。

有村嬢の演技には満足できた。適度にかわいらしく、極端に色っぽいわけではなく、際だって整った美形でもない、普通に近いが美人、ただし絶世の美女ではないといえる身近な印象が、この役には最適だったと思う。演技も自然だった。この役の場合は、名優のような大仰な演技は必要なく、自然さが第一だった。

この作品は家族での鑑賞に向くと思う。真剣に努力するヒロインの姿は、何ごとにせよ懸命にうちこむことの意味を感覚として感じさせるように思う。不満を言うばかりでダラダラしてては何も解決しない・・・そんなことを改めて思った。

大学受験は究極の目標ではない。実際、この作品のモデルとなった女性は、その後はごく普通の道をたどり、家庭に入ったらしい。その後、大きな事業を成し遂げたわけではない。普通の生活に至るのにも、ドラマはあるものだ。ドラマはあっても、高尚な哲学に導かれるような物語ではない。

慶応大学にも色々な学部があり、彼女はハイソな世界に通じる教室とは違った学部に合格したに過ぎないのかも知れない。慶応はブランドだが、医学部の業績は意外にパッとしない。地方大学のほうが、より成果を出しているように感じる。優秀な学生を普通の医者にしているだけではと、少し疑いを持って見ている。

受験制度、教育制度、社会全体のシステムが、際立つ才能を育てる方向に向いていないせいかも知れない。それでは、やがて競争に負けてしまう運命にある。

受験は誰にとっても大きな関門で、いろいろな物語がそれぞれに展開されるものだと思う。劇場主は完全に違う世界に行ってしまって、日本や世界の将来に興味が傾き、勉強しないまま受験に臨んでしまうという情けない物語になったが、大きな自信をつかんだり、悲劇的な物語となったり、それらが様々、いたるところで起きているはず。

映画にはなかなかなりにくい物語ではあるものの、極端な成功の場合は、題材となりうる。このヒロインの場合以外でも、本屋に行けば様々な例が取り上げられている。キャバクラ店主の息子が東大に入った、ヤンキーが教師になったなども、その一連のシリーズと言えるだろう。

でも名門大学に進んだ彼らが、大事業を成し遂げるとは限らない。国家の将来を心配する身としては、際だった才能を次々と生み出すよう、各大学には努力して欲しいのだが、そんな望みにこだわるような愛国者は、受験に失敗してしまう。劇場主のように。

受験においては、やはり合格に向けて集中すべきだ。大事なことは、また他の機会に考えれば良い。

 

 

2016年5月 2日

ピッチ・パーフェクト(2012)

Universalpitch

- プロデューサー考 -

親の勧めでしぶしぶ大学に入学した主人公。アカペラコーラス部に入部し、次第に活動に熱心になるが、部のルールは恋の道の障害になる・・・

・・・DVDで鑑賞。テレビの「グリー」とほとんど似たようなドラマだと感じた。中心に一人のヒロインがいることと、長いドラマシリーズになっていないこと、悪役の教師がいないことなどが違うが、個性が目立つ仲間達が歌い踊り、曲が数年前からせいぜい20年前程度に流行したものに限られるといった点は同じ。ダンスも似ている。舞台となるコンテストも、ひょっとすると共通しているのかも。

ピッチ・パーフェクトというタイトルの意味がはっきり分らなかった。ピッチは、調子、リズムの意味だろうか?ノリが良い、テンポが完璧といった意味合いと、何か他のものを賭けているのかも知れない。アカペラの世界の用語なのかも。

コンテストでの勝利を目指す青春ものと思う。それだけじゃつまらないので、ギャグや歌、踊り、そして曲のアレンジを上手くこなしたミュージカルも狙いだったと思う。よくできていた。当然だろう。短時間のテレビ番組だって凄いレベルのアレンジがされているくらいだから、大手映画会社が作った作品で、技術的な問題があろうはずがない。

ヒロインは最近よく出てくるアナ・ケンドリック。元々がミュージカルで有名になった人らしいのだが、「グリー」のレイチェルのような大口で歌う歌い方ではないので、上手いのかどうかよく分らなかった。

「グリー」に出てくるタレント達は、一見して踊りも歌も凄く高いレベルと感じる。とすると、何か演出面で問題があったのかもしれない。カメラワークにあまり躍動感を感じなかった。ミュージカルが得意なカメラマンじゃなかったのか?

アメリカの大学では、音楽プロデューサーを目指しているからと、入学を嫌がる場合があるのだろうか?業界の大きさや景気、金の動く額などが違うから、プロデューサーとして成功したら、たいしたリッチウーマンになれるのかも知れない。普通の学部で、しがないOLを目指しても仕方ないという考え方はありうる。

日本の業界の規模の場合、基本は会社に就職して制作の分野で修行し、ある時期に独立というのが普通の流れではないだろうか?ミュージシャンとして有名になり、仕事の中で制作を学び、徐々にプロデューサーに変身していく人はいると思うが、大成功する人が多いのか?

今はパソコンで高度な処理ができる。センスさえ良ければ、過去にはできなかった処理が、自宅で簡単にできる。そうなると、会社に所属したことがない制作者が主流になっていくのかも知れない。

この作品の制作には、出演もしていたエリザベス・バンクスが大きく関わっていたそうだ。彼女は、そんな切れ者には見えないが、お気楽路線の映画では存在感のある女優。自分の役割をしっかり認識しているのだろう。俳優が、映画制作で意外な力を発揮する例は少なくない。センスが関わるからだろう。

 

2016年2月18日

ビッグ・アイズ(2014)

Weinstein

- 契約の必要性 -

夫から逃れたヒロインは、商才のある男と知り合い、男の名義で絵を売り出して成功する。しかし、やがて嘘をつくことに耐えきれなくなって行く・・・・

・・・・実話が元になっているそうで、そういえば雑誌か新聞で裁判のことを聞いたような気もする話。DVDで鑑賞。

この作品の成立には、クリストフ・ヴォルツの登場が絶対に必要だったと感じた。当代きっての悪役、嫌らしい個性を演じたら類を見ないほどの完成度を持つヴォルツの存在が、この作品の企画を可能にしたと思う。最終的な勝者はヒロインだろうと最初から分かっているが、手強い悪役が作品の決め手になる。ヴォルツがそれを担当していた。

素晴らしい存在感だったと思う。ただし、演出には難があったかも知れない。彼が好かれる必要はなく、とことん嫌らしい人物として、情けない姿、怖さを徹底的に演出したほうが、作品の印象は高まったと思う。嫌らしさが抑えてあったのが残念。

裁判で負けた場合、自分の名誉や財産が失われることは確実なので、必死の弁護をすると思う。あさましく、殺気だつほどの姿が描かれたほうが自然だし、かえって好印象につながったのでは?笑えるような姿は必要なかったと思う。

実際のところ、真相がどんなものか分からない。微妙な点で、真相とは違う部分があるかも知れない。描き方次第で、悲劇のヒロインが一方的に利用されたのか、あるいは共同作業が破綻し仲間割れしただけか、理解の仕方は色々ある。

ヒロインは夫の名前で絵を売ることに、当初は同意していた可能性が高いと思う。真相は分からないが、最初から強制的に名義を変えられていたら、長期間にわたって黒子に徹することは考えにくい。脅しが根底にあったのだろうか?そのようには描かれていなかったようだが・・・

ヒロインの名誉を傷つけるつもりはないが、おそらく夫婦仲が破綻し、離婚が前提になって初めて解約を本格的に考えたのではないだろうか。離婚する相手に同情する必要はない。離婚後の自分の生活は大事なので、権利を総取りする必要を感じ、その際に穏便な解決策を選択しなかった・・・それが基本では?

もちろん夫婦仲の破綻に、隠し事が関係していた可能性も高いと思う。公表するかしないかで、常に意思統一が図られるかは分からない。普通は夫婦喧嘩の材料になって、離婚の誘因になりそうなものと思う。妙な約束は、結婚当初は良いが、維持するのは難しい。お互いの我が強まる頃には、維持が無理になってくるものだ。

夫側が殺人をほのめかしたのが事実なら、間違いなく夫には非がある。脅迫できる立場にあるとは思えない。でも、あれが演出なら、少し同情の余地もある。共同作業で絵を売っていたのも事実だろうからだ。もし書類で権利を共有するとでも契約を交わしていたなら、絵に関する権利を主張もできようが、それがないなら絵の権利は描いた人にあるはず。

共同作業でもめない例は少ない。ビートルズのジョン&マッカトニーの間では、売れる前から共同作業の約束をしていたそうだが、どうも関係の維持はできなかったようだ。夫婦の間でも、書類を交わすことくらいは常に考えておくべき。

劇場主は掃除、洗濯、子もり、買い物をこなす契約をしたはずはないのだが、こなしている。これに妻からの脅迫が加われば、裁判では有利になるとふんでいる。暴力沙汰は厳禁である。

 

 

 

2015年11月12日

ヒトラーとナチ・ドイツ(2015)

- 講談社現代新書 -

・・・・ナチスドイツが、民主的な選挙によって権力を掌握した経緯を解説した本。なんで、こんな本を読んだかと言うと、昨今の日本の国会の状況が怪しいからだ。別に安倍氏がヒトラーだと言ってるわけじゃないが・・・・

著者の石田勇治氏は東大教養学部の教授。ホロコーストが専門らしい。この方以外にも、なぜ民主主義が全体主義に変わられたのかを研究している方は多く、いろんな本が出ているようだが、決定版はないのでは?と、思う。この本を読んでも、非常によく分かったとは感じなかった。

事実の羅列の部分がかなりあった。わざわざ書く必要があったのか疑問に思ったが、ヒトラーの本を読んだことがない人は、おそらく歴史の授業で1頁くらいの記述を読んだくらいしか知識がないと思うので、理解を深めてもらうために羅列も必要かも知れない。もっと短いと、こちらとしては有り難かった。

経済面の分析、特に失業率対策の裏技は、読んだことがなかったので驚いた。有名な話なんだろうか?今までは、アウトバーン工事などで雇用を産んだなど、良い仕事もやっていたようなイメージがあったが、宣伝に騙されていたのかも知れない。あるいは、氏は過剰に経済効果を低く表現しているかも知れない。

女性が家庭に入るように補助金を出したというのも知らなかった。家庭に入れば、確かに失業者ではなくなる。発表される失業率は良くなるだろう。今後、日本でも政府が使う手かも知れない。

最初からヒトラーがナチス独裁を考えていたのかは、よく分からなかった。「我が闘争」も一度目を通したことがあるが、長いし内容に乏しいので、どんな計画を練っていたかは理解できなかった。この本の記述だと、偶然のように権力を握ったに過ぎないと思うのだが・・・

今後、ヒトラーのように権力を握る勢力が出るか、そのへんが非常に気になる。橋下大阪市長や、安倍総理などには、そんな危険な臭いが漂うが、文明国で教養の高い人間が多かったはずのドイツで、簡単に独裁政権が誕生するくらいなら、日本では何でもあり得るだろう。日本人の政治的判断力では、レベルの低いことしかできないように思えて不安。

文明国とは言っても、おそらくヒンデンブルグのような人物が大統領になるということは、軍国主義に好意的な国民の意識が基本にあったはずと思う。鉄血ビスマルク時代からの伝統が、まだ生きていたはず。米国でも戦争の英雄が大統領になることはあったが、伝統の違いがあるから、民主主義に移行して間もないドイツの場合、首長が軍人ということは、イコール、民主主義は嫌いということを意味していたのだろう。

その下地があるので、何かあって民主主義政権が支持を失うと、一気に独裁政権が生まれる構造だったのではないか?要領を得ない政権に見切りをつけて、手際よく政治を行う独裁政権に期待する心情が生まれたのではと思う。それは日本でも同様だったろう。

自分の過去の経験でもそんなものだった。部員に意見を求める先輩より、「オレについてこい。反論は許さん。」というような先輩のほうが、部活動などの場合はまとまる。「どうしようかねえ?」などと相談されたりしたら、大丈夫かいな?と不安になる。部活動も政治も、似たような感覚ではいけないと思うのだが・・・

国会議事堂の火事は、ナチス独裁に巧妙に利用されたようだが、あのような自作~他作の事件が、今後も上手く利用される危険性は高いように思う。

日本の経済は、安倍政権誕生の頃と比べると、失望感が拡がりつつあり、沈滞ムードに入っている。成長率が全てではないと思うが、米国のように数値が伸びていないことは確か。政権にとっては数字をよく見せる必要はあり、何かやろうと考えているはず。でっち上げめいた事もあるかも。

 

 

2015年10月22日

美女と野獣(2014)

Path


- 求むイケメン -

魔法で野獣に変わった王子と、父親を救うために人質となった美女との話。DVDで鑑賞。大きな看板で宣伝していたので気になっていたが、劇場に観に行かないで良かった。行ってたら、猛烈に後悔していただろう。

美しいシーンは多かった。森が人の行く手を阻もうと動く場面や、城の広大な光景、鏡を上手く使った回想めいたシーンは、表現力を感じた。CGの出来には満足できた。

過去の姫役は美人女優で、なんとなく鹿のような顔をした適役だった。ヒロインに姉がいたという設定は知らなかったが、姉たちは役割を上手く果たしていたように思う。シンデレラの姉のような役割だったようだ。

でも、作品の制作の意図が分からなかった。例えばディズニー作品との違いを挙げるなら、①アニメでないこと、②アメリカ女優が登場していないこと、③巨人が登場して人間と戦っていたこと、④魔女も登場していないこと、⑤昔の恋愛物語が大きなウェイトを占めていたことなど。どんな意味があったのだろうか?CGを使うことだけか?

主人公の恋愛感情もよく理解できなかった。なぜヒロインは野獣を好きになれたのか、理解できなかったのは私だけだろうか?同情心か?一般的にも理解できないように、個人的には感じた。アニメ版ではオオカミとの戦いなどがきっかけになっていた。

理屈抜きで納得してしまうためには、ヒロインが猛烈に美しいか、王子が問答無用の美男子で、どんな性格をしていようとも見た目だけで惚れざるを得ない、そんなビジュアル面の説得力が必要だった。今回の主演に、そこまでの魅力は期待できないと思う。

今、フランスにどんなイケメン俳優がいるのか知らないが、いないはずはない。演技など無視して、台詞を減らしてでも、もっと若いイケメン俳優を使い切ったほうが良かったと思う。

観客としての対象を、どのように予定したのだろうか?童話の実写化の場合は、基本は少年少女、特に女の子、あるいは元少女で、現在は行き遅れの夢見る女性が思い浮かぶ。画面は美しく、夢に浸れることが望ましい。宝塚に近い路線。それなら、配役もストーリーも全く変えないといけないだろう。

ディズニーアニメ作品は美しいダンスのシーンがあった。皿やフォークが踊る舞踏会は、立体的な構成になっていて、大人も子供も楽しめるように工夫してあったと思う。あれを見ている我々は、実写化された映画にもCGなどを使って夢あふれるシーンがあるのでは?と期待してしまう。そんな路線は完全に排除されていたようだ。

踊りのシーンにCGは必要なかったかも知れない。素朴でシンプル、でも心温まる、そんなダンスなら、観客は二人の心の結びつきを理解しやすい。それに、狂言回しの役割をする存在が足りなかったようにも思った。

 

 

 

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