映画評

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カテゴリー「ひ」の11件の記事

2009年10月 4日

ビー・ムービー(2007)

- そこそこ -

働きバチのバリーはミツバチ社会の中で、自分の仕事を決めなめればならない。ところが偶然が重なって、仕事につく前に花屋の女性と仲良くなる。彼女と交流する日々の中で、ハチが搾取され、大量生産のハチミツが店頭に並んでいる事実に気がつく。彼はハチの権利を主張すべく、人間界の裁判にうってでる・・・

・・・・偶然にも世界のミツバチが少なくなってきた近年に、この作品は製作された。ハチが減った理由は今のところはっきりしないそうだ。世界中に起きた現象であるから、局地的な農薬使用や温暖化によるとは考えにくい。宇宙線や電磁波など、広域に影響する要因によると考えられる。

もしミツバチが本当にいなくなったら、被子植物は大打撃を受けるだろう。人間の手で花粉をつけるのには限界があり、農作物以外の野山の花が一気にしぼんでしまうだろう。裸子植物の多くは影響が少ないはずなので、映画の中のように木立が枯れてしまう変化は急激には来ないはずだ。

今年は気のせいか蚊が少ない。雨の降り方によっても蚊の発生数は変化するから、ハチと同じ理由ではないはずだが、昨今の環境の変化なら何でもありえるような恐怖感はある。

映画の主人公の顔が気になった。誰もが愛着を感じるような顔だろうか?もっと個性を感じるキャラクターにすべきではなかったか?もとの俳優の印象などは必要ないと思う。全く別な独立したキャラクターを狙うべきだった。

人間達の顔も、最近のドリームワークスの作品の中ではやや魅力に欠ける印象を受けた。悪役は悪魔をイメージするような顔でも良かったのではないか?子供達の評価は「キモイ」だった。ただし、画像は非常にきれいで、人物の動きも滑らかだった。

ストーリー展開はまともだった。言い換えれば、意外性のある、夢あふれる展開だったとは言えないかも知れない。ハッピーエンドではあったので、子供や家族といっしょに見るには悪くない作品だと思うが、喝采をおくりたくなるほどの感動は期待できない。でも、そこそこ面白いと思う。悪い印象を持つような作品ではない。

おそらくあちらの人でないと解らないギャグが満載されていたはずだが、我々には通じないタイプのギャグらしい。巨大な巣の中でハチ達が営む社会を、もっとおかしく描くこともできたのではないか?重点の置き方に疑問を持った。決め手は、ハチ達が気の毒に思えるかどうかの描き方だったはずだが・・・

2009年7月18日

P.S.アイ・ラブ・ユー(2007)

- 助演が素晴らしい -

脳腫瘍の夫を亡くし、若くして未亡人になった主人公は、あまりの不幸に呆然として社会復帰できない。そんな彼女に、亡くなった夫から手紙が届く。生前に彼が手配していたらしい。手紙には、次には何をしなさいという指示が書かれていた。「p.s.アイ・ラブ・ユー」の文句と共に。

指示にしたがって、彼女はカラオケで歌い、アイルランドに旅行し、新しい趣味を始める。よく生活できるねって私は心配になったが、生命保険か何かの補償制度だあるんだろう。

彼女の友人達や母親らの暖かい援助もあって、主人公は徐々に自分を取り戻していく。夫の手配は、彼女が精神的に立ち直るべく、綿密に計画されたものだったのだ・・・

・・・この作品にはアイルランドの女性が書いた原作があって、ベストセラーだったそうだ。女性作家らしい、美しい話だった。

アイルランドの風景が素晴らしい。まるで公園の中にいるようだ。主演の二人が出会う場所は、実際の撮影場所も公園の中だったようだが、それ以外の普通の農村の風景も美しい。風をよけるためだと思うが、畑の周囲を固める石の壁が見事だ。

日本にも、田舎の方には段々畑を石段で作っている所がある。傍から見れば美しいが、作り上げるのにはどれくらいの労力が必要だったかと思うと、先人の苦労には敬意を表したい。そんなにして作り上げた畑が、今は後を担う若者もいないので、草ぼうぼうになっているのだが・・・

Ps2

夫役のジェラルド・バトラーの演技と、登場の仕方が良かった。主人公を怒らせて懸命に弁解する姿がいかに人間的に素晴らしいか、魅力的かを充分に表現していた。彼の表情がまた、いかにも気のいい人物という雰囲気で、男女を問わず好印象を抱かせそうなものだった。実に好演。

CGを上手く使えば、彼の存在を主人公が感じる具合をもっと上手く表現できたかも知れないと感じながら見ていたが、このままでも充分に女性の涙を誘うに違いない。奇をてらわない昔ながらの映像のほうが、安心して見ていられるのかもしれない。

主人公のヒラリー・スワンクも良かった。でも、とびきり魅力的に演じていたとは思えない。演技は多少下手でも、もう少しカワイイ女優のほうが印象を強くしたのではないか?

不幸に見舞われた時に、「あんなか弱い女性が耐えられるのか?」と心配になるか、もしくは「タフなボクサーあがりの女性だから、きっと試練を乗り越えるだろう。」と思われるのかは、過去の作品のイメージが関係する。演技の良さよりも、イメージがそうするのだ。したがって、彼女はミスキャストだったと断じたい。

彼女の日本版の声優も、少し声の出し方に問題がなかったか?

母親役のキャシー・ベイツは満点に近い。強さと、悲しさ、愛情を表現して、この上ない。

風変わりなバーテンダーを演じていたハリー・コニック・Jrの存在意義や、彼の演技ぶりについてはよく解らなかった。この作品は女性のための映画という性格を持つので、彼に女性がどのような感覚を持つのかが大事である。彼が心配りが効く人物だったら、直ぐに新しい恋が芽生えそうな感じがして、ただの恋愛ドラマになってしまうが、づけづけとモノを言う男であったので、そんな安易な関係にならないで済んだことは良かったと思う。

アイルランドのパブで出会うシンガーは、おじさん過ぎて引いてしまう女性もいるのではないんかい?と気になるほどだったが、どうせ私には女性の感覚は解らない。あんなオヤジは、きっと汗臭くて、シラミか何か持ってそうだぜと忠告しておこう。

勤務医時代に経験した、腹痛でやってきたイギリスの旅行者は臭かった。ちゃんとした人で、確か大学教授か何かの偉い人だったのだが、肥満体で毛むくじゃらで、エコー検査では所見が見えなくて苦労した。やっとこさ胆石らしいと判断できたが、「こんなゴリラなみの体型に、通常量の薬で効くのだろうか?」と心配になるほどだった。

外来には消化器科のドクターもいたのだが、彼らは上手に敬遠して、損な役割は下っ端の私のほうに必ず回ってくるのだ。内服薬を処方してみたものの、果たして家まで堪えきれたろうか?・・・とにかく欧米人だからきれいとは限らない。

パートナーに死なれると、ショックは大変なものだ。

最近亡くなられた患者さんは、夫が旅行先で急死した方だった。夫の同僚から夫の急を知らせる電話がかかってきたが、彼が何を言っているのか、冗談なのか本当なのか、よく解らなかったと話していた。

夫の葬式や子供の仕送りのお金があるのか、預金の残高や、それを自分が引き出せるか解らないので、節約のために葬式は止めようかなどと考えたそうだ。夫婦は運命共同体なので、依存度の高い女性は回復に時間がかかるだろう。

救急外来で急死するのは、ほとんどは年配者だが、時々若い人への説明が必要になることがある。妊婦さんが亡くなった時などは、喜びから不幸に急降下するので、話すのも辛い。彼らがその後、どんな状態になるのかを良く知らないのだが、うつ病にならないほうがおかしいと思う。

残る人のために、心配りをする余裕があればいいが、大抵は自分自身が参ってしまって、相手のことにまで気が回らない。この作品は、夢物語に近い。

この作品は、家族で観る作品ではない。女性専用、特に独身の女専用に近いと思う。恋人といっしょに観るのにも向いている。男性の観客には解らない部分で、女性は納得し、共感してくれそうな気がする。子供には向かないだろう。

 

2009年5月 8日

ビルマの竪琴(1985)

- 自然だったか? -  

中井貴一主演の1985年版。同じ監督、セリフもおそらく同じ。前回の隊長役は三国連太郎だったが、今回は石坂浩二で、より音楽の教師のイメージが合う。およそ部隊長にはふさわしくない。軍曹役は亡くなった川谷拓三、懐かしい。いつもの彼のような笑いの要素はほとんどなく、真面目な演技であったが、適役だったと思う。

中井の演技も悪くなかった。中井のようなビルマ人がいるのかは知らないが、本来は北方系の顔をしているのではないか?確か近年、モンゴル辺りで映画に出演していたはずだが、本当にモンゴル系の顔である。でも、顔はともかく、雰囲気は良かった。

前回の映画よりも全体に解りやすかった。映像が美しいし、ほとんど現地ロケだけで作られたのではないかと思うのだが、前作のように構成に無理をする必要がなかったようだ。でも、相変らず現地の人達はただ突っ立って眺めるだけで、生きている住民の表情までは伝わってこない。コミュニケーションがうまく取れていないのかも知れない。

筋にも、相変らず無理を感じた。中井がなぜ繰り返し部隊の前に顔を出すのか、居ることを知らせることになるのが解っていて、なぜ竪琴を弾いてしまうのか、さっさと荒野に消えていかない理由は何か?無理に盛り上がりのためにウロウロしているのでは、と観客に思われたら終わりだ。エピソードをはぶいてでも、作品の完成度を目差すべきだったと思う。

現地人のお婆ちゃん役は今回も上手かったが、さらに自然さを出すためには、現地語もたくさんしゃべらないといけない。顔の表情が解らないくらいにメーキャップして、日本人臭さを消してしまうべきだった。何を言っているのかわかりづらいくらいに、イントネーションも完全に狂わせるべきだった。やけに頭のいい婆さんでは、やはり自然さに欠ける。

砂の台地を中井が歩くシーンがあったが、足を痛め、極度の空腹感を持った人間は、それなりの歩き方をする。足を引きずると痛いので、引きずらない。頭に日があたるとまずいので、坊さんでも何かをかぶろうとする。いかにも撮影しているような演出は良くない。自然ではない。

攻撃が終わった後の敵陣地を英国兵達は見ないで引き上げるものだろうか?水島がひとりで陣地から出て、僧侶に助けてもらうまでに、誰にも気付かれなかったなんて、やはり不自然だ。普通なら、まず英国兵が見つけるだろう。

戦闘の後すぐに僧侶が立ち寄るのも不思議だ。

兵士たちが収容所の鉄条網につかまりながら「水島!帰って来い!」と叫ぶシーンは、並んでやってはいけない。統率が取れては不自然になっていけない。声と声が重なり、セリフが聴き取れないのが自然だ。中には無表情のヤツ、泣いているやつなどが混ざって、個々で感情が違うことが解ったほうが自然である。

さらに、警備の兵士から何かの注意を受けるのが自然である。逃げ出さないかと、何かの邪魔をしないとおかしい。

過去の名作や、ベストセラーの映画化は難しい。あまり自由に作れないようだ。原作と違ってはマズイなどの権利上の問題があったのかも知れない。

今にも攻撃されるかという緊迫した状況と美しいメロディ、そのミスマッチと、夜空の月など、いかにも絵になる条件が整った題材である。何にもこだわらずに、ひたすら芸術的な完成を目差すことができれば、きっとさらなる名作になると思う。

2009年5月 6日

ビルマの竪琴(1956)

- ウロウロする -

ビルマの日本軍の部隊。隊長の三国連太郎は合唱が専門。兵隊達は歌で勇気を出していた。兵士の水島は自作の竪琴で伴奏する係。彼らは降伏し、水島は交戦を続ける部隊を説得にいく役目を命じられる。

ところが戦闘が終わっても彼は帰ってこない。死亡したものと思っていた兵士たちだが、ある日、水島に良く似た僧侶を発見する・・・

・・・原作はかってのベストセラー。監督は名監督の誉れ高い人。映画も名作の誉れ高いので、いつか観てみたいと思っていたが、子供映画中心に観ないといけないので、どうしても文芸調の名作は後回しになる。やっとビデオで観ることができた。

想像していたのとは随分違っていた。全体のリズム構成やストーリー自体に不自然な感じを受けた。メイキング映像によれば、作品は相当苦労して作られたらしい。まず、国内でロケして岩場などのシーンを撮影し、パート1としていったん公開した後に、ビルマ政府から許可が降りたので現地ロケをやり、この二つの映像を組み合わせてひとつの作品にしたそうだ。そう言われると、感じた不自然さにも合点がいく気がする。

ロケのシーンでも不自然さは感じた。主人公が川岸の死体を片付けるシーンでは、しばらく現地の人達が眺めているが、やがて協力して墓を作ってくれるという流れであったが、眺め方がおかしい。「何やってんだあ?」と眺めるのではなく、明らかに「ここに立って眺めてください。」と指示された立ち方なのだ。眺めていることを表現するためには、三々五々住民が集まっていることを示さないといけない。こんな基本的なことをしていないのは、おそらく時間や資金的問題、機材が少ない、などなどの純粋に予算的な問題があったからではないか?

なんでも、ロケには全体で数えるほどの人員しか連れていけなかったらしい。当然、日本の兵隊役はほとんどが国内ロケばかりの出演に止まり、中心の僧侶などしか現地に行っていないのだろうと思える。それなら仕方ないかも。監督はきっと口惜しくて、後年中井貴一主演で同じ映画を撮りなおしたんだろう。

軍隊は勝っているときはいいが、負けると機能しなくなる。負傷兵さえ見捨てて、とにかく逃げようという感情が先に立つ。戦友たちの死体をほったまま日本にかえることへの罪悪感、自分達がやってきたことへの反省、そんな感情がテーマになっている。

でも当時の状況では、帰れるときに帰っておこうという判断をしても批判はできない。下手をするとリンチに合うか、シベリヤみたいに長期間にわたって抑留される可能性だってあったのだから。

祖父の代の現地遺骨収集の報告会に何度か行ったことがある。戦後しばらくたって現地に旧日本軍の兵隊だった人たちが入れるようになって、遺骨を集める写真を見せるのだが、仲間をほったらかしにして自分達だけ良い生活を送っていることは、心の奥にわだかまりを残していたことをしみじみ感じた。

ストーリーに違和感を感じるのは、現地に残る覚悟をした人間が収容所のまわりをあえてうろうろすることだ。偶然ばったり会うことはあると思うが、橋の上で一回、涅槃増の中で一回、納骨堂の前で一回、骨壷のそばで一回、収容所の周りで一回など、明らかに会う回数が多すぎる。コンタクトを取りたくてウロウロしているとしか思えない。

映画のシーンとしては、兵隊達と僧侶が交錯するのは盛り上がるだろうが、不自然にならないように回数を制限すべきだったと私は思う。悩んでいる主人公を、部隊の周辺でウロウロさせることで表現したとは思えない。それははマズイ手だ。

もし、このままの映像なら、「どうしても皆の近くに足が向かってしまう。」と、主人公に吐露させないとおかしい。

この作品は、今の若い人には見せないほうがいいと私は思う。おそらく中井貴一主演のほうが、何かと自然に作られているはずだと思う。(観ていないのだが)

2009年1月10日

ビッグフィッシュ(2003)

319263view008 ― 出来のよいファンタジー ー

これはできのいいファンタジーであった。

主人公はホラ話で有名な男だ。巨人と旅をし、サーカス団に所属し、夢のようなプロポーズをして結婚した話をする。皆が幸せに踊りまくる夢のような町で暮らさないかと誘われた話を披露する。

最近の彼は発作(肺癌?)が頻発し、命は長くはなさそう。そのため、長年断絶していた息子が妻を連れて訪れる。息子は父親のホラ話が嫌いである。もっと真実に基づいて真面目に話せと怒る。父親は、お前は理解力が足りないと答えて関係は平行線のまま。でも、息子の恋人は父親の話に興味を持つ。

そんなある日、息子は倉庫で書類を発見する。ある屋敷の権利証らしいが、何の目的で書類があるのか解らない。もしかすると父親の浮気に関係する書類か? 息子は、問題の屋敷を訪れてみることにする。

ティム・バートン監督の作品の中では、表現の手法がマトモというか、一般人に近い作り方をした印象。いつもの原色ギラギラの建築物はなかった。代わりに、変に傾いた屋敷やシャム双生児、巨人などの異形な要素は登場し、監督ならではの部分も残していた。でも、この作品は主題がいたってマトモだった関係か、手法も一般人に近づけてくれたのだろう。解り易い作品だった。

夢あふれる作品で、観終わった後、物悲しいが爽やかに近い気持ちになれた。監督自身も親子の断絶、無理解を経験しているらしいが、親子で常に理解し合えるのは難しい。思春期には、ほとんどの場合はいがみ合いか無視という関係に陥りやすい。世代が違えば考え方が違っても当然だし、成長の過程では意見が偏ってしまうのも当然である。でも、そんな中で理解できたと感じられると、非常にうれしい。

フィールド・オブ・ドリームズも親子の断絶がテーマのひとつになっていた。最後に理解し合えると、我々もほっとする展開になる。この作品も、最後にそんなシーンがあった。母親やちいさい子供達は、また見方が違うだろう。純粋にファンタジーとして観るかもしれない。

映画の面白さの中心は、主人公が経験する旅の奇想天外ぶりだ。

原作はダニエル・ウォレスという人が書いたベストセラー小説だそうだ。構想が良いと感じる。いかにも映画向きだ。

巨人の大きさは、単純なテクニックで巨大に見えるだけなんだが、周囲の風景の美しさや色彩の鮮やかさもあって、非常に美しい映像になっていた。迷い込む町で、皆が楽しげに踊るシーンは夢のようだ。大戦後の夢あふれ、健全な精神に満ちていた時代の雰囲気をうまく再現していた。

主人公の若い頃を演じたユアン・マクレガーは、私は好きになれなかった俳優だが、この作品での彼は素晴らしかった。どこか人の良さそうな、真面目そうな感じがする。普通なら毒のない役者としてすぐに消え去りそうな印象があるのだが、何か表現力に優れた点があるのだろう。大作映画に次々と主演している。

ただ、とぼけた表情のジョニー・デップがこの役を演じていたら、もっと大ヒットしたのではないかと思う。いかにもホラ話で人を煙に巻きそうな、ふざけた怪しげな雰囲気が今の彼にはある。

マリオン・コティアールが、なぜか息子嫁として出演しているが、ピアフの時とは体格が違う別人にしか見えない。嫁としては理想的な美しさと優しさ、理解力を表現していた。相当な演技力があるからできることだろう。

アルバート・フィニーが年老いた父親役をしていたが、彼はもともと外斜視の傾向があったのか? 目つきがあやしい話しぶりが非常に効果的だった。

ジェシカ・ラングが母親役を演じていたが、キングコングでヒロインをやっていた女優が、いつのまにかこんな良い役をすることになって、時代を感じた。かってのセックスシンボル的女優も、落ち着いたということか。

私は自分の父とは割に良い関係を続けてきた。でも、中学高校時代は始終イライラしていた関係か、口もあんまりきかない時期があった。実際に興味が違いすぎて話すこともないから話さないという面もあったが、「このように生きなければならない。」のような話になるのが嫌で避けていた面はあった。

仕事をするようになってからは、年に1-2回しか会えないし、特に会いたくもない時期が続いたが、だんだん父も年を取って体に不調を訴えるようになってからは頻繁に話すようになった。自分も父親になって、子育てがうまくいかない現状をよく話す。よき相談相手だ。父が長生きしてくれて本当に有難い。心から感謝している。これは幸せなことだ。なかには何かのきっかけで断絶したままという家庭もあると聞く。

意地を張らないならいいじゃないか、と傍からはこういった関係の家を批評してしまうが、実際にこじれた関係は簡単には修復できない。孫の誕生や病気などをきっかけに関係が戻る事がないと、そのまんまで終わることもありえる。そして、こんな関係は次の世代に持ち越される可能性も高い。今度は孫が自分の父親との関係がおかしくなり易いのだ。不思議だが。

断絶に対する恐怖感が誰にでもあるので、この映画の展開には皆がホッとする。この作品は誰にでも勧められる。

2008年9月 5日

ビフォア・サンセット(2003)

Photo_3 - リアルな会話の素晴らしさ  -

かって一晩かぎりのデートの後、半年後の再会を約束していた男女。結局、半年後には再会しなかったらしいが、なぜか?

そして後年、男のほうは想い出を本にして出版。その宣伝のために訪れたパリで、彼は問題の女性と再会する。

「なぜ、あの時来なかったの?」「その後どうしてる?付き合ってる人はいるの?」二人の会話が進む。

会話をしながらカフェに行く、ボートに乗る。その会話が、この映画の中心である。激しい乱闘や、泣き叫ぶ言い合いもない。本当にそれだけ。

前作のビフォア・サンライズは素晴らしく雰囲気の良い作品だった。すぐに続編を作る話もあったらしいが、監督、俳優達の意向もあって9年後に延びたらしい。これは正しい判断だったと思う。

すぐに2作目を作っていたら、きっと半年後に主役の二人が出会う場面から始めないといけないだろう。もしくは待ち合わせに現れなくて、どうしたのか?と探すストーリーになってしまう。すると、二人の会話が魅力の作品なので、その性格が変ってしまう。

今回のビフォア・サンセットも会話は相変らず素晴らしかった。カメラワークも良かった。前回と同じく、二人の移動に合わせて付かず離れずのアングルで延々と二人の表情を追っていた。

ラストが随分と変っていた。尻切れトンボの印象を受けた。どう終わるかについて、きっとスタッフで綿密に話しあったはずなのだが、女が変な踊りで悦にいるところで終わってしまった。さりげなさを演出できてはいたが、この作品では女性の観客が納得できるような終わり方、すなわち抱擁かキスが必要だったと思う。

それでも、この作品は30代以上の女性にはオススメ。子供には向かない。家族で観るのもダメ。恋人に見せるのはいいかも知れないが。あんまり若いカップルではどうか・・・?

解説によれば、女優さんも脚本を書いたらしい。そのためか、思いつきながらいろんなテーマを話していく話の移り変わりが実に自然だった。日本人のカップルも、そんなに変らない話をしているのではないか?

前作との違いは、女性のほうが恋愛の失敗を繰り返して、自分の人生に苛立っている部分が目立ったことだろうか?

彼女は会話の途中で、前作での二人の出会いがあまりにロマンティックであったために、その後の出会いが色あせてしまったことを半分怒っていた。今の自分の恋愛が上手くいかないのは、あなたのせいだ!ということを言う。確かに、そんな影響はありそうな気もする。

もしも映画のラストで、にこやかに話していた彼女が急に真剣な顔になって、「私が今の恋愛に満足できないのは、あの時の出会いが素晴らし過ぎたからよ!どう責任をとるのよ。出会わなければ良かったのに!」などと号泣していたら、盛り上がっていたかも知れない。作品の方向がちょっと変ってしまうが、二人の感情の交錯は、より深いものになったかも知れない。この会話は途中ではなく、ラストが良かったかも。

私の場合、若い頃の恋愛は片思いの連続で盛り上ることもなく、ロマンティックな思い出なんか皆目なく、故にこのような事態に陥る心配もなかった。だが、恋愛にあまり期待しないという意味では後遺症があったのかも知れない。

あまり考えずに今の女房といっしょになってしまったが、相手は周到な計算をしていたらしいのに対して、私は誰でもいいくらいの諦めの境地だった関係で、「私と結婚してくれるような有り難い人には親切にしなきゃ。」って、優しくしてしまった。これが今日の悲劇を生んでいる。

結婚は我慢なくしては成立しないと思うが、一方的に我慢するのにも疲れてきた・・。家内も自分はすごく我慢していると言うが、「じゃあ、何を我慢しているの?」と聞いてみると、海外旅行に行かないこと、ブランド品を買わないこと、外車に乗らないことなんだって。私は自分のパンツを買うのも我慢しているのに・・。

もし映画の二人が半年後に再会していたら、どうなったろうか?二人も話していたが、おそらく女のほうには未だやってみたいことがあって、すぐに恋人としていっしょに暮らす、あるいは早めに結婚するようなことは望まなかったのではないか?

そして、もし早く結婚したりしていたら、きっと倦怠期に入って後悔したりしている可能性もある。「もっと若いうちは、いろんなことをしておきたかった。」と、大抵の人は思いながら結婚していくと思う。

それはさておき、映画の中のイーサン・ホークの家庭も、あんまりうまくいってはいないようだった。結婚はしたものの、義務感で維持しているという状態で、なーんだ全く私と同じじゃないの。なんだか嬉しくなってきた。素晴らしくロマンティックな出会いができる男でも、結婚生活が順調とは限らないらしい。

とにかく、作品中の二人の会話が素晴らしかった。実に自然で、慣れ慣れし過ぎず、お互いに好意を抱きつつ、時には感情的になって相手を責めるが、長くは続かせない。会話の手本のような感じがした。

私が昔の彼女と話したら、けっしてこうはいかない。視線をそらされて、嫌悪感いっぱいの冷たい表情をされて、会話すらないだろう。その辺の違いが口惜しい。

イーサン・ホークの表情、目線を参考に、恋愛をする機会があれば、こんどこそは決めてみたい。そんなチャンスがあればね・・・。

 

2008年6月10日

ビフォア・サンライズ(1995)

- デート会話の手本 -

この作品の邦題は、「恋人達のディスタンス」だったと思うが、そのまま原題通り、「夜明けまで」でも良かったのではないかと思う。

この映画の中の二人の会話が素晴らしかった。憧れてしまった。あんなふうに話せば良かったんだ・・。

デートの時に、どんな話をしたら良いのか、自分にはとうとう解らなかった。私の場合は、たいていドキドキしすぎて、声もうわずって自分でも何を言っているのか解らないようになってしまった。長続きしなかったことは私のせいではなく、このように心神喪失状態だったからであると言い訳しても、結局は私のせいか?

とにかく、この二人の会話と、話の間に頻回に黙る、その間が何とも言えず良かった。あの間は、やはり「触れたい、キスしたい。」という感情があるから発生するような気がする。学生時代、全く魅力のカケラも感じない女の子には、よどみなく話して間に気づく間もないというか、何の感情もなく話してしまったのは、欲情が働かなかったからだろう。

これに対して、ちょっとでもナニしたいという思いがある子には、もうダメである。のどが渇いて、変な引きつった笑いがうかび、くだらないギャグをかましてウケを狙おうとしてしまう。そんな自分に気がついて自己嫌悪になりながら、また女の子に笑顔を向けないといけないもんだから頭の中は忙しい。デートは難しいのである。

この二人のデートは実に自然だった。特に女の子の仕草や表情は完璧だった。

雑誌に載っていた当てにならない分析だが、女の子が頻繁に髪の毛に手をやる、口に手をやる時は、OKのサインだって。この映画で、彼女は頻繁に髪の毛をいじっていた。雑誌のとおり! しまった、今思えば、私が「こいつ頭かゆいのかな?不潔やね~。」と感じたのは、OKのサインだったんだ!ああ、なんて鈍い私。

この女優さんは、女優らしい女優だった。たぶんテレビなどの経験がある人か?大声を張り上げて舞台で活躍するタイプではなく、自然さを保ってさりげなく演じることに長けている感じがした。アクション映画などに登場しても目立たないのでは?それこそ、日本の観光地に一人でやってきて、道を尋ねてもおかしくない感じがする。

似たような娘と話したことがある。キャッシュカードの使える場所が解らないという訴えで、そこに言葉がわかる人間が私しかいなかったので銀行まで送っていったのであるが、小柄でかわいい女性だった。あのての娘は、汚れてもいいように黒っぽいジーンズ生地のスカートをはく傾向がある。この映画でもそうだった。

さりげなく(自分ではさりげなくと思ったが・・)手は握ったが、残念ながら映画のようにキスしたりはできなかった。握った時の私の手が、緊張と欲望で汗びっしょりだったから、私の心の中の野心を感じ取られたのかも知れない。

もしかすると映画のように秘密を質問しあう展開に持っていけば良かったかも知れないが、当時はこのテクニックを知らなかった。ちきしょー。肌の感触は日本人と変らなく、軟らかくてすべすべしていた。そうさ、オイラは、あの手だけで我慢しよう。

それに雑誌や映画のテクニックにおぼれるのは良くない。いろいろ試してみたが、うまくいった試しはないから。

主演のイーサン・ホークも良かった。雰囲気が良い。あまりに男前だと女性がウットリ見る分にはいいが、自然さに欠けてくる傾向がある。ロマンティック・コメディの雄、ヒュー・グラントだと、もうちょっと笑いのエピソードが加わって来ないとおかしくなる。イーサン・ホークだと青春のほろ苦さみたいなものが自然に伝わって、美しい話になってくる。

もしかして美男俳優が主演していたら、興行的にはもっと成功していたかも知れない。多少の演技力不足は、きっと顔でカバーされて、美しい悲恋物語として、それはそれで良い効果があったかも知れない。特に女性にとっては、ヨン様みたいなのが演じた方が良かったように思う。「あたしも旅をしようかな?」という気にさせる効果があったかも知れない。

この映画は、家族や恋人と見て良いと思う。特に若い人は必見かも。私も若いうちに観ていたら・・・。

2007年8月 5日

ピンク・パンサー(2006)

- 主演 スティーブ・マーティン   -

2006年製作のピンクパンサーは、かってピーター・セラーズが演じていたシリーズの路線を踏襲していたようでした。微妙な違いは、主演ふたりの目つきの違いくらいでしょうか? ピーター・セラーズは、ヤクをやってるような病的な感じでした。

今回は、かってのシリーズ第一作と同じように、ダイヤの’ピンクパンサー’をめぐって、誰が殺人を犯し、誰がダイヤを奪ったのかの、本来ならシリアスな謎解きの話を軸に、トンマな警部が起こす騒動をわらうという設定でした。

ギャグは前シリーズとほとんど同じで、とぼけた主人公の勘違いやバカな行動に周りの人たちが翻弄されて、ひどい目に合うのがパターンでしたが、今回は共演者のジャン・レノやビヨンセは、あんまりひどい目には会ってなかったようで、もっぱら通行人や上司が標的でした。

この作品は、家族でも恋人でも見れるとは思いますが、例えば小さい子供が楽しめるかと思うと、そこそこという感じではないかと思います。爆笑はしないでしょう。今のテレビのギャグのほうがずっとおかしいような気がします。

志村けんのギャグは、もうちょっと下品ですが、この作品より可笑しいと私は思います。でも、欧米の人達にバカ殿などを見せると、下品でくだらないと感じてしまうのかも知れません。この作品は、クスクスとシニカルに笑うタイプの人の好みなのでしょうか。

ストーリーはあまり重要ではないと思いますが、ダイヤを持っているらしいビヨンセ・ノウルズの存在意義があんまり高くなく、ヒロインになりそこねていたような気がしました。通常なら、ヒロインを護衛するために二人で旅行する、または何度かロマンティックな期待を抱かせるようなカラミがあれば、そのたびに主人公が失敗して笑える場面が増えたと思いますが、ホテルのシャワールームを壊す一件だけでしたので、ちょっと残念でした。

相棒のジャン・レノは、本来のキャラクターと役が合ってない気がしました。凄腕の相棒が一人で犯人をやっつけてしまい、推理も何もかもやってしまって、主人公が何の役にも立っていないという場面を繰り返せばおかしかったのではないかと思います。これも残念でした。

少し脚本をいじれば、共演者達の意義も高まって、もっと周りに多大な迷惑をかけて、警部が役にたっていない話ができたような気がします。自転車に乗っている人がひどい目に合うのも、あと1~2回繰り返せば、さらに可笑しくなったのではないでしょうか? でも、これは志村けん好きの私のセンスでは可笑しいのですが、上品な人には、この作品のほうが適度な笑いに感じられるのかも知れません。

上司役は、できれば粘着気質、陰険さがありありと分る、いやらしい俳優のほうが良かったと思います。あんまりワンパターンになるのが嫌で、あえて今回のような配役をしたのかも知れませんが、単純な娯楽作品ですから、ワンパターンでもいいのでは?

 

 

 

2007年1月10日

百万長者と結婚する方法

- 種明かしはラストに -

この作品も良く出来た面白い作品だと思いました。主演はローレン バコールだったようで、マリリン モンローのお色気全開というわけではありませんでした。もし少し後に製作されていたならモンロー主演で相手が色気に参ってクラクラになるような筋書きに変わりそうな気がしますが、近眼によるキャラクターで笑わせることに徹していました。それで充分にかわいらしく演じていました。

冒頭とラストでオーケストラの長いシーンがあります。これと似たような構成の映画をいくつか見たことがありますが、昔の演劇の流れなのか、あまり意味が感じられません。少し短くしても良かったのではないでしょうか?

女3人の仲間で高級アパートを借りてリッチな男性を引っかけて結婚しようという計画を立てます。ローレン バコールは冷静な女で、初老のお金持ちと知り合うことに成功します。時々しつこい若者が連絡を取ってきますが、お金持ちではなさそうなので必死に無視します。

マリリン モンローは極端な近眼で頭の切れも良くないようですが、ある男と知り合います。でも、この男は違法スレスレで逃げ回っていますから、お金があっても使えません。もう一人の女は金持ちと旅行しますが、案内してくれたガイドの若者に恋してしまいます。お金は全然持っていないようです。

結局、3人とも大金持ちとの結婚はあきらめようと話していると、とんでもない誤解をしていたことに気がついて、文字通りひっくりかえるというラストが待っていました。

私の素朴な疑問ですが、金持ちが実際は破産してしていた、貧乏人と思っていた若者が最後になって実は大金持ちだと私達にも始めてわかるような筋書きではいけなかったのでしょうか?どんでん返しをいろいろやったほうが、客は喜ぶと思うのですが。何かそれでは無理があったのでしょうか?

たぶん舞台作品を映画化したのではないかと思いますが、特に舞台ではどんでん返しの設定のほうが観客を驚かせて、驚いた隣の観客の息使いの変化で我々も共感を得ることが出来るような不思議な一体感が得やすいと思います。映画でもそうです。いっしょに見てくれる恋人が「アレレ、気づかなかった。アハハ」と笑うと、こちらも幸せな気持ちになります。観客をだますのは、受けをねらう時の常套手段だと思います。

子供といっしょに見るときもそうです。その意味で、この作品を子供たちが集中力を維持して見てくれるか分らないと思います。最初の演奏シーンは早送りしないといけないでしょう。

彼女らが身近な金持ちの存在に気がついていないことを笑うために、途中の小さな種明かしを優先したのかもしれませんが、他にも笑わせる手はあると思います。途中の種明かしは、結末を予測させてしまってマズかったのではないでしょうか。

2006年12月26日

ビバリーヒルズ コップ

この作品のコンセプトは誰が考えたのか知りませんが、素晴らしいアイディアだと思います。私にはビバリーヒルズと言っても直接見たことはありませんし、裕福な街だろうくらいの感覚しかありませんが、あちらの観客には東部で犯罪者と紙一重の仕事をしていた黒人の刑事がビバリーヒルズにやってきたら、どのような顔をされるかが誰でも分るのだろうと思います。

この作品の頃のエディ マーフィーは、まだ黒人であることを売りにされる役者であったと言えるかも知れません。 もちろん、それ以外にも口汚く面白いトークをできることも何より大事ではありますが、映画の設定には彼が黒人であることが必須であったようです。そのうちにヒット作を重ねていくと、同じ設定にするには彼はメジャーになりすぎてしまうので、白人から嫌な顔をされると何か不自然な感じがしてしまって、作品の出来が微妙に変ってきます。

この作品は、子供向きではないような気がします。恋人と見るのは悪くないかも知れません。少々古くなってきましたが、まだ面白いと感じる人が多いのではないでしょうか。音楽も印象的でしたが、この作品に合っていたのか分りません。少し緊張感を強調しすぎの感じがします。ビバリーヒルズをイメージする、ゆったりしたジャズでも良かったのではないかと思います。

彼の監視役の刑事のキャラクターはよく考えたなと思いました。普通なら、年配の方のような生真面目な刑事が振り回されてイライラするのを我々が楽しむというのが一般的だと思いますが、この作品では若いオトボケの刑事も活躍して、もう少しで主役を食ってしまいそうです。この刑事は、少なくとも第一作では成功していました。でも、珍しい設定ではないでしょうか。普通は生真面目な刑事一人と主役との対決や友情を描くのではないかと思いますが。

この刑事たちとエディ マーフィーのやりとりが、私にとってこの映画の一番の魅力でした。第二作では、この辺が評判が良かったことに味をしめたのか、若い刑事のキャラクターをさらにオーバーにしていましたが、ちょっとやりすぎでした。

2006年12月18日

Bee Cool

- 米国版クール   -

この作品は意外に話題にのぼらなかったようですが、なかなか面白く、クールな作品です。殺人のシーンがありますので、子供には良くないかも知れませんが、友人や恋人といっしょに見ると、きっと面白いと感じてくれるはずだと思います。

公開前に、インターネット上には凝った作りのホームページが作られましたが、他の映画の予告編でも見たことありませんので、地方ではあまり上映されなかったのかも知れません。少なくとも大ヒットしたような話は聞いていません。

この作品は「ゲット ショーティー」の続編の形をとっていますが、ヒロインがレネ ロッソからユマ サーマンに変って、脇役達も総入れ替えに近く、主演のチリ パーマーが同じだけの、全く新たな作品だと言えます。主人公のチリのキャラクターは傑作だと思います。タフで度胸満点、頭の回転も良い、実に魅力的な存在です。映画でないと会えないようなキャラです。これをトラボルタがうまく演じています。

トラボルタと ユマが再度共演しましたので、「パルプ フィクション」の再現のような意味で、少し抑え目のダンスシーンがありました。特別良かったとは思いませんでした。 ユマのキャラクターが、今回はマトモな女性役で、エキセントリックだった前回と違っていたからかもしれません。彼女もすぐ銃をぶっ放す恐ろしい女だったら面白かったのにと考えました。

また、黒人のギャング役も優しすぎたような気がします。まともじゃないけどタフというようなキャラクターの方が何をするか分らない怖さが出て、盛り上がったのではないでしょうか。でも、そんなキャラクターは今までの定番でしたので、違ったパターンを狙ったの知れません。

おかしいのは、自分で続編に出ていながら、続編を作るなんてつまらないと主人公が話していることです。この作品は、そのようなギャグめいたシーンがたくさんありました。トム ハンクスやニコール キッドマンの映画の看板にも工夫がしてあって笑わせました。前作よりも少し客受けを狙って、やや黒人向けの内容だったような気がします。

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