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カテゴリー「は」の55件の記事

2020年8月16日

パラサイト(2019)

Parasite

- 監督 ポン・ジュノ -

半地下の家に住む下層階級の家族。裕福な会社社長の家に取り入ることに成功する。しかし、彼らの夢は長く続かなかった・・・・DVDで鑑賞。

カンヌ映画祭パルム・ドールとアカデミー賞の作品賞を取った作品。評判通りの面白い展開で、しかも格差社会の問題点を上手く表現し、娯楽と表現、サスペンスとコメディの要素のバランスに優れた映画だった。

作品のアイディアは、ポン・ジュノ監督自身が若い頃に家庭教師をした経験から出たもので、そこに今の社会の問題点を織り込んで、物語として成立させたらしい。製作費は、日本円だと12億円くらいに相当するようだが、同年の日本映画「キングダム」の製作費が、およそ10億円だというから、それよりずっと費用対効果が良いと思う。  

「臭い」が大きな要素になっていた。富裕階層の雇い主は、主人公たちに染み付いた臭さに、嫌悪感を感じている。主人公がその嫌悪感に腹を立てたことで、ラストに怖ろしい結果が待っているわけだが、へりくだっていた主人公、ソン・ガンホが徐々に怒りを滲ませていく様子がよく分かった。

分からなかったのは、途中で社長の息子が地下からのモールス信号に気づくのだが、それが作品の展開に影響していなかった。劇場版であったシーンが、DVD版で削除されたのだろうか?  

劇場主の感覚では、この年のパルム・ドールは、ケン・ローチ監督の「家族を想うとき」にあげたい。心にしみる物語だった。もしかして、短期間で同じ監督に何度も賞をあげるのは良くないという判断があったのか? 「家族を想うとき」は、アカデミー賞には元々ノミネートされていないので、賞を取ることはありえなかったわけだが、出来栄えから考えると、「パラサイト」に負けていないように思う。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」も、よく出来た作品だ。作品賞に相応しい映画だったと思うが、テーマの点でパラサイトのほうが好まれたのだろうか? 

劇場主の感覚では、「パラサイト」を繰り返し観る気にはなれない。一回で充分だ。「家族を想うとき」のような抒情性はないし、美しい女優や、派手なアクションを観れるわけじゃないこともある。今どきは、涙するような感動は流行らず、抒情性が気にされない時代なんだろうか?

おそらく、観客の感情を動かすための、何かが足りなかった。たとえば、主人公達の家族よりも襲ってきた夫婦のほうが凶暴、かつ頭脳の面でも上で、家族がそろって負けて泣くと面白い。あるいは、相手にも子供がいて家族で暮らしていたら、それも傑作。

下層の人間は、上流階級と戦うより、下層の人間同士でライバル意識を持ち、互いに足を引っ張り合う傾向がある。それも問題のひとつだ。映画にも使える設定ではなかろうか。

 

2020年3月 7日

ハンターキラー 潜航せよ(2018)

Hunter-killer

- Original Film -

ロシアの潜水艦と、それを追っていた米潜水艦が撃沈された。現地に向かった潜水艦は、ロシアの領海内に侵入する・・・DVDで鑑賞。 ジェラルド・バトラー主演のアクション映画。

バトラーは、出演作の多くで製作にも関与している。少し目立ち過ぎではないかと感じることもある。この映画での役も、その個性に無理を感じた。古いタイプのタフなヒーローをイメージし過ぎているように感じる。せめて彼の家族を出して、普通の人間としての表情も表現すべきだったと思う。

アクション映画といっても、殴り合いのシーンはなく、陸上部隊の銃撃戦と、潜水艦内での緊迫したやりとりが中心。原作者は、本当に海軍に所属していた方らしいので、かなり実情に近い設定だったと思われる。

ハンター・キラーは、軍事の世界では潜水艦を把握する係と、攻撃する係を意味しているらしい。今は両方を兼用した性能を持つ哨戒機も多いらしいので、一機でハンターキラーと言えるものもあるはず。そう言えば主人公が登場するシーンで、トナカイの狩りをしていたが、あれは主人公のキャラクターや、この作品の展開を象徴していたのだろう。ちょっと、わざとらしかった。

ストーリーは相当に荒唐無稽だった。ロシア軍の基地に米軍兵士が侵入し、作戦を遂行するなど、常識的に成功するとは考えにくい話。米軍の飛行機が近づいてきたら、ロシア軍の戦闘機は当然やってくるだろう。楽にパラシュート部隊が降りて、最も大事な基地に近づくことは考えにくい。さすがにイージーすぎる話だったと思う。 

潜水艦の戦いを描いた映画はいろいろあった。いつも問題になるのは、敵を攻撃すべきかどうかだ。ミサイルを撃たないと敵からの攻撃を受けるが、撃てば重要人物を殺すか世界大戦が始まってしまう、艦長はどう判断するのか、そんな展開がお約束だ。「レッド・オクトーバーを追え」「クリムゾン・タイド」などがそうだ。

確かに緊迫する設定には違いないが、ややワンパターンになっている感もある。もう一工夫して、斬新な面を出さないといけない。おそらく、重要な人間が誰か犠牲になるか、思わぬ逆転劇が待っているかなどだろう。そこの工夫に何か足りない点があったように感じた。

今の時代の潜水艦用の武器は、昔見た映画とは違ってスマートになっているようだ。昔の映画では、ドラム缶みたいな爆雷を駆逐艦から横に発射し、深海で爆破して衝撃で沈める方法を見せられた。今は、追尾機能を持つ魚雷やロケット弾みたいな兵器が開発されているようだ。センサーの技術は進んでいるから、むやみに爆弾を放り投げるスタイルよりも、効率は上がっているだろう。音響や熱などをAIが鋭く判断して、デコイをきっちり認識するようになっているのかもしれない。   

気になったのは、衛星画像で作戦を観察していたこと。米軍は鮮明な画像を世界中に公開しているが、ロシア側や中国軍なども衛星を持っているはずだ。当然ながら、彼らも自国の衛星を使って米軍の行動を監視していると思う。画質や分析能力がどんな具合なのかは知らないが、何もやっていないはずはない。すると、米軍の潜水艦が近海に来た可能性があることは、当然考えているだろう。すんなり領海内に来れるものなのだろうか? 

そして、フィヨルド内に様々なセンサーをつけて、外部からの侵入を防いでいるという設定だったが、映像で見るかぎり、あまりに狭い所を通っていたので、ロシア海軍でさえも通過は困難ではないかと思えた。何かの演出で工夫して、もっとリアルな描き方をしたらどうだろうかと思う。表現のセンスに、安易さを感じた。

 

 

2020年1月29日

バイス(2018)

Vicejpeg

- PlanB,Longride,etc -

元副大統領、チェイニー氏の伝記映画。クリスチャン・ベールが特殊メイクで本人になり切って演じていた。アダム・マッケイ監督自身の脚本らしい。

凝った作り方をしてあり、途中でエンドクレジットが流れ、映画が終わりそうになり、そのあと急にシーンが変わったら、政界に再登場することになって新たな物語が続いたり、語り手が途中で死んだり、よく言えば斬新だが、かなり乱暴とも言えるふざけた手法が目立った。いっぽうで、チェイニー氏の生き様を正確に描こうと努力した様子も感じられ、一方的な批判にならないように一定の節度をわきまえていた面も感じられた。 

マイケル・ムーア作品など他の映画でもあったが、存命中の人物を映画で描くという行為に驚く。ハリウッドでは、こんなことができてしまうのかと、感心してしまう。おそらく民主党支持者のスタッフが集まってできているのだろうが、訴訟沙汰も当然ながら覚悟しての事だろう。「訴訟したら、かえって宣伝になるので嬉しい、じゃんじゃん訴えてくれ!」といった態度でやっているのかも知れない。過去の判例もちゃんとあるに違いない。 

興行面を考えると、この種の映画はあまり大成功が期待できるものではないと思う。 ブッシュ大統領を描くなら違うかも知れないが、副大統領を主役にするのでは、観客の注目度が全く違うだろう。最初から金については諦めて、どんな作品を作るか、その特殊性に賭けて制作したのだと思う。あるいは民主党の応援の意味があるのかもしれない。  

俳優たちの演技、メイクは本当に素晴らしかった。過剰な演技をしてしまうと、単なるディスリ行為、悪趣味のブラックコメディになってしまうから、ある意味で登場人物に共感し、敬意を示しながら演じる必要があったのだろう。 劇場主は、チェイニー氏や、その家族に敬意を覚えた。 ただ運が良かったから道を切り開けたのではなく、覚悟と努力、権力を勝ち得る工夫もあったのだと考える。

努力は彼らだけの専売特許ではない。誰もが様々な努力をしている。そして得た豊かな生活を守りたいと考えているはずだ。そして国家としての米国の場合は規模が大きいので、守るべきものは多い。そして、守るために用意している軍事力や情報網、政府機関、法的な体制も非常に高度で強力だ。使い方次第では、権力者の利益のために悪用することも可能だし、敵となった相手にとっては、冷酷非情な結果をもたらすものとなる。正しい使い方がされないといけない。

法律をいじって合法的に権力を広げる行為は、非常に危険なものだと思う。日本でも、米国を真似たわけではないだろうが、乱用が目立つ。IRの導入、役人の人事をめぐる制度改正など、利益誘導型の動きはいろいろ行われている。権力や利益を求めて激しく戦っているのが現状なので、そこに倫理を求めるのは非現実的なんだろう。

それでも、権力者は力の行使を恣意的に行ってはいけない。国力を損なってしまうからだ。日本が平成の時代に国力を伸ばせなかったのは、国のことより自分のことを考えた為政者の悪影響の面もあると考える。米国の場合は、やはり湾岸戦争の後遺症が今も続いているのだから、当時のブッシュ政権には責任があるだろう。  

湾岸戦争は、今日では酷い侵略戦争だったと考える風潮が主流だ。開戦当時は米国世論が著しく盛り上がり、日本人にとっては理解しがたい印象を受けたのだが、あれは米国民の利益を守りたいと願う単純な感情の成せる業だと思う。守りたいものが大きいのだ。そこに訴えかければ、単純に盛り上がり、支持を集めて強権をふるえる伝統なのだろう。 

ある意味、太平洋戦争も同じ理屈で進められたのだと思う。日本が進出して中国や東南アジアの権益を独占したら、米国の権益を奪われかねない、米国の進出機会を見過ごしたと後で批判される。だから日本を経済封鎖し、圧力によって屈服させる必要がある。それは、米国にとっては当然のことであり、そう考えるのが自然だ。権益は競争して勝ち得ていくものであり、戦う時には米国がやりたい方法でやりたいだろう。 

今の北朝鮮に対してやっている行動も、基本的に同じ路線のようだ。北朝鮮にとって有利なのは、資源に魅力が薄いことだろう。石油資源などが豊富でないから、攻撃される可能性は低い。その点で自信を持って対処していると思う。イランには資源があるので米軍の攻撃は現実的だ。恐怖を持っていると思う。攻撃のために米軍がどんな理屈を編み出すのか、予想は難しいが、どんなことでもやって来そうに思える。

 

2019年12月16日

パリの恋人(1957)

Funny-face

- Paramount-

ファッション雑誌の企画のために、無名の書店店員がモデルとして抜擢される。しかし彼女の哲学かぶれで騒動になり、大事なショーの開催が危うくなる・・・DVDで鑑賞。 

たまには良き時代のミュージカル映画を観たくなった。なにしろ世の中が殺伐とし、災害やらテロやら、次々と世間を騒がす事象が起こって、気が休まる時がない。桜を見る会の問題を読んでいると、希望を持てなくなってくる。映画くらいは優雅にいきたいものだ。 

この作品は、あまり評判を聞いたことがなかったので、名作とは言えないのかもしれない。確かに、もう一度観たいという欲求は感じなかったから、出演者の代表作、傑作とは言い難いのではないかと思う。でも、主演二人がそれぞれのダンスや歌声を披露していて、各々の見せ場を作っており、軽いロマンスの進行具合も当時の映画として標準的な展開だったように思う。おそらく、公開当時なら、この作品をデートで観ても悪い気はしなかったのではないか? そんな気がした。

ダンスシーンの出来は悪くなかった。特に主演の二人が古い教会の裏庭で踊るシーンでは、水鳥や浮橋を利用した演出がなされ、優雅な雰囲気を出していた。あれは見せ場だったが、時間の制限の仕方が難しい。少し間延びした印象を受けた。

エッフェル塔で3人が踊るシーンは出来栄えが良かった。当時のミュージカル映画でよくあったパターンだ。今の映画であれをやったら笑われてしまうだろうが、明るく、軽妙な雰囲気を出す良い演出だったと思う。踊りの技術を必要とされるシーンではないから、観客の側も安心できるかもしれない。3人で踊るシーンは、他の映画でも使われているから、一種の伝統技術になっていたのだろう。一人で盛り上げるのは大変だが、3人が順番に歌い踊ると退屈しない。 

地下のバーでオードリー・ヘップバーンがモダンバレエ風に踊るシーンも、おそらくは見せ場にするつもりだったのだろうが、出来栄えが今一つと感じた。彼女は元々バレーの素養があったと読んだ記憶があるが、それでも本職の踊り手ではないので、動きに関しての体力不足を感じた。そもそも、モダンバレーで観客に満足してもらうことは難しいと思う。斬新な動きを次々と繰り出し、ワンパターンにならないようにするのは簡単じゃないはずだ。専門の踊り手でも滅多にできないような動きを、主役にさせるのは無理があった。

ヘップバーン自身が希望してああなったのだろうと思うが、できれば笑わせることを目指して滑稽な動きにして、本物のダンスはエキストラたちの体力に任せたほうが良かっただろうと思う。そこを人気絶頂の大スターが納得してくれるかは分からないのだが。

フレッド・アステアは当時でも相当な高齢だったはずだが、動きに無駄がないのか、鍛錬のたまものか、踊りに関して不満を感じない。練習もおこたらなかったはずだし、食事にも相当な注意を払っていたのではないかと思う。 

スタッフの中に、写真家のアベドンの名前があった。作品の中でもファッション雑誌用の写真が出て来る。あの写真は効果的だった。本職の力量が感じられるからだろう。本職が集まって専門の仕事をこなし、それらを統合することで良い作品が生まれると考える。

 

2019年10月 9日

バジュランギおじさんと、小さな迷子(2015)

Bajrangibhaijaan

- カビール・カーン監督、Eros international -

インドとの国境付近で迷子になった少女は、ある男とともに故郷を目指すが、国境警察が彼をスパイと勘違いし、追われることになる・・・・DVDで鑑賞。

アクションスターのサルマン・カーンが自ら主演し、製作にも関わった作品。サルマン・カーンを観るのは初めてだったが、有名なボリウッド・スターだそうだ。怖ろしい額の出演料を取っているので、製作にも乗り出せるのだろう。

起承転結がはっきりした素晴らしい作品だった。まず、高原地帯の風景が素晴らしい。ハイジのような可憐な少女が現れるのも当然の感じがするほど、美しい光景だった。そしてヒロインの少女役も素晴らしく可愛い。表情も良かった。 

いきなり歌と踊りの大演舞劇が始まるのはインド映画の特徴だが、慣れてしまえば気にならない。ハリウッド映画のような洗練されたダンスでないのは確かだが、笑いのためのダンスと考えるべきだろう。どんな経緯でインド映画にミュージカルシーンが入るようになったのか、誰か解説できる人はいるのだろうか? 

主演のサルマン・カーンは、日本人の感覚から言うとオーバーな演技が目立ち、動作もそんなに美しくはなく、何が魅力なのか分からなかったが、今回の役柄は非常に素晴らしい。共演者たちも、ほとんどがオーバーな表情をしているように感じられたが、おそらくインドのような国では、様々な人種と文化が混在しているから、微妙な表情では観客の感覚の壁を越えて理解させることは難しく、分かりやすさを優先したオーバーな演技が必要なのだろう。そう考えれば、よく演じられていた。 

この作品は有名な脚本家のアイディアによるらしい。実話が題材になったわけではなく、まったくのフィクションだろうと思えるが、テーマが素晴らしいので、夢があふれ、心が和む作品になっている。  

舞台のひとつとなっているニザームッディーン廟のことは全く知らなかった。ニューデリー近郊にあるらしいが、もともとはイスラムの聖人を祭る聖地らしく、イスラムとヒンズー教徒が混在していた時代に、双方から信仰を得て、今もムスリムの人達が国境を越えて訪ねて来ているらしい。インド人とパキスタン人の間で、よくトラブルが起こらないものだが、聖地ということで双方が自重しているのだろうか?ハマヌーンという猿型の神様も、実際に信仰を集めているようだ。  

つい最近も、インドがカシミール地方の自治権剥奪行動を起こした。意図はよく分からなかったが、パキスタンや中国の政情に関して何かの判断があって、今動いたら有利だという時に行動を起こしたのだろう。米中がもめている時に、中国は軍事行動を起こせない。かっては中国が準備を整えて侵攻してきた時代があった。現場の感覚と中央部の判断が合致したら、互いに攻める状況が続くのだろう。その際に人道的な面は、おそらく気にされることはないだろう。

 

 

2019年8月 2日

運び屋(2018)

The-mule

-Warner Bros.-

花の栽培で有名だった主人公は、経済的に困窮し、家族にも見放されていた。そこで彼は麻薬の運び屋になり、経済的に豊かになって家族との関係も回復しようと試みるが・・・  DVDで鑑賞。 

クリント・イーストウッドが主演と監督をも務めた作品。予告編の緊迫感が気に入って、レンタル開始早々に鑑賞した。原題のMuleという言葉は面白い。頑固者という意味と、運び屋という意味を兼ねているらしい。家族を顧みない仕事人間だった主人公に、まさにピッタリのタイトル。

作品の基調は静かで、ラジオの曲に合わせて歌を歌いながら飄々と仕事をこなす老人のユーモアあふれる姿が心地よい。派手な銃撃戦や荒々しい逮捕劇などはない。でも充分な娯楽性を感じた。

イーストウッドは90歳近いので、さすがに最後の仕事が近づいてきているはずだが、もしかすると、この作品がそうなるのかも知れない。仮にそうなっても称えてよいくらい、この作品は出来栄えが良かった。

まず音楽が良い。ジャズの造詣が深いらしいイーストウッドだが、この作品にはカントリーの曲や懐メロなども出て来て、荒野をドライブしながら聞く中で、とぼけた雰囲気、のんびりした安心感のようなものが感じられ、主人公を嫌悪する気持ちを生じにくくする効果があったと思う。若者がロックやラップ調の曲でシャウトしながら運転していたら、通常はあまり良い印象は持たれない。老人が古めの音楽で歌っていたら、たとえ犯罪者であったとしても、根は善い人としか感じられない。何度も繰り返された運転中のシーンは、この映画のウリだろうと思う。

そして、ストーリーのほとんどは実話に基づいているという点も、作品の魅力になっているようだ。犯罪者の物語とはいえ、時代の流れについていけず、破産の憂き目に遭ってしまった人物には、ある程度の同情を禁じ得ない。 家族を犠牲にしてたことを後悔しているという主人公のキャラクターも良かった。あからさまに邪険な態度をされて、ただ謝罪するしかない主人公には、「当然の報いだ」という感情は起こりえない。惨めであればあるほど、主人公に感情移入する仕組みができていた。  

この作品は企画の段階で、かなりの成功が約束されていたと思う。その企画を、ビッグネームの俳優たちが集まって映像化しているのだから、価値ある作品に仕上がったのも当然だろう。

 

2019年7月 5日

バンガー・シスターズ(2002)

Fox

- fox -

勤めていた店をクビになった主人公は、かっての友人を思い出して故郷に帰る。しかし友人はハイソな家庭の奥様になっており、邪険な扱いを受けてしまう・・・・DVDで鑑賞。 

この作品の中古DVDが販売されていたので、一個250円で購入した。250円の価値があるかどうかは、人によって判断が違うと思う。劇場主はゴールディ・ホーンのファンなんで、それなりの価値を感じた。彼女のファンでない人には、もしかするとがっかりされるかもしれない。

そのゴールディ・ホーンは、さすがに若々しくはなかった。この作品の当時で年齢は57歳、既にキャリアのピークは過ぎていた。しかし色っぽくて人好きのする個性は出ていたと思う。いっぽうのハイソな奥様役のスーザン・サランドンは、あまりハイソな雰囲気が感じられなかったので、キャスティングとして成功だったか分からない。メイクや衣装に工夫が足りなかったのかも知れないし、もっと他の女優のほうが最初から良かったのかも知れない。いかにも金持ちそうな、ゴージャスな雰囲気の女優なら、演技の必要がなかったと思う。

そして、ハイソな奥様が態度を変えて来る成り行きも、あまり自然でなかったと思う。明らかな理由によって二人の関係が変わるように、観客が納得できないといけない。そのためには何かの事件が必要だろうが、そんなものはいかようにも作れたと思う。その経緯が上手く描き切れていなかったように思った。

もっと派手なドタバタコメディにしても良かったと思う。再開した時に険悪な雰囲気になってドタバタ劇を繰り広げ、昔の秘密を暴露しようとするヒロインと、それを隠そうとする相棒との間のバトルを描いても良い。そこから友情を思い返す流れだと、もっと後味がよかったはずだ。 バンガーというのは意味合いがよく分からない言葉だった。騒がしい、おしとやかでないといった意味だろうか。  

 

 

2019年6月11日

82年生まれ、キム・ジヨン 

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- チョ・ナムジュ著 筑摩書房 - 

1982年生まれの主婦キム・ジヨンは、ある日、言動が母親そっくりに変わり、他の日には友人のそれに変わる。心配した夫は、彼女を精神科に連れて行くが・・・ 

韓国でベストセラーになった作品だという。既にドラマ化が決まっているそうだ。語り口に工夫がしてあって、精神科での問診内容がストーリーになっている仕組みだが、実際にはヒロインが語る今までの人生が、淡々とつづられている。それは特殊な人生ではない。少女の頃に感じた不満や、家族とのやり取り、親や姉への感謝、淡い恋や夫との出会い、仕事場での努力や辛いことなど、誰でもありそうな話がエッセー風に、色々と描かれている。

それら全てを通じ、ヒロインを苦しめて来た女性への不当な扱いに対する憤りが、この話を貫くテーマであろう。精神症状を描く必要は必ずしもなかったのかもしれないが、ヒロインの人生が特殊なものでないとする以上、ただ淡々と語らせていては読者の興味を保たせることは難しい。妙な状態にする必要があると判断したのだろう。上手い手だった。  

この物語は、そのまま日本でも通用すると思う。日本でも女性の議員が少ない、企業の幹部も男性ばかりなど、性差別は確実にある。ひどいセクハラ行為も珍しくない。女性記者が事務次官から露骨な言葉をかけられ、その後に名前を公表するように大臣から要求めいた言葉を発せられたこともあった。大臣のような連中は、相手の気持ちを考えて生きてはいないのだろう。仲間や野党との競争、足の引っ張り合いや脅し、それ以外に何も考えないくらいの殺伐とした日常を過ごしてきたからこそ生き残れているとも思える。だが、そんな感覚を正直に吐露してはいけない。自分がどのような人間なのか、時々は振り返り、驕った考えを認識して、考えたことをそのまま話さない、そんな覚悟が必要。

つい去年報道された医大の入試における不平等も、性差別と言える。大学に自治権はあり、勝手な基準で学生を選んでよいとは思うが、こっそり基準を設けるのはフェアではない。フェアでないことに慣れ過ぎてしまっていたのだろう。今日までそれが公表されて来なかったというから、大学の上層部の頭がいかに古く、前時代的で人権意識が低いのかを示唆する。そんな人間が教授、事務長に選ばれるシステムにも問題がある。人権意識や公正さと関係なく、彼らの人事が決まり、彼ら自身も古い感覚を持っていたはずだ。

いっぽうで、大学の合否は米国などでも闇の部分があるというから、日本だけの問題ではない。あちらでも有力なOBの子弟は優先されるらしい。むしろ恣意的な判断のほうが国際標準と言えるかも知れない。仮に劇場主が病院をや学校を経営する立場になった場合、女性が職員の大半を占め、次々と職場に出てこれなくなったら、職場の維持が難しいので経営者としての能力を疑われて当然だ。その分、余分な人員を確保し、余裕を持たせる必要があるから、当然人件費が経営を圧迫する。責任は運営者にある。たとえ不公平でも、学校の維持のために、独自の基準を設けざるを得ないかも知れない。

そこを考えて学生の選考基準をいじるなら、できれば「男性何人、女性何人」と明示したいと思う。受験する側のことを考えれば、そうなる。ただし、それに対しても必ず反発は来る。それこそ明らかな性差別と言う人もいるだろう。男子校、女子大と同じ理屈だから、許されるかも知れないし、医学部の場合は合格は雇用に直結するから、今の男女雇用機会均等法に触れるかも知れない。学校は、法に触れるなら経営リスクを覚悟で予算の組み方を変えて対応するしかない。 あるいは、やはり学校の権利を盾に、旧来通りに選考基準をブラックボックスにすべきだったのか? よく分からない。

一般の会社でも、幹部に女性が少ない状態がまだ続いているが、おそらく今後は変わって来るだろう。ただし、そのせいで出産の機会が減って少子化が進むとしたら、そもそも社会が成り立たないから結果は最悪になる。平等な社会、機会均等が望ましいとしても、少子化と合わせて法律を作る必要があった。おそらく、出産したら年金を増やす、給与の等級を上げる、男性の育休を奨励する規定が望ましいのだろう。そのうえで機会均等を考えないと、良かれと思って作った法律で、医療体制や社会全体の破綻という、もっと深刻な問題を引き起こしてしまう。

 

 

 

 

2019年4月14日

判決、ふたつの希望(2017)

- 監督Ziad Doueiri -    

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ベランダで花に水をまいていた主人公は、工事の監督から悪態をつかれる。謝罪を要求した諍いは、やがて裁判に発展する・・・・DVDで鑑賞。  

よくぞ、このような作品を作り上げたものだ。筋書きも、根底に感じられる不条理、不幸な歴史への憤り、人間社会の問題点を追及した姿勢も、どれもが素晴らしかった。  

作品のレベルを考えると、アカデミー賞の作品賞を何度か差し上げて良いと思う。外国映画賞ではなく、本賞が望ましい。難しいテーマを、よく処理したものだ。処理・・・処理という言い方は適切じゃない。たぶん完全に処理しきれるはずのない問題をテーマにしているのだから、描き方のセンスが良いとしか言えないのだろう。難しいテーマを扱いながら、作品として成り立たせているところが凄い。  

俳優たちは全く知らない方々だった。コメディアンだったり、監督だったり、いろんな方達が出演していたようだ。  作品の中で、中国製の偽物の製品に文句を言うシーンが2回もあった。中国製品は、その悪評とともに、あらゆる所に出回っているのだと改めて感心。中国へ反感が、また新たな諍いを生むかもしれないことを、この作品が予言しているのかもしれない。  

映像に写るべイルートの街は美しく、経済的に活気がありそうに見える。しかし、少し前まではシリアやイスラエル、各種の民兵が入り乱れる混乱、虐殺の応酬に苦しんだ歴史があるはずだ。つい30年前くらいのこと。 レバノンにはパレスチナ難民が今も多数いるそうだから、元の住民とトラブルが発生しないはずがない。そして、おそらく今でもISの残党などが侵入しているに違いない。何かあれば、直ぐに大きな紛争が起こりうる。  

どうしてパレスチナ難民の受け入れを、イスラム系の国に限定しなかったのだろう? 宗教や人種、国境の引き方や欧米の思惑の影響によって、地理的に近いからという点もあるのだろうが、とにかくトラブルが起こりそうな条件が整っている。そういえば古代からそうだった。十字軍の時代も酷かったはず。地中海沿いにキリスト教の国がしばらく続いたから、歴史上の無理を集約したような地域である。そこに暮らすのは、本当に勇気が要ることだろう。   

バナナの産地があるようだ。作品の中で、豊かな農園が映っていた。そんな集落で、なぜに虐殺が起こるのか? 自分たちが武力を持っていて、相手が持っていないなら、武力を使わない手はない、優位性を利用したい・・・・そんな単純な考えが浮かぶのだろうか? 劇場主が子供の頃の諍いは、そんなものだった。人数が多いか腕力のある先輩が仲間だと、気が大きくなるのだ。

条件が整った中での口汚い罵りから暴力へ、そして互いの憎悪が連鎖し、エスカレートした諍いが起こったのか?自然な成り行きとは思うが、酷い結果を考えて、安定を目指すことは無理なのだろうか?   

となりのイスラエル国内にもかなりの数のパレスチナ人がいるらしい。しかし、イスラエル政府は多数派を奪われることがないように、ちゃんと手を打っている。人口の比率は安定のためには大事な要素だ。住民を追い出したことで、イスラエル国内での内戦は起こっていない。テロは頻繁でも、内戦には至らない。多数派を占めることは、ある意味で内戦を避ける賢い選択と言える。しかし、そのために追い出された難民は、周辺国に酷い混乱をもたらしたはず。 

朝鮮半島と日本も酷い状況だ。韓国の裁判所の考え方はよく分からないが、普通に考えると、韓国政府が慰安婦や徴用工に対して賠償すべきと思える。日韓の戦後の条約でそのように決めたなら、それに従うべきだろう。ただ、その条約の韓国語での内容をよく知らない。英語の文章だと請求権を破棄しているようだが、韓国語で何と書いてあるのか?凄い違訳をしているかもしれない。 

将来、過激な言動から実質的な争いに発展し、酷い結果になることも予想される。その時、誰が責任を負うのだろうか?  

 

2018年9月24日

バース・オブ・ネイション(2016)

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- Fox -                      


ネイト・パーカーという俳優が主演、監督、脚本、製作の一部を兼ねて作った作品。日本では劇場公開されず、映画祭でのみの上映だったそうだ。マイナー路線の作品だから仕方ない。作品はナット・ターナーという黒人奴隷にして宗教的指導者、反乱指導者を描いている。     

 

今日という時代を考えると、この作品の主題には特に大きな意味があると思う。トランプ政権の誕生で、米国は人種差別の勢いが戻った印象がある。もともと酷いものはあったのだろうが、差別用語が糾弾されなくなり、発言者の責任が追及されずに終わることも増えた印象だ。最高権力者が明らかに人種差別主義者だと思われるから、末端にもその影響が出てしまうのだろうか?       

 

この作品は国の独立とは関係ないので、古の映画「国民の創生」と同じタイトルを付けたのは、古い観念への対決姿勢を示したためだろう。黒人たちの反乱こそ、新しい国家の形を示したものだという訴えも兼ねていると思う。日本と韓国との対立も根が深いが、米国の人種差別は、その歴史的規模が違う。それでも国家としてまとまっているのは、宗教と法律の成せる奇跡のようだ。      

 

ネイト・パーカーは、この作品の制作のために他の作品への出演を断り、賭けに出たそうだ。クラウド・ファウンディングのような手法で資金を集めることに成功し、十億円以上の製作費をかけて作ったのだから、完全にのめり込んでいたに違いない。俳優たちの中には、気に入った企画に金と名誉と時間のかぎりを費やし、壮大なイノベーション的作品を作り出す人がいる。「ガンジー」を作ったリチャード・アッテンボローがそうだったし、日本の本木雅弘が「送りびと」を作った時も、予想外の力量を示していて驚いた。一人の人間の強い意志が、こんな思い切った作品を生むのだと、改めて思う。その強さは、尊敬に値する。       

 

この作品の場合、差別への怒りが意志に力を与えたのだろう。ただし、怒りによって冷静さを損なうと、作品の出来栄えに関わって来る。人種差別主義者でさえ納得させるだけの名作になるためには、完成度が必要だと思うが、少し力不足だったかもしれない。    

 

最近、「ある奴隷少女に起こったこと」を読んだ。本を読んで奴隷制について再考していた時期だったので、この作品に興味が湧き、借りることになった次第である。奴隷の描き方がどんなものか、注目して鑑賞。所有主によって、奴隷たちの扱いが随分違うように描かれており、物置き小屋のような所に殴られて横たわる者もいれば、独立した小屋に家族で暮らす人達もいるという描き方だった。あれは、おそらく実像に近いと思う。「ルーツ」など、他の作品でも所有者は残虐な人間ばかりではない。金銭問題や周囲の白人たちとの関係に応じて、黒人たちへの扱いはピンからキリまで違っていたのだろう。             

 

ネイト・パーカーは聖書に忠実に行動した、それが作品の視点であるようだ。確かに、彼のセリフはモーゼら預言者たちの発言内容と大きくは変わらない。虐げられた人々が支配者たちに立ち向かおうとする時は、時代や民族に関係なく、仮に聖書がなくても言葉は同じになるのだろう。  

 

いっぽう、支配者側の行動原理は上手く描けていないように感じた。同じ聖書を読んでいるはずの白人たちは、自分たちの行動をどう考えていたのだろうか? 不信人な連中ばかりだとは思えない。おそらく積極的に奴隷制度を支持してはいなくても、奴隷所有者の権利が法的に認められている限り、それを奪えないはずで、黙認したくなくても、そうなってしまう。そのような構図が大きな力となって、根深いものになったのではないか?            

 

経済的理由と法的な面が、悪しき制度を守ってしまう。奴隷所有者が広大な農園を経営して社会的立場が上にある場合、権力や財力におもねる周囲の人間は必ずいる。出世や商売のためだ。人道的な立場で糾弾しようとしても、奴隷の労働で農園の経営が成り立っているのだから、地域経済を危機に陥れる可能性があるという理由で訴えは潰されるのではないか? 

基地や原発を支持するかどうかで町がもめるのもそうだが、立場や考え方は、同じ地域に住む人間でも正反対になる。奴隷制の維持か廃止についても、結局は自力での解決はできなかったのでは?という風に理解する。自分が白人農場主だった場合、どのように行動するかろうか?生半可な考え方はできない。

 

 

 

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