映画評

  •  若い人達の映画評は、「やっほーい、見ちゃった!(^□^)゛にゃはは(^□^)゛(^o^)」(゚ω゚)イイヨゥ! のような具合で、おじさんにはさっぱり理解できません。年寄り向けのサイトがあればと考えました。

劇場主

  • 乙女座 AB型 どの占いでも最悪の運勢 内科クリニックやってます。

カテゴリー「は」の39件の記事

2009年12月10日

ハリー・ポッターと謎のプリンス(2008)

- 盛り上げ不足 -

魔法学校にもボルデモートの魔の手が近づいてきた。ハリーとダンブルドア校長は、ボルデモートの謎を探して過去の記憶や秘密の品物の隠し場所を探索する。しかし、敵側はハリーの身近に迫ってきてた。特にドラコ・マルフォイとスネイプ先生の様子がおかしい。そしてついに校内に敵がやってきた・・・

・・・と解説したものの、私はこの作品、全く楽しめなかった。恋愛模様と敵の恐怖、魔法の面白さを絡ませて描こうという意図のはずなのだが、どれも目新しい感覚のものはなかったように思う。

ストーリー的にも盛り上がりには欠けていたようだ。今回は敵が勝利した格好なので、あっぱれ大成功という達成感もない。面白くないはずだ。

したがって、この作品は次回のお楽しみにとっておくべき予告編として捉えるべきだろう。

この作品は家族でも観れると思うが、オススメではない。恋人と観るのもどうか?子供にも見せてみたが、つまんないと言っていた。

ハリー役のラドクリフがかわいらしい時代は良かった。皆が成長して、大きくなった級友たちと比べハリーが頼りなげに見えると、少々主役のインパクトが薄れるのでは? できれば今回もハリーの魔法で何かの勝利を得るように設定して欲しかった。それが盛り上げには必須であるのだ。

それに、あくまで学校内でいじめっ子と戦うから面白いのであるから、マルフォイとその仲間の悪役達をハリーと戦わせないといけない。いじめっ子に復讐する快感が必要で、血を流して倒れさせたのではいけない。やりすぎは不快感につながる。

笑いの要素も不足していた。敵が惨めに逃げ出さないといけないのに。 

2009年12月 8日

パッセンジャーズ(2008)

監督 ロドリゴ・ガルシア 主演 アン・ハサウェイ

- 風になってもいいのでは -

航空機墜落事故が発生。事故後のPTSDの治療のために、主人公は生き残った乗客のセラピーにあたる。乗客の中には彼女の集団セラピーを拒否し、個別の会話を希望する男性がいる。どうやら彼女をモノにしようという下心が見える。他の乗客も何かおかしい。次々と現れなくなる。もしかすると航空会社が事件のもみ消しを図っているのか?彼女にも尾行がついている。このままでは身の危険が迫る・・・

Photo

上は集団カウンセリングのシーン。

・・・作品全体に雰囲気が漂うようにロケ先を選定し、カメラマン、小道具などが全て意志を統一して作ったことが解る。全体の完成度が高い印象。適度なサスペンス、適度なラブロマンス。家族で観ることができるように設定されているし、恋人と観るのにも適していると思う。日本では公開されたのか知らないが、ちょっと派手さには欠けるものの、出来がよい作品。

この作品の脚本は素晴らしい。同じような展開は過去の映画でも使われていたが、この作品は展開が自然で、しかも事件に対する我々の一般的な感情から、同情が自然に生まれる効果もあったので、より解りやすく美しい話になっていた。

相手役のパトリック・ウイルソンが決め手のひとつだったのかもしれない。今までも二枚目としては有名だったが、この作品では冒頭に妖しげで何かを隠している人物として、妙なそぶりを見せているところが上手かった。ショックでおかしくなったのか、何か意図があるのか。もしくは彼の記憶で大きな疑惑が解明されるのかという期待を抱かせる。妖しさがあり、しかも魅力は維持しないといけない。確かな演技力を持っていることが解った。

彼の好演によって、主役の魅力も引き立った印象がある。アン・ハサウェイの本来のキャラクターとは違う役柄だったが、好感は持てた。電話で姉と話すシーンはちょっと演技臭かったような気はしたが、その他は問題なかったのでは?

魂に関しての物語は映画の良い題材だ。

熊本も舞台になった「黄泉がえり」は、我が家の子供達には非常に受けていた。「バニラ・スカイ」も同様だが、少し喜劇やサスペンスめいた味付けが必要なようだ。魂の救いをどのように求めるのか、描き方にはセンスが要求される。宗教的な観念がないと、薄っぺらなものになりやすいかも知れない。単に愛情を描くだけでは、お涙ちょうだいの昼メロと変わらなくなる。

もし無念の死を迎える人がいたら、ぜひ魂は救済されて欲しい。震災や大事故で大勢の人が亡くなると、さぞ無念だったろうと思う。病院でも子供や若い娘さんが亡くなる時には、声のかけようもない。特に親に対しては他人事とは思えない。

遊んでいて下敷きになった子供の蘇生を試みたことがあるが、遊んでいた相手は兄弟なので、明らかに兄弟を殺してしまったということになる。死んでから随分時間がたって来たのだろうと思えたが、あきらめながらも随分長く心臓マッサージをした。

家族にどのように声をかけて良いか解らないので、途中で治療の内容と経過だけを話したが、だめだと解っていたので涙をこらえるのに苦労した。あの子の場合は処置中に魂を意識していた。一種の会話をしているような感覚だった。まず回復は期待できないと解っていたから、心臓マッサージがなぐさめの意味合いを持っていたように思う。

無情なことを言うようだが、死ぬ時には夫や妻よりも、親や子供に対する思いのほうが強い傾向はあると思う。所詮は夫婦は他人であるからだ。

いや、たまたま私の家の夫婦関係が厳しいからそう思うのか?そのへんは解らないが、死ぬ間際に思い浮かぶのは親や子供、その次に恋人の順番が一般的ではないか?私の感覚では、この作品の設定には、だから多少の無理はあると思う。より家族の出番があったほうが納得はいく。

ラストシーンは主人公の顔からのホワイトアウトでよかったのではないか?最後のシーンは不必要な感じを受けた。せっかくだから、そのまま風景、風をイメージさせるシーンに移っても良かったと思う。風になったのだという感覚は、万国共通だから。

さらに言えば、主人公はセラピーを受ける乗客役という設定ではいけなかったのかとも思った。あえてセラピストであることのメリットはあったのか?

 

 

2009年11月 4日

初恋のきた道(1999)

- 感動は・・・ -

監督 チャン・イーモウ 主演 チャン・ツィー

「私」は久しぶりに故郷の村に帰ってくる。父親が急死したからだ。ところが問題が発生。母親は町の病院から父親の遺体を故郷まで担いで帰ると主張する。遠い距離を担いで帰るのは昔からの風習だが、若者が少なくなった村では非現実的すぎる。なんとか母親を諦めさせようと説得する「私」だったが、母親と父親には出会った頃の強烈な思いがあった・・・・

・・・原題は「私の両親」というような意味らしい。それでいいのではないか?「父と母の物語」でもいいような気がする。チャン・ツィーは昔の日本にもいたような素朴な美少女という印象。今の彼女は、ちょっと顔立ちに合わない役が多いような気がする。

一種のおとぎ話。今の日本では難しい話。かっての「伊豆の踊り子」「潮騒」などの文芸作品のような内容なので、山口百恵を最後に死に絶えた路線であろうか?今の日本の製作者達が吹き出してコケにしそうな純愛物語。でも、今でも少女漫画などのあらすじは似たようなものじゃないだろうか?

農村の持っていた安心感、包容力のようなものを感じることができた。話の筋よりも、映画に魅力を持たせるのは、そのような雰囲気であろう。中国も都会に若者が流れて、地方の村は壊滅的な状況にあるのかもしれない。物語は文革などの路線対立の時代に巻き込まれた不幸をちょっと匂わせているようだが、あんまり大きくは取り上げられなかったようだ。

感動は出来なかった。美しい風景や、田舎の雰囲気は堪能できたが、主演の演技はいわゆるブリッコタイプで、自然とは言えないような気がする。やはり中国の演劇学科の舞台向きの演技ではなかったか?せっかくなので中国では受けないかも知れないが、リアルな演技が欲しかった。

憧れや好意、熱情の表現方法が直接的すぎたように思ったが、日本映画のように間接的過ぎるのも良くない。本心を隠すシーンがあると映像的には盛り上がるのだが、主人公は小学生か中学生のような行動パターンなので、観客が心情を想像する部分は少ない。そもそも、知っている中国人を見る限り、概して表現が直接的で激しい傾向はあるようだ。その意味ではリアルだったのかも。

おとぎ話なら少女のように純真にいじらしい行動を取っても好感を持てる。美しい風景と相まって、なかなか良い雰囲気の作品だった。家族で観るといいかもしれない。子供達は退屈するかもしれないが、思春期の少女などは共感する部分も多いはず。シラケルる子は徹底的にシラケるかも知れないが。

現在の映像が白黒。過去の思い出がカラー。これは珍しい構成で、狙いがあってやったはずだが、効果的だったのか疑問。通常なら現在がカラー、過去がセピア色になるはずだが、反対だ。過去の美しい農村での夢物語を強調したいならカラーが望ましく、過疎に悩むうらびれた村が現実なら白黒でもいい。そんな狙いか?全部カラーで、フィルターなどで処理したほうが自然ではないか?

ラストで小学校に生徒を集めて授業するのは、やりすぎではないか?いかにも中国のテレビドラマ的な展開だった。もし、そうするなら村の人達の心配りであることが解るようなカメラワークや解説があったほうが良かったと思う。微妙にセンスが違う。

間の取り方や編集は普通の中国のドラマとは違って、ちゃんとドラマ風にそつなく仕立ててあった。世界共通のテンポで映像が展開する感じで好感を持った。「ワイルド・スワン」のように、男女が混乱で迫害を受ける物語なら、もっと映画的だったような気がするが、そんな展開の作品を中国で作るのは難しい。

 

 

2009年10月24日

バーン・アフター・リーディング(2008)

監督 コーエン兄弟

- 毒が独特 -

スポーツジムに勤務するインストラクターの二人は、偶然拾ったCDにCIAの機密情報らしきものが入っていることに気がつき、これをネタにユスリを謀る。相手は最近CIAを辞めた男で、自分の自叙伝を出版しようとしていたのだが、彼の妻が離婚の準備のために財産目録を作ろうとして、偶然自叙伝をコピーし、これを預かった法律事務所の職員がスポーツジムに落としていたのだった。

ジムの二人は直接本人に会って要求を伝えるが、あっさり撃退されてしまう。新たな情報を得るべく、要員の自宅に忍び込んだものの、意外な人物によって思わぬ展開になる・・・

・・・主犯となる女性が自分の整形の費用欲しさに犯行を思い立つという設定がおかしい。主役級の俳優達が、おバカな役割を一生懸命に演じる姿も傑作なんだが、普段の二枚目像に慣れている観客には驚かれるかも。偶然が重なって結果的には大変な不幸が展開されるのだが、各々の偶然のプロットの仕方が見事で、原案と脚本の作り方にはセンスの良さを感じる。

ドラマ好きには結構受けると思う。ブラッド・ピットのファンにも受けるだろう。おバカな男の演技が結構自然体で演じられている。恋人といっしょに観るのには悪くない作品。でも、日本ではアメリカほどは受けないような気がする。笑いの質が少し違う感覚。家族で観るのはマズイ映画。

スタッフのコーエン兄弟はノー・カントリーなどで良い仕事をしている。センスが良いのだが、やや楽屋受けのきらいがある。少なくとも日本の若い観客には理解のされ方が違ってしまうのではないか?

Bakana_pitto

ブラッド・ピット達は楽しく演じたのではないかと想像するが、ややオーバーすぎたように感じた。本物のバカは自分を賢く見せようとするし、本物のコワモテでなければ、自分を強く見せようとする。その無理さ加減がおかしいのに、バカ丸出しで単純な受け狙いが明らかだった。演出を抑えたほうが逆におかしいような気がするが・・・

喜劇なので派手にやった方がいいかもしれないし、おそらくアメリカの客には今回のように演じたほうが受けやすいこともあるので、多少子供じみた演出になったのは仕方がないのかも知れない。それにしてもブラッド・ピットのバカぶりは絵になっていた。

内容はない。ただおかしいだけ。人間ドラマといった高尚な意図はないと思う。ドラマのためのドラマ。ただし、よく考えて作ってあるので、映画好きの人が観れば独特のシニカルな笑いに満足するだろう。

 

 

 

2009年10月 2日

バス・ストップ(1956)

- 鑑賞に耐えうる -

主演 マリリン・モンロー

カウボーイと酒場の女の物語。酒場の女は、自分では将来はハリウッド・スターを夢見るエンターテイナーと思っているが、観客は彼女そっちのけで会話に熱中する程度のレベル。ところが、彼女を見初めた男がいた。彼は田舎から出たことがない純情男で、いきなり彼女との結婚を求めて、強引に故郷に連れ帰ろうとする。田舎など嫌な女は、周囲の人達の協力を得て逃げようとするが、強引な男によってバスに乗せられてしまう。さて、無事逃げ出すことが可能かどうか・・・

・・・この作品はリマスタリング版で鑑賞。映像はきれい。昔の映画なんだが、テンポも悪くない。いかにも芝居臭いのが気になるが、充分鑑賞に耐えうる映画だと思う。現在の映画よりは遅い部分もあるが、会話の仕方などは自然に近い感じがする。

おそらく定番の舞台劇風の脚本を作って、その企画に手馴れたスタッフが集まって作った感じか?ちょっとわざとらしい臭いがする演出ぶりだった。したがって、若い観客にはあまり好感を持たれないかも知れないが、演劇に興味がある人は喜ぶような気がする。小さい子供に受けるかどうかは解らないが、子供も観れる映画だとは思う。

舞台と人物はちゃんとそろっていた。ロデオ大会で派手なパフォーマンスをやらかす頭のおかしい若者と、困って逃げ出そうとして、かえって目立ってしまう、こちらも多少頭の足りない女。場所の設定としては抜群だったし、キャラクター設定もいかにも愛されそうな人物になっていた。

バス停留所というと、日本では薄暗い陰気なイメージがあるが、この作品ではレストランになっていた。あんな寂しい場所で経営が成り立つのか知らないが、あちらの停留所は広くて明るかった。二階には寝る所もあったようで、さすがに広い荒野を行くバスの場合は、遭難しないように、あれくらいの設備が必要なんだろうか?

マリリン・モンローの演技は良かった。「お熱いのがお好き」よりも自然な演技だったように思う。もともと演技派とは言えなかったかもしれないが、充分にキャラクターが伝わってきて、愛すべき人物を演じていた。彼女が歌っていたら、いかに下手くそでも、客は女のほうを気にしそうなもんだが、ちょっと調子が外れた歌と踊りを無視されるシーンが笑えた。

カウボーイといっしょに田舎で暮らした彼女のその後を記録した貴重な写真がある・・・というのは冗談。

Photo

停留所を思い出す。停留所にはドラマがあった。

子供の頃はバス停留所が駄菓子屋になっている所があって、乗るのが楽しみだった。今でも覚えているのは、カバヤだったか?恐竜のカードが入ったキャラメルがあって、停留所に行くとそれをお小遣いで買うことができるのだ。近所の店に、それは仕入れてないので、そこに行くしかない。新しいカードだと万歳だが、同じ恐竜だとガッカリ。お小遣いの残りを確認しながら、あと一箱キャラメル買ったら来月は買えなくなる・・・難しい選択だ、などと必死に計算していた。

そもそもバスに乗ってるのは虫歯の治療のためなんで、お菓子を喰っていたら意味がないじゃんという理知的考えも多少はあったのだが、目の前のお菓子の魅力には敵わないのであった。

いろんなお菓子があった。割り箸に飴が塗ってあるのは当時でも古めかしい印象があったが、当たりが良く出るので有り難かった。ビンに入ったスルメは、子供心にも体に悪いような感じがして敬遠した。保存料は何が使われていたのだろう。カルミンは、まだまだメジャーなお菓子だった。バッカスというチョコレートを初めて買ったときは大人になったような気がしたが、帰りのバスで酔って吐いてしまった。

駄菓子屋の土間になった空間には長椅子が置いてあって、待っている客同士が世間話をするのだが、今では考えられないほど時間に余裕があったものだ。皆が平気で2時間くらい待っていた。あの椅子の木の色合い、汚れ具合まで覚えている。退屈なので眺めていたからか?でこぼこで、気をつけないとささくれが刺さりそうなのだ。

今は秒単位で動いているので、バスを待つだけでイライラしてくる。乗ることはほとんどない。排ガスの臭いが嫌いだし、客の視線も嫌だ。つり革にはバイキンもいるだろう。熊本市の熊バスの本部は辛島町の角にあったが、日照が足りない構造と排気ガスと人ごみのせいで居心地が悪かった記憶がある。今は随分きれいになった。

 

2009年9月26日

ハイスクール・ミュージカル・ザ・ムービー(2008)

- ハイレベル・ミュージカル -

バスケ部の主将にしてミュージカルの才能もあるトロイ君と、カワイコちゃんだが学業優秀で、歌にも才能があるというガブリエラちゃんを中心とした高校生達が、いよいよ卒業間近となってきた。トロイ君は地元の大学でバスケをやるか、彼女との交際を続けるか悩む。いっぽうのガブリエラちゃんも、名門大学か交際か悩む。卒業ミュージカルの練習とともに、ストーリーは進む・・・・

・・・歌も踊りも、バスケシーンもレベルが高く、感心してしまう。あちらの業界の底の深さを感じる作品。万人向けで、さすがにディズニー。家族で観ても、恋人と観ても結構楽しめそうな気がするが、内容が深いとは言えないので、あきれる人もいるかも。

出演者達は20~25歳になってきている。さすがにハイスクール生を演じるのにも無理が来つつあるが、演技は典型的なドラマスタイルで嘘くさいが、上手いし、踊りも歌も本当によくできていた。スタッフが培ってきた長年のシステムが出来上がっているのだろう。

カメラワークにも相当な工夫がしてあったようだ。主人公が歌いながら踊るシーンではタイミングやクレーン操作などに関しての設定を相当に繰り返し調整する必要があるはず。さながら過去の傑作ミュージカルの名シーンの連続だった。

ラストの屋外での大勢での乱舞は迫力があったが、衣装がダボダボのままでは、せっかくのダンスの良さが解らない。したがって、中心の人物達だけでもマントは脱いで踊るべきだったのでは?

それに踊りは通常屋内でやることが望ましい。なぜか知らないが、屋外では映えないのだ。照明などの設定がしにくいような気がする。群舞で映えるのはマーチングバンドの行進や、マスゲームのような場合だけだ。無理があった。

知らないのだが、ディズニー・チャンネルという番組枠があるのか?たぶん30分くらいの短時間の番組がふたつくらいあるのだろう。ハイスクール・ミュージカルとシークレット・アイドルという具合か。昔は日本でも放送されていたような・・・

日本でも高校生が主人公の番組は時々あるが、ここまで踊りの比重が多い作品はない。ミュージカルの土台がないから、ダンスが上手な学生がいても活躍の場は限られている。たまのダンス大会くらいか?それでは、将来これでメシを食っていこうという人が育たない。

ショー・ビジネスで生きるのも悪くはないと思う。何かに才能を感じ、それに賭けることができれば良い社会ができる。いろんな生き方ができて冒険できること、そして社会的セーフティネットがしっかりしていて、失敗しても最低限の生活はできる。医療費と住居費、食費くらいは確保されているという安心感があれば、まあ良い社会だろう。

仮に自分に歌や踊りの才能があると感じたとしても、今のようでは勝負する気にはなれない。下手すると一生バイト生活に陥りそうだからだ。あんまり保護が効きすぎると、仕事や勉強を頑張る人が減ってしまう。熱病にかかったように、それでも勝負したいと感じるならできるなら良い。

日本の生活保護のシステムは、一応のレベルにあると思う。でも誇りを持って生きていけることは大事だ。収入は多いほうが良いが、好きなことに徹したという自負も大事だ。自分が家族を養っている、または家庭を切り盛りしているという自負も必要だ。

派遣社員でやっと生活する程度では誇りを持つのは難しい。

 

 

2009年7月12日

ハッピー・フライト(2003)

- 売りは何? -

主演 グゥイネス・パルトロウ

田舎町で育った主人公は、念願の外の世界に恋人といっしょに出る予定だったが、突然フラレてしまう。目標を失った彼女だったが、偶然興味を持った本に触発され、フライトアシスタントを目指すことにする。入った会社はローカルの航空会社で、制服はスケベが喜びそうなもの。でも彼女はチャンスを待って国際線に進出しようと考えていた・・・

・・・原題はトップに立っての眺めといった意味だった。彼女は結局国際線のスチュワーデスになることに成功するが、そこで得たものは意外にむなしく、求めるものは他にあったという、どこかで観たような結論であろうか。同名の日本映画が最近あったが、リメイクではないようだ。

チョイ役でロブ・ロウやケリー・ブレストンが出演していた。マイク・マイヤーズが変な教官役を演じていたが、あんまり彼の存在意義は解らなかった。映画の趣向、狙いが今ひとつ解りにくい。グィネス・パルトロウの成長や感動を中心に描くための映画なのか、もしくは完全なる彼女のショー的な作品なのか、どちらの視点で観客が待っているべきかが最後まで分からなかった。

爆笑のドタバタコメディを狙うなら、スチュワーデス仲間との競争を描かない手はない。激しいライバル意識によって自分こそ国際線に行きたいと互いの足を引っ張ったりする様はおかしいはずだ。だが、この映画では一人だけが悪さをしていただけで、おかしくはなかった。

ドタバタなら、マイク・マイヤーズにはもっと活躍してもらっていい。教習所の場面を中心としたストーリーで、パルトロウの下着シーン、水着シーンを繰り返し写さないといけない。ダンスもがんがんやるべきであるが、なぜかプロモーションビデオ風に撮影はされていたものの、本編では割愛されていた。もったいない話である。

おかしさや美しさ、お色気や恋愛など、色んな要素を盛り込むのはいいことだが、うまく整理できたかどうかが後味に響いてくる。この作品で満足する人は多いだろうか?

パルトロウのキャラクターは、かっての大女優達のようなおしゃれな雰囲気である。水着でダンスするキャラではない。おしとやかなドレスに身を包んでパリの街角を散歩して初めて意味がある。もし、この作品のままで主役を選ぶなら、彼女よりも三枚目の女優を選ぶべきではなかったかと思う。もし彼女のままでやるならば、ファッション雑誌さながらに色んな衣装でパーティーやカフェを歩かせるべきだった。

ハイソな男性と付き合って、「何か自分の求めていたものと違う」と認識するような真面目な路線のほうが、彼女には合っていたのではないか? 美しい恋愛映画ができたかも知れない。

または努力して登りつめたのに、思わぬ誤解で立場を失い、傷ついてしまう不幸な物語なら彼女への同情を得ることが期待できるのに・・・

ラストでもハッピーエンドのおまけが付いていたが、意味合いとしては結局上昇志向以外の面の掘り下げというか、恋愛の重要度はせいぜい仕事に疲れたときに思い出すから寄りを戻すくらいの価値しか認めないという結論とも取れるので、私には好感を持てなかった。

大事なパートナーを優先に考えるなら、子供達といっしょに赤いセーターを着ているシーンのほうが幸せそうではないか?私の個人的な趣味とも言えるので、やはりキャリア志向の女性にはあのラストシーンがいいのかもしれないが。

キャラクターとは外れるかもしれないが、ミニスカート姿を全編にさらして、お色気全開の爆笑物語にする手もあった。彼女としても可能性を拡げる意味で、もともとのキャラクターにこだわらない役柄をやりたかったのではないか?

キャンディス・バーゲンは懐かしい。彼女は知的女優として独特の存在だった。特に女性達からの支持には固定客を持っているかのような安定したものがあって、「尊敬されるべき先輩役」にはうってつけの感がある。この作品でも。ちょっとオーバーで出すぎの感じはあったが、立派に存在感を示していた。

 

2009年3月26日

パコと魔法の絵本(2008)

- マセガキではだめか? -

頑固でイジワルな老社長は、記憶が一日しか持たない少女パコと知り合う。彼女の思い出のために、社長は病院スタッフや入院患者たちに声をかけ、「ガマ王子の物語」の劇をやる。しかし、この劇の役者達の変人ぶりは、激しかった・・・

・・・念の入ったホームページを拝見し期待していたが、やっとDVDが発売されたので観賞。これは、いい作品だった。

演出家の後藤ひろひと氏の劇を映画化した作品らしい。非常に面白かったのは、もともとのアイディアが良かったからだろう。いかにも舞台で受けそうな感じがする。

監督の中島哲也は、きっとティム・バートン監督の影響も受けていると思うが、激しい色彩と著しく変形した構造物をギャグっぽく使うのが好きな人である。役者達の演技も、エキセントリック過ぎるくらいに激しい。舞台で大声でやったら、迫力が出て観客も大喜びしそうだ。ギャグには漫才の要素もあって、今日のエンタの神様などのコントと全く同じようなネタもあった。

最近の漫才の番組では、よく演劇出身と思える若者が、ギャグ満載の劇をやっている。いろんなタレントが次々と出てくるので、たまにしか観ない私は覚えきれない。でも、結構良くできていると感心することが多い。

観客もほとんどがテレビの漫才やコントを日常で見ているから、受けるべきところも解るし、仕掛けやどんでん返しの予感のようなものが解るのでストーリーも予想でき、製作者達の意図も解りやすいはずである。この作品はテレビのエンタの路線をまとめたものかも。

このスタイルでは、コントのような演技が最高に映える。このストーリーを真面目な表現で淡々と演じるのでは、役者の演技がいかにも役者くさくなって、とんでもない駄作になってしまう。極端な声の張り上げ方をすれば、そんなケチもつかない。だから、この映画のような極端な演出法しかなかったと思う。

パコの話し方が気になった。子役らしい発声法で、大変にかわいらしい子だったが、この作品の性格に合っていたのか?生意気なクソガキのほうが、かえって可笑しくて、ラストには悲しくなる効果は期待できないだろうか?

主人公の爺さんも困るくらいのヒネた子供が、途中で急に泣き出し、「僕は死にたくない!」などと叫ぶシーンがあったら、そりゃあ映画のレベルが変ってくる。そんなクサイ路線は嫌だったのか?せっかく作るなら、狙ってもいいような気がするんだが・・・

この作品は家族で観れる。今の子供にも受けそうな漫才的なギャグが満載だ。若い恋人にもOK.でも、年寄りは、最初の時点で敬遠してしまうかも。

2009年3月 6日

ヴァン・ヘルシンク(2004)

- 佳作? -

ヴァン・ヘルシングは記憶を失っているところをバチカン当局に拾われ、今は怪物を退治するプロになっている。

彼に現地の仲間を助け、ドラキュラを退治せよという指令が下る。さっそく新しい武器を持って仲間と旅立つ彼だが、現地では厄介者扱いをされる。しかも襲ってくる吸血鬼達が手強くて劣勢が続く。

ドラキュラ達は何かの実験をしている。彼らの根城にいったヘルシングは、恐ろしい計画に気がつく・・・

・・・主演はヒュー・ジャックマン。現在、この種の映画では最高の迫力を見せる役者だと思う。独特の暗い雰囲気が過去のトラウマを表すし、表情がはっきりしているので観客に訴える力がある。出演作で最もヒットしたのはXーメンかと思うが、この辺の説得力が充分に発揮されていた。彼なしでは、あのシリーズはありえない。他の役者は代替可能だった。

いっぽうヒロインのケイト・ベッキンセールは、私には?だった。もちろん大変な美人で色気もたっぷりだったが、この役に合っていたのかどうか?少しまぶたが重そうな色気のある顔が、この作品のヒロインのイメージとは合わなかったような気がする。

彼女の衣装にも疑問を感じた。おっぱいの部分が目立つような服装だったが、あれはかえって逆効果だ。むしろお尻のラインを強調したワイルドな衣装か、完全に体にピッチリしたボンテージ風のほうがスケベ男の興味を引いたのではないか?こんなことクドクド論じている自分こそ、完全にスケベ丸出しであることに気がつくが。

飛び交う吸血鬼たちの映像は良かった。この手法は独特だ。顔が急に変わって、口が大きく開く化け物は、「アイ・アム・レジェンド」や「リーグ・オブ・レジェンド」にも出てきた。私の感覚では頻回に見せないほうが効果的だと思うが、彼らは気にしていなかったようだ。美しい女の姿と化け物の姿の変身も自然で、見事なテクニックだった。

でもドラキュラ役は迫力がなかった。目に力のないドラキュラなどありえない。どんなに小柄で、やさおとこでもいいから、目だけは怖い役者が望ましかった。さらに、もっと魅力を上げて主演を喰うくらいの位置づけだったら面白くなったと思う。   

話の筋はちゃんとしていて、盛り上がりも自然で役者達の必死の形相も充分に高いレベルだったと思う。いまひとつ大ヒットしなかったようだが、もともと大ヒットを狙うテーマではないので、結構な佳作と評価すべきと思う。

家族や恋人と観ても、それなるに面白いのでは?

2009年2月17日

ハンコック(2008)

- 楽しめる -

ハンコックはロスアンジェルスの嫌われ者だった。スーパーパワーを持っているのだが、やることがメチャクチャで、犯罪者を捕まえるいっぽうで町を破壊していた。

しかし、ある時、広告代理店勤務の男と知り合い、彼の勧めで更生しようということになる。刑務所に入って言葉使いなどもトレーニングし、本当のヒーローを目差そうとしたが・・・

・・・前宣伝が凄かったので、この作品には期待していた。やっとこさビデオを借りて(40-50本、全部借りられていたので、なかなか借りられなかったのだ)、観ることができた。

ハンコックが酒びたりでヒンシュクを買うシーンがおかしかった。2月17日昼には中川財務相が辞意を表明したらしいが、国際会議で薬物によると思われる「酔っ払い」風の映像を見せてしまっては仕方がない。誰かの陰謀かと思ったが、そうではないらしい。

周辺のスタッフには気が効くヤツはいなかったのか?会話がおかしければ大臣を会見に出させないような配慮くらいはしないといけない。もちろん、大臣自身も会見を体調不良のために辞退する判断をすべきだったと思う。

映画は、CGのできは素晴らしい。さらにクレーンなどを使った実写との連携も実に自然にできていて、観て楽しむビジュアルの面では最高の出来であった。さらに、ウィル・スミスが心に問題を抱えている様子を上手く、しかもメチャクチャな行動で表現していて、ユーモアや演技もなかなかのレベルだったと思う。

いまひとつ盛り上がりに欠けたのは、最後に事態がひっ迫する、危機が増幅するような盛り上がり方ではなかったことか?全体のストーリーに問題があったと感じた。アイディアはバツグンだった。嫌われ者の無茶なヒーローがやらかす失敗と、人々が彼に投げかける罵声が面白かったので、エピソードをよく考えれば素晴らしい傑作シリーズになったと思うが、今回の作品を観る限り、続編を作るのには無理があるような気がする。「また続編を観たいな」と思わせられないような作品は、やはり失敗と思うべきではないか?

シャーリーズ・セロンの使い方が良くなかった。

原則から言えば、彼女の役割は主人公の盛りたて役であろう。したがって、できれば最初から敵か、もしくは黒幕として最後に本性を表わして観客を驚かすような存在であるべきだ。今回の作品では、そのへんの基本的な設定がおかしかった。

できれば、もっと目立たない小柄できゃしゃな感じの女優が彼女の役を演じて、例えば強盗の人質になって、主人公が彼女らを助けるか、自分の名声を犠牲にするかの二者択一を迫られ、やむなく犯人の要求に従おうかとした瞬間、怖ろしい本性を表わして主人公より凄いパワーで犯人を血祭りにするといった展開のほうが面白かったと思う。

つまり最初は皆に嫌われる主人公。次は何かのきっかけで人間達と仲良くなりたいと考える展開。すったもんだのギャグの後で、とうとう皆のヒーローになる主人公。続いて本当の危機が訪れる。友人の家族が人質になる。犯人の要求を聞いて犯罪の手助けをしようとしたが、「しょうがねえなあ、本当のアタシの力を見せてあげる」ってな具合に主人公が知らなかった事実が明らかとなるってな話が普通だろう。

さらに、ギャグ的な要素を取り入れるなら、主人公にバカにされ、呆れられているようなおばあちゃんもスーパーウーマンで、実は主人公を作った神様ご本人で、主人公を最後に叱責し、「テメエのケツに頭を・・・」などと怒鳴って、更生させるなんて面白い。

観客が主人公に共感できないとヒットは難しい。主人公の孤独感、悩みが一般的な悩みと共通する部分がないと共感は得られない。したがって、そのへんの表現ができるような、エピソードを散りばめて、自然に主人公と同じような感覚でになり、共に戦い、共に涙するような設定が望ましかった。

通常なら、人間に受け入れられるために、掃除や奉仕活動など、およそ似つかわしくない行動を強制される話が欲しかった。さらには賛美歌コーラスなど、歌手のウィル・スミスが「下手くそ!」などと怒られるエピソードも常道ではないか?そんな情けない体験を主人公にさせないと、共感は望めない。共感がなければ、最後の爽快感もない。

終盤に、さすがの主人公も敵わないような脅威が訪れることが必要だとの認識はあったようで、画面でもピンチらしき場面はあったが、設定に無理があった。ハンコック相手に銃を持って戦いに来るような人間はありえない。彼が弱っていることを強調したセリフが必要だった。

この作品で、観客は涙できたろうか?ありえないと私は思うが・・・

でも、娯楽作品としてはよく出来ていた。映像面だけなら一級品だと思う。したがって、家族や恋人と観るのはオススメ。楽しめる。

 

その他のカテゴリー

| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | 映画評