映画評

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カテゴリー「は」の99件の記事

2017年4月11日

博士の異常な愛情(1963)

Columbia

- Dr.Strangelove or..... -

空軍基地の司令官が発狂し、核攻撃を命令した。政府や部下が命令撤回を画策するが、事態はどんどん進む・・・・

・・・核兵器の恐怖を扱ったブラック・コメディ。原作本があるそうだが、キューブリック監督が大胆に作風を変えて喜劇仕立てにしたという。ピーター・セラーズやジョージ・C・スコットが大まじめに演じていて、それでかえって喜劇的になっている。演じられたのは古いタイプのギャグだが、アイディアにあふれる作品。

邦題は博士の名前から採られているが、その博士は脇役に過ぎず、ドイツ名を英語に直訳した際に名前がおかしくなり、笑われながらも嫌われるキャラクターを、そのままタイトルに使ったようだ。皮肉の意味だろう。軍事技術の専門家を象徴し、茶化したといったところらしい。でも、いかに茶化しても、この人物のような専門家は、必ず会議に呼ばれて意見を聞かれるだろう。

冒頭のクレジットが非常に読みづらい。適当に殴り書きしたような文字で、しかも構図がおかしいので、クレジットの意味を成していない。作品がいちおうコメディなんで、クレジットの部分は重厚に、真面目くさって表示しても良かったのではないかと感じた。斬新と言えば斬新だが・・・

映像の技術に関しては、さすがに古い。テレビのSFのレベルと、あんまり変わらないような気がする。当時の技術では、あれが限界だったのかも知れない。1980年ころから急速にCGが進化したのだから、技術面に関しては旧時代のもの。アイディアだけで勝負していたと言える。

アイディアは素晴らしい。その後のSF映画に、この作品に影響された作品は多いと思う。ちょっとした偶然や、ひとりの人間の狂信的な信条が、破滅の原因になる可能性は確かにあると思う。あるいは、様々な検討を重ねて作戦に落ち度がないようにしたはずなのに、想定外の事態によって最悪の結果が出る、それもありうることである。

米国の戦略会議の様子がおかしい。好戦的な将軍が、先制攻撃をしたがる。その理屈には一定の道理があり、説得力が感じられる。まるで戦前の日本軍の参謀のような理屈。でも、肝心な部分の配慮、深謀遠慮に欠けると、この映画のような結果が待っている。将軍になるような人物は野心があって、サイコパス的な性格を持つ人が多いはず。理路整然と間違う人物も多いだろう。将軍は自分の戦績が大事だし、技術の専門家は最新の武器を使って、その威力を誇りたいはず。

先日、米軍はシリアの基地を攻撃した。シリア軍が毒ガスを使ったらしいことに反発したようだ。まさか本格的に参戦する意図はないと思うが、もしロシア軍が基地にいた場合は、かなり怖ろしい事態に進展するかも知れない。あっさり手を引くとメンツがつぶれるから、より厳しく攻撃して優位のうちに撤退したいと双方が考えているとすると、どんどんエスカレートするかも知れない。破滅、破綻が来ないという保証はない。

破綻で思い出した・・・・東芝が危機的な状況らしい。

事業を分社化し、売却などによって乗り越えようと努力はしているそうだが、超優良企業だったはずの東芝が、こんな急展開で破滅の危機に瀕するとは、まさしく想定外のこと。劇場主は、まったく予測していなかった。経営会議では、いったいどんなことを話していたのだろうか?興味がある。各々の役員達の業績争いや、忖度合戦に終始し、大事な判断を間違っていなかったろうか?

原発事業には大きな危険が潜んでいる。それくらいは素人でも分かるが、それにしても急な話。劇場主の感覚で思うのは、自然エネルギーに賭けるなら許せるが、原発に賭けて失敗したのなら当然の結果なのかも知れない。判断の失敗には違いないのだが、金銭面以外を含めた総合的な面では違う。会計操作の問題もありそうで、企業倫理の観点からも自業自得ではという印象も浮かぶ。

でも、東芝で働いている人達にとっては大変なこと。会社の首脳部が、おそらくは運も悪かったのではあるが、結果的に無茶な事業に投資し、保身目的の粉飾をやって、それで逃げ切れると判断したツケが、部下達に回ってくる。社員達はちゃんと仕事していても、運によって今後、酷い目に遭うかも知れない。

営利企業だから当然のこと、大発展もあれば惨めな破綻も当然と言えばそれまでではあるが、東芝の製品や、スポンサーだった日曜劇場、サザエさんになじんできた者としては、感傷的にならざるをえないものがある。願わくば、惨めな破綻が来ないよう、祈るばかり。

 

 

2017年4月 8日

ハドソン川の奇跡(2016)

Sully_2

- Warner  etc -

エンジントラブルにもかかわらず、奇跡の不時着に成功した機長。しかし本当は判断ミスがあったのではという疑惑が起こり、一転して彼は窮地に立たされる・・・・

・・・・DVDで鑑賞。この作品が劇場で公開されていたのかは分からなかった。2016年は地震で大江のグランパレッタが閉まっていたので、劇場公開作品はほとんど観れなかった。ただし、この作品が仮に上映されていても、観なかったように思う。マイナーな路線だったから。

完成度の高い作品で、話としてまとまっていた。極めて重大な事故ではあったが、実際の事故の緊迫した時間は十数分間程度に過ぎないから、サスペンスだけで盛り上がりを続けることはできない。演出でもって120分に延ばすしかないから、ほとんどの時間帯は静かなドラマタイムになる。そこで退屈させないのは、非常に難しいことだ。

この作品は、家族で鑑賞できる内容と思う。ただし、おそらく小さい子には、もうちょっと派手なアクションがないと受けない。でも恋人と観るのなら、かなり高級で後味も良い作品になると思うので、悪くはない選択。ただし、ちょっと退屈する人がいるかも知れない。

実際の事故後の公聴会はどんなものだったろう。映画の通りだろうか?それとも、英雄視されている機長に対して、検証委員が最初から好意的な態度で検証してくれたのではないか?・・・・そんな気はした。もし彼を排斥でもしようものなら、国民の多くから集中攻撃をくらいそうだ。

日本の事故調査がどのようなものかも、気になった。日本の航空機事故で、公聴会は開かれるのだろうか?日航機の墜落事件の時、どこで検討会が開かれたのかも知らない。圧力隔壁に問題があったとの報道は読んだが、もしかすると密室で、会社や役人だけで検討したのではないか?それに当時は、たまたま製造会社が直ぐに過失を認めたから結論に至ったような印象を受けた。正しい方法で検討されたのか?

繰り返し述べることになるが、日本的な悪例として思い浮かぶのは、原発事故の事後評価だ。検討会の人選の根拠が、そもそも不明朗だった。国会事故調のHPを見る限り、委員が過去に事故を予測していたとは書かれていないようだ。原発推進派の人間を集めた可能性も否定できない。検討会では、菅総理を始めとする当時のスタッフの対処を延々と批評しているが、焦点がずれている。総括されていない。あんな検討で、次の事故を防ぐのは無理だろう。

総理がどんなにバカでも、自動的に対処法が提示され、総理は「うん、分かった。仕方ないねえ、実行しろ。」と言えるようにしないといけない。政治家に原発のことが分かるはずがないからだ。事故対策は、政治家の出番がないところまで目指して、事前にマニュアルを作り上げることが一番大事。おそらく、もう一度同じ事故が起これば、さほど変わらない結果が待っているだろう。

確かに官邸もおかしかったと思う。官邸の正しい対応は、素早く専門家を集め、その指示に全面的に従うこと!と号令を出すことにあった。自分達の能力を超える事件に対して、自分達で対応しようとしたのは間違いである。実際には専門家達も為す術がなかったようだが、官邸は専門家会議の答申を代弁し、命じるだけに徹するべきだった。

そもそも事故は、起こってはならない。電源が失われる可能性を、ほぼゼロにしないといけない。大海に面するということは、20メートルくらいの津波を覚悟するということである。その程度なら何の被害もなく、M6強程度の地震も瞬時に対応できないといけない。福島第一原発は、明らかに立地が悪く、建て方も言語道断、計画の段階から事故は約束されていた。作ったこと、作り方が事故の主因である。さらに検討するなら、地震国に原発を作って良いかの問題であり、これ以外の結論を出してはならない。

第一原発で事故が起こったら、菅総理だろうと安倍総理だろうと、誰か原発の専門家だろうと、何も出来なかった。炉心が融解を始めた時点で、もはや勝負は決まる。それ以外の結論を出すようでは、検討会議そのものが失敗だ。将来の役に立とうと考えていない人間が検証したと断言して良い。今後の国家のことより、何か他の事を考えたのだろう。得意の忖度をしたのだろうか?

忖度する人、させる人、忖度を容認する人を選んではならない。大失敗を生む。サリー機長のように使命に忠実に行動し続けないと、必ず大失敗を繰り返すはずだ。

 

2017年2月28日

パーフェクト・ルーム(2014)

The_loft


- エロティック・サスペンス -

友人達が共同で購入した秘密の部屋。そこは愛人との密会に使われる・・・・が、ある日、部屋で女性の死体が発見された・・・

・・・リメイク作品だそうだ。DVDで鑑賞。

謎解きの要素が大きいエロティック・サスペンス路線と言える作品。まず冒頭に死体が出てきて、誰が殺したのか?という不可解な謎解きが始まる。密室に近い部屋だから、仲間以外に犯人は考えにくいが、実は侵入は可能だったのか?・・・といった流れ。

よく考えられたストーリーだった。色っぽい女優達が出演し、セクシーなドレス姿やプールで泳ぐシーンが見せ場になっている。タヌキ顔の女優さんは大変にスタイルの良い方だったが、イザベル・ルーカスというオーストラリアのモデルらしい。

彼女のキャラクターがよく分からなかった。肉食系で、多くの男に色気を振りまく恋多き女なのか、一途な愛を求めている女なのか、演出としては何か考えてあったのだろうか?ただスタイルが良いだけでは、印象が薄くなってしまう。

もうひとり、謎の美女も登場していて、こちらはレイチェル・テイラーという、やはりオーストラリア出身者だそうだが、彼女のほうは役柄と演技が合致し、個性が一貫していたと思う。だが、深く共感することは難しいかも知れない。彼女はあくまで脇役だった。

仮に悪女として演じていても、同情し、共感できる個性でないと、せっかくの美貌も意味が薄れる。やむをえず何かに荷担したのだと、最後に明かされるべきだし、ただの金銭的な仕事だったりはしないほうが良いだろう。

結局、この作品は家族で楽しめる可能性はまずない話になっていた。さすがに子供に、こんな映画は見せたくない。恋人と鑑賞するのも、ちょっと考え物だと思う。話題にすると、喧嘩の材料になりそうな気がする。

疑問が浮かんだ。人の手を切る場合、自殺目的ならば静脈が切れる程度の浅い傷になり、血が噴き出すことは考えにくい。でも、死んだ人の手を切る場合は、加減はしないのではないか?そうなると血が噴き出すから、動脈が切れたと気づくのではないか?

監視するためにパソコンを持ち込んでいたが、通常あのようなビルの場合、空調や配管の管理のために、あの場所に管理人が頻繁に訪れるはず。そうでないと、水漏れなどを管理できない。

そして、部屋はどうやって掃除していたのか?自分で掃除するには、部屋が広するように思えた。掃除人を雇ったら、直ぐに足がつくというものだ。逢い引きより掃除に時間を要していたのかも知れない。

そう考えると、パーフェクトルームの維持は大変だ。もっと狭い部屋のほうが楽になる。眺めの良いことは望ましいが、ベッドと冷蔵庫、シャワールームのある1DK~2DKくらいが現実的だったかも知れない。ただし、狭い部屋だとロマンティックな感じは薄れ、単に性行為に専念する場所になりはてるだろう。安いラブホテルのような感じだろうか?

まあ、逢い引き部屋など持ったこともないし、持つだけの甲斐性もない劇場主が心配しても仕方ない。文句があれば、広い部屋を買ってみろと言われそうだ。正直、若い頃は愛人が持てるくらいの大人物を目指していたのだが、どうやら甲斐性のない小市民で終わりそうだから、この作品のような話は夢のまた夢であろう。でも30代頃に、リーズナブル価格で良い物件があったら、どう行動したろうか?理性的に行動できたか?そこはミステリー映画なみの謎なのだ。

 

2016年11月19日

バイオハザードV:リトリビューション(2012)

Residentevilretribution

- 家族で? -

バイオハザードシリーズの第5作?6作? リトリビューションは報い~天罰の意味らしいので、アンブレラ社の行為によってゾンビが地球を支配している状況を差しているようだ。例によって、ミラ・ジョボビッチ嬢がヒロイン。

劇場公開されたと思うのだが、最初からゲーム映画なんぞ観る気にはなれないので関心もなく、宣伝の有無も覚えていない。そもそも第5作なのか?もっと作られたような気がしてならない。DVDも借りるつもりはなかったのだが、他に適当な商品がなくて仕方なくレンタル。でも、いつにも増して高度なCG表現には感心したし、アクションシーンの出来も相当良くて、それほど呆れることはなかった。

今回はゾンビ達の出番が限られていた。日本人ゾンビが中心となったシーンが少しあった程度。戦う相手はアンブレラ社のコンピューターに操られた兵隊が中心だったので、戦争映画を世界各地でロケしたような格好になり、それなりに良い方向になったのかも。ゾンビ顔ばかり長時間眺めても飽きる。

冒頭で長い時間の逆回し映像があったが、あれは思い切ったアイディアだった。迫力の面でも、観客の記憶へのつなぎの意味でも実に効果的。映像美を感じるシーン。

ただし、この作品は所詮ゲーム映画なんで、恋人と観るタイプの作品ではない。子供達だけで観るなら良いかもしれないが、家族でゾンビ映画を観る習慣がない我が家では、この作品を子供といっしょに観ることは考えられない。家族がゾンビ大好きな家庭は、存在するんだろうか?幼児がゾンビを観てウヒウヒ喜んだら、なんだか怖ろしい気がするが・・・

主要都市のモデルを舞台にヒロインが戦うという設定は良かった。同じようなアクションばかりでは飽きる。時にはカーアクション、時には怪物との追走劇、兵士との銃撃戦と、色々なパターンを場所を代えながらやる設定は正しい。ちょうどゲームのステージと同じ感覚で設定されたんだろう。兵隊もののシューティングゲームでも、ステージをクリアするごとに次の敵が待っている。ゾンビだったら次は大型の怪物、途中で昆虫の大群やピラニアみたいな魚、最後のステージでは撃たれても倒れない強敵といった具合。

ミラ嬢は実にタフ。この作品の前には確か出産をしているし、齢も40歳近くなってきたはずだ。スタイルも保っているから、相当頑張って節制しているのでは?もともと結構ボーイッシュな人なんだろうが、それにしても凄い。結婚相手も、出演作によって決めているのかもしれない。

元々はウクライナから移住し、世界をまたにモデルとして活躍した後、フランス系監督の映画に出演し、ついでに結婚。さらにシリーズ物に主演して、その作品の監督と結婚、ついでに出産という経歴。これは、やはりサクセスストーリーなんだろうか。肉食系もいいところだ。

ミラ嬢の表情が素晴らしいと思う。絶対的な強さではなく、恐怖や緊張感を漂わせる目が作品にも緊張感を持たせている。妙にタフぶって気取ってしまうと、観客の感覚とのズレが生じてしまうから、ミラ嬢の表情は作品をちゃんと理解しているからこそ出来るものだろう。

他のアクションヒロインは、女版のブルース・ウィリスのように目を細めたり気取ったポーズが目立ち、緊張感を持たせる意義を見失っている。ミラ嬢は独特のアクション・ヒロインであらせられる。出演作の傾向から考えるとゲテモノ女優に近いが、的確な演技はしていると思う。もしかして齢をとったら、素晴らしい名演技に驚く日が来るかもしれないと思う。悪役として、きっと長くやっていけるはず。

出演作の、どの映画でもおよそアクションの仕方は決まっている。刀や槍が飛ぶのをスローモーションで立体的に写しているし、ワイヤーアクションで空中を飛び、強敵から吹っ飛ばされた場合も数メートルは平行移動する。下着かボンテージ衣装に必ず衣装替えする。銃は二丁拳銃。いろんな要素を合体させて作ることがゲームの約束のようなものだから、それを映画化したら当然こうなるのだろう。

カーアクションのレベルは高かったと思う。バイクで追走してくる兵士は非常に運転が上手く、兵士が普段から運転の練習をしているのか不思議だが、おかげでアクションの迫力は出ていた。

このシリーズはいったいどこまで作られるのだろうか?おそらくミラ嬢の風貌に限界が来たら、いったん終了せざるをえないのではと想像する。その後も作られる場合は、スピンオフで他のキャラクターが戦うか、ヒロインを変えるか女優を変えるしかない。ヒロインが交代したら、よほど魅力的な女優でない限り、イメージ的に拒否反応が出ると思う。

 

 

2016年11月13日

パットン大戦車軍団(1970)

Patton


- 暴言 -

生粋の軍人パットンは北アフリカに赴き、現地の部隊を鍛え上げ、ドイツ軍を敗走させる。しかし、彼の言動が問題になり、左遷の憂き目に遭う・・・・

・・・・11月1日、衛星放送で鑑賞。激しい性格のパットンの、その生きざまを非常に強烈に描いた作品。ちゃんと史実を踏まえた話らしいのだが、娯楽的になるようにドラマ仕立てで展開する。大戦時期の生存者が多かった時代なら、この作品は自分達の時代の話として興味深いものだったろうと思う。でも、今日的には興味をそそられる内容とは思えない。家族で楽しめる内容とも思えない。

ギリシアあたりの演劇のように、冒頭で星条旗をバックに登場するパットンが格好良い。実際の訓示でも、役者がかった話し方をする人は多いが、特に軍隊の指揮官の場合はその傾向が強いだろう。話の内容、話し方に個性がよく出ていた。あの始まり方も秀逸だ。

強烈な個性の主人公は有名だったらしいから、映画化したいという動きは昔からあったようだ。作品になるまでに20年以上経っているのは、家族が嫌がったかららしい。確かに、ほとんど狂ったかのように戦場を好む性格は、ギャンブラーに通じる病的な面を感じる。

仮に本当に病気だとしても、その個性が生かされる場合はある。第二次大戦の場合、パットンのような軍人は最高の活躍を狙える場所だった。同じ戦争でも、ベトナムやイラクでは戦い方が違う。もしドイツ軍がゲリラ戦法で戦うなら、連合軍をもっと苦しめることもできたろう。大兵力の激突タイプの戦場なら、パットンは得意のはず。

「地上より永遠に」などの作品を観ると、米軍内部でも激しいイビリ行為があったらしい。昨今では、多くの女性兵士が襲われていると言う。殺気立つ組織では、規律は維持されにくいものだ。正当な指示なのか感情的な命令なのか、分かりにくい場合も多いと思う。

劇場主は中学時代に、上級生から理不尽なイビリを受けたが、彼らはどんな精神で、下級生いびりをやっていたのだろうか?本当のところは理解できなかった。

おそらくパットンは、理不尽なほどの訓練をやったに違いない。パットンの頭の中も分からないのだが、戦場においては、激しい訓練も必要だろう。耐えられないと大勢が命を失う。ただし、彼の指揮下にいた場合、兵士としては苦労し、生存確率も低めだったかも知れない。直感的なセンスに優れた有能な戦略家、勇気あふれる軍人だったようだが、かなり無謀だったとも思える。

パットンは、カエサルのような偉人と同じような気分でいたのではないか?そのような気分にいれば、マイナス思考をしないので、能力を充分に発揮し、戦勝を得る可能性が高まる。ただ、同じような感覚の軍人は各国どこでもいたはずで、相手だって同じだったかも知れないから、負けるときは当然負けるわけだし、戦績は運に左右されたケースも多いと思う。

それにパットンの場合、アイゼンハワーと知古でなかったら、左遷されて終わりだったかも。ただの暴言軍人で、名を残さなかった可能性が高い。運は大事だった。

さて暴言と言えば、次のアメリカ大統領がトランプ氏に決まった。五分五分の戦いと言われていたが、米国民の感覚は違っていたようだ。暴言を繰り返し、税金逃れをやっていても、今の政策を変えるべきと判断している。政権が交互に来ることは、権力が固定化しない点では良いこと。日本も、少しは考えたほうが良い。

ただ、米国民が真に深く考えていたのかは分からない。確実なのは、米国民のかなりの人が現状に耐えられない状態だったようだ。暴言やスキャンダルがあっても、現状を変えること、富の分配、職を確保するという基本的な利益を優先したのだろうと思う。とにかく政権交代が最優先だったからヒラリーだけは嫌だったはず。

選挙戦略として激しいアジテーションを採用した点は、優れた判断だと思う。注目を集め、期待させることは、選挙を戦う上で必要。しかし、それはヒトラーだってそうだった。ポピュリズムに近い、あざとさを感じる。

日本の選挙と同じように、テレビタレントが有利になった結果と言えるかも知れない。テレビの毒舌タレントは、毅然として誇り高い印象を人に与えるし、スキャンダルがあろうと悪いイメージにつながりにくい傾向がある。テレビで繰り返し親しんだ人物には、投票しやすいのだ。

優れた選挙戦略を採ったから、優れた政治判断をできるとは言えない。酷い結果を招くかも知れない。特に政権運営が長期になると、主張の一貫性は問題になる。選挙中の言動は記録に残っているから、やがて嘘つきと批判され、短命に終わる運命かも知れない。

白人中間層の利益を確保することは、候補者全員の公約だったと思う。ヒラリー候補だって、その必要性を認めていたはず。でも、資産家から寄付を集めていたら、イメージ的に嘘くさくなってしまう。ヒラリー氏は、その点で間違った戦略を採ったことになる。しかし、資金なしではサンダース氏に勝てなかった可能性が高い。最初から厳しい選挙戦だったわけだ。

 

 

 

2016年11月 1日

パディントン(2014)

Paddington


- 家族向け -

クマのパディントンとロンドンの一家が巻き起こす騒動を描いた作品。DVDで鑑賞。

パディントンの話は、イギリスの童話らしい。英国は童話がさかんなのか、次々と世界的ヒット作が出て、どんどん映画化されている。日本でも多くの童話があるけど、映画化は少ない。「マンガ日本昔話」のようなアニメがあったから、必要ないのかもしれないけど、CG技術を使って映画にしようという企画は、なぜ出てこないのだろうか?

現代日本を舞台にした童話も、きっと作られていると思う。でも世界的なヒットになったとは聞かない。国内版に限定され、アニメのヒーローもの、キャラクターもののほうに注目が集まるようだ。キャラクターものも、ドラえもんなどは一種の童話的な存在ではあるかも知れないが・・・・

この作品はファミリー向けに作られていたので、日本でも家族で鑑賞できそうな内容。性的な話は出てこないし、暴力もあるにはあったが、コメディータッチに限定されていたから、幼児への影響も、あまり気にする必要がなさそう。

クマがロンドンに登場して、何がおかしいのかと、発想に関しては理解できない点もある。でも、猫や犬ではありふれすぎていて、読者が笑ってくれないかも知れないし、ネズミやモグラのように小さくなると、人間と混じっての活躍が難しくなる。やはり、クマしかなかったのだろうか?

でも、描き方は難しい。現実社会でクマを見たら、たとえ小熊だろうと、直ぐに捕獲作戦が始まってしまうはず。駅で迷子のクマを皆が無視するなど、普通は考えられない。その点が素通りになっていたが、描き方としてどうだろうかと疑問に思った。

騒ぎは面白かった。適度に大人しく、適度に無茶な段階に抑えてあったようで、家族がそれなりに楽しめるように、過激さを避けていたようだ。この作品の場合、それは正解だったろう。真に激しい活劇のような騒ぎだと、作品の質が変わってしまう。ほんのりした安定感が失われる。家族向けの作品としては、それは避けるべきと判断したのか?

CG技術も素晴らしかった。毛並み、表情、動作が実に自然で、実写としか思えないレベルだった。家族の御主人役は、「ダウントン・アビー」の主人役の俳優だった。良い人らしい雰囲気が漂う善き配役だったと思う。奥さん役は知らない女優だったが、充分に役割を果たしていた。子供達のキャラクターも、この種の映画に典型的な設定だったので、安心できたと言えばそうだったが、もっと何か魅力的な要素があっても良くなかったろうか?

 

2016年9月 8日

二十日鼠と人間(1992)

Mgm


- 弱者へ -

アメリカ西部で農園労働者として働く二人組は、トラブル続きで逃避行のあげく、ある農場に雇われる。しかし、そこでも新たなトラブルが・・・・

・・・・スタインベックの原作小説の映画化。ゲイリー・シニーズが制作から監督、主演までこなしている。でも、物語の中心となったのは、むしろジョン・マルコヴィッチ演じた知的障害者のレニーだったろう。彼の演じた障害者が見事だったので、作品の質も上がったと思う。

冒頭のシーンもよく考えられていた。貨物車両に乗った主人公の顔が、暗い画面の中から徐々に明らかになる工夫がなされていた。誰のアイディアだろうか?隙間から外の明かりが見えるだけの何でもないシーンなんだが、映画に使えると気づいたセンスが素晴らしい。

原作は読んでいないが、正直者や障害者に対するスタインベック独特の愛情を感じた。ただ、1992年当時、この作品を作る意義、制作の意図についてはよく判らなかった。もしかすると舞台で過去に演じていて、元々映画化したくて、やっと資金が集まったことで実現した企画かも知れない。

したがって、今日的な意味は全く感じない。当時のことを上手く描いていたとは思うが、味わいを感じる名作になったようには感じない。きわめて悲しい物語だけども、訴えかけてくる力に欠けていなかったと感じる。

グローバリズムや、中産階級没落の犠牲者を描くとしたら、今日的な意味は大きいはずだが・・・

子供に向く映画とは感じない。家族で鑑賞してもまずくはないかも知れないが、楽しくはないだろう。恋人と見る分には、悪くない作品のように思う。障害者に限らず、弱者への優しさがテーマになっているから。

知的障害者以外に、黒人労働者もひどい扱いを受けていた。他の白人労働者が嫌がるから、馬小屋で暮らしているという設定だったが、おそらく本当にそんな例が多かったはず。下層階級だから一緒で良かろうとは考えないようだ。

持てる者、持たざる者の差は、アメリカの場合は特に非常に大きいはず。ドラマで出てくる屋敷の中にはお城のようなものも多い。資産のレベルが違う。いっぽうで、貧乏人は底辺で日本人より酷い目にあっている。健康保険の違いが大きい。

今、米国の工業地帯だった地域は長い低迷の中にあると聞く。生産現場は、今日のような経済的ルールにおいては人件費の安い地域に移る傾向が強い。そうでない場合は、海外から移民を募って、国内で生産する手もある。アメリカ型は前者で、後者はドイツが代表的だろうか。米国の労働者は、激しい労働運動で戦ったが、結局は法律をいじられて、生産地が逃げていった印象が強い。

米国の大統領選挙でトランプ氏が意外な活躍を見せているのは、今のような法体系では労働者=かっての米国の力を代表する勢力が没落し、資産家と海外に金が集まるばかりという構図に腹を立てたからではないかと、どこかの評論家が述べていた。「怒りの葡萄」の時代は農民が追い立てられ、60年代以降は工業の労働者の番である。法を変えるしかない・・・つまり大統領の質を変えるしかないと思ったのだろう。

スタインベックが小説の題材にした20世紀初頭は、恐慌もあったので特に景気の変動が激しく、弱者が犠牲となっていくことが多かったという。幼少時の見聞や、宗教的な見地からか、スタインベックは一貫して弱者への温かい視点を持つようになったと思う。

米国では、このような視点の人も多い反面、自助努力を極端に求める人も多いと聞く。自己責任がまず要求され、社会保証が行き渡らない伝統がある。教会などが弱者を救済する運動を行ってはいるはずだが、宗教団体の活動は、ともすれば依存状態に近い関係を作りやすい。宗教の押し売りといったら言葉が悪いが、祈りなさいというだけでも、何らかの強制にはなる。宗教とは離れた活動が、本当は望ましいと感じる。

今後、オバマ政権の次の時代には、社会保障は後退しそうな雰囲気もある。大統領候補はイスタブリッシュへの攻撃で人気を得て、政権を担ったら何かの取り引きがあり、富の分配の方向に政策が向かうか、あるいは権威が失墜するか、今後が予測ができない。弱者に手厚い方向へとは、進まないような気がするのだが・・・

 

 

2016年8月27日

ハンター(1980)

Paramount

- 敵役は役不足 -

犯罪者の捜索を生業とする賞金稼ぎの男。恋人が懐妊し、安定した生活を目指す必要が生じた。しかし、彼を恨む異常者に、恋人が誘拐されてしまう・・・・

・・・・7月26日、衛星放送で鑑賞。この作品は過去にもどこかの洋画劇場で放送されて観た記憶がある。わりと最近のはずだ。マックウィーンの遺作となったことで有名だから、固定的な需要があるのだろう。

この主人公の人物像が良かった。運転している車の古さ、運転の下手っぷりが笑える。平気で他人の車にぶつける神経もおかしい。ただし、マックウィーンは体力的なタフガイではないので、ぶつけてた後にそのまま去っていけば、誰かに引き回されるはず。つかまれても銃で黙らせるといった姿のほうが、理解はしやすかったかも。

自宅には妙なギャンブラー仲間がたむろしており、恋人と多数のギャンブラー、そして拾ってきた黒人青年が仲良く生活しているような状態で、にぎやかと言えばそうだが、すさんだと言えばそうとも言える。おそらく、主人公もかってはギャンブラー生活をやっていたんだろうと想像できる。

その主人公が、恋人の妊娠によって真面目な生活に踏み出そうかという直前の状態を、ユーモアたっぷり上手く描けていた。ラスト近くの会話で初めて、主人公が出産に反対していたことが明かされるが、それまでは出産を楽しみにしているように見える。恋人への気遣いがよく分かる。ドラマ部分の演出が丁寧だった。

家の中の部分は温かい雰囲気に満ちている。逮捕されていく犯罪者達の多くも、凶悪ではあっても愉快な連中が多い。追っている主人公よりずっと体力があって、哀れな主人公が張り倒されながら逮捕する様子がおかしい。面白いアクションシーンだった。

でも心からハラハラするアクションはなかった。列車のパンタグラフみたいな部分につかまって外に投げ出させるシーンがあったものの、その間に銃を持った逃亡者から撃たれてないなんて、少々マヌケ過ぎる。簡単に撃ち殺されるはずだ。あのシーンは、最初から考えないほうが良かった。

変質者が最後のほうで暴れていたが、彼はちょっと迫力が足りなかった。彼のキャラクターの描き方が難しかったと思う。もっと怖ろしい人物に描くと、せっかくのユーモア部分がかすんで、グロテスクな方向に話が移行してしまいかねない。スリルは増すが、後味が悪くなってしまう危険性がある。

彼がもっとオトボケの性格だったら、今度はラストのスリルは損なわれる。したがって、適度に異常者を表現しつつ、過剰な恐怖感は出さず、できれば変質者の個性が滲み出る演出・・・・そんな難しい路線を探らないといけない。劇場主は、この作品では変質者による誘拐劇が必要だったか分からなかった。犯罪者達は皆がおかしい人物で、ユーモアに路線を絞り、家庭ドラマ中心でも良かったのでは?

恋人役は非常に美しい女優さんだが、この作品以外では知らない。舞台女優なんだろうか?この恋人の両親が登場し、主人公に結婚を迫る恐怖の存在になっていたら、ドラマ的にはもっとおかしくなっていたかも知れない。両親でなくとも、同僚か家主など、主人公が頭の上がらない人物なら、困った主人公の顔で笑えたろう。

 

 

 

2016年4月 6日

バケモノの子(2015)

Tohoetc

- 三船降臨 -

孤独な少年がバケモノ達が住む世界に迷い込み、武術の弟子入りをする物語。DVDで鑑賞。

極めて真面目で、健全な路線の作品だった。子供の成長や友情、恋愛、師弟愛、真摯な努力など、盛り込まれたテーマの全てが教育上よろしい印象。それでいて、ちゃんと娯楽として成り立つようにギャグも満載であり、よく考えられた企画だと感心した。

実写の画像をアニメ化するスタイルが、過去の作品と同様に使われていた。効果的だと思う。立体的なイメージが美しく表現されていた。でも、この手法に劇場主は少し飽きつつあるのも確か。

子供には最適の作品だと思う。非常にヒットしたような評判は聞いていないが、ジブリ作品と何か違うのか、ややマイナーな興業に留まっているような感じがする。営業面に何か問題があるのだろうか?

大ヒットを狙える企画かどうかは、確かに少し疑問に感じる。バケモノの怖さ、異様さが際立つ路線ではなかったので、キャラクターとしてのウリ、イメージとしての訴える力は感じられない。たとえば、ネコバスやトトロはキャラクターグッズになりうると思うが、今回登場したバケモノ達は、仮に映画がもっとヒットしても、メジャーなキャラクターにはなりにくい印象。もっと異形で良くなかったろうか?

少年が青年になっていく必要があったのかどうかも、少し疑問に感じた。青年が大人の怪物達と戦うヒーロー映画ではない。少年のままのほうが、端的に言えば少年受けしやすかったかもしれない。心の部分や技の部分が成長すれば良かったのである。人間の少女が出てきて彼を支えてくれる話も悪くはないが、バケモノの世界で支えてくれたほうが、さらに良いと思う。

バケモノである「クマテツ」は、三船敏郎が演じていた役を連想する。ちょうど、無法松役の三船にほぼ同じと考える。セリフの話しぶりや動作まで、よく似ている。ヤクザとは違うし、半グレとももちろん違う。腕力はあるが、うだつの上がらない人物で人間らしい魅力を感じさせる個性が狙いだろう。

今回は役所広司が声を担当していたらしい。良い声だった。

2016年1月13日

博士と彼女のセオリー(2014)

Workingtitle

- 根性物語 -

スティーブン・ホーキンス博士の伝記物語。特に彼と妻の関係を中心に描いている。DVDで鑑賞。 

美しい映像、印象的なシーンが多い映画だった。主演のエディ・レッドメインが実にリアルな難病患者ぶりを演じていて、アカデミー賞を取ったのが頷けるほど。ヒロインも、ただ献身的なだけじゃなく、人間らしい役柄を上手く演じていた。

ホーキンス博士は物理学に止まらず、科学全般のスター学者で、尊敬を集め続けている。でも劇場主は彼が結婚していたり、子供さんや孫がいることを知らなかった。彼のALSは、理由は知らないのだが経過がゆっくりみたいで、しかも高度な知性の持ち主だったことや管理が良かったことなどが重なったのか、数十年にわたって療養できているそうだ。

だが、おそらくかなり珍しい例では?劇場主が担当したALSの患者さん達は驚くほど経過が早く、何もできないまま亡くなっていった。ひとりの方は、そう言えば最近散歩されてないなあと思ったら発症していて、急速に進行してしまった。精神力がある人であっても、実に辛そうな表情をされいて、こちらも困ってしまうことが多かった。

自律神経反射が残るから、性行為は可能と思える。でも、奥さんにも根性がないと難しい。そもそもALSの原因が分からないので、遺伝性の要素も否定できない。しかも、寿命の短そうな夫と結婚し、その後の生活が維持できるかは、愛情だけでは無理がある。

奥さんは御自分も学位を取ったりすることから考えて、意欲的で優秀、頭の回転も速くて家事の処理能力が高く、それに宗教的な面でも包容力と忍耐力のある人物だったのでは?それらが全部そろわないと、この奥さんにはなれない。普通の人間では、最初から結婚を諦めるだろう。

彼らは結局は離婚したそうなのだが、奥さんを責めるのは酷なように思う。奥さんは充分に頑張ったと思う。彼女の献身がなければ、おそらくホーキンス氏は業績を減らしていただろう。博士にさえなれなかったかもしれない。本人の意志の力、能力だけで業績は作れない。この作品を観て、そう感じた。

この作品は子供には向かないかもしれない。昔あったような美しいだけの伝記映画ではないから。恋人達が観ると、どんな感想が生じるのか興味がある。個人的には、ぜひ観てもらって、シビアな面、不幸な面についても考えてもらいたいと思わないでもないが、あんまり真面目に考えすぎると、結婚が怖くなってしまうかも知れない。

ヒロインを演じたフェリシティ・ジョーンズは、実に女優らしい顔をした女優。演出にもよるのだろうが、目線を動かさないので、観客の注目を集めることが自然とできている印象。本人もオックスフォードを卒業したというから、この役にはぴったりだった。

レッドメインの演技が目立つ作品だが、彼女の根性ヒロイン物語として観ることもできる。

学生時代に知った女性の中にも、根性と能力を兼ね備えた人間が多数いた。医学部の同級生は特に、皆が能力も人格も素晴らしい方達だった。入学前から人生に絶望していた劇場主は、残念ながら彼女らからは相手にされなかったが、こちらも気後れしてしまうくらい、彼女らの覇気は凄かった。

意志の力には何が必要なのか、いまだに理解できない。例えば信仰心があれば難行に耐えさせてくれるから必須の要素かと言えば、無宗教の女性だって素晴らしい業績をあげてる人は多い。頭が良ければ必ず優れた業績をあげるかと言えば、これも大事な要素ではあるものの、必須とは感じない。

思考のパターンにも、何かが必要な気がする。教養の程度にかかわらず、論理の組み立て方や思考の進め方に、健全さや力強さが常に生じていると想像する。何をもって健全と言えるかがよく分らないが、おそらく問題処理能力があることも、悩みすぎないで仕事を済ませるという意味で、健全さにつながる。

あるいは何か考え方を勘違いしている場合もあるように思うのだが、そんな風に批判する資格は、劇場主にはない。

 

 

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