映画評

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カテゴリー「の」の5件の記事

2009年5月18日

ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア(1997)

- 米国風ロードムービー -

脳腫瘍と骨肉腫に犯されて余命いくばくかと解った男達が、ヤケザケで酔っ払って偶然手にした車に犯罪組織の金が入っていたことから、ギャングと警察との双方から追われるはめになる。逃げてるつもりがギャングの店に入ったりのトンマな結果に陥るのだが、警察もギャングも充分にトンマで、皆がバカな行動ばっかりとるメチャクチャな物語。

でも、面白かった。

ドイツの作品らしく、ハリウッド映画のような銃撃戦の迫力は全くなく、オモチャのようなちょっとした火薬が仕掛けられているくらいのアンダーグラウンド映画的な雰囲気。でも、その安易な描き方が話をおかしくしていた。これがリアルな作風なら、話が深刻な方向に行ってしまうだろう。

時々主人公の一人がけいれん発作を起こすが、これはなかなかにリアル。けいれん患者は救急外来にはよく訪れるが、大抵は注射ですぐに収まるので、病気としては簡単な部類に入る。それでついつい慣れてしまって、「この注射ですぐ収まりますから、心配なさらないで・・・」と言ってしまうと、そういうときに限って薬に反応しない患者さんがいる。そうなると慌てる。鎮静剤の類ではなく、麻酔剤の類を手術場から取ってこないといけないからだ。

ところが、これまた、そんなときに限って看護婦が保管場所を知らないだの、保管場所の鍵がないだの、ありえない状況が重なる。薬局に連絡しても、薬剤師が寝ぼけてるか酔っ払ってて病院に来るまでには結構時間がかかるもの。

やっと鍵をこじ開けて、使ったこともないような麻酔薬を添付文書を読みながら使う。さすがに発作は収まるが、当然呼吸も止まるし、人工呼吸管理のためにさすがにしばらくはベッドから離れられない。そんな時に限って心筋梗塞だのがやってきたりして、もう一人分の仕事が必要になる。さらに悪いことは重なるもので、応援の医者の病棟の患者が急変して手が離せなかったりするのだ。

これは分身の術を使うしかないと思うが、そんなことはできるはずもなく、成り行きに任せる結果となる。

けいれんの最中に飲み薬を飲ませることは難しい。意識がないから飲んでくれないし、飲んでも吐くし、さらに胃を通って吸収されるまでには時間がかかり、通常は注射以外には有効な手立てはないことが多い。映画は、ちょっと現実的ではなかった。

タイトルは、ボブ・ディランの曲から取ってきたようだ。エリック・クラプトンも演っていた曲だ。全編ロックをBGMにしていて、プレスリーに憧れた母親にキャデラックをプレゼントするような話もあるくらいで、アメリカの影響が強く感じられる内容。おそらくドイツ人にとって、アメリカのロードムービーやギャング映画はかっこいいんだろう。

独特な撮影方法をしている場面があって、ラストなどは特にそうだが、ちょっと効果を狙いすぎて無理があったかもしれない。海を撮影するなら、フィルターなどで全体の色調を統一した印象にしたほうがよかったのではないか?

自分が余命を告げられたら、いったいどんなことをするだろうか?まさか、この映画のような犯罪行為はできない。家族の生活を考えると、金をどうするかなどの後始末に悩むことだろう。心配ばっかりして療養もできそうにない。

家族がいない人間だったら、犯罪行為に走るかも知れない。映画の題材としては、それしかない。弱っていくだけの患者を描いても、客は喜ばないから。無茶でも暴れまわってもらって最後に寂しく死んでもらうと、ラストシーンはこの作品のように美しくなる。

年末に肺癌患者の終末期医療をしたが、奥さんが全面的に介護されたので、非常にうまくいった。今は訪問看護ステーションがいくつかあるので、往診をしょっちゅうする必要はない。麻薬の交換も大抵はやってくれる。

でも普通は家族にも余裕がないので、とても充分な介護はできない。栄養や水分のとりかた次第では患者さんの経過は随分と違ってくるので、ケアには意味があるのだが、なかなか手が回らないので、最後には入院するしかないように感じた。

麻薬のアンプルを処方箋で薬局に依頼したら、驚いたことに「医者が取りに来い」という連絡を受けた。県の薬務課の指導らしい。在宅医療の邪魔をしていることに気がつかないのか?確かに、処方箋を持ってきた人が患者か怪しげな人かを区別するのは難しいとは思うが、電話などで病院に確認すればいいと私は思うが・・・

患者さんとは随分話した。自分の事業のこと、後継者のこと、生き方のこと、企業理念のこと。教えられることが多かった。自分は人生を事業にかけたが、自分が死んでいくことで、今後会社がうまくやっていけるのだろうか?という不安と、これ以上はもう任せるしかないという諦観とが交錯したような感情を示していた。

私は、病気のこと、精神的な心構え、一般的な経過、治療の選択方法などを説明したが、自分にこの判断をしろと言われたら困るだろうなと思いながら説明していた。解りやすく話したつもりでも、実感を持って正確にイメージするのは難しいだろう。「こうしたほうがいいです。」と言われても、体験するまでは実感できるはずがない。

2009年3月20日

ノーカントリー(2007)

Photo

- 世も末の物語 -

ある荒野で、狩をしていたハンター(ジョシュ・ブローリン)が、偶然麻薬取引の現場を目撃する。そこでは交渉が決裂したのか、銃撃戦の後にゲンナマが数万ドル取り残されていた。ハンターは、これをネコババする。

しかし、この金には発信機が取り付けられていた!金を探しにやってきたのは、世にも怖ろしい殺人鬼バビエル・バルデム(写真の人物)。変な髪形をして、妙に哲学的で考え方がおかしい。完全に異常である。でも腕は凄い。たちまちハンターは居場所をつき止められて、周囲の人間は皆殺しになってしまう。

しかし、ハンターもただものではない。保安官も知っているくらいの犯罪者的人物。うまくトリックをこしらえて、追求を逃れる。でも異常な能力を持つ殺人者は、諦めずに追ってくる。ついにはハンターの妻も犠牲になりそう・・・

・・・主役はトミーリー・ジョーンズ演じる保安官ではなかった。殺人鬼とでも言うべき、プロの殺し屋。ハードボイルド探偵がカッコよく推理をするのと反対に、実に手際よく人を殺していた。ハードボイルド殺人ドラマとでも言うべきか?その殺し方、武器が独特だった。ボンベを持ち歩いて、圧力で何かを撃ち出して銃のように使うと言う素晴らしい(?)アイディア。誰か真似しないといいけど・・と思いつつ観ていた。

保安官達が会話で「こんな異常な世の中では、俺達には何もできない。」なんて繰り返し述べていたが、確かに昨今のテロなんかは、警察や保安官の手におえるようなものではない。それが、この作品のテーマのようなものなんだろう。

「ノー・カントリー」というタイトルの正確な意味は解らなかった。ノーカントリー・フォー・オールド・メンという原題らしいが、つまり保安官達のような古い人間には住む所がない、その常識が通じない現在の姿を描いたという意味か?

映像は、ひたすらやり手の殺し屋の所業と、タフな逃走者の戦いを追っていた。その戦いは素晴らしく高いレベルだった。でも、普通なら金を手にしたらバッグは捨てるし、発信機を隠していないか、それこそ眼の色変えて確認するだろう。そこをやらないなんて、とんでもなくヌケたタフガイだった。ニック・ノルティに似ているなと思った。

殺人者役はバビエル・バルデムという俳優だが、初めて知った。おかっぱのような頭が奇抜なアイディアだった。あんな髪形をしていると、からかわれそうだから普通の人間はできない。できるのは本当のバカか、余程怖ろしいやつである。いかにも異常な感じを表わすのに、キレモノのようなスタイルで描くのも一手だが、今回のような変なヘアスタイルも意外に効果的であった。

会話もシュールで素晴らしい。原作があるそうなので、映画の脚本がオリジナルで素晴らしかったのかは解らないが、殺すか殺さないかを妙な賭けで決めるキャラクターは面白い。ゴルゴ13のような冷徹なプロだったら、自分の顔を見た人間は生かしてはおかないが、なにしろ異常な殺し屋なので、賭けの結果次第で助けたりするのも解る気がする。

逃げるハンターも、おそらくは殺し屋も、きっと軍隊の経験がありそう。そのへんが日本とは状況が異なる。

いったん軍隊で殺人マシーンとしてのトレーニングを積んだ人間がマトモでなくなるのは自然な成り行きだと思う。妙にサバイバル能力がつくし、必要以上に攻撃的な性格と武術を身につけてしまっているから、何かちょっとしたきっかけがあれば、たちまち怖ろしい殺人者、犯罪者になれる。そんな状況が日常である国はアメリカとロシア、中南米諸国だろうが、いずれも犯罪組織は活発であると報道されている。強い兵隊を持つ国であるがゆえの副作用みたいなものだろう。

この作品は子供、恋人には見せたくない。R-15ならぬ、R-40くらいにしてもいいような作品だ。

こんなゲテモノみたいな作品が、平成20年度のキネマ旬報の年間ベスト作品に選ばれてしまっている。確かに作品の完成度は高いと思うが、こんな作品に感動しているようでは、それこそノーカントリーだ。世も末だ。

恋人とこの映画を観賞して、「俺はいくら何でも、あんな映画は好きになれないな。」「アタシも。」という会話になればいいが、「ウーンそうね。でもアタシ、あんなクールな殺し屋って好き。」なんて言うギャルがいたら、やはり別れたほうがいいと思う。

女性は本来が動物的なサバイバル感覚を持っているので、結構このような感覚を隠している可能性がある。そして10年後くらいに怖ろしい本性を表わすのだが、この作品は本性を判定するための良いテストになるかもしれない。つまり好きでないなら、メシを作る必要もない、勝手に買い物や旅行だってしちゃうという感覚と同じレベルで、殺してもいいと極端な考え方をする可能性があるのだ。うそじゃない。

それを、この作品の感想で知ることが可能・・・いや、もちろん解らないが。

考えてみれば、私の場合は、家内が私を殺した後で金に困るから殺さないでもらっているだけなのだ。他の家庭も似たようなものかもしれない。

もし彼女が奇妙な格好をしたら、それはもう絶対に悪いサインだ。でも、まさかそんなことはない。きっと彼女らはもっと賢く、本性を隠す術も持ってるんだろうな。この映画の殺人者よりもタフで巧妙なのだ。オー・ノー・カントリー。

 

2008年7月 2日

ノー・マンズ・ランド(2001)

- 設定の素晴らしさ!  -

アイディアが素晴らしかった。舞台劇としてやれそうな狭い塹壕の中で、互いに共感したり反目したりする物語が展開され、心理劇として素晴らしい出来であった。

登場するのはボスニア兵士の二人と、セルビア兵士一人、国連軍兵士一人、テレビレポーターの女性一人、他はエキストラ的な存在。

兵士の一人はブービートラップとして背中に地雷を付けられていて、動けば爆発するので寝たまま動けない。この設定が緊迫感とともに喜劇的な状況を生んでいた。結局地雷は爆発しなかったようだが、誰かが兵士を助けようとするたびに、「やめろー!」と、ヒヤヒヤすることになった。

この兵士としては、敵味方で争ってもらうことより、自分を助けてくれるために協力してくれた方が有り難いのだが、残りの二人は殺し合いを演じてしまう。このへんが、おかしくもあり、悲しくもあった。

国連軍の姿が情けなかったが、実際にも似たような状況なんだろう。

国連軍は、空爆のような激しい行動をとる時には強力だが、それは持っている武器が強力だからであって、立場は強くない。紛争解決に乗り出すのは、民族浄化が激しくなり、多数の住民が殺された後である。

敵対する軍隊の双方を刺激しないように、片方に偏って優遇したりしないように行動する縛りがある。現場の兵士には人道的に耐え難い状況でも、手を引いて見殺しにする場合もありえる。この映画のラストシーンは、それを意味していた。

この映画における国連軍の隊長はフランス人の設定だったが、そんな状況にうんざりして介入してしまう。軍法会議ものの独断行動で、実際には起こりにくいことだろう。ほとんどの兵士は自分が撃たれないことに精一杯で、目の前で殺し合いをされても、民間人ならともかく、兵隊同志なら勝手にやってくれといった反応を示すのではないか?

この隊長の行動で話は面白くなった。ちょっと出来すぎた話にはなったので、できれば軍隊のバカらしい規律に則ったために、次々悪い方向に展開するようにしたほうがリアルで辛らつな話になったかも知れない。

登場人物のキャラクターには、いまひとつ検討が足りなかったような気がする。セルビアの兵士は、もっと規律バカのオタクっぽい性格か、もしくは極端なドジのほうが面白かったのではないか?中途半端な印象を受けた。

地雷を付けた相手に、のこのこタバコを渡しに行くのはバカな行為だった。単純な考えで行動するような人物に描かれていれば、それも納得できたろうが、無理があった。普通ならヤケクソになった相手の自爆の道ずれにされないために、距離をとるだろう。

対するボスニアの兵士はわりと性格が出ていた。おそらく監督がボスニア側だったからだろう。しかし際立った性格でも面白かったのではないか?例えば地雷を背負ったのが極端な弱虫で、塹壕に取り残されたのが歴戦のツワモノだったら、二人の会話も笑える。

ニュースレポーターや国連軍の上官達は存在感があってリアルだった。皆が自分の立場でワイワイ頑張っていたが、結果として誰も地雷を取り除けないという結末は、残念ながら現実であろう。

日本の自衛隊は、この国連軍よりもさらに立場が微妙である。発砲すらいちいち検討してからでないとできない。笑える設定だが、派遣された隊員に笑う余裕はないだろう。

 

 

2007年9月22日

ノッティングングヒルの恋人(1999)

- 仲間がいる -

バツイチの書店主が主人公です。偏った内容の本を集めているところから見て、要領の良いタイプではなさそうです。映画スターが店に立ち寄って、二人は恋仲になりますが、釣り合いが全然とれませんし、スムーズにことが進まず、主人公は傷心のままお見合いなんぞをして、別のパートナーを探したりします。

この作品のねらいは軽くロマンティックなラブ ストーリーだと思います。このような作品に最適なヒュー グラントが主演していました。私の感覚では、彼はイタリヤ的でたれ目すぎる気がしますが、女性達に聞いてみるとロマンティックなんだそうで、やはり女性の趣味は永遠に私には理解できません。

この映画は、家族で観てもいいかも知れません。変な同居人が出てきますが、ご愛嬌です。子供が観ても悪くはないような気がします。エルビス コステロの歌は上手とは思えないのですが、芸術家としての才能があるので聞かせてくれます。古くはクラシックみたいな歌い方をされていた曲を、しゃれたバラードに変えています。

主人公の友人の一人は障害者で車椅子生活ですが、この方と旦那さん、主人公、妹の連帯感はすばらしいと思いました。日本にも元気で前向きな障害者の方がたくさんおられますが、私自身が腰のヘルニヤを起こした時を考えると、よくあんなに前向きに考えられるなと感心します。私の場合は、腰痛だけで完全に将来を悲観してしまいました。

友人達で集まって、ジョークをとばしながら話しあい、障害者からも慰めてもらうなんて、素晴らしいことです。この友人達の存在が話を暖かいものにしていたように感じました。主人公が努力するだけでは、心温まる雰囲気は作れません。

私の仲間でゆっくり集まって慰めるというようなことは、ちょっと考えられません。友人達はバラバラですし、死にそうに働いてますし、崩壊しそうな家庭を抱えていたり、子育てでも手一杯の状態ですから誘うのも気の毒な気がします。

主人公のお見合いを興味深く拝見しました。菜食(果物食?)主義者、やたらしゃべる女などが出てきましたが、お見合いはいろんな人と触れ合うことができる経験で、できれば私もまた経験したいと思います。

知り合いのドクターの娘さんは数十人の医者と見合いしたそうですが、いろんなヤツがいたそうで、デートで金を惜しむ医者とか、ワリカンを申し出る人とか、ジャージみたいな服装で現われたヤツとか、いろんな人がいるのだと、聞いていて感心しました。

かく言う私も、やんごとなき御令嬢とお見合いをいたしたことがあります。ゴルフ場で、さっそうとショットされる令嬢と、シャクトリムシのようにしか進まない私のペアでラウンドしました。スコアと同様、住む世界が違うわと感じて断ろうとすぐ思いましたが、その場で断るとかわいそうかなと思っているうちに返事を忘れてしまい、職場まで怒って電話してこられてヒンシュクを買ったことがあります。

他にも何人かのご令嬢とデートしましたが、やはり何かセンスが違いました。もしいっしょになっていたら、今頃は私も少しは洗練されていたかも知れませんが、愛想をつかされていた可能性のほうが高いでしょう。立場の違う人間の交際は難しいと思います。

この映画の続編で、子供が3人できて幸せだった二人ですが、書店の経営が破綻したために、離婚問題で争う話がおかしく描かれていました。

・・・・冗談です。続編はないはずです。

2007年1月 7日

ノックは無用

- キャラが決まってないマリリン  -

主人公はリチャード ウィドマークで、マリリン モンローが変な役で出ていました。今となっては理解に苦しむキャスティングでした。

主人公は、ホテルの歌手の恋人でしたが、身勝手な性格らしく、女には愛想をつかされています。このホテルにベビーシッターとしてマリリン モンローがやってきます。実はモンローには何か過去があり、そのために少し精神的に不安定なようです。

モンローはホテルの向かいの部屋のウィドマークと昔の恋人の区別がつかなくなってしまったようで、子供が二人の仲を邪魔するのに怒ります。もうちょっとで子供が危ないところで、気がついたウィドマーク達によって一件落着します。この間に、ウィドマークと元の恋人の仲ももどったようです。

この作品は、子供に見せては良くなさそうです。簡単に子供に殺意を覚え、危害を加えようとする女が出演していますから絶対によくありません。しかも、その女を擁護しようとしていますから、描き方にも問題があると思います。

大人が見るのなら、その点も少しは気にしなくてよいことになると思います。精神病だからといっても子供の危険を軽視してはいけない!と、目くじら立てて怒るほどのことはないかもしれません。しかし、この作品を恋人に見せるのは止しといたほうがいいと思います。恋には良い影響がないだろうと思います。

人の心を大事にしない男の役としては主演したリチャード ウィドマークは適役だったかも知れません。いい役でも、どことなく冷たい感じのする役者です。悪役としての方がサマになっていました。

いっぽうのマリリン モンローは本当に情緒不安定な女で、結局自殺(他殺?)してしまったくらいですが、それを役として演じてもしょうがないと思います。思い切りセクシーな狂った女でも設定すれば魅力的だったと思いますが、この作品はまじめな演出でしたので、あまりセクシーな場面がありませんでした。氷の微笑のようなアイディアが当時はなかったのかも知れません。

まったく、なんでこんな役をやってしまったのでしょうか。この映画の予告編を見ましたが、彼女は演技派女優として売り出されていましたので、デビュー当初は、後のお色気たっぷり路線が明確でなかったということかも知れません。

でも演技自体は下手くそではないと思いました。後に演技の学校に通ったりしたそうですが、下積み時代に苦労した効果があるのかも知れません。

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