映画評

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カテゴリー「の」の9件の記事

2016年1月28日

野いちご(1957)

- 家族の犠牲 -

名誉博士号を授与される老教授。しかし、彼は仕事に没頭した人生で妻を失い、息子にも心の傷を負わせていた。罰を与えられたという意識の中、彼は車で授与式に向かうが・・・・

・・・DVDで鑑賞。リマスタリングされていたように思う。画質音質とも耐えられるものだった。

ベルイマン監督が40歳くらいの時の作品らしいが、40歳でこんな映画を作るやつは、いったいどんな感性をしてるのだろうか?おそらく相当に気むずかしく、猛烈に宗教的な人間としか思えない。実際、彼は宗教一家の人らしい。

でも、この作品は好感を持てる作品だった。後味が良い。途中はかなり悲劇的で、回想のシーンも多すぎる印象。リアルでない場面も多く、上手くまとまらなければ駄作になっていたかも知れない。まとめ方、結果が良かった。

だから、この作品は家族で鑑賞することが可能だったかも知れない。今の家族には、さすがに古めかしすぎるように思えるが、公開当時なら問題なかったはず。今では、おそらく映画好きの人間でないと、退屈してしまうだろう。リズムに問題があって、しかもスタジオでの撮影が多いのでリアルさに欠け、観客が耐えられないように思う。

主人公の息子が態度を変えて、急に夫婦関係改善の方向になったように思えたが、不自然ではなかったろうか?主人公が名誉ある表彰をされて、誇りに思ったから?それだけが理由なら、少し表現不足のように思う。

老教授役や、家政婦役には味があった。他の映画では、無理して演じている印象を感じる老け役に演技の臭いを感じることが多いが、この作品の主演は実に自然だった。

町並みを見ると、歴史を感じさせる風景、立派な建物が多いのに驚く。スウェーデンは戦火で破壊され尽くしたりはしていないからでもあろうが、インフラが整備されて、豊かな国であると感じさせる。

仕事人間だった人が、家族を犠牲にしてしまう点はたしかにある。劇場主は大きな仕事をしているわけではないが、充分に家庭で過ごしているとは言えない。掃除や洗濯、買い物や料理、子守りだって普通の人よりはやっていると思うが、当直などで留守にする日も多い。その時、子供達はどう感じていたのだろうか?

もしかすると、自分たちが見捨てられるような錯覚を覚えていたのかも知れない。「このまま、母親とひっそり暮らさないといけないのかなあ?」そんな勘違いをしていなかったとは断言できない。

どうやら家内は、劇場主がいない日は家事をさぼっていたように思える。直接問いただしたりはしないが、子供達の言葉から想像すると、そう思える。裏表のある態度を、母親から教育される結果になり、もしかすると子供のやる気を損なったり、勤勉さを軽視する考え方につながったかもしれない。

しかし、そこまで考えても仕方ないと思う。当直が必須なら、とにかくやるしかない。大きな業績を挙げた科学者などは、もしかすると離婚や自殺が多発する家族を作ってしまったかもしれないが、そんな犠牲を払っても成果を出すべく、仕事に邁進すべきと思う。優遇された環境にある人間は、社会的な義務もあると思う。

ただし、妙な感情的連鎖は、避けられたら避けたい。子供が疎外感であふれないような心遣いが欲しいし、いかに激しく仕事をしてようと、休息を兼ねた家族との時間は必要だろう。困った時に、手を貸してあげられるように備えておかないといけない。

 

 

2012年11月 9日

のぼうの城(2012)

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- 映画として・・・ -

豊臣秀吉の天下統一目前、北条側の忍城に迫る2万の軍勢に対し、城側は500人の勢力で対抗しようとした。しかし多勢に無勢・・・

・・・野村萬斎主演の時代劇。共演には武将役として佐藤浩市、山口智充らが加わっていた。実際に忍城では長期にわたる攻城戦があったらしい。よくまとまった作品で、例えばTBSの時代劇スペシャルとして放映されたなら、実に素晴らしい出来栄えと感動したに違いない。

忍城がなぜ篭城する方針になったのかは、おそらく当時としては基本的に戦いが当然の方針であり、また主君は北条側の人質であるから、迂闊に開城すれば当然殺される。それがメインの理由ではないか?

上杉軍に攻められた時にも篭城に成功しているらしいので、どういう仕組みかは知らないが、守りやすい構造になっていたのだろう。または、完全に他の城との連絡が途絶え、取り残される結果になり、単純な通信ミス、勘違いも、水攻めで包囲された場合だからありうる。

もしかして北条勢力が持ちこたえることができたら、少なくとも一定期間は勢力を維持できる。その間に豊臣側に何かが起こって、いったん兵を引くかもしれない。北条氏が先に陥落すれば、主君は無事で済む。良い条件を引き出すことも可能・・・そんな思惑もあったのかも。

ただし、豊臣側の勢力は当時は大変なもの。財力があるから、数年間に渡って攻撃を続けられる。いかに堅牢で防御が万全だろうとも食料が持つはずがない。城側の方針は苦しい戦略だったことに違いはないと思う。当時の情勢を考えるなら、豊臣側ではなく、北条側に対して城主もろとも篭城するのが最善だったかも。

また、物語としては実際に近いほうが映画向きになるはず。つまり、城主は一族郎党引き連れて豊臣側に寝返る方針だったが、北条側に勘付かれ、城主か姫のいずれかを人質に差し出すように言われる。城主の覚悟により涙の別れの後、一同は徹底した生き残り作戦に出る・・・大真面目な作品になるが、野村の狂言も涙なしでは見られないくらいの意味が出てくる。

映画化に際してのプレゼンでは、そう訴えるべきではないか?

物語として、ヒーローが勝利する爽快感は感じられなかったので、盛り上がりには欠けた印象がある。何かに賭ける、何かを守るために懸命に戦ったといった、感動につながるものはない。マンガの場合は構わないが、映画だからもう一ひねり、何かが味のようなものが欲しかったと思う。

逆に、その関係で悲惨でむごたらしいシーンは少なく、子供も見れなくはない作品。ただし面白いと感じる子供は少数派ではないか?また、恋が大きなウェイトを占めてないので、恋人といっしょに見ても盛り上がるとは言えないように思う。じゃあ、誰が観たらいいんだろうか?歴史好きの連中?

しかし、爽快さはさておき、生き残り戦略やしぶとい抵抗を主題にとらえたのは、ある意味では昨今の時代に合致した作品かも。多くの日本人が状況を理解し、眼が覚めつつある感もある。圧倒的な大成功より、しぶとい生き残りが目標。

野村萬斎の船の上での踊りは、この映画のハイライトで実に見ごたえがあった。狂言であのような一人芝居じみたことをやるのかは知らないが、おかしかった。古めかしい動作も、この作品に限れば実に絵になる動き方。

佐藤浩市はともかく、山口智充の武将ぶりは結構サマになっていた。器用なタレントだとつくづく思う。声と体格がいい。

これに対して、石田光成を演じた上地、甲斐姫を演じた榮倉らには疑問を感じた。野村が主演であり、とぼけて完全に浮いた存在たらしめるためには、周囲の人物はとことんリアルで大真面目であったほうが良い。石田はとことん切れ者風の役者が良いし、姫は意志の強そうなキャリアウーマン風のキャラクターが望まれた。

忍城の利点は、周囲が沼地や田で侵入口が限られていたことだったのだろうか?いかに大勢で周囲を固められても、侵入口が狭い範囲なら、そこを重点的に守ることができる。攻めてはいけないが、守ることには有利な土地を選んで作られた城郭だったのだろう。

周囲から水が入り込まないようにして、沼地を平原に変えて戦うなら攻める側に有利になったのではないか?逆の水攻め(干拓攻め?)のほうが効率的だったのではと感じたが、当時は難しかったのだろうか?

 

 

2010年5月 6日

ノウイング(2009)

- CGのための映画か -

ある教授が、暗号のような数字の羅列が人類への警告であることに気づいた。 彼は家族や人類のために行動しようとするが・・・

ニコラス・ケイジが大学教授のキャラクターか?という疑問がまず起こった。ヤクザ者か、色事師くらいが合うのではないかと思うが、彼はなぜかヒーローとして大作に次々出演している。不思議。

この作品はとにかくCGの技術が凄かった。映画の宣伝にも使われていた飛行機が落ちるシーンは、どう観ても実写としか思えないほどの迫力がある。

航空機が響かせる音響、振動も再現できているし、片翼が地面に落ちて、こすりながら機体も落ちるという、まるで過去に見てきたようなリアルな事故の再現に、素晴らしいセンスの高さを見せてくれた。

ただし、そのセンスは、映画全体に生きているとは思えない。

この種の映画では、観客が登場人物に感情移入できないといけない。そのためには主人公が万人に同情されるようなキャラクターの人物であることが望ましい。もしくは、一見すると頑固な親父だが、家族を救おうとする姿を見るうちに、観客が認識を改めるというスタイルもありえる。

でも、この作品ではそうなっていない。同情は多少する。子供と離れないといけない運命と解るからだ。そこでの盛り上げが成功するかが、この作品のカギになるが、観客は盛り上がれたろうか?

暗号が意味するところは何かの謎解きと、実際に事故が起こるのかどうか、どれくらいひどい事故になり、どの程度表現できるか、などを観客は期待する。そのうえで、子供と主人公はどのような経過を経て、結局助かるのかどうか?それらを気にする。その設定は巧みだった。

父親と息子の心の結びつきの強さを観客に強く訴えかける、何かのイベントがあれば、もう少しイメージは変わっていなかったか?

例えば、冒頭で子供が危険な目に遭う。親は心労でフラフラになり、会社もクビになる、もしくはクビを覚悟で看病する。やっと回復する。そんなシーンが最初にあれば、その子供と離れる辛さが観客の同情につながるはずだ。そんな常套手段が、この作品では省略されていた。

したがって、この作品はCGがまず最初にありきの映画と言える。

CGを見るための映画と考えるなら、この作品の正しい見方は早送りでCGのシーンばかりを探すという方式になるだろう。家族で見る映画ではないと思う。子供がCGを観るための作品としては最高。恋人といっしょに観るのは、悪くないかも知れない。あんまり感動する作品は恋より映画に興味が行ってしまうかも知れないからだ。

 

 

2010年3月21日

野良犬(1949)

- 悪い感情の連鎖は避けたい -

主人公は兵役から復員してすぐに大事な荷物を盗まれてしまう。そこで彼は社会を恨まずに、逆に社会正義を守るため刑事を目指した。ところが、彼は満員電車の車内で今度は自分の拳銃をすられてしまう。それで事件を起こされたら責任は重い。彼は必死に拳銃の行方を追う・・・

まだ痩せていた頃の三船敏郎が刑事役を演じている。先輩刑事は志村喬。この頃の三船は演技派という感じはしない。セリフの読み方がベテランの役者ほど巧くないような気がする。

脚本が面白いが、古典的すぎる印象を受ける。色んなドラマで真似をされているからだろう。拳銃を持った刑事が満員電車に乗るなんて、常識的には考えられないが、当時は交通手段が限られていたのだろうか?予算の関係か?この映画の脚本家が、実際の事件からアイディアを得たらしいので、本当にあったことかもしれない。

走って犯人と格闘する刑事達のそばで、どこかの令嬢がピアノをひいている。幼稚園児が歌を歌っている。その対比がおかしく効果的だが、今となっては古臭い演出だと感じてしまう。さりげなさを出すのは当時としては難しかったのか?

しつこいほど長く、主人公が町を探索する場面が続く。見ていて退屈しそうなくらいだ。あの時代の風景が凄い。戦後の荒廃した風景が結構よい雰囲気を出している。

野球場のシーンも凄い。当時スターだった川上がヒットを打つシーンも写っていたようだ。ユニフォームがおかしい。

さて、同じように盗みを受けた者が、正反対の立場になるという図式で、一歩間違えれば誰でも犯罪者側になっておかしくないと思えるのに、何かが違っていたという展開だった。何が違っていたのかは解らない。はっきり登場人物が語っているわけでもないようだ。そんなに簡単には解るはずもない。

我が家の子供を見ていても、反抗の仕方に違いがあることに気がつく。何か自分の要求が通らない時、例えばおもちゃを買ってもらえない時などに、家の物を壊してしまうくらい無茶な暴れ方をする子もいれば、ただフテ寝をする子もいる、簡単に泣き出してしまう子もいる。「残念だなあ」とすぐ引き下がり、しっかり別な要求を模索する子もいる。不思議だ。

私は子供の頃かんしゃく持ちだったが、物を買ってもらえないのは貧乏だから当然と思っていたので、おねだりをした記憶はない。でも兄達は転げまわってせがんだそうだ。それが自然だが・・・

問題の処理の仕方には人それぞれ。生まれつきの違いがあるのかも知れない。ちなみに我が家にも約一名、子供の成績が悪い、学校をサボるなど何かがあるとフテ寝をする女性がいる。 子供達は御飯も満足に作ってもらえない。それでは情緒に良い影響があるはずがないと私が言うと、場所を変えて本格的なフテ寝をする。

気分が高揚しないから寝るという姿は、きっと子供の心にも影響するはずだ。マイナスの連鎖は避けたい。

私が怒る姿を見られたら、子供達はただただ悲しくなるだけだと思うし、怒らないでやさしくしていれば、ただただ駄々っ子のような要求を真似するかも知れないし、それらが兄弟で違った反応をしてくるので対処法が難しく、うまく対応できていない。自覚を持ってくれれば何の問題もないはずだが・・・

我が家はともかく、どこの家庭でも社会を恨み、八つ当たりのような言動を家族の誰かが繰り返していると、きっとその感情は他の家族に影響する。家族だからいいじゃん、という考え方もあるが、家族と言えど、自分より弱い存在ほど悪い影響を受ける傾向があるので、あんまり辛らつな言動は考えものだ。

基本的には今の状況に感謝し、それでも希望を持つ、やれることをやる、そんな宗教めいた考えを持っていないと、だんだん心が荒んでいくだけだ。

物を盗まれると本当に心がすさむ。学生の頃、自転車を盗まれそうになったことがあるが、しっかり防犯をしていたもので腹いせに壊されてしまった。「なんで、ここまでやるかね?」と、神を呪うような気持ちになった。終戦直後は盗みも横行したはずだから、いっそうすさんだ人も多かっただろう。「自分が悪いんだから・・・」なんて、とても思えない場合もあったはずだ。

でも大抵の人は、それを乗り越えて来たんだ。自尊心や公共精神があったということか、たまたま経済的にうまくいったからか?とにかく多くの人を尊敬すべきだと思う。

 

 

2009年5月18日

ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア(1997)

- 米国風ロードムービー -

脳腫瘍と骨肉腫に犯されて余命いくばくかと解った男達が、ヤケザケで酔っ払って偶然手にした車に犯罪組織の金が入っていたことから、ギャングと警察との双方から追われるはめになる。逃げてるつもりがギャングの店に入ったりのトンマな結果に陥るのだが、警察もギャングも充分にトンマで、皆がバカな行動ばっかりとるメチャクチャな物語。

でも、面白かった。

ドイツの作品らしく、ハリウッド映画のような銃撃戦の迫力は全くなく、オモチャのようなちょっとした火薬が仕掛けられているくらいのアンダーグラウンド映画的な雰囲気。でも、その安易な描き方が話をおかしくしていた。これがリアルな作風なら、話が深刻な方向に行ってしまうだろう。

時々主人公の一人がけいれん発作を起こすが、これはなかなかにリアル。けいれん患者は救急外来にはよく訪れるが、大抵は注射ですぐに収まるので、病気としては簡単な部類に入る。それでついつい慣れてしまって、「この注射ですぐ収まりますから、心配なさらないで・・・」と言ってしまうと、そういうときに限って薬に反応しない患者さんがいる。そうなると慌てる。鎮静剤の類ではなく、麻酔剤の類を手術場から取ってこないといけないからだ。

ところが、これまた、そんなときに限って看護婦が保管場所を知らないだの、保管場所の鍵がないだの、ありえない状況が重なる。薬局に連絡しても、薬剤師が寝ぼけてるか酔っ払ってて病院に来るまでには結構時間がかかるもの。

やっと鍵をこじ開けて、使ったこともないような麻酔薬を添付文書を読みながら使う。さすがに発作は収まるが、当然呼吸も止まるし、人工呼吸管理のためにさすがにしばらくはベッドから離れられない。そんな時に限って心筋梗塞だのがやってきたりして、もう一人分の仕事が必要になる。さらに悪いことは重なるもので、応援の医者の病棟の患者が急変して手が離せなかったりするのだ。

これは分身の術を使うしかないと思うが、そんなことはできるはずもなく、成り行きに任せる結果となる。

けいれんの最中に飲み薬を飲ませることは難しい。意識がないから飲んでくれないし、飲んでも吐くし、さらに胃を通って吸収されるまでには時間がかかり、通常は注射以外には有効な手立てはないことが多い。映画は、ちょっと現実的ではなかった。

タイトルは、ボブ・ディランの曲から取ってきたようだ。エリック・クラプトンも演っていた曲だ。全編ロックをBGMにしていて、プレスリーに憧れた母親にキャデラックをプレゼントするような話もあるくらいで、アメリカの影響が強く感じられる内容。おそらくドイツ人にとって、アメリカのロードムービーやギャング映画はかっこいいんだろう。

独特な撮影方法をしている場面があって、ラストなどは特にそうだが、ちょっと効果を狙いすぎて無理があったかもしれない。海を撮影するなら、フィルターなどで全体の色調を統一した印象にしたほうがよかったのではないか?

自分が余命を告げられたら、いったいどんなことをするだろうか?まさか、この映画のような犯罪行為はできない。家族の生活を考えると、金をどうするかなどの後始末に悩むことだろう。心配ばっかりして療養もできそうにない。

家族がいない人間だったら、犯罪行為に走るかも知れない。映画の題材としては、それしかない。弱っていくだけの患者を描いても、客は喜ばないから。無茶でも暴れまわってもらって最後に寂しく死んでもらうと、ラストシーンはこの作品のように美しくなる。

年末に肺癌患者の終末期医療をしたが、奥さんが全面的に介護されたので、非常にうまくいった。今は訪問看護ステーションがいくつかあるので、往診をしょっちゅうする必要はない。麻薬の交換も大抵はやってくれる。

でも普通は家族にも余裕がないので、とても充分な介護はできない。栄養や水分のとりかた次第では患者さんの経過は随分と違ってくるので、ケアには意味があるのだが、なかなか手が回らないので、最後には入院するしかないように感じた。

麻薬のアンプルを処方箋で薬局に依頼したら、驚いたことに「医者が取りに来い」という連絡を受けた。県の薬務課の指導らしい。在宅医療の邪魔をしていることに気がつかないのか?確かに、処方箋を持ってきた人が患者か怪しげな人かを区別するのは難しいとは思うが、電話などで病院に確認すればいいと私は思うが・・・

患者さんとは随分話した。自分の事業のこと、後継者のこと、生き方のこと、企業理念のこと。教えられることが多かった。自分は人生を事業にかけたが、自分が死んでいくことで、今後会社がうまくやっていけるのだろうか?という不安と、これ以上はもう任せるしかないという諦観とが交錯したような感情を示していた。

私は、病気のこと、精神的な心構え、一般的な経過、治療の選択方法などを説明したが、自分にこの判断をしろと言われたら困るだろうなと思いながら説明していた。解りやすく話したつもりでも、実感を持って正確にイメージするのは難しいだろう。「こうしたほうがいいです。」と言われても、体験するまでは実感できるはずがない。

2009年3月20日

ノーカントリー(2007)

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- 世も末の物語 -

ある荒野で、狩をしていたハンター(ジョシュ・ブローリン)が、偶然麻薬取引の現場を目撃する。そこでは交渉が決裂したのか、銃撃戦の後にゲンナマが数万ドル取り残されていた。ハンターは、これをネコババする。

しかし、この金には発信機が取り付けられていた!金を探しにやってきたのは、世にも怖ろしい殺人鬼バビエル・バルデム(写真の人物)。変な髪形をして、妙に哲学的で考え方がおかしい。完全に異常である。でも腕は凄い。たちまちハンターは居場所をつき止められて、周囲の人間は皆殺しになってしまう。

しかし、ハンターもただものではない。保安官も知っているくらいの犯罪者的人物。うまくトリックをこしらえて、追求を逃れる。でも異常な能力を持つ殺人者は、諦めずに追ってくる。ついにはハンターの妻も犠牲になりそう・・・

・・・主役はトミーリー・ジョーンズ演じる保安官ではなかった。殺人鬼とでも言うべき、プロの殺し屋。ハードボイルド探偵がカッコよく推理をするのと反対に、実に手際よく人を殺していた。ハードボイルド殺人ドラマとでも言うべきか?その殺し方、武器が独特だった。ボンベを持ち歩いて、圧力で何かを撃ち出して銃のように使うと言う素晴らしい(?)アイディア。誰か真似しないといいけど・・と思いつつ観ていた。

保安官達が会話で「こんな異常な世の中では、俺達には何もできない。」なんて繰り返し述べていたが、確かに昨今のテロなんかは、警察や保安官の手におえるようなものではない。それが、この作品のテーマのようなものなんだろう。

「ノー・カントリー」というタイトルの正確な意味は解らなかった。ノーカントリー・フォー・オールド・メンという原題らしいが、つまり保安官達のような古い人間には住む所がない、その常識が通じない現在の姿を描いたという意味か?

映像は、ひたすらやり手の殺し屋の所業と、タフな逃走者の戦いを追っていた。その戦いは素晴らしく高いレベルだった。でも、普通なら金を手にしたらバッグは捨てるし、発信機を隠していないか、それこそ眼の色変えて確認するだろう。そこをやらないなんて、とんでもなくヌケたタフガイだった。ニック・ノルティに似ているなと思った。

殺人者役はバビエル・バルデムという俳優だが、初めて知った。おかっぱのような頭が奇抜なアイディアだった。あんな髪形をしていると、からかわれそうだから普通の人間はできない。できるのは本当のバカか、余程怖ろしいやつである。いかにも異常な感じを表わすのに、キレモノのようなスタイルで描くのも一手だが、今回のような変なヘアスタイルも意外に効果的であった。

会話もシュールで素晴らしい。原作があるそうなので、映画の脚本がオリジナルで素晴らしかったのかは解らないが、殺すか殺さないかを妙な賭けで決めるキャラクターは面白い。ゴルゴ13のような冷徹なプロだったら、自分の顔を見た人間は生かしてはおかないが、なにしろ異常な殺し屋なので、賭けの結果次第で助けたりするのも解る気がする。

逃げるハンターも、おそらくは殺し屋も、きっと軍隊の経験がありそう。そのへんが日本とは状況が異なる。

いったん軍隊で殺人マシーンとしてのトレーニングを積んだ人間がマトモでなくなるのは自然な成り行きだと思う。妙にサバイバル能力がつくし、必要以上に攻撃的な性格と武術を身につけてしまっているから、何かちょっとしたきっかけがあれば、たちまち怖ろしい殺人者、犯罪者になれる。そんな状況が日常である国はアメリカとロシア、中南米諸国だろうが、いずれも犯罪組織は活発であると報道されている。強い兵隊を持つ国であるがゆえの副作用みたいなものだろう。

この作品は子供、恋人には見せたくない。R-15ならぬ、R-40くらいにしてもいいような作品だ。

こんなゲテモノみたいな作品が、平成20年度のキネマ旬報の年間ベスト作品に選ばれてしまっている。確かに作品の完成度は高いと思うが、こんな作品に感動しているようでは、それこそノーカントリーだ。世も末だ。

恋人とこの映画を観賞して、「俺はいくら何でも、あんな映画は好きになれないな。」「アタシも。」という会話になればいいが、「ウーンそうね。でもアタシ、あんなクールな殺し屋って好き。」なんて言うギャルがいたら、やはり別れたほうがいいと思う。

女性は本来が動物的なサバイバル感覚を持っているので、結構このような感覚を隠している可能性がある。そして10年後くらいに怖ろしい本性を表わすのだが、この作品は本性を判定するための良いテストになるかもしれない。つまり好きでないなら、メシを作る必要もない、勝手に買い物や旅行だってしちゃうという感覚と同じレベルで、殺してもいいと極端な考え方をする可能性があるのだ。うそじゃない。

それを、この作品の感想で知ることが可能・・・いや、もちろん解らないが。

考えてみれば、私の場合は、家内が私を殺した後で金に困るから殺さないでもらっているだけなのだ。他の家庭も似たようなものかもしれない。

もし彼女が奇妙な格好をしたら、それはもう絶対に悪いサインだ。でも、まさかそんなことはない。きっと彼女らはもっと賢く、本性を隠す術も持ってるんだろうな。この映画の殺人者よりもタフで巧妙なのだ。オー・ノー・カントリー。

 

2008年7月 2日

ノー・マンズ・ランド(2001)

- 設定の素晴らしさ!  -

アイディアが素晴らしかった。舞台劇としてやれそうな狭い塹壕の中で、互いに共感したり反目したりする物語が展開され、心理劇として素晴らしい出来であった。

登場するのはボスニア兵士の二人と、セルビア兵士一人、国連軍兵士一人、テレビレポーターの女性一人、他はエキストラ的な存在。

兵士の一人はブービートラップとして背中に地雷を付けられていて、動けば爆発するので寝たまま動けない。この設定が緊迫感とともに喜劇的な状況を生んでいた。結局地雷は爆発しなかったようだが、誰かが兵士を助けようとするたびに、「やめろー!」と、ヒヤヒヤすることになった。

この兵士としては、敵味方で争ってもらうことより、自分を助けてくれるために協力してくれた方が有り難いのだが、残りの二人は殺し合いを演じてしまう。このへんが、おかしくもあり、悲しくもあった。

国連軍の姿が情けなかったが、実際にも似たような状況なんだろう。

国連軍は、空爆のような激しい行動をとる時には強力だが、それは持っている武器が強力だからであって、立場は強くない。紛争解決に乗り出すのは、民族浄化が激しくなり、多数の住民が殺された後である。

敵対する軍隊の双方を刺激しないように、片方に偏って優遇したりしないように行動する縛りがある。現場の兵士には人道的に耐え難い状況でも、手を引いて見殺しにする場合もありえる。この映画のラストシーンは、それを意味していた。

この映画における国連軍の隊長はフランス人の設定だったが、そんな状況にうんざりして介入してしまう。軍法会議ものの独断行動で、実際には起こりにくいことだろう。ほとんどの兵士は自分が撃たれないことに精一杯で、目の前で殺し合いをされても、民間人ならともかく、兵隊同志なら勝手にやってくれといった反応を示すのではないか?

この隊長の行動で話は面白くなった。ちょっと出来すぎた話にはなったので、できれば軍隊のバカらしい規律に則ったために、次々悪い方向に展開するようにしたほうがリアルで辛らつな話になったかも知れない。

登場人物のキャラクターには、いまひとつ検討が足りなかったような気がする。セルビアの兵士は、もっと規律バカのオタクっぽい性格か、もしくは極端なドジのほうが面白かったのではないか?中途半端な印象を受けた。

地雷を付けた相手に、のこのこタバコを渡しに行くのはバカな行為だった。単純な考えで行動するような人物に描かれていれば、それも納得できたろうが、無理があった。普通ならヤケクソになった相手の自爆の道ずれにされないために、距離をとるだろう。

対するボスニアの兵士はわりと性格が出ていた。おそらく監督がボスニア側だったからだろう。しかし際立った性格でも面白かったのではないか?例えば地雷を背負ったのが極端な弱虫で、塹壕に取り残されたのが歴戦のツワモノだったら、二人の会話も笑える。

ニュースレポーターや国連軍の上官達は存在感があってリアルだった。皆が自分の立場でワイワイ頑張っていたが、結果として誰も地雷を取り除けないという結末は、残念ながら現実であろう。

日本の自衛隊は、この国連軍よりもさらに立場が微妙である。発砲すらいちいち検討してからでないとできない。笑える設定だが、派遣された隊員に笑う余裕はないだろう。

 

 

2007年9月22日

ノッティングングヒルの恋人(1999)

- 仲間がいる -

バツイチの書店主が主人公です。偏った内容の本を集めているところから見て、要領の良いタイプではなさそうです。映画スターが店に立ち寄って、二人は恋仲になりますが、釣り合いが全然とれませんし、スムーズにことが進まず、主人公は傷心のままお見合いなんぞをして、別のパートナーを探したりします。

この作品のねらいは軽くロマンティックなラブ ストーリーだと思います。このような作品に最適なヒュー グラントが主演していました。私の感覚では、彼はイタリヤ的でたれ目すぎる気がしますが、女性達に聞いてみるとロマンティックなんだそうで、やはり女性の趣味は永遠に私には理解できません。

この映画は、家族で観てもいいかも知れません。変な同居人が出てきますが、ご愛嬌です。子供が観ても悪くはないような気がします。エルビス コステロの歌は上手とは思えないのですが、芸術家としての才能があるので聞かせてくれます。古くはクラシックみたいな歌い方をされていた曲を、しゃれたバラードに変えています。

主人公の友人の一人は障害者で車椅子生活ですが、この方と旦那さん、主人公、妹の連帯感はすばらしいと思いました。日本にも元気で前向きな障害者の方がたくさんおられますが、私自身が腰のヘルニヤを起こした時を考えると、よくあんなに前向きに考えられるなと感心します。私の場合は、腰痛だけで完全に将来を悲観してしまいました。

友人達で集まって、ジョークをとばしながら話しあい、障害者からも慰めてもらうなんて、素晴らしいことです。この友人達の存在が話を暖かいものにしていたように感じました。主人公が努力するだけでは、心温まる雰囲気は作れません。

私の仲間でゆっくり集まって慰めるというようなことは、ちょっと考えられません。友人達はバラバラですし、死にそうに働いてますし、崩壊しそうな家庭を抱えていたり、子育てでも手一杯の状態ですから誘うのも気の毒な気がします。

主人公のお見合いを興味深く拝見しました。菜食(果物食?)主義者、やたらしゃべる女などが出てきましたが、お見合いはいろんな人と触れ合うことができる経験で、できれば私もまた経験したいと思います。

知り合いのドクターの娘さんは数十人の医者と見合いしたそうですが、いろんなヤツがいたそうで、デートで金を惜しむ医者とか、ワリカンを申し出る人とか、ジャージみたいな服装で現われたヤツとか、いろんな人がいるのだと、聞いていて感心しました。

かく言う私も、やんごとなき御令嬢とお見合いをいたしたことがあります。ゴルフ場で、さっそうとショットされる令嬢と、シャクトリムシのようにしか進まない私のペアでラウンドしました。スコアと同様、住む世界が違うわと感じて断ろうとすぐ思いましたが、その場で断るとかわいそうかなと思っているうちに返事を忘れてしまい、職場まで怒って電話してこられてヒンシュクを買ったことがあります。

他にも何人かのご令嬢とデートしましたが、やはり何かセンスが違いました。もしいっしょになっていたら、今頃は私も少しは洗練されていたかも知れませんが、愛想をつかされていた可能性のほうが高いでしょう。立場の違う人間の交際は難しいと思います。

この映画の続編で、子供が3人できて幸せだった二人ですが、書店の経営が破綻したために、離婚問題で争う話がおかしく描かれていました。

・・・・冗談です。続編はないはずです。

2007年1月 7日

ノックは無用

- キャラが決まってないマリリン  -

主人公はリチャード ウィドマークで、マリリン モンローが変な役で出ていました。今となっては理解に苦しむキャスティングでした。

主人公は、ホテルの歌手の恋人でしたが、身勝手な性格らしく、女には愛想をつかされています。このホテルにベビーシッターとしてマリリン モンローがやってきます。実はモンローには何か過去があり、そのために少し精神的に不安定なようです。

モンローはホテルの向かいの部屋のウィドマークと昔の恋人の区別がつかなくなってしまったようで、子供が二人の仲を邪魔するのに怒ります。もうちょっとで子供が危ないところで、気がついたウィドマーク達によって一件落着します。この間に、ウィドマークと元の恋人の仲ももどったようです。

この作品は、子供に見せては良くなさそうです。簡単に子供に殺意を覚え、危害を加えようとする女が出演していますから絶対によくありません。しかも、その女を擁護しようとしていますから、描き方にも問題があると思います。

大人が見るのなら、その点も少しは気にしなくてよいことになると思います。精神病だからといっても子供の危険を軽視してはいけない!と、目くじら立てて怒るほどのことはないかもしれません。しかし、この作品を恋人に見せるのは止しといたほうがいいと思います。恋には良い影響がないだろうと思います。

人の心を大事にしない男の役としては主演したリチャード ウィドマークは適役だったかも知れません。いい役でも、どことなく冷たい感じのする役者です。悪役としての方がサマになっていました。

いっぽうのマリリン モンローは本当に情緒不安定な女で、結局自殺(他殺?)してしまったくらいですが、それを役として演じてもしょうがないと思います。思い切りセクシーな狂った女でも設定すれば魅力的だったと思いますが、この作品はまじめな演出でしたので、あまりセクシーな場面がありませんでした。氷の微笑のようなアイディアが当時はなかったのかも知れません。

まったく、なんでこんな役をやってしまったのでしょうか。この映画の予告編を見ましたが、彼女は演技派女優として売り出されていましたので、デビュー当初は、後のお色気たっぷり路線が明確でなかったということかも知れません。

でも演技自体は下手くそではないと思いました。後に演技の学校に通ったりしたそうですが、下積み時代に苦労した効果があるのかも知れません。

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