ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア(1997)
- 米国風ロードムービー -
脳腫瘍と骨肉腫に犯されて余命いくばくかと解った男達が、ヤケザケで酔っ払って偶然手にした車に犯罪組織の金が入っていたことから、ギャングと警察との双方から追われるはめになる。逃げてるつもりがギャングの店に入ったりのトンマな結果に陥るのだが、警察もギャングも充分にトンマで、皆がバカな行動ばっかりとるメチャクチャな物語。
でも、面白かった。
ドイツの作品らしく、ハリウッド映画のような銃撃戦の迫力は全くなく、オモチャのようなちょっとした火薬が仕掛けられているくらいのアンダーグラウンド映画的な雰囲気。でも、その安易な描き方が話をおかしくしていた。これがリアルな作風なら、話が深刻な方向に行ってしまうだろう。
時々主人公の一人がけいれん発作を起こすが、これはなかなかにリアル。けいれん患者は救急外来にはよく訪れるが、大抵は注射ですぐに収まるので、病気としては簡単な部類に入る。それでついつい慣れてしまって、「この注射ですぐ収まりますから、心配なさらないで・・・」と言ってしまうと、そういうときに限って薬に反応しない患者さんがいる。そうなると慌てる。鎮静剤の類ではなく、麻酔剤の類を手術場から取ってこないといけないからだ。
ところが、これまた、そんなときに限って看護婦が保管場所を知らないだの、保管場所の鍵がないだの、ありえない状況が重なる。薬局に連絡しても、薬剤師が寝ぼけてるか酔っ払ってて病院に来るまでには結構時間がかかるもの。
やっと鍵をこじ開けて、使ったこともないような麻酔薬を添付文書を読みながら使う。さすがに発作は収まるが、当然呼吸も止まるし、人工呼吸管理のためにさすがにしばらくはベッドから離れられない。そんな時に限って心筋梗塞だのがやってきたりして、もう一人分の仕事が必要になる。さらに悪いことは重なるもので、応援の医者の病棟の患者が急変して手が離せなかったりするのだ。
これは分身の術を使うしかないと思うが、そんなことはできるはずもなく、成り行きに任せる結果となる。
けいれんの最中に飲み薬を飲ませることは難しい。意識がないから飲んでくれないし、飲んでも吐くし、さらに胃を通って吸収されるまでには時間がかかり、通常は注射以外には有効な手立てはないことが多い。映画は、ちょっと現実的ではなかった。
タイトルは、ボブ・ディランの曲から取ってきたようだ。エリック・クラプトンも演っていた曲だ。全編ロックをBGMにしていて、プレスリーに憧れた母親にキャデラックをプレゼントするような話もあるくらいで、アメリカの影響が強く感じられる内容。おそらくドイツ人にとって、アメリカのロードムービーやギャング映画はかっこいいんだろう。
独特な撮影方法をしている場面があって、ラストなどは特にそうだが、ちょっと効果を狙いすぎて無理があったかもしれない。海を撮影するなら、フィルターなどで全体の色調を統一した印象にしたほうがよかったのではないか?
自分が余命を告げられたら、いったいどんなことをするだろうか?まさか、この映画のような犯罪行為はできない。家族の生活を考えると、金をどうするかなどの後始末に悩むことだろう。心配ばっかりして療養もできそうにない。
家族がいない人間だったら、犯罪行為に走るかも知れない。映画の題材としては、それしかない。弱っていくだけの患者を描いても、客は喜ばないから。無茶でも暴れまわってもらって最後に寂しく死んでもらうと、ラストシーンはこの作品のように美しくなる。
年末に肺癌患者の終末期医療をしたが、奥さんが全面的に介護されたので、非常にうまくいった。今は訪問看護ステーションがいくつかあるので、往診をしょっちゅうする必要はない。麻薬の交換も大抵はやってくれる。
でも普通は家族にも余裕がないので、とても充分な介護はできない。栄養や水分のとりかた次第では患者さんの経過は随分と違ってくるので、ケアには意味があるのだが、なかなか手が回らないので、最後には入院するしかないように感じた。
麻薬のアンプルを処方箋で薬局に依頼したら、驚いたことに「医者が取りに来い」という連絡を受けた。県の薬務課の指導らしい。在宅医療の邪魔をしていることに気がつかないのか?確かに、処方箋を持ってきた人が患者か怪しげな人かを区別するのは難しいとは思うが、電話などで病院に確認すればいいと私は思うが・・・
患者さんとは随分話した。自分の事業のこと、後継者のこと、生き方のこと、企業理念のこと。教えられることが多かった。自分は人生を事業にかけたが、自分が死んでいくことで、今後会社がうまくやっていけるのだろうか?という不安と、これ以上はもう任せるしかないという諦観とが交錯したような感情を示していた。
私は、病気のこと、精神的な心構え、一般的な経過、治療の選択方法などを説明したが、自分にこの判断をしろと言われたら困るだろうなと思いながら説明していた。解りやすく話したつもりでも、実感を持って正確にイメージするのは難しいだろう。「こうしたほうがいいです。」と言われても、体験するまでは実感できるはずがない。
