映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主

  • 乙女座 AB型 どの占いでも最悪の運勢 内科クリニックやってます。

Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

カテゴリー「ね」の8件の記事

2016年7月16日

ネバーセイ・ネバーアゲイン(1983)

Warner

- 制作理由が? -

ボンドは、上司Mに小言を言われ、生活習慣を見直すために保養所に送られる。しかし、そこで犯罪組織の陰謀を目撃し、敵を阻止する仕事にかかる・・・・

・・・衛星放送で鑑賞。バハマを主な舞台に、犯罪組織の核爆弾強奪、恐喝の計画をボンドがいかに防ぐかという話。サンダーボール作戦のリメイクストーリーがなぜ選ばれたのかに関して詳しくは知らないが、シリーズにまつわる権利争いが理由だろうか?

同じ俳優が同じ話を違った演出で演じることは、一歩間違えれば大変な不評につながりかねない危険があったと思う。でも、それでも作品化した根性、度胸に敬意を表したい。コネリー氏は、自分の人気に大いなる自信があったのか?単に金を狙ったのか?

スペクターなみの陰謀が、この作品の制作ではうごめいた気がする。

でも、さすがにコネリー氏も歳を感じさせる。髪は確か既にカツラだったと思うが、それもかなり白髪を加えてあって、実際の年齢に外見を近づけていたようだ。無理をしないメイクをするのは、正しい判断だったと思う。

アクションシーンで大柄の人物と戦っていたが、ちゃんとそれなりの迫力があった。尿をかぶった敵が倒れるというオチも良かったと思うが、残念ながら尿をかぶった時の表情が上手く演じられていなかった。俳優ではなく、レスラーかなにかが演じていたのだろうか?

色っぽいシーンが少なめのように感じた。これも、もしかすると彼の年齢を考えてのことかも知れない。娘のようなヒロインとのラブシーンは、あまりこだわると危ない。もっと他の魅力で作品を売るべきと判断したのかも。

サンダーボール作戦との違いは、ゲームでの戦い。戦争ゲームで負けた方が電撃を喰らうというルールだったが、個人的には子供だましのような印象を受けた。電撃を受ける際の表現は、演技過剰な印象を受ける。カードかルーレット勝負のほうが味があると思うのだが・・・

ローワン・アトキンソンがドジな駐在員として登場していた。昨今の彼より大柄に見えたが、気のせいだろうか?また、キャラクター的にもまだ徹底ぶりが足りていない印象で、徐々に最近の特異なキャラクターに変わっていったということだろうか?

ヒロインのキム・ベイシンガー嬢が大変に魅力的なお色気美女ぶり。クローディーヌ・オージェとは毛色の違うタイプで、時代のせいだろうか?当時の流行は、ファラ・フォーセット嬢に共通するような髪型、体型に移っていたようだ。

ベイシンガー嬢の息の長い活躍には驚く。ポッと出の一発屋とばかり思っていたら、渋いギャング映画などで情婦の役柄を長く演じきっていた。よく理解はできないが、演技力もないとできないことだろう。

核爆弾に関する問題は、この映画の当時より複雑になった。北朝鮮の核開発が一番大きな変化だろう。北朝鮮ならば、作った核兵器を輸出して外貨を稼いでも不思議ではないと思う。もし政権に重大な危機が訪れたら、国内外で実際に使う可能性も否定はできない。その他の国も、どんな理屈で売買、使用に至るか分からない。今は比較的安定した状態だが、経済危機や政変は起きないはずはない。

でも、いまだに互いを調整し、確実に安全を確保できそうな仕組みがない。そこが大きな問題。将来、仕組みを作れなかったことを、残った人間達が呆れながら振り返る時代が来るかも知れない。

 

 

2015年8月17日

ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅(2013)

Paramount

- 名作一丁あがり -

高齢の男に賞金の通知が来る。男はそれを信じて、モンタナ州からネブラスカ州に息子と旅をする。親戚や旧友たちから金を要求されつつ、ついに目的地を訪れるが・・・

・・・・DVDで鑑賞。実にドラマ的なアイディアに満ちた作品。後味が非常に良い。アイディア、脚本、センスが素晴らしい。カンヌ映画祭で、主演のブルース・ダーンが男優賞を獲ったらしい。

白黒映画。白黒は、カラー撮影より心象の表現には向いていたかも知れない。仮にカラーだったらどうだったか考えてみたが、例えば「リトル・ミス・サンシャイン」は似たような性格の作品だったが、あれも充分に魅力を出していた。カラーでも充分にやれたのかも。

モノクロの場合、何も話さずにただ見つめあうようなシーンでは、より相手を思いやっているかのような、静かな雰囲気を感じやすい。この作品でも、運転しながら相手を見つめる際に、独特の間が成立していた。あれはモノクロ独特の効果かも。

おかしかったのは、親戚や友人達が老人を祝福しつつ、しっかり金を要求する態度。理詰めで過去の世話を根拠に、相応な謝礼を要求するセリフは、洋の東西を問わないものらしい。おそらく日本においても、全く同じセリフでドラマが成立する。これは覚えておかないといけない。

もし筆者(劇場主)が宝くじで大金を得たら、家内を始め家族の誰にも内緒にしないといけない。あらためて、そう思った。仮に自分の親戚が大金持ちになった場合、筆者の心に分け前を要求する野心が働かないという保証もない。ついつい、「あの時、俺は君を助けたよねえ~。」などと言いかねない。

かって奪われたコンプレッサーを盗み返す行動も面白かった。兄弟の意見が一致する点がおかしい。およそ盗むなど似合わない兄貴が、何のためらいもなく行動に走るのは、やはり親子の情のなせる業と思う。ということは、家族のために大犯罪を犯す場合も当然ありうるということ。世の中の犯罪の多くも、そんな理由で起こっているのかも。

親戚が大勢集まって何をするか・・・黙ってテレビでスポーツ観戦というのも笑える。実際にもそんな家族は多いかも。家族によっては、若い連中はひたすらスマホいじり、年寄りは焼酎飲みつつバカ話、子供は黙々とゲーム、そんなものかも。

劇場主が親戚と会うと、必ず病気の相談受け付け係になってしまう。これは内科医の宿命かもしれない。いっそ精神科医にでもなっていれば、随分と寄り合いが楽だったかもしれないが、そうすると悩み相談室が誕生していたかもしれない。楽な親戚付き合いができる職業は何だろうか?無職?

登場してくる人物達の体型も笑えた。恋人からしてジーンズがよく履けたと驚くほどの見事さ。従兄弟の兄弟も凄い肥満体。あちらでは一般的かも知れない。米国で出会った人たちは極端なスリム体型と、力士以上の肥満体が混在していた。

車に対する感覚もおかしい。どれだけのスピードで走って来たか、妙に気にするのは日本でならカーキチ、暴走族あがりがほとんどと思うが、あのあたりでは車への依存度が高く、かなりの修理もできないと日常で困る人も多いはずなんで、感覚が違うのだろう。

日本車と韓国の車との区別がつかないのも、いかにも彼ららしい。どっちでも、サービス内容が同じなら気にする必要はない。たぶん、世界地図を見せても生産国を区別できないかも知れない。

ピックアップトラックが米国では大きな市場を占めるらしいが、どうも理解できない。本格的なトラックには実用面で敵わないと思うし、実際にピックアップの荷台に何か積むことは、そうそうないように想像する。トラックのほうが便利では?でも、主人公らには独特の思いいれがあるようだ。何か、そんな伝統があるのだろう。

ネブラスカ州はグレートプレーンズに位置しているようだから、本当に広大で、地平線まで畑が広がったような風景。よく家が飛ばされないなと思う。竜巻がなくても、ちょっとした低気圧で凄い風が来そうなものだ。さえぎるものは何もない。日本の考え方だと、なるべく二階建ては避けて、防風林をしっかり周囲にこしらえ、家を破壊から守ろうと考えるだろうに、やはり歴史の知恵が足りないのか?

あるいは、竜巻が凄すぎて家は吹っ飛ぶものと諦め、防風の工夫を破棄しているのか?

ブルース・ダーンは懐かしい俳優。「ファミリー・プロット」では彼がなぜキャスティングされたのか理解できなかった。「帰郷」では、実に最悪の情けないキャラクターだったが、当時の彼の風貌では役柄に非常に合致していた。今回の役は、演技の跡が分からないくらいの名演。

聞こえたのか聞こえないのか分からないような表情、間の取り方が抜群に素晴らしかった。

アレクサンダー・ペイン監督は、「ファミリー・ツリー」の監督だそうだ。偶然か知らないが、ネブラスカ出身らしい。現地の雰囲気は熟知していたわけだ。あちらには車で移動しつつ、家族愛を確かめるコメディという確固たる領域があるようだ。ナンセンスギャグ、ちょっとした失敗、勘違い、諍い、それらによる事件をつなげれば、次々と名作が誕生するってわけらしい。

 

 

 

2015年2月 9日

眠狂四郎炎情剣(1965)

Daiei

- ヒーロー像 -

浮世と離れた素浪人の狂四郎は、あだ討ちの女を助けた縁で、悪徳商人やワルの家老と知り合う。彼らは海賊の財宝をめぐって巨万の富を得て、しかも互いに相手を破滅させようと企んでいた・・・

・・・2月1日、衛星放送で鑑賞。50年も前の作品とは!実に面白い設定で、ニヒルでノンポリの主人公が人を助けるかと思いきや見殺しにする。かと思えば通りすがりの人物を助けるために命を張るという、一貫性に問題のある態度、それでいて多少は考えに一本通った感じもする、当時として理想であったろうヒーロー像が描かれていた。

おそらく作者シバレンには、当時の世相を評して、こんな主人公が最も格好良く写るに違いないという確信があったのでは?実際に筆者の子供時代、ひねてアウトロー的な人物がヒーローであることが多かった。安保闘争か労働運動のなれの果てか何かは知らないが、モーレツ社員達が、自分の代わりに世間から超越したヒーローに望みを果たして欲しかったのでは?

あんなヒーローは、三船敏郎の用心棒や、マカロニウエスタンのスター達もそうだったが、颯爽としておらず、決まって出世も考えず、身なりも汚らしいし、言葉も汚いことが多い。狂四郎は汚くは見えなかったが、それでも羽織袴を着たりは絶対にしそうにない。どことなく上品なのは歌舞伎の世界の名残りなんだろうが、そこらが少し味となって独特の格好良さを生んでいた。あれを勝新太郎体型の俳優が演じたら、たぶんリアルにはなっても品が下がっていただろう。

あんなヒーロー像、筆者も子供の頃は真似をしていた。手をポケットに突っ込んでスネたような上目使いの目線で人を見たりしていた。同級生たちも似たようなもので、ラッパズボンをはいたり、大人になってもタバコを退屈そうな顔をして吸ったり、要するにツッパリであったのだろう。ツッパリは、おそらく自分を守ろうという反応の一種だろうと思う。

演じていた市川雷蔵は強そうに見えない。体つきから考えて、切り合いでは押されたら倒されて一巻の終わりにならないとおかしい。迫力に欠ける彼が主役を張れたのは不思議な感じがする。いっぽうで、どこか洒落た感じ、ギョーカイ人の雰囲気は、歌舞伎出身者であった彼の特徴で、役柄に合っていた。迫力だけでは演じられない役柄だった。

中村玉緒、阿部徹、西村晃らが共演。中村玉緒は悪女の役だったが、非常に見事に演じていた。それなりに美しく、目線がきつく、野心家らしいが可愛げもある女を感じさせていた。声色が今のバラエティ番組の声とは全く違う。相当作った声で演じていたか、もしくはホルモンの欠乏により男性化したのか、そのへんは定かではない。

西村晃のアップの場面が多かった。嫌らしい人物だが、他の映画との若干の違いは、この人物もリアルな生き残りのための工夫をしていて、自分の後ろの黒幕と運命を共にしようとは思っていなかったこと。悪人同士の裏切りはよくあることだが、この作品では自分の考え方を自分で丁寧に説明することなどが違っていた。アップの際の顔の影などの表現も、とても悪役を写したものとは思えなかった。

そもそもテレビを観ていて思ったのは、画像が非常にきれいだったこと。リマスタリングをやっていたのだろう。おかげで、アップの画面の顔の陰影が緻密に表現され、密室の心理劇の際に感じられるような臨場感、彼らの心情が窺えそうな表現の力強さが感じられた。カメラワークに関して、相当練ったに違いない。

殺陣のシーンも工夫が感じられた。円月殺法は笑ってしまいそうなものだったが、写す角度を色々変えて、飽きが来ないようにと考えたのでは?でも別な考え方もあったと思う。例えば、普通の切り合いでは円月を出さす、敵の最も強い相手と戦う時だけ見せたほうが、観客の注目度が変わる。出し急がないという方針はなかったのだろうか?

また、もっと奇想天外な流派を、カメラワークで見せる手もあったと思う。スローモーションや月の映像などを合成して、謎めいた剣術を演出することは考えても良かったのでは?やりすぎると子供映画になってしまうから敬遠したのだろうか?あんまり奇抜すぎる演舞もできない。演じていた雷蔵が吹き出してしまったりしたら困る。

さて、この作品、今の子供にはどう写るのだろうか?、まさか単なるレイプ犯の記録?・・・少なくとも倫理的に問題がないはずはない。道徳の授業の代わりに鑑賞させるタイプの映画ではない。やはり大人限定の映画だし、もはや時代的に賞味期限は切れていると感じざるを得ない。せっかく演出やカメラワークを工夫しても、黒澤映画とは方向性が違うから、長持ちはしなかったようだ。

 

 

 

2014年10月31日

ネバーランド(2004)

- 原作者は子供?  -

ピーターパン物語の誕生に関わる作者と、ある家族の実話を映画化した作品。ジョニー・デップ主演。DVDで鑑賞。ジョニー・デップは繊細そうな主人公を存在感たっぷりに演じていた。

1900年頃の話らしい。非常に静かな作品で、優しさに満ちた美しい話。おとぎ話のようでもあり、まあメロドラマと言えるだろう。中心のテーマは主人公と少年達の心の結びつき。男女関係は、あんまり関係ない描き方だった。実際がどうだったかは分からない。ヒロインに相当するのは少年達の母親役のケイト・ウィンスレットで、魅力的な女性として描かれていたが、不倫をテーマには描いていない。

当時の風潮がどうだったかは知らないが、妻のある男性の別荘でともに過ごしたりしても、よくあることで問題視されない傾向はあったのか?現代なら離婚に絡んで法廷闘争のあげく、「夫に不倫された証拠」として採用されそう。慰謝料の額がどんと高くなることだろう。だから秘密にしないといけない。同じ車に乗ることは厳禁。子供達も仮面か変装して欲しかった。

主人公の夫婦には子供がいなかった様子だし、子供達と出会った頃の作者は既に40歳くらいだったようだから、子供は諦めていたのかもしれない。養子にしようという考えを持って、彼らと付き合っていたのかも。もしくは単に可愛らしいから?末っ子などは天使に近い存在。

近年は外国人の子供と接する機会が増えた。近所の白人の子供を見ると、天使をイメージしてしまう。天使の絵が白人の子供を描いているからもあるだろう。あれがもし黒人の子供を描いていたら、イメージが黒人のほうで出来上がっていたかもしれない。日本人の天使は宗教的に考えにくいが、仏教に天使のようなものがいたら、きっと東洋系の天使のイメージもあったかも。もともとの天使といえば、ミカエルなどのように戦いの神様のようなイメージではなかったかと思う。幼児の天使のイメージはどのように発生したのだろうか?

また、妖精のイメージはいつから発生したのか?映画が出来上がる以前から、小さくて姿が見えない存在のイメージはあったに違いない。童話にも出てくるから、相当な昔に起源があるに違いない。でも今の一般的イメージでは、ピーターパンの中のティンカーベルこそ妖精という人がほとんどでは?ジブリ映画での妖精的存在のキャラクターも、イメージとしてはそうだろう。

ピーターパンは、ちょうど映画の100年前くらいに劇場で初演されたらしい。ディズニー映画のイメージが強い自分には、舞台でピーターパンの動きを表現するのは難しいような気がするが、おそらく想像力と舞台技術によって、それは成し遂げられていたのだろう。

世界各地で何度も繰り返し上演され、日本だと榊原郁恵がしばらく演じていたのを知っている。当時の筆者のイメージでは、肥満体のアイドルが演じたらロープが切れないかな?もはやアイドルに限界を感じたのね・・・そんな哀感と失笑を伴った感覚しかなかった。ところが彼女は息の長いタレント活動をやっていて、アイドルではなくなってしまったが、ちゃんと家庭を支えており、根性が凄いことが分かる。

この作品を観た後、もしかして作者自身もピーターパン症候群に近いものを持っていたのかもしれないと考えた。いい大人になっても、向うの紳士は遊び心を持っている人が多かったらしい。日本のように生活に汲々とする人が大多数の国ではなく、植民地支配や貴族社会、大勢の資産家の存在によって、遊んでいてもさらに資産を増やしていけるような人は多かったはず。社会に余裕があれば、夢想を演劇の形に変換する企画も、ごく自然に進んだのかも知れない。

劇を作ろうとして机の上で計画的に考え出されたにしては、ピーターパンは斬新すぎるような気がする。子供時代の作り話は奇想天外だから、複数の子供達の夢想のアイディアのやり取りの中で、まとまりのある方向に昇華されたのなら、あんな話も出来るかも知れない。作者自身の幼少時のことかも知れないし、預かった子供達の遊びの中からかも知れない。

そのアイディアを奪った・・・というと問題だが、まとめた可能性はある。とにかく、ピーターパンの話は一人の人間が考えるより、思い付きによるキャラクターを無茶苦茶に集めたかのような支離滅裂さが感じられる。子供のセンスの匂いがする。

 

 

2013年6月10日

ネイビー・シールズ(2012)

- 第一級の迫力 -

CIA要員が拉致された。犯罪組織が情報を聞き出すためだ。米軍の特殊部隊が救出を試みるが、激しい撃ち合いになる・・・

・・・戦闘シーンのための映画だった。でも、その圧倒的な迫力は素晴らしかった。恋人や子供と見るべき作品ではないが、戦争物の映画としては、実は第一級の出来栄えかも知れない。子供時代に見ていたら、圧倒されただろう。

出てくる武器が凄かった。紙飛行機を飛ばして何すんの?と思っていたら、ちゃんと上空を飛行して敵をセンサーで把握してくれた。どうやって長時間飛ばせるのか知らないが、小型のモーターやセンサーを積んでいるのだろう。以前なら高空から無人偵察機で探索していたのだろうが、敵に発見されにくい点では、小型機のほうが優れている。

まさか日本製じゃなかろうか?部品には日本性製品が使われていそうな気がする。

機関銃も凄い。ボートに乗って救出に来た部隊が発射する機関砲は、銃弾の発射速度が違っていた。巨大な銃弾を圧倒的なスピードで撃ち出して敵を動けなくする効果があった。確かにあれくらいの勢いがないと、敵に反撃を許してしまう。車も人も粉々にするくらいの破壊力が必要だ。

空からもやってくるし、海からもやってくる。進撃する際にはスナイパーが援護し、暗視野用のスコープ、レーザーなどで射撃成功率も高い。銃弾一個一個の破壊力も、おそらくゲリラのものとは違うのだろう。ゲリラたちも、あんな連中と戦いたくはないだろう。

海兵隊のような突撃目的の部隊ではなく、侵入、救出を任務とするのか、やや身軽な装備で、洗練されたような趣向の違いがあるように感じた。確かに潜入専門と、破壊爆破専門、制圧専門など、目的と方法によって違う部隊を作ることは合理的。

演じていたのは実際に隊員だった連中だそうだ。演技よりも、実際の凄さ、迫力を重視したのは成功だった。独特のノリのよさがあり、作り手がミュージックビデオで活躍した経験も役立っていたのだろう。

おそらく、米軍が非常に協力してくれているようだ。新兵募集に役立ちそうなヒーローストーリーだし、軍の行動の宣伝になり、予算確保にも役立ちそうだから当然。演技はヒロイックなカッコづけの印象を受けたが、そのへんは仕方ない自己陶酔のなせる業か。

実際の戦場では、建物に侵入する際などはいかな高性能の銃火器を持とうとも、隙があればやられると思う。おそらく数で圧倒されたら、映像よりも多くの犠牲者が出たのでは?敵も侵入口を限定して防御し、米兵が入ったとたんに銃弾が飛んでくるはず。撃つ前にやられるだろう。映像は出来過ぎだったと思う。

ワナも足りなかった。地雷やトラップなどを仕掛けていないなんておかしい。壁の向こうから次々手榴弾を投げられたら前に進むのは厳しいと思う。実戦ならトンネルに入るまでに相当な時間を要し、かなりは逃げられていたのでは?

シールズ部隊は各地に散らばっているそうだから、映画のように限られた人物があちこち出撃するのも変だ。南米とアフリカでは当然違う部隊が活動するだろう。ストーリーはいいかげんだった気がする。でも、それを補って余りある迫力があった。

テロ集団を相手にする戦争、スパイ活動、そして拷問さえも正当化しようという方向が映画界にはあるのかもしれない。ウサマ・ビン・ラディンを殺害するまでの諜報活動は、おそらく敵人員への非人道的尋問を伴うものだったと思う。

特殊な事情があるのも確かだと思う。テロリストを補足した場合、米軍が民主的に対応していたら、きっと敵は釈放したすぐから破壊活動を続けるに違いない。アメリカ的社会の理屈は、相手には通用しない。

敵は違った理念に基づき生きている。日本もかってはそうだったが、日本兵は社会的な安定と成功を夢見る点では米兵と同じだった。でも金持ちや名士になることに興味のない敵は、エサとなるものがないからやっかいだ。協力を得ること、敵対行為をやめさせることは、ただの説得では無理。かといってハーレムに招待するか麻薬を提供するかすると、人道面で追及される。殺すしかないと考えるのは自然な反応かも。

アルジェリアで日本企業の社員が殺された事件も、結局はテロリストらしき集団を皆殺しに近い形で退治して解決したらしい。話し合いなど最初から考えないほうがスムース、そんな諦めが現場を支配しているのでは?

そうなると、米軍の活動が終わる見込みは少ない。世界中にシールズ部隊を展開させても、完全にテロリストを管理することは難しい。根絶やしになるはずがないのだから。でも、やらないわけにはいかない。

 

 

2011年9月 2日

ネバダ・スミス(1966)

- 当時の雰囲気 -

ならず者に両親を殺された主人公は、復讐の旅に出る。途中で拳銃などを修行し、敵を一人一人追い詰めて行くが・・・

・・・スティーブ・マックイーンは不思議な俳優だった。反逆児のような行動を実際にもとるし、映画の中での役柄も独善的、役柄と実際のイメージが近い。イメージを大事にするハリウッドスターの、当時の代表格だった。

西部劇よりも、現代劇の出演のほうが多かったと思うが、荒野の7人も印象は残っている。極端に体力がある方ではないはずだが、倒れた男を軽々と抱え起こしていたから、細い割に腕力はありそうで、身のこなしが軽く、反応が素早く、タフそうなイメージがあった。

スタントなしでやっていたように見えた。馬に引きずられて水辺を行くまでは許せるが、砂利の場所もあった。あれは痛かったに違いない。

この作品では青年から大人になる期間を演じ分けていることがよく判った。単なるカッコづけの俳優でないことが明白。後半部分のガンマン姿は本当にカッコイイ。表現力と雰囲気の全てが高いレベルに達している印象。でも、さすがに表情はくさいと思う。

この作品には原作があるようだ。長い小説のようなストーリー。親の敵が既にバラバラになっていて、一人ずつ復讐する長い話になっており、大河小説のような壮大さを感じる。途中で教会の神父の世話になって、かなり真面目な展開もある。単なる娯楽西部劇ではない。

西部に限らず、途中では湿地帯の中の収容所にまで場所が移る。復讐劇だけでなく、脱走劇、恋の話、インディアンとの出会い、師匠とのふれ合いなどなど、たくさんのエピソードが挿入されている。

復讐に来たのではないかと疑われて、母親の形見を見せられる、名前を呼ばれるなどのテストをやられるシーンが面白い。観客は「ばれて銃撃戦に今なるか?」と考える。本性を隠すときの反応が微妙で、上手かった。

ただし、やはり無理はあった。名前を呼ばれて疑われるのは、普通は新参者のはず。そのまま気づかれずに仲間に残れるのはおかしい。カール・マルデンは、もう一度テストをしたくなったはず。もしくは面倒を避けるために、あっさり殺すだろう。

証拠になりそうな品を長く持ち歩くくらいのヌケ作なら、長生きはできない。何事も慎重に、ミスにつながりそうなことを避けないと、荒野で生き残ることはできない。本来なら最初から主人公を殺すくらいの用心をするのでは?

芝居がかった微妙さは、今は受けない。この作品は映画らしい映画で、名画の域に入っていないかも知れないが、当時の映画の雰囲気が残る、なかなかの作品。今なら、おそらくもっと残虐なシーンが増えるし、濡れ場も激しいヌードになるだろう。

そもそも話が長く、場面が変わりすぎて、今の観客には受けないかも知れない。単純な設定を好む客が多いような気がするが・・・

カール・マルデンとのラストシーンには記憶があった。何かの名場面集で見たことがあったのかも知れない。終わり方としては、かなり変わっている。普通は観るのに障害のない荒野で互いに銃撃し、主人公も傷つくことが多いが、一方的だった。

絵としては大きな岩が邪魔になったような気がした。川のほとりが坂になっている関係で敵の全身が見えない。平らな所に場面をわざわざ移して派手に殺すのが普通の映画だが、この作品はリアルかも。岩に隠れたほうがやられるのは不自然だが。

この作品は、たぶん今の若い人、子供には受けない。恋人と観て受けるかどうかも。よく解らない。年配者なら受けるだろう。

2010年11月30日

ネットワーク(1976)

テレビ製作局の舞台裏を描いた作品。アカデミー賞を取った。

当時の記憶では、ロッキーとどちらが取るかの争いが話題になっていたが、低予算のロッキーよりも高級で大掛かりに作っていること、テーマとして社会問題を扱っていることや、作り方そのものがそもそもアカデミー向きな点で、ネットワークのほうが有利ではという予想だった。そして、その通りになった。

主演のフェイ・ダナウェイが素晴らしい。仕事に燃えるキャリアウーマンで、極めて優秀なんだが、結婚生活は当然のように破綻し、目的のためには手段を選ばない姿勢を上手く表現できていた。悪役と言えるのだが、ある種の魅力を出している。

このキャラクターの設定、話す言葉、話し方が映画のリアリティに直結していた。あんまりオーバーに演じると浮いてしまって安物の作品と思われる。あんまりクールに演じると、共感を得るのが難しくなる。そのバランスが絶妙だった。

全く色気がない女優だと観客から嫌われてしまう。色気がありすぎると、仕事に燃える女性としては不向き。微妙なところではまり役だった。

テレビ業界のあり方は時々問題視される。事件を捏造したり、事実と異なる内容をセンセーショナルに伝えて視聴率を稼ごうとする事例は稀ではない。内容も深さが足りないなどと度々指摘されるのだが、改善は難しいだろう。

この十年くらい、ドラマを見なくなった。時間が足りなくなったし、自分がトレンディ俳優達より歳をとって、恋愛にも興味を失ったからだろうか?すっかり枯れてしまった感じ。

たまに子供といっしょに志村けんのバカ殿を観たりはするが、他のバラエティ番組も見ないことが多い。昔は随分見たものだが・・・。ダウンタウンのような芸風は、基本的にセンスが良いとは感じない。

人の非難やガラの悪さを中心とした笑いが今や主流になっている。政治家をからかって笑いを取るような大人しい笑いだけでは受けない。

世間自体が低価格でB級を好む風潮なんで、気取ったジョークは嫌われるからか?でも少なくとも、今のバラエティ番組を20年後に見た場合、今我々がドリフターズの番組を観るほどの面白さは感じないと思う。

ニュースかバラエティか、はっきりしない番組もあるが、真面目なニュースでは敬遠されるからか?コメント内容も不正確で、無責任。

仮に自分がコメンテーターになって意見を求められたら、うまく話せるか自信はない。確実なことを言おうと思えば、「・・・の可能性もあり・・・も否定はできず。」という風に歯切れの悪い言い方になってしまうだろう。多少の嘘や誇張は、時間を限られた番組では仕方ないのかも知れない。嘘や誇張が嫌なら、テレビなんか見なけりゃいい。

アメリカ社会は国家よりも企業が支配する集合体だというのは、我々には受け入れやすい感覚だ。純粋な政治勢力、教会、農家などの一般人の力も強力ではあるが、資本の流れと会社の要求から全く外れた政策はありえない。

時には軍需産業の要求で戦争を仕掛けていることが疑われる場合もある。「民主主義の敵、抑圧からの解放」を謳いながら、実情は武器の需要を喚起し、石油の利権を確保するだけの結果だったりする。アメリカに限らないのだろうが・・・。

軍需産業の要求が常に通っているとは思えない。政府にうまく取り入って、うまく情報操作をできた場合に限られるのだろう。後で工作がばれて大変なことになる場合もあったようだ。

繰り返し乗せられるアメリカ人は、不可解な国民。宣伝やイメージ戦略が優れているからと思うし、広大な国土や、人種が雑多で流動性が大きい社会であることなど、偶然の部分が大きいのだろうか?

日本人も、それこそテレビの報道の仕方によって結構扇動されている。冷静な判断など許さないような風潮に染まる時がある。インフルエンザの騒ぎなどの時に特に思う。

中国も怖い状況だ。国粋主義者の右翼(中国で右翼というのも変だが)が極端な行動をとる傾向がある。商売熱心な党幹部の師弟達は、海外に資産を移して新たな革命の場合に備えているらしい。日本は特に安全なんで、マンションや土地を購入するケースが増えているようだ。

とにかく、視聴率競争と、特定の利権団体の利害が一致した場合は、どんな宣伝戦略をとってくるか解らない。注意するしかないが、注意してても大多数の人達は流されてしまうのが常だ。

 

 

 

2006年12月22日

ネゴシエーター

- 主役交代したら?  -

この作品は子供や、恋人と見ても良いと思います。残虐なシーンが意外に直接は出てきませんので、子供でも良いと思ったのですが、切り落とした耳を見せるシーンがチラッと出ますから、そこだけは敏感な子がショックを受けてしまうかもしれません。そんな子供は、刑事もの映画すべてを見せない方が良いと思います。普通にテレビを見ている子ならOKでしょう。考えてみれば、今のテレビは結構残虐なシーンを平気で流しています。

この作品のエディー マーフィーはいつもの彼よりも笑いません。少しだけジョークの場面がありますが、ほんの数分間ですしギャグもいつもより品があります。彼が主演しなくても問題なかったと思います。本来の味が出ていません。演技やアクション自体はマトモで、うまく演じています。ただし、ガラではないと思います。肉体派の俳優と交代した方が良かったのではないでしょうか。

悪役のやせた俳優は良かったと思います。頭も悪くなさそうで、不気味な感じがよく出ていました。ただ、宝石店に押し入る理由がよく分りませんでした。普通、刑事を殺した後は余程の理由がない限り新しい事件を起こさないように用心するのではないでしょうか。さらに、彼がエディー刑事の恋人のことをどうやって調べたのかが分りませんでした。脱獄も簡単にいきすぎのような気がしました。

犯人をもう一人、凶暴なだけの男を設定してみたら良かったのではないでしょうか。通常今までの映画なら、そのようにされています。その男が脱獄を手引きし、その男の暴走で宝石店の襲撃になり、エディー刑事の私生活がばれてしまうのなら、話として無理がないと思います。脚本の段階で何か検討しそこなったのでしょうか。

相棒のスワット隊員役は、もう少しキャラクターに魅力を持たせても良かったのではないでしょうか。出来が良すぎて親近感が持てませんでした。普通はマヌケで笑わせることが多いのに、この作品は何か冒険をしたかったのでしょうか。普通のパターンでは設定されていません。

サンフランシスコの町は、映画を作るために作られたという噂です。カーチェイスをする時に、この町の坂ほど最適なところはありません。坂道で電車が暴走する場面は昔から何度となく見てきましたが、カーチェイスに関して、この作品の技術は素晴らしいものがありました。綿密に計算しないと、スタントマンに死人がたくさん出そうなシーンでした。

この電車のシーンなどを中心に、しっかりしたスタッフがちゃんと作った映画だと思います。主役には別な俳優が良かったように思います。

その他のカテゴリー

| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |