映画評

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カテゴリー「と」の28件の記事

2009年9月30日

トランスポーター(2002)

 - クールで朴訥 -

主演 ジェイソン・ステイサム

凄腕の運び屋フランクは、ある日の依頼で中国系の女を運ぶ。女はマフィアのボスの娘で、父親の非道な仕事を止めさせようと騒ぐために監禁されようとしたのだった。口封じのためにフランクも殺されそうになるが、反撃して娘を救出し、ともに犯罪組織と戦うハメになる・・・

・・・近年流行のアクションスターといえば、ジェイソン・ステイサムとダニエル・クレイグである。ともに渋めの外見、精悍な体つき、少し武術の系統は異なるがカンフーやらが混ざった総合格闘技の技術を持っている。カーチェイスも上手くこなしている。

ステイサムは禿げていて二枚目には見えないが、次々と主演をこなしている。この作品は彼の名前を一気に上げたシリーズの第一作だ。確かにクールでかっこいい。

武術の達人、もと軍人、規則を自分に定めている、冷徹なようで時には正義感にしたがって悪を退治する、ドライバーとしての腕も確かという設定はクールだ。

二枚目でないのもいいかもしれない。ハンサムな軍人上がりは設定としてちょっと不自然で、朴訥な雰囲気が出てこない。損な役割を演じる主人公としては合わない部分が出てくる。危険な仕事に巻き込まれてしまうのは、スマートでない実力者だからである。外見も役柄とバッチリはまっていた。

騙し騙される展開の作品なら、もっとズルそうなにやけた役者がいい。でも、世界は実力で敵をなぎ倒す体育会系のヒーローを求めていたんだ。

敵役の中国系マフィアは懐かしい顔だった。整形したのか、ツルッとした顔は不気味。

内容はないけど、アクション映画として仕上がりは素晴らしい。高いレベルのアクションがバランス良く配分されていた。2-3回見た記憶があるのだが、見るたびに感心する。娯楽作品としてのレベルは非常に高い。だからシリーズになったのだろう。

子供に良い影響はないかもしれないが、家族で観れると思う。恋人といっしょに観るのもOK。たぶん、しばらくは色あせないだろうという感じがするのも、この作品の完成度の高さゆえか?

2009年9月28日

トランスポーター2(2005)

- ルールがある -

主演 ジェイソン・ステイサム

運び屋家業を一時引退し、裕福な家庭のドライバーをやっている主人公は、子供の送迎を担当している。しかし、犯罪組織が子供の襲撃を計画し、いったんは撃退したものの、結局は誘拐されてしまう。子供を救うために犯罪組織と戦う主人公だったが、誘拐事件の裏の目論見が明らかになってくる・・・

・・・激しいアクションで人気のシリーズの第二段。現在は第三弾が公開中なので、この映画はテレビで鑑賞した。確か二回目だったと思うが、二回目でも結構退屈はしなかった。展開が早いこと、アクションが手際よく、かっこいいからだろう。

機関銃の弾を木のドアで防いだり、車の下につけられた爆弾を取り外すために、車を宙返りさせるなど、ありえないシーンも多かったが、そこは理屈で考えてはいけないのがルールその一だ。

舞台はアメリカのマイアミらしいが、やたらフランス人が登場するのが不思議である。アメリカの警察は役に立たないが、ちょいと旅行してきたフランス人の一刑事が大活躍して主人公を助ける。しかも料理に関する講義までやる。アメリカ人をバカにするのも、ルールその二だ。

そしてルールその三は、とにかく敵も味方もやたらカッコつけて、敵を殴った後も、銃を撃つ前にもちゃんと見得を切らんばかりにポーズをとることだ。これがないと二級品映画の魅力が出ない。淡々とアクションをこなしても仕方ないのである。

カーアクションがまた素晴らしい。スタントマンの力量は半端ではない。敵の中では下着姿で銃を乱射する女性が、いかにもリュック・ベッソンの趣味らしい。もうひとり、セーラー服みたいな格好で主人公に絡むギャルも、それなりに存在感だけはある。

子供には本来なら向かないんだが、子供が最も喜び、悪影響を受けるタイプの作品。家族で観ると、結構誰でも満足できる作品。恋人と観ても盛り上がること、うけあい。

感染したら、その人や周りの人物だけを殺して、後は毒性を失うという便利なウイルスはないと思う。弱毒だが、感染力が高いウイルスなら作れるし、強毒性だが感染力は低いウイルスもいるが、結局そんなウイルスをコントロールするためには、直接注射しないと無理だ。下手すると自分達が真っ先に感染してしまうので、武器にはならない。

 

2009年4月22日

トロピック・サンダー(2008)

Benn

- 役者業に専念せよ -

落ち目のアクションスター、下品なだけの肥満体コメディアン、役に異常にはまり込む俳優、ラップミュージックスターを主演にした映画が撮影中だった。しかし撮影は役者達のまとまりがつかず、予算オーバー。プロデューサーは怒って監督を強迫する。監督は役者達をジャングルに置いてけぼりにして、必死の演技を撮影しようと考える。

ところが、そこは麻薬組織のテリトリーだった。撮影どころか地雷で吹っ飛ばされるやら、次々と人質になって身代金を要求される始末。しかし、製作者側は保険金での儲けを狙って、彼らを救出する意志は全くない。

役者達による本物の人質救出作戦が開始する・・・

・・・ベン・スティラーの構想による作品。子供には勧められない。恋人と「今日はくだらない映画を観ようね。」と断って観る分にはいい映画かも知れない。でも、作り手のセンスが違う気がする。

基本的な構想は良かったが、脚本に問題があった。主役らが勇敢すぎた。活躍することは必要なんだが、勇敢すぎると笑いを半減させる。逃げ惑うほうが、喜劇役者にふさわしい。恐怖の表情で笑わせることを原則にしないといけないのに、この作品では真面目にアクションをやっていた。それでは、観客がどういう視点で映画を観ればいいのか解らなくなってしまう。

生首を持ち上げるシーンでは、いくらなんでも本物と気がつかなければおかしい。人の頭は非常に重いので、高々と持ち上げるには相当な腕力が必要だ。質感で解る。それに死んだ人の顔をアップで写すのは、気味の悪い趣味である。肉食人種の子孫でないと理解できないギャグだし、欧米人でも嫌悪感を感じる人が多いのではないか?生首は後ろから写して、気がついていないドジな主人公を笑えるようにすべきだった。そして、気がついてビビル姿を笑わせるべきだった。

スター達が各々問題を抱えているという設定は理解できたが、この描き方が大事だった。上手く描けば同情することができて、最後の成功に生きてくるが、同情しようもない描き方では、最後の満足感は望めない。

したがって、出演者は一見スターでも、離婚寸前、破産寸前、ヤク中の末期などの問題に手を焼いていて、解決の糸口を見出せないで入ることを丁寧に描くべきだった。描くのは難しくない。情けなくて笑えるようにすればいいのだから。そのためには、例えばエージェントが出てくるシーンはカットして良い。あのエージェントは失敗だったと思う。

主に監督主演のベン・スティラーの問題だと思う。主役はドジこいて人を笑わせないといけない。パンダと戦うシーンがあったが、必要だったろうか?パンダが東南アジアに出現するのは、おかしくないか?パンだの格好も必要ない。

逆に必要なのは、ジャック・ブラックと皆がケンカするシーンだ。ジャック・ブラックのキャラクターが生きていない。彼が麻薬に対する行為は、ギャグにはなりにくい。麻薬はギャグにするにはシリアスすぎる。観客の中にも笑えない人が多かったと思う。例えば、彼がアル中だったなら比較的マシだったが・・・

役者がそろった場合に、当然出てくるライバル意識が表現できていなかった。くだらないことで競争する本能がでないとおかしい。もったいない感じがした。

ライバル意識が友情に変るようなエピソードでもあれば、後の印象がいい作品になれたかもしれないが、いきなり助けようと意見が一致するのはおかしいと感じた。助けなければ自分達が破綻するというような、切実な理由が欲しかった。

主役が捕まる必要があったかどうかも解らない。脱出するためにはヘリのパイロットが必要なので、パイロットを救出する作戦に出るというのなら納得がいく。武器を持たずに武装した連中を相手にしようというのだ、なぜ主役の俳優を救う必要がある?

仕掛けは良かった。「プラトーン」の名シーンが基調になって、最初と最後でパロディのシーンが2回繰り返される仕組みになっていたが、これは美しく撮影されていたし、意味があったと思う。そのほかにも有名な役者が何人もチョイ役で出演していて、笑わせる効果があった。

また、アクションや戦闘シーンの舞台設定や、小道具などに関しては完全にプロの仕事だった。本物の戦争映画と同じレベルの仕事をしていた。小道具さんたちは、この作品を観て満足してくれたろうか?

ベン・スティラーを始めとして、コメディアンから監督業までこなす人物は多いが、監督としても一流になるのは少ない。チャップリンは珍しい例であったようだ。ベンよ、役者業に専念すべし。

2009年4月 8日

トップガン(1986)

Photo

- 自信過剰挫折キャラ  -

アメリカ海軍に所属するエリートパイロット養成機関、通称トップガンの中で繰り広げられるドラマ。配属されたトム・クルーズは優秀だが、独断的な行動が目につく。敵軍の戦闘機の写真を撮ったり、アクロバット飛行を楽しんだりして周囲のヒンシュクを買う。

ライバル争い、恋愛、破局、友情、事故などが散りばめられる中で、自信過剰気味の主人公も挫折を知る。しかし、そんな時に本当の任務が勃発し、彼らも出動となる・・・

・・・この作品の公開当時、私は研修医で、情けないほど時間のない生活をしていた。映画は、ほとんど見れなかった。学生時代に全く勉強していなかった引け目があったので、何とか人並みになろうとあがいていた。前宣伝を見た記憶はある。パイロットの物語なんぞ、青春物の感涙を狙って作られたワンパターン作品のひとつかな?くらいのイメージしか湧かなかったので、見ようとは思わなかった。

それまで飛行機乗りを描いた作品で面白いものなど、ひとつもなかったからだ。操縦士は当然ながら、コクピットに座ったままで深刻な表情を浮かべて演技しようとするだけで、明らかに演技だなあと解る程度のものしかやりようがなかったからだ。

この作品も、コクピットに座るシーンは同じだったが、戦闘の映像は美しかった。カメラワークや、戦闘機そのものの性能のアップ、カメラの性能などもあったのか、美しく晴れた砂漠の上空での訓練は、まず景色に見とれ、飛行機の軌跡にも見とれた。

研修2年目くらいに暇を見つけてレーザーディスクを買って観た。懐かしいレーザーディスク。今も段ボール箱に入っている。今は役に立たない、当時の新技術の産物。

この作品の第一印象では、そんなにヒットするほどデキがよいとは感じなかった。やはり青春物のひとつにすぎないし、ドラマが出来すぎて、テレビのレベルのような気がしたからだ。確かに戦闘機の迫力は素晴らしかった。空中戦の描き方が良かったので、それまでの空中戦のシーンとはレベルの違いを感じた。

軍が全面的に協力してくれたと書いてあるのを読んだことがある。ふんだんに撮影したからこそ、仕上げが良かったのかも。この作品で戦闘機のりに憧れる若者が多少増えたらしい。確かに、そんな魅力を表現できた作品である。

全体的に演技がクサイ。軍隊モノだから当然かも知れないが、兵隊以外の人達もオーバーすぎる感じがする。本当にテレビドラマみたいな感じだ。ヒロインが私にはピンと来なかった。主人公より大人に見えたし、10歳くらい年上と言われても納得できる印象で、無理はなかったか?メグ・ライアンも印象が深いわけではなかった。カワイコちゃんだなとは思ったが、比重が低かった。ERで有名になるグース役も、演技が臭すぎていただけないと思えた。

この時のトム・クルーズも、私にはあまり印象深くは感じられなかった。ちょっと若すぎてカッコづけしすぎた演技の仕方で、すぐ消えていく役者だろうと思えた。でも、女性ファンは結構できたらしく、この数年後には大スターになってしまった。意外だったが、売り込みの戦略が良かったのかも知れない。

今思えば、やはりトム・クルーズの強い個性が打ち立てられた作品だし、その後の路線を決めてしまうだけの効果があったと解る。

ほとんどの作品で彼は自信過剰気味に登場し、思わぬ不幸や失敗によって挫折するが、仲間の助けや本人の努力によって巻き返すドラマを展開する。そんなパターンで観客は感動するのだ。ヒーローは、出た作品によって作られるのだろう。「あの作品のイメージで、次の作品はこんなキャラを・・・」というふうに、映画人達もイメージができるから。

この作品は、こんな作り方がベストだったのかも知れない。悩める主人公の精神の表現を中心にすると、全然楽しくない映画になるし、戦いを中心にすれば内容のない作品になるし、難しい題材なのかも。その中で、この作品はよくまとまっているのかも知れない。考えてみれば、この作品は家族や恋人といっしょに観れるように作られている。割と健康な精神に則って作られているのだ。軍人を目差す青年が見れるように。その意味でも、よくできているのかも知れない。

更に、今になって思えば、この作品は軍隊ご用達の作り方だから、いたって健康的な作品になっている。したがって、子供が観ても悪いとは言えない。軍事オタクになるかもしれないが、なよなよした人間を勧めるような軟派な性格が全くない点は認めないといけない。恋人に見せても、笑うかも知れないけど、ひどく退屈はしないはず。

つまり、良く出来ているってことだ。

2009年3月28日

ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史(2009)

- 今後の方針が気になる  -

のび太君とドラえもんの部屋の畳の下と、遠い宇宙船の倉庫が異次元空間でつながってしまった。宇宙船に乗り込んだ二人は、宇宙開拓団の少年と知り合い、友人になる。

この開拓団が住む星には地下資源がある。それを狙った企業が開拓団を追い出そうと画策する。これに対して、のび太とドラえもんらは協力して対抗しようとするが、ワナが待っていた・・・

・・・今回のドラえもんは、1981年の作品のリメイクであった。なぜリメイクしたのかは知らない。過去のヒット作なら確実なヒットを狙えると考えたのか?何か権利上の問題のために、新しい物語を作ることができなかったのか?

過去の作品と比べて映像の技術は格段に上がっているようで、特に宇宙船が飛行する動きの表現、大きさの表現、細かい部分に関しては、最近のデジタル処理の良さがあった。その反面、どの映画も処理する業者が同じなので、同じ映画を観てるような気がしてくることも否めない。

飛行船がリアルな迫力を出すより、ひょうきんでマンガチックな動きをしたほうが面白いと思うのだが・・・

スタッフの中には、かなり韓国のプロダクションが入っている。これも前作と同様。おそらく費用的な理由によるのではないか?微妙にセンスが違うような気がしてならないのだが、子供達は気がついたのか?

声優たちの中には棒読みの者もいた。カワイコちゃんのアヤカ・ウイルソンなどらしいが、声の場合はプロにさせたほうが絶対にいいと思う。かわいさは関係ないと割り切るべきである。

のび太と友人の別れは、それほど湿っぽくなかった。ドラえもんらの活躍によって友情の盛り上がり、信頼関係の深まりはあったし、全く無感情というわけではもちろんなかったが、メソメソすることはなかった。これも前回と似ている。

昔のドラえもんシリーズは大人も泣けるような熱い友情の物語、パッションとでも言うべき何か感情に訴えてくるものがあり、メロドラマなみの臭いシーンがあった。幼稚な出会い、単純な感情ではあったが、とにかく熱かった。この作品は、もっとスマートな感じになっている。

ドラえもんの今後の方向として、このままで行くつもりなのか?湿っぽいままでいいような気がするのだが・・・ 中心テーマをどこに置くべきか、訴えるものは何かというコンセプトは、いったいどのようになっているのか?「過去の路線ではダメだ」と考えているように思えるが、私は今の路線のほうが魅力に欠けると思う。

のび太とドラえもんの友情に重点を置くべきか?または、映画の度に新しい友人が現れるので、それとの友情に比重を置くべきか?ペットのようなキャラクターとのび太の関係を中心にすべきか?出会いと別れのドラマに徹するか?自然破壊や開発の害への警鐘をテーマにするか?中心のテーマにブレを感じる。

ドラえもんシリーズは、アニメには似つかわしくないほどの感動を狙って欲しいと思う。「こんなの子供映画には無理じゃないの?」という声が多数をしめるくらいの極めて真面目なテーマを、多少のギャグを織り交ぜながらやって欲しい。

奇抜な道具を、映画用に出して欲しい。何か権利の問題があってできないのか?映画専用の道具があれば、きっと魅力になると思う。

子供達がギャハギャハ笑うギャグの後に、これはひどいよなあと誰でも思えるような汚い手段を用いる敵が登場し、全然笑えない部分があったほうが良い。できればイジメなどの実社会の問題を連想させるようならもっといい。理不尽さに怒りを覚えるシーンの後に、勇気や友情に裏づけられた奇跡的な勝利があれば、子供達を元気づけることができる。

さらに、過去には健康的なストーリーとして、ジャイアンやスネ夫らとの誤解や怒りがラストで解消するパターンもあったが、やはり子供達の物語には、そんな展開も望ましい。

日常でも経験するような仲違い、偏見、無理解、強情などを画面で再現し、それらの克服の仕方を、ドラえもん達を例にとりながら示してあげるべきである。それらを、ギャグや新しい道具で彩る。それが昔のドラえもんだった。旧来の方針でいいと私は思う。

普遍的なテーマがあり、新しい道具と夢のある冒険、そんな構成を貫かないと、尻つぼみになるだろう。

 

2009年2月18日

どろろ(2007)

- テーマの再検討を -

中井貴一演じる侍は、ある寺で魔物たちと取引をする。生まれてくる自分の子供の体と引き換えに、自分に天下を取らせてほしいと。魔物たちは子供の体を分配し、契約は成立。生まれてきた子供はバケモノのような姿。こっそり川に流される。

子供は不思議な超能力者~医者のような男に拾われ、体に細工を施した状態で成長し、妻夫木聡演じる男(百鬼丸)になる。彼が魔物を退治すれば、奪われていた体が返ってくる。いつのまにか道を伴にする少女’どろろ’と魔物退治の旅を続ける。

ある寺では捨て子の霊と遭遇する。そして、この寺を取り巻く魔物の正体が明らかになる。気色悪いチョウかガのバケモノが登場する。

そして荒野で中井貴一とも対決する。対決が終わったかに見えた時、新たな魔物が登場し、また新しい契約を提示する・・・

・・・テレビで観賞。画面のフィルター効果はバツグンだった。撮影は、おそらくニュージーランドあたりか?草原での戦いは、ちょっと話に合わない気がした。それに草原でのシーンが多すぎる。バケモノとの戦いのシーンを長く取るべきだった。

主役の妻夫木には違和感を覚えた。彼は、やさ男すぎる。もっと陰のある俳優でないと雰囲気が合わない。彼がいかに深刻な顔をしても、作った顔が明らかに解る。とは言えど、じゃあ誰が演じればいいのかは解らない。TOKIOの長瀬君なんかは近いと思うんだが。

柴咲コウの演技は悪くないと思ったが、でも設定には無理があった。本当の子役で上手い人がいたら、そっちのほうが哀感が出なかったろうか?誰か不幸が似合いそうな薄幸の雰囲気のする子役が・・・?

母親役の原田美枝子は年をとったなあ、と感じいった。あの美人でスタイルバツグンの演技派女優が・・・・

原作は手塚治の有名マンガ。以前はテレビアニメで放映されていた。おどろおどろしい雰囲気の原作だったが、この映画では魔物の数が少なかった関係で、アニメのような戦いの面白さ、様々な魔物の訴えみたいなものは表現されていなかった。

原作で最も印象に残っているのは、今回も出ていたチョウのバケモノである。演じていた土屋アンナの顔は役に適していたが、セリフの言い方が怪しくなかった。原作では確か正体を見破られた時に「口惜しやあ~。」というセリフで、般若のような顔の妖怪がゆっくり上昇したように記憶している。あれは能をイメージした姿だった。

せっかく能を使っていたんだから、原作に敬意を表して真似ると良かったのでは?

それと妖怪の木の話は省略されていた。古くなって魔性を宿すようになった木が、人間を吸い込んでしまう話だった。あれは自然破壊に関する問題提起の意図がある話だったように感じた。

他にも人間の犯す過ちの数々で妖気を持つようになった魔物たちがいろいろ登場していた。彼らによる問題提起が原作の良さだった。あれがテーマとして欲しかった。親子の諍いは、テーマとしては扱いにくい。

CGの映像は悪くなかった。ハリウッド映画のような派手さはなかったが、充分に気味の悪いバケモノが登場していた。ただ数が少なかっただけだ。予算の関係か?

物語は途中で親子、兄弟の話になってしまったので少々退屈になった。剣劇も相当に練習したことは解るレベルだったが、それだけで魅せるほどの鮮やかさはなかったと思う。とにかくバケモノをもっと登場させるべきだった。最後に親子の対決があれば良かったのだ。

原作では親子の対決を眺めていたバケモノ達が数匹固まってヌエのような怪物が登場し、一網打尽にする場面があったような気がする。あれこそ映画向きではないか?

 

 

2008年4月26日

どですかでん(1970)

Photo_4 - さりげなさが・・  -

非常に前衛的な作品。演劇が好きな人にはたまらないほどの名作であろう。今見ても、斬新な点が多いように思う。したがって子供に見せるのは?恋人と見るのも?たぶん観ないほうがいい。

この作品は1970年、大阪万博の頃の公開で、確かに当時は太陽の塔のようなアナーキーな芸術が未来的なイメージで受け入れられていた時代。冒険も可能だった。

娯楽作品としては成立しえない性格の映画で、これを見て勇気が出る、またはスカッとするなーんてことは全く期待できない。したがって一回観れば、たいていの人は繰り返してまでは観ない。そんな作品は興行面を考えると、製作者なら遠慮したい。

この作品は「トラ・トラ・トラ」の後で、監督がピンチに時の作品だと聞いているが、なんでこの題材を選んだのか理解に苦しむ。娯楽時代劇を作るべきとは考えなかったのか?その感覚が、私のようなゲスと芸術家の違いかも。

登場人物が個性豊かで面白い。「どですかでん」と、言いながら電車の車掌になりきっているバカは最高だった。昔、近所に精神遅滞の人がいたが、彼を見るときに、からかいたくなるけど可哀そうという、あの感情を思い出してしまう。しかし、せっかくならもっと自然に演じてはどうだろうか。

乞食のくせに建てる家のことを延々と夢想し、相談している親子も非常に魅力的であった。悲劇的な結末を迎えるが、この父親役の表情は凄かった。

目をぎらっと見開いて放浪するかのように歩く姿は、黒澤監督の映画にはよく出てくる。「用心棒」でやられた店の店主、「影武者」で城から出てきた城主もそうだった。私としては、この映画の場合は演出過剰だと思う。この映画に限って言えば、もっとさりげない狂い方のほうが作品にマッチしたのではないか?芸術家としては、激しく訴えたかったのか?

能や歌舞伎の造詣が深いスタッフが作ると、どうしても演劇調で現実にはいないような人物像が出来上がるが、表現を重視するならそのほうがいいし、できればさりげないほうがいいが、意味がよく解らないままで終わる可能性もある。いずれが良いのかは、好みの問題だろう。

奈良岡朋子の演技にはマイッタ。彼女は最近までテレビドラマで同じような顔をして常に悩んでいた。当時から重荷をしょって演技していたとは!実にうまい悩み方、表情であった。彼女がはつらつとした娘であった時代を想像できない。

全体の色使いが激しかった。さすがにやりすぎではなかったか?カラー作品に慣れていなくて、遊びをしたかったのかも知れない。さりげなさが足りなかった。その意味で見方によっては、技術的に問題があったと言えるかも知れない。空の色は、監督自身が絵を塗ったと書かれていた。(図参照)

舞台が丘の上らしいところであったのは気になった。普通なら戦災で焼け野原になった下町を舞台に想定し、窪地にうごめく下層の人達を描くべきではないか?確かに高台にもスラムはありえるが、イメージとしては窪地のほうがゴミゴミしていてサマになる。

これだけの雑多な話をまとめ上げた手腕、脚本の練り方は凄い。テレビシリーズとして数十話できそうなくらい、たくさんの家族の、たくさんのドラマがあった。

 

2008年4月16日

トゥモロー・ワールド(2006)

- 主人公も殺しを  -

主人公を演じるクライブ・オーウェンの渋い演技は良かった。演技と言っても、表現を上手くというより、ただ呆然と戦闘シーンで逃げ回る場面のほうが多かったが、存在感があった。もとヒッピーみたいな役でマイケル・ケインも出演していたが、こちらも役割をしっかり演じきっていた。演じるユーモアも適度で、会話も素晴らしく、独特の魅力を観客に伝えていた。

映画自体は、あんまり評判にはならなかったように思う。大勢の観客に受けるような作品ではなく、いわば製作者達の自己満足で出来上がった芸術みたいな印象を受ける。客受けをねらって作品の質を落としたくなかったのかも知れない。

この作品の爆発、砲弾の飛び交うシーンの迫力は凄まじかった。いきなり時限爆弾が爆発して店が吹き飛ぶ冒頭のシーンは、どうやって撮影したのか知らないが、迫真のものだった。ツクリモノと感じるアラがほとんどなかった。主人公の元妻が銃撃されるシーンと、その後の妻のやられた表情までリアルすぎるくらいリアルだった。

近年の戦闘シーンの撮影技術は本当に凄い。画面が爆発と同時に揺れ動き、振動まで伝わってくるかのようだ。加えて、銃を撃たれて倒れる場合には、必ず服に穴が開くなどの細かい細工が施してあるので、見た目には本当に撃たれたのと区別がつかない。爆発シーンで吹き飛ぶものの計算が実にしっかりしているのだろう、スタントマンが何人いても足りないくらいの激しい爆発を繰り返しながら、しっかり主人公達がくぐり抜けることができる。プロの技の切れを感じた。

でも素晴らしい技術が、作品の盛り上がりには貢献していない。

原作が重い作品だったのだろう。映画用に、もっとハッピーなシーンを増やしたら後味は良くなったかも知れない。主人公が戦闘で活躍するならば、きっと観客のハラハラ度は上がるはずだが、この映画では逃げるだけなので主人公に感情移入しにくい。ちょっとでも戦闘行為をさせるべきだった。それくらい映画用に変えることは構わないと思う。

そう、主人公も敵を何人か派手に殺すべきだった。

できれば、ゲリラの一人を宿敵にして、徹底的に戦うべきだった。逃げていてはダメだ。主人公が泣きべそをかくほどに心を入れて戦っていれば、もっと心を打つ強い印象もうけたろう。

もし映画の設定のように子供が将来生まれない世界になったら、人類は逆に大人しくなるんじゃないかと思う。

侵略戦争は、単純に子供の作りすぎで食料不足になった種族が略奪に走ることから発生したのが多かったと考える。子供が腹をすかせるのを見て、人の物をぶん取りたくなる衝動が戦闘のエネルギーになる。この衝動の前では、人類愛もモラルも吹っ飛んでしまう。子供がいなければ、よほどひどいめにあわない限り、命を賭けてまで殺し合いをしたいとまでは思わない。人類はおとなしくなる。

もちろん移民の問題は別で、子供が生まれる生まれないに関係なく戦闘に走るグループもいるかも知れないが、基本的に子供の将来を心配しなくてよくなれば、まあとりあえず今生きていられればいいかな?と考える人も増えるのではないか?

その点で、この映画はおかしいかも。

現時点では、ほとんどの国では出産の制限のほうが大事である。日本では出産が不足しているが、特殊な事情による。したがって、子供ができない世界という設定自体が共感を得にくい点はあったかも知れない。

せっかくの素晴らしい技術で作った作品が、そのような理由もあってか大ヒットにはなっていない。タイトルも欲のないさえないものだった。むしろ原題のままのほうが良かったのでは?

 

2008年4月14日

トータル・リコール(1990)

- インパクトあるゲテモノ  -

この作品もインパクトがあった。やることが派手で、表現が極端なバーホーベン監督の作風に作品の性質がバッチリ合って、かなりのヒットになったと思う。ややゲテモノ趣味なので、後の感動がちょっと爽やかでないため傑作と言えるか解らないが、とにかくインパクトだけはあった。

気味の悪い人間モドキが出演していた。今考えればメーキャップの技術が古い気もするが、当時は充分に気持ち悪かった。特にリーダー役の変な頭が登場する場面は悪趣味だった。

悪役で主人公を付け狙う男も怖かった。「スターシップ・トゥルーパーズ」では善玉として出演していたが、怖い善玉だった。誰彼構わず殺しまくる冷酷さが表情に出ていて、実に適役だった。

この映画で初めてシャロン・ストーンを観たが、光っていた。特にカンフーアクションをしながら苦しそうな表情をするところに感心した。普通の役者は、アクションに気が入ってしまって、守勢攻勢に関係なく動作ばかりを熱心にやってしまうが、ちゃんと演技していた。

主人公に取り付けられた発信機を取り出すシーンが気持ち悪かった。なんでいちいち気持ち悪くするのか、監督のクセなのか知らないが、鼻の中からでかいものを取り出したら、おそらく大出血を起こして卒倒するか、脳に影響が出そうなものだが、主人公は意外と平気だった。さすがシュワルツネッガーは鼻まで鍛えてるという設定か?

気圧が低い空間に放り出された主人公達の顔が、またまた気持ち悪くて夢に出てきそうだった。しかし、実際に気圧の低いところに出たら、まず呼吸がおかしくなって、ジタバタ暴れる余裕もないのではないか?

主人公が火星にもぐりこむ時に使ったマスク兼爆弾は、誰のアイディアか知らないが、インパクトがあった。CGの映像としては古い手法を使っているらしく、主人公の顔がゆがんで見えたが、コマどりなどが良かったので、スピーディーに次の爆発シーンにつながり、よくできていた。

主人公は地球上では工事現場で働いているらしいが、結構暮らしぶりが良い。マンションの一室で、美人の奥さんと高級(?)家電製品に囲まれて生活している。このへんもおかしい。安い労働力が入ってきて、シュワちゃんは浮浪者になるはずでは?未来では労働者の問題は全て解決しているのか?そんなら大変良い社会であって、火星がどうなろうと、ほっとけばいいのでは?

しかしシュワルツネッガーは、ほっておかない。もしかすると勘違いして正義のヒーローを演じてしまったのかと気がつくが、「そんなの関係ねー!」とばかり、かっての同志をやっつけるはめになる。もしかして勘違いの悪業かも知れないのに・・。

個人的には黒髪の恋人より、シャロン・ストーンとヨリを戻したい気もするが、シュワちゃんの趣味は違ったようである。

この作品は、子供には見せたくない。夢に出て、気味の悪い趣味になりそうな気がする。家内といっしょに観たが、家内は趣味がバッチリあったらしく、目を輝かせて見ていた。気味が悪いシーンほどキャッキャッと喜んで、いまだに時々この映画のことを話す。まったく、あの女の趣味が解る。

できれば恋人には見せないことを勧めたい。うちの家内のような女に見せてしまったなら、あなたが悪夢にうなされることになるだろう。

 

 

2008年4月 4日

トランスフォーマー(2007)

- 映像のレベルは高い  -

評判が高かったとは言えない映画だが、私は単純に面白いと感じた。主役の若者の演技も良く、ユーモアの交えかたも適切で、よくできた映画だったのではないか?

確かに重さはない。スターウォーズやエバンゲリオンなどの壮大な叙事詩的な拡がりはないかも知れない。観客の対象は小学生の低学年が中心かも知れない。でも、幼稚な物語であったとしても、映像の出来の良さは目を見張るほどだった。

ロボット達の動きは迫力満点。スピード感、重量感もかなり出せていた。実写との合成もハイレベルで、実に自然だった。CG映像のレベルは年々進化しているが、この作品は現時点の最高ではないか?

ハッカー役の黒人や、政府の秘密機関の役人達とのやり取りはユーモアが効いていて良かったと思う。キャラクターとしては続編でも使えそう。

脚本には問題がなかったとは言えない。大人も感心するような物語性があれば、マンガが原典の作品でもヒットする可能性がある。例えばスパイダーマンがそうである。でも、この映画は完全に子供用の物語なので、青年達の世代には受け入れ難かったように思える。対象を青年に置くべきだったのではないか?

恋人と観る映画として悪くないと自分は思うが、「幼稚でバカにしてる」と感じる人もいるかも知れない。家族で観る場合には、小さい子が中心ならOK。ティーンエージャー中心なら、ちょっと・・という感じか。脚本しだいで、このへんは変っていたはずだと思う。

例えば・・

主人公が陰惨なイジメにあって、逃げ帰るようなシーンを加える。ヒロインが絶体絶命の危険に陥るのを、主人公が救う。スパイダーマンのような主人公の精神的な葛藤を加えるなど、パターンはいくつかありそう。ロボット達と人間が仲良すぎるのも、重みを失う結果になっていたかも知れない。説教めいた話しかしないような、もっと厳しい戦士としてのキャラクターのほうがカッコよかったはず。

おかしな点が気になる人もいたはず。

戦闘機が変形してロボットになるのは瞬時で、飛行しながら変形していたが、車が変形するのは非常に時間がかかっていた。このへんはおかしい。真面目に考えれば、その他にもおかしなところだらけである。高熱で溶ける材料でできているはずのロボット達が、爆弾をくらっても結構立ち上がってくる。刀で切れるロボットが、爆弾ではやられない。液体窒素かドライアイスをかけるだけで、冬眠するか?そんなら、空高く飛んだら眠ってしまうかも。

あんまり考えずに観れば、結構面白い。

 

2008年4月 2日

ドラえもん のび太と緑の巨人伝(2008)

- アジア人の別れ方考  -

藤子不二夫の作品で自分の印象が強いのは、パーマン、忍者ハットリ君、おばQ、怪物君である。ドラえもんは、私が小学校高学年の頃に始まったのか?ほとんど見ていない。ちょっと前の世代なので、お子様マンガとしてしかとらえていない。

今の30代の人にとっては、最高に面白かったマンガかも知れない。キャラクター、作品ごとに登場する機械のアイディアが素晴らしかった。

しかし、これだけ長く続くと、マンネリ化は避けられない。そこで新たな展開を狙ってか、今回の作品は異質だった。アジア風と言うべきか・・。

ストーリーは単純だが、場面の展開が非常に複雑であった。私には不必要と思える回数で、のび太が気を失っていた。たぶん5~6回くらいか?これは香港、韓国映画に特徴的な展開である。

場面がうまくつながっていない箇所もあった。例えばジャイアンが一人、椅子からはねすぎて草むらに落ちた時に何かを発見する場面では、発見する造成地はジャイアンの位置から見えるはずがない場所だった。アニメーションスタジオを見てみると、韓国あたりのスタジオがたくさん加わっていたので、おそらく連携不足でなかったか?

この作品は、日本人を対象にはしていない。世界各国の少年少女を対象にしている。したがって、センチメンタルな面を強調していては感覚的に合わないと考えられたのだろう。

キャリアアップ、グローバルに活躍すること、そのへんの意識を培っていかないと生き残れない。そんな時代の子供達のセンスが、この作品ではキーワードになっている。

登場する異星人と恋に落ちたのはスネオだったが、盛り上るより先に、簡単に別れが来た。いつもなら涙なしでは見られないくらいのお別れがあるはずなのに、「あっ、皆帰る。じゃあボクも。」って、簡単に帰っていた。これからのアジア人の男女は、仕事場も何もかもグローバルに変わるから、ステップアップの時には「じゃあ」で別れるべきなのか?

最後のお別れシーンでも、のび太が泣いていなかった。さすがに多くの別れを経験して、のび太も成長したのか、慣れたのか?そんなわけはない、これからのアジア人は泣かないのだ。

今の子供はメジャーもしくは欧州リーグで活躍するのが目標なので、もっと学ぶために異星人の星に残るキー坊の選択には、涙なんか不要だ!だから泣かないんだ。そして大人になったら、当然グローバル企業で活躍するんだい。

テーマは自然保護、特に緑化だった。そのへんは普遍的だったが、木の精とも言えるキー坊との関係は以前ののび太のようにベタベタしんみりしたものではなくなってきたのだ。

別れても、またメールくらいは来るだろうよ。現代は、そんな時代なのさ。

 

2007年12月29日

トレーニングデイ(2001)

- 1日で終わるのは無理なはず  - 

監督 アントワーン・フークア

いい映画だと思った。メイキング編を見たら、実際のストリートで撮影されていたそうで、現場の雰囲気が伝わってきたのもうなづける。

この作品は、予備知識なしで観たほうがいいと思う。したがって、ここではストーリーを説明しないほうが良さそう。

この作品は完全な娯楽作品で、一種のサスペンスでしたが、新人の刑事の成長物語を期待させる出だしと配役は成功していた。家族で観るタイプの作品ではなかったが、恋人といっしょに観るのは結構お勧めかも知れない。

出来の良さの最大の理由は、臨場感があったことだと思う。

ストーリーや配役に関しては、もっと他の作品に優れたものがたくさんあるが、この映画のギャング達には本物が多数いたかもしれない。それくらい臨場感があった。端役になるほど目つきがそれ風でした。監督がストリート出身で、もしかすると仲間には本物~もしくは半分本物がたくさんいるのかも知れない。

本来ならデンゼル・ワシントンの役は、脇で出演していたトム・ベレンジャーがやるべきでしたが、なんかの間違いか、もしくはデンゼルのたっての希望でキャスティングされたのかも知れない。デンゼルには、やさしさを感じさせるイメージがあるから、なかなか冷酷に徹するイメージが出ないが、実際の悪党は皆愛想がよくて紳士的ですので、実像に近いのかも知れない。

戦後の暗黒街を支配した悪党達の物語を読む限り、腕力一辺倒に近いイメージの’ファンソ’こと町井親分でも、実際は頭の良い人だったように評価されている。他の親分になると、ほとんどが気配りが効いた頭の切れる営業職タイプの人間が多い。キレやすい性質ではあるはずだが、ただ凶暴なだけではなさそうです。

実業家みたいな男が住む普通の屋敷に、金があるとにらんだデンゼルが押し入るシーンがあったが、普通の男が一番怖い。さらに、警察がまた怖い。

もし私がロシア系マフィアの幹部を殺してしまったら、新たな危険を生むような行為は謹んで、とりあえず金を作ることを優先するでしょう。新人の刑事を仲間に引き入れようとはしないはず。だまして自分の護衛の役割をさせようとするかもしれない。

別なストーリー展開もありえたような気がする。つまり、デンゼルが死んだ後に新米に謎解きをさせるなど。どっちが面白いかは解らないが。

この物語を1日で終わるのは無理で、もっと時間をかけて教育すべきだった。

ラストシーンは、私には今ひとつの印象。撃ち合いをしても良かったのでは?ロシアンマフィアって、あんなに手際がいいのか?それに、ラストの銃撃シーンがストーリーから独立してしまっているのは、印象的なシーンをどう作ろうか考えすぎる映像オタクのパターン。何かの工夫で連続させると良かったと思います。

2007年12月14日

トロイのヘレン(1955)

- ハリウッド大作! -

これは本当に大作。懐かしい匂いがする。

主演の俳優達は全然知らない人達だけど、相当な金をかけて作っていることは解ります。イタリヤで撮影されたらしい。マカロニ・時代劇というジャンルはないと思うが、そんなところか。

今風の作品ではないようなんで、子供達に見せようとは思えない。恋人といっしょに観るのも、あんまり向かないような気がする。つまんないと感じる人が多いかも。

歴史に大筋で従ったストーリー。ヘレンがなぜトロイに行ったのか、本当のところは解らないけど、おそらくパリスにより略奪されたのかと想像する。当時なら、絶対にそっちのほうが多かったはず。でもロマンがあるのは、やはり不倫愛でしょーね。

しかし、それなら戦争に巻き込まれるトロイの市民がパリス達を追放していない理由が謎。意外にトロイは専制君主が治める国だったのか、ギリシヤに対する市民の敵対意識が強すぎて喝采を浴びたのか、とにかく解らない。今後も映画の題材になることだろう。

シュリーマンの伝記は、小学生の時に読んで「本当にこんな人がいたのか」と、感動した。そしてトロイの物語も読み、強いロマンを感じたもんです。東洋の島国の田舎の、そのまた山の中の村の少年でそうなのですから、西洋の人達の感じ方は相当に強いはず。ギリシャ、イタリヤを始めとして、EU諸国の人にとっては自分達のご先祖の話だから、我々にとってはスサノオノミコトの話みたいな感覚か?

この作品は最近のブラッド・ピットが出ていた「トロイ」よりも、レベル的には数段上のような気がする。戦闘のリアリティや船団のスケールなどの場面では劣るが、城を前にした戦いのシーンのエキストラの迫力や、懐かしいハリウッド的な会話の劇では、この1955年版のほうが優れていたのではないか。

剣での戦い方は、お粗末。最近の、例えば香港映画などの派手な殺陣と比べると、学芸会なみ。

パリス役はハンサムだが、際立つほどの魅力は感じません。 ブラッド・ピット版の「トロイ」も、色気不足のような気がする。演じていたオーランド・ブルームのファンには怒られるかも知れないけど、私なら主演がジュード・ロウのほうが眼の力のために印象に残るような気がする。ただ、彼はやせすぎだけど。

ヘレン役は美しい女優だが、これも色気は不足していたような気がする。なまめかしいグラマー女優か、もしくはキリッとした表情の清楚な美少女タイプの女優がたくさんいたはずだが、なぜこの人になったのか解らない。ちなみに主演の召使役がブリジッド・バルドーだったそうですが、そういえば魅力がチラッと出ていました。

トロイに来てからヘレンが苦悩するセリフをはいていましたが、演技として巧かったような印象はありません。顔が整いすぎて、表情が読みにくかったためかも知れない。ボロボロと涙を流していたらよかったのではないかと思ったくらい。黒髪の色っぽい女優だったら、悩み方も色気でごまかして魅力的になったかもしれないと思う。

思うに、日本の俳優達が大河ドラマに出た時も、型にはまった演技しかできないので、なにかわざとらしい印象があるのと似ているのかも知れない。演技に関して、このような歴史物の作品で感動すること自体が難しいのかも知れない。

正月に豊かな気持ちになりたい時期がある。そんな時には、子供の頃はタイミングよく歴史大作映画を観ることができた。「ベン・ハー」などが代表だが、この映画も、そんな作品のひとつにして良いかも。

 

2007年11月23日

泥棒成金(1954)

- スリラーじゃないの?  -

原題は「泥棒を捕まえるために」というようなものですが、邦題の泥棒成金とは考えたものです。いやらしい俳優が主演していたら、いかにも成金のドロドロした役になりそうですが、さっそうとしたヒーロー、ヒロインが演じたために、成金もおしゃれでスマートに感じました。

この作品は、本当に純粋にエンターテインメントを追求していると思います。あまり怖いサイコティックスリラーばかりでは観客も身構えてしまいますが、おしゃれで優雅で、適当に謎とスリルがあって、リゾート地での恋物語もあり、軽い駆け引きだましあいもあって、娯楽の王道を行くような気がします。

この作品なら、子供といっしょに観てもいいと思いますが、我が家の子供たちには全然受けませんでした。ドラえもんのほうが面白いそうです。もうちょっと年齢が上がって、金目のものが欲しくなると見方も違ってくるかも知れません。今の若い人達が観ると、テンポが遅くて嫌に感じるかもしれません。

植民地からあらゆるものを盗んで金持ちになって、優雅なリゾートライフを送るのが好きな欧米人達は、きっとこの作品に喝采を送ったに違いありません。毛唐どもの趣味が出ていました。

ヒチコック監督作品の常連であるケーリー・グラントとグレイス・ケリーが主演していました。この映画では、主演がスターでないといけません。最初は敵のような間柄が、やがては恋に落ちるという話の流れですから、観客をうっとりさせる効果が出ないといけません。申し分のないキャスティングだったと思います。

例えば、撃ち合いで次々人が死んでいくような話だったら、たとえヒーローが一人勝ちしても、よほど残酷な趣味の人は別として、何となく観終わった後に爽快感が抱きにくいところがあります。銃を構えた悪人が登場しても、撃ち殺したり突き落としたりしては、娯楽作品としてはちょっと後味を悪くすることを覚悟しないといけません。この映画は、スリルを犠牲にしても後味を優先したのだろうと思います。

監督は別の作品では、たくさんの人を殺してしまいましたが、この作品ではおしゃれな路線を狙っているためでしょうが、殺しを避けています。ロマンスを優先するなら、正しい判断だったと思います。いっぽうでは、他の作品と印象が違って、刺激不足と感じる人もいるかも知れません。ロマンス映画なら、もっとうまく撮れる監督がいるわよって言う人もいるでしょう。

途中で、どうやら真犯人は既に登場した人の中にいるらしいと気がつく人が多いと思います。とすると、おそらくあいつが犯人だな・・と分ってしまいますが、自然にゆっくりと観客に分るような流れですし、意外性を狙って無理するところもなく、極悪の敵役との対決の路線でもないので、本当におしゃれな話でした。今なら、きっとスリルが足りない!と、酷評されるかも知れません。

2007年11月11日

鳥(1963)

- 何か意味が?   -

この映画は、子供の頃に大変な評判で、確か年末か正月にテレビで初めて放送されることになったと噂で聞いて、ワクワクしながら家族で観たことを覚えています。当時はヒチコック劇場というテレビシリーズ(再放送だったかも知れませんが)もあって、名監督=ヒチコックと黒澤、のようなイメージでしたので、非常に期待していました。

さて、鑑賞後の印象ですが、「いったい監督は何が言いたかったのかな?」と、子供心に思いました。鳥が怖いものだと言いたかったのか?確かに映画の中でも言ってましたが、鳥は数が多いし、根本的には恐竜の親戚ですから脅威の存在です。でも、だからどうなるものでもないと思います。鳥を全滅させたら、焼き鳥が食べられなくなって困ります。

もしかして自然破壊か何かを訴えたかったのか?とは子供の頃も考えましたが、あまり人間が悪者のような話は出ていなかったような気もします。結局は、ただ恐怖感のための恐怖映画なのかなと結論し、今でもそうじゃないかと思っています。それでいいと思います。なんでもかんでも教訓めいた話ばかりだと、つまんなくなります。

この映画では、前触れなく鳥が人を襲います。最初は頭をコツンと突かれるくらいでしたが、美しいヒロインの額に血が一筋流れますから、笑いごとではすみません。これが、ブサイクな女優だったら、どうでしょう。きっと、「アハハ、鳥にまでバカにされて!」と笑われて、映画が喜劇に変ってしまいます。ヒロインの容姿が大事でした。

そういえば、この女優さんも監督にしつこく求婚されたと報道されていたような気がしますが、子供の私にも「この女優と監督では、ちょっと気の毒よね。」と、思えた記憶があります。メラニー・グリフィスのお母さんだったと思いますが、ヒチコック監督がお父さんだったら、どんな女優が誕生したでしょうか。恐怖映画のテーマになるかも知れません。

鳥に襲われた後で、物が散乱した部屋で生き残った人がいないか探す場面は最高に怖かったです。後で夢に出てきました。今なら、もっと残虐シーンが好きな監督が、精密な人形を作って、もっとグロテスクに演出するに違いありませんから、あんまり見たくありません。たぶん、まだ生きた人間が、目玉を引き抜かれて血まみれで右往左往する様を映したがるでしょう。

考えただけでも気持ちが悪くなりました。

 

2007年10月30日

トーク・トゥ・ハー(2002)

- 最近スペイン映画っていいですね  -

監督 ペドロ・アルモドバル

この作品、考えてしまいました。2つの愛が話の中心になっていましたが、いずれも女性が意識を失ったまま長期間寝たきりになり、男達はそれぞれのやり方で彼女らに接します。一人は介護士として付きっ切りに近い形で触れ合い話しかけますが、もう一人は手を触れることもできなくなります。この差が結果として出たようなストーリーでした。

介護士の男が患者に寄せる思いは、愛なんでしょうか?ちょっといびつではありますが、やはり深い愛のありようだと思います。ただし、彼女に意識がありませんので当然ながら拒否することができない一方的な愛ですから、一線を越えれば犯罪ではあります。やはり拒否できない相手に求めてはいけないと思います。いかに女性から拒否されることが多かった私でさえ、そう思います。

この作品は、家族で観るのには問題があるかも知れません。子供にはよくないでしょう。独身の男性、特に恋人がいない人が一人で観るのも問題です。「よし、オイラも介護の仕事に就こうっと。」なんぞと良からぬ妄想につかれては困ります。恋人といっしょに観るなら、これは真剣に語り合う価値のある作品かも知れません。

この映画の結果が示すように、奇跡のような回復をもたらすのは科学を超えた思い入れ、熱意であると私も信じます。かって女性を愛した物書きが、入院してからは触れるのも怖くなってしまったと話しますが、このカップルには奇跡は起きませんでした。常に話しかけ、触れてもらった女だけが回復しました。肌で触れ合い、手をさすることは心に訴えます。そのような介護法がちゃんとあります。

病院にはベッドの脇で、何年間も家族の世話をしながら生活している人がたくさんいます。昔は特に入院制限がなかったので、看護婦の仕事の代わりを家族がやっているようなケースが多々ありました。常に話しかけ、手をさすり、関節の曲げ伸ばしなどを熱心にやられていましたが、やはり家族のほうが患者の異常に気がつくのが随分早かったので、私としては助かりました。役人に言わせると、それは本来看護士がすべき仕事だそうで、追い出すように指導されますが、看護士の手が足りないように設定しておいて、無茶な話だと思います。

医療費抑制のための入院日数の制限は、やりすぎると人道に反します。医療費が不足したら、役人の人数や無駄な予算を減らすのが先です。あ~ら、話がずれてしまったようです。

いくつか疑問があります。

物書きが女性で、闘牛士が男性ではいけなかったのでしょうか?私には解りませんでしたが、もしかして介護士は本当にホモであることを匂わせていたのでしょうか? 単に二人の女性の運命の比較をしたかったのでしょうか?もしくはTalk to her のタイトルに合わせるためには女性がそろって意識をなくさないといけなかったのでしょうか?

闘牛士が怪我する場面は、彼女が覚悟を決めて自殺したかのような表現ともとれましたが、話の流れからすると主題から外れておかしいので、たぶん私の考えすぎのはずです。彼女が物書きの心が自分だけに向いているのではないことを覚って自殺したなら、もうちょっと表現方法を変えた方がいいと思います。

また、通常寝たきりの患者は関節が拘縮しますし、筋肉が落ちて映画のような色っぽい体型を保つことはできませんが、そうなった患者をイメージすると、性行為の印象も変ってきます。愛というより、完全に倒錯した世界になります。どんなに熱心に介護したとしても、彼女は美しすぎました。

途中に挿入されるダンスや歌のシーンは良かったです。最初の舞踏のようなのは芸術的すぎて理解できませんでしたが、その他は雰囲気を盛り上げていたと思います。しかし、スペイン人はあんなのを日頃から見ているのでしょうか? 私はあれで感動したり大笑いしたりはできないので、金を払って見ようとは思いませんが。

2007年9月23日

ドクター・ドリトル(2)

- オナラとウンチ限定  -

テレビで観ました。このシリーズは結構よくできていると思います。家族で観ることを考えて作ってあるようです。ジョークは下品なものが多いのですが、オナラやウンチにからんだものなどが中心で、ブラックジョークではなく、子供の頃ゲラゲラ笑っていた種類のものなので、許せるかなと思います。

恋人といっしょに観るのも悪くはないように思います。若い人なら特にそうです。行き遅れ気味の大人のペアの場合は笑えないかも知れません。少なくとも片方が子供気分が抜けていないことが必要だと思います。って、そんなに厳密に対象を選んでもしょうがないと思いますが・・。

今回は森を救うという真面目な目的のために、サーカスの熊を森の野生熊とカップルにしようと苦労する話でした。森林伐採を狙う会社が敵です。取り引きや、でっち上げによって、森の伐採を始めようとします。いっぽう、熊同士の恋は、自然に慣れていないドジな熊のために成果が上がりません。ドジぶりが笑わせてくれました。

エディ・マーフィーの映画の中では、家族向けの映画で確実にヒットをねらえる関係で、おとなしい作風でした。家族で観れないような下品なギャグは使えませんから、下ネタといっても熊のウンチの中に転んだり、狭いトイレで熊の排便の臭いを嗅ぐ羽目になったり、子供向けのシーンばかりでした。

ほとんどの時間はエディ・マーフィーの思惑通りに事が運ばず、彼が目をむいて驚くようなことばかり続きます。あの表情が笑わせます。あんまりかっこよくいきすぎると、話が面白くなくなります。彼は活躍しない方がいいのです。

エディ・マーフィーよりも、熊のだらしないところが笑いの中心に設定してあったようですが、もともと熊はノソノソ動くように見える関係で、この狙いは当たっていたと思います。共演の動物達のセリフも第一作と同じく辛らつで、面白く仕上がっていました。動物映画は、やはりドル箱になるんでしょう。ほとんどの作品が大きくコケることはないようです。動物は、いるだけで絵になります。

共演の奥さん役や娘役は非常にスタイルがよくて、こちらも花をそえていました。エディ・マーフィーの映画の相手役は、モデルのような人が多いように思います。彼の趣味なんでしょうか?顔の趣味は、私の理解を超える場合もありましたが。

とにかく、自然保護を目指すことや、動物を愛する心などをテーマにした、安心して家族で観れる映画です。

2007年9月 7日

トゥルーマン・ショー(1998)

- わが妻も降板?  -

ジム・キャリーは、美しい妻と健康的な雰囲気の街で暮らしています。街の人々はみんな彼にやさしく、笑顔を絶やさず話しかけてきます。彼は泳ぎが苦手です。彼のお父さんが海で遭難して亡くなったので、トラウマになっているようです。そのため、彼は住んでいる島から外へは一歩も行ったことがありません。でも、愛する妻といっしょにいれて幸せです。妻が時々どこかを見ながら急に商品名を言うのが少し気になります・・・・という出だしでした。

話の設定が実に素晴らしく、また映像も美しい作品でした。この作品では特にスタジオの大きさを表現しないといけませんから、例えば「このシーンは、これくらいの広さのスタジオで撮影してるな。」というのが感じられるとシラケてしまいますが、この作品では許せる範囲だったと思います。でも、もし今作れば、さらなる迫力をCGで表現できるのではないかと思います。

ジム・キャリーの作品の中では「マスク」と並んで知られているかもしれませんが、私は個人的には彼はとんでもないミスキャストだったかも知れないと考えます。もっと真面目な、今までふざけたことがないような役柄の俳優ではどうだったでしょうか。

大真面目な映画を作ってコケた時は散々でしょうが、この作品でジム・キャリーの顔芸はほとんど必要なかったので、それならいっそのこと2枚目による恋物語にしても良かったのではないかと思います。

この作品は、家族とも恋人ともいっしょに安心して見れると思います。たぶん腹抱えて大笑いする人は少ないと思いますが、全然つまらなかったと思う人も稀ではないかと思います。

ディレクター役のエド・ハリスが最後まで笑わず演技していました。ジムに愛情を持っているという人物設定は成功していたと思います。ジムの周りの人達が事実を感づかせないように努力するドタバタ劇も笑えました。街を映す非常に明るい映像が効果的でした。昔の青春映画に使われそうな町並み、健康的で皆が愛想よく会釈するが実は・・・というギャップが話を面白くしました。ラストは、あれでよかったのか?観客をほっとさせるか、希望を持たせる終わり方があったような気がします。

私も子供の頃、もしかして自分だけが何も知らなくて、他の人は自分の行動を見て遊んでいるのではないかと時々考えてしまうことがありました。きっと誰でも一度くらいは同じような感覚になったことがあるはずです。いやいや、そんなはずはない、と思い直しても、自分が姿を現したとたんに皆の表情がさっと変ったりした時には不安になります。実際はたまたま悪口を言ったり、内緒話をしていただけでしょうが。

いや、やっぱり本当に自分の人生は完全に仕組まれたドラマではないか?

小学校の頃、いじめっ子がいたけど、あれは話を盛り上げるための演出ではないか?大学に通ったはずだけど、実は自分の答案は0点だったのを演出の関係で合格にしただけではないか?子供たちは私が自分の子供と思っているだけで、実は私が寝ている時に本当の父親がせっせと子作りをして私に感づかせないでいただけではないか。顔が似た男なら分りません。そういえば、このごろ家内は役を降りたがっているような顔つきです。

単に離婚したいだけか?でも、もともと下手な女優のような作り笑いが気になっていました。相当無理をしていたに違いありません。まさか、考えすぎでしょう。でも・・・・。

2007年7月12日

トンマッコルへようこそ

Photo_40 - ブリッ子め  -

面白い映画でした。設定が全てだったような気がします。アイディアのよさに脱帽です。

昔の日本の山奥にあったような家が並ぶ閉ざされた村に朝鮮戦争の軍隊が迷い込んでしまい、やがて協力して村を守ろうとする物語でした。

家族で見れる作品だと思います。少々残酷なシーンもありましたが、特にグロテスクな撮り方はしてなかったと思います。恋人と見るのもいいと思います。恋に影響するわけではないと思いますが、人間愛に訴えるところがありました。

手榴弾が爆発して、穀物がポップコーンになるという場面はアイディアが傑作でしたが、映像の表現の仕方がハリウッドの作品とちょっと感覚的に違う気がしました。美しいシーンでしたが、スローモーションの場面が長くなりすぎると飽きてしまう人が出てきます。美しさで喜んでくれる人だけではないので、少々短すぎるかなというところでノーマルスピードに戻して、それからまたスローにするような手法が最近の流行だと思います。

精神薄弱の娘は、私の感覚ではブリッ子で、しゃべりすぎでした。「あ~う~」が中心でも良かったのではないかと感じました。わざとらしさを感じさせないようにすべきでしょうが、あれくらい話さないと魅力が出にくいと考えたのかも知れません。

語り口をどのようにするかで印象が随分変ってくる作品だったと思います。韓国軍の衛生兵が結構大きな役割をしていましたが、あのキャラクターに歌ったり笑わせたりするより、村人が歌い踊るシーンを中心にして、牧歌的で懐かしい村の雰囲気を出すことを中心にしていたら、きっとこの映画はもっと悲しくなっていたかもしれないと思います。ただし、そうすると真面目になりすぎて、見ていて辛くなるかも知れません。

全体として、ハリウッド映画に慣れている私にはリズムが異なる作品で、何か感覚的に合わない気がしました。銃を突きつけあうのに疲れて、皆いっしょに眠ってくれるものなのでしょうか? ポップコーンのシーンから次の場面につなげる脚本に、少々無理を感じました。でも、設定といいポップコーンといい、アイディアは最高でした。

北朝鮮の将校役は良い顔つきをしていました。

2007年6月29日

ドリーム・ガールズ(2006)

- 黒人映画の金字塔  -

これは素晴らしいミュージカルだわ!スター達が出演した理由も解るような気がします。

シュープリームスとモータウンレコードを題材にした作品でした。ダイアナ・ロスをイメージしたビヨンセ・ノウルズが主役だと思っていましたが、脇役のはずのエフィーのほうにも重点がおいて描かれていました。いい判断だったと思います。エフィー役はアカデミー助演賞を獲得しましたが、主演賞でも良かったほどだと思いました。

エディ・マーフィの役は、いわば汚れ役でした。よく彼が出演したものだと思います。今までの彼の映画は、ほとんどが彼中心のワンマン作品でしたが、この映画では得意の下品なギャグを使えませんし、不幸で惨めです。よほどの覚悟がないと出演できないでしょう。作品の意味に、出演した理由があったに違いありません。

白人がほとんど出演しないメジャー作品でした。黒人の力量、自信、誇りなどを、これほど表現できた作品はないと思います。エディ・マーフィが出演したことで、他の出演者の契約がまとまったという話も聞きました。彼は、この作品の意味を正確に理解していたのだと思います。

作品のアイディアがまず素晴らしいと思いました。シュープリームス(アメリカではスプリムスと発音するらしいです)は、ダイアナ・ロス中心のグループになって、おそらく内部で激しいいさかいもあったろうと想像されますが、それは皆が知っていることですので、それを描けばドラマにはなると思います。問題は描き方です。

ビヨンセ中心では、共感が得られるはずがありません。やはり、失望したエフィーにかなりの重心を持たせないといけません。そのへんの選択が適切だったことが成功の理由の一つでしょう。物語として奥行が出ました。エフィーが死んでしまっても暗くなりすぎていけません。復活で観客は喜びます。センスの良い筋書きでした。エフィーのモデルになった人は、確か急死していたと思います。

ただし、それだけでは不足です。音楽の良さも必要です。エフィーの歌は、ゴスペルの基礎を積んでいることを伺わせる、高いレベルにありました。曲も懐かしい曲調を基礎に、多少ラップなどの味付けをして、聴きやすくしてあり、今の若い人も楽しめそうなものでした。

残念ながら、エディ・マーフィの歌い方には、やはり本職の迫力が欠けていたような気がしました。ジェームズ・ブラウンばりのド迫力は要らないとしても、もっとソウルフルな歌い手は山ほどいたはずです。彼は、もしかすると本来ならミスキャストだったかも知れません。でも、彼のようなスターが出演することで作品の価値は高くなったようです。

踊りについては、音楽ほど力を注いでいない印象を受けましたが、これはビヨンセを始めとするタレント達がそつなくこなしていたようです。ビヨンセは本当に姿形が美しく、アイドルチックな踊りでも、シックなドレスの踊りでもサマになっています。本家のダイアナ・ロスは甘い声が魅力の基だと思いますが、ちょっと違う系統の魅力がいっぱいでした。

ジェイミー・フォックスは、歌が少ないので難しい役柄のはずです。一人だけ歌わないで芝居している感じがしました。ミュージカルで歌うチャンスが少ないなんて、普通なら印象が薄くなる役ですが、顔がきつい関係か、踏ん張って存在感がある役者ぶりでした。これこそ本当の演技力かもしれません。

エフィー役のジェニファー・ハドソンですが、今後どのような活躍をするかを考えると、厳しいものがあるような気がします。このような役をやってしまうと、イメージが出来上がってしまいます。ミュージカル映画自体が、そんなに頻繁に作られるものではありませんので、活躍の場は舞台しかないような気がします。エフィーのような境遇にならないとも限りません。

逆に、ビオンセは芸域を広めたような気がします。いい役でした。彼女の演技の実力は分りませんが、スターでありながら精神的に成長し、自分の間違いに気がつき、仲間を救おうとする、そのへんの変化をアップのビデオクリップの撮影法で強調してくれていましたから、実にオイシイ役でした。いいイメージで次の作品に望めます。次回作は「クレオパトラ」です。

いや、それは映画の中の話でした。私はすっかり洗脳されて、現実と映画の世界の区別がつかなくなったみたいです。とにかく彼女は今後しばらくはただニヤっと笑うだけでも、「やさしい微笑み」と観客が勝手に誤解してくれるような気がします。容色が衰えるまでは大丈夫です。ホント美人は得するのよね、ね~、エフィー!

2007年1月30日

トロイ

- トロイの監督はトロイ? -

「トロイ」は、結構予算を使った大作だと思います。ギリシア艦隊がトロイ攻略のために海を渡るシーンや、戦闘シーンなどにはCGの美しい画像が使われていました。大人数や多くの船を出して迫力を出すのは、どれだけ多くても今は簡単にできるようですが、細かいところまで描けていました。

でも、この作品の主人公のアキレスは、わがままな悩みを抱えた青年として描かれていて、相手を引きずりまわしたり無茶をやりますから残虐な映像も結構あり、子供には見せたくないように思いました。ヒーロー映画ですが、ハッピーエンドではないので、例えば恋人といっしょに見る時を想像すると、はたして相手がどんな感想を抱くのか、ちょっと不安になるような作品でした。

欧米人は、私達より楽しめるかもしれません。古代ローマの建国の基になる人達が脱出する場面や、「オデュッセイア」などの古代の歴史絵巻を見る時の感覚が、例えば「俺達の祖先はここで脱出したんだよな~」といったふうになって、きっと我々と違うと思います。

アキレス像を、この作品のように描いて、どのような効果があるのかが私には理解できませんでした。確かに勇ましく強いだけのバカな英雄を描いてもいけないでしょうが、悩みが多すぎる主人公も理解を得にくい気がします。もっと単純で愛すべき人物として描いてはいけなかったのでしょうか? それではおめでたすぎるのでしょうか?

冒頭で巨人を倒す時のブラッド ピットがひらっと飛ぶシーンは、香港伝来のワイヤーアクションのようでしたが、後の戦闘でも2回このやり方が使われていたため、シラケてしまいした。必殺技は、一回が良いと思います。

同じく冒頭のシーンで、ブラッド ピットと女達が美しいお尻を見せる場面は、観客サービスとしては最高でした。本当に美しいお尻でした。この作品で一番の見どころです。

2007年1月17日

時をかける少女(1983)

-  恋とスリルと神秘  -

タイムトラベルを扱った最初の映画は、どんな作品でしょうか?おそらくトーキー以前からあったのではないかと思いますが、人類の夢ですから、いかにも映画向きのテーマです。

私達の世代にとって、タイムトラベルといって思い出すのは、テレビの「タイムトンネル」でした。あれは横から見たらどうなってるのかな?と考えていましたら、何度か横からの画面が出て、ただの輪が並んでいるだけなので、子供心に理論的根拠が分らないなと真剣に考えたりしたものです。

いっぽうの「時をかける少女」は、私は教育テレビの夕方の番組「タイムトラベラー」で知りました。ラベンダーという植物の名前を始めて聞いて、相当に珍しい植物なのだろうと思いましたが、花屋さんに置いてあることを知り、ただ名前が神秘的だから使ったのかな?と考えたことを覚えています。

この作品は、子供が見るための映画です。恋人と見ても良いと思います。恋愛感情と、スリル、冒険の要素がうまく絡んだストーリーに今でも感心します。ただし、演出は難しいような気がします。オーバーになるとクサいし、落ち着きすぎるとスリルがなくなります。何かが爆発したりカンフーアクションなどがないと、今の観客には飽きられるかも知れません。含まれる要素が多いと、それらのバランスが難しくなるのでしょう。

原田知世は、今ではCMなどでしかお目にかかれませんが、デビュー時は薬師丸ひろ子の後輩として売り出され、ちょっと荷が重いかなと当時の私は思いました。際立った特徴がないような気がしたのです。その後、「私をスキーに連れてって」などの映画を見てからは考えを改めました。昔の大女優のように、「私が主役よっ!」という芸風ではなく、普通の女をクサくなく演じることができる女優だと思います。

したがって、この作品の主演として最適なキャラクターであるような気がしますが、どうも空想映画の場合は自然さよりも迫力があったほうが印象に残るようで、多少クサくてもキャーとか叫んで騒ぎまくったほうが良いようです。結果として少し盛り上がりに欠けたような気がしました。演技はうまく、魅力的ではあります。

今後も良い役さえ来れば、すばらしく演じることができるような気がします。演技力がすごいのか地なのか分りませんが、知世ちゃんコールの復活を待っています。

また、舞台が言うまでもなく雰囲気の良い所です。この風景の中で、ただ主人公達が歩いても絵になりますが、さらに淡い恋の物語が加わると、おじさんは泣いてしまいそうです。

それはそうと、テレビの「タイムトラベラー」のケン ソゴル役と主演の女優は、今どうされているのでしょうか?あの番組は、音楽が妖しげで印象的でした。

2006年12月27日

ドクター ドリトル(1)

- 困ることで客受けする役者  -

ドリトル先生というと、私の世代では軽妙なミュージカルスターが演じるもののようなイメージがありましたが。エディー マーフィーが演じることで意外性をねらう意味があったと思います。

この作品は、家族で見てもらうことをねらった映画だと思います。動物が出てくる映画は、基本的には家族が対象です。したがって、恋人と見るのにはあまり似合わない作品かもしれません。結構ドギツいジョークで笑えるとは思いますが、雰囲気が良くなるとは私は思いません。

エディ マーフィーは、何か思いがけなくひどい目にあって目を大きくひんむく表情をさせないと客受けしないと思います。スマートな刑事役をクールに演じてる場合は、どれだけ上手くやろうとも客は喜びません。そんな2枚目キャラクターではないからです。

また、肉体派でもないので、犯人と殴り合って勝ってもダメです。むしろ殴られて、ヒーヒー言って逃げ回るべきです。逃げながら、ずる賢い方法で犯人をやっつけた時に初めて観客は喜んでくれます。彼がしばらく低迷したのは、この原則に反する作品が続いたからだと思います。

この作品では、まず設定に意外性があったことと、動物達が家に押し寄せて、かなり困った状況になったので面白かったのですが、もっとひどい目にあって困った方が、さらに面白かったと思います。

動物達の会話が下品で人間くさく、おかしいことも大事ですが、やはり主役が困って我々を笑わせてくれることが最も重要だと思います。

 

2006年12月 9日

逃亡者

- 少し古いけどハラハラしました -

いい映画でした。最近、この作品を見なおしてみましたが、あらためてよくできていると思いました。もともとのテレビシリーズを私は見たことがありませんが、噂によれば相当面白い番組だったそうです。発想、脚本などが非常によくできていると思います。

殺人のシーンは少し血まみれになっていますが、小学生くらいの子供が見ても泣かないくらいに加減はしてありました。少々サスペンスタッチで、恋人と見て多いに盛り上がることは期待できないかもしれませんが、おちゃらけ番組に飽きた時に少し高級な娯楽作品を見たいと思われたら、この映画はお勧めです。

激しいアクションは少なく、回想の中で犯人ともみ合うシーンと、脱走することになる場面と、後はラストで少々あるくらいで、ほとんどは考えながらひたすら隠れ、逃げるだけでした。でも、自力で警察や保安官、犯人達とわたり合おうと工夫する姿は、結構よく描けていたと思います。脇役の俳優達の表情も、適度に緊迫感を盛り上げる、うまい演出でした。

つかまったら話が終わってしまうので、中盤でつかまるはずはないのですが、話の進め方がうまいので乗りやすい私はハラハラしてしまいました。サスペンスものに飽きた人は、「フン、どうせつかまんないはずだから、途中はとばしちゃおう。」と考えるかもしれませんが、それをすると作品の魅力がうせてしまいます。アクションが売りの作品ではないので、じっくり見ないと価値が出ません。

その意味で、古いと言えば確かに古いと思います。ハリソン フォードの演技も、クサイと言えばそうです。緊迫感を出すために、深刻な顔をしています。もっとビビッて泣き出す弱さがあったほうが自然かもしれません。でも、そんな格好の悪いヒーローはうけないでしょう。

トミー リー ジョーンズの描き方も悪くありませんでした。能力はあり、しつこく、頑固で個性的、任務には忠実、しかし基本には人間性があるキャラクターがうまく描かれていました。階段で、ばったりハリソン フォードと出会う場面のタイミングの取り方は、よくできていたと思います。

芸術作品ではないけれど、昔のテレビシリーズにワクワクした世代にとっては懐かしい雰囲気を持つ映画で、少し高級だけどテレビ的に高級という感じがしました。

2006年11月12日

トゥーム レイダー 1

- おっぱいフェチ1号 -

主演 アンジェリーナ ジョリー

この作品のカギとなるのは、変な時計みたいな機械でもなく、惑星直列でもなく、親子愛でもなく、マシンガンでもナイフでもないことに気づいておられる方は少ないようです。

この作品は、子供や恋人と見てもよいと思います。最も見せて喜ばれるのは、根っからのドスケベ野郎です。

原案になっているゲームの構想がかなり複雑ですから、細かなストーリーやアクションもすごい作品ですが、真の見せ場はそれではありません。その証拠に、先入観のない我が家の赤ちゃんマー君にも見せてみましたが、彼はたまたま空腹時でなかったのか、この作品に興味を示しませんでした。

アンジェリーナ ジョリー演じるララが主人公です。 ララは考古学に詳しいばかりでなく、知力、体力とも抜群で、冒険心も豊か、ナイスバディのうえに武器の扱いも巧みとくれば、もうこの設定だけでイッてしまう男がいるかも知れません。ゲームでもこのような設定だったのかは知りませんが、最近のゲームはひとつの物語になってるので、そのまま映画にできそうなものも少なくありません。

ララは、父の形見の変な時計の中から、カギのような円盤を見つけます。この円盤をめぐって、世界的な組織の一員である強敵と対決することになります。最初の戦いからして、激しさが違います。マシンガンをうちまくって、空中を飛びまくって暴れます。それが終わったら、今度は場所を東南アジアに変えて、ここでも敵やら変な人形達やらを相手にメチャクチャに戦います。そして、また場所を変えて、今度は北極圏のどこかで、ドンチャカやりまくります。

しかし、これまでのストーリーは、ただここからの場面のためだけにあることは意外に知られていません。最後に彼女が逃げる時に、オッパイをブルンブルンと振り回しながら走ります。そのすさまじさは、今までのドンパチのすべての迫力をしのぐものです。さすがにゲームでは、この迫力までは出せていないようです。このシーンのためにこの作品は企画され、映画会社の重役のスケベどもがこぞってOKを出したという情報を得ています。(ウソです。)

監督や製作会社の重役には、デビューした頃の優香や山田まりあのビデオクリップを贈ってあげようかなと思います。浜辺で走る彼女らの勇姿には、きっと喜んでくれることでしょう。

 

 

2006年11月 6日

ドライビング Miss デイジー

- 深刻であるほどやさしく、おかしい -

この作品には暴力シーンはありませんしテーマもまともですから、子供に見せても悪くありません。でも、日本の子供にはピンとこなくて、インパクトはないかもしれません。小学校高学年くらいなら、勘の良い子は分ってくれるでしょう。恋人といっしょに見るときも若い人ではピンと来ないかもしれませんが、中には深く感動する方もおられるだろうと思います。要するに、人種差別の認識具合によってくるのでしょう。

名作なんですけど、ビデオ屋さんでは隅っこに1個くらいしか置いてありません。あらすじを説明しますと、高齢で運転があやしくなった老婦人のために、息子が黒人の運転手を雇ってあげますが、老婦人はこれに反発します。でも、やがて心が通じ合うようになり、一番の親友だと言えるまでになる物語です。

主演の二人の演技力は大したものです。ジェシカ タンディという女優さんは、「コクーン」「ガープの世界」等にも出演していましたが、舞台が活動の中心だったらしく、若い頃の映画を見たことはありません。あちらはいろんな役者がいますが、とにかくよく探してきたもので、イメージぴったりです。確か80歳くらいで演じているはずですが、頭も足腰も実にしっかりしています。

いっぽうの モーガン フリーマンですが、この作品の前に、舞台で同じ役をやっているそうですが、この映画の時には50歳くらいだったはずです。昔からふけてたことが分ります。この映画では、どこかエディ マーフィー風に、ジョークかましてゲラゲラ笑っている姿で登場しますが、徐々に役風が変って、友情、愛情が感じられる雰囲気になってきます。この辺の演技と演出ぐあいも見事です。

国にもよりますが、今でも人種差別はひどいものです。映画の中で黒人に対するリンチのことが少し話されますが、かの国に実際住んでいれば、それはそれは本当に恐ろしいものでしょう。私達に対しても、例えば学会の会場のかなりフォーマルな場所でも、別に理由もなく顔をそむけられることがあります。横で様子を見ていて初めて気がつくような、じょうずなやり方でやられます。いっぽうで、このような映画を作るような人達もいるのが面白いところです。

映画の語り口が穏やかで、露骨さがないのが素晴らしい点です。テーマは深刻なのですが、語り口が穏やかでユーモアに満ちています。したがって、深刻さが分る人ほどユーモアもおかしく感じられる仕組みになっています。

2006年10月27日

トレジャー プラネット

- 名作は宇宙にも展開 -

 この作品はディズニー製作のアニメですから、子供も大人もいっしょに楽しめます。恋人といっしょに見てよいかですが、この作品の狙いとしては少し設定外の対象かもしれません。しかし、それでも楽しめると思います。原作が良いのは当たり前ですが、それに加えて絵の見た目の良さ、キャラクターの作り方などに、さすが伝統のそつのなさを感じます。

未来のある星に、母子家庭で育った少年がいます。そして、少年が少々ひねているのもありがちな設定で、この辺は現代風になっています。この少年が主人公です。ある日、彼が偶然手にした地図には海賊の宝の位置が示されていることが分ります。少年は知り合いの先生といっしょに宇宙船をチャーターして、「宝島」ならぬ宝の星を目指して旅に出ます。しかし船の船員達は非常に胡散臭く、信用できません。はたして無事に星までたどりつけるのか、そして宝を手に入れることができるのか?というストーリーです。

原作の「宝島」は、実は私は読んだことがありません。何となく筋は知っていますが、実写版の映画も見たことはありませんし、劇中劇のような形で断片的に見たことしかありません。とにかく名作らしいです。でも相当昔の本ですから、今の子供たちにうける為には、思い切りCGを使って夢のような映像を作るか、もしくは設定を現代や未来に移すしかありません。この映画は、その狙いが成功していると思います。ただ、私の子供達は思っていたほど感激しませんでした。

私は、この作品は画面の構成、海賊達のキャラクターなどは実にアイディアあふれていて、おそらくディズニー伝統の綿密な打ち合わせで練りに練られた結果が出ているのだと思いました。ところが、宝の星に着いてからの展開がしばらく遅いので、子供達がちょっと退屈してしまったのが分りました。ロボットの扱い方に原因があるような気がします。おかしなキャラクターを強調したために話が遅くなってしまうのは、「スター ウォーズ」のジャージャーピンクスの例と同じです。ロボットは主人公ではないのですから、短くても印象的な扱いを心がけるべきだったと思います。

母と子、そして少々形は違うけれど父的な存在と子供との間の感情が、この作品では描かれています。小学校の高学年くらいが一番おもしろいかもしれません。お父さんはラストでジーンと来て、泣いてしまうかもしれません。

2006年10月24日

ドクトル ジバゴ

- あまりにもロシア的大作  -

監督 デビッド リーン 主演 オマー シャリフ

医者で詩人の男ジバコが主人公。上流階級に属し、詩の世界でも有名。ロシア革命前夜の混乱した中で、主人公は混乱のはざまにいる女性と出会う。この女性ラーラと主人公は、革命の混乱の中で恋に落ちます。この二人の関係は、早い話がダブル不倫。混乱の中ではしゃーないという感じも・・・。密会をしたかと思えば離れ離れになり、いっしょに暮らしたかと思えば逃避行をしたりして、壮大な物語が展開。

この作品は大作なので見るのに体力を要する。それにテーマがロシア革命なので、やはり話が重くなる。したがって、子供には向かない。不倫や殺戮場面も少し出て好ましくはないと思う。恋人と見るのもお勧めはしない。根本的には悲劇で、やはりテーマと見る時間の問題がある。しかし深い愛の物語がストーリーの中心をなしていて、文芸作品が好きな方にはお勧め。

原作はロシアのノーベル賞作家のパステルナークの作品。この内容では、ソビエト時代は当然迫害されたでしょう。それでも国外に出なかったと聞いていますから、真の愛国者か。とにかく壮大な話で、ゆっくり時間がないととても見れないが、短くすると作品の価値が下がるかも知れない。

ドストエフスキーやトルストイの大作と同じく、激動、失神、政治、歴史、戦闘、議論、恋愛などが混乱したまま渦巻いて流れていく独特のスタイルが基本。切り取って分りやすいテーマにすると、何か失礼な感じがする。よく映画化したもんだ。その後のソビエトの崩壊を作者ならどんなふうに感じたか?

主人公を演じるオマー シャリフは不思議な人。スラブ系ではないのに、なぜかこの役を演じている。非常に個性的な顔で存在感があり、アラビアのロレンスのアラブ人役でもサマになっていた。演技のうまい下手以前に、この存在感で圧倒している。日本の田舎でも似たような顔の、もっと鼻が低い人を見かけて思わず笑いそうになるが、彼は日系人ではなくエジプト出身。

そういえば「アリーマイラブ」の主人公が彼を想像してオナニーをするという話があったが、これも笑えた。見ようによっては、田舎のおっさん風。

相手役のジュリー クリスティーのインタビューシーンがDVDに入っていたが、この役のイメージとは全然違って、タバコをせわしなくスパスパ吸って落ち着きのない、芸術かぶれのヤンキーみたいな人。いやヤンキーじゃなくて、確かイギリス出身でした。映画の中では非常にきれいで、強い意思を持った魅力的なキャラクター。オマー シェリフでなくても不倫したくなりそう。

見終わった後は、ロシア文学を読んだ時と同じで、疲れと満足感の入り混じった達成感のような感覚がある。音楽も美しく、印象的。

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