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カテゴリー「て」の50件の記事

2018年5月22日

デビル(1997)

The_devils_own

The Devil's Own

Columbia

 

IRAの戦士が米国の刑事一家に居候し、母国への武器搬入を試みる。しかし、計画に邪魔が入ってしまう・・・513日、衛星放送で鑑賞。デビルズオウンとは、悪運やとんでもない悲劇を意味するようだ。   

 

ハリソン・フォードとブラッド・ピットが共演していた。若い頃のブラッド・ピットには確かな色気を感じる。でも最近の彼は、年齢的な限界が来ているようだ。色気で勝負してきたキムタクが、ほんの少し目元の具合が違うだけで賞味期限過ぎの印象を受けてしまうのと同様、同じ男優でも皺が出たほうが良い人と、出てはいけない人がいるようだ。その俳優の個性によるのだろう。

 

ハリソン・フォードは、その点で得をしている。皺が出ようが、体力が落ちようが、それなりに活躍しても意外に感じない。もともとが二枚目半のような個性だったから、見栄えが多少落ちても気にならないように思う。皺も白髪も体形の変化も、納得ができてしまう。 

 

「麦の穂を揺らす風」は心に残る作品だった。IRAが分裂を繰り返し、内部で対立が先鋭化していく中で兄弟の仲も割かれていくリアルな話だった。あれは実際に起こっていた話かもしれない。この作品もIRAの活動に伴う悲劇を扱っているが、作品の質は全く異なる。まさかカンヌでグランプリを取るような映画ではない。完全に娯楽作品、サスペンス映画の路線にあり、味わいの面では少し残念な印象も受ける。IRAの青年がもっと無残な最期をとげ、痛々しい姿をさらしていたら、観客の心に残ることもできたのではなかろうか?   

 

この作品の頃には、IRAの活動はあまり注目されないようになっていた。なぜだかは気にしていなかったが、活動自体が沈静化してしまったからだろう。北アイルランドでは、カトリック政党が政権に参画できているそうだし、武装闘争よりも合法的に権利を獲得していく路線に力が集まっているからではないか? 英国の鞭と飴政策が成功したのかもしれない。   

 

ただ、日本人からすると、アイルランドの一部だけが英国連邦に残ったままなのは、やはり不自然な印象もある。無理にでも南側と北側が統一しないといけないとは思えないが、歴史の成り行きによって妙な国境ができて、それがそのまま認められているのは、変だと感じる。最近またもめだしたパレスチナもそうだ。強い国の無茶な線引きが、悪魔がもたらしたかのような悲劇につながって良いのか?     

朝鮮半島だってそうだ。政治体制の違う国ができて、核戦争の危機をはらみながら交渉しないといけなくなっている。歴史的な経緯がそうさせてしまったようだが、悪魔の成した計画かも知れないという印象も受ける。正しい道を探れるような問題ではなく、ただそういう結果が残っているのが現実であり、解決は事態が変化する歴史の流れによってしか成されないものなのか、まあ直ぐには分かりようもない。

 

 

 

2018年1月 5日

天使のくれた時間(2000)

The_family_man

 

- Universal -

 

エリートビジネスマンの主人公は、優雅な独身生活を楽しんでいたが、イブの日に別れた恋人からの便りが届く。そんな彼に不思議な出来事が・・・・12月24日、衛星放送で鑑賞。クリスマス・イブだったからだろう。

 

主演はニコラス・ケイジ。ヒロインは懐かしいティア・レオーニ。ニコラス・ケイジの魅力は正直、まったく感じなかったのだが、彼は今日でも堅調に出演作が続いており、第一線のスターではなくても、しっかりした支持者がいる実力派俳優のようだ。劇場主の感覚では、こんな役はソフトな二枚目役者か、完全なコメディアンが望ましいと思う。ニコラス・ケイジは、そのどちらとも言えないのでは?

 

冒頭の空港での会話は、なんとなく違和感を感じた。ぎこちないというか、芝居がかった印象で言葉が古めかしい印象。もしかすると、原作の「素晴らしき哉、人生!」のセリフをそのまま使っていたのか?そんな気がした。それ以外のシーンは自然で、現代風の会話だったような気がするので、何かあっていたはず。

 

ドン・チードルが出演していた。恰好は違うが、彼が天使の役らしい。大事な役だった。白人よりも彼が演じたほうが効果的だった。チードルはアメリカの黒人の中でも色が濃いほうで、性格もきつそうな感じが漂う。我々の持つ天使のイメージとは正反対だから、そこが効果的。

 

監督のブレッド・ラトナーという人は、2017年に盛り上がったセクハラの騒動で告発された一人らしい。作品よりも、スキャンダルのほうで有名になったかもしれない。

 

この作品はリメイク~あるいは旧作を参考にして作られていると思う。したがって、旧作との違いが明確であるか、旧作と共通する部分が明らかで、比較したり思い出したりすることでの独特の満足感を狙えると思う。いっぽうで、旧作と似ていると観客には飽きられやすい傾向もあるはずだ。「新しいアイディアに乏しいなあ・・」と、思われたら作品の評価が下がってしまうだろう。上手くコピーして、急に全く違った思いがけない展開に向かうことができれば、非常に受けるのだが、どうだろうか?劇場主は「素晴らしき哉、人生!」のセリフは覚えていないので、よく分からなかった。

 

覚えているのは、天使役は白人の酔っぱらい風のさえない中年男で、二級天使という名称で呼ばれていたこと。川から自殺しようとして飛び込もうとすることなど。冴えない二級の天使という設定は今日でも使えそうな気がする。権利関係に問題が生じないなら、おそらくパロディ風に利用できたのではなかろうか?

 

2017年3月18日

天国に行けないパパ(1990)

Shorttime


- 低予算? -

刑事である主人公は、退職前の健康診断で不治の病と診断される。息子の学費のために、彼は殉死して保険金をせしめようと考える・・・・

・・・テレビで一度鑑賞した記憶がある作品。まとまっていて、アイディアの良い話であるものの、奇抜さに欠ける印象もある。安心して観ていられると思うので、子供や家族と一緒に観るのはお勧め。恋人と観ても、悪くはないように思う。爆笑を得るのは難しいかも知れないが、まとまりが良い関係で、それほど退屈はしないように思う。

主人公を演じていた俳優は知らない人だったが、名脇役らしい。個性が役柄に合致していて、好感を持った。派手な表情を出し過ぎていない点で、この作品の性格に合致していたと思う。もっと有名なコメディアンだと、派手な笑いになったかも知れないが、軽くなりすぎたのではなかろうか?

この作品を、今の若い人達はどう評価するのだろうか?主人公が年配者だし、ギャグのセンスが30年前くらいの古いもので、手をたたいて喜ぶことなど期待は出来そうにない。子供もそうだろう。わずか20数年前の作品なのに、作り方が古いように思う。

カーアクションは、でも凄いものだった。CGを使ってはいないようだから、おそらくスタントマンが実際に運転していたのだろうが、あれを実写でやるとなると、高度なテクニックが必要だったろう。死人が多数出てもおかしくない印象だった。

低予算映画だったのだろうか?知っている俳優がいなかった。その関係か、あるいはセンスの関係か、いちど観たはずなのに印象が薄く、テレビ映画なのかな?くらいに思った記憶がある。低予算のテレビ映画とすると、これは素晴らしい出来映えで、熟練のスタッフが集まった佳作と言えるだろう。

 

 

2017年1月18日

デッド・プール(2016)

Deadpool


- 毒舌 -

特殊能力によって不死身になった主人公は、自分を改造した犯罪者を追う。捕らえたと思ったが元々の性格が災いし、取り逃してしまう・・・・

・・・下品でマヌケ、しかし格闘能力は凄いという主人公が活躍するアメコミの映画化らしい。DVDで鑑賞。原作は読んだことがないし、読みたいとも思えない。

しかし、この作品の映像技術は非常に素晴らしい。冒頭で、悪人どもを主人公がやっつけてる映像が立体的に表現されていたが、最近流行の技術とは言え、あらためて映像美に感嘆した。しかも、高度な立体映像の中に残虐さ、ユーモアを同時に盛り込んでいる点が凄い。

ユーモアのある残酷なヒーローは、昔からある一定のパターンだと思う。「ハンコック」も似たようなキャラクターだったが、マカロニウエスタンのヒーロー達がだいたいそんな傾向があった。ただの真面目なヒーローでは飽きが来るから、ひねりは必要だろう。

しかし、毒舌のヒーローにも少々飽きた感覚が個人的にはする。日本のテレビタレントも、毒舌を売りにした人が多い。マツコ、有吉、ビートたけし、ダウンタウン等々、そんな芸風が主流になっているなんて、世相の面から言ってよろしいとは思えない。

清く正しく、皆が礼儀正しい、理想に燃えている・・・そんな時代も確かに怖ろしい。戦時中を連想させる。だからといって、誰かを批判することが偉いと思われるか、支持を得るというのは邪道ではある。邪道が大道になってはいけない。

橋下元知事や、トランプ次期大統領は、本音を派手に論じて支持を集めた政治家(家?)だと思う。訴え方が良く、タイミングをつかめば、大統領にさえなれることを証明した。ただ、彼らが長い期間にわたって支持をつなぎ止められるか?そこは分からない。

長い期間の支持には、実力、正しい判断の連続、ミスの少ないことなど、また違った点が問題になる。そんな総合力を持っているかどうか、そこは映画の主人公とも似た戦略が必要になるだろう。

この作品はシリーズ化されるのだろうか?ハンコックは、知りうる限り一作で終了のようだが、なんとなく、この作品もそうではないかと思う。

 

2016年6月 1日

テッド2(2015)

Universal


- ポコチン検索  -

ぬいぐるみのテッドと人間の男が巻き起こす騒動を描いた作品の第二作目。今回は、テッドを所有物と扱うかの法廷闘争が中心。

テッドシリーズ第一作の、企画のアイディアには感嘆した。可愛らしいぬいぐるみが下品なギャグを飛ばし、猥談、麻薬中毒の放蕩三昧というのは、似たような作品の中でも群を抜く面白さを感じた。

宇宙人ポールという作品も似たような性格。性格的に問題のある存在が、人類に対してズケズケとものを言うと、本音を突かれて困るか、あるいは言いたいことを言ってもらって嬉しいなど、妙な協調感が生じる。

セス・マクファーレン自身のアイディアで生まれた企画なのか、それとも他にアイディアマンがいたのかは分らない。しかし、とにかく立派な企画として成り立っていた。

主演のマーク・ウォールバーグのキャラクターがどうもよく分らない。タフな殺し屋役を演じたり、兵士やボクサー役などもちゃんとこなしているのだが、こんな破滅的な人物も、それなりに実在感がある。

それが演技力でなされたものか、そこらが分らない。あまり表情がない印象もあり、過剰に演じないことで実在しそうな印象につながっているだけかも知れない。

今回のヒロインはアマンダ・セイフライドだったが、彼女は完全に喜劇、悲劇の極端な役柄が似合う女優だから、役柄にピッタリだったようだ。

ストーリーが非常に良くできていたのか分らない。弁護士を訪ねて旅に出る流れは、ロードムービーとしてエピソードをいろいろ挿入できる利点があって正しい選択だったと思う。

法廷闘争の流れも、日常で訴訟になじんでしまっている米国人に興味を持たれやすい点で正しい判断だったと思う。下品なだけじゃない、ちゃんとした企画だと思う。

ネット検索で何を調べても黒人のポコチンが出てくるって本当だろうか?よほど偏った検索をしてない限り、そんな妙な現象はないと思うのだが・・・

キャッシュというのか、検索の傾向を把握する仕組みは、どうも検索を遅くしているような気がしてならない。パソコンのCPU使用率を見てみると、不可解な動きが多く、要りもしない宣伝やウイルス処理などに使われていそうな気がする。

検索の指向性はリセットできるらしいが、保存されたパスワードなどが消えるそうで、それらをメモするのも面倒だし、やがてまた必要のない宣伝広告がチラチラとはさんでこられるはずなので、まだ試していない。

 

 

2016年2月 6日

デビルス・ノット(2014)

Worldviewent

- 魔女狩り考 -

幼い少年3人が惨殺され、容疑者として青年3人が裁判にかけられる。しかし、住民の証言には疑惑がもたれた・・・・

・・・・実際にあった事件らしい。魔女狩りという表題で日本でも報じられていたから、劇場主も知っていた。まだまだごく最近の話で、まさか映画になるとは思っていなかったが、米国の場合は日本とは感覚が違うのか、法的な規制の仕方が異なるのか、ちゃんと企画が成立してしまうようだ。

気味の悪い死体が何度も登場してくるので、この作品は子供には向かない。恋人とデート中に観るような作品でもない。芸術的な手法に特に優れていたとも思えないので、訴えるテーマ、社会正義、法を重んじる精神だけが、観る理由になると思う。エンタテイメントの要素はない。

ノットとは何のことか分らなかったが、結び目の意味なら犯人が使った靴ひも、連中という意味なら犯人や警察司法組織のことになる。両方にかけたのかも知れない。あるいは聞き漏らしてしまった沼地の名前か、事件が複雑に絡まった状況そのものを意味しているのか?

魔女狩りをする際には、人間は悪魔よりも怖い行動を採る。そこを強調し、上手く描いていた。

米国独特の事件なのかも知れない。欧州でも、おそらく違うのでは?今どき、ヘビーメタルに心酔する若者は日本では少ない。しかも、悪魔崇拝に向かう宗教的な土壌がほとんどない。悪魔は、天使やキリストとの対局にあるので、キリスト教が基本的な宗教であることの裏返しとも言える。日本の神道、仏教では悪魔の存在に注目することは考えにくい。

加えてだが、もともと宗教的な自由を目指して国家が成立してきた歴史から、常に過剰な宗教的態度が影響しやすいという特徴もある。分かりにくい事件が発生すると、宗教的感覚から生じる疑いが暴走し、歯止めがかからない状態になるのかも。過去の米国の事件、裁判などを知ると、そのような傾向を強く感じる。この作品の元となったのも、そんな特有の地盤、歴史が関係しているのだろう。

魔女狩りが発生するのは、おそらく恐怖が理由と思う。あいつら気味悪い、何か自分らに害が及ばないだろうか、そんな恐怖が過剰反応の理由付けとなり、怖ろしい虐待行為を正当化させるように思う。日本でも`つるし上げ’という現象はよく起こる。目のすわった人物が「あいつは許せない!」と叫ぶと、すぐ集団ヒステリーが発生する。自分が責められると怖いという意識も働く。

主役はイギリス人のコリン・ファースだったが、彼のキャスティングは偶然ではなかったかも知れない。米国人俳優だと、下手をすると出演しただけで暗殺される可能性がある。過激な宗教活動家は、神のための人殺しは神の教えに背かないと考えられるもののようだ。

コリン・ファース演じた主役の個性としては、そんなに目立った印象はない。周囲から妨害や迫害を受けても真実を目指して戦ったという勇敢さは、あまり表現されていなかった。無償で事件の捜査をやったらしいから、もっと重みのある、深くて強い意志の力が感じられるような、そんな演技の仕方もあったのでは?

全体の画質にも疑問を感じた。怖ろしい事件、怖ろしい裁判の進展具合を考えると、もっと暗い色調で描くのが普通ではなかったか?殺害現場でさえ、非常に明るい場面のままだった。誰が悪魔か分らないような人物達を描くのであるから、魔女狩りに参加する住民の表情も、怖ろしげに感じるように演出できなかったろうか?

ヒロインのウィザースプーン嬢は、勇敢で有能な映画人になってしまった。単なるカワイ子ちゃん女優ではなく、体型も立派になって、普通の主婦像をリアルに演じられる頭脳派の女優、プロデューサーである。映画人としては、こんな事件を取り上げたくなるものだろう。

死刑にされそうだった青年は、報道によればファンの女性と獄中結婚したそうだ。そんな話、理解できない劇場主だが、あちらでは珍しくはないらしい。この役を演じた青年は、死刑判決にも動じていなかったようだ。それが本当の反応だったのかも知れないが、映画的にはもっと演出があったほうが良くなかったろうか?普通はそれなりに悩み、死を怖れるものと思う。

現在の日本の場合、魔女狩りで死刑まで持って行かれることは考えにくい。たとえ汚職政治家だろうと、ひどい不正行為をはたらいた社長や役人だろうと、なかなか死刑にはならない。殺人犯の場合も、宗教がからむことは例外を除けばない。オウム真理教だけが例外だろう。

あの教団の犯した犯罪は、報道されている通りだろうと思うのだが、確実とまでは言えない。警察が意図的に証拠品を現場に置いたり、紛失したり、ねつ造したりは、可能性の話としてはありうる。DNA鑑定なども、間違いやねつ造は簡単に起こりうると思う。冤罪は実は意外に多かったようで、ただ知らないだけだったようだ。

そう言えば、先週辞職した甘利氏の事件は、贈賄側がビデオか何かを持ち込んで記録していたという。そうなると脅迫目的で金を持ち込み、何か利益を得ようと狙っていたか、あるいは甘利氏側が要求するのに企業側が耐えられなかったか、意図が必ずあったと思う。ただ甘利氏だけが悪人、アホウとは言えないだろう。捏造かユスリの計画があったのかも。

 

2015年1月19日

ディクテイター 身元不明でニューヨーク(2012)

- 意味はあるか?  -

アフリカ北部の独裁者が国連で発言するためにニューヨークにやってきた。そこで拉致された彼は浮浪者と間違われ、自然食品販売店の店員になる・・・

・・・サシャ・バロン・コーエン主演のコメディ。冒頭で‘金正日に捧ぐ’というギャグが入り、どんな作品か分かってくる仕組み。そんな色々な仕掛けが随所に見られた。

アイディアがあふれた作品。独裁者の個性、敵対する人物や好意を抱いてくれる人物、ドタバタ劇があれば、シニカルなジョークもたくさんあって、話としてちゃんと成立しながら、バカバカしいシーンで笑わせる仕組みがちゃんとあった。アイディアだけじゃなく、企画力にも優れていないとできないこと。

ただしコーエン自身の演技は特別に優れているとは感じない。動きで笑わせる志村けんのほうが、役者個人としては数段面白い。あくまで設定やストーリー、周囲の人たちとの関わりの中での笑いにに限定されていると思う。だが、主役の個性の設定は見事だった。

もっと現実的なキャラクターにすることも可能ではなかったろうか?「星の王子ニューヨークへ行く」の際の主人公はまともな人物だったが、王族の一員。まともに演じることで笑いがとれてしまっていた。周囲がおかしかったからだろう。今回の独裁者も、大真面目の演じ方だったら、違った形でおかしかったかもしれない。

もっと小柄な俳優が主演すると良い。大真面目に怒って、何か酷いことを相手にしようとするが、いかんせん相手は2m近い巨人で、殴られてもこたえない。皆に無視されるか遊ばれるというのは常道のひとつだと思う。

全体的に評価し、この作品は今ひとつかなという印象。大笑いが期待できるとは思えない。暇つぶしの対象ではないか?子供や恋人とと観るのも可能だと思うが、あえて非常に勧めたいとは感じなかった。毒のある笑いが好きな人には受けるだろうが、しらけるか憤慨する人だっているだろう。皮肉を表現する手段としても、表現方法が非常に優れているとは思えなかった。

性的なジョークは少なめだったが、残虐性を笑いにつなげる部分はあった。映画の場合、残虐性につながる表現は、勘違いして大きく作品の評価を落とされる危険性があり、表現が難しい。この作品でも全てが上手く笑いにつなげられたとは思わない。笑い方を考えないといけないようなシーンもあった。

そもそも、この種の企画は、敵国のテロリストの怒りを買わないかという問題がある。最近はソニーのコメディが北朝鮮の批判を浴びて、何かの妨害工作を受けたという。それがかえって宣伝になって、作品はヒットしてるらしいが、実際に爆弾騒ぎなどが起これば、風評被害によって興行は大失敗に陥ってしまうだろう。

監督や役者達にも勇気が要る。殺人予告くらいは覚悟しないといけない。このような作品に命を賭けることが出来るのか、その意味があるのか筆者には疑問。

たしかに表現の自由を守ることは大事。宗教的な違いから、他の宗教に皮肉を表現していたフランスの新聞社が先日襲われてしまったが、この種のテロはなんとしても避けないといけない。皮肉な表現が標的となれば、真正面からの非難もやがて標的になるだろう。非難自体が危険な時代が来れば、ナチ時代の再来が懸念される。

ただ、ナチ時代と今とでは移民の多さや人の移動の規模が違うので、テロの予防は非常に難しいと思う。欧米の場合は、かっての植民地支配や、手っ取り早い低賃金労働者の確保に走ったことが、今になって騒動の元になっていると思う。日本の場合は異常なほどに治安が良いので目立たないが、朝鮮半島や中国出身者は多いので、やがては対立も大きくなるかも。

昨今は中国人が非常に増えた。いろんな職場に進出している。バイタリティあふれているし、凄い金持ちも多いし、日本人との結婚も多い。将来、融和の方向に行くかどうかが問題だが、普通に考えると何も対立が生じないはずはない。

欧米の場合、移民というのは経済成長には必要だったろうが、大きなツケを払うことになった。アラブ系の住民を捜査し管理すれば、それがまた感情的対立の原因になるはず。仕事を与え続けないと険悪な雰囲気が蔓延するし、排斥も隔離も反発を生むとなると、欧州は非常に難しい情況。好景気を維持し、国民として意志を共有し続けるためには、対外戦争くらいしか解決策がないかも。それも一時的な効果しかないだろうが。

 

 

 

2014年1月23日

天使の分け前(2012)

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- おとぎ話  -

社会奉仕活動を義務づけられた青年。家庭を持つ夢はあるが、敵対する不良グループが執拗に追ってくるし、恋人の家族からは脅迫されている。彼はしかし、ある日、天使の分け前を知る・・・

・・・DVDで鑑賞。しばらく熊本市の電気館で上映されていて、観たかった作品。なぜか電気館の上映時間は、都合の悪い時間ばかりを設定してくるので困る。有閑マダムくらいしか観れない。とうとう劇場では観れないままだった。でも、この作品はDVDでも充分だと思う。画面の迫力は必要ないから。

「麦の穂をゆらす風」のケン・ローチが監督作品。すると、ラストは悲惨極まりない残虐リンチによる死か、警察による銃撃、涙々の結末となる可能性が高いことになる。そう、現実は厳しい。もし成功しても、多少の金が手に入った若者は、「じゃ、とりあえず飲みに行こうか。」と言うだろう。「お前ら、なんで景気がいいんだい?」「実は・・・」ってな調子で、怖い結果につながるのが現実なんだ。

グラスゴーというと、造船業などが中心のイメージ。ひところは酷い不景気だったはず。今も、常時好景気ではないだろう。でも、写っている街並みは汚くはないし、何といっても国の社会保障はしっかりしているはず。暴力が支配するスラム街ではないだろう。ただ、若者の失業率は日本より深刻だろうし、作品に登場したような若者も多いのでは?

利き酒の能力がなかったら・・・もしくは能力に気づかないままだったり、それを生かすチャンスに巡り合えなかったらと考えると、この作品はおとぎ話であり、やはり若者が社会に出て行くのは、実は非常に大変なことだったんだと感じた。ぼんやり社会人になってしまった自分は苦労知らずの、本当に幸運な坊ちゃんだった。

不良グループのレベルから抜け出すのは簡単ではないだろう。こちらがその気でも、相手のほうが許さないのは、作品でも解りやすく解説されていた。描き方が単純明快、素晴らしかった。また、過去の自分の犯罪が犠牲者に与えた影響を理解するのに、相手との対面が有効なことも、この作品では説得力ある描き方をしていた。

若者を演じた役者たちは、宣伝かもしれないが実際に似たような生活をしてきたとか書かれていた。主人公の青年は、小柄すぎて殴りあいでは不利な印象。相手のワル達ほうが不良役には向いていたが、ストーリーを考えると適役だったかも。日本でキャスティングされる場合は、ジャニーズ系のタレントが選ばれるだろうが、この映画では真面目に選んであったようだ。

演技力より雰囲気が大事だったのかも。非常に上手い演技とは思えなかった。恋人役は非常に美しく、たぶん本物の女優。仲間の中でバカの代表選手のようなメガネ男や、彼を指導してくれた人物も本職と思う。脇役には確かな演技力が必要であり、そのへんの選択が的確だった。

この作品のアイディアは、どのように出てきたんだろうか?監督自身か?調べてはいないが、とてつもない、誰も考えられないような奇抜な話ではないので、過去にテレビなどで放映された小作品があったのかもしれない。なんだか観たことがあるような、そんな気になる話だった。

作品のなかで評論家として登場していた人物は、実際にも有名なスコッチの研究家らしい。スコッチ醸造所は多いだろうけど、数は知れているはずだが、それで評論家が存在しうるというのは、ちょっと理解できない。イギリス国内に数人程度なら、ありうるかもしれないが・・・

日本酒のような、微妙な味の違いが出やすい酒の場合は、年により、担当者により、同じ酒屋であっても出来の違いはあると思う。ワインもそうだろう。味覚、嗅覚に優れた人間なら、確かに作り手にも評論家にもなりうる。醸造酒の場合は、私にはよく解らない。

ボウモアや、マッカランなどの銘柄が日本のビール会社によって輸入されて安く手に入るようになり、横に置いて比べて飲むこともできる。さすがに比べて飲めば違いに気づく。でも、日本製のほうが正直言って出来が良いような気がする。ブレンドのためか特徴はないとしても、洗練されているような、そんな印象。わざわざ高級シングルモルトを買う意義は理解できない。

作品の中で仲間同士が話す会話は、ほとんど理解できなかった。いちおう英語のはずだが、ケルト系の言葉が混ざっているのか、もしくは激しいスラングなのか?

また、パトカーらしきものが登場したが、奇抜なデザインで、あれでは外国人が助けを呼ぼうとしても気づかない可能性がある。

 

 

2013年12月31日

デルス・ウザーラ(1975)

Herald

- 黒澤節の悪い面 -

ロシア軍の調査隊の隊長は、森林地帯で狩人のデルスと知り合う。命がけの探検で深い友情の絆を持った二人だったが、デルスに衰えがやってくると・・・

・・・年末年始は名画だぜってことで鑑賞。ソ連時代に黒澤監督が作った作品で、もとは共産党員だったらしい監督にソ連が好感を持ち、招いたのでは?当時、大変な話題作だったことを覚えているが、ビデオかリバイバル上映で観た時は暗くて解らないシーンも多かった印象。今回はDVDで鑑賞。画像は鮮明だった。

探検家の小説~探検記が原作らしいので、誰かモデルのいる、かなり真実に近い話なのかも知れない。デルスのキャラクターは創作かもしれないが、実際の人物としか思えないほどの存在感はあった。

デルスのキャラクターが総てだった。自然に敬意を払って生きる日本人的な感性、古来の原始的な伝統に基づいた生き方、厳しい環境を生き抜く知恵が圧倒的な存在感を持っていた。映画の題材として、この以上のキャラクターを考えにくいほど魅力的。

デルス役の俳優の顔や体つきが素晴らしい。小熊のようなずんぐりむっくりの体型は、スターウォーズの森林小人族をイメージさせる。頭がやたら大きく、俳優を目指すのは無謀としか思えない無骨さだが、こんな映画では貴重なキャラクター。

この作品は子供でも鑑賞できるだろうとは思うが、楽しくはない作品なので喜んではくれないだろう。もっとコメディの要素があっても良かったような気がした。デルスと隊員達が仲良くなる遊びのようなものが欲しかった。

他にないような抜群の設定。空前の名作映画にすることも可能だったのではないかと思う。遊びのシーンを設けて、味わいを強める工夫、叙情性を押し出す演出、子供を使って涙を誘うなど、方法はいくらでもあったように思えた。

上映時間が長すぎて、冗長な印象も受けた。監督独特のこだわりを感じるシーンは特にそうで、さすがに耐えられる観客は少ないのではないか?黒澤映画の後半の作品はたいていそうだ。

言っては悪いが、監督の後期の作品は編集のセンスに問題を感じるものが多い。アイディアも枯渇しつつあったのかも。思うに誰か他の客観的な視点の人間に編集を依頼していたら、黒澤監督は映画監督の歴史上の圧倒的No.1だってなれたかも。

良いシーンも多かった。再会したデルスと隊長が、倒木を隔てて抱き合うシーンは、他の作品で三船と志村が互いに相手に相対するのに似ている。お約束の感情表現だが、好感を持てる。

焚き火を前に、デルスが自分の家族のことを話すシーン、自分達の死生観、自然に対する感覚を話すシーンは印象深い。ただ、夜の会話が何度かに分割されているので、構成としては山がバラけてしまった印象も受けた。

荒野で道に迷ってしまうシーンは、実際には風がないのに無理に送風機で風を送っている関係か、遠方の草が揺れていない。雨のシーンも同様。あれでは白けてしまう。背景を工夫するなどして、現実味を出そうとは思わなかったのだろうか?

たぶん、ハリウッド映画なら膨大な予算を使って、画面全体に風を吹かせてみせる。日本映画なら、カメラの位置をもっと高くして、周囲の見える領域を制限し、送風機の力が及ぶ部分しか写さない。あのロケ地は、平坦かつ広大すぎた。

デルスとの別れのシーンは、あっけなかった。流れから考えれば、デルスとの別れは彼の死を意味することが明らかなはず。重要な涙の別れになるはずだが、DVD版ではサヨナラ、以上終わりってな感じであっけない。他を削ってでも時間を取って欲しかった。もともとなかったのだろうか?DVD化の時に編集したのか?欧米とは全く異なる生き方を、叙情的に描くことに専念すれば、少なくとも感動の度合いは違っていたと思う。多くの観客が涙を流すラストシーンもできたはずと思うが・・・

叙情的になりすぎるのを嫌ったのか?広大な大地で生きていく人間には、この世の別れにおいても叙情的な弱さは必要ないということか?私には解らない。

音楽も、シーンとチグハグな印象を受けた。外人が相手で、監督のイメージを説明するのに無理があったのだろうか?全体として、叙事詩のような雰囲気が感じられず、せっかくの題材が荘厳な物語にはなれていないように思えた。デルスはロシア人ではないから、ロシアの音楽は必要ない。東アジアの民謡や、エスニック音楽、効果音を中心にすべきだと思う。

デルスの顔は、日本の田舎の村でも似た人を見かけそうな気がする。我々の御先祖と共通する遺伝子を持っているのだろう。さすがにデルスと日本の美人女優達が同じ人類とは感じにくいが、底のほうではつながっているのだろう。

あんな森林地帯で、猟をやって生きていけるなんて信じがたい。広葉樹、果物が豊富なら猟で生きてもいけると思うが、普通なら魚を採ったほうが効率が良いし、牧畜、木の実や穀物の何かを少しでも栽培したほうが、生き残る可能性が上がる。たぶん、中には猟の腕に賭ける者もいたということでは?

実際に沿海地方には同様な民族がたくさんいるのだろうが、中国人~満州族も毛皮を求めて多数活動していたはずだし、大がかりなワナを作った犯人は中国人をイメージしていたのだろう。歴史上は満州族の領土か、もしくは国が形成されていない時代も長かったはずで、半農半猟の住民が細々と暮らしてたのか?

我々には自然の中で暮らす民族への憧れ、哀悼の意識がある。日本でも田舎のほうは、つい最近まで似たような生活をしていたのだから、当然だ。そんな生活にはもう戻れないからこそ、憧憬や郷愁に近いものを感じる。その郷愁のような感覚は、上手く描けていなかったと思う。

 

2013年8月26日

天井桟敷の人々(1945)

Path

- ハイレベル恋愛ドラマ -

パリの下町にある無言劇の一座を中心に、恋愛ドラマ、人生模様が複雑に交錯するドラマ。

舞台となっているのは、戦前のパリの下町だろうと思うが、時代として何年ごろなのかは解らない。たぶん、抽象的な古きよき時代なのでは?製作が戦時中という点が信じられないが、本当らしい。占領されていても、芸術関係の意欲は衰えていなかったということか。

DVDで鑑賞。画質や音質は相当良いかった。リマスタリングされていたのだろう。長い映画で、前編後編に分かれていた。資金的な理由か、トイレ休憩のためかは解らない。

ニワトリのマークのpathe'が製作していたようで、現在も見られるマークがチラリと出ていた。

子供達にはちょっと無理なテンポの作品。恋人にこれを観ようと言い出すのもちょっと気後れしそうだが、ドラマのレベルの高さや、途中のパントマイム、芸術的なセンスなどに関しては第一級のものを感じる。スタッフや役者達の心意気のせいか?

演技のセンス、約束事に関しては無理を感じた。舞台俳優独特の大仰な身振り手振りには嫌悪感に近いものを感じる。少なくとも、今風の演技ではない。

また、主役たちの見栄えに関しても疑問点があった。ヒロインの女優さんは、いくら何でも齢をとりすぎている。若い俳優が恋に落ちる相手としては、私の偏見かも知れないが、明らかな無理を感じる。

微笑みを欠かさない個性だったようだが、チベット奥地ならともかく、パリであんな顔をしていたら殴られるのでは?

主役の若者の外見にも満足は出来なかった。パントマイムは素晴らしく、完全に芸術の域に達していたが、ヒロインが恋に落ちそうなほどの魅力が感じられなかった。パントマイムというスタイルは、いったいどこから、いつごろから始まったのだろうか?マルセル・マルソーを紹介した映像等で知ってはいるものの、ほんの短時間の芸としか考えていなかった。   この作品のように大きな劇場で大勢の観客を集めて興行が成り立つなどは、日本ではちょっと考えられない。

もうひとりの役者役の俳優は、特に演技がオーバーで、古いタイプのキャラクターだった。悩みや恐怖などが全くないような個性では、リアリティに欠ける。ただ、この作品の場合は、そんな彼が殺し屋に相対した時に、直ちに相手の真意を理解して態度を変えることが他の映画とは少々違った。こけおどしの度胸ではない、リアルな面を演じていたのは新しい点だ。

自称脚本家のゴロツキの個性にも古さを感じた。肉体的な強さが感じられなかった。個性的だったが、リアリティには欠けていた。彼にも新しい戦後の臭いのする演技が欲しかった。キャラクターとしては、終戦後に目立ったというアプレゲールみたいだったようだが・・・

その相棒の男には結構なリアリティを感じた。また、若い俳優と結婚する娘役にも新しい感性を感じた。脚本家達をバカにして新しい劇を作ってしまう話など、ギャグ的なセンスも素晴らしい。

俳優同士の喧嘩の際に、役者たちの派閥が瞬時に集まるのもおかしい。笑えるシーンではちゃんと笑えたので、当時の映画としては珍しいのでは?終戦直後の日本映画のギャグは全然おかしくないので。

ストーリーが古さを感じさせなかった。登場人物が知り合う経緯に無理がない。簡単に恋が成就したら面白くならないが、何かの事件、または裏切り、誤解などが邪魔をする展開がスムーズで素晴らしい。韓国ドラマよりもリアル。

ドラマとしての完成度は、今のトレンディードラマよりもずっと上のような気がする。当時、こんな作品をよく作れたねと、ただただ感心。

 

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