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カテゴリー「て」の23件の記事

2009年11月12日

ディー・ウォーズ(2007)

- マズイ手法 -

500年毎に龍が生まれる時期がある。前回西暦1500年代は、いけにえ役の女をめぐって善玉ヘビと悪玉ヘビが激しく争い、女が自殺してしまったために、双方が龍になれないままだった。今回、500年目の女を狙って、激しいバトルがロスアンジェルスの街中で巻き起こる。主人公の青年は、女を守る剣士として、悪のヘビの手下どもと戦うが・・・

・・・この作品は韓国のプロダクションが作っていたようだ。物語の発端となる伝説も韓国のものであり、舞台をアメリカに代えてハリウッドの技術を借りて、より普遍的な物語にするように狙ったようだった。

タイトルのD-は、したがってドラゴンのDだろうか?

CGは素晴らしい出来だった。街中で魔物と空軍が戦うシーンは迫力があった。一昔前なら感動したかも知れない。でも今は慣れてしまって、あんなに凄い映像も、それほど驚かないものになっている。トランスフォーマーのスタッフが担当しているそうだ。一部は暗すぎる印象を受けた。

役者達に不満を感じた。主演の二人、老人役、友人役など、ほとんど全てがチグハグな演技をしているような気がした。韓国風の演出だったから自由が効かなかったのか?

通常なら、主人公の青年が何かを学び、努力し、達成する喜びのようなものがあるはずだが、この作品ではあんまり活躍はしていなかった。

演出のクセが嫌だった。簡単に済ませるべき1500年代の話が長すぎる。もはや単なる解説の域を超えて、別な話になるほどの長さだった。この辺は中国、韓国の映画では珍しくない。彼らは説明が詳しくてよいという印象を受けるのかも知れないが、私にとっては冗長で、全体のスピード感を損なうマズイ手法に写る。

龍が主人公らを追って、道を這うシーンが激しく繰り返されたが、あれはゲームで使われる手法で、激しさよりも重量感の演出にこだわるべきだった。スピードが速すぎると、かえって迫力が失せるのだ。その辺のセンスに問題があった。

敵の隊長のような人物のキャラクター設定も不十分だった。敵に魅力を出さなければならないのが原則だ。ただ怖い顔をした大柄な男が現れるだけではいけない。主人公を苦しめ、性格的にも冷酷、残虐、そして悪賢い性悪なキャラクターを設定すべきだった。そうでないと戦いが単純になってしまう。

残念ながら2~3級品だった。子供なら楽しめるかも知れないが、やがて忘れられる運命にある。恋人といっしょに観るのはお勧めできない。

 

2009年9月 6日

鉄ワン・アンダードック(2007)

- 万人向けと言える -

警察犬として失格のビーグル犬が、狂った科学者の実験の結果、偶然超能力を身につけてしまった。彼は飼い主となった父息子の一家とともに、犯罪に立ち向かうようになる。しかし、彼の能力を狙う科学者は、人質を取って彼を捕らえ、能力を奪い、新たな犯罪を狙う・・・

ディズニーのテレビ映画かもしれない。こま切れの展開のおかしい作品。懐かしい感じがする。昔は日曜の昼くらいにアメリカのコメディを観ることができた。勧善懲悪、友情や愛情を織り込んだエピソード、きまって良い青年、カワイコちゃんが登場する。

今回の青年も多少情けないが、パターンにはまった反抗期にバッチリはまって感じが良かった。カワイコちゃんはとことん可愛かった。

お約束のような犬ガールフレンドも登場していた。悪役の科学者と大男の役割分担、ギャグっぽい演技も実に的確だった。

主人公が犬なのも家族や子供うけするし、科学者の風体があまりに個性的で悪役なのに魅力的で楽しいし、ストーリーには反抗期の悩みなどを適度に盛り込んであって、テレビドラマとしてはこの上ない出来栄えだと思う。劇場版映画としても、けして退屈するようなレベルではない。

この映画はディズニー映画の伝統にのっとり、家族でもOK、デートでもOKの万人向け映画だ。

 

2009年8月18日

ディア・ドクター(2009)

- 郷愁が望まれる -

監督 西川美和 主演 笑福亭鶴瓶

村の診療所で働く医師が突然失踪した。捜査のためにやってきた刑事らの調べにより、意外な事実が判明する。その捜査と平行して、若い研修医が体験する村の診療風景、胃癌の女性と医者との約束の展開が描かれる・・・

・・・8月15日に鑑賞。やっと子供達が家内の実家に行ってくれたからだ。映画館では知った顔があちらこちら。医療関係者が多い。隣の席の婦人は物腰がハイソな感じで、きっと老先生の奥さんだ。

静かで、美しい映像。鶴瓶や脇役、エキストラまで、実に自然な演技であった。惜しむらくは、全体に流れる夢のような高級感がなかったこと。庶民風の演出に徹すると高級感のある雰囲気では作品に合わなくなるので、このままがいいのかもしれないが。高級でなくとも、オーケストラの音楽で郷愁を盛り上げることも出来たような気がするが・・・

ラストも必要だったのか?行方知れずのままでも良かったのでは?例えば主演が鶴瓶でなかったら、作品の雰囲気は随分違っていただろう。鶴瓶が最高だったとは思うが・・・

田舎の診療所の待合で見かける老人達の表情が非常にリアル。しかし、この集落はまだまだ結構人が多く、家が壊れかけていない。実際の村落はもっと破綻の瀬戸際にある。米を作れば赤字となれば、さすがに作る手がなくなってしまう。映画のような美しい田んぼは、まだ70歳以下の人がいるからできるのだ。ほとんどが80代以上になると難しい。

診療所に医者が来たものの、患者さんも認知症が進んで会話が成立しないので、心の結びつきも成り立たないという集落も多い。新しい医者は信用しない人も多いし、逆に怪しい医者の宣伝に乗りやすい人も多い。

信頼関係も微妙に違う。「たとえ胃癌でもいいいから、胃の薬だけ出して下さい。」と言っていた患者さんが、「本当に胃癌です。」と言った途端に、「なんで、今まで放置したんだ!」と騒ぎ出すのが普通である。映画ほど素直な方ばかりでないのが普通だ。

登場していた女医の娘は、なぜ村に帰ってこないのか?帰ってくるべきだ・・・一般の人の心情はそんなものだろう。故郷に医者が帰らない理由はいろいろだが、私の場合は故郷に帰ると家庭崩壊するからだ。実際に崩壊した同僚もいる。

話は変わって、緊張性気胸とは・・・処置をする医者が緊張する気胸である・・・?。でも本当に緊張する。ことに田舎の男性の場合は喫煙者が多く、聴診しても両側とも呼吸音が聞きづらいため余計に緊張する。自分は注射針で救った経験はない。診断して針を刺してみたものの生き返らなかった方が3-4人。ほとんどは呼吸が止まった状態でやってくるので、心臓マッサージや気道確保が優先。

今の蘇生法指針では気胸に関することは無視する方針らしく、救急隊が延々と蘇生処置をやっている間にトドメをさす結果となる。病院に連れて行きながら蘇生を試みると成績は変わってくるのに。指針を作る際の統計に欠点がある。呼吸器疾患の患者のみ、胸部打撲の患者のみで統計をとれば、心臓マッサージと気道確保の比重が変わってくると思う。

レントゲンを撮る余裕があれば確認したほうがいい。今のレントゲンはフィルムレスなら数分で撮影可能。フィルム式の場合でもモニター画面で判断すれば2分で可能だと思う。撮影室が遠い場合はやむをえないが、聴診で判るためには肺に持病がないことが条件で、もともとの病気による音を勘違いして針を刺したら、トドメになる。

診断がつくなら、普通の胸腔ドレナージ用チューブの中の細いもののほうが便利なので、それで処置したほうが安全。1分もあれば挿入できるので、針と変わらない。呼吸が止まってから来る患者さんの場合は、やはり気管内挿管して充分に空気を送って聴診しないと診断しようもない。胸部打撲だから可能性が高いと思っても、例外は必ずある。気胸はあったが緊張性ではなかったということもある。

作品は今の田舎の現状を上手く描いていた。医療崩壊、高齢化、親子関係なども上手く話しに盛り込んであって、人事とは思えない。どうして田舎はこうなってしまったのだろう。優秀な官僚や、尊敬される政治家達が選挙や試験で選ばれて中枢に立ち、この国の政策を決めてきたはずである。この現状を予測していたのか?

田舎の経済が成り立たなくなっても構わない、そんなことより国際競争力を優先すべきと判断していたのか?古来より農村の人間を都市に追いやって労働力にしたことで競争力を維持した歴史はあるから、日本の工業のために田舎を崩壊させるのは正しい政策だったのかも知れない。

でも国際競争とは関係のない、細かい判断のひとつひとつにも判断間違いが多いように思える。

そもそも人の選び方にも疑問を持つ。日本では派閥の内部で生き残れたものがトップに立つというシステムが主流なので、一種の異能ともいえる予測能力のある人物がはじかれてしまう傾向がある。医学会や病院は完全にそうだが、霞ヶ関内部もそうではないか?優秀と言われる官僚達が、本当に優秀なのか疑問に思う。

天下りは歴然と存在するし、国家にとっては効率の悪い仕組みを作るのに官僚が関わっている。誇りのあるエリートが、その弊害を何とも思わないのか不思議だが、仲間うちの視線が気になって聖人然とした生き方はできないのだろう。政治家を選ぶ我々の側の能力にも疑問がある。

 

 

2009年6月28日

デトロイト・メタル・シティ(2008)実写版

- くだらないけど笑える -

主演 松山ケンイチ

上京して音楽の道に進んだ主人公だったが、入ったプロダクションの女社長によって強引にも彼の好きな音楽とは全く違うヘビメタ、その中でも更に激しい地獄メタル系ロックグループとして売り出されることになる。そこから巻き起こる悲喜劇を映画j化した作品。

実にくだらない、でも面白い作品。原作の設定がまず面白いし、主演の松山の演技も素晴らしかった。

この作品は子供に受けそうだ。(あんまり見せたくはないが。)恋人と一緒に見るのもおススメ。笑えると思う。

宮崎芳子が母親役で出演していたが、農家の主婦役としてぴったりの姿に驚いた。彼女は私の2年上だったかと思うが、同時期に在学していた伝説の少女だったのに、いつの間にか近所のおばさんと同じになっていた。当時もモデル体型ではなかったが、ピカピカに光っていたのに(下のごとく)・・・

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私自身も牛の世話をしていてもおかしくない格好なので、不思議ではないが・・

松山ケンイチのステージの迫力は大したもんだった。だが、本職のパフォーマとは言えないようだ。ジャック・ブラックのような本物のミュージシャンとして通用しそうな技術があれば、もっと凄い作品になっていたかもしれない。Lを演じた彼と同じ人物とは思えない今回の主人公だった。彼の惨めさに同情できないとおかしくならない。見事に情けないキャラクターを演じていた。

 

 

2009年5月20日

デイブは宇宙船(2008)

- 意外な快作 -

監督はブライアン・ロビンス、主演はエディ・マーフィー。エディ・マーフィーが宇宙から降ってくる。と思いきや、彼の形をした宇宙船が地球に降り立っていたのだ!中には小人の宇宙人が入っていて、操縦していた。彼らの目的は地球の海水に含まれる塩を奪うことであった・・・

意外な痛快作と言うべきか、くだらなくて面白い作品。製作は20世紀フォックス。特撮は結構な金をかけているようにも見えるが、インチキくさい宇宙船内の様子や、クルー達の動作は二級品のテレビ番組の雰囲気がする、意図的にチャチに作ったかのようなうさんくささを感じる。

制作費が6000万ドルって本当か?と思える作品だが、興行成績は悪く、日本では公開もされなかった。でもインチキくさい感じがおかしい。エディ・マーフィー喜劇としては、久しぶりの快作ではないか?ただし彼の下品なギャグが満載というわけではなかったので、彼のファンには不満が残るかも知れない。

「チアーズ」で主人公のライバル役だったガブリエル・ユニオンが出演している。好印象の演技だが、特別に魅力的だろうか?脇役たちの演技も、ちょっとオーバーすぎる人もいて、傑作ということはできない印象。でも、この作品は二級で構わないと思う。スタッフもテレビ界の人が多かったのかも知れない。演技はテレビのコメディーそのもの。

もしかすると多少とも演出を変えれば、結構な爆笑映画になっていたのかも知れない。主人公の表情や動作、話し方のおかしさは及第点を与えていいレベルだったので、もうちょっとだったのかもしれない。宇宙船が巻き起こす騒動が、たまたま人々を救ってしまうような展開は面白いはずだし、誰かをひどい目にあわせてしまう展開もありえる。

たとえば堅物の船長が別にいて人類を破滅させようとしているのに、クルーのエディ・マーフィーが反抗するようなストーリーだったら、彼のキャラクターを生かすこともできたのではないか?軍人らしからぬ下品でスケベなギャグでひんしゅくを買っていた主人公が、最後にヒーローになる話のほうが受けはいいと思う。

ヒロイン役のエリザベス・バンクスの存在が生きていない。せっかくだから黒人の女性をヒロインにして、セクシーな場面を作ると面白かったのに・・・つまり、宇宙船だと気がつかないまま好きになった人間の女が迫ってくるシーンや、無視されていた主人公が最後に愛を勝ち取る話が期待できる。

軍人達の行動のパロディや、主人公のキャラクター設定に何かの問題があったのでは?スタッフの間での狙いが一致していない印象を受ける。エディ・マーフィーは、基本的に困った状況に追い込まれないといけない役者なので、敵役を設けるか他の人物に無理を要求されないといけないのだ。役者の魅力をアップするのが映画つくりのコツだと思うんだが・・・。

2009年5月 2日

デッドマン・ウォーキング(1995)

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- 魂の救済の意味 -

死刑囚のショーン・ペンと修道女のスーザン・サランドンの物語。サランドンはボランティア活動として死刑囚と文通をしていた。ショーンの弁護活動をする人間がいなくなった関係で、スーザンは彼と面会し、再審請求に尽力することを約束する。

でも極悪犯人を弁護することで、周囲からは激しい攻撃をうけることになる。被害者の家族はもちろん、教会関係者にいたるまでから反感を買ってしまい、孤立する。しかし、彼女はキリスト教の教えに忠実に任務を果たそうと努力する・・・

・・・「デッドマン・ウォーキン!」と看守が声を張り上げる。デッドマン~は、死刑囚が処刑台に向かって歩く時の掛け声のようだ。

極めて真面目な、これぞ社会派という内容の作品。死刑制度反対というのが主要テーマなんだが、単純な訴えかけで終わらず、死刑制度賛成派の意見もかなり公平に紹介している。

作品の基本となる宗教的な意味合いは、日本人には解りにくそうに思える。これはキリスト教に関する知識や、その教えへの共感がないと感動の意味合いが変わってくる作品である。苦しい状況でも神の導きに従おうという精神がないと、修道女は偽善者か?という感情が生まれやすい。

主演のスーザン・サランドンはギョロ眼で目立つ存在だが、特にこの作品のラストで死刑囚とともに死刑台に進む時の表情は、さながらキリストの行進もかくあったのかと思えるほどの迫力があった。強い信仰心を表わして見事な演技だった。毅然としすぎずに、時に弱さを見せたことが成功だった。

根っから犯罪者みたいな顔をしたショーン・ペンの当たり役だった。日本にも名優はたくさんいて、迫力のある犯罪者役には事欠かないはずだが、そもそもこの種の映画を作る基盤がない。作っても意味が解らない人が多いだろう。三国連太郎は存在感のある悪役だったが、宗教的な救済を求められた作品はあったろうか?

原作は死刑制度反対論者のヘレン・プレジャン修道女の作品。制作費は1000万ドルくらいなので、約9億くらいか。意外に少ないような気がするが、やはりテーマがテーマだからだろう。でも、この作品は宣伝を見なくても私が知っていたくらいなので、いろんなところで論評され、結構なヒットにはなっていたはずである。アカデミー主演女優賞を獲得したことなどが宣伝効果もあっただろう。

とにかく大変な力作である。監督のティム・ロビンスは役者としては有名だが、監督業はベテランではないはずなので、学生時代のノリの延長みたいな作り方をしたはずであるが、心がこもっているせいか、あんまりアラが見えない。夫婦で製作しているから、意気込みも凄かったんだろう。

盛り上がりの作り方、音楽、カメラワーク、編集すべてにおいて名監督の技と区別がつかない。専門家が見ればテクニック的な欠点があるのだろうが、作品のレベルとしては充分なデキだったと思う。

死刑制度の是非はともかく、極刑に値する人物は多い。自分の家族が殺されたら、絶対に犯人を死刑にして欲しいと思うだろう。拷問もやって欲しいくらいだ。そんな時に死刑反対なんて自分が言える自信はない。でも、それを是としていないのが、キリスト教の教えである。この作品は、その基本的な視点から訴えているのだ。

ただし、よく読んではいないのだが、聖書の中にも是ではないけど、はっきり死刑はダメとは書いていないようである。あれだけキリスト教精神を重視するアメリカで堂々と行われているくらいだから、きっとそうだろう。

実際には、キリスト教が多くの人間を殺してきた歴史がある。イスラム教との戦いはもちろん、ヨーロッパの宗教戦争、新大陸の征服などなど、激しい殺戮に強く関係してきて、我々には不思議なくらいである。

映画でもそうだ。敵を殺す時に、「主よ、我々の敵から私達を守りたまえ。」などと言いながら、ガンガン銃を撃っている。「ゴッドファーザー」の復讐場面や、「プライベート・ライアン」のなかで狙撃兵がさかんに祈っていた。相手が本当に神の敵なのかは疑問だったが。

魂の救済という表現、それにこだわる姿勢は我々には解りにくいが、キリスト教徒なら解る。キリスト教徒は、ある意味ではキリストを見殺しにした人達の末裔であるので、原罪の意識はあるだろう。かって迫害されても信仰を捨てなかった歴史もある。「魂を救済する。」ことが彼らにとっては極めて大事なことだったからこそ、迫害に耐えられたのだと想像する。

あらゆる奉仕も、根本はそれによって自分の魂を救済することが目標ではないか?罪人の魂を救済することで、罪深き自分が救済されるとも言える。我々の感覚では「罪は償わなければならない、責任は取らなければならない。」「犯罪を犯した人間の救済など無意味。」という単純な論理が先に立つが、彼らにはほっておけない救済の問題がある。前にも書いたが、罪に関連して、近々始まることになっている裁判員制度の重大な問題のひとつが私達の職業、世間との関わり方である。

私のように不特定多数の人間と会う職種の人は裁判員には向かない。基本的に狭い町では難しいと思う。裁判員制度の詳細は欠陥が多いし、いいかげんで考えの足りない規定が多い。そもそも、お互いに顔見知りの人同士が裁く側と裁かれる側に分かれれば、純粋に法に基づいて判断するのは難しい。

アメリカのような国では宗教や人種も様々な関係で、何かを話し合おうとしたら法律しかないという面があり、大多数の人は最終的には法律に忠実だが、日本の場合は法律よりも慣習や「お上のお達し」、「法に縛られない情け」に忠実に生きてきた歴史がある。「法律が何であろうと、私は友人を無罪とする」、もしくは「友人を殺した犯人は無条件で有罪。」「皆が有罪と思っている人は有罪。」「どんなに悪事を働いても、近所には情けをかけるべき」といった論理がまかり通る。

熊本の場合は、高校が同じ人を応援するという極めて田舎的な伝統があるが、これも一種の超法規的気質の表れだろう。法律のことを厳密に主張すると、「杓子定規で、人間味のない人」ととられる。そもそも日本の場合は、法律の内容が住民の権利を保障するより、権利を縛ることを目的に作られてきた経緯があるので、余計にそうなる。

総じて言えば、歴史が作った伝統が、裁判員制度の支障になる。裁判官の選び方には不透明な部分が多いので、裁判官を裁く裁判は必要だと思うが、法律自体が総代わりしないかぎり裁判員制度は機能しにくいだろう。でも、反動的裁判官にすべてを任せたままというのは最悪なので、導入するのも仕方ないかも。究極の選択か?

裁判員制度が、日本的な庶民の関係を壊す引き金になることも、ありえないとは言えない。つまり「法律よりも人情に基づく隣人関係」を重視していた時代は去って、人情はともかく法的に隣人をさばくのが当然よ、という精神がより濃厚な社会になるかも。

そもそもの死刑制度だが、私は心情的には死刑に反対である。やはり誤認逮捕や証拠のでっち上げ、法廷闘争術による判断のミスなどによって、間違った判決を下される可能性があると思うからだ。

かって検察官をしていた人物が書いた本によると、警察官が犯罪現場の現金に手を出すなどは珍しいことではないらしい。それなら、「この証拠品は現場にあった。」などと言われても、それが警察官が置いた物でないという証明は難しい。功をあせった警察側のでっち上げの可能性は常にあるからだ。

救急外来でお世話になる警察官の判断レベルは非常に低い。例えば、目の前の死体を見て死因が何かを推理していく作業は、我々が病気を見て病態を推定していくレベルにはるかに及ばない。彼らは「外傷がないから自殺である。」みたいな単純な論理でストーリーを作り上げる方法を取りたがる。

医者でもそうだ。医療関係の雑誌に出てくる症例検討の際の発言のレベルは似たようなものだ。断言できないことを断言している。医療現場では、ありえないことが頻繁におこる。超一流の先生であっても能力に限界がある。症状や所見がない重大な病気は多く、さらには学問で解っていないことも多い。

だから我々は、所見が陰性だから病気ではないとは考えない。「肺炎では咳が出る、だから咳がない場合は肺炎ではない。」式に考えない。「食欲が落ちれば高齢者の場合は肺炎を否定できない。他の感染や、胃潰瘍、癌、認知症・・・もありえる。」と、考える。陰性所見、陽性所見の意味を判断しながら考えるべきなのだ。この病気で所見が出る確率は何%、現在の流行具合はどれほど、この人の持病は何、体力と性格、生活習慣と考え方、家族の影響その他もろもろを頭に入れながら、しかし素早く判断しないといけない。

医者も往々にして大きな誤診をやってしまうが、警察官も検察も同じである。間違って犯人と考えてしまったら?犯人自身が、恐怖のあまり罪状を認知してしまったら?ありえないことが起こるのである。にくい犯人であろうと、殺してしまって、後で実は終身刑のほうが適切だったと解ったら、いったいどうすればいいのだ?

判断には専門的な知識、能力も必要だが、根本的な科学的判断力、想像力と思考能力が必要であろう。容疑者のうそを見抜き、証拠が間違いかも知れないと考え、証言の信用性、検察側の作為の可能性を見抜く力も必要である。それは基本的な洞察力のようなもので、学力とは一致しない。でも、そんな能力は誰にでも備わっているものではない。

検察官や裁判官が現場におもむいて捜査をやり直したなんて話は聞かないが、正確な判断をしたければ行かないでどうやって判断するんだ?医者が患者さんを診察しないで看護婦さんの報告を聞いて治療していくようなものではないか?いかにトレーニングされた看護婦でも、新しい見かたに習熟しているわけではない。同じように、捜査官にも勘違いはありえると思う。

究極の悪党、根っからの犯罪者の被害にあって、仮に私が「こいつは絶対に更生することはない、神や社会を敵視し続けるだろう。」と確信したとしても、その確信は間違っているかもしれない。この映画では、それを表現していた。その表現力が凄かった。それに感動するなら、やはり死刑は望ましくないという意見になるが・・・

この作品は子供には向かない。名作と思うのだが、恋人といっしょに観るのもお勧めできない。何事も深く考えたがる向上心豊かな人や、なにか信仰を持つ人には向くかもしれないが、一般の日本人には深く理解し難い点がある。

 

2009年4月 2日

テネイシャスD 運命のピックをさがせ!(2006)

- 過激なギャグに注意 -

かって悪魔の歯から作られたギターピックがあった。それを使うと、たちまちスーパースターになれるという。

ジャック・ブラックは幼少の頃からロックにいかれた少年であった。彼は訪れたハリウッドで盟友となるカイル・ガスに出会う。最初はだまされていたブラックだったが、二人には友情が芽生える。

二人は家賃を稼ぐためにバンドコンテストに出場することにするが、そのために名曲を作りたい。何か良い方法がないか考えた二人は、ついに魔法のピックの秘密を知る。それはロックの博物館に飾られているらしい。

盗むつもりの二人は、博物館に忍び込むが、センサーが仕掛けられていて近づけない。しかし、ジャックには鍛えた特技があった・・・・

・・・ジャック・ブラック カイル・ガス ティム・ロビンスなどが出演。ストーリーは良く考えてはあったが、取ってつけたような話だった。

なんちゅうくだらなさ、なんちゅう下品な作品だろうか。しかし、この作品の中では独特の感性、懐かしい無茶苦茶なセンスが垣間見れた。

映画は冒頭から凄い。中世の宗教画みたいなアニメが登場して、この怪しい映画の雰囲気をいっきに亢めている。古代の伝説を現代に持ってくる話は多いのだが、この作品のノリは懐かしい、何か以前このような作品を観たような気がする。何だったか忘れてしまったが・・・。

ビートルズのイエローサブマリンに影響されてか、ロックが全盛の時代には色んなアニメチックなストーリーが放映されていた。色付けは様々で、SF宇宙旅行だったり、タイムトラベルだったりしたが、悪魔が出てくる話も確かにあった。ユーモアを感じさせるには非常に有効な方法で、この映画の製作者達も、効果を充分に解っていたようだ。

ふたりのデブ体型が面白い。歌詞も激しく、あまりの激しさで笑わずにはおれないが、普通なら気分を害してしまう系統の内容。したがって、この作品は家族や恋人といっしょに観る時には相当な注意が必要。普通なら、あえて見せるべきではない。

考え方が近く、常に冗談ばっかり言うような人間が相手なら大丈夫だろうが、普段は仲良しでゲラゲラ笑っているが、時に意外なほど急に真面目になるタイプの人間には注意が必要だ。見せたことを後悔することになる可能性もある。

私は年中状冗談を言っているバカな人間なので、後悔をすることが多い。もういいかげんに考え直さないといけない。

以前にも書いたが、仲が良くて有名な夫婦がいた。ある時、「家内を見ませんでしたか?」と聞かれた私が冷やかす意味で、「さあ、お二人はいつもいっしょだから、たまには若いツバメと旅行でもしたくなったんですかねえ?ハハ。」と言ったら、全然笑わない。はて?おかしいなと思ったら、実は私が知らないうちに離婚していたことがあった。よりによって・・・

何も異常がないのに、繰り返し深刻な顔で病院に来る子がいた。「大きな病気は考えられませんし、安静にして症状が悪化しないか様子を見てください。」みたいなことを言うのだが、毎日病院にやって来て、同じ質問を繰り返す。「心配ないですか?」

「そりゃあ絶対に安心ですとは言えませんが、重症の病気は考えにくいので・・・」と説明するのだが、聞いてはいない。「絶対安心です。」という言葉を言って欲しいのだろう。でも、そんなことを言うと勘違いしそうな人である。

とうとう私は言ってしまった。「そんなに病院に来る必要はありません。今は観察すべき状態です。まさか病院が好きじゃないでしょう?」

すると激しく怒り出した。「病院が好きなわけないでしょう!」それは当然だ。だが、考えて欲しい。話の中心がずれている。来る必要はないというのが中心なのだ。

いつも母親に付き添われて病院に来ていることと、深刻そうな顔で明らかに考えすぎている、説明しても理解しない独特なタイプ、繰り返し説明しても意味が解らないので説明は無視する。病状を尋ねてもピント外れの答をして、質問に答えきれない。そのようなタイプの患者さんは多い。理解の仕方が違うのだ。

おそらく親子の関係に何かの依存性(親離れ子離れしていない)があり、極端に言えばうつ病などで一種、思考が有効にまとまらない状態なんだろう。「絶対に大丈夫です。」と言ってくれないかぎり、不安感が治まることはないのだ。

ただ、相手の立場に立つなら冗談を言ってはならなかった。「病院に来る必要がない」というのは私の良心から出た言葉だが、相手はそこを無視して、冗談の内容ばかりに腹を立てるに違いない。相手を見ていなかった。

何の話だっけ?

とにかく、この映画は冗談が通じる人間にしか見せられない。

 

2009年3月30日

ディスタービア(2007)

- サスペンス&ラブコメ -

父親を自分の運転で亡くしてしまって心に傷を持つ主人公は、教師を殴ったために自宅謹慎処分を受ける。足にはセンサーがついていて、家から離れるとブザーがなって警察官がやってくる。

隣にセクシーな女子高生が越してくる。さっそく主人公は覗きを始めるが、ついでに覗いた隣人が、何か怪しげな行動をとっていることに気がつく。隣人こそ連続殺人犯では?と疑いを持った主人公は、友人やセクシー女学生の助けを借りながら、この隣人を調査するが、敵はそれを悟って・・・

・・・この作品は良くできていた。イーグル・アイを観た後に、主役が気になって観賞した。イーグル・アイよりもまとまりの点では優れているかも知れない。「裏窓」のような往年の名作路線ではないのだが、軽い小品としてまとまりがあった。観た後の気分も悪くなかった。繰り返し観たくなるような名品ではないのだが、退屈しないだけの上手い展開があった。

メイキングビデオを見ていたら、サスペンスとラブコメを合わせたような路線を狙っていたとスタッフが喋っていた。確かに、その路線をうまく走れていたように思う。

悪役が良かった。体格のいいデビット・モースは警察官や兵隊を演じると演技の必要がないほどだが、今回の役の場合も迫力があった。普通は過剰に演技して異常者としての名演をやりたがる役者が多いはずだが、彼は心得ているようだった。

セクシーな女学生が隣に越してくる設定は必要だった。男の友人だけでは盛り上がるはずがない。

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彼女は自分の中で葛藤を抱えていて、それを克服するために活動的であり、主人公の部屋にも上がりこみ、ケンカもするが協力もしてくれる。そんな設定も、彼女の行動を自然にするのに役立っていた。

裏窓でグレース・ケリーが演じた女性は、絶対に裏窓の部屋にやってきそうにないお嬢さんだったが、今回の女性は確かに部屋にも来てくれそうで、より現実的な意味でセクシーだった。

サスペンスに足のきれいな娘は必須である。絶対にホットパンツをはいている。これは万国共通の約束事なんだ。水着かホットパンツの女の子が凶悪犯人の家に忍び込むシーンは、半分はエッチな感情もあるが、女の子を守るように躾けられた男が条件反射で注目するのだ。

ラブーフの演技は素晴らしかった。1年前の釣りのシーンの彼は、より子供みたいな顔をしていたように見えたが、あれはメイキャップの力か、演技の技か?

女の子と初めて話す時に緊張する様子が自然だった。近所のガキとの話では、ちょっと演技が派手すぎて、臭い感じにはなっていたが、映画の性格上、派手でおかしいほうが合うと思える。

知らなかったが、母親役のキャリー=アン・モスは結構おばさんだったのだ。マトリックスでしか知らなかったので、まだ20歳代かと勘違いしていた。でも、なぜ彼女が母親役を演じていたのかは解らない。適役だっただろうか?

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ラストシーンが暗すぎて、何がどうなったのか良く見えなかったが、そんなに詳しく見てもしょうがないと考えて、とばして観た。重い映画でないのはいい点だ。お菓子か何か食べながら友人と、そしてできれば恋人といっしょに観るには最高の作品だと思う。

家族で観てもいいかも知れないが、子供には好ましくないシーンもある。でも、そんなシーンこそ子供は観たいものだ。

2008年12月27日

天国と地獄(1663)

- 再映画化して欲しい    -

天国・・・それは、庶民の家々を眺めるような高台に位置する金持ち三船敏郎の家である。三船は苦労して会社の重役になったが、時代遅れの社長を追い出して、自分が社長になるために資金を集めていた。

地獄・・・それは、うだるように暑い中で、風通しの悪い部屋でうごめく貧乏人の下宿である。ある男が、金持ちの子供の誘拐を計画した。

ところが、金持ちの子供と間違えて、その家の運転手の子供をさらってしまった。あはは、なんてドジなんだ。金なんか出さないよー、と言いたい金持ちだが、妻や運転手の姿を見て、ついに金を払う決心をする。そのために、自分が会社を乗っ取ろうとしていたことがバレて、クビになってしまう。当然ながら破産である。

犯人は、協力者を使って列車の窓から現金を回収し、その協力者を薬で殺すことによって、行方をくらますことに成功する。捜査は難航する。しかし、いつもは三船に切られる役だった仲代達也が、今度は三船のために頑張る。

捜査線上に、一人の男が浮かんでくる。刑事たちは彼を監視し、証拠を探すが、証人は死んでいる。そこで、仲代はある計略を考え出す・・・

題材は、小説「キングの身代金」だそうだが、黒澤映画らしく、だいぶ脚色してある。この脚色の具合が、かなり思い切ったことをしているので、面白さが倍増したと思う。

当時の列車の中で、車内に電話があるのは少なかったそうだが、さらに窓を開けられる場所が限られていること、そんな細かいところが、映画のリアリティを高めていた。今なら携帯電話を使う犯人が多いが、携帯は足が付きやすいようだ。

犯人をあぶりだすために、かばんに細工をして燃やした時の煙に色が付くようにしてあることも、今ならダイオキシンの心配がある関係で、遠い焼却所に集められてしまうので、どこから来たごみかを特定するのが難しくなっていることもありえる。それに、犯人もバカじゃないから、わざわざ遠い町に行ってカバンを捨てるくらいの知恵は働くだろう。そうなると、どうするのか?

おそらく、今なら携帯電話と同じように微妙な電波を発信するチップなどをカバンに入れるのではないか?

天国と地獄のアイディアは、どこから出てきたのか?おそらく当時のインタビューを調べれば、どんな事件を題材にし、どう脚色したかが書いてあると思うが、今まで読んだことがない。逆に、この映画が誘拐のアイディアになったことは有名だ。

当時のインターンや医学生というのが、どんな生活をしていたのか興味あるが、もちろんエアコンはなかっただろう。薄汚い下宿部屋で、せいぜい扇風機があるかな?という程度の生活だったに違いない。でも、昔は皆がそうだったので、高台にそびえる金持ちの家に敵愾心を抱く人は、そんなには多くなかったと思う。

なにしろ、空襲や徴兵の心配はないし、社会は確実に豊かになっていくことが疑いないような時代であるから、今がいかに苦しい時期でも、多くの人は希望を持っていたのではないか?

今なら、この作品のような事件は自然である。怖いことだが、IT長者や株のカリスマディーラーが億単位の収入で六本木ヒルズに住まいしているいっぽうで、ワーキングプアな青年には、全く未来の展望もない。解決が難しい問題を抱え、苦悩でいっぱいの若者は多い。

そんな若者が主人公なら、話の現実味がある。

今の研修医は給料が保証されているので、結構な生活ができる。まさか誘拐を計画するはずはない。それに基本的に時間に追われる人が多いから、金を使う暇もないはず。メシ喰って寝るだけの生活がほとんどだ。

私達の給料はひどかった。保険料を引かれて、封筒を開けるとチャリーンとコインが出てきただけのこともある。笑うしかない。

やはり、フリーターが犯人として望ましい。今こそ、この映画は再映画化して欲しい。2007年にテレビではあったらしいが、見ていない。ぜひ犯人には、もっと計画的でタフな人になって欲しい。失業したトレーダー?パソコンオタク?何か、善意に満ちた仕事についていたが、理不尽な理由で自分の力を発揮できない人間がいい。

警察のウラをかき、最後まで逃げとおすのもいい。・・・・いや、もちろん映画の中ではだが。

この作品の主役は、三船ではないと思う。やはり金持ちには皆が同情するはずがない。仲代が最も活躍するので、彼が主役と言えるかも。山崎努は意識的に顔を伏せているようで表情が読みにくいが、存在感はたっぷりあった。

この作品、今の若い人が見ると仕草がオーバーすぎて笑われてしまうかも知れない。子供達が見るには、麻薬で人を殺す場面があるので、あんまり好ましくないと思うが、今のテレビはもっと激しい殺人シーンを平気で放送しているから、別に構わないかも知れない。

作品としては、いろんなアイディアで脚色した冒険精神が感じられて、とても面白いと思う。しかし、煙に色を付けるなら、もうちょっと丁寧にできなかったのか?ひどすぎる。

家族で観ると、ちょっと問題がありそうな気もする。犯罪のアイディアを明かすような作品だからだ。恋人と観るのも、ちょっと古すぎて難しいかも。シリアスな場面で、「アハハ、古~い。」なんて笑うギャルもいるだろう。

間違って誘拐されなかった男の子は、フォーリーブスの江木俊夫だって知らなかったなあ。彼はマグマ大使には出ていたが、あんな小さい頃から芸能活動をしていたんだ。

 

 

2008年8月18日

天使にラブソングを(1992)

- 意外に感動  -

場末の歌手、ウーピー・ゴールドバークはマフィアのボスといい仲だが、偶然殺人現場を目撃してしまう。こうなると口封じに消される運命なので、警察に頼んで身柄を隠すことになる。隠れ家は尼さんが修行する教会。

信心など全くないゴールドバークは完全に異端児で、周囲との摩擦を起こすが、コーラス指揮に関しては才能があるので、賛美歌合唱団の指導に当たる。

ところが、これが評判になるほどの出来で、彼女の存在がマフィアに嗅ぎつけられてしまう。銃を持った殺し屋が彼女をねらう中で、発表会が開催されるが、彼女は逃げおおせるのか?

ウーピー・ゴールドバークは歌手ではないのだが、この作品では結構上手に歌い手役をこなしていた。もちろん本物の大物シンガーと比べれば魅力に欠けるが、演出効果もあったのだろう、場末の歌手の雰囲気は出ていた。

この作品は家族で観ることができる。殺人のシーンもあったが、どぎつくはなかったので、子供が見てもそれほど影響が出そうな気はしなかった。合唱のシーンは、あまり期待しないで観たためか感動するほどのレベルだと思った。声の迫力で感動させるのである。

曲も良かった。一般にはオールディーズの名曲として知られている曲を、彼=キリストに置き換えてゴスペル調に代えて、立派な賛美歌にしていた。くだけたラブソングの歌詞が、神への賛美になってることにも驚いたが、よく考えてあった。

本当のゴスペルばっかり聞かせる真面目映画ではないので、彼氏彼女と観ても楽しめると思う。曲はオールディーズだが、かえって新鮮かも。

何かをトレーニングして成功する物語は、なぜか我々までが何かを成し遂げたような錯覚に陥る。下手くそで諦めていたような連中が、徐々に練習で上手くなり、一流と目されていたライバル達の邪魔をはねのけて正々堂々と戦い、ついには勝つというストーリーであるが、いつも、ついつい達成感をいっしょに味わってしまう。私だけか?

この作品は、完全にこのパターンだった。日本ではスクールウォーズ効果ないしは、フラガール効果と言われているが、あちらではベアーズ効果、ロッキー効果などと総括されているようである。私だけではなく、酔わされやすい連中がいるんだろう。

加えて、ギャグも良かった。

悪役のハーディー・クリューガーや、変な顔の刑事役、シスター達のキャラクターが良かった。シスターの中でオペラみたいな発声をして調子を外す人は、ディズニー映画でも出てくるような典型的な盛り上げ担当者であったが、だからと言って別にしらけるような印象は私はなかった。この人だけでなく、か細い声でしか歌えなかった女がリードボーカルをこなしてしまう話なども効果的だった。

話は完全に安易な出来過ぎで、冒頭で大体の流れが解ってしまうが、この種の映画では構わないと思う。パターンにはまったギャグで、ある程度笑えるのが狙いだ。その上で勝負に勝ち、連帯感を抱ければ、最高にハッピーなサクセスストーリーである。

この種の映画では、主人公は優等生ではダメ。アウトサイダー的な、ワルのイメージを持つ人物でないといけない。一般的にはエリートとはほど遠いが、したたかで、逆境に強い。不可能と思えることを、確信を持つリーダーとして活動していく中で可能にする。これはもう普遍的なリーダー像である。そんなイメージに、今回のゴールドバークの役は完全にはまっていた。

続編も作られたが、私は一作目のほうがコーラスのデキが良かったと思う。

2008年4月28日

デス・プルーフ(2007)

Photo - 最高の2級品 -

この写真の女の子達、なんでこんな格好をしてるんだ?

一人は撮影の途中であるなどと理由を付けていたが、明らかに観客を喜ばせるため。チアガールが好きな男のために、こじ付けを恥じることなく、堂々と登場させたのだ!そのへんのサービスが素晴らしい。

二級品映画は、学生時代の日曜の午後とか、暇でしょうがない時にテレビで時々観ていた。たいていは他の有名映画のシーンを真似たような場面が、より安いセットと、安っぽい役者でやられている感じ。芝居の経験がないような俳優が出演しているものや、たまには芸術的すぎて訳がわからないほど難解な表現がされていたりして、結局はただの時間つぶしに終わることが多かった。

時には結構楽しいのがあって、そんな時は得した気分になった。

二級品の映画には、下品なくらいセクシーな女が出てきた。胸元がギリギリ限界まで開かれた服を着ていて、歩くと不必要に胸が揺れるし、いちいち意味ありげなポーズを取って、自分を売り込んでる感じ。そりゃそうだろう、将来のスターを目差して本当に売り込んでるわけだから。

若いセクシー女優達のなかで、選ばれたものがスターになっていくが、その頃には体つきも洗練されてしまって、かってのバイタリティーあふれる躍動感は失われてしまいがち。つまり、旬の女優をみたければ、かえってマイナー映画を見たほうがいいかも知れない。

しかし、昨今の女子高生などの服装は、ほとんど映画と変んない。ギリギリ限界を超えて、完全に尻が見えたジーンズ、パンツが見えたセーラー服、胸が見えたキャミソールファッションで街を歩いてる。尻くらい隠せよ!

でもって、この映画は2級品映画の雰囲気を再現すべく作られたメジャー作品らしい。2本立てという趣向も面白い。その目論見は成功していると思う。内容はないけど、迫力だけはある。

実はこの映画を、私は倍速で再生した。内容がない映画だと聞いていたからなのだが、たぶん正解だったのだろう。暇なら普通に観るべきだが。

内容はなかったが、映画自体は魅力的だった。登場して、無意味に殺される女の子達は存在感があって、性格もよく表現されていた。性格なんて、この映画の場合は本来ならどうでもいいことなのかも知れないのに、不必要に描写されていた。場末のバーの雰囲気もよく出ていた。

衣装も無意味にセクシーだった。踊りが下手でも、とにかくセクシー。筋と関係なくっても、セクシーさだけを求めて観る客もいるわけだから、ちゃんと作品の役割を果たしていたと言える。

カーチェイスは実写版としては最高の出来だった。最近は車が横転、縦回転する派手なカーチェイスが流行りだが、結構慣れてしまって、かえって今回の作品のほうが面白く感じられた。スタントのゾーイ・ベルという女優も素晴らしかった。

最後にリンチシーンがあるが、あちらの人種はリンチが正当な行為だと考えているらしい。悪いやつ、気に入らないやつは当然リンチ。こんなやつらが兵隊になってやってきている沖縄は気の毒である。レイプ事件も収まらないはずである。

この映画は当然ながらお子様向きではない。恋人と観るのは楽しいと私は思うが、できればドライブインシアターがいいなあ。そーっと手をまわして・・・と、期待していたのに、やっと車を手に入れたらシアターは潰れてしまったんだよなあ。トホホ。

この作品は、スリルと色気を相応に堪能できる作品だと言える、最高の2級品だ。

2008年3月11日

デジャブ(2006)

- ハル・ベリー出演? -

アイディアと、その表現方法、技術には素晴らしいものを感じた。しかし、アイディア倒れの感もある。俳優達の演技も、個性も良かったと思うが、いまひとつ評判にならなかったのは、やはり全体としてのバランスに問題があったためではないか?

時空のトンネルを見つけて、過去の現象を再現する、しかも視点を自由に変えられるというのは、すごいアイディアだった。「マトリックス」の頃から導入された視点が回転しながら動くことができる効果が、このアイディアの表現に役立っていた。うまく使われていたと思う。

カーアクションも織り込まれていた。これも、車が横にゴロゴロ回転しながらせまってくる映像が「バッドボーイズ」あたりからできるようになったためだろうが、この映画の場合は控えめな使われ方だった。必ずしも必須ではなかったような気がする。

ヒロインは美しくスタイルの良い女優だった。ハル・ベリーにそっくりで、白人らしき父親との親子関係には「おやっ?」と思ったが、充分に魅力的だった。

部屋を覗き見する感覚の映像に徹して演出されていれば自然だったはずだが、カメラ目線の映像が多かったので、リアルさが失われていたような気がする。音声などの要素をフルに使って、まるで部屋の中にいっしょにいるかのような感覚にさせるなら、ヒーローが彼女に恋する感覚も解りやすかったはず。

覗き見という感覚は、映画でやると凄い魅力になったはずである。特にセクシーな女優の場合は、「この後、観てはいけないシーンがあるのでは?」と、ついついワクワクするスケベどもも多いのではないか? 私は正直なところ、非常に期待してしまった。

そもそも時空を超えるというアイディアの使われ方に問題があった。過去の事象を映像に写すだけの技術があるなら当然録画もできるはずで、4日前の映像をゆっくり眺めるしかないという設定は、あきらかに無理を感じる。映画のためにわざわざ技術に制限を設けたのね、という不信感みたいな感情が起こってしまう。観客を感心させないと話にならない。

録画は当然できる。しかし、解析に時間がかかるという設定がよかったのではないか。「今のシーンを、もっと右の角度から見せろ!」「えーーっ!半日かかるよお。」「構わん!つべこべ言わないで、やれ!」なんてセリフが良かったのでは?それでも、若干の無理はあるが・・・。

したがって、時空を超えて何かを送ったりする話は止めて、衛星からの情報に記録された過去の映像から、過去の行動を探索するという程度の話に止めておくほうが良かったのでは?過去の映像の彼女に恋するのでは盛り上らないかも知れないが、荒唐無稽な話にするよりはマシだと思う。復讐劇にしぼるべきだった。

もう少しで心に残る傑作になっていたような気がするのに残念。

2007年9月 9日

ディック&ジェーン(2005)

- 笑える? -

大企業の重役に抜擢された男が主人公でした。長年の苦労が実り喜び勇んでの初仕事で、いきなり会社の破綻を知らされます。彼自身が責任者ではないのに、発表した彼は顔が知れわたってしまい、再就職をしようにも「あの、破綻した会社の・・・」というレッテルを貼られて、相手にされない始末。家のローンも払えなくなって、彼はとうとう隣家の芝生泥棒やら、銀行強盗までするようになります。

奥さんも切羽詰って、いっしょに強盗しちゃいます。結構これがうまくいって逮捕もされないところが不思議ですが、それくらい困った状況になります。こんな境遇になっているのに、かって勤めていた会社の会長は悠々自適、サファリでハンティングなんぞをかましています。法律でちゃんと保護されているようです。仕返しはできないものでしょうか。

この映画は、明らかにエンロンの事件がヒントになっていると思います。多額の資金を集めた挙句に破綻した会社があっても、その役員は高給を取って悠々と生活。いっぽうで社員が路頭に迷うのは矛盾しています。やはり、経営陣は様々な社会的責任を全うしなければなりません。

金に困った様子がおかしく描かれていたはずですが、私は全然笑えませんでした。クリニックを開業して、最も金銭的に苦しかった頃に見たので、あまりに現実的すぎました。勤務医の頃は、値札を見ないで買い物していたのに、10円の値段の違いに目を血走らせていましたから、この作品の本来の味わい方ができませんでした。

開業当初は月に100万くらい赤字が出ていましたが、こんな時に家財道具を売り払う話で笑えますか?観ているうちに、気が滅入ってきました。私だけじゃないかも知れません。

盗みに入って罰せられる場面がありませんでした。芝生なら許されるということはありません。盗みはギャグにしにくいと思います。この作品は、その点が変っています。犯罪を美化していると見られなくもありません。犯罪を犯しそうになる映画はたくさんありましたが、犯人は通常は捕まります。捕まらなければ、何か「あれれ?」という感情が残り、観客は気まずくなると思います。

ジム・キャリーも、奥さん役も結構うまい演技でしたが、演出には問題があったような気がします。

基本的に、犯罪しそうになっても主人公はドジこいて失敗しなければなりません。そして、ドジを悔やみながらも、罪を犯せなかったことを喜ばせないと気まずさが残ります。もっと、思い切り失敗させないといけませんでした。

ローンが払えなくなる話は、現実にも払えない人がたくさんいるので、短時間で済ませないといけません。今までの映画は、ほとんどがそうしていました。編集で調整できたはずです。そのへんのセンスがありませんでした。ドキュメンタリーのような作り方では、腹を抱えて笑えません。

2007年8月 8日

デス・ノート 前編(2006)

G - パート2は見ない  -

人気コミックが原作だそうで、我が家の子供達も原作のマンガを買って熱心に読んでいました。「マンガは見るほどバカになる、眼も悪くなる!」と怒るのですが、ちっとも言うことを聞いてくれません。子供達によれば、この作品は傑作だそうです。でも私は、子供に悪影響を及ぼす2流品だと思います。多少は偏見が入っているかもしれませんが。

家族でこの作品を観る親は、バカ親です。そういえば私の奥さんは子供達と観て盛り上がっていました。きっと彼女は、死神か疫病神の仲間でしょう。恋人と観るのは構わないかも知れませんが、恋に何か良い影響はあるでしょうか?期待できないような気がします。

死神がゲーム感覚で人間界に魔法のノートを落としたことから話が始まります。主人公のライトがノートを使って犯罪者を次々殺していきますが、警察官僚の父親と、通称’L’と言われる分析者との頭脳戦になります。話の設定は素晴らしく、トリックも見事だったと思います。

ただし、私には恐怖感の演出が足りないような気がしました。例えば、死神の言動は素直で、よき友人のような設定になっていましたが、たとえユーモラスであっても、常にライトをそそのかして寿命の半分をいただこうとする邪悪で油断のならない存在にしたほうが、危機感を盛り上げるために良かったのではないかと思います。

’L’は、マンガの場合は若い人物でないとダメでしょうが、映画の場合は見た目だけで反感を持ってもらう必要があるので、中年のふてぶてしい感じの俳優、昔ならエドワード・ロビンソン、今ならトミー・リー・ジョーンズのような性格俳優が望ましいと思います。観客にはライトに勝って欲しいと思ってもらわないと盛り上がりません。

この作品は、韓国か中国でもブームを起こしたと報道されていました。私も共感するところはあります。法律でさばけない悪党を、誰かが罰してくれないかと常々思っています。特に、テレビの’ハングマン’のように犯人に白状させる民主的(?)な団体があればいいのにと思いますが、現実には難しいでしょう。そのへんの共感は、どの国でも得られそうです。

主演の藤原竜也は、童顔ですが目に力があって身のこなしが鮮やかで、適役だと思います。いっぽうの’L’は、先程述べたように見た目が悪い俳優のほうが効果的だったはずです。ちょっと若すぎました。

死んでいく犯罪者役は、みんな落第だと思います。心筋梗塞の場合は、数秒間かけて痛みが強まり、激しい胸の苦しみを訴えますが、いわゆる心臓マヒの場合は、通常は呼吸苦を感じているうちに血圧が下がるために、眠るように意識を失うというのがパターンです。演出のために苦しがる表情や声を出させていたようですが、テレビの安物のドラマではないので、リアルさを狙ったほうが効果的だったと思います。

死神は、もっとキャラクターを目立たせて、邪悪で油断のならない魔物にすべきです。ライトと’L’と死神の三つ巴の頭脳戦に、さらに新たなライトがからんで複雑になるという展開が望ましかったと思います。

とにかく私はパート2を見ようとは思いません。ディズニーかピクサー作品を探しましょう。子供と話が合わなくても結構です。教育上良くありません。 

2007年7月15日

ディープ ブルー(2003)

Photo_42 - タイトルが紛らわしい   -

同名のタイトルで巨大サメの恐怖を描いた映画がありましたが、この作品はいたって真面目なテーマで、海の生物の珍しい映像を記録していました。別なタイトルにしてもらえると分りやすいのに。

このようなテーマで作品として結構有名になれたのは、非常に珍しい映像だったからだと思います。部分的にはテレビなどで紹介されていますので、既に見たことのあるシーンもいくつかありました。

家族や恋人と見れる作品だと思います。恋人とおバカなテレビばかり見ていると人格を疑われるかも知れませんが、たまにこのような映画を見て、「オレ、自然の神秘にはいつも感動してんだ。」なんて言うと、点数が上がるかもしれません。「何をいまさら。バカか。」と思われるかもしれませんが。

シャチがアザラシを襲うのは怖いシーンでした。浜辺に乗り上げて襲ってくるのは、まるでジョーズの作り物か上陸艇のような迫力でした。アザラシを高く放り上げるのは、気絶させるためでしょうか?美しく恐ろしい映像でした。

捕鯨に関しては、静かな語り口でクジラが減っていると訴えるだけでしたが、おそらく自然に捕鯨禁止を求めていたのだろうと思います。

クジラの肉は、もう10年以上食べていませんが、子供の頃は心待ちにする御馳走でした。当時の値段がどれくらいだったか知りません。でも、子供の感覚では牛肉は高級品で、庶民はクジラを食べるものと感じていました。実際はどちらが高級品だったのか?クジラも原料の一部になっていた肝油ドロップというのも学校で配られていましたが、何か元気になる良い薬のような気がして、意味も分らず飲んでいました。現在の肝油ドロップは完全に合成しているそうです。

赤身を焼いた後のフライパンに御飯を入れて食べると、焼き飯のような味がして美味しいので、兄弟でジャンケンをして権利を争っていました。真剣に互いの腹の中を探り合って、絶対に勝つには何を出そうか?半分ずつフライパンを利用する政治的妥協案は?などと、結構頭を使いました。懐かしい思い出です。私の子供に話しても、「フ-ン?」と、理解できない様子です。

懐かしいのですが、今の私は特別クジラ肉を食べたいとは思いません。調査捕鯨という名目で現在も結構な頭数が捕獲されているそうですので、たぶん高級料理屋では今も調理されていると思いますが、私が行ける料理屋では出てきません。私は、焼き鳥で充分満足です。クジラがたくさんいるようにでもなったら食べようかと思います。

この映画では海の生き物しか登場していませんでしたが、山育ちの私にとっては子供の頃遊んだ川の方が断然魅力に満ちていました。夏場は、ほとんど毎日行っていました。学校から帰ると、かばんを玄関に放り投げて、そのまま川へ直行でした。川を通りながら家に帰るヤツもいました。

ドンカツをご存知でしょうか? 地域によっては、ドンカッチョなどと微妙に呼称が違うようです。愛嬌のある頭の大きな魚でした。泥の中に隠れてしまうと保護色で探しにくいのですが、立体的なイメージを構築して慎重に川底を見ると、「あれ、もしかしてここが頭で、ここが尻尾だとすると、20センチ近い大物になる!」と気がつくことがあります。あの感動といったら、医師国家試験で山勘が当たった時のような誇らしい感覚でした。

ちいさな世界でしたが、川も生物の魅力にあふれた場所でした。久しぶりに昔遊んだところを覗いてみると、子供の姿は全くなく、魚も極端に減っていてガッカリします。海は川ほど急激な変化はしないかもしれませんが、きっと人間の活動の影響は出ているはずです。できれば自然に近い姿が残ることを祈ります。

2007年6月13日

手紙

- エンタの神様は微笑まず   -

いい映画でした。原作はベストセラーでしたが、もともとは単純なアイディアによる作品と言えるように思います。でも、ストーリーと人物のキャラクターなどが高いレベルで構成されているように感じました。これを文章で表現するためには、相当な力量が必要だと思います。

殺人の罪を犯した兄と、それによって差別を受け続ける弟、そして弟の恋人の3人が話の中心でした。弟は漫才師を目指しながら工場などに勤務しますが、殺人者の兄弟という評判がついてまわり、職を転々とします。恋人ができますが、弟は彼女を巻き込みたくないので避けます。弟と兄との手紙、恋人の出す手紙などが彼らの運命に関わってきます。

家族で見てよい映画だと思います。殺人のシーンも、テレビのサスペンスものよりおとなしいくらいの表現でしたし、家族愛や殺人の意味の一端を理解する上でも悪くないと思います。もちろん、犯罪者の家族が不当に差別されてよいはずはありませんが、現実的には何らかの差別が発生するので、それを認識しておくのは必要かも知れません。愛情についても考えさせられる作品ですので、恋人と見るのもお勧めです。

タイトル通り、手紙が重要なポイントになっていました。まず、兄弟の間で交わされる近況報告の手紙、そして兄と決別することを伝える弟の手紙、さらに弟の職場に恋人が出す手紙、そして恋人が兄に出す手紙が非常に重みを持っていました。

私は手紙で何かが変ったという経験はありません。電話やメールが中心の世の中ですから、手紙は病院や患者さんくらいにしか出しませんし、あまりドラマチックな文章を書く能力もないので、人を動かさせることがないからでしょう。ラブレターも書いたことがありますが、返事がありませんでした。なんてこったい。

さて、ストーリーは素晴らしかったのですが、演技については私は今ひとつという印象を受けました。最大の理由は、漫才が面白くなかったからだと思います。漫才を扱った作品では、本職並みの勢い、迫力もしくは徹底したボケがないとシラけてしまいます。主演の俳優には、残念ながらセンスがないような気がしました。

いくつか原則があると思います。私は小学校の頃からクラスで漫談をしていた経験がありますが、基本的に漫才師は笑ってはいけないと思います。ツッコミは怖いくらいのほうが面白くなりますし、ボケ役は真面目にボケたほうが笑えます。例外的に、高齢の漫才師で芸に失敗して自嘲気味に笑ってしまって観客の受けが取れる場合もありますが、ほとんどの場合は真剣な顔をしないとダメです。

弟役は、もっとガラの悪そうな、軽い感じの俳優でも良かった気がします。自分の境遇に腹を立ててイライラした感じを出したら、観客はもっと同情できたのではないでしょうか?もっと隠れて泣くべきだと思いました。そして漫才はうるさいくらいに飛び跳ねて、勢いだけの芸でも良かった気がします。ボケ役ではなく、ツッコミ役のほうがしっくりしたはずです。

兄が最後の手を合わせるシーンは巧かったと思いますが、最初の暴行シーンで腰を抑えながらの動作は、実際に腰を痛めた人の動作ではありませんでした。ちょっと病院をのぞけば分ります。スタッフが研究不足だったと思います。

2007年1月25日

天国と地獄

- 格差社会こそ地獄じゃ   -

三船敏郎演じる男は、会社の乗っ取りを計画しています。そのための資金を手に入れ、自分の考えで会社の運営をしようと野心マンマンです。

ところがそこに子供が誘拐されたという知らせが来ます。実際には子供のお友達が間違って誘拐されたのですが、結局は身代金のためにせっかくの資金を失い、職も失うハメになってしまいます。

犯人をあぶり出すために使われた煙に色を付ける工夫が、予算不足のためかカラーでなかったのは残念でした。公開当時の人は、どう思われたのでしょうか?雑な手際で、ボールペンか何かで赤い色をつけてありましたが、あんまりだと思いました。もしかすると今はCGで処理されているのでしょうか?

ギョロメの仲代達也の刑事達が犯人を追いますが、なかなかの知能犯で、簡単にはつかまりません。金の引渡しの手口などは見事に計画されていました。確か、当時は同じ手口を真似た犯罪が起こったと聞いています。

犯人は三船に個人的うらみを持っていたわけではなく、ただ自分の暮らしが劣悪で、それに比べて天国のような所で暮らしているのが恨めしかっただけの犯行のようです。

今の日本は、昔より収入の格差が広がって格差社会にすすむ傾向があります。努力しても生活が豊かになることはないと分った人に中には、無茶な犯罪に走る人が増えてくるかもしれません。

私も現在は収入がほとんどない借金生活ですが、今後努力しても状況が改善しないと分れば、絶望してパチンコ屋か何かに強盗をしに行くかもしれません。そこそこ勉強して、良心的に働いて、特に大きな失敗をしたわけでないのに一生貧乏となれば、やつ当たり犯罪をしたくなる気持ちも分ります。

努力したら、それに見合った収入があって、つつましくても将来の子供の成長を楽しみに過ごせる社会が理想だと思います。大企業が空前の高収益を記録しても、その成功が何かフェアでない競争によっている場合は悪い影響が社会心理に及ぶと思います。

フェアであることより、既得権を保護することに偏った法律が多いと思います。何か改革しようと思っても、違法になってしまうか、法律では問題なくても官僚が許可しないという変な伝統があります。郵政民営化法案を読んでみると、大したことは書いてありません。「郵政を民営化する。以上、終わり。」という内容です。実際は、官僚の胸先三寸になります。

また、効率より平等を優先しすぎたために、無駄な事務作業が増えるばかりの構造もあります。介護保険制度がその典型ですが、保険料が実際の介護者だけでなく、事務作業をする人間の人件費で消えていきます。

予算配分などが、ドンズマリ感を感じさせるために誰も希望を持てないことが、今の社会の問題点だと思います。ちょっと無茶でも思い切った政策めいたことを言っただけで小泉首相に人気が集まりましたが、要するにドンズマリ感が嫌だっただけだと思います。

この映画の公開当時の医学生は、おそらくインターン制度か、もしくはその前の時代で、無給だったはずです。私の研修時代は随分と待遇が良くなっていましたが、それでも給料袋を開けると、チャリーンとコインが入っているばかりだった時には愕然としました。今でも本業のクリニックはボランティアに近い状態です。でも、これが本来の医者の姿だろうと思います。

外車を乗り回してゴルフ三昧する医者は少なくなりましたが、私の実感としては、ほとんどの医者は読むべき本があふれかえっているはずなので、仮に金ができても本来なら勉強に追われて遊べないはずだと思います。のんきに映画のブログを書いてるなんて、よほど暇な医者で、信用してはなりません、って誰のこと?

そのうち、フリーターのワーキング プアが主演の銀行強盗犯のヒーロー物語が封切りになるかもしれません。市民の圧倒的支持を得たりして。

2007年1月18日

転校生

- 相手に気づかい思いやる心  -

尾道という街は、古来より映画制作のために作られた巨大セットであるという噂があります。ちょうどサンフランシスコがカーチェイスのために計画され、ニュージーランドが人類と怪物との戦いを撮影するために存在するのと同様に、青春胸キュン映画のために町民をあつめたのではないかと分析されています。もちろん、それだけでは喰っていけないので、普段はアルバイトとして一般の日本人をまねた生活を営んでいるという伝説です。

そこで製作された映画は、一般の日本人なら誰でも、子供でも大人でも、家族でも恋人でも、なぜか懐かしくなるように巧妙に仕組まれています。坂の傾斜の角度や神社の鳥居の古さに至るまで、技術さんたちの神経が行き届いていますから、我々の懐古の中枢を刺激されてしまいます。外部の人間には分りづらいのですが、勝手に家々を建てているわけではなく、計画的に並べてあるのです。

その町で、人格の交換という、これまたよく飽きないなと感心するほど頻繁に使われる設定ですが、それによって巻き起こるドラマが描かれています。人格や性別について考える時に最も手っ取り早く違いを際立たせる効果があるので、仕方ありません。尾道町民のエキストラの皆さんにも失礼ですから、我慢してください。とにかく、転校してきた男の子と女の子が神社の坂道から転がり落ちたら、なぜか人格が交換されてしまいました。それまではケンカしても平気でしたが、自分がひどい目に会うと当然ほっておけませんから、相手を大事にしたいという気持ちが自然に湧いてきます。

主演の小林聡美の演技が光っていました。この映画は、無表情を中心とした彼女のスタイルで演じられる役柄ではないのでオーバーアクションもありますが、おそらく彼女のセンスのためか、やり過ぎない程度に演出家達を指導しているようですので、同じ演出家の他の作品よりもほほえましい程度の騒ぎ方に止まっているような気すらします。

後年、彼女はテレビの「やっぱり猫が好き」などでも、中性的で自然体の役柄を演じていましたが、見かけが女らしくないので役柄に合っていました。最近は家庭に入ってらっしゃるためか出演している作品を知りませんが、子育てが一段落したら、また活躍してくれることを願っています。

彼女が自分を気づかうことが、友情や愛情へとつながっていく様子が私達にも良く分りました。気づかいや思いやりが、男女を問わず人間関係の基本であることを学びました。私の奥さんにも、この点をぜひ理解していただきたいものです。

2007年1月15日

デッドフォール

ー 古いアクション映画 ー

面白かったと思います。子供も見れる作品でした。リンチシーンがありましたので、その部分は感心しません。しかし、変な言い方ですが穏やかなリンチで、これは死ぬようなことはないな~と安心して見ていられるので、悪影響も考えなくてよいと思うのです。逆に言えば迫力不足ということですから、そのへんが今ひとつヒットしなかった理由かもしれません。恋人と見ても、同じような理由で古いアクション映画を見ているような安心感と、若干スリルに欠けるなという感覚がありますので、相手が退屈してしまう可能性はあります。

サブタイトルにタンゴ アンド キャッシュと出ていました。スタローン得意のシリーズ化を考えていたのかもしれませんが、あんまり人気が出なかったので、単発で終わってしまったようです。

話自体は悪くなかったと思います。あらすじは最初から読めてしまいますが、水戸黄門だってそうなのに結構楽しんで見れますから、私は気になりません。ジャック パランスなどの悪役たちは実に良い感じで、途中のお色気クラブのダンスシーンも非常に印象的でしたので、ちょっといじれば大傑作になっていたかも知れません。

主役の二人にうち、まずスタローンですが、キャラクター的にダンディでリッチな刑事というのは無理があったと思います。シュワルツネッガーなら良かったでしょうに。演技のねらいと表現のしかたも合ってませんでした。妹を心配して説教するシーンでは、心配していることや手を焼いていることが充分に伝わりませんでした。やはり彼のはまり役はロッキーかランボーでしょう。

もうひとりのカート ラッセルですが、スタローンと比べれば役に合っていましたが、もっと思い切り笑わせる設定にするか、もしくは野獣のように猪突猛進する姿を強調したら良かったのではないかと考えました。中途半端だと感じました。「あぶない刑事」のほうが、ずっとうまくキャラクターを作っていると思います。

駐車場で中国系の犯人を捕まえるカーアクションは結構よく出来ていました。技術陣がしっかりしていたからだと思います。いっぽう、ラスト近くの屋外でのカーアクションは迫力を狙ったのでしょうけど、出てくる車がRV車ですから遊びの延長のような感じになって逆に迫力がなくなりました。製作者の狙いが外れていたようです。

可能ならシュワルツネッガー主演で、共演は無名でもいいから野獣のようなバカか完全にお笑い系の俳優を使って、最後のカーアクションシーンは全部削除し、ジャック パランスたちとの駆け引きを繰り返し、警察内部からも裏切りが続出して形勢が何度も逆転し、話が読めないように設定すると面白い作品になっていたのではないかと考えました。

でも、このままで私としては面白い作品です。

2006年12月29日

ティファニーで朝食を

- 淡い色調の夢  -

この映画の全体をおおう淡い色調は、なんとなく物悲しい雰囲気にさせてくれました。 描かれたドラマの中には悲劇的な部分も多く、全編が笑いに満ちたほのぼのストーリーではないので、この色調を選んだ製作者達のセンスには驚きます。いろんな点でセンスのよい作品だと思います。

この映画は、子供向きではないと思います。作品に描かれたエピソード各々のニュアンスが分りにくいと思います。たぶん、つまらない映画だと感じるのではないでしょうか? 恋人に見せるのも、好みが分かれそうな気がしますので、どのようなドラマが好きかで判断したらよいのではないかと思います。

例えば、都会の恋愛トレンディドラマが好きな人は、きっと気に入ってくれます。スリル満点の冒険映画でないと満足しないアーパーな人は、途中で寝てしまいます。韓流純愛ものが好きな人は、どう反応するのか? そもそもそんな女を私は理解できませんので、この映画への反応も予測できません。

この映画は純愛物語でしょうか? 都会に出てきた人達の心の触れ合いを描く物語ですが、主人公の女は田舎で結婚したのに夫を捨てて街に出てきていますし、マフィアの連絡の仲介業で生活しているのも問題です。お金持ちと親しくなりたいと結構頑張っています。あさましい女です。でも、そんな主人公がとても魅力的です。

私の研修医時代は、これでもかなり看護婦さんにモテました。でも、結婚したとたん、まるでクモの子を散らすように誰も寄り付かなくなりました。病院に新しい独身の医者が来ることになると、数週間前には情報が看護婦の間で飛び交い、まだ会ってもいないのに飲み会の予定が決まっています。

飲み会で私がその研修医と話そうもんなら、「このオヤジ! 私が話すのをジャマしないでよ!」みたいな視線を浴びて、私はスゴスゴと隅っこに追いやられていました。いまどき医者と仲良くなることがそんなに良いとは思えませんが、看護婦にとっては死活問題と認識されているようでした。

話がそれましたが、主人公は大金持ちのカポーティみたいな外見の男と仲良くなろうとして、あっけなく夢に終わります。悲しみ方がかわいいと思いました。看護婦さんに限らず、私の身の回りにも同様の落ち込み方をする女性がたくさんいましたが、気の毒ながら少し笑ってしまいます。

夢を見ることは素晴らしいことですし、美しく若い女性が見栄を張ったり、無理をするからこそ世間は活気を保てるのだと思います。皆がつつましくやってたら社会が沈滞してしまいます。とにかく無理をしてでもおしゃれをして、色気を振りまいてくれないと、衣料品、化粧品業界、美容整形業界などが発達しません。景気回復にも若い女性の見栄と野望がが必要です。

相手役は確か後年に特攻野郎シリーズのボス役をやっていた俳優だと思います。特別良い演技かどうか分りませんでした。金持ち女のヒモ役でしたが、この金持ち女役は非常に雰囲気が出ていました。ミッキー ルーニーが日本人の芸術家役か何かで出演していましたが、確かに本物の日本人が演じると反発を買うので、彼がやって正解でした。

ムーン リバーをギターで歌うシーンは、一種のミュージカル的な演出だと言えますが、その後日本ののテレビドラマに多大な影響を与えた方法だと思います。他にもいろんなシーンが繰り返しドラマで真似されているような気がします。それだけ印象的だったのでしょう。

 

2006年11月13日

ティアーズ オブ ザ サン

- おっぱいフェチ2号 -

主演 ブルース ウィリス、モニカ ベルッチ

この作品は子供には見せられません。殺人、レイプ、民族浄化などの場面が陰惨すぎると思います。恋人とも、あえてみるべき作品とは思えません。誰と見たらよいのか、どのような対象を観客として設定したのか、なかなか分りませんでしたが、やっと気がつきました。

内戦に突入したナイジェリアが舞台です。特殊部隊のブルース ウイリスに、危険地帯に住む米国国籍を持つ女医の救出が命じられます。ところが、この医師と住民を連れてジャングルを逃げまわるはめになり、追ってくる反乱軍と激しい戦闘を繰り返しながら、国境を目指すというストーリーです。

ブルース ウイリスの部下達の演技は見事でした。ちょっとしか見せ場がないのにもかかわらず。各々が適度に個性を見せながら懸命に戦う姿は他の戦争ものの作品よりも迫力を感じました。ブルース ウイリスは彼らに比べると体力的に劣るので、本当なら真っ先に死んでいないとおかしいかも知れないと思ったくらいです。

舞台が内戦ですので、場面が陰惨でした。ベトナム戦争を扱った映画をたくさん見ましたが、この作品のほうがサディスティックな場面が多かったように思います。観客の気持ちを考えて、もっとぼかして表現しても恐怖感は出せたのではないかと思いました。人道的に行動すると、たぶん実際には極めて危険な状況になりやすく、自分が兵隊なら正直言ってこんな行動はとれないだろうと思います。

女医役のモニカ ベルッチが逃げる時に、まったく不自然に何度となくおっぱいを揺らしながら走らされていました。観客へのサービスでしょうが、恐怖感を訴えたいのかエロティシズムを表現したいのか、私には理解できませんでした。個人的には揺れていただいたほうが嬉しいのですが、「何でこんな場面で?」というのが率直な感想でした。

また、リンチされた現地人の妊婦のおっぱいが、無残に切り取られている場面が描かれていました。もちろん血まみれです。とてもじゃないですけど、子供には見せられません。あのセンスは理解できません。監督は常軌を逸したオッパイフェチに違いありません。

最初に述べたように、この作品のねらう観客は分りにくいのですが、ベルッチのおっぱいが解き明かしてくれました。コンセプトは真面目で、戦闘シーンや脇役の演技も素晴らしいのですが、作品全体としてのバランスに問題があったのかも知れません。

 

2006年10月 1日

天国から来たチャンピオン

監督 主演 ウォーレン ビーティー
  この作品は随分古くなって話題にのぼることも少ないのですが、結構な名作だと思います。子供や恋人といっしょに見ても、それなりに楽しめるでしょう。 感動の大メロドラマでも抱腹絶倒の喜劇でもありませんが、雰囲気がいいので見た後に幸せな感じが味わえる作品です。
   原作はボクシングを題材に数十年前に作られていますが、この作品ではアメリカン フットボールの選手を使っています。この作品の後にも、同じ原作から舞台化もされていると思います。スポーツ選手が死んでしまうのですが、別な体を使って生きることを神様から許される話です。ところが選んだのは殺されるはずだった人の体なので、犯人とドタバタ劇が起こります。
主演のウォーレン ビーティーは、おそらく相当なワンマンだと思います。この作品は、彼が主演するには体力的に無理がありますが、強引にやってます。細かいところは作り方が雑な感じもします。でも、ミスターハリウッドとでも言うべき人ですから、音楽はすばらしいし、共演者もいい人ぞろいなので、作品としての出来は上物です。恋人のジュリー クリスティーが相手役を演じてますから、つくづくワンマンです。CGなどない時代の映画ですから、今見るともっと効果的な表現法があるんじゃないかと思えますが、古き良き時代の作り方を楽しんでもいいのではないでしょうか。
共演者で特におかしいのは、天使役、殺人犯役の男女2人、主人公のコーチ役です。それぞれの考え方でドタバタ頑張る姿が笑わせます。そのほか、執事役、刑事役もいい味を出しています。
画面全体にフィルターをかけて、明るくほのぼのした雰囲気を出しているようです。屋外のシーンでは、とことん明るい日を選んで撮影していますし、室内の撮影でも照明が非常に効果的に使われているように感じました。繰り返しますが、音楽も最高です。

2006年9月23日

ディック トレイシー

監督 主演 ウォーレン ビーティー

 この映画は、あまり知られていませんが、かなり面白い映画です。もともとはアメコミが原作だそうです。そのため、映像の基調となる色彩や線がマンガチックです。キャラクターもマンガのままだろうと思える、グロテスクなメイクアップをして登場しています。

子供が見て良いかは微妙です。血がドバドバ出るような場面はありませんが、殺人鬼たちが愉快そうに人を殺しますので、いい影響はないかも知れません。恋人と見るのは、結構いい感じだと思います。何となく古めかしく懐かしい雰囲気の映画ですので、かえって若い人が見ると面白いのではないでしょうか。でも好みが分かれるような気もします。スピーディーなアクションが好きな人には退屈な映画です。リアルさを求めたら、この映画はとても見ていられません。

 監督と主演は、ウォーレン ビーティーで、これぞ“映画人!”と言うべきキャリアの持ち主ですが、古くは「草原の輝き」の頃から40~50年も活躍していて、もうあきれるほどです。最近は、監督と主演を兼ねることが多いようで、よくアイディアが枯渇しないものだと感心します。きっと、この人の伝記映画が作られる日も近いでしょう。

 歌手のマドンナが共演してますが、役柄が合ってないように私には思えます。マドンナの得意なジャンルの曲は歌えませんから、彼女の魅力が引き出せていないと感じるのですが、この作品はウォーレン ビーティーのワンマン映画ですので仕方ないかも知れません。

アル パチーノ演じるギャングがこの映画で一番の魅力的なキャラクターで、本当の主演だと言えます。マンガチックにオーバーな身振り手振りですが、たぶん本人も楽しみながら演技しているように見えます。アル パチーノが街を牛耳ろうとして暗躍するのを、ウォーレン ビーティー演じる捜査官が阻止しようとしますが、逆に策略にはまってしまいます。さあ彼を助けるのは誰か、、、というような、いかにもというストーリーです。あらすじはもう分かりきってますから、別に先を心配する必要はありません。安心して、ちょうど水戸黄門を見るようなつもりで楽しめば良いと思います。

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