映画評

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カテゴリー「つ」の13件の記事

2016年3月 7日

月の輝く夜に(1987)

Mgm

- ロマンティック -

イタリア系の後家さん娘がプロポーズされた。彼女は夫となる男の弟を訪ねるが、弟のほうに恋してしまう。その騒動を描いた作品。

DVDで鑑賞。ロマンティックな雰囲気が特徴の喜劇。でもドタバタ劇ではなく、比較的大人しい雰囲気。したがって爆笑シーンはない。シリアスな状況をニヤニヤしながら笑うタイプの映画。そのため子供には向かないが、大人には時代に関係なく受けそうな作品。

恋人といっしょに観るのも悪くないと思うのだが、この点は個人の信条によって違ってくるかも知れない。イスラムやカトリックの人達には怒鳴られてしまいそうなストーリーかも知れない。そこが面白いと感じる人も多いだろうけど。

不道徳な内容とも言えるが、ロマンティックな話ではある。美男美女のロマンスも結構だが、肉欲全開のロマンスも面白い。道徳とロマンスに関しては、時に微妙な線が生じる。その微妙さが、この作品の良いところと思う。でも、その関係で嫌悪される作品にもなりるだろう。

月が良い材料になっていて、一種の魔法のきっかけが月にあるという設定が良かった。そこもロマンティックな雰囲気に役立つから。

オペラの劇場の映像が何度か出てきたが、実に豪華で優雅な雰囲気が感じられた。アメリカでは、やはり歴史と総合的な豊かさが違うので、大金持ちでなくともオペラ劇場で楽しむ機会があるのかも知れない。でも、せっかくなら全編がオペラ仕立て、BGMもストーリーもオペラに合わせると良かったかも知れない。

オペラの演目は、たしか「ラ・ボエーム」だったようだが、ストーリーとはあんまり関係していない。もったいなかった。

ヒロインのシェールは、本来は歌手のはずなんだが、この役では役者として本当に魅力的で、一種のシンデレラとしての役割を実に見事に演じていた。本当はイタリア系ではなく、アルメニアあたりの血を引いているそうだが、充分にイタリアっぽい雰囲気で、個性が役柄に合っていた。アカデミー賞の女優賞を取ったそうだが、その価値はあるかも知れない。

表情はよく分らなかった。彼女のような顔は、表情だけで観客が理解できる演技は難しい。しかし、それがかえって自然な演技になっていたように思えた。あんまり表現力がありすぎると、やはり派手になりすぎて演出過剰になる。身振りで観客が判断できるくらいのほうが自然。

仮にヒロインのような境遇にあった実際の女性達も、おそらく表情をあからさまに変えたり、泣いたりはしないことが多いはず。多少は感情を抑えたり、マナーにさわらないように努力するだろう。そうしても滲み出るような感情が演技できれば最高。それがシェールには自然とできるようだ。演技派女優に演じさせて、オーバーになりすぎたら興ががさめる。

ヒーローのニコラス・ケイジも実に素晴らしかった。昨今の彼は全く精彩を欠いたおじさんのように思うが、この映画では野獣のような激しさ、独特の感性を持っている人物を好演していた。いかにも実在しそうな人物を、より誇張して演じるのが上手い。若い頃の彼は本当に素晴らしいキャラクター・・・・・だった。

 

 

2013年11月 9日

つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語(2012)

- 鼻血が欲しい -

奔放な生き方をした女性が、今は死の床にいる。彼女の愛人は、彼女と関係した男達に連絡をするが、その男達に関わる女性達にも波紋を及ぼしていく・・・

・・・劇作として高いレベルの原作があったのだろう。行定監督は毎月熊本のFMラジオで話をしている。この作品のことも話題にしていたので、素晴らしいアイディアだと感心し、期待していた。でも劇場ではとうとう観れなかった。子供映画の鑑賞が優先されたので。

無茶苦茶な人物に翻弄された人々を描き、それぞれの感情を表現できたら絶対にドラマになる。過去の関係を暴かれる人々の表情も見物になるだろう。しかも、その中心人物はとうとう顔を見せない。そんな設定は過去のドラマでも何度か観た記憶があったが、この作品でも有効な手法だった。

ところが、この作品はなぜか途中で退屈してしまった。理由はよく解らない。当直の合間に見ていて、途中で呼ばれて中断したからか?アクション映画なら、途中から観ても興ざめしないだろうが、この手のドラマの場合は連続して観ないといけないのかも。

この作品は、女性の感情を上手く表現していたと思う。行定監督は、細かい心理描写に長けている。ただし、私に女性の本当の気持ちが解るはずはない(と、かって交際した女性達は皆言っていた)ので、男性から見た女性の気持ちが表現できているに過ぎないのかもしれない。

この作品は、子供には向かない。思春期の子でも、たぶん面白いと感じるのは少数派ではないか?恋人と観るために選ぶ作品としても、ちょっと疑問を感じる。中年以降の人が観たらいい作品では?そんな映画は、たぶん大ヒットは難しい気もする。テーマが何であれ、観る観客の対象は広いほうがいい。

作品はいくつかに分断されていて、全部に登場するのは現在の愛人である男だけ。阿部寛が随分と激しいダイエットをして演じていた。体を壊さなかったのだろうか?憔悴した様子を出したかったのだろう。少し話し方に違和感を感じた。もっとゆっくり、ドスを効かせて話したら良かったのではないか?

もともと、この役はヤクザを演じる俳優がやれば良い役柄だったと思う。

自転車を漕いで、海岸沿いの地層が目立つ道をいくシーンが繰り返されていたが、その効果のほどは疑問だった。雄大な光景で、気味の悪さ、心理的なものも感じられる場所ではあったが、大事なところで2回くらいやるに限れば効果的だったのではないか?同じシーンが多すぎた。

小泉今日子の奥様役は面白かった。アイドル時代のイメージがいまだにあるのだが、今回は微妙な怒りや、リアルな乱闘の仕方の表現に感心してしまった。本物の役者のように上手過ぎないから、逆に表情を隠した印象を受けるのかも知れない。いつのまにか存在感ある役者になっていると思った。

Seisakuiinnkai

荻野目慶子の不倫振りや、パーティー会場での振舞いは、さすがにオーバー過ぎたのではと思った。基本として、この作品は心理を描く映画なんで、もっと冷たそうな、感情をおしころした演技のほうが好感を持てたように思ったのだが、一般の観客には笑わせるためにオーバーにやったほうがいいかも。

若い観客には、もしかすると受ける作品かも知れない。ドロドロした肉欲にまみれた肉食系男女には、非常に面白い映画となりうる。だから恋人といっしょに観てもいいかも。ただし、真面目な人にはただただ嫌悪感を感じるだけに終わる気もするし、難しい映画。いったい、どんな人たちを観客の対象と考えて企画されたのだろうか?

風吹じゅん、真木よう子、大竹しのぶの役どころは非常に難しかったのではないかと思ったが、彼女らの不安感や、怒り、諦めに近い感情が自分にも感じられたので、上手い演技、演出だったのだろう。ただ、彼女らのキャラクターを非常に愛する人は少ないのでは?

映画のヒットのことを考えると、観客に愛されるキャラクターが欲しい。仮に悪役であっても、魅力的であることは大事だと思う。この三人は、もっと徹底して不幸で惨めであったほうがいい。

色っぽい野波麻帆の役柄は目立っていて、濡れ場も担当していた関係で見せ場が多かったが、ストーリーの中では脇役に過ぎず、同僚や、担当している資産家の家主との感情面に関しては、少し理解しにくいものを感じた。

資産家とは以前から愛人関係にあるが、艶のことがきっかけになって自分を見つめなおす・・・といった流れのほうが単純明瞭だったように思った。社長から資産家へと、相手を代えはしたが、彼女の選択に艶の情報は関係していない。それではいけない。資産家との派手な破局がないと面白くない。

最終的に、大きな展開が欲しかった。単純で、派手なラスト。例えば殴り合い、殺し合い、離婚、破局。各章すべてで殴り合って、女たちが全て鼻血を流しながら話が終わったら、コメディとして印象に残るかも。そもそも、この作品が悲劇なのか喜劇なのか、何に分類したらよいのか解らなかった。

簡単な分類に収まらないほうが、良い映画と言えるのかもしれないけど・・・

 

2013年1月29日

つばさ(1927)

-  先駆性に脱帽  -

アメリカ空軍に志願する二人のパイロットと、彼らに関わる女性の物語。第一次大戦に出兵した二人は戦果を挙げるが、悲劇が襲ってくる・・・

・・・サイレント映画の傑作で、第一回のアカデミー作品賞を獲得している。昭和2年、1927年という気が遠くなるような昔の作品。なんとリンドバーグの大陸間飛行と同じ年というから、全く信じられない話。

Bow

主演はチャールズ・ロジャースという方だったが、映画の冒頭では、有名なモダンガールのクララ・ボウが最初に紹介されていて、主役より格が上。当時の人気の度合いのせいだろう。クララ嬢は、日本の田舎にもいそうな顔つきで、あんまり欧米人らしい印象を受けない。ぽっちゃり体型が可愛らしいという印象につながったのだろうか?眼の下のクマは理解できない。

主演らの男の友情のほうが映画の中心になっていた。その物語は、なかなかのもので、今でもドラマとして通用しそうな感じがする。二人が乱闘するシーンは、今の映画よりもリアルな印象さえある。共演したリチャード・アーレンという俳優さんがニヒルな表情の役者だったからか、芝居臭くなかった。

主人公のほうが多少は芝居がかった感じだったが、それでも当時の他の映画と比べたら断然リアルで、大仰なそぶりが少ない。

表現方法が凄いと感じた。本当の空中戦のように、飛行士が撃たれてゆっくり意識を失い、機がバランスをくずしていく様子を再現している。その際の風の受け方、白煙なども実にリアルで、監督が飛行気乗りだったことが良い演出を生んでいたのだろう。

今の映画の場合は、このような演出はない。今だと技術が先走るのか、すぐ爆発か血と脂がコクピットに飛び散って、後はガックリ来るかなぜか回復して逆襲する。パイロットがむき出しの状態で、顔に風が当たって表情が変形するような細かい演出までできている本作には、今の映画も敵わない。

もちろん、この映画のようにスタジオで前方から風を送って・・・といった安直な撮影方法ではなく、CGなどを使って上下左右、コクピットの内外、立体的に再現する技術に関しては今のほうが凄い。スタジオをイメージさせない合成もお手の物。でも、かえってリアルでない面もある。

それにしても、むき出しのコクピットは猛烈に寒かったろう。バイクでちょっと走るのも寒いのだから、上空で高速の飛行中の寒さは耐えられないものだったのでは?

カメラを航空機に持ち込んで撮影していたようだが、当時のカメラは相当重かったはずで、たぶん払い下げ(払い下げがあればだが)の爆撃機をレンタルして搭載していたのでは?振動で映像が乱れるようなヘマもしていない。雲の上から雲の中に飛行機が隠れこむシーンには、たぶん当時の観客は驚いたのではないか?

おそらく当時の飛行機の性能で、撮影スケジュールをこなすのも大変だったのではないか?撮影失敗も多数あるはずだから、画面に写っていないシーンを加えると大変な時間が必要。頻繁に降りたり飛び立ったりを繰り返していたかも。

DVD版で鑑賞。淀川長治氏が解説していた。映像は非常に鮮明で、リマスタリングされていた様子。音楽は新たに録音したのか?クラシックミュージックが連続して演奏され、場面との雰囲気のずれがある時もあった。

古めかしいスタイルの作品だから子供にも受けるとは思えないが、大人なら、ある程度は楽しめると思う。少なくとも、そこらのくだらないテレビドラマよりは明らかに高級な作品で、確かにアカデミー賞にふさわしいと思う。

 

 

 

2012年6月15日

ツレがうつになりまして(2011)

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- イグアナも役立つ -

売れない漫画家のヒロインと、サラリーマンの夫の物語。夫がうつ病を発症し、子なし金なし、ペット(イグアナ)ありの夫婦がいかに過ごしていくかという内容。

外国映画によくあるペーソスなるものをイメージして作られていたのだろうか?雰囲気の良い作品だった。原作はマンガイラスト付きのエッセイだそうだがベストセラーになったらしい。うつ病患者が非常に多いのに、話が専門的過ぎたり暗すぎる本が多い。本を読むためには精神状態がよくないと無理で、そんなら最初から読めるはずないと思えるような代物が多かった。

主演の宮崎あおいと、堺雅人の演技は素晴らしかった。厳しい状況であるにも関わらず、妻の宮崎が自分もいっしょになって泣きわめかなかった点が良い。他人事みたいに呑気に構えていたような印象を受ける。

ドラマを好きな人は、恋愛のドロドロ話は好きかもしれないが、元気がなくなって布団に包まってドロドロしている人物に興味を示すわけではないだろう。同じく深刻な話でも、病気でドロドロのドラマは最小限にしないといけない。

自殺未遂のシーンがあったが、どこか悲惨さが欠けた、喜劇的でドンくさい方法で描かれ、実際はどうだったか知らないのだが、映画的には良い作り方だと思えた。血まみれのシーンが始まったら、とても観ていられなかっただろう。

イグアナは作者の家で本当に飼われていたらしいが、映画の雰囲気作りには最適な材料だった。作者が意図したわけではないと思うのだが、映画のために飼っていたとしたら、かなり営業的、戦略的なアイテム。

ただし、イグアナに限らず、ペットの多くはサルモネラ菌などの病原体を撒き散らすことがあるので、少なくとも老人や子供がいる家庭は遠慮したほうがいいと思う。何かの囲いは望まれる。本当は雰囲気より健康が大事。

堺の表情は、映画向きにオーバーになっていたように個人的には思うが、彼はもともとオーバー気味にやらないと存在価値がない俳優。時々真顔になるシーンは非常にリアルで、確かな演技力を感じた。宮崎も同じ。無表情なようでいて、ちゃんと演じることができる本物の凄さを感じる。

ラストにかけて、やや冗長な印象を受けた。余韻を良くしようと思うなら、もう少し詩的な終わり方にして、時間を短くしたほうが良いような、これも個人的な印象を受けた。

うつ病・・・

自分自身も、鬱の傾向が強い。映画の夫のように生真面目に整理するほうではないが、ひどく合理性のないこと、全く美的でない物、非効率的なもの、衛生的でないものには嫌悪感を覚えるから、神経質なほうだ。そのくせ自分の体臭は臭いんだが。

本物のうつ病患者に比べると、随分と暢気。ギャグが好きで、陽気に騒ぐのも嫌いではない妙な患者だ。本物は凄い。映画のような愛嬌のある患者は少ないように思う。うつ病にも色々なパターンはあると思われる。「大うつ病」が、おそらく主人公だ。

セロトニンのことが作品で解説されていたが、どうもそれだけで説明するのは無理があるような気がする。セロトニンの分泌が関与するのは確かにそうだろうが、いろんなパターン、疾患構造があるような気がしてならない。ノルアドレナリン、脂肪酸など、いくつかの原因物質が説明に使われているが、やはり仮説に過ぎないような印象を受ける。

認知症の高齢者を見ていると、うつの傾向を感じる。本物のうつ病か、認知症の随伴症状か、さっぱり区別がつかない人も多い。なんとなく、脳の基幹部の能動的感情に関わる活動性が低下したこと=うつ状態そのもの、といった印象を受けるが、実態がどうかは解らない。

「活気」「生き生きとした印象」「目の輝き」「情緒の安定」そんなものとして感じられる病気の本態は、神経内分泌、伝達物質の複合的な異常だと思うんだが、おそらく内分泌される物質も、そのパターンも、ネットワークの出来かたによって複雑な様相を呈しているはず。だから、病状も千差万別だろう。

薬の反応も予測しきらない。理解が足りないからだろう。そもそも怖ろしくて自分が飲んだことがない薬ばかりだから、勘がつかめない。同じような状態でも反応が全く違うのは、薬の代謝の違いか病態の違いか、その判別もできない。

作家でドクターでもある南木氏が経験した話によると、本当に衝動のように切実に死にたいと感じることがあるそうだ。そんな場合は、薬の副作用の心配よりも、とりあえず緊急事態をしのぐことを優先し、迷わず薬で症状を抑え込めという結論だったが、確かにそうだと思う。

冷静になれないまま、早まったことをする人が多いはず。亡くなった方の全員が重症とは限らず、症状の波の勢いのようなものがあるに違いない。急場をしのぎつつ、経過に応じて対処するのが基本。

学生時代の教授は、うつ病患者には安易な励ましはいけないと言われていたが、そのくせ回診の最中、患者に「頑張ってね。」と声をかけるので、我々は顔を見合わせ首をひねっていた。確かに励ました患者がみな直ぐ死ぬわけではないのだろうが・・・

経済的問題・・・

主人公達は、収入が減っても食事に困ることはなかったようだが、近年の不景気、雇用不安の状態では、無職でうつ病、財産もなしという人は多いはず。映画のように一軒家に住むなど無理、治療は医療費の関係で難しく、仕事の成果も出せないので解雇、といった悪循環に陥るケースも当然ある。

財産貯蓄のあるなし、失業保険の有無、親の援助の有無などによっては、回復に悪影響がある場合もあるのでは?仕事や金は大事な要素だと思う。

おそらくだが、目の前に「我慢すれば大きな収入、昇進が待ってるぜ!」というエサがあれば、実は病気になってもおかしくない人が、気づかないまま元気に働けるのかもしれない。特に農作業のような手作業をやれば、目に見えた成果(収穫)が得られるから、作業が治療効果を持つと思う。

バーチャルな成果だけでは、人間は実感できる喜びに欠ける面がある。動物のような状態に立ち返ることで、少しは改善へのきっかけが得られる場合(軽症の方だろうが)もあると思う。まあ私が知らないだけで、昔の農民にも鬱病はいたはずだが。

もし職が得られなかったら・・・そりゃあ普通、うつ傾向になるだろう。病気と、その傾向の区別のつけ方が解らないが、完全に病的にならないとしても、快活でいられるはずがない。発症しないで済んでいたはずの人が、本当に症状が出てしまうこともありえるのでは?

支える人・・・・

映画の夫は、支えてくれる妻がいて幸いだった。実際には、共倒れする家族も多いと思う。うつ病患者の考えることは、聞いていても気分が滅入るような内容が多い。思考がどん詰まりに至って健全でないから、会話に応じているうちに抑うつ気分になってしまう。

しかも、それを延々と繰り返されたら、病気にもなろうというもの。鈍感な人、もしくは堅固な信条を持つ悟り人でないと、支えることはできない。私の妻は私を支えきれるだろうか?・・・まさか、そうは思えない。かなり確固たる意志がないと、おかしくなるのでは?

患者の家族や精神科医は、どうやって乗り越えているのだろうか?

 

 

 

2012年5月 7日

ツリー・オブ・ライフ(2011)

- 映画詩 -

大都会で働く男は、かって自分が育った家庭、両親を思い出して自分の人生や、両親の生き方、神の存在に想いをはせる・・・・

何か物語が進展する話ではなかった。主人公に相当する男はビジネスマンらしいが、仕事しているような風には全く見えず、ブラブラと社内をうろつくだけ。苦みばしった顔をしながら、何が不満で何を気にしているのか、とうとう解らないまま。

生き方を模索している様子には見えた。信仰が深く心に刻まれて、神を意識しながら生きていることが繰り返し表現されていたし、子供の頃の母親に対する憧れ、多少は性的な面も含むほど無条件の好意を、ゆっくりとしたMTV風の画像で表現していた。

監督自身を題材にしてるのだろうか?愛憎こもった親への感情、過去の一般的な考え方が役に立たないことへの怒りにもにた感情、迷い、神や自然への畏敬の念、それらを表現することに徹したような作品。

脚本と監督は、テレンス・マリック。随分と凝った作品。最初のほうでは恐竜までが登場してきた。でも一瞬にすぎない。ちょっとしたイメージだけを与えて、すぐまた別のシーンに移るという手法で、さながら映画の印象派のような感じ。とにかく、非常に個性的な作品だった。

監督自身の幼児のころの体験か、何か原作があるのか解らないが、敬虔な母親と、厳しい父親という、どこにでもいそうな夫婦と、仲の良い兄弟、ただし多少の仲違いやいじめはある、そんな普通の家庭が経験する物語が、非常に強烈な印象を与えるべく、詩のイメージで描かれていた。

映画詩・・・それが、この作品にふさわしい評価かも。あんまり好きになれない表現法。私は詩を理解できない。コマーシャルやミュージックビデオには向く手法だろうが、長い時間の上映には向かないというのが一般的な感覚だと思う。

くだらない作品ではないが、少なくともこれは絶対に子供には受けない。恋人と観ても、よく解らないまま終わっていたという結果になるかも。強い印象は受けるのだが、何と説明してよいか解らない、そのような感想に終わるかもしれない。大ヒットが望める作品ではないし、よく製作許可が出たもんだと感心する。

ブラッド・ピットが口を尖らせながら厳しい父親を演じていたが、もともとの顔つきから考えると、この役には向いていなかったような気がした。彼はタフ男のキャラクターだったろうか?別な役者のほうが良かったと思う。見るからにタフな、かっての強いアメリカを体現できそうな役者が望まれた。

ショーン・ペンも苦渋の表情を浮かべるばかりでなく、仕事に疲れ、人生の目標を失い、どう生きたら良いのか解らないという苦悩を、おそらく自分の家族に対して吐露するような簡単な表現方法もあったほうが、観客の印象は良くなったと思う。

解りやすい部分がないと、我々としてはとっつきにくい。理解の手順が解らないといった状況になる。

神が時には厳し過ぎると感じることは誰にでもあるだろう。9・11テロなどを目にしたら、神への信頼も揺らぎそうだ。アメリカ人の多くは常にキリスト教の神をイメージしながら生きているはずだから、この作品のビジネスマンは標準に近い存在かも。

何事も神の思し召しのままに・・・そんな境地にはなかなか達することができない。そんな風に考えていたら、社会の発展が阻害されるという恐怖感めいた感覚がある。ひたすら負けまいと努力して、やっと生きていけるのが現状だから、悟りに達することはできない。

私にとって不思議なのは、ビジネスはビジネスと割り切って、競合相手を破滅させる人物が、キリスト教精神とどう折り合いをつけているかという問題。ほとんど殺人に近い行為をはたらいても、明らかに不正な極悪非道のマネーゲームをやっても、ちゃんとキリスト教徒でいれるのが理解できない。

キリスト教に限らない。殺人を正当化する神は滅多にいないと思うのだが、最も人を殺しているのが宗教がらみの戦争であるのは間違いない。他の宗教に寛容でないというだけでは説明できないほどの激しさが、どうしても理解できない。

神の戦士・・・よく聞く表現だが、本来の宗教の精神とは相反するほどの強さを賞賛する、あの感覚が解らない。実は単に国や国の利権のために雇われて戦っただけで、その戦士の行為は残虐な殺人のプロそのもの、でも賞賛する、神を持ち出す、あの感覚。宗教だけではない要因が賞賛に関係しているのは明らか。

歴史的に宗教のため敵と戦う場面が多かったのは確かだが、今の時代は違ってもいいような気がする。イスラム国家が核爆弾を開発し、キリスト教国家がそれを非難して経済制裁する現状は、宗教が大きく絡んではいるものの、宗教なしでも成り立つ。単なる国家間、人種、経済、利権の争いに宗教のベールを乗せただけでも解説できる。

結局、宗教は人間に何ももたらしていないのでは?宗教的な分析は、話をややこしくはしていても解決には役立たない、それを思い知らされている、敬虔なクリスチャンの母親に育てられた男・・・そんな主人公のイメージを感じた。

 

 

 

2012年3月21日

つぼ算(昭和54年・ABC放送・枝雀寄席)

- 論理の運び方 -

桂枝雀の落語DVD、NHK出版より購入。

壷を割ってしまった男が、買い物上手の男といっしょに買いに行き、店員を騙して安く買おうとする話。

もともと歴史のある話らしく、いろんなバージョンがあるそうだ。ウリは店員を混乱させる賢い男の知恵、騙しのテクニック。オチで”思う壺”というセリフが共通しているらしい。このビデオ版でもそうだった。

この話の流れを子供が理解できるかは解らない。小学校低学年では難しい子も多いかも知れない。言葉使いに慣れないと、流れすら理解できないかもしれない。今の子供達は、古い時代にしか使われなかった道具の名前や、独特の観念に触れ合う機会すらないかも。

このビデオ版で気になったのは、壷を買いたい男が話すスピードが、途中から早くなっていること。この男は少々トロクて、冒頭では要領を得ない話しぶりであったが、途中から賢くなったのか、騙しのテクニックにも直ぐ理解を示していた。だから、キャラクターとして統一されていない印象を受けた。

この男が最後まで事態を理解できないでも良くなかったかと思う。「壷の大きさが違うじゃないか!」「店員さんに金を返しな!」などと、同行した男の工夫を台無しにしそうなマヌケのままであったほうが面白くなかっただろうか?

演じていた枝雀師匠は当時40歳。店員と男が、「客がスススイーッと来るようになる。」と、互いに言い合う時の表情はギラギラした欲をイメージさせる勢いのようなものがあり、力強く、若い印象を受ける。当時の名人達は体力的に衰えた人が多かったので、こういった勢いは新鮮に感じた。

恵比寿の像がゴトゴトゴトと揺れて倒れたという冒頭の話では、動作と表情が今ひとつの印象も受けた。今の漫才師だったら、全く無表情に置物の擬態をして機械的に倒れて見せたりするのではないかと思うし、恵比寿の表情のまま、ロボットのように動いて見せても良いような気がする。伝統に従ったのかも知れない。

つまり、師匠に教わった部分と自分のオリジナルの部分とが、完全に一致していない状態ではなかったのか?そんな風に感じた。

買い物には要領があるはずなのだが、面倒なので自分で何か工夫したことはない。海外旅行の時にはたぶんボラれたのではないかと思うが、巨漢の黒人相手に値切る勇気はないので、言われるままに払って正解だったと思う。

最近行われている詐欺で、漫才落語のネタになるものはあるだろうか?

ネットを利用した詐欺が巧妙化しているそうだ。契約しないのに自動的に契約を成立させる仕組みが可能らしい。パソコンの画面に請求の画面が出て消せないらしいのだが、おそらくバックアップを頻繁に取っておいて、全てをリセットしれば解消できると思うのだが、それすら不可能にするウイルスがあるのだろうか?こういった手段は、さすがにギャグにはしにくい。全然笑えない。

同じように振り込め詐欺も漫才や落語のネタにはしにくい。電話やメールなどでの詐欺は陰湿。面と向かって騙す場合に限定的なショー的要素がないと、他の人が観て笑うような状況にはなりにくい。

健康器具の売り込み話はいけるかも知れない。近所の駐車場にはプレハブで作った小屋ができて、中で器具の宣伝や講義が行われている。結構な人が集まっていることに驚くし、誰それが買ったという噂をよく聞く。数十万円するらしいが、機能的な部分は解らない。売り込もうとする店員と、騙されまい、値切ろうとする客との間のやり取りを描いたら、ネタになりそうだ。

売り買いの仕組みが解らない。中国あたりで安く作って持ってくるというのは単純な話だが、同じ品物で値段が随分違っていれば、当然ながら客は安い店に集まりそうな気がするのに、結構高いままでも客が多い店は多い。売り方に違いがあるのだろう。商売の戦略、イメージで売る方法は難しい。

愛想、店の美しさ、対応、信用、歴史、広告、場所、駐車場、営業時間など、色んな要素があるとは思うものの、理解できない。私は単純な国産信仰者で、後は安いことや、合成保存料が少ないくらいしか判断の材料にしない。綺麗な店のほうが好きだが、限度を超えたケバケバシイ店や、一流ブランドの雰囲気が漂う店では落ち着かない。

阿蘇の温泉旅館では、阿蘇五岳を眺められる内牧地域が非常ににぎわっていたらしいのだが、今は奥の黒川温泉のほうが断然人気あり。黒川地域は山の中で、眺めようにも何も見えないくらいの谷間、しかも泉質は無色無臭で特に風情を感じる特徴はないと思う。岩風呂、混浴、旅館が集まったこと、比較的新しいこと、山奥で静か、それに組合を作って他の旅館も楽しめるようにした工夫などが良かったようだ。

でも、客足の違いに相当するほどの差はないと私は思う。旅館が古くなってきたら、また状況が変わるのかも知れない。

ブーム、雰囲気など、なんとなくの部分も多いのかも。何にせよ明らかなのは、いったん客足が遠のくと料理に良いものを出せない、まかないの人員を確保できない、新たな投資の余裕がないなどの悪循環に陥ること。内牧のホテルの料理は、だんだん不味くなる気がするのだが、こちらの舌の具合だろうか?今年の冬に泊まったホテルの夜の料理に出た魚は、カチカチ状態で歯が立たなかった。あれは誰でも怒るだろう。

病院の開業にもパターンがある。田舎だと、小奇麗な一軒家を建てるのが原則。新しい病院に行ってみようかと人が集まって、最初の出足の良さが期待できる。都会だと、建物を用意するのは難しいので、テナントを借りてビルで診療するほうが多くなる。これは大きな町では当然と受け取られる。 

いずれも、綺麗な建物であることは信頼につながる。私が患者でもそうだ。くすんだ外見の病院・・・我が診療所がそうなんだが・・・などに行きたがる患者は少ない。

医療費に余裕があった時代、大きな病院を建てると大勢の患者さんが集まったので、病院を巨大化しようという動きがあった。20床くらいの病院では診療報酬が抑えられ、懸命に治療してもお金を得ることができない →→ やむなく病棟を閉鎖、といった流れはある。

緊縮財政、デフレの時代に大きな投資をするのは怖い。借金したぶんを取り返せる補償はない。内科や外科のクリニックは設備費は大きく、儲けは少ないんで、命に関係のない領域に開業が集まる傾向もある。金は出さないと政府が言うのだから、仕方ない。

診療報酬について個人的には、命にどれくらい寄与するかを中心に考えたほうがよいと思うのだが、今の報酬体系では眼科や耳鼻科、皮膚科などでないと金になりにくい。自然と医者もそういう科に集まる。個々の医者の進路に関して抜本的な改革は難しいので、結果として政府の方針が医療崩壊の主因となっている。

政府には政府の考え方があり、個々の患者にもそれなりの選択方法があるので、私なんぞがとやかく言っても仕方ないが、命に関係ない科目に金が流れる仕組みを作って、「なぜ産科や救急外来が崩壊するのだろう?」と不思議がっているように思える。それぞれが論理の運び方を間違っただけではないか?

どういう筋道で考えて買い物をするか、この落語で妙な結論に至った店員は、傍から見れば騙されていたんだが、本人は懸命に理論的に考えていた様子だった。店員ならいいが、政府だとまずいぜよ。

 

2011年8月22日

ツーリスト(2010)

- おしゃれではある -

当代きっての人気スターの共演。怪しい女性と偶然列車で乗り合わせた主人公は、女性の恋人の身代わりになって警察、殺し屋の双方から狙われる。どうやらギャングの金の横領事件が関係しているらしい・・・

観終わって、まず思った。ギャングの親分は現場に顔を出してはならない。どこから警察が銃を構えて待っているか解らないのだ。あくまで手下に頑張らせて、自分はどこかの保養地で部下を怒っていればいい。変に現場に興味を持ったら、それは自殺行為になりかねない。

救急外来などで患者と看護師がもめている場合も同様。

ひっそりと気配を隠し、騒ぎが収まってから出て行くくらいが賢い。うかつに現場に出ようものなら、気がつくと問題の看護師は家にさっさと帰ってしまい、自分が怒られるはめになるのだ。冷静に状況を判断することを忘れてはいけない。いかにタフな親分でも、スナイパーに狙われたら助からない。無関係の医者も、モンスター患者には敵わない。

主人公の動きはカッコ悪かった。身のこなしが遅く、話し方もこわごわ、オドオドした感じで、ヒロインが好意を抱くはずがないような、しょうもない男ぶりだった。そのへんの演じ方は上手かったということになるが、彼の過去に何があったかの話が全くないので、よほどカッコイイ人でない限り、彼に感情移入することは難しい。ラスト近くで、もっと爽やかさ、または力強さのようなものが感じられる具体的な行為が欲しかった。鮮やかな変身振りがあったほうが痛快だったはず。

もし警察やFBIがギャング達を見逃していたら、どうなったろうか?入念な計画が観客にも解ったほうが爽快感を得られる。もっと練って欲しかった。

何か印象的なアイテムも欲しかった。折り紙、コマなど、観客が「アッ、こいつは!」と気づく、個性的な物があれば面白さが変わる。

前半では二人が抱き合うシーンすらなかった。窓辺でちょっとキスしたくらい。そんなラブロマンスってあるのか?もう少しストーリーを練っても良かったのでは?濡れ場満載にする必要はないが、甘い誘いの場面などは、もうちょっとあってよかったと思う。

実際に性的交渉があったら、筋書きがおかしくなってしまうから・・・という判断があったのか?

あちらの人は、体臭で何か気づくことはないのだろうか?体臭がきついから、皆が香水をかぶっていれば、「あれ、この人の臭いは彼に似ている・・・」ということも起こらない。日本人では、臭いに敏感な人も多いと思う。

中学時代の友人と会って、数十年ぶりの臭いの記憶でハッとしたことがある。体臭は年齢によっても変わってくるはずだが、独特な部分が残る人もいるようだ。強烈な体臭が常識の人種の場合は、逆に選別が難しいのかも。

以前も述べたが、初恋の女の子の匂いも覚えている。特別に自分が匂いフェチではないと思うのだが、良いイメージといっしょになって、しっかり記憶されている。匂いは原始的な感覚なので、好き嫌いに直接結びつくからだと思う。

緊迫感がなぜか足りなかった。ストーリーの問題か、演出の問題か解らないが、主人公達に共感する気になれなかった。真に互いが恋しているのではなく、ヒロインは主人公に同情したくらいの軽い設定だったから、こちらの思い入れにも制限がかかったのかも知れない。

ヒロインの化粧にも違和感あり。最近のアンジェリーナ・ジョリーは凄く痩せているので、ぽっちゃりした方向のセクシー女優ではなくなっている。もちろんセクシーなんだが、眼だけがギョロッとして、厚化粧のイメージ。歩き方はセクシーなんだろうか?お尻のふり方は研究していたようだが・・・

ベニスを舞台に、豪華なホテルのパーティーなど、美しく洒落た場面が多い。仮に私が立っていたら、場違いな自分に恥ずかしくなるような、そんなお洒落な映画。古い映画だと画像の解像度の関係でボンヤリと見えていた建物が、実に詳細な画像で見えた。いっぺん行ってみたいものだと感じさせてくれた。

 

 

2011年7月 6日

トゥルーライズ(1994)

平凡なサラリーマンの主人公の真の姿は、米国の特別捜査官。テロ組織と戦いながら、夜は普段どおりの家庭生活を送っていたが・・・

・・・7月3日のテレビで久しぶりに鑑賞。

公開当時の宣伝で使われていたのは、橋を爆破して敵のトラックを止めるシーン。車が宙に浮かんでひっくり返る。まともに爆破されていたら、かえって迫力が損なわれてしまう。上手くタイミングを計っていたに違いない。

驚異的な迫力で、いったいどうやって撮影したのか知らないが、実際の橋と似せた橋をわざわざ作って爆破したってことか?完全なCG合成か?どんだけ予算を使ったのか興味がある。

全体の制作費は1億ドル以上、収益は3億ドル以上という、壮大過ぎる規模。金をかけただけの迫力が興行成績に寄与していたと思う。この前の年のターミネーター2でも1億ドルくらいの予算を使っていたらしいので、当時のシュワルツェネッガーの勢いもあったのだろう。

他にもいろんな爆破シーン、追撃、戦闘機のシーンが満載。戦闘機の上に飛び乗る、相手を振り落とすといったシーンが、何の違和感もなく撮影されているので、技術が凄い。

アクション映画は、やはり観客を驚かせないといけない。深い内容で勝負する作品ではないから、驚くだけの爆発、CGは必須だった。

アイディア自体は珍しくはない。主人公が仮面をかぶって生活し、家族も真の姿を知らない設定はマンガでもよく見る。コミカルに二重生活を送るだけでも面白いのだろうが、この作品は無駄と思えるほど戦いの迫力がある。プランを練る時点で予算を絞ろうとは考えなかったのか?

橋を爆破するシーンに失敗していたら・・・戦闘機のシーンの撮影が難しくてワイヤーによる動きが写ってしまったら・・・コメディタッチにするか、迫力を重視するかのバランスも難しい・・・全てが上手くいかないと予算を大量に喰った駄作になりかねない危うさを持つ企画だったと思う。

例えば、親子や夫婦の間の感情が盛り上がる感動巨編の方向にベクトルを振っていたら、たぶん白々しい作品と感じる人も増える。全くアクションだけだと、これまた内容がなさ過ぎとソッポを向かれかねない。

本当に適度に、子供も大人も楽しめる娯楽作品に仕上がっていたと思う。

奥さん役のジェイミー・リー・カーチスも良かった。スタイルの良さとオバサン風の顔のバランスが作品にはまっていた。お色気シーンも上手く使われていて、家族でも観れるがセクシーでもあるバランス感覚に優れた演出だった。

20年近く経っても感心できる作品だから、本当にレベルが高い。

 

2010年7月31日

劒岳 点の記(2008)

- 行者のごとく生きるべきか? -

明治時代の末、剣岳の測量のために登頂を命じられた測量技師と、その仲間たちの物語。登山技術が進んでいなかった時代、前人未到の山の登山には危険が伴った。しかもライバルが出現。焦りから事故を引き起こしてしまう・・・

・・・映画が終わって、出演者達の名前が出る前に、「仲間たち」という表示が出る。

おそらく、この作品の撮影は困難を極めたと思えるので、スタッフの面々に感謝と敬意を表して列挙したものと推測する。最後まで、あっぱれな態度であった。

浅野忠信と香川照之の表情はいつもの通りで、セリフ無しでも通用するほどの存在感を感じた。

この二人以外の役者の演技については、やや不満を感じる点もあったが、鼻をつくといった印象はない。でも、もし皆の思い入れ、不満や恐怖なども短時間の中で盛り込むことができたら、それは奇跡に近いのだろうが、盛り上がった感情を表現できたかも知れない。そうなると、さらに怖ろしい傑作になっただろう。

映像が素晴らしい。細かい点まで鮮明に見える高感度のカメラを使っているようだ。山を舞台にした作品の場合、特に厳しい自然を表現したいなら、カメラの性能や撮影のテクニック、場所や時間などの選定は気を使わないといけない。おそらく待ち時間は膨大だったろうし、失敗も多かったのでは?

下手すると遭難もありえる。山で嵐にあったら、現代の装備でも長くは持たない。よほどしっかりしたキャンプを張らない限り、死者が出てしまう。それこそ、「たかが映画、他人から見れば遊びの延長としか見えないことのために、死者を出してはならない」

この作品は家族で観ても、恋人と観ても良いと思う。小さい子でも感動することが可能かも。ただし、ちょっと退屈する人がいないとも限らない。

当時、まだ剣岳が未踏と思われていたとは知らなかった。今ならロック・クライミングの手助けがあれば軽装備で登山している人も多いと思う。修験者なら確かに登れそうだ。酸素が必要な高さではないので、気候が良い時期に時間をかけて登れば不可能ではない。

下のような岸壁に立って、登ろうと考えるか?山登りをする人は、多少は行者に通じるものを持っているのかもしれない。

Turugi

当時のロープは麻製だったかもしれないし、軽い装備というものが、そもそもなかったと思われる。わらじと手だけで崖を登るのは、正気の沙汰ではないと考えるのが普通かも。登ろうと考えるのは行者だけだったと考えたほうが自然だ。

監督の考え方が反映された作品かもしれない。基本的には友情の物語であるが、生き方や仕事に対する使命感、家族への想い、そのようなものをどう考え、どう対処するかを表現した作品で、哲学的な裏づけがあるのか解らないが、さながら行者のごときセリフが行者でない出演者達の間で交わされる。

行者・・・昔は珍しくはなかったらしいが、いったいなぜ行者になり、どんな生活をしていたのか、何を食べていたのか?山にこもって食べられる物は限られている。最もカロリーを確保できそうなのは木の実だと思うが、調理をどうするのだろう?鍋やビンを持った行者はいなかったはずだが・・・

なぜ行者になったのか?おそらく生き方に悩み、自分の心を平静にするために、やむにやまれずなったと想像するが、今でも出家する人は多いし、特に比叡山では千日修行という古来からの修行のスタイルがあるらしいが、あれは行者に近い。

現代の常人なら精神科に通院しておしまいだろうか? もしかするとだが、引きこもり状態になった人の中に、行者と通じる人がいるのかもしれない。周りの人間、社会のすべてが自分の考え方と食い違い、すべてがおかしく思えたら、引きこもるしかない。実際、日本という国自体がおかしいのだ。

悩みというのは、もしかすると脳内の伝達物質で解説できるものかも知れない。血気盛んな時期には、自分の衝動と自分がおかれた状況のアンバランスを感じて、一心に念仏を唱えないと正気を保てないと感じるのかも知れない。それを「邪念」などと表現している可能性もある。

性衝動や、成功への野心、自己防衛の過大な反応などは誰でもありえる。それらは脳内の伝達物質の分泌の具合で調節されていると思う。行者は、過剰な分泌を山々を歩く激しい行動で昇華させている状態かも。

自分も日々充実感を感じているわけではない。家族は私の想いを理解してくれないし、患者さんから常に感謝されているわけでもない。経営的なことも、将来の生活設計も不安がないわけではない。自分の健康、親の健康も気がかりだ。

今までの自分の生き方が正しかったのかも解らない。自分のキャリアを積むことに専念し、高い収入を目指すべきではなかったか?そもそも医者になってよかったのか?もっと利己的でも良かったのではないか?高校時代はコンピューター関係の仕事で大金持ちになろうと考えたこともあったが・・・

きっと誰でもいろいろ考え、後悔している人も多いのでは?

自分に与えられた、もしくは選んだ道にひたすら徹するというのは簡単ではない。ひたむきすぎて体を壊す、手を抜かないと危ない、そんな場面も多い。そんな時にどう考えるか、この映画は考えさせる。

友情や誇り、使命感が大事だが、ちょっと履き違えると、そのために犯罪めいた事業に加担してしまう人間もいる。行者や職人のように何かに徹する人物は利用されやすい。「あいつの生き方は何かに徹しているんだな。」そのへんを上手く利用して優位な立場に立とうと考えている人間も多い。例えば、主人公に命令をした軍人達がそうだ。

世間の慣習というものは、どこか真面目な人間を利用するために作られた傾向がある。弱者が利用され、後ろで操る人間がいることを正当化するためには、慣習や規則が必要だ。「規則でそうなっているから、無茶でもやれ!」ってな具合。「その命令、明らかに間違ってます。」と言いたい状況は多い。

普通は命じられる側も、相手を利用することを考えながらやる。裏切られないように、また道連れで失敗しないように注意しながら。その思惑に引きずられるのが嫌な人は、行者のごとく世間との関係を断ち切って生きるしかない。仮に利用されるとしても悪しき目的で利用されることなく、社会に貢献し、家族を養うことができたら、大成功でなくとも善き人生と言えるだろう。

 

2009年9月18日

追憶(1974)

- 奇跡的な成功 -

監督 シドニー・ポラック 

主演 バーブラ・ストライサンド ロバート・レッドフォード

政治的な活動にのめりこむ女学生と、学園のスターでノンポリのハンサムボーイの物語。対照的な学生だった二人は反発しながらも互いを意識していた。第二次大戦中に二人は偶然再会し恋人になるが、多少のいさかいを繰り返しながら、やがて結婚する。ハリウッドに渡った彼らは映画脚本業で一応の成功を収めるが、赤狩りの時代が訪れ、立場が苦しくなる。脚本業にも問題を抱え、二人の関係は悪化し・・・

私の世代にとっては懐かしい映画。本当に映画らしい映画。今の若い人が見たら、ヒロインの顔でショックを受けるかも知れないが、耐えられれば魅力的に写るかも。子供には向かない映画。

主演のバーブラ・ストライサンドの容姿には驚いた。美しい歌を歌う歌手で大スターとなれば、きっと女神のような美人だろうと思って写真を見たらびっくり、きつい表情にもびっくり。彼女とロバート・レッドフォードが恋に落ちるなんて、アメリカの人は不自然に思わないのだろうかと気にした。やはりアメリカは進んでいる。容姿よりも才能に注目するんだ、日本はその点遅れているなあなどと自虐的に納得したことも覚えてる。

歩き方はバレエの素養が感じられる。スタイルが美しい。舞台で映える女優だ。鼻はすごい迫力があるが・・・

とにかく偉大なる才能の持ち主であることは疑いない。しばらくは暗殺予告があった関係で自宅にこもっていたらしいが、時々活動しているらしい。この作品はディレクターズ・カットのDVDで観たのだが、解説にも登場していた。映画の当時(31歳)の頬のふっくらした感じがなくなって、普通のおばさんになっていた。

主演ふたりはミスキャストのような気がする。ノンポリ学生役なら、当時はライアン・オニールで決まりだったはず。レッドフォードは政治的なイメージがあった。本来の役柄よりも真面目で、スマートな人物に演出したと監督が述べていたが、その関係でレッドフォードの存在感が上がったことが作品のレベルを上げたと思うが、それがなかったら駄作で終わっただろう。彼が単純なハンサムボーイだったら、主演二人のバランスが壊れる。

主演女優は、やはりもっと美人のほうがしっくりくる。ラブ・ストーリーなんだから、やはり見栄えは必要だ。当時ならジェーン・フォンダ女史などもいたはずだ。おそらく作り手の人種の関係もあって、構想がそもそもストライサンドありきで主演女優は最初から決まっていたのだろう。ストライサンドは若々しくて魅力的だが、やはり限界がある。もし可憐な少女のような女優が演じていたら、感情移入できる観客は増えたのでは?

音楽が素晴らしい。しかも素晴らしいのに全編で流れているわけではない。出し惜しみのような程度にしていることで、かえって良い効果をもたらしている。当時ラジオで聞いた私は、ぜひこの曲のレコードを欲しいと思った。作曲者は見栄えのしない青年だったらしいが、「奇跡的な傑作」と言っていた。確かにそうだ。音楽のおかげで、映画の記憶が強く残る。

いくつか削除されたシーンの中に、解説としては抜群に判りやすいものがった。でも検討の末に、それらを整理したらしい。曖昧な部分を残したほうが、観客には受けるのだろう。

雰囲気はフィッツジェラルドの小説のような感じ。当時でも懐かしい時代を扱った関係か、今でも色あせない。赤狩りが題材になっているが、正面から断罪してはいない。もともと何度も口論し、喧嘩をしていたカップルが別れるきっかけになった程度だ。それが自然であることが、作品のレベルを上げている。

真正面から悲劇を扱わないで悲しさをかもし出すというのは難しいことだが、たぶん監督の力量なんだろう。ミスキャストでも、奇跡的な演出で心に残る作品になっている印象。

 

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