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カテゴリー「ち」の20件の記事

2020年8月13日

帳簿の世界史(2018)

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- ジェイコブ・ソール著・文春文庫-

南カリフォルニア大学教授である著者が、主に複式簿記の歴史と、様々な国家や都市が会計の影響で興亡する様子を解説した本。文庫本を購読。初版は2015年で、文庫本は2018年の発売らしい。

実に興味深い本だった。視点が斬新だ。メディチ家やルイ王朝がどういう経緯で衰退して行ったのかを、帳簿の状況を元に解説という新しい視点を与えてくれた。ただ、偏っているとも感じる。帳簿だけで歴史を語るのは無理だろう。国力全般の中の、一要因が帳簿であると考えるのが、より常識的だ。 

ルイ14世以降の時代は、フランスの財政が厳しかったというのは教科書にも書いてあったと思う。革命の原因のひとつが財政破綻にあるという記載に記憶がある。ただ、それだけなら、他の国にも革命が起こりそうだ。多々ある理由のひとつに過ぎないはず。 

劇場主は簿記を学んだことがない。クリニックの会計も、税理士任せである。家計簿もつけていない。若い頃から毎月の使途不明金が10万円以上あった。そんな劇場主だが、家を新築した後や開業後の数年間の金欠状態を乗り越えることができた。劇場主がやったような、ひたすら節約するだけのシンプルな対応だけでも、かなりのことはやれる。

でも、複雑な経営になると話は変わる。複数の商人が金を出し合い、多数の船を航海に出し、沈没や海賊に襲われるなどのリスクを越えて収益に結び付けようという場合には、さすがに倹約だけじゃダメだと理解できる。しっかりした契約、船を失っても持ちこたえる財力、保険制度、海賊を撃退するための海軍、そして正確な帳簿が必要だろう。

不思議なのは、ギリシアやフェニキアだって広範囲で商売をやっていたはずなのに、取引に問題がなかったのだろうか? ローマのエリートたちにも軍の会計を学ぶ時期があったというから、おそらく各国とも、必要に応じた会計記録はやっていたはずだ。ただ、しっかりしたルールがないと、努力した挙句に破産してしまい、歴史の表舞台から脱落という結果になる。フェニキアやギリシアでは、それが普通に起こっていたのかもしれない。 

会計だけじゃなく、武力をどのように磨き上げるか、人口を維持し、生産量をどのように維持するかなど、たくさんの要因の全てが上手く管理できないと、ライバルとの争いに敗けてしまうはずだ。 会計のレベルが高かったイタリアの都市も、結局はドイツ地域やフランス軍の武力には敵わず、たびたび支配下に落ちていた。帳簿整理だけじゃ、生き残れないことも間違いない。 

大企業の不正経理がたびたび露見するが、劇場主には不正がどうやってできるのか、よく分からない。会計処理の時期を操作したりするらしいが、ずらしたら厳罰といった法規制はできないのだろうか? 裏帳簿を作る企業も多いと聞くが、露見しないでやれる理屈が分からない。今のようにIT機器が発達した時代、金の動きは瞬時に把握できるものではないのだろうか? 

たとえば国が管理する会計ソフトを配布し、全企業がそれに入力する。入力に不正があったら破産寸前になるほどの税金を取る、恣意的判断ができないようにする、そんな管理は企業の成長を抑制するのだろうか? 投資先や提携先を管理するわけじゃないので、出来ないことはないように思うが、たぶん企業側は自由度が減るのを嫌がるのだろう。

米国でも大統領が代わると新しい法案が通り、何かの規制が外され、好景気につながることが多い。そのあげく、大金持ちに資産が集中したりで不正が野放しになり、酷い被害が出て、また規制というサイクルを繰り返している。規制については、いじり続けるしかないのかもしれない。

2020年はコロナウイルスによって世界中の経済が影響を受けている。日本の財政がどうなるのか、不安に思う。でも、売り上げが激減した商店を救うために、とりあえず一時金を与えたり貸したり、税金を免除したり家賃を代行したりは必要だと思う。それも速やかに。

企業の支払いは、会計操作によってでも、遅らせる必要がある。そのために、法令の改正が必要かもしれない。そして、おそらく金の流通量を増やす必要がある。もし経済が年内に安定したら良いが、そのためには感染が緩徐なスピードで進み、店を再開しても大勢に影響ないようにする綱渡りが必要だ。国の帳簿はもともとの赤字が凄いので、他の国よりも悲惨なものになるかも知れない。

 

 

2020年6月24日

チーズはどこへ消えた?(2000)

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- スペンサー・ジョンソン著・扶桑社 -

迷路の中でチーズを探すネズミ2匹と、小人2人。彼らは、あるはずのチーズがなくなっていることに気づいた。さて、どうすべきか・・・・B6判の小型書籍を購入。古い本だが、続編が発売されたので本屋に並んだようだ。

自己啓発本、ビジネス本に属する書籍。でも童話にも近い印象。有名な本だから、タイトルは知っていた。「1時間で読めて、10年間役に立つ」と表紙に書いていあったが、確かにその価値がありそうな気がする。特に、挑戦している間に心理的に良い状態になっていく点が上手に描かれていた。 

作者は心理学者で、医学研究者でもあるという。複数の研究機関に所属しつつ、著作家としても活躍された方。この本は、着想や構成の仕方、表現の手法などに抜群のセンスを感じる。

本の厚さ、文章量も良く考えてあった。詳しい心理描写を加えて、読みごたえを深めようと考えることもできたはずだが、厚みの薄い本に留め、エッセイや童話のような雰囲気を保つ方を選んで、善き読後感を生むのに成功していた。

他の描き方もありえた。たとえば、その場に立ち止まって待った人の心理を詳しく描く方法もあった。話は暗いものになったろうが、問題点をより浮き彫りにする効果はあったかもしれない。

小人の二人の個性の違いは分かったが、ネズミ二匹の個性については、それほど重視して掻かれていなかったようだ。ネズミの二匹にも、もう少し違いがあってはいけなかったのだろうか? あせり過ぎて暴走するネズミがいるとしても良かったはずだが、そうすると話の論点がぼやけると考えたのだろうか?  

劇場主は、これまでの人生で迷いや怖れのために挑戦を止めたことがある。思い切って留学したり、都会の大学を目指したり、中央の病院に実習に行ったりしたら、人生はだいぶ変わっていたかもしれない。ただ、体力面の自信に欠けていた。

学生時代に腰のヘルニアを起こし、長時間の立位、座位が厳しいので、猛勉強や激務は難しいことになり、自分が最先端を目指せるイメージが湧かなかった。そもそも机につくことすら苦しい状況で、思い切りようもない。だが、頑張らない理由を探していただけかも知れない。

健康に自信がないと、日々の仕事をこなすことが、とりあえずの目標になってしまう。チャレンジする道は、自分の道ではない・・・そのイメージに従ったが、あれで良かったのかどうか分からない。思い切って挑戦して大きく挫折しても、得るものはあったかも知れない。  

「座して死を待つべきか?」・・・競争の激しい業界では、旧来のやり方が通用しなくなることも多い。家電業界は、まさにそれだ。かつて、日本には優れた製品が多かった。SANYOや三菱電機の家電製品は、つい最近までいろいろ利用させてもらったが、どれも長持ちして、衣類乾燥機は昨年まで、およそ30年間もお世話になった。冷蔵庫も20年くらい故障がない。

しかし、いまや売ってある家電は外国製が多い。製造コストの競争にさらされたし、国内需要の縮小などで良い要素がなかったから、白物家電企業が縮小するのは当然だ。あるはずの収益が消えた彼らはまさに、会社をどうするのかの厳しい判断を迫られたはず。

三菱電機は高性能分野に絞って、今も家電を扱っている。企業向け、高性能、大型で特殊、宇宙や防衛がらみなどの特徴ある領域に絞って生き残っていると思う。完全撤退した分野もある。携帯電話などは、さっさと見切りをつけたようだ。

内部では激しい論争、人事異動があったはずだが、今日まで会社を維持できているのは、すぐれた経営判断があったからだと思う。彼らに、この本は必要ないかも知れない。だが、彼らが果敢に新規分野に挑戦し続けていたら、どうなっていたろうか? アイフォンより優れた通信機器を作る能力はあったはずだ。どう転んだか分からない。 

「果敢な挑戦」・・・果敢すぎる挑戦が裏目に出ることも多い。待ったほうが正解だったということも多いのではないか? その場合、正解が印象に残りにくいだけで、実は挑戦の失敗のほうが圧倒的に多いのかもしれない。たとえば飲食店の開業は、8~9割が失敗すると聞く。挑戦すれば成功するわけじゃない。 

要は、事態をどうとらえ、適切な対応をとれるかどうかだ。素早く、正確に状況を把握し、行動に移る決断ができるかどうか。さまざまな能力が必要だ。

今年のコロナショックの経済的影響は大きい。もし今年飲食店を開業していたら、いかに腕が良かろうと絶対に閉店せざるを得ない。外出を自粛されたら、新規の開業は無理だ。新規でなくても、外食、宿泊、旅行関係の業種は、よほど基盤がしっかりしていないと立ち行くはずがない。今後もすぐに客が集まる保証はないから、廃業する店も多いだろう。それも立派な判断だと思う。

極めて厳しい時代には、チーズの求め方を考える必要がある。そもそも求めるべきか、考え直す必要も出て来る。この本は、2000年頃にIT業界に対応、あるいは挑戦する人達のバイブルになったのかもしれないが、今回のコロナショックの時期に通用するとは限らない。

 

2020年4月11日

地球はグラスのふちを回る(1981)

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- 開高健著・新潮社 -

世界中の国の酒や料理、風俗や釣りの体験談をまとめた随筆。開高健の冒険旅行記といった内容。文章には独特のクセがあり、少し読みづらいものの、内容は奇想天外、奇妙奇天烈で、非常に面白かった。

本のタイトルも非常に洒落ている。フランス文学を学んだらしい著者は、この種のセンスに優れていたのだろう。内容は、おそらく雑誌の連載か、読み切りの単発物として書かれた文章を集めたもののようで、文章のスタイルが統一されていない。それでも、特に違和感を感じるほどではなく、一気に読もうと思えば読めそうな内容だった。

〇×紀行といった風格、情緒的な雰囲気は感じられない。もっと軽く、ユーモアある内容で、この文章を読んで教養が高まることは、あまり期待できないような気がした。文学的価値、心に残る余韻、そんなものも感じられない娯楽本である。重々しい文章が良いとは限らないので、これはこれで価値がある文章だろう。

開高健は雑誌プレイボーイにも投稿していたから、名前は知っていた。「オーパ」は、雑誌で読んだわけだが、当時の劇場主はあまり釣りに興味がなく、文章の味わいもさほど感じなかったので、そんなに人気のある文筆家なのかねえ?と、理解できないままだった。今でも特に魅力的な文章とは思えない。

ただ、氏が紹介した体験談は非常に面白い。滅多に日本人が行けなかったような場所に、その当時すでに行っているという事が、それ自体で魅力になっているように思える。冒険家の文章は、読む人をワクワクさせる。普通の人が経験できないことを体験し、紹介しているのだから、それだけでも興味をそそられる。人は自分が体験したことがない話には興味を持つ。開高氏の体験は、価値のあるものだった。  

劇場主が興味を持った話は、海外での海産物料理の話。日本と比べ、海外での海産物の乱獲は、今でもまだ程度が軽いと思う。新鮮な魚が手に入るなら、ぜひ海外でも食べてみたいものだが、ほとんど経験がない。

ドイツのローテンブルグそばの湖の魚料理はツアー中に食べたはずだが、味の記憶がない。感動するほど美味しくはなかったはずだ。内陸の地域では、日本ほど新鮮なまま流通させるのは無理だと思う。刺身が入手できるのは、おそらくニューヨークなどの大都市で、日本料理屋がたくさんあり、需要と供給がしっかり出来上がった場所だけだろう。

イセエビなら、東海岸にはたくさんの有名店があるはず。刺身は難しいとしても、ステーキなら体験できるに違いない。レーガン大統領も来ていたというワシントンのステーキ店は、たしか海辺にあって、イセエビも出していたと思うが、せっかく米国に来たんだからと、結局は肉を食べる羽目になった。予想通りに大味で、歯ごたえのあり過ぎる品物でがっかりした。ロブスターは高かったんじゃないかと思う。値段が怖くて試せなかった。 ヨーロッパでも魚は全く食べれなかった。試すのも怖い気がした。

体験しなかったことを、今は後悔している。開高健氏ほどの余裕があれば、ぜひやるべきだった。

 

 

2019年12月20日

父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。(2019)

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- ヤニス・バルファキス著 ダイアモンド社 -

経済学の本というより、経済学者の随筆に近い内容。経済学を論じた「経済学論」に近いかも知れない。

著者は、破綻した時期のギリシアの財相だった方だそうだ。破綻直後を担当したらしいので、破綻させた責任があるわけではないから、本を書いても読んでもらえるのだろう。本当に責任のある人物だったら、「てめえが何を書いても信用できん!」となる。そうならなかったのは、もともと有名な学者で、引っ張り出されたからだろうか。EU側の言いなりにならなかった点も評価されたようだ。信用があったのだろう。

信用は大事だ。どこかの国のように政権に忖度し、米国の言いなりになり、マズいデータをシュレッダーにかけてHDDのデータまで完璧に隠滅するような国だったら、誰も信用しない。信頼は大事だ。信頼を得るためには、時には都合が悪いことも堪えないといけないのだが、そこが難しいところ。人間は弱い存在だ。 

本の内容は非常に良く考えられたものだった。素人が充分に理解できるように、数値を極力省き、たとえ話も簡単な内容を選んでいることが分かるものばかり。そのような書き方ができるということは、著書の理解度が高いからだろう。中途半端な理解力の学者の話は、非常に難しいものになる。経験上思うのだが、理解できていない時に人に教えるのは難しい。中途半端に理解していると、自分でも説明の途中で訳が分からなくなる。  

面白い例が提示されていた。戦争で捕虜になった連中が、タバコを通貨代わりにするという話は、いかにもありそうな話で、たしか日本の収容所でもあったと聞いたことがある。収容所でなくても、部隊の内部でタバコや酒類の配布があると、交換経済が成立したと聞いた。通貨は絶対的な基準であり続けるわけではなく、物々交換に切り替わったり、価値の暴落、急騰など、予想外の変化は覚悟すべきものだと、あらためて学ぶことができた。

通貨に対する信頼も大事である。政府の発表が大ウソだったと分かったら、通貨を信用することも難しい。ギリシアがそうだったように、日本だって大がかりな虚飾が明らかになれば、破綻が起こりうると思う。

そうならないためには、辛く損になる事でも隠さず、記録も検証可能な形に残すことが必要。記録を残さざるを得ないシステムがあって、時の政権が介入できないという保証が必要である。信頼を失えば、全ての努力は瓦解しかねない。そこの理解が、政権にも役所にも欠けているように思う。危機感をもって、国の生き残りを考えるべきであり、自分の出世や政権の都合ばかり考えるのは止めて欲しい。

役所が本来の機能を維持できていないようだ。出世の道筋を内閣が握っているので、機嫌取りばかりに熱中せざるを得ないのだろう。国家の機能を維持するためには、定期的に政権を変えるべきだと思う。現行の制度の下では、首相がどれだけ支持されていても、5年くらいで替えないと、腐敗が自然に起こるようだ。  

破綻に備えて、物々交換で生き残るために、畑でも作っておこうか?

 

2018年10月15日

鳥類学者 無謀にも交流を恐竜を語る(2018)

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- 川上和人著、新潮社文庫 -            

 

2013年に発表されて話題になった書籍が単行本になっていたので購読した。噂にたがわぬ面白さで一気に読めてしまったが、学術的な内容もちゃんと含まれており、まったくの空想話ではない。著者のセンスの良さに感服した。       

 

川上氏は、研究所に勤める本物の鳥類学者らしい。鳥類を研究してどのような意味があるのかすら劇場主には分からないが、おそらく恐竜の研究には大きな影響が生まれそうなことは分かる。鳥類学も、おそらく遺伝子を研究する作業が今のメインではないかと思う。外見だけで分からなかった分類が、遺伝子を調べることによって明確になり、機能と遺伝子の関係も明らかにされつつあるのだろう。             

 

鳥類がどこから発生してきたのか、劇場主が図鑑を読んだ記憶では、恐竜と共通の祖先がいて、どこかで始祖鳥が生まれ、恐竜に進化した種族は絶滅し、鳥類は寒さや餌の問題を乗り越えて発展してきたように書かれていた。大人になってから、どうも恐竜の発展形が鳥類らしい、恐竜のかなりのメンバーは羽毛をまとっていたらしいなどと、少しずつ解説が違ってきた。          

 

一番上の子の頃は、全ての恐竜が丸裸だったが、3番目くらいから毛が生えたものも出て来た。そして今は鳥類≒恐竜と言えるほどになっているようだ。わずかな間に、常識が大きく変わってしまったようだ。                    

 

ヒヨコは可愛らしいので、子供の頃によく手のひらに乗せて撫でてやったりしていた。小学校の当番でしばらく鳥の世話をやっていたが、まさか恐竜の世話をしているとは思っていなかった。単純に小さい小鳥だから恐怖を感じなかっただけだろう。フクロウを間近で見た時は、さすがに指を出したら噛みつかれそうで怖く感じた。大きさが重要なのだ。             

 

阿蘇のホテルで、玄関にダチョウが飼われている所がある(ビラパークホテルだったと思う)。あれも怖かった。餌をあげているのに嘴で急にどついてくるし、その破壊力が結構凄い。あれなら、集団で人間を襲って食べることもできるかも知れない。恐竜をイメージしやすい鳥である。         

 

もしもの話だが、鳥の遺伝子を操作して、恐竜のような動物を作ることはできないだろうか? ダチョウの発展形ならできそうだ。道義的にどうという視点を無視して、純粋に技術的な点に絞って考えれば、可能は可能かもしれない。恐竜の遺伝子を一部導入することも、できるかも知れない。怖い生物が誕生するだろう。

 

 

2018年10月 9日

中国と日本が分かる 最強の中国史(2018)

 

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- 八幡和郎著 扶桑社 -                 

 

中国の公的な発表には、強い意志が感じられる。不必要に思えるほど強硬で、勢力を拡大して行こうという意志が感じられ、反対は国内外を問わず許さないという強い姿勢だ。 発表の通りだと、周辺の国々は中国政府の意向に、ただ従わないといけなくなりそうだが、それは無茶な話だろう。   

 

もちろん、歴史的に中国は様々な外国勢力から侵略され続けてきたので、本来の権益は守られるべきと思う。しかし、中国の勢力圏をどこまでと考えるかは、かなりのグレーゾーンである関係で、非常に難しい問題になる。今の中国政府が主張する通りだと、確実に新たな紛争を惹起せざるを得ない。それは可能なら避けたい。だが、おそらく避けがたいとも思える。      

 

著者の八幡氏は、純粋な学者ではないらしいが、通産省の役人を経て、現在は大学の教授を務めているようだ。幅広い分野の著作を出しているので、中国関係だけの専門家ではないらしいが、日本史を学べば、自然と中国の歴史も研究しないといけなくなって、ついに本まで出したといった流れなのかも知れない。専門家である必要は、必ずしもないだろう。   

 

「最強の・・・」シリーズで、韓国史も書いているそうだ。議員に立候補されていたそうだが・・・どんなものだろうか?政治家が本を書いたり教授をやっても良いとは思うが、何でもやることから信用度の点で若干の疑念を感じてしまう。扶桑社の本を買うのも、ちょっと考えようかと感じている。      

 

扶桑社の本には、独特の傾向がある。「嘘だらけの日独近現代史」もそうだったが、単純明快で分かりやすい。分析は浅いかも知れないが、強く断言することで訴える力が感じられる。でも、考えを表明する時の根拠が、かなり限定的にしか説明されていないようだ。編集者の個性のためか、文章量の制限のためか、あるいは親会社のフジサンケイグループの意向の影響か分からない。  

 

もし、このような本に強く影響された人間が増えれば、独特な感性を持つ集団が出来上がる。もう既に、そんな人間が多数派なのかも知れない。その集団は、少なくとも検証を重ねて慎重に結論を導くタイプの意志決定をしないだろう。勢いのある意見を聞いた時に、それをまず信用することから思考が始まり、途中で思考過程に歪みがないか確認することをせず、ノリに任せて多数決を迫る手法をとるだろう。演説に影響されて、その気になるのと似て、勢いが大勢を決める、そんな集団が想像される。そんな集団は、巨悪に利用されやすいかも知れない。    

 

歴史の検証は非常に難しいので、ある程度の思い込みがないと何も書けないとは思うが、可能な限り根拠を示しながら、反対意見があれば、それにも敬意を払いながら自説を記載していくべきではないかと思う。そうすると話が長くなり、訴える力は損なわれるはずだが、書籍とはそういうものではないか?演説とは違う。勢いまかせの集団は、執念深く検証する奴らに、結局は駆逐されることが多いものだが・・・                          

 

相手にも敬意・・・・そんなの、もう流行んないのか? 敬意のことを気にする精神性は、戦いに勝てる時だけ気にすればよい?・・・・そうかもしれない。単純化、劇場化、勢いの良さ、それらのほうが大事にされる、そんな時代なのかもしれない。

 

 

 

2018年4月25日

チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~(2017)

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- 東宝 -

 

福井県のダンスチームが全米選手権制覇を目指す物語。福井商業高校が達成した実話を基にしているそうだ。   

 

紆余曲折のある展開は素晴らしかった。ただの学園もの以上に、よく練られた脚本だと思う。 主演は広瀬すず。もはや近年の学園ものの映画のヒロインは、彼女以外はありえない状態になっているかも知れない。ヒットが確実に狙える稀有のタレントだ。

 

少し前まで、それは有村架純だったはずだ。その前、それは長澤まさみだった。なぜ短期間で寡占状態が変化するのか分からない。人気が上がるとギャラが高くなって会社側が敬遠することや、顔が知れ渡って新鮮味が失われること、年齢が上がれば学生役は務まらなくなることなどを考えると、当然の帰結かも知れないけど、いろいろな要因があるのだろう。 

 

長澤は凄い美人だから息の長い活躍も期待できるが、広瀬すずはどうだろうか?より庶民的な顔、普通の体型が良い効果をもたらして、三枚目的なヒロインを年齢に応じて長く演じることができそうな気もするし、旬の時期を過ぎた時に、はたして魅力を維持できるか懐疑的に思える印象もある。

 

演技力は、おそらく歴代のヒロイン達より上だと思う。悪女役だってきっとこなすだろう。目つきに特徴があるので、夢見る若い女性を演じると、本当に良い絵になる。今後はきつい性格の役だってやれそうな気もする。夢見る世代を越えたら、どんなイメージになるのだろうか?  

 

昨今は高校のダンス部に注目が集まっている。紅白で大阪の高校生チームが素晴らしい踊りを見せていた。劇場主が高校生の頃はダンスに良い印象を持つ大人は少なく、ダンス部などがある学校は滅多になかったはずだが、教育的に良い効果が期待できることから、今は立派に部活動として認知されている。 それでも長年の意識のせいで、妙なことに熱中していると目されることは、おそらく今でも多いのではないか?  

 

素敵なダンスを見ると喝采したくなるが、少しでも下手くそだと直ちに笑いの対象になる。ダンスは一般のスポーツよりも評価が残酷に出やすい。その点は映画の場合もそうだ。 この作品の踊りは良く練習していたのだろう、素晴らしいレベルに達していたが、超一流だったとは思えない。猛練習しても、一朝一夕で喝采を浴びるレベルに達するのは難しい。体力面はすぐには追いつけない。踊りは本物のダンス部員を中心にして、主役だけ俳優にするほうが、見た目の迫力は出たと思う。スポコンものの作品では、それが原則だ。

 

 

 

2018年3月 8日

チャップリンの移民(1917)

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- Mutual Film

 

移民船に乗ってアメリカへの移住を目指す人々。その中にチャップリン演じる紳士然とした人物もいる。揺れる船の様子や、知り合った娘さんとの、その後の再会などが描かれた作品。DVDで鑑賞。

屋外のロケらしいシーンもある。港の中かも知れないが、なんらかの手段で実際に船を揺らしているようだ。きっと撮影の時に気分が悪くなる役者も多かったろう。

 

 この作品は揺れる船の中での揺れによるギャグ、ギャンブルでせしめた金をめぐるドラマ、移住したけれど金がなくてレストランで困るシーンの三部に分かれている。大男たちを相手にしたギャグが基本となっているが、その中で同情によって人を助けたり、恋愛したりの要素と、悲しい境遇の人達が多数登場することなど、やがての大作につながるものが感じられる。初期のイタズラ好きの人物から、懸命に生きるドジで不幸な人物にキャラクターが少し変わっているようだ。

 

でも、この作品は「キッド」の4年も前で、同年の作品を調べると、他のドタバタ作品の中に埋もれるかのような印象もある。ある本によれば、この作品は当初はレストランのシーンで始まり、主人公が金のない人間で、相手役の娘とはかって船で知り合ったのだという設定を思いつき、話のつじつまを後で合わせたのではないかという。そう考えると自然かも知れない。ドタバタ劇を撮る中で、境遇を変えることで作品の魅力が増すということに気づくきっかけに、この作品こそがなっていたのかも知れない。

 

ドリフのギャグにも、揺れる船のシーンを真似たようなものがあったような気がする。決まって加藤茶が牛乳まみれになるパターンだ。揺れを使うのは単純なアイディアで、おそらくチャップリンが最初に使ったわけではないと思うが、今見てもおかしい。

 

大男の店員を出し抜いて食事代をせしめるレストランのシーンも、単純なんだが笑える。本来は「チャップリンのレストラン」とでもタイトルがつくはずだったのかもしれない。

 

2018年2月 6日

チャップリンのスケート(1916 )

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- Mutual Film

 

主人公はレストランの店員だが、イタズラに終始して仕事は滅茶苦茶。休憩時間には悠々と近所のスケート場に行き、そこでも騒動を巻き起こしている。レストランの客とスケート場の客の間で起こる騒ぎを描いた作品。

 

監督や脚本もチャップリンが担当。この頃には既に主体的な立場で契約できていたようだ。人気が急上昇し、またアイディアも明らかに良いと判断し、好条件の契約を結べたに違いない。

 

大男の紳士とのやり取りがおかしい。腕力では問題にならない差があるが、スケートの腕や奇妙な逃げ方によって捕まらずに逃げおうせるようになっていて、そこで笑わせる仕組み。これは相手役のエリック・キャンベルという俳優の魅力もあるのだろう。漫才師のペアと同じく、強面路線とどこか抜けていそうな雰囲気で、彼らはたくさんの映画で共演している。短期間に多くの作品を作っているから、仲間通しのほうがやりやすかったのだろう。

 

この作品の存在は知っていた。チャップリンを紹介したテレビ番組で観たことがある。スケートの腕前が素晴らしいので、若い頃に相当な練習をしていたのだろう。その腕前があるから、スケートを映画に取り入れたいと考えたのは当然だ。この作品の他にも、モダンタイムスでデパートの二階でだったと思うが、目隠しした状態で、えらく危険な場所でスケートをやるシーンもある。上手く映画に使っていると思う。

 

この作品はストーリー性に乏しいと思う。レストランとスケート場には、あまり関係はないように思う。不倫をしたい夫婦が登場する場としてレストランやパーティーしかなかったから、そんな設定にしたと思うが、無理が感じられる。作品に悲劇的な要素はなく、主人公は浮浪者ではないし、空腹に苦しむような様子もない。ただイタズラや適当な仕事をやっており、共感できるような人物ではない。後年の悲喜劇のスタイルじゃなく、ただのギャグマンとして演じていたようだ。5年後くらいに「キッド」を作っているはずだが、この時期はまだペーソスを狙う路線は時期尚早と考えていたのだろうか?

 

笑いと涙の路線は斬新なものだったろうから、人気が固定化し、観客も慣れたり飽きたり、新しい企画に誰もが納得するという確信がないと乗り出しにくい。おそらく銀行や会社のスタッフ達も、まったく新しい喜劇を作る前は、かなりの不安があったのではないだろうか?深刻なシーンがあっても、観客は次のシーンで笑ってくれる、悲喜劇でも受けるという確信は、おそらく徐々に作られたのだろう。

 

今で言えば、チャップリンの長尺映画は斬新なイノベーションによるものだった。映画の一大ジャンルを作り出した。この作品はイノベーションの前段階だったようだ。

 

 

 

 

2017年8月30日

超高速!参勤交代リターンズ(2016)

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- 松竹 -

前作で参内に成功した湯長谷藩だったが、復活した悪徳老中の手により、急遽国元に帰らないといけなくなる。既に藩は取りつぶし、城の明け渡しまで決まったようだ・・・・

・・・・前作は予想を裏切るヒットだったらしい。「まさかの続編!」という宣伝文句が、この作品にはついていた。そんなに凄い魅力があるシリーズなのか?しかし劇場主はあわてず騒がず、劇場で鑑賞しようなどとは考えなかった。ビデオで充分であろうと推測し、今回鑑賞するに至った次第。

まとまりのある作品だと思った。起承転結がはっきりし、ギャグはギャグ、アクションはアクション、友情や愛情などを上手く話に盛り込んで、最終的には時代劇にお約束の結末となるよう、まとめ方がしっかりしていた。

新しめの時代劇と考えると、この作品は若い観客に受け入れられた企画であるから、今後の時代劇の方向性を示す、ひとつの道筋と言えるかも知れない。少なくとも昭和の時代劇より新しい、優れた企画だったはずだ。

芸人のコントと同じ調子のギャグが盛り込まれていたので、その点が良かったのかも知れない。黒澤映画やドリフの時代のギャグでは、観客は興味を維持できない。時代考証を無視してでも、コントには新しさが必要なのだろう。

どこか分からないが、実際の城を舞台に戦闘シーンが展開されていた。かなり大きな城で数十万石の大名のものではないか?湯長谷藩の規模を考えて、適切な規模の城だったのか、少し疑問を覚えた。よくは知らないので、あれで正しい規模だったのかも知れない。

佐々木蔵之介を初めとする出演者達のキャラクターは、およそ前作と同じだった。続編を面白くするためには、新しいキャラクターが出てくることが望ましい。「パイレーツ・オブ・カリビアン」を参考にすれば、直ぐに理解できる。その点で、この作品は失敗していると思う。驚きの展開になる要素を、最初から破棄していた。

新規の人物が全く出なかったわけではない。柳生一族の分家が、敵の集団の一角を担っていた。なら、いっそのこと、中心になって活動して欲しいものだ。誰か大事な仲間を惨殺するくらいの、大きな活動が欲しい。農地は荒らしていたようだが、百姓を殺すシーンはなかったから、少し活躍の度合いが足りない。

しかし、そもそも参勤交代にまつわる物語だから、作れる内容に限界があったのかも知れない。架空の海賊達の話のように、海の怪物や死霊になった海賊などを登場させることはできない。あくまで普通の武士や忍者が登場するくらいが限界。だから、仕方なかったのかも。予算も違うし・・・・

さて、このシリーズは次が企画されるのだろうか?劇場主は難しいと予想するが・・・

 

 

 

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