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カテゴリー「ち」の32件の記事

2018年4月25日

チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~(2017)

Toho

- 東宝 -

 

福井県のダンスチームが全米選手権制覇を目指す物語。福井商業高校が達成した実話を基にしているそうだ。   

 

紆余曲折のある展開は素晴らしかった。ただの学園もの以上に、よく練られた脚本だと思う。 主演は広瀬すず。もはや近年の学園ものの映画のヒロインは、彼女以外はありえない状態になっているかも知れない。ヒットが確実に狙える稀有のタレントだ。

 

少し前まで、それは有村架純だったはずだ。その前、それは長澤まさみだった。なぜ短期間で寡占状態が変化するのか分からない。人気が上がるとギャラが高くなって会社側が敬遠することや、顔が知れ渡って新鮮味が失われること、年齢が上がれば学生役は務まらなくなることなどを考えると、当然の帰結かも知れないけど、いろいろな要因があるのだろう。 

 

長澤は凄い美人だから息の長い活躍も期待できるが、広瀬すずはどうだろうか?より庶民的な顔、普通の体型が良い効果をもたらして、三枚目的なヒロインを年齢に応じて長く演じることができそうな気もするし、旬の時期を過ぎた時に、はたして魅力を維持できるか懐疑的に思える印象もある。

 

演技力は、おそらく歴代のヒロイン達より上だと思う。悪女役だってきっとこなすだろう。目つきに特徴があるので、夢見る若い女性を演じると、本当に良い絵になる。今後はきつい性格の役だってやれそうな気もする。夢見る世代を越えたら、どんなイメージになるのだろうか?  

 

昨今は高校のダンス部に注目が集まっている。紅白で大阪の高校生チームが素晴らしい踊りを見せていた。劇場主が高校生の頃はダンスに良い印象を持つ大人は少なく、ダンス部などがある学校は滅多になかったはずだが、教育的に良い効果が期待できることから、今は立派に部活動として認知されている。 それでも長年の意識のせいで、妙なことに熱中していると目されることは、おそらく今でも多いのではないか?  

 

素敵なダンスを見ると喝采したくなるが、少しでも下手くそだと直ちに笑いの対象になる。ダンスは一般のスポーツよりも評価が残酷に出やすい。その点は映画の場合もそうだ。 この作品の踊りは良く練習していたのだろう、素晴らしいレベルに達していたが、超一流だったとは思えない。猛練習しても、一朝一夕で喝采を浴びるレベルに達するのは難しい。体力面はすぐには追いつけない。踊りは本物のダンス部員を中心にして、主役だけ俳優にするほうが、見た目の迫力は出たと思う。スポコンものの作品では、それが原則だ。

 

 

 

2018年3月 8日

チャップリンの移民(1917)

The_immigrant

- Mutual Film

 

移民船に乗ってアメリカへの移住を目指す人々。その中にチャップリン演じる紳士然とした人物もいる。揺れる船の様子や、知り合った娘さんとの、その後の再会などが描かれた作品。DVDで鑑賞。

屋外のロケらしいシーンもある。港の中かも知れないが、なんらかの手段で実際に船を揺らしているようだ。きっと撮影の時に気分が悪くなる役者も多かったろう。

 

 この作品は揺れる船の中での揺れによるギャグ、ギャンブルでせしめた金をめぐるドラマ、移住したけれど金がなくてレストランで困るシーンの三部に分かれている。大男たちを相手にしたギャグが基本となっているが、その中で同情によって人を助けたり、恋愛したりの要素と、悲しい境遇の人達が多数登場することなど、やがての大作につながるものが感じられる。初期のイタズラ好きの人物から、懸命に生きるドジで不幸な人物にキャラクターが少し変わっているようだ。

 

でも、この作品は「キッド」の4年も前で、同年の作品を調べると、他のドタバタ作品の中に埋もれるかのような印象もある。ある本によれば、この作品は当初はレストランのシーンで始まり、主人公が金のない人間で、相手役の娘とはかって船で知り合ったのだという設定を思いつき、話のつじつまを後で合わせたのではないかという。そう考えると自然かも知れない。ドタバタ劇を撮る中で、境遇を変えることで作品の魅力が増すということに気づくきっかけに、この作品こそがなっていたのかも知れない。

 

ドリフのギャグにも、揺れる船のシーンを真似たようなものがあったような気がする。決まって加藤茶が牛乳まみれになるパターンだ。揺れを使うのは単純なアイディアで、おそらくチャップリンが最初に使ったわけではないと思うが、今見てもおかしい。

 

大男の店員を出し抜いて食事代をせしめるレストランのシーンも、単純なんだが笑える。本来は「チャップリンのレストラン」とでもタイトルがつくはずだったのかもしれない。

 

2018年2月 6日

チャップリンのスケート(1916 )

The_rink

- Mutual Film

 

主人公はレストランの店員だが、イタズラに終始して仕事は滅茶苦茶。休憩時間には悠々と近所のスケート場に行き、そこでも騒動を巻き起こしている。レストランの客とスケート場の客の間で起こる騒ぎを描いた作品。

 

監督や脚本もチャップリンが担当。この頃には既に主体的な立場で契約できていたようだ。人気が急上昇し、またアイディアも明らかに良いと判断し、好条件の契約を結べたに違いない。

 

大男の紳士とのやり取りがおかしい。腕力では問題にならない差があるが、スケートの腕や奇妙な逃げ方によって捕まらずに逃げおうせるようになっていて、そこで笑わせる仕組み。これは相手役のエリック・キャンベルという俳優の魅力もあるのだろう。漫才師のペアと同じく、強面路線とどこか抜けていそうな雰囲気で、彼らはたくさんの映画で共演している。短期間に多くの作品を作っているから、仲間通しのほうがやりやすかったのだろう。

 

この作品の存在は知っていた。チャップリンを紹介したテレビ番組で観たことがある。スケートの腕前が素晴らしいので、若い頃に相当な練習をしていたのだろう。その腕前があるから、スケートを映画に取り入れたいと考えたのは当然だ。この作品の他にも、モダンタイムスでデパートの二階でだったと思うが、目隠しした状態で、えらく危険な場所でスケートをやるシーンもある。上手く映画に使っていると思う。

 

この作品はストーリー性に乏しいと思う。レストランとスケート場には、あまり関係はないように思う。不倫をしたい夫婦が登場する場としてレストランやパーティーしかなかったから、そんな設定にしたと思うが、無理が感じられる。作品に悲劇的な要素はなく、主人公は浮浪者ではないし、空腹に苦しむような様子もない。ただイタズラや適当な仕事をやっており、共感できるような人物ではない。後年の悲喜劇のスタイルじゃなく、ただのギャグマンとして演じていたようだ。5年後くらいに「キッド」を作っているはずだが、この時期はまだペーソスを狙う路線は時期尚早と考えていたのだろうか?

 

笑いと涙の路線は斬新なものだったろうから、人気が固定化し、観客も慣れたり飽きたり、新しい企画に誰もが納得するという確信がないと乗り出しにくい。おそらく銀行や会社のスタッフ達も、まったく新しい喜劇を作る前は、かなりの不安があったのではないだろうか?深刻なシーンがあっても、観客は次のシーンで笑ってくれる、悲喜劇でも受けるという確信は、おそらく徐々に作られたのだろう。

 

今で言えば、チャップリンの長尺映画は斬新なイノベーションによるものだった。映画の一大ジャンルを作り出した。この作品はイノベーションの前段階だったようだ。

 

 

 

 

2017年8月30日

超高速!参勤交代リターンズ(2016)

Syochiku

- 松竹 -

前作で参内に成功した湯長谷藩だったが、復活した悪徳老中の手により、急遽国元に帰らないといけなくなる。既に藩は取りつぶし、城の明け渡しまで決まったようだ・・・・

・・・・前作は予想を裏切るヒットだったらしい。「まさかの続編!」という宣伝文句が、この作品にはついていた。そんなに凄い魅力があるシリーズなのか?しかし劇場主はあわてず騒がず、劇場で鑑賞しようなどとは考えなかった。ビデオで充分であろうと推測し、今回鑑賞するに至った次第。

まとまりのある作品だと思った。起承転結がはっきりし、ギャグはギャグ、アクションはアクション、友情や愛情などを上手く話に盛り込んで、最終的には時代劇にお約束の結末となるよう、まとめ方がしっかりしていた。

新しめの時代劇と考えると、この作品は若い観客に受け入れられた企画であるから、今後の時代劇の方向性を示す、ひとつの道筋と言えるかも知れない。少なくとも昭和の時代劇より新しい、優れた企画だったはずだ。

芸人のコントと同じ調子のギャグが盛り込まれていたので、その点が良かったのかも知れない。黒澤映画やドリフの時代のギャグでは、観客は興味を維持できない。時代考証を無視してでも、コントには新しさが必要なのだろう。

どこか分からないが、実際の城を舞台に戦闘シーンが展開されていた。かなり大きな城で数十万石の大名のものではないか?湯長谷藩の規模を考えて、適切な規模の城だったのか、少し疑問を覚えた。よくは知らないので、あれで正しい規模だったのかも知れない。

佐々木蔵之介を初めとする出演者達のキャラクターは、およそ前作と同じだった。続編を面白くするためには、新しいキャラクターが出てくることが望ましい。「パイレーツ・オブ・カリビアン」を参考にすれば、直ぐに理解できる。その点で、この作品は失敗していると思う。驚きの展開になる要素を、最初から破棄していた。

新規の人物が全く出なかったわけではない。柳生一族の分家が、敵の集団の一角を担っていた。なら、いっそのこと、中心になって活動して欲しいものだ。誰か大事な仲間を惨殺するくらいの、大きな活動が欲しい。農地は荒らしていたようだが、百姓を殺すシーンはなかったから、少し活躍の度合いが足りない。

しかし、そもそも参勤交代にまつわる物語だから、作れる内容に限界があったのかも知れない。架空の海賊達の話のように、海の怪物や死霊になった海賊などを登場させることはできない。あくまで普通の武士や忍者が登場するくらいが限界。だから、仕方なかったのかも。予算も違うし・・・・

さて、このシリーズは次が企画されるのだろうか?劇場主は難しいと予想するが・・・

 

 

 

2017年2月 5日

超高速!参勤交代(2014)

Shochiku


- 自然な流れ -

福島の田舎大名家に、突然江戸城参内の命令が来る。しかし、藩の財政は厳しく、江戸に行く時間もない。家中は頭をひねって策を講じるが・・・・

・・・DVDで鑑賞。この作品は第二作が作られたと聞く。ということは、第一作は面白かったのだろうと考え、借りた次第。

主演の佐々木蔵之介は、適役だったと思う。昔、NHKの朝のドラマで映画スターを演じていたが、それと同様の偉そうなキャラクターで良かったから、演じやすかったに違いない。大スターの威厳は感じないが、殿様役には向く俳優。

西村雅彦が家老の役だったが、ガニマタを強調しすぎて、少しわざとらしい印象を受けた。キャスティングの問題か、演出の問題か、古い喜劇映画の演技のような印象。少しオーバーすぎただけかもしれないが・・・

深田恭子が遊女役だったが、彼女もいつの間にかベテランの域に達している。若々しさはなくなったが、この作品に限って言えば、若すぎると変な気もするし、あまり本職の遊女めいていないイメージがある彼女が最適だったように思う。

忍術者を演じた伊原剛志は、演技していることが明確に分かってしまう俳優のように思う。よく有名な映画に出てくるが、彼はこんな役には向かないように思う。

家族皆で楽しめる作品ではないように思った。企画として、子供も大爆笑できるような話ではない。ギャグもあるにはあるが、古めかしいセンスのギャグと言えるかも。

それに感動作になる可能性が最初からない企画だと思う。でも全体を通しての流れが自然で、敵はとことん憎らしく、味方は苦しい思いをしていながら結構ドジで、おかしい姿になるように演出され、マイナー企画を佳作に仕上げる技術を感じた。

 

 

2016年11月 4日

チェーン・リアクション(1996)

20cfox

- エネルギー問題 -

シカゴ大学で新しいエネルギー開発に成功した主人公。しかし、謎の組織によって実験室は爆破され、主人公が犯人としてFBIに追われることになる・・・

・・・懐かしい映画。9月20日、衛星放送で鑑賞。たしか前回も衛星放送で観た記憶がある。20年前の作品だが人気があるのか、まだあまり古くなっていない気がする。この作品では血まみれ死体は出てこない。殺しのシーンも表現は大人しく、子供でもかろうじて鑑賞させられそうな印象。家族で楽しめるレベルの、娯楽の条件を守っているようだ。

キアヌ・リーブスは当時のSF映画の常連で、ヒーロー役を代表する役者だった。彼の場合、腕力で一気に事を決するタイプでなく、弱いし脅迫されながら徐々に劣勢を挽回し、最後に勝利するのがパターン。今回もそんな役どころで、キャスティング的にも最適だった。

ただし、いつも思うのだが、彼は走るのが苦手なようで、この作品で何度も逃走している際に、どう見ても捕まらないとおかしいほど動きが遅く、足取りも鈍い。アクションシーンでの迫力には欠けていると思う。もしかすると、もっと動きが良い、華奢なタイプの恐怖感が表情に上手く出るタイプの役者のほうが良かったかも。そんな役者には、今でも需要があるのではないか?

ヒロインはレイチェル・ワイズだったが、個性が生きていない気がする。この作品ではラブ・シーンがほとんどない。ヒロインとしての活躍は、補助的に敵を殴ることぐらい。やや演出不足ではなかったろうか?監督が、彼女にあまり興味がなかったのかも知れない。

ダーク・ヒーロー、もしくは敵役としてモーガン・フリーマンが活躍していた。彼の存在が、この作品では一番大事だったと思う。全くの悪人、自己の利益しか考えず、膨大な資産を有し、権力欲をも満たしている、そんな敵でなかったことが、作品のレベルを上げていたように思う。彼がラストで施設のドアのロックを外すか否かで、主人公達の運命は決まることになる。そこを、もっと強調して描くこともできたのではないだろうかと、少し残念に思えた。あまりにサラリとした表現だった。

エネルギー、特に石油の問題は大きい。いまだに石油価格の変動によって、世界的に財政や政策全般への影響が起こる。サウジでさえも国家予算の余裕が失われつつあると報道されているし、ソ連が北方領土交渉を匂わせるのも、石油からの収入が減ったことが影響しているはず。石油以外のエネルギー源は、はたして出てくるのだろうか?

作品の中でも語られていたが、もし新しい発電技術が開発されたら、株価には大変動が起こるだろう。あおりを喰らって倒産する企業、急成長する企業が入り乱れ、殺し合いや自殺、戦争だって起こる可能性はある。でも、気候への影響を考えると、やはり地下資源を燃やす今の方法は、やがては減らさないといけないだろう。

日本では、藻を使って油を作る研究が進んでいる。コストを下げれば、おそらく実用も可能のはず。もし石油に近い価格になりそうになったら、石油関係の権利者は黙って観ているだろうか?おそらく米国政府を動かし、日本政府に開発予算削減を要求するだろう。断れば、他の分野の貿易を制限してくるはず。その間に、自国で藻を増やす努力をすることも確実。

そんな交渉、圧力、懸命な開発の努力、営業努力が展開され、もしかすると本当にエネルギー革命が起こるのかも知れない。新たな秩序が生まれるだろう。資源大国の力は相対的に低下し、石油をめぐる戦争は減る。原発を減らせるかも知れない。

中東に欧米が関わる理由が減る。すると、イスラエルの危険が増してくるかも知れない。それが火種になる可能性もある。またはイスラム諸国の存在価値が下がり、国力も低下してイスラエルとの共存を目指さざるをえなくなる可能性もある。戦う余裕さえなくなるか、もしくは民衆の力が増して、クーデターによって宗教的過激派が力を増すか、いろんな道が考えられる。

エネルギーへの不安が減ると、金属や何か他の資源が石油に代わって相対的な価値を高め、あらたな戦争原因が発生しそうな気もする。石油の心配がなくなれば、中国はより高圧的な態度に出ることも可能になる。人類のための努力が、意外な展開で逆に紛争の原因になるなら、新エネルギーの管理はよく考え、充分に計画的にやらないといけないはず。

燃料の心配がない、よっしゃあ軍艦をたくさん作って世界制覇しよう!といった無茶な考えを、旧日本軍の生き残りみたいな連中がやらないと良いが、主人公はそのへんを全く気にしていなかったようだ・・・

 

 

2016年10月 5日

チャッピー(2015)

Sony_columbia


- 斬新? -

ヨハネスブルグに導入された警察ロボットの一体が主人公。彼を改良した技師と、ライバルの技師、犯罪者達が彼をめぐってバトルを繰り広げる・・・

・・・・DVDで鑑賞。「第9地区」のブロムカンプ監督が、同じような発想、同じような画像技術で作った作品。なぜかメジャーな興業はされなかったようで、宣伝を見た記憶はなかった。ビデオ専用のような扱いだったのだろう。でも、駄作とは思えなかった。

新しいアイディアがなかったとは感じる。ストーリーは過去のSF映画に何度も使われたパターンで、しかし「ロボコップ」ほどの悲壮感、皮肉はないし、「リアル・スティール」のような明快さもない。何かの工夫が足りなかったと思う。

ストーリーテラーを変える手はあったかも知れない。犯罪者に物語を語らせると、もっとアクの強い魅力ある作品になったかも知れない。倫理上の問題は発生するだろうけど。

会社内部でのライバル争い、犯罪者同士の争いなど、途中がかなり複雑な展開だった点は良かったと思う。ただ、ヒュー・ジャックマンがライバル技術者を演じていたが、彼ではなく、一発で嫌悪感を感じられるような俳優のほうが、あの役には向いていたと思う。あの人物のキャラクター、彼のキャスティングが、この作品の一番の間違いではなかったかと思った。

作品の色づけにも問題あり。「第9地区」のようなゲテモノ、アングラの雰囲気が薄れ、ウリになる個性に欠けている。SONY、コロンビアが作った映画だから、毒に満ちた作品には最初からできなかったのかも知れない。この作品は興業的には一応のヒットをしたようだから、路線としては成功だったのかも知れないが、直ぐに消えてしまうような個性しかない点は、少し残念に思う。

人の意識とは?という問題が、あまりに軽く扱われていたように感じた。意識は、おそらく脳細胞のネットワーク、神経伝達物質の分泌の状況、伝達の活動性や活動パターンによって作られていると思う。短時間でネットワークの状態を再現することは、電子回路の能力から考えて無理があるだろう。

ただし、おおまかに似せて再現することは可能かも知れない。感情を、そのまま人間のようなものとして記録することは難しいとしても、感情が大きく働いた時に代表する特徴を細かく分析し、その組み合わせを様々に構築すれば、かなりの種類で表情や身振りとして表現できるかも知れない。

人間本人が自覚していないような感情、表面上は忘れたような深在性の感情、古い記憶や情動に関係するような深い感覚は、表面の感情とどのように干渉させたら良いのか分からないが、これも近似させることはできるだろう。深い情動部分の回路と、新らしい情報処理の回路を干渉させることができれば、人間の脳に近づく。

機械だから、人間とは違った反応をやってしまうと思う。しかしおそらく人間だって、思わず妙な事をやったり、余計なことを口走って、瞬時にしまったあ~と思う間違いを犯すことは多いから、それを記憶し、その後は少し修正していく作業を繰り返せば、失敗の記憶も含めた感情表現も可能になるはず。

今後、本当に作られるであろう人工知能は、おそらく最初から完全に人間くさい機能には至らないはず。それで充分と思う。何回かの技術的、理論的なブレイクスルーを経て、運転だけはミスしない、あるいはフロント業務が上手いといったロボットができてくると思う。

 

 

 

2016年3月31日

チャイルド44 森に消えた子供たち(2015)

Summitlionzgate


- ユーモア不足  -

ソ連時代の猟奇的殺人事件をめぐり、担当する捜査官とその妻達が経験する試練、そして当時のソ連社会を描いた作品。

DVDで鑑賞。興行的には惨敗した作品らしい。確かに舞台が旧ソ連で、しかも陽気な活劇が全くなく、陰惨で執拗な対決ばかりが続く映画に、多くの観客は耐えてはくれないだろう。

この作品は、その面で最初から限界があった。

原作小説があって、日本でもかなり評判だったらしい。小説を読まない劇場主はさっぱり気にかけていなかったのだが、本屋大賞か何かの賞を取ったそうだ。確かに、この作品の構成力、ストーリーや設定の重さは、レベルの高い原作を想像させる。

最後まで緊迫感を感じながら観ることができた。武器も旧式、派手なアクションで空を飛んだりもないのに、主人公夫婦が体験する恐怖が上手く表現できていたし、二人の間の感情も実感のある、切実なものだと思えた。

ただし、そんな面については万人受けする魅力にはなりえない。若い観客は実感したことがない感情だろうし、旧ソ連の秘密警察は興味の対象外だろうから、基本として若者には受けない作品と思える。子供も同様だろう、。したがって、家族で楽しめる映画では全くない。

もし可能なら、少しユーモアが感じられるシーンがあっても良かったかも。いかに厳しい管理社会だったとしても、そこに住む人々はそれなりの楽しみを見いだし、ジョークだって言っていたはず。ちょっとした笑いを挿入することで、観客の気分をほぐすことだってできるだろうし、怖いシーンがかえって怖くなる効果もあるだろう。

旧ソ連の社会は、想像するに過ぎないのだが、おそらく監視の厳重な管理社会だったと思う。民主的な曖昧さを除かないと社会が不安定化するという理由で、強力な弾圧、強権的な意志決定が日常茶飯事だったように思う。もちろん、これは米国側の宣伝によるイメージだけの、おおいなる勘違いの可能性もあるけど。

今でも、強権的な政治体制の国は多い。現ロシヤも、中国大陸の某大国もそうだろう。強い権力を用いることで、急速な経済発展や社会の安定を維持できる点は疑いない。しかし、官僚的な社会体制の弊害が必ずついてくる。この作品は、その点を見事に描いていたと思う。

 

 

2015年11月21日

チャーリー・モルデカイ(2015)

Lionsgatekadokawa

- 古め -

詐欺師のモルデカイ氏は莫大な借金を抱え、破産目前。彼にイギリス政府から、絵画の探索の依頼が来る。破産回避と一攫千金を目標に行動する主人公は、暗黒街の連中から狙われる・・・・

・・・・とぼけた個性の主人公をジョニー・デップが演じていた。キャラクターはジャック・スパロー船長と共通する部分も多く、イカサマに近いけど異能を発揮して問題を解決できる面もあるという独特の個性が上手く出ていた。

この役が全くのダメ男ではいけない。嘘つきや犯罪者であっても構わないが、何かに優秀で他に代えがたい能力があることが必要。彼の場合は美術に関する能力がそれで、キャラクター設定は良かった。

今回はグィネス・パルトローが主人公の妻役として共演しており、彼女のほうもなかなかのクセモノという設定で、こちらもキャラクターとして面白かった。彼女は、ただの美人秘書にしてくのはもったいないし、歌えるカウンセラーにしても・・・・歌が上手くない。この役は、女優らしい魅力が感じられた。

ユアン・マクレガーも良い役柄だった。主人公の恋のライバルであり、マヌケな道化師の役割も演じつつ、仕事上の依頼人、兼上司と言える立場で、設定として素晴らしい役柄。育ちが良さそうなユアン君は、この役に最適だった。

でも、この作品は作り方が古い印象を受けた。個性のある人物達が登場して、豪華な美術品を争い、ギャング達を出し抜いて最後に勝つ、その間に恋も進展する・・・・そんなおしゃれな映画は、以前なら安定した観客動員が見込めた。でも、今はちょっと時代が違う。

今だと、派手なアクションがないと動員が少ない傾向がある。そのため、トム・クルーズ氏などは老体に鞭うって、飛行機にへばりついたりしている。美人女優や妙な表情だけで客を得ようというのは、もはや難しい時代になったのだ。怖いけど笑えるような、危険だが変なアクションシーンが欲しかった。

やはり敵役は本当に怖ろしい、残虐な人物であった方が良い。その表現方法が問題で、今回は拷問が趣味のロシア人という設定だったようだが、表現が難しい。実際の拷問を見せてしまうと、観客の多くが耐えられない。全く見せないと、今日風の表現ではなくなって、映画の魅力も損なう。

おそらく、殺される人間がたくさん出て、主人公達も危険になるが、むごたらしい死体ではなく、死んでいるところを発見するといった方法で表現するべきではなかったか?難しいところだけど。

おそらく、この作品は子供には受けそうにない。恋人と観る映画としては、全く駄目とは思えないけど、おおいに推奨ともいかない。微妙な印象を残してしまう、そのような印象。少なくとも、今風の興奮は得られない作品と思う。

ひょっとして、年配の人には意外に良い印象を残す作品かも。適度にユーモアがあって、出来の良い古典風映画とも言えるはず

 

 

2015年5月19日

小さいおうち(2014)

Shochiku

- 経済論理 -

戦前の東京郊外、奉公に出ていた女中は、雇い主の家庭と家族同然の関係。ある日、主人の会社の新人社員が訪問してくる・・・

・・・DVDで鑑賞。この作品は日本アカデミー賞を取っているそうだ。それほどの名作かというと多少の疑問も感じるが、まとまった小作品で、出来栄えが良かったのは間違いない。細やかな心情や、戦前戦中の市井の人の姿をよく描けていたのかもしれない。

直接表現は排除された作品で、微妙な演出によって登場人物の感情が浮かび上がるように、芸術的というか、繊細な表現が多かった。

そんな演出の代表は、女中が雇い主である家の奥様を引き止めた時。奥様が急にその意見に従って部屋に戻り、手紙を書き始めるシーン。普通の芝居ならいったんは口論になるか、無視して出かけようという動作、迷いが出てきそうだ。本当に急に部屋に戻っていた。あれは奥様の性格をよく表していた。

強情な女性が、何かの拍子で急に素直に人の意見に従うことがある。多くは、ほんの些細な気分の変化、自分の頭の中での論理の結論によるものだろう。そんな時、自分が言い込められたように相手から目されるのが嫌で、全くの無表情でプイと向きを変えることが多い。表情を隠すわけだ。子供によく見られる反応。強情な大人にも多い(我が家にもいらっしゃる)。

あのシーンは、それを再現していた。もしかして山田監督は、我が家をごらんになったのか?

主人公を演じていた黒木華という女優さんは、これまで全く知らなかったが、この作品で女優賞を取った。助演ではなく、主演女優賞の対象と思う。個性が役柄に上手く合致しており、田舎育ちらしい雰囲気や、ちょっとした動作のタイミングなどが自然で、その人物が何を感じて行動しているのか、誰にもよく分かるように演じていた。若くて体力があるのも理由だろうが、動きのタイミングが素晴らしい。妙に表情による演技にこだわらず、役柄を理解して運動神経を使って表現できる稀有の存在かも。

松たか子も素晴らしかった。彼女は気性の激しい女性の役柄が多い。目鼻立ちから考えても、そんな役柄が合うだろう。若奥様役が似合う年齢になったので、こんな役がしばらくは続くかも。

若い社員役は、できればもっとイケメン俳優のほうが良くなかったろうか?松たか子が可哀そうだ・・・・と、言うと悪いけど。若者は凄い演技派である必要はないと思う。見た目の魅力、セクシーな感じがあれば良い。言葉少なでも振る舞いが美しい男優のほうが、印象が強く残ったのではないかと思う。

女中は、奥様のために大事なところで邪魔をしたのだが、その際の心情が一番の問題で、美しくもあり、また疑問も残るところ。女中は、奥様を人として愛していたと思う。家族を守るのと同じ感情で、奥様の邪魔をしないといけないと考えたのは間違いない。

でも、その他の感情がなかったか?その点を疑わせる演出だった。例えば、ボーイッシュな友人が女中の心情を察する点から考えて、ホモセクシャルな愛情が全くなかったかは微妙。さらに、若い男を廻る妬みのような感情が、女中嬢に全くなかったかも微妙。

その微妙さを、微妙なままに描けていたのが、この作品の素晴らしいところと思う。

原作があるらしい。戦前や戦時中の一般庶民の感覚について、どのように書かれているのか気になる。一般の人には当面の景気がどうかのほうが気になり、長い戦争になって物資が不足し、自分達の命に関係してくるなど、思いもよらなかったのかもしれない。日本が大陸に進出(侵入)したことは、大陸側の人々にとっては災難のはずなのに、良いこと、当然のこととしか感じられなかったのかも。

したがって、この作品の表現は、他の国からは非難されてしかるべきと思う。市民の正直な感覚で描かれているかもしれないが、配慮が足りないという見方はできる。反省の色が見あたらない、自分達を犠牲者のように描いているといった批判は覚悟すべき。

いっぽうで、物騒な国際情勢、経済情勢と関係なく、この作品で描かれた世界は本当に小さく、優しさと愛情、心配や細やかな配慮に満ち溢れ、美しいものだった。不倫話でさえ、当人には大きな問題でも、当時の日本の情況を思えば些細なこと。生活の一頁のようなもの。普通の人の感覚は、きっとそうだろう。戦争で悲惨な結果が来るなど、毎日考えても仕方ないのだから。

南北戦争当時のスカーレット嬢は、戦争のことより自分の恋のほうが大事だった。女子のかなりの人は、そんなものかもしれない。この作品は、慎ましい日本版スカーレットを描いているようにも思える。・・・・でも、だいぶキャラクター違う、特にレッド・バトラー役が。

実際に当時の庶民感覚はどうだったのだろうか?モボ、モガの時代から、どんなに変遷したら軍国主義に納得できるのか、理解は難しい。たぶん、納得なんてしてなかったはず。

当時は、特に戦時体制になってからは、自由に物を書いたりするのは難しかったはずなので、本音は不明。想像くらいしかできない。戦後の引揚者に聞いたかぎりでは、皆が軍国主義だったとは思えない。彼らの言葉を信じれば、現地の人たちと仲良く隔てなく接していた人も多かったらしい。

今でも似たようなものかも。ヘイトスピーチをやる人間もいれば、差別意識の全くない人、婚姻関係に発展する人も珍しくないから。

作品の中で、会社の人間が日中戦争について語る場面があった。自分達の仕事を考えると、大陸は良い市場で商売が大きくなるから、進出には大賛成、軍部にも応援、外交交渉は生ぬるいといった勇ましい態度になるだろう。当時はどこの国もそうだったし、今だって多くの国が実態はそのまま。

しかし、そんな人でも、目の前で野蛮な行為や差別が行われていれば、好意的には感じないと思う。利益がかかっていたから、侵略も商売の一環、当然の権利と考えたのでは?自分は野蛮で悪辣なことはしていないと。

あのシーンで侵略を勇ましいと評していた人たちは、悪人ではなく市井の一般人で、当時なりのイノベーションを目指した事業家、税金もちゃんと払う良き市民、そして良き家庭人でもあったと思う。

たぶん規模は違うが、欧米の資産家達も同様に、中国市場を日本が奪うのは許せない、自分達こそ覇者となるべき権利がある、日本は良い商売の相手だったが市場を渡すわけにはいかない。不景気を打破するためにも戦争は必要・・・そんな思惑があったかも。

結局、中国市場は共産圏に取られたから、米国投資家にとっての大戦は空前の大失策だったかもしれないけど、当面の景気対策としては最高だった。それに、日本と中国が合体して欧米資本の手が届かない社会が巨大になったら、それは彼らにとって最悪。禁輸措置を徹底して、日本を潰すしかない。

ビジネスだから権利を主張する。自由な貿易を阻害するな・・・という感覚は、自然な流れとして非道な行為につながるのが現実。ただし、それがないと景気も技術も沈滞し、社会が発展しない。大いに主張して利権を確保した勢力が、結局は生き残っているのが現実。野心がないと人は頑張らない。欧米諸国が人道主義に徹していたら、世界は中世のままだろう。

大きな流れの中で、良き市民も侵略に加担し、結果的には極悪非道の一巻を担う。これは残念だが現実で、誰かが止めることは難しい。やってる本人達には、自分の行為の意味が解りようがないから。大陸に進出した企業家、移住者達に文句を言っても、わけが解らなかっただろう。したがって、今後も同様のことは起こると思える。

筆者がもし戦前の日本に育ち、何かの事業をやってたら、大陸への進出をどう考えただろうか。現地の人が困るから反対? 

おそらく否だ。「俺は現地の人を虐げず、従業員に雇って給与を与え、現地の発展に寄与する。だから進出は是である。」と、考えるのではないか?資金を投入してしまえば、「工場進出は契約で認められた権利で、邪魔するのはテロリスト。」 → 「住民が反対運動を起こすのは、テロ行為だ。」となるだろう。筆者の人格のいかんは、あまり役に立たない。

今後、日本もそうだが、どこかの国同士が経済的な理由で対立し、権利の調停が上手く行かなくなったら、かってのような狂乱が起こらないとも限らない。日本にその意志があろうとなかろうと、自国の苦境を脱するために仕掛けてくる勢力があってもおかしくない。

かっての帝国主義やブロック経済は、ビジネス追求の結果、自然に生まれたものではないかと思う。正しいという意味ではなく、成り行きのままだとそうなるという意味でだが。今日だと、帝国主義的な行動は民族の権利を侵す悪徳と考えられるが、自由な商売、契約の遵守、投資と利益の回収といった理屈を追求すると、武力を背景にした支配被支配の関係にたどり着きやすい。国際条約で調停できれば良いが、争いになるのも珍しいことではないから。

資産の過剰な集中についても同じかも。危機を乗り越え、資産を増やし続けるのは一定の規模があって、リスクに耐えられる巨大資産家、巨大企業だけ。自然な流れで、資産はピケティ流に集中しやすい。 自由な投資、規制緩和、課税から逃れる海外流出などによって、国内は予算不足、沈滞が基調になり、貧困層が結婚もできないとしても、それが自由な経済活動の帰結。

でも、おそらく自由なままではいけないのだろう。流れは、法や条約、税金で調整しないといけない。調整が悪いことのようにいう論調は、もともとありえない。こんな状況だから、アベノミクスの理屈はやはり20年くらい遅れているのかも。

 

 

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