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カテゴリー「た」の62件の記事

2018年10月18日

大砂塵(1954)

Johnny_guitar

- Republic Pic. - Johnny Guitar               


町外れに鉄道の駅が計画されている。それを見込んで酒場を作った女と、町の住民が激しく諍うところに、ギターを抱えた男がやってきた・・・・DVDで鑑賞。    


おそらく、この作品もツタヤの特集コーナーに並んでいなかったら、まったく気づかないままだったと思う。主題曲は有名で何度も聞いたことがあったが、作品についは知らなかった。鑑賞してみて思ったが、かなりは理解不能の作品で、凝ったストーリー、長いセリフの時間帯が気になった。名作とは言えないが、迷作と言える印象。            


優れた点も感じた。利権を狙う野心家と旧来の住人との諍いは、いつの時代にも起こりうる問題で、リアルな設定と思った。また、女同士の争いが町の人々を巻き込んで、殺し合いに発展する流れも映画的で面白かった。      


敵役を演じていたマーセデス・マッケンブリッジという女優さんは大演説をぶちかまして、まるで米国の政治家のようだった。扇動者は、似たような話し方になるものらしい。主役のスターリング・ヘイドンは、それに対してあまり魅力的に感じなかった。演技も特に上手い印象がなく、動きも遅そうで、あれでは撃ち合いでは負けると思う。           


悪役のアーネスト・ボーグナインは明らかに図抜けて素晴らしい。存在感は彼のボスよりも断然あったし、彼なりの考え方に納得ができた。素晴らしい悪役がいたので、もっと彼との対決をメインに持ってきたら良かったと思う。    


ヒロインのジョーン・クロフォードも激しい演技ではあったが、ヒーローに対しての心にしみるような強い愛情は感じなかったので、この作品を恋愛ものと考えると失敗していたはずだ。ガンファイトものとしても、それほど激しい銃撃戦がなかった関係で、魅力は今一つではないか? 何をウリにしたかと言えば、音楽や仲間割れ、裏切りや嘘でリンチが始まる社会問題など、西部劇には珍しいストーリーだろうか?     


捕まった青年に司法取引を申し出て騙すシーンがあった。相手は犯罪者だから、嘘をついて証言を得ても良いという意思決定の流れは、実際にも起こりそうだ。米国人の考え方をよく示している。人種が違えば、当然のようにやられていただろう。インディアン達や旧日本軍とのやりとりでも、おそらく同じような手法は使われたはず。  


戦後の日本企業との訴訟でも、やはり同様だったはず。訴訟にならなくても、様々な交渉において、見事な裏切り、嘘に満ちたやりとりが成されたに違いない。戦前の外務省も、戦後の政治家たちも酷い目に遭ってきたと思う。この作品では民主的な形をとった判断で、結果としてヒロインは財産と商売の手段を失い、冤罪によって生命の危機に陥った。恐ろしい話である。






2018年8月13日

民王(2013)

Tamiou

 

- 文芸春秋社・文庫版 -   

 

総理大臣になったばかりの武藤は、自分の人格が息子と入れ替わっていることに気づく。国会答弁や党内外の調整に四苦八苦しながら、隠された陰謀を暴こうと努力するが・・・・  初版は2010年らしい。2013年に刊行された文庫本を購読。   


この作品はテレビドラマ化されていた。予告を見た記憶があるが、放送は見なかった。物語の性格上、役者たちの演技がオーバーになりそうな予感がしたので、敬遠してしまった。   


国会答弁で漢字を誤読していたのは、明らかに麻生元総理の実際の話だが、「未曾有」の読み違えは、そのまま作品の中に登場している。麻生氏に断ったのかどうか気になった。事実とはいえ、本に載せるのはマナー的にどうか? そして酩酊して記者会見に臨んだのは、中川元代議士の話だろうが、彼は自殺してしまっており、そもそも笑える話かどうか疑問である。モラルの観点から、そして遺族の心情を考えた時に、書くべきだったか微妙な印象は受けた。ただし、自殺したからといって同情して酩酊会見の話題だけ描かないのも不自然。   


あの時期、たしかに政治家たちの言動に呆れることが続いていた。スキャンダルや人気の低下で、内閣が短命に終わっていて、今の安倍総理のような長期政権が誕生しそうには、とても思えなかった。 個々人の能力に関しては、一般の会社員のレベルよりずっと下なのであろうと、各々のエピソードで感じてしまった。会社であれをやったら、即クビにされても仕方ない。クビにならないで済むということが、なにか制度上の問題を感じさせる。優秀な人が選ばれない仕組みができているということだ。 


他にも能力を疑う話は多かった。大臣になると、自分の専門外のことを理解しないといけないし、それも短い期間で学習する必要があり、誰にでもできることではないと思うが、それにしても一般常識の範囲で妙な事例は多かった。   


中川氏は学業優秀だったらしいが、たぶん鬱病でアル中だったのではないかと想像する。職務に従事できる状態ではなかったのだろう。親も自殺しており、地盤の利害などもあって代議士にならざるを得なかったはずで、もともとが真面目過ぎて議員には向いていなかったのかもしれない。  


地盤がものを言う選挙制度、二世議員を選ぶ民意のレベル、それを可能にしている法律、それら全てに欠陥があるのだろう。おそらく、収賄や選挙違反を含め、職務に関わる不正が明らかになった時、代議士はもちろん、事務所に登録された人間、親族に至るまで、全て被選挙権を奪うくらいの法律が必要だ。そうしないと、頭だけ代えた団体が利権を狙い続ける。国政にとって何が必要かには、あまり興味がない人間が選ばれ続ける結果になる。そうならないはずがない。そんな制度で良いはずがない。後援会組織は、代議士と運命を共にしてもらって良いと思う。それで憲法にひっかかる面はないと思うし、憲法上の問題があるなら、まず憲法のその部分の条項を変えないと国が危ない。  


 


 



2018年3月17日

ダンケルク(2017)

Dunkirk

- Warner Bros. -

 

ダンケルクからの撤退を、一兵士、戦闘機パイロット、民間船の乗組員などの視点から描いた作品。クリストファー・ノーラン監督作品。DVDで鑑賞。

 

ドラマとしては、あまり劇的なものは感じなかった。ほとんどの時間は沈没か爆弾の恐怖におびえる兵士の表情が描かれるだけで、際立つ英雄に相当する人物は少なく、過去の戦争映画のような活劇的な盛り上がりは考えていなかったようだ。

 

しかし、疑似体験の意味では非常に高度な作品。実際の戦場で英雄を目指す兵士は滅多にいるものではないはずで、どう生き残るか、敵から逃れるかしか考えられないことがほとんどのはず。銃弾が飛び交う中では、目立つのは危ない。そこを的確に描けていた点では優れていたと思う。  

 

特に船が沈没していく様子に、とても迫力が感じられた。過去の映画だと、血まみれ死体はたくさん出て来るが、船はゆっくり沈んで、英雄たちが何かを語る時間がたっぷりあった。演出過剰だと感じることが実際にほとんど。演出を排除すると、芸術性や訴えかける力が損なわれるという観念が主流だったのだろう。  

 

でも船内にいたら、あっという間に水が入ってきて、その勢いに抵抗する間もなく、外に逃れることが叶わないまま、悲惨な最期をとげる人が多いはず。船内で水が満ちていく時の恐怖は、この作品では強調されていた。ヒーローがさっさか逃れる作品は、もう嘘くさいと考えたのだろう。

 

スピルバーグ監督の作品でさえもそうだった。上陸作戦はリアルに描かれていても、ヒーローは信じがたいほどの活躍ぶりだったし、ゆっくり盛り上がりそうなセリフを述べていた。そこを排除するのは、勇気の要ることだろう。何を言いたいのか分からない作品だと、コケにされても仕方なくなりかねない冒険だった。  

 

冒険は成功したのかどうか、ちょっと微妙な印象。疑似体験をさせるなら、主人公は明確に一人に定め、他の人物はあくまで脇役、主人公と関わるだけに留めたほうが良かったと思う。たとえば戦闘機パイロットは主人公の兵士の兄か友人でないかぎり、顔を出す必要さえない。視点を複雑にして戦争の全体像に迫る方向と、疑似体験の方向は、相いれないものではなかろうか?  

 

BBC制作のダンケルク作品も変わった作り方をしていた。それでも、あれは旧来のヒーローが多数いる設定の作品だったようだが、分かりやすさの面では、このノーラン監督作品よりは完成されていた。

 

2018年3月 2日

ダンケルク史上最大の撤退作戦・奇跡の10日間(2004)

Bbc

 

- BBC -

 

第二次大戦初期、ダンケルクから奇跡的な脱出を遂げた英軍の作戦を描いたテレビドラマ。BBCの作品に外れはない。どこかの国の放送局とは違うので鑑賞。DVD版だったが、3部作になっており、全体では3時間近くだろうか、非常に長かった。

 

変わった作り方をしていて、実在の兵士の話を参考に、演じている役者たちがインタビューに答えながらドラマを演じていた。手法としてはリアルさを損なった面があると思う。インタビューは余計で、兵士の独り言などを使っても全く問題なかったと思う。

 

俳優たちの多くは知らない人だった。ガンバーバッジだけは有名だが、彼が主役というわけではなかった。群像劇という形式で、各地で活躍した兵士たちの個々の活動をリアルに描こうとしていたようだ。

 

作戦は有名だから何度も聞いていたが、一致団結してスムーズに行われたようなイメージを持っていた。霧に助けられて、ドイツ軍が気づかないうちにさっさと全員が逃げおおせた、出し抜かれたドイツ側が歯ぎしり・・・そんなイメージ。ノルマンディ上陸作戦より派手さが足りない。

 

でも作品で描かれていたように、英国政府の内部や連合軍の首脳との間で激しい論争があり、きわどい成功だったというのが事実かも知れない。すでに戦いは始まっており、まさか本当に講和を画策していたとは信じがたいが、考える人がいてもおかしくはない。第一次世界大戦で数十万単位の兵士を失った記憶が強かったろうから、戦争を継続するなんて非常識だという感覚はあったと思う。英国は立ち直っておらず、予算も全然足りなかったはずだ。

結果的チャーチルは英雄になったが、もし彼を支持する閣僚が少なく、世論も講和ムードが大勢を占めていたとすると、好戦的過ぎる人物として排斥され、失脚していたかも知れない。予算がないぞ!そんな意見もありうる。かなり微妙な場面があった可能性はある。そもそも電撃戦をやられてしまわないように、準備できていなかった点は失策だろう。

 

本当にドイツとの交渉は厳しいものになり、英国軍は再建できず、ドイツに従属する運命だったのだろうか?米軍が存在する以上、まさかドイツ軍が英国本土を占領し、英国を戦争から排除してしまうところまでは持っていけないだろう。和平交渉は可能だったかもしれない。兵士を失わないなら、捲土重来は可能と考えることもできた。

 

でも万が一、ドイツ軍が先回りして海岸を支配していたら、そもそも救出は全く不可能だったと思う。制空権がカギだった。英空軍がドイツ空軍の活動を抑えて自由にさせなかったから作戦が可能だった。30万人以上の人間を移動させるのは、何の妨害のない平和な今日でも大変な話。おそらく一般人たちが相手でも大混乱に陥り、長期化してしまうと思う。

 

満州からの引き上げの話を何度か聞いたが、英軍と比べて旧日本軍は誇りや作戦能力、意志や意識の面でずいぶんと差を感じる。攻めている時は優れていても、撤退の時は作戦慣れのようなものが必要で、一瞬にして何が必要か考え、適切な対処をとるという基本ができていなかったように思う。もちろん、現地を侵略していたことが最悪なんだが。

 

 

 

 

 

2018年1月13日

たかが世界の終わり(2016)

Its_only_the_end_of_the_world

 

- Entertainment One etc. -

 

自分の死を家族に告げるために家を訪ねた主人公。しかし、家族を前にすると話を切り出せない。家族の間にギクシャクした空気が流れる・・・・DVDで鑑賞。

監督と原作はグザヴィエ・ドランという方で、フランスの有名な俳優がごっそり出演したか?と思えるほど豪華な出演者が演技合戦をやっていた。特に強い印象を受けたのは母親役。子供達から敬意をはらってもらっていなかったが、それに対抗できている点がよく表現されていた。

 

遠近を強調した映像、小津安次郎ばりのアップを使った会話のシーンが印象的だった。でも、失敗作では?という印象も強い。アイディアは良かったはずだが、少しテンポに問題があって、観客が観ていて耐えられなくなる間合いではなかったかと思う。

 

しっくりいっていない家族の関係はよく分かった。表現が良かったからだろう。主人公が家出同様に都会に出て以後が疎遠であること、性的な問題により理解されていないことが大きな原因らしいが、残った家族の間でも諍いが多い元々の家風のようなものが、妙な雰囲気からよく分かった。実際にも、あんな感じになるのかもしれない。

 

でも、それでストーリーが転ぶ流れ、帰結に至るまでの必然の経過は表現できていないと思う。観客が、「ああ、こんな家族関係なら、こんな結末になるだろうね。それでも、こんな家族は好きだなあ。」と納得できないと、満足感に浸れないはずだ。

 

深刻な内容の話であるから、基本はアップテンポなほうが、鑑賞に堪えやすいという点では好ましい。基本は喜劇タッチであるべきだ。それに時々テンポを遅くして涙を誘ったり、時々笑える話を持ち込むといった調子の変化は必要だろう。気まずい家族の雰囲気を延々と演じられると、観客も気まずいというものだ。

 

家族の関係とは、なんと難しいものだろうか。許されるなら、人は自由に人生の選択ができるべきで、何を選んでも批判されないほうが良いのだが、私の父も兄の生き方を激しく、しかも執拗に批判していた。兄夫婦もしまいには腹を立てて絶縁状態になってしまったが、わが家があんな風になるとは子供の頃は考えていなかった。仲が良く、希望に満ちているような感覚だったから。

 

おそらく成長していくに従って、親の希望と子供の現実の違いが明らかになり、憤懣が募って悪い関係がどんどん重症化していくのだろう。劇場主自身も子供に大きな期待を持っていたが、障害が明らかになってからは無理なことは言えないと悟った。でも障害が軽かったら、もっと腹が立っていただろう。どうしてできないんだ!などと怒っていたに違いない。

 

子供を誇れないことは悲しいが、もちろん世界の終わりを意味するほどのことではない。子供だってなんとか生きていけるだろう。常に尊敬されながら雄々しくとはいかなくても、それなりには生きていけると信じる。諦めというのだろうか、自分ができることやるべきことには限りがあるように思う。

 

 

 

2018年1月 7日

太陽にかける橋/ペーパー・タイガー(1975)

Paper_tiger

 

- NBCuni -

 

第二次大戦の英雄が日本領事の子供の家庭教師として採用された。しかし、彼は子供とともに反政府グループに誘拐されてしまう・・・・12月3日、衛星放送で鑑賞。

 

主演はデビッド・ニーブン。当時の彼は65歳。相手役として三船敏郎が大使を演じていたが、アクションを演じるわけではなく、ただ素振りを一瞬やるだけの、あんまり活躍しない相手役だった。東洋のスターを使ったことに意味があり、特に三船独特の迫力を求めていたわけではないように感じた。

 

撮影の舞台となったのはシンガポールか香港かどこかで、特定の国ではなく東南アジアの架空の国を想定しているようだ。大臣が白人で、やたら外人が多い妙な国だった。カンフーアクションも少し出てくるし、一応はカーチェイスも少しあるのだが、迫力の点ではまったくいただけなかった。

 

演出の方法にもおおいに疑問を感じた。古いテレビドラマのような適当な演出だと感じる。十分に計算して、時間やタイミングを練った様子がなく、スタントマンや俳優たちの体力に任せて撮影されたのではないだろうか?そのかわり、俳優たちの動きは機敏だった。

 

良い話だった。戦争の英雄が実はそうではなく、嘘とホラ話に満ちた虚言癖の人物という設定が良い。そんな人物が必要に迫られて本物の勇気を出さざるを得ない・・・そんな物語はたくさん見てきた。この作品も、全体の流れは悪くないと思う。ちょっとした演出のセンスが、何か足りないような気はしたが・・・。  

 

太陽に・・・という邦題は、戦場にかける橋にひっかけ、東洋の日出る国に親近感を示す意味合いがあったのかもしれない。張り子のトラのままでも良くなかったろうか?

 

少年役はなかなか利発そうで、役柄にあったキャスティングをしていた。しかし、残念ながら演出がテレビタッチなので、「チャコちゃん、ケンちゃん」レベルの演技になっている印象。子供が自分の恐ろしい運命に恐れおののくような不安げな表情を見せたほうが、作品全体のイメージとしては良くなったと思う。ヒーローものとは違った味わいが望まれたはずだ。

 

 

 

2017年10月11日

タンゴ・レッスン(1997)

Adventure_pic

- Tango,Sally Potter -

次回作の構想を練る監督は、タンゴのダンサーに弟子入りし、ダンスを扱った映画作りを目指すが、互いの関係は・・・・という流れの話。

この作品は私小説的な作り方をしたらしく、監督自身の体験と、創作された部分と、実際のダンス、本物のダンサーが演技もするし、演出もするという、実験的かつ芸術的な方向性のようだ。

監督自身のダンスは確かに上手かった。完全な素人の動きではなく、ちゃんとバレーなどの素養がありそうな美しい動きをしていた。でも、本職のダンサーほどの体力、動きの切れ、優雅さは感じられなかった。ダンスは、やはり本職に任せるべきではなかったろうか?ダンス映画は、基本としてはダンスを見るために客は来るので、圧倒的な踊りが必要と思う。

監督の演技も悪くなかった。悩みや怒りを上手く表現し、気持ちを分かりやすい。でも若々しくないし、見た目だけで観客を惹き付けるような魅力は感じられなかった。仮に踊りが下手でも、スタイルだけ素晴らしければ、男性客は怒らない。監督は、見た目で損をしていた。

相手役は本物のダンサーだそうだが、テレビで見る本職のダンサーは、もっと動きが速いように感じた。世界大会の映像を見ると、もっと体の細いダンサーが、目にも止まらぬステップを披露している。今回の相手役は優雅に踊っていたが、体格や素早さをウリにしたダンサーではないようだ。その点、ちょっと不満に思えた。

ラスト近くで、ヒロインを交えて4人のダンサーが踊るシーンは、非常に優雅で味があった。二人で川べりを踊るシーンも美しい。踊りを美しく撮影するセンスが素晴らしかった。そのいっぽうで、突然主人公が歌い出すシーンは、中途半端なミュージカルのようでチグハグな印象を受けた。途中で調子が変わるのは、学生映画のようなノリに思える。

この作品は、女性用の映画だろうと思う。芸術映画を好む男性でも、おそらくヒロインが替わらないなら作品に対する評価は低めになる。ヒロインが本職のダンサーか、本職の女優なら男性からも評価される。ストーリーも、あえてヒロインを映画監督に設定する必要などない。

基本として、私小説は小説だから許されると思う。映画では好ましくない。チャップリンやウディ・アレンはよく自作自演しているが、ダンスをウリにしたりはしていない。ダンスを見せる際は、多少上手い程度ではダメなんだ。圧倒的な巧さが必要なのだ。

 

 

2017年9月29日

大西部への道(1967)

The_way_west

- MGM -

カーク・ダグラス主演の西部劇。DVDで鑑賞。西部を目指して旅する集団の物語。3人のヒーローが登場し、それぞれが個性豊かに、各々の役割を持って演じていた。

主人公は結局死んでしまう。しかも、わりとあっさりした死に方だった。大活躍するとは言えない活躍ぶりで、ヒーロー的に描かれていない。そこが狙いだったのかも知れない。ただ活躍するだけの底の浅いヒーローでは、話が軽くなってしまう傾向があるから。

リチャード・ウィドマークは、劇場主の感覚では悪役のほうが向いているように思う。この作品なら、主人公のほうを演じると良かったかも知れない。ヒネた役を好むカーク・ダグラスが、役を取ったのだろうか?

ロバート・ミッチャムはタフネスと、病気による弱さが混在した人物を演じていた。こちらは彼のキャラクターに合致していたように思えた。本当のヒーローのように、アクション面で活躍していたのは彼だった。その彼も、過去の経緯のせいで暗い部分がある。奥の深さを狙ったキャラクターのようだ。

サリー・フィールドが目立つキャラクターを演じていた。この作品でデビューしたそうだが、お色気や幼さ、たくましさなどが混在した娘を上手く演じていて感心した。良い人物とは言えないのだが、共感してしまう。よく彼女のような魅力的なタレントを探してきたものだ。

各々のキャラクターが、かなり問題を抱えており、リアルで複雑な話になっていた。よく考えられた物語。原作が、深く考えて作られていたのだろう。ただ、鑑賞を終えた後に、奥の深い感動が残ったかと言えば、そうでもなかった。主人公が死ぬタイミングはもっと後のほうが良いし、死に方も皆の犠牲になってといった、味わいに通じるものが欲しい。盛り上げ方に、何か問題があったと思う。

クライマックスと言えるのは、断崖絶壁を降りるシーン。実際に映画のような道具をその場で作ったりしたのだろうか?装置を作るには数日かかりそうな気がする。遠回りすれば、危険度は段違いに下がる。物語用の設定ではなかったのか?大河が作った巨大な断崖は、米国の場合は少なくはないと思う。でも崖に出会う度に装置を作るのでは、日数を短縮することにならないのでは?

カーク・ダグラス演じた男のキャラクターは、ずるいし、嘘つきでもあり、完全無欠にはほど遠い。でも目的のために手段を選ばないから、行動力、指導力があるとも言える。無茶な旅を企画する人間は、こんな個性でないと無理かも知れない。成長、発展を狙う時の指導者像であろうか。

逆に安定成長を狙うべき時期には、無茶なキャラクターは危険。さて日本の現首脳はどうだろうか?

 

 

2017年9月17日

タッカーとデイル 史上最高にツイてないヤツら(2010)

Tucker_and_dale_vs_evil

- Magnet,Earth Star,etc -

中年2人組の男と大学生グループが、キャンプ場でふとしたことから残虐な殺し合いをする話。ブラック・ジョークに満ちたホラー・コメディ。DVDで鑑賞。

作品の存在は知っていた。でも、今日まで観ていなかった。非常に有名な作品とは言えないかも知れない。おそらく日本の劇場ではあまり公開されていないはずだ。R指定もついている。主人公らが切断された足を持って立ちすくむ姿は、趣味の良いものではない。家族でいっしょに鑑賞するタイプの映画ではない。

それでも、非常に面白かった。ギャグ満載の作品にすぎないと思っていたが、話のつじつまが合うように、ちゃんと計算して作られていたようだ。監督、脚本のイーライ・クレイグ氏は、サリー・フィールドの息子さんらしい。小さい頃から映画作りに興味を持っていたのだろう。

タッカーを演じていたアラン・テュディックは見たことのある顔。もう一人は記憶にない顔。でも、二人とも役柄に完全にマッチし、いかにも勘違いされそうな雰囲気がした。

勘違いは、思い込みから発生していたようだ。二人組の妖しげな目つきの男は、娘を襲おうとしているのではないか?それとも男女に関係なく、人を殺すことしか考えていない異常者ではないか?疑いを持たないと危ないので、実社会ではそんな用心も必要だろう。それが結果的に殺し合いを生むこともあるかも知れない。

(北朝鮮をめぐって)

北朝鮮の核ミサイルをめぐる緊張が高まっている。マスコミの報道通りだと、言葉の応酬が尋常でないほど激しいらしい。本当にあんな内容なのだろうか?勘違いも影響していないだろうか?翻訳の際に、意図が介入して過剰な表現に変わっていないのか?互いの言い回しは、本当は意外に紳士的で穏やかなものかも知れない。

北朝鮮は核武装を拡充するに違いない。そうしないと、米国によって政府を転覆される可能性が高い。実際、米国は政権転覆計画を練っているはずだ。核武装していれば、簡単に政府転覆の陰謀は進められない。北朝鮮政権の方針は、彼らとしては間違っていないと思う。自国の政権を、米国によって操作されるのは本来おかしな話だ。米国の長年の姿勢が、北側の過敏な態度を生んでいると言える。

米国は豊かで強い国だが、政策が常に正しかったかどうか分からない。もしかすると太平洋戦争も間違いだったかも知れない。日本と協力して、ソ連と対抗する方針のほうが無駄は少なかったろう。日本に中国を監視させたほうが、今日の状況を考えれば都合は良かったろう。長期的な方針は、もしかすると常に間違っていたのかも知れない。

今後、どのように両国の関係が進むのかは、かなり不安定で予測不能。評論家達の意見は、あまり当てにならないと思う。偶然の事件やちょっとした勘違いによって、殺し合いが発生しかねない。クーデターが起こったら、実態はどうあれ米軍の仕業と言われるだろう。一気にヒートアップするかも知れない。

ロシアや中国は、米国に協力するはずがない。北朝鮮は、彼らが米国と交渉する材料になる。便利な手先として使えるから、緊張が続いてくれることを願っているかも知れない。そもそもミサイル技術は、ロシアの企業を介して伝えられ、ロシア政府が関与していたのかも知れないと思う。証拠は出てこないだろうが、そう考えると自然だからだ。

米側が起こすクーデターは、非常に危険な、綱渡りのような作戦になるだろう。内戦が発生したら、暴発も覚悟する必要がある。したがって現政権の転覆を米側は計画しないと約束することは、双方の利益になるかも知れない。北朝鮮は、そう考えているはずだ。だから裏取り引きが進みつつあるかも知れない。

北のICBMが揃ったら、米側は表立って北朝鮮を非難しないほうが良いと思う。かってソ連が多数のミサイルを保有していた状況と、基本的にはあまり変わらないわけだから、勝手にさせたほうが利口だろう。北が長期的に経済を維持し、政権が安泰なまま続くのは簡単なことじゃない。にらみあっても交流し、手を出さずに自然崩壊を待つのが原則。

北朝鮮としては、ロシアの手先になって国土を戦場にしないこと、政権が安定したまま経済発展することが望ましい。でも発展は諸刃の剣でもある。豊かになった後の不景気は、余計に怒りを生む。発展し続ける国などありえないから、長期的には崩壊も確実と言える。それくらいなら、経済発展せず、貧国のままのほうが良い場合もある。問題は、自然に民政に移行できるかどうかだが、予想できない。中国に政変が起こったら、おそらく波及するだろう。

経済制裁についても、やるべきかどうか分からない。北朝鮮はいろんな国と貿易しているから、完全なシャットアウトは無理だろう。仮に北側が経済発展したとして、米側に大きな不利益があるだろうか?北の軍備の拡充は進むだろうが、かの国はどうせ拡充する方針である。経済発展しても、それで政権が永遠に続くはずはない。国民が何かの理由で怒り出せば崩壊する。貧しくても豊かでも、不満は起こるものだ。対外交流で外国を知った国民は我慢できないから、むしろ積極的に交流したほうが良いのかも知れない。

軍隊を派遣したら、米側の被害も凄いだろうし、中東諸国の例を見ても想像できるが、戦後の管理は確実に難しいものになる。悲惨な道が待つだけだろう。日本にもミサイルは飛んでくるかも知れない。ミサイルで脅迫して何か要求される事態も考えられる。互いに軍事予算を増やさないほうが良いが、そんな意見を聞いてくれそうにない。

予測が難しい状況が続く、それが予測になる。

 

 

2017年8月21日

ダーティ・グランパ(2016)

Dirty_grandpa

- Lions Gate -

妻を亡くした祖父を思いやって孫がいっしょに旅に出た・・・・が、この祖父はとんでもない人物で、孫は振り回されてしまう。DVDで鑑賞。

「ウィー・アー・ユア・フレンズ」で久しぶりに観たザック・エフロン君が気になって、鑑賞する気になった。この作品は、おそらく熊本市では公開されていないと思う。タイトルを見た記憶がない。そもそも劇場公開して良い内容か、ちょっと疑問のハチャメチャ映画ではあった。本国でもR指定がついていたのではないか?ただし、暴れぶりは酷くても、内容には真面目な部分もあった。

主役のエフロン君が覚醒剤で騒ぎを起こすシーンが非常におかしい。覚醒剤を推奨しているかのような酷い描き方だとは思う。「ハングオーバー!」シリーズもそうだったが、ハリウッド映画は、麻薬類の取り扱いに関して寛容すぎる気がする。依存性、副作用に関して何も問題ないと言えるはずはないので、描き方には注意がいるだろう。

その関係で、この作品は子供には全く不向き。恋人と観る分には、あまり悪影響はないように思うが、勧めた側の人格を疑われても仕方ないかも知れない。相手を選ぶタイプの作品のような気がする。

祖父役のロバート・デ・ニーロは、乱闘できそうな動きではなかった。もともとアクションスターではない。したがって、他の俳優のほうが、適役だったかも知れない。肉体派で殴り合いに強そうな俳優か、あるいはカンフーアクションができそうな細身の俳優でも良い。

劇場主は祖父、祖母の記憶があまりない。母方の祖父はたまに遊びに行くこともあったが、入院していたりして、いっしょに連れだってどこかに行くことはできなかった。会話の内容もあまり覚えていない。もし、いっしょに旅行したりできていたら、心の結びつきは随分違ったものになったと思う。

病室でサボテンを眺めていたので、宮崎市のサボテン公園に修学旅行に行った時は、一番小さな品だったが、お土産に買って帰った。差し出した時、大喜びじゃなかったので少し残念に思った記憶があるが、「一番安いので気に障ったのかな?もう一段大きな品が良かったかも。」と、その時は反省した。でも生まれついての貧乏性だから、安物を買うのは仕方ないのである。

劇場主の子供達には、祖父や祖母と旅行する機会を充分に持たせることができた。かなり無理はしているが、自分が祖父母との思い出が少ないことが気になって、なるべく思い出を作ってもらいたいと考える。でも、この作品のように、それで彼らの生き方が変わることは滅多にないと思う。どう影響するのかは分からない・・・・

 

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