映画評

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カテゴリー「す」の68件の記事

2018年9月 6日

スリー・ビルボード(2017)

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- Fox -              


タイトルにEbbingという単語が入っていた。舞台となった町の名前らしいが、確認していない。この作品の監督はマーティン・マクドナーという方であったが、それを知るまでは、この作品はきっとコーエン兄弟の制作だろうと想像していた。コーエン兄弟の作品と、作風に共通するものがあると思う。思いがけない展開になること、暴力の表現の仕方、それにフランシス・マクドーマンドが主演していることも紛らわしくしている。ブラックユーモア、丁寧な人物描写、恐ろしい犯罪行為、意外な展開、それらは上手く調合され、完成度の高い話だったと思う。  


警察署長をしているウディ・ハレルソンは、今までの役柄から考えて、悪役としてキャスティングされたものと思っていた。ヒロインとの頭脳戦が期待できる。ところが途中から人間性豊かな人物であり、ヒロインの敵ではないらしいと分かってくる。どんな対決をするのかという興味から、どうして力ずくで逮捕しないのかという疑問に変わり、やがて意外な事を考えていたのに驚くという流れの変化は、よく考えてあった。     


ヒロインの行動が徐々にエスカレートし、彼女の勘違いによって、けして称賛されないような内容になってしまう変化も、やはり同じ考え方で作られたように思える。意外性が重視されたのだろう。 


ヒロインの息子役を演じていたルーカス・ヘッジスは、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」でもそうだったが、実に上手い俳優だと感心する。ヒネた態度で主人公に絡んでくると、その場がとてもリアルに感じられる。あまりにはまり役なので、今後もっと違った個性を演じた時に、どんな演技をするのか分からないくらいだ。ヒーロー役が務まるだろうか?悪役なら、ヒネた個性は生きて来るかも知れないが、二枚目役はちょっと難しいと思う。どうやって役者として生き残っていくのか、本人には何か勝算があるのだろうか?     


日本で、たとえば殺人事件が発生して、警察の捜査方法に不満がある場合、この作品のような手段で被害者の遺族が世間に訴えることは可能だろうか?おそらく広告業界には自主規制があるはずで、特定の人物、団体を誹謗中傷する広告は許されない。仮に文言を工夫し、中傷や非難が直接的でないようにできたとしても、相手からの訴えがあれば、裁判所がどう判断してくるかはおよそ想像がつく。司法の面からもそうだろうが、職場や近所での立場についても、映画のヒロインよりも厳しい圧力が予想される。理不尽なリストラ、左遷、白眼視、嫌がらせは覚悟しないといけないし、それらは延々と続くだろう。     


しかし、もし極めて裕福な家庭が被害者側だった場合、もしかすると新聞広告などによる手段で、切々と心情を訴えかける内容、攻撃性を抑えた表現にとどめてならば、ひょっとすると広告が可能かも知れない。あまりに気の毒な境遇なら、警察にさらなる努力を期待しようという感情が多くの人に起こるかも知れないので、それを気にした司法側、警察側も、強硬手段には出られないかも知れない。    


おそらく犯罪被害者になった家族の多くは、穏やかな気持ちで捜査を見守ることはできない。犯人が分からないという結果には、とうてい納得できるものではない。よく初動捜査の方法を間違い、被害者家族を犯人と疑って犯人逮捕が遅れることがあるが、そんな場合、どんな補償をしているのだろうか?それこそ、被害者家族が猟銃でも持っていたら、襲ってこられても不思議ではないと思う。

2018年6月24日

スターウォーズ 最後のジェダイ(2017)

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- Lucasfilm,Dizney - 


帝国軍に追い詰められた反乱軍のパイロット達、ジェダイの生き残りのルークを探して修業を積みたいヒロイン、なにかのトラウマにつかれている様子のルーク、帝国軍の中で自分の立場に苦悩するカイロ・レン。それぞれの戦いを交錯させた物語。エピソード8に相当するらしい。DVDで鑑賞。

 

この作品は2018年の日本の興行収入でしばらく1位だったらしい。その記録は名探偵コナンに抜かれるだろうとの報道だったが、この作品が1位を占めていたことに驚いたくらいだ。際立つほど面白い作品とは思えない。過去のシリーズから生まれる期待はあるだろうが、この作品単独で評価したら、失敗作に近いレベルだと思う。   


盛り上がりの要素に欠けていることは間違いない。製作者たちはいろいろ考え、工夫を凝らしたのだろうが、どれだけ精緻に作ったとしても、盛り上がらなければ仕方ないと劇場主は考える。なにかの根本的問題があったはずだ。   


よく出来ていた点も多かった。敵の戦艦が爆発するシーンは、ただの爆発ではなく、複雑な爆発の連続によるリアルで迫力のあるシーンで、実に美しかった。艦船に残った司令官が敵に突撃したシーンは、なかなか鮮やかな表現で、これもよく出来ていたと思う。CG技術者たちの腕は相当なものだ。  


欠けていたと思えるものは、敵のキャラクターかも知れない。魅力的な敵が欲しい。性格が陰湿で、手ごわくしぶとく、誰もが嫌いになる存在。今回は敵の首領がそんな存在だったが、もっと低いレベルの実働部隊のほうが良い。首領は圧倒的な力を持って、味方がただ逃げ惑うだけの怖い役割で良い。現場のレベルでは性格の悪い連中がイジメにも似た悪行を繰り返し、観客の怒りを溜め込ませ、ラスト近くで一気に逆転させて快感を狙う、そんな展開が欲しい。   


ベニチオ・デル・トロが出演していたから、これはどうやら猛烈に濃いキャラクターが登場したかと思ったが、肩すかしの術を浴びたかのような妙に小さな役割で終了してしまった。 敵の艦船に侵入した作戦は、せっかくだから成功してほしかったが、結局なんだったのだろうか? 全体に、今回は味方が活躍して敵を倒すシーンが少なかった。あれでは満足することはできない。    


戦いで満足できないなら、ドラマ部門で満足するしかないが、今回のルーク君はイジイジとしているだけで、共感するのは難しそうな印象を受けた。共感しないなら、ドラマ部門で盛り上がることは期待できない。 多数の観客が来てくれたのは、あくまで過去の栄光の故だたったのだろうと思う。     


味方の側の、黒人の元兵士と東洋系の女のキャラクターもよく分からない。今後も活躍させる方針なんだろうか?かってのハン・ソロは憎まれながらも、最後は味方になってくれて結局は一番のヒーローになった。今回の二人は、ハン・ソロより真面目で、キャラクターとしての面白みには欠ける。ここはデル・トロ君が活躍でもしない限り、その方面の面白さは期待薄となる。


 

2018年5月25日

素顔の西郷隆盛(2018)

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- 礒田道史著・新潮新書 -

 

今年の大河ドラマで西郷どんが放送される関係か、様々な西郷本が出ている。人気歴史家である磯田氏も新書を出していたので購読した。 

 

西郷に関する本は非常に多い。過去に何冊か読んだことがある。西郷は間違いなく日本史の中でも稀有な人気を持つ英雄であり、多くの人から尊敬され、悪い印象を持つ人は滅多にいない珍しい存在だと思う。他の有名人では、悪い面も必ずある。徳川家康や織田信長だと陰険な部分、残忍な部分を感じて嫌う人も多いはずだ。西郷は彼らとは違う。

 

西郷の凄いところは、出世欲、金銭欲を感じさせないところだろう。権力を捨てて国家の中枢から離れている点が、広く評価されていると思う。偉人は多いが、金や権力、名誉欲、支配欲の亡者がたまたま成功しただけの人がほとんどだと思う。西郷が何を基準に自分の道を選んだのか、常人ではなかなか分からない。この本を読んでもよく分からなかった。

 

もしかすると、西郷は自分の人生訓として名誉や金銭欲を捨てることを目指し、それを実行することでの満足に欲を持ったのではないかと、少し感じた。それよりも高尚な、何かの義務感、やむにやまれぬ動機があってあのように行動したのかも知れないが、いずれにせよ一般的な常識を外れた判断があったようだ。

 

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る・・・」という彼の言葉があるそうだが、確かにそんな人間は扱いにくい。弱みを見つけて懐柔することができないし、あら捜しして批判することも簡単ではない。そんな人物を目指すと、みずからの行動は制限され、やがては政権を去らねばならなかったし、政権と戦わざるを得ない運命にあったのかもしれない。彼の目指した姿、彼の信条こそが彼の最後をもたらしたのかもしれない。 

 

西郷には様々な問題点があると思う。彼の信条は非合理性をはらんでいるので、彼を崇拝する連中が非合理性を当然のことのように思い、無茶な行動をとりかねない。過激化しやすいはずだ。集団の中で誰かが合理的なら良いが、全体が非合理的では破滅する。

 

もともと薩摩藩士には「理を言うな!」という伝統があって、理論に走ることを嫌悪する傾向があったそうだが、西郷の迫力の一部は、そんな伝統から生まれたものもあるように思う。ただ、西郷だから良かった姿勢が、欲まみれのエセ西郷によって、妙な施策に持ち込まれてしまうと困ったことになる。旧日本軍の上層部にも伝統的に薩摩藩士の子弟がたくさんいたはずで、薩摩藩の伝統を継いでいたとすると、やはり無茶な作戦に走りやすい。それこそが敗戦の主因なのかもしれない。  

 

むしろ欲深き人物に合理的な施策をとってもらったほうが、無茶が少なくなる。玉砕するのは怖いので、消極的な作戦が多くなるかもしれないが、全滅するよりはマシだろう。西郷は何をやらかすか分からないし、始めたら途中で止めたりしてくれないないだろう。そこが怖い。

 

 

 

2017年9月23日

ズーランダー(2001)

Zoolander


- Paramount -

ベン・スティラー監督、主演のコメディ。モデル業界を皮肉りながら、サスペンスもどきのストーリー、くだらないギャグなどを織り込んだ作品。続編も作られたらしい。DVDで鑑賞。

ベン・スティラーのギャグは、日本人には理解しがたい面があるように思う。米国のようには人気がないはずだ。この作品も、他に適当なものを探せなかったから選んだのだが、たぶん日本人では知らない人のほうが多いのではなかろうか?知らなくても良いかもと思う。

実際のモデルも多く出ていたが、途中でトランプ大統領も登場していて驚いた。当時はセレブの一員でしかなかったから、こんな映画には最適の人間だったのだ。まさか彼が大統領になるとは、この作品公開の当時は誰も考えていなかったろう。今となっては懐かしいデヴィッド・ボーイが若々しく見えた。

ヒロインは奥様だそうだ。映画の作り方として、恋人や奥さんを使うのは、昔の美男美女の大スターならともかく、今日では禁忌に近いかも知れないと思う。夫婦で出演して、喜ぶ客がいるとは思えない。この作品のヒロイン、特に作品の魅力アップに貢献していただろうか?劇場主には分からない。

最高に盛り上がるシーンを挙げることができない。普通ならライバルとの対決、あるいは真の敵との対決のシーンになるはずだ。乱闘、または逆転劇、派手な失敗など、何かがあるはずだったが、必ずしも派手には感じなかった。

モデル達にはおかしな人が多いらしい。会ったり話したりしたことがないので実際は知らないが、少なくとも奇抜な恰好をして裸体をさらけ出せるのは、奥ゆかしい人間には無理だろう、自己顕示欲や競争心の塊ではないかと疑ってしまう。

テレビには時々、そんな個性を生かしてバラエティ番組で人気を得るタレントもいる。頭の回転の良い人は、そのまま俳優になったり、コメンテイター席の常連になったりもする。ただし、およそは短期間の人気者で終わる人が多いとは思う。何かの芸があれば生き残れるが、基本としては見た目だけだからか?

厳しい商売だと思う。浮かれてパーティー三昧の生活をして、体型でも変わってしまったら使えない。少しでも容姿が衰えたら、よほどなスーパーモデル以外は排除されてしまうようだ。俳優やタレントに転身できないと、敗残者になる。そこを彼らはどう認識しているのだろうか?

2017年7月31日

頭上の敵機(1949)

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- 20C.Fox -

ドイツの軍需工場を攻撃している米軍部隊。失敗が続くため、あらたに隊長に任命された主人公は、作戦成功を目指すが・・・・

・・・異色の戦争映画。テーマは作戦の成功ではなく、その代償のほうである。作品の存在は知っていたが、その特徴は知らなかった。時代を考えると非常に珍しいのじゃないかと思う。赤狩りの前に企画されたから間に合っただけで、少し遅れていたら大変な迫害を受けたかも知れない。奇跡的なタイミングの作品かも知れないと思った。

終戦直後にアカデミー賞の候補にあがった作品は、多くが非常に理想主義に燃えている。1950年頃からは映画界の内幕ものなど、戦争や政治とは異なるテーマに作品の趣向が集まっている。おそらく、赤狩りで製作中止にでもなったら資金が吹っ飛んでしまうから、政治がらみの作品に予算が集まりにくかったのではなかろうか?

この作品、主演はグレゴリー・ペックで、最後のほうまで役柄に合っていないような気がしたが、ラスト近くで最後の攻撃に向かおうとして調子を壊した後の表情を見たら、非常にリアルな病人ぶりで、キャスティングされた意味が分かったように感じた。彼の良さは、苦しい状況に陥った時の表情だったのだと、改めて気づかされた。

ある意味で、人間の弱さ、兵士の厳しい環境が描かれた作品だから、厭戦を主題にしているとも思われる。戦後でないと評価されにくい内容だ。興業的には、かなり危険な種類の作品になると思う。

原題はTwelve O'Clock Highで、何のことか分からなかったが、飛行機に対して12時の方向、上方から敵機が攻めてくるという、操縦士達の連絡に使われる言い方のようだ。確かに「何時の方向・・・・」と、よく映画でも兵士同士の会話を聞く、あの言い方だった。

兵隊の中には、一定の割合で精神的に破綻してしまう人がいると聞く。単に勇気がない人がそうなるとは限らず、多大な期待を背負ったり、過剰な仕事、繰り返される緊張で精神に障害が来るらしいので、要は環境と責任が生む病態だろう。強い弱いというより、鋭い人はやられ、鈍い人は影響されないといったものではないか?

兵士ではなくとも、収監されて連日の取り調べを受けた人は、人の心を砕かれるような体験だったと語ることがある。人権を制限され、自由を失うだけで、人は容易に意志の力をそがれるものだ。精神的に強そうな人でも、それは立場によるもので、どのような状況下でも強い態度をとり続けるのは難しい。

 

2017年6月10日

素敵なサプライズ(2016)

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- ブリュッセルの奇妙な代理店 Content Media Coop. etc -

感情を失った自殺志願の富豪が、自分の死のセッティングを依頼した。しかし、気が変わる。彼を殺そうとする業者達は、彼を襲ってくるが・・・・

・・・・オランダ映画だそうだが、フランス映画のような洒落た雰囲気だった。監督のアイディア企画らしい。DVDで鑑賞。

非常に出来の良い、ロマンティック・コメディだった。あらすじは、最初の段階で読めてしまう。でも、ヒロインが非常に可愛らしい女優で、主役も人物像にピッタリはまっており、全体的にセンス良くまとめられ、欧州路線の善き伝統を感じる。ハリウッド流のバカ騒ぎ映画ではない。そこが良かった。

ヒロインは、オードリー・ヘップバーンを彷彿させる女優だった。ジョルジナ・フェルバーンという方だそうだが、他の映画で見かけた記憶はないので、テレビか舞台の女優かも知れない。コメディ以外には、あんまり向かないような印象を受けた。

もし、この役をグラマー女優が演じていたら、おそらく印象が全く違っていただろう。お色気にも色々質の違うタイプがあり、可愛らしさが必要な場合があり、この作品がちょうどそうだったようだ。

主人公はとぼけた風貌で、ダンスが妙に上手い点が笑えた。確かに働く必要のない男は、母親の相手のしながらダンスが妙にサマになってしまうものかも知れない。下着姿で踊るシーンは大人しい笑いを生む。

オランダの富豪といっても、劇場主はほとんど知識がない。かって世界の通商の覇者だった頃のオランダには、きっと財閥が形成されていただろうから、当時だとお城を建てたりしただろう。その一族が、現在どのような暮らしをしているのか、ほとんど知らない。

おそらく投資に失敗しなければ、いまだにスーパーリッチな一族がたくさんいるだろう。この作品に出てくるような富豪も、非現実的ではないと思う。ただ、一族の他の人間(親戚)がいないのは不自然な気もする。財産を狙う親族がからんで壮絶な殺し合いになれば、またそれも面白いと思うが・・・

 

 

2017年4月20日

スーサイド・スクワット(2016)

Suicide_squad

- Warner, etc -

犯罪者達を集めて秘密部隊が結成され、魔女を相手の戦いに投入される話。アメコミを題材にした作品らしい。DVDで鑑賞。

ウィル・スミスが一応の主役だったようだ。ゲテモノ映画、悪趣味な二級品と言えるが、単純に面白かった。狂った悪女役は可愛らしくて色気があり、集団のトップは悪人達より非人道的で、一種のダークヒーロー物語として、設定が良く出来ていた。

生真面目な人物が悪者と戦う場合、真面目すぎて興味を持てない場合がある。お子様映画の鑑賞者になってしまうことを、自分自身が恥じるのか分からないが、集中して観ているのを、ちょっと遠慮したいような感覚に襲われる。その点、主人公らがヒネていると都合が良いのかも知れない。

米国に限らず、キモ系のヒーロー、悪者が活躍する物語は多い。そこらの理由があって、必ず新しいダークヒーローが登場してくるのだろう。

目立たない人物もいた。ブーメランを使う犯罪者は、それだけでは魅力に欠ける。戦闘能力が劣る場合は、性格のずるさを強調すべきではないか?常に下品な悪態を吐くとか、裏切りや騙ししか考えていないなど、他の要素でもって存在感を出して欲しかった。雑誌の人気投票で下位にランクしていて、扱いが軽かったのか?

底の浅い物語ではなく、逆転につぐ逆転の展開のほうがが望ましかったと思う。敵も仲間も互いに嘘をつき、互いに誰も信用できないような展開が面白い。そして形勢が常に逆転するような展開が欲しい。したがって、敵側にも愛嬌のようなものが欲しかった。

魔女役はモデル出身だろうか?顔が可愛らしすぎて、魔女のイメージは浮かばなかった。もっと顔の長い、魔女的な顔の女優ではいけなかったのだろうか?色気満点のグラマー女優でも良かった気がする。

この作品は結構売れたらしいので、もしかすると続編が作られるかも知れない。悪趣味ならではの固定客がいそうだ。ネタがなくても心配ない。キモさはどんどん酷くできるし、残虐さも、どんどんエスカレートできる。際限はない。

 

 

2017年1月 6日

住友銀行 秘史(2016)

- 呆れた善き題材 -

住友銀行とイトマンをめぐる人の動き、暗躍する人物達の行動を、直接の関係者のひとりが語った暴露本。これは明らかに映画の良き題材だと考えた。

第一に、その内容に驚いた。銀行員達は本当に本に書かれているような行動をとっているのだろうか?その驚きは、感嘆ではなく、呆れや失望、怒りに近い。もっと実業的な本来の業務に集中し、自分の出世や人の足を引っ張ることは二の次にしてくれないかと思った。

一銀行が破綻するのは確かに大きな事だが、破綻整理を厭わず、本来の業務、責任を果たすことのほうが大事だろう。社会人として、何か自覚に欠けた部分の多い人が、この銀行には多かったと言われても仕方ないと思う。

作者の記録の通りなら、作者は日中の時間のほとんどを裏工作や情報収集に充てていたことになる。本来の業務は部下達がやっていたのだろうが、上司がおかしいと部下も成果を出しにくいだろう。会社の課長~部長クラスがそんなでは、そんな会社は潰れて然るべきかも知れない。もっと本来の仕事をせい!と、言いたい。

著者は、自分は銀行や日本の経済界のことを考え、悪者を排除するために行動した、義憤にかられたといったことを書いているが、そのままを信じることは難しい。著者自身が出世競争にのめり込み、裏工作や情報漏洩を通じて上層部を排除することしか考えていなかったのではないか、まずそこが怪しい。

この本に書かれていたように、本来の仕事をほったらかしにして勤まるなら、日本の企業戦略の停滞は致し方ないのかも知れない。特殊な例であって欲しいと思う。日々、患者さんに大声出して話しかけ、身を粉にしてサービスしている劇場主の苦闘は、いったい何なのだろうか?ただ銀行に使われているだけなのか?

大企業に勤める人達にとっては、出世競争は大きな問題。殺し合いにならないだけで、汚い手段も日常茶飯事と思う。ヤクザの抗争と、心情的な部分は同じではないか?会社で外様にされると、時にはイジメを目的とした行為で苦痛も受けるだろうし、収入や誇りの面でも不利だと思う。弱い立場に陥るのが怖いから、強烈な行動をとる連中も自然と多くなるのだろう。

真に誇りを持ち、仕事に集中し、その成果に応じて天命を待つ・・・そんな人物でありたいものだが、ライバル達はそれを許さないだろう。誇りある人物が自分の上に立たれたら、自分の浅ましさが際立つし、信条を異とする人物とは協調するのは困難。敵として対処しないといけない・・・そんな風になるもののようだ。だから誇りを持つ生き方を目指すなら、出世は諦めるのが基本となる。

イトマン事件の場合、巨悪はおそらく許永中や裏のヤクザ組織だったのではないかとは思う。当時は暴力団も派手に金儲けに走って、凄い金額を稼いでいた時代。経済に詳しい人物と連携したり、みずから経済ヤクザとなって大儲けをしていた連中も多かったろう。彼らがイトマンに目をつけ、結果的に銀行からの融資を得たのが本態だと思う。

その中で抵抗した銀行員は、完全な悪者とは言えない。敵が敵だから、表立って内部で何かを発言したら、身の危険がすぐ迫ってくる。味方からも簡単に裏切られ、銀行はくびになり、最悪の結果が待っている。裏工作を選んだのは正解だったと言える。その点は差し引いて考えないといけない。でも、出世競争にはまりすぎていたと思う。

今でも犯罪組織が企業に取り込んで、巨額の資金を得ていると聞く。企業が収益をあげようと無理する際に、弱みをつかまれ、強請られたり協力関係にはめられたりするようだ。企業側も政府も、株主総会の日取りを操作したり、法律を整備したり、細かい工夫で成果は出しているそうだが、きっと敵は小さなほころびを探ってくるのだろう。行員の出世競争は、そのほころびのひとつではないか?

許永中は、今も韓国で生存中だという。彼側からの反論が出れば、読んでみたい。おそらく、素晴らしい論理で自分を正当化し、被害者として描いてくるだろう。それも絶対に良い映画の題材になるはず。

 

 

2016年11月 7日

ズートピア(2016)

Disney


- 寛容、協調 -

ディズニー製のアニメ映画。動物たちが仲良く暮らす街で、凶暴化、野生化する動物が出現。捜査を担当するのは、夢を実現するため努力を続けて警官になったウサギ娘。

・・・・DVDで鑑賞。実によくできた話だった。世界中でヒットしているのも分かる。トイ・ストーリーやファインディング・ニモのような感動作とは路線が違うかも知れないが、健全な精神に満ち、家族で楽しめること、ユーモアに満ちていることなど、ディズニー調の独特な伝統に則っていた。

ジョン・ラセターが制作総指揮者になっている。メイキング編を見たら、以前よりさらに猛烈な肥満体になっていて、彼の成功の代償か、あるいは産物そのものの巨体と思えた。しかし、いかに肥満体になっても、彼が参画する作品は様々な面から検討され、観客の喜ぶツボを逃さないようにできているはず。その期待通りの完成度だった。

ナマケモノが役所の窓口を担当し、主人公をイライラさせるシーンはおかしかった。動作がゆっくりであるだけじゃなく、表情の表現も素晴らしく、劇場では大爆笑が起こっていたろうと想像できる。あのシーンのために、この作品はあるのかと思ったほど。相棒となるキツネの詐欺ぶりも、よく考えられていた。

主人公のウサギとキツネの間に友情は芽生えたが、恋心は生じなかったようだ。この点はどうすべきか、きっと検討されたはず。恋愛の要素を排除したのは、作品のテーマを絞る意図があったからではないかと思う。でも、面白さや感動を生むためには、二人を同性にして喧嘩をやらせるか、異性の間で誤解や別れがあったほうが良い。おそらく、同性の幼なじみの間柄のほうが、中心人物の関係としては理想的だったのでは?

アメリカ社会を表現しているのだろうと分かる設定。特に人種のるつぼと言われるニューヨークが、小動物の町並みなどで再現されていた。人種間の対立も、やんわりとだが皮肉をこめて表現されていた。表現のセンスが素晴らしい。見た目や伝統が異なる人種が、どのように折り合いをつけていくか、その点に関してどう表現すべきなのか、そこを考えてあった。

この作品は、イスラム圏ではどのように観られるのだろうか?上映されない国も多いらしいが、想像するに一般の住民、普通の子供達なら、たとえ中東の子供でも理解し、共感する子は多いと思う。劇場主の感覚では、イスラムの教えに反する内容と感じない。でも、過激な連中からすると、おそらく偽善性にからんで、この作品は攻撃対象と考えられなくもない。寛容は、都合が良すぎる面もあるものだから。

寛容、協調の精神は、野心を持つ人達からは攻撃されやすい。宗教的教義に反することや、純粋さを失って易きに流れるから寛容をウリにするのだ!といった批判は、やろうと思えばとことん可能。批判をする人は、それを怖れる人達から畏怖され、力を得ることができる。寛容な勢力に何かの小さな欠陥があると判明すれば、一気に批判勢力が力を増し、世論を席巻することもできる。寛容は攻撃に弱い。考え方がいい加減だ!と言われやすい。

しかも寛容は賛同者からも利用されやすい。寛容な状況は、商売が自由に行われるのに便利。広範囲に利益を求めたい勢力や、現在の体制を維持したい支配勢力には好都合。鎖国に近い体制で国民を守ろうと考える国に対して、寛容さがないことを問題視し、自分らの商圏に取り入れようと攻撃してきた歴史がある。人種差別に寛容だった歴史もある。腹黒い連中に、寛容さは利用されやすい。

利用されずに寛容精神を発揮したいなら、おそらく相手の隠れた腹黒い思惑を明白にできること、その意図する狙いを公開できることが必要だろう。攻撃してくる人間には一定のパターンがあり、方法を間違えなければ対処はできるはず。ルールを作って攻撃や悪用を防ぎ、利害を調停することも可能と思う。つまり寛容=思惑の公開義務が必要と、しっかり認識する必要がある。でも、そんな認識を持つ人は少ない。

寛容精神に基づく場合は、どのような調整努力にも常に激しい抵抗、暴力的批判が待っているだろう。調停を無視して、より大きな利益を目指し、力関係でことを決したい勢力は必ず存在する。想像を絶する強欲、狂信は珍しいものではない。この作品では敵意と悪意が敗北したが、なんだか都合の良い幸運にしか見えなかった。 

 

2016年10月29日

スポットライト 世紀のスクープ(2015)

Spotlight

- スクープ論 -

ボストンで特報を手がける伝説的なコーナー、スポットライトのスタッフが、カトリック教会に蔓延する疑惑を暴いた話。DVDで鑑賞。新作なのに7日間レンタル可能・・・ってことは、人気がないんだろう。まあ、テーマから考えて、そりゃあそうだろうけど。いちおう、米アカデミーの作品賞を取っているんだがなあ・・・と、思ってしまう。

緊迫感がラストまで維持され、作品全体の雰囲気が整っている印象を受けた。妙にドラマティックに演出しようと調子が外れたり、ユーモアにこだわりすぎたり、シリアスに傾きすぎない、抜群のバランス感覚が感じられた。日本映画では、この種の作品はもっと大仰になりそうに思う。客層や、権威に対する意識の違いがあるので、仕方ないかも知れないが・・・

マーク・ラファロは熱血漢の記者役や捜査官をやらせたら、最高に良い味を出す役者。記者役が必要となったら、最初に声をかけられるように決まっているらしい。良い味を出していた。でも、彼だけがヒーローになっていない点で、この作品はセンスが良い。日本映画だと、主役が活躍しすぎるパターンに陥りやすい。

マイケル・キートンがリーダー役に選ばれたのは、劇場主の感覚では意外。彼は喜劇のほうが得意なイメージがあり、この役に望まれる意志の強さ、熱心さ、周到さが彼の場合は滲み出ないのではと危惧される。でも、それは杞憂だったようだ。なぜ彼が選ばれたのかは分からなかったが。

彼が演じたチーフは、過去に性的事件の告発を受けていたのに忘れていたという表現内容だった。本当だろうか?本物の記者は、自分が書く内容を忘れないように思う。一流の人は、実に細かいところまで覚えているように思う。何百と書く記事の、細かいところまで覚えているくらいでないと、文章が重複する。実際は教会内部の事情を認識していて、迫害が怖くて黙っていただけではないだろうか?

この作品は子供が観るような内容ではないと思う。心理面に悪い影響があるかも知れない。家族で楽しく鑑賞するタイプの作品とは全く違う。やはり芸術的な作品を扱う小さな劇場で、静かに、高齢の紳士か、行かず後家、そんな方達に囲まれて鑑賞すべきタイプの作品であろう。

最近、週刊文春が様々なスクープをやっている。資金的にも人員的にも、今の文春は無双状態らしい。大手の新聞では、この作品のような大スクープはできないようだ。しがらみが多く、その力に屈しているのかも知れない。記者という仕事は大変だ。入念な調査が必要だし、圧力を受けながら記事を作らないといけない。ストレスが酷いだろう。

築地市場の移転先が汚染物質対策を怠った件も、最近では大きなスクープ的事件だった。都知事が代わらなければ、そのままだったかも知れない。おそらく、工事法の変更による実質の害はないように思うけれど、信頼度の点では酷く評判を落とし、商店によっては実質的被害を被る所もあるかも知れない。

威勢がよかった石原元都知事が、立場を悪くしている。小池陣営からの復讐、ボディーブロー攻撃と言えるかも知れない。まさか、過去の自分の問題を攻撃されると思っていたかどうだか?この調子だと今後、都知事が交代する度に、暴露合戦が起こるのかも知れない。

やがて日本でも、宗教団体の不正が暴かれる日が来るかも知れない。素人の我々でも、おかしい事象がありそうだと感じる事柄は多い。でも、個人でそれを取り上げると大変な目に遭うと知っており、なにかのきっかけがないと公になることはないのだろう。

性欲に関する規律が厳しい組織は、昔から隠れた行動が蔓延する伝統があったと思う。おそらく少年少女は常に犠牲になっていたはず。日本の寺でもそうだったらしい。ヌード雑誌もあるし、ポルノ業界も活発で、そこらじゅうに性的情報が蔓延している米国内の教会では、規律を維持するのは難しいだろうと思う。

日本の場合は、性的な問題より金の問題が大きそう。宗教団体は税制面で優遇されているから、巨大利権の温床になっている。財政が厳しい今日、資金的に余裕のある団体には課税が強化されても仕方ないのではないかと思う。もっと国民に収益を還元すべきでは?宗教家は、常に清貧であって欲しい。

政治と宗教の関係性についても、怪しい点は多い。宗教団体の立場に理解すべき点は多いとは思うものの、政教分離の方針をなし崩しにする態度は、なにかしら真摯さに欠けると思う。

カトリックの司教達は、おそらくは教会の組織維持のために、性的な事件は隠すべきと判断したのだろう。その結果、新しい被害者を多数生じてしまったのだから、司教は犯罪に荷担したことになる。事情があろうとも自らを律し、真摯に考えるべきだ。自分達を律するからこそ尊敬されるものではないか?

守秘義務というのも難しい。弁護士や医師には守秘義務があって、特に教会の側の弁護士の場合、再犯を予防するための道義的責任と、職務上の守秘義務が相反してしまうので、立場が難しい。犯罪者の弁護は、危険な仕事。この作品では脇役に相当する俳優達が、その微妙な立場を演じていたが、脇役にするのはもったいないほどの名演だった。

 

 

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