映画評

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カテゴリー「し」の106件の記事

2017年4月17日

シェルブールの雨傘(1964)

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- Cine Tamaris etc -

17才のジュヌビエーヴは、自動車修理工のギィと恋仲。しかしギィはアルジェリア戦争に出征。ふたりは離ればなれになる・・・・

・・・・ラ・ラ・ランドを観ていて、急に思い出して鑑賞。ラ・ラ・ランドの場合は、戦争が二人を分かつわけではない。でも両方ともミュージカル映画で、恋愛の経緯に似ている部分もある。あらためてDVDで鑑賞してみた。

セリフを全て歌にしている点が、この作品の特徴。しかも、曲にパターンがたくさんあるわけではなく、ほぼ主題曲だけに限定されているから、本当に独特な作り方だった。独特な作り方が魅力になっている面があれば、魅力を損なっている面もあると思う。やはり無理はしている印象。

アメリカ流のミュージカルでは、人物が急に派手に歌い、踊り出す。陽気に跳んだりはねたりするのが通常で、多くの作品が明るい雰囲気になる。派手なのが基本。いっぽうで、現実からは完全に遊離してしまう。暗い話の場合は、違和感が生じやすい。メロドラマは、フランス流のほうが向いているかも。

この作品は役者が口だけ動かし、本職の歌手が歌を担当しているそうだ。したがって、ささやき声もちゃんと聞き取れる。そうでないと、オペラみたいな大仰な動作、腹から出す声が必要になって、現代の物語を描くことはできない。口パクは正解だったと思う。

細かいアイディアや基本に忠実な演出に気づく。列車で出征する恋人を送ったヒロイン、画像のすぐ後でプイッと去って行く。普通は列車が見えなくなるまで見送るだろう。つまり既にヒロインの心は堅実な判断に傾いていたのか?と、想像できる。ちゃんとオーソドックスな演出をこなしている。

曲が素晴らしかった。ミシェル・ルグランはたくさんの映画音楽を作ったが、この映画の曲が一番素晴らしいと思う。悲劇的なストーリーと相まって、印象深く残った。でも制作当時、監督はそれほど有名ではなかったと思う。しかも、この企画はかなり斬新だ。よく参画したものだ。作品がコケると思わなかったのだろうか?

娘が妊娠して、母親が困ったと言いながら、嬉しそうに孫の洋服を準備するシーンが笑えた。娘の将来を考えて策を練りながら、孫のことは別と認識し、楽しみにするのは、たくましくて、しかも人間的と思う。母親のキャラクター表現として、最高だったと思う。

カトリーヌ・ドヌーヴが非常に痩せていて、メイクのせいか頬もこけていた。役のためにダイエットをやっていたのかも知れない。ラ・ラ・ランドのヒロインは悲劇的な印象が全く感じられなかったが、ドヌーヴは完全に作品のイメージに合致している。メロドラマなんだから、ドヌーヴのような女優のほうが役柄に合っている。

フランスは未婚女性に手厚い保護があるという。でも、当時は女性が独立して生きていくのは難しかったのかも知れない。豊かな生活は、豊かな人と結婚することが今でも大きな条件。米国で映画スターを目指す野心家の娘とは、キャラクターが違う。したがって、キャスティングも違って然るべきではある。でも、一般的な傾向として、恋愛映画では悲劇女優のほうが印象に残ると思う。

ギィ君のほうは、あんまり冴えない役者のように感じた。眉毛を寄せる表情が情けなさ過ぎる。この作品では、ドヌーヴの添え物としてしか扱われていなかったのかも知れない。凄い二枚目、マッチョマン、男っぽい役者だったらどうだったろうかと思った。たぶんスター俳優のほうが女性の観客に訴えるものがあったのでは?

 

2017年2月25日

シチズンフォー スノーデンの暴露(2014)

Citizenfour


- 現実を表現 -

米国情報機関のスタッフであったスノーデン氏は、マスコミに仕事内容を暴露する。身の危険が迫る中、暴露によって国家の犯罪的行為が明らかとなる・・・・

・・・DVDで鑑賞。87回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門を獲得している。映画界の良心を表している。

ローラ・ポイトラスという方が監督しているそうだ。ただのインタビューだけではなく、当事者達の緊張が分かるようなシーンを記録していて、表現の技術が素晴らしいと思う。また作品の中では、グレン・グリーンウォルドというジャーナリストが画面に登場し、世界を舞台にインタビュー、講演、証言をこなし、情報発信している。彼らの行動力には喝采を送らないといけない。

いっぽうで、情報機関側がやったことは犯罪なのか、そうではないのか、そこらの法的な判断については分からない。明らかにプライバシーを侵害して情報収集をやっていたことは確かだが、それを律する法律はないかも知れない。そうすると、違法行為にはならない。各国首脳の通話を傍受しても犯罪と言えないのなら、要するに法や取り決めに不備があるということだろう。

逆にスノーデン氏は、おそらく犯罪者になってしまう。情報、国家機密の漏洩にあたるだろう。また、ロシアに行ったということは情報機関の情報を漏らしたと見なされるから、国家に対する反逆罪にも相当するだろう。罪状が数十個並ぶはず。おそらく就職の時に守秘義務に関して契約しているはずだから、明確な契約違反にもなる。国民に対しては英雄的行為だが、国家機関にとっては犯罪。変な話・・・

スノーデン氏の告発は大きなニュースだった。オバマ政権のイメージダウンにつながったはずだ。共和党政権なら当然やりそうな行為だが、人権派のオバマ氏が許可するとは意外。明らかに個人の権利を侵害しているのだから、何かの抵抗はあったはず。情報当局に押し切られたのかも知れない。でもオバマ氏のような法の専門家から見れば、合法的なのかも知れない。

仮に、たとえば劇場主がテロ対策管理者だったとすれば、凶悪テロを防止するためには、テロリストの情報を見逃すわけにはいかない。テロは悲惨きわまりない。何らかの手段によって、テロ計画を調べないといけない。何が何でも、予防しないといけない。それには通話記録、ネットの通信記録が望ましいと、通常なら考えるだろう。当然である。

そのテクニックを編み出すことが可能と分かれば、急がないといけない。日々、様々なテロ計画は進行中のはずで、同時多発テロ事件のことを反省すれば、想像の範囲の外にいる人物がテロを企画しているのだから、全ての人を対象に調べるのが当然と、結論は決まってくるのだろう。傍受を禁止すれば、おそらくテロは防げない。それが現実。

しかし、権利侵害に関して問題なしとは言えない。公聴会で虚偽の証言をした点は、明らかに違法。情報収集の対象を一般市民ではなく、限定されたテロ集団だけと偽っていた。米国政府が国民を欺いていたことは間違いない。やはり、批判は覚悟して、首脳部は正確に事実を述べるべきだったと思う。

日本も、傍受される側であろう。右翼、左翼、政治家や気鋭の論客といった人物は、必ず調査対象になっている。弱みを記録し、将来圧力をかける際に使うと思う。日本をどれだけ調べても、米国の情報部が罰せられる可能性はない。IT技術が進化する前から、日本は米国の支配下にあったのだから、情報収集技術が変わったに過ぎない。今後も続くだろう。

日本側も、その情報を利用させてもらっている可能性がある。暴力団や共産党の情報は、おそらく警察は欲しいだろう。日本側の情報と引き替えに、何かの取り引きがあっていても不思議ではない。日本独自に監視をしているかは分からない。道路上の移動は監視されているが、通話はどうだろうか?小さな選挙事務所を盗聴した事件があったくらいだから、何もやってないはずはないが・・・

誰の情報なら認めるか、そこが大きな問題。個人によって考え方は色々だろう。劇場主は、自分自身の情報を警察に調べられるのは構わない。仮にアグネス・ラムや樋口可南子の写真集を押収されても、涙を飲んで我慢する。でも、もし劇場主がベッキーとゲス不倫している最中なら、メールを読まれると困る。劇場主の精力の度合いによって立場が変わるのである。

裁判所か人権団体など、捜査を審査してくれる一定の歯止めは必要と思う。歯止めがないと、管理が厳しい全体主義的体制に陥る。現状は既にそうなっていることになる。ルールを整備しないといけない。でも、それができていない。国民の多くが認識不足だからだろう。

 

 

 

2016年12月25日

シリーズ・マネー・ワールド(2016) 

- NHKドキュメンタリー その二 -

<システム改革>

金の動きをコントロールする仕組みも、もしかすると画期的な技術かも知れない。資本が容易に集まり、かつ自由度は保たれ、でも暴走せず、破綻や停滞が来にくい仕組みは、正しい理論さえ生まれれば、できそうな気がする。

正しい理論・・・・ただし、そう簡単に生まれるはずはない。共産主義のように世界を支配しかねなかった理論でさえ権威失墜するくらいだから、理論が実地で上手く働くのは簡単じゃない。悪い面の修復を狙って何かルールができても、大企業が米政府を動かして撤廃させようとするから、力で潰されてしまうのが現実。

今日の経済システムは弊害が多く、公平さや秩序を欠いていると思うが、システムさえ変われば、もっと効率的な金の流れができないだろうか?暴走せず、過度に集中せず、弱者にも優しい、そんなのは理想だろうか?

理屈はどうあれ、米政府は米国企業の利益のために動くだろう。軍事力を背景にした力で、他国の政府に圧力をかけるから、米企業の利益に反する改革は難しい。でも今後は中国とのバランスが変化し、あまりに露骨な圧力を米企業がかけられなくなったら、一気に改革が進む可能性もある。逆に中国が破綻したら、酷い結果もありうる。

いっぽう別な問題だが、我々は賭けのテーブルの上で生きているようなもので、資本主義経済は、何かの思惑によって投資がなされることで始まる。思惑が大事で、投資家はそこに賭けている。その金の流れの勢いの中で、我々はおこぼれを頂いているようなものである。もし賭けの邪魔をすると、猛烈な反発を受ける。賭けは、元々そんなものだ。日常のちょっとした賭けでさえ、中断されると怒られるのだから。

新しい試みは誰でもできるが、では現行の体制を止め、新しい経済システムで世界を運営しようとと言ったところで、協賛者はたぶん出てこない。賭けの中断は、怖ろしい反発を生む。賭けを捨てて、財産を擦ったらアホらしいからだ。テーブルについたギャンブラーは、なかなか席から降りないものだ。よって、新規の理論は認められにくい。

それでも、やがては画期的なシステムが登場しうると信じる。ルールを作り、狭い地域で試して成功すれば、他が真似てルールは一般化しうる。上手く行かないのは単純に、ルールが問題なのだと分かる日が来るはずだ。現行の体制とは争うだろうが、方法次第では穏やかな進化も可能ではないか?テーブルを降りたほうが利口と分からせれば良い。

資本主義を進化させた形で、国家のエゴが排除され、グローバル企業の圧力に耐え、人類の持続を確保しうるシステムが誕生し、信頼を得ることができるならば、そこに資金も集まり、金の流れができる。問題をコントロールすることも可能と思う。

<後出しジャンケン法>

租税回避があるかぎり、税制改革の力は大企業には限定的。海外に逃亡されたら、せっかく工夫した税制度も意味を成さない。税収が減って国の財政が厳しくなると、経済破綻の時の緊急対応も難しくなると思うのだが、そこまで気にする必要はないと、大企業は考えるのだろうか。

大企業が国家に替って住民サービスをやれるなら話は別だが、基本として課税権は国家にあり、また今後もあるべきと思う。国家ごとに自国の企業を優遇したいから、国際的な取り決めで税逃れを管理するのは難しい。法人税を下げたい国は、自由に下げさせるしかないだろう。

それなら、タックスヘイブンの利用など、なんらかの税逃れをやった企業、個人に対して、後から新たな税をかけるというアイディアはどうだろうか?「タックスヘイブン税」・・・なんか妙な名前だが、そんな税をかけられるくらいなら、国内で納めようかと考えてくれて、金の流れを正常化することも可能になる。

租税が低い国に申告する場合、総売り上げに対し課税すれば、資産を移すメリットが減る。もちろんタックスヘイブンで成り立っている国の財政も考え、税率は慎重に調整しないといけないだろうが、何も対策をとらないでおけば、財政秩序を悪化させるだけだ。理屈から考えると、タックスヘイブンをやる国は、税を減らされて迷惑する国と、なんらかの条約を締結するべき義務が本来はあるはず。

実際の税逃れは、複雑な手続きをとって分かりにくいものだろう。移住や、資産分与などを介されると、把握するのは難しい。しつこく調査して、後になってカラクリが判明するのがせいぜいだろう。したがって、課税する場合は、微妙な点が実は違法だったのだと、後日の判断が必要になってしまう。後出しジャンケンのように。

後出しはずるい、憲法違反だと反論されるだろうから、正面切っての実現は厳しいだろうが、少なくともそのセンスは必要と思う。先取りして、「今後、後出しで課税する予定なので、自主規制してください。」・・・そんな脅しも有効ではないかと思う。財務省の高官が、そのように考えているらしい・・・・そんな情報だけでも有効だ。

いろいろ後出して、「天下り税」「原発事故処理目的税」など、どうだろうか?反発は喰らうが、予算は確保できる。今の時代は、予算確保が最優先課題。財政破綻したら反発もへったくれもない。法の不備をついて過剰な利益を得る人、無責任な人に、後から怖ろしい税がかかるならと、阻止効果があるように思う。

<TPP>

日本の場合、TPPの影響も懸念材料。どんな密約が交わされているのか分からないので、影響もよく分からないところが怖い。TPPへの参加で、GDPがこれだけ伸びるといった試算が発表されるが、根拠の薄い数字だと思う。ほとんど指標がないまま、運任せで参入しようという今の情勢には危機感を覚える。

トランプ政権の間は、おそらくTPPが発動する可能性はないはず。でも、おそらく次の政権は正反対の立場を採るだろう。その時が問題になる。

仮に何か良い税制、規律を日本が開発しても、おそらく不利益を被る米国の企業が許さない。米国政府を動かして、圧力をかけてくる。噂によれば、裁判は米国の裁判所でやって良いという。嘘みたいな話。普通は第三国でしょうが!

TPPの理念は、新資本主義の時代の名残りを感じさせる。単純に言えばグローバルなのは良いことという認識が、その根幹を成しているように感じるのだが、害もグローバルに生じるはず。害を防御する仕組みを確保しないといけない。

各地域の住民が、独自の政策を持つ権利を有しないと、その地域が経済的に破綻する危険性がある。破綻を補償する規定があるのだろうか?あるとすれば、おそらくTPPはコスト的に無駄も多いことになり、規定がないとすれば、危機管理のできない浅はかな仕組みと考えられる。

<トランプ>

国家の体制と資本主義のシステムが、理論的に反することが明らかになりつつある。トランプ政権は、おそらく国家の管理を維持することにこだわった人達が成立させたものだろう。しかし、新政権の首脳はグローバル企業のCEOが占めている。嘘くさい出だしになりそうだ。

米国第一と言いつつ、大企業優先に動くぞと宣言したかのような人事ではないか?上手な宣伝文句に騙されて、しばらくは国民も支持するかも知れないが、CEO達がヘマをしたら、きっと本性に気づくだろう。無理に強硬な態度に出て、国民の目をそらそうとしないか、そこが心配。

 

2016年12月19日

シリーズ・マネー・ワールド(2016) 

- NHKドキュメンタリー その一 -

資本主義の問題点、今後の展望を描いたシリーズ。専門家と爆笑問題のコンビが司会する、ドキュメンタリー的エンターテイメント番組。10月16日夜9時を第一回に放映された。

ついにNHKで、資本主義を批判する番組が堂々と作られる時代になったとは! かって共産主義勢力が活発だった頃は、資本主義に異を唱える連中は全てアカ呼ばわりし、その影響力を排除しようと躍起になったのに、CIAはNHKから手を引いたのか・・・

冗談はともかく、この番組はかなり公正に作られていた印象。資本主義に問題がないはずはないので、どのような点が酷いのかを映像やCGを使ったグラフで解説しつつ、対処は可能かも知れない事、技術によって展開が開け、また成長を回復できるという希望もちゃんと盛り込まれていた。

今日の問題点は、やはり成長の鈍化。そして貧富の格差の拡大。グローバル企業の言いなりになった制度など、それらは今日なら誰でも耳にし、体感もする懸念材料だ。そして解決に向けてカギとなるのが技術革新であることも、ほぼ誰もが期待していること。問題意識の強さは人によって違うかも知れないが、問題点に関してはほぼ意見が一致していると言えそう。

劇場主の感覚は、資本主義的だろう。どっぽり消費主義の言いなりになっている。自分自身がどう教育され、どんなライフスタイルに親しんできたのか、自分で把握することは難しいのだが、新しい商品を買い続けて質素倹約にほど遠い生活を送っているから、さぞや善き教育や強力な宣伝を受けたのだろう。

<成長の鈍化>

もっと収入が減ってきたら、劇場主だって倹約するはず。おそらく、情けない気持ちを感じながら、より安き物を買うか、もう買わないか、その時に判断すると思う。それが皆の感覚で、そうすると当然だが平均給与が下がっている現在、商売の規模は縮む傾向になる。労働者に充分な給与をあげないと、売り上げが落ちる。これは基本的な今日の問題点で、厳しいジレンマだ。

おそらく単純に考えて、金が中国や東南アジアに流れた点が、結果として欧米のジレンマにつながっている。経済成長する地域に投資が集まるのは当然で、成長が低いところに投資するアホは少ない。集まらない地域は、さらに成長が鈍化する。欧米の投資部門だけは好景気だろうが、労働集約的部門には金が入らない。生産の現場は東~東南アジアだから、当然だ。

考え方を改めるべきではないか? 十億人の国が本当に6%成長していたら、それは奇跡的な成長と言えるのではないか?世界の7分の一の住民圏がどんどん成長してるなら、それは一般的に言えば好調と思う。金が降りてこない地域がジレンマにはまっても、世界全体で見れば成長していないだろうか?

資本主義の問題と言うより、単なる投資先の移動に過ぎず、それを見て、世界経済全体の縮小と勘違いしているだけかも知れない。番組で使っていたグラフは、必ずしも信用できない。実は経済は拡がりをみせており、まだ資金回収の段階に来ていないだけで、今は鈍化した印象を受けても、それは投資の際の普通の状況とも考えられる。

<技術革新>

新規の技術に関して思うに、何か思いもよらぬブレイクスルーは突然起こるものだ。IT技術が進歩したのは、せいぜい30年くらいのことで、30年前の劇場主は変化を想像していなかった。多くのアイディアが今も生まれている。凄い技術が、IT分野には確かに起こった。革新がないわけじゃなく、分野が限られただけかも知れない。

通信や販売管理に関しては、もう想像できるシステムは出尽くしてしまったかのように感じるが、ちょっとした工夫は限りなく発生するだろう。ただ、昨今はブレイクスルーに相当するモノが出ていない気もする。昔は数百年単位でしか大発明はないものだったはずだが、数年単位に慣れてしまっている。

iPhoneやSNSは画期的な商品と言えばそうだったが、手紙やアナログ電話の比率が減っただけかも知れない。伝達の早さや画像を組み合わせる技術は素晴らしいと思うが、そもそもIT関連技術は、人類の数を直接的に増やす類の技術ではないので、その点で真に生産的、革新的ではない。

温暖化をコントロールできる技術、地下資源を損なわない発電、食物生産を増やすか効率化できる技術、地球外に簡単に移住できる技術などは、真に革新的なものとなるだろう。人類の不安を減らし、持続を可能にしうる点で、IT技術とは意味が違う。そんな肝心の技術革新が不足している。そこが心理的には、技術の停滞と感じられる理由だろうか?

だが、今後そのような技術が出てくる可能性は高い。何も策が出ないと考えるのは無理だ。短期間に次々というわけにはいかないかも知れないが、学術に限界は見えていない。革新的かつ生産的、そんな技術がきっと出てくるから、未来はそれほど暗くない。根拠は乏しいが、そのように思っている。

 

2016年6月28日

仁義なき戦い(1973)

Toei


- 仁義について -

呉市を中心に起こったヤクザの抗争劇を、当事者の自伝を元に小説化、映画化した作品。DVDで鑑賞。

この作品に興味を持ったのは、衛星放送だったか、深作欣二監督の追悼番組を偶然見ていて、監督の出世作であることから紹介されていたため。当時の関係者が口を揃えて名作名作というので、これは見ないわけにはいかないだろうと思った次第。

この作品はかなり血なまぐさいシーンが多い。したがって、今でも小さな子供には向かない映画。恋人と楽しめる内容とも思えない。でも、古くささを感じにくい点では、やはり作り手の意気込み、出来の良さを感じることができる作品と思う。完成度の高い熟練の業を感じられる作品ではなく、荒削りの魅力がある。

公開当時の頃のことは記憶にない。大ヒットしたそうだから、おそらく雑誌、テレビなどで盛んに評価、宣伝されていたはずと思うのだが、「仁義なき・・・」という言い回しが慣用句になった以外、この作品について知ることはなく、今までビデオを観てみようとも思わなかった。

この作品の影響を受けた作品は、多数あるように思う。刑事ものや、ヤクザ映画の多くに、似たような作品が多い。ヤクザ映画独特のヒロイズムには、チャンバラものの影響が感じられるのだが、時代劇はリアルではない。昭和を舞台にした実録路線の場合は実在感が引き立ち、観客も感情移入しやすくなるはず。こういった作品に根強いファンがいるのも、理解できる気がする。

主人公を演じていた菅原文太が非常に若い。当時すでに40歳くらいだったはずだが、前半部分では若者の雰囲気がちゃんと出ている。刑務所あがりになってからは、貫禄の漂う兄貴分の雰囲気がちゃんと出ており、表情やしぐさの演じわけが素晴らしい。メイクや演出の効果もあるのだろうが。

渡瀬恒彦や松方弘樹も非常に若々しく、役を楽しんで演じているように感じる。原作の評判が良かったそうだから、映画のほうもヒット作になるという期待を、皆が持っていたのではないだろうか?多くの人に観てもらえそうなら、やる気も違ってくる。

劇場主もヤクザを診察する機会が何度かあったが、すごんだりされたことはない。子分達は私が何かしないか監視していたようで、周りをびっしり取り囲むのだが、それだけだった。脅しても仕方ない場合に、わざわざ声を張り上げるのは無駄だと解っていたからだろう。劇場主が殺し屋でないと解れば、何もする必要はない。

考えてみれば、医者の恰好をした殺し屋がいても不思議ではない。この作品では駅員の恰好をした殺し屋がいた。白衣は簡単に手に入るから、診察のフリして殺しに来られても、やさ男の場合は解らない。女医だって油断はできない。

ヤクザ者達の考え方は理解できない。何を好んで裏稼業に残るのか?仁義についても、その意味するものの本当のところは解らない。仁義に対する考え方は、おそらくヤクザ者でも各々、違った風に理解しているのではないか?その認識の違いが、抗争の原因になることだってあるかもしれない。

本物の呉市の抗争も、映画と同様に裏切り、仲間割れの連続だったようだが、そうまでしないといけない理由は何だろうか。基本には競争心や、甘えがあるように疑う。兄弟分になるということは、自分を無条件で守って欲しいという欲求のなせる業ではないか?そういった感情に基づく行動は、子供のように過剰になるだろうし、もし裏切られると、殺意に直結するはず。

ビジネス感覚の契約の場合は、裏切られたとしても契約違反で訴えるかどうかというドライな反応に終わりやすいが、無条件の友情を期待する関係の場合、紙の上の契約とは感情的な部分が違い、恨み百倍に達することも理解できる。そこを互いに理解していれば、関係も強固になるはず。お互いがそう認識していると確信して初めて、安心感を感じられる。そこを業界でルール化したものが、仁義ではないか?

義兄弟、親子の杯を結ぶ儀式は、さながら宗教儀式のようで、何か神聖なものを期待する雰囲気が感じられる。理屈や文書による契約ではなく、感情に基づく契約を象徴している。そういった関係が縦横に張り巡らされた世界では、行動がエスカレートしやすいのではないかと思う。

医者の世界も、彼らの世界と大きくは違わない。仁義に似たものを要求する人物が多い。無茶な自己実現欲、競争心を持っている人も多い。猛烈な出世欲、縄張り意識、保身目的の言動、空威張りや実績のアピールなど、刀を振り回すのと表現方法が違うだけで、レベル的には似たようなもの。おそらく一般の会社でもそうだろう。

政界もそうだ。先日の舛添氏の辞任劇は、不自然な点が多かった。舛添氏と官邸、森委員長あたりとの意見の相違、感情的な軋轢が原因となって、マスコミを使った波状攻撃の動きになったのか?あるいは中国と独自に関係を構築しようとしたことが、某国の逆鱗に触れたのかも知れない。

参院選で影響を受けたくない公明党が、大急ぎで排除すべきと判断した可能性も高い。彼らは選挙に関してはプロだから、対応も早い。そもそもは争点になっていた五輪開催の資金提供に関して、国と舛添氏の間で意見がまとまらず、下ろす必要性を誰かが感じ・・・・

「あいつの弱みは何かを探れ!」と指示が出ると、税務署や都の課長連中、会計課あたりに探りが入る。「舛添は金の管理にケチがつきます。」「よし、強請ってもダメならキャンペーンを張れ!」ってな工作は、簡単に思いつく戦法だ。実力者と対峙する時は、弱みがあってはならない。敵は違法かどうかなど気にしないし、仁義なき連中なのだからと氏に言っておきたかったが、もう後の祭り・・・

金、名誉、支配欲、自己実現欲などの基本的な欲求は、どの世界も同じなのだと考える。学歴や職歴、地位などは、人格や生き方とはあまり関係ないようだ。

 

 

2016年5月14日

ジュラシック・ワールド(2015)

Universal1


ー 改善の余地あり ー

ジュラシックパークの事件からしばらくして、新たな施設の運営が始まっていた。そこでは遺伝子を操作した新種の恐竜を作り、何かの事業展開を計画中だった・・・・

・・・・DVDで鑑賞。やはり予想通りの企画が実現したわけだ。次はきっと遺伝子操作が来ると思っていた。予想と違っていたのは、怪獣に近いくらいの非現実的な怪物が登場するわけではなく、ティラノサウルスの延長線上の恐竜に過ぎなかったこと。

これは正しい選択だと思う。完全に実像から離れてしまうと、幼児向けの作品になってしまい、ドラマが成り立たない。二級品の企画になってしまう。そんな作品は、おそらくテレビ映画の企画に任せれば良いのだ。

面白い映画だった。家族で楽しめる作品だと思う。

CGの技術に関しては申し分ないと思った。恐竜たちの動き、目の動きや息づかいまで非常に高度に表現されていた。シリース第一作でも驚いたくらいだったが、年々進化して行っている。

ドラマに関しては、満足できなかった。もしドラマに見入ってしまうためには、施設管理者の女性に共感できないといけないような気がしたが、気のせいだろうか?何か必死に仕事に取り組まざるを得ない事情がある、あるいは家族への愛だけは特別に濃厚だとか、何かが欲しかった。

中型のラプトルが今回も大活躍していた。彼らには個性のようなものもあるので、その扱いが大事だった。急に敵になったり、味方になったり、あれは自然な流れだったろうか?彼らの仲間意識の表現に、何か足りないものがあったように感じた。

主役の俳優は記憶になかったが、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」に出ていた俳優らしい。特別にタフそうな印象はなく、良い配役だったかは分らなかった。でも、自然な印象は受けた。

この作品の主役として望ましいキャラクターを考えたが、できれば相当な二枚目のほうが良かったかもしれないと思った。動きが良いことは大事で、必ずしもマッチョタイプである必要はない。仕事に誇りを持って、ストイックに従事し、女っ気はない。そんなキャラクター。そんな俳優は、もっと他にいたはずと思う。

展開の仕方にも、何か他の方法があったのではと思えた。素晴らしいCG技術があるのだから、どんな展開だって可能だと思う。観客が必ずハラハラし、脱出の成功で感涙できるような、そんな展開になりきれたとは感じない。改善の余地ありだった。

 

 

2016年3月13日

自虐の詩(2007)

Shochiku

- 不適切な人間関係  -

ラーメン屋の店員を務めながら、ヒモ男と暮らす女が主人公。何か気に入らないと直ぐちゃぶ台をひっくり返す男と、なぜか女は暮らすのであった・・・・

・・・・DVDで鑑賞。原作は漫画雑誌で何度か読んだことがあった。人物設定が絶妙で、いかにも実在しそうで、特徴をよく分析した登場人物達が、悲惨でこっけいな微妙なラインで関わる点がおかしかった。傑作なエピソードが繰り返し描かれていたので、アイディアの素晴らしさに感心していた。その路線を映画でも概ね踏襲しているようだ。

どのように踏襲するかが難しい点。漫画の場合は数コマだけだから、同じ路線を延々と続けたって構わない。でも、映画の場合は物語が進行しないといけないから、ギャグばかりではいけない。無理に事故などのエピソードを作る必要がある。そこの加減が難しいと思った。

水商売などで働きながら、ヤクザか半グレか分らないような人物と同棲している女が今でもいるらしい。知った人はいないので詳しくは分らないが、ドラマなどでは決まって酷い生活ぶりを強調され、よく殺される役回り。そのイメージを徹底追及すると、愛おしいような感情が生まれる。バカな女だねえ、誰かマトモな人を探せよと、どこか愛おしく、共感したい・・・そんな感情が生まれる。

劇場主の感覚では、こんな女性は細身である傾向が強い。太った水商売女もいるにはいるが、そんな女は男と喧嘩してしまい、関係を維持できない傾向があるように思う。勝手な思い込みかも知れない。関係が続くためには、滅多に対決しない従順な性格が基本。体力なさそうで、うつむき加減で、目線も上目使いの傾向があると思う。

主演の中谷美紀は、役柄に合っていたのか分らなかった。厳しい目線の奥方役が彼女の本領で、強い女が役柄の基本と思う。特に目線が少しまともすぎた印象。この役柄には、もっと本当に不幸イメージがよく似合う、メロドラマ専門の女優が最適だったのでは?演技力でカバーしきれない、不幸な匂いが欲しかったと思う。

ヒモ役の阿部寛は、大柄で体力がありそうな点は良かったが、本当のグレ男に特有の、無茶なセンスはあまり感じられなかった。これも演技力でカバーできない、本来の雰囲気が違っていたのだろう。この役は、本職のヤクザ映画専門家か、喜劇の専門家にやらせても良かったと思う。

ラスト近くででヒロインの学生時代の回想シーンが結構長く続いた。印象としては、時間配分がちょっと長すぎた。もともと不必要だったかも知れない。断片的に、少し挿入されるくらいのほうが、物語の焦点がぼやけない。元が漫画なんだから、整理され圧縮した語り方が合っていると思う。脚本や編集のセンスに、若干の狂いがなかったろうか?

漫画は、いわば俳句のセンスが必要。この作品は、それを小説のセンスでやってしまったのでは?

ヒモと女の関係に限らず、他者からみると一方的な収奪~依存状態にしか見えない関係は、よく分らない理由によってだが、結構簡単に成立し、他者の関与を許さない強さを持つように思う。たとえば親や警察官らが親切にアドバイスしても、耳をかさずに依存状態を続けてしまうのは、独特の理由があるのだろう。

性的な要求、ちょっとした魅力を過大に気に入ってしまった勘違い、擦り込み現象、新しい生活に踏みいる勇気が足りない点、自信のなさや本当の自虐性など、独特な思考パターンが回って、抜本的な改革ができないような状況かも知れない。

なんでも理詰めで考える人の場合は、「こんなヤツとつるんでいたら、いつまで経ってもアタイは苦労するばかりだわ。」と考え、さっさと次のチャンスに賭ける、つまりヒモ男との断交という選択に結びつくだろう。少々の魅力より、今後の予想のほうが大事と考えるに違いない。だが、そんな考えの人ばかりではない。

男女間に限らない。政治の世界、職場関係、団体内部の人間関係には、本来は好ましくない依存関係が目立つ。マトモな判断の障害となって、結果的に皆の不幸をにつながる判断ミスを犯す危険性が高い。構造改革が難しいのは、依存性にはまってしまうからだろう。

男女の場合は当事者に任せるしかないが、判断ミスを犯されると困る局面では頭を切り替え、不健全な関係は排除すべきと考える、そんなセンスが欲しい。

 

 

 

2016年3月 4日

しあわせはどこにある(2014)

Relativityetc

- 再発見したいが・・・ -

精神科医の主人公が、幸福について疑問を持ち旅行に出て、様々な体験をする話。主演は最近の超売れっ子であるサイモン・ペッグ。DVDで鑑賞。

古典的な人生再発見のストーリー展開。昔から様々な映画が作られ、ほのぼのしたり笑ったり、感涙を呼ぶ作品も多かった。それかでの自分に疑問を感じて旅に出る、そして誰かと出会って恋に落ちたり、危険な目に遭ったりして新しい考え方に目覚めるのがパターン。

この作品も妙な映画ではなく、もちろんゾンビなども登場せず、いたって真面な路線の作品だったことに好感を持つ。画期的な展開は、この種の作品では望ましくないように思う。ただし、そのために子供に受けるような爆笑喜劇にはなれていない。家族で楽しめる作品とは言えないように感じる。

主人公を演じていたのがサイモン・ペッグだったのは、最近の彼の人気のせいだろうけど、本来の彼のキャラクターから考えると、少し路線が違っていたかも知れない。ごく普通の人物よりも、オタク的な人間を演じることが多かった彼だが、そろそろ路線の変更を考えているのかも知れない。

今回の主人公のようなキャラクターに向くのは、おそらく人好きのする顔、体型の持ち主だろう。「ビッグ・フィッシュ」のユアン・マクレガーや、「ライフ」のベン・スティラーなどは、比較的小柄でマッチョ俳優の対極にある個性が役柄に合っていた。でも、さすがにベン・スティラーがこのような役ばっかりを演じたら、飽きが来そうにも思う。こんな役は時々やるから、意表を突いて面白いのだ。

意表を突くと言えば、ヒロインのロザムンド・パイク嬢も、同年の「ゴーン・ガール」とは全く違った役柄であった。おそらく、元々のキャラクターが今回のほうで、「ゴーン・ガール」側が意表を突いたのだと思う。少しひょうきんな顔をする正統派美人という路線。

この作品で感心したのは、主人公が持つ手帳に記入され、日記のように語られる文章のさりげなさ。そして、その表現法。おそらく原作の小説に、そんな記述があるのだろう。その雰囲気や内容を、そのまま映像にして表現できているのではと想像する。ウィットに富んだ内容と、現実に起こるかなり過激な体験とのギャップがおかしい。

欧州は豊かな人達が多いので、夏休みのバカンスなどで長期間旅行している人も多いようだ。お正月に出会った方は、日本を中心に三ヶ月旅行すると言っていたが、よほどな金持ちでないと生活費が持つはずがない。気分転換と言うよりも、一年の数分の一も休むようでは、それが生活になってしまっている印象。豊かさの伝統があるのだろう。

収奪された側のアジア、アフリカの人達は、旅の余裕は今まではなかったので、今回の主人公のような存在は夢のまた夢だったはず。昨今は東南アジアの富裕層が欧米人化しているようだが、まだまだ少数派と思う。劇場主も旅行できない。死にそうな人が常にいるから、人生再発見は難しそうだ。

 

 

2016年3月 1日

ジュピター(2015)

Warner


- ヤキまわり -

ウォシャウスキー兄弟によるSF映画。人類は、宇宙企業によって栽培された存在で、生命の源としてもうすぐ収穫されようとしていた・・・・

・・・・DVDで鑑賞。この作品は、テレビシリーズの雰囲気がする。良いところで場面が変わって、次の場面に移る、そんな構成になっていたように思う。

ミラ・キュニスとチャニング・テイタム主演。手の込んだメイクで動物と人間の遺伝子を融合させた生物を多数登場させていた。街中で戦うシーンには凄い迫力があって、チェーン・アクションをやCGを相当ふんだんに使っている様子が見てとれた。制作費も凄い金額で、一億ドルを軽く超えているらしい。

アイディアの売りは、①人類が実は栽培されていたという設定、②女王バチのような存在が偶然登場したという設定、③王族内部の対立が、人類の運命にも関わってくるという王朝ストーリーの要素、④ヒロインと戦士の恋物語、⑤遺伝子融合された怪物達の個性、⑥戦いの描き方、CG技術、といったもの。

ただし、結果的には総合的な魅力を出すには失敗していたように感じた。まずヒロインの個性が、充分に表現されていなかったのではないか?

ロシアから亡命したらしい一家が、アメリカで家政婦の仕事をする一族の元で暮らしている場合、望みのない自分の境遇を嫌悪していることは分かるが、亡命や父の死と物語との関連性、いわゆる物語性が薄い。過酷な運命をたどってきたヒロインは、すべての運命が何かの理由でつながっていることが望ましい。

おそらく、生まれた時点で彼女の情報が何者かに伝わり、殺人集団が次々と襲ってくるのを護衛する側が救い出すことを繰り返すが、ヒロインはその理由が分からない・・・・そんな古典的な設定がないと、物語は盛り上がらないのだろう。

人類が収穫される恐怖を強く訴えることもできたと思う。血なまぐさく描く必要はないが、人間が襲われて工場に送られる様子などは何らかの表現をする必要があったと思う。作品の中では静かに横たわる人が何か処理されているらしいことは分かったが、何の恐怖感も感じないような描き方で、あれでは観客に訴えかけるものはないだろう。

女王バチの話を有効に使うこともできたと思う。蜂達がヒロインを守るために、敵の殺し屋を襲うシーンは使える。空を覆うような大群が襲ってくるシーンなど、いかにも使えそうな気がするのだが、なぜか登場してこなかった。過去の映画で使われたパターンを、ことごとく排除したいという考え方だろうか?

王族同士の対立が、安っぽさを感じさせるものだった。王族だから慇懃無礼な態度でクールに話すのは分かるが、交渉の顔と裏の顔を繰り返し写して、彼らの本音と言っている嘘が分って、対立の経過が明快になったほうが良い。

ヒロインが危機に陥って、はやくヒーローが助けに来て欲しいのに、なかなか敵との戦いが終わらない、観客をヤキモキさせるシーンが何度か繰り返されていたが、同じパターン、ヒーロー登場が遅れ気味になる同じ時間の使い方が気になった。アクションのシーンでは、基本的にパターンがバリエーションに富んでいないといけない。ギャグのシーンなら繰り返しはおかしいが、アクションには常に変化が欲しい。工夫が足りなかった。

面白いシーンもあった。ヒロインが登録の手続きをする場面で、いろんな担当部署をたらい回しにされるが、結局はワイロでスムーズにことが運ぶくだりは、現実世界を思わせておかしい。ロシア人家族が食卓でいろいろ議論する内容も、いかにもありそうな内容で笑わせる。あんなユーモアと、SFの激しい戦いが組み合わされたら、子供には受けそうな印象がある。

でも、この作品は子供でも満足できないのではないか?アイディアはたくさん積み込まれたが、互いの連携、相互関係の構築には徹底が足りないままに終わり、子供でも納得できない部分が生じてしまった印象がある。ウォシャウスキー達もヤキが回ったのか、あるいは彼らを支えていた有能なスタッフ、助言者がいなくなって、アイディア倒れを生じたのかと心配。

 

 

 

2016年1月25日

ジャージーボーイズ(2014)

Warner

- 客層を選ぶ -

ニュージャージーの若者達が、歌の才能に賭けて音楽業界に挑む。4人組で大成功した彼らだったが、借金問題、仲間割れ問題が発生。メンバーの運命はいかに・・・というミュージカル映画。

フォーシーズンスの伝記物だそうで、舞台で流行っていたらしい。オールディーズでよく聞く「シェリー」「君の瞳に恋してる」などの曲を聴けば、「ああ、あのグループね。」と思いつくが、さすがに彼らはシナトラやプレスリーほどメジャーな存在ではない。日本人では知らない人も多いだろう。

山下達郎の音楽番組などには出てくる名前だから、ある程度は知っていた。でも、それ以外に、例えば映画やCMで頻繁に出てくる曲が、実は彼らの曲だったりするから、影響は相当に大きい。

懐かしいグループが題材の場合、年配の客が来てくれると期待できる。したがって金持ちの年配者が来る舞台を企画するのは正解。必ずといって良いほどヒットするだろう。懐かしい曲を散りばめたら、客が満足する可能性が高い。映画の場合は、少し客層が若いと思う。でも、60-80位の人なら、まだ映画にだって行くだろう。監督も高齢者となれば、その影響もあって客が集まるに違いない。この作品はヒットがかなり約束された企画だと思う。

その反面、子供には受けないと思える。現代の恋人と楽しめる曲かどうかも、年齢や音楽への興味によって違うはず。懐メロに関係する作品は、万人受けするとは思えない。

この作品の中の物語が本当の話なのかは分からないが、メンバーは存命中のはずなので、かなりは真実に近いのではないだろうか?マフィアとの関係には、何かのオブラート的な配慮があるだろうと思うが、関係があったと明白に描く点は、日本とは随分違う印象もある。日本の現役タレントでは御法度な内容だ。

ショービズの世界は、現金が大きく動くから完全にギャングの世界だと聞く。いったん人気が出ると凄い勢いで収入が入り、様々な影響力も作られるが、何かで失敗すると転落も激しい。仲間うちの諍いも、金や権利がからむから深刻なものだろう。一種の部活動のようなノリで始まったグループでも、多くの場合は喧嘩別れや訴訟沙汰が待っているようだ。

今はCDやレコードで曲を購入する人は多くないと思う。その場合、新人達はどうやって売り込み、人気を確保していくのだろうか?収入がどんな状況か、気になる。フランキー・バリは借金を返せたが、今の歌手では難しいかも知れない。

ユーチューバーとして固定的な視聴者を得て、業界に金を取られない形で有名になり、コンサートを自前に近い形でやれれば、そのまま収入になるのだろうが、まさか興行側がそれで納得するはずはない。やはり作曲など、固定的な権利を持つようにしないと、将来は生き残れない。

この作品には、舞台版の俳優が、そのまま出ていたそうだ。俳優達は本当に自分の声で歌っていたように思う。主演のフランキー・バリ役も頑張ってはいたが、本職の声のイメージが強いので、比較すると魅力に欠ける印象を受けた。アフレコでも良かったのではないか?もしくは、最高に編集効果を使って観客が感動する出来映えにできたと思う。

音響についても、劇場で観たわけじゃないからよく分からなかった。DVDとテレビの組み合わせの音響では、迫力の点で今ひとつ。もしかすると、劇場の高性能の音響システムで鑑賞したら、素晴らしい効果があったのかも知れない。少し迫力不足に思えてしまった。

そもそも、あんなハイトーンの声を良い声と感じる下地が劇場主にはない。あれをボーカルの中心に持ってくる意味が理解できない。誰も理解してなくて、個性的だったからこそ受けたわけじゃないのだろうか?

 

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