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カテゴリー「し」の124件の記事

2019年5月 6日

上海バンスキング(1984)

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-松竹 -

バンドマンに騙されて上海に渡ったヒロインは、ステージ歌手としてキャバレーで歌う羽目になる。しかし、戦争が始まり、ヒロインの運命も厳しくなってくる・・・DVDで鑑賞。  

この作品は劇場では観なかった。劇場主は、当時の松坂慶子を演技や歌が上手い女優と感じてはいなかったので、おそらく観たらシラケて後悔すると予想したからだ。もともとは吉田日出子のほうが舞台で有名になった役だったので、どうして吉田が出ないのか不思議に思った。 たぶん観客を呼ぶために若くて美人の松坂を選んだのだろうが、せっかくなら歌手の誰かを選ぶべきじゃないか?など、キャスティングに関しての疑問は残ったままだった。

当時は結構評判になった映画だが、DVDが出ても鑑賞しようという気にならなかった。今回はたまたま棚で見かけたので思い出し、初めて観てみた。「リンゴの木の下で」は有名な曲だが、この作品の中では、なぜか歌は出てこない。不思議に思えたが、権利上の問題があったのだろうか? 吉田日出子のようなジャズっぽい歌い方が苦手な松坂のために、そうしたのかもしれない。

本作の松坂の歌と踊りは、思っていたほど悪くなく、ちゃんと役柄に一致していて、立派にヒロインを演じていた。ただの美人女優ではなかったわけだ。歌声は合唱団風で、けだるい感じの当時のジャズの歌い方とは違う。もし吉田日出子が出演していたら、ボンヤリした吉田の雰囲気や声が曲と合致して、さらに作品の魅力になったかもしれない。

風間杜夫が素晴らしい演技をしていた。すこしキザッぽいセリフの言い方が、この役にマッチしていたし、病的になっていく様子の表現も、端正な顔の彼が演じたことで非常に説得力が感じられた。宇崎竜童の役柄は、劇場主には少し不徹底に見えた。 博打好きの人物なら、もっと怪しい遊び人風の役者が他にたくさんいたと思う。狡さをはたらかして、ヒロインを困らせるようなシーンがあったら、もっと人物としての魅力も増したのではないかと思うのだが、この作品では好人物のままの個性で、そこに不満を感じた。

この作品には、映画「キャバレー」が影響しているのかも知れない。設定は似ている。ジャジーな音楽と派手なステージ、時代に翻弄される若者達の運命などは同じだ。反戦を基調として、人間性を肯定的に扱っている。人種や国籍による迫害を嫌悪していることも共通。派手でセクシーなショーの魅力と、裏に秘めた悲劇が深い印象を残す。善き題材だったと思う。 

日本軍の残虐行為が描かれていた。しかし今日の風潮では、あのような行為はなかったか極めて稀とする主張がはばを利かせている。反戦がタブーとなるなんて、恐ろしい世の中だ。今、本作のような表現をしたら、きっと文句が殺到するだろう。ネット上では暴言が行き交い、監督のホームページは炎上しっぱなしになるはず。上映中止を検討する忖度劇場が出るかも知れない。この作品は、描き方も時代によって変わる例となりうる。

80年代の上海の街中でロケをしているようだ。かなり古めかしい建物も多く、今の上海とは風景が全く違う。中国の経済発展前の記録としてみても興味深い映像。この後には世界の工場と言われるほどに発展したので、近代的な街ができるとともに、出てくる汚染物質も当然増えた。劇場主が住む地域にとって最大の影響は、風上の中国がPM2.5の生産地として発展したことと言える。 鼻の粘膜がただれるように酷い日もある。 そういえば今年は、昨年より少し症状が軽くなった気もするのだが、もしかして米中貿易摩擦の影響だろうか?そうだとすると、トランプ大統領に感謝しないといけない。 

 

2019年3月25日

人生はシネマティック!(2016)

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- Their Finest - BBC Films         

 

ドイツ軍の爆撃を受けていた時期のロンドン。ヒロインは、爆撃の恐怖、収入不足、役者や政府からの要求に困惑しながらも、映画の脚本を作ろうと努力する・・・・DVDで鑑賞。    

 

映画製作の現場が主な舞台になっているから、進行具合が面白い。「アメリカの夜」のロンドン版を戦時下で描いたら?というアイディアだったようだ。この作品は、大きく宣伝されてはいなかっただろうと思う。雑誌でも読んだ記憶がない。熊本市で上映されたのかどうかも知らない。かなりマイナーな企画だったはずだ。    

 

BBCフィルムは、テレビ用に企画を考える部署なのだろうか?あるいは、最初から劇映画用に企画するのか? いつも優れた企画に感心する。これも派手さのない作品だが、映画愛や戦時中の生活を大きな要素としながら、恋愛関係も変遷して、一人の女性の感情の動きを感じさせる内容。表現力は素晴らしかった。 戦時下の物語であり、英国民にとっては苦しさを耐え抜いた時代だから、観客の評価につながりそうな時代であろう。    

 

ヒロインを演じていたのはジェマ・アータートンという方で、飾り気のなさそうな、ごく普通の市井の人のイメージ。「アンコール!」で合掌の指揮者を演じていた方だ。少し演技が固い印象も受けたが、舞台女優だろうか?     

 

英国の俳優には、舞台がかった演技をする人が多い気がする。シェークスピア劇の影響だろうか? 有名なスター俳優の経歴を見ると、たいていは舞台劇で評価されてからテレビや映画に向かっている。 目線が舞台の観客に向かうかのような、少し外れた印象を受ける時があると感じるのだが、劇場主だけだろうか?特に二人の人物が並んで座り、会話をする時がそうだ。普通の日常会話なら、まともに相手を見るだろう。でも舞台では互いの表情が観客に分かるように、互いに斜めをみることが多かった。昔の映画では特にそうだ。いまだに、その名残があるのかもしれない。     

 

この作品のタイトルは、あまり感心できない。劇中のセリフから何か取るか、キーフレーズを使うか、他の邦題があったろうと思う。あまりにシケているのではなかろうか。

2019年1月12日

ジュラシック・ワールド/炎の王国(2018)

 

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- Universal -   


かって恐竜のテーマパークがあった島が火山活動により壊滅することが明らかになった。恐竜を救う目的で島に乗り込んだクルー達は、火山の噴火や裏切りにより、窮地に陥る・・・・DVDで鑑賞。 


既にシリーズ第五作目だそうだが、素晴らしい映像技術に、またも感動する。解説編で、恐竜にも個性を持ち込んだとスタッフが述べていたが、たしかにクセなども表現されており、生き物としての実在感には満足できた。       


火山噴火の表現も凄い。「ポンペイ」で使われた表現と似ていたが、どうも普賢岳の噴火の映像を参考にしたのではないかと感じた。あの時の実写映像の再現を見るかのようだ。特に火砕流の表現手法が進んでいて、とてもリアルな画像になっている。火山プラス恐竜で、映像の迫力が出るだろうと製作スタッフは考えたに違いない。    


いっぽうで、ドラマの部分では少し物足りなさも感じた。観客が共感できるテーマというものは、ほとんど省略されていたようだ。恐竜が登場するスペクタクル映画だから、教育的な内容は必ずしも必要ないとは思う。しかし、愛や友情、勇気、重い決断、責任感といったものが感じられたほうが、きっと後味が良くなると思う。その大事な点を省略して、娯楽に終始していたようだった。  


主人公は前作に引き続き、クリス・プラット。ヒロインはブライス・ダラス・ハワードだろうと思うが、彼女は引き立て役と言った方が良いかも知れない。古いタイプのスペクタクル映画では、肉感的なセクシー美女が怪物に喰われる役を演じることが多かった。どうもセクシャルな欲求を怪物に代行させて、スケベな満足感を与えようというねらいだったようだが、その面の配慮もしていなかった。


クリス・プラットの個性には、あまり魅力を感じない。この作品は恐竜の暴れぶりが最大の魅力だから、人間のアクションは目立っても仕方ないと考えられているのだろうか?劇場主としては、超人的なアクション、感心するほどの工夫で難局を乗り越える主人公が欲しい。もう少し、人間が活躍しても良かったのではないか?   


そして話の終わり方が非常に気になった。人間が住む街に恐竜達を放っていたようだ。それも、ごく当然のように誇らしい顔をしてやられていた。何か重大な問題を忘れていたのではなかろうかと気になったが、あれは次回作で人間と恐竜が戦うための布石だろうか? 無茶な話だが、納得してあげないとシリーズが終わってしまうから仕方ないのか・・・

2018年12月 2日

7月4日に生まれて(1989)

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Universal


志願してベトナム戦争に出征した青年。戦闘で脊髄を損傷し、車椅子生活になり、深く悩むことになる・・・・DVDで鑑賞。


ながらく探していた作品。おそらくツタヤの店舗を移動しながら、ようやく巡り合えたに違いない。若きトム・クルーズの演技には大変な迫力を感じた。オーバーな演技も、この作品の場合は気にならない。トップガンのヒットで既に大スターになっていたトム・クルーズが主演し、彼の人気もあってか作品自体も相当にヒットしたらしい。しかし、劇場でどの程度公開されていたのか記憶がない。前年の「カクテル」「レインマン」は観た記憶があるが、この作品は観ていないので、熊本では公開されなかったのかもしれない。楽しい作品ではないので、宣伝も控えめで知らないままだったのかも知れないが。


ストーリーはぜんぜん楽しくはないが、演技は熱演ではあった。トム・クルーズも激しい演技ぶりだが、普通の兵士役や住民役のエキストラたちも頑張っている。でも作品の構成に関しては、不完全なものを感じた。この作品の主人公の人生では、長い自暴自棄の生活から政治的な活動に目覚める過程が一番大事だと思う。どのように目覚めていくのか、そこを観客に上手く理解してもらうために、余計なものは省いたほうが良いし、演出で覚醒、再起をイメージさせる工夫が必要と思う。その点で、やや演出が足りなかったのではないか? 主人公の心情の変化が急なものに思えた。


たとえば、ヒロインの役割をもっと大きくして、彼女の影響で政治活動に目覚めるといった分かりやすい演出があっても良かったのではないだろうか? それにシーンごとのつながりにも多少の無理があったようだ。 


先日、米国の中間選挙を報じたNHKの特番を観ていたら、米国の田舎の町の住民たちが、「自分が気にするのは候補者が自分たちと同じ信仰をしているかどうかだけだ。」と述べる場面があった。つまり候補者が自国の権利ばかり主張し、他国を破滅させる人物でも、宗教的に問題ないなら許せるようだ。宗教色の強い地域は多いはずなので、そのような考えが選挙結果や、米国の政策に影響することは多いはず。彼らはベトナム戦争の時代、おそらくベトナムを征服すべしと考えていたのではないだろうか? 


神の国を作り、守るために共産主義は断固許さないという思考の流れだったに違いない。日本人の劇場主には分かりにくいが、福音派の教義では、銃の使用は特に聖書に反するものではなく、基本的な権利であるらしい。武器を取って神を守れという理屈か? はっきりは分からないが、「汝、殺すなかれ」という記述は、限定されても矛盾がないと考えられているようだ。


人種や国籍、スタンス(宗教)が違えば殺すべきとすると怖いが、その考えに至る彼らの思考過程が、あまり良く理解できない。良いことを書いている聖書、それに忠実に生きることを求めているはずの人達が、人種差別主義者で、過剰な殺戮を正当と思うに至る、どんな理屈でそうなれるのか? 戦前の日本人も酷かったが、宗教がらみで殺戮を正当化する人達は、さらに恐ろしい存在だと思う。


宗教こそが、最も多くの人を殺してきたと思う。個々人の生き方として宗教を重視することは大事で尊重されるべきだが、それを迫害や殺人の理由にして良いのだろうか?







2018年9月12日

ジェーン(2016)

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- Relativity Media ,Weinstein Co etc. -                


ヒロインであるジェーンの夫が撃たれた。敵はビショップ一味。夫を殺しにやって来るのは確実。彼女は反撃を試みるが・・・DVDで鑑賞。          


この作品、ナタリー・ポートマンが制作に関わり、主演もしたということは知っていた。最近はジョディー・フォスターが監督をやったり、シャーリーズ・セロンも制作を主導したり、単なる女優業を越えた活躍の例をよく聞く。出演によって大金を得るだけで満足せず、自分の活躍の場を広げようと考えてのことだろう。         


優れた演技方法、自分のアピール法を知る俳優たちは、事業展開についても鋭い感覚を持っているのかもしれない。ナタリー・ポートマンは輝かしいキャリアを持つ女優だから、おそらく本人かスタッフが非常にクレバーな頭を持っていて、金銭面でも名声の面でも、そつのない対処をしてきたはずだ。彼女の作品なら期待できると思った。しかし結果的に、この作品は感動できるほどの作品ではなかったと思う。興行的にも惨敗した様子だ。            


女性の生き方に関して、作品の舞台である時代の厳しい環境を想像するなら、この作品のヒロインの行動に非難できる点はないと思うし、彼女の気持ちには共感できた。劇場主がそう感じたのだから、彼女の描き方には一定の表現力があったと考えて良いはずだ。でも、非常に感動するまでには至らなかった。         


おそらく、それは犠牲者が足りなかったからだろう。彼女を助ける人間は、そのほとんどが死んでくれたほうが効果的だ。劇場主は、彼女の味方をした連中は全員が殺される運命だろうと考えていた。登場した時点で、もうそれは決定だと思っていたほどだ。どのようにヒロイックに殺されるのかに期待していた。静かに死んではいけない。できるだけ無残に、血まみれで死んでほしかった。その死に方が、作品の印象に直結すると思う。          


作品のために、死んでくれるキャラクターは大勢必要だ。笑いの要素も欲しかった。誰か道化師的な役割がいれば、味わいが違ってくるはずだった。敵の下っ端でも良い。売春宿の店員でも良い。ストーリーに関係なさそうで、存在意義が曖昧な形でヒロインに関わる人間がいると、観客の注意がストーリーに入ったり出たりする中で、物語への興味が盛り上がってしまう効果がある。ぜんぜん笑えない話であっても、道化役はふつう必要だろう。それが映画や小説の伝統のようなものと考える。そんな基本的な部分で、この作品はミスをしていたと思う。           

 

 

 


2018年7月23日

シェイプ・オブ・ウォーター(2017)

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- Bull Pro. -  


研究施設で掃除人を務めるヒロインは、施設に持ち込まれた生物に心を奪われる。米軍は、その生物を利用するため、解剖して秘密を得ることを狙う・・・     


ギレルモ・デル・トロ監督の作品で、アカデミー賞を取った。この作品は劇場で鑑賞する価値があると感じた。美しい映像、豊かなセンスを感じる表現力に感嘆した。悲しいファンタジーであり、純愛映画とも言える。でもエログロ的なゲテモノ趣味や、スパイ映画の要素もある。この作品がアカデミー賞に相当するだろうか? するかもしれないし、微妙かも知れない。   


ストーリーだけで心をうつタイプの作品ではないようだ。作品はロミオとジュリエットに似た経過をたどるが、美男美女の物語ではないし、残虐さが露骨に表現されている。 映画にもいろいろな作り方、趣向がある。斬新な映像美で観客に訴えるのは常道だ。高度なCGを使って、色鮮やかなシーンを作り、美しさやスピード、迫力の面で観客に訴えるのは王道だ。多くのSF映画は、この方向で作られている。ストーリーの意外性、怖さ、斬新な設定で売ろうと狙う作品群もある。そしてセンスの面を重視し、独特な世界観を打ち出す面々もいる。   


ギレルモ・デル・トロ監督は、本当に独特なセンスを持っているようだ。想像なのだが、監督は暗闇に対する強いトラウマを持っているのかも知れない。過去の作品も映像が暗めに思えるし、幻想的な暗闇のシーンが多用されている。それに神秘性が感じられるので、作品の魅力になっている。トラウマや障害が作品の質を高める効果は、かなり一般的なものらしい。芸術家の多くは標準から外れた感性を持っていて、それを表現した時に魅力が際立つ。異常さは、特色になる。   


この作品では素晴らしい悪役が登場していた。警備を担当する元軍人のストリックランドだ。顔も悪役らしいし、新車や不倫、出世に執着する個性も実に素晴らしい。冷戦時代の米国なら、彼のような考え方をする人物が出世競争をしていただろう。 共産主義勢力に対抗するために、非人道的なことをやっても称賛されていたはずだ。あの時代の米国の主流派を、彼は体現していた。多くの成功者は彼のような人物だったはずだ。ただし、演出が少しオーバー過ぎた感じもする。普通の人が、職を失わないために過激になるという描き方もあったかもしれない。車を壊す奴は許さん!といった理由でヒロインらを殺そうとしたほうが、分かりやすかったかも知れない。    


ヒロインも実に魅力的だった。孤独で、友人が少なく性的に満足できていないことも明らか。言語障害があることも特徴だった。障害者を見ると自然と同情の気持ちが湧いてくる。そして異種の生物とコミュニケーションをとる場合には、言語よりも手話やジェスチャーのほうが有効だろうから、ヒロインの個性を設定する場合に、とても好都合だった。でも彼女が未知の生物に心を奪われる経緯は、少し納得しにくいものも感じた。普通ならまず恐怖を感じると思う。不自然だった。  


作品の大きなテーマを考えると、主義や自分の立場、出世や富のために平気で他者を傷つける人間を嫌悪し、偏見なく他者に接する人を支持する姿勢を感じる。人種、外見や主義、宗教に関する一般的な感覚に対してのアンチテーゼが、この作品の根底にあるようだ。不寛容、頑迷さは時代が変わってもなくなりはしない。劇場主も、あの生物を見たら気味悪く感じ、棒切れを持って接しようとするだろう。自分や家族を守ろうとして、過剰な防御態勢をとってしまうはずだ。   


過剰な防御をする権利が法律で認められたら、やっかいなことになる。米国の病根はそこにあるように思える。銃の携行が認められ、他国に軍を駐留させ、米国企業の利益のために他国に圧力をかけても称賛される。罰を受けたりは滅多にしない。国内でも弱者に対しては同じ姿勢になる。それらが法で認められると、ストリックランドのような態度の人間によって遂行されてしまう。 勝者の運命なのかも知れない。

 

 

2018年7月 3日

シュー・ドッグ(2017 )

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- 東洋経済新報社 -


ナイキ創業者の一人だったフィル・ナイツ氏の自伝。波乱万丈の企業家人生が描かれている ので非常に面白い。読んで勇気が出るような、読後の精神高揚効果のある作品だ。映画化されそうな気もする。  


成功者の話は楽しい。当たり前だが、途中がどんなに苦しくても、最後には克服できると分かっている。ナイキも途中は綱渡りだったようだが、大成功したと皆が知っている。  


この本を読むまで、ナイキとアシックスに因縁があったことを知らなかった。ナイキとアシックスの間で裁判をするなら、本当は全員マイノリティの陪審員に判断させるのが適切だったかもしれない。差別意識の要素は大きいからだが、まあ現実には無理だろう。米国の裁判制度の中で勝つのは難しい。 


どちらがどちらとも言い難いが、アシックスが損した部分は大きかったと思う。ノウハウのかなりの部分が持っていかれたようだ。アシックスの人員もナイキ側の工場に移ったと言われているので、言い方はなんだが、アシックス側としては技術が盗まれたという印象を持っているのではないだろうか?    


ナイキ側が最初からそれを意図していたかどうかの証拠はないだろうが、まったく考えてもいなかったとしたら、ナイツ氏は大バカ者だ。工業製品は安い工賃で作り、追加のアイディアを盛り込んで、良いイメージを作ってたくさん売るのが基本なので、盗みは日常茶飯事でもある。アシックス側も技術流出は覚悟しないといけない。ナイツ氏が盗まなくても後進国はコピーしてくる。それらより高いレベルで戦えるように、努力を続けるしかなかった。   


ナイキ側には有利な点が多かった。バウワーマンという有名なコーチがいたことで、製品のアイディアと宣伝効果が最初から備わっていた。彼が創業に関わっていなかったら、会社の設立さえ難しかっただろう。いかにナイツ氏が優秀でも、オレゴン大学に進んで陸上競技をやり、バウアーマンと会っていなかったら、スポーツをネタに商売ができるという発想すら生まれなかったかも知れない。 


ナイツ氏の視点も素晴らしかった。技術に優れた日本の工場を使えば、ドイツの靴に対抗できるかもしれないという視点が、そもそも適切だった。アメリカで靴を作っても、勝負にならない。価格と技術のバランスを考え、生産場所として日本を選んだのは当時としてはベストの選択だったろう。 優秀な部下や、優れたアイディアマンが集まってくれたことも幸運だったと思う。本人のキャラクター、運営スタイルも良かったのだろう。      


劇場主の印象では、40年前くらいに急にナイキブランドが流行りだしたが、全く未知の斬新な会社であり、シューズより先にシャツのほうに印象が残った。新しく、斬新というイメージがした。イメージ作りが上手かった。そのナイキが長いこと経営破綻の瀬戸際だったとは、思いもよらなかった。   


売れたのはアディダスが第一。やたら高かったけど、ボルグが着ていたフィラも有名。同じころ、安めのプーマ。もっと安いカッパ。そんな風に、値段やイメージの違う会社が色々あった。数から言えばアディダスやミズノのほうがメジャーで、アシックスは性能の良さに感心はしていたものの、商売下手なのか、数的にはミズノのコーナーのほうが広く、品ぞろえも良いことが多い。いまだに、その傾向を感じるが、熊本だけの現象だろうか?   


自分の会社で工場を持つのではなく、安い労働力と優れた技術のある地域で生産し、ブランドイメージで売るというシステムが、あらゆる業界で進んだ。ユニクロなど、衣料品はほとんどそうだし、スマホやタブレットもそうだ。巨大な工場を持つことにこだわった日本企業は大きなダメージを受けた。各社ともそれなりに海外に進出したが、米国の他国籍企業ほどドライにやれなかったのではなかろうか?     


だが、その流れがいつまでも続くとは限らない。米国だって国内の産業は必要だろうから、今後はシステムが変わらざるを得なくなると予想する。ユニクロ税、ナイキ税など、企業の形態、場所に応じて管理すれば、多国籍企業の税金逃れもやりにくくなるから、米国だって考えるのではないか?  ナイキのようなグローバル・システムも、やがて生き残れなくなる日が近いかも知れない。その時、自社工場を持つアシックスが、世界を席巻する可能性だってある。アシックスは、とにかく本当に良い品を作るから。 





2018年6月21日

知らないではすまされない自衛隊の本当の実力(2018)

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- 池上彰著・SB新書 -


時事問題に関しての、当代きっての権威である池上氏による自衛隊の解説本。何かの番組を題材に、書籍化したもののようだ。本の最後のほうでは北朝鮮からミサイルが発射されたときに、どのような対応がなされるかが書かれている。   

 

自衛隊を廻る環境が変わり、興味を持って購入。あまり内容を確認しないで購入してしまった。タイトルと違って、実力がどうかは書かれていない。他国との細かい比較が載っていないので、読んでも力が分かるはずがない。   

 

本には明解な図が挿入されていて、よくまとめられ、読みやすいし理解しやすい。優れた編集者、イラストレイター、作業者たちが関わった本のはずだ。 池上氏は膨大な数の本を出しており、テレビにも頻繁に出演し、新聞にも多数の投稿をやっている。恐ろしいほどの活動量だから、秘書に相当する人達は多数いるに違いない。資料を集めて整理し、間違いを検証していかなければならない。とても独りで仕事はできない。おそらく池上氏は監修者に過ぎないのではないかと想像する。   

 

氏は自衛艦に実際に乗ったことがあるそうだ。自衛隊の側も広報活動は必要だから、著名人の池上氏を使って広く自分たちの活動を知ってもらいたいに違いない。最近は一般人も時々船に乗せたりして、身近な存在、信頼できる存在として認めてもらおうという活動もしている。6月17日は民放局の番組で、杉村太蔵氏が潜水艦に乗船していた。まあ国の予算を使っている以上、もっともな活動だと思う。   

 

自衛隊の主な仕事は、今は災害や遭難救助なのが実情。災害の時は本当に頼りになる。消防隊や警察だけでは装備や人員の面で無理がある。その意味では自衛隊は必要であるし、その認識は既に広く国民に認知されたと思う。災害救助隊ではどうかと言う人がいるかも知れないが、侵略だってやがてはあると考えないといけない。自然災害だけで済むはずはない。

いまさら自衛隊解散!を求める奴は少ないだろう。 法的に問題があることは確かで、その整合をどうやるかが問題である。発足時に無理をしているから、常識的に言って法律的な整合性は怪しいと思う。存在自体が違憲と言われても仕方ない。これを国会で政治家たちが論戦して決着できるものだろうか? どんな結論であっても、イデオロギーが絡んで、結局は強行採決されるしかないのでは?    

 

もしかすると、実際に戦争の危険度が上がり、このままでは侵略される可能性が高いと認識されれば、自動的に改憲を支持する世論が強まり、憲法改正が簡単にできるかもしれない。そうなれば自衛隊の存在は法的に確立することになる。 それで間に合うのかという問題はあるが、平和な時に憲法改正を進めるのは、よほどな信頼がないと難しい。今の政府のように、国のことよりも友人達のことを大事にし、嘘ばかりついて責任逃れをするというイメージがつくと、改正への意欲はかなりそがれてしまう。改革には信頼が必要だ。   

 

自衛隊にも信頼が足りない。日報に関して改竄や隠匿、組織内部で情報の管理に問題があったことが明白になったので、どうやら今の自衛隊も旧日本軍と同様、勝手なことをやりそうだという認識が広まってしまった。隊員が頑張っても、上層部の認識が甘く、国民より自分たちの都合を優先する組織であると宣言してしまった。管理能力から考えて、戦いの実力も限られているような気がしてくる。米国製の優れた武器を持つ分だけ有利だとは思うが、実戦で厳しい状況に立った時、意外にもろさを露呈しそうな予感はする。平気で国民を裏切るかもしれない。    

 

ただ、どの国でも多少はそんな傾向があるというものだ。情報操作は日常茶飯事であり、勝ったものが正しいと思われてしまっていると思う。

 

 

 

2018年6月15日

SING/シング(2016)

Sing

- Illumination Entertainment,Universal

 

劇場を運営するバスター・ムーンは、経営不振の打開策として歌のオーディションを発案するが、大失敗が待っていた・・・・DVDで鑑賞。

 

この作品は大ヒットだったらしい。しばらくはビデオ屋でも人気があったようだし、サントラ盤のCDや、ラジオでの曲紹介も何度か聞いたように記憶している。内容も健全だし、ディズニー映画と言われても不思議ではない、家族向けの作品だった。イカ達が躍るシーンは実に美しく、素晴らしいアイディアだった。 

 

この作品は、最初からストーリーが読めてしまう。よほど個性的なキャラクターが登場しない限り、そうそうは受けないように思うのだが、製作者たちの戦略がしっかりしているのか、受けていたようだ。劇場主は各々のキャラクターにそれほどの個性を感じないが、ちゃんと人気を出しているようだから、何かが良かったのだろう。典型的なキャラだったから、幼児たちには非常に受けるのかも知れない。 

 

劇場主の好みとしては、主人公はもう少し辛い目に遭い、根性や友情などによって少しずつ盛り返し、大人も感動できるような真面目路線のほうが好きだが、そんな話で子供たちがシラケてしまっては、興行面で失敗する。子供をターゲットにする選択は正しかったのだろう。

 

極端に意地悪な人物が登場するわけではないので、悪役を倒すことで盛り上がるタイプの話ではない。ぜひ悪役が欲しいと、劇場主は思った。悪役なしで観客に受けるためには、普通の場合は他に代わる大きな魅力が必要だったと思う。子供路線に絞ることで成功したようだが、危ない面もあったかもしれない。  


声優たちが一流だったのは魅力になり、話題の点で成功に貢献したかも知れない。プロモーションビデオには、アリアナ・グランデも登場していた。作中の実際の歌声もかなり素晴らしい出来栄えだったようだ。日本の歌手たちの歌を聴いたが、下手くそはいなかった。そして英語バージョンの歌は本当に素晴らしい。歌や曲の魅力は確実に成功につながっていたはずだ。   

 

さらに思ったのだが、もしかするとオーディション番組のイメージが、作品への期待感につながって成功したのかもしれない。ユーチューブによく出ていた有名なタレント発掘シーンは、ポール・ポッツやスーザン・ボイルなどのスターを生み出して、注目が集まった。あの記憶が、映画の魅力にも関係したのではないだろうか?    


オーディションを使えば注目が集まるだろう、期待感が生まれるに違いないと、製作者たちには分かっていたのかも知れない。ユーチュブがなかったらのアイディアさえ生まれていなかったかも知れないと思うが、どうだろうか?  

 

 

 


 

 

2017年11月10日

シルバラード(1985)

Silverado

 

- Columbia

シルバラードを経てカリフォルニアを目指す兄弟。彼らと行動を共にする仲間たちが、街を牛耳る保安官、牧場主らと一戦交える物語。10月1日、衛星放送で鑑賞。たぶん二回目の鑑賞だろうと思う。部分的に観た記憶があった。

ケヴィン・コスナーが若者役で出演しており、時代を感じる。今は肥満体の彼も、この作品の当時は非常に細身で、動きも軽快だ。この頃は30歳で、すぐ後には大スターにのし上がるが、この頃はまだ一級の扱いではなかった。軽いお調子者として演じている。今でも主演映画があるから、実に息の長い俳優だと感心する。  

 

この作品のウリに相当するものは何だろうか?おそらく、最後近くの銃撃戦ではないかと思う。そこに至るまで、黒人農夫の惨殺、姉一家への暴力、誘拐、移住民への迫害など、様々な怒りの種がまかれ、ついにラストで決戦を迎えるという伝統的なスタイルになっている点は、ウリと言えるだろう。伝統を無視した作品も多いので、今の時代に観ると、かえって斬新に映る。 でも大ヒットした作品ではないらしい。 

 

主役のケヴィン・クラインやスコット・グレンは、西部劇の大スターとは言えないように思う。主役が二線級では、興行的には厳しい。結局、そこがネックだったのかも知れない。狙いを理解できない企画だと感じる。ガンマンたちの友情を中心に抒情的に描くのか、残虐な農場主一派への怒りを爆発させるスカッと路線を目指すのか、リアルか物語性か、何か明確で単純な流れがないと、観ている側の感情の盛り上がりが肩すかしのように、スルリと外されてしまう。それじゃあ、満足できない。 

移住者の奥さんにプラトニックな感情を持つ様子が描かれていたから、たぶん昔ながらの抒情性と、対決の緊迫感を再現したいという意図だったのではないかと思うが、復刻版のような作品形態は、時間が大きく離れないと受けない。  

 

黒人ガンマンが突然登場したような気がした。仲間にならざるを得ない事情があったはずだが、見逃してしまったか、テレビ用に削除されたのか、急に仲間になって保安官たちを攻撃したように見えた。ご都合主義で、ストーリーが展開したかのように感じる。テレビ映画なら良いが、映画では印象を悪くする登場の仕方だった。 

  

 

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