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カテゴリー「し」の111件の記事

2017年6月28日

シン・ゴジラ(2016)

Shin_godzilla

- toho -

東京湾に現れた怪物と、それに対して日本政府がとる対応を、シミューレーション劇のように描いた作品。DVDで鑑賞。

・・・・劇場では観なかった。さすがに怪獣映画を劇場で鑑賞する暇はない。子供が興味を持ったなら話は別だったろうが、SFやCGに慣れっこになっている我が子は、もはやゴジラ程度に浮かれたりはしないらしい。独りで行くのもバカらしいので、最初から興味の対象外。人気があったらしいと後で知って、それでもDVDで充分さと判断し、今回の鑑賞と相成った。

およそはDVDで充分と感じた。ただし、怪獣映画の場合、迫力は劇場のほうが断然あるだろう。残念ながらハリウッド映画ほど迫力のないシン・ゴジラでは、劇場鑑賞のほうが本来の鑑賞方法かも知れない。

役人や議員たちが右往左往し、要領を得ない対処をする様子が非常に的確に描かれており、それでもちゃんと娯楽性を維持している手際の良さには感服した。普通なら、人間たちがバカな対応をやらかして失敗ばかり繰り返したら、なんだか悲しくなるし、退屈してしまうだろう。いかにもありそうな失敗の連続が、実に上手く描かれていた。

主人公たちの懸命な姿勢が感じられたので、彼らの努力に共感できた。主人公を演じていたのは長谷川博己という俳優で、劇場主はこの作品で初めて知った。真面目そうな雰囲気で野心を秘めていそうで、ジャニーズタレントのように整いすぎた二枚目ではないので、こんな作品には向いていた。もしキムタクが演じていたら、嫌悪感を感じたかも知れない。

政治家や学者達が会議をやってるが、「こんな会議なんかやってていいのかねえ?」と口にする人間がいる。緊急事態と、慎重な判断が必要な時と、その区別を速やかにやって、法的な面でも問題なく対処するというのは、現実の世界では難しい。政府や役所の対応は、ほとんどの場合は遅れてしまうものだ。そこを的確に描いていた。

法で規定された事態なら、法で対処すべきである。何も規定していなかったら、事前の準備が足りなかったのさと諦め、臨機応変の対応を取るしかない。原発事故は、ゴジラ襲来とは違って、想定されたものなんだから、事前に何でも決めておかなければならなかった。あれは酷い失策、無策だった。東日本震災の時、物資を送りたいと県庁に相談したら、「何も決まってないので無理です。」と、丁寧なお返事をいただいた。アホか!日本に震災は必ず来るんだ!準備しておけ!

「首相・・・想定外で何もきまってませんでしたあ・・・」は、許されない。でもゴジラは、さすがに想定外でも仕方ない。

最初の段階でゴジラがまだ幼弱な時期に、川に沿って移動するシーンがあったが、あれは津波の映像を彷彿させた。数年前なら、震災被災者の感情を慮ってボツにされそうな映像だ。我々はやっと、あのトラウマ映像の呪縛から、解放されつつあるのかも知れない。でも、被災した人達にどう写ったのか?我々とは感覚が違うだろう。気になる。

ゴジラの退治の方法は、あれで良かったのだろうか?爆撃でも平気な怪獣が、大人しくビルの下敷きになったくらいで液体をゴクゴク飲むものだろうか?さすがに笑ってしまうが、怪獣映画だから仕方ないか・・・・そうそう、この作品は政府の無策を描いた作品じゃなく、怪獣映画だったんだ。

また、フランスを良く扱い、米国を繰り返し批判して良かったのか?娯楽映画だからと許されるなら良いが、もしかして今後、監督やスタッフのスキャンダルが突然公表されたりすると、それは某国諜報部の仕業ということになる・・・・・

 

 

2017年6月16日

ジャック・サマースビー(1993)

Sommersby

- Warner Bros - 

・・・・戦争で死んだと思われていた夫が6年ぶりに帰還した。夫は人格が変わったように村のために貢献し、娘も生まれ、前途洋々と思われたが、逮捕されてしまう・・・・

DVDで鑑賞。実際の事件を元に作られた話で、リメイク版らしい。主演のリチャード・ギアは制作者も兼ねているから、リメイクの強い意欲を持って企画を進めたに違いない。

物語は面白いし、事実に基づくとしたら興味深い。だが今日的には、その意義がよく分からない話。たとえばベトナム戦争後の帰還兵が多かった時代など、意図した何かの狙いがあったのかどうか、画面を見ていても気づかない。良い題材だとは思うが、この企画をなぜ進めたのか、理解はできない。

この作品は、家族で鑑賞するタイプの映画ではないと思う。恋人と観るのが一番だろう。ちょっと変わった形の、物語性の強い恋物語といったところで、普通の恋愛映画を観るより面白いと思う。ただし、作品全体の出来映えは、大傑作と言えるレベルには達していないはずなので、退屈するカップルもいるだろう。

敵役の一人は、後の米国大統領役で有名になるビル・プルマンだった。彼は表情を作りすぎているように思え、あんまり好印象は感じなかったが、颯爽としていたら主人公がかすんでしまうので、敵役としては良い表情だったのかも知れない。

妻役のジョディ・フォスターが31才の頃の作品。色が他の俳優よりずっと白く、肌がやけに美しく感じた。特殊な化粧をしたのだろうか?おそらく役柄を考えると清楚なイメージを強調する必要があったはずなので、ライトを彼女だけに当てるような演出があったのかも知れない。この作品に限って言えば、彼女も少し演出過剰な印象を受けた。

主人公のリチャード・ギアも、自然な演技ができたとは感じない。好感は充分に感じたが、舞台俳優のような演技で、感情の変化が急にあるような、何かのバランスが狂っているような印象を受けた。

6年経て帰ってきた人間は、たぶん風体は非常に変わっているだろう。でも、友人達が本人か別人か判別できないということは、通常なら考えられない。20年くらいの時間が経てば、あるいはありうる話かも知れないが、6年くらいでは無理だ。友人達との細かい過去を全て記憶することは難しい。話の設定に無理があった。

村人も共犯になって、どうしても同一人物だと言い張らないといけないような事情があったほうが、話の展開としては無理がないと思う。経済的な事情なら、それはありうることと思う。その状況を、外部から探索する人物がいて、そいつを悪役としたほうが納得のいく流れになったはずだ。

日本の場合、小野田寛郎氏などの実例は有名だし、抑留から帰ってきた話は万の単位であるはずなので、題材は多いはず。でも、帰還兵が巻き起こす物語は、意外に映画化されたものがないような気がする。少なくとも有名な作品では記憶がない。成りすまし事件も、実はあったのではないだろうか?色々奇想天外なな作品が作られて当然と思う。日本でこそ、この種の物語のストーリーには意味があると思うのに、なぜか作られない。

 

 

 

2017年6月 4日

シング・ストリート 未来へのうた(2016)

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- Sing Street -

アイルランドの高校生が、美女の気を惹くためにバンドを結成。校長などに対する反感、自分の悩みを歌詞にして歌う・・・・

・・・・DVDで鑑賞。観た後に、すがすがしい気持ちになった。質の高い青春映画だと思う。監督のジョン・カーニー氏は自身もバンドをやっていたらしいので、おそらく自伝に近い半創作の物語ではないかと思う。

若々しい俳優達が出演していて、あまり過激な冒険はしないのだが、一種の学園ドラマのようなストーリーが展開し、懐かしいような気分を味わえた。当時の音楽も、雰囲気作りには効果的だった。いちおう、家族で楽しめる内容と思う。

気持ちが盛り上がってキスをした後に、マズイ発言をして「気分が台無しね。」と言われたりする、そんな不器用な様子が非常にリアルで、そこが魅力になっている。あれも、もしかすると実体験を使ったのかも知れない。

キス・・・・なんてことはない行為なんだが、劇場主はなかなか上手くできなかった。満足に女の子とキスできた記憶がない。ふざけたつもりで失敗して怒られたり、逃げられたり、ロクな思い出がない。おそらく、女性を傷つけないことにこだわり過ぎていた。そもそも、キスにこだわらないほうが良かったんだろうに・・・

作中の歌や演奏に関しては非常に上手いとは言い難く、本当のミュージカル映画とは比べるべくもないレベルだったのだが、妙に味のある曲が多かった。曲の質は、確かに重要な要素だったろう。観客が納得できる歌詞だと、「おお、こいつら結構よい曲を歌ってるな、意外だ。」という感情が生まれ、期待感が深まる。効果的だった。

出演していた俳優の多くは、役者のタマゴといったほうが正しいくらいの、素人に近い人達だったという。でも、それが良い味につながっていたように思った。本職の役者は、よほど計算して演じない限り、嘘くさい味につながる。魅力的な演技でも、所詮は芝居だと感じる瞬間がある。素人でも良い場合はある。

ただし、そんな設定が成功するのも、この作品に限った話で、同じ監督が似たような話ばかり、あるいは同じような作り方ばかりやったら、必ず失敗する。完成度の低い、荒削りの、若い頃の思い出に頼るような作品は、おそらく一人の監督では一回こっきりなのだろうと思う。

 

 

2017年6月 1日

ジャングル・ブック(1967)

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- Disney -

2016年版を観て、古いアニメ版の作品がどうだったのか気になり、DVDで鑑賞。ジャングル・ブックは、他にも作品があって合計すると4~5回映画化されているようだ。

67年版は、明らかにミュージカルが主体の子供映画と言える。2016年版は中途半端だったが、音楽の比重が違う。ただし曲調は古く、昭和を感じさせるタイプのスウィング風の音楽、単調に体を揺するタイプの踊りが中心。ペンギンが集団で乱舞するような昨今のミュージカルとは趣向が違う。「スリラー」のMTVの影響で、今のミュージカルは集団の踊りが必要になっている。もう「スリラー」の呪縛を外れてもいい頃だろうが。

登場する動物たちの個性も違っていた。重要なパートナーであるクマのバルーは、67年版では狡賢いところがなく、マヌケな個性。彼の個性を変えた理由は分からないのだが、もしかすると原作に近づいただけかも知れない。原作を読んでいないので、その個性を知らず、よく分からない。

サル達の王キング・ルーイの体の大きさは全く違っていた。67年版は自然な大きさのオランウータンだったが、2016年版は極めて巨大で、現実離れしていた。与える恐怖感は全く違ってくる。これはCG技術が進んだので、迫力を出せると考え、ああしたのかも知れない。

キング・ルーイの歌が気になっていた。2016年版ではクリストファー・ウォーケンがサルの声を真似た上手い歌を歌っていたが、67年版は本職の歌手かラジオの声優だろうか、ほぼ同じ調子で完全なジャズの曲を歌っていた。2016年版で新たに作ったわけじゃなかったのだ。調子のよい曲だから、そのまま再使用したのだろう。

敵役シア・カーンの怖さの表現も、かなり変わっていた。これも技術面の進化を考えて、よりリアルで迫力のある敵役を表現できるという自信が、2016年版の個性を生んだのだろう。67年版は、あまり力を見せていない。かぎ爪を見せて威嚇する程度だ。子供を対象にしたミュージカル映画で、リアルな迫力を出すのは愚かだ。67年当時の敵役は、あのような描き方しか考えられなかった。

67年版のモーグリ少年は、運動神経に問題があったようだ。あれではジャングルで生きていけるはずがない。しかも人間の少女が現れた途端、それまでの長年の友人をも簡単に捨てているではないか!劇場主としては、67年版でも黒豹バギーラとの別れだけは、もっと切ないものであって欲しかった。モーグリ少年のキャラクターも、かなり違っている。

どちらが良いのか、それは映画の個性にもよるだろうが、「人の成長」「自然への敬意」「野生動物への敬意」などのコモンセンスが数十年で変化し、米国人の感覚が欧州や東洋に近づいた点が影響したように思う。かっての米国人は、ジャングルの話なら野蛮人と野獣の荒唐無稽なギャグ、マンガ程度の話で良いさと、どこかなめていたのだろう。

制作者達の教養が変わり、古い67年版の感覚はズレていると感じるようになったのだろうか。その点は、特に象の行進で明らかだ。67年版の脳天気なギャグ調から、2016年版は神聖な行進に変わっている。絶滅危惧種なんぞ気にしなかった時代から、畏敬と哀悼の念を表現する時代に変わったのだろう。

2017年5月23日

ジャングル・ブック(2016)

The_jungle_book

- Disney -

ジャングルでオオカミらに育てられたモーグリ少年だったが、彼を恨むトラとの対決が待っていた・・・

・・・・DVDで鑑賞。いちおうミュージカル作品になっていたのだが、ほとんどの時間は少年と動物たちが会話したり、走ったりする様子が描かれており、ミュージカルの時間帯は長くない。その点で、中途半端な印象は受けた。でも曲自体は素晴らしい。サルの王様の歌は、オリジナル版の曲だろうか、それとも今作の新曲か?

画像も実に素晴らしかった。昨今のCG技術の進歩には驚かされる。「ナルニア国物語」でも、生きたライオンとしか思えない動きが表現され、もはや技術的に完成された感があったが、この作品は、あらゆる動物の動き、表情が実に美しく描かれ、実写としか思えない完成度。声優達も、一流どころを集めていたようだ。ディズニー映画の中でも、かなり力を入れて作られていたように感じた。

でも物語の企画としてはどうだろうか?見終わった後、この作品で特に感動したとは感じなかった。夢や勇気、何かの共感を匂わせる良い雰囲気はあったが、感動作とは感じなかった。劇場主の側の感性の問題かもしれないし、企画の問題かも知れない。

1967年のアニメ版は観たことがないが、絵本になっていて子供の頃から知っていた。イノシシなどと歌ったり踊ったりするシーンがあったはずだ。子供向けの愉快さに関しては、67年版のほうが徹底していたのではないか?

そもそもジャングルの中だけでの戦いで、今日の時代、感動を得られるものか?ジャングルより怖いテロとの戦いが連日報道されている日々である。核爆弾を落とされる懸念もある。先日のように、マレーシアの空港で、妙な液体をかけられて暗殺される恐怖と比べ、トラの恐怖はそうでもないように感じる。

もしかするとトラ一匹ではなく、集団としての悪者軍団が敵のほうが良かったのかも知れない。嫌がらせや、テロのような嫌らしい攻撃を他の動物に与える最悪の集団が敵だったら、怖さや嫌悪感が際立ったと思う。これは意外に大事な点だったかも。基本、敵は一人ではないことが実社会では多いし・・・

まあ、原作があるから大きく設定は変えられないだろう。少しだけ変えて、たとえばトラの首領に、野犬のような他の動物の手下がいるくらいで良いかも知れない。個々は弱いが、トラの威を借りて弱いものイジメをする悪いヤツラが欲しい。そんなヤツラがいたほうが、やられる側はより悔しいものだ。

また、主人公を助ける連中との心の結びつき、仲違いから最終的には献身に至るといった物語の流れにも欠けていたように思う。蜂蜜を得ようと工夫する場面などは、もっと省略しても良かったかも知れない。騙していたという概略さえ分かれば良かったのだから。そういった時間配分の点でも、問題が感じられた。

2017年4月17日

シェルブールの雨傘(1964)

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- Cine Tamaris etc -

17才のジュヌビエーヴは、自動車修理工のギィと恋仲。しかしギィはアルジェリア戦争に出征。ふたりは離ればなれになる・・・・

・・・・ラ・ラ・ランドを観ていて、急に思い出して鑑賞。ラ・ラ・ランドの場合は、戦争が二人を分かつわけではない。でも両方ともミュージカル映画で、恋愛の経緯に似ている部分もある。あらためてDVDで鑑賞してみた。

セリフを全て歌にしている点が、この作品の特徴。しかも、曲にパターンがたくさんあるわけではなく、ほぼ主題曲だけに限定されているから、本当に独特な作り方だった。独特な作り方が魅力になっている面があれば、魅力を損なっている面もあると思う。やはり無理はしている印象。

アメリカ流のミュージカルでは、人物が急に派手に歌い、踊り出す。陽気に跳んだりはねたりするのが通常で、多くの作品が明るい雰囲気になる。派手なのが基本。いっぽうで、現実からは完全に遊離してしまう。暗い話の場合は、違和感が生じやすい。メロドラマは、フランス流のほうが向いているかも。

この作品は役者が口だけ動かし、本職の歌手が歌を担当しているそうだ。したがって、ささやき声もちゃんと聞き取れる。そうでないと、オペラみたいな大仰な動作、腹から出す声が必要になって、現代の物語を描くことはできない。口パクは正解だったと思う。

細かいアイディアや基本に忠実な演出に気づく。列車で出征する恋人を送ったヒロイン、画像のすぐ後でプイッと去って行く。普通は列車が見えなくなるまで見送るだろう。つまり既にヒロインの心は堅実な判断に傾いていたのか?と、想像できる。ちゃんとオーソドックスな演出をこなしている。

曲が素晴らしかった。ミシェル・ルグランはたくさんの映画音楽を作ったが、この映画の曲が一番素晴らしいと思う。悲劇的なストーリーと相まって、印象深く残った。でも制作当時、監督はそれほど有名ではなかったと思う。しかも、この企画はかなり斬新だ。よく参画したものだ。作品がコケると思わなかったのだろうか?

娘が妊娠して、母親が困ったと言いながら、嬉しそうに孫の洋服を準備するシーンが笑えた。娘の将来を考えて策を練りながら、孫のことは別と認識し、楽しみにするのは、たくましくて、しかも人間的と思う。母親のキャラクター表現として、最高だったと思う。

カトリーヌ・ドヌーヴが非常に痩せていて、メイクのせいか頬もこけていた。役のためにダイエットをやっていたのかも知れない。ラ・ラ・ランドのヒロインは悲劇的な印象が全く感じられなかったが、ドヌーヴは完全に作品のイメージに合致している。メロドラマなんだから、ドヌーヴのような女優のほうが役柄に合っている。

フランスは未婚女性に手厚い保護があるという。でも、当時は女性が独立して生きていくのは難しかったのかも知れない。豊かな生活は、豊かな人と結婚することが今でも大きな条件。米国で映画スターを目指す野心家の娘とは、キャラクターが違う。したがって、キャスティングも違って然るべきではある。でも、一般的な傾向として、恋愛映画では悲劇女優のほうが印象に残ると思う。

ギィ君のほうは、あんまり冴えない役者のように感じた。眉毛を寄せる表情が情けなさ過ぎる。この作品では、ドヌーヴの添え物としてしか扱われていなかったのかも知れない。凄い二枚目、マッチョマン、男っぽい役者だったらどうだったろうかと思った。たぶんスター俳優のほうが女性の観客に訴えるものがあったのでは?

 

2017年2月25日

シチズンフォー スノーデンの暴露(2014)

Citizenfour


- 現実を表現 -

米国情報機関のスタッフであったスノーデン氏は、マスコミに仕事内容を暴露する。身の危険が迫る中、暴露によって国家の犯罪的行為が明らかとなる・・・・

・・・DVDで鑑賞。87回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門を獲得している。映画界の良心を表している。

ローラ・ポイトラスという方が監督しているそうだ。ただのインタビューだけではなく、当事者達の緊張が分かるようなシーンを記録していて、表現の技術が素晴らしいと思う。また作品の中では、グレン・グリーンウォルドというジャーナリストが画面に登場し、世界を舞台にインタビュー、講演、証言をこなし、情報発信している。彼らの行動力には喝采を送らないといけない。

いっぽうで、情報機関側がやったことは犯罪なのか、そうではないのか、そこらの法的な判断については分からない。明らかにプライバシーを侵害して情報収集をやっていたことは確かだが、それを律する法律はないかも知れない。そうすると、違法行為にはならない。各国首脳の通話を傍受しても犯罪と言えないのなら、要するに法や取り決めに不備があるということだろう。

逆にスノーデン氏は、おそらく犯罪者になってしまう。情報、国家機密の漏洩にあたるだろう。また、ロシアに行ったということは情報機関の情報を漏らしたと見なされるから、国家に対する反逆罪にも相当するだろう。罪状が数十個並ぶはず。おそらく就職の時に守秘義務に関して契約しているはずだから、明確な契約違反にもなる。国民に対しては英雄的行為だが、国家機関にとっては犯罪。変な話・・・

スノーデン氏の告発は大きなニュースだった。オバマ政権のイメージダウンにつながったはずだ。共和党政権なら当然やりそうな行為だが、人権派のオバマ氏が許可するとは意外。明らかに個人の権利を侵害しているのだから、何かの抵抗はあったはず。情報当局に押し切られたのかも知れない。でもオバマ氏のような法の専門家から見れば、合法的なのかも知れない。

仮に、たとえば劇場主がテロ対策管理者だったとすれば、凶悪テロを防止するためには、テロリストの情報を見逃すわけにはいかない。テロは悲惨きわまりない。何らかの手段によって、テロ計画を調べないといけない。何が何でも、予防しないといけない。それには通話記録、ネットの通信記録が望ましいと、通常なら考えるだろう。当然である。

そのテクニックを編み出すことが可能と分かれば、急がないといけない。日々、様々なテロ計画は進行中のはずで、同時多発テロ事件のことを反省すれば、想像の範囲の外にいる人物がテロを企画しているのだから、全ての人を対象に調べるのが当然と、結論は決まってくるのだろう。傍受を禁止すれば、おそらくテロは防げない。それが現実。

しかし、権利侵害に関して問題なしとは言えない。公聴会で虚偽の証言をした点は、明らかに違法。情報収集の対象を一般市民ではなく、限定されたテロ集団だけと偽っていた。米国政府が国民を欺いていたことは間違いない。やはり、批判は覚悟して、首脳部は正確に事実を述べるべきだったと思う。

日本も、傍受される側であろう。右翼、左翼、政治家や気鋭の論客といった人物は、必ず調査対象になっている。弱みを記録し、将来圧力をかける際に使うと思う。日本をどれだけ調べても、米国の情報部が罰せられる可能性はない。IT技術が進化する前から、日本は米国の支配下にあったのだから、情報収集技術が変わったに過ぎない。今後も続くだろう。

日本側も、その情報を利用させてもらっている可能性がある。暴力団や共産党の情報は、おそらく警察は欲しいだろう。日本側の情報と引き替えに、何かの取り引きがあっていても不思議ではない。日本独自に監視をしているかは分からない。道路上の移動は監視されているが、通話はどうだろうか?小さな選挙事務所を盗聴した事件があったくらいだから、何もやってないはずはないが・・・

誰の情報なら認めるか、そこが大きな問題。個人によって考え方は色々だろう。劇場主は、自分自身の情報を警察に調べられるのは構わない。仮にアグネス・ラムや樋口可南子の写真集を押収されても、涙を飲んで我慢する。でも、もし劇場主がベッキーとゲス不倫している最中なら、メールを読まれると困る。劇場主の精力の度合いによって立場が変わるのである。

裁判所か人権団体など、捜査を審査してくれる一定の歯止めは必要と思う。歯止めがないと、管理が厳しい全体主義的体制に陥る。現状は既にそうなっていることになる。ルールを整備しないといけない。でも、それができていない。国民の多くが認識不足だからだろう。

 

 

 

2016年12月25日

シリーズ・マネー・ワールド(2016) 

- NHKドキュメンタリー その二 -

<システム改革>

金の動きをコントロールする仕組みも、もしかすると画期的な技術かも知れない。資本が容易に集まり、かつ自由度は保たれ、でも暴走せず、破綻や停滞が来にくい仕組みは、正しい理論さえ生まれれば、できそうな気がする。

正しい理論・・・・ただし、そう簡単に生まれるはずはない。共産主義のように世界を支配しかねなかった理論でさえ権威失墜するくらいだから、理論が実地で上手く働くのは簡単じゃない。悪い面の修復を狙って何かルールができても、大企業が米政府を動かして撤廃させようとするから、力で潰されてしまうのが現実。

今日の経済システムは弊害が多く、公平さや秩序を欠いていると思うが、システムさえ変われば、もっと効率的な金の流れができないだろうか?暴走せず、過度に集中せず、弱者にも優しい、そんなのは理想だろうか?

理屈はどうあれ、米政府は米国企業の利益のために動くだろう。軍事力を背景にした力で、他国の政府に圧力をかけるから、米企業の利益に反する改革は難しい。でも今後は中国とのバランスが変化し、あまりに露骨な圧力を米企業がかけられなくなったら、一気に改革が進む可能性もある。逆に中国が破綻したら、酷い結果もありうる。

いっぽう別な問題だが、我々は賭けのテーブルの上で生きているようなもので、資本主義経済は、何かの思惑によって投資がなされることで始まる。思惑が大事で、投資家はそこに賭けている。その金の流れの勢いの中で、我々はおこぼれを頂いているようなものである。もし賭けの邪魔をすると、猛烈な反発を受ける。賭けは、元々そんなものだ。日常のちょっとした賭けでさえ、中断されると怒られるのだから。

新しい試みは誰でもできるが、では現行の体制を止め、新しい経済システムで世界を運営しようとと言ったところで、協賛者はたぶん出てこない。賭けの中断は、怖ろしい反発を生む。賭けを捨てて、財産を擦ったらアホらしいからだ。テーブルについたギャンブラーは、なかなか席から降りないものだ。よって、新規の理論は認められにくい。

それでも、やがては画期的なシステムが登場しうると信じる。ルールを作り、狭い地域で試して成功すれば、他が真似てルールは一般化しうる。上手く行かないのは単純に、ルールが問題なのだと分かる日が来るはずだ。現行の体制とは争うだろうが、方法次第では穏やかな進化も可能ではないか?テーブルを降りたほうが利口と分からせれば良い。

資本主義を進化させた形で、国家のエゴが排除され、グローバル企業の圧力に耐え、人類の持続を確保しうるシステムが誕生し、信頼を得ることができるならば、そこに資金も集まり、金の流れができる。問題をコントロールすることも可能と思う。

<後出しジャンケン法>

租税回避があるかぎり、税制改革の力は大企業には限定的。海外に逃亡されたら、せっかく工夫した税制度も意味を成さない。税収が減って国の財政が厳しくなると、経済破綻の時の緊急対応も難しくなると思うのだが、そこまで気にする必要はないと、大企業は考えるのだろうか。

大企業が国家に替って住民サービスをやれるなら話は別だが、基本として課税権は国家にあり、また今後もあるべきと思う。国家ごとに自国の企業を優遇したいから、国際的な取り決めで税逃れを管理するのは難しい。法人税を下げたい国は、自由に下げさせるしかないだろう。

それなら、タックスヘイブンの利用など、なんらかの税逃れをやった企業、個人に対して、後から新たな税をかけるというアイディアはどうだろうか?「タックスヘイブン税」・・・なんか妙な名前だが、そんな税をかけられるくらいなら、国内で納めようかと考えてくれて、金の流れを正常化することも可能になる。

租税が低い国に申告する場合、総売り上げに対し課税すれば、資産を移すメリットが減る。もちろんタックスヘイブンで成り立っている国の財政も考え、税率は慎重に調整しないといけないだろうが、何も対策をとらないでおけば、財政秩序を悪化させるだけだ。理屈から考えると、タックスヘイブンをやる国は、税を減らされて迷惑する国と、なんらかの条約を締結するべき義務が本来はあるはず。

実際の税逃れは、複雑な手続きをとって分かりにくいものだろう。移住や、資産分与などを介されると、把握するのは難しい。しつこく調査して、後になってカラクリが判明するのがせいぜいだろう。したがって、課税する場合は、微妙な点が実は違法だったのだと、後日の判断が必要になってしまう。後出しジャンケンのように。

後出しはずるい、憲法違反だと反論されるだろうから、正面切っての実現は厳しいだろうが、少なくともそのセンスは必要と思う。先取りして、「今後、後出しで課税する予定なので、自主規制してください。」・・・そんな脅しも有効ではないかと思う。財務省の高官が、そのように考えているらしい・・・・そんな情報だけでも有効だ。

いろいろ後出して、「天下り税」「原発事故処理目的税」など、どうだろうか?反発は喰らうが、予算は確保できる。今の時代は、予算確保が最優先課題。財政破綻したら反発もへったくれもない。法の不備をついて過剰な利益を得る人、無責任な人に、後から怖ろしい税がかかるならと、阻止効果があるように思う。

<TPP>

日本の場合、TPPの影響も懸念材料。どんな密約が交わされているのか分からないので、影響もよく分からないところが怖い。TPPへの参加で、GDPがこれだけ伸びるといった試算が発表されるが、根拠の薄い数字だと思う。ほとんど指標がないまま、運任せで参入しようという今の情勢には危機感を覚える。

トランプ政権の間は、おそらくTPPが発動する可能性はないはず。でも、おそらく次の政権は正反対の立場を採るだろう。その時が問題になる。

仮に何か良い税制、規律を日本が開発しても、おそらく不利益を被る米国の企業が許さない。米国政府を動かして、圧力をかけてくる。噂によれば、裁判は米国の裁判所でやって良いという。嘘みたいな話。普通は第三国でしょうが!

TPPの理念は、新資本主義の時代の名残りを感じさせる。単純に言えばグローバルなのは良いことという認識が、その根幹を成しているように感じるのだが、害もグローバルに生じるはず。害を防御する仕組みを確保しないといけない。

各地域の住民が、独自の政策を持つ権利を有しないと、その地域が経済的に破綻する危険性がある。破綻を補償する規定があるのだろうか?あるとすれば、おそらくTPPはコスト的に無駄も多いことになり、規定がないとすれば、危機管理のできない浅はかな仕組みと考えられる。

<トランプ>

国家の体制と資本主義のシステムが、理論的に反することが明らかになりつつある。トランプ政権は、おそらく国家の管理を維持することにこだわった人達が成立させたものだろう。しかし、新政権の首脳はグローバル企業のCEOが占めている。嘘くさい出だしになりそうだ。

米国第一と言いつつ、大企業優先に動くぞと宣言したかのような人事ではないか?上手な宣伝文句に騙されて、しばらくは国民も支持するかも知れないが、CEO達がヘマをしたら、きっと本性に気づくだろう。無理に強硬な態度に出て、国民の目をそらそうとしないか、そこが心配。

 

2016年12月19日

シリーズ・マネー・ワールド(2016) 

- NHKドキュメンタリー その一 -

資本主義の問題点、今後の展望を描いたシリーズ。専門家と爆笑問題のコンビが司会する、ドキュメンタリー的エンターテイメント番組。10月16日夜9時を第一回に放映された。

ついにNHKで、資本主義を批判する番組が堂々と作られる時代になったとは! かって共産主義勢力が活発だった頃は、資本主義に異を唱える連中は全てアカ呼ばわりし、その影響力を排除しようと躍起になったのに、CIAはNHKから手を引いたのか・・・

冗談はともかく、この番組はかなり公正に作られていた印象。資本主義に問題がないはずはないので、どのような点が酷いのかを映像やCGを使ったグラフで解説しつつ、対処は可能かも知れない事、技術によって展開が開け、また成長を回復できるという希望もちゃんと盛り込まれていた。

今日の問題点は、やはり成長の鈍化。そして貧富の格差の拡大。グローバル企業の言いなりになった制度など、それらは今日なら誰でも耳にし、体感もする懸念材料だ。そして解決に向けてカギとなるのが技術革新であることも、ほぼ誰もが期待していること。問題意識の強さは人によって違うかも知れないが、問題点に関してはほぼ意見が一致していると言えそう。

劇場主の感覚は、資本主義的だろう。どっぽり消費主義の言いなりになっている。自分自身がどう教育され、どんなライフスタイルに親しんできたのか、自分で把握することは難しいのだが、新しい商品を買い続けて質素倹約にほど遠い生活を送っているから、さぞや善き教育や強力な宣伝を受けたのだろう。

<成長の鈍化>

もっと収入が減ってきたら、劇場主だって倹約するはず。おそらく、情けない気持ちを感じながら、より安き物を買うか、もう買わないか、その時に判断すると思う。それが皆の感覚で、そうすると当然だが平均給与が下がっている現在、商売の規模は縮む傾向になる。労働者に充分な給与をあげないと、売り上げが落ちる。これは基本的な今日の問題点で、厳しいジレンマだ。

おそらく単純に考えて、金が中国や東南アジアに流れた点が、結果として欧米のジレンマにつながっている。経済成長する地域に投資が集まるのは当然で、成長が低いところに投資するアホは少ない。集まらない地域は、さらに成長が鈍化する。欧米の投資部門だけは好景気だろうが、労働集約的部門には金が入らない。生産の現場は東~東南アジアだから、当然だ。

考え方を改めるべきではないか? 十億人の国が本当に6%成長していたら、それは奇跡的な成長と言えるのではないか?世界の7分の一の住民圏がどんどん成長してるなら、それは一般的に言えば好調と思う。金が降りてこない地域がジレンマにはまっても、世界全体で見れば成長していないだろうか?

資本主義の問題と言うより、単なる投資先の移動に過ぎず、それを見て、世界経済全体の縮小と勘違いしているだけかも知れない。番組で使っていたグラフは、必ずしも信用できない。実は経済は拡がりをみせており、まだ資金回収の段階に来ていないだけで、今は鈍化した印象を受けても、それは投資の際の普通の状況とも考えられる。

<技術革新>

新規の技術に関して思うに、何か思いもよらぬブレイクスルーは突然起こるものだ。IT技術が進歩したのは、せいぜい30年くらいのことで、30年前の劇場主は変化を想像していなかった。多くのアイディアが今も生まれている。凄い技術が、IT分野には確かに起こった。革新がないわけじゃなく、分野が限られただけかも知れない。

通信や販売管理に関しては、もう想像できるシステムは出尽くしてしまったかのように感じるが、ちょっとした工夫は限りなく発生するだろう。ただ、昨今はブレイクスルーに相当するモノが出ていない気もする。昔は数百年単位でしか大発明はないものだったはずだが、数年単位に慣れてしまっている。

iPhoneやSNSは画期的な商品と言えばそうだったが、手紙やアナログ電話の比率が減っただけかも知れない。伝達の早さや画像を組み合わせる技術は素晴らしいと思うが、そもそもIT関連技術は、人類の数を直接的に増やす類の技術ではないので、その点で真に生産的、革新的ではない。

温暖化をコントロールできる技術、地下資源を損なわない発電、食物生産を増やすか効率化できる技術、地球外に簡単に移住できる技術などは、真に革新的なものとなるだろう。人類の不安を減らし、持続を可能にしうる点で、IT技術とは意味が違う。そんな肝心の技術革新が不足している。そこが心理的には、技術の停滞と感じられる理由だろうか?

だが、今後そのような技術が出てくる可能性は高い。何も策が出ないと考えるのは無理だ。短期間に次々というわけにはいかないかも知れないが、学術に限界は見えていない。革新的かつ生産的、そんな技術がきっと出てくるから、未来はそれほど暗くない。根拠は乏しいが、そのように思っている。

 

2016年6月28日

仁義なき戦い(1973)

Toei


- 仁義について -

呉市を中心に起こったヤクザの抗争劇を、当事者の自伝を元に小説化、映画化した作品。DVDで鑑賞。

この作品に興味を持ったのは、衛星放送だったか、深作欣二監督の追悼番組を偶然見ていて、監督の出世作であることから紹介されていたため。当時の関係者が口を揃えて名作名作というので、これは見ないわけにはいかないだろうと思った次第。

この作品はかなり血なまぐさいシーンが多い。したがって、今でも小さな子供には向かない映画。恋人と楽しめる内容とも思えない。でも、古くささを感じにくい点では、やはり作り手の意気込み、出来の良さを感じることができる作品と思う。完成度の高い熟練の業を感じられる作品ではなく、荒削りの魅力がある。

公開当時の頃のことは記憶にない。大ヒットしたそうだから、おそらく雑誌、テレビなどで盛んに評価、宣伝されていたはずと思うのだが、「仁義なき・・・」という言い回しが慣用句になった以外、この作品について知ることはなく、今までビデオを観てみようとも思わなかった。

この作品の影響を受けた作品は、多数あるように思う。刑事ものや、ヤクザ映画の多くに、似たような作品が多い。ヤクザ映画独特のヒロイズムには、チャンバラものの影響が感じられるのだが、時代劇はリアルではない。昭和を舞台にした実録路線の場合は実在感が引き立ち、観客も感情移入しやすくなるはず。こういった作品に根強いファンがいるのも、理解できる気がする。

主人公を演じていた菅原文太が非常に若い。当時すでに40歳くらいだったはずだが、前半部分では若者の雰囲気がちゃんと出ている。刑務所あがりになってからは、貫禄の漂う兄貴分の雰囲気がちゃんと出ており、表情やしぐさの演じわけが素晴らしい。メイクや演出の効果もあるのだろうが。

渡瀬恒彦や松方弘樹も非常に若々しく、役を楽しんで演じているように感じる。原作の評判が良かったそうだから、映画のほうもヒット作になるという期待を、皆が持っていたのではないだろうか?多くの人に観てもらえそうなら、やる気も違ってくる。

劇場主もヤクザを診察する機会が何度かあったが、すごんだりされたことはない。子分達は私が何かしないか監視していたようで、周りをびっしり取り囲むのだが、それだけだった。脅しても仕方ない場合に、わざわざ声を張り上げるのは無駄だと解っていたからだろう。劇場主が殺し屋でないと解れば、何もする必要はない。

考えてみれば、医者の恰好をした殺し屋がいても不思議ではない。この作品では駅員の恰好をした殺し屋がいた。白衣は簡単に手に入るから、診察のフリして殺しに来られても、やさ男の場合は解らない。女医だって油断はできない。

ヤクザ者達の考え方は理解できない。何を好んで裏稼業に残るのか?仁義についても、その意味するものの本当のところは解らない。仁義に対する考え方は、おそらくヤクザ者でも各々、違った風に理解しているのではないか?その認識の違いが、抗争の原因になることだってあるかもしれない。

本物の呉市の抗争も、映画と同様に裏切り、仲間割れの連続だったようだが、そうまでしないといけない理由は何だろうか。基本には競争心や、甘えがあるように疑う。兄弟分になるということは、自分を無条件で守って欲しいという欲求のなせる業ではないか?そういった感情に基づく行動は、子供のように過剰になるだろうし、もし裏切られると、殺意に直結するはず。

ビジネス感覚の契約の場合は、裏切られたとしても契約違反で訴えるかどうかというドライな反応に終わりやすいが、無条件の友情を期待する関係の場合、紙の上の契約とは感情的な部分が違い、恨み百倍に達することも理解できる。そこを互いに理解していれば、関係も強固になるはず。お互いがそう認識していると確信して初めて、安心感を感じられる。そこを業界でルール化したものが、仁義ではないか?

義兄弟、親子の杯を結ぶ儀式は、さながら宗教儀式のようで、何か神聖なものを期待する雰囲気が感じられる。理屈や文書による契約ではなく、感情に基づく契約を象徴している。そういった関係が縦横に張り巡らされた世界では、行動がエスカレートしやすいのではないかと思う。

医者の世界も、彼らの世界と大きくは違わない。仁義に似たものを要求する人物が多い。無茶な自己実現欲、競争心を持っている人も多い。猛烈な出世欲、縄張り意識、保身目的の言動、空威張りや実績のアピールなど、刀を振り回すのと表現方法が違うだけで、レベル的には似たようなもの。おそらく一般の会社でもそうだろう。

政界もそうだ。先日の舛添氏の辞任劇は、不自然な点が多かった。舛添氏と官邸、森委員長あたりとの意見の相違、感情的な軋轢が原因となって、マスコミを使った波状攻撃の動きになったのか?あるいは中国と独自に関係を構築しようとしたことが、某国の逆鱗に触れたのかも知れない。

参院選で影響を受けたくない公明党が、大急ぎで排除すべきと判断した可能性も高い。彼らは選挙に関してはプロだから、対応も早い。そもそもは争点になっていた五輪開催の資金提供に関して、国と舛添氏の間で意見がまとまらず、下ろす必要性を誰かが感じ・・・・

「あいつの弱みは何かを探れ!」と指示が出ると、税務署や都の課長連中、会計課あたりに探りが入る。「舛添は金の管理にケチがつきます。」「よし、強請ってもダメならキャンペーンを張れ!」ってな工作は、簡単に思いつく戦法だ。実力者と対峙する時は、弱みがあってはならない。敵は違法かどうかなど気にしないし、仁義なき連中なのだからと氏に言っておきたかったが、もう後の祭り・・・

金、名誉、支配欲、自己実現欲などの基本的な欲求は、どの世界も同じなのだと考える。学歴や職歴、地位などは、人格や生き方とはあまり関係ないようだ。

 

 

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