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カテゴリー「し」の85件の記事

2020年11月19日

少年と犬(2020)

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- 馳星周著・文芸春秋社 -

東北から九州まで、心に傷を持つ人々に寄り添うかのように、一匹の犬が旅をする物語。直木賞をとった作品。 

この作品は映画化されそうに思うのだが、問題は犬をどう表現するかだ。日本映画の予算では、完全なCG化は難しい気がする。海外のスタジオに依頼してリアルな犬の画像が得られるなら、実写版も製作可能だろうが、アニメ化のほうが現実的かも知れない。

この本を買った時、最初は短編小説集なのかと思った。犬に関わる人々を別個に扱い、各々の話に関係はないのかと思ったが、登場する犬は一匹のようで、各々の章は時系列でつながっているようだ。

ただしラストの表現を読むと、この犬が一匹だけとは限らない。各々の章が別個の話でないとも言い切れないし、時系列でつながっているとも限らない。単に他の地域も旅したと表現したのか、あるいは犬がもっと象徴的、普遍的な存在なのかも知れないという匂わせの印象も受けた。  

東日本震災で被害を受けた地域の犬が、全国各地を旅をして、一人の少年に会おうとするが、その途中で出会う人々も含め、勇気づけてくれている・・・犬と人への愛情にあふれる話だ。 

著者は雑誌のインタビューによると、犬のために移住したくらいの本格的飼い主らしい。物書きだからできたことでもあろうが、たしかに犬のためには広大な遊び場があったほうが良い。都会で飼われている犬は、可哀そうな気がする。

犬の話を書くためにも、実際に犬を飼って、よく犬のことを知っている必要はある。一度も飼わないまま、小説で犬の生態を表現するのは無理があると思う。この小説は馳氏だから書けたと言えるだろう。 

ただ、気になった点もあった。各章に登場するのは別個の人間なので、同じ犬を見ても、感じ方は絶対に違うと思う。でも誰もが、この犬は賢いと思った・・・腸捻転に用心しないといけない・・・言葉を理解しているようだ・・・そんな同じ評価をしていくのはおかしい。

鈍い飼い主だっているはずだし、一緒に寝るのは遠慮する、顔を舐められるのは嫌、イライラして叩いてしまうなど、バラバラの反応をするのが普通だと思う。著者と違う感覚の人間が犬と接した場合を想定した表現になっていなかったように感じた。

文章が、もっと格調高くても良い気もした。海外の小説なら、各地の風景の描写がしばらくありそうだ。そこに住む人達の個性や地域性を盛り込もうという文章はよく見かける。この作品に、それはない。 

それでも、この本には素晴らしいアイディアが感じられ、犬への愛情に満ちた内容で、読後感が素晴らしく良かった。

 

2020年11月 1日

首里の馬(2020)

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- 高山羽根子 -
 
私設資料館を管理するヒロインは、台風の後、自宅の庭に馬が迷い込んでいることに気づく・・・・第163回の直木賞を獲得した作品。雑誌・文芸春秋誌上で読んだ。

作者の高山氏は30代から小説を書き始めたというが、老練の作家のような手慣れた手腕を感じさせる。小説を書くための基本技術を教室に通って学んだそうで、たしかに基本的なプロットを積んで、教科書の手順に則って話を構成したような印象。 

ヒロインの人物像が良く考えてあった。不登校から資料館に入り浸るようになる経歴は、現代では起こりうることだし、普通ではないヒロイン像をイメージさせるのに便利な設定。しかも、彼女が精を出す仕事も、日本語で外人にクイズを出すという一風変わった内容で、あり得るようなあり得ないような、微妙なライン。まさに小説のような設定で、絶妙だった。

馬が民家に迷い込むことが実際にどれくらいの確率で起こりうるのか、これも微妙なラインで、あるようなないような話。それらのプロットによって、この小説は非常に個性のある話になっている。

文章力が凄いかどうかはよく分からなかった。村上春樹氏のように、一読して文章の美しさに感銘を受けるタイプの書き方ではないと思うが、読みやすい表現で奇をてらうことのない、きれいな文章だと思う。

同じように設定、発想が素晴らしい百田尚樹氏は、文章力には改善の余地がある。でも、高山氏は構成力と書き手の力の両方のバランスが良いように思う。実際には頭をしぼって作業しているのかも知れないが、雰囲気としては自然に話を作れているかのようだ。  

ただし、劇場主はヒロインに共感することはできなかった。微妙なラインをつないだ設定は、想像力に欠ける一般人には少し遠すぎる話に思えてしまったのかも知れない。あまりに現実的なだけの主人公では話が面白くなりにくいという問題もあり、どういう話にするか、現実に近づけるか離れるかは難しいが、今回はもしかすると解離し過ぎた点があったのかもしれない。 

現実的な話・・・たとえば馬のフンの処理で困るヒロインなどを描くばかりだったら現実的描写ではあるが、話は面白くもなんともなく、読んでもいっこうに楽しくならない。「首里の馬の糞」・・・そんな小説は誰も読むはずがない。

読んでもらうためには、おそらく誰か個性的な恋人、つらい過去を持つ住民などを登場させ、ヒロインの心情が激しく動くと良い。そして馬の存在によって、その心の変化は美しい方向に昇華していく・・・そうすると単純なメロドラマになるのかも知れないが、それだと感情移入はしやすかったのかも知れない。

 

2020年10月20日

ジュディ 虹の彼方に(2019)

Judy

- Pathe etc. -

うらぶれた元スター、ジュディ・ガーランドがロンドン公演に挑む物語。DVDで鑑賞。軽快な曲をステージ上で歌うシーンと、辛い現実社会のシーンが交互に繰り返され、バランスが良いと感じた。悲しいシーンばかりでは、テンポが悪くなるし、見ていて辛いはずだ。

いっぽうで、人気絶頂の頃の彼女がステージで踊るシーンが出てこなかったが、勢いの落差を際立たせるためには、若い時代のダンスのシーンもあると良かったように思えた。

この作品でレネー・ゼルウィガーがアカデミー賞を取った。たしかに、その価値のある演技、歌唱だった。 ゼルウィガーを知ったのは、「ザ・エージェント」(96年)の頃だが、それから約四半世紀も活躍しているのは、確かな実力があったからだと、あらためて感じた。

昔から歌のトレーニングをしていたかどうかは知らないが、「シカゴ」でちゃんと役をこなしていたし、舞台女優をしていた時期もあったそうなので、素養はあったに違いない。 

ただ正直なところ、初期の彼女は演技にコメディー女優らしい、独特のわざとらしさを感じたし、際立つ美人とも思えなかったので、いろんな作品で次々とヒロインを演じられる理由が分からなかった。

でも、この作品での役作りは大したもので、すごいダイエットをして、うつむき加減の姿勢、妙なクセを徹底的に演じて、薬物常習者らしい雰囲気を上手く出していた。演技に対する覚悟、迫力を感じさせてもらった。 

ジュディ・ガーランドはLGBTにも理解がある人だったらしい。途中で英国のホモセクシュアル・カップルとの交流のエピソードがあったが、本当に一般人の家を訪問したりしていたとは考えにくいので、映画用の設定ではないかと思う。彼女の考え方を表す意図があったに違いない。ラストシーンにもつながっていた。

そう言えば、LGBTの人には、デビー・レイノルズを好きな人が多いという話を聞いたことがある。ミュージカル女優とLGBTには、何か脳科学的関係があるのだろうか? 

ジュディ・ガーランドは日本の美空ひばりとの共通点が多い。少女時代にデビューして、特殊な世界で成長して業界の中で結婚し、映画やステージで圧巻の姿を見せつつ、精神的に不安定で、ともに早死している。ステージや映画での派手な姿と、実生活の破綻した哀れな姿は、芸能の世界で生きた旧来のスターの象徴のようだ。

今日でも人気俳優、有名な歌手は大勢いるが、40~50年代のスターとは注目のされようが違う。注目の凄さが、歌い手としての高揚感、自尊心の満足、依存症につながりやすかったのかも知れない。

 

2020年10月17日

新聞記者(2019)

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- スターサンズ,etc -

内閣府が進める大学の新設計画に疑問をいだいた記者は、役人たちに接触を試みる・・・DVDで鑑賞。静かで、緊張感に満ちた映画。

ヒロインは日本人じゃなく韓国の女優さんで、日本語は上手ではなかった。劇としては、日本の女優に演じてもらったほうが良かったと感じた。彼女の表情も少し妙な感じがした。 

官僚役の松坂桃李は、緊張で顔色が悪くなった時、無理に笑顔を作ろうとするときの表現が素晴らしく、確かな実力を感じた。新聞社の上司役、内閣情報調査室の上司役も、それぞれに良い味を出していた。 

政治家の役は誰も登場していなかった。誰かを連想させないように配慮したのだろう。でも、官邸官僚の誰かは登場させて、部下を脅したり、暗躍している姿くらいは描いても良かったのではないだろうか?きっと制作会社に圧力はかかっていたろうから、ギリギリの判断があったに違いないが。 

内閣府の中に、ネットを監視する部署が本当にあるのだろうか? 警察関係にはないと困るが、内閣府が情報操作に携わっているなんて妙な話。ロシアや中国、北朝鮮にはネット部隊があるそうで、米国の世論に関与しているみたいだ。

映画で出て来た活動は、海外のネット部隊と比べるとあまりにも惨めで悲しい。本来やるべき仕事は、海外からの情報操作への防御、そして戦略的なウイルスの監視だろう。だから、ほとんどのスタッフはハッカーや、専門の学校を出た人間から採用しないといけない。外務省出身では、能力的にどうか?

この作品は、あくまでサスペンスタッチのフィクション映画で、実際の国の施策とは関係ない話であるが、連想させることを意識して作られたものであることは明らかだった。実際の事例は、加計学園が新規の獣医学部を作ったものだ。

内部に細菌兵器の製造に関係しうる施設があるかどうか、隠された意図があるかどうかなどは全く分からない。バイオテロに対して備える意味で、研究所は必要だと思う。でも、それは防御のための施設であり、PCRや培養などの検査機器を備えてスピーディーに診断できることが第一の目標になる。獣医学部の内部では、いくら何でも無理がある。  

病原体をまかれたら、敵も味方も被害を被るのだから、そう簡単に実地で使うことはできない・・・はず。ただ、敵国が何を考えるかは分からない。想像を絶する計画をやられても耐えうるように、備えることは望ましいと思う。     

日本は過去に細菌兵器の開発のために酷いことをやっていたので、兵器の開発を連想させることは絶対にできない。ただ、国立の衛生研究所のような組織で、公衆衛生や防衛に関わる仕事はしておく必要がある。バイオテロはきっと起こるものだと考えなければならない。

 

2020年10月 5日

新聞の大罪(2020)

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- SB新書・Henry Scott Stokes著 -

日本の新聞が偏った視点でニュースを報じていることを糾弾した本。似たような本は他にもあったと思うが、書いているのが英国出身の記者だった方なので、説得力が違うと思う。

ただし、著者が今のような考え方になったのは、日本の評論家達と長年にわたって討論し、影響を受けたからだと思われる。説得されたといって良いかも知れない。著者が自身で学術的に研究した結果の意見とは少し違っている可能性もあるので、その点は差し引いて考えないといけない。それでも、内容には説得力を感じた。  

太平洋戦争と大東亜戦争という言葉についても考えさせられた。敗戦国の意識を変えたい場合は、用語からして変えるのが都合が良い。我々は知らないうちに、調教されて育っているようだ。

南京事件についても、様々な議論がある。本当に大虐殺が起きたのかどうか、真相はさっぱり分からない。ただ、混乱の中で、無実の住民を殺してしまった例が皆無とは考えにくい。

都市が戦場になった場合、大混乱は確実。双方に非人道的行為があるはずで、何がどうなっているのか、誰も分からなくなって当然だ。日本側が「でっち上げだ!」と言うのも、証言者が「住民の数以上の人が殺された」といった事を言うのも、どちらも信用できない。 

新聞社も信用できない。朝日新聞は何度もでっち上げ記事を発表してきた。政治的な意図や、功名心のせいらしいが、それを防げなかった社内体制もあったと考えられる。戦前戦中は特にひどかったようで、軍部を礼賛する記事ばかりだったようだ。

ただし、独裁政権の下では、政権に抵抗することは難しい。劇場主に独裁者と対抗する勇気はない。不利なことを書けば逮捕され、新聞が廃刊にされるだけだから、戦前戦中に酷い内容を書いたからと言って、それを批判しても仕方がない。

独裁政権を生まないように、国民が良識を持って行動するべきだった。独裁を支持してしまった国民が、当時の新聞をああしてしまったと言える。

今は自民党の一部の議員に権力が集中している。あるいは官邸官僚と言われる人たちに力があるのかも知れない。独裁的政治体制ではないが、実質的にチェック機能が働いていない点で、独裁と変わらない。

野党がだらしないから仕方ないと言った意見は、どの雑誌にも書かれている。でも、常にチェック機能を働かせないといけないという重要なことを忘れているのは、国民のほうだ。独裁を許さないことは、最低限の知恵である。日本は未熟で、歴史認識、政治的センスや知恵が足りないのだ。

英国などの場合は、役目を終えた内閣は退場させるのが常識のようだ。役目を果たせなくても退場、果たしても御苦労さん。次の問題は、他の勢力に権力を与えてやらせる、それで政治が機能する。一党を支持し続けたら、チェック機能が働かないことを知っている。

記者が信じることを書いても抹殺されることがないように、記者を保護しないといけない。独裁的政権を生んではならないし、そのために定期的に政権を交代させないといけない。他に手はない。新聞の罪は、国民の罪である。

この本は、その点を論じていないようだ。

 

2020年9月 8日

自分のことは話すな(2019)

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- 吉田珠央著・幻冬舎新書 -

どのような生き方をするかで、人は悩むものと思う。劇場主のこだわりと言えるものは、口先で人を操り、自分の利益を追求する人間になるなという事である。実際には、金持ちに憧れるあまり、ついつい誘惑にかられることも多いのだが。

ただ、もしできるなら日々の仕事に精を出し、責務を果たし、家族や社会に貢献したいと考えてはいる。いろいろ学び、諭され、経験していく中でそうなったのだが、後悔したくないという怖れから、そんな考え方になったのではないかとも思う。

おそらく自分でソフトバンクやユニクロのような会社を立ち上げていたら、こんな考え方はできなかったろう。動く金額が大きければ、考え方も変わるはず。ショボい商売をやっているから、利益を追求できないのか?

今の劇場主の考え方が、現実社会で自分の利益に通じることはない。経済的、精神的にも損する道になる。死ぬときには自己満足に浸って穏やかに天国へ行けるかも知れないが、生きている間は辛いままだろう。商売や人づき合いの面での利益がない考え方だからだ。  

劇場主とは違い、若い頃から上司に引き立てられて出世街道を突っ走る人もいる。人物評価は最高、やり手で、管理能力や人間性、すべてにおいて高いレベルとされるような人物。高級官僚や代議士、大会社の社長などの中に、そんな人は多い。でも、大成功をおさめた人物だから優秀とは限らない。人間性も分からない。

大きなスキャンダルが明るみに出て、その本性がさらされてみると、意外なほどに普通の人間で、ただ野心や欲にまみれていただけと想像される場合が多い。逆に言うと、野心や欲があれば、普通の人間でも社会的成功を狙えるとも言える。それは悪いことじゃない。

暴かれた実態がとんでもない悪人、犯罪者の場合に、その人物が高い評価を受けている間、本質に気づかなかったのは・・・それは我々が口先や雰囲気に騙されていたからだろう。騙されてはいけない。そして騙すことも避けたいと、劇場主は考える。自分が悪徳にまみれ、人のことを言える立場じゃないのは嫌だ。

この本は接遇教育に近い内容である。接遇トレーニングの講師は、旅客機の客室乗務員出身の人が多い。この本の著者もそうらしい。

人との会話は難しい。劇場主もついダラダラと、家内への愚痴や自分がやった運動メニューの紹介などをしてしまい、ハッと気がつくと、相手がどう返事したらよいのか困惑している様子が見える。内容も思いやりもない話を会話と勘違いしている。このままではいけないと考えて、この本を購読した。

この本は、そもそも人の生き方を論じる内容ではなく、接遇の仕方を解説するもの。ある意味で本心とは関係なく、条件反射で応対でするための、そんな受け答えのトレーニングメニューに関する本だと思う。商売をするうえでの、マニュアルと思えばよい。条件反射に精通しても、人間性に影響するわけではない。

トレーニングによって得た能力で顧客を獲得し、社会的に成功するのは良いことだが、実態がクソ野郎のままというのは望ましくはない。我々は、おそらく接遇対応が優れた人物を信頼できると感じて選んできたのだが、結果として役立たずのクソ野郎を選んでいたのかも知れない。接遇の質と人間の質を勘違いする浅はかな判断がなされたのだろう。

ただし、口先の反射をおろそかにしていると、自分の評価を下げる結果になる。会話を軽んずるべきではない。中身も立派でありたいし、受け答えも一定のレベルでありたいと願う。   

今日、支持を集めて議員になった人達が、コロナ対策で右往左往し、見当違いの施策をやらかす姿を繰り返し見ている。もちろんコロナ対策は難しいが、人として信頼できない連中が多すぎる点が一番の問題だと感じる。

端的に言うと、クソ野郎に命令されて、自粛を続けないといけないのは腹が立つ。指示内容は正しいのかも知れないが、その前に指示する人間が信用できないので、「仕方ない、あんたが言うならそうする」という風な了解ができないのだ。

たぶん、昔からそうだったのだろう。第二次大戦の時代も、当時のエリート達が無茶な判断を下し続けたはずだ。当時の首脳たちは、選ばれた優秀な人達だった。彼らは毅然としていて、きっと素晴らしい受け答えをしていたに違いない。彼らが選ばれたのは、商売レベルでの人の評価と、戦略レベルでの評価を間違えていたからだと思う。

彼らを選んだ人間は間違っていたし、そんな人間を選んだ先達も間違っていた。評価を、間違い続けている。

・・・そんなことと関係なく、この本は成立している。この本に「真心」などの単語は出てこない。そんなものの必要なく、日常が営まれている現実を忘れてはいけない。

 

 

 

2020年9月 2日

新型コロナウイルスの真実(2020)

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- ベスト新書 -

神戸大学教授の岩田健太郎氏が、クルーズ船での出来事などを解説した本。感染症管理の現場で培われた理論が、役所の慣習とぶつかった様子がうかがえて、興味深い内容だった。

岩田氏がクルーズ船に乗り込んだ経緯は、氏の言い分によれば、どなたかの推薦か許可があって現地に向かい、現場で責任者から感染管理を依頼されたそうだ。

ただ、それは口頭で依頼されたものと思われる。その場で、「指導してくれよ」のような言い方をされたという書き方だった。正式な文書が残るタイプの依頼ではなかったのだろう。

政府から派遣されていたスタッフは、岩田氏の立場が理解できなかったのではないだろうか? オブザーバーか、マスコミの一員か、本当の指揮官か、誰も聞いてない状況だったはず。立場は明確でないといけない。

救急の現場や戦場のような場所では、指揮系統が明確でないと失敗する。いろんな人間が勝手に意見を言ったら、皆がバラバラの行動をとって、収拾がつかないまま無残な結果に終わる。この点を、岩田氏も現地の管理者も、忘れていたのではないだろうか? お互いが、役割を確認してから会話を始めることが基本だ。

現場の状況については、現場にいた岩田氏以外の人間がどのような証言をするか、その内容を見ないと何とも言えない。おそらく、岩田氏が批判した内容は実際にあって、管理体制は不十分だったろうと思うが、どの程度ひどかったかは不明。

菅官房長官は、雑誌の中で岩田氏の行動を、「数時間船内にいただけで対応を批判したが、それで状況が分かるはずがない」「クルーズ船での対応は、世界各国から評価されている。」という風にコメントしていた。たしかに、全体を見ていなかったことは間違いないと思う。

一般的に言って、正しい評価は一部の観察だけでは難しい。評価をする際には、全体を確認することが必要・・・それは学者に求められる資質のひとつではないか? だから、岩田氏は批判されてしかるべきだろう。

くわえて、岩田氏は動画の公開の形で外部に一方的に顛末を公開していたが、相手がいる問題を一方的に公開するという手法は、相手の名誉に関わる。常識的な礼儀の面から褒められない。公開討論か、公開質問状のような形式が望ましかったと思う。

告発したい場合は、法的に認められる手法でやるべき。たとえば保健所に訴え出るなどだ。あるいはマスコミに連絡し、取材の形で暴露する権利もあると思う。国民に、状況を知る権利はあるからだ。手法上の問題はあった。 

いっぽうで、クルーズ船内の対応が高く評価されたという菅氏の言い分は、にわかには信じ難い。外交のレベルでは、済んでしまった事件に関して批判をしても仕方ないので、「大変でしたね。」「わりとよくやったと思いますよ。」のような、辞令的な言い方はされるだろう。それをもって評価が高いとは言えない。

もし相手国が正直な言い方をするなら、

「このクソバカ野郎、船の中でウイルスを培養して、我が国の乗客を危険にさらした。客を分けろ! 清潔区域と感染区域を分けろ! 本来なら賠償請求ものだが、請求権が曖昧だ。悔しいが今回は見逃してやる、この常識外れの、ウルトラバカのクソ阿呆。」・・・という評価かも知れない。

政府は、批判を受け入れるべきだ。どうせ完璧に対応できる国なんてない。力不足であったことを認め、死亡者や家族に陳謝すべきだろう。それに、SARSの流行があった後は、今回のような事態に対応する訓練をしておかないといけなかった。

欲が先走って、管理できないのに大型クルーズ船を呼び、インバウンドに期待していた・・・そのように見える。劇場主の勘違いだろうか?

船内で管理するのは、よほどな訓練が事前になされていないかぎり、無理だったと思う。クルーズ船への対応は、事前に準備しておく必要があった。岸壁にテントなどで収容施設を作って、乗船者の分割管理をするような緊急対応は難しかったのだろうか?緊急の収容に対応できないなら、そもそも船の入港は無理だろうに・・・

今日、日本版CDCの設立が望ましいというのは常識である。この本の結論のひとつだ。政府から具体的な発表はないが、検討はされているに違いない。役人の配置や権限の調整に時間を喰うだろうが、必要性は明白。

日本版NSCという組織はあるはずだが、今回は役に立ったのだろうか? 国家的な危機には、感染症の流行も含まれると思う。バイオテロは考えないといけない。NSCは何か活動したのだろうか? 発表を見た記憶がない。委員たちが興味ない、分からない、そんな反応だったとしたら、NSCは役立たずだったと言える。

もし戦争が起こったら、日本政府は役に立つだろうかと疑問を持つ。指揮系統はバラバラ、想定外の連続。司令官はなぜか経済分野の専門家、指示はおかしな内容、しかも誰も責任は取らない。防空頭巾を作る会社に予算の大半を回したり、信じられない行動をとりそうな気がしてならない。

 

2020年8月 7日

Think clearly(2019)

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-ロルフ・ドベリ著・サンマーク出版 -

スイス人の実業家にして著作家、ドベリ氏の本。少しでもクリアに考え、賢く生きたいと思って購読。いつの日か脳みそがクリアになり、何も悩まずに仕事、家庭が順調にいき、家族も職場も皆が幸せになる日が来るように願い、劇場主は啓発本に出資を続けている。

この本は非常に素晴らしい内容だった。特別なことが書いてあるようには思えないのだが、まとめ方、語り口が優れているのだろうか、強い説得力を感じた。反論を呼びにくい文章だと思う。

このような語り口で話されたら、商談もまとまるだろうし、社内で出世もしやすいだろう。ドベリ氏の書いた文章の流れ、理屈の表現方法は、できれば参考にしたいものだと強く思った。

内容は、ドベリ氏のオリジナルな知見ではなく、心理学者の研究結果や投資家の文章などから集められたもの。ただし、まとめ方が非常に上手いので、オリジナリティさえ感じられるほどだ。表現の仕方というのは、実に大きな力を持つ。 

思い返せば、今までの劇場主の語り口は非常にまずいもので、内容も言い方も、説得を期待できるレベルではなかった。間違いの原因は、正しくありたいという意識が強すぎたからかもしれない。正しくありたいという向上心は必要だが、間違っている人に攻撃的になる必要はない。

我々はサルだった頃の時代から助け合い、協調行動をとることによって生き残ってきたのだから、仲間に流されて愚かな行為をやらかすことも伝統的なことだったはず。生き残るために仲間と協調、敵には攻撃が基本路線。仲間が間違っていて愚かに思えても、いちいち怒ってはいけない。

集団の間違いをどう修正するかは大事だが、仲間の顔色を見て考えないといけない。誰も理解できない分析を披露しても、相手は困惑するのが当然だ。そういった面には、心理学的に考えて的外れにならない適切な方法があると思う。そこの理解が足りていなかった。

「思考の飽和点」という概念についても、思い当たることはある。何かの判断を迷っている時、いろんな事を考えすぎて、それ以上思考が進まなくなることはある。データが足りない、判断材料に不安がある、未知の領域で指標がない、そんな状況では誰でもあることと思う。次のステップに進めないまま、無駄な時間と労力を使うことがないようにできると良いのだが、煮詰まったまま過ごしたことも多い。  

その他、自分の感情のコントロールについても、多くの間違いを犯してきた。腹立たしい事に対し、根に持ったり、相手を無視したりするばかりで、自分の心を腐してきた。「分かっちゃいるけど、あいつはあまりにも酷すぎる、人類の敵レベルだから・・・」などと毒づくのは建設的じゃない。愚かだった。

残念ながら、劇場主の記憶力は非常に乏しくなっている。この本を一度読んでも、内容をすぐに忘れてしまっている。定期的に、特に判断に困るようなことが起こった時に、繰り返し読むべき本なのだろう。

 

2020年7月29日

ジョジョ・ラビット(2019)

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- Searchlight Pic. -

ヒトラーを崇拝する少年、反政府運動をする母親、隠れて暮らすユダヤ人少女らが戦時中を過ごす日々を描いた作品。DVDで鑑賞。 

戦時中のドイツを描くのは難しいと思う。あの時代をコメディで描くと、ナチス時代にも楽しいことがあったと、肯定的に描いたように批判される。苦しいばかりの日々として暗く描くと、観客からはそっぽを向かれる。難題に挑戦したという勇気を、まず称えないといけない。 

結果として、この作品は親子や友人達の関係をユーモラスに、肯定的に描きながら、狂気の時代を否定し、しかも娯楽として成立させているので、よい出来栄えだと思う。個々の人物の個性が非常に明確だったので、劇としての完成度が高いと思う。 

いっぽうで、ヒトラーがユーモラスな人物に描かれている点には、嫌悪感を感じる人も多いと思う。少年の頭の中に、なぜヒトラーを登場させないといけないのか、理解できなかった人も多いに違いない。ふざけた描き方が、そもそも許されないと考える人だっているはずだ。 

助演のスカーレット・ヨハンソンが非常に存在感を見せていた。美しく、生命力にあふれ、戦時中でも希望を持って生きる人間を、実に魅力的に演じていた。ワインをたしなんだりする演出も、魅力を惹きたてていた。

一般的に少年にとっての母親は、同年代の少女とは違う独特の色気を感じさせる対象だと思う。母親の色気や美貌は、子供にとっては誇らしく、無条件に好きだという感情を生む。その感情の表現のために、女神のようなヨハンソン嬢は最高の役割を果たしていた。彼女の役をコメディエンヌが演じたら、意味合いが違っていたと思う。 

主人公の友人役、指導教官役などの共演者たちも、役割を十分に果たしていた。 この作品を、他の描き方で作れなかったかと考えても、良いアイディアは浮かんで来ない。そもそも難しいテーマなので、触らないほうが無難だ。特に日本の場合は、この作品と同じタイプのコメディは受け入れられそうな気がしない。

東条英機が空想の中でダンスを踊る映画を作っても、観客には絶対に受けないし、冗談と理解してくれる人もいないし、ドスを持って問答無用で切り付けて来る狂信者だっているかも知れない。劇場主も、そんな映画を観たくない。

中国や韓国では、日本の軍人をあざ笑う作品を作る人がいるかも知れないが、この作品とは違う描き方だと思う。たぶん、日本人の全てが狂っていて頭が悪く、残忍な個性として描かれるだけではないか?

日本の場合は、ヒトラーのように目立つ存在がいたわけじゃなく、連帯責任の無責任体質の政治体制だったので、空想で登場できるほどのタレントがいないという面もあるだろう。 

 

2020年7月26日

ジェミニマン(2019)

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- Paramount -

アメリカ国防情報局に所属する主人公は、引退を決意する。しかし、彼は自分が無実の科学者を殺していたことを知る。陰謀を暴こうとする主人公に、強敵が迫ってきた・・・・DVDで鑑賞。  

この作品は前評判を聞いた記憶がない。映画館で公開されていたのだろうか? 劇場公開されないまま、ビデオ専門になってしまったかもしれない。 ジェリー・ブラッカイマーが関わった作品だから、内容はともかく、観客には受けるはずだったのだが、なぜかヒットはしなかったらしい。もしかして、さすがの彼もヤキが回ったのだろうか? 

主人公の戦いぶりには問題を感じなかった。スナイパーとしての腕の表現は見事で、最初のシーンの盛り上げ方にも問題は感じなかった。途中で襲ってきた敵とのバトルも素晴らしい出来だった。バイクでの追走劇や、銃撃戦も迫力があり、スピード感にあふれていたと思う。何がいけなかったのだろうか? 

ストーリーが早々と読めてしまった点は、問題だったかもしれない。黒幕が早く登場し過ぎていたように感じた。敵が誰なのか、徐々に分かったほうが怖さが出るはずだ。 この作品は、過去にも何度か観て来たような設定で、斬新な話ではないのだから、ストーリーの点で意外性を作り出す必要はあった。何か、もう一段の工夫が必要だったと思う。 

例えば、それは母親の話だったろうか? 代理出産を引き受けた母親には、主人公との間で何かの経緯があり、親子の関係がより複雑で、愛憎が抜き差しならない状態だったら・・・韓流メロドラマみたいになってしまうが、受ける人には受けたかもしれない。 

映像で何かの特色を出すことも考えられるが、この作品のアクション面には何も欠点がなかったと思う。もっと遺伝子操作を強化した怪物でも登場させるか? それで客受けする効果を出せるかどうか、劇場主には分からない。

友情の要素を取り入れることもできたと思う。敵の黒幕と主人公は戦友で、かつて恋人を争ったが、強い結びつきはあった・・・そんな展開もありえたと思う。とにかく、何かが足りなかった。

劇場主の年代でジェミニと聞くと、ジェミニ計画を連想する。あの計画のジェミニは、宇宙飛行士が二人で乗り込むことから、双子座を意味するジェミニが計画の名前として使われたらしい。この作品の設定は、親と子の関係が重要であって、双子とは意味あいが違って来るはずなので、タイトルも少し曖昧なものになってしまったかも知れない。他のタイトルでも良かったろう。

ジェミニをそのまま使うなら、最初から双子の工作員を敵にしたほうが良い。それなら、戦いが感情をともなうものになるのも分かりやすい。そのほか、展開の仕方としては二重三重のワナ、どんでん返しなど、何かの演出があれば、設定の古さを補うことができたかもしれない。

 

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