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カテゴリー「し」の74件の記事

2020年6月26日

ジュマンジ(1995)

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- Tristar Pic. -

両親を亡くした姉弟が、魔法のゲーム「ジュマンジ」を始めてしまう。ゲームからは動物たちが出現し、町は大混乱に陥る・・・・DVDで鑑賞。近年のジュマンジ・シリーズを観ていて、あらためてオリジナル版を観てみたくなり、ビデオ屋さんでお借りした次第。

この作品は、CG技術の点では年代を感じさせる。今なら極めてリアルなサルたちが描かれると思うが、この作品の時代はマンガのような顔をして、動きもギクシャクした描かれ方である。当時の技術の限界ギリギリのレベルで描いたはずと思うが、最近のCGとは完成度が全く異なる。技術の進歩は本当に早いと感心する。 

1995年というと平成7年、劇場主が勤務と子育てで忙しかったころ。この作品を劇場で鑑賞することはできなかった。少し後になると、ピクサーやディズニーの映画を子連れで観ることになるが、まだビデオ中心の時代だったはず。

もし、この作品を子供と観ていたら、描写がすこし強烈すぎると感じたかもしれない。笑えない銃撃シーンや、迫力があり過ぎる洪水のシーンなどもあるので、作品が狙った対象年齢は幼児期ではないように思う。小学校の高学年から中学生くらいか? 

銃撃の描き方は、もう少し子供向きにおかしくしていたほうが良かったのではないかと感じる。ドジなハンターが襲って来るが、おちゃめな失敗を繰り返しているといった設定でないと、子供が見る作品には向かない。笑いを求めるかどうかの、微妙なセンスの狂いを感じた。

欧米の童話には、かなり怖い話が多い。怖さがないと、子供たちが飽きるという感覚があるのだろうか? グリム童話も、えらく残酷な話が多い。その伝統でスリルに重点を置き、笑いの要素を軽めにして、冒険映画にしたいという考え方だったのだろうか?そうならば、それに徹するべきだ。 

SONYが企画した2017年以降の新シリーズは、笑いの要素にかなりの比重を置いている。親子の関係よりも、友情の構築や再確認のほうを重視している。路線としては、新シリーズのほうが商売に長けていると思うが、一般的にはどう評価されているのだろうか? 興行成績は圧倒的に新シリーズのほうが上のようだが。 

懐かしいロビン・ウイリアムスやボニー・ハント、まだ小さかったキルスティン・ダンスト嬢が出演している。ロビン・ウイリアムスの動きは非常に軽い。彼は40代だったのだ。子供のように純粋な考え方をした大人を演じさせると、素晴らしい味わいを出す俳優だった。心に傷を持ちながら、大人しく日常を過ごす優しい人間を演じさせても抜群の味があった。

この作品の頃はたくさんの作品に出演するスターだったが、徐々に脇役が中心になり、まさかの急な最期を迎えることになった。生きていれば、今のシリーズにもきっと出演していたのだろうが、残念だ。

 

 

 

2020年6月10日

ジュマンジ/ネクスト・レベル(2019)

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- Columbia-

前作で壊したはずのゲームを、ふたたび動かしてしまった。迷い込んだ仲間を救うため、4人がゲームに参加するが、想定外の現象が起こってしまう・・・DVDで鑑賞。 

コロナウイルスの影響で、連休前のビデオ屋さんの受付は客が込んでいた。濃厚接触、3密の環境であり、できれば行きたくない。しかし、ビデオなしでは空き時間の扱いに困る。なにしろ、行楽地に行くのを自粛するよう言われているからだ。ビデオは、ネット申し込みだとクレジット情報の提供が必要になり、個人情報が洩れる。仕方ないので、ウェットティッシュを手に持ち、マスクをがっちりはめて店舗で借りている。今後も、このままの借り方を続けよう。  

今作ではダニー・デヴィートやダニー・グローヴァーが出演しており、老人ネタ、互いの諍いや友情の話が物語に深みを与えていたようだ。さらに、互いのキャラクターを入れ替える不思議な水の影響や、バギーカーによるカーチェイス、吊り橋を使った逃走劇など、前作とかぶらないように新しいアトラクションを考えてあった。舞台も砂漠や山岳地帯などに変えてあり、マンネリにならないような工夫を感じる。

ゲームの仕様がそうなっているのかもしれない。設定が色々あって、その中から映画用に都合の良いものを採用しているような気がする。 

前作は非常にまとまった作品だった。高校生の主人公が、心身ともに情けない状態から、冒険を通じて友情をはぐくみ、自信を深めていく成長の喜びを観客もいっしょに体験できるような、そんな流れができていた。今作も、青年が再び自信と友情を取り戻す流れは同じで、それに加えての老人の友情のエピソードも適切に重みを置かれており、出来栄えは悪くなかったと思う。

ただ、極めて感心するほどの斬新さがあるとは感じなかった。面白い作品だとは思うが、次に第三作が企画されたとしても、さすがに素晴らしい出来を期待できないような、限界を見た印象がある。やはり襲って来る敵が動物に限定されていることなど、自由にやれていない部分があるから仕方ないと思う。

「パイレ-ツ・オブ・カリビアン」のような、奇想天外で自由な発想は、このシリーズではやれない。その壁を打ち破ることができそうなら、新しい企画が進むだろう。動物が襲って来る話を逸脱し、中世の戦場や荒野のカーチェイス、宇宙を舞台にすることや、恐竜がいた頃の世界など、ありえないわけではない。 

ドウェイン・ジョンソンは今日最高のメネーメイキングスターであるし、「ランペイジ」では制作も兼ねていた。このシリーズにも制作で加われば、「ランペイジ」の技術をそのまま持ってこれるだろう。そう言えば、ラストでゲーム機は壊されていなかったような気がする。次作の布石が打たれていたのかも。

 

 

2020年6月 7日

社長って何だ! (2019)

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- 丹羽宇一郎著・講談社現代新書 -

伊藤忠商事の社長や、中国大使を務められた丹羽宇一郎氏の著書。新書本を購読。

丹羽氏は商社の人間である。基本的には利益至上主義の人物ではないかと考えないといけない。多くの本を書いておられるが、氏が人格者であるという客観的な評価を知らない。商売人だから正直な人間であるとは限らないし、国民の利益のことを重視しているかも分からない。

もしかすると中国に取り込まれた人物の可能性もある。大使時代の言動は、どちらを向いているのかよく分からないものもあった。伊藤忠のためにしか動いていない可能性もある。それらを考慮したうえで、この本を読むべきかも知れない。 

氏が社長になる前、伊藤忠が債務過多に陥っていたとは知らなかった。伊藤忠や丸紅などの総合商社は、抜け目ない戦略で常に利益を確保し、赤字など出したことがない、そんなイメージを持っていた。でも経済に詳しい人なら、きっと実情を知っていたはずだ。バブル崩壊やリーマンショックの頃は、商社と言えども不景気に見舞われないはずがない。劇場主が知らなかっただけで、会社の中では壮絶なことが起こっていたのだろう。 

著者によると、社内では会計操作によって黒字と見せかける時期が長く続いていたらしい。株価などのことを考えると、赤字の報告にはなかなか踏み切れないはずだ。赤字を出した者は責任を問われるから、出世をあきらめないといけない。自分のせいじゃない赤字なのに・・・そう考えると、負債の処理は後回しにしたくなる。著者御自身にも責任がないわけではないだろう。 

負債を処理するには、反対派を抑え込み、責任を明言し、最終的に良い結果を出す覚悟がいる。巨額の金が動く大きな会社のことだから、胃が痛くなるような思いをしたことだろう。壮大なバクチのようなものだったに違いない。それを成功させたことで、氏の評価は今でも高い。

そう言えば、日産のゴーン元社長もそうだった。日産の業績をV字回復させ、凄腕社長の代表選手と思われていた。ゴーン氏は、結局は会社の金を自分のものにしてしまったらしく、一時期思われていたような尊敬すべき経営者ではなかったようだが、モラルの部分を除けば、優れた業績を残したと言える。

ゴーン氏が調べを受けていた犯罪がどのようなものか理解できないが、氏も壮絶な職務を果たした時期があったはずだ。巨額の報酬を受ける権利も、ありそうな気はする。会社が傾くほどの金額でないなら、あまり法律で縛らずに、自由にさせてはいけなかったのだろうか? 株主には不利益を生じるが、それが嫌なら投資しないと良い。腹が立てば、訴訟を起こせばよい。

どんな経緯で報酬をしばる法律ができたのか、そこらへんがよく分からない。株主は、損しても自己責任で良いのでは?投資を呼び込むために、ある程度の規律は必要だが、保護し過ぎる必要はない。リスクを背負うべきだろう。もっと大事なことを法律で規制すべきだ。たとえば、商品の生産場所だ。

最近になって知ったのだが、マスクの生産は中国一国に依存していたらしい。それでコロナ感染の発生により、いっきに品不足になった。いかに原価が安かろうと、重要な物品を一国に依存するのはリスクがある。だから安全保障のために規制が必要で、会社の自由にさせてよいはずがない。そっちのほうが、国家戦略としては大事だ。株主保護なんて、二の次、三の次の問題だ。

一か国への依存度は一定以下に限定することを、法律か社則で決めさせるべきだ。業界団体の規制でも良い。一か所に偏る企業の税金を増やす手もある。法律の視点が間違っていると、国民が苦労する。グローバル社会においては、変化が急激に来る。事前に危険性のあることを予測し、安全保障を維持すべきだ。食料の確保などにも、もっと頭(=法律)を使わないといけない。

リスク管理できていなかったマスク業者、医療機器会社、流通会社、厚生省の役人は、全て能力不足だったと言える。責務を果たせなかった。すべての社長が失格だ。役人も与党も野党も失格。ついでにといったら悪いが、伊藤忠商事がマスクを扱っていたなら、丹羽氏も失格だ! 氏も効率と利益を優先し、害を社会にもたらした社長の一人と言える。リスクを考える基本的能力は必要だ。

社長とは何だ!・・・それは、劇場主が述べたことを達成できる人間だ!株主がどうなろうと知ったことじゃない! 社長である以前に、国民への義務を果たさないといけない!

 

 

2020年5月23日

ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル(2017)

Jumanji

-Columbia-

ゲームの世界に迷い込んだ高校生たちが、襲って来る敵や動物たちをかわし、目標をクリアできるか?という話。DVDで鑑賞。 

高校生のキャラクターが代わり、キン肉ムキムキの主人公に変わるが、精神的にはそのままで幼いという点が面白かった。 友情や愛情をはぐくむ健康的な内容であり、アクションやお笑い、スリルに満ちたシーンもあり、娯楽作品としての完成度が高い。

舞台はジャングルというよりも絶壁や空中のほうが中心で、動物たちが次々襲って来るわけではなかったが、映画としての面白さを考えるなら、それは正しい選択だったと思う。  

コロナウイルスの影響で、しばらく観光も外食もできない。家でビデオでも観て過ごすしかない。確実に楽しめる娯楽作品はないかと探していたが、先日「ランペイジ」をテレビでやっているのを見て、そういえば主役のドウェイン・ジョンソンがジュマンジにも出ていたなと思いだし、両作品に共通する部分が多いはずなので、なんとなく面白そうだと考えて借りることにした。 

今はネットフリックスなどで鑑賞する人のほうが多いのだろう。ツタヤのレンタルは14日間も借りれるようになっていた。店舗内のお客さんも減っている印象。ツタヤが潰れると非常に困る。本を買える場所がどんどん減っているからだ。 

この作品には最近まで興味が湧かなかった。なんといっても、ロビン・ウイリアムスが主演していた旧作のイメージは強く、あれのリメイクで良い作品ができるとは考えにくい、そんな固定観念があった。実際に作品を観て、この企画を考え付いたアイディア、構成力、技術に感心した。勇気が要る企画だったのではないか? 

普通なら退屈な作品に終わっていたと思う。そうさせなかったドウェイン・ジョンソンの存在感の素晴らしさも、再認識してしまった。おそらく、高校生達がそのままゲームの中で行動していたら、観客には全く受けない。個性が大きく変化したから面白いのであるし、特にいかついジョンソンが気弱な個性を演じることには、大きな効果があった。

劇場主のイメージとしては、ジャック・ブラックが出演すると、なんとなく失敗作に終わるような気配を感じてしまう。米国人には面白いキャラクターなのかもしれないが、演技にわざとらしさや無理を感じる。だが、ドウェイン・ジョンソンといっしょに出演すると、わざとらしさはかえって善き脇役の個性に変わるようだ。
 
作品は凄くヒットしたらしい。親子で観れる内容にしたことが良かった。健康的なお色気を見せてはいても、エロティックな面を強調していない。小学生でも笑えるようなオチンチンネタくらいしか出していなかったので、普通なら低レベルのお子さま映画の感覚につながると思うが、この作品に限っては、良い効果を生んでいた。作品の個性に合った表現、キャスティング、ストーリーの流れなどの調整が全て良い方向につながっていると感心した。

 

 

2020年5月 7日

新聞記者(2017)

Kadokawa

-望月衣塑子著・角川新書 -

東京新聞の現役記者である望月氏の自伝。単行本を購読。著者のことは全く知らなかった。菅官房長官の会見での質問で有名になったようだ。テレビを見ないので、記者会見での彼女の活躍を知る機会がなかった。

この本は映画化されている。若干ストーリーが違い、ヒロインは韓国の女優が演じたようだが、まだ安倍政権が続いているのに、こんな内容の映画を作った心意気は大したものだと感心する。ビデオになったら、いちおう観てみよう。日本アカデミー賞を取ったらしい。著者らの勇気に感心する。

驚いたことに、この本には報道関係者からの批判本も出ているようだ。フリーランスの記者には、自分たちの活躍の場を奪われたという害もあるらしい。派手な活躍は、意外な副作用も生じるのだろう。ただし、その批判は、政権側の意向をくんだ動きのひとつかも知れない。

劇場主が記者であっても、権力者に対してしつこい質問を続けることはできない。普通の人はそうだ。内容が厳しい質問はできたとしても、礼儀を考えて食い下がれないまま終わると思う。劇場主は子供の頃から部活動や教室で、権力者たちに圧力をかけられどうしだった。自由を制限されることを学んできたような気がする。組織の中での生き方を学べた一方で、覇気を失っている面もある。

だが、新聞記者をはじめ、報道機関に所属する人間は、為政者を批判的に監視し、嘘を暴く義務がある。ガッツがないといけない。もしかすると、体育会系の部活は、記者を目指す人は避けるべきかも知れない。飼いならされては職務を果たせないから、自由な雰囲気の芸術系、文科系の部活を選ぶべきだ。

また、記者をやる人間には、空気を読めない個性も、ある程度必要かもしれない。なあなあで済ませられない感覚があれば、執拗な質問も当然の権利と信じて実行することができる。職務に求められる行動を躊躇なく実行するためには、配慮や慮りは不要だ。ある程度の発達障害、コミュニケーション障害は、記者には望まれるのかも知れない。  

政府を批判したら、政権側からは嫌がらせが必ず来る。政権に忖度する検察や裏街道の人間、会社組織が自分たちの利益を見込んで知恵を絞って来る。どんな手を使って来るか、善良な人間には予想もできない。

まず職を続けるのが難しいように圧力をかけ、経済的に攻めるだろう。何かの失敗を調べ上げて、犯罪として立件できるか考えるに違いない。何も罪になりそうなものがないと、弱みを持つ上司や友人を脅して、人間関係から泣き落とすように圧力をかける。または選挙ゴロなど、その筋の連中を介して電話や手紙などで脅迫するなど、多種多様な攻撃をしてくるに違いない。それに耐えきれる人間は、そうそういるものではないと思う。誰かが守らないといけない。  

政権と新聞社側が馴れ合いになるのは絶対に良くない。記者クラブという制度が堂々成り立っているのは不可解だが、対決ばかりしているより仲よくしたほうが記事を書くのに効率が良いといった安易な考えで始まって、伝統になってしまったのだろう。記者会見にもルールは必要だが、為政者の発表の受け売りで終わって良いはずはない。 

法律で定めるべきではないだろうか? しつこい質問をする記者が偉いわけではない。正しいルールが必要である。記者クラブのような組織を作ってはいけない、一社の質問時間は何分、合計の質問時間は何分、記者からの質問状には回答しないといけない、質問の形式はこれこれ、回答の形式はどうするなど、決めたほうがよいはずだ。伝統に頼るのは良くない。

加計学園や森友学園の問題を見ていると、安倍総理と総理をかこむ連中への不信感を強く感じる。証拠隠滅のせいで真相は確認できないのだが、怪しいという段階は超えていると思う。彼らはモラルのことなど気にせず、利益や権力を追及しているのだと感じざるを得ない。

その総理が緊急事態宣言を出しても、こちらとしては納得しがたい。その指示によって害を被る人が必ずいるからだ。犠牲を強いる場合は、申し訳ないが従ってくれ、責任は自分が取ると言えるだけの人徳が欲しい。法律的にどうあれ、感情的にはそうだ。

安倍政権が終わる時は、きっとそんな感情が理由になるだろう。

 

 

2020年3月15日

ジョーカー(2019)

Joker

- Warner Bros. -

コメディアン志望の男が世間から疎まれ、さげすまれ、ついに怪人ジョーカーになる様子が描かれた作品。DVDで鑑賞。トッド・フィリップス監督は、最近ヒット作を連発していて勢いがある。この作品も制作費の数十倍の興行成績をあげたらしい。  

インパクトのある作品だった。この作品の狙いはどこにあったのだろうか?映像表現のためだけの作品か、あるいは現状に対する告発の意図があるのか、少し曖昧だった印象。狙いが明確に分かる作り方だったら、もしかするとアカデミー賞につながったのかもしれないが、結局この作品は「パラサイト」に敗けてしまった。作品の意図、その伝わり安さは大事だと思う。  

この作品は、ジョーカーの置かれた状況に、観客が同情を感じるように作られていたと思う。劇場主は完全にその流れの通りに、主人公に共感することになった。観る人が主人公に共感できたら、それは映画の成功を意味する。だから、この作品は大成功していたと言える。

ただし、それは表現の面についてだけであって、その共感が観客に何をもたらすのかは、また別な話だ。 観客の心を癒す、楽しくなる、興奮する、観た人が勇気づけられる、あるいは深く反省し、生き方を変えるきっかけになる、などの影響力も大事だと考える。単純な見方をすれば、この作品は暴力を肯定し、無法者を称賛する内容だと批判されるべきかもしれない。教会関係者などからすれば、こんな映画は許し難いだろう。

主人公はたしかにひどい目に遭っていたが、それで人を殺して良いとは言えないはずなので、観客に間違った解釈をさせやすい描き方だったと言える。彼を取り巻く人間には酷い連中が多かった。現実社会もそうだ。でも、殺してはならない。

主人公が殺していたのは、自分に殴りかかってきた3人組の会社員、自分をはめた芸人仲間などだ。自分に優しかった仲間は殺そうともしていないし、追ってきた刑事達にも、自分からは何もしていない。基本としては、害を及ぼしてきた人だけを狙っている。

これは過去のバットマン・シリーズとは違う。バットマンの父親を殺したのも、ジョーカー自身ではなく、彼の信奉者だったとして描かれている。今作では、あくまで復讐の色合いが強い犯行だけに限定されていた。そこは同情を得るために必要な設定だろうと思う。だから許されるべきという主張にも思えたが、それはどうだろうか?  

やくざ者の行動を解説した文章を読んで感じるのだが、犯罪の最初は、復讐の意図で始まるケースが多いと思う。世間に絶望し、家族にも怒る。その怒りが暴発するような事例である。復讐しようとする際には、多くの人が罪への意識で心が苛まれるだろう。そこを乗り越える時は、犯人の脳の中では激しい興奮が起こっている。いろんな神経伝達物質が分泌され、冷静な判断ができない状態になって犯行を犯す。

おそらく、それは動物が襲われた時に陥る反応に類似したものではないかと思う。本能で、自分を守ろうとしているはずだ。そして、その後に成り行きによって新たな犯罪を犯したり、組織を作ったりしても、それらは生き残りのために動物がとる行動と同じではないかと感じる。本人は生き残りのために、仕方なくやってるんだと感じているはず。 

人を追い込んではならない。映画でもあったように支援事業を縮小し、自己責任を求める風潮は日本でも感じられる。小さな政府を目指すという言い方で、それを正当化してきた。でも、そんな考え方は不幸を生む。弱者には同情すべきだ。景気のためとはいえ、金持ちを優遇し過ぎてはいけない。

そして偽善は良くない。政治家も、信頼を裏切る行為は避けるべきだ。現在のトランプ政権には様々な疑惑があり、偽善の臭いを感じる。臭いだけでも有害だ。ジョーカーのように激しい怒りを感じる人がいたとしても、不思議ではないくらいだ。その点で、この作品には今日的な意義があるのかもしれない。

安倍政権もそうでないとは言えない。国民の信頼については、あまり重視していないように見受けられる。選挙に必要な人の支持を得ていれば、あとは意見を無視しても大勢に影響はない、そんな計算をしているかのようだが、それはクールな考え方ではない。それでは政権が栄えて国が混迷する。

 

 

 

 

 

2020年3月 3日

「消費税ゼロ」で日本は甦る(2020)③

- 山本太郎・文芸春秋 -

山本氏の文章を読んだ感想文。その3回目。消費税以外の財源について、劇場主なりの意見。その続き。あくまで素人の意見である。

(所得税の問題)  
財源のもうひとつ、所得税については、高額所得者から税金を取るべきというのが山本氏の意見だった。これは、誰でもそう考えているだろう。反対するのは、高額所得者だけに違いない。理由があって累進課税を緩めたのだろうが、その理屈を満足に説明できる人はいないだろう。大金持ちからの要請があったというのが、真の理由に違いない。

米国のような特殊な例を参考にして、人材を海外から呼ぶため、起業家を作るためなど、政府側も理由はあげていたが、結局は屁理屈だったとしか考えられない。国土も資源の量も違う米国は、あまり参考にならない。シンガポールもそうだ。位置も人口も、国のありかたも大きく違う。

日本のような国は、中間層の人間がたくさんいて購買力が保たれ、富が集中し過ぎないようにしたほうが良い。歴史的にそうだったと言えるはずだ。あえて特殊な例を持ち出すのは、屁理屈学者の手法である。大金持ちが使う金は、国の経済力に貢献する金ではなくなる。圧倒的な資源でもあれば、無駄使いも構わないだろうが、日本の場合は資金を有効利用し、経済を回して行かないと先がない。学者たちは、間違っていたと思う。

GAFAへの税金は有望だ。明らかに税制が現状に追い付いていなかった。金の流れが国を素通りして課税を逃れていた。本来あるべき税金はもらいたい。ただし実際に課税しようとすると米国が激しく反発するだろうから、次の大統領が誰になるか次第かもしれない。

(カチカチ山税) 
累進課税は、金持ちの海外移住を促してしまう。海外に逃げ出す金持ちには、相応の税をかけることが望ましい。米国には、古くからそんな規定があるそうだ。国内の金は、国内で消費してもらわないと困る。金は天下のまわりものだ。出て行くばかりでは、やがて回らなくなる。単純だが、それが理屈だ。

金持ちが日本を泥船のように考えたのなら、今までさんざん日本国内で稼いだのだからと、その分を取り戻してよいはず。規定の仕方は難しいが、資産の何割かが海外に出た時点で、それに対して「カチカチ山税」をかけるといった方法はあると思う。払わなかったら、国内の資産は召し上げ、再入国は規制し、犯罪者として資産を受け継いだ子孫もいっしょに国際手配。そうすれば、おそらく資産の過半は国内にとどまり、その資産に課税することも可能になると思う。

(資産税の問題)
巨額の資産を持つなら、税をかけられても生きて行けるはず。資産税は、財源を補う際には有力な候補だと思う。消費税よりは道義的に問題が少ない。小金持ちに対しては、今でも固定資産税が充分かかっている。テナントで借りている物件(物件は資産じゃねえよ!)にさえ課税するという無茶な制度があるくらいだから、既になんでもありのルールだと思う。資産税は、どうにでもいじれる。

企業が持つ資産に対する税の扱い方が、大事だと思う。節税のために法人化する、そんなことを続けさせたら、国中の資産は企業のものになる。しかも企業減税が続く・・・・それで財政が成り立つはずがない。中間層の資産を奪ってはならない。小金持ちを増やして、消費を増やさないと未来はないはず。企業が長期間資産を持てないように、税制をいじるべきだ。

資産税は、多くの資産を持つ人に課すべきで、資産を固定化させないために猛烈に取るべきであり、控除によって実質的に税から逃れられることがないように、規定を緩めないための縛りが必要と思う。政権を狙うために、企業や資産家に都合の良い施策をとられると、後で国民がババを引く結果になる。今が、まさにそんな時代ではないか。政権が代わっても、長期的な国力を損なわせない規定が必要だろう。

(首都圏税)  首都圏への一極集中は弊害が多い。単純明快に、首都で暮らすことが不利になるように規定すべきだ。国の意志を示せるのは税制以外にない。首都での活動には課税すべきだ。企業が地方に流れ、人口も移動することを助けないと、未来がない。東京で一人暮らしして結婚もできず、資産も持てない人間が増えてしまい、地方は地方で疲弊する。ただ悪い循環、皆の不幸を生むことになる。

規定の仕方はかなり難しい。でも、出来ないはずはない。本社機能を形だけ地方に移転し、実質は東京で仕事しているような企業に対して、税逃れを許さない規則が必要になる。企業減税も絡める必要がある。首都圏での営業には減税しないといったルールは必要で、細かい規定が必要になるが、出来ないはずはないだろう。今でも既になんでもありなのだから。

(政権交代) 
税制を変え、財政を好転させるためには、おそらくは政権交代が必要と思う。でも、あまり現実味がない。イメージとして、左寄りの政権は景気を悪くしそうな印象が漂う。
ただし、イメージの問題だ。農村の衰退を止めるためにはイメージ的に自民党しかない…そう考えて自民党を支持して、結果的に農村を疲弊させる・・・それは田舎が犯した間違いだった。劇場主は、子供の頃からそれを見て来た。同じような勘違いが、選挙では今でも支配的な力を持っている。景気のために自民党に投票し、やがて泥船に残される、そんな流れに気づいていない。 

ただ、実際に政権が交代して、本当に景気が良くなる保証はない。どの政党でもそうだ。財務省の言いなりになってしまうはずと、普通に考えれば予想される。そして財務省も、信用できない。成功していないのだから、当然だろう。

れいわ新撰組も、人材が足りないので期待できるとは思えない。今は最悪でないから、自民党に票を入れている…そんな人が多いのだろうけど、そのような投票判断が今日の状況を作っているのだから、国力が衰退して行くのも当然の結果であり、国民が選んだもので、もはや諦めないと仕方ないのかも知れない。 

れいわ新撰組の山本氏は、注目を集める政治家である。もう一人の人気者、自民党の小泉氏は主婦層、おばちゃんには強いようだし、地元では圧倒的な地盤があるが、実績が何もない。全国的には小泉氏より山本氏のほうが期待度が高いと思う。今後どうなるか、このまま力をつけて行くか、注目している。

 

2020年3月 1日

「消費税ゼロ」で日本は甦る(2020)②

- 山本太郎・文芸春秋 -

文芸春秋2020年2月号で山本氏が発表した文章を拝読。あらためて、国の財源について考えてみた。

考えたが、劇場主の意見は素人考えでデータを何も調べていないから、裏付けはない。まあ、でも国の発表もずいぶんと虚飾されているから、データを調べても本当のところが分かる人は少ないだろう。学者たちの意見も、てんでバラバラである。専門家と劇場主で、そう違うものではないかもしれない。

(企業減税)
過去の企業減税は、山本氏も指摘する通り、やり過ぎだったと思う。景気対策、投資を誘い込む狙いで減税してきたと思うのだが、そのおかげで景気が回復したとは思えない。

たしかに株価は上昇したが、主な理由は、おそらく米国の景気が良かったことのほうだ。企業の業績が軒並み伸びたとは言えないだろう。大企業だけが伸びたと言えるかも知れない。

給与も相対的には下がっているし、国の成長率もほぼゼロだし、消費も増えなかったという指摘もあり、明らかにインフレ目標は達成していない。政府の説明は正しくなかったと思われる。見込み間違いか、あるいは最初から詐欺だったのかもしれない。アベノミクスが始まる頃の劇場主の懸念は、考えた通り、この程度の効果と思った通りに現実のものとなった。 

(増税は可能か?)
でも、だからといって企業に増税できるものだろうか? 企業側がどう考えるか分からない。

日本の企業は、中国などに生産現場を移し、効率の良い部分に事業を集中することで生き残りを果たしてきたと思う。ソニーや東芝など、勢いのあった会社も、価格破壊の波を受けて企業の形態を大きく変えて来た。そうしなかったら、倒産していたはずだ。企業が今やれることは給与を下げることであり、上げることではないと、経営者は考えているのではないか?

生産現場が国内に戻って来ないなら、給与を上げると経営が傾く傾向がある。製造業は人数を要するが、製造が外国に移れば、給与で社員をつなぎとめる意味は薄れるはずだ。劇場主が大企業なら、増税されるならさっさと国外に資金を移し、国内の仕事はさらに減らそうと考えるだろう。どこだってそのはずだ。海外から国内への投資も、同じような理屈で減ると思う。単純な増税は難しい。企業を誘導する仕組みが必要だろう。

(企業と国民) 
企業が生き残れば、国民が飢えても構わないかどうか、そこも問題だ。表立って企業優先で考えていると公言する政治家はいないが、実際の施策は企業優先そのもので、生活優先は明らかな嘘だ。パートや派遣社員を増やして、給与水準を下げ、企業の競争力を維持しないと国際競争に勝てない、そんな理屈がはばを利かせていた。企業は確かに生き残れたが、いっぽうで多くの若者が生活水準を落としたまま、社会の底辺に追いやられてしまったと言える。

企業の生き残りを重視し過ぎて、長期的な国際競争力を下げた可能性はある。人口への悪影響を考えると、特にそうだろう。安定収入のある若者を増やさないと消費と子供が減るのだから、やがては競争力を損なう。国力と企業の利益は、バランスよく考えて欲しかった。おそらく、竹中蔵相時代が典型的だろうが、国の上層部が長期的な思考をできていなかったと思う。長期の国力のことを考える頭がなかった。 

(給与増額と減税の連携)   

山本氏が書いているように、企業が職員の給与を上げた時に、その分を減税することは可能だろう。でも、余程うまい規定を作らないと、企業はその気にならないはず。経営環境が厳しいから、きっと凄く慎重だろう。企業間の競争に生き残るために、職員を犠牲にすることを考えるだろう。

そして仮に給与が少し増えても、おそらく労働者のほうも余裕がないので、消費を我慢して貯金に回そうと考えるのではないか?ただ給与を増やすだけでは、消費は増えない。消費したいと感じる条件が必要だ。

(生産現場の移転)
生産現場を国内に戻した企業に、税の面で優遇するのは米国が採った策だが、日本でも多少はやれるかも知れない。TPPの協定などと相反しないなら、理論上は可能だろう。でも、給与が高く労働力不足の日本に、わざわざ工場を戻す企業は少ないはず。大きな流れにはならないだろう。

生産現場が流出したことが、津波のようにすべてを押し流し、今も大きな枷となっている。それも、中国のような巨大国家が一気に生産現場となったことで、勢いが凄かった。その中で日本はよく対処できたと感心すべきだ。でも、長期的に考えると少しは戻さないといけない。工場の国内誘致は、これからも簡単ではないだろうけど、国内に現場が欲しい。そのための優遇税制は必要だ。

(内部留保税)
内部留保すると損するように規定を作らないといけない。企業が行動するより先に、あらかじめ規定を作っておかないといけなかった。政府の予想能力が足りていなかったのではないかと思う。

内部留保が多い企業の減税割合を減らすか、内部留保新税、そんな規定も必要かも知れない。それは政府も分かっているはずだが、おそらく圧力がかかっていて、今更そんな規定の案は通らないだろう。企業側は生き残りに必死だから、その強力な圧力を排除しないと先に進まない。政権側が企業に厳しい施策を採用する可能性はあるだろうか? 政権が傾くことを覚悟の上でないとやれないだろう。そんな根性のある人物がいるのだろうか? 

それは、やっぱ山本氏だけか? 

 

2020年2月28日

「消費税ゼロ」で日本は甦る(2020)①

- 山本太郎・文芸春秋 -

文芸春秋2020年2月号で山本氏が発表した文章を拝読。考えさせられた。でも、彼の意見は正解なのだろうか? IMFはさらなる増税を勧めている。逆じゃないか!どっちが正解なのか?

山本氏の分析内容の正しさについては分からない。氏自身は財政の専門家じゃなく、その意見も、おそらくは誰か経済学者の意見の受け売りではないかと思う。選挙で勝つために、国民の気になるところで目立つことを言いたい、そんな戦略で意見を述べていると思う。政治家だから、それで良いのだろうが、問題はとにかく意見が本当に正しいかどうか、良い結果をもたらすかどうかだ。

(消費税の根本的問題) 何かのサービスを利用した場合、それに代価を払うのは当然だと思う。物に価格が付くのは正しいことだ。でも消費したことに対して、税金をかけるのはどうだろうか? 消費が悪なら税をかけるべきだが、消費を増やしてほしいなら、消費税を減らすのが道理だと思う。政府としては、景気浮揚、国民の収入増加のために、消費を増やす方法を考えるべきで、消費に対する税は根本的におかしい。

税は国の意志を示し、国民を誘導する手段の最たるものであろう。国は消費を抑えたいと言ってしまっている。だから増税して景気が良くなることは難しい。実際に2019年の増税もGDPを下げたと、先日の新聞上で報道されていた。 

(増税の負の面)  消費税は消費を控えさせ、景気を悪化させて、回り回って税収を減らす・・・そういう傾向は間違いなくあると思う。山本氏の言う通りだろう。劇場主の個人的な感覚としても、税金が上がるなら、必要最小限の買い物に徹したい。 増税されると、低収入の消費者と、経営規模の小さい小売店などが一番困る。消費税を払いきれない企業も少なくないと聞く。 

劇場主の診療所は小規模事業者なので、まるまる税を抱え込んでいる。薬代の税を払うばかりで、患者には請求できない仕組みだから困る。規定がおかしいと思う。フランスなどは高級品を中心として課税しているという。妙な理屈で作られた日本の今の消費税は、無理、無駄、弊害の多い規定に満ちており、改善が望ましい。 

(消費税廃止の効果) では仮に消費税を廃止した場合、消費は本当に増えるだろうか? そこの見込みは大きな問題だ。予想は難しい。目に見えて消費が増えるためには、高揚感が必要だと思う。10%安くなったら、次々と物を買いたくなるかどうかだが、劇場主に限れば劇的に購買意欲が高まることはない。既に消費意欲が冷え切っているからだ。

家を建てるかどうか迷っている若い人たちは、消費税も大きな金額だから、きっと思い切って建てたいと思うだろうけど、その件数は限られている。年齢や給与、買うものの金額の大きさによって、どう感じるか分かれるだろう。

10%の消費税を廃止しても、国全体として消費は2~3%上がる程度に終わるだけではないか? その数%でも、小売業にとっては大きいが、消費の増加による所得税や法人税の伸びは、2~3%以下になるはずで、他の税収に及ぶ良い効果は、あまり期待できない。 目先の税収は、消費税の廃止によって大きく減ると思う。

やはり大きな問題は、消費税を廃止した時、その財源をどこから調達するか、そこに尽きる。財源の問題は、本当に難しい。専門家達でも意見が大きく違う。政権を狙う人達が、そこをどう説明できるかが問題だ。

 

 

2019年12月24日

シエラマドレの決斗(1966)

The-appaloosa

- Universal -

マーロン・ブランド主演の西部劇。夢の実現のために大事な馬を奪われた主人公が、悪党の組織と戦う話。DVDで鑑賞。 

演出の仕方が凝っていた。映像の中心から人物を外し、誰かの後ろ姿が中心に写っていたりするシーンが何度かあった。その効果は分からなかったが、視点が珍しかったので、観客の注意を引くことはできたと思う。 

雑誌でマーロン・ブランドのインタビューを読んだことがある。出演作の中で何作か、本人はまったく不満足な作品があったが、離婚やその他で金銭的に困って仕方なく出演したという。おそらく、この作品もそうではなかろうか? 体がだぶついている主人公は、あんまり恰好良くなかった。 

西部劇のイメージが薄いブランドには、この作品は全く合っていなかったようだ。馬上の姿もサマにならないし、髭ずらも無理に作っていることが分かる。セリフもよく聴き取れない。「はあ?聴こえねえよ!」と、相手が怒って一発で殺されても仕方ないような、そんなセリフの言い方だった。西部の男に見えないから、おそらく最初から出演しないほうが良かった。 

敵役を演じていたのはジョン・サクソン。後年、燃えよドラゴンに出演した俳優で、インディアン役を演じた映画もあった。こちらは非常に存在感のある演技で、いかにもメキシコの悪党らしい雰囲気がよく出ていた。こっちを主人公にしても良かったくらいであろう。そもそも言っていることが間違ってはいなかった。アメリカが全てを奪っていったから、自分が奪うのも当然というセリフは、実際にもそうだったのでは? 

主人公の挑発に乗って本当に一人で対決に向かうなど、アホなところはあるが、紳士的で勇気もあると言えばそうかもしれない。これは悪役の彼に、ぜひとも主役をやっていただいて、さすがに殺されても仕方ないかも知れないが、侵略者の米国人は復讐されるだろう・・・くらいの断末魔のセリフを吐いてほしかった。  

坂の上と下とで銃撃戦をやったら、通常は上にいる人間のほうが有利だろう。都合よく上の人間が撃たれ、しかも坂を転がり落ちて来て、ちゃんとやられたと分かるのは、あまりにも都合の良すぎる展開だった。リアルさを無視している。本来なら主人公らは撃たれていないとおかしいし、仮に敵をやっつけても、本当に勝負がついたかを慎重に、恐るおそる確認しに行く展開になったはずだ。

 

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