映画評

  •  若い人達の映画評は、「やっほーい、見ちゃった!(^□^)゛にゃはは(^□^)゛(^o^)」(゚ω゚)イイヨゥ! のような具合で、おじさんにはさっぱり理解できません。年寄り向けのサイトがあればと考えました。

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カテゴリー「さ」の19件の記事

2009年9月 4日

さよなら。いつかわかること(2007)

- 家族で観れる -

監督 ? 主演 ジョン・キューザック

妻が出征した家族の物語。スーパーに勤務する父親に、ある日妻が亡くなったという知らせが来る。妻は軍曹で湾岸戦争に出征していたのだ。まだ小さい子供たちにどのように説明していいか分からない父親は、遠いテーマパークに行くことを決める。車で延々と旅をした父娘らは、憧れの遊園地に到着・・・・

・・・・湾岸戦争を題材にした新しめの作品。変わっているのは、母親が最後まで登場しないこと。普通なら回想シーンににこやかに登場して悲劇を際立たせる効果を狙うと思うが、あえて安易な道を捨てて父親と娘達だけにしぼった物語にしている。これは話が短くなる効果はあったが、良かったのかどうか判らない。母親との関係を表現したければ、ご登場いただいたほうが明快である。

母親が死んだことを子供に説明するシーンも、結局話の細かい言い回しはわからない。聞いている娘達の涙の顔で判断できる仕組みである。この辺のセンスはなかなか洒落ている。言葉に替えないほうが、かえって訴える力があることもある。

昔から背中、もしくは影などを見せて観客の想像力に任せる手法は多かった。汽車の轟音で何を話したのか判らないが、内容は想像できるってな話もあった。この作品も、それに準じてやっているのだろうが、タイミングが素晴らしいので、非常に効果的だった。下の娘さんが泣き出すタイミングは、何か指示があってのことだろうか?素晴らしい泣き顔だった。

もし可能なら、妻が死んだ通知を我々にも明らかにせず、ただ目的不明のまま旅する物語にしたらどうだったろうか?「この父親は頭がおかしいのか?」「なんで急に遊園地に行くんだ?」「もしかして妻と離婚か?」などと観客に想像させる謎かけも面白かったかもしれない。

この作品は家族で見てよいと思う。子供でもかなり泣けるのではないか?ちょっと静かで間延びした感じがあるかもしれないが、悪くはないと思う。恋人といっしょに見るのにも悪くはないと思う。

大仰に構えたテーマを持った作品ではなく、普通の家族に起きた不幸を淡々と描くことに徹しようという作風。最初から涙を誘うエピソードを散りばめると、あざとくなってしまうので、これは正解だった。

淡々としすぎたためか、車で移動する途中のエピソードが少なすぎるように感じた。ロードムービーでは、いろんな出来事が重なって心に何かの影響が出る話が多い。でも、この作品では話そうとしてためらっていること、上の娘が薄々状況に気がつくこと、親離れしようとしていることなどがちょっと表現されていただけのようだ。少しもったいなかったかもしれない。

ロードムービーの行き先は憧れの土地であることが多かったが、この作品の目的地には重要な意味はなかったようだ。子供たちも、そんなに感動したわけではなく、すぐに帰ろうという気持ちになっていた。このへんは自然な反応かも。

憧れの地が意外に期待はずれか、もしくは楽しくても感動的とは言えないことは多い。そんなことより家族で暮らすほうがずっと大事だ・・・ってな調子に持っていくときの筋がきであるが、今回もそのような意図だった様子。

主演のジョン・キューザック(太ったなあ)が背中を丸めながら演じていたのは、家族を愛する良きパパ像であった。もっとデブな喜劇役者のほうが適していたのではないかと思えた。ダン・エイクロイドなんか、どうだろう?こういう役は喜劇役者のほうが悲しくなるもんだ。

 

 

 

2009年8月12日

侍戦隊シンケンジャー 銀幕版 天下分け目の戦(2009)

- まとまっている -

外道衆との戦いが長期化し、傷ついたシンケンジャー達は、初代シンケンジャーが持っていた武器を入手し、一気に勝負をかけようと考える。敵に酒をご馳走するというアイディアで武器を手にしたはずだったが、期待倒れの結果に終わる。そして、いよいよ決戦が始まる・・・

・・・夏休みなのに家内は朝から寝ているので、私が下の二人のフラストレーションを和らげることになった。先週の海水浴で2時間近くダッコして腰を傷めていた関係で、今日は映画鑑賞。

知らなかったが、いつの間にかシンケンジャーの時代になっていた。毎年のように新しい戦隊が現れるが、侍からアイディアを得るのはなかなか良い発想だった。

コンセプトも、人物達のキャラクターもはっきりしていて、完成度が高い感じがした。

特撮の技術も進歩していて、アクションにもチェーンアクションが使われ、迫力の点でも随分と進化していた。カメラワークも大胆にクレーンが使われているようで、本格的だった。

仮面ライダーと併映で短い作品だったが、まとまっていた。でも、さすがに大人は見ていて辛くなってくる。貴重な時間を無駄にして、などと考えてしまうのだ。

私が子供の頃は、親はいっさい遊んでくれなかったので、子供だけでほぼ一日の半分は山、半分は川で遊んでいた。死にそうなほど危険な場所でも結構あそんでいたが、よく事故が起こらなかったものだ。いっしょに遊んでくれたお兄ちゃん達や友人達には感謝しないといけない。

あんなに遊んでいたのに、大学に行けたことに驚く。冒険ジャーもシンケンジャーもいなかったが、それなりに楽しいヒーローはいた。忍者赤影なんかは懐かしい。

2009年7月30日

最後の初恋(2008)

- 不遇が迫力に?-

主演 ダイアン・レイン リチャード・ギア

夫が不倫をして現在別居中のダイアン・レインは、友人のペンションの管理を任せられた。そこに宿泊に来たのはリチャード・ギア演じる男。彼は外科医で、最近患者さんを死なせてしまい、患者の家族に会いに来たのだった。 それぞれが家族や自分の生き方に問題を抱えた二人は意気統合し、男は患者の家族に向き合うことができるようになり、女は新しい人生を踏み出す勇気を得ることができた。しかし・・・・

・・・ダイアン・レインと言えば「リトル・ロマンス」。1979年の作品なので今から30年前になる。当時は凄い名子役が登場したと話題になったが、しばらくすると意外にマイナーな存在になり、ジャッジ・ドレッド(1995)などでは端役に近いような扱いを受けていた。

彼女は絶世の美女といったキャラではなく、存在感のある脇役~もしくは遅れた色恋沙汰に迷うような役柄が近年は多い。正直言って、あんまり美しい女性だとは思わない。

若い頃は、いろんな作品でヒロインを演じていた。「ストリート・オブ・ファイヤー」が懐かしい。マイケル・パレ?だったっけ?のヒーローと、ウィレム・デフォーがナイフで戦ったシーンがあった。あのときの彼女は演技を期待されたのではなく、アイドルだったから出演していたような感じがした。

そういえば、スパイダーマンでウィレム・デフォーの息子役を演じていたジェームズ・フランコが、この作品ではリチャード・ギアの息子の役をしている。何か縁があるのか?

この作品の中の彼女は素晴らしく魅力的である。姿形と年齢と役柄が会っているように思う。非常に美しい人だと、昔ながらの美男美女の恋愛物語になってしまう危険性があるが、やや美しい程度の魅力的な主人公だと話の現実味が増してくるのか?

脚本も良かった。今の自分は子供に対する責任を果たすことを最優先している・・・などのセリフは、多くの母親が言いそうな言葉だ。言ってる彼女の言い方、見た目もマッチしているので、非常に真実味がある。もしかして彼女が不遇の時代を経たことが、我々の心情をくすぐるのか?

子役時代からずっとスター街道を驀進したリッチで負け知らずの女優だったら、不幸な役を演じても何か迫力に欠けると思う。役者にはスキャンダルや不幸が必要なのかも知れない。

作品の中の二人の関係は理想的だとも思える。

夫婦に限らず、人と人との間は互いに足を引っ張るような関係ではいけない。迷いすぎて困っている時には足を踏み出させる、危険を理解していないような時は制止する。そんなことは判っているんだが、喧嘩になってしまうことを怖れて適切な話ができない。

依存度が高い人というのはいるもんで、親や夫に何かをしてもらうことを当然と考える人は、自分が期待するサービスは「家族だから、それぐらいしたっていいじゃない。」と常に考えるようだ。何でも自分でしないと気がすまないタイプの人間からすると、気がつけば一方的に搾取されているような状態になる。何を隠そう、私の夫婦がそれだ。

性格を変えることはできないので、要するにそんな人だと諦めるしかない。だらしがないとか、わがままという言い方もできるが、相手からすれば一人でバカみたいに頑張って、自分が普通にやってるのが気に入らないのか?と思えるのかも知れない。あんたは絶対に普通にはやってないって・・・なーんて言ったら喧嘩になるだけだ。

さて、医療事故には何度か遭遇した。

患者さんの家族にとっては、誰に責任があろうが、とにかく繰り返し説明を受け、自分の頭の中で整理したいと考えるようだ。その中で誰かに責任があると判れば、その時は訴訟なども考えるが、基本は自分の中での頭の整理のほうが大事なように見受けられる。

以前も書いたが、クモ膜下出血で若い学生が亡くなった時が象徴的だった。私は診断して脳外科まで搬送しただけだったが、後で父親が訪ねてきて、「お前が気管内挿管をしたから息子は呼吸が止まったのだ。」と詰問された。実際には挿管は脳外科の研修医が下手くそな手技でやっていたのだが、脳外科は責任回避したかったのか?

呼吸があやしくなりそうな患者さんを搬送する時には、途中で呼吸が停止した時のために気管内挿管をするのは推奨されるべきことだ。たまたま私は動いている救急車の中でも失敗しない自信があったからしなかっただけだ。しかも挿管するかしないかは、あの場合は生命予後に関係しない。搬送中は呼吸が安定していたのだから。

出血した時点で勝負は決まっていたのだと思う。でもそう話しても、親の気持ちが治まるはずはない。かわいそうなことでしたと話すしかなかった。

父親は私の話を確認したかったらしい。当然だ。自分が親でもそうする。訴えられるかよりも、相手の悲しみに同情することのほうが人間として大事だし、自分を守ることばかりに汲々としていては、自分を許せなくなる。

家族と向き合う時は勇気がいるが、自分に非があれば素直に認める意気込みで話すべきだと思う。明らかに非がある場合は、弁護士と相談してから話す必要もあるだろうが、事実を隠して話がややこしくなることも多い気がする。

 

 

 

2009年6月18日

サイレントフルート(1977)

- 曲解? -

格闘技の道を究めようと考える若者がいた。そのためには、この世の最高の武術者に会わなければならない。競技会で反則を取られた彼は、自分こそが本当の優勝者だと信じ、武術者を探して旅に出る。途中で変な笑いを浮べる変態のような武術家や、化け物、女性の誘惑などに遭遇するが、彼は自分の道を模索する・・・

・・・意味不明の映画だった。もうちょっと案を練れば素晴らしい作品になっていたかも知れない。中近東かインドあたりで撮影したのか、香港映画などとは違った美しい光景が楽しめた。内容は完全な2級~3級品なのに懐かしい。当時は原案がブルース・リーだという宣伝文句に踊らされて観てしまったように思う。ブルース・リーは企画だけじゃなく、インドに準備のために行ったくらいらしいが、急死したので頓挫したらしい。

企画の中心はデイヴィッド・キャラダインで、主演は筋肉マンのような若い男優だったが、明らかに武術の腕は低そう。形がなってなかった。キャラダインは今年急死してしまったが、変死だったようだ。この映画の中では重要な人物を演じていたはずだが、気味の悪い笑顔しか記憶にない。最後まで訳の分からない俳優だった。

とにかく意味不明。私の理解力が足りないのか、独特の表現方法のせいか?

最後のほうで美しい少年を殴って、「これで彼は傲慢でなくなる。」などと述べる部分があったが、勝手に殴るのは犯罪だわ。映画の中だからといって気にしないでおくべきか・・・

かわいそうな牛さんを素手で倒すシーンもあったが、麻酔か何かを本当に使っていたように見える。かわいそうすぎた。牛を殺して何を学ばせるというのか・・・

東洋の思想や、武道精神を曲解して、妙な作品に仕上げてしまったような印象を受けた。

この作品は見ないほうがいいと思う。退屈して、もうどうしようもない時に見るのは仕方ないかもしれないが、金を払って観るものとは思えない。家族、恋人、子供、誰にも向かない。キャラダインも謎の人物だったが、作品も謎。

 

 

2009年1月25日

最高の人生の見つけ方(2006)

- 旅行は諦めました -   

ガンを告知された老人二人が、残りの時間を使って人生でやり残したことをリストにして、やっちまおうとする物語。その内容は、スカイダイビング、カーレース、エジプト旅行、ヒマラヤ登山、絶世の美女を抱くことなど。

一人はジャック・ニコルソン演じる大金持ち。もうひとりはモーガン・フリーマン演じる自動車修理工。ピラミッドの頂上で、エベレストのふもとで、二人は会話する。それぞれの人生の意味、達成したこと、やり残したこと。

それぞれの家族の問題や、子供に対してやり残したことが明らかになってくる。二人の旅は、どう終わるのか?

バケツ・リストというのが原題らしいが、つまり人生でやり残してバケツにたまったような課題のリストをやり遂げようというタイトルらしい。邦題はまじめくさった題なので、味の面では原題のほうがいいかと思う。

この作品はコメディなので、いつものモーガン・フリーマンのキャラクターよりも軽い面が目立った。もちろんガンを告知される時や、検査結果を知らされる時にはショックで呆然とするシーンもあったが、にやけてドライブするシーンや、スカイダイビングで大騒ぎする時は、いつもの彼の演技ではない印象があった。

ジャック・ニコルソンは、彼らしい毒の効いた演技だった。いかにも金の亡者のような表情、仕草で、存在感があった。彼のような俳優は日本にはいない。三国連太郎や津川雅彦が近いが、悪魔的でいたずらっぽい表情はニコルソンならではのものだろう。

病気をドキュメンタリー風に描く作品ではないので、ガン患者の表情は少し深刻さが足りなかった。告知した時の反応にはいくつかのパターンがあって、作品中にも出ていたが、怒り、恐怖、嘆き、順応などが回りながら現れることが多いものの、例外も結構少なくはない。

フリーマンが検査結果を電話で聞いてタバコを落とすシーンは、テレビ臭くてイヤに思った。あれでショックを表現したつもりかも知れないが、手が震えて落としそうで落とさない、もしくは落として「アッチッチ。」と言って周囲が笑い出し、本人が怒った表情で周囲が状況に気づき、皆の表情が真顔になるなどのほうが実際に近い。

淡々と受け止める人も確かにいる。しかし、それは努力してであって、やはり手が震えたり、自分より自分の家族のショックを気づかっているだけがほとんどなので、よく見れば無理している。年を取った人は、自分の老いを無意識に隠そうとして不必要に早く動く場合があるが、あれも常に努力を心がける人では自然な反応なんだろう。

いつもは穏やかで上品なご婦人が、突然目がギラギラして、「すぐに紹介状を書け!」みたいな激しい要求をしてくる場合もあった。「いや、これは普通に手術で取れますから、この病院でも安心・・・」「いいえ、私は○×病院に行きます!」「あの病院は放射線治療が必要な時に困りますから、できれば・・・」「とにかく紹介状を書いて下さいな。」ってな具合で、こちらの意見には耳をかさない。

ひたすら怒る人も多い。別に私のせいでガンになったわけではないのに、「なんで去年は解らなかったのか!」「いえ、去年は検査を受けてらっしゃらないです。」「受けてなくても話はしたろう!」「話だけでガンかどうか解りません。」「それはアンタが一流じゃないからだ。もういい、俺は一流の医者を探す!」ってな調子で、無茶な話だと私は思うんだが・・・。

自分もやがてはガンの告知を受ける番になるだろうが、はたしてどう反応するか?

きっと何もする気がしなくなるか、ヤケクソになって飲みまくり吐きまくるくらいではないか?確実に夜は眠れなくなるだろう。情けない八つ当たりや、同情を引こうとして妙な言動をとることも予想される。もともと肝が据わってないから、何か起こると頭が働かなくなるのだ。本当に優れた人格の持ち主は、ショックにも耐えて、プレッシャーの中でも頭を働かせることができるはず。そんな人間になってみたい。

この映画の二人は、ショックは受けていたが、思考回路がちゃんと回転していた。その点は不自然と言えば不自然だ。おたおたして、バカな失敗や八つ当たりくらいはすべきではなかったか?そして、そんな自分を恥じて謝罪することで仲良くなるほうが自然ではあった。ただし、あんまり自然さを狙うと、話が重くなりすぎるが。

でも、もうちょっと重くしていたら、感動も深くなったのではないか?喜劇的な中に、非常に重いテーマや悲劇的エピソードを混ぜると重みが増す効果は知られているが、程度の見極めが上手いと、大変な傑作になる。泣けて仕様がないほどに、この作品は盛り上っただろうか?

自分の孫にあった時に、最高の美女と評するのはお約束のレールに乗ってはいたが、やや安易な感じが気になった。いかにもテレビ的ではないか?

この作品は良い出来だった。家族で観ることもできる出来栄えだ。表現も激しくないし、内容も重過ぎないので、子供にも見せることはできると思う。恋人と見るのは、ちょっとテーマは外れる気もするが、これからの人生をどうやっていく?と相談するには良い題材かも。

音楽が少々気になった。全体の雰囲気を良くする諦観をイメージさせるような音楽があれば、涙なしでは見れない作品になると思うのだが、そこまでは行っていなかったのでは?

さて、私が人生でやり残したことは?

パラグライダーやスカイダイビングには、あんまり興味ない。ヨット・クルーズには、ちょっと憧れる。もう精力がなくなったので、絶世の美女との一夜にも特段の興味はないが、若い頃だったら是非ともお願いしたかった。

酒はどうでもいいし、グルメ料理も縁がなかったので、あんまり興味ない。御飯と漬け物で文句はない。車もスポーツカーは腰が痛くなるのでイヤだ。パジェロのショートでダート走行や雪道走行するのは充分に面白かった。サーフィンはやってみたいが、練習が大変かも。

子供と遊ぶのは楽しいが、今もやっている。毎日絵本を読んで、学習も兼ねてトランプやカルタをやってるのは楽しい。子供が皆大きくなったら寂しくなり、もう一度やりたいと思うかも知れない。

海外旅行はしてみたい。エジプト、イタリア、ウイーン、イグアスの滝、キリマンジャロ、故宮博物館、アラスカ、南極などにも一回は行ってみたい。スイスにも、もう一度行けたらいいが・・・。旅行には体力が必要だが、たいていの人は体力があるうちは金と時間がなく、いざとなったら病気して行けなかったというパターンになりがち。暇な老婦人が友人とでかけることができるくらいだ。

私の家内は子供を置いて勝手に旅行している。ある日家に帰ると家内がいない。「おかあさんは、どこ行ったの?」と子供に聞くと、ディズニーランドと答えられて呆然ということが数回あった。怒るより先に、あきれてしまう・・・。

こんな調子じゃ私はきっと一生旅行に行けないだろう。

旅行もいいが、やはり家族と穏やかな関係でいられるのが最高だ。さあ、ジャック・ニコルソン氏も娘と仲直りできたろうか?

 

 

2008年12月10日

サムソンとデリラ(1949)

Photo_3 - ああ大作映画 -

昔々、ある村にサムソンという力持ちの男がいました。彼は占領者ガリラヤ人の娘を見初めて交際を迫っていました。しかし、この娘には同時にガリラヤの兵隊の隊長も求婚しており、二人はライバル関係にありました。いっぽうで、娘の姉のデリラはサムソンにほれ込んでいます。

ガリラヤの王がサムソンの怪力を知って、褒美として例の娘とサムソンの結婚が決まりましたが、これに反発する隊長達とデリラは策を弄して結婚式をつぶし、ついでに娘までが殺されてしまいます。

ガリラヤ人とサムソンの対立は決定的となり、サムソンは神出鬼没のゲリラ戦でガリラヤ人を襲います。ゲリラの語源は、この時サムソンがデリラを狙っていたのがなまった・・と、いうのは冗談です。デリラの頭脳戦にはまって捕まったサムソンは、憐れな刑に処せられますが・・・

この映画にも思い出がある。長い作品なので、途中で寝てしまったのである。軍隊との乱闘は鮮烈に覚えているのだが、サムソンがデリラに力の秘密を聞かれる頃に会話だけのシーンになったために、半分夢の世界。つかまったサムソンが目をやられる頃には完全に意識がなかったと思える。

次の週に、小学校の先生から授業中に質問があった。

あの時、サムソンの眼の中に焼けた棒は突っ込まれたか、それとも近づけただけだったかという怖ろしい質問。なんでそんなことを聞かれたのかは定かではないが、たぶん放射熱によって蛋白質が変性するから、必ずしも棒を目に突っ込まなくても目はやられるということを教えたかったらしい。しかし、もっと穏やかな例はなかったのかいな?

たぶん、テレビではむごたらしいシーンはカットして放映されるはずなので、誰も質問には答えられなかったのではないかと記憶している。私が買った500円のDVDの問題のシーンでは直接的な表現を避けて、「触らずに、血を流さずに・・」と兵士が解説していたので、放射熱を利用するのが正解だったようだ。  

主演はサムソンよりデリラ(英語読みだとデライラ)にあった。

サムソンとデリラは古代の伝説であるが、おそらく演劇の世界で繰り返し上演されてきたテーマらしい。この作品でも、不必要なくらい劇場のような配置で役者が演技している。そのためにリアリティは全然ない。特に会話をする場面では、いちいちポーズをとって、いかにも古ぼけた感じがする。

大作好きのデ・ミル監督作品だから、なにごとも大仰な演出が多い。同じように古代の物語を描いた「ベン・ハー」は、単なる劇に止まらない進歩的な演出、深遠なテーマが感じられるが、この作品は本当の意味での史劇であると思う。私はそんな作品に、ほほえましさ~懐かしさに近い印象を受ける。

力自慢のサムソンが何かを持ち上げて放り投げる時には、つってあるワイヤーが見えるようである。今ならCGと香港伝来のワイヤーアクションで、さぞかし自然に投げられるだろうと思うが、学芸会の延長のレベルである。

ライオンと格闘するサムソンは、明らかに別なエキストラが演じている。細切れのシーンで解りにくくしているが、やはり解る。

そのいっぽうで、先程も述べた乱闘シーンは結構激しい。ロバの頭蓋骨を持って兵隊達の鎧を次々と撃ち砕いて倒すのだが、サムソンの体力が感じられて、凄い迫力である。エキストラ達も気合が入ってるように見える。この映画のハイライトシーンであろう。

デリラ役はキャサリン・ゼダ・ジョーンズのご先祖様のような美しい女優だった。色気で英雄をたぶらかす怖ろしい女を、上手に演じていた。この女のセリフを聞いていてゾーっとした。私の妻の話の持って行き方にそっくりであるのだ。

女の話は、本当に怖ろしい。疑いを最後まで持っていたサムソンさえ、まんまと眠り薬を飲まされたのだから、ぼんやりした男はすぐ騙される。妙に親しげな会話をする時には、「何か買って欲しいんだな。」と、気がつかなければいけない。

「ううん、私は何にも欲しくないの・・。」なんてシナを作って否定する時が最も危ない。物は欲しくない→愛が欲しい→愛のために疑いは捨てよう→互いに信じる証に何か欲しいという鮮やかな理論に、まんまとしてやられるのである。映画の、このへんのセリフが素晴らしかった。この映画の見どころなので、ぜひ観ていただきたい。

そして4段~いや5段、6段の複雑な論法のまやかしを学ぶべきである。この種の論法は古典的でさえある。ただ、まやかしを見抜いて理路整然と反論すると。彼女らは自分の考え方を否定された→自分の人間性を否定されたと、これまた変な論法で怒り出すから気をつけないといけないが・・。

そのような理由により、この映画は男が一人で観るのが良い。たとえ子供でも、女性に見せるのは愚と言わざるをえない。女の子も何かを買って欲しい時には、この手を使うことがある。びっくりするくらい、母親の悪いところを真似る。間違っても彼女といっしょに観るべからず。

 

2008年9月12日

サボテン・ブラザース(1986)

Photo_2 - 勘違いの面白さ - 

この作品は、家族で観れると思う。恋人ともOK。古い作品だが、おバカ映画であるがために色あせていない。ただし、この手のテンポの遅いギャグが嫌いな人は、付き合ってられないと感じるかも知れない。

アイディアは、チェビー・チェイス達が自分らで考えたらしいが、製作と出演をこなしたスティーブ・マーチンと、監督のジョン・ランディスはコメディ映画の大物であり、手慣れた連中が作った感じがする。

傑作と言えるほどよくできてはいないと思うが、軽い笑いを期待できる。ジョン・ランディスの作品に独特のアクションが懐かしい。シーンの切り替わりも、何か独特のクセがある。

勘違いして役者を呼んだメキシコの娘と、これまた勘違いして乗り込んできた役者達、本物の盗賊となぜかドイツの武器取引商人達がドタバタ劇をおりなしていたが、ドイツ人がなぜ必要だったのか理解できなかった。

ストーリーは「7人の侍」や「荒野の7人」がモチーフになっていると思うが、ところどころに真似めいたことをするものの、いちいちパロディにするような手は使っていない。これは正解だった。パロディ映画の弱点は、時期が過ぎれば何のパロディか解らなくなり、面白みがなくなってしまうということである。設定だけパロディにするので充分である。

細かなギャグがたくさんあった。3人そろって場違いなキメのポーズをとるのが面白かった。

スタジオに忍び込もうとするシーンは、ドリフのギャグを思い出すような懐かしいコントだった。いかにもテレビ出身のコメディアンらしい。酒場で荒くれ男どもを前に歌とダンスを披露するシーンは、場違いなオカマのミュージカルのような感じ。盗賊達との決闘の前には、忍び込んでも大失敗の連続で笑わせる。

勘違いは、傍から見ていると面白い。

真面目な顔をしてトンチンカンな行動をとる。または、殺されそうな場面なのに状況を理解できずにダンスなんかやっている。そんな姿は、一生懸命にやるほど面白くなる。

私も大失敗をやったことがある。高校の入学式の当日、バスに遅れてあわてて学校に来たら、1年生の教室には既に生徒がぎっしり座って、皆自習をしている。「ウワー。町の高校生は静かに勉強するんだあ!自分も急いで机に座らなきゃ。」と、空いた席を探して座ったが、何か空気がおかしい。はて何が?

その教室は、1学年上の生徒の教室であった。なぜ新学期にそろって1年生の教室にいたのか、しかもなぜ極めておとなしく自習していたのか知らないが、1年上の生徒達は爆笑して私を送り出してくれた。

翌年には私達が自習している教室に、やはり同じように新入生が入ってきた。どうやら勘違いは私だけではなかったようだ。そもそも新学期になんで2年生が1年生のクラスにいるんだ?紛らわしい教室で自習させることにも問題があるのだと私は言い訳をしたいが、やっぱし早く気がつくべきであった。

この作品には、おかしな点が多々あった。スティーブ・マーチンが銃で撃たれたために、自分達の相手が本物の盗賊であることを知ったが、撃たれた後も元気で、踊りなんかしている。よほど鈍いか豪傑でない限り、普通はありえないだろう。ギャグ映画で実際に撃たれるシーンがあること自体がおかしい。撃たれるシーンが必要だったとも思えない。

盗賊達の根城と村との距離は、行くときには一泊以上する必要があるくらい遠かったが、帰ってくる時は、それほどでもなかった。本当はどれくらいの距離を設定してあったのだ?と、科学的に検証してもしょうがないが・・。

 

 

2008年5月11日

13デイズ(2000)

- 主役が曖昧   -

キューバ危機を舞台に、ホワイトハウスの内部がどのような対応をしたかを描いた作品。実際にあったことなのでサスペンス映画とは違うはずだが、テレビドラマの「ザ・ホワイトハウス」のような展開に加えて、意外に忘れられた感のある事件なので、今の若い人達にはかえって新鮮な話かも知れない。

設定の無理を感じた。本来、ケビン・コスナーの役割は大統領の補佐官的な存在に過ぎず、政治の中心で責任を持って判断するような立場にはなかったはず。大事な会議で意見を述べる権限すらなかったのではないか?いわば脇役がストーリーを語る物語なので、存在感の置きようが難しいと思う。

本来の主演であるべきケネディ大統領は、控えめな演技で感じがうまく出ていた。この作品における彼の言動は、ほぼ事実に近いものだったらしいが、世界大戦へとつながるかも知れないギリギリの判断をせざるを得ない立場というのは、我々の想像を超える。

私の場合は、クリニックを始める決定だけで胃がおかしくなった。家内が精神的に荒れて、子供達の世話をしなくなった時期もそうだ。若い頃よりストレスに強くなったと自分では思っていたのだが、全然ヨワッちいまんまだったことを知った。弱いながら、単に耐えているだけだったんだ。

大統領の立場で、数百万の命がかかる判断など、自分には到底できない。

当時のソ連が相手では、相手の考えが全く解らないまま対応しないといけないのが辛いところだ。アメリカの場合は、報道官の話や新聞報道などで政権内部の意見もかなり垣間見れるが、ソ連の場合はさっぱり解らない。本当にミサイル基地を作るつもりか、ブラフか?これをネタに何かの譲歩を引き出そうとしているだけか?

常識的には、ソ連がアメリカに対して長期間の戦争を続けるだけの経済的余裕はなかったはず。かってフルシチョフやブレジネフの時代も、経済はやっと維持されるレベルだったのではないかと思う。したがって、本気でミサイル基地の建設にこだわるはずはない。何かの譲歩を狙っていたはずである。

しかし、推定でそのように判断して、もし間違っていたら大変。それこそミサイルを撃ち込まれる準備ができて、さらなる譲歩を強請られるかもしれないし、本当に攻撃されるかも知れない。間違った判断は許されないという、そのへんの状況の表現はよくできていた。

ケビン・コスナーが偵察機のパイロットに電話するシーンは、余計だったような気がする。実際に電話したかも知れないが、パイロットにとっては大統領か、司令官以外はあんまりたいした意味を持たないのではないか?映画用に盛り上がりを考えたのだろうか?私は、このシーンで逆に盛り下がった。

ケネディは、今でもヒーローである。ケビン・コスナーも信奉者の一人だろう。我々の世代にとっても、「日本の佐藤栄作首相より偉いのは、大統領だったケネディ。そんなの常識!」というチビマルコちゃんのような感覚が残っている。

田舎の井戸端会議でも尊敬の念をもって語られる、そんな大統領は彼以降出ていない。

彼とロバートの兄弟が立ち話で相談をする姿は、厳しい判断を迫られた二人の心情を表わす良いシーンだった。間接的にだが、彼らの判断のおかげで、我々も生きながらえているのかも知れない。

ただし、キューバ危機は譲歩を引き出したソ連の勝ちに終わったとは言えるだろう。結果的には、経済の維持に失敗して崩壊してしまったので、戦術に走って戦略を誤ったかも知れない。まだまだ今後のロシアの経済成長や、原油資源の扱いによっては形勢が変わるかも知れないが・・。

2008年5月 7日

さよならゲーム(1988)

Photo_7  -  ひとりで観るべし    -

ケビン・コスナーが最も輝いた作品ではないかと個人的に思う。彼の代表作は、ダンス・ウィズ・ウルブスやアンタッチャブル、フィールド・オブ・ドリームズかも知れないが、役柄と彼の個性が最も合致したのは、この作品のような気がする。

この作品は超メジャーな作品ではなかった。たぶん予算もそれほどかかっていなかったのではないか? 特撮めいたシーンはないし、役者もコスナー以外は、今ではメジャーだが当時はそれほどという感じの俳優が多かった。それに扱ったテーマも時代を映し出すような大きなものではないので、小品のレベルに止まっている。でも、よくできていた。

作品全体にユーモア、ペーソスが漂っていた。落ちぶれた野球選手とマイナーリーグのチームを取り巻く物語だから、血沸き肉踊る活劇などありえない。最初から哀愁が覆っているような設定である。

マイナーリーグに止まったままのベテラン選手は実に辛いだろう。若手からは体力的に追いこかされるし、メジャーに上がっても通用しないと自分でも解るし、そろそろ引きどころを探さざるを得ない厳しい現実があるはず。実際に彼らはどう考え、自分を奮い立たせているのだろうか?

医者の世界だと、大学病院の万年講師も似たような存在だろうか?研究者のあがりは教授だが、なかなか実力だけでは到達できない。運や他の教授たちの好印象を得ることや、政治的な駆け引きも必要である。年齢ばかり上がって、行き先がなくなってきた時の心境は、いかがなものだろうか?

通常そのような先生は関連病院に転出していくが、転出先で昔なら院長だったのが、今は院長のポストも空きが少ないので、意外に中枢に入れないこともありえる。かといって、研究一筋の先生では臨床的な腕は付かないので、実際に患者さんをバリバリ診ることはできない。下の先生からはバカにされることになりかねない。

さて、映画では試合が終わって、恋人や家族が迎えに来ているシーンがあったが、夕暮れ時の寂しさをかもし出した良い雰囲気だった。クラブ活動の帰りや、空き地での遊びの終わりに、夕暮れの中を家に帰る時は、なんであんなに充実感があったんだろう?今の子供達も似たような感覚を味わえているのだろうか?

塾の帰りには、夕暮れどころか真夜中になっている子供も多いので、たぶん違った充実感と疲れを味わっているに違いない。

とぼけた存在のティム・ ロビンスのバカさが面白い。てっきり女とベッドに直行できるかと思っていたら、野球の講義を受けると言う展開に面食らう顔が見物だった。

女物のパンツをはくと調子が良くなると言う話も面白かった。

そんなギャグめいたシーンと、大真面目なケビン・コスナーの姿が対照的で、実によくできた脚本だと思った。どんなに活躍しても、しょせんはマイナーリーグなんだから、きっとまた解雇されるに違いないという予感がして、物悲しさが物語を覆う効果があった。

スーザン・サランドンのギョロメも良かった。何となく、あんな女性が実在してくれると嬉しい、そんな感じがした。役柄から考えると、人にはアバズレ、ヤリマンなどと陰口をたたかれそうな気もするが、彼女のような’アゲマン’に男は憧れている面があるのだろう。

選手よりも野球に対する造詣が深く、選手の才能や欠点を見分ける力があるという設定は魅力的で、面白かった。

こんな作品は日本でも作れそうな気がする。どんなスポーツでもいいし、脇役達が生き生きとするような話を作れば、いろんなバリエーションがあるような気がする。今は地方のクラブチームがたくさんあるから、野球やサッカーの2部リーグを舞台に、哀愁と郷愁の漂う美しい作品が作れそうだ。

この作品は、子供の見る作品ではなさそうである。恋人といっしょに観ても、ちょっとはずす可能性がある。結婚してずいぶん経った夫婦が観るのはいい気もするが、たぶん感じ方は相当違うのではないか?

やはり、この作品は一人でゆっくり観るに限る。

2008年3月21日

サイドカーに犬(2007)

- 古田新太が良かった -

いい映画だった。何が最も良かったかというと、助演の男優「古田新太」の存在感ではないかと思う。表情の乏しい、実に風采の上がらない男だったが、だらしない男をよく表現していた。あんな男、確かにいる。

一定の能力はあって、少しの間なら警察官をまいたりすることはできるが、もちろん完全に出し抜くだけの周到な準備はしない。行き当たりばったりに近い感じ。まるきりのバカじゃないが、長期的展望に立ってるとは言い難い。しかし子供には結構やさしく、少しは思いやる。女には結構モテル。世話をやきたくなるような感情を生む才能がある。

そんな男を実にうまく演じていた。彼の存在のために、その他の俳優の不自然な動きも気にならなくなった。

タイトルも洒落ていた。たぶん、実際に見た光景からアイディアを得たのではないか?サイドカーに少女が乗って、バイクに父親と竹内演じる女が乗って走るシーンは、この映画の中で最も幸せそうな笑顔が見られたシーンであった。

子供の頃は、自転車に乗せてもらうような小さなことで、非常に楽しく感じられることがある。自分が愛されていることを、変な時に実感するのである。運転している父親は、「ちぇえ、ナイター見損なったぜい。」と、舌打ちしているかも知れないが。

竹内結子の演技は若手女優の中では上手いほうだと思うが、今回は少し不自然さを感じた。声や話し方はいいのだが、こんな役柄の女性が持つ恐さ、動作のスムーズさが感じられなかった。確かに大雑把なところは出していたが、やはり彼女は役柄ほどにガサツではないと思える。

役柄の女を演じることが上手いのは、ちょっと前なら「かたせ梨乃」なんかは近いと思う。迫力があって、したたかな感じがする。殴り合いになっても、引かないところが想像できるような激しさが感じられる。でも竹内の場合は、なにかひ弱そうだった。

ただし、かたせには竹内のような爽やかさは逆にない。この映画の場合は、怖さと爽やかさを併せ持つ、きっぷの良い女性を演じないといけないので、難しいところだったような感じ。

じっさいにきっぷの良い女性は、自然と身のこなし、体型も考えに合ってきて、筋肉質であることが多くないだろうか?がっしりしてはいないとしても、若い頃から何かきゃしゃな感じはしない、パワーを感じさせていることが多いような気がする。

成長した娘を演じるミムラは、スタイルも笑顔も美しい女優だが、演技する前に目線の動かし方などが自然に見えるように練習する必要があった。釣堀のシーンで、移動する時に当然動かすべき目線をしていなかった。誰か注意すべきである。

この作品は、子供が見てもいいような気がする。だらしない父親を見ても、何か愛情みたいな感情がわいて来るかも知れない。そして竹内はカッコいい。人として尊敬できるような生き方ではないとしても、ただカッコいい。

2008年3月17日

サルサ!(1999)

- 踊り本来の魅力を出せていたか? -

サルサは踊りの中でも最もセクシーな感じがする。この作品のタイトルに魅かれて借りてしまったが、舞台はアメリカやキューバではなくフランスで、物語がふたつのカップルの恋をからませながら描いてあったのは、ちょっと意外だった。

主演の女優はダンスはかなり上手かったが、超一流ではなかった。体型も非常にセクシーとは言い難かった。きっと探せばずっと上手い踊り手がいたはずだが、なぜ彼女を選んだのか解らない。

いっぽうの主演男優もダンスが一流ではなかった。ダンス映画である。したがって、絶対条件としてどちらかは一流でないといけないと私なら考える。ヒットさせるためには、そのためにストーリーさえ変えないといけない。二人ともサルサの素人では、最初からいけない。

ピアノの占めるウェイトがサルサの中でどの程度なのかは知らないが、私にはキューバ音楽は管楽器が中心のような気がする。ピアノでなくても良かったのでは?トランペットなんかどうだろうか?もしくはダンスがバレエ~社交ダンスなんかどうだろうか?そうすれば、少なくとも男のほうは子供の頃からダンスにかけては自信があるという設定も可能だったはず。

フランス映画は、設定からして理解できないのが多い。

途中のエキストラ達の踊りは素晴らしかった。「ダンス・ウィズ・ミー」の場合もそうだが、大勢の連携によってダンスが成立すると実に絵になる。ダンス本来の楽しさが伝わってくる映像だった。

キューバ人役は皆問題なかったと思う。

演奏する曲のレパートリーが少ないのも気になった。同じ調子では感動につながらない。盛り上げを計算して、スローな曲と激しい曲を織り交ぜるもんだろうが!そんな基本的なことくらい守るべきである。

2008年3月 3日

サタデー・ナイト・フィーバー(1977)

- 画龍点睛を欠く -

この映画は私の高校生時代に大変な評判になりましたね。オイラもフィーバーしましたわ。

熊本市の下通りのナイロビルームだったか、狭苦しい店がたくさんできて、踊るというより女の子を見に行ったもんです。さも偶然であるかのように体をぶつけるべく踊るのが大変だった。

あまりに狭苦しくて、土曜の夜なんかは店に入れなかったことも多々あった。マハラジャっていう広い店ができたって聞いたけれど、とうとう行かないまま潰れてたのか?

いまやディスコなんて言い方の店はない。

ブームの流れの中に、お立ち台で有名なジュリアナ東京なんかもあったように思う。ジュリアナの終焉とともにかどうかは知らないが、ダンスはパロパロ、ディスコはクラブなんかに変っていったのか?パロパロは理解できない。どこが面白いんのか。

さて、この映画が上映される半年前くらいに、評判のダンス映画ができたという報道があったが、私はきっとジョージ・チャキリスみたいな俳優がやってるんだろうねと想像しながら観たら、眼の周りにクマが入ったような馬面がリーゼントをいじっている場面は出てきたものの、肝心のダンスは一瞬だったので、さっぱり理解できなかった。

で、日本でも上映されるようになって、雑誌などで紹介されているのを読んで、やっぱ時代に取り残されないように観に行こうと考えて宮崎市の映画館に学生服のまま(バカだった)行った。友人といっしょだったが、二人とも観終わった後、「いや~凄かったね~。」と同じように強烈な印象を受けていました。まさにフィーバーにかかってた。

映画館の中はサボっている学生がたくさんタムロしていて、我々は開校記念の休みだったのに、警官に呼ばれて説教くらいそうになっちまいました。確かにこんなダンスを見たら勉強なんかバカらしくなりそう。幸い高校時代の私はディスコに行く金がなかったので、部屋で一人ダンスするくらいで済んだ。

この作品、何が良かったのか解らないが、少なくとも明らかにダンスの質が違った。トラボルタのダンスが下手くそだったら、作品があんなに評判になったはずはない。したがってトラボルタが決め手だったことは間違いないが、ダンスに限って言えばもっと巧いのはたくさんいる。表情や、全体の雰囲気、不満と苛立ちを抱えた目つきなど、役者としての力も必要だったんでしょう。

ダンスは黒人の影響が強く、それまでのものと異質でした。腰のくねらせ方は昔なら下品と思われていたんでしょうが、テレビのソウルトレインなどの影響か、この時代は下品さがいつのまにかカッコよく感じられるようになってました。これは、幸田来未現象と同じかも知れない。エロいのがカッコいいに変る時期があると考える。

したがって、私のギャグも頑張って続けていればカッコいいと感じてもらえる時代も来るかも知れない。その時まで下品なギャグもとばしまくろう。

そういえば、幸田来未とジャズ歌手の綾戸智絵は親戚かなんかか?なんか似てるような気がする。

ダンス競技会より、前半のディスコシーンの踊りのほうが見応えがあった。ステイン・アライブやユー・シュッド・ビー・ダンシングなどで見せた踊りは今見ても見事。曲にもフィーバーしました。

曲の中心を占めていたビージーズは、小さな恋のメロディでイギリスや日本では有名でも、全世界的にはメジャーではなかったと思う。映画以外でもビートルズチックな曲作りを意欲的にやってて私はもともとファンだったが、マイナー気味の存在であった。でも、この映画で使われた曲は、それまでのスタイルとは随分違ってた。

あの頃は、懐かしいドナ・サマーといったディスコ中心のアーティストがたくさん出てきて今思えば、いい時代だった。大人たちはどんな目で見ていたのか。私が親だったら、「ディスコなんか、不良の巣窟みたいなところに行くな!」と、子供達を怒ったでしょう。

映画のストーリーはまずまずだったが、終わり方がいけません。脚本家か監督の頭の整理ができていなかったんでしょう。画竜点睛を欠いた感じ。

2007年11月17日

サイコ(1960)

- ヒチコックのワナ -

この作品は、テレビで観たのかビデオで観たのか忘れてしまいましたが、画面が暗すぎて、何が写っていたのかよく解らないシーンがあってガッカリした記憶があります。

名画紹介でよく出てくる作品ですが、あらかじめ犯人を知ってしまってから見る私達としては、わざわざ繰り返して見たい気にはあまりなれないように思います。やっぱ、気味悪いですもん。

サイコスリラー自体を、私はあんまり好きになれません。怖がりだからでしょう。推理小説などでは犯人探しが難しく、謎解きが見事だと満足するのですが、まがまがしい殺人だけで知的に満足することはできません。でも、たまには娯楽目的だけのスリラーもいいとは思います。繰り返し観たいとは思わないだけです。

この作品は、家族で観るべきではないでしょう。恋人と観るのも、勧められないような気がします。今の若い人達は、どんな印象を持つのでしょうか?この作品の2番煎じのテレビ番組をたくさん見ているはずですから、古めかしさに笑ってしまうかも知れません。

主演のアンソニー・パーキンスは、この作品のイメージに縛られてしまったようです。その後も、老けてますますやせた姿で似たような役をやっていました。この人がヒーローの映画を作ったら面白いでしょうが、観客が混乱するだけでしょう。個人的には、つかまる直前の表情は目をぎらつかせたほうが良いような気がしました。腕をつかまれて、すぐ目をつぶってしまうのでは、拍子抜けしてしまいます。

もし犯人が、やさしそうな人畜無害の好々爺や、どこから見てもジェントルマンだったら、どんな作品になっただろうかと考えましたが、なにか社会的な事情が必要になるでしょうから、やるせない作品になってしまってマズイかもしれないと思います。

ヒチコック監督以外でも、この作品に強く影響された監督たちが、気味の悪い演出を好んでやってくれるので、怖がりはビビリながら見る羽目になってしまいました。

音楽、音響効果、シャワーカーテンが恐怖を盛り上げる視覚効果など、監督独特のセンスが素晴らしいと思います。ちなみに、この映画を観た後にホテルに泊まってシャワーカーテンをしめると、誰かがいきなりカーテンをめくってきそうな気がして、開けて確認してみたくなりました。サイコの呪縛に捕らわれてしまったということでしょう。

「いひひ、そうなると思ったよ。」と、ヒチコック監督の声がしそうです。

 

 

2007年11月10日

最愛絶叫計画(2006)

- 技術は確か -

感動のあまり、見終わってから涙が止まりませんでした・・なーんてわけない、とにかく内容のない作品でした。製作スタッフは、こんなパロディ映画ばっかり撮っている人達だそうですが、この種の作品にもファンがいるようで、結構メジャーな映画を次々と作れているのが不思議です。

この作品は、子供には見せないほうがいいと思います。ギャグではあるんですが、楽しみのために浮浪者に襲いかかって暴行するシーンがあります。いくらなんでもあんまりだと思います。恋人と観る時も注意したほうがいいでしょう。気分を害する人がいるかも知れません。

でも、面白い映画でした。ストーリーは「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」のパロディが中心でした。主人公の変身前のデブ姿は実によくできていました。この特殊メーキャップの技術は本職のものだと思います。美しく変身する方法が豪快で笑えました。また、ギャグのために壁を壊したりダンスやアクションをこなしていましたが、どれも見事な出来栄えでした。ゲテモノ映画のくせに、技術だけは一流でした。浮浪者へのパンチも見事で、よく練習しているなと感心しました。いや、感心してはいけませんでした。

ジョークが下品すぎて、強引な盛り上がりを作るために、さすがにまとまりを欠いた感じがしました。しかし、いろんな映画があっていいとは思いますので、ゲテモノを見るつもりで観るのもいいかも知れません。ストーリーを楽しむことはできませんので、強引にパロディ化した無茶なシーンを一瞬楽しむというやり方で鑑賞してみると面白い作品です。

しかし、映画館で金を払ってまで、この作品を観る気はしません。

この作品をなぜ借りて観たのか、自分でもよく解りませんが、記憶をたどって推理しますと、確か子供が「アイスエイジ2」「カーズ」の2作品を手にとって持ってきて、借りるんだと言い張っていまして、私は「これはもう一度は観たじゃんか。」と言い合いになって、そうこうするうちに時間がなくなって、えーい2作品借りるなら5本で1000円の割引にしないとバカらしいと考えて、(新作だけど1週間レンタル)お得コーナーにあったこの作品をつかんでしまったのでした。

新作だけど1週間レンタルとするのは考えたものです。あっさり旧作としてしまうと、借りられる可能性が一段下がります。ビデオ屋さんとしては、投資分を回収するためには1本1本につき一定の回数を借りてもらわないと計算が成り立たないでしょうから、まだ借りる回数が少ない作品は、何か(!お得です!)とアピールしないといけません。私は、それに乗ってしまったのでした。消費者心理に着け込んだ、見事な戦略です。

2007年10月17日

サイダーハウス・ルール(1999)

- 堕胎とセロンのおしりとの関係  -

この作品を特徴づけるのは、扱ったテーマが堕胎という珍しいものであったことと、原作者の独特な視点でしょうか。とにかく、不正診療をあっさり正当化していますから、厚生省や保健所から見れば許されない映画です。でも、その意図するところは、厚生省職員の誰もかなわないような慈愛だと思います。ご覧になった方は、どのように感じられたでしょうか?

物語の中心となる舞台は、少なくともカトリック系の施設では禁止されているはずの堕胎をする施設でした。この施設の宗派は分りませんが、いちおう正式に認められてやっているようです。主人公と、主人公の父親代わりでもある産科医師、そして施設を訪れた若いカップル、主人公が働きに出る果樹園の労働者達、ほとんど皆が不幸を経験します。不幸なんですが、皆を描く視点は、やさしさに満ちていました。

同じ原作者の「ガープの世界」も似たような視点で描かれた作品でした。そういえば、両方とも主人公の生い立ちに特徴がありましたし、登場人物のほとんどが悲劇を体験しますし、うら悲しいテーマ音楽も共通していました。この作品の脚本は原作者が書いているそうです。アカデミー賞もんの作家ですが、もしかするとノーベル賞もんかも知れません。

一般に堕胎というと、「不道徳、無責任」というイメージがついてまわります。奨励されるべきものでないことは間違いなく、社会的ルールとしては禁止に近い場合が多いと思います。「このケースは許可、このケースは不許可」などと一々判断していたら、母親は必死ですから、認めなかった関係者を殺してしまいかねません。したがって、全面禁止にせざるをえないというのが伝統的なルールでしょう。

しかし、そのルールのために古来より多数の母子の生命が危険にさらされたり、一生が台無しになった歴史があることも否定できません。どんなルールにすべきか私には分りませんが、母子の生命を守る視点が最も大事だと思います。

熊本市の慈恵病院に「コウノトリのゆりかご」が設置されましたが、生命保護の観点からは、絶対に必要だと思います。不幸な母親は、若くて経験不足の上に頭が混乱していて、冷静な判断などできるはずがないので、救済制度は二重三重にもないといけません。そうしないと、トイレやコインロッカーで死ぬ子供がなくならないのが現実です。ルールにこだわって子供が死んだら話になりません。

主人公は孤児の一人でしたが、医師の助手として働いており、やがては医師免許を捏造して働きます。「まっ、いっか。」では済まされない話ですが、この作品では済まされています。医者の中にも怪しいのが結構いますから、腕に関しては本当の医者とそんなに変らないかも知れません。

孤児達もたくさん登場しました。ひとりはダコタ・ファニングじゃないかと思いましたが、確認していません。

怪しげな治療がされていました。呼吸不全の子は、変なかぶりものをしていたようですが、何の意味があるのか分りません。おそらく当時は、現在では有害無益と言われるような治療法ばかりやられていたと思います。学問は日進月歩だと思いますが、ほんの20~30年前の治療法を思い出しても、医者の私がぞっとすることがあります。

「無胃村」のことを聞かれたことがありますか? 無医村ではありません。外科医が頑張りすぎて、片っ端から胃を切った結果、胃のない人だらけになったという実話です。この外科医は、おそらく腕の良い方だったんでしょう、って簡単に話を切り上げていいのか? やはり、何か根本的な考え方の間違いがあるような気がします。でも、評判の良かった病院は、ほとんどが似たような過激な治療をしています。

さて、登場人物ではシャーリーズ・セロンの美しさが光りました。美しい上に、ちょっとした汚れ役であるヒロインを魅力的に演じていました。サービスで、おしりも見せていました。この映画はドロドロの人間模様を描いていますし、直後に殺人なども起こって全体の色気が不足していたので、これで随分と魅力が増したかも知れません。主人公にも青春がないと可愛そうです。

マイケル・ケインは何歳なのか知りませんが、よくいろんな作品に出ていて感心します。はっきり言って今回の彼の役柄は犯罪者なんですが、実に人間愛にあふれた医療人でした。うまく演じていたと思います。この演技も、アカデミー賞もんでした。

 

 

2007年8月10日

座頭市(2003)

Photo_31 - お約束のギャグ -

北野監督のスタッフには実験精神旺盛な人達がそろっているのだろうと思います。この映画には、音響によるリズムと画面の木槌のタイミングを合わせる、学生がやりたがるような実験的な場面がいくつかありましたが、どれも結構なレベルに仕上がっていました。

北野監督演じる座頭市と、浅野忠信演じる浪人夫婦、そして親の仇をねらう姉弟の3組がある町にやってきます。この町は、岸辺一徳演じるヤクザらが牛耳って、不法の限りをつくしています。ヤクザ達の本性を暴きながら、座頭市と浪人が対決するというストーリーでした。

我々の世代にとっては、なんといっても勝新太郎のイメージが強烈です。勝が市のキャラクターを編み出したらしいのですが、誰かのアイディア、助言もあったのかも知れません。勝は、市を演じる前に似たような盲目の悪人キャラを演じていましたから、それを延長させたのかも知れません。とにかく強烈なアンチヒーロー的ヒーローでした。

迫力の面では勝のほうがドスが効いている分だけ上でした。北野監督も声が低ければ怖さが増すと思うのですが。今、勝のような演技ができる俳優はいるでしょうか?

かっての映画を見ると、子供の頃鮮やかに思えた殺陣が、あまりにも劇画調すぎてリアルさに欠けます。当時はサッサッと刀を振って、しばらくして敵が倒れるのに感心して、よく真似していました。殺陣の世界も技術革新してますが、この北野版では血しぶきのCG画像が鮮やかに加えられていました。個人的には、動脈がある場所以外は血が噴出さないようにしたほうが実際に近いと思います。鮮やかすぎて興ざめする気がしました。

浅野の顔は本当に侍に向いてます。あの格好をしてニッコリ笑う作品がありましたが、実に魅力的でした。彼を主役にすべきではないかと思います。 座頭市が悪役のほうが絵になったはずです。北野監督は悪役顔です。

浅野の妻が唐突に死んでしまいましたが、例えば「もう用心棒は辞めてください。誰かを切るおつもりなら、私は自害します。」と、はっきり言って死んだら、そしてラストで妻の死に様を見た後に、絶望した浅野が座頭市と対決していたら、我々にとっては分りやすくなり、浅野に対する観客の同情も強まったのではないかと考えました。 市は敵役のほうが、かえって魅力が出たような気がします。

美しい映像でした。カメラの性能か、照明の技術のせいか、夜の場面でも見たいものははっきり見えるし、適度に暗いし、昔の映画のように何を写しているのかさっぱり見えないような技術的問題はほとんど感じませんでした。

もし、「マトリックス」のカメラワークで撮影したら、どうなっていたでしょうか?きっと面白くなったと思います。劇画調を充分に表現できるような気がします。

ギャグはいつもテレビで見ているものの復習でしたので、我々には少々新味に欠けましたが、例えば外国の観客は理解できたのか疑問です。何を言いたいのか、はたしてギャグなのか真剣な話なのか区別がつかなかったのではないでしょうか。

ギャグがたくさん挿入されていましたので、少々消化不良というか、細切れで脈絡がない感じもしました。各々の場面のアイディアは良くて、お約束で笑えました。

2006年12月11日

サウンド オブ ミュージック

- 最もジュリー アンドリュース的  -

主演 ジュリー アンドリュース

「アリー マイ ラブ」の中のセリフで、誰がクラスで一番ジュリー アンドリュースのような雰囲気か投票するという話がありました。つまり、くさい演技、理想主義、健康的、上品な雰囲気を代表する役者だというような意味だと思います。確かに映画の中なら許せるキャラクターですが、実社会では鼻持ちならないと思う人も多いでしょう。

その彼女のキャラクターの代表が、この作品だと思います。家族で見ることをお勧めします。恋人と見るときは、くれぐれも用心して下さい。あらかじめ、それとなくジュリー アンドリュース的なものに対する認識を確認してから見るべきです。もし、あなたがすごく感動していても,、相手が「ケッ、この女!」と思ったら、きっとケンカになります。周到な事前の調査が必要な、難しい作品です。

話は実話に基づいているそうで、実際の家族の歌をラジオか何かで聞いた記憶があります。戦後は欧米各国を巡業したと聞きましたが、冷戦終了後はどうされたのでしょうか? 母国に帰ったのでしょうか?

学校で習うような曲がたくさん出ていました。合唱の時間は、いくらなんでもこの歌詞はおかしくないかい?と子供心に感じましたが、文句を言うと先生に怒られるので一応歌っていました。でも映画で美しい風景の中で子供たちが歌っているのを聞くと、子供の可愛さのためか、いい歌だなと感じました。教室の中で歌うのには無理があると思います。

カメラワークには相当こだわっていると感じました。冒頭の空からのシーンは、今見ても素晴らしいと思います。うまく繋いでるのでしょうが、クレーンでの移動やカメラの焦点距離などを組み合わせての作業が大変だったろうと思います。アルプスの風景も町の景色も非常にきれいでした。ドラマのシーンは、おおむね真実味に欠けるような印象がありましたが、ミュージカルの休憩時間と考えれば良いと思います。

夫役のクリストファー プラマーは、この作品以外では悪役で出ているのを見たことがあります。ジュリー アンドリュースの毒気にやられたわけではないのでしょうが、この映画に出演するとイメージが固定されることが容易に予想できます。ミュージカル映画そのものがイメージを固定されやすい傾向がありますから、仕方ないのかもしれません。フレッド アステアやジーン ケリーも、種々雑多な役をやれたわけではなく、やはり陽気に歌って踊る役が中心でした。

正月のテレビに飽きたときに、まだ純真さが残っている子供がいる家庭では、この作品を鑑賞する適応があると思います。反戦がテーマになっていますし、家族愛にあふれた美しい作品です。ジュリー アンドリュース的な雰囲気を存分に味わって下さい。

2006年10月23日

サハラ 死の砂漠を脱出せよ

- 結構楽しい冒険活劇 -

主演 ペネロペ クルスなど

この作品は、家族で見れると思います。冒険活劇ですから、気楽に見るには結構おもしろい映画でした。恋人と見ても悪い気はしません。子供もたぶんOKでしょう。うけるかもしれません。

この作品の中で探されるものは、なんと南北戦争時代の軍資金が入った船です。特殊な装甲船が、川があった頃にサハラ砂漠の奥までやってきているという奇想天外な設定です。それを大真面目にやってるのが笑わせますが、冒険物だからいいと思います。かっての川も今は砂漠になっていますから、砂に埋まって探すのは大変です。兵隊達の妨害も入って来て、砂漠をトボトボ逃げ回るはめになったり、囲まれたりしてしまいます。さて、どうやって乗り切るつもりか?

主演の男優は、いかにも冒険者のような顔をしています。結構迫力があって、役柄には非常に合ってると思います。相手役がペネロペ クルスだとは実は最後まで気がつきませんでした。有名俳優の誰かを誘惑しただのと聞いてましたから、さぞ美人だと思っていましたが、確かに美人ですけど想像ほどではない気がしました。役柄も、ダメではないけれど特別に魅力的な役ではなかったと思います。

旅の途中で適当な笑いやスリルとロマンスがあって、冒険物の条件はそろっています。危機が次々やってくる場面の展開もあって、よく出来た作品だと思います。映像もかなりきれいです。ただ、際立ったアイディアがあるわけではないので、昔の冒険物より新しい(当たり前)という以外には魅力はないと感じる人もいるかもしれません。「パイレーツ オブ カリビアン」のようなCGを使って驚かせる映画を期待する人には勧められません。、

その代わり、昔と同じような冒険活劇を安心して見られます。結構ワクワクします。

2006年10月19日

サブリナ

ー そんなに麗しくないサブリナ -

監督 シドニー ポラック 主演 ハリソン フォード

この作品は、子供も見て良いと思います。暴力的なシーンなどはありません。恋人と見るのも良いと思いますが、できれば昔の「麗しのサブリナ」の方を私はお勧めしたいと思います。でも、いずれの作品を見た後にも幸せな気持ちがすると思います。

この作品は、あるお金持ちの兄弟と、その家の運転手の娘とのロマンスを描いています。兄弟の兄は、堅物で仕事ばかりしている策略も得意な男です。弟は、これと正反対のプレイボーイで、運転手の娘の憧れです。でも、弟はこの娘に見向きもしてくれません。娘はパリに留学することになります。パリで、いつの間にか立ち居振る舞いもファッションもモデルのようになって帰ってきます。弟がさっそく眼をつけましたが、彼はその頃婚約中です。婚約相手は、商売に関係する大事な家の娘なので、話を壊したくない兄が一芝居うつことになります。娘もバカじゃないので、ドタバタしたかけひきが展開されます。

ハンフリー ボガードとオードリー ヘップバーン主演の「麗しのサブリナ」を見ていなかったので、急遽見ました。そんなオタクみたいなことだけはしたくなかったのですが、読者にために涙を呑んでオタクになりました。いろんな見方があると思いますが、私はオードリー ヘップバーンの魅力にやられてしまいました。自分が好きになるならオードリーのほうです。これが大事だと思います。女性の方なら、ハンフリー ボガードのゴリラみたいな顔がイヤで、ハリソン フォード版を選ぶかも知れません。

確か昔のサブリナがはいていたシューズが流行したと記憶してますが、新しいサブリナは特に何も流行させなかったようです。でも充分にかわいく、突然美しく、途中の表情がオードリー ヘップバーンよりかわいそうで、いい女優です。ハリソン フォードは、ムチでも持って暴れるかしたほうが似合ってるような気がしました。

いずれのサブリナも、ドタバタのかけひきと、夢あるロマンスとのバランスが良い作品だと思います。でも、なぜシドニー ポラックはこの作品を監督したのでしょうか?

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