映画評

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Conflict of Interest

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カテゴリー「さ」の54件の記事

2017年8月 6日

さらば愛しき女よ(1975)

Ua

- U.A. -

ロバート・ミッチャム主演のハードボイルド映画。何度か映画化されていたそうで、リメイク作品。DVDの棚の中で特集してあったので鑑賞。

雰囲気は悪くない映画だった。今の映画のように気味の悪い殺しのシーンが繰り返されたり、カンフーアクションの応酬で観客を楽しませる趣向ではない。その点で古いと言えばそうなるが、落ち着いているといえばそうとも言える。いにしえのハードボイルド映画も、たまには悪くないと思う。

ただし普通の場合は、この作品は若い観客には受けないだろう。退屈するはずだ。子供にも同様。昔の作品を興味を持って観るという特殊な状況以外は、おおむね年代を選ぶ作品と思う。ディマジオの活躍を話題にしても、今の観客には分からない。カーアクションがないと、映画ではないと思っている連中だっているかも知れない。

主演のロバート・ミッチャムは、タフガイと情けない男を演じ分けられる俳優。「帰らざる河」などはタフガイ、「エル・ドラド」などは酔っ払い。いずれもサマになるから、役者として使うには便利だが、イメージとしては観客の混乱を生みやすい欠点にもなったはず。超一流のスターと言えないのは、そのへんに理由があるのかも知れない。

この作品では、眠たげで退屈そうな目をしたタフガイを演じていた。タフガイは、目を細めるものと決まっているようだ。ブルース・ウィリスだってそうだし。でも、一般人が真似るとおかしなことになる。眠いのか?と、怒られるだけだろう。

病院の医局でも微妙に目を細める連中がいた。医局でタフガイを気取ってどうするつもりかは知らないが、虚勢を張っていないと医者の世界でもなめられてしまうからだろうか?

どんな会社でも出世競争、名誉をかけての競争はある。競争においては、タフガイ同士の虚勢の張り合いと同じだろう。冷静さを失って目を見開くのは、タフでないことを意味し、最初から立場が悪くなる。それを経験的に怖れるから、目を細めるのだろうか?勝手な解釈だが・・・・

解釈はどうあれ、目を細めることを厭わない連中は多いので、その中で目を細めない人間は、標的にされやすくなる。医局内で目を細め合うより、病院全体の競争に勝とうよ、内部での競争に熱中するのは恥ずかしいよ・・・・といったクールな意見には、つばをかけられるのがオチだ。

タフガイは、今でも生き残っているのである。

 

 

2017年1月21日

サウスポー(2015)

Southpaw

- 名優共演 -

ボクシングのチャンピオンの話。妻の死をきっかけに家庭は破綻し、娘と離ればなれになる。娘を取り戻すため、彼は再起を目指すが・・・・

・・・・DVDで鑑賞。ジェイク・ギレンホール主演のボクシング映画。ギレンホールは、おそらく相当なトレーニングを積んでいたようで、今までボクシングヒーローものに登場した役者達より数段に動きが良く、実際のボクサーの雰囲気が出ていた。

ギレンホールは狂気が感じられるほど演技が派手な役者だし、今回はメイクも良かったのか、不良大人の雰囲気が上手く出ていた。これ以上、主役に向きそうな俳優を見つけるのは難しいだろう。

ヒロイン役には、お嬢様の雰囲気しか感じなかった。育ちに問題がありそうなキャラクターでも良かったような気がする。男勝りの強気の女性で、頭の回転が悪い旦那に替わって仕事を手配するような、そんなキャラクター設定ではなかったのだろうか?

復活のカギとなるトレーナー役はフォレスト・ウィテカーで、こちらはボクシングの動きが全くできていなかった。スポーツものの作品の場合は、演技以前に、専門家らしい動きが大事と思う。リアルな動きができなければ、本職のトレーナーを呼んできたほうが良いと思う。広いアメリカだから、演技できる本物のボクサーはきっといる。

この作品は中国系のプロダクションも制作に関わっていたようで、金は相当かけられた様子。試合のシーンの観客数は、相当なものだったと思う。でも細かい点で、少しチグハグな部分も気になった。そのせいで、せっかくの名優、名監督達が共演したのに、名作にまでは成りきれていない印象を受けた。

①例えば主人公が勝てなかったら、どうだったろうか?惜しいところで判定に持ち込まれて、理不尽な判定で負けたら、話としてどうだったか?ちょうどロッキーの第一作のように。もっと良い話になったと思うが、どんなもんだろう。

②試合後に娘が控え室にやってきたが、その時主人公は汗が引いており、傷もかなり良くなっていた。短時間で治癒するのはアベンジャーズ並の能力者であるということか?おそらく、撮影日が離れていて、傷の具合を合わせることができなかっただけだろう。

③サウスポーに切り替える場面が、映像では明確に表現できていなかったと思う。タイミングも、もう少し前のラウンドが良い。最終ラウンドまでもつれ込むのは、ドラマティックな演出ではあるものの、やはり少し漫画チックになってしまう。展開に関して、詰めが甘いのでは?

でも、全体的にまとまった作品。ちゃんと敵役もいたし、戦いはリアルで、物語は盛り上がっていた。恋人や家族と鑑賞するのにも耐えられそうなレベルだと思った。

ボクサーのトレーニングは想像を絶する厳しさだろう。普通のスポーツなら、練習の後にはたっぷりカロリーを摂れるが、ボクシングでは減量が厳しい。しかも試合では死の恐怖に耐えないといけない。よほどのやる気、動機が必要だろう。普通はファイトマネー、家族愛、などがそれになるんだろうが、劇場主の根性では無理。動機が同じようにあっても、トレーニングは続かないだろう。

劇場主にもファイティングスピリットがないわけではない。稀に喧嘩腰になって、怒鳴ったりすることもある。運転中がほとんどだ。いつも対向車に譲ってばかりいるから、あまりに図々しい車に腹を立てる発作が必ずある。だが、本格的に他人と殴り合ったことはないから、自分の戦いのキャリアへの誇りはない。悪い先輩からは一方的に殴られていただけだ。

もし誇りがあれば、自分が過去に戦って勝ってきたのだから、戦いで事を決しようと反射的に行動するのではなかろうか?つまり、喧嘩っ早くなり、車を降りて殴り合いに持ち込もうとするかも知れない。でも、いにしえの時代と違って、今日では殴る=負けに相当する。殴らせたほうが勝つように出来ている。

この映画の主人公は、だから出かける時は、用心棒ではなく、自分を羽交い締めにして動けなく出来るように、対自分用ボディガードを配置しておくべきだった。自分は感情面の制御ができないんだと悟った時点で、暴走を食い止める役を設けておけば、この作品のようなドラマに発展するまでもなく、・・・・いつまでも家族は幸せに暮らしましたとさ・・・となったかも知れない。

 

 

2016年11月10日

サピエンス全史 (2016)

- 文明の構造と人類の幸福  -

イスラエルの学者、ユバル・ノア・ハラリ氏の著書。宗教や国籍、政治的主義によらない自由な視点で、人類の歴史を見直した内容。シニカルな表現、クールな分析が目立つ。文章は、とても読みやすい、内容も簡単とは言えない。一部は難解な表現もあると思う。

内容は、かなりの部分が他の学者達の本にも書かれていたように感じた。著しく独自性のある内容は少ないだろう。劇場主の観点だって似たようなものだ。空想めいた分析なら、劇場主にもできる。だが、なかなか通史を書こうとは思えない。人類の歴史全体を通して見直そう、再評価しようという努力、その姿勢に感服する。学者が時間をかけて調べ、宗教的な視点を考え直し、国家主義的価値基準の残像を取り除かないとできないこと。普通の人間では難しい仕事だろう。

誤った価値判断、根拠の薄い信用の形成、そんなものが人類の歴史に大きく関わっていたことは、半ば常識ではあったものの、この本ほど端的にそれを語った著作はないのでは?語る人間にもよるのかも知れない。語る人間が勘違いしていると思われたら、もう誰も読んではくれない。信頼されるための条件が必要。イスラエルの学者なら可能性あり。でも日本人の言葉は負け犬の遠吠えに聞こえてしまう。人類通史は書けないと、日本の知識人は感じているだろう。書くだけ無駄。内容のレベルにかかわらず、勝っている集団だけが説得力ある文章を書ける、そんな傾向はある。

多くの点で劇場主は作者と同感だったが、劇場主だって勘違いは多い。日本の国家の利益、国民の利益を他より優先して考える傾向がある。つまり、日本の強欲によってなされたことは仕方ないこと、日本に向けられた強欲は許しがたい、そんな感情がついつい起こる。国家単位の思想から抜けていない。考える時くらいは、国家的史観から抜け出したいものだ。

似たような文明批評家のジャレド・ダイアモンド氏も、宗教や主義的なプロパガンダを除外して批評する姿勢があって、この本と視点が似ていた。より考察の範囲を広げ、歴史全体を通じる一貫性を見いだす方向性が少し違う。しかしジャレド氏のほうが、本の内容の点では本当の学者らしいようにも思える。

学問的でないと感じた部分は、たとえばユバル氏によれば、農耕が始まったことで生活レベルが下がったように書いてあったが、これは強調しすぎだろう。通常は農耕によって食料が安定的に確保できる可能性が高まり、少なくとも平均摂取カロリーは増えたと考えられる。貯蔵された農産物が、それを可能にしたはず。相対的に炭水化物に偏った食事になったかも知れないが、人口を養える可能性が出たことで、狩猟時代より良い面が多かったと思う。狩猟ばかりでは人類は繁栄しない。バランスも大事だが、よりカロリーが大事。

狩猟時代は、食生活で雑多な物を食べられたというより、そうせざるをえなかったと考えられる。食べられる物で食いつないでいただけで、安定的に食料を確保できたかどうかは怪しい。おそらく季節変動を受けやすかったはずだし、カロリー不足による様々な弊害、狩猟中の事故も多かったに違いない。農業革命は、良い面が多い。それが普通の認識だ。農耕民族だからそう思うのかも知れないが。

ただし、勘違いを強調して考えてみる姿勢には賛同したい。劇場主だけじゃなく、過去の歴史家の多くは視点が偏っていた。古代の歴史を追っている時、英雄礼賛に偏った分析がなされる傾向があった。古代ローマの歴史が、その代表。効率の良い軍事組織があったからというのが、ローマが栄えた理由という理屈。でも例えばポエニ戦争の当時、ローマ周辺の都市がハンニバルになびかなかったのは、ローマのほうをより信頼したからだろうが、その信頼は、勘違いであった可能性がある。勘違いが力の元だったかも知れない。

認識や精神面のことを、実感として、あたかも当時の人々のように共感して感じるまでの解説は今までなかった。この本でも、そこに到達しきれていないかも知れない。だが、当時の人々はなんらかの勘違いをして、過剰な信頼の下に団結したり、無謀な勇ましさで戦っていたのだろう・・・そんな視点も理解のためには必要。

勘違いという表現は、古来の人々への敬意に欠ける言葉かも知れない。独特な認識の方向性とでも言い直すべきか?間違ったかどうかなど、誰にも判断できるものではない。かっての帝国主義の時代に、国粋主義者が命をかけて信じた価値観は、結果的には間違っていて無意味で有害だったかも知れない。でも、だから彼らを非難すべきものではないように思う。

この本は優れた本と思う。しかし、歴史的な価値が生じる書物だろうか?たとえば‘国富論’は意味が大きい本だろうが、それは本が資本主義的手法の根拠になり、それによって利益を得る人が多数いたからだろう。この本の視点は、利益を生むだろうか?むしろ無視して強欲に身をゆだねたほうが得しないか?いかに内容が正しかろうと、利益につながらないと、ただの分析に終わる。

教養として読むには良い本。でも問題点としては、世の中に錯覚、勘違いが蔓延しているという、まさにその点。たとえば、いざ宗教的過激派と論争になったら、この本は宗教裁判にかけられそうな内容。うかつに本を支持すると言わないほうが身のためだ。国家主義者、資本主義者、あらゆる人達から集中攻撃を浴び、いっぽうで支持者達はほんのりと支持してくれるだけ、誰も狂信的にこの本を支援してくれない、だって狂信するなと書いてる・・・そんな運命の本でもある。

また実社会では、凝り固まった主義を持つ人のほうが成功しやすい。条件反射的な対応ができるし、無駄に悩まないからだ。有名な人間は、多くの場合が勘違いに満ちていないだろうか?一般に、支配的な人々は、この本を心から支持してはくれないはず。彼らの利益に反する内容だから。しかし、非支配勢力の間では支持を得ることができる。キリスト教がローマ帝国内に拡がったように、弾圧は被るだろうけど拡がりうる。今は昔と違って無記名の投票というシステムがある。票を集めることによって主流派にだってなりうる。

ただし、社会の潮流がこの本の認識によるようになったとして、それで社会が上手く運営されるとは限らない。資本主義は幻想じみたシステムだろうが、それで金が流れて経済が回っているし、国も宗教も、それなりの役割は果たしている。役人は一般に勘違いが多い連中だが、役人なしで自治体は運営できない。それに、株式会社の全部が間違った存在だといえど、営業停止というわけにもいかないのではないか?会社が存続するのなら、勘違いは生き残る。そうなると、この本の価値も限定的にならないだろうか?

 

2016年10月 8日

ザ・ファン(1996)

Columbia

- リアルさに難 -

ジャイアンツファンの主人公は、スター選手ボビーに特別な期待を持っていた。彼が不振に陥ったことと、自分が解雇されたこと、子供と接近禁止になったことが重なり、彼は行動に出る・・・・

・・・・8月21日、衛星放送で鑑賞。トニー・スコットが監督していたが、あまり評判が良い作品という印象はなく、ビデオでも観たことがなかった作品。鑑賞してみて、確かに非常に優れた作品とは感じなかった。間延びしたようなシーンもないわけではなかった。

この作品は子供には向かない。味わいのようなものがないし、陰湿な印象を受けるシーンが多い。恋人と見るために、こんな映画は選べない。基本は同性の友人と観るか、一人で暇な時に見る作品だろう。

デ・ニーロがセールスを頑張っているシーンは良かった。懸命に怒りを抑えようとしている様子が、笑顔と焦った表情を交互に繰り返すことで分かりやすかった。

セールスマンはイライラしていることが多いようで、自分のところにも宣伝に来ていて急に怒鳴り出したり、皮肉を言い出したりする人がいて驚く。売り込もうとした相手を脅すなんて、商売の基本から外れるが、我慢できないのだろう。

家庭の状況が複雑になっていることも、設定として非常に良かった。離婚して子供をめぐって喧嘩する夫婦は、映画でよく出てくる。主人公が元の夫であることが多く、仕事もうまくいっていないのが約束事のようによく見られる。子供と別れて暮らすのは、耐えがたい苦痛だから、共感を生みやすい設定である。

ただし、この作品の後半は、共感を得る方向ではなかった。おそらく、主人公が人間くさく悩み続けていなかったことが、その最大の理由ではないだろうか?仮に犯罪行為をやらかすとしても、良心がとがめて悩んでいるなら、観客も主人公に同情する余地がある。それをしないと、作品自体に嫌悪感を抱かれてしまうから、この点は譲れない条件。そこが失敗していた。

主人公がどれだけ酷い犯罪行為をはたらくとしても、自分自身が恐怖におののき、自分の行為を嫌悪し、泣き顔や苦悶の表情を見せることなどが必要だったと劇場主は思う。完全に理性的に犯罪を犯すなら、最初からクールにやってれば良かったはず。

サウナで大腿部を刺すシーンがあった。大腿部を刺された場合、普通なら刺された部分を押さえれば、かなりの時間は血圧を維持できる。痛みはひどいだろうが、ドアに向かって片足で逃げようとするくらいはできるように思う。少なくとも、逃げようとしないのは不自然な印象。意識を失うのも早すぎる。大動脈の外傷なみの早さではなかったか?

公共の場所であるサウナ室で殺人を犯した場合、普通なら見つからないで立ち去ることを優先すると思う。わざわざ皮膚の一部を採って、証拠になりそうなものを持ち歩いたりしないことが多いだろう。密室での犯行なら別だが、誰かが部屋に入ってこないか気になる場所では、立ち去ることが第一だろう。

実際に、こんな境遇になった人物がどんな風に考え、どう行動するかを、なるべくリアルに描いたほうが良い。リアルな中に、個性も盛り込めたら最高だと思う。でも、この作品では中間ぐらいでリアルさが損なわれていたように思う。

スポーツには熱狂的なファンが多い。その中には、敵となるチームやエラーした選手を狙うような狂人が混じっているかも知れない。2016年のオリンピックで大活躍した選手達は、人気の度合いを高めたことだろうから、妙な行動をとる人物が、彼らに接近してこないとも限らない。

選手が何かコメントしたら、高い注目度ゆえに急に反発してくる連中もいるだろう。名を知られたら、コメントは控えるようにすべきと思う。

 

 

2016年9月29日

ザ・ガンマン(2015)

The_gunman


- 交流の結果 -

コンゴで大臣暗殺を実行した主人公。恋人と別れ、身を隠してボランティア活動をしていたが、命を狙われる。自分が狙われる理由を探るため、彼はかっての仲間を訪問するが・・・・

・・・DVDで鑑賞。この作品は、主に欧州系の会社が作っていたのだろうか、ハリウッドとは少し違う雰囲気の作品で、監督も「96時間」シリーズの人らしい。アクションシーンがよく似ている。主人公のキャラクターも似ていたのでは?

設定が素晴らしかった。コンゴの地下資源を狙う多国籍企業が、傭兵隊を組織して現地で邪魔者を消す。いかにもありそうな話で、話のリアルさを生んでいた。そして仲間同士が裏切り合い、殺し合うという常道的なストーリー展開、加えて闘牛場を舞台にしたラストシーンなど、王道に則った設定が効果的だった。香港映画のような流れだ。

主役がショーン・ペンだったのが良かったのかどうか、分からなかった。ジェイソン・ステイサムだと、活劇調の二級品のイメージが直ぐ確定されてしまう。アクションは派手になるだろうが、荒唐無稽な路線になり、この作品のイメージが変わる。過去を引きずる悲しさが出せる俳優が望ましい。誰が最適だったろうか?

あらためて思ったが、理想的なアクションスターがいない気がする。ステイサム調も良いのだが、さすがに飽きがきてしまった。影があって、たくましくて、でもマッチョ過ぎないで動きが良い。ダニエル・クレイグは良い俳優だが、007になってしまうとイメージが固定する。アクションスターの旬の時期は、直ぐに過ぎ去ってしまうものらしい。

今回の脇役、バビエル・バルデムやマーク・ライランスは素晴らしかった。今はちょうど彼らのキャリア、実力が生きていることや、元々の役柄も良かったのだろう。それぞれ違った個性、違った立場ながら、主人公を苦しめる嫌らしさが充分に発揮されていた。バルデムは殺される役が多い気がするのだが、絶望しながら死んでいく様子が、いかにもラテン系の役者の感じ。舞台がかっている。

この作品は殺し合いのシーンが多いので、小さい子には向かないと思う。小学生後半くらいからなら、結構楽しめる内容かも知れないし、ストーリー展開が分かりやすいから、子供でも理解できるように思う。恋人と楽しむ時間のためには、悪くないはず。恋愛感情に関しては、純粋な作品だから。

コンゴを含めたアフリカ諸国で、どのように経済が回っているのか、実態はよく知らない。フランス語圏においては、人道支援がフランス中心に様々行われるいっぽうで、フランスも含めた欧米系の資本が、資源の管理権をがっちり握り、現地の意志が制限されていそうな気はする。おそらく昔のように露骨な形ではなく、‘資金提供’‘合弁会社’‘技術支援’の形態でだろうとは思うけど。

資本主義に対する理解、現地ならではの生き方、宗教的な考え方の違い、人種の違い、そんな様々な要因が、互いの認識の違いを生じて、大きな対立につながるのだろうと想像する。人道支援が支援にならない場合もあり、経済協力が悪魔的支配でしかない場合も、考え方によっては起こりうる。

もし現地政府の方針が変わったらどうするか、そのへんが大きな問題になる。海外資本をこころよく思わない人達が、選挙で票を集めるかも知れない。内戦の多くは、民族対立とともに、欧米の資本に対しての態度が関わりそうに思える。海外から資金が舞い込んで経済が活発になると、豊かになって喜ぶ勢力と、よき伝統を失って怒る勢力が必ず出てくる。争いの元だ。

人道支援に関しては、この作品でも描かれていたように、武装した人間との境界が曖昧な連中も参加していると想像される。現地で安全に活動するためには武装が必要だから、ボディガードを雇うのも当然という理屈だが、結果的に暴力を助長する側面もある。強いボディーガードは、倒すためにより強力な武装を必要とし、転じて激しい戦闘を輸出した面がないとは言えない。

ただし、もし劇場主がフランス企業の社員であったら、現地の資源をほっぽり出して撤退することは考えられない。自分達が出て行っても、他の企業がそこを奪い去るだけだろう。民族派の閣僚が、自分の会社に損害を与える決定を出そうとすれば、彼のスキャンダルを公表して失脚を狙うだろう。ガンマンを探しにかかるかは分からないが、自分が探せなくても、任せろという同僚は必ずいるだろう。企業精神は、そんなものだ。企業精神と現地の都合が合致しないことはありうる。

もし劇場主が国境なき医師団で活動していたら、目の前の病人をほったらかしにして、現地から撤退するなど考えられない。ボディガードを雇い、なんとか活動を維持し、できるだけ住民を救いたいと願うだろう。もしかするとボディガードは殺し屋さんかも知れないが、自分の使命を続けるためには目をつぶるのでは?支援者の都合も、現地に都合よろしくない場合はあるということになる。

こんなことはいけないから、支援も経済進出も全て撤退し、関与すること自体を止める、そんな考え方もそろそろ出ている。要するに認識の隔たりは如何ともし難いので、壁を作ろうという動き。特に近年はイスラム圏からテロを輸入していることに気がついて、交流の負の側面を認知できたから、壁を築くのが正解と思い出したようだ。直ぐ移民シャットアウトまでにはならないだろうが、受け入れは減っていくのでは?

それに時々思うのだが、人道支援が完璧になされ、乳児死亡率も欧米並みに減り、経済が発展し内戦も全くなくなったら、アフリカの人口は怖ろしいスピードで増えるはずだ。増えた人口をどう維持するか、食料や雇用、社会保障をどう維持するか、しっかりした目処が立っているはずはない。どのように、どこまで支援すべきか、その答えがさっぱり分からない。

かといって、もし仮に欧米が撤退したら、そのぶん中国やロシアが進出するだけだろう。そうなると、売り上げを奪われる欧米企業が何も行動しないはずはないし、そもそも現地からも支援の要請が止まるようなことは考えにくい。良い面も悪い面も含め、今のような‘交流’は今後も続くだろう。問題を全く生じない交流はありえないが、仕方ないだろう。

 

 

2016年1月22日

叫びとささやき(1972)

Towa

- 死生観 -

重病で死期が近い女を、姉と妹、家政婦が看病している。それぞれが自分の思惑や感情によって、接し方も異なる。そして、死の時がやってきた・・・

・・・・DVDで鑑賞。この作品は、ベルイマン監督の作品シリーズとして一ヶ所に置いてあったので気がついた。他と混じっていたら、気づかなかったかも知れない。派手さが感じられない作品。

当時は、こんな映画に人気があったのかと、感じ入る。どう考えても面白い作品ではなく、観ていて辛くなるような重々しい映画。テーマは崇高で、描き方は非常に手が込んでいるとは思うものの、テンポや雰囲気に関してはちょっと今の時代には通用しないような印象。

女達それぞれの感情、家族の間で深く隠されてきた諍いなどが、人の死に際して明らかになるのを描いているように思う。静かに鑑賞して、観終わった後で静かに感想をまとめる・・・そんなタイプの映画だから、テーマから考えても、子供、恋人と鑑賞する映画ではないだろう。

女に献身的に仕えてくれる家政婦は、自分の子供が小さい時に亡くなって、おそらく代替え的な感情で、女を自分の娘のように感じて接していると思われる。だっこして乳を与えそうにするポーズが、それを意味している。無条件の愛情を示しているのが、実の家族ではないのは、たぶん監督が強調したかった点だろう。そして、娘を亡くすような過去がなければ、献身的看病は難しいのか・・・・そうとることもできよう。

肉親である姉と妹は、独善的だったり、自己中心的だったり、あるいは温かい肌の接触が嫌いだったりして、女に絶対的な愛情を持っているわけではないようだ。女自身も、幼少時に自分が阻害されたような記憶があり、姉妹達に敵愾心のような感情を持っていたように描かれていた。

でも、描き方には少し違和感を感じた。アップの画像から、その人物に焦点をあてて解説するかのようなシーンは、作品全体の流れを遮る面もある。時間通り経過の中で、それぞれの内面を台詞や独語で表現したほうが、自然でもあり、物語としての流れに抑揚が効く効果もあると思う。芸術に懲りすぎて、ドラマかドキュメンタリーか分からないようになってしまっている。

奥に秘めた感情を表現するためだろう、亡くなった女が復活してしまう非現実的なシーンがある。気味悪がって相手にすることを拒否する姉妹の姿が、本心を表していると考える。より現実的に描くなら、うわごとの形で姉たちを非難すると良かったかも。本音の戦いが、より明瞭になるから。

分からなかったのは、こういった点を強調したければ、亡くなる前に表面上は優しそうに接する姿を写し、裏で暴言を吐いたりさせてから、亡くなった後にゴロッと変わった浅ましい姿を見せるのが定番と思う。なぜ、そうしなかったのだろうか?もっと曖昧に描いて、高級感を出したかったのだろうか?

それに、非現実的な復活シーンを描く場合は、現代ではリアルさが出にくい。古い城などを使って、ハムレットみたいな気味の悪い演出をするのが常道。この作品の時代での復活劇は、ちょっと無理があった。

女が日記の中で姉妹らといっしょの散歩を回想したシーンが美しい。よく整備された公園(広大な庭かもしれない)を、着飾った女達が歩くシーンは、幸せを感じさせる。それも一面だと思う。笑顔と、満足感、幸福感のあふれる時、そして喧嘩や悪口、そんな諸々の場面を、やがて死がすべて覆ってゆくものだろう。

劇場主は最近、同級生達と死生観について話した。卒業後30年で集まったのだが、多くは部長や副院長クラス、数割が開業しており、勤務医達もそろそろ民間に移ろうかと話していた。

人の死に関わる分野を避けたという皮膚科医がいれば、ターミナルケア中心の在宅医療専門に進んだ人間もいる。感覚の違いがあって、ちょっとした口論になっていた。劇場主も、職場や立場によって次第に感じ方が変わってきたように思った。

救急担当だった時代は、蘇生成功率が妙に高くて、なんだか自分が人の命を決めて良い人物、神様にでもなったかのような感覚を持っていた。でも蘇生させて、かえって不幸を作ってしまう経験が増えると、少し引いた形で現場に望むように変化した。

子供の急変や、若い人で死が確実という例に遭遇すると、さすがに感情がこもってしまい、説明をしながら泣いてしまったり、なかなかク-ルではいれなかったが、その後長く精神的に引きずるまではなく、仕事をこなせていた。それが徐々にだが、感情が先に走る場面も出てきた。

同僚の中には、例えば胃瘻に関して積極的で、何も問題のない優れた行為だと推奨する人間がいた。あんなものを自分に入れられたら、どう思うんだよ!と、私は嫌悪感を感じたが、そう言っていた人間は出世し、教授になってしまった。そんな考えでないと、偉くなれないのか?だったら、偉くなんかならなくていいかもしれない。

勤務医時代の後半は、基本はもちろん無条件に救命を優先し、自分で判断できない場合は家族の顔色を見ながら対応するような、曖昧な態度になっていた。家族との死生観の違いを明確にすることは避けたいと思っていた。とことん語り合うと、人生観の違いがもろに出てしまう。身勝手な人間は多いものだが、人が死ぬ場合にそれを批判することは難しい。特に嫌なのが、無条件に延命治療を望む家族が大半だったことだ。

医者になる前から、自分は患者や家族にとって最善の選択を提供したいと考えていた。その点は一貫しているが、提供したい内容が変わってきた。そして、自分が担当している寝たきり患者に対して、もしかすると何もしないほうが本人は幸せかもねと思えることが増えると、そのままの仕事を続けていくのは嫌になってくる。死生観と現実の診療内容の違いが、自分の道に関係している。

 

 

2015年2月15日

細雪(1983)

Touhou

- 小津調 -

大阪の旧名家の4人姉妹。3女の見合いの失敗と4女の恋愛事件、かっての栄華、衰退する現状、互いの諍いや仲直り、のしかかる軍国体制などが描かれた物語。

2月10日、BS放送で鑑賞。過去に3回の映画化、数々のTVドラマ化があったそうだが、鑑賞したのは今回が始めて。細やかな心情の描写がよく出来ていた。ただし女心はよく分からないので、よく出来ていた気がすると言うべきかも。またいっぽうでドラマというのは全てそうだとは思うが、やや退屈になる遅いテンポは、人によっては好き嫌いがあるかもしれない。

着物を並べて陳列するシーンや、花見のシーン、雨の中の風景など、美しいシーンが多かった。惜しむらくは、もっと高性能のカメラで撮影できていたら、もっと味わいが感じられたろうにと思う。ノスタルジックな基調、独特の哀愁、美意識が素晴らしかった。

子供には受けない映画と思う。女の子にはどうか分からないが、少年には解読不能な世界感がある。恋人と観る映画としても、最適とは思えない。BGMは新たに作るべきではなかったろうか?クラシックの名曲には少し違和感を覚えた。

岸恵子51歳、佐久間良子44歳、吉永小百合38歳、古手川祐子24歳の頃の作品。年齢を考えると、大物女優達はさすがに実年齢が高すぎる印象もある。文芸作品、大作の場合はよく年齢が高めになってしまうが、個人的には有難くない。ピチピチした肉感的魅力、化粧ぬきの色気も必要ではないか?ポルノ路線にまでする必要はないが、この作品には目立った濡れ場もないので、実生活を描く作品として特殊であることは間違いない。

原作ではどうだったろう?やや変態趣味の気配が漂う作品だから、濡れ場は多いのでは?読んでないから分からないけど、作者には女装趣味や、何かのフェチ趣味がなかったろうか?感覚的にオカマ趣味のような、女性より女性らしい感覚の鋭さが感じられるような気がしてならない。

谷崎の家族が題材になっているらしいので、描写が細かい印象。モデルがいるといないとでは、表現に違いが出るのは仕方ないだろうが、それにしても細かい。書かれた本人達はどう思ったろうか?

最初と最後に、小津安二郎タッチの対面して交互に話すシーンがあり、オマージュにもなっていた様子。小津調は古いから、ノスタルジックな雰囲気を出す効果も感じられた。

石坂浩二が良い味を出していた。彼は婿養子のはずだが、次女の夫なのに婿養子として妻の姓を名乗るのは、私の感覚では変。大阪方面では複数の婿を迎えるのが普通のことなのだろうか?妻の姉妹たちに振り回される姿や、ちょっとした浮気心、理容師に本音を打ち明ける際の言葉など、実在感が感じられる役柄だった。温和な雰囲気の石坂には良く合う役だった。谷崎本人の分身でもあったろう。

同じく旧家の坊ちゃんらしい勘当される人物も、上品で生活力のなさそうな態度、声質や言葉使いが素晴らしかった。マヌケな人間の存在はドラマでは非常に大事と思う。マヌケが自分では自分を粋だと思っているように演じると、実在感が出る。さらりと、楽しそうに演じていた点が良かった。本業は落語家のはず。でも、本職の役者達よりも存在価値があったように思う。

伊丹十三が懐かしい。この後、彼は監督として急に脚光を浴びるのだが、当時は妙な声の個性派俳優、どちらかと言えば悪役のイメージがあった。この養子役も、演技よりも彼の生い立ちがあるからこそ成り立つ上品さが味につながっていたように思う。

旧名家の人間は、必要のない場面で過去の栄光、誇りを口にすることが多い。これは旧家出身でない自分の僻みかも知れないが、何か誇るものがないと人は自信を持つのが難しく、人と相対するのも辛くなるものらしい。圧倒的に優位でなくとも、一定の立ち位置があることが大事なんだろう。弱い立場では不安で仕方ないという心情が発生しやすいから。

その態度が上手く演じられていた。女中やかっての出入りの人間に対する態度や、家族内部でも入り婿の立場と本家、分家の立場など、細かい感覚の表現が実に上手くできていた。今日では意味を失いつつある観念で、くだらないといえばそうだが、そんなものにしがみつかないと誇りを損なう感情は、形を変えながら続くものと思う。

誇りを大事にするいっぽうで、実利に問題が生じた時は頭を整理し、バランスを熟考する・・・姉妹の判断には必ずそんな一面があった。心情ばかり言っていたら、姉妹はまず破産していたはず。店を整理したからこそ、今の生活があるじゃないか・・・長兄の言葉は正論で、だからこそ悔しい・・・そんな葛藤、バランスの判断が、ドラマの根幹と言えるかも。ドライに実利ばかり考えていたら、ドラマにはならない。

もし可能なら、極端にドライな人物を悪役として登場させて欲しかった。原作にいないのだろうか?悪役は必要。ロシア文学なら必ず登場するだろう、金儲けに徹し、成功した人物が。そんな人物が3女の見合いの相手として付きまとうなど、よくあるパターン。家族の浮世離れを悪役君の言葉が強調してくれるから、普通は必須のキャラクターのはずなのに。

産業構造が変われば、名家の没落、新興財閥の形成などは必ず起こる。ずっと繁栄を続ける家は珍しい。大阪あたりだと、大きな店が潰れては現れ、常に新陳代謝が起こっていたのだろう。商家→デパート→郊外のスーパー→最近では巨大なショッピングセンターも過当競争に入って業績がよろしくないそうだから→コンビニ+ネット通販へと、どんどん主流が移る。

熊本の県民百貨店も閉店になる。子供の頃恐竜展を見に行って、入場待ちのためにビルを一周し、数時間待たされたのが懐かしい。建物にスペース的な余裕があって、階段コーナーなど、個人的には鶴屋よりも豪華そうなイメージがあったが、ブランド的に鶴屋を凌駕するには至らなかった。ブランドイメージというのは難しい。高い物ばかり並べていたら買える人がいなくなる。安売りしたら、価格競争に埋没して利益を失ってしまいかねない。戦略を間違わないように、次の時代を察知して立ち回る必要があった。

百貨店の閉店は、旧大店の閉店ほど心に響くものではないと思う。でも、そこに勤めていた人達にとっては大事件。一消費者として、ダイエーや寿屋の閉店は非常に困った。あんな店があれば良いといまだに思う。今の店には国産で、綿が適度に混じっている品が少なく、ブランド品を探さないといけないので面倒。

SONYやシャープなどもどうなるのか気になる。まさかソフトバンクは大丈夫だろうか?借金は凄いはず。ただ、あの会社は仮に破綻したとしても、かっての大店のような哀愁を伴わない気もする。ソフトバンクは虚業ではないが、ネット会社のイメージが強いから。

農協はどうなるのか?7日頃の折衝の結果、農協の全中が権限縮小することになった。全中という組織の意味すら知らなかった私だが、今回の動きを見ていると、アメリカの意志がもろに反映されたと確信できた。政府のほうでは各地の農協が自由に活動するために必要などと説明していたが、明らかに詭弁。菅官房長官の話し方は、自分で言うのも嫌そうで、嘘は嫌いだ!といった雰囲気が感じられた。TPPの条件として、おそらくそれより前からも、農産物交渉、保険業への参入問題で、農協を無力化する必要があると米国が考えたのだろう。

主役は米国の保険業界だろうと思うのだが、たとえば逆に日本の農協が米国に進出することは難しいのだろうか?農協のような団体の商品、郵便貯金や郵便保険、日本型健康保険制度などは、輸出できるような気がする。米国の会社のようにハゲタカ的な強欲さがないので、収益の面では劣勢だろうが、格差に苦しむ米国の場合、日本型の貯金、保険制度は支持される可能性はあると思う。TPPの逆利用で、世界に進出できるのでは?

成功したら、米国の業界が黙って見ているはずはないが・・・

 

 

2014年8月20日

坂の上の雲(2009-2011)

- 失敗の記録? -

NHKドラマでしばらく放映されていたシリーズ。DVD化されていたので鑑賞。鑑賞するきっかけは、やはり憲法解釈の変更。軍事ものを観たくなった。

そもそもNHKがこの作品を作ろうと考えた経緯が気になる。考え過ぎかも知れないが、右傾化した事を証明するものかもしれない。今の会長は相当偏った人物らしいが、その前から客観性を損なっていたのかも。司馬氏も述べる通り、日本のマスコミは国民を煽る伝統がある。煽って起こる結果に責任を取らないのも伝統。このドラマの描き方にも用心は必要。

小説も読んでみた。正岡子規の話は小説の主題とは少し離れていると思うが、物語がただの軍記ものにならないという効果は確かにあった。畑違いの子規は、文芸の世界で戦った将軍のような存在であったと思う。新しい潮流を起こした文芸界の革命児だろう。

ドラマでの阿部寛の兄役は役柄と個性がマッチしていて、本物もああだったのではと思った。ただし実際の写真を見ると、さすがに阿部ほどには顔が濃くないようだ。アル中だったらしいが、かなり長生きしており、生活習慣が滅茶苦茶でも、運が良い人は大丈夫という例。近所のアル中のお爺さんも、90過ぎて毎日飲んだくれていて非常に元気で驚く。

いっぽうの弟、真之役の本木は、本来ならコメディアンのような役者が良かったと思う。かなりの奇人だったようだから、天才奇才肌の飄々とした表情を出せる俳優が良い。少し、実在感が足りない印象を受けた。NHKが使ってくれそうなコメディアンとなると、恵俊彰あたりだろうか?

そう言えば、映画でも出れそうな本格的コメディアンが、今の時代にはあんまりいない気がする。大泉洋が唯一、主役を次々とやっていけるタレントだが、兵隊役には向かないキャラクターだ。この役を演じるに最適な俳優は、バラエティ番組では浮いてしまうから人気が出にくい。若手、重厚なドラマも悲劇もやれる、軽さも迫力も出せる・・・そんな便利は俳優はなかなか出ないものだろう。

戦闘シーンの迫力が凄い。カメラワークも特殊効果も、最近の欧米や韓国映画の技術が影響したのか格段に進歩していて、リアルで気持ち悪くなりそうなほど。変にヒロイズムに偏らないよう、真面目に作ろうという意欲を感じた。相当な金がかかったに違いない。よくぞ金をかけてくれたと、NHKに感謝したい。外注したのだろうか?やっぱ受信料も払っておこう。

秋山兄弟らの頑張りには驚く。でも、たまたま成功につながった幸運もあったと思う。まず第一、彼らが取り立てられなかったら、そこらの誰かが指揮して大敗北を喫し、今ごろ日本も朝鮮半島もロシア領だったかも知れない。今の人事の評価法だと、防衛大学を出た人以外は出世できないだろうから、教科書通りに戦ってさっさと負けてしまう。当時は選んでくれた上層部に能力があったということ。

強調された点もあったとは思うが、幕藩体制の崩壊や、兄弟が藩閥の主流派でないことへの抵抗は、彼らの努力の源になっていたと思う。チャンスという感覚もあったろう。下級武士で終わるしかない時代から、評価次第で出世できるという感覚は「あしが稼ぐから、弟を寺に出さんでくれ。」といったセリフにも関わる。やれるという自負、やりたいという意志の源には、チャンスがあるという認識も大事。

そんな動機付けがなければ、集団としての軍隊も弱体化する。勝利に向かって一丸となれるためには、勝利がもたらす実利をイメージできることも絶対に必要。常に下剋上が可能な社会を維持しないといけない。会社でも官庁でも、毛色の違った人物を採用し、集団が均一化して頭脳が劣化するの避けなければならない。

歴史の教科書で学んだ範囲では、装備や兵力で劣る日本軍が、奉天や日本海で勝利を得て講和に持ち込んだものの、得た利益は少なかったといった概略だけが記憶にある。日本軍のまずい作戦は旅順攻撃だけが取り上げられ、後は問題なく遂行できたかのような印象を持っていたが、作品によれば他もまずい攻撃だらけだったようだ。敵がいることだから、実際もそうだろう。常に作戦が的中するはずがない。

戦争の資金を入手できる自信が誰かにあったのだろうか?イギリスが頼りだったはずとは思うが、予算のことを考えると、満州に軍を進めて広大な領域で戦うのは避けたいはず。危ない橋を渡ったように思う。ロシアと敵対する勢力が必ず融資してくれるという保証はなかったはず。運が悪ければ、一方的に攻撃されて短期間で敗戦になっていただろう。占領されないこと、大負けせず上手く講和に持っていくことが目標だったと思う。

運が良かったこと、占領を避けるため兵士達の敢闘精神が強かったこと、英国の世界戦略と合致し、優れた武器を輸入できたことなど、条件が整って薄氷を踏むような戦いだったことを理解できた。後年、アメリカ相手でも通用すると信じたのだろうか?

司馬遼太郎の歴史認識は、子供の頃の自分には大きな影響を与えている。未だに彼のレベルを超えていない。実体験がある氏の分析は、今の政治家達とは違っているだろう。氏が戦車に乗っていたのは随筆で読んだことがあるが、戦場で経験した不合理、憤りと反省は、今の時代では主流の感覚ではない。社会の末端で、正しい戦い方をしているという認識のないまま戦った人間の感覚だろう。

今の政府の主流派は、基本的には戦前の首脳部、財閥系の人間の末裔が多い。つまり戦争を推進した連中。口で何を言おうと、利害関係は戦前と似ていると思う。要は権益を確保し自分の立場を保持するために、国民を煽り、自分の利益と国民の利益を混同させるのが常なる手法ではと疑いたくなる。司馬氏とは立場のようなものが明らかに違う。

煽られる国民の側も、それほど変わってはいないようだ。国益と企業の利益が区別できないし、株価と自分の収入が合致しないことが分からない。海外から投資が増えて株価が上がると、景気が良くなって自分も得すると思う。うまく売り抜けできれば確かにそうだが、普通うまくいかないのだ。どこの国でも雰囲気に弱い人間は多いはずだが、終戦後わずか70年足らずで戦前と同じレベルに戻るのは、仕方ないことなんだろうか?体験しないと分かりにくいのは誰でもそうだろうが・・・

氏が元軍人とは言え、あくまで小説家の分析だし、描かれた人物評が正しいとは言えないとも考えられる。旅順の攻略については、そもそも攻略する必要があったかどうか怪しいと思う。要塞の周囲を固めて、港を機雷で封鎖するのが基本だろう。攻撃に伴う被害を避けるほうが正しかったかも。主人公だから秋山兄弟は良く書かれているが、たまたま周囲に実力者が揃っていたから勝利しただけで、鬼神のごとく勝ち続けたわけではないと思う。

的を得ている面はあると思う。政治家や官僚は、競争社会の上層部に位置する。勝ち抜いてきたプライドや、勝ち得た立場上の利益を守りたいと考えるはず。そのために社会全体に不利益を及ぼしてしまうとしても、恥じ入ることはない。勇ましさでごまかしてしまう。まともに謝って、優位な立場を失うのは怖いこと。上層部がそろって集団でやるなら失敗も怖くないから、視点が偏ってくる。そういった弊害が今の社会にも満ちている。司馬史観が問題にしている状況である。

弊害を持ったままの集団が選択するものがどんな結果になるか、およそ予想はつく。個人が学業で優秀かどうか、出世に努力したかどうかに、あまりこだわらない方が良い。正しい意見かどうか、情報を正確に集めたかどうか、曇りのない目で評価し続けないと破滅する。

それに、中国や朝鮮半島の人達への視点は、やはり偏っていた。ロシヤの野心と日本の防衛のために戦場にされて、おそらくは迫害、抑圧の連続だったに違いない。人権侵害が全くなかったなど、戦場ではありえない。

集団的自衛権の解釈変更によって、自衛隊が活動する範囲が今後は拡がることが予想される。筆者(私のこと・・・司馬氏を真似てみたくなって・・・)が懸念するのは、いかに綿密に規定しようとも、実際の戦場では状況把握が難しい場合は多いはずで、現場の人間の誤認によって戦争に巻き込まれてしまう危険性があること。基本として、軍人が現場にいれば、それだけで充分に敵対していると相手が考えるのが自然で、こちらの理屈が通用するとは考えないほうが良い。日本の領海、領空に限定した行動が基本ではないかと、素人的には思う。

今後の戦場は、日清日露は言うに及ばず、太平洋戦争時代の常識を超える凄い武器が使われるだろう。上空には無人機、監視衛星が飛び交い、誘導ミサイルが飛んでくるから、常に移動し続けるくらいの気持ちでいたほうがいい。建物の中にいたら、ミサイルの餌食になる。新しい常識が必要だろう。

核兵器が非常に気になる。ひとつの国が使えば、他も使ってくると思う。抑止力は、タガが外れたら終わり。いったん使われたら、生き残っても悲惨。被爆地は、少なくともしばらくは活動できない。広大な国でも後遺症は大きいだろう。反撃が怖いから、核保有国同士では滅多に使われないはずだが、占領されそうとなったら、判らない。

鉛の爆弾に核廃棄物を封入する、空からばら撒く、まず原発を狙うなどは当然のこと。このままでは友軍の被害が増えるといった理屈で、何でもやる時代が来るかも。そんな戦闘が起こったら、日本国内は死ぬ間際の人だけ残して、若者は移住しないといけなくなる。住めるのは、汚染されなかった山の頂上近くだけ。そこで老人が自給自足の生活をする・・・そうなるかも。

軍事専門家は、一般に通常兵力のことしか考えていないように思う。確かに多くの場合は通常兵力で戦いが進み、適当なところで手打ちになるだろうとは思うが、常識が通用しない場合も絶対にある。この小説でも、幹部達の予想の多くは外れていた。無残に一般市民が殺された場合、復讐のために核弾頭が飛んでくることは常に考えられる。抑止力を向上する際にも、より慎重に考えるべきと思う。

つまり、抑止力という言葉に対する感覚が、既に時代遅れになっている。古い時代、兵器が限られ、抑止力が期待できた時代の認識に捉われた専門家が多いように思える。抑止力を持つことが、かえって破滅を招く場合があるという考え方も必要。実際に抑止できるかといった不確実な点を忘れて、机上の論理で政策を進めてはいけない。

日露戦争の当時も、要塞の攻防戦や機関銃の威力、軍艦の使い方などに慣れない専門家が多かったはず。本を読むと、日本のエリート達も失敗や誤認の連続。想定外の事態で、素人よりひどい失敗をした例も多い。今の自衛隊や防衛省は誰も戦争の経験がない人ばかりだから、当時より誤認は多いだろう。役に立たないと思う。

筆者の素朴な疑問だが、東アジアの国が日本を攻撃したとして、何を得るのだろうか?日本に資源はないから、せいぜい日本の企業を潰して、その市場を奪うくらいか?漁業や水の資源は豊かといっても、戦費に見合うものとは考えにくい。脅して金を取る相手、もしくは敵視して自分の国内の反体制派を牽制するくらいにしか相当しないと思えるし、実際に、それ以上の行為は発生していない。そんな状況で、危険を犯して相手国を非難したり、抑止力をつけると公表したりして、日本側にどんなメリットがあるのだろうか?

素朴な疑問のもうひとつ。仮に日本を制圧する勢力が出て、国内にその軍隊が駐屯してきたら、その体勢を維持するためには、壮大な兵力、予算、物資が必要になるはずだが、そんな余力のある国はあるのだろうか?米国は可能と思うが、今更意味がない。中国とて、長期間の維持は難しいはず。占領によって破綻する国の方が多い気がする。なら、基本として攻撃されるのは非現実的と考えるべきでは?

もちろん、米国が要求するなら、歴史的経緯から考えて要求を飲まざるを得ない。米国の意志は基本路線とするしかない。だが、矢面に立てと要求されているとは思えない。抑止力を目指すとしても、やり方はあると思う。性急、声高、勇ましくといったやり方は、今の日本の首脳がとるべき道ではないように思う。

2014年8月 8日

秋刀魚の味(1962)

- サンマどこ? -

小津安二郎監督作品。遺作となったらしい。主人公はいつものように笠智衆、ヒロインは娘役の岩下志麻。いつものように父と娘が登場し、すったもんだあって、お嫁に行く話。DVDで鑑賞。

DVDは画質を調整してあったようで、充分鑑賞に耐えられた。音声は少し聞き取りづらい印象も受けたが、画像に関しては満足。カラーの色彩は、やや淡すぎる印象もある。

秋刀魚がどこで出てくるのか最後まで分からなかった。ラストでそんなセリフが出たのだろうか?中途半端に観ていたので、見逃してしまったのかも。庶民的な面を強調する意図で文学的に付けたタイトルで、実際にも場面のなかで秋刀魚の話など出てこなかったのかも知れないが、どっちでも話の筋には関係ないと思う。

この作品に限らず、小津作品の特徴は、一般庶民が経験する日常の喜怒哀楽と、親子や家族の間の感情の機微を味わい深く描いた点にあると思う。ユーモアが随所にあふれているから、基本的には楽しみながら観れる。メロドラマではない。でも、ただの笑いだけで終わるわけではなく、必ずのように涙もろくなりそうなシーンがある。深みを感じる作り方で、レベルの高い仕事ぶり。

ただし、古臭さは感じる。テンポが独特で、今のテレビドラマに慣れた人には退屈されかねないと思う。私が中途半端に観てしまったのも、実はテンポの点でついていけなかったからだ。ニュースといっしょに観るという、小津先生には失礼な見方をしてしまった。基本として、若い人には勧められない。

面白い趣向として、酒の席で二度ほど嘘をついて人を騙すシーンがあった。一度目は常連客である友人が急死したと、料亭のおかみに嘘をつくシーン。もうひとつは、友人達がしめし合わせて、主人公に縁談話は決まってしまったと言うシーン。その際の嘘のつき方が見事で、声の調子などが観客をも騙せるほど、実にリアルなものだった。

あの嘘の意図は、ただのユーモアの意味だったのだろうか?後のほうは、困る主人公に観客が同情する効果があったと思うが、少し悪趣味ではあるし、主人公が大きく落胆しなかったので、その効果を減じてしまったようにも思った。例えば、あのシーンでからかわれた主人公が烈火のごとく怒ったらどうだったろうか?普段が温厚な人物が急に怒ると、その真剣さが分かる。そのほうが自然だったのではないかと個人的には思った。意見が分かれるところだろうが。

他にも趣向が色々。登場人物が「もし、日本がアメリカに勝っていたら、今頃青い目の連中が鉢巻をして・・・」というギャグ話をするシーン。笠智衆が、日本が負けて良かったかもねというセリフは、右翼にも外国にも攻撃されそうだが、小津監督だから許されたのかも。確かに、アメリカ人が鼻の穴に棒を突っ込んでドジョウすくいをやっていたら、さすがに世も末だ。

Photo_3

ヒロインが恋心を抱いた若者に対して、あまり目立った表情を見せなかった点も少し気になった。原節子の時代ならまだ仕方なかったかもしれないが、岩下志麻の時代なら多少は若者同士の快活な話があってもよくないだろうか?非常に明るい表情を見せたヒロインが、その若者が婚約したと知ると、悲しさは強調されるはずだから、ぜひとも際立った明るさが必要だったと思う。

簡単に演出できると思う。二人で話した後に恥らうような表情を見せるとか、面と向かっては隠して、後でこっそり嬉しそうな表情を見せるとか。この作品の岩下は、クール過ぎた。後に姉御肌になった時期の岩下志麻は迫力があった。目のきつい感じが、姉御役に役立っていたと思う。若くて整った美人の娘も、やがてはコワモテの姉御に変身して行くという怖い現実を象徴している女優さんであろうか・・・

この当時も既にズケズケと物を言っていた奥さん役の岡田茉莉子は、適度に愛嬌があって好感を持った。後年は目が怖すぎて一般庶民の役は似合わなくなってしまったが、女優らしい女優だった。ただし、実際に奥さんがあんな口調で話し、親からもらった現金を取り上げたら、私はキレてしまうかもしれない。

Photo_4

飲み屋街の映像が懐かしい。今はだんだん店がきれいになって、下のような場末の飲み屋の看板が少なくなってきた。ただ、通りを写したシーンが繰り返されたのが気になった。全くのように同じ角度から写していたが、センスを疑う。せいぜい二回までが限界で、後は直接店の中を写すべきだったと思う。団地の廊下のシーンも同様。

Photo_6

トリスバーの看板が良い小道具だった。もしかすると協賛していたのかもしれない。水割りやロックにしないで飲んでいたが、トリスはそのままでは美味と言えるかどうか?昨今のように何かで割ったほうが自然だと思う。それと、主人公は明らかに飲みすぎだった。毎日のように飲み屋に通っていたが、あれでは体を壊してしまうだろう。

Photo_5

ビルの屋上の看板も懐かしい。球体の表面で文字が回るタイプのネオンは、子供の頃はいろんな場所で見た記憶がある。当時としては斬新で目立ったのだろう。派手なネオンが都会の雰囲気を作っていたように感じた。田舎との明らかな違いはネオンや信号の多さ、ビルの高さだろうが、都会への憧れ、気分の高揚に関係する最大の道具は、おそらくネオンだろう。

熊本市の通り町そばに、日立の大きなネオンがあったのを記憶しているが、一時期のことだった。水道町交差点のコカコーラの看板は昔からあるが、時々節電しているようで、ちょっと寂しく感じる時期もあった。日立や東芝は、あんまりネオンを作らなくなった気がする。家電よりも企業向けの製品が中心になったからかもしれない。

さて、私の娘は現在大学生だが、今後どんな風になるのだろうか?ボンヤリしているから就職は要領を得ないかも知れないし、いずれにせよ熊本では職場が限られているので、東京あたりに行ってしまって、このまま私は置いていかれるかもしれない。もしくはボンヤリしすぎて、行き遅れになるかも。娘の幸せも心配だが、家内が家事に興味がないので、自分の老後がどうなるかも非常に心配。

介護保険制度が昔より進歩しているから、野垂れ死にはしないだろうと思うものの、子供達の重荷になって、謝りながら生かしてもらうような悲惨な状況になることもあるかも。私の父は、兄に対して長いこと口調が荒かった。若い頃に努力をして将来の人生設計を立てておかなかったと、度あるごとに小言を言っていた。

でも、父が倒れて子供達の厄介になるようになると、なんだか寂しそうな表情で、兄に対して非難めいたことは言わなくなった。言える状況でないのも確かだが、そう感じていそうな父を見ることが辛く思える。念のため、私は子供の非難は止めとこうっと。

 

 

 

2014年6月18日

里山資本主義(2013)

- 角川書店、藻谷浩介 -

里山を中心に、新しい形のエネルギー、経済循環を目指す動きを取り上げた報告。角川oneテーマ21を購読。

考え方として非常に共感した。灯油を大量に使って何かを産出しても、結局は石油製品の代金は払わないといけない点、付加価値を高めて利益を得る旧来の考え方に限界がある点、グローバリズムに運命をゆだねる考え方は地方の崩壊を生むだけという点等々、自分が感じていた問題意識と同じだった。

残念ながら、この本はメジャーな書籍とまでは行っていないように思う。相当数は売れたらしいが、大ベストセラーにはなれていない。どちらかと言えばグローバリズムを賛美する本のほうが購読者は多い。所詮はメジャーな有権者勢力をつくるまでにはいかないだろう。でも、今後時間をかけて徐々に支持者を増やすことは期待できる。

この本は学者の本ではないので、分析の面ではやや力不足を感じた。少し感情的な、物書きに特有の素人分析の傾向がある。一目瞭然でグラフ化し、どのような効果があったか訴えかけるべく、具体的に提示しないと説得力には欠ける結果になる。

例えば、農業に新たに参入した人の年間収支の経緯を示すグラフ、または灯油から薪ストーブに完全移行した場合のコストの比較、部分移行の場合など、数値での比較は可能だったはず。著者達でできなければ、だれか研究者に依頼すれば良い。収支が判れば、参入したい人も出てくる。説得力を重視して欲しかった。

この本を直接映画化することは難しいと思うが、この種の考え方に準じた映画を作ることは出来そうな気もする。娯楽性をどのように持たせられるかが問題だが、テーマとしては広く受け入れられる要素もあると思う。万人には受けないだろうが。林業に従事する若者の映画ができたそうだが、劇場で観る気にはなれなかった。まだ何かの気運が乗っていない。

オーストリアやドイツ方面は、森林の管理に関して非常に進んでいると報じられている。元々日本よりも機械を入れて管理しやすい地形である点もあると思うが、日本ほど急激、かつ直接的にアメリカ資本の影響を受けていない点、もともとの政治的な習熟度の違いがあるのか、林業政策の上手さが違っているのだろう。

最近の熊日新聞の報道によれば、わずか50年前くらいまで、日本でも山林は良い投資先であったそうだ。木材価格が高かったのは、外材の輸入のシステムが未発達だった面もあったのかもしれない。その頃に、戦略性のある林業政策、エネルギー政策を作れていれば、里山は今と違っていたのかもしれない。

ただし、人吉近くの広大な山林を見上げると、「これを切り取って運ぶのは大変だろうな」という印象。地形の違いは如何ともしがたい。カナダ辺りから材木を持ってきたら、価格的に日本の材木は敵わないだろう。政策的にもそうだ。戦後の日本では石油の確保と、流通システムの巨大化が第一という強力な思い込みのようなものも確かにあった。太平洋戦争で石油をめぐって失敗をしたという反省が根強かったからか?

まさか林業に力を入れるのが国の正しい道とは誰も考えなかったろう。林業は産業として国際競争力を持てる分野ではないと思う。予算は石油関係に使うべきというのがコンセンサスのようなもの。それは今でも間違いではない。山村の振興は理想だが、経済的な活力も大事だから。

仮に里山単位での経済が復活した場合、国家や世界的な見地での経済活動はどうなるのかろうか?地域内部だけの取引が増えると、まず国内の経済活動が収縮し、やがては東アジア、世界レベルで活動の規模が小さくなる懸念がある。

すると、里山のことを無視してグローバルに活動する国との格差が開き、場合によっては武力によってもルールを押し付けられてくる危険性がある。グローバル集団にとっては、自分達が侵入し利益を得る権利を侵害されていると目すことができる。そんな考え方によって、かって開国、通商条約、戦争という流れに引き込まれた歴史がある。今もその歴史の流れはそのまま。

その前は大まかに言えば、もっとブロック経済的な帝国主義の時代だった。それよりはアジア人にとっては良い環境だから、文句は言えない。グローバリズムは今のところアメリカを中心にして、通商のルール、資本の流れを定めている状況。資本主義の究極の姿だろうか?

里山はグローバリズムによって滅びるかも知れないが、庄屋や領主に支配された昔の里山が良かったなんてことは絶対にない。どんな経済のあり方が良いのか、結論は出てないし、今後も分からないだろう。里山資本主義が万能ではない。

さらに、この本で触れられていない問題は、木材を焼く時にPM2.5が発生し、有害な事象を引き起こしかねないという点。薪ストーブによって心筋梗塞が増えるという報告はあるので、健康を害してまで薪ペレットを広めるというのかという点は大きな疑問になる。少人数の場合は大問題にはならないが、地域全体がいっせいにやったら、病人が続出してしまいかねない。根本的問題でないとしても、無視はできない。人口動態も大きな問題。里山主義が優れたシステムであっても、人口がどんどん減れば、そもそも成立し得ない。

とは言っても、田舎がこのままで良いはずはない。燃料に関しては少なくとも、余った木々の間伐材の有効利用を考えるべき。灯油をガブガブ使うなんて、どう考えてもバカバカしい。産油国や石油メジャーのために生きているなんて、おかしい。

エネルギー問題以外に、農産物の流通形態の工夫も必要だろう。大きなスーパーに客を取られてしまっては、地域の存続は難しい。店と客と仕事と、総てが潤滑に連動して初めて地域は成り立つ。具体的な方法はよく分からないが、改善を目指さすべきことは間違いない。

説得力のある手法を提示できないので、田舎のほうは心理的に失望感に満ちてしまっているが、里山単位に考えることは、何かの道筋になるかも知れない。バラバラの優れた人物の個発的な努力ではなく、学問や技術、政策の裏付けのある方法が、きっと良い道を作れると思う。

きっと改善の道はあると思う。エネルギーに関しては、原子力の利用再開に踏み切るか、風力等に投資するか、全く新しい技術を待つか、どれかで対処はできるだろう。政府の方針は明らかに原子力依存だ。里山に良い影響が来るか分からないが、方針は揺るがないだろう。

夢の段階の話だが、微生物を使った炭酸ガスの固定化が実用されれば最高と思う。ミドリムシのような微生物を管理して、炭素化合物を効率よく作れるようになれば、地球規模で炭酸ガスを管理できる。バイオエタノールのような食料供給に関係する手法では問題があるが、微生物ならエネルギー源専用でやれるはず。

石油依存がなくなれば、小規模な経済が復活しうる。技術の条件さえ整えば、里山は復活しうる。

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