映画評

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カテゴリー「こ」の56件の記事

2017年8月18日

後妻業の女(2016)

Gosaigyonoonna

- toho -

裕福な老人を餌食にして遺産を得る後妻と、彼女と連携する結婚相談所長が、遺族や探偵などの追及に遭いつつ苦闘する話。DVDで鑑賞。

非常に出来の良い、まとまりのある作品だった。起承転結の流れが絵に描いたように明確、関わる人々のキャラクターもはっきりしていて、上手くできた話だなあと感心した。最初から、安心して楽しめそうな予感が感じられた。でも逆に言うと、何が起こるか分からないようなオリジナリティにあふれるストーリーではないのかも知れない。

互いに騙そう、暴露しよう、金をせしめようと苦闘する姿がおかしい。大阪弁は有効に働いていた。標準語でやっていたら、人情に欠ける話になってしまっただろう。原作は読んではいないのだが、おそらく良い雰囲気とブラック・ユーモアが漂う話だったのではないだろうか?

子供には向かない作品。教育上はよろしくない。でも、反面教師としての意味なら、これは優れた作品だ。優しい言葉で寄ってくる人物の、裏に隠れた怖い意図を推測させる教育的効果が、もしかするとあるのかも知れない。恋人と、この作品を観て良いかどうか、それは難しい問題。そのカップルの事情によるだろう。

登場人物のほとんどは善人ではなかった。でも、各々が魅力に満ちており、描き方も演じ方も好感を保てるように上手く考えていたと思った。魅力ある悪人は、善人よりも印象に残る。それはテレビでも小説でもそうだ。この作品は、そんな人物が多数いたので、人物の魅力だけで作品が成り立っていた。

ヒロインの大竹しのぶは、劇場主の感覚ではお色気たっぷりの女優ではないのだが、どうだろうか?本来なら、誰でも色気でだましそうなグラマー女優のほうが、説得力があったのではないか?代役として具体的に誰が良いか考えてみると、たしかにあまり思い当たらないのだが・・・・ だが、色気部分を省略して、甘えた声色とドスを効かせる時の演じ分けなどをみると、大竹嬢は本当に上手い役者だなと感心する。

相棒といえる存在の豊川悦司も、怪しいことを生業とする玄人の雰囲気が漂って素晴らしかった。以前より太って、いやらしい怪しさが目立つようになったので、この役には非常に合っていた。ただし、他の俳優でもっとキャラクターが合致する人がいたかも知れない。特徴のある役だから、比較的演じやすいかも知れない。

両者とも、適度に抑えた表情だと感じた。強烈な個性を表現しようと派手な演技をしてしまうと、人情喜劇から逸脱して、全くのドタバタ劇になってしまう。この作品の設定を考えると、適度に抜いた脱力も必要だったように思う。名演を目指してはいけなかったのだ。

後妻業・・・・身近には見聞きしたことがない。よほどな才能がないと、後妻の意図を察知され、家族から先に手を打たれてしまうし、相手もだまし通せないことが多いと思う。いっしょに暮らしていて、愛情を表現し続けるのは大変なことだ。

劇中でも語れていたように、愛情があるかのように振る舞い続け、老人を満足させたなら、それは確かに何らかの意味がある。本物の愛情がなくとも、義務感の強い女性は献身的に働けるから、本物の愛情と実質的には変わらない。殺人や窃盗、詐欺などの行為をともなわないなら、後妻業は社会貢献になるのかも知れない。

 

 

2017年8月15日

ザ・コンサルタント(2016)

The_accountant_2

- Warner Bros. -

会計事務所を経営する主人公は、裏の仕事も持っていた。彼の秘密を探る財務局、彼を葬ろうとする集団が襲ってくる・・・・

・・・・DVDで鑑賞。主人公の特異なキャラクターが生きた作品だった。仕事や戦いの合間に、彼の過去の出来事、成長を解説するエピソードが何度か挿入されており、主人公の境遇が分かりやすく解説されていた。その説明が的確だったので、主人公に同情し、共感しやすいと感じた。

また、主人公が監査する会社との銃撃戦、主人公の正体を探る捜査官との駆け引き、特に捜査官が苦労して彼の素性を割り出していくサスペンス的な描き方などが平行して描かれており、かなり奥行きのある構成。それらのまとめ方も素晴らしかった。銃撃戦がないと盛り上がらなかっただろう。

この作品は情け容赦ない殺人のシーンが何度もある。小さな子供には向かない作品。暴力を肯定している点に問題がないなら、家族での鑑賞も可能と思うが、ファミリー向けの映画とは言えない。特に恋人に見せたいと感じる内容だとも感じなかった。そういった理由でか、ビデオ屋さんでの人気は、あまりなかったようだ。この作品は独特だから、観客を選ぶ。もっとカーアクションが派手な映画のほうが、一般的には好まれるのかも知れない。

主演のベン・アフレックが素晴らしかった。もともと表情に乏しい俳優と感じていたが、この役の場合は、それが好都合だった。過剰に異常ぶりを表現してないところが素晴らしく、適切な表現のセンスがある。障害者を演じるときは、障害を隠そうと努力している様子を演じたほうが良いのが鉄則だ。

主人公の障害が大きなポイントになっていた。障害に関しては否定的な描き方をしていなかったと思うのだが、患者団体がどのように思ったのかは気になった。障害者でも、能力を生かして社会に適応して欲しいものだ。この作品は、その考え方を訴える力が感じられた。

原題のアカウンタントは、税理士のことだそうだ。会計をする仕事にはたくさんの種類があるようで、おそらく主人公は日本の場合は公認会計士が担当すべき監査業務を仕事としているのではないか?米国と日本とでは、また資格が違うのかも知れない。

劇場主は個人経営者だが、会計をやっていて自分が何を計算しているのか分からなくなることが多い。これが大企業になると、会計はいっそう複雑なものになり、一人の人間の能力を超えた処理能力が必要になるはず。不正経理された場合、それを見抜くのはさらに能力を要するだろう。監査法人の面々が、手分けしてやるべき作業だろう。

(不正経理に関連して)

東芝は分割して売却され、本体は何を残すのか知らないが、業務を限定して経理されるらしい。寂しい気はするが、どんな会社でも事業の全てが好調を維持できるはずはないし、大赤字を垂れ流すのは、たぶん違法行為に相当するのだろう。仕方ない。ただ、そのへんにからむ法の規定は知らない。

会計操作によって脱税をやったら、そりゃあ違法だろうと分かる。逆に黒字と偽って税金を払った場合、納税に関しては問題ない気もする。ただし、株主や関連企業、職員などに嘘をついた社会的罪には相当する。やがては企業破綻の原因になるから・・・・といった意味で、関係者の権利侵害の罪にもなりうる。でも、まだ破綻したわけじゃない段階は、いわば破綻未遂の罪に相当するのだろうか?商法は分かりにくい。

黒字と偽っておかないと、株価が下がって資金調達が難しくなる。だから、不正経理は一種の株価操作、市場関係者への背徳、将来の損害に誘導した詐欺、そんなものには相当するだろう。それを許せば、投資家は安心して投資できないから、市場が活発に行かず、景気が低迷する。よって、法律で管理する必要はある。そんな理屈だろうか?

おそらく様々な法律に則ることを前提に法人の存在が認められていて、そのおかげで企業減税の対象になり、具体的には知らないが、その他の優遇も得ているから、法に従えと決まっているのだろうか?そのうえで、なぜ不正会計をやったのか?また、やれたのか?そこらへんが不可解。罰則が軽いのか?

自分の人生を賭けるまでの重大な犯罪にならないという確信があったのかも知れない。数年の禁固刑か罰金で済み、その後は関連会社に雇用され、悠々自適の生活が保障されるさ・・・・そんな裏付けがあったということか?あるいは、十年間バレなければ、時効が成立して自分は逃げられる・・・そんな計算もできたのか?もしそうなら、罰則の軽さに問題があるということになるのかも。

そして改めて思ったが、大会社に採用され、選ばれて首脳部に入った連中は、おそらく優秀で人物評価も高く、敬意を集めていたに違いない。そんな彼らがどうして・・・・選挙でもそうだ。広く大勢の有権者の支持を集め、選挙で選ばれた人間は、人格も能力も、意志の強さも兼ね備えた人間のはずだ。それがどうして隠匿、忖度三昧に走るのか?出世は、人を評価する基準にはならないようだ。ただのクソッタレでも、運が良ければ選ばれて出世していくものらしい。選ぶ際のルール作りが足りていないのだろうと思う。

 

2017年6月 7日

GODZILLA ゴジラ(2014)

Godzilla

- Legendary, Warner,Toho -

昨年の紅白では、「シン・ゴジラ」が大々的に扱われていた。紅白歌合戦の性格を変えた企画だった。あんな企画が通ったのは、映画がそれだけ評判だったせいだろうが、あの企画に意味が本当にあったのかは疑問。ただの悪のりに近い印象も受けた。

劇場主は、その前のハリウッド製のゴジラも観ていなかった。宣伝だけは繰り返し見せられていたのだが、劇場に行こうとは思わなかった。「シン・ゴジラ」を鑑賞する前に、その参考資料として、この作品を鑑賞することを決意した次第である。DVDで鑑賞。

主役がアーロン・テイラー=ジョンソンだったとは、観るまで知らなかった。宣伝では渡辺謙がさかんに登場していたので、渡辺が主役かと思っていた。今、渡辺氏は不倫騒動で隠れているらしいのだが、この作品の頃はちゃんと公衆の前に登場し、役者をやっていた。

ゴジラのスケールを感じさせるCGが素晴らしい。日本のゴジラ映画とは、技術面が違う。加えて、怪獣達にやられて破壊されていくビルや戦闘機、船などの表現方法も非常に素晴らしく、あれを観るために鑑賞しても良いくらい、凄い技術を感じた。

それ以外は、感心するほどではなかった。ドラマの部分は、過去の怪獣映画とレベル的に違う印象がない。役者の問題か、演出の問題なのかは分からなかったが、おそらくドラマ部門は検討が十分になされておらず、役者達の力量に任せても良いといった安易な判断があったのでは?そんな気がした。

劇場主の個人的な意見を申しあげれば、主役に比重をもっと集め、主役を取り巻く家族、友人、同僚達が普通の生活を送り、人間くさい問題を抱えていることは、時間を割いて表現しておくべきだったと思う。わざとらしい誕生パーティー、とってつけたような抱擁ではなく、自然さを重視した日常的仕草で良いと思う。

それによって、主人公が命を賭ける意味が理解しやすくなる。さらに言えば、主人公には是非とも犠牲になって欲しかった。血まみれの泥まみれ、無残な肉片になって、哀れみを感じさせて欲しかった。現実の話じゃないんだから、生き残る必要などない。

渡辺謙がキャスティングされた意味も、あまり感じなかった。同僚の女性学者も同じ。母親役ジュリエット・ビノシュのキャスティングも意味不明。軍人たちにも、もっと個性が感じられたほうが良かったのでは?

おそらく、ハワイや日本など、各所に戦いの場所を移動させたのは賢い選択ではなかった。ロスだけ、あるいはロスとハワイだけで充分だったと思う。主人公はそこらに勤務していて、同僚達といっしょに戦う→同僚が次々と犠牲になる→復讐に燃えて怪獣を追ってロスへ→ロスで決戦。それが自然ではないか?

モノレールに乗って怪獣に襲われるといった話は、見せ場の映像を作るためのわざとらしい設定だった。軍人が部隊に入ったり出たり、作戦に参加したり離れたりは、普通なら無理な話だろう。ぜひとも仲間と行動を共にして、個性豊かな仲間が次々と殺されたほうが良かったと思う。

 

 

2017年4月 2日

コンカッション(2015)

Concussion


- Columbia etc -

監察医の主人公はアメフト選手の解剖に携わり、選手達の脳に独特な後遺症があることを発表する。しかし、業界からの激しい反発が待っていた・・・・

・・・・DVDで鑑賞。実話に基づくという。問題提起した人間に待ち受ける試練を描いていた。極めて娯楽性の少ない作品で、しかもフットボール業界には有難くない映画。よくこんな企画が通ったものだと思う。たくさんの制作会社が参入していたのは、もしかして各事務所がリスクを嫌って、少額の予算に限定した結果ではないかと疑った。

コンカッションというのは脳震盪のことらしい。恥ずかしながら、劇場主は知らなかった。コンツージョンと記憶していたが、よく考えてみればコンツージョンは打撲や脳挫傷の意味だから、脳外科が言うのを間違って覚えていたようだ。

ウィル・スミスが訛りの強い発音と、アフリカ人らしい表情で主人公を演じていた。彼と主人公のキャラクターは合致していなかったように思ったが、他の黒人俳優よりメームバリューがあるし、映画の興業面を考えたら、良いキャスティングだったのかも知れない。できれば、本物のアフリカ人のほうがリアルで印象も強く残ったかも知れないとも思うが・・・・

奥さん役や、同僚、上司役、共同発表者役など、味のある俳優が多数出演していた。静かな戦いを淡々と描いた印象だったが、ドラマとしての盛り上がりを考えたら、酷い仕打ち、白眼視や心ない中傷などをもっと強調して、悲劇として強調しても良かったかも。あるいは、監視や尾行されたりの恐怖をサスペンスタッチで描くと、さらに効果的だったかも。少し演出が足りない印象を受けた。

ナイジェリアから米国に留学し、複数の博士号を持つ主人公は、猛烈に優秀な人だろう。おそらく、病態に気づくのは時間の問題だったろうが、いざ発表となると、その仕方は非常に難しい。洋の東西を問わず、権力を持つ勢力を相手にする時は、反撃を覚悟しないといけない。自分の業績や倫理的な事情と、力関係をバランスにかけないといけない。主人公は敗北したとも言えるから、現実は甘くない。

米国の場合、個人の権利意識が高いから、個人を守る法律は充分にありそうだ。でも、さすがにFBIを介して圧力をかけられると、よほどな人を除いて社会的に葬られる危険はある。ただ、それでも主人公を支援する上司がいたのは有難いことだ。日本では、そうはいかない。権利意識が違う。主人公は狂った学者か、売名や営利目的の人物とキャンペーンを張られる。したがって、日本で同じような問題が発生しても、無視されるかも知れない。

日本では上司も部下も、警察も近隣の住民も、家族も親戚も、皆が敵に回る可能性が高い。町の大事な事業を破綻させてはならない・・・・そんな意識がはたらいて、主人公は直ぐに解雇され、孤立無援の状況になる。同僚の連中が連日押しかけ、問題を起こすなと圧力をかけ、家族もその片棒を担ぐ。社会の和が大事だからなど、色々な理由づけはあるのだろうが・・・

どこでも一般に、問題解決より利害が優先されている。人を動かすのは、言葉の正しさよりも忖度を上手く働かせるかどうか、忖度させることができるかどうかと考えたほうが良い。出世する人は、公的な精神より私的な利害、情動を重視する人が多い。気持ちの問題、人は気持ちで動く・・・と言うと聞こえは良いが、それが習慣化すると、悪しき面もある。友人関係は情の人と付き合ったほうが心地良いが、公的な関係は思考法を変えないといけない。

森友学園や、豊洲市場、各地の原発の問題を見ていると、どれも病態が似ていると感じる。忖度で成り立つ思考習慣が関与していて、明らかに悪影響を及ぼしている。権力者側は忖度して欲しいから、状況の改善は、よほどなことがないと無理。まあ劇場主自身も、上司の顔色をうかがって、忖度をしっかりやってきた。誰でも自然に、強者におもねる感情が起こるものと思う。

忖度する人に忖度し、その人にまた忖度し・・・とやっていたら、もう組織の体を成さない。忖度する人させる人は、排除しないといけない。倫理が残るように努力すべき。これは、国家の生き残りのために必要な策と考える。だが、皆にそのセンスが育たないと、改善は難しい。政府首脳が「忖度は違法じゃない。」などと答弁するなんて、公の精神があれば、考えられない。そんな言葉が出るなんて、公共精神がないよと言うようなものだ。

小学校の道徳では、森友問題を例にとって忖度の害を解説すると良い。公共精神を培う、良き題材になる。公的な精神は、教育勅語では育たない。昨今の報道を見る限り、それは証明されたと思う。それを明らかにするために、彼らは活動しているのか?だとしたら、尊敬に値する。

 

 

2016年3月16日

殺し屋チャーリーと6人の悪党(2014)

Albatrosfilm

- ストーリー良し -

便利屋業のチャーリーが、ある奥さんの殺害を依頼される。しかし、妻は先に歯科医夫婦に襲われてしまう。チャーリーは歯科医も脅し、金もせしめようと画策するが・・・・

・・・・DVDで鑑賞。複雑に騙し合いが絡まる話は何度か観たことがあるが、この作品もなかなか良くできたストーリーで、面白かった。メジャー作品じゃなかったようだが、切れ味の良い小作品という印象。

子供にはよろしい影響はないと思うのだが、おそらくワルガキ達は、この種の裏切り~どんでん返しのクライム映画は大好きであろう。けっこう楽しんでくれそうな気がする。恋人と観るために良い映画かどうかは自信がないが、そこそこ楽しめるのでは?

設定が良かった。悪いヤツラが大勢登場し、互いに出し抜こう、騙そう、そして殺そうとしている点は共通で、極端に冷酷な存在はなく、皆がそこそこ悪人という点が良い。際立つ悪役がいて、一人だけが他を出し抜くと、後味が妙になったろう。よく考えてあった。

ただし、できれば主役は強面の俳優で、本当に人を殺しそうな迫力があったほうが良かったかもと、まず思った。サイモン・ペグでは面白くはあっても、迫力には欠ける。たぶん、ミスキャストだったのだろう。人気を重んじたに過ぎないはず。

あるいは完全なサイコキラーで、殺しを楽しみつつ、助けそうで助けない、そんな狂った個性の持ち主であっても良かったかも。狂いぶりが激しいと、おそらく面白みも増すのである。

歯科医の夫と、受付けをしている妻役はなかなか良い味が出ていた。妻役は「ウォーム・ボディーズ」のヒロインだそうだが、全く印象が違っていて気づかなかった。悪巧みを懸命にやろうとする時の表情が良かった。

殺しを嫌がる人間が助けてもらって、やれやれ生き残ったか、そうだな悪いやつじゃないから・・・と思ったら、偶然の事故で結局死んでしまうといったギャグ的な死に方があっても良かったかもしれない。小細工のような演出に過ぎないが、この種のブラックユーモア映画の場合は、有効な手段と思う。

悪徳警官の役は「カクテル」で哲学者ぶったバーテンを演じていた役者だが、怖さが上手く出ていなかったように思う。もっとデブで、根っから悪人ズラした俳優のほうが良かったのでは?見るからに悪徳警官の雰囲気がする肥満体の悪役はいっぱいいると思う。

どれくらい怖さが出るか、どの程度笑える個性の持ち主か、その加減が非常に難しい。シニカルに笑えるキャスティングに上手く持って行くためには、よほどのセンスがないといけないのだろう。 

 

 

2016年3月10日

小泉総理談話(2015)

- 愕然 -

http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/1750

文藝春秋の平成27年12月号に掲載された小泉元総理の談話を、興味深く拝見した。原発反対の論拠を述べたものだった。読んでいく最中の印象は、この本の内容が正確なら、なんと怖ろしいことか、このような考えで国政が動いていたとは信じられないという驚き。小泉氏本人か、役人か学者連中、あるいは書き手のルポライターのどこかの能力、倫理感に問題があると思えた。

元総理でも、中曽根氏や福田赳夫氏は明らかに役人出身者らしい鋭さがあった。正しい考えができていたかはともかく、ミスの少ない、頭の回転の速い人に特有の保身術に長けた、隙のない印象があった。小泉氏は、彼らとは元々毛色の違った異色の政治家だったが、実際に思考の内容(レベル?)が違っていたのかも知れない。

あるいは、小泉流のボケかも知れない。氏は役者みたいな人なので、知ってても知らなかった、連絡はなかったから知りえなかった、騙されていたと演技しているだけかもしれない。自分の立場を良くする演技で、今のうちから意志表明をしておくと、やがて大きな力を得ることができると考え、手を打っているだけかも知れない。

原発事故の経緯は、事故の前から劇場主には分かっていた。どのように事態が進み、被害がどの程度に及ぶか、病根となっているものが何か、理解できていたと思う。素人で、情報も限られた劇場主でさえそうだったのだから、政権内部にいる人間が想像もできなかかったとは無理がある。

疑念すら感じていなかったら、相当に勘が悪いか始末に困るほど愚鈍な人物。無能か、あるいは犯罪者かいずれであろうとも、責任がないということはない。予算案の閣議決定を経た人物なら、閣僚になった人物は全て、原発事故に関して責任がある。

ただし劇場主は政治家の活動内容を知らない。具体的にどんな形で情報が入って、どんな決め方ができるのか、権限やルールもよく知らない。簡単に能力を出し切って速やかに判断、指示できるものではないのかも知れない。勝手に評価できる立場ではないのだろう。おそらく、情報が伝わらなければ、劇場主が総理になっても、何かどうなっているか分からないまま、勝手に役人達が事を進めるようになっていくだろう。

ただし、本来はそうではいけない。役人は曇りのない情報を政府首脳に伝えないといけないし、首脳は素早く断固たる決断をしないといけない。それが仕事だから、当然そうあるべきで、そうできるシステム、法整備ができていないことの弊害を真剣に考えるべき。事故は、そのせいで起こったのだから。

そうしないと、例えばファシスト的な集団が役人の中枢を占め、権力を持った場合、その勢いを誰も止められなくなる。ファッショ的な決定の仕方は違法だと、少数の勢力でも指摘できて、権力が暴走しないシステムが必要。そこは理詰めで決めておかないといけない。我が国は、そんな基本すらできていないようだ。どう転んでも政府が機能するような、そんなルールを理論的に作る作業が欠けている。

ただ、今回の文章をその通りに読むと、小泉氏の認識レベルはかなり低いと思える。勘も悪い困った素人だが、選挙に関しては強くて権利ばかり持っている政治家に対して、自分が役人ならば、やはり情報を隠して暗躍しようとするかも知れない。無茶なことをやられては困るから・・・

 

 

 

2015年6月30日

荒野はつらいよ~アリゾナより愛をこめて~(2014)

Universal

- 観客を選ぶ -

1800年代のアメリカ西部。羊飼いの主人公はタフなガンマンたちからバカにされ、恋人にもふられて傷心の日々。そこに盗賊団の一味がやってきて、騒動が巻き起こる・・・・

・・・・「テッド」の監督セス・マクファーレンが主演・監督を務めた作品。人種ネタを含んだドギツイギャグ満載の喜劇だったが、「腰抜け二丁拳銃」などとストーリーは良く似ていて、流れは比較的まともだった。

日本語のセリフでさえ子供にはちょっと問題な内容。人種ネタは特にひどいものも多い。黒人の脱走者を銃で撃つゲームなど、趣味が悪すぎる。便やおなら、セックスネタの酷いのが多い。家族で観るのはやめたほうが良いかも。ブラックユーモア好きなら構わないけど。

恋人と観る場合は相手次第。シモネタ好きな相手なら爆笑もの。生真面目な相手なら嫌われるか、せいぜい退屈されるのがオチ。観客をえらぶ作品だと思う。

意外なところで、CGの出来が良かった。「テッド」もそうだったが、必要な技術はさりげなく優れている。テレビ業界の優れたスタッフがちゃんと管理していたのでは?

敵役の一人、ニール・パトリック・ハリスは昔、「スターシップ・トゥルーパーズ」に出演していた俳優だ。個性的な風貌で、主にテレビでの活躍が目立つ人らしい。監督自身や他の俳優も、テレビで有名な人が多そう。人脈を生かして、映画の製作につなげたようだ。

主演のキャスティングは失敗ではなかったか?この役は、細身の小柄な俳優が望ましいと思う。ベン・スティラータイプの俳優。監督自身は俳優としての魅力には不足していると思う。大事な役だから、彼が演じない方が良かったと思う。専門の喜劇俳優を連れてくるべきだったと思う。

例えばの話、この役をチャップリンが演じていたら、かなり普遍的なおかしさが出たと思う。見るからに弱そうな男が無理して決闘に及び、ブルブル震えながら勝負を避けて逃げようとしたら、特に上手い逃げ方をした場合などは絶対に笑える。それが古典的なキャスティングのパターン。監督が演じると、テレビを観てた人しか通じない部分が多いと思う。

ヒロイン役はシャーリーズ・セロンだったが、これも少し違和感を感じた。昔ながらの女傑なら、こんな役は肉感的な黒髪の女優が演じていたように思う。なんとなく、そんなイメージがある。ちょうどジェーン・ラッセル嬢みたいな。シャーリーズ・セロンは美しいが、ややスタイルが良すぎる印象。

アマンダ・セイフライドのキャスティングも理解不能だった。彼女が選んだ役だろうか?今回の役柄だと、派手な顔の女優で、基本は同情されないような毒々しさが感じられる女優が良い。少し狙いが分からないキャスティングだった。

ダンスのシーンは一種のミュージカルになっていた。考えてみると、ギャグ以外の部分は結構マトモなシーンも多い。古いギャグ映画の伝統を全く無視しているわけではない。基本は50年代くらいの西部劇コメディにあって、ギャグだけ最近のテレビ流といった印象。

しかし、日本のテレビネタとは多少違う方向性を感じる。日本のバラエティは、芸人イジメが主流になっていて、より狭い世界の競争意識が、そのまま番組の中に持ち込まれたかのような臭いを感じる。人気の出た若手お笑いコンビなどを、他の芸人が寄ってたかってけなし、潰そうとする。最近の8.6秒バズーガなどは、その典型の扱いで、嫌な気分になる。

米国の場合は、競争自体はもっと激しいはずだが、けなしあいネタはメインにはならない。セックスネタ、人種ネタを扱うタレントは色々映画界にも進出してくるけど、けなす相手は大物スターに限られている印象。ライバル意識でネタにするのではなく、誰でも知っているスターを扱って、逆説的な意味でギャグに使うのがルールのようなもの。

 

 

 

2015年6月12日

ゴーン・ガール(2014)

20cfox

- メディア利用について -

結婚記念日に妻が失踪した。夫は経済的に苦しく、夫婦の愛情は冷めており、夫には愛人がいることも解った。探索が続く中、夫への嫌疑が深まる・・・

・・・出来の良いサスペンス映画。DVDで鑑賞。アカデミー賞前の受賞予想で紹介されていて、期待して観たが、確かに話としての完成度の高さ、怖い雰囲気、リアルな演出に感心した。でも、やはりアカデミー賞には向かない印象。テーマ性には問題があるから。

ロザムンド・パイクの奥さん役が素晴らしかった。彼女の過去の作品での雰囲気は、主に喜劇の中で登場し、美しいのだが世間離れした奇妙な表情で場違いな印象を受ける役柄が多かったように思う。その点は、この作品の奥さん役にも通じる。何を考えているのか解らない点で、役柄に合致していた。

しかも、美しい女性でないといけない。主人公が一目惚れしたことが納得いくような外見の良さが必要。さらに知的な雰囲気が必要。また、あんまりスタイルが良過ぎると、一定の年齢に達しているはずの奥さん役にはちょっとイメージが合わない。

年齢的に考えても、イメージから考えても、例えば過去にニコール・キッドマンやシャーリーズ・セロンなどが演じたがった役柄と思うが、既に悪女役を演じて一世を風靡した感のある彼女らでは、主役が喰われてしまうという予想もできる。

ベン・アフレックは有能な映画人らしいが、ジョニー・デップやトム・クルーズのように強い個性があるわけではない。見た感じは普通の二枚目。今回の役を的確に演じていたとは思うものの、どちらかと言えば妻の引き立て役に過ぎなかった。そんな役に向いているとも言える。

ストーリー展開で面白かったのは、妻の日記が上手く使われ、夫役が実は本当の犯人ではないかという疑いが徐々に高まり、やがて違う方向に話が移り、本当に怖ろしい全体像が見えてくる点。虚々実々、メディアを利用して自分に有利な展開を目指す双方の戦いぶりに興味を持てた。上手い手法だった。

気色悪い映画専門のデビッド・フィンチャーが監督をしていた。きっと血まみれのシーンがあるに違いない、おかしいなあと思っていたら、やはりあった。だから、この作品は子供には見せないほうが良いと思う。恋人と観るのに良い映画とも思えない。なんだか互いに不安にならないとも限らない。誰と観れば良いか正直解らないが、でも出来栄えだけは良いスリラー。

20cfox_4  ・・・何を考えてる?

容疑者がテレビ出演するのは、あちらでは当然のことなんだろうか?出演して、自分に有利な社会的雰囲気、世論を作っておかないと陪審員達の心象がよくない=有罪判決に直結するという事情があるからだろうか?そうなると、今の日本の裁判員裁判に対して、容疑者達の対応も変わってくる可能性がある。

もしかするとだが、演技指導を受けることが必須になってくるかも。涙を流せるまで訓練し、同情を買うようにする。セリフを覚える、想定問答を練習など、専門の指導員が必要になってくるかもしれない。裁判員制度の問題点のひとつだ。感情面に訴えると、判断が狂いやすい。

捜査のあり方も変わってくるかもしれない。テレビが「どうして逮捕しないんだ!」と騒ぎ、あせって無実の罪の人間を捕まえることは今でも結構あるが、その焦りが今後はさらに酷くなるかも。ネット上で警察の無能ぶりをたたかれると、上司から怒りを喰らって担当を替えられる恐怖が生まれ、焦りが加速することも起こりうる。

川崎市の中学生の殺人事件の際は、ネット上で容疑者を想定し、逮捕が遅いことへの不満がさかんに取り沙汰された時期があった。大きな事件だと、必ずのように同様の騒ぎが起こると思う。

ネットの使い方に習熟する必要がある。海外のサーバを通じて、多数の情報を発信し、自分に有利なようにコメントを誘導する、そんな仕事人の価値が上がると予想される。専門の弁護士、専門のネット集団と契約して無罪を勝ち取ることが、法廷闘争の常道となるかも知れない。

したがって、事件報道や事件に係るサイトには、なんらかの規制が望ましいように思う。実際に内容によって裁判審理が影響されたら、公正な裁判制度が維持できないことになる。それらを規制できないなら、裁判員や裁判官は完全に社会から隔離した環境に置き、事件報道をいっさい見れない状態に保つ必要が本当は生じる。でも、そっちのほうが現実的ではない。

総て警察か裁判所が管理するサイト上に限局させるというのはどうか?違法なコメントの削除は簡単になる。それ以外のサイト上で捜査が進行中の事件に関する投稿をすることは、違法とする・・・自由は損なわれるが、捜査や裁判に関することには、真摯に考えた方が良くないだろうか?

ネットに関しては無責任で良い場合と、無自覚のまま重大な責任が生じてしまう場合があると思うが、そのへんが分かりにくい。捜査や裁判に影響するなら、なんらかの管理は必要だろう。そうでないと、悪用する人が必ずいるはずだから。ネチケットなどで対処できる問題ではなく、万国共通の法が規定すべき管理方法が必要。

視聴者が知りたい情報を伝えて何が悪い!情報の隠匿が間違った判決につながる!その点も確か。管理者の権限や義務に関して厳しい法律は必要で、過剰な情報隠匿が罪になるように規定する必要はある。

真実を知り、嫌疑を裏付け、妙な世論に影響されずに裁判できるようにするのが理想。今の時代は犯罪偽装の知識も簡単に入手できるから、完璧に冤罪を仕組むことは可能と思う。自分が仕組まれた時、それでも婉曲された自由な報道が望ましいと言える人はいないだろう。事実を報道してくれと願うに違いない。でも、それは難しいこと。

 

 

 

2015年5月28日

皇帝のいない八月(1978)

Syochiku

- アイディアは良い -

寝台特急に乗り込んだ男達は、クーデターを計画する元自衛官だった。彼らを阻止しようとする官邸、元商社員、首謀者の妻などが絡んだ物語・・・

・・・自衛隊をめぐっては、昨今は風向きが変わった。もはや架空の作品がどうだと論じていても仕方ない現状。気になって、この作品を鑑賞。DVDがひとつだけ棚に置いてあった。公開当時は結構な評判だった気がする。三島由紀夫事件が強烈な印象を残したから。

でも残念ながら、この作品はテレビドラマ並みの出来栄えではないかと感じた。映画にしては雰囲気が少し安っぽく、二級の刑事ドラマのような印象。いろいろな設定もおかしい。ただ、暇つぶしの午後のドラマとしては、とにかくアイディアが素晴らしいので、かなり高級品という印象。ラストの結果も、そこらのドラマとは全然違う。野心作、意欲作。

今の子供には全く受けないはず。やはり古めかしい。大人でも、おそらく同じように感じそう。自衛隊を取り巻く環境の変化で、今後こんなビデオは発禁処分、ビデオ屋からも消えてしまいかねないので、今のうちに観た方がよいかも・・・そんな憶測以外の目的では、この作品は勧められない。

まだ若い吉永小百合や、風間杜夫、永島敏行などが出演している。彼らを見るためだけなら価値がある。でも演技と演出は期待しすぎないほうが良い。

この種の映画の必須アイテム的な俳優が山本圭。でも、彼の役は必須ではなかったように思う。実際、あまり活躍していなかった。彼の存在がストーリーの上では無理を来たしていたように思う。

吉永小百合もおかしい。拉致され、そのまま奥さんになって納得しているなんて、イスラム国なみの発想。そもそも拉致される設定は必要ないし、現実味のない個性だった。

「皇帝のいない八月」という曲は、この作品以外では聞いたことがない。架空の曲らしい。良いタイトルだった。八月は、おそらく8月15日を意識していると思う。終戦で国民の意識が変わり、純真さが失われた面は確かにある。敗戦で皇帝を失ったという落胆、衝撃も表現できる。社会の体制が変わったことへの感情を文芸で表現した上手いタイトル。

首相役は腹黒く、上手く立ち回り、なかなか良い個性だったが、黒幕の大物代議士のほうは怖さを前面に出したほうが良かったかも知れない。最後まで黒幕であることが分からないほうが良いし、シラをきって生き残り、隊員達を見殺しにするほうが怖い。

高倉健と渡哲也といった大スターが堂々と渡り合ったほうが、究極の対決の構図になって盛り上がったような気がした。捜査側と、隊員側の中心は、大スターでないといけない。

さて現実の話・・・・

今の国会では、海外派兵を目指したと思える方向で、法律が改定されようとしている。元々の法律が無理していた点を是正しているといえばそうだろう。旧来の規定で行動しにくい曖昧さを除き、活動範囲を明確にするといった点では確かに整備は必要。そもそもグレーゾーンなど、あってはならない。

現実的に、米軍が希望することに異を唱えるのは難しい。派兵しろと要求しているのなら(本当のところは分からないが)、たぶんその通りに事は進むだろう。

また考えようによっては、この種の問題に国会での議論は相応しくない気もする。仮想敵国を相手にして、どんな事態が起こりうるか考え、いかなる場面でも対処法が決まっていないといけない。それを国会で論じたら、敵は間違いなく抜け道を攻めてくる。戦略の部分は、密室で決めるのが原則かも。

その視点から言えば、ほとんど審議がないまま法案が通るのも悪いことではないかも。戦いの方法は専門家に任せないと仕方ない。防衛省を、どのように規制するか、そこの点だけが大事かも。今回の法案の文面は読んでいないが、おそらく曖昧なことしか書いてないはず。防衛省が決める内容が大事だろう。

審議の仕方が問題。実質的には審議にならないなんて・・・審議より前に、国際公約しちゃってる。確かに与野党が伯仲していないかぎり、内容がおかしくても多数決で押し切れるのは確実。なし崩し的に改定できる状況を作った選挙結果が、思慮の足りない選択。

安定多数なら、このような法律を作ることは確実。だから選挙の際は、いかな好景気になろうとも、与党に絶対多数の票を与えないくらいの知恵は望まれた。微妙なバランスが必要。議席から考えて、もはや議論にならない。国会には議論が必要。

いっぽう、安倍氏側としては選挙で勝ったのだから、当然法律の改定を目指すべきだ。作品では首相の派閥は多数派でなかったが、もし多数派だったらどうなっていたろう。戦況の変化によって迅速に決議すべきことが増えると、野党に発言させないといった過激な意見が増えて、民主的にクーデターが成立する可能性だってある。

自衛隊の利害と国の利害、経済界の利害と国民の利害が食い違うような時に、例えば政治家の誰かが黒幕~傀儡となって、自分を首班とした政府を作る誘惑に駆られないとも限らない。作品の中でも、与党の代議士がそれをやっていた。ある意味、有効な議論なしに法を変えていくのは、クーデターと似ているとも言える。民主的手法によるクーデター。

自衛隊が海外で広く行動するようになると、隊員の犠牲が増えること、紛争当事者になる危険度が増すこと、敵対関係がより鮮明化することなど、問題が顕在化、深刻化することは確実。ちょうど帝国主義の時代に、日本が凶悪な帝国主義に陥ったのと同様、周囲のヒートアップに日本も同調していくことは間違いない。‘普通の国’になるということは、たぶんそういうこと。

日本でもクーデターが発生する可能性はある。起こった場合、後の処罰からの抜け道が絶対にないよう規定する必要がある。今の国会審議より、そっちのほうが、よほど重要。クーデターの際は、民主的な手続を経たという工作を必ずやる。テロリスト側に勢いのある間は、動きを止めることは無理。その後に逆転できるかが大事。

クーデターに抜け道がない、民主的手続の有無に関係なく、やがて処罰されるのだと分かる規定が大事。禁固刑などの普通の処罰は、過激派には効かない。百%財産没収、恩赦なし面会無しの禁固刑・・・そんな非人道的刑罰が必要。

2014年12月30日

ゴッド・ブレス・アメリカ(2011)

- 上映不可 -

離婚、子供との離別、リストラ、不治の病という最悪状態の主人公が、世の中の気に入らない人物を殺戮していく話。

スプラッター風のブラック映画だったが、いくら何でも殺人の描写が激しすぎて、一般のビデオ店でレンタルできるのは問題かと思えた。観る人によっては、主人公に共感して実際の殺人を犯さないとも言い切れない。妙に主人公は正論を話すから、悪い共感につながりうる。

この作品の観客は、やはりスプラッター映画のファンに限定。恋人とこんな作品を観るのは私には想像できない。この作品を楽しむような相手とは、直ぐ別れたほうが良い。別れ方には用心が要るが。

主人公のキャラクターが凄かった。妙な理屈を持っていて、変に倫理やマナーにこだわりながら、やることは重大な殺戮というブラックヒーロー。体型は中年太りで、カッコよさは微塵もない。同僚に自分の意見を長々述べるシーンがおかしい。他の同僚が引いてしまっている様子も笑える。

主人公はテレビの下らない番組に辟易するのだが、テレビ番組の下らなさは今に始まったことではなく、主人公が生まれる前からそうだったと思う。それに腹を立てても仕方ない。でもイライラさせられることは誰でもあるだろう。そこを強調すれば、この世は総て腐ってるという意見になる。

特にバラエティ番組は本当に下らないし、倫理感に欠けている。さすがに障害者をスターにする番組はないと思うのだが、ボケ役をいじる番組は日本にも多い。弱い立場のいじられ役コメディアンがブザマなギャグを強いられる、いわゆる罰ゲーム。おそらく、子供のイジメの心理には悪影響を及ぼしていると思う。

その影響を証明するのは難しいから、倫理委員会でも改善を要求はできないだろう。表現の自由の問題もあるから、害を垂れ流しても防ぐ手立てがない。親が責任を持ってバラエティー番組を見せないようにするしかない。我が家は母親が真っ先に見たがるから、如何ともし難い。

ハナ肇の時代より前からイジラレ芸はあった。ただし、毎日、各種の番組で繰り返しの罰ゲームでいじるといった状況ではなかった。趣味や、演出の程度は考えるべき。いびることが当然のことのように扱われる傾向は、自粛が望ましいと思う。主人公も嫌な気分になっていたようだが、うなずける。

日本にも芸能人の御自宅訪問番組はある。米国では金持ちが実生活をテレビで紹介する番組が本当にあるのか知らないが、我がまま娘が堂々と主役を演じ、実生活でもそのままなんて信じがたい。お仕置きくらいはすべきであると私も考える。主人公も嫌悪感を感じていたようだが、嫌悪感だけならうなずける。

ヒロインに相当する女子高生のキャラクターには共感できなかった。非常に上手い女優だと思ったが、元々どんな鬱屈した感情があったのかが省略されていたので、共感するのは難しい非現実的な存在ではないか?彼女にも共感できると、許されざる怖ろしい作品になるので、あえて無茶苦茶にしたのか?

主人公が性的感情を彼女に抱かなかった点は、主人公のキャラクター設定としては正解だったと思う。残虐な男であるにも関わらず、本人の倫理にもとることはしないという部分が解りやすかった。そう言えば他の映画でも、妙に説教くさく、細かい倫理感にこだわるくせに人を殺すアンチヒーロー的キャラクターは多い。実際にも、犯罪者なのに妙に理屈や潔癖さにこだわる人物は多いように感じる。妙な理屈をこしらえる段階で、こだわりが関わっているからだろう。

映画館での若い集団に銃撃する話も、ありそうな話。携帯電話のマナー、私語などに関して酷い人はいる。あいつらは確かに殺されてしかるべき・・・とは思えないが、銃を持っていたら発作的に撃つ人物がいるかもしれない。

テレビキャスターで辛辣な意見を述べる人物がいたが、日本ではあそこまで極端な人はいない。ただ、最近は批判をものともせずに攻撃的な意見を展開する人も多い。橋下市長の影響だろうか?目立って名前を認知させると、支持も広がり力につながる。ただし、反感は買うから、危険性も高い。

運転マナーの悪い人は多い。その方面の話は出てなかったが、たぶん実生活で腹を立てる最も多いシーンだから、持ち出すとよりリアルになってマズイという判断があったのでは?熊本市だとウィンカーをつけないで進路変更するのが常識だし、狭い道で譲ることを知らない車も多い。銃撃されても仕方ないくらいの酷い車に、一日5台くらいは出会う。銃があるアメリカ社会で、運転マナーのトラブルで銃撃がないはずはない。

そう言えば前から思っていたが、市内の高校生の自転車のマナーは最悪。3台横並びで、歩道を占拠したまま走行するのも当然と思っている。隅で避けている私の自転車にぶつかっていくのも普通のことのようで、「フン」と言いつつ走り去るほど。彼らも銃撃されて仕方ないかも。

 

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