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カテゴリー「く」の45件の記事

2016年6月19日

熊本地震で考えたこと⑤ 

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- 金の流れに関して -

益城町や南阿蘇の建物被害は、なんて残酷な・・・と表現できるほど。震源地に近いせいもあったろうが、独特の地形、地勢が関係していたかも知れない。改めて見て気づいたが、益城町の中心部は全体が傾斜地にある。川に向かって南向きのなだらかな傾斜があり、豊かな農耕地をイメージさせる。それを利用して集落が作られたのだろう。画像に写っているここも、元は田んぼか畑だったのではないか?軟らかそうな土地で、岩盤の上に立つようには見えない。

阿蘇周辺は多くの地域がそうだ。火砕流や洪水によってできた傾斜と、かっての堆積物の名残りの平野に多くの住居が位置している。川の水を、傾斜を使って田んぼに引いてくるので、そんな地勢が好まれ、町が発展するのにも必要だったのだろうと思う。

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おそらく、ほとんどの地域は風化した火山灰が土を成している。そして、層を成しているはず。それと傾斜があることが重なり、震動でずれやすい元々の性質があったのではないだろうか?新しい立派な家も、土台が動けば倒壊せざるをえない。家が立派なだけに、これは持ち主にとっては力が抜ける思いだろう。お気の毒だ。

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この景色も、よく見るとまっすぐ立っているものがなく、全てが斜めだ。そもそも道路がゆがんで平らでないから、何に対して垂直と判断すれば良いのか、分りにくい。正面の家は、お店をやられていたように記憶するが、道路も通行止めが多いので、観光客はしばらく期待できない。客を期待できないのに店を再開するか否か難しい判断が必要・・・・これも、とても気の毒な光景。

さて、身近に復興事業を経験したことがないので、今後どのように修復、開発が成されるのか、イメージできない。手順は分らないが、国や県を通じて資金が流れ込み、解体や運搬、建設が進んでいくのだろう。資金の概算は、おそらく過去の震災が参考になる。それを元に役所のほうから概算請求され、議会は追認するはず。もし過去に誤謬があれば、そこも引き継がれる危険性はある。

地震後は、保険会社がタクシーを多数チャーターして、物件の評価を連日やっている。タクシー業界が急に潤ったと聞くが、横柄な態度の人もいるらしい。自分の評価で金額が決まるんだ庶民め!という見下した意識だろうか? 被災地まで連日送り迎えする運転手は、休憩がないのでへたばっていると話していた。評価が終われば金が降りると分かって、被災地に建設ラッシュが起こるはず。全壊に近い家の場合はかなり対応が明確だそうだから、建て替えも早いだろう。

市内の場合、道路の凹凸の修復が早いのには驚いた。あちこちに陥没が生じていたのだが、次々とアスファルトでなだらかにされていた。穴が開いてから修復完了まで半日かからない場所もあった。予備の人員、資材、予算があって、現場に速やかに連絡が行くよう、手配されていたに違いない。スピードに感心した。

資材の余力、処理の実力、県外の業者の協力、そして資金面の安心があったのだろう。どんどんやれ!金は後で請求せよと、役所や会社の上層部から号令が出ていたのかも知れない。過去の震災の経験から、およその段取りができていたのだろうか?

インフラに関わる仕事は、動く金額が大きい。数億~数百億の単位の仕事になる。参入できれば数年は食っていけるから、業者達の目の色が変わっているはず。金が確実に降りると理解させれば、業者は速やかに動いてくれる。金の提示が大事だ。提示されたら大きな流れ(各自のもくろみの集合体)が生まれる。

建設関係業界が潤うのは悪いことではない。だが、復興に必要な事業の規模を、県内でその後も維持するのは、費用面から考えると無理だ。建設以外にも大事な業界は多い。なので広範囲から業者を呼んで、業界全体でまかなうようにして、各々の会社の規模が巨大化しないようにする必要がある。業界の肥大化は、予算的に許容できない。

毎年、国内どこかで自然災害は発生し、復興事業は必ず必要となる。広範囲の業者が集合、離散を繰り返し、全体としては安定した仕事があるが、特定の業者に利益が集中せず、会社の規模は大きくなれない、そのような状況を作らないと、財政が持たない。昔は、そのセンスがないまま代議士の政治力に応じて開発が進んでいた。そこの調整は、いったい誰がやっているのだろう?なんとなく、会計検査院か財務省が気にかけているのか?公正な調整が必要で、簡単に数値化できるはずだが・・・

仮設住宅の建設が、今一番の注目点である。西原村は県道沿いの土地をならしていたから、きっと完成も早そうだ。益城町は、テクノリサーチパークに空き地があるらしく、既に入居も始まっていると聞く。買い物には困る場所だが、車があればなんとかなる。御船町は場所を確保できていないと報道されていたが、あんな広い町で空いた場所が本当にないのだろうか?空き家だって相当多いはずだが・・・

新しい集落を作る工事は、地盤整備から始まって、プレハブ搬入と組み立て、配電、引っ越しなど、一大事業になる。その資金は、町が国から借りる形になるのだろうか?それとも、国や県から直接業者に回る流れなのか、その基本的な金の流れが分らない。大きな工事は国が直轄らしいが、住居は町が管理するのか?どこだって、財政に余裕のあるはずはないが・・・

財政負担の具合も、自分が役人になったことがないから分らない。借金が際限なく増えて良いはずはない。だが、速やかな復興は大事。予算の規模、効果的で無駄のない使われ方かどうかの担保、そこの判断がどう進むのだろうか?密室で事が決められないか、横柄な態度の担当官が無茶な判断を下さないか、気になる。事業のスピードを維持しつつ、過去の無駄な伝統に引きづられることなく・・・・それは、非常に難しいことだ。どうやっても、強欲に流されるのではないか?

 

2016年5月29日

熊本地震で考えたこと④(2016)

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- 物資 -

ホテルの外壁には、窓枠の隅っこ同士がつながるX字型の、独特の亀裂が入っていた。この歴史あるホテルは、報道によれば改修して再開の方針が決まったそうである。耐震性を上げて美しいホテルに生まれ変わったら、ぜひ行ってみたい。

聞くところによれば震災に対しては、意外に保険から出る金が少ないそうだ。農協か一般保険か、全壊か半壊かなど、細かい違いがあるようだが、数百万かけて補修しないと住めないほど壊れていても、5%程度の費用しか補償されないケースが多いらしい。半壊以下の場合は極端に金が出ない規定だそうだ。過去の震災で、そう決まってきたのか?

被災し家は倒壊、立て直す費用のめどが立たない・・・もしそんな状況に落ちたら、はたして自分の気力を保てるだろうか?年齢にもよると思うのだが、劇場主の場合は自信がない。

費用や物資の問題は大きい。震災後の数日は物資の入手に困った。飲料水があるにはあったが、量が少なかったので、御飯を炊くためだけに限定し、他の使用を制限して乗り切った。もし停電が続いていたら、やっかいなことになっていただろう。お米が炊けないと、救援物資をもらいに行くしかない。仕事は当然お休みだ。

飲料水は、常時数リットルくらい確保しておくべきだった。今はペットボトルがあるので、それほど保存に困らないのだから。

パン類はコンビニなどに早朝の時間帯ならあったらしいが、直ぐ売り切れる日が続いていたようだ。我が家は御飯があったし、被災者に遠慮して買いに行かなかったので、数日は目にすることができなかった。被災の範囲がもっと広かったら、入手はもっと難しくなっていたはず。

カップラーメンも、とうとう食べないまま終わった。普段食べないくせに、店から品がなくなると急に食べたくなった。でも被災者が優先されるべきだ。避難所にいる人達の分を奪うのは気が引ける。

トイレの水の確保に困った。後から考えれば、井戸水や湧き水は市内各所にあるので、さっさと汲みに行けば良かった。仕事を優先して情報確認が遅れてしまったので、他の家から分けてもらう始末だったが、今後は手際よくやれると思う。でも考えたが、大都会で井戸もない地域は対処しようがないかも知れない。

支援物資は3日目くらいには大量に届き、捨てないといけなくなった所も多かったらしい。物資を効率よく配分するシステムができていなかったので、過不足を調整できなかったようだ。事前のシミュレーションを怠っていたと言えるのでは?皆が慣れてないので、調整の勘がはたらかなかったのかも知れない。

買い出しに玉東町まで行ったのだが、途中の道路はひどい渋滞。普段なら30分程度の道を、3時間かけて往復した。おそらく避難や温泉入浴のための移動も増えていたのだろう。被災した地域によっては、例えば立野などの場合は、孤立してしまって買い出しにも困ったのではないか?

電気が通っていたことと被災地域の点で、今回は最悪の状況を逃れていた。熊本市のちょっと北側の山鹿市や玉名市は通常に近い生活ができていたそうだが、おそらく断層の位置や向きのため、偶然そうだったに過ぎない。電気も水もガスも、何もかも広範囲で止まっても不思議ではない。局地的な害だったのは幸運に過ぎない。

泥棒がいるらしい。避難した家屋に侵入して物を盗むそうだが、本当に困窮した人間ではなく、職業的、常習的な盗みをはたらいた人が捕まったらしい。もし被災範囲がもっと広大で救援が間に合わないなら、もしかすると盗まないと生きていけないような状態になるかも知れない。自分らがそうならなくて良かったと思う。

 

 

2016年5月23日

熊本地震で考えたこと③(2016)

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- 避難 -

近所のマンションは一階部分が倒壊して全体が傾いてしまった。上の部屋を見上げると、洗濯物などが干したままになっている。取り込みに行こうにも、傾いた建物に入るのは怖ろしいので、そのままになっているのか?

一階部分の駐車場には、ペシャンコになった車が何台も見える。直ぐ隣は薬局になっているが、今日見たら営業されていた。勇気があることは称えたいが、さすがに無謀ではないか?下敷きになる危険性もかなりありそう。

最初の揺れの後、避難所に行くべきか少し考えた。我が家は筋交だらけの特殊構造だし、震度7でも大丈夫と普段から思っていたので、そのまま残った。でも、正しい判断だったとは限らない。全てを破壊するような巨大地震の場合は、頭上に物がない所に行くべきだろう。

もし家族で方針が一致しなかったら、それは非常に困ったことになる。家族バラバラに避難したり残ったり、連絡が取れない状況になったり、片方だけ生き残ったり、そんな状況はできれば避けたいものだが、迷う事態も起こりうると思う。震度や、家の状態によって臨機応変に対処するしかないだろう。

避難することは、かなり危険を伴う行為と思う。途中で何かの下敷きになることも考えられるし、避難所となっている体育館は、天井から物が落ちてくることも多い。大型の照明器具は、充分に人を殺す力がある。要するに家と体育館、家と避難経路の安全性を天秤にかけて、より良きほうに賭けるしかない。

やはり、事前のシミュレーションも必要だろう。この程度ならどうすべきか?そんな心構えがあったほうが良い。

災害の種類と程度に応じて避難の仕方は変わる。今回、近所からは車で学校に移動する人が多かったのだが、車で一気に人が移動すると大渋滞が発生する。そこに火災が起こった場合、消火が遅れてしまう。だから、車は後回しにするよう、厳重に取り決めすべきだと思う。

つまり、歩いて避難所に行き、車中泊が必要と判断したら、時間をおいて車を取りに戻るべき。場所を取りたい・・・・そんな欲求で勝手をされたら収集がつかない。差配する人を事前に決めておくことも必要。消防団長か区長、小学校のオヤジの会でも良い。

津波の危険性がある地域の場合は、第一に高台への避難が優先される。その点が、熊本市内と海岸沿いの集落とでは大きく違う。立野地域のように崖下に位置する場合は、地震が発生したら直ぐ山手を確認しないといけない。確認できても逃げるのは難しいだろうが、もし立野駅のあたりまで行くことができれば、下敷きになる可能性は減る。

各地の避難所の状況は、徐々に改善しつつあるそうだ。車で寝泊まりする人達が減って、間仕切りが設けられて、窮屈な思いをされていた方達も、少しずつ足を伸ばせるようになったと聞く。でも、最初の頃は騒々しいし、不安だし、精神的に参っただろうと思う。

もし真冬や真夏の被災だったら、どんなに悲惨だったろうかと思う。今回はちょうど良い季節だった。毛布なしでもなんとか過ごせたので、不幸の中に幸運な面もあったことになる。

東日本震災から時間がそれほど経っていないためか、次に何をするかの判断が早い印象もある。仮設住宅の計画、空いているアパートの世話など、震災の直ぐ後から始まっている。この点は時期的に有利な面もあったと言える。政府も今回は対応が早かった。民主党の失敗の教訓が役立ったからだろう。

 

2016年5月17日

熊本地震で考えたこと②(2016)

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- 流れの予防 -

どなたか知らないが、17日に大きな地震がまた来ると述べた人がいるらしい。非常に不安を呼びやすい、精神的に好ましくない予測(噂?)だと思う。学者が真剣に予想したのかも知れないが、普通に考えると日時まで予想することは難しいはず。この数週間、数ヶ月の単位が危険と理解すべきでは?

さて、阿蘇大橋が崩落したのには驚いたが、もともと無茶な場所に作られた橋で、渡る時に少し怖かったし、酷い渋滞の原因にもなっていた。そもそもの計画に問題があったことは明白。私がもし担当者だったら、あんなところに橋を作るなどできない。もう少し上流に橋を作れば、橋の規模が小さくてすみ、分岐点も広く作ることができた。作った場所が、今回の被災に関係しているはず。

少し上流でも、今回は広い範囲が土砂で埋まっているので、通行の障害は避けられなかったかも知れない。でも、復旧はずいぶん早いだろう。自衛隊の技術だけでも、仮設の橋が直ぐにできる。

ただし、私のような考えで上流に場所を移した場合、それを評価されたかどうかは怪しい。壊れないのは当然のことであり、評価はされない。遠回りさせて不便になった・・・南阿蘇の住人からはそう言われたかも知れない。災害を小さくすませたと評価されるには、今回のような崩落がないと難しい。正しい判断は、誰からも評価されないものだと覚悟しないとならない。

立野地域は車で通る時には眺めが素晴らしいが、危険度も非常に高い。村の裏山はそびえ立つ崖、村の下も断崖絶壁。大雨が降ればどこかが崩落するのが自然と言えるほどの地形。それは誰が見ても分る。おそらく計画を立てた当時の役人や学者達も危険性を感じてはいたはずだが、なぜああなったのだろう。

巨大な構造物を建てたい、大きな事業をしたいという欲求に流されたのだろうか?実績面を考えると、大きな工事にしたいはず。派手な事業の結果は、観光名所になるという意味も確かにある。・・・自殺の名所にもなるんだが・・・

仮に上流に橋を作ろうとしても、業者が陳情して今の場所に戻そうとするかも知れない。規模が縮小されるのは、彼らにとっては非常に困ることだから、担当者に圧力をかけてでも阻止したいだろう。担当者も、天下り先のことを考えると強硬な態度を保てない。地域の住民も、自分たちの地域を素通りされないように陳情するかも知れない。つまり構造的に、あのような計画になりやすい仕組みがあった。

せっかくの専門性や責任が、利害や人の欲によって損なわれ甚大な被害につながる・・・・そういった構造的欠陥は、いたるところに散見される。何かを決定する時は、独立した立場の部外者に問題点を指摘させることを原則とすべき。そのようなセンスが、戦災や震災を繰り返しても育たないのは、残念に思う。

それこそ学級活動、クラブ活動や、父兄会など小さな集会においてさえ、第三者を排除しようと、担当者達が暗躍していないか?その感覚を、公共の世界に持ち込んで来られたら敵わない。間違った判断によって悪い結果がでるのは覚悟しないといけない。

今の新聞の論調は、情に訴えるものが多い。善意のボランティアを繰り返し紹介している。彼ら支援者を賛美するのは当然だが、そればかりではいけない。地震は天災であって、人ができることは限られているが、せめて人災の部分を繰り返さないよう、被害を最小限にするための正しい判断ができるよう、認識の基礎部分がより重要だ。決定のシステムを進化させたい。

被災して嘆く、同情する → 問題点は忘れて復興に向けて意見集約が図られる → 大きな予算に期待する人間が集まる → 事業の方向性がいじられる → 本末転倒の方向に流れができてしまう・・・流れを適正化しようとすると・・・「復興は待ったなしです!」の決まり文句が叫ばれ、皆が騙される・・・・そんなパターンが必発。

誰かを称えても良いが、そのレベルで留まってたら、我々に続く世代を守ることができない。情に訴えて問題点を素通りさせ、利益誘導を測る・・・そんな流れが伝統になっているので、緊急支援が一段落したら情はそこそこにして、そろそろ人災予防、適正な事業構築に目を向けて欲しい。

2016年5月11日

熊本地震で考えたこと①(2016)

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- 震度に関して -

地震発生から3週間経ち、自分に限れば普段に近い状態が戻ってきた。もし家や職場が倒壊していたら、悲惨な状況だったろう。被災されている方々に話を聞くのだが、何と言って励ましたら良いのか、思いつく言葉がない。

益城町や阿蘇は酷い状態らしく、気の毒には思うのだが、道路が寸断されて行くのが難しいし、自分の家族の世話などで何もできていない。そもそも自分が水汲みの作業で腰を傷めてしまったので、10日間ほどは片付けなどできる状態ではなかった。頑丈でないと、人にやれることも限られる。

5月も9日過ぎたのだが、相変わらず余震が頻繁に来る。1日5回くらいは揺れを感じている。こんな地震があるとは思いもよらなかった。子供の頃から体験してきたのは、せいぜい数回の余震で終了するものばかり。震度も3程度で大きかったと感じるほど。今回は、震度3なら軽くて良かったと思うくらいだから、感覚が全く変わっている。

地震の発生前に、ある程度の覚悟はあった。九州地方の位置が大きく動いているというGPSの情報が何度かテレビで紹介されていたので、きっと何かあるだろうとは思っていた。ただ、九州に何か起こる場合、普通に予想するのは阿蘇地方になる。益城や熊本市内にひどい被害が出るなど、考えていなかった。

過去の熊本地方の地震の記録を調べた方がまとめておられたが、震度6くらいは50-100年間隔で襲ってきていたようで、お城の被災も数回起こっていた。でも、さすがに今回の被害は史上最大だろう。櫓や塀のかなりが倒壊している。水前寺公園の水が干上がるなど、誰も想定していなかったのでは?

文化財である城だからといって、文化庁が管理して良いのか、少し考えたほうが良いかも知れない。今後の被災を避けるためには、少なくとも倒壊しないような補修の仕方もあるのでは?古来からの石垣だけでは、また百年以内に倒壊することは確実。さすがに内部の構造だけはいじるべきでは?保存すべきものは保存してだが・・・

8日の段階で、まだ地鳴りや爆発音に近い妙な音が聞こえる。地下でまだまだ岩盤が動いているのだろう。揺れ方も一定ではない。緩やかに揺れる時は、地震なのか眩暈なのかとっさに分らない。こんなに揺れ方にバリエーションがあるものとは!揺れ幅によっては液状化が起こりやすいのだろうか、市内のビルを見ると、建物はしっかりしていて駐車場が陥没した物件が多い。

震度の評価が7を最高にしていることも初めて知ったのだが、耐震規定をしっかり作るためには、もっと細かい設定が必要と思う。おそらく、何かの政治的判断で7以上は定めないと決定したのだろうが、避難所の耐震性をあげるためには、根拠となる細かい震度の規定が必要だ。震度6強に耐えられれば良いとするような想定では、避難者を守れない。想定外は、あってはならない。

震度7が必ず来るというのが想定の基本になるべき。今回程度の震災を想定できなかった人間は、もはや建築や基準策定に関わる資格がない。

それに、耐震性は年数に応じて劣化していくものと思う。建設時の基準だけで良いはずはない。益城あたりの農家は、例えば築50年後に何かの補強ができていれば、被害の度合いも違っていたかもしれない。

予算的には難しいことだろうが、一般家屋の耐震性の指導も今後は考えたほうが良いと、個人的に思う。

2016年4月26日

クーデター(2015)

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- 敵が不十分 -   

東南アジアの某国に仕事でやってきた家族。しかし、その国では政権が崩壊し、外国人を敵視する住民が彼らを殺しにやってくる。必死で逃げようとする家族だったが・・・

・・・DVDで鑑賞。映画館で上映されそうな気がしない小品だったが、迫力は充分あって、出来映えは良いと思った。大スターとは言えなくなったかも知れないが、有名俳優が大事な役を演じており、撮影技術的にも優れていたように思った。

場所が東南アジアだったのは、今日の状況では良い選択とは思えない。東南アジアの国の中で、外人を敵視して政変が起こりそうな切迫した状況の国はない。国内の勢力が拮抗してもめているタイだって、激しい殺し合いというより、政治的な競合が激しいだけだ。

今の時代の紛争は、中近東から東南方面のヨーロッパが切実だろう。難民や、ISを初めとするテロリスト集団との戦いが果てしないように続いている。政変は次々起こったし、今後も様々起こりそう。舞台がイスラム圏の王国でも良くなかったか?あまりにリアル過ぎて、娯楽になりにくいと判断したのか?

家族を助ける役のピアース・ブロスナンが、良いセリフを言ってた。投資して支配した欧米に対し、従属を拒む住民の行動は正しいんだよ・・・・まあその通りだろうが、今日の世界は、資本主義によって成り立っており、戦後の秩序はそうなっているので、住民の行動は秩序違反でもある。

秩序を拒むと、中国だって怒るだろう。でも、日本に対してそう言いつつ、新たな秩序を目指したりするところが凄いが。

端的すぎる言い方で、本物のエージェントなら他の言い方をしそうなセリフの内容だったが、映画の場合は端的に言ったほうが分りやすさの面では正しい。もし可能なら彼を悪役にして、営利目的で住民を平気で殺していく様子が表現されたほうが良かったかも。悪役俳優をキャスティングしてだが。

主演のオーウェン・ウィルソンの存在は、「エネミー・ライン」で初めて知った。喜劇のほうが出演作に多い印象もあるが、アクション映画もなぜかリアルな雰囲気が出てくる不思議な俳優だと思う。風貌のせいだろうか?わざとらしく見えにくい。

この役を仮にトム・クルーズが演じたら、おそらくヒットはするだろうが、彼独特の派手な表情により、演技過剰になってしまいそうな気がする。レオナルド・ディカプリオが演じても、怒っているのか怖がっているのか、曖昧な印象でおかしくなるかも知れない。オーウェン君が適役だったと思う。

強烈な悪役が欲しかった。現地人の、何かよく分らない隊長みたいなヤツでは役不足。ブロスナンが演じた人間が、徐々に本当の怖い顔を見せるほうが良かったと思う。

2016年4月23日

クール・ランニング(1993)

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- 印象は強くない -

ジャマイカの短距離走走者が冬季五輪を目指せってなことで、急遽ボブスレー選手を目指すお話。2月23日、衛生放送で鑑賞。

実話を元にした映画だと、当時から宣伝されて知っていた。断片的に鑑賞したこともあったが、演技が少々わざとらしく、いわば鑑賞に堪えないので興味を維持できないという理由により、最後まで観れなかった。もっと色っぽい作品を観たい時期だった点も影響したかも。

今の劇場主は枯れはててしまったので、くだらないギャグでも笑ってあげられる。この作品の演技は素人くさくて、テレビドラマの新人俳優がやるようなテンポの外れた、鑑賞に覚悟がいるタイプのものだった。

セクシーなシーンがない。恋人と観るのは、あんまり勧められないように思う。でも子供達だけで観るなら、かなり楽しい映画になるかもしれない。

もう少し何かのエピソードが加わって、選手達の人間性に何か共感できる要素があったら、もっと作品の重みが出たかも知れない。コメディはそのままでも良いから、母親や兄弟への想い、故郷を想う強い感情が観客に伝われば、健闘がただの健闘ではなくなる。

短距離走で誰かに倒される場合は、普通に考えると前を走る人間が倒れた時だけだろう。先頭を行く人間は、後から引っ張られるような、無茶な倒され方をしないかぎり、無事に走り抜けると思う。設定に問題があった。

また、演じていた俳優達がランナーのような体型ではなかった。明らかにコメディ俳優、しかも米国育ちの二流~三流の演技力の持ち主としか見えない。これではいけない。せめて演技力だけは一流を選んで、大真面目に努力する様を見せて欲しかった。逆に体だけは立派で、体力ありそうな雰囲気が感じられるだけでも良かった。

全然笑わないコメディ映画だって良いと思う。笑顔を見せないで必死にトレーニングをするのだが、他者から見れば笑いの対象でしかない、そこを狙って体力充分の兵隊みたいな連中を連れてきてカメラに収め、コメディの部分は本職の演技に任せれば良かったのだ。

注目を浴びた事実を元に、万人受けする映画を作ろうという企画のコンセプトは正しかった。この作品はかなりのヒットもしている。でも、後々まで人に強い感動を残す作品にはなっていないと感じる。

もっとギャグ満載であっても良い。体力バカのド素人役者が出演していても良かった。彼らの純粋な感情が感じられれば、きっと印象はもっと強くなっていたはずなんだ。

 

2016年4月20日

熊本地方の地震(2016、4月)

- 体験記 -

2016年4月14日午後9時26分から熊本地方に発生した一連の地震を経験した。自分なりの記録を、ここに書き留めておきたい。

14日(木)は夕方にジムで運動をして、8時くらいに帰宅。食事を済ませ、2階に上がった。地震は9時26分だったそうだが、その頃は風呂から上がって、部屋の作業を種々やっていた。

最初の揺れは洗濯物をたたんでいる時。一瞬めまいかなと思えるような揺らぎ感を感じ、物が動いていることを目視して、本格的な横揺れと気づいた。地鳴りが強く、これは大きな地震ではと直感。徐々に揺れの振幅が大きくなって、震度5くらいあるかもと思い、それでも物につかまっていれば移動できること、階段などが壊れるほどの強度ではないように感じられたので、10秒後くらいにつたい歩きで移動を開始し、一階に降りた。震度は5強~6弱だったらしい。

揺れがどれくらい続いたのか記憶がはっきりしないが、余震とつながったような感じで、数分は微妙に揺れていたように感じた。家の倒壊の恐怖を感じるほどの揺れは最初の数秒、後は「これなら動ける、ガスなどを止められる。家族を移動させられる。」と、判断する余裕があった。無理して平静に判断しようとしていたのかも知れない。

階下の家内にガスを止めるよう声をかけた。でも返事がない。降りて自分でガスを止めた頃には、ほとんど揺れは治まっており、家族の無事を確認。

家内と末っ子は居間のテーブルに潜っていた。残念ながら、テーブルは低すぎて、かえって下敷きになった場合に良くないと思うのだが、とっさのことで仕方ないだろう。家の中の点検をしている間、近所から人が出てきたので、互いに大声で安否を確認したりした。

電話を最低限かけてみたが、通話できたのは長女と、向こうからかけてきた次男のみ。通話が混み合うから当然。

テレビで被害状況を確認した。震源地から外れていると分かり、少し安心。ここで解説者は余震に注意するようにアナウンスしていた。もっと酷いのがくるなどとは誰も言わなかったと記憶している。これは、翌日になってもそうだった。「同レベル」とは言っても、もっと強いだろうとは誰も言わない。その時は気がつかなかったが、それで自分に油断が生じていたと、後で分った。

翌日のことを考えて11時半頃にいったん就寝。夜中に職場の被害を確認することは控えた。途中で事故に遭うのが怖かったし、家族と離れるべきではないと考えたからだ。夜間も震度3程度の揺れを何度か感じ、それ以外にも弱い揺れや妙な地鳴り音、報道のヘリの音、周辺の住民の声、車の往来の騒ぎも酷かったので、静かになったのは朝方だけ。

近所の方々は、かなりの人数が中学校に避難したらしい。でも、数時間で帰って来た家族も多い。避難所となった中学校が騒々しいし、揺れも続かないだろうという判断をした方が多かったからのようだ。災害は今夜で終わるのだ・・・・そんな認識が主流だったのだろう。

翌日、簡単に朝食をすませて診療所へ。途中、家の土台、ブロック塀などがあちこちで倒壊している様を確認。車で行けるか、そして建物が倒壊していないか心配だったが、ガレキをよけながら到着したら、建物が外見上はちゃんと立っていることを見て、一安心。もし倒壊していても、なんとかできると自分を鼓舞していたくらいだったから嬉しかった。

駐車場では、家が傾いたH氏と、呼吸が苦しくなったG氏が待っていた。G氏の脈拍は100以上、室内の状況を確認してから心電図を検査。心房細動らしき所見。サンリズムを飲んでもらって家に帰す。1時間後、イグザレルトを持って自宅を訪問したら、脈は80程度で薬の効果があった様子。本当はエコーまでやりたかったが、省略。

診療所の内部は予想通りの荒れ方で、カルテ棚がひとつ、レントゲン棚ひとつに薬棚が一つ倒れ、立っている棚も位置が大きく動いて、修正が必要。花瓶や時計、薬などが散乱しているのを最小限まで片付け、機械類の動作を確認し、診療可能と判断し、職員に電話を試みる。結局、職員は2名到着。

外壁のひび割れも目立つが、建物の傾きはなし。崩壊は考えにくそうな印象。15日の診療は15人程度。お互いの被災状況などを話して、薬だけ渡した。

15日夜は、水道は出ているものの微妙に濁っていて、呑気な話だが「温泉に入れるよ。」と、笑いながら子供に話した。家族はいつも通り、風呂に入ったり入らなかったり、夜更かしもしていた。ライトなどを用意し、明日に備えて早めに就寝。10時頃。でも余震の連続で睡眠は浅い。

16日早朝、睡眠中に激しい横揺れ。震度5以上はありそうに思った。家内は下でスマホをいじっていた。安否の連絡で結構時間を喰ってしまうのだ。食器棚が倒れて皿がいくつか破損したが、見ていることしかできなかった様子。揺れが治まってきてから、劇場主は伝い歩きでガス栓の状況を確認。揺れの数秒後くらいに停電したと記憶している。幸いライトの傍にいたし、携帯のライトが照明代わりになったので、傍にいた長男にライトを探させた。

電気は数十分後くらいだったか、開通した。外に出て周辺の住民の安否を確認した。隣の方達は再び中学校へ避難を開始。我が家は家が安全と考え、2階で過ごすことを決めた。目立った外壁の破損などはなかった。

16日早朝の震度は、震源地では7、我が家付近では6強だったらしい。

14~16日も、夜間は頻繁に余震が襲ってきた。ギュルギュルきしむような音が強まって限界に達したかのようにドーンと大きな音がして、1秒後くらいに横揺れするパターンの時が最も揺れが強く、震度は3程度。その他、ドーンという音だけの場合もあり、横揺れだけの場合もある。

大きな音の時の振動は、下から突き上げる場合もあるし、稀にいったん下に降りる感覚の時もある。振動の伝わり方、震源の位置の違いによるのかも知れない。

おそらく、地盤がずれていく音がきしむ音の元になり、ドーンという音は岩盤の破損の音か、あるいは引っ張られて真空状態になった地中の空間が元に戻る音のような印象。ちょうど関節がポキッとなる音のメカニズムに似ている。横揺れは、距離に応じてあったりなかったりではないか?直下に近い方向の場合、横揺れ省略の場合もありうると考えたが、どうだろうか?

地震警報が地震発生後にしか鳴らないので、システムは改善する必要があると思う。きしみ音を把握できれば、きっと予知につながる。小さな真空発生の音、または岩盤の音でも可能かも知れない。また、今回は数週間前にGPSの解析で九州中南部が南に張り出しつつあるという研究結果が放映され、事前に覚悟のようなものはあったので、これが進めばきっと予知ができるだろう。

今の警報は、震源が近い場合は揺れた後にしか鳴らない。ほとんど使い物になりにくい。巨大地震の場合で、震源地から離れた場所でだけ有効かも知れない、しかし救命に役立ったという根拠は乏しい・・・そんな風に評価できる。無駄な事業だったかも知れない。地震の感知方法を考え直すべきだ。GPS解析は有望だ。

近所の方々の御厚意で、井戸水のお裾分けをいただいた。トイレの排水が可能になっただけで、非常に嬉しかった。

これを書いている19日の段階で、市内の一部は水道が復旧している。電気は今回はかなり維持されていた。都市ガスやJR,市電、バス類の再開が未だ。スーパーがかなり開いてきたのは、震源が市の中心部から少し外れていて、北側から植木インターまでは物流が維持できていたことが幸いしているのだろう。17~18日でも、ドラッグストアなどには物がかなりあったという。

19日早朝も、余震が酷かった。気のせいか、夜中のほうが余震の頻度が多いような気がする。地震も昼寝をして体力をためているのか?余震の回数が多いことや、大事な文化財の被害が多いことなど、性格の悪い地震である。

ギャグめいたこともあった。14日の揺れの後、末っ子と各部屋の状況を確認した。「うわあ、この部屋ひどいね!」と子供が叫ぶ。「・・・・そこはお母さんの部屋で、元々がこんな風だよ。」と、解説せざるを得ない劇場主の境遇が悲しかった。

17日はかなり余震が減り、家族はイビキをかいて寝ていたが、劇場主は悲しいかな、そのイビキでかえって眠れなかった。3日間のうち、昼寝できた16日の午後だけが休息でしたという、厳しい被災生活。

加えて、腰が痛くなるほど苦労して汲んできた水を、いとも簡単に一回の尿で流して当然そうな顔をしている我が子に腹が立った。尿だけの時は流すな!ウンチの時だけ流せ!ええ~毎回流していいじゃん、水は溜まってたよ。あれ?オレ、逆と思ってた、ウンチはそのままじゃなかったの?馬鹿野郎、その水はお父さんが汲んできたんだ!そんな会話を何度も繰り返した。

怒りながら、結構楽しんでいた。なんと言っても、家族の誰も怪我すらしてないわけだから。

2016年4月 9日

クリムゾン・リバー(2000)

Gaumont

- ロケ地が最高 -

アルプス山中にある大学。優秀な人材を送り出している。その大学で奇妙な死体が発見され、捜査官が派遣されるが・・・

・・・・何度か部分的に鑑賞した記憶がある作品。今回は衛星放送で鑑賞。

どこかの本当の学校を舞台に撮影したような印象を受けたが、どこだろうか?体育施設かも知れない。周辺の風景が美しいし、雪山も近いので、物語の舞台が分りやすい。画像にもあるように、「なぜ、こんな所に大学があるのか?」が大きなカギになるので、ロケ地の選択はとても大事だった。この作品では大成功だったと思う。

不気味な死体が登場し、しかも解剖までしつこく描かれるので、小さな子供には向かない作品。猟奇殺人犯が登場する謎解きの物語として作品がスタートするので、そんな映画が好きな大人なら、かなり楽しめるかも知れない。家族でいっしょに鑑賞するタイプの映画ではないと思う。

スリラー映画でも、猟奇的な作品でないなら、家族で鑑賞できる。でも、エログロの要素が感じられる映画は、雰囲気を壊すように劇場主は考える。昨今は、猛烈に刺激的な死体でもはっきりと写すことが多いが、表現方法は昔の大人しい方法のほうが好ましいように思う。子供の感性に悪影響がないだろうか?

ラストの展開は、前半部分では全く予想できなかった。だから、この作品の作者の意図は充分に成功していたに違いない。予想できない結末にならない限り、観客は驚くことがないから、印象にも残らない。この作品はロケ地、ストーリーの意外性のおかげで印象に残った。

大傑作スリラーとは思えない。印象的だが、深みに欠けていたかもしれない。たとえば犯行の動機が家族愛だったりしたら、犯行がむごたらしいものであっても、多少は情状酌量ってなものがありうる。共感を生みやすい何かが欠けていたかも知れない。

主役のジャン・レノ演じた刑事が、犬を怖がるという話は、本当に必要だったのか疑問に思えた。原作となった小説では何か良いセリフがあったのかも知れないが、この映画だけ観たら、安っぽい理由でキャラクター付け目的だけに設定したように感じる。

ヴァンサン・カッセル演じた刑事のキャラクターにも、今ひとつ感情移入できなかった。荒っぽいシーンの演じ方に問題があったのかも知れない。不必要に喧嘩っ早いような気がした。喧嘩しても魅力的に感じるのは、高倉健のように耐えがたい仕打ちを受けても耐えた人間だけだ。

ラストで雪崩のシーンがあるのだが、迫力に欠けていた印象。雪崩は必要なく、崖からの転落の恐怖のほうが効果的だったかも知れない。

 

 

2016年1月31日

グッド・ライ いちばん優しい嘘(2014)

Alcon_etc


- 本職求む -   

スーダンの内戦からの避難民が、アメリカに移民する。彼らの兄は、身代わりとなって現地に残された。アメリカ社会で苦労する弟達だったが、兄の犠牲は重く心にのしかかっていた・・・・

・・・・難民や、その家族が出演した映画。ストーリーは架空のものらしいが、実際の境遇に非常に近い話を構築し、本物の難民に演じてもらうという趣向で進めた作品。その趣向が良かったか悪かったかは分からないが、難民を演じた俳優達は上手いとは感じなかったものの、存在感は確かにあった。

本職の俳優だけで作っても良かったようには思った。どうせリース・ウィザースプーンは有名俳優だし、支援活動はしているらしいが、それが本職でないことも明らかだから、観客は物語として映画を観ている。したがって、プロの俳優だけで演じても良かったかも知れない。あるいは、台詞の少ない人物を一人だけ、実際の難民にするという現実的な手もあったろう。

兄弟がたどる逃避行の辛さが上手く表現できていた。時間配分が良かったと思う。いかに悲惨な経験をしてきたかが、この作品の印象の深さに直結する。悲惨で無残な戦闘行為が分かりやすく表現されていた。いっぽうで、悲惨なシーンばかりでも、辛くなりすぎていけない。

小さい子供には、残虐シーンがトラウマのようなものが生じてしまうかも知れない。この作品は、だから家族でいっしょに鑑賞する類の映画とは少し違うと思う。恋人と一緒に鑑賞する作品としてふさわしいかもよく分からない。でも、間違いなく優れた作品で、グロテスク過ぎたりはしないし、なんらかの感動を得ることができる映画だから、個人的には勧めたい。面白くはないかも知れないが。

ところどころに笑えるシーンもある。電話の意味や使い方が分からなくてトラブルが発生したり、文化のギャップに戸惑うシーンはおかしい。やり過ぎない程度にジョークも出して、節度を守ったスタイルで、それなりのユーモアも感じられた。悲惨な話だけでは観客が保たないから、良き判断だった。

この作品は実に良いテーマを扱い、全編が人間性あふれる感性で作られている。昨今のISとの戦いに辟易としている人の多くは、こんな話に心を洗われるように感じるはず。でも、実際に難民を受け入れるのは、やはり難しいこと。条件が整わないとできない。

仮に彼らがシリア難民だったら、アメリカは受け入れただろうか?アラブ系難民の場合は、難民の中に必ずと言って良いくらいテロリストが発生してくると予想される。難民になった時点では幼かった子供達が、やがて成長してISに協調して行動を起こす。もちろん大多数の子は米国社会に同調し、市民生活を送ろうとするだろうが、はみ出し者も必ず出る。それが確実なので、受け入れが難しいだろう。スーダンは条件が違った。

今ではスーダン難民も変わってきているかもしれない。アルカイダ系の勢力に同調する難民も多いのでは?あるいは意図的に難民に紛れ込むテロリストも多いだろう。よくは知らないが少なくとも言えるのは、アフリカのあちこちで起こる紛争全部に、難民受け入れで対処することは無理と思う。日本でも同様だろう。

難民を管理し、テロを防ぐためには膨大な予算、手間暇がかかる。実際問題として、社会がそれに耐えられるかも忘れてはならない。ただ生活を保障するだけならば可能だろうが、長期間にわたり犯罪行為をしないか監視は必要になるわ、管理する人員を確保せねばならないわで、予算に余裕がない日本は財政的破綻が怖い。テロリストも、そこを狙って来るだろう。

受け入れないのは人道から考えると酷いこと。死ねというに等しい。でも、受け入れたら必ず将来に遺恨を残すし、その責任を問われるだろう。テロリストから殺された人達が、受け入れた人を許すはずはない。殺人幇助罪に相当しないとしても、感情的には同じような罪があると感じるだろう。

もともと移民国家の米大陸と日本とでは歴史が異なり、感情の部分でも違いがある。同じ観念で物は言えないと思う。そして、将来犯罪を犯さないと誓う・・・・・そんな契約的観念がない人が実際にいるからには、気の毒だと言ってばかりもおられないように思う。

 

 

 

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