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カテゴリー「き」の28件の記事

2020年5月29日

鬼滅の刃(2019)

Aniplex

- Aniplex Inc. テレビアニメ・1~2話 -

大正時代の日本を舞台に、鬼への復讐、妹を救おうとする主人公らの活躍を描いた作品。TVアニメ版の1~2話がDVD化されていたので鑑賞。 

「鬼滅の刃」のオリジナル漫画は、2020年の5月号をもっていったん終了することが決まったらしい。原作の作者は女性漫画家だそうだ。この作品以外にはまだ大きな作品は書いておらず、もともとのデビューの時に書いた漫画の構想を、そのまま拡大したのが本作らしい。

少女漫画の香りのようなものは、アニメでも感じられた。高橋留美子の画風に近いものをすこし感じる。ストーリーは「犬夜叉」より「どろろ」のほうに近いかも知れない。アニメのどろろは、鬼とは違う妖怪タイプの怪物たちと戦う物語だった。物語の中に政治色、社会の不条理に注目させる深みがあり、独特の奥行きのある物語だった。怪物のおどろおどろしさは、今作と似ている。

「どろろ」は優れた作品だったと思うが、設定が難しかったようだ。学生運動が残っていた時代。社会悪、階級対立、戦争などの問題点をえぐる路線では、どうしても話が暗くなる。子供からの支持率を維持したいなら、活劇部分を強化しないといけない。でも、そうすると御子様マンガに成り下がる。どろろの時代に、それはできなかったかもしれない。

この作品は時代と舞台の設定が素晴らしい。この物語が仮に現代を舞台にしていたら、怪しい雰囲気は出にくいと思う。未来でもそうだ。宇宙人や超能力者との戦いなら近未来は都合が良いが、鬼との戦いでは基本として古いほうが良い。

いっぽうで江戸時代以前だと、これまたテレビの時代劇などをイメージしてしまい、年寄りが楽しむ話のような陳腐さにつながる。ロマンあふれる時代が良い。たぶん明治時代でも良かったのかも知れないが、大正時代に設定したのは正解だった。

この時代設定によって、セリフが古めかしくなり、なにか高尚そうな雰囲気を出すことが可能になったと思う。叙事詩のような壮大な雰囲気を出すためには、演劇で使われるような文語調のセリフは効果的だと感じる。いっぽうで古すぎると、チャンバラの陳腐さにつながるので、明治か大正しか考えられない。  

漫画を見ていないので、この話の後がどうなっているのか知らないが、巨大な鬼、超絶能力を持つ鬼たちが次々登場してくるのだろうか? アニメの「ワンピース」は、巨大で怪奇な能力を持つ連中を、仲間と一緒に退治して旅をする物語で、冒険する場所も奇想天外、敵も怖いやつからおかしいやつ、いろいろな設定ができる。

この鬼滅の刃の場合は、設定に限界があるのではないだろうか? 外国に出る展開は考えにくいし、日本の風土とかけ離れた舞台は設定に合わない。基本は夜間にしか戦えない。刀などが通用する相手でないといけない。物語を延々と続けることは、作者にも負担が大きかったのではないかと思う。

この2話の後は、主人公が修業を積んで強くなる設定だろうと思うが、剣劇だけではよほど上手く表現しないと、凄さを感じてもらうのは難しい。どんな話がつながっているのか、どうやって人気を維持できたのか分からない。

でも、マンガを買うつもりはない。劇場主もそろそろ還暦が近い。マンガを買っても何度も見なおす時間はないし、買えば人からバカにされるし、置き場所に困るし、購入は考えられない。せいぜいDVDの第二巻を借りるかどうかだが、他に何も借りるものがないなら借りるくらいで良いと思う。

 

2020年2月10日

記者たち 衝撃と畏怖の真実(2017)

Shock-and-awe

- 監督ロブ・ライナー -

2002年、イラクを攻撃しようとする政権に対し、疑問をもって報道した報道機関の面々を描いた作品。DVDで鑑賞。 

記者たちが政権や他の新聞社と違う視点で戦う忙しい日々の中で、家族や恋人との生活を楽しんでいる様子も描かれている。日本の記者のほうが激しく働いているのではないかと思えた。 日本の新聞社は、彼らに比べたらショボい。画期的な報道をすることは滅多にないと思う。何か組織的に機能できていない面があるのかもしれない。権力者たちから抑えつけられて、実力を発揮できずに週刊誌などに人材が流れているのかと疑う。

また、IT技術全盛の今日でも、記者たちがメモを大事に使っている様子も分かる。メモは大事だと思う。頭の整理には、パソコンやスマホでは性能的に限界がある。メモのほうが早く、便利だと思う。理由は分からないが、パソコンやスマホの画面は忘れやすいし、動作の過程で無駄が多い。

主人公らの会社は、他の新聞社と意見が食い違うことになったが、ひるまなかった姿勢に敬意を表したい。国民のほとんどが好戦的になっている中で、正しさを追求し、揺るがないというのは難しいことだ。読者が離れたらどうするかと考えると、自分達の首をかけての判断が必要だったろう。

クビになってもいいさと思える環境が必要である。官僚たちのように、失敗したら出世がなくなるような単純な組織では、記者の行動をしばってしまい、権力者の横暴を放置することになり、やがては社会全体の利益を損なう。記者にも社会人としての義務は必要だが、行動、判断の自由が必要だ。権力者たちから報道機関が守られる規定が必要だ。 

この作品の描き方には問題があった。激しい攻撃にさらされ、強いプレッシャーを受けていた様子がもっと描かれると良かったと思う。そしてラスト近くで立場が逆転し、正しさが証明されて再評価される、そんな単純明解な演出も欲しかった。勝利を描いていなかったので、盛り上がりに欠けていたと思う。  

イラク戦争をめぐる政府の陰謀を描いた作品は複数ある。「華氏911」「バイス」もそうだった。民主党支持の映画人が、次の大統領選挙の事を考えて制作しているのかも知れない。当時の政権内で力のあったラムズフェルド、チェイニー氏らが、なんらかの意図をもって情報を操作し、イラクに対する国民の敵意を煽り、戦争に誘導したらしいと、今日では考えられている。でも、議会や最高裁で共和党の勢力が衰えない限り、違法判断が下されることはないだろう。

イラクに対しては9.11テロより前から、危険視する意識は明らかにあった。イラク側も、国連の査察を拒否したりして、怪しい面はあった。米国側はイラクの権益が欲しかったのだろうと疑われるが、真剣に考え、純粋に間違ってイラク攻撃を決めたのかもしれない。米国は情報管理や演出が上手いので、真相が分からない。  

おそらく、政府の内部にいる人達は、情報をどのように処理し、自分の立場を弱めることなく役立てようと、日々頭を使っているものと思う。情報を占有する立場になった時に自分の都合を優先し、国家の利益に反するということは本来なら許されないが、それが曖昧な場合はあると思う。「この情報は握りつぶしたほうが国家のためになるのでは?」そんな情報も来るかもしれない。 

たとえば劇場主が、ある患者が癌かもしれないと気づいた時、すぐに患者に言うことはできない。患者や家族の心情を考え、相手がどのような心理状態になるか把握し、家族の理解と支持を得てから告知したい。でも、患者の情報をいち早く本人に伝えないのは、患者の権利を侵害したことになると思う。人の権利と、告知した場合の反応、結果を総合的に考え、自分勝手な判断にならないように、個々の状況に応じてやるべきことを成し遂げる必要がある。完璧な対応は難しいだろうが、権利の侵害を後で訴えられたりしないように、できればしたいものだ。 

国家の情報の場合は、より状況が複雑だろう。利害関係者も多く、影響は大勢の人間の命や資産に関わって来る。犯罪スレスレ、あるいは営利目的でしか考えられない、そんな判断があったのかもしれない。そこを明確にして処罰できる仕組みが必要だろう。日本政府も記録を破棄して情報を操作しており、酷い状態だと言えるが、米国も酷いようだ。

でも、結局のところ、ブッシュ政権で逮捕者は出ていないはずだ。証拠が揃わなかったのではないだろうか?上手に証拠を消したのか?あるいは議会での力関係で聴聞をすり抜けたのか?

 

 

 

2019年11月22日

危機と人類(2019)

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- ジャレド・ダイアモンド著 日本経済新聞出版社 -

フィンランド、明治維新時代の日本、クーデター時期のチリ、インドネシアやアメリカなどを題材に、国家の危機に際しての対応の仕方を論じた本。映画にはならない内容だが、テレビの特集番組の材料にはなりそうだ。 

日本人にとっては特に明治維新が大きく扱われている点で、分かりやすいと思う。そもそもの語り口も非常に工夫されていて、個々人が人生で体験する危機をまず述べ、それと同じような視点で国家としての対応を考える内容になっている。

フィンランドという国の立場は、劇場主も今まで大きく勘違いしていた。共産主義に勢いがあった頃は、ソ連の支配下にあって、何も主張できない国、形だけの独立を維持している小国というイメージを持っていた。日本も米国の支配下にあるので似たようなものだが、情報が少なかったこともあり、より支配度が強く、意見さえ言えない国だろうと感じていた。ソ連崩壊後はどうなっているのだろうか? あまり評判を聞かなかったが・・・・

いやはや、とんでもない勘違いだった。独立を維持し続けた、偉大なる国家だったと言えるようだ。生き残りに失敗した国も多かったのだから、フィンランドの生き延び策は称賛に値する。長期にわたって難しい対応を迫られ、それを切り抜けていたことに、あらためて感じ入った。

でも、フィンランドの位置がもっとドイツよりだったとしたら、おそらく策の如何に関わらず、エストニアやポーランド等と同じ運命になったと思う。ドイツとソ連の間の戦いに巻き込まれて、いかに素晴らしい政策を繰り出そうとも、覇権争いの場になったはずだ。少し位置が違っていたことが、生き残れた最大の理由ではないかと思う。ソ連にとって価値が低かったから攻撃の優先順位が下がり、攻める対象にならなかったのだろう。

それでも、抵抗することに成功し、綱渡りのような対応で独立を維持できた点は、本当に素晴らしい。 現代の日本も、見ようによってはそうかもしれない。無条件降伏という危機を乗り越え、米国の強い力の下にはあるものの、経済的に安定していて、戦闘がなくて安全な状態が長く続いている。

もし共産主義勢力の側に一時的にでも入っていたら、ソ連と米国の間の代理戦争の舞台になっていたかもしれない。そんな怖ろしい対応をとらなかったことが、結果的に幸いだった。右翼や政界、財界の先達に感謝しないといけない。 

今後は中国やロシアとの対応が問題になるだろうが、切り抜ける方法がないとは思えない。原則に従い、臨機応変に対応すべきだろう。かっての軍部のような過ちは、もう犯してはならない。 

インドネシアの例は、日本とも関りが深いから、興味がある。インドネシアへの日本軍の進出は、独立の機運をたかめる要因にはなったはず。スカルノの時代が長く続いたら、日本との関係もより深まっていただろう。人材育成などで協力ができて、今頃は中国に迫る巨大市場として、日本の経済にも良い相手になっていたかも知れない。でも、それが遅れたとはいえ、これからも発展しそうな国なので、単に交流のスピードが違っただけとも言える。

この作品の後編には、今の日本がかかえる問題点も述べられている。人口問題は、やはり負の要因と書かれている。普通に考えればそうだ。これだけ明らかな問題なのに、対処が先送りになり、しかも選挙で争点にならないのが非常に不思議だが、政党の能力不足、政治家や役人たちの意識の低さ、国民が国への信頼を失っていることなどが、問題解決の足を引っ張っているように思う。

11月17日のニュースで報道されていたが、アンケートで「政府を信頼する」と答えた人の割合は3割程度だったようだ。これは各種の統計で、およそ一致している。信頼されていなくても、とりあえず革命が起こる気配はないし、法律が無視されることも少ないから、国民の気質やモラルは大したものだと思う。

でも、信頼は大事だ。政府が利権や名誉など、自分たちの利益を度外視して、国民のために働いてくれているという姿を見せないと、見放されて何も対処しないという状況が続くだろう。真面目で優秀な人間が、選挙や人事で排除されていることを感じるようでは、大失敗が待つと予想される。問題点を認識し、分析し、優先順位をつけ対応する、その原則から外れている。

 

2019年8月 6日

騎士団長殺し(2017)

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- 村上春樹著・ 新潮文庫 -

肖像画家が体験する別居、東北旅行、有名画家の作品の発見、風変わりな富豪や少女との交流、そして非科学的な経験を描いた作品。初版本は2017年に発売されていた。劇場主は2019年版の文庫本を購読した。 文庫本にしたのは、1Q84で失敗しちゃったような感覚があったからだ。あれは文庫本のほうが良かったかな?と、貧乏性の劇場主は思った。

失敗したと感じたとしても、村上春樹の本は、文章だけでも充分に価値のある美しさを持つ。そこらの小説の文章とは、レベルの違いのようなものを感じる。何が違うのかはよく分からないが、言葉の選択、てにおはの使い方など、基本部分がしっかりした印象を感じる。そして今作だと、主人公が何かのセリフをはいて、そう話した場合に相手が当然感じるであろう、普通の感覚で起こりそうな疑問点を次のセリフで的確に話させているし、文章でも解説している。それは、そのまま読者側からの分かりやすさ、共感のしやすさにつながっているはず。ストーリー書きにのめり込んで、普通と感覚が離れてしまっては、文章は理解しがたく読み辛いものになる。客観的に書けているから、美しいと感じられるのかもしれない。  

この本は、ぜひとも映画化して欲しいと思う。アニメが良いかも知れない。下手な俳優に演技させるより、表現力に長けたアニメ制作者に任せたほうが良い。いつできるか、待ち遠しい。先に当劇場で批評だけしておきたい。  

作品のテーマはよく分からない。簡単に分かるのが良いのか悪いのか、人によって考え方は違うだろう。分かりにくいことだけで駄作と感じるかも知れないし、比喩表現をしすぎたために、本来のテーマから外れたんじゃないか?という感想を持たれることも考えられるから、今作の描き方の是非は意見が分かれるところと思う。  

主人公が東北を旅する時期があり、ラストのほうで震災の映像に驚愕する場面がある。東日本震災は、この本の題材の一つに違いない。それが、どの程度の比重を占めているかは分からない。どっぷり東北を舞台にして描けば、分かりやすい作品にはなるが、底の浅い描き方になる。怪奇現象ばかりを描けば、それはもう方向性の異なる安物小説になる。さりげない扱いだが、実は作品のメインテーマは震災に対する日本人の対応なのかもしれない。

現地で被災するのではなく、報道で災害を他覚的に知った人間は、主人公のように感じるものと思う。古い虐殺事件などの悲劇に対しても、主人公のように反応する人が多いのではないか? 事実は受け入れ、日々の務めを果たす。そういう生き方を、この本で提案しているとも受け取れる。日本人には戦前の行為という原罪がある。過去の事を深く考えて、暗闇でもがいてきた作者の今の生き方が、この本の基底にあるテーマなのかも知れない。そこに至るまでの感覚の変化を文学的に表現したい場合、奇妙な物語も必要になったのではないか?  

本を読み終わっても、明確に分からないことは多かった。
①騎士団長はなぜ死ぬ必要があったのだろうか? 単に次のメタファーの登場の引き鉄に過ぎないのか? 要するに物語の終幕に向かわせるための必然なのか? 
②騎士団長やドン・ジョバンニが意味するものは、結局なんだろうか?何の象徴だろうか?  
③ナチス時代の事件が、この作品で占めるウェイト。戦時中の事は曖昧なままにならざるを得ない。南京事件もそうだが、実態が分からないし、今の世代に責任を問われても無理がある。歴史認識を責められても、困惑するしかない。良心の呵責に苦しみ、正義と自由を求めた日本人だっていたはずである。そこらを表現しているのだろうか? 

他にも多くの事が分からない。解釈はいろいろと考えられるが、分からないままでも、ストーリーの続きを知りたくて読んでしまったのだから、たぶん分かる必要はなく、怪しげで意味不明のままでよかったのだろう。何でも分かったら報告書みたいになってしまい、もはや文学じゃないとも思える。

 

2018年8月10日

キッド(2000)

Dizneys_the_kid

Buena Vista(Dizney)-          


コンサルタントで高収入を得る主人公は、ある日、見知らぬ少年が屋敷に侵入していることに気づく。その少年は、30年前の彼自身だった・・・7月29日、衛星放送で鑑賞。    

 

この作品はビデオ屋さんの棚で何度も観たことがあって、あらすじは知っていた。しかし、特に評価の高い作品ではなかったっはずなので、借りようと思わないままだった。今回は台風の影響でビデオを借りにくくて、我慢してテレビ鑑賞した次第。しかし、まったくの駄作ではなく、そこそこ面白いし、心温まる作品だった。    

 

主演のブルース・ウイリスは、この作品の頃は既に大スターで、45歳くらい。役柄と比べたら、少し齢を取り過ぎていたように感じたし、実際にもそうだったわけだ。彼の出演ならヒットが見込まれると考えて作られた企画のように思う。無名の俳優でヒットが狙えるほどの斬新な作品のようには思えない。どこかで聞いたような話に過ぎないと感じる。それでも結果的に嫌らしい感覚は覚えなかったから、演出が適度に抑制されていて、好印象を確保するように作られていたのかもしれない。     

 

この作品でも、やはりブルース・ウィリスの演技はオーバーだった。目を細める表情は、彼がタフガイを演じて敵を挑発する時には有効かも知れないが、この作品には似つかわしくないように感じた。女性と会話する際に、あんな表情はマズいのではないか?それとも、欧米の女性はあんな表情が好きなのだろうか? 劇場主は、その方面を分析できない。とにかく、この作品に限っては、あの表情は似つかわしくなかったと思う。          

 

共演者のうち、秘書役は良い味を出していた。有能で、しかもプライドを持って仕事してくれていること、主人公に対するクールな対処の仕方などが良い味につながっていたと思う。これに対してヒロイン役に相当する女優さんは、少し表情にこだわり過ぎていたような気がした。ごく普通の感覚の持ち主という設定でも良かったように思う。この作品は主役のトラウマや、妙な生き方を描くことが大事で、ヒロインまでおかしな人物である必要はない。彼女の迷いや焦りは演出されるべきだが、性格に関してはまったくのノーマル、良心的な人物であったほうが良いと思う。     

 

還暦が近づいてきて、劇場主も自分の人生について反省することが増えた。真面目に働いてきたとは思うが、巨大な財産を築けたわけじゃない。大成功の人生だったとは感じない。子供ができたことは嬉しいが、子育てに奮闘した割には、順調に育っていないと感じる。家内は勝手な生き方をして、家族は傷ついている。それを改めさせることは現実的には無理だろう。諦観を持って、ズルズル生きている現状である。  

違う生き方があったのかもしれないと、よく考える。でも、ドラスティックなことを今後やろうとは思わない。飛行機を操縦するなんて、意義を全く感じない。 主人公とは望みが違うようだ。 勇気も足りないのだろう。  

 

 

 

 

2018年8月 7日

嫌われる勇気(2013)

- ダイヤモンド社  -       

 

アドラーの理論を解説した本。学者の岸見一郎氏と、彼によって触発された物書きである古賀史健氏の両氏が協力して作った対談形式の内容。  対談形式にした点に、優れた構想力を感じる。ただ解説してても、哲学的な内容だけなら読んで眠くなるだけだ。対決の形を設けたことで、読者が二人の議論に興味を持てるようになっていた。   

 

この本を買おうと考えたのは、横積みにされていて「ベストセラー」という宣伝文句があったからだ。 ベストセラーなら、きっと良い本だろうという浅い考えによって買わされてしまったわけだが、この本は構成が良かったこともあり、損した気分にはならなかった。  

 

読んでいて感じたのは、劇場主はまるで本の内容そのままに生きているんじゃないかという感覚である。半分は自慢なのだが、もし本当にアドラーが言うような生き方をしているとすると、自尊心は満足できても、喜んで良いかは分からない。理想を体現しているとなれば、そりゃあ周囲の人間からは嫌われても仕方ない。こちらは嫌われる勇気なんてないのに、自然に嫌われてしまう。そういえば、あんまり自分が人から好かれている気がしないねえ、なんでかな?と思っていたが、アドラー的な生き方が原因だったのかと、驚き呆れた次第である。       

 

でも劇場主はアドラーの本を読んだことがない。自然と似たような生き方になっちまったのだろうか?まさか劇場主が自然発生的な哲学の巨人ではないだろう。おそらく、こんな考え方は昔からあったのだ。中国の賢人だったか?似たようなことを述べた人がいたような気がする。

 

劇場主が個人事業主になったのは、大きな企業や役所など、人間関係が濃厚な職場で消耗したくないという理由があった。上昇志向の強い人間と接している時、人には数種類の感情が起こるように思う。競争に負けたくないという対抗心が浮かぶ場合、共感して意見に従う場合、覇気によって従属したいと感じる場合、そいつの過剰な負けん気に嫌悪感を覚える場合、ただ怖れ逃げる場合など、様々なパターンがあるはずだ。  

 

劇場主はいつのころからか、出世競争は無駄なことと考えるようになった。競争に負けたからだろうか? 仲間と一体になった競争なら意味があると感じる。社員が団結して新商品を開発し、ライバル企業に勝つための競争なら熱中できそうだ。協調に満足できる。でも社内でライバルの足を引っ張っても、満足できるはずはない。そんな競争は阿呆らしい。肝心の開発競争をおろそかにする人間が周りに多いと、もう会社への所属意識も保てない。

 

社内競争を組織の原理とされたら敵わない。 人事で人を動かす組織にいたら、幸せを実感するのは難しいだろう。もし社内競争に勝ち続けられたら満足できるだろうが、大半は憤懣を抱えないといけないことに当然なる。そんな組織が多いんだが、競争に勝った人間が方針を立てるなら、当然そうなるだろう。本来の業務よりも、不幸せを作るための会社になりかねない。  

 

それよりも、ささやかであっても自分の行為が誰かに良い結果をもたらし、ちょっとでも感謝されたら、そっちのほうがずっと気分が良い、充実した気分になれそうだと期待する。出世できなくて、そう考えざるを得なかっただけかも知れないが、実際にかなり満足できてもいるから、それなりに良い選択をしてきたと思える。大儲けはできないが、充実はできるということを重視した点で、まさにアドラーの勧める生き方に近い。 

 

既に本の内容を実現しているなら、この本を買う必要はなかったかも知れない。ということは、やはり買って損したのか? ちょっとぐらい損したかも知れないが、そんなにケチケチしてはいけない。ケチ臭いと、また人に嫌われるから。  

 

 

 

 

2018年6月30日

キングズマン:ゴールデンサークル(2017 )

Kingsman

 Fox -


イギリスで仕立て屋の姿を借りる、私設の情報機関の物語の第二作。今回は前作で殺されたはずの上司が、思わぬ場所で生きていたこと、アメリカの諜報機関や、麻薬組織とのやりとりが展開する。DVDで鑑賞。   


このシリーズは、知る限り熊本市では劇場公開されていなかったはずだが、大都市でなら興行的にも成功するかも知れないと思う。実に痛快な作品だ。     


前作も意外なほど面白い作品だった。原作はコミック本らしい。原作のアイディアがよほど優れていないと、そもそも映画化しようという話は持ち上がらないだろう。いまどきスパイもので大ヒットするなんて、ちょっと考えにくいはずなんだが、この作品は第一作、第二作とも実に上手くできていて、古さを感じさせない。作り方が上手いと感心する。 原作も優れたアイディアを有し、製作者たちも優れたセンスを持ち、ソツのない作り方をしているに違いない。    


独特の個性や意外性を出さないと、この手の作品はすぐ飽きられるだろう。もはや007だって、昔のままではやっていけない時代であるから、他のアクション映画とは違う、独特の魅力を出さないといけない。派手なカンフーアクションだけでは、おそらくジェイソン・ステイサムの映画に敵わない。殴り合いのリアルな迫力では、おそらく「アトミック・ブロンド」のようなアクション専門の監督が撮った作品には敵わない。 気取った紳士的所作とユーモア、個性的な敵の活躍、リアルじゃないけど道具を上手く使う独特の戦い方、それらが新しい魅力を生んでいると思う。 


さすがに十作以上も続編が続くとは思えないが、当面は今の路線で行けそうな気がする。 ただし、子供たちに受ける作風ではないような気もする。もっとユーモアたっぷり、失敗を繰り返すドタバタ劇にしない限り、家族がいっしょに楽しめる感じはしない。残虐なシーンもある。このままではジリ貧も免れないのではないか?   


有名俳優たちがいろいろ登場していた。 資金が豊富なのか、ヒットに自信があったのか、主役でないにも関わらず、ハル・ベリーやチャニング・テイタムなどが楽しそうに役を演じていて驚いた。次回作では彼らが仲間となって活躍する、そんな契約を結んでいるのかも知れない。そうなるかどうかは、原作漫画を読んでいないから分からないのだが、そんな気配を感じる。 そうだとすると、その点は少し安易すぎるかも知れない。   


 



2018年3月20日

気ままな情事(1965)

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- 監督:アントニオ・ピエトランジェリ -

 

会社を営む紳士。彼の奥様は美貌の持ち主で、奥様の不倫が気になるあまり起こる騒動を描いた作品。DVDで鑑賞。

この作品はツタヤの名作コーナーに並んでいたので目に留まった。おそらく特に取り上げられたのは、リマスタリングか何かで、新たにDVD化された関係ではないだろうか? 

作品の存在は知っていた。有名女優の紹介の本で、クラウディナ・カルディナーレの魅力を述べた文章の中で読んだ記憶がある。この話は、これがオリジナルなのだろうか?日本のコメディでも似たような騒動を描いたドラマを観たような気がする。決まって奥様役は美人女優で、お色気たっぷりのタレントが演じており、旦那さん役は風采の上がらない、小心者の人物として描かれていることが多い。型にはまった感じだが、この作品の旦那さん役は非常に味があった。役柄と風貌が合致しており、演技も派手過ぎず、上手かったと思う。あまりに派手なドタバタ劇をやると、ともすれば興ざめしてしまう。適度なドジぶりに止めることができるかどうかは大事だった。   

ヒロインのカルディナーレ嬢は、今日的にはグラマーすぎる体形のようだが、十分に魅力的な御婦人を演じていた。少し笑顔が多すぎる印象も受けたが、当時のイタリヤの女性としては普通だったのだろうか?または、そういうキャラクターを演じていただけかもしれない。共演者の会長夫人役も大変な美人で、こちらのほうが正統派の美女スターになれそうな感じがしたが、グレース・ケリーほどのスターにはなりきれなかったようだ。早死にしているらしいので、そのせいもあったかも。   

他に、主人公にからむ喜劇俳優の共演者がいたら、もっと話がおかしくなったかも知れないと思った。主人公の親友で、主人公に協力して派手な失敗を繰り返したり、ヒロインに頼まれて話をややこしくしたり、狂言回し的な役割を一人の人物がやれたら、話の混乱具合は増していただろう。この作品では会社の古参社員、門番、友人の議員や医者など、分散してしまった点で、盛り上がりを欠いてしまった印象を受けた。

今日的な意味合いは、あんまり感じられない。不倫に関するニュースは毎月派手に報道されているし、この作品の表現はかなり抑え気味で、直接的なものではないのでインパクトが足りない。ゲス不倫の報道の後では誰も興奮してくれないというものだろう。

 

 

 

 

2017年10月26日

君がくれたグッドライフ(2014)

Hin_und_weg

- Majestic Film.etc. -

恒例の自転車旅行に出かけたグループ。今回はベルギーを目指す。しかし、この旅には隠された目的があった・・・・

・・・ドイツ映画。多数の会社が製作に関わっていて、権利関係が正直わからない。中心はマジェスティック・フィルムという会社のようだ。DVDで鑑賞。この種の映画はDVDでないと観れない。以前だったら時間を調整して、職場から白い目で見られながら、こっそり名画座に潜入しないと観られなかった。DVD様々、TUTAYA様々である。

俳優達はドイツの有名なタレントらしいが、誰も見たことがない。演技は充分に上手かったし、演出も自然で、この種の作品に求められる技術は完全に満たしていたと思う。あまりに芸術表現にこだわり過ぎたり、安っぽくなったりする愚を犯していない。

仲間で旅をする物語の場合、普通は極端な個性の人間を集め、話を面白くしようとすると思う。この作品ではプレイボーイの人物、セックスレス夫婦が、その役目を果たしていた。もっと個性派を集める手もあったように思うが、やり過ぎると時間が長くなりすぎるし、適度なレベルだったかも知れない。

エピソード作りのために、互いに課題をこなすようにするルールも設けられていて、無理難題をこなすことで笑いが増える要素となっていた。これも成功していたと思う。ただ旅する物語では辛くなってしまう。自然な設定だった。

尊厳死と友情がテーマになった作品。尊厳死は日本ではまだ一般的ではないが、徐々に議論の方向性が変わっている印象もあり、今後は実行されることもありうると思う。難病、癌などを抱える人は、命を長らえることに意義が見いだしがたいこともある。ただ、勘違いによる早まった死を増やす可能性も高く、難しい。

劇中では何かの薬物を一本、注射していた。一本で苦しまずに永眠できる薬物とは何だろうか?KCLでは安らかにいくとは限らない。麻酔剤、筋弛緩剤でも、確実性に欠ける気がする。聞いていたのは、まず麻酔剤、麻薬、最後に毒物といった具合だったと思うのだが・・・・

いずれにせよ、家族に見ていてもらうのは、気が進まない。別室で待ってもらうのでは問題があるのだろうか?その場にいると、自分達が積極的に参加した、あるいは見殺しにしたという感覚を生むと思う。耐えきれずに泣き出すに違いない。外でじっと耐えていたという状況にしたほうが、あとあとの自責の念を軽くできないだろうか?

宗教観、死生観は人によっていろいろあると思うが、共通する部分も多いはず。劇中の友人達は大人しすぎた。本当にああやって友人を看取れるか、信じがたいと考える。家族や友人に死を見せるかどうかは宗教以前の問題で、おそらく見させない施設もあるのではないだろうか?

 

 

2017年7月 4日

君の膵臓を食べたい(書籍・2016)

- 双葉文庫 -

食人趣味を持つ主人公が闇を徘徊する物語・・・・のようなタイトル。でも、内容は純愛物語。高校生の主人公と、同級生の恋の話。タイトルは強烈な印象を残すから、印象づけとして最高の選択だった。

この作品は平成29年夏には映画化されて公開予定だ。まだ書籍しか読んでいない。映画の予告編を観たのだが、今のところは様子を見て、人気がありそうなら観てみようかと考えている。無駄に劇場で時間を使いたくないので。

もしかして、この作品は実写版ではなく、アニメにしたほうが魅力が出ないだろうかと感じた。若い俳優の演技力では、多数の観客を満足させるのは非常に難しい。俳優の図抜けた魅力と、素晴らしい演出があれば可能だろうが、滅多にないことでもある。アニメのほうが成功率は高いのではないか?

この作品は、会話に現れる感性が若い。著者の住野よる氏の年齢は分からないのだが、昔なら成り立たなかったような関係が自然に描かれていたから年配者ではないだろう。明治の文豪には無理そうな展開。昭和初期、戦後直ぐでも全く考えられない。今風の会話が文章化されている。

文章は、劇場主のようなテニオハがおかしい文ではなく、充分に拝読に耐えられる優れたものだった。でも、村上春樹氏ほどの完成度はないような印象で、使われていた会話の特徴もあってか、軽い恋愛小説の読み物に最適。逆に完成度が高すぎると、恋愛小説にはもったいないような印象を受け、違和感が生まれるかも知れない。

アイディアと流れが非常に良かった。文通のような互いの文章の行き来ではなく、一人のほうの日記が最後に涙を誘う展開は、日記の内容に注意が一気に集まるから、読者の感動を呼びやすい。一定の方向に読者を誘導しないと、最後の盛り上がり、善き読後感を得ることはできない。誘導に成功していた。

意外だったのは、その日記帳の最初のほうに、「膵臓を食べたい」という文章が書かれていたこと。ヒロインのほうに、そんな言葉が生まれていても不思議ではないのだが、せっかくの言葉だから最後まで使わず、主人公の頭に言葉が生まれる設定にしたほうが良かったと思う。そのほうが、言葉が惹き立つ。何か考えあって、ああしたのか?

クラスメートの関わり方にも、少し不自然な印象を受けた。年代によって、その人によって周囲の反響は違って当然だろうが、目立たない人間に恋の噂が出たら、チョッカイを出してくる連中は多いと思う。小柄で目立たない人間には、からかってやろうという感情が生まれるはずだ。からかい方が足りなかった。クラスの男子の反応は、もっと陰湿であるはずだ。

そこも描けていたら、作品のレベルは上がる。何かに耐える主人公には、共感が生まれてくる。からかわれ、陰湿な嫌がらせを受け、無視しても諦めずに付きまとわれるほうが自然だろう。この作品の主人公は悲劇を体験したが、もっとリアルな感情の動きがあるのが普通だ。

ちょっかい・・・自分自身も弱者にチョッカイを出していたし、悪童連中からやられてもいたので、その独特の意味合いには敏感だ。ちょっかいから発生した諍いが、本当の喧嘩になったり、陰湿なイジメと化して自殺を生むこともあるので、軽視するのは良くない。

先日、ある大学の研究がNHKで紹介されていたが、LINEでチャットをやっていた中学生グループが、いつの間にか険悪な言葉を応酬する関係になった事例が紹介されていた。応酬していく中で、自分の弱みを見せたくない感情がからんで、言葉をきつくする方向に走らせていたようだった。LINEに限らず、対人関係にはツッパリめいた強がりがついて回る傾向がある。そこを再現することもできたと思う。

 

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