映画評

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カテゴリー「き」の31件の記事

2020年11月10日

教育格差(2019)

Chikumashobo

- 松岡亮二著・ちくま新書 -

親の学歴、収入、住む地域によって教育の格差が再生産され、子供の未来が制限されている現状を分析した本。1000円の新書を購読したが、本の厚みはかなりすごく、もはや新書レベルではなかった。大学で使っている教科書なのではないかと思った。  

内容も完全に学術書。さまざまな統計から表やグラフを作り、それをそのまま載せている。正直言って、くどすぎるほどの強調のされ方なので、読みづらい。もう少し一般向けに整理したら、もっと読みやすい本になったのじゃないかと思う。 

しかし、内容は素晴らしい。曖昧な形で劇場主が感じていたことを、統計で証明している。劇場主に限らないだろう、この世には不公平、理不尽な差別や仕打ちがあふれており、能力を伸ばせないと感じている人は非常に多いはずだ。昔からそうだったのだろう。

江戸時代までの日本では、多くの人が才能を伸ばせないままだったと思う。チャンスは基本的には裕福な武士の家に限られていたはず。小作農の子供が、一気に幕府で中枢に立つことはありえなかった。だが明治以降は、大学に行く人間も出て来た。少しチャンスが広がったわけだ。

でも昭和の時代になっても、大学に行くためには無理をする家が多かった。「自分も行きたいが、家計を考えて就職を優先しよう」・・・そう考える学生は多かったと、同時代人として実感している。劇場主は国立大学に行けたが、幸運だっただけだ。

そして平成の後半からは、雇用の状況が厳しくなった。もし劇場主がパートの職についていたとすると、子供を私立大学に進学させることは全く想定できない。正社員で、しかも高給を得ていることが、子供を確実に大学に進ませる条件になる。それは間違いない。

そんな経済的な問題があることは確かだが、だからと言って大学を無償化することは、解決策にはならない。本にも書かれていたから、劇場主が思うだけじゃなく、一般的な考えなのだろう。無償化は維新の会などの政策として提言されているらしいが、見当外れだと思う。

たぶん、第一の策として、国立大学の独立法人化を止め、本来の国立に戻して学費を抑えることなどが、もっと意味のある政策なのではないか? それが、貧乏でも優秀な研究者の生活を守り、学術のレベルを維持する手になると思う。 

国立大学は、より狭き門になるだろう。でも、優秀な学生を最低限守ることが可能になるし、研究者として生きていける道を開いて、国の競争力を高める結果が期待できる。今は企業の予備校のような大学が多いので、研究が発展しにくい。 

学習競争に参加すらできない子供はどうしても出て来るが、全員の機会均等を達成するためには、子供全員を幼児の頃から一か所に集め、集団生活をさせるしかない。それでは情緒面での弊害が大きいだろうし、費用的にも無駄が多く、現実的ではない。完全な平等は、目指すものではない。

また、第二の策としては、遠隔授業などのネット学習を利用することで、学習の機会を安価に均一化することもできそうな気がする。その二つが、対策の大きな道筋ではないだろうか?

 

2020年9月14日

記憶にございません!

Hit-me-anyone-more-time

- 東宝 -

首相の黒田啓介は記憶喪失になる。秘書官たちの協力によって、なんとか仕事をこなそうとするが・・・DVDで鑑賞。三谷幸喜監督作品。この作品は舞台用ではなく、最初から映画用の企画だったらしい。

主演は中井貴一。威厳のない人物を上手く演じていて、無理を感じなかった。良いキャスティングだったと思う。可能ならば、元々の態度を表現する映像では、政治家が実際にやりそうな、定型文を繰り返して煙を巻こうとする答弁をして欲しかった。ただし、そうすると現実の政治家を連想させるから、クレームがつくと判断したのかも知れない。  

作品全体として、大人しいコメディという印象。爆笑するようなシーンはなかった。流行りの漫才、コントほどの強烈さはなく、古めかしさを感じた。ただし、喜劇映画の場合は、テレビのコントとは笑いの質が違って当然だと思う。激しいコントを、続けて2時間も観ることは考えにくい。

それに映画の場合は、真面目なシーンも必要だ。この作品で親子や夫婦の関係が破綻している姿を描くことは、ストーリーのために必要だったし、テンポのためにも必須だったと思う。時間的な構成のバランスは良かったはずだ。 

でも個人的には、もう少し爆笑が欲しかった。「あのシーンは傑作だった」と多くの人に感じてもらえるシーンが欲しい。何かが足りない印象。万事につけ、激しさが足りていなかった。お色気も不足していた。

主人公を誘惑する野党の党首は、もっとグラマーで色気全開のアバズレタイプのほうが良かったと思うし、主人公もパンツ姿くらいにはなって欲しかった。あるいは、相手は女性ではなく大柄のオカマタレントではだめだったろうか?

周囲の人間が主人公に絡み、とことん人格批判を繰り返しても良かったと思う。セリフも動作も昭和のサラリーマン映画のようなものが多く、あまり新しさを感じない。今風の登場人物がもっといても良かったと思う。

この作品は安倍政権が続く間に制作されたが、安倍総理をイメージする内容ではなかった。そんな内容だと批判を呼んでしまうと自粛したのかも知れないが、それが最も面白さを欠く原因だったかも知れない。露骨なくらいの皮肉があるほうが面白いはず。ただ、一般的な政治の醜さ、質の低さを感じるエピソードは描かれていた。  

官房長官だった菅氏は、映画と違って、総理を替えるほどの権力は持っていないと思う。安倍総理のほうこそ、頭一つ抜けた実力者という印象がある。ただ、安倍総理が独断で権勢をふるう印象は受けない。ちゃんと党幹部の了解をとって段取りを踏み、集団で意思決定をやっている印象を受ける。

実際には選挙の際の助力などで圧力をかけ、かなり強引な取引もやっているようだが、安倍総理自身がそれを指示しているようには見えないし、実態は分からない。参議院広島選挙区のように、対立候補を持って来ると言われたら、たいていの政治家たちは官邸の意向に従うと思う。

政治家が自分の信念で動けるためには、相当な実力がないといけない。そのために、権力=主流派を奪い取ろうとする争いが必ず起こるし、多くの妥協の結果、信念を失ってしまうのも、誰だってあることだろう。質の低い権力闘争は、国家にとっては不毛な争いだ。

でも、選挙制度や政党政治の仕組みを変えるには、気が遠くなるような作業を要するから、現実には改善できないと思う。国民の多くが首相を尊敬し、子供が総理を目指すような国になることは、非常に難しい。  

可能性に過ぎないが、今回の新型コロナウイルスの流行は、政界の問題点を考える人を増やすきっかけになったかも知れない。政権内部の人間の愚かさが明確になってしまったので、さすがに自分たちの選択の間違いに気づいたはずだ。

飲食業や観光業に従事する人達の中には、政権に恨みを持った人もいるだろう。政治家と役人のすべてが大バカ者に思えたろう。質の高い行政府を作る必要性に目覚めたかも知れない。

ただ、そうでない人も多い。自分の家族や仕事に直接の影響がなければ、新しい政治を求めたりはしないのも、自然なことだ。直接害を受けた人間が首相を代えたいと思っても、同じ感覚になれない人には分からない。だから、根本的な変革には思い至らないだろう。

 

 

 

2020年9月 6日

キャッツ(2019)

Cats

- Universal -

ロイド=ウェーバーのミュージカルの実写映画化作品。監督はトム・フーパ―。DVDで鑑賞。歌手のテイラー・スウィフトやジェニファー・ハドソン、ジェイソン・デルーロなどが出演していた。

主人公は捨てネコ役のフランチェスカ・ヘイワード嬢で、本物のプリンシパルらしい。バレエの踊りが美しく、猫のような動作、ヒロインにふさわしい表情も素晴らしかった。彼女のキャラクターが問題になる。個性がはっきりしていなかった。

子猫役だから、イタズラ好き、甘えん坊など、観客が彼女に好意を抱くような性格は欲しい。踊りはもっと下手でも良いから、可愛らしいコメディエンヌがヒロインを演じると良かった。彼女が何を経てどう成長するかも、共感を得るためには必須だったはずだ。 

ずいぶん前に、舞台を映画化した作品を観たことがある。役者が汚そうな着ぐるみを着て演技する記録映画ふうの作品だった。技術的には、今回の作品のほうが数段優れている。

この作品のCGの技法は徹底している。あらかじめ着ぐるみを着て演技するのではなく、撮影の段階ではモーションキャプチャー用のタイツを着ており、後でCG処理によって耳や尻尾、毛並みまで追加して描くという方法のようだ。尻尾や耳の動きに無理がない。そのために失敗もあったらしく、腕時計をはめたままの画像が残ってしまい、公開後に修正したらしい。

着ぐるみを必要としないためか、ダンサーたちの動きが制限されなかったようで、踊りに関しては非常に高いレベルを感じた。主にバレエの動きで優雅に踊り、途中ではヒップポップ系や、タップダンスも交え、退屈させないようにバラエティ豊かにする工夫を感じた。

ただし、映画でバレエを観たい人がどれだけいるかは疑問。それに、目で追えないほどの踊りは、観ていて疲れる。踊りの動作の早さ、カメラワークに注意が必要だった。

ダンサーの全体的な配置や、演出の計画性に関しても疑問を感じた。人間の目の性能を考えると、プリンシパルが踊る時は彼女の動きに目が行くものであり、それと同時に他のダンサーが目立つ動きをされても困る。「あれ? 他のダンサーに焦点が移ったのか?彼を観よう。」と思ってた所で、またプリンシパルが何か大事な動きをすると、どこを見て良いのか分からなくなる。観客の目の動きを考え、どこかが動くときは他のダンサーは止まるくらいのメリハリが必要だ。そこの管理ができていなかった。 

歌に関しては、本職のテイラー・スウィフトのシーンは完成されていた。彼女は自分のMVでも似たようなことをしているから、踊りに関してもサマになっていた。ただし、この役はもう少し色気を強調するタレントのほうが向いていたかもしれない。

また、ジェニファー・ハドソン嬢は、せっかくの声質が生きていないように思えた。「メモリー」は古いタイプの曲だ。クラシック系の歌手に向く曲調であり、ハドソン嬢に向くのは、もっとソウルフルな曲だと思う。ミスキャストだったのではないだろうか? 

ジュディ・デンチにいたっては声が聞き取れなかった。音響に関して問題があったかもしれない。生の声を生かす手法は、同じ監督の「レ・ミゼラブル」でも使われていたが、まったく感心できない。明瞭に聴こえないと話にならない。

この作品は興行的には大コケだったらしい。一億ドルの赤字を出したというから、もはや想像を絶する金額だ。巨大セットに金をかけすぎたのだろうか? 技術面に野心を感じるから残念だ。 既に舞台で大勢の人がキャッツを観ているから、ストーリーで客を呼ぶことはできない。音響や表現の面で問題もあり、当然の結果かもしれない。アニメにすると良かっただろう。

ただし、セットは豪華で、踊りに関しては素晴らしい。踊りだけなら、何度でも鑑賞したい。

 

 

2020年5月29日

鬼滅の刃(2019)

Aniplex

- Aniplex Inc. テレビアニメ・1~2話 -

大正時代の日本を舞台に、鬼への復讐、妹を救おうとする主人公らの活躍を描いた作品。TVアニメ版の1~2話がDVD化されていたので鑑賞。 

「鬼滅の刃」のオリジナル漫画は、2020年の5月号をもっていったん終了することが決まったらしい。原作の作者は女性漫画家だそうだ。この作品以外にはまだ大きな作品は書いておらず、もともとのデビューの時に書いた漫画の構想を、そのまま拡大したのが本作らしい。

少女漫画の香りのようなものは、アニメでも感じられた。高橋留美子の画風に近いものをすこし感じる。ストーリーは「犬夜叉」より「どろろ」のほうに近いかも知れない。アニメのどろろは、鬼とは違う妖怪タイプの怪物たちと戦う物語だった。物語の中に政治色、社会の不条理に注目させる深みがあり、独特の奥行きのある物語だった。怪物のおどろおどろしさは、今作と似ている。

「どろろ」は優れた作品だったと思うが、設定が難しかったようだ。学生運動が残っていた時代。社会悪、階級対立、戦争などの問題点をえぐる路線では、どうしても話が暗くなる。子供からの支持率を維持したいなら、活劇部分を強化しないといけない。でも、そうすると御子様マンガに成り下がる。どろろの時代に、それはできなかったかもしれない。

この作品は時代と舞台の設定が素晴らしい。この物語が仮に現代を舞台にしていたら、怪しい雰囲気は出にくいと思う。未来でもそうだ。宇宙人や超能力者との戦いなら近未来は都合が良いが、鬼との戦いでは基本として古いほうが良い。

いっぽうで江戸時代以前だと、これまたテレビの時代劇などをイメージしてしまい、年寄りが楽しむ話のような陳腐さにつながる。ロマンあふれる時代が良い。たぶん明治時代でも良かったのかも知れないが、大正時代に設定したのは正解だった。

この時代設定によって、セリフが古めかしくなり、なにか高尚そうな雰囲気を出すことが可能になったと思う。叙事詩のような壮大な雰囲気を出すためには、演劇で使われるような文語調のセリフは効果的だと感じる。いっぽうで古すぎると、チャンバラの陳腐さにつながるので、明治か大正しか考えられない。  

漫画を見ていないので、この話の後がどうなっているのか知らないが、巨大な鬼、超絶能力を持つ鬼たちが次々登場してくるのだろうか? アニメの「ワンピース」は、巨大で怪奇な能力を持つ連中を、仲間と一緒に退治して旅をする物語で、冒険する場所も奇想天外、敵も怖いやつからおかしいやつ、いろいろな設定ができる。

この鬼滅の刃の場合は、設定に限界があるのではないだろうか? 外国に出る展開は考えにくいし、日本の風土とかけ離れた舞台は設定に合わない。基本は夜間にしか戦えない。刀などが通用する相手でないといけない。物語を延々と続けることは、作者にも負担が大きかったのではないかと思う。

この2話の後は、主人公が修業を積んで強くなる設定だろうと思うが、剣劇だけではよほど上手く表現しないと、凄さを感じてもらうのは難しい。どんな話がつながっているのか、どうやって人気を維持できたのか分からない。

でも、マンガを買うつもりはない。劇場主もそろそろ還暦が近い。マンガを買っても何度も見なおす時間はないし、買えば人からバカにされるし、置き場所に困るし、購入は考えられない。せいぜいDVDの第二巻を借りるかどうかだが、他に何も借りるものがないなら借りるくらいで良いと思う。

 

2020年2月10日

記者たち 衝撃と畏怖の真実(2017)

Shock-and-awe

- 監督ロブ・ライナー -

2002年、イラクを攻撃しようとする政権に対し、疑問をもって報道した報道機関の面々を描いた作品。DVDで鑑賞。 

記者たちが政権や他の新聞社と違う視点で戦う忙しい日々の中で、家族や恋人との生活を楽しんでいる様子も描かれている。日本の記者のほうが激しく働いているのではないかと思えた。 日本の新聞社は、彼らに比べたらショボい。画期的な報道をすることは滅多にないと思う。何か組織的に機能できていない面があるのかもしれない。権力者たちから抑えつけられて、実力を発揮できずに週刊誌などに人材が流れているのかと疑う。

また、IT技術全盛の今日でも、記者たちがメモを大事に使っている様子も分かる。メモは大事だと思う。頭の整理には、パソコンやスマホでは性能的に限界がある。メモのほうが早く、便利だと思う。理由は分からないが、パソコンやスマホの画面は忘れやすいし、動作の過程で無駄が多い。

主人公らの会社は、他の新聞社と意見が食い違うことになったが、ひるまなかった姿勢に敬意を表したい。国民のほとんどが好戦的になっている中で、正しさを追求し、揺るがないというのは難しいことだ。読者が離れたらどうするかと考えると、自分達の首をかけての判断が必要だったろう。

クビになってもいいさと思える環境が必要である。官僚たちのように、失敗したら出世がなくなるような単純な組織では、記者の行動をしばってしまい、権力者の横暴を放置することになり、やがては社会全体の利益を損なう。記者にも社会人としての義務は必要だが、行動、判断の自由が必要だ。権力者たちから報道機関が守られる規定が必要だ。 

この作品の描き方には問題があった。激しい攻撃にさらされ、強いプレッシャーを受けていた様子がもっと描かれると良かったと思う。そしてラスト近くで立場が逆転し、正しさが証明されて再評価される、そんな単純明解な演出も欲しかった。勝利を描いていなかったので、盛り上がりに欠けていたと思う。  

イラク戦争をめぐる政府の陰謀を描いた作品は複数ある。「華氏911」「バイス」もそうだった。民主党支持の映画人が、次の大統領選挙の事を考えて制作しているのかも知れない。当時の政権内で力のあったラムズフェルド、チェイニー氏らが、なんらかの意図をもって情報を操作し、イラクに対する国民の敵意を煽り、戦争に誘導したらしいと、今日では考えられている。でも、議会や最高裁で共和党の勢力が衰えない限り、違法判断が下されることはないだろう。

イラクに対しては9.11テロより前から、危険視する意識は明らかにあった。イラク側も、国連の査察を拒否したりして、怪しい面はあった。米国側はイラクの権益が欲しかったのだろうと疑われるが、真剣に考え、純粋に間違ってイラク攻撃を決めたのかもしれない。米国は情報管理や演出が上手いので、真相が分からない。  

おそらく、政府の内部にいる人達は、情報をどのように処理し、自分の立場を弱めることなく役立てようと、日々頭を使っているものと思う。情報を占有する立場になった時に自分の都合を優先し、国家の利益に反するということは本来なら許されないが、それが曖昧な場合はあると思う。「この情報は握りつぶしたほうが国家のためになるのでは?」そんな情報も来るかもしれない。 

たとえば劇場主が、ある患者が癌かもしれないと気づいた時、すぐに患者に言うことはできない。患者や家族の心情を考え、相手がどのような心理状態になるか把握し、家族の理解と支持を得てから告知したい。でも、患者の情報をいち早く本人に伝えないのは、患者の権利を侵害したことになると思う。人の権利と、告知した場合の反応、結果を総合的に考え、自分勝手な判断にならないように、個々の状況に応じてやるべきことを成し遂げる必要がある。完璧な対応は難しいだろうが、権利の侵害を後で訴えられたりしないように、できればしたいものだ。 

国家の情報の場合は、より状況が複雑だろう。利害関係者も多く、影響は大勢の人間の命や資産に関わって来る。犯罪スレスレ、あるいは営利目的でしか考えられない、そんな判断があったのかもしれない。そこを明確にして処罰できる仕組みが必要だろう。日本政府も記録を破棄して情報を操作しており、酷い状態だと言えるが、米国も酷いようだ。

でも、結局のところ、ブッシュ政権で逮捕者は出ていないはずだ。証拠が揃わなかったのではないだろうか?上手に証拠を消したのか?あるいは議会での力関係で聴聞をすり抜けたのか?

 

 

 

2019年11月22日

危機と人類(2019)

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- ジャレド・ダイアモンド著 日本経済新聞出版社 -

フィンランド、明治維新時代の日本、クーデター時期のチリ、インドネシアやアメリカなどを題材に、国家の危機に際しての対応の仕方を論じた本。映画にはならない内容だが、テレビの特集番組の材料にはなりそうだ。 

日本人にとっては特に明治維新が大きく扱われている点で、分かりやすいと思う。そもそもの語り口も非常に工夫されていて、個々人が人生で体験する危機をまず述べ、それと同じような視点で国家としての対応を考える内容になっている。

フィンランドという国の立場は、劇場主も今まで大きく勘違いしていた。共産主義に勢いがあった頃は、ソ連の支配下にあって、何も主張できない国、形だけの独立を維持している小国というイメージを持っていた。日本も米国の支配下にあるので似たようなものだが、情報が少なかったこともあり、より支配度が強く、意見さえ言えない国だろうと感じていた。ソ連崩壊後はどうなっているのだろうか? あまり評判を聞かなかったが・・・・

いやはや、とんでもない勘違いだった。独立を維持し続けた、偉大なる国家だったと言えるようだ。生き残りに失敗した国も多かったのだから、フィンランドの生き延び策は称賛に値する。長期にわたって難しい対応を迫られ、それを切り抜けていたことに、あらためて感じ入った。

でも、フィンランドの位置がもっとドイツよりだったとしたら、おそらく策の如何に関わらず、エストニアやポーランド等と同じ運命になったと思う。ドイツとソ連の間の戦いに巻き込まれて、いかに素晴らしい政策を繰り出そうとも、覇権争いの場になったはずだ。少し位置が違っていたことが、生き残れた最大の理由ではないかと思う。ソ連にとって価値が低かったから攻撃の優先順位が下がり、攻める対象にならなかったのだろう。

それでも、抵抗することに成功し、綱渡りのような対応で独立を維持できた点は、本当に素晴らしい。 現代の日本も、見ようによってはそうかもしれない。無条件降伏という危機を乗り越え、米国の強い力の下にはあるものの、経済的に安定していて、戦闘がなくて安全な状態が長く続いている。

もし共産主義勢力の側に一時的にでも入っていたら、ソ連と米国の間の代理戦争の舞台になっていたかもしれない。そんな怖ろしい対応をとらなかったことが、結果的に幸いだった。右翼や政界、財界の先達に感謝しないといけない。 

今後は中国やロシアとの対応が問題になるだろうが、切り抜ける方法がないとは思えない。原則に従い、臨機応変に対応すべきだろう。かっての軍部のような過ちは、もう犯してはならない。 

インドネシアの例は、日本とも関りが深いから、興味がある。インドネシアへの日本軍の進出は、独立の機運をたかめる要因にはなったはず。スカルノの時代が長く続いたら、日本との関係もより深まっていただろう。人材育成などで協力ができて、今頃は中国に迫る巨大市場として、日本の経済にも良い相手になっていたかも知れない。でも、それが遅れたとはいえ、これからも発展しそうな国なので、単に交流のスピードが違っただけとも言える。

この作品の後編には、今の日本がかかえる問題点も述べられている。人口問題は、やはり負の要因と書かれている。普通に考えればそうだ。これだけ明らかな問題なのに、対処が先送りになり、しかも選挙で争点にならないのが非常に不思議だが、政党の能力不足、政治家や役人たちの意識の低さ、国民が国への信頼を失っていることなどが、問題解決の足を引っ張っているように思う。

11月17日のニュースで報道されていたが、アンケートで「政府を信頼する」と答えた人の割合は3割程度だったようだ。これは各種の統計で、およそ一致している。信頼されていなくても、とりあえず革命が起こる気配はないし、法律が無視されることも少ないから、国民の気質やモラルは大したものだと思う。

でも、信頼は大事だ。政府が利権や名誉など、自分たちの利益を度外視して、国民のために働いてくれているという姿を見せないと、見放されて何も対処しないという状況が続くだろう。真面目で優秀な人間が、選挙や人事で排除されていることを感じるようでは、大失敗が待つと予想される。問題点を認識し、分析し、優先順位をつけ対応する、その原則から外れている。

 

2019年8月 6日

騎士団長殺し(2017)

Killing-commendatore

- 村上春樹著・ 新潮文庫 -

肖像画家が体験する別居、東北旅行、有名画家の作品の発見、風変わりな富豪や少女との交流、そして非科学的な経験を描いた作品。初版本は2017年に発売されていた。劇場主は2019年版の文庫本を購読した。 文庫本にしたのは、1Q84で失敗しちゃったような感覚があったからだ。あれは文庫本のほうが良かったかな?と、貧乏性の劇場主は思った。

失敗したと感じたとしても、村上春樹の本は、文章だけでも充分に価値のある美しさを持つ。そこらの小説の文章とは、レベルの違いのようなものを感じる。何が違うのかはよく分からないが、言葉の選択、てにおはの使い方など、基本部分がしっかりした印象を感じる。そして今作だと、主人公が何かのセリフをはいて、そう話した場合に相手が当然感じるであろう、普通の感覚で起こりそうな疑問点を次のセリフで的確に話させているし、文章でも解説している。それは、そのまま読者側からの分かりやすさ、共感のしやすさにつながっているはず。ストーリー書きにのめり込んで、普通と感覚が離れてしまっては、文章は理解しがたく読み辛いものになる。客観的に書けているから、美しいと感じられるのかもしれない。  

この本は、ぜひとも映画化して欲しいと思う。アニメが良いかも知れない。下手な俳優に演技させるより、表現力に長けたアニメ制作者に任せたほうが良い。いつできるか、待ち遠しい。先に当劇場で批評だけしておきたい。  

作品のテーマはよく分からない。簡単に分かるのが良いのか悪いのか、人によって考え方は違うだろう。分かりにくいことだけで駄作と感じるかも知れないし、比喩表現をしすぎたために、本来のテーマから外れたんじゃないか?という感想を持たれることも考えられるから、今作の描き方の是非は意見が分かれるところと思う。  

主人公が東北を旅する時期があり、ラストのほうで震災の映像に驚愕する場面がある。東日本震災は、この本の題材の一つに違いない。それが、どの程度の比重を占めているかは分からない。どっぷり東北を舞台にして描けば、分かりやすい作品にはなるが、底の浅い描き方になる。怪奇現象ばかりを描けば、それはもう方向性の異なる安物小説になる。さりげない扱いだが、実は作品のメインテーマは震災に対する日本人の対応なのかもしれない。

現地で被災するのではなく、報道で災害を他覚的に知った人間は、主人公のように感じるものと思う。古い虐殺事件などの悲劇に対しても、主人公のように反応する人が多いのではないか? 事実は受け入れ、日々の務めを果たす。そういう生き方を、この本で提案しているとも受け取れる。日本人には戦前の行為という原罪がある。過去の事を深く考えて、暗闇でもがいてきた作者の今の生き方が、この本の基底にあるテーマなのかも知れない。そこに至るまでの感覚の変化を文学的に表現したい場合、奇妙な物語も必要になったのではないか?  

本を読み終わっても、明確に分からないことは多かった。
①騎士団長はなぜ死ぬ必要があったのだろうか? 単に次のメタファーの登場の引き鉄に過ぎないのか? 要するに物語の終幕に向かわせるための必然なのか? 
②騎士団長やドン・ジョバンニが意味するものは、結局なんだろうか?何の象徴だろうか?  
③ナチス時代の事件が、この作品で占めるウェイト。戦時中の事は曖昧なままにならざるを得ない。南京事件もそうだが、実態が分からないし、今の世代に責任を問われても無理がある。歴史認識を責められても、困惑するしかない。良心の呵責に苦しみ、正義と自由を求めた日本人だっていたはずである。そこらを表現しているのだろうか? 

他にも多くの事が分からない。解釈はいろいろと考えられるが、分からないままでも、ストーリーの続きを知りたくて読んでしまったのだから、たぶん分かる必要はなく、怪しげで意味不明のままでよかったのだろう。何でも分かったら報告書みたいになってしまい、もはや文学じゃないとも思える。

 

2018年8月10日

キッド(2000)

Dizneys_the_kid

Buena Vista(Dizney)-          


コンサルタントで高収入を得る主人公は、ある日、見知らぬ少年が屋敷に侵入していることに気づく。その少年は、30年前の彼自身だった・・・7月29日、衛星放送で鑑賞。    

 

この作品はビデオ屋さんの棚で何度も観たことがあって、あらすじは知っていた。しかし、特に評価の高い作品ではなかったっはずなので、借りようと思わないままだった。今回は台風の影響でビデオを借りにくくて、我慢してテレビ鑑賞した次第。しかし、まったくの駄作ではなく、そこそこ面白いし、心温まる作品だった。    

 

主演のブルース・ウイリスは、この作品の頃は既に大スターで、45歳くらい。役柄と比べたら、少し齢を取り過ぎていたように感じたし、実際にもそうだったわけだ。彼の出演ならヒットが見込まれると考えて作られた企画のように思う。無名の俳優でヒットが狙えるほどの斬新な作品のようには思えない。どこかで聞いたような話に過ぎないと感じる。それでも結果的に嫌らしい感覚は覚えなかったから、演出が適度に抑制されていて、好印象を確保するように作られていたのかもしれない。     

 

この作品でも、やはりブルース・ウィリスの演技はオーバーだった。目を細める表情は、彼がタフガイを演じて敵を挑発する時には有効かも知れないが、この作品には似つかわしくないように感じた。女性と会話する際に、あんな表情はマズいのではないか?それとも、欧米の女性はあんな表情が好きなのだろうか? 劇場主は、その方面を分析できない。とにかく、この作品に限っては、あの表情は似つかわしくなかったと思う。          

 

共演者のうち、秘書役は良い味を出していた。有能で、しかもプライドを持って仕事してくれていること、主人公に対するクールな対処の仕方などが良い味につながっていたと思う。これに対してヒロイン役に相当する女優さんは、少し表情にこだわり過ぎていたような気がした。ごく普通の感覚の持ち主という設定でも良かったように思う。この作品は主役のトラウマや、妙な生き方を描くことが大事で、ヒロインまでおかしな人物である必要はない。彼女の迷いや焦りは演出されるべきだが、性格に関してはまったくのノーマル、良心的な人物であったほうが良いと思う。     

 

還暦が近づいてきて、劇場主も自分の人生について反省することが増えた。真面目に働いてきたとは思うが、巨大な財産を築けたわけじゃない。大成功の人生だったとは感じない。子供ができたことは嬉しいが、子育てに奮闘した割には、順調に育っていないと感じる。家内は勝手な生き方をして、家族は傷ついている。それを改めさせることは現実的には無理だろう。諦観を持って、ズルズル生きている現状である。  

違う生き方があったのかもしれないと、よく考える。でも、ドラスティックなことを今後やろうとは思わない。飛行機を操縦するなんて、意義を全く感じない。 主人公とは望みが違うようだ。 勇気も足りないのだろう。  

 

 

 

 

2018年8月 7日

嫌われる勇気(2013)

- ダイヤモンド社  -       

 

アドラーの理論を解説した本。学者の岸見一郎氏と、彼によって触発された物書きである古賀史健氏の両氏が協力して作った対談形式の内容。  対談形式にした点に、優れた構想力を感じる。ただ解説してても、哲学的な内容だけなら読んで眠くなるだけだ。対決の形を設けたことで、読者が二人の議論に興味を持てるようになっていた。   

 

この本を買おうと考えたのは、横積みにされていて「ベストセラー」という宣伝文句があったからだ。 ベストセラーなら、きっと良い本だろうという浅い考えによって買わされてしまったわけだが、この本は構成が良かったこともあり、損した気分にはならなかった。  

 

読んでいて感じたのは、劇場主はまるで本の内容そのままに生きているんじゃないかという感覚である。半分は自慢なのだが、もし本当にアドラーが言うような生き方をしているとすると、自尊心は満足できても、喜んで良いかは分からない。理想を体現しているとなれば、そりゃあ周囲の人間からは嫌われても仕方ない。こちらは嫌われる勇気なんてないのに、自然に嫌われてしまう。そういえば、あんまり自分が人から好かれている気がしないねえ、なんでかな?と思っていたが、アドラー的な生き方が原因だったのかと、驚き呆れた次第である。       

 

でも劇場主はアドラーの本を読んだことがない。自然と似たような生き方になっちまったのだろうか?まさか劇場主が自然発生的な哲学の巨人ではないだろう。おそらく、こんな考え方は昔からあったのだ。中国の賢人だったか?似たようなことを述べた人がいたような気がする。

 

劇場主が個人事業主になったのは、大きな企業や役所など、人間関係が濃厚な職場で消耗したくないという理由があった。上昇志向の強い人間と接している時、人には数種類の感情が起こるように思う。競争に負けたくないという対抗心が浮かぶ場合、共感して意見に従う場合、覇気によって従属したいと感じる場合、そいつの過剰な負けん気に嫌悪感を覚える場合、ただ怖れ逃げる場合など、様々なパターンがあるはずだ。  

 

劇場主はいつのころからか、出世競争は無駄なことと考えるようになった。競争に負けたからだろうか? 仲間と一体になった競争なら意味があると感じる。社員が団結して新商品を開発し、ライバル企業に勝つための競争なら熱中できそうだ。協調に満足できる。でも社内でライバルの足を引っ張っても、満足できるはずはない。そんな競争は阿呆らしい。肝心の開発競争をおろそかにする人間が周りに多いと、もう会社への所属意識も保てない。

 

社内競争を組織の原理とされたら敵わない。 人事で人を動かす組織にいたら、幸せを実感するのは難しいだろう。もし社内競争に勝ち続けられたら満足できるだろうが、大半は憤懣を抱えないといけないことに当然なる。そんな組織が多いんだが、競争に勝った人間が方針を立てるなら、当然そうなるだろう。本来の業務よりも、不幸せを作るための会社になりかねない。  

 

それよりも、ささやかであっても自分の行為が誰かに良い結果をもたらし、ちょっとでも感謝されたら、そっちのほうがずっと気分が良い、充実した気分になれそうだと期待する。出世できなくて、そう考えざるを得なかっただけかも知れないが、実際にかなり満足できてもいるから、それなりに良い選択をしてきたと思える。大儲けはできないが、充実はできるということを重視した点で、まさにアドラーの勧める生き方に近い。 

 

既に本の内容を実現しているなら、この本を買う必要はなかったかも知れない。ということは、やはり買って損したのか? ちょっとぐらい損したかも知れないが、そんなにケチケチしてはいけない。ケチ臭いと、また人に嫌われるから。  

 

 

 

 

2018年6月30日

キングズマン:ゴールデンサークル(2017 )

Kingsman

 Fox -


イギリスで仕立て屋の姿を借りる、私設の情報機関の物語の第二作。今回は前作で殺されたはずの上司が、思わぬ場所で生きていたこと、アメリカの諜報機関や、麻薬組織とのやりとりが展開する。DVDで鑑賞。   


このシリーズは、知る限り熊本市では劇場公開されていなかったはずだが、大都市でなら興行的にも成功するかも知れないと思う。実に痛快な作品だ。     


前作も意外なほど面白い作品だった。原作はコミック本らしい。原作のアイディアがよほど優れていないと、そもそも映画化しようという話は持ち上がらないだろう。いまどきスパイもので大ヒットするなんて、ちょっと考えにくいはずなんだが、この作品は第一作、第二作とも実に上手くできていて、古さを感じさせない。作り方が上手いと感心する。 原作も優れたアイディアを有し、製作者たちも優れたセンスを持ち、ソツのない作り方をしているに違いない。    


独特の個性や意外性を出さないと、この手の作品はすぐ飽きられるだろう。もはや007だって、昔のままではやっていけない時代であるから、他のアクション映画とは違う、独特の魅力を出さないといけない。派手なカンフーアクションだけでは、おそらくジェイソン・ステイサムの映画に敵わない。殴り合いのリアルな迫力では、おそらく「アトミック・ブロンド」のようなアクション専門の監督が撮った作品には敵わない。 気取った紳士的所作とユーモア、個性的な敵の活躍、リアルじゃないけど道具を上手く使う独特の戦い方、それらが新しい魅力を生んでいると思う。 


さすがに十作以上も続編が続くとは思えないが、当面は今の路線で行けそうな気がする。 ただし、子供たちに受ける作風ではないような気もする。もっとユーモアたっぷり、失敗を繰り返すドタバタ劇にしない限り、家族がいっしょに楽しめる感じはしない。残虐なシーンもある。このままではジリ貧も免れないのではないか?   


有名俳優たちがいろいろ登場していた。 資金が豊富なのか、ヒットに自信があったのか、主役でないにも関わらず、ハル・ベリーやチャニング・テイタムなどが楽しそうに役を演じていて驚いた。次回作では彼らが仲間となって活躍する、そんな契約を結んでいるのかも知れない。そうなるかどうかは、原作漫画を読んでいないから分からないのだが、そんな気配を感じる。 そうだとすると、その点は少し安易すぎるかも知れない。   


 



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