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カテゴリー「お」の60件の記事

2019年6月23日

お金の流れで読む 日本と世界(2019)

Php

- Jim Rogers -

著名な投資家であるらしいジム・ロジャース氏の著書。お金に目がない劇場主は、迷うことなく、目にした瞬間に買うと判断してしまった。この本を読んで金持ちになれるか?・・・たぶん無理だろう。

ジム・ロジャース氏のことは知らなかった。ジョージ・ソロスは有名だが、その仲間らしい。彼は地政学、人口統計や各国の経済統計、政治的な状態などを広く網羅して分析し、過去に華々しい成功をおさめてきたそうだ。学者だった時期もあるという。普通の株屋ではできない、かなり学問的な下地を基にした一流の経済人だろう。だが、どこまで信じて良いかは、また別物と思う。ロジャース氏はけして自分の著書を利用しようと考えていない、他の人間を扇動し、さらなる利益を目指していない・・・・いや、そうは考えにくい。何かの意図が隠れていても不思議ではない。疑ってかかるべきだと思う。

朝鮮半島の今後は有望だと氏は言う。確かに、もし平和裏に統一が完了し、何も軍事衝突が起こらず、建物や人間に被害が及ばなかっから、新しい市場が生まれて、大きな発展が望まれる。でも、そのためには綱渡りのような政権移行が必要になる。現在の北側の指導者たちは、利権をすんなり渡すだろうか? 何かで譲歩したら、民衆が一気に隆起し、殺し合いが起こると考えるほうが自然だ。今の支配層を、民衆が許してくれるだろうか? もし内戦に突入したら、中国政府はどう考えるだろうか? 米国寄りの政権に統一されることは避けたいだろうが、どの程度避けたいのか、そこが問題になる。底なしに恐ろしい戦争になるかもしれない。そうなったら、発展どころではなく、破壊と衰退が待つはずだ。 

普通に考えるなら、アフリカ諸国や東南アジア、インドなどのほうに投資の意味がありそうだ。明らかに経済発展しそうだし、朝鮮半島よりも資源があるのだから、その意味でも安定した投資先になるはず。それが常識なので、あえて氏が強調しないだけか、朝鮮半島に金の亡者を引きずり込んで破産させようとしているのか、そのへんの狙いはよく分からない。

日本の未来についてはかなり悲観的に書かれていた。現政権を含め、戦後の政権がやってきたことは大体において見当外れであり、長期の展望に欠けていたと劇場主は思う。鼻息の洗い成功者たちの言動を見聞きして、子供の頃の劇場主は不安を感じていた。大人は何か勘違いしている気がする、衰退が待っているような嫌な予感が漂う、そんな漠然とした感覚。それは皆が短期の成功体験に酔ってしまい、戦略を間違えたことを意味していたのではないか。この本は、その点を端的に指摘していた。でも、昨今は人口問題や財政問題が気になる人も増えている。どこかで政策が変わるかも知れない。そうすれば、国家の生き残りも可能なはずだ。

深刻になりすぎる必要はない。人口を増やすか、増えないまでも減少のスピードを落とせば展開は開ける。移民に頼り過ぎると、将来に遺恨を残すので、出産した夫婦に祝い金をはずむなどして、国家の意志を示すべきだ。若い夫婦への祝い金は投資に他ならない。必ず還元される金だと思う。保育園の整備や大学の無償化だけに予算を使っても、問題の解決にはならない。建設費などに流れて、効率の悪い投資になるだけだ。整備は必要だが、根本は子供を増やすこと、それが重要な投資先であることは明らかである。

 

 

 

 

 

 

2019年2月 1日

オペラハット(1935)

Mrdeeds_goes_to_town

Columbia -    


フランク・キャプラ監督作品。主演はゲイリー・クーパーとジーン・アーサーの大スター同士。古いタイプのシステムに則った映画だと思うが、健全な精神を感じる。善き時代の映画だから、とにかく後味は素晴らしく良い。    

 

ユーモアあふれるシーンが多い。主人公が無邪気な人だから、行動が子供っぽく、それだけで笑いの要素になる。階段を降りる時に、いちいち手すりを滑りながら降りる、屋敷に響くエコーをスタッフと共に楽しむなど、子供ならやりたそうな行動が見ていて面白い。   

 

ラストの裁判のシーンでは、前半は主人公が追い詰められ、観客のストレスがたまるようになっている。後半は一転して、皆のクセを指摘したり、でっち上げを暴露したりの逆転を狙うのだが、ここに敵意ではなく、ユーモアを持ち込んでいたことが効果的だった。もし、あのシーンで弁舌の流暢さ、論理的な緻密さで勝負していたら、ただの弁護人と変わりなくなってしまう。ユーモアが大事だ。   

 

共演者たちの中で、主人公の敵になる法律事務所の人々は、日本の時代劇の敵役のような典型的な演出ぶりだった。ボスを中心に小心者が集まる嫌らしい集団で、あまりに見慣れた連中なので、少々演出過剰でわざとらしい印象を受けてしまったが、オリジナルのほうはキャプラ版であり、それを真似た時代劇を劇場主のほうが見過ぎただけなのかもしれない。     

 

ジーン・アーサーが登場する時の仕草も、典型的すぎて少しイヤミがある。気取って何かを振り回すクセは、ワルガキがよく真似していた気がする仕草で、心がすさんでいることを表現する手段のようだが、今日の感覚では演出過剰だろう。   

 

ユーモアあふれる弁舌は、一流の人間がやらないと妙なことになる。自民党が劣勢だったころ、福田、麻生の両元総理が笑顔を見せながら話をしようとすることが何度かあったが、明らかに心が乱れていることが明白だった。無理して笑顔を作るのは良くない。自信があれば笑顔で、そうでない場合は身の程をわきまえて、知らないことは知らない、思うことは思う、真摯な態度をとるべきだ。本当は、あのまま引退したほうが潔かったのだろうが、安倍総理の復活によって自民党の立場が強くなった現在は、また麻生氏にも自信ある態度が見られるようになった。劣勢の時はコソコソし、誰かのおかげで優勢になると強気に出るような人間は、外敵からすると扱いやすいだろう。   

 

 

 

2019年1月16日

女は二度決断する(2017)

Aus_dem_nichts

Warner,Bombero Intern.etc -        

ダイアン・クルーガー主演のドラマ。DVDで鑑賞。    

カンヌ映画祭では主演女優賞を取ったらしい。確かに、その価値がある演技だった。家族を殺されたらしいと予感を感じた場面、それが確実と分かった時点の演技、そして麻薬に頼りながら耐えて行こうとする過程、そしてラスト近くの逡巡。いずれのシーンでも素晴らしい演技を見せていた。  

 

ダイアン・クルーガーは本来はモデルで、演技派という印象は今までなかった。キャリアを積む中で、演技力を磨き、年齢による変化や良い脚本、良いスタッフなどに恵まれた幸運が、この作品での名演技につながったのだろう。本当に素晴らしかった。     

 

敵役も良かった。特に法廷での敵になる被告の弁護人は、話し方や風貌、話す内容などがリアルで、存在感も充分出ていて、いやらしい悪役ぶりだった。夫の母親、ヒロインの母親も、この作品においては悪役と言える。彼女らも素晴らしい役割を果たしていた。     

 

この作品のラストは、問題がないわけではない。ヒロインの行動が推奨されるものではないはずだからだ。いっぽうで感情的には、理解できる行動でもあった。世界各地で感情にまかせたリンチ事件が多いので、映画作品としては何か他の描き方がなかったのかと思わないでもないが、あの結末で納得できる人のほうが多数派なのかもしれない。      

クギ爆弾というのは恐ろしい。あんな物を、素人がネットを参照に次々作ったら、もはや安全な場所などどこにもない。駅も学校も、職場も飲み屋街も、狙われたら終わりだ。何か規制できないのだろうか?    

 

この作品に原作小説はないそうで、映画のためのオリジナル脚本であり、そして特定の事件が題材になってもいないらしい。でも実際に極右勢力のテロは起こっているので、それらはアイディアの元になっているらしい。   

アラブ人たちが多数押し寄せている欧州では、極右勢力が活発化している。どの国でも、極右政党が獲得する議席が増える傾向にあり、合法的に右翼的、異民族排斥、自国の利益優先を目指す動きが強まっている。おそらく、テロの応酬がどんどんエスカレートしていく傾向は、しばらく続くのではないだろうか?      

 

そんな世相だから、この作品が作られたのだろう。映画人として、このテーマは避けて通れないと考えたに違いない。その姿勢に敬意を表したい。

 

 

2018年10月 3日

置かれた場所で咲きなさい(2012)

- 渡辺和子、幻冬舎  -    

大学学長などを務めた修道女、渡辺和子氏のエッセイ。ベストセラーになったことは知っていたが、タイトルだけで内容を分かったつもりになって、今日まで読んでいなかった。でも、さすがに神様に申し訳ない気がして、このたび購読するに至った。  


実に良い内容であった。普通の人が書いた文章なら、そこまで強く印象に残らないかも知れないが、なにしろ目の前で父親を惨殺されるという体験をした、しかも聖職者なのだから、重みが違うのは当然だ。


渡辺氏が82~83歳ころに、この本は出版されている。それまでも多くの書籍を出しておられて、この本は一貫した流れの中の一冊に過ぎないようだが、大変なベストセラーになってしまったことで、一気に人の知るところとなったようだ。おそらく彼女のような立場の方は、毎日のように講演しなければならない。そのために過去に読んだ文章を整理し、テーマごとにまとめているはずだ。いきなり大勢の人達の前に出て、その場で何を話すか考えたりしているはずはない。  


内容が際立って優れているとは感じなかった。聖職者の方が話す内容としては、ごく普通かも知れない。内容だけではない、総合力が本の魅力になっているような気がしてならない。この本は、上手く整理して簡潔に書いたこと、そして印象に残るタイトル、もちろん内容の全てが高潔な精神に則っており、受け入れられそうな要因は多かった。  


渡辺氏の文章については、PHP出版社から過去に似たような内容の講話が出版されている。しかし、この作品ほどは売れていない。幻冬舎の戦略、構成、仕上げが素晴らしかったのかも知れない。とにかく印象に残る本だった。

2018年7月12日

オリエント急行殺人事件(2017)

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- FOX -


アガサクリスティ原作の推理小説の映画化作品。前回は1974年にアルバート・フィニー主演で制作されていたが、今回はケネス・プラナーの監督、主演で作られていた。  


制作の意図が最後まで理解できなかった。もしかするとCGを使って列車の移動の様子を迫力たっぷりに描こうという狙いがあったのかもしれない。さらに、列車の窓の中と外で視点を自由に移動することも、今なら可能だ。クレーンやドローンを使って、視点をダイナミックに変えて表現したい、そんな技術的な欲求があったのかもしれない。   


有名俳優を集めれば、前作と同様の集客効果も期待できる。そのような内容を提示して企画が通り、予算が集まったのだろうか? 列車の動きの迫力に関しては、前作より断然素晴らしかった。迫力がありすぎて、あんなにスピードを出したまま雪山に入ったら、簡単に脱線するだろうという不自然さも感じたくらいだ。いっぽう駅の雑然とした雰囲気や、機関車の煙が立ち込める様子などについては、前作のほうが懐かしいような感覚が感じられ、この作品のほうが演出臭い印象を受けた。  


ケネス・プラナーとアルバート・フィニーでは、個性の面では断然後者のほうが際立っている。小説の表現から考えると、ポアロは小柄で偏屈で、異常な人格の持ち主と思えるが、この作品のポアロは普通の学者のようにしか見えない。もっと特殊なメーキャップしても良かったのではないだろうか?


最後に推理を披露するシーンも、原作とは違っていた。さながら最後の晩餐の絵のような長いテーブルが用意され、寒い外で、おそらく現地の人達にも聞こえそうな大声で話がなされていた。あれでは現地の警察に逮捕されてしまいそうだ。列車の中でもよかったのではないだろうか?風邪ひくかも知れないし・・・  


「ナイル殺人事件」の予告みたいなシーンが最後にあった。もし、この作品に大変な人気が出て、今後の予算が確保されるなら、続編ができるかも知れない。でも劇場主は、次回作を見たいとは感じなかった。よほど斬新なことをしない限り、期待感を持って鑑賞することはできない。有名な作品をリメイクするのは勇気が要る。それをやれと言われても、どうやったら良いのか分からない。 


おそらくCGの技術だけでは難しいのではないだろうか?  悪役が善玉に変わるくらいの、大胆な変化が望まれる。もし今回の悪役が弱々しい風体で、必死に命乞いをしているのに無残な殺され方をするとしたら、犯人達と悪役のやりとりは非常に現代風になるかも知れない。イスラム国をめぐる報道映像を思い出したりして、見ていて辛くなるだろう。誰からも好かれていたアームストロング大佐が、実は戦地で悪役氏の家族を犠牲にしていて、その復讐が根底にあったのだとしたら、どっちが正しいのか分かりにくくなる。犯人たちは激しく後悔するラストになり、観客もどう考えてよいのか分からなくなる。   


そんな、よく分からない事態こそ現代風ではないか。でも、それは興行的には最悪の選択になりそうな気もする。

 



2018年6月27日

「お金」で読み解く日本史(2018)

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- 島崎晋著・SB新書 -

 

日本人が金銭に関してどのような感覚を持っていたのか、その歴史は気になる。かなり浅ましい行為が日常繰り広げられているのを目にすると、日本人の金に対する狂乱ぶりが諸悪の根源ではないかと思うことがある。狂乱する人間には劇場主をも含めないといけない。日頃の買い物でも、1円でも安く手に入れ、給与を1円でも少なく支払い、1円でも多く貯めたいと、日夜ギリギリの戦いを展開しているのが現状である。 

 

家内が最大の敵で、使うこと、夫から奪うことしか考えていないのではないかと思える狂乱ぶり。どうしてもっと落ち着いて、互いの信頼関係を重視してくれないのだろうか? その謎を解き明かす目的もあって、この本を購入した。しかし、残念ながら本には家内の行動の謎は書かれていなかった。 歴史家をもってしても、彼女は謎なのだろう。  

 

この本の優れたところは、その主眼、視点にあると思う。日本人の金銭意識は、おそらく国の歴史を決めて来たはずだ。よくも悪しくも、金銭への欲は集団の意志を左右し、大きな流れを決める。人々の欲を知るのは大事なことだろう。 

 

今の日本は、上から下まで目先の金に目がくらんで、長期的な展望を失っている気がする。 展望を見出しきれていない・・・そんな状況から抜け出せていない閉塞感がある。 

単純な言い方をすると、中国が世界の工場となって価格破壊が起こってしまったので、生産拠点を移さざるを得なかった。それが大きな流れだが、あれも諸外国との競争に勝ち、金を得るためだったはず。でも、そうすると生産しないで金を得るしかなく、基本的には国内の景気を良くしようがない。一部の会社だけしか儲からないだろう。生産が減っても、トリクルダウン方式に社会全体が豊かになれるものだろうか? 企業や経済学者たちは間違っていないだろうか?  

 

そして人口が減るのも自然な流れだろうが、一気に減るとかなり悲惨な状況になる。でも、その対策のための予算は少なく、景気対策のほうが重視されている。正しい戦略を考えているとは思えない。目先のことに目がくらんでいないと誰が言えるだろうか? 生産の場は、子育ての場にもなる。一部の会社が巨大化しても、低収入で子育てを諦めた家庭が増えたら、その社会は不健全だと劇場主は感じる。だが学者や役人たちは、そう考えていなかったようだ。

 

そもそも、この本は読者の納得を期待していないような印象を受けた。歴史家という人種は、データの記載にはこだわらない性格なのだろうか?この本は根拠に相当する分を省いたまま解説が進んでいる。あるいは、たまたま氏がそんな考え方なのか、新書の性格を考えて分析めいた書き方を排除し、根拠不明のまま断言を繰り返す文章にしたのか? 

 

著者は経済学者ではなく、学者と言えるかどうかも微妙な方らしいので、分析を省略したのは当然かも知れない。読みながら、納得できないまま前に進まざるを得ない印象を受けた。この本が論文ではなく、随筆に近いものなら、いちいち根拠を述べる必要はない。そんな考え方もあるんだろうねで、軽く読み流せばよかったのだろう。評論家の多くが、そんな人たちなのかも知れない。   

 

政治家だって似たようなものだ。政治家たちは声が大きいし、確固たる信念を持って活動しているかのように見えるが、根拠のない思い込みによって誤った行動をとっているだけなのかも。正しくなくても、けして譲らないなら立派に見えるものだ。政府首脳の答弁や、ラフプレー後の日大アメフト部の元部長さんの会見映像を見て、そう思った。あんな人達が指導者では、今後に希望を持つのは難しい。    

 

希望を持てないなら、もう国に期待はできない! 日々の金儲けに熱中しよう・・・あらま、また狂乱してら。結局、この本からは何も学べなかったというのが結論。   

 

 

2018年5月28日

オンリー・ユー(1994)

Only_you

- TriStar -

 

マリサ・トメイ主演のラブストーリー。DVDで鑑賞。共演はロバート・ダウニー・Jr。今やマネーメイキングスターの彼だが、この当時は若手コメディアンのひとりに過ぎなかった。

 

ロマンティック・コメディだった。軽い調子の男が、なんとかヒロインと結ばれようと工夫する流れが面白かったし、舞台がイタリアの観光地だったので、美しい背景の中で展開する話には夢を感じられた。共演者はよく見る女優だが、他の作品では普通の母親役を演じていることが多い。この作品ではかなり大きな存在で、魅力のある良き女友達を演じていて好感を持った。

 

この作品の宣伝や批評を見た記憶がないので、たぶん大ヒットではなかったと思う。特徴に欠ける印象もある。爆笑できるタイプの作品でもない。夢がかなうかどうかという点に観客がワクワクできるという魅力にとって大事な点が、あっさり捨てられてもったいない気もした。

 

今でこそ大スターのロバート・ダウニーだが、この当時はスター候補に過ぎなかったはず。30歳前で、その後にどんなキャリアをつむことになるのか、本人も分かっていなかった時期だろう。ただのヤク中のマイナー俳優で終わっていた可能性もある。

 

この作品でも独特のとぼけた雰囲気が感じられるが、今の彼のキャラクターには、おそらくだが、彼がヤク注だったことが好都合に作用している。奇人変人を演じるには、ぶっ飛んだ個性が観客のイメージにも浮かんだほうが良い。本物のヤク注だった彼は、奇人ぶりも本物に写る。それが著効している。ジョニー・デップにも共通するものがある。彼の本当の演技力、魅力は分からない。この作品で特に彼のファンになる人がいたかどうかは疑問に感じた。でも確かな個性は感じる。それが大事なのかも知れない。 

 

日本のコメディアンたちの中にも、一定のキャリアを積んで、何かの魅力が培われて初めてメジャーなタレントになる人がいるが、ハリウッドでもそうなのかもしれない。この当時のロバート・ダウニーは、若すぎてトボケぶりが中途半端に感じられたのかもしれない。 

 

マリサ・トメイ嬢については、この作品で大勢の人がファンになってもおかしくないと思う。女性からどのように見られるのかは分からないけど、男性から見れば華奢な体形に、美しく笑顔が素敵なタレントで、恋愛もののヒロインにはうってつけのように感じる。その後も長いキャリアを維持しているし、助演女優賞をいろいろ取っている。

 

でも、常にヒロインを演じられたわけではなかった。魅力的だが大スターにはなれていない。あくまでまともな個性であるから、キャラクターが重要なハリウッドでは、高額の出演料を要求できるような存在にはなれなかったのかもしれない。個性が大事なんだろう。

 

2018年2月24日

オマールの壁(2013)

Photo

 

- Hany Abu Assad -

 

占領下にあるパレスチナに暮らす青年。逮捕され、スパイになることを強要される。バレたら即座に殺される運命。彼は生き抜くことができるだろうか?

 

DVDで鑑賞。作品の権利関係(映画会社など)はよく分からない。撮影の舞台は中東の町で、おそらく本物のパレスチナの壁も使っていたはずと思うが、占領下の日常が非常に上手く表現されれていた。よく撮影許可が下りたものだと驚く。明らかにイスラエル軍を非難する内容であるから、妨害が入らないことは考えにくい。こっそりタイミングを見計らって撮影したのか、あるいはまったく違う他の場所にセットを作ったのか?

 

主役の若者は米国で活躍していた本職の役者らしい。自然な演技をしていた。激しすぎる感情表現は、作品のレベルを下げてしまう。この種の映画の場合は淡々と演じるほうが良い。リアルなドラマができていたと思う。パレスチナ出身でも、欧米に渡って活躍する人は多いらしい。現地では自分の能力を伸ばすことは難しいので、欧米での活躍に賭けるのだろう。

 

スパイになった人間は、仲間をだまして自分が生き残る道をただ歩むしかない。この作品の優れている点は、スパイたちが考えそうなことをストーリーに上手く反映していた点。特に複数のスパイが組織に紛れ込んでいたらどうなるか、そこがよく考えてあった。加えて現地での恋愛の問題も絡むから、話が複雑になって面白かった。ただ戦いの話ばかりよりも、恋の話があったほうが断然いい。

 

スパイを作ることは、実際に簡単だろうと思う。家族や恋人をネタにすれば脅迫して従わせることは可能。自殺する者もいるだろうが、スパイになる者もいるはず。関係を維持し、出し抜かれないようにするのは難しいだろうが、入念に検討してスパイ同士が互いを見張るようなシステムを作れば、かなり有効な情報網を作れると思う。

 

だから一度でも逮捕された人間は、基本として組織に復帰させてはいけない。いかに優秀な戦士でも、家族を人質に取られたら裏切らざるを得ないと考え、少なくとも情報を与えてはならない。そこを徹底して、おそらく本当の抵抗組織は維持されているに違いない。

 

占領地の実際の様子は、日本からは分かりにくい。紛争が起こって銃撃戦になればテレビの映像などで状況を知ることができるが、日常生活にどんな形でどの程度イスラエル軍が介入し、どう管理されているのか、そこが分からない。実際も、この作品に描かれていたような悲惨さなのかも知れない。

 

占領下にある若い男女は、自分たちの結婚、人生設計についてどう考えているのだろうか?この作品では、そこを考えざるを得なかった。結婚しても夫が直ぐ殺されたら、残された妻は生活が大変になる。日本での結婚でさえ不安を感じるくらいなのに、支配下地域の若い娘は相当な覚悟がないと結婚に踏み切ることは難しいだろう。いっそ脱出して米国での未来に賭けたい、そう考えるのが自然ではないか?そしてイスラエル側も、現地の人口が減ることを望むだろう。でも、やがて米国で育ったパレスチナ人が、祖国の復興を望んで数百万人単位で入植してきて、話がさらに厄介になるかもしれない。

 

パレスチナ問題の解決は、現時点では誰も方法をあみ出せていないと思う。トランプ大統領が介入しようとしているそうだが、問題の複雑化を生むだけかも知れない。旧約聖書の時代から、占領によって決着をつけてきた歴史がある地域だから、より武力があるほうが他を圧する状況が、ただ続くだけと考えておいたほうが良いのかも知れない。

 

 

 

 

2018年2月 3日

オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分 (2013)

Locke

 

- Shoebox Films etc. -  

 

仕事を終えた現場監督。彼は不倫相手の出産に立ち会わないといけない。そうしないと、彼を捨てた父親と同じような人間になるからだ。しかし、仕事と家族を失いかねない状況で、彼は苦悩することになる・・・

 

DVDで鑑賞。本格的な映画というより、舞台向きの戯曲といった印象。出てくるのは主人公だけで、あとは声の出演のみ。これは完全に舞台向きの設定だと分かる。おそらく元々は舞台を想定して作られたが、誰かが気に入って映画化したのではないだろうか?あるいは、監督自身がアイディアに乗ってしまって、後先考えずに制作を進めたのだろうか?

 

結果的に、この作品は興行的に良い成績はおさめられなかったらしい。広く大勢の観客に受ける内容ではなかったから、仕方ないかもしれない。でも、出来栄えは素晴らしかったと思う。まず、アイディアが素晴らしかった。絶体絶命に近い主人公の境遇、なぜ主人公がそんな行動をとらざるを得ないかという設定、主人公に絡んでくる会社の上司や部下、そして懸命の工夫によってトラブルを回避しようとする経緯、それらは教科書にしても良いくらいの完璧さだった。カメラの配置、直接主人公を見せるか、何かに反射して映すかなどの工夫も素晴らしかった。

 

一人芝居をやっていたのはトム・ハーディー。腕力自慢のタフガイを演じることが多い彼だが、役柄が違っても実にうまく演じていて感心する。厳しい状況でもときおり笑顔を見せる演技がリアルさにつながっていたように感じた。人はやばい状況で、逆に笑いが増えることがあるから。

 

優れた作品ではあった。しかし、これは映画である。映画向けに検討しなおすべきではなかったか?車内だけで物語を進めようというのは実験的で、芸術的な面では良いかも知れない。面白い趣向だと感じてくれる人は多いだろうが、映画の場合は家族を含めて大勢の人達が同時に観ても、ある程度の共感に誰もが浸れることを目指さないといけない。最初からビデオ屋に直行するような企画では、さすがにマイナー過ぎて感心できない。芸術性、特異性とともに、一般性も目指すべきと思う。

 

そのために、おそらくだが他の人物も登場させたほうが良かったのではないだろうか?回想シーンや、主人公の頭の中を映像化するようなシーンでも良い。どうしても一人芝居のスタイルにこだわるなら、画面を分割して他の人物を小枠で同時に映すとかしても良い。相手の顔だけは映して、相手がいかに怒っているか分かりやすく演じてもらうだけでも効果的だろう。声の出演だけでは、映像の迫力の面で苦しいことは間違いない。

 

 

 

2017年8月12日

大いなる眠り(1978)

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- United Artists -

ツタヤのDVDで、なぜか目立つところに置かれていた作品。新たにビデオ化されたのか、権利関係が変わったのか、理由は分からない。

ツタヤは、「今月はこの作品を売り出すぞう!」といったキャンペーンをやっているのかも知れない。おそらく仕入れを定期的にやって、見逃されていた人気作品を再度売り込みたいのでは?

観ていて、これは「三つ数えろ」のリメイク版だったと気づいた。リメイク版があることは知っていたが、ロバート・ミッチャムが主演した作品があったことを忘れていた。しかし、なぜリメイクしようと思ったのか?ミッチャムの希望か?

この作品は、舞台がイギリスになっていた。舞台が異なった理由はよく知らないが、やはりオリジナル版との違いを出すためだろうか?でも将軍が、イギリスでは優雅に暮らせるのか?それは設定として無理があるような気もした。もともとの大金持ちが将軍までやれば別だろうが、普通はそこまではいかないのでは?

ボガード版は理解に苦しむ作品だったが、リメイク版でも難解さは相変わらず。ストーリーがかなり複雑で、納得に苦しむ部分もある。難解なために、謎解きの魅力はあると思うものの・・・

女優さん達は今風だった。ヌード写真を撮られる役は、キャンディ・クラークという方が演じていて、70年代の女優の雰囲気の衣装、ヘヤスタイルだった。時代設定として、70年代を考えていたのだろうか?

ポルノ女優のようなキャラクターは、作品の中では重要だと思う。ヌードを見せるサービスで、主人公が困った様子でも見せたら面白くなるし、男性客を惹き付けるためには、ヌードを宣伝に一瞬でも使わないといけない。少し出し惜しみしていなかったろうか?

もう一人のサラ・マイルズ嬢の魅力はよく分からなかった。彼女は絶世の美女タイプの女優ではなく、悪女の雰囲気が漂うローレン・バコールタイプでもない。個人的には、演技力はそこそこでも良いから、色気たっぷりに主人公に迫り、色仕掛けで悪さをするような女優のほうが良くなかったろうかと思った。

オリヴァー・リードやエドワード・フォックスといった懐かしい役者達が出演していた。イギリスの会社が中心となって作られたかららしい。だからといって舞台をイギリスにしないといけないのだろうか?

「三つ数えろ」とは微妙にストーリーが違った。ラストでついつい銃の乱射シーンがあるものと期待してしまったのだが、英国流に終わったようだった。拍子抜けに感じた。

 

 

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