映画評

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カテゴリー「お」の50件の記事

2016年11月25日

お買い物中毒な私!(2009)

- 20-40代女性 -

高級ブランド品あさりのために破産寸前の女が主役。ファッション雑誌のライターを目指して就職活動をしているうち、経済専門誌で一躍有名になってしまうが、そこに借金取りが現れ・・・

・・・・緑のスカーフというペンネームが印象的な小説が原作だったのではないかと想像した。

この作品の観客として考えられる対象は、20-40代くらいの女性だけではないかと思えた。女性でも、もっと上の世代にはあんまり共感を与えにくいのでは?子供、男性、老人には、それほど面白い作品とは思えない印象を受けたのだが、よく解らない。

ヒロインを演じていたのは、「華麗なるギャツビー」で不倫妻を演じていた女優。ギャッツビーでの女と比べたら、この作品ではずっと上品な役柄だったが、それでも何かのあざとさ、軽さを感じた。良い意味では庶民っぽい。

彼女の演技力のせいかもしれないが、もともと上流階級をイメージさせる顔立ちではないのかもしれない。彼女の衣装も、本当にブランドものかと疑いたくなるような趣味のもので、他のラブコメとはパターンが違っていた。

ラブコメのヒロインにも色々なパターンがあると思う。とことん可愛らしい女優や、ライバル心を燃やすガッツを見せるタイプ、スタイル抜群だが何か精神的な欠点がある、そんなキャラクターが多い。このヒロインは、中毒がその欠点だった。

買い物中毒は実際にも多いと思う。特にカード支払いが多いアメリカの場合は、決済の失敗により破産宣告を受ける人も多いのでは?日本人の田舎者より賢いように思えるアメリカ人でも、経済的な状況を把握することは難しいと思う。給与が減ったりすれば、一気に困った状況になるだろう。

ヒロインの場合は派手な買い物をしすぎただけで、解雇や減給が破綻の原因ではなかったようだが、破産というのはコメディになりにくい設定だと思う。この作品では軽く問題解決していたようだが、実際のことを考えると大変だろう。

この作品の中で、ショーウィンドウのマネキン達が動くシーンは良かった。単純だが効果的で、動きにはバレリーナを思わせる優雅さがあり、しかも彼女らは美しい衣装を着ているので、センスの良い画像に思えた。

ヒロインの相手役は、こんな役柄がピッタリの印象の俳優だった。女優の相手役として映えるタイプの、独特のナイーブな個性の持ち主のようだ。

 

2016年10月14日

男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け(1976)

- 飲み屋の善き女 -

衛星放送で鑑賞。シリーズ17作目という。

冒頭でサメを釣る話が出てくるが、かなり残酷なシーンもある。大人としてはギャグ的で笑えるが、おそらく外人の感覚ではグロテスクと感じそうな印象。この作品は夏休みを意識して公開されたかどうかは知らないが、あれを小さな子供が笑って観れたかどうか、少し疑問にも思った。

あらためて考えてみると、当時のギャグの中には、かなりの差別意識やブラック・ユーモアの要素があった。ドリフのギャグでも、明らかに卑猥なものが結構あったし、今ならネットで集中攻撃を喰らいそうなセリフも、ネットがないのを良いことに、堂々とやっちまっていた。

あの頃は、自由な雰囲気が今よりあった気がする。団体行動においては、今より厳しい規律があったと思うが、娯楽の世界に限れば、抑圧を発散させようというかのように、随分と激しい笑いがあった。一種の冒険精神のようなものだろうか?

この作品のヒロイン、太地喜和子が抜群に素晴らしい。宴会において中心となる、飲み屋の元気な女の雰囲気が充分に出ていた。身の上話の場合は一転して不幸そうな、いかにもありそうな感じが分かるし、様々な調子で演じ分けができるようだった。彼女が出たドラマはテレビではよく見ていたが、印象が強かったわけではない。でも、この作品の彼女は、もはや芸術的でさえある。

よくは分からないが、不幸を経験しているから、飲むと一気に陽気になるのか?あんな飲み屋の女、以前は時々それらしい人を見る機会もあったが、昨今は飲み屋街にいっさい行かないので、知り合う機会もない。宴が盛り上がり、楽しい飲み会になるので、客としては最高の店員になる。

そう言えば、熊本地震で建設関係にお金が流れているので、飲み屋の中には景気が回復した店もあると聞く。建設労働者は飲み屋が好きらしく、業界内部で動く金額も大きいから気持ちも大きくなるのだろう、盛り上がっているらしい。街のためには良いことだ。大地喜和子みたいなホステスが、頑張っているかも知れない。

岡田嘉子も出演していて驚いた。小学校の頃だったか、一時期日本に帰ってきて、その時の報道で亡命の経緯を知った女優さんだが、とてつもない経験をした経歴が、いかにも何か過去にあったのだろうねと思わせる雰囲気につながっていたかも知れない。

宇野重吉も左翼系の劇団員だったらしいので、詳しくはないが実際に岡田嘉子とは交流があっただろう。少なくとも、当時の一定以上の世代は、彼らのたどった道を知っていたはずだから、感じるものがあったに違いない。

今回の寅さんの恋は、途中から恋よりも金のほうに注意が移ってしまい、なんだか曖昧なままに終わってしまったようだった。大地は、シリーズでその後の出演がないようなので、非常に惜しい気がする。その後も恋模様があったら、いろいろ話が発展しそうだ。

2016年9月11日

黄金のアデーレ 名画の帰還(2015)

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- 不利を承知? -

ヘレン・ミレン主演の伝記的な映画。DVDで鑑賞。

クリムトの絵の裁判のことは、報道を読んだ記憶がある。でも、特に興味を惹くものではなかった。絵の歴史のせいかも知れない。古典的な作品なら、もっと興味を持ったろう。この作品も、子供の興味を惹くような内容ではない。子供や若者は退屈するだろう。

クリムトは日本の屛風画の影響を受けているそうだ。西洋美術の解説書を読んで知ったのだが、たまたま本人が職人の家に生まれ、日本の金箔絵画の手法を再現できた関係で、写実的な人物像と、幾何学紋様の背景を組み合わせることができたのだろう。アデーレ像は、日本人の感覚では、ちょっとシュールな印象を受ける。

この作品の前に、BBCはドキュメンタリー映画を作っていたと言う。それが、この作品の成立に重要な働きをしたようだ。番組を観た人が、これをドラマチックに再現したいと考え、映画化されたという。でもドキュメンタリーのほうが、テーマにふさわしいように思う。

ヘレン・ミレンは英国女優だから、主役にふさわしかったかどうか、少し疑問も感じる。リアルさを徹底したいなら、オーストリアにゆかりのある女優のほうが、なんとなくだが、迫力が出る。彼女はロシア系らしいが、オーストリアにゆかりがないのでは?でも、演技やセリフの発音に関しては、日本人が気づくほど妙な点はなかった。

弁護士役のライアン・レイノルズは今回、非常に素晴らしい。坊ちゃん風で真面目そうな印象、どこか抜けていて人が良さそうな表情は、こんな役にはピッタリだった。切れすぎる印象の俳優では、役柄には向かない。観客の共感を生みにくいと思う。実際の弁護士氏は全く違った強面の人物かも知れないが、この映画のキャラクターは、ストーリーに個性が合致していた。

実在の人物、マリア・アルトマンの運命には驚愕する。豪商の一家に生まれて、有名な芸術家と接する機会があり、やがてナチスに追われて米国に渡り、名画の権利を争う運命とは、いかにも映画的、まったくもってドラマチック。

しかも、絵画の一部はヒトラーの別荘に行ったとなれば、当然ヒトラーが鑑賞したはずだし、首飾りが幹部の奥さんの手に渡ったなど、驚きの経緯。この映画のホームページによれば、ヒトラーのお兄さんによって、彼女の叔父は海外に逃げることが許されたという話もあるそうだ。

アデーレの絵は有名だから、それを米国に持って行くとなると、国宝を失うような感覚がオーストリア側に生じると思う。権利関係の法的な面はともかく、心情的に国家の財産が奪われるような感覚になるはず。そんな感覚の強さに関して言えば、凄く歴史のある芸術品なら、それが強固な感情になり、いかな名画といえど歴史が浅いなら、権利関係を優先・・・そんな判断が、一般的ではないだろうか?

だが、奪われた側からすれば、時代がどれだけ経とうとも、強奪を許すことはできない。権利が優先であろう。「ミケランジェロ・プロジェクト」も、その基本的な認識で、この作品とつながっている。アイディアは、同じBBCの番組から得たのかも知れない。

日本軍がどれくらい強奪をしたのかが気になる。日本ではあまり報道されないから知らないが、実際には中国朝鮮の骨董品の中に、強奪したものも多いのではないか?取った人物を特定できないように工夫されたら、買ったものか取った物か、すぐに曖昧になる。そして返還に応じる場合には、そのための法律が必要だろうが、この映画で使われたような法律は、日本にあるのか?

日本を舞台にした作品は、ちょっと作りにくい。いつか菅総理の時代に何かを返還しようとして、右翼か学者が問題視した事件があったが、あれは法的にはどう扱ったのだろう。総理だからといって勝手にやって良いはずはない。強奪品を返還する際の規定は、どうなっているのか?そもそも規定があるのか?

逆のパターンで、今も法廷闘争になっているそうだが、対馬の寺の仏像が韓国人に盗まれた事件があった。大昔に日本側が盗んだ可能性はあるものの、倭寇の時代のことは証明が難しい。事実関係の確認なしに奪い去った韓国人の行為は、窃盗に相当してしまう。倭寇の行為を正当化するわけではないが、法的な手続きをやって欲しかった。韓国の裁判所は、最終的にどんな判断をするのだろうか?

感情がともなう問題は、法律だけで仲裁、解決するのは難しい。でも、そうすべきと思う。強奪、盗難、実力行使で事を決するのは、歴史的に考えると正当化されるべきではない。問題点は、その際のルールが有力な勢力が決めたものになる点。多くは欧米によって、勝手放題のルールができる傾向はある。決め方に問題はある。でも、無駄な争いを避けるために、なんらかのルールは必要だろう。

法に従えば良いとは限らない。‘米国市民の権利は、外国に要求することができる’・・・これは無茶な法律だと思う。武力、国力が充分にある米国だからこそ実効性もあるが、小国にこんな規定があっても意味がない。米国政府が後にいたからこそ、アルトマン側は外国との交渉が可能になったのだが、こんな規定のある国はそうないのでは?もしオーストリア側に同じ程度の権利を持つ相続人がいたら、どう判断すべきだろうか?国の力関係で決するのか?

エジプトのミイラも、大英博物館に行ったまま、返還されそうな気配がない。パリのオベリスクもそうだ。それが、残念ながら普通一般の状況。英仏がとんでもなく没落したら、状況は変わるだろうが・・・

そもそも当時のオーストリアの狙いがよく分からない。投資を呼び込む必要性から、諸外国の要求を飲んだのか?あるいはユダヤ系の圧力で、やむなく審査会を開かざるをえないと判断したのだろうか?心から出た、自発的な行為だろうか?その際に、米国の無茶な法律が自分たちを不利な立場に追いやると、考えつかなかったのかも知れない。結果として、悪役に回ってしまった。でも、不利を承知でそうしたとしたら、勇気を称えたい。

 

 

2016年9月 2日

男はつらいよ 奮闘篇(1971)

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- マンネリなし -

シリーズ7作目という。8月9日、衛星放送で鑑賞。

寅さんシリーズは数作観たが、この作品の質の高さは今まで鑑賞したものの中で一番と思った。他の作品ではオーバーな動作が目立ったり、年齢的に完全に役は無理と感じたりするものもあった。この作品では、それがない。時代も合っていた。この当時はズッコケヒーローが色々いた。モーレツの裏返しのズッコケに、人気があったのだろう。

ヒロインの榊原るみは、劇場主には歌手かテレビタレントのイメージが強いが、この作品では素朴そうな表情が素晴らしく、役柄を充分に表現して実力のある本職の女優のように感じた。小さい頃から劇団で活躍していたそうだから、現場でもまれた演技力だろう。大スターが軒並み出演している印象のシリーズで、彼女の出演は例外的だったかも知れない。

このヒロイン像も変わっている。知的障害者のヒロインとは、ともすれば憤慨する客だって出てきそうな話。障害はあっても愛想は良い娘であること、演じる女優の可愛らしさ、そんな条件がうまく揃わないと、恋物語が成立するはずがない。主人公とどのように別れるかも、描き方が難しい。

この作品では涙のお別れシーンが結局なかった。そこらへんを考えてのことだろう。喜劇で別れのシーンは基本的に難しいものだろうが、この作品の演出の仕方は、実によく考えてあった。

寅次郎の母親役のミヤコ蝶々も実に味のある役柄だった。息子が情けない能なしぶりを示すのを見た時の反応、古里で無理をして金をかけて裕福な姿を見せようとする姿、そしてそれを慮る店の皆々など、細かいセリフの内容、設定に感心する。

7作目くらいは、一番乗っている時期かも知れない。シリーズが数十作に及ぶと、さすがにマンネリ化が生じるだろうが、この頃は新しいアイディアをどう盛り込むか、いかに過去の作品とつながりを維持できるか、パターンをちょっと変えられるかなど、やってて楽しい部分も多かったと思う。作り手も歳をとる前でないと、体力的能力的な無理も来るだろう。

寅さんの個性はどのように考え出されたのか知らない。監督が中心になって考えたのか、渥美清の元々のアイディアなのか?本職の芸人だった渥美清は、おそらく長いことかけてテキ屋の口上、仕草などをモノにしていったと思うのだが、本職とは微妙に質が違う気がする。本職は、もっとガナリ声で迫力があることが多い。一日中声を張り上げるから自然とそうなる。渥美の場合は、まるでインテリ青年のような声でやるから、その違和感がおかしい。

そういえば最近、祭りでテキ屋の口上を聞くことがなくなった。露店はたくさん出ているが、皆静かに座っているか、ただいらっしゃいなどと言うばかり。子供達相手に即興でのやりとりがあれば楽しかろうと思うのだが、どうして今は見かけなくなったのか?

2016年7月28日

大人は判ってくれない(1959)

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- 障害について -

問題児のアントワーヌ君は、パリに住む小学生。先生や両親との関係も悪く、学校をサボって遊んだのがバレて家出。やがて盗みをはたらき、児童施設送りとなる・・・・

・・・・DVDで鑑賞。長いこと評判だけは知っていたが、鑑賞できなかった作品。ジャン=ピエール・レオ演じる少年が非常に自然で、演技くささが全く感じられなかった。そこが、この作品の最も優れた点と思う。

だから、監督が良いのか俳優が良いのかと言えば、この作品の場合は、おそらく俳優のほうが比重的には大きかったのではないかと思う。演出も自然さに徹していて良かったけど。

この作品のストーリーは監督自身の体験によるという。だから自然な表現になっても不思議じゃない。その後の「華氏451」みたいな妙な作品になっていたら、おそらく監督は有名になることなく、低迷していただろう。

トリュフォー監督には、発達障害か、あるいは何かの行動異常があったのではないかと感じる。映画に関係した作品、例えば「アメリカの夜」やこの作品の場合は、映画への愛情、あこがれはが実に上手く表現できているのだが、自分の感情と離れた点は、わりとあっさりしている。

まるで興味がないかのような演出のこともある。実際にそうだったのかも。私小説のような内容が得意な、限られた趣向が感じられる。そうなら、問題児になってしまうのも自然な経過かも知れない。興味がないことを破棄すると、学校のような場所では怒られるから。

優れた作品を残す芸術家には、多くの異常者、障害者がいると聞くが、確かにそうかもと思う。独特の個性がないと、斬新な作品は生まれにくい。新しいジャンルを作るような偉大なる個性は、たいへんに異常だからこそできるものではないか?優れている場合もあるし、ただ異常の場合もあるはず。

ただそれだけを、長々と映像を使って表現してくれただけか?いや、そうだとしても、この作品の表現力は素晴らしい。彼の心情がよく理解できたのだから。でも制作の途中で、この作品が表現力に優れていると判らない段階では、スタッフは不安じゃなかったろうか?

発達障害の気は劇場主にもあるのだが、大人しい障害児だった。自分の趣味に偏った行動は採っていないはず。教師に反抗したことはあっても、敬意を払う点は守っていた。そこを無視できると感じるか否かの違いが、主人公と劇場主の、ちょっとした違いだろうか?

集団行動が苦手ではないが、集団ヒステリーを嫌悪する感情はある。多くの人が間違っていて、後でそうと気づくような問題に、先に気づきやすいように思うのだが、これは優れているためというより、独特な性向=障害を意味しているのかも。冷静な判断が大事だと教育されてきたせいかも知れないが。

劇場主の子供にも発達障害がある。クラスの遠足に付いていったら、集団行動から外れてふざけてばかりいる。先生から普段の行動を何も聞いていなかったので驚いたが、本人に何を考えてあんな行動をとるのか聞いてもラチがあかず、何を話しても効果に乏しいままだった。

今日、学校で何があったのかい?・・・聞いても答えない。何か敵意に満ちた言動、無視されたりしなかったかと聞いても答えない。じゃあ何かお父さんにできること、して欲しいことはないか?そんな問いにも、何もないとしか答えない。こりゃあ、相当な問題があると感じた。

それとなく聞き取ろうとしても、家内が割っていって会話を邪魔する。それを繰り返す。家内としては、子供が厳しく詰問されているか自分が怒られているような感覚を持つのかも知れない。怒鳴ったりすることはないのに・・・。家内にも障害がある。発達障害は、遺伝かも知れないし、親の行動から影響されるだろう。

要するにそういう障害なのかと思う。自分の感覚で、今の自分に問題があることを理解できないと、人に話すこともできない。自分なりに学校が悪い、教師が悪い、クラスメートが悪い、あるいは自分が悪いか能力が足りないと感じないと、対処法を探る道に進めない。

親に自分のことを説明できるという自信がなかったのかも知れない。劇場主が分からず屋と思えたらそうなる。自分自身も頭の中で整理できておらず、親に話すべきかも判らない。問題認識、分析、対処という処理にかかる総合力の障害なのか、そんな印象。そんな障害者でも、生きていける道はあるのだが、そこを本人が理解できるに至っていない。

「劇場主は判ってくれない」と感じているのだろうか・・・

 

2016年6月13日

オデッセイ(2015)

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- 事故対応 -

火星探査中に事故で取り残された主人公。知識を駆使して食料を確保し、数年間は生き残ろうとするが、救援作戦は失敗してしまう・・・・

・・・・故郷に帰るまでの長い旅を扱った映画は多い。つい近年の「ゼロ・グラヴィティ」もそうだった。「インターステラー」もそうかも知れない。故郷=地球に帰りたいという願いは感動につながる。この作品もなかなか出来が良かった。

大感動作とは思わなかった。かなりユーモアに満ちたセリフが多く、厳しい状況でも平気で辛辣なジョークを飛ばしていたので、時には深刻さが曖昧になり、その結果として感動も損なった面はあるかも知れない。ジョークを飛ばしながら泣き出すといった感情表現が足りなかった。

それにもうひとつ、この作品は砂漠地帯で撮影していることがはっきり分かる。二流のSF映画でも、優れた技術で地球外惑星に見せることができる現代である。もう少し処理して、明らかに地球ではないと感じさせるべきではなかったろうか?重力の度合い、空の色なども、火星とは感じられなかった。ちょっとスローモーションにするだけでも違ったのでは?

中国との連携も、現実味を損なう結果になったと思う。中国のような国で意志決定が簡単になされるはずがない。科学者達が意見を上申し、長いこと検討がなされて政府の決定が降りるというのが通常のはず。二人の科学者に決定権はない。テレビのSFドラマのような演出では、真実味を損なってしまう。設定が安易すぎると、リアルでなくなる。

宇宙の怖さを表現するために、誰か死人が出ていたほうが映画的には良かったかも知れない。二人が遭難し、優秀で勇敢な人物により主人公が助けられる、そして優秀な彼が犠牲となり、辛い別れの後に一人が生き残る・・・そんな流れのほうが、よりドラマも盛り上がったろうと思える。

悪役が欲しかったようにも思った。たとえば主人公の救出に難色を示してばかり、スタッフの邪魔ばかりする上司、そんな人物がいたほうが良い。この作品の上官も結構好かれない役柄だったが、徹底ぶりが足りなかった。議員になるため事件を利用することしか考えないような嫌な役柄が欲しかった。

もし、どこか厳しい場所で取り残されたらどうすべきか?この作品で改めて考えた。実際の遭難では物品も食料もなく、なすすべがない場合が多いかも知れない。でも、主人公のように考え、着実にこなす態度は必要と思う。食料や燃料、酸素などの余裕を確認し、何日もつか把握する、不足分を調整、調達する、連絡手段の確保を考える、それは地震や台風などの災害においても同じ。

NASAのような組織では、実験して現地にアドバイスするスタッフが大勢そろっていると聞く。カバーを取り外し、幌に換えるといったアイディアは、さすがに普通の人間は考えきれない。多くの仕事を分担し、速やかにやれる組織力は、NASAの底力を感じさせた。おそらく実際のNASAもそうだろうと期待できる。

日本の宇宙開発局も、失敗を繰り返しながら、人材も予算も足りない中で頑張ってきたと聞いている。ただし組織力に関しては、日本の社会は独特の悪弊に陥る傾向があるので、特に想定外の事態においては遅れを取ってしまうと思う。一度経験してしまうと、確実に処理する点には優れる傾向がある。震災への対応でよく分かる。

想定が下手な人間が上層部に選ばれる傾向を感じる。少なくとも、常に上層部が正しい判断を下すはずはない。そんな場合に、方針を修正できるかどうかが大事で、公平な立場で意見を述べ、正解を導く必要性へのコンセンサスが大事。修正作業を怠ると大失敗することを、徹底して教育する必要がある。

命令と服従だけで常に優れた仕事ができるはずがない。上司が常に正しいはずもない。軌道修正できる組織を作ることが、あらゆる組織にとって大前提である。それを、いとも簡単に我々は忘れる。

最近、北海道で小学生が行方不明になった騒動があった。幸い、自衛隊の基地で発見されたそうだが、基地に誰かが侵入し、小屋に寝泊まりできるなら、テロリスト達は喜んで侵入できると判明したことになる。「テロリスト様、ご優待」と、看板を出したら良い。

また、移動能力の低い小さい子供を探せなかったなら、テロリストを捜し出すことは絶対に無理と判明したことにもなる。言っては悪いが、基地の管理が不徹底、警備不十分、想像力不足、総合的能力不足であることが証明されたと言える。

あらゆる可能性を考えることができていなかったのは間違いない。隊員達自身が遭難しても、見当違いを繰り返しそうな気がする。本人達は強硬に反論するだろうが、想定が苦手な上官が大勢いて、判断を間違っているに違いない。

 

 

2015年12月12日

オリエント急行殺人事件(1974)

Paramount

- 雰囲気の再現 -

オリエント急行において、ある富豪が殺された。名探偵ポワロが偶然乗り合わせたため捜査を担当し、乗客を尋問して推理を展開する・・・

・・・DVDで鑑賞。この作品は過去に何度か鑑賞していたのだが、当直の合間で観た関係でか飛び飛びで記憶しており、全体を通じて観たのは初めて。改めて感じたのは、古い時代の雰囲気を再現しようとした良い雰囲気。高級欧州ブランド製品のようなイメージ。

原作の翻訳本は若い頃に何度か読んだ。古めかしい台詞の言葉が、この作品の時代背景に合っているなと感じていた。この映画も、そこを狙っていたのではないだろうか?

音楽が効果的だったように思う。古き良き時代の雰囲気を出すように、静かな管弦楽を中心にした曲で盛り上げていた。映像も、少しフィルターでぼやけさせていたように思うが、たぶん女優達の要求でではなく、映像の雰囲気作りのためにやったのでは?あんまり鮮明な画像では、作品の質に合わないと判断した可能性はある。

ユーモアを兼ねた演出だと思うが、列車が出発し、物語の展開が始まる時に曲も始まる場面があった。なんてことはないシーンだが、ミュージカルタッチで、それなりに楽しいませてもらえる。

この作品には血まみれの死体が出てくる。ナイフを差すシーンでは、結構怖い音も聞こえる。幼児には向かないシーンかも知れない。でも一般的には、小学生以上の子なら、家族と一緒に観ても構わないレベルのシーンではないかと思う。

少し古い演出ではあるように感じた。高級感は感じるが、芝居が派手すぎて舞台チック。今どきのサスペンス映画よりも、なんだか気が抜けたような、激動感に欠ける印象もある。だから、若いカップルが鑑賞すると、拍子抜けするかも知れない。

スターがたくさん登場していた。ローレン・バコールやイングリッド・バーグマンなどの女優陣が目立つ。それぞれが、かなりオーバー気味に演じていたように感じた。演出過剰、演技過剰ではなかったろうか?

何かを隠そうとしている人物を演じないといけないので、いかにも自然に見えて少し無理が感じられる・・・そんな微妙な状態を表現しないといけない。そこまで表現できていたのか、劇場主には疑問に思えた。加減が難しい。

主演のポワロ役、アルバート・フィーニーの演技もそうだった。ポワロのような特異な人物の演じ方は、加減が大事。静かすぎると、観客の理解が得にくいし、過剰だと妙になる。この作品では途中までは最適な演技だったと思うが、ラスト近くでの種明かしのシーンではやや過剰に思えた。

おそらく、皆が緊張した場面でユニークで場違いな言動をとる変人を演じ続けると良かったはず。途中から変人の顔が目立たなくなって、ユーモアが最後まで続いていなかった。

そのせいか、この作品自体が高級な映画になりきれなかった印象を受ける。古風な演出で、いっそのこと舞台劇を再現したりして、当時の上流階級の雰囲気を表現し切れれば、`良いものをみせてもらった’という感覚が生じたのではないかと思う。冒頭で若い伯爵夫婦が登場してくるシーンなどは、演出過剰。自然に、群衆の中から現れるくらいが良いと思う。

 

2015年11月 9日

おみおくりの作法(2013)

Redwaveetc

- 我が身を心配しました -

ロンドン近郊で民生員をやっている主人公は、孤独死の後の処理、埋葬を担当。しかし仕事が丁寧すぎたせいか、彼は解雇されてしまう・・・

・・・・よきアイディアに感心。映画の題材として、良いテーマを選んだものだ。日本の「おくりびと」とも似たような主人公の話だったが、人の最後に関わる話は非常に深い感傷を生むから、作品の質が期待できる。

主役のエディ・マーサンが実に素晴らしい。いわば非常に妙な顔をしているのだが、それが不器用な生き方、ゆっくり着実に仕事を進めていく主人公のキャラクターに合致していた。ハンサムな俳優では、こんな役柄の場合は味が出ない。

町中の銅像などを使って、静かにたたずむ主人公が笑えるように工夫されていた。草むらに寝転ぶシーンと、ラスト近くで道路の上に転ぶシーンも、同じスタイルになるように仕掛けてあった。

おそらく、あれはスタッフのユーモアのなした業だろう。悲劇においてユーモアをはさむ、独特の雰囲気作りがなされていたように感じた。少しのユーモアによって、話全体が美しく感じられる傾向はあると思う。

ヒロインのジョアンヌ・フロガットは。どこかで見た顔と思ったら、テレビドラマ「ダウントン・アビー」でメイド役をやっていた女優だ。あまり華やかさがない点で、悲劇に合う個性だと思う。

孤独死も珍しいことではない。たぶん昔から独り者が静かに死んでいくことは多かったのだろうと想像する。一般的な理想として、家族に看取られながら亡くなることが望まれ、社会が安定して実際にもほとんどの方がそうなると、孤独死がひどく不幸に思えるだけだろう。

今は、まだまだ核家族化が進行中の状況。田舎に産業がなく、若者は基本的には都会に出て行くから、田舎に年寄りが残ることが多い。限界集落といった聞き慣れない言葉が、いつの間にか常識的な言葉になってしまった。、

田舎に限らない。都会の年寄りも、自由がきくから一軒家に残りたがる。適切なタイミングで施設などに移れれば良いが、タイミングを失すると孤独死はすぐやってくる。

介護保険制度や、役所、近所の人たちの手助けが上手く働くことが多いとは思うものの、中には時期を失して失敗してしまう例もある。自分も判断力が損なわれた状態で、はたして自分の老後がどうなっているだろうかと考えると、不安に思う。

劇場主も訪問診療をやっているが、部屋が汚いので正直、足を踏む場所を確認しながらの診療。いつかスリッパを持って行って履いたら、たちどころに患者さんから嫌な顔をされてしまった。便を踏まないように、用心しないといけない診療は、正直言って辛い。

自分も孤独死にならないように、考えておくべきと思う。子供達は、生活能力の点でも情緒の面でも、信頼をおける状態にない。自分で施設を選び、介護職員のやっかいになるしかないのだろうか。その頃、介護保険制度が続いているかも、少し不安。

 

2015年10月 1日

おおかみこどもの雨と雪(2012)

Toho

- 約束事は -

おおかみ男と結婚した女が、二人の子供を育てる物語。現代風ひとり親の育児の現状と、オオカミ人間のSFを合体させた構成。9月13日、衛星放送で鑑賞。

非常に美しい話だった。子育てでの体験を思い出させるようなエピソードと、子離れ、学校生活の現実などが話に上手く盛り込まれていることで、実体験をしているかのような感情が沸いた。

思えば、「サマーウォーズ」でもそうだった。サークル活動などの学生生活や、田舎の親戚の集まりは極めて生活臭のする話で、壮大な戦いは極めてSF的。両極端な話を合体させる点は同じ。そろそろ、他の作り方を考えても良いと思う。「バケモノの子」は、いったいどんな話なんだろうか?

監督、脚本の細田守氏は、ジブリの後継者と目されているようだ。感性の面では近いものを感じる。自然に対する感覚は似ているのでは?そもそもオオカミを登場させたのは、「もののけ姫」あたりが影響しているように思う。

この話は、観客を感涙にひたらせることは狙っていなかったのかも知れない。感涙を生むためには、アニメの質も変えないといけない。もっと細かい表情が表現できるような、写実的な絵にならないといけない。そうすると、子供達が小さい頃の可愛いらしさは逆に損なわれてしまうかも知れないので、加減が難しい。

戦いの要素を持ち込むことも考えられたと思う。人間がオオカミの噂を聞きつけて追ってくる、ハンターや開発業者との戦いなど、アクションの要素が増えれば、「もののけ姫」と似てしまうが、壮大な物語になれる可能性が広がると思う。そこは狙っていなかったようだ。

いくつか疑問を感じた。オオカミが死んでいる場合、普通は大騒ぎになるだろう。ゴミ収集業者が簡単に持って行ったりするのは非現実的だ。あっさりした別れではなく、意外性に満ちた、荘厳な別れが必要だったと思う。あそこだけで、これは子供だましの話ではないかと疑ってしまった。

親子は貯金でしばらく生活していたという設定だったが、今日、そんな大金を貯金できるのは、よほどな高級取りに限られる。普通の労働者の場合、20-40万くらいの月給から多くの源泉徴収を受け、残りから生活費を払ったら、貯金に万単位で回すのは非常にきつい。数百万貯めるまでには、数十年かかってしまうから、じいさんになってしまう。非現実的と思う。現実性は意外に大事である。

田舎で出てくる近所の頑固者。彼は結局、あそこだけの登場で終わってしまって、作品の流れに大きく影響していなかったが、それは物語の作り方としては素人くさい。登場が終わる頃には、目立つ死に方が必要。

同じく、山の主は唐突に現れ、なんとなく消えていったが、それでは観客は敬意の抱きようがない。よって青年が敬意を持つ理由も分かり辛いこととなる。基本的な約束事ができていなかった。それともテレビ放映用に削ったのか?

 

 

 

2015年9月28日

おおかみは嘘をつく(2013)

Magnolia

- 気味は悪いが佳作 -

少女殺人事件の容疑者は刑事達に拷問されるが、それが動画サイトに投稿されたため、刑事は停職処分となる。いっぽう、娘の父親は容疑者への復讐を狙っていた・・・

・・・・恐ろしい映画だったが、非常に完成度の高い佳作。イスラエルの映画だというが、確かにハリウッド映画のような派手さがなく、ヨーロッパ映画ほど暗すぎず、ちょうど適度な雰囲気を作り、センスの良い映画だと思う。

とは言っても、この作品は子供に見せて良い映画ではなく、異常者達の犯罪映画であり、グロテスクな死体や無残な殺し、拷問のシーンが延々と続く、気味の悪い映画。恋人と楽しむタイプの映画とは思えない。基本は一人で鑑賞するのが良い。

アイディア、脚本が素晴らしかった。刑事が陥る境遇が恐ろしいのだが、滑稽でもあって、映画の魅力になっていたと思う。また、娘の父親や、祖父の対応、父親と祖母との電話での話の内容などもおかしい。恐ろしい拷問をやりながら、母親に言い訳をする様が笑える。

容疑者役も素晴らしかった。リアルさを保つように、妙に目立つ演技をしなかった点が良かったと思う。

より一般的にするなら、刑事が追い込まれて精神的に参ってしまい、過剰な行動に走る、それを後悔するなどの悩みが表現されると良かったかも知れない。誰に同情してもらい、誰を極悪に描き、誰が真の異常者か、そして逆転に次ぐ逆転の立場の入れ替わりも欲しかった。

よりリアルにしたいなら、娘の父親も悩みながら行動したほうがいい。おそらく初めて犯罪行為に走るのだろうから、何かのためらいはあるはず。そこらへんがリアルでなかった。

母親が登場しても良かったかも。夫婦でエスカレートしていくと、話はより陰惨になり、観るに堪えない作品になりかねないが、弱々しそうな母親が凶悪な人物に変わるのも、この作品のブラックユーモアに合致した流れと思う。

先日、中学一年生のカップルが惨殺される事件が起きた。犯行の目的は、これを書いている8月30日の時点では明らかになっていないが、よほどリッチな中学生でないかぎり金目的とは思えないし、性的犯罪にしては対象者が幼すぎるような気もするし、一般の予想を超えた何かがあったのだろう。

中学生でも色っぽい娘は変質者の注意を引いてしまうかも知れないし、元々容疑者に特殊な趣向があるのかも知れない。

容疑者が逮捕されるまで、いろいろな監視カメラの映像が役立ったらしい。コンビニや路地に配置されたカメラがたくさんあるので、総合すると容疑者につながるようで非常に便利だと思うものの、勘違いによる誤認逮捕が本当にないのか、気になる。ただ似ただけの人物を捕まえた可能性はあると思う。

中学生カップルは、二人でどこかに旅行しようとしていたらしいのだが、さすがに中学1年生の場合は、大人といっしょでないと責任問題が生じた場合、何もできない。親と喧嘩でもして、家出をしていたということだろうか?

容疑者は、過去に性犯罪で逮捕された過去があるという噂もあるようだ。本当なら、罰則や管理が適切だったのか、よく考えなおすべきと思う。本当の倒錯者を、簡単に野放しにしないようにして欲しいし、正常範囲の人間をむやみに追い込まないように、何か考え方があると思う。

 

 

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