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カテゴリー「え」の11件の記事

2009年4月 6日

ザ・エージェント(1996)

- 鼻持ちならぬ様が見事 -

スポーツ選手のエージェント(代理人)として大手の事務所に勤務するトム・クルーズは、ある日怪我をした選手を見舞うが、契約で選手を縛っていることを見透かした子供から「人でなし。」とののしられる。

今までの仕事のやり方に疑問を持った彼は、事務所に選手の側に立つ仕事を提案するが、あっさり解雇されてしまう。契約も奪われ、残ったのは落ち目のフットボール選手のキューバー・グッディン・Jrだけ。とりあえず彼の仕事をしながら、有望な新人選手の売り込みで活路を見出す予定だったが・・・

・・・3月初旬だったか、ドライブ中にラジオを聞いていたら、トム・クルーズさま御一行がプロモーションのために来日されたと報道されていた。映画「ワルキューレ」の宣伝のためらしい。彼は最近落ち目である。観ていないんで解らないが、戦争映画ではたして復活が可能かどうか、私は疑問に思う。

彼も優秀なエージェントを探せればいいが・・・。そんな関係で、この映画を思い出した。

いい映画だった。名画とは言えないかも知れないが、一定のレベルの出来栄えだと思う。家族で観るには、ちょっときわどいシーンがある。恋人といっしょに観るのはいいと思うが。

トム様の絶頂期の頃だと思える、この作品。でも実際にはトム・クルーズよりもキューバー・グッディン・Jrが素晴らしかった。結婚披露宴での歌、契約を続けるか電話で話す時のやりとり、個性的で強引なところ、そのくせ結構ビビル場合、不安げな表情とアクの強い部分とを両方演じきって、アカデミー助演賞を取ったのもうなづける。

いつも自信過剰で野心たっぷりのトム・クルーズを演じていると、鼻持ちならない感じを実に上手く表現していて見事だが、やはり多少の反感を買う。でも、彼をやり込める人物が出現したので、トム様に同情が集まる。そんな仕組みだった。この頃の彼の作品は全部そうだ。

レニー・ゼルウィガーを初めて知ったのも、この作品だった。でも、私には彼女のよさがさっぱり解らなかった。今でも解らない。美人だとは思えないし、特別に演技が上手かったようには見えなかった。田舎娘っぽい感じが嫌いではないが、あのトム様の相手役としては?だと感じた。

トム様の恋人役のスタイルのいい女優は、トム様をぶん殴った後はジョン・トラボルタと結婚したらしい。こちらは素晴らしいデキだった。出番をきっちりこなしていた。スタイルも良かった。何度も強調しているが・・・・。

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テーマも良かった。何かの契約を取る場合には、心から相手の利益、長期的な幸せを願って仕事したほうが、こちらも気分がいいし、長い目で見れば仕事も安定すると思う。そのへんを端的に、くどくならないように美しく描いていた。

医療もある程度はそう言える。もちろん医療機関の場合は、ほとんどが良心的で、患者の不利益を願っているような施設などないと思うが、大きな老人病院などの中には運営方針に疑問を感じるところがあった。

例えば、長期の療養の後に亡くなりそうになった時、心臓マッサージは何分以上、電気ショックは何回、薬はこれとこれを使って下さいと指示する病院もあった。もちろん大抵の医者は憤慨して無視するのだが、命に関係しない限りは営業に走る病院も少なくはなかった。

体がこう縮してしまった寝たきりの老人の体を無理やり引き伸ばして心臓のエコー検査を要求してくる病院もあった。心不全ではないし、必要ないと思うのだが、数ヶ月に一回は必ずオーダーしてくる。

こちらは検査する側で事情は知らないのだが、過去に激しい心疾患があったからというような理由はなかったようで、単に利益を上げんがためではないか?そうしないと、大きな病院を建てる際のローンをかえせないはずだから、と思えた。

私達の世代では医療は斜陽の業界になることが解っていたので、大学進学のときはコンピュータ業界に乗り出そうかと随分考えた。考えすぎて勉強が手に付かなくなってしまったくらいだ。あの時IT技術に乗り出していたら大金持ちになっていたかもしれないが、仕事が自分に合うか解らなかった。

孫正義にはなり損ねたが、医者の仕事には充実感がある。億単位の金を動かしても充実感はあるだろうが、患者を救ったという小さな感動を重視してしまった。そう信じたのが、自分の限界だったのかも知れない。大きな事業をする人は、小さな満足より圧倒的な野心で営利事業を起こすのだろう。営利に走ることに罪悪感めいたものを感じるようでは、大きなことなどできるはずがない。

医学部卒業の時には、私は迷わなかった。友人達の多くは営業的に安定している耳鼻科、皮膚科、眼科などを志望していたが、やはり命に関係する科を選んだ。しかもカッコいい心臓外、脳外科などではなく、意味が最も高い分野を選んだ。営業的には損しているが、例えば人の鼻の穴を覗くのに心の込めようがないので、耳鼻科を選ばなくてよかったと思う。皮膚ばっかり眺めるのもちょっと・・・

ただし、金回りの良さには憧れる。

先週は肝癌と、胆のう癌の患者さんが来られた。当院では治療できないので当然ながら紹介せざるをえないが、患者さんの家族を知っているだけに、こちらの心も揺れる。うまく手術で完全治癒に結びつけば充実感が味わえるが、肝癌の人は最初から末期だと解ったので、後味は良くない。

初診で来られた糖尿病の重症患者が肺炎を起こしていた。まだ50代の女性だ。もしかすると死ぬかなと緊張したが、インスリン導入と外来での点滴で乗り越えられそうだ。普通なら入院だったろう。

乗り越えた時の充実感は、自分が偉くなったわけではないのだが、やはり誇らしい気分だ。しかも、無駄な検査や治療はいっさいしていない。本当に無駄がないかは評価が難しいところで、これを悪用して検査を多用する病院も多いが、色んな可能性を検討して、考えに考えて必要最小限、かつ安全を確保できたと思う。これは誇っていいだろう。

もっと判断の精度を上げられると、さらにいいのだが・・・

 

 

2008年11月10日

エントラップメント(1999)

- 懐かしいスパイ映画タッチ -

美術品の保険を扱う会社に勤めるキャサリン・ゼダ・ジョーンズは、以前からある泥棒に目をつけていた。その泥棒ショーン・コネリーは、かって美術品専門の怪盗として名をはせていた。

新しい盗難事件が発生する。犯人はアクロバットのような身のこなしでレンブラントの絵画を盗む。郵便用ポストを利用して、自分は手ぶらで外に出る。

美術館を探偵していたジョーンズは、逆にショーン・コネリーに見つかってしまうが、自分の計画を打ち明ける。それは、展示中の古代マスクを盗むという計画。実は、それとレンブラントの絵を使って、銀行口座から巨額の金を引き出すための情報を得ようというのだ。

二人は協力してマスクを盗み、情報を得て、ついに巨大銀行のコンピューター室に潜入する。しかし、彼ら二人は互いに騙し合っていた・・・・。

この作品はテレビで2回観た。たぶん人気があるから再放送されると思える。騙し合いが繰り返されて、面白いと思う。

途中は誰が誰を騙しているのか解らなかった。観客である私も騙されていた。泥棒用の道具を調達してくる黒人が、まさか・・・・。脚本が随分良く練ってあったのだろう。特撮が全盛の時代にもかかわらず、この作品は実写で勝負した旧来の作り方で結構な人気を出した。

そのためか、懐かしいスパイ映画のような雰囲気が漂い、映画が全盛だった頃の名作を見ているかのような、あこがれ~ゴージャスな気持ちに近いものを感じることができた。

CG映像は、なぜか作品の質が低い~子供向きの映画であるというイメージを与える原因になるような気がする。私だけであろうか?時には、せっかくの俳優達の演技をチャチなものに感じさせる悪影響もあるように思うのだが・・。

謎とロマンスをからませたストーリーが良い効果を生んでいたが、いっぽうで息をつかせないスピード感といった流れの良さはないので、若い人の中には退屈する人もいるかも。子供は特にそうだろう。

この作品は、昔の映画と同じように、暴力やセックスの直接的表現は極力排除してあるので、家族とでも恋人とでも安心して観ることができる。たぶん恋人と寄り添って見てもハッピーな気分になれるのではないか?

真似して、さっそく何か騙そうと考え出さなきゃいいけど・・。

主人公はショーン・コネリーであったが、さすがにちょっと年を取りすぎていたような気もする。忍び込んで泥棒をするからには、やはり身軽なほうが良いので、もう少し若くてスマートな役者の方が良かったかも知れない。

しかし、若すぎるとダメである。この主人公は、ほとんどの人間を騙す役なので、したたかな感じを持つ役者でないと難しい。ヒーロー役をこなす役者は多いが、騙しあいを上手く演じる役者は少ない。

マイケル・ダグラスは、したたかだが激情を爆発させるイメージがある。アントニオ・バンデラスとハリソン・フォードはユーモアを持った冒険野郎だが、騙すのが得意には見えない。ブラッド・ピットも、トム・クルーズも、自分がハメられてから脱出するほうがイメージに合っている。シュワルツネッガーなどは体力勝負で全く合わない。

ジョージ・クルーニーは、最近のオーシャンズシリーズの関係で、イメージが騙しの専門家の方向に向かっている。この作品のイメージにも近いものがあるが、やはり騙されそうな気もする。

ジョン・トラボルタも騙しが得意そうだが、肥満体が災いして、ワイヤーにぶら下がることができそうにない。

騙しあい以外にも、キャサリン・ゼダ・ジョーンズが体をくねらせてセンサーをかいくぐるシーンもセクシーで良かったし、結局はハッピーエンドに終わるところも、観客受けする場面であった。主演の二人の持つ魅力が、作品の印象を随分良くしていた。

2000年問題を題材にして、娯楽作品をリアルに作ったアイディアには脱帽する。

ラストシーンの、誰も客がいない駅は不自然だった。客をFBIが止めていたという設定だったが、静かさに気づいた主人公達に逃げられてしまうはずである。せめて夜に撮影すれば良くなかっただろうか?最後が夜明けだと、きっと雰囲気がさらに良かったような気がする。

 

 

2008年10月18日

駅馬車(1939)

- 新たなタフガイ登場 -

駅馬車が、ある町に到着する。降り立った人の中に、夫を尋ねる身重の大佐婦人がいる。なぜか町の札付きのギャンブラーが目をつけ、ボディガードを申し出る。

町を追い出されるトーマス・ミッチェル医師と、商売女、それとあわてた様子の銀行頭取、酒の行商人、保安官もいっしょに旅に出る。しかし、インディアン達の動きが怪しいとの情報で、緊張の連続。

途中、脱獄囚のジョン・ウェインも同乗する。彼は肉親の敵を殺すために脱獄したらしい。首には賞金がかかっている。

銀行頭取は何か隠し事がありそうで、あせっている。横領しているのでは?医者は完全なアル中で、酒の行商人と仲良くしたがる。商売女は、常に白眼視されて辛い思いをする。保安官は職務上ジョン・ウェインを逮捕しないといけないが、インディアンを相手にする時には彼の助けを借りないといけない。

各地でのインディアンの襲撃で、馬車は孤立無援の状態になる。そして、ついにインディアン登場。激しい銃撃戦で、ギャンブラーは死んでしまう。彼は大佐夫人も知る名家の出身だったらしい。

生き残ったジョン・ウェインは、保安官の許しを得て敵の待つ場所へ向かう。敵を倒したら、商売女といっしょに暮らそうと約束して・・・・。

ジョン・フォード監督作品。解説によれば、当時はなぜか西部劇の人気がなかったそうだが、この作品の影響で復活したらしい。

キャラクター設定と、各々の描き方のバランスが良かった。

脱獄犯は、意外に紳士的で、理性的。肉親を殺されて復讐をしたいらしいが、それ以外はマトモらしいと解る。

銀行家がアップで何か驚いたようにしている不自然な場面が二回あった。ちょっと今ではオーバーな演出だったが、馬車の中でも随分とあせって、紳士らしくない。

御者がベラベラくだらないことを延々と喋っていたが、あんな人間に辟易とした経験があれば、おかしいとともに、話に現実味を持たせる不思議な効果がある。

各々の登場人物が、「子供が5人いるが・・・」「俺のカミさんは・・・」などと話すのも無駄なようで微妙な効果を持つ。そのへんの脚本のサエがあった。あんまりやりすぎると、冗長な印象を持たれてしまうので、展開の早さとのバランスが大事だが、神技のようにこなしていた。

個性的な乗客を設定するのはできたとしても、90分以内の短い時間で説明し、しかも物語を構成するのは至難の業だ。この作品は、そこをやってのけているところが凄い。

作品のスタイルは古いんだが、基本的なところが実にしっかりしている。

トーマス・ミッチェエル演じる飲んだくれ医者はインパクトがあったようで、アマデミーの助演男優賞を取ったそうだが、その後もグランドホテルスタイルの映画では似たような役割のお調子者が登場するので、何回も彼を観たような気がしてしまう。

厄介者、飲んだくれ、役立たず、無一文のいいとこなしの男が、出産や手術などの大きな仕事をこなし、主人公を勇気付ける大事な役割を演じるというのがパターン化している。しかし、無一文で、どうして馬車に乗れたのだ?

撮影の技術が、当時としては非常に進んでいたと思える。

銃撃されて馬もろとも倒れるインディアンが次々と出てくるが、この映像は今でも迫力がある。本当に倒れているからだ。おそらくガードを服の下に隠してはいるだろうが、首を痛めなかっただろうか?

インディアンが馬車の先頭の馬に乗っているところで銃撃され、馬や馬車の下敷きになるシーンがあったが、当時としては危なくてとても撮影できそうにないシーンだったらしい。

今ならCGを使って完全に合成したり、馬車を横広く作ってカメラを真横に持ってきて撮影し、さも下敷きになったかのように見せる技術があると思うが、この時代はまだ技術が確立していなかったはずなので、よく撮影したものだ。

残念ながら、手で何かに捉まりながら徐々に馬車のほうに移動しているのがわかる。完全に手を離して、さも下敷きになったかのように演技しながらスタントするだけの余裕はなかったようだ。

カメラワークは入念に計算した様子。平原を馬車が走っているが、カメラが横を向くと、そこにはインディアン達が今から襲撃しようと構えている!といった観客を驚かせる自然な演出ができていた。

ジョン・ウェインが登場する時は、まず銃声がする。なんだ?襲撃か?カメラが寄っていくと、そこに男が立ってショットガンをグルリと回すカッコ付けをしている。あれが噂に聞いていた脱獄犯だ!といった、演出効果バツグンのやり方。

最高にタフなキャラクターが登場して、この後たくさんの西部劇に出演したわけだが、動作がのろくて、すぐ撃ち殺されそうな印象も受ける。当時32歳のわりには、腹も出かかっている。

 

 

2008年9月22日

英雄の条件(2000)

- 自衛隊派遣の条件は?  -

ベトナムのジャングルから物語はスタートする。二人の軍曹が部隊を引き連れて敵を探す。片方のトミー・リー・ジョーンズは待ち伏せにあって部隊はほぼ壊滅、もう片方のサミュエル・L・ジャクソンは、ベトコンの将校を捕らえて攻撃中止をしないと殺すと脅迫。敵が退却してくれて、あやうく全滅を免れる。

そして現在。ジョーンズのほうは事務方になって退役。ジャクソンのほうは今も現役。今日もソマリアの大使を救うために、大使館に突入する。しかし、敵のデモ隊に混じったテロリスト達によって仲間が殺され、ついに彼は女子供も含めて皆殺しを命じる。

やがて、虐殺に対して軍事法廷が開催される。テロリストが混じっていたことを証明できるか?敵が先に攻撃したことを証明できるか?かって、敵の捕虜を違法に殺したことはなかったか?攻撃は必須だったのか?

隊長の独断による虐殺に仕立て上げないと政府の責任になるので、政府は証拠を隠滅して罪をジャクソン個人に背負わせようとする。そのために敏腕検察官を呼んでくる。救出された大使にも偽証を強いる。いかにもありそうなことだ。

さて裁判が始まったが、ジャクソン被告は旗色が悪い。テロリストの存在を証明するものがないかぎり有罪が予想される。弁護人のジョンーズは必死に無実を訴えるが・・・。

フリードキン監督は生きていた。

この作品は思っていたよりもずっと奥が深く、考えさせられる内容だった。実際の戦地でも、似たようなことは多いと思うし、戦争以外でも、例えば会社の営業や病院の医療事故でも似たようなことは起こっていると思う。

原題のengagementの意味が良く解らないが、戦闘の意味か?雇用契約の意味か?どちらでも通用すると思うが、邦題のほうが断然かっこいい。

さて、この場合の戦闘の状況だが、デモ隊にとってはどうだろう?

たとえテロリストが混ざっていたとしても、デモ隊にとっては無差別攻撃は人道に反するとしか思えない。アラーの神がアメリカ人を殺せと言っていると説教されれば、デモをしながら石くらいは投げるのが普通だ。アルカイダが勝手にデモ隊にまぎれて発砲しただけなのに、いっしょに攻撃されたらたまったもんじゃない。皆殺しして無罪なんて、ありえない。

きっと、そんなふうに考えるのではないか?

あくまで軍事法廷であるので、軍隊の規則に則っているかどうかが問われた裁判である。そもそもアメリカの軍隊に所属しているだけで、人道的にはほとんど犯罪である。

私が隊長ならどうしたか?やはり最初は狙撃兵めがけて発砲するだろうか?きっと長時間の撃ち合いになって、その間に犠牲者が増えてしまう結果となり、戦略的には無駄が多いが、建物の下からの攻撃は致命傷にはなりにくいので、より危険な狙撃手めがけて撃つべきだと思う。

最初に下に向けて攻撃すると、向かいのビルからの狙撃の餌食になりやすいはずである。このへんは映画では触れていなかったが、明らかにおかしい。

また、このような作戦では制空権を支配するために、戦闘ヘリを上空に飛ばしておくべきだが、それなら向かい側のビルをヘリで先に攻撃すれば良い。破片などが飛び出したら、デモ隊は逃げるはず。

攻撃の方法はマズかったと思う。

銃撃が始まれば、本当の民衆は逃げていく。残ったヤツラは戦闘の意志があると考えていい。少なくとも、そう言い訳できる。現代では、何事も言い訳ができること、責任を取れることが必要だ。突撃ラッパを吹くばかりでは生きていけない。

医療事故の場合も似ている。

事故が起これば、自分は関係ない、知らない、あいつのせいだと言わんばかりの態度をとる者が多い。病院は、医者個人のせい、医者は看護婦のせいにする。いまだにカルテの改ざんをする輩もいるが、気持ちは解る。

医局の責任になっては具合が悪いので、お前が責任を取って辞職しろ、なんてことは多かった。心臓カテーテル検査で死者が出た場合は、必ず一人は辞職するルールがあったくらいだ。

しかし、責任責任と言いすぎると、結局は自信のない症例には何もできないことになり、たらいまわしの事例が増える結果になる。善意に基づいて標準的治療をした場合には、よきソマリア人として救われるような法律がないと、とても仕事にならない。

自衛隊が海外派遣されるようになったが、法律がおかしいので必ず無駄に死ぬ隊員が出るだろう。その後で、おそらく本格的に派兵して戦闘できるように規則が変わるように、なしくずしの事態を防衛省は待っていると思う。

しかし、危険にさらされる隊員は、たまったもんじゃない。攻撃してはいけないと言われて、敵の前に立たされるなんて怖ろしい。

もし反撃したら、先に撃ったんじゃないか?本当に銃撃は必要だったのか?女子供を撃ったんじゃないか?などと、細かく追求されるだろう。

子供のアルカイダ兵がいたら、もう終わり。撃たれて死なないことを祈るしかない。

 

2008年4月30日

エディット・ピアフ(2007)

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- なぜかピアフ   -

愛の讃歌~エディット・ピアフとタイトルされていた。エディット・ピアフの映画は昔にもあった。テレビで観た記憶がある。下町の路地で歌うシーンは、やせた女の子が粗末な服を着た姿が悲しげでリアルだったことを思い出す。恋人ともタカリとも判別できないようなヤクザみたいな男達が彼女の才能に群がり、利用していた感じが分かる作品だった。実像に近いのは、たぶん昔の作品のほうではないか?

今回の2007年版は、ヤクザは出てこなかった。取り巻き連中は、みなが紳士として描かれていて、環境や人間関係についてはソフィスティケイティッドされた感じがした。両方ともイブ・モンタンなどの他の著名人は登場していなかった。なにか遺族に文句を言われる可能性もあったから削除されたのか?

ボクサーとの不倫にして純愛と言える話が中心であったが、純愛の姿がかわいらしかったので、話のレベルが上がる効果があった。ドロドロの別れ話や、恋愛遍歴は割愛して正解だった。本当がどうだったのかは知らないが、作品としては純愛が中心になったほうが盛り上るし、観客の印象も良くなったと思う。

大スターになってからのピアフは気まぐれで、ワガママな人物として表現されていたが、純愛のエピソードがあったために、なにかほほえましくさえ感じられた。ドロドロ話を除いた効果であろう。

今回のピアフは、よりリアルだった。小柄で、病的な姿を上手く表現できていた。主演の女優さんはマリオン・コティヤールという方だそうだが、アカデミー主演女優賞を取っていた。確かに価値のある演技ぶりだった。映像で見るときれいな女優さんで、映画とだいぶ違う。メーキャップも上手かったのだろう。

ボクサーの恋人との別れ話がクライマックスだったのかと思う。夢から覚めて、贈り物を探すシーンは、よく考えてあったが、唐突な印象も受けた。頭がおかしくなってから回想していくうちに夢と現実がごっちゃになっているという構成なら解るが、それまでと違う展開で、しかもこれっきりのでは、感心しない観客もいたかも。

技術の力のためか、歌声が実にクリアで、その場で歌っているかのように聞こえた。たぶん、過去の音源からシャープになるように音を処理していたのだろう。顔の向きや、役者の表情、手振りと一致するように、役者も技術者も根気良く作業したに違いない。

ピアフは日本の美空ひばりとオーバーラップするところが多い。国民的歌姫であり、家族関係、結婚などでは不幸であり、アルコールにおぼれて肝臓病が致命傷になったことなど、ほとんど同じ経過をたどっている。たぐい稀なる才能は、ストレスや精神的病気と同居する傾向があるのかも知れない。凡人にははかり知れない悩みがあったのかも。

愛の讃歌は、日本語で越地吹雪が歌った歌詞のほうが原曲より感動的だという話もある。原曲と表現内容が異なるらしい。いずれにせよ感動させる声、雰囲気を持つ曲である。

興味を持って代表曲集を聞いてみたことがあるが、「パリの空の下」など他の曲も良い雰囲気がある。アメリカ向けにリリー・マルレーンなんかを英語訳で歌っていたが、何か変な感じもあった。今ではあまりシャンソンは流行ではないが、訳のわからない一本調子の2流のラップミュージックよりは断然いいと思う。

なぜ、今ピアフを描こうと考えたのかが解らない。たまたま誰かが脚本を書いて、それが製作されただけなのだろうか?DVDには、そのへんの事情は書いてなかった。

デキの良い映画であったとは思うが、個人的には彼女がどうだったかには興味が薄いので、かってのシャンソン愛好家ほどには感動できなかった。対象が美空ひばりでも、たぶんそうである。尾崎豊なら、きっと違う。そういえば、尾崎の映画はありそうでないような気がする。

この映画は、家族で観ることは勧めない。たぶん、私と同じように子供が興味を示さないと思う。若い人達の多くも、たぶんそうかも知れないが、女の子には受けるかも。

2008年3月25日

エイリアンvsプレデター(2004)

- ゲテモノ対ゲテモノ映画  -

テレビでやってたんで観てみたら、結構面白かった。

しかしゲテモノ映画ではあるので、進んで子供に見せたり、恋人に勧めるようなことはしないほうが良さそう。作品の出来は悪くはないと思うが、趣味が良くない。

もともとの「エイリアン」、「プレデター」はインパクトのある作品だった。「エイリアン」一作目は、探検隊が進んでいく建造物が性器などをモチーフにした芸術的なもので、作品の質を高める効果があったと思う。女性が勇敢に戦う姿勢も新鮮で面白かった。プレデターも、最初はシュワルツネッガーが暴れまわる戦争映画と思っていたら、だんだん様相が変って、シュワちゃんも吹っ飛ばす宇宙人が現れて、必死に逃げ回るストーリーに驚いた。

両方の怪物が20世紀フォックスの作品からデビューしたためか、もしかするとスタッフに共通する人がいたのか、両者を戦わせようという話になったようで、そのための話をこじつけて作ったなと感じた。でも、話としてはSFの常道に沿ってると思う。以前にも似たような話の作品があったような気がする。

今回のヒーローも結局は女性だった。マイケル・ジャクソンの親戚かと思った。セクシー路線は狙っていなかったようで、下着姿すら出していなかった。エイリアンでは大事な場面で下着を見せて、緊迫感と色気が混ざった不思議な状態があったが、この作品は色気を無視していた。客へのサービスが足りないのでは?

富豪が穴の中まで入っていくのは危険だと普通なら考えるが、そこはゲテモノ映画の盛り上がりのために必要だったのだろう。なぜか、ガスバーナーで宇宙人を攻撃するアイディアまで考え出していたが、富豪のくせに荒っぽいという設定か?無理があったと思うが・・。

なぜエイリアンと戦う時にプレデターは透明状態でないのか?見えると見えないのとでは戦い方がちがうでしょうに。それに、人間の銃弾では平気なプレデターが、エイリアンの尻尾では簡単に刺されていたが、そんな尻尾があれば、そこらの岩なんかバラバラに壊されて、突き刺さったまま抜けなくなるかも。そこにちょっと無理があった。エイリアンも赤外線を感知しているのか?普通なら何か説明があってもいいような・・。

プレデターのマスクで見れば、体内にエイリアンがいることは解るはずなのに、なんで仲間の死体を運んだのか?さらに、「エイリアン」第二作目では、体内にエイリアンがいる人間をエイリアンは攻撃しないはずなのに、今回は攻撃している。矛盾点は多い。

でも、この作品で矛盾をついても仕方ない。

2008年2月16日

バッドボーイズ2バッド(2003)

- 横回転! -

アクション映画としては、一級品だと思う。子供にどんな影響があるかを考えると、あんまり見せにくいが、きっと楽しむこだろう。恋人と、純粋に楽しみのために見るには最高の作品。ロマンスは全然盛り上らないかも知れないが、とにかく飽きさせない。

金を横取りしようとする犯人がトレーラーから車を次々に切り離したため、放たれた車が横向きに高速道路をコロコロ転がるシーンは、怖ろしいほどの迫力! キレたように車を運転するウィル・スミスと対照的なマーティン・ローレンスの表情は喜劇とアクションが混在した傑作シーンと思う。

縦に車が回転するのは、マトリックス2のカーチェイスシーンだけではないかと思う。あれは凄かった。でも、あのSF映画だからできたシーンである。この作品では実感を出すために縦には回転していない。が、これでもかと次々車が転がって来た迫力は一級品だった。

どんな撮影法をすれば、あんな映像が撮れるのか、怪我しなかったか心配になるほど。車がコロコロ転がると面白いと解ってはいても、どう撮影するかは別。命を賭けて撮影するわけにはいかないので、入念に計算したに違いない。

激しいアクションの中に、おかしな表情を織り交ぜると、本当に面白い。最初の銃撃で、お尻に銃弾を喰らう時の叫び声と表情、そしてカーチェイスの中の表情は、おかしさが倍増する。製作者の意図は大成功していると思う。

日本では「あぶない刑事」が似たようなコンセプトで製作されていたが、やはり予算が違うので、この作品のような激しいカーチェイスや銃撃シーンは見られない。主演二人のキャラクターの面白さでは「あぶない刑事」のほうが上のレベルのような気がするのに残念。

主演二人の会話も面白い。会話がダサいと我々の興味が失われるが、無茶なキャラクターに皆が好感を持てる。よくできた話だった。

 

 

2007年7月18日

エネミー ライン(2001)

- お決まりの逃走劇  -

兵隊が敵地に取り残されて奮闘する物語でした。最近、この手の作品が多いような気がします。もしかすると、イランにおけるヘリの墜落や、ソマリア内戦の時に作戦の失敗がいくつかあったことなどで、取り残されての救出が現実感のある話だったからかも知れません。

舞台は旧ユーゴでした。長いこと戦闘が続きましたが、監視のために派遣されていた米軍機が山の中に墜落します。敵側に捕らえられると殺されそうですし、政治問題になりますので逃げざるをえません。救援隊はうかつには近づけません。政治的判断のためのようです。この設定はお決まりのパターンでした。

主人公は、独特な鼻の形をしていますが、本来はあまりマッチョな俳優ではなく、何か頼りない感じがします。「ライフ アクアティック」に出演して喜劇を演じてました。この作品では忍者のように山の中を駆け回り、ダムの壁を滑り降り、ゲリラ達に紛れて追撃を逃れようとします。いろんな場所でしつこいスパイナーにやられそうになりますが、かろうじて救援を待てるところまで到達します。しかし、敵も待ち構えているはずですから、救出の成功は主人公の工夫と紙一重のタイミングにかかっています。

実際に戦地に取り残されたら、その恐怖は凄いものでしょう。敵にしてみれば、こちらは侵略者ですから、どんなリンチをされるか分りません。取り残されて上層部に見殺しにでもされようものなら大変です。その恐怖をいかにうまく演出できるかが、この手の作品のポイントだと思います。

設定は良くできていたと思います。敵にしつこいスナイパーがいたことで、単純には逃げられないことになり、話がおもしろくなりました。でも、主人公の恐怖感がうまく演出できていたかどうかについては、私にはちょっと恐怖の色が足りなかったように思えました。もっと大スターが主演していたら、印象が変ったかもしれません。

上層部の命令を無視して主人公を救出に行くというのは決まりきったパターンでしたが、ジーン ハックマンの場合は、いかにもやりそうで適役でした。彼は本当に頑固者役がぴったりきます。

全体としてよくできた作品だと思いました。そう言えば、敵の将校が乗っていたのは三菱パジェロのようでした。こんなところにも日本製が入ってるとは驚きです。私も昔はパジェロの小さいのに乗っていましたので、懐かしくなりました。パジェロはハンドリングが抜群に良く、ランドクルーザーほど重くないので、ダート走行をするとスキーのような感覚で走れて本当に楽しい車でしたが、おそらく将校にとっては一種のステータスシンボルなのかも知れません。

2007年5月10日

エターナル サンシャイン

- 記憶を消したい?  -

テーマと発想が素晴らしい作品だと思いました。似たようなアイディアの話は、テレビドラマでもあったような気がしますが、この作品は特に主演のケイト ウインスレットの存在感とイメージが 作品のストーリーによく合っているので、感情移入しやすかったような気がしました。したがって、「タイタニック」がなければ、この作品の印象も変わったかもしれません。

記憶を消す商売をネタに、主人公と恋人が出会いと別れを経験します。話はいろいろ前後しますので、途中の時間はケイト ウィンスレットの髪の色などを参考しないと分らなくなりそうですが、おおまかに言うと、ジム キャリーの主人公が、ある集まりでケイト ウィンスレットと知り合い、恋に落ちます。しかし、付き合っているうちに、どうやら口論を繰り返すようになったらしく、彼女はジム キャリーとの記憶を消してしまいたいと考えるようになったようです。

ところが、記憶を消す作業に、作業員の思惑やら、ジム キャリーの強い思いやらがからんで、話は結構複雑になってしまいます。はたして主演の二人は別れてしまうのが良いのか、ヨリをもどすのか、見ている私達には分らなくなってきます。

人の記憶は、複雑な神経のネットワークによって形成されると思われますので、パソコンを持ち込んで電極を当てるような簡単な方法では消去できるはずがありません。たとえ可能になっても、人道的に必要と思われる場合(例えば大惨事がトラウマとなった人)以外は、記憶は残しておくべきものだと思います。

ちなみに私自身は、例えどんなに悲しい出来事でも忘れたくありません。みじめにフラレた経験の数々も、当時から半分人生やけになってましたので、悲しいのは悲しいけど、自分のようなアル中は振られて当然だと思いましたので、忘れたいとは思いません。怖い先輩にドツカレた恐怖の体験も、今となっては彼らを許してやりたい気がします。辛い感情も、多くの場合は薄れていくはずだと思っています。

私の奥さんの記憶をきれいさっぱり消して、どこかの若い子との新しい記憶を作ってくれると嬉しいのですが、客観的に考えると相手の女の子が気の毒な気もします。悲しいことですけど、自分には甲斐性がありませんもん。自己中心的ではいけません。

もし私の子供が今死んでしまったら、精神的に耐えられるか分りません。私の知人が事故で子供さんを亡くされましたが、完全なウツ病になってしまわれました。もしかすると、そんな時は記憶を消して欲しいと思うかも知れません。幸いにも私は比較的幸せな人生を歩んでいるから、気持ちが分らないだけかも知れません。

さて、この作品のなかのジム キャリーは、あまり好きになれません。テーマから考えると、二枚目俳優の方が向いていたはずです。なんで彼がキャスティングされたのか分りません。女性達が感情移入するためには、演技が下手でもヨン様的な俳優が良かったはずです。

さらに、話はもっと簡略化できたような気もします。回想シーンが多すぎて、芸術嗜好の学生が作るような、凝った脚本になっていました。回想は1回ですむように、もっと構想を練ったら分りやすかったかもしれません。でも見応えにある作品でした。ぜひ見てください。

2006年12月10日

エアフォース ワン

- 大統領の笑顔を学べ -

この作品は、テレビで何度となく見たような気がします。それだけ好評だということでしょうか? 乗っ取りの始まりに銃をぶっぱなす場面は子供にはあまり良くないかもしれませんが、基本的には家族で楽しめる作品だと思います。繰り返し放映されたので、見ている人が多いはずで、恋人と見ようとすると「うん、いいわね。」と言いながら、実は「え~っ、また~っ。仕方ないわね。」と思う人もいるかもしれません。

ハリソン フォードは今でも人気がありますが、やはりムチを持って荒野を探検していないと魅力が半減します。今回は軍隊の経験のある大統領の役でしたが、そもそも大統領とは笑い方が違うような気がします。

アメリカの大統領は、テレビで見栄えしないといけない関係で、ニカッとした笑いが要求されますが、ハリソン フォードの笑い方はニヒルな、「ふん、なめんなよ。」「ふざけんなよ」的な笑い方が多かったので、たぶんテレビ討論の視聴者アンケートで負けて落選します。

彼はヒーローですが、どちらかと言えばアウトロー的なキャラクターですから、今回はミスキャストだったかもしれません。もしかすると、この作品はシュワルツネガーに断られた企画かもしれません。現実に州知事にもなっていますが、シュワルツネガーのほうが政治家むきの笑顔です。

ロシア語のスピーチも良くありませんでした。テロリストへの脅しは感情をこめるために英語でやるべきで、声を低くして迫力を出すのではなく、音楽などで断固たる決意を表現した方が良かったと思いました。

しょせん現在のアメリカの有権者は、ニカッと笑って、昔は軍でパイロットなどを経験している大統領を望んでいるのでしょう。確かに、日本のように試験勉強に明け暮れたエリートでは、国際社会とわたり合う度胸も能力もないヒヨッ子しか育たないので、そのほうが健全なのかも知れません。

中国やローマの歴史を見ても、日本のような制度で官僚や政治家を選んでもロクな政策を出せないだろうと予測できます。なんで歴史から学ばないのでしょうか?

何の話をしていたのか分らなくなりましたが、とにかく皆に好評らしく、確かに結構おもしろい作品だと思います。

2006年9月30日

X-メン(1)

監督 ゲイだそうです。 主演 ヒュー ジャックマン

この映画は、いちおう子供にも見せられますが、好ましい影響はないでしょう。猟奇的なシーンはありませんが、殴る、蹴る、切る、溶かす?電撃を喰らわせるなどは当たり前の作品です。

大人が見るぶんには、恋人、友人といっしょか否か、その性別を問わず、おもしろい作品だと思います。

Ⅹ-メンはもともと人気コミックが原作だそうですが、実物を見たことはありません。アメコミはセリフが多くて独特の間があるので読むと疲れます。映画は3作に分けて作られていますが、パート1が最も雰囲気が出ています。超能力者の苦悩がテーマのひとつになっていて、ドラマとしても訴えかけるものがあります。おそらく監督の性的嗜好ゆえの疎外感が関係しているのかも知れません。 静かに始まり、途中も安っぽいアクション全開ノンストップという作りでないのが良いところです。

でも、やはり一番の見どころは超能力のシーンです。アイディアもいいし、その能力の表現もよくできています。中でも見ていて一番面白いのは、全身うろこのミスティークというキャラクターでしょうか。全シリーズで活躍しているようです。

各キャラクターが空中で見せるアクションについては、シリーズ第2作と比べるとワイヤーアクションに慣れていないのか少々ぎこちない動作も見られますが、作品としては第1作が最もまとまっているように感じます。

主演のヒュー ジャックマンは表情が良く、舞台劇でも通用するような迫力を感じさせます。異質な存在であることの苦悩を、よく表現できていると思います。逆にファムケ ヤンセン演じるキャラクターは表現しにくい能力のためか、イマイチ魅力に欠けている気がしました。同じように分りにくい能力のアンナ パキンは境遇を可哀そうに感じられたので、描き方のせいかも知れません。 ハル ベリーも演技というか動作に不自然さを感じました。アクション映画ですから、基本的に迫力のある俳優のほうが似合うのではないかと思います。

細かい点に不満がありますが、良くできた作品だと思います。もちろん大感動作ではありませんが、単純なCGものに止まらないドラマがあります。

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