映画評

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カテゴリー「え」の38件の記事

2017年4月26日

エンド・オブ・キングダム(2016)

London_has_fallen

Milleniumm Films G-BASE etc

- トランプ時代のヒーローか? -

前作で米国大統領を救った主人公は、随行したロンドンで、またしてもテロリストに襲われる。ロンドンの街中を逃走するが、内通者によって大統領の情報が漏れてしまう・・・・

・・・・DVDで鑑賞。奇想天外なアクション映画の類に属する作品で、二級品だからと、あんまり期待しないで鑑賞を始めたのだが、意外に高度な映像表現でスピーディーな流れを維持しており、よく出来ていたと感じた。

主演のジェラルド・バトラーは制作者も兼ねていたそうで、この作品のウリを的確に判断し、商品としての価値を高めるべく、演出に必要なことはこなし、演技も見事だった。彼の大車輪の活躍が、この作品の成功の理由のひとつだろう。

トム・クルーズも自分の映画をプロデュースする能力があるらしい。彼と似たような立場で、バトラーも自らを演出し、企画に参画し、仕上げているようだ。かってチャップリンがそうだったように、全てを取り仕切るだけの才能があり、監督業もこなせるのではと思った。

この作品は、道義的に問題のあるシーンも多い。主人公はアンチヒーロー的な性格を有すると、バトラー自身も述べていた。おおむね正義のヒーローと言えるとは思うのだが、米国流のヒーローであって、万国共通のヒーローではない。興業面から言えばアメリカファーストでやるべきで、キャラクター設定としては、そうすべきだったと思う。

人権意識などない敵を相手にしていることは確かである。欧米同士が戦っていた時代とは、戦場のルールからして違う。ヒーロー像も、時代に応じて変わらざるをえないということではないか?

万国型ヒーローは、リンチめいたことをしない。でもそれでは、米国民の相当数の人達には、生ぬるく嘘っぽい印象を与えてしまうのではと考える。たとえば中西部でライフル片手に生活している人達は、「なぜ敵を殴って情報を聞き出さないんだ!」と、怒るのだろうと想像(勝手な想像だが)する。ヤワな印象が少しでもあれば、トランプ時代の今日、もはや批判の対象にしかならない。

問答無用であること、基本として力任せであること、手段を選ばないこと、タフでハードボイルドタッチの行動。そんな個性が、今は望まれているということだろう。上空から誘導ミサイルで攻撃することに、何もためらってはいけない。検討しすぎると、オバマ政権時代のように、急に作戦を中止したりしてロシアにつけ込まれる。この作品は、そこを正々堂々と訴えている。

でも巻き添えになる人には、たまったものじゃない。ラスト近くで、「建物内に民間人はいません!」と報告されていたが、あの程度の確認で大丈夫だろうか?「すんません、よく調べたら一般人の掃除夫がいました!」ってなことは、ありうることだと思うが・・・

 

2017年2月16日

エージェント・ウルトラ(2015)

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- 聞き飽きていたが -

さえない主人公は、町から外に出ようとするだけでパニック発作を起こす始末。そんな彼に、謎の女性が呪文のような言葉を発すると・・・

・・・DVDで鑑賞。1週間借りられるような、つまりは人気のない映画を探していて見つけた。ところが観てみたら意外に面白くて、驚いてしまった。あまりヒットしたような報道は聞かなかったが、そもそも熊本市では上映されていなかったのではなかろうか?マイナーな企画だったのだろう。

意外なほど面白かった。痛快アクション映画とは言えない程度のアクションだったのだが、登場人物のキャラクター設定が非常に優れていたので、ドラマとしてまとまっていたように思う。基本的な設定の巧さ、カメラワーク、コマワリというかスピード感の出し方などの技術がしっかりしていたと感じた。

この作品は子供でも鑑賞可能かも知れないが、一部には残虐な殺人シーンもあるので、問題がないわけではないだろう。恋人と観る場合は、きっとウケが良いはず。期待感を持たずに観た場合が、特にそうだろう。

普通なら、殺人の仕方をもっと残虐にするといった方法で、客受けを狙いそうなものだ。安易な方法だが、この作品でもより残虐にすれば、より評判にはなったと思う。主人公も結構激しいことをやってはいたが、ユーモアを優先した方法だった。どうするのが最も受けたのかは分からないが、もう少し超能力めいた画期的な技術を見せてもよくなかったろうか?それが、この作品の設定には合致していると思う。

似たような話は時々観る気がする。呪文を唱えたら、急に過去の特殊な訓練を思い出し、殺人者になる・・・・その手の話は聞き飽きたくらいの感覚があるほど。この作品では、呪文を唱えられても何も変化がない点は、そのマンネリ感を避けるための設定だったのだろう。あれが成功していた。

主人公のジェシー・アイゼンバーグは、冴えない風貌と鋭い能力を併せ持つ役柄の場合は、必ずのように呼ばれる俳優のようだ。ヒロインの女優さんはトワイライト・シリーズのヒロインの方だったが、魅力はよく分からない。

殺人者の中で狂ったような笑い方をするウォルトン・ゴギンスは、この作品では最も魅力的なキャラクターだった。表情が素晴らしい。

 

 

2016年9月26日

X-ファイル:真実を求めて(2008)

- 映画にも真実を -

衛星放送で鑑賞。印象として、これを劇場で鑑賞したら損した気分になって、劇場側に文句をいいたくなったろうと感じた。でも、もしテレビシリーズの時代にファンになっていたら、大満足とはいえないけれど許容範囲だったかもしれない。

劇場主はテレビを観てないので、人気だった当時の興奮を思い出すことはできない。この作品だけを観ると、まさか出来が良いとは思えない。したがって、子供に初めて観せる場合は、この作品は推奨できない。基本は、かってのファン限定作品と考える。

テレビのほうはビデオ化されているはずだが、一度も観たことがない。宣伝は何度も見た。気味の悪いテーマ曲が印象的で、スリラーと科学、捜査、アクションなどの要素を上手く融合させた話ではないかと想像したが、時間がもったいなくてシリーズものを敬遠しており、とうとう観ないまま。

モルダー氏を演じていた俳優には、見た目の魅力をあんまり感じなかった。役柄をよく知らないのだが、元々はセクシーなスパイ~捜査官というタイプではないのか?女性とキスはやっていたが、ベッドでただいっしょに寝ているだけの主人公なんて、映画的には理解できなかった。今は節度をしっかり守るタイプが流行なのか?ホモセクシャルなキャラクターじゃないはずだが、米国ではあんな関係が流行なのか・・・?

そう言えば、NHKの有名女子アナ独身嬢が、米国で魅力的な男性は、ことごとくホモセクシャルで、自分の相手をしてくれなかったとコメントしたことがあった。なかばジョークだろうが、単純な男女関係は、今日の米国では難しい面もあるのかも知れない。

女医さん役のほうは表情がしっかりと出ていて、ドラマの登場人物に充分な存在感を感じた。

気になったのは、米国では移植医療のような特殊技術を、捜査官などをやるような非専門医がやって良いのだろうか?専門医の中でも、移植がからむ技術の場合、トレーニングをしょっちゅうやっている人が施行しないと成功率が落ちてしまう。普通は大学病院やナショナルセンターで、しかも科長クラスに限定して施行させるはず。ドラマにリアリティを持たせるために、そのへんはこだわって欲しい。

「脳外科医マーシュの告白」という本がある。マーシュ医師は英国では有名な医者らしいが、様々な失敗をして用心深くなり、成功率を上げたことが本を読んで感じられた。日本のドラマでも医者役が適当なことをやっていて、いきなり名医になってしまう展開があるが、手術の技量が身につくのには、相当な時間を要するはず。

ただ素早く切るだけなら、30歳までに一流になれると思うけど、失敗によって得られる技術もきっとある。専門知識以外から得られる知識が、専門分野での成功率を上げてくれることも多いと思う。最新の知識を覚える点に関しては、天才的な若者が10代で世界のトップに立つことも可能だろうが、たとえば天皇陛下の手術を30歳くらいの‘名医’がやるのは、さすがに考えにくい。一定の修練を経ていないと、名医にはなれないはず。

さて、豊洲市場の建物の地下が、報告と違う構造になっていて問題になっている。その経緯の真相は、これを書いている時点では分かっていない。おそらく、当事者達が記憶がないと言って言い逃れし、うやむやに終わる可能性もある。ここはモルダー君に担当してもらうべきかも知れない。

今のところ、高濃度の毒物が検出されたりはしていないから、実質の被害は生じないように思えるが、信頼度を失った市場は敬遠されるかも知れない。既にそのような動きは、一部の店では発生しているという。「当店は豊洲の魚は扱っていません。」それがウリになる可能性はある。

議会への報告と違った工事をしていたら、都の担当部局には処罰が必要になると思う。と言っても、禁固刑などの対象ではないだろうから、おそらく歴代の部長、局長クラスの問責、減給などが決まるのでは?もし業者からの要望で計画が変わっていたと判明したら、それは大きな犯罪になるだろう。でも、今の時点では都知事か、都の職員の認識不足に問題があった様子。

石原元知事は威勢が良いから、生真面目に審査会答申通りに計画を進める部長を嫌い、工事費を減らせる部長にすげ替え、費用を減らす手段は任せて、後のことは忘れてしまっているのかも知れない。石原氏が直接工法を変える指示を出したとは考えにくいから、意図的な行為ではなく、意味がよく分からないまま、手続きの流れを軽視した結果起こった行政のミスなのかも知れない。氏のように威勢の良い政治家は、基本的に思慮深いタイプとは言えないので、起こるべくして起こった事例かも。

いずれにせよ公金を、それも膨大な金を使った事業であるから、面倒でも法的に正当な手続きに従って進める必要がある。手続きを勝手にいじったら、罪状名は知らないが、なんらかの犯罪に相当するのでは?少なくとも、今後行政に関する発現は止めるべきだろう。当時のことには責任があるのだから。

2016年8月12日

エール!(2014)

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- 家族の物語 -

農家の娘は、彼女を除く家族が聾唖者のため、家から離れられない。音楽学校への進学は諦めざるをえないのか、悩むヒロインだった・・・・

・・・・この作品は、他の映画のDVDを鑑賞していて、宣伝で知って気になって借りた次第。宣伝は往々にして長すぎて困るが、たまに良い映画を知る機会になるので、それなりの価値もあり、まあ全否定はできないだろう。

主役のルアンヌ・エメラ嬢は有名なシンガーだそうだが、この作品以外では評判を聞いたことがなかった。美人過ぎず、庶民的な印象が良い味になっていると思う。演技が上手いかどうかは分からないが、少なくとも自然に思えて、作品の出来映えに貢献していたと思う。

見た目の魅力、素晴らしい美貌、お色気などは、この作品では必要なかったかも知れない。恋人役の青年も、格好良いのかどうか判断できなかった。それで良かったのだろう。この作品の中心は恋の話ではなく、家族の物語だったのだから。

肝心の歌声は、劇場主としては過去のフレンチポップスの歌手ほどではないように思えた。You Tubeで彼女の曲を聴くとずっと美しい声なので、音響効果が足りなかったのではないか?何かの編集作業が欠けていた。アカペラのような曲には、それなりの音響処理方法があるはず。

エメラ嬢のプロモーション・ビデオはずいぶん大人しい。米国の若手ミュージシャンだったら、激しく腰を振り回し、攻撃的な歌詞をラップ調で険しい表情で訴えるだろうに、ほとんど学芸会なみの純真路線を貫いている。ビヨンセみたいに踊らない。

もし、この作品がハリウッドでリメイクされるとしたら、きっとディズニー・ミュージカルになると思う。そうなると、とてもこんな作品にはならない。歌声や迫力は素晴らしくなるだろうが、せっかくの味わいが薄れて、絵空事にしかならない。そう予想する。

ヒロインも自然な演技だったが、家族達の演技も不自然なところがなく、演出も非常に良かったのだろうと思う。あまり激しい名演をやってもらっても困る作品なので、適度の抑制が効いた演出は、見事だったと言うべきだろう。脚本原案には、実際の聾唖者家族を知る人が参加しているらしく、その実体験が効果的に働いたらしい。

この作品は家族で鑑賞して良いと思う。一部、性的な内容が出てくるが、ハリウッド流の変態志向、軽い調子とは違った暖かみが感じられる。恋人と鑑賞するのも非常に良い作品。激し過ぎず、軽すぎず、テーマが良くて品も良い。恋に悪影響を及ぼすとは考えにくいので。そんな映画だからヒットしたんだろう。

聾唖者が多い家系という設定は、どんな効果をもたらしたのだろうか?もし、この作品が一般の平凡な家庭の娘を主人公にしていたら、彼女が家を出ることにさほど問題はないから、全く盛り上がりを欠く結果になったろう。家族の誰かが反対したとしても、娘が悩むのはおかしいと、すぐ判断されるだろう。

きわめて珍しい設定を設けたことは、観客が状況を納得しやすいという効果はあったはず。しかも適切な描き方によって、悲壮感がない幸せな家庭であることが理解できたので、家族を見てこちらが勇気づけられ、こちらとしても応援したくなるような、そんな感覚が生まれた。家族のキャラクターが素晴らしかった。

珍しい設定は、作りすぎた物語という印象につながり、韓流映画の中でよくあるような無理なドラマに陥りやすい欠点もある。そんな悪い面を、良い面が完全に覆ってしまった印象。実話が元になったことのためか、企画の方針が正しかったためか、何かが良い方向に働いたのだろう。

フランスの高校生で、農作業をこなしつつ部活動もやる、そんなことは普通にありうることなのだろうか?劇場主の高校時代は、バイトをやっている同級生はいなかったようだし、部活動も非常に低調だった。実家の手伝いをやっている者がいたようにも思えない。

ヒロインの家族は広大な農地を持っていたようで、建物や仕事の規模が日本と全く違う点は関係するかも知れない。日本では、北海道など限られた地域しか、あんな光景は見られそうにない。農業立国が成功しているフランスだから、農家の収入は相当なものだろうと想像するが、それなら日本のように農業から脱出するために高校に行くような状況ではないのかも。

家業が続くなら、仕事に誇りも持てるし、手伝いにも納得できる。厳しい経営状況が多い日本の零細農家では、こんな幸福な家族の雰囲気は出てこないだろう。

 

 

2016年7月13日

エベレスト 3D(2015)

Universal

- 感動は・・・ -

エベレスト登頂を目指すグループが経験する試練を描いた作品。3Dと特に断ってあるのは、クレバスや山々の深さ、高さを3Dで表現することに徹していたからと思う。美しく、迫力のある、でも非常に怖ろしい映像であった。

有名俳優が多数出演していた。ジョシュ・ブローリンやジェイク・ギレンホールが演じた役は、この作品では主役扱いではないから、普通なら無名俳優でもいいのでは?と思えるのだが、喜んで出演していたのではと感じさせる存在感、実在感を見せていた。

監督も知らない人だったが、制作者か誰かに彼らと共通の友人がいたのだろうか?あるいは、各々の俳優が登山に興味があり、事件を扱った本を読んで出演を希望したのか?事情はよく知らない。

生死をかけたアタックは、映画の題材として最高だとは思う。成功した場合も、悲惨な結果に終わった場合も、両方ともドラマは盛り上がるはずだ。そこを考えて、出演を希望したのかも知れない。あるいは単に資金が大きく集まってギャラが良かったのか?

この作品は感動作になりきれていないと思う。子供が観て楽しめる内容とも思えない。ハッピーエンドとは言えない。得られる教訓は色々あるが、建設的な描き方をしているようには感じない。視点を少し変えると、もっと感動につながったのではないか?

おそらく、制作にあたって相当高額な保険が設定されたに違いない。撮影が相当な山岳地でやられたことは間違いないと思うし、低い山だって転落事故などは起こりうる。カメラを担いで急な斜面を行き来するだけでも、転倒や故障の危険性は相当あったと思う。見事な映像だったが、それに要した撮影は危険極まりないものだったろう。

この作品は、おそらく同行していたジャーナリストによる書籍や、凍傷を負った人物の手記を元に脚本を作ったように思う。特定の人物をヒーロー扱いしたようには思えないが、特定の団体のわがまま行為を非難はしていた。危険地帯で独断的な態度を取られたら敵わない。ただ、映画で誰かを特定して描いて良いかは、微妙な問題とも思った。

劇場主は8000メートルの高地の呼吸の状態など想像できない。4000メートルクラスのユングフラウでは特に空気の薄さを感じることはなかったが、たぶん鈍いだけだろう。さすがにその倍の高さだと、息苦しいと分かるはず。そして理解に苦しむのは、そこに酸素ボンベを持って上がること。

病院で使うボンベはものすごく重い。材質がそのままでは、とても持って登れないから、山岳用はアルミか何かの特殊素材になっていると思うが、それでも金属だから、重くないはずはない。ある記載によれば3.5キロもあるそうだ。

これを複数持って上がると、そのぶん消耗も激しいはず。1本ではせいぜい10時間くらいしか保たないと書いてあるけど、予備を考えると2本は必須だろう。7キロは厳しい負担になる。10時間で確実に済むためには、入念な準備が必要。仲間割れや競争などは、絶対にやってはいけない行為。

エリスロポエチンの注射などは、今は使われるのだろうか?ジェネリック製剤もあるだろうから、一般的に使われているかも知れない。ダイアモックスも高山病予防に必ず使うだろう。

なぜエベレストを目指すのか、劇場主にはそこが理解できない。景色は美しいだろうが、3000メートルの山だって充分に美しい景色は見られる。既に登頂はビジネス化しており、成功した人間も多いから、名誉についても限定的。それでも登頂を目指すのには、自己満足の部分がかなりあるように疑う。極論すれば、自己実現欲が主な理由ではないか?

自己実現欲、達成欲は成功の原動力である。学業や事業においても、派手な成功をしている人は、無茶なくらい努力し、虚栄心や攻撃性に満ちていることが多い。周辺の人間に害を及ぼさないなら賞賛すべきだろうが、その人の成功のせいで組織全体が壊滅することもある。そして本人の生命に関しても、諸刃の剣である。

気象情報などは、今の時代は正確に分かりそうな気がする。ベースキャンプからの情報で、数時間後にどうなるか伝えれば、遭難しない時間帯を探せると思う。96年の遭難は、何かのミスがあったはず。当時でも衛星を介して充分に通信できていたような気がする。位置情報を送り、天候の変化も随時確認できたはずと思う。

 

 

2015年9月25日

エグゼクティヴ・デシジョン(1996)

Warnerbros

- 後年のテロを・・・ -

北アフリカのテロリストを逮捕した米国に対し、テロ集団は化学兵器とハイジャックを使って反撃に出る。対する米軍は、特殊部隊を突入させるが、作戦は失敗し、旅客機ごと爆破するしかないと決断が・・・・

・・・・衛星劇場で鑑賞。この作品は、確か二回目の鑑賞ではなかったかと思うが、それでも退屈しなかった。単純に面白い。

珍しい映画だった。スティーブン・セガールが出演する作品は、必ずセガールが無茶苦茶な活躍をしていた。非現実的で、一方的な戦いぶりを見せることが約束。この作品は、その大事な約束を破っていた。そして、それが結果として良かった。よくセガールが納得したものだ。

この作品は銃撃戦、血まみれのシーンもあるので、小さい子には向いていないと思う。普通の若者達なら、何の問題もない作品であるような気はするが、イスラム圏が起こす事件が年々変わっているので、場合によっては放映禁止にすべき時期も今後ありうる。この作品が、後年のテロのアイディアを生んだ可能性もある。

面白かった理由は、展開が複雑で形勢の逆転を繰り返したからではないか?爆弾処理の過程が特にそうで、上手くいったり、落とし穴があったり、複雑になるように工夫されていた。

いっぽうで適当すぎる部分も感じた。戦いの後、隊員達が急に元気になっているなど、普通では考えられない。事件の報告もそこそこに、乗務員のヒロインがさっそくデートに行くようでは、事故の検証ができないだろうが!

若いハル・ベリーが出演していて、非常に痩せて頬がこけている。この数年後にはメジャーな女優になったはずだが、この当時は良き脇役だった。この作品も出世作になったかも知れない。緊迫した表情が上手かったし、充分に色気もあった。

主役はカート・ラッセルだった。このキャスティングの意味、選択の正しさは劇場主には分からない。この役柄は、ちょうどジャック・ライアンシリーズの主人公のキャラクターだと思う。腕力勝負のタフネスではなく、素人だがクレバーなタフ。そして二枚目。カート氏は、ちょっと意外な印象。

主役にもっと魅力が感じられるように、たとえばダンディな女好きで、女性にはだらしない人物、複数の恋人ともめているなど、女たらしの個性を際立たせるエピソードがあっても良くなかったか?

あるいは無類の賭け事好き。ギャンブルで酷い借金を背負い、個人的には破産の危機にあるなど、破綻的などん底の状態にあったほうが、最後の盛り上がり方が違うと思う。

 

 

 

2015年8月 2日

栄光への脱出(1960)

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- 長すぎ -

ポール・ニューマン主演。6月21、28日の二晩、衛星放送で放映されたものを鑑賞。ひどく長い作品。時間を短縮して欲しかった。

叙事詩的な映画。出エジプトをイメージした‘エクソダス’が船の名前になっていたくらいだから、元々の話が叙事詩的。映画も自然と力が入って大作にならざるをえなかったのかもしれないが、観る側の都合も考えてもらいたい。

叙事詩的な映画は嫌いじゃない。古代のローマや聖書がらみのハリウッド映画は、子供の頃に豊かな気分を味わえる‘大作’だった。自分が人類の一員として誇らしいような、妙な高揚感が味わえた。まさか日本人がキリストに水をあげたりするチャンスはなかったはずで、全くの異郷の話なんだが、なぜか‘人類’をイメージさせる迫力があった。

今の子供が、この作品を観ることは止めるべき。日本人には全く向かない。ユダヤ系の人なら、もっと長くても全然気にならないだろうが、日本人なら退屈してしまう。恋人と観るのも絶対に止めたほうが良い。何を考えているの?と、思われるだけ。

キブツの一種らしき、制服姿の子供達が集団生活している集落が面白かった。ボーイスカウトの流れだろうか?半ズボン姿で踊りやらやってるのは、社会主義国かサマーキャンプのような、ちょっと異様な光景で、観てるこちらが気恥ずかしくなる。

あんな形態が必要だったのは、おそらく様々な地域から、言葉の違う連中が集まったので、内部の対立を避け、意思疎通を図るためだったのでは?それに、バラバラに住んでいたら、アラブ人に殺されるからだろう。

傍観者として現地にやってきた米国の婦人役をエヴァ・マリー・セイントが演じていた。主人公の父親役がリー・J・コップだから、この作品は「波止場」一派の息がかかった作品と思われる。東欧移民の重大関心事を、どうしても映画化したかったのだ。ユダヤ人が大勢参加しているのは当然だし、資金もスタッフも、宣伝も配役も何もかもユダヤ系、視点も当然そうなのだろう。

視点に非常な偏りがあると思う。アラブ側の見地は皆無に等しい。もちろんアラブ側からの残虐行為はあったはずだが、イスラエル側の過剰な攻撃も必ずあったはず。どこから過剰で、どこまで正当かは分からない。

エヴァ嬢の演じた役は、実在したモデルがいるのだろうか?この作品を観た印象では、彼女の役は本来は必要のない役で、米国人の感心を得るための添え物的なキャラクターに過ぎない。彼女の役は必要なかったかも知れない。最終的に彼女は銃を構えて兵士の格好をしていた。いくらなんでも無茶だ。

キプロスの仲介者の役は、「ベン・ハー」でアラブの部族長を演じていた役者ではないかと思う。独特の目つきが怖い。キプロスの現地人達がどう行動したかには興味がある。商売を考えると、イギリスよりもイスラエルの将来のほうが重要と考えたのか、単に支配者イギリスに対する反感が強すぎて、敵の敵であるユダヤ人に力を貸しただけなのか?または、ユダヤに対しても必ずしも好意的ではなかったのか?

劇場主の若い頃に長く続いたキプロス紛争は、今は戦闘は収まっているようだ。でも島の分断は続いているはずだから、再燃する危険性はあるはず。ギリシア経済が凄い状態だから、ギリシヤ系が多いキプロスの経済にも大きな変動が来るだろう。また紛争が再燃し、気がついたらロシア領になったりしないだろうか?

この作品を観ていたら、イギリス軍が気の毒に思えてきた。紛争の原因を作ったのはイギリス政府だから当然の報いなんだが、先鋭化した対立の中で、双方から攻撃される兵士は可哀そう。石油や運河の利権を失わないように、かなりの期間粘ったようなので、その間の兵士達の犠牲も凄かったようだ。

ポール・ニューマンもユダヤ系だったとは知らなかった。ラテン系の顔つきだと思うが、移民同士が複雑に混血しているから、外見で知るのは日本人には難しい。ギャグで、自分の顔をいじらせながらユダヤ人を皮肉るシーンがあっておかしかった。

この作品でのニューマンは非常にクールでタフ。腕力に訴えるタフネスではなく、度胸と頭脳で勝負するタイプのクールさを前面に出している。ヒーローとしては典型的だが、今日のヒーローは一度権威を失墜してから這い上がるタイプが多い。もっとヒネリがないと受けない。

この作品、今日のアラブ諸国の人達にはどう写るのだろうか?あるいは、欧米で貧困層にあたる人々にはどうか?アラブ人にとっては、いかにユダヤ人が酷い目にあって逃れてきたといえど、住民を圧迫して入植されるのは許しがたいだろう。それを栄光ととらえる映画は、最初から言語道断では?

いっぽうで強制収容所を経験した人間が、鉄格子に囲まれない暮らしを望むのは当然。差別を経験した人間でないと分からない感情があるだろう。反発があろうと、犠牲が凄かろうと、後に引かない強い意志がイスラエルにはある。古代のように簡単に制圧して連れ去ることはできない。核兵器を持って来ても、簡単には領土を譲らないと思う。

主人公が埋葬に先立って述べる弔辞の内容が、この映画の特徴かも知れない。不屈の闘志、被害者意識、現状分析、敵意などを実に上手くまとめていた。埋葬のシーンは当然アクションなどはないのだが、あれは作り手にとってはクライマックスシーンだったに違いない。

トラックで兵士達が出撃していくシーンで、この作品は終わっている。なんとも勇ましく、娯楽映画では考えにくい終わり方。軍国主義の時代の映画か、もしくは共産圏の映画並み。

パレスチナにどのような決着がやってくるのか、想像もできない。核戦争は充分に考えられる。米国の状態が鍵になる。滅多に考えにくいが、何かの理由で米軍が壊滅的な状態になれば、イスラエルには核兵器が降って来るかも。過去の中東戦争時代より武器の性能が進んだ今日、そうなるとイスラエル単独で対抗できるとは限らない。

イスラエルの軍事力を考えると、ISがイスラエルまで進出してくるのは現時点では難しいと思う。でも長い期間のうちには、思いがけない勢力が武力侵攻を仕掛けてくるかも知れない。パレスチナにISが浸透していない理由はよく分からないが、酷い状況が続けば必ず武装勢力の主体は替わるだろう。

イスラエルの軍隊は非常に進んでいると聞くが、ゲリラ戦、テロを中心に粘り強く攻撃されると、近代兵器の裏をかかれる可能性はある。昨今のISのテロは、イスラエル建国当時のテロより巧妙で破壊力もありそうだ。いつまで国防が成功するか、分からない。

でも、仮に現在のイスラエルが壊滅したとしても、必ず彼らは再興を目指してくるだろう。世界中に拡がったユダヤ人の中から、祖国の復興を賭けて軍事行動を起こす連中が必ず出てくる。この作品で、それを確信した。

 

 

2015年5月31日

エージェント・ライアン(2014)

Universal

- ベッドで寝るだけ? -

愛国心豊かな青年ライアンは、CIAにスカウトされる。証券会社に勤める彼が発見したのはロシアの陰謀。それを阻止すべく、ロシアに飛んだライアンだったが、敵に恋人を拉致されてしまう・・・

・・・DVDで鑑賞。クリス・パインが主役を演じ、上司役はケビン・コスナー、恋人役がキーラ・ナイトレイという豪華布陣。

トム・クランシー原作の主人公のイメージは、研究家でありながら軍を中心に活動し、一応は軍人のはず。CIAの依頼を受けて活動もするが、完全なエージェントとは言えない、そんな設定だったように思う。でも勘違いかも知れない。原作を読んだことがないので、もともとのイメージを知らない。映画で知れる限りは、作品によって設定はバラバラのようだ。

今回は元軍人で、はっきりエージェントとして採用されていた。しかも、自分の素性を恋人に明かしている。実際にそうする人がいるかどうか知らないが、CIA内部に勤務する上層部以外は、基本は家族にも秘密にする必要があると思う。証券会社勤務というのは、現実的かも知れない。

クリス・パインの魅力はよく解らない。颯爽としたタフガイのイメージには思えないのだが、今回の主人公は殴り合いが得意な人物ではないし、採用されて間がないから、必死に逃げているようなキャラクターとして適役、良い演技だったのかもしれない。ただ、魅力には疑問を感じた。主人公は、やはり颯爽として欲しい。

能力が素晴らしく、敵のスパイを突き止めるまでの頭脳の切れることの表現方法は、この作品は非常に上手く、感心した。でも、やはり映画の場合は見た目が大事。どこかベビーフェイスがかったクリス・パインは、頭が良かろうとセクシーさに欠ける。

せっかくナイトレイ嬢が共演していたが、ベッドシーンは本当にただ寝ているだけ。嘘みたい・・・・・実に健全な作品。子供にも安心して見せられそう。仮面夫婦か?・・・ということは、その方面では全くつまらないとも言える。恋人と観て悪いとは言えないが、非常に勧められるとも思えない。

上司役のケビン・コスナーはなかなかクールで良い味が出ていた。主人公がクールとは言えないので、旧来のスパイ役のイメージを保つ役割があった。もっと怖そうな人物のほうが良かったかも知れないが、重みを感じさせるキャリアがあるから、コスナーのキャスティングは成功だったかも。

見どころは色々あった。敵の首領との食事のシーンと、それに続く情報盗み出しのシーン。これは緊迫感がかなり出ていた。データに侵入する途中で、証券会社の同僚や上司と会話するシーンは結構笑える。敵側が気づいて反撃して来るシーンからカーチェイスになるシーンも、及第点を与えるべきと思う。

でもラスト近くでテロを防ぐシーンは、少し演出が古いような印象も受ける。昨今のアクション映画は専門のプロ達が凄いことをやってくるので、普通の戦い方では驚きがなくなっている。この作品の悪くない、かなり優れた戦い方であっても、非常に興奮できたとは思えなかった。

でも全体として、緊迫したスパイ映画の雰囲気が出ていて、勧善懲悪の流れに則り、まとまりのある良い話だったと思う。地域によってはヒットしたのでは?第二作目は作られるだろうか?

できるなら、今現在の戦争に関連するように、中東を舞台にしたストーリーのほうが良い。イスラム教徒の反発を生まないような注意は必要だが、舞台として中東はベスト。ロシアが相手では、観客の興味は削がれるはず。クリミアやウクライナ問題は大きいが、直接戦っているとは言えないから、無視されやすい。

あるいは何か特殊な訓練を受けてアクション的にも大活躍する設定、自分がエージェントになることに抵抗を感じる精神面の問題など、何か色づけのようなものが欲しいと感じた。主人公は悩みが少なすぎた。

日本にも特殊な能力を持つ分析官は必要と思う。

同盟関係にあるアメリカには大勢いるだろうから、そこからの情報は得られると思うものの、独自の力も絶対に必要。特に証券や為替の知識が豊かな人間は必要。一般の証券マンから採用できると思う。

特にアメリカの証券業界のどこか、投資集団が何か仕掛けてきたら、まさか米国政府が日本を救済することなどありえない。法的に問題がないなら、どんなアクドイことをやってくるか分からない。

もし日本に何かの攻撃をする場合は、テロや災害とともに、証券市場や為替の操作を同時にやったほうが効果は高いはず。四方八方が混乱し、手をつけかねているうちに支配を狙うはず。情報がないと、対処できない。

また、宗教の専門家や、イスラム圏の各国の情報通、ロシアや中国の専門家は複数必要だろう。そうでないと、事前に対処することが難しい。何か攻撃的なことをされて防戦一方になるのでは、最初から負けているようなもの。

原発事故の時も、国中の原発のことが頭に入っている分析官がいれば、何をすべきか直ちに首相にアドバイスできたはず。もちろん元々の設計や立地、想定が間違っていたから被害なしではすまなかったろうが、事故に関して首相が正しい対処法を知っているわけがないのだから、優秀な専門家が必要だった。

備えなかった役所の責任が最も大きい。

 

 

2015年5月16日

永遠の人(1961)

Syoutiku

- 赦しの問題 -

ヒロインは、恋人と別れさせられ、地主一族の息子と強制的に結婚させられた。その恨みで、険悪な夫婦関係が続く。長男は学校の問題児、次男は学生運動家、長女は駆け落ちと、次々問題が起こる・・・

・・・阿蘇谷の村落が舞台になっていた。当時の阿蘇の風景は、今日より全般に木が少ない印象。おそらく山は野焼きで焼かれ、平野の木々も焚き木や建築で使われてしまって、戦後に植林した木もまだ大きくならず、禿山と草むらだらけだったのでは?

屋敷があったのは、山の角度から見るに赤水から永草、狩尾付近ではないかと思うが、一部は一宮町の北西部とも見える。でも赤水付近で、あんな屋敷を観た記憶はない。あの位置だと、水害の時は完全に被災するから、田と同じ高さで家は建てないと思う。よく出ていた道路は、小学校そばを通る旧道路かもしれない。

もしかして、農地解放で没落した地主の家を借りたのだろうか?あるいはセットをわざわざ作ったのだろうか?一の宮には今も現存する複数の屋敷があるので、場所を借りて撮影の向きを工夫したのかも。

ヒロインが飛び込む川は、赤水の橋の下かもしれない。あそこは本当に危ない。今は水量が少ないから比較的安全だが、ちょっと先は滝になってるから、憐れな主演女優が水死体になる危険性だってあった。

青年が中岳火口に向かうシーン。あれも実に怖ろしい。ちょっと風向きが変わったら、憐れな青年役者も火山ガスにやられて、後年のニヒル役者になれないまま終わったかも知れない。当時は俳優の人権は認められていなかったのだろう。

駅は内牧駅か市ノ川駅だろうか?今だと杉の木に覆われた線路をすり抜ける感じだが、映画では殺風景で荒野の中にあるように見えるから、それこそイタリヤやスペインの風景に近い。フラメンコを使ったアイディアが生きてくる。

当時の南欧の映画をヒントにして作った作品だろうか?なぜ阿蘇を舞台にしようと思ったのか、やはり風景か?あるいは、スタッフに阿蘇出身の人がいたか、当時の阿蘇観光の売り込みに町と会社で話が一致したか、あるいは監督が阿蘇に旅行して決めたのか、そのへんの裏話があれば読んでみたい。

普通に考えると、田舎ならどこでも良かったような気がする。作品で出てくる千人塚の話。どこの地方にもありそうな伝説で、別に阿蘇地方限定の物語ではないと思う。つい最近まで、反乱や一揆に対しては厳しい処罰がされていたはずだから、虐殺された側の怨念は百年経っても残るだろう。

それでも、支配者と被支配者の関係で泣き寝入りせざるをえなかったことが、全くもって信じられない。つい最近まで、小作農の立場はあんなものだったのだろう。終戦まで、小作農の権利を保護する法律はなかったのだろうか?よく知らないが、おそらく田舎での実効性に乏しい法律しかなかったのでは・・・

赦すか赦さないか、そこが作品の大きなテーマ。

それを際立たせるためには、赦し難い人物に登場してもらう必要がある。それを仲代達也が演じていた。彼はまだ若かったはずだが、皮肉っぽい表情や、後半の年老いた人物の雰囲気などを実に見事に演じていて、滅多に見られないほどの名演。

ヒロインのほうは、やや不利な立場。さすがに、ある程度は赦してあげたほうが、子供達のためだよと言いたくなる。悲劇のヒロインのはずが、実は悪役になってしまっている。でも、声の音質を変えて若い頃から老年の女性まで演じ分ける確かな表現力を感じる。

ストーリーによって、悪役が悲劇の主役、悲劇のヒロインが悪役へと代わるなんて、よく考えられた逆説的展開。ひょっとして、ヒロインが外人にも表情が解りやすい女優だったら、この作品はアカデミー外国映画賞を取っていたかも知れない。ノミネートはされていたから、評価は高かったはず。外人には、おそらく高峰の表情は理解できない。

実際に罪を総て赦していたら、何でもやってよいことになりかねない。実生活では、そのへんのバランス感覚が難しい。レイプ事件は、基本的に赦すべきではない。イジメ問題も、予防しようと思うなら時効の概念を持ち出してはならないと思う。

PTSDを来たすことが明らかな行為は、時効の概念を超えた影響があるので、過失事故の場合とは考え方を変えるべきということ。今の法律はPTSDの概念がない時代に作られたものが多いので、時代遅れと思う。

国際的問題では慰安婦など、蒸し返し、もめ続ける問題は多いが、どう対処しても解決は無理だろう。解決できるものではない。

大前研一氏は、SAPIO誌で単に謝ったほうが良いといった意見を述べているという。本当に氏がそう言っているのか確認はできないが、いずれにせよ、それで話が収まるはずはない。事態をさらに悪化させる危険性も充分にある。

もちろん、韓国の一部の人は納得するかもしれないが、次の要求につなげたい、それで自分の立場に利したいと考える人物も必ずいる。謝罪が新たな要求を生むだろうと考えないといけない。そこを覚悟し、得るものと失うもののバランスを考えて対応すべき。

筆者(劇場主)は、村山談話はそのまま継承されるべきと思う。そこから踏み出すべきではなく、ただ踏襲し続けることが最も望ましいのでは?新たに踏み込んで何か解決しようといった話はいっさいする必要はない。具体的な補償は何もできないが、談話はそのまま認めざるをえないと思う。

赦されるわけがないので、それで問題が解決するわけはないが、今の状況は引きづるべきではないと思う。謝罪という言葉を政府は使わない方針のようだが、使い続けるべきと思う。

医療事故の事例などでは対処法が決まっている。具体的なことはさておき、態度として謝罪を続けることで、攻撃する側とされる側の立場が替わる・・・この作品のような逆転現象にも通じるが、それを目指すのが鉄則。事実関係の詳細を論じるのではなく、不快な感情には謝罪。次の段階の要求には移行させない。そういう手もある。

 

 

 

2015年2月21日

駅 STATION(1981)

Touhou


- 最終的盛り上がり -

射撃選手で現職警官の主人公は、目前で上司を殺されるが、上層部の方針によって現場から外される。その後の事件ごとに心に傷を残す主人公は退職を決意するが、そこに問題の事件の殺人犯が現れる・・・

・・・DVDで鑑賞。この映画は公開時には観なかった。理由は覚えていないが、外国映画のほうに興味が行ってしまったからか?当時、高倉健の映画を観るなんてダサイような気がしていた。今回のDVDだが、年末は誰かが借りていたらしく、やっと順番が回ってきた。年が変わると、さすがに高倉健主演映画も棚に並んでいてくれる。良いことか悪いことか判らないが、彼ほどのスターでも忘却の運命から外れることはないのか。

この作品はテレビドラマのような独特の構成をしていた。脚本が倉本聰だから、こんな形が自然だったのだろうか?ひょっとして駅ごとに新しい女との物語があれば「駅」のタイトルはそのまま生きてくるが、この映画では増毛駅が中心で、駅ごとに話があったわけではなく、設定が中途半端なようにも感じられた。元は駅が全ての章で違っていたのが、ロケ先の関係でそうなったのかもしれない。

雪の降る中でのシーンがかなりあった。降りすぎたら何を写しているのか判らなくなるし、雪が少ないと厳しい気候が分からない。タイミングを見計らっての撮影は大変だったに違いない。しかも映像は非常に鮮やかで、曇った中で撮影したとは信じられないほどよく見えた。技術を要しただろう。

この作品は子供には向かないと思う。途中で少しユーモラスなシーンもあったが、基本は大人向けで静かな話、たまにアクションというか殺人のシーンがあるものの、ほとんどは陰気なシーン。でも恋人と観るには悪くない映画。別れや悩ましい問題、苦しみのシーンが多いものの、ウェットな心情を描いていることに、感情豊かな恋人達は感じるところがあるのでは?・・・おちゃらけた恋人には、お勧めとは言えない。

宇崎竜堂や根津甚八がチンピラ役で登場していたが、非常に若い。超大物の高倉健の前では引き立て役に過ぎなかった彼らだが、それぞれに良い味を出していて、映画全体の雰囲気作りに皆が徹していることを感じた。根津の登場はほんのわずかな時間に過ぎない。でも、線路を歩いて来る考えが軽そうな姿や、自分が見張られていることに気づく時の表情は実にリアルで、本当のチンピラみたいだった。

冒頭のいしだあゆみの表情(画像)も素晴らしかった。笑顔をどう見せるかが難しいところだと思う。やや笑顔過ぎるくらいにするのがコツだったのかと思うけど、実際にそれをやるのは簡単なことではない。ただ泣くだけに終わってしまってはいけないし、未練を表現しないといけない。短いシーンで自分に求められる演技を出す力に感嘆した。

烏丸せつこも懐かしい。筆者にはグラマーなグラビアアイドルのイメージしかなかったが、この映画での演技を見ると只者ではない。偶然スカウトされたカワイコちゃんではなく、ちゃんと自信があって芸能界に入ったのだろうと感じた。

60-80年代というと、景気が良くて若者が血気盛んな時代のような印象があるが、北海道の田舎の場合は過疎や交通の不便、古ぼけた建物が目立つ街並みのまま、昭和の時代そのままだったのだろう。今は開発が進んで街にはコンビニもできて・・・でも過疎はひどくなってるかもしれない。もはや映画のロケには向かない姿かも。

適度にさびれた街なら絵になるが、崩壊寸前だと観たくない。シャッター通りと化した商店街を舞台に映画を撮るのも難しい。風情が保てる時代と場所でないと、映画の舞台にはなれない。この作品のロケ地はいずれも素晴らしい場所だった。

独特の構成、駅と女を中心に物語が複数あり、しかも互いにつながりがあるという、いかにも脚本らしい脚本、ドラマらしいドラマ。良いアイディアだった。主人公のキャラクターも、他に考えられないほどストーリーに合致し、物語の背景となる時代や北海道の田舎という土地柄など、全てが物語性を高める効果があって、良くできた話だったと感嘆。

ただし、個人的には心の奥底に響くほどの感動を感じなかった。なぜかテレビドラマ的な雰囲気を感じてしまった。高級感に欠けている印象。役者達それぞれの演技には何も問題ないし、それどころか皆々が一世一代に近い出来栄え。撮影技術も脚本も良い出来栄えだと思うのだが、なぜか分からない。物語が複数あったことで、焦点が分散してしまったせいかもしれない。

最終的に戦う敵に向かって、ただ主人公が辛酸をなめ、耐え抜いていくのなら絶対に感動せざるをえない。でも、庶民各自の生活が丹念に描かれ、分断されたストーリーとなると、最終的な盛り上がり=仇敵との対決の効果は減じてしまうのかも知れない。出来上がって初めて分かることかもしれないが、一本つながる単純な話のほうが、映画全体の後味は良いのかも。

つまり、所詮はテレビ向けの企画だったのか?例えばの話、妻と離婚する原因が、上司の敵をうつために殺気を漂わせる主人公を妻が怖れ、愛想をつかしたから、そんな流れで話が進んだら、全体がつながって単純化される。あまりにアザトイ設定だろうか?

 

 

 

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