映画評

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カテゴリー「う」の33件の記事

2017年9月26日

疑わしき戦い(2016)

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- AMBI -

大恐慌後のカリフォルニアを舞台に、季節労働者と地主達の戦いを描いた作品。DVDで鑑賞。

スタインベックの原作は1936年に発行されたらしい。この作品は怒りの葡萄と似たようなテーマを扱っていて、その先駆けになっているかも知れない。怒りの葡萄よりも、共産主義の扱いが大きく、もしかするとスタインベック自身も、共産主義シンパだったのかも知れないが、なんとなくそんなシンパシーの存在を感じる内容。

’疑わしき’という意味がよく分からない。鮮やかでない、いかがわしく際どく、眉をひそめたくなるいという意味のほうが近いのかも知れない。何かを否定的に捉えているはずだが、それが共産主義者なのか、戦っている双方なのか、はっきりしない。

ジェームズ・フランコ演じた運動家は、仲間であるエド・ハリスらを利用してでも、大義のための戦いを有利に進めようとしていた。完全無欠の理想主義者ではなかったから、彼の戦い方はいかがわしい。日本の過激派ほどではないと思うが、政治運動家には、冷酷な人間も多かったようだ。劇中でセレーナ・ゴメス演じる娘が、彼をそのように評価していた。

ロバート・デュバル演じた地主側の戦い方も酷かった。暴力、政治力を駆使して、目的を達しようとする戦いぶりは、明らかに非人道的で、まさにいかがわしい戦いぶりだった。おそらく、地主側が最もいかがわしかったが、彼ら双方の戦いそのものが、激しさ故に、眉をひそめたくなるものになったのではないか?

「怒りの葡萄」は、家族愛が大きなテーマになっていて、その分だけ物語は叙情的で印象深い。家族と別れざるをえない主人公の境遇は、彼が殺人者であっても同情を得るに足りるものだった。この映画の戦いは、リアルな分だけ救いようがない。

当時、巨大農園を運営していた連中は、おそらく事業を多角的に展開し、今も形を変えて生き残っているはずだ。法律が変わるまでには、資産家側の権利を主張するのが当然である。権利保護の観点からは、資産家側は支持されるべきで、そこを強調することで強硬手段を使って戦えたのだろう。

おそらく当時だって季節労働者側に立つ新聞もあったのではないかと思うが、政治力を使って内容を変えさせたり、記者に圧力をかけるなど、きっとやっていたのではないか?今ならネットの力を使って、あっという間に抑圧事例は証拠をつかまれ、社会問題化される。当時、弱者側が権利を主張するのは難しかったろう。

ましてや、黒人やインディアン達の権利となると、いまだに酷いものらしいから、想像がつく。現職大統領が人種差別を容認するかのような態度をとるなんて信じがたいが、選んだ国民も明らかにそんな心情を持つ連中が多く、あまりに酷いと思う。

さて、現代で最も大きな対立は、北朝鮮と米国の間の対立よりも、おそらくグローバリズムと民主主義だろうと思う。もちろん北朝鮮問題を無視して良いとは言わないし、実際に日本が戦場になる可能性だってあるから、大きな問題ではあるのだが、資産偏在のほうがより奥深く、重篤だと思う。おそらく、この作品の隠れたテーマには、それがあると思う。

資産の偏在は貧困問題、失業問題、そして税収不足の問題を生んでいる。資本がグローバルに動くこと自体は悪くはないと思うが、税金問題が絡むと、完全にモラルの問題になる。手にした金を持って、金持ちだけ豊かな場所に移られたら、残った者が貧困から抜け出せない。資産家の自由だと言ってられない。そこが問題と分かっているのに、協調して対応できていない。この作品と同じような、不平等でモラルに欠ける状態が起こっている。

うまく法律を作るべきである。暴力、実力で争うのは‘dubius’だ。法律の成立だけで事態は快方にむかうから、当面はそれで良い。醜い争いに熱中しても、それだけでは意味はない。それが、隠されたテーマのような気がする。

 

 

2017年7月22日

WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ(2015)

We_are_your_friends

- Warner Bros.etc. -

ザック・エフロン主演の青春映画。DJを中心として様々な業種に手を出し、成功を目指す主人公の話。DVDで鑑賞。

センスが新しい作品だった。監督はマックス・ジョセフ、原案はリチャード・シルバーマンという方々だったが、いずれも知らない人達。もしかすると、DJ業界~MTV業界の出身かも知れない。音楽的なセンスを感じた。

主人公は主にDJとしての成功を目指している。そこに恋の出会い、仲間とのつるみ、妖しい業界の会社員としての仕事、麻薬取引、そしてパーティー三昧の夜などがからんで、かなりハードな日常を過ごしている。普通の若者というより、犯罪者に近い底辺の存在。日本でなら、完全に半グレだ。

ただ、この作品では、そんな彼らに対して好意的なとらえ方をしている。それは金銭的な成功を夢見ているから、という理由のように見受ける。たとえ犯罪であっても、成功することを夢見るのは悪いことではない、それに近い描き方だった。劇場主の感覚とは合わないが、米国人の普通の感覚はそんなものかも知れない。

この作品を、子供に見せて良いとは思えない。犯罪者を讃えるに近い描き方をしているし、あくまで映画的に面白い人物として極端な描き方をしているだけだが、それに子供が妙な影響を受けて、半グレを気取ったりしたら大変だ。でも、恋人とみる作品としてはかなり良いセン、行っていると思う。恋愛に関しては純愛に近い態度を主人公はとっていたから。ふたりの仲に関して、悪い影響があるようには感じなかった。

主人公の仲間を演じていた俳優達が、非常に良い味を出していた。目立ちすぎず、脇役としての立場を保ちつつ、妙に演技くさい仕草をとらず、カメラを気にしないかのように自然に動いている点が素晴らしかった。

この作品は、興業的には成功していないようだ。成功を描いた作品なのに、金銭面で失敗とは残念だ。もともとメジャー作品ではないようだし、物語として大きなエポックがあるわけではないから、当然の結果かも知れない。描き方も、ラリッたことを表現した妙なシーンや、文字を大きく出したり、少し統一性に欠けていた。

ストーリーは、改善の余地があったと思う。亡くなってしまう仲間は、仲間の中でも無二の親友である必要があったと感じた。あるいは、明らかに主人公が責任を感じざるを得ないような要素が必要。主人公が悩みを相談されて、自分の都合で無視したなど。そんな設定なら、ドラマ性が高まると思う。過去のドラマではたいていそんな流れだった。仲間の死で、主人公がどん底の心理状態に陥るのが通常の流れ。

それに、無理して大金を得て、急転直下の大失敗を犯すといったスリルはなかった。物語として大人しすぎたと思う。大成功の後の大失敗、あるいは逆の急展開は、観ている側には面白いはず。原則に従って、大きな展開の変化があれば単純に面白くなったのではないか?

DJ・・・・かってのラジオDJのイメージと、昨今の人気DJは全く違う。世界を股にかけ、億単位の報酬を得るDJスターもいるらしい。ダンスミュージックのあり方が変わって、昔のように歌詞が優れているかより、チューニングなどの技術が重要視されるように、いつのまにかなっている。

試しに有名DJのCDを聴いてみても、劇場主にはさっぱり魅力が分からない。固定観念のせいかも知れないが、歌手のオリジナルの楽曲とは、訴えかける力が違う。おそらく実際のクラブなどで、音響と視覚、それに踊りが揃わないと、本来の意味が出てこないタイプのものだろう。基本は単調な音楽なんだから。

それに健康的な印象を受けない。空気悪そうな場所で、低所得者が憂さを晴らし、一部の人間が不当な利益を得る・・・・そんなグローバリズムの吹きだまりをイメージしてしまう。「這い上がれるかな?」という主人公の訴えかけは、吹きだまり状況を的確に表していないだろうか?

フェス・・・その意味もかなり変化している。30年前だと、ジャズやフォークを中心としたバンドの音楽を聴くのが主流で、ノリが良い曲なら踊ったりする、そんなスタイルだったが、今はパソコンで作った曲で踊るのが主流。舞台で場を仕切るアーチストは、センスは良いかも知れないがオタク化しており、芸の面で言えば退化したと感じる。このスタイルは飽きられて、今後また変化していくと予想する。

 

 

2017年7月19日

ウルヴァリン:SAMURAI(2013)

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- 20th Century Fox -

X-MENシリーズの中で、日本を舞台にした珍しい趣向のスピンオフ作品。平成29年6月、テレビで鑑賞。原作のアメコミもあるらしいので、映画限定の企画ではないようだ。劇場公開されていたのかどうか、記憶にない。

日本映画の影響が強く感じられた。忍者達も登場するし、雪の中で戦いが繰り広げられるのは、わざわざ忍者の活動の舞台にふさわしい設定だったのだろう。野獣のような怪物との戦いは荒野が似合う。超能力ミュータントとの戦いは建造物がないと物を飛ばせないので盛り上がらない。舞台設定は、基本に則っていた。

でも、内容はほとんどなかったと思う。日本が舞台になって、忍者やヤクザ達が敵となり、鎧が登場してくることが大事で、ドラマ部門、原爆の被害や友情、愛情に関しては二の次ではなかったか?設定が安易な二級品の臭いがした。

末っ子といっしょに鑑賞したのだが、子供もそれほど熱中して観ていなかったようだ。新幹線の上で戦うアクションシーンには興味がわいたらしいが、ドラマの部分は他のことをして観ていなかった。全体として、シーンの半分以下しか観ていなかったのでは?そんな映画だと、劇場主も思う。

日本を舞台にしたハリウッド作品のほとんどは、荒唐無稽なものだ。もはや今日の日本の状況は、欧米の多くの人が知っているだろうから、わざわざエキゾチックな描き方をする必要はないような気がするのだが、普通に描いては能がないと思っているのだろうか?

ウルヴァリンの個性は素晴らしい。強すぎない点が良い。シリーズ第一作では、巨漢の怪人から投げ飛ばされ殴られ、ほとんどやられっぱなしだった。あれが例えば圧倒的に強かったりしたら、苦しそうな表情を浮かべても嘘くさく感じられただろう。弱々しさが共感につながり、主人公としての存在感に役立っていた。

その点は、この作品でも生かされていて、ウルヴァリン君はたびたび攻撃され、自慢の治癒能力も損なわれ、何度も危機に陥っていた。不死身のまま、ただ勝ち続けていたら、キャラクターの底が浅くなりすぎて、つまらなくなるばかりだったろう。

ヒロインは二人いたことになるかも知れない。財閥の後継者となる娘と、その義理の妹。恋愛感情が漂うのは財閥後継者のほうだが、モデルのTAO嬢は、日本人の感覚では令嬢の雰囲気がしないし、体型は素晴らしいが演技力は疑問の方で、この作品の相手役として相応しかったか分からない。義理の妹の存在も、そもそも必要だったかすら分からない。

海外の人達には違って見えるのかも知れない。ぜひともモデル体型の美女がヒロインにならないと、主人公が助けようという感情が生まれないと感じるのか?

劇場主が、この作品のストーリーから考えるヒロイン像は、意志が強そうで声に迫力があり、いかにも周囲の人達をリードしていけそうな凜々しい印象を持つことが望ましいと思う。声量が大事だし、目の力も必要。体型は準日本風でも構わないと思う。和服で隠せば良い。そのうえで英語力があれば良い。きっといたと思うのだが・・・・

結局、ウルヴァリン君は壮大なワナにはまってしまっていた。その仕掛けが明かされるシーンには、妙なドリルが登場して面白かったのだが、あれで能力を奪われそうだと観客も納得できる方法ではなかった。あんな面倒くさいことをしないで、捕らえた時点で力を奪ったほうが早いはず。漫画的すぎる一連の流れは、映画的にはいかがなものかと思えた。

 

 

2015年12月30日

右傾化する日本政治(2015)

- 岩波書店 -

最近の政局の大きな流れを独自の視点で解説した本。著者は中野晃一氏。上智大学の研究者らしい。観点は独特と感じたが、歯切れが良く、明快な解説。保守派の歴代の重鎮達も一刀両断でけなされているから、なんというか、かっこいい感じ。

著者の視点としては、民主党や、旧さきがけ勢力を支持する立場のように思える。敵は自民党と、特にその中で新自由主義に則った昨今の主流派らしい。少し感情がこもりすぎたようにも思える、その記述には、学術的な評価を超えた個人的な意見が入り、客観性には少し疑問を感じた。

そもそも、日本の政界が右傾化しているかどうかだが、右傾化ではないと言い張る人も多いに違いない。全体が偏った時は、まともな判定はできないものだし、今の保守派は劇場の役者のように声高に反論する傾向があって、中心が右か左かの議論など成立しないだろう。劇場主は過度に右傾化していると思う。ただし、この種の判定を論理的にやることは難しい。

国の生き残りを最優先に考える立場から言えば、東アジア諸国を刺激することに意味はないので、常に激しい言動は避けるべきだし、明らかな右傾化は好ましくないと思う。正しいことを言っているとしても、言うべきではない場合がある。そこを間違えている人が多いように思う。劇場型の政治家、評論家が増えたことは、弊害が大きい。

よくテレビ番組で評論家達が他の国をけなしている。あれは記録に残るし、他国で放映されたりもするだろう。日本人はこんなことを考えているのかと、悪用や誤解をされる可能性もある。節度を守り、情報の悪用はさせない、そんな公的立場の人に近い配慮が望まれる。公的な立場の人もひどい人はひどいが・・・・

あのような節度のない評論が可能になったということは、本当は単に劇場化にすぎないかもしれないが、およそは右傾化したとも言える。あとさき考えずに言いたいことを言うのは、基本的に国の行く末に興味がないこと、それよりも自分の立場を高め、権力に組み入り、利益を得ようという考えが強い、そして幼稚では?と疑わざるを得ない。そんな人物が増えた状態は、偏った状態であろう。

日本に限らないかも知れないが、仲間内でトップにつきたい場合は、このように言わないといけない。「俺たちには誇りがある。他の連中には負けない。あいつらを負かして、いい思いをしようぜ!」そう言わないと、内部の支持を得られない。まさか、「あいつらも優れたヤツだよ・・・」などと言ったら、気分が盛り上がらない。仮にそれが正解でも、支持してはくれない。

しかし、やがてトップに立って、相手側にそのままの内容を言ったら、喧嘩を売っているに他ならない。言葉も言い方も変える必要が当然ある。特に、今のように記録が完璧に残ってしまう時代は、トップに立つ前から用心が必要だ。敵の連中の分析にあたって、過激思想の持ち主、取り引き不能のアホウと目されたら、敵も備えて緊張のレベルを上げてしまいかねない。

・・・・実際、そんなエスカレートが原因で過去の戦争は起こってきたのかも。発言には謙虚さ、慎重さが必要。

右傾化が進んでも、国民に害が及ばなければ構わない。でも結果が出ていない段階で、そこの判断は難しい。昭和の初期に軍国化が進んだ時は、結局は最悪の結果になったわけだが、その途上では国民の側は沈黙し、従順に軍部に従った。積極的に支援した者も多かった。反論を許さない状況がゆっくり出来上がったからだろう。

当時は先進国が帝国主義だったし、その競争の中で国のあり方は軍国主義しかないという感覚が、広く国民のコンセンサスを得ていたはず。当時だったら、その理屈は完全な間違いではない。実は財閥の利益が大半を占めるとしても、それを国民の利益と勘違いし、選挙権がない人達も軍を支持したに違いない。その結果がどうなるか、分からなかったのだと思う。

特定機密保護法は、治安維持法や戦時中の情報統制と共通する効能がある。本来は全く違う法律だが、現場のレベルでは同じことも多いだろう。情報の隠匿に法的根拠が生じ、情報を探る民間人を排除したり、情報操作が隠されやすい。戦前の状況に近づけたことは否定できない。

自衛隊の派遣関連法も、軍隊派遣の法律と実質変わらない。日本側が違うと言っても、派遣される相手国にとっては全く同じ。したがって、かっての時代へと逆行したことは、相手国にしてみれば明白。当然、日本は彼らが抗戦する相手と覚悟するはず。楽観して「まさか戦前に戻ったりはしないさ。」と保守派を支持している人達が、やがて自分たちの甘さに気づく事態が懸念される。過去を振り返れば、そう考えるのが妥当。

右傾化する必要があるかどうかだが、劇場主は否定的に思う。日本にとって、いかなる理由があろうと周辺で軍艦が敵を狙う状態は最悪。通商で生きている国だから、通商が滞ること自体が命取り。右傾化は、緊張の引き金になる点で望ましくないのが国家の基本的な立場である。国土が広大な国とは違う。政府や評論家がどう考えようと、その点は間違いない。

実際に日本が攻撃され、支配される危険性も確かにあるとは思うが、そうすると相手国は多くの場合、財政的に破綻する可能性が高まる。日本を管理しつつ、諸外国の非難を浴び続けるのは得策ではないから、占領はよほどのことがない限りやらない。利益を度外視した国だけが攻めてくるのだろう。他国への敵意を強調するのは、本来は過剰なこと。

おそらく軍事力に余裕が出た国が、何かの理由で日本を支配する必要が出て、しかも米軍が動けないという滅多にない事情が生じた時なら行動も可能だ。原発にミサイルを撃ち込むぞと脅迫してくるパターンが最も考えられる。最小の攻撃で最大の脅迫効果が期待できる攻撃パターンだからだ。だが、敵国の軍事力と占領の必要性と米軍の不関与が揃うことは、普通は考えにくい。

紛争となれば相手国も通商が激減し、得るものと言えば資源のない島国。水はきれいだが、時々地震や火山爆発が起こる。占領の維持には金と労力が凄くかかる。そんな国を支配しても、自分らが財政破綻したらアホくさいと考えるのが普通。商売を考える必要のない国が敵となると困るが、現実的に危機が迫っているとは感じない。

もちろん備えは必要で、哨戒を怠ってはならないし、明らかな恣意行為は素早く非難しないといけない。でも右傾化は必要ない。大事なのは法律の不備を是正すること。我が国のスキをつかれて短期間で軍事侵攻されない装備と法体系を持ち、あとは低姿勢でも良いから通商で発展を目指す、その路線が基本と考える。最近の法改正は、方向性がおかしい。間違っても一部の政党や、政府高官、自衛官などが国民の権利を侵害しないようにしないといけない。

ただし問題は、多くの人が宣伝に乗せられやすく、目の前の景気や失業率で頭が一杯になって見通しを誤ってきた伝統があり、楽観できないということ。過去の歴史を見る限り、宣伝さえ失敗しなければ、財界の利益=国益なんだと、簡単に勘違いさせることができるもののようだ。正しい意見を、つまらない意見と評価してきた伝統がある。

 

 

2015年10月 4日

ウォルト・ディズニーの約束(2013)

Disney

- 違和感の原因解明 -

メリー・ポピンズの映画化のために、原作者トラバースと交渉中のディズニープロだったが、トラバースは気難しい人物で、ナンクセを次々とつけて、企画成立は難しくなってくる・・・

・・・DVDで鑑賞。メリー・ポピンズは、結局は映画化されたことは皆が知っている。したがって、この作品はラストでどんでん返しがあって、原作者が了解してくれることと、途中は嫌がらせのような問答が繰り広げられる、そんなパターンのコメディだろうと直ぐに想像される。概ね、その通りの流れだった。

ただし、キャストは一流どころが多く、家族や作品にこめた想いなど、人物の深い部分へのこだわりが感じられ、全くのナンセンスギャグ、ドタバタコメディよりもずっと高尚な、まさにディズニー的ホームドラマの雰囲気、伝統が感じられた。健全な精神を感じる。でも、その伝統のために、よりいっそうの深さには欠けていたと思う。

原作者の父親はアイルランド出身で、なぜかオーストラリアで銀行員になったそうだが、アル中と結核?のために不幸な最後を迎えたことが、作者のトラウマになっていた・・・・そのへんの描き方は秀逸。最初から種明かししてしまうと、作者に同情することは難しいから、陽気に遊んでくれた時代のことや、父親が何かヘマして家族が心配するシーンなど、不幸なドラマを細かく挿入して、作者の心情が分かるように工夫していたようだ。

ただし、少々回りくどく、構成が複雑になりすぎた面もあったと思う。過去にさかのぼって、なぜ原作者が頑固に人物設定に関して譲歩しないのか、その点を理解しやすいような、ナレーションなり技巧的な工夫があったのではないか?スタッフの誰かが調べて、トラバースの言動を解説していくような構図なら分かり易い。

・・・・と言っても、原作を読んだことがないので、何にこだわり、何が映画と原作で違うのかが分からない。この作品のアイディアは、もしかすると録音テープの通りに激しい論争を繰り広げ、スタッフらが辟易した伝説のようなものを誰かから聞いて、そこから脚本にできるのでは?という着想が生まれたのかもしれない。でも録音くらい、大きなプロジェクトであった当時の映画製作では珍しくなかったのでは?とも思うが・・・

エマ・トンプソンの演技は、劇場主にはわざとらしく、オーバー気味に思えた。もう少し穏やかに、しかし陰険な雰囲気のほうが、テープの声のイメージに近いように思う。トンプソンは表情が目立ちすぎ、声も大きすぎる印象を受けた。会話のタイミングをずらし、クールな態度でスタッフを困らせる慇懃無礼でいやらしいオールドミス的な演技が望ましいと思った。

ひょっとすると、ミスキャストだったかも知れない。劇場主のイメージでは、年齢的に無理はあるとしても、バネッサ・レッドグレイヴなどが似合う印象。メリル・ストリープも似合う。エマ嬢は表情が分かり易い分だけ、怒りの表現などが軽くなるイメージがある。頑固さに観客が共感できるよう、人懐こそうな目線が望ましかった。

トム・ハンクスの演技は、ディズニーに似ていただろうか?メーキャップや、古めかしい身振り手振りで、あの雰囲気を再現できたようにも思えた。

メリー・ポピンズの傘の柄は印象的なアイテムだった。伯母さんが持ってくるカバン、そこから物を取り出す様子など、一種のオマージュになっていてファンには喜ばれる工夫が色々あった。そのへんも、手馴れたディズニースタイルの伝統が生きているからできることなのだろう。

そう言えば、映画のメリー・ポピンズは、我が家の子供達には全く受けなかった。劇場主が観ても、独特の暗さを感じる。画質がぼやけて、証明や色彩がやや暗めであることも関係したかも知れないが、もう少し派手でコントラストの効いた色彩に変えて、曲調も楽しいものばかりにしていたら、悲劇さえ喜劇的に描けていたように思う。少し悲しい雰囲気に偏った印象がある。

スタジオで撮影したと思われる町並みのシーンは、照明の関係か、あるいは作品の中で言われていたように色彩を制限されたせいか、暗い印象を受けた。ロンドンの物語だから、雲がかかって薄暗いほうが自然かも知れないが、楽しい映画で暗い画面は基本的に妙な印象。曇っていても明るくするくらいは可能と思う。

あれが本当に原作者のせいだったら、映画化は失敗だったのかも知れない。言っては悪いが、原作者の没後に企画することに成功していたら、随分と違った映画ができていたかも。

元々映画は無理にミュージカルにしてしまった失敗企画かも知れないし、作者の意向とすり合わせた結果、原作が持っていたクールさを失い、いっぽうで陽気な部分まで暗くなって、全体のバランスが合わなくなってしまったのかもしれない。

ディック・バン・ダイクやジュリー・アンドリュースの個人的魅力と、曲のレベルの高さによって名作と言われるほど成功はしたが、ちょっとした違和感は残ってしまったのではないかと思う。

 

 

2015年7月18日

WOOD JOB!~神去なあなあ日常~(2014) 

Tbs

- 山の神とTPP -

大学進学に失敗した主人公は、林業研修を紹介したパンフレットの美女に一目惚れして、研修に参加。虐待のような修行を経て、神去村に居候するが・・・

・・・DVDで鑑賞。この作品はDVDの人気が非常に高く、長いこと総て借りられている状態だった。たぶん、若い人達に人気があったのだろう。筆者(劇場主)は、それこそ神去村よりもっと山に囲まれた地域が故郷だから、林業や村の維持に興味があっての鑑賞。

良くできた作品だった。話の流れが単純で、妙なえげつなさ、深刻さが出ないセンスの良いコメディながら、ちゃんと訴えるテーマのようなものはある。人気が高いのも分かる気がした。

原作の小説~漫画?があるらしい。撮影場所になった田舎に関係のある方が書いた本らしく、作者は実際の作業を見たことがあったかもしれない。

主人公の染谷将太は非常に素晴らしい個性の持ち主で、最近はさまざまな映画に出ている。女性的な顔立ちで、頼りない体型、若者を代表しそうな軽い雰囲気が良い。

ちょっと前だったら、こんな役は濱田岳や吉岡秀隆の守備範囲だった。ドジを繰り返し、皆からバカにされるイジラレキャラは、常に需要がある。濱田との違いは、顔立ちが美しいこと、体が少し細いことだろうか。年齢的にも、濱田では無理が感じられる。

ヒロインは長澤まさみ。今回の彼女は少し存在感が薄い感じ。キャラクターに合っていない面があったのかも。もう少し野性味のある女優の方がイメージ的には良かったかも知れない。ヒロインの魅力を出したければ、彼女もドジだったり、もう少し違う役割があったりしたほうが良い。例えば、コワモテの姉御風のドスを効かせていた女が、酔っ払って失態を演じるなど、彼女も笑いの対象にできる何かがあると良かった。

先輩を演じていた伊藤英明は、昨今は肉体派の上官役が定番になってしまった。海猿の効果らしい。本当の教官たちは、おそらく非常に丁寧で親切に違いない。まだまだ山仕事に人生を賭けてくれる人は少ないから、怒鳴ったり殴ったりはできないと思う。

5月の連休中に出雲大社を訪ねた。

出雲半島の地形は独特。平野から突然神社の裏山がそびえ立ち、おそらく縄文期は海だったろう平野から見ると、ちょうど空の世界に至りそうな角度で稜線が延びている。あの角度は、祖母山を岩戸の町から眺めた時とそっくり。宮島の厳島神社から裏山を観る時とも、よく似ている。

あの角度で山を見ていると、神聖な存在を感じてしまう。山は基本的に人間より大きな存在で、なんらかの威圧感を感じさせるし、昔は実際に事故で命を奪われることが多かったはずだから、畏敬の念は自然と生まれてきたに違いない。神の存在を感じる。

不思議に思うのだが、アルプスの山々を眺めた時は、あんな感覚が浮かばなかった。ヨーロッパの山の方がずっと高いし、壮大なはずだが、理由がよく分からない。ただ美しいなあとか、険しいなあといった驚きは感じても、神がいそうだという感情が浮かばないのはなぜ?

たぶん、そこに住む人が全く違う感覚で、違う神をイメージしているだろうという認識が関係していたように思う。スイスの山の前で、日本式の鳥居を建てるのはおかしい。日本の山の場合は、村人が筆者と同じ感覚を持ち、そこで神に祈りながら生活しているという認識がある。山だけじゃなく、そこの人間も、神聖なる雰囲気に関与すると思う。

若い男性が好んだ作品であるということは、主人公に等身大の自分を意識できたからではないか?林業で食っていけるなら、自分もやってみようかという意識が多少はあるに違いない。都会で派遣業者に登録していても未来は開けない、それくらいなら田舎に行きたい、それは普通の考え方だ。

田舎のほうに受け入れる力さえあれば、互いの需要はあるはず。それには木材価格が一定のレベルにあること、付加価値を付けて商品としてなりたつ物を出荷できることなどが条件になる。自分の山を持っていなくても、労働力として木々の世話をして生活ができるなら、そのやりがいは素晴らしいものだろう。

山の神には、ぜひ若者に力を与えて欲しい。

TPPが成立してしまったら、基本的に木材価格は低水準から回復するはずがないと思える。木材チップを燃料にするにしても、集製材で高層建築に参入するにしても、よほど運送や管理を合理化しない限り、価格で太刀打ちできないはず。

おそらく、林業を主業にしつつ、空いた田畑を無償で貸して農業収入がある仕組み、独自の融資制度などが決め手になるに違いない。そんな制度が、果たしてTPPで許容されるのか分からないけど。

 

 

 

2014年9月28日

ウソツキは結婚のはじまり(2011)

- 嘘と言えば、某新聞社 -

アダム・サンドラーとジェニファー・アニストン主演のラブコメ。「サボテンの花」のリメイクらしい。他にモデルのブルックリン・デッカー嬢とニコール・キッドマンが出演していた。

鼻がやたら大きな主人公のギャグは、主人公がユダヤ系であることと、サボテンの花のウォルター・マッソーの鼻にかけたギャグではないかと思う。

この作品には優れた点がたくさんあったと思う。①セリフはかなり下品だが、エログロに偏るシーンはない。あくまで言葉だけのジョークに止めていて、家族でも鑑賞が可能。②グラマーなデッカー嬢に注目が集まるシーンを設けていたが、健康的な色気に留めていた。③楽曲にいちいち手を入れて、オリジナルと違ったバージョンを使っていたが、そのセンスが良かった。④ニコール・キッドマンが見事な役割を果たしていたこと。

そんなわけで筆者個人にとって、この作品は良い出来栄えと感じた。日本で公開されてヒットしたかどうかは知らないが、少なくとも全国的に広く興行されたはずはない。アダム・サンドラーは日本では評価されにくい俳優だし、基本的に大人しいラブコメだから、大ヒットは期待できないはず。ただ、だからと言って悪い作品ではないと思う。

派手なギャグで大爆笑を期待できる作品ではないのは確かだが、手の込んだ作り方をしようという意気込みのようなものは感じる。音楽が特にそうだ。キャスティングも、けっして二流ではない俳優が多い。心に残る名作にはなれていないとしても、DVDで鑑賞するには悪くない作品。そんな印象。

キッドマンが実に素晴らしかった。気どって何かにつけて自慢する虚栄心たっぷりの様子や、妙な対抗意識でヒロインと張り合う役割で、盛り上げに徹していて感心した。彼女のような目立つ女優でないとやれない役割だったとは思うが、なかなかキャスティングに同意し難いものではないかと思う。せっかくの汚れ役なら、できれば感動作で名演をやりたいと考える女優が多いはず。コメディで性格の悪い脇役をやる根性が素晴らしい。

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画像のブルックリン・デッカー嬢、主人公が一目ぼれする女性役だが、彼女も悪くなかったと思う。彼女はスタイル抜群だが、顔はちょっとイジワルそうで個性的。ラブコメの敵役や、アクション映画の女傑として最高の存在のような気がする。今よりもっと活躍するかも。

ひょっとして、この役を本当に可愛らしく、純真なイメージの女優が演じたらどうだったろうかと考えた。お色気はそこそこで良いから、とにかく可愛らしい感じの女優。すると、作品のイメージが非常に変った気もする。

アダム・サンドラーに関しては、相変わらずよく理解できない。ギャグもいろいろやってはいたが、日本のコメディアン達ほどオーバーではなく、爆笑するにはちょっと解りにくい微妙さを感じる。ジム・キャリーやエディ・マーフィーのような単純さがないので、日本人には解りにくい。

彼を補助する役目の、さらに見栄えのしない俳優が出ていたのは、言いかえれば彼だけではギャグが足りないと判断された証拠かも知れない。だから、もしかするとサンドラーを主演にするんじゃなく、トム・クルーズやブラッド・ピット(無理か?)のようなスター俳優を主役にして、似合わないギャグをさせたほうが良かったかも。

・・・嘘というと、最近は某新聞社が集中攻撃を浴びている。慰安婦報道や、原発事故の際の避難に関して虚偽の報道があったようだが、詳細は知らない。真相を知りようがない気がするので読んでいない。原発事故に関しては、もしかすると吉田所長が仲間をかばって証言した可能性もあり、真相は分からない。証言とはそんなもの。証言が真実と考えるほうがおかしい。

右翼系の論者が激しく新聞社を攻撃し、新聞社OBが言い訳を強いられる番組も見た。吊るし上げ的な番組構成は理解不能。もちろん、某新聞社の責任は非常に重く、もはや取り返しのつかない悪影響を国全体に与えてしまったかも知れないのだが、それでも討論となれば常に対等の立場を維持しないといけない。大勢の糾弾者に少数のOBが答えるような番組は、最初から公正さを破棄している。

某新聞社には確かに問題があったと思う。体質が古いのかも。もともと、日清戦争時代の戦意高揚など、戦争への協力、戦意を煽る報道で随一の新聞になった歴史があり、戦後はその反動で極めて自虐的歴史観に偏りすぎた印象は受ける。戦前の反省から、新聞社内部で著しい左翼方向への偏向が起こり、社内派閥のようなレベルでの争いから、それが長期間維持されてしまったのかもしれない。つまり中立や右翼、体制礼賛を許さない気風のようなものが過剰にあったのでは?

いっぽうで残念ながら原発は事故を起こし、新聞社など比較にならないほどの最低最悪の事業所である。吉田所長がいかに立派な方であっても、その点に変わりはない。いかなる批判をも甘んじて受けなければならない。だから、この状況に乗じて徹底的に攻撃する、確証がない情報でも報道して構わない・・・そんな感情が、某新聞の側にあったのかも知れない。想像に過ぎないのだが。

新聞社の場合、ある程度は仕方ないこととも思う。明らかに偏った新聞も多いし、読者が内容に疑問を感じるなら他の新聞に変えれば良いので、特色を出すこと自体は悪くない。虚偽を訂正しないこと、著しく偏向し極端に読者を扇動することがない、それらは必要だが、常に間違わない報道機関はない。外国の一流新聞社だって、虚偽報道は珍しくないのだから。

虚偽が確実になった場合、言い訳は許されない。新聞社の場合は、そこらの噂話とはレベルの違う責任を伴う。慰安婦報道は検証作業なしにスクープされたことが大きな間違いだったようだが、長期間にわたって訂正されなかった理由、今回の訂正に至る検証作業の内容など、隠匿しているというイメージが湧かないような徹底さが足りていない。まるで昔の医療事故の隠匿のようだ。真摯な態度、リクスマネジメントといった観念が、まだないように感じた。

ただし、個人的には右翼に偏らない報道、政府を攻撃する勢力が残ってほしいと思う。虚偽の情報は困るが、政府の好む形で報道する新聞社が大勢を占めたら、権力のチェックが疎かになり、またまた暴走を生んでしまう。対抗勢力、抵抗勢力は残っていないといけない。不充分とは言え報道を訂正し、損害を与えた人に法で定められた賠償をしたら、新聞社としては責任をとったと言える。

・・・・が、今回の損害の賠償額だが、いったいいくら?そもそも誰が訴える?誰に賠償?

 

 

2014年6月15日

ウルフ・オブ・ウォールストリート(2013)

Universal

- 憧れと嫌悪 -

証券業界に入った主人公は、変人の先輩の薫陶を受け、会社を興し大金持ちになる。しかし私生活は破綻し、FBIにも眼を付けられる・・・

DVDで鑑賞。興味深い話だった。力作だったと思う。かなりは実話らしい。原作者は今も講演活動をやっているそうだから感心するし、呆れる。さすがと言うべきか、この映画の原作によっても相当な収入を得たらしい。

マイクを持ちながら「金を得るためには容赦するな。電話をかけ続けろ!」などと叫ぶ主人公は、その徹底ぶりがカッコイイと思えた。といっても自分は強い憧れを覚えないが、純粋に憧れる若者も少なくないかも。マンション販売の電話攻勢をかけてくる連中も、やることは似ているから同じ手合いなのか?

この作品を特徴づけるのは、下品なシーン。さすがに人前で小便をたれてみせるのは汚いと思うんだが、それを上司が部下の前でやってのけると嫌悪感を感じる。嫌悪感を感じてもらうのが狙いだったのだろうから、充分な演出だったことになる。

大勢の人間がヤクをやりながら広い仕事場でセックスに及ぶなんて、考えにくいように思う。たぶん本当は小部屋に隠れながら、場所を替えて・・・というのが実態ではなかったかと思う。かなりの乱痴気騒ぎは本当だったろうけど。

ディカプリオが演じた主人公は犯罪者だし、重症の薬物中毒者だが、惨めな時間も派手な活動をやっていた時間もサマになっていて、それなりの魅力を持っていた。底の深い何かの動機があるようには感じなかったが、懸命に儲けようとしたことや、才能があったことは間違いない。

同じくレオ様が演じたギャッツビーには寂しさや一途な恋心があって、謎めいた寂しげな部分が魅力だったが、この人物はもっと徹底的な儲け主義、あくどい騙しの意図、犯罪性が明らか。でも、その徹底ぶりは、ある意味ではより現実的で存在感のある人物になったとも言えるから、その面から見ると別な魅力はあった。

二番目の奥さん役はマーゴット・ロビーという女優さんだそうだが、野心的で色っぽいところが非常によく出ていた。奥さんが主人公の顔を足で拒絶するふりをするシーンもおかしかった。でも、あのシーンは横からの絵を期待しすぎて下品さが目立ち、やや質を損なってしまったかも知れない。笑えるお色気シーンに留まるほうが、観客としては好感を持てると思う。無理な成り行きだった。

奥さんの個性がもっと全面に出たほうが良かった。怒っても可愛らしい喜劇女優のような方のほうが最適だったのでは?基本が喜劇映画なんだから、奥さんも金を隠そうとドタバタしたほうが良い。

薬物のせいで車に乗れなくなった主人公の姿はおかしかった。軟体動物のようにフニャフニャになって階段を転げ落ち、車に乗り込もうとあがく姿は、惨めで憐れだった。あのシーンはよく撮れていた。若い頃のディカプリオが出演していた「ギルバート・グレイプ」で、障害を持つ少年が妙な身振りで生活している様を上手く演じていたが、レオ様は今回のような極端な動作をさせると非常に上手い。最近の彼の映画の中では一番似合っていた。

滅多にない良い題材だったと思う。でも、この作品はたぶん名作にはなれていない。品のなさを強調しすぎた点が、興行的にマイナスだったのでは?それに主人公の描き方にも疑問が残った。観客に向かって独白するスタイルは、現実味を失う傾向につながり、すなわち共感できない方向に陥る。

難しいことだけど、徹底的に富を求め、FBIの追求から何とか逃れようと工夫するドタバタ劇をヒーローとして描きつつ、仲間に対しては熱い友情を保つ、例えば「明日に向かって撃て」のスタイルなどが参考になったのではないか?

鮮やかな手腕でFBIの追求をかわし、彼らを笑いものにする、派手なパーティーで騒ぎ、ヘロヘロの惨めな状態になって、また大勝負に出て大金を得る・・・その間、友だけは裏切らない・・・そんな路線では実像に合わなかったのか?

豊かになろう、金持ちになろうという野心や希望は悪いことではない。激しい競争心は社会の活性化につながる。株が大きく動かないと、経済活動が活発にならないから、社会全体が沈滞してしまう。騙される人間が多くなりすぎないように、一定のルールの下でなら、派手に活動するのは悪くない。特に製造業の場合はそうだ。サービス業の場合は実質的な生産を伴わない場合、ちょっと困った影響もありうるが。

中国やインドでも、何かに成功すれば巨大市場で天文学的な金額の収入を得るチャンスがある。野心が渦巻いて、そのためなら戦争でも始めようかと考えないとも限らない。実際、権力を握った企業家達がアメリカを支配し、覇権を拡大してきたのだろう。同じことが中国やインドで起こっても不思議ではない。「我が国の権益を・・・」と言いつつ、実はビジネスマンだけの利益を求めているものだ。

米国のビジネスマン達はスマートなやり方で、より高額な取引、より莫大な収入を得て、しかも逮捕は免れているのだろう。手法や会社の規模、伝統に少し違いはあるものの、本来の姿は同じようなものと想像する。アメリカの場合、年収が数十億に達する人も少なくないそうだが、そこまで行くと良心に捉われて手加減しようという気にはならないのかも。感覚が麻痺してるんだろう。

儲ける能力とチャンスがあり、どうすれば成功するか分かる場合に、「でも良心がとがめるんだよな・・・」と言っていたら、他のウルフ達に儲けをかっさらわれてしまうだけ。そんなら、自分がやるべきだよな・・・と考えるのが自然。日本に市場を奪われるくらいなら、奪い取らないと立場を失うから戦争するし、日本経済が復活して米国の権益を脅かせば、対日要求をしてくるのも当然。真のビジネスマンはウルフより怖い。グローバリズムという理屈で攻めてくるから。

グローバリズムは、有名な学者達が一派を作って宣伝している。安倍政権の理屈も学者が側面から支援し、おそらくTPPも戦略のひとつなんだろう。乗り遅れてはならないという焦りを利用し、ルールを都合よく作れば法的に安全になり、通商がやりやすくなる。特に中国が物騒な動きをしているから、日本としては参入するしか選択肢がない。

ただ、一部の富豪を除き、多くの国民は不幸になると予想する。地産地消のような地域経済は破壊されやすくなるし、農林漁業に立脚していた地方ほど衰退が目立つ傾向は出るはず。GDPは高くなるかも知れないが、一人一人は充足感を持って生きていけない世界が待っている可能性はある。TPPからの離脱は常に考えておいたほうが良い。

ビジネスマンの世界でも、ハイソな階級になればなるほど相手からの信頼を得る必要も高まり、ヤク中は少ないだろうと思うのだが、実態は知らない。意外にハイソな人たちにも中毒は広がっているのかもしれない。薬物中毒は、同時にセックス中毒や、事故、暴力沙汰、急死などのリスクも高めるだろう。

真のビジネスマンになりきれない野心家の多くは、結果として太く短い人生になる。日本でも、ホリエモンを題材にすれば同じ系統の作品を作れるかもしれない。多くの医者もそうだった。昔は病院を建てれば必ずのように成功していたが、一定の規模に到達できないと倒産や合併の運命にある。相当な数の先生が急死している。ストレスが凄いからだろう。

私は医学部に入る前に、収入面に関しては絶望していた。既に医療費削減の動きは見えていたから、頑張っても限界はあるだろうと。今後もひどくなる一方だろう。そもそも良心的にやろうと思えば大きな収入は得られない。意義の薄い検査や手術を数こなさないかぎり、儲けにはならない。家を建てて家族を育て、老後最低限の生活ができれば、大きな不満はない。でも、なんて野心のない生き方か。ウルフ達から笑われそうだ。

おそらく荒野で暴れる狼を眺める小動物は、私と同じような感傷に浸るのかも。自分は狼にはなれないが、少なくとも可能なら狼のように派手に生きたいと、感覚としては持つのでは?では、もし自分が狼仲間の場合はどうか?

無茶な狼に獲物を独占されたら困る。自分らに獲物を分けてくれるならヒーロー。羊には多少は気の毒だが、自分らの利益を増やしてくれたら喝采を送る対象。対する羊たちは、牙の代わりに法律で武装して狼と対抗する形で、今回の作品では羊の視点から見れば正義が行われたことになる。

狼の視点で見れば、良い生き方でなくとも目的と手段が一致する解りやすさ、興奮や満足、周囲から一目置かれる気分、そんな動物レベルの情動から言って、ウルフ君に憧れは感じる。欧米のビジネスマンのひとつの形だと思う。ウルフを嫌うビジネスマンも多いだろう。ハイエナやヒョウだったり、儲け方に若干の違いはある。でも富を激しく、徹底的に追及している点は同様。

 

 

 

2013年12月18日

噂のギャンブラー(2012)

出張ストリッパーの女が新しい職にありついた。なんとギャンブラー事務所。スポーツ賭博で合法的に儲けようというのだが、トラブルが発生・・・

・・・非常に変わった作品。誰の発想で企画として通ったのか知らないが、普通の大博打の映画とは全く違ったスタイルの映画だった。ギャンブラーの人間関係、友情が最後にどう影響するかがテーマになっていたので、流れとしてはマトモだったが。

ヒロインのレベッカ・ホールは、「それでも恋するバルセロナ」などに出演して顔は知っていても魅力には気づかなかったが、この作品を観たら非常にスタイルが良くて、ストリッパーとしての踊りも本職に近い色っぽさで、リアルさが感じられた。とても美人とは思えなかったが、この作品の役柄にはマッチしていた。

ヒーロー役のブルース・ウィリスの出演が非常に意外。この作品での役柄は、小銭とは言えないものの大金を稼ぐ大勝負師とも言えない。つまり賭けに勝っても大成功とは言い難いから、盛り上がり方が大人しくなることは確実。どうして出演したのか?

妻役のキャサリン・ゼタ=ジョーンズも意外。ギャラが良かったのだろうか?どこかの金持ちが資金を提供して、大物を連れて来たのか、もしくはさすがに彼らも第一線から後退しつつある関係で、ギャラの交渉が折り合ったのか?よく解らない。

この作品は大手の劇場では興行されなかったようで、DVDを見て初めて知った次第。確かに子供も含めて楽しめるような作品ではないと思う。恋人といっしょに観ると、意外に悪くない雰囲気になるのではとも思ったが、大爆笑や手に汗握るスリルを味わえるタイプの作品ではないと思う。

数百万ドルをいっぺんに稼ぐ大勝負なら、かなり興奮することができる。でも、この作品では数万ドル単位の勝負がほとんどだった。地道といえばそうだが、ギャンブル本来の興奮の度合いは、やはり賭博性、いかに大きな金が動くかによって決まる。映画的には、ちょっと物足りなかった。

ギャンブルの仕組みが解説されていたが、本当にあんな方法で成り立つのだろうか?あちらでも州によってはスポーツ賭博は非合法らしいし、大がかりな金儲けには犯罪組織が絡んで、危険ではないかと思う。売り上げをよこせ~俺にも儲けをもたらせ~損失を補填しろなど、怖ろしい要求が来るのでは?

規模は小さくならざるを得ない。儲けもそこそこで、おそらく警察や民間の防犯関係の会社などと良い関係を保ち、法律家との契約も絶対に必要で、かなりの必要経費を要すると想像する。普通の賭博と比べたら、能力次第では安定していると言えるかも知れないが・・・

知り合いの何人かはパチプロのような生活をしていたが、完全にパチンコだけで生きていけた人間は知らない。パチンコで財産を失った人や自殺した人間はかなり知っている。パチンコのように技術がかなり培えるものでも、勝ち続けるのは簡単ではないのだろう。

今はコンピューター管理が進んでいるから、もしかしたら玉の出方で客の技量が瞬時に解析され、「こいつはパチプロだ!」と機械に判定され、出方を調節されたりしないのだろうか?小さなチップの交換によって、その辺の調節は簡単に出来ると思う。

日本のスポーツ賭博は、プロ野球では今でも多少はあるらしいが、裏社会の人間しか関わっていないように思う。少なくとも大規模な事件にはなっていない。この作品のようなシステムを立ち上げ、SNSなどで会員を集めたら、運営が可能かも知れない。既にだれかやっているとも思えるが、どうせ胴元が稼ぐだけで大儲けは難しいのでは?

韓国ではかなりのスポーツに賭博が絡んで、毎年のように摘発されている。あれは、やはり合法的なカジノを設けているかどうかなど、制度の違いによるのだろうか?賭博をひとつ許すと、他のバクチに目が移るのも人情。

そう考えると、経済特区としてカジノなどを作ろうという考えは、後々の管理が非常にやっかいになりかねず、安易な導入は危険かと思える。警察がしっかりに管理するから、犯罪組織が介入する隙はありませんと企画者達が言っても、そこで金が動き、人の意識が高まれば、次は非合法スレスレだけど新しいギャンブルに挑戦しませんか?となるのが当然では?

バクチができるほどの資金がない自分には、あんまり関係ない話。日々の稼ぎに汲々としている現状を、はやく脱出できたらいいが・・・

2013年3月20日

裏切りのサーカス(2011)

Studiocanaletc 

- 静か過ぎるスパイ劇 ー

イギリス諜報部(通称サーカス)のボスが引退した。作戦に失敗したからだ。内部にソ連側の内通者がいて、ワナにはまったと思われる。一度は組織を引退した主人公だったが、裏切り者を探すことになる・・・・

・・・・実に静かな映画。若い人には退屈だったろう。昔のフランス映画なら、こんな作り方もクールで良かったかも知れないが、今はフィルムノワール風の演出は危険を伴う。理解できない人には拒否反応が出そう。この作品は熊本では上映されなかったようだ。理由が解る気がする。

製作にはフランス系らしい「スタジオ・カナル」が参画しているそうで、雰囲気にも関係しているというのは考え過ぎだろうか?

サスペンスを維持するためには、定期的に敵味方が死なないといけない。最初はボスの指令でハンガリーに向かった工作員。次は主人公の部下の一人。または重要な情報を持つ情報屋、そして敵と思っていた人物、どこかで派手な爆発かむごい暗殺、そんな風に恐怖の盛り上げるのが原則だと思う。

裏切り者を探す方法が実に大人しく、緻密で、そこは非常にリアルだった。おそらく実際に調査する場合も、領収書やちょっとした記録などを丹念に洗い、敵の動きを把握するのだろう。銃をぶっ放して脅したりするのは、必要に迫られた場合だけ。

そう言えば、誰が何を指示し何が決定されたかの記録を残さなかった菅総理の時の官邸スタッフは、英国の諜報部を持ってしても何をやったか、誰が黒幕で誰がミスったか判定不能の凄い連中だった。記録を残さないのも大事・・・・で良いわけないが。

この作品は充分怖かったとは思う。後半は特に盛り上がっていた。でも前半、主人公がすることもなく、仕事を失って呆然とする様子が丁寧に描かれていたことが裏目に出ていた印象。退屈な雰囲気が出てしまった。主人公のボンヤリぶりと、組織内部での激しい戦いが交互に描かれたほうが良かった。

敵に無残に殺されるシーンがリアルに描かれていたので、この作品はR15指定だったようだが、確かに子供に見せるのは勧められない。ビデオ屋さんに普通に並んでいるのも良くない。また、恋人とこんな作品を観て楽しいと私は思わない。好きな人もいるかも知れないが、気分が悪くなる娘もいるだろう。古い映画好きな人が、ひとり静かに観るタイプの映画だと思う。

組織のパーティー会場の風景は良い演出だった。繰り返し過ぎた印象もあるが、2~3回程度なら、真相に迫る場合に効果的。よく見る手法だが、今回もとても印象的。

4人の幹部の誰が二重スパイなのか?それぞれの個性が際立ち、誰もが怪しい、いったい誰が・・・そんな謎解きが二転三転すると傑作になる。この作品も傑作に近いと思った。まず幹部に仇名をつけたのが良かった。

ティンカー(鍵屋)は、新しい組織のボスに就任した小男、テイラー(仕立て屋)は色男、ソルジャーは迫力のある大男、プアマンは元のボスに拾われた男、そして主人公はベガマン(乞食)。主人公自身も疑われていたことを知るというのが常道の流れだ。この仇名が、そのまま原作のタイトルになっているそうだが、上手いアイディアだった。

ホモセクシャルな関係が複数出てきたようだったが、作品にとって必要だったか判らない。ラストで自分を銃撃させるシーンは悲しかったから、その意味はあったと思うが、ストイックに仕事していた人物同士でないと、悲しみは限定される。

あちらではホモはごく一般のことなんだろうか?毛むくじゃらだろう欧州人同士にセクシーな感情が生まれるのは理解できないが、あちらはあちらで私のような男は絶対に嫌だろうから、あんまり文句は言えない。

美しいロシア人の女優が敵側の人妻を演じてて印象的だった。あれがロシヤ風肥満体のオバサンだったら話にならない。薄幸の美女と工作員が恋に落ちるストーリーでないと盛り上がらない。

欧米諸国の中には、実際に二重スパイだった人間は多かったらしい。ゾルゲ事件でもそうだったように、高学歴で優秀な人材の中には、理想に燃えて共産主義に走った人もいたと思う。おそらくだが戦前は、理想肌の人間は軍国主義か共産主義にかぶれたはず。戦前の資本主義(形式上の民主主義)を信じるなど、まさに民衆を抑圧する金の亡者としか思えなかったろう。西欧諸国が富を占有しておかしいと思わないはずがない。

富の独占や非合理を恥じる人は西欧の知識人にもいたはずだ。経済学ではマルクス派が大きなウェイトを占めていたはず。それなら、いっそ西欧も共産化すべきといった考えも成り立つ。覇権主義が目立たなければ、ソ連は理想郷と思えたかも知れない。そこに命を賭ける・・・そんな憧れもあったかも。

だから、優秀で忠実と思われた人物が意外な犯人という展開はおかしくない。それこそ、主人公が最も怪しいとさえ思う。ストーリーの権利上の問題がなければ、部下が調査した結果、主人公が黒幕だったと判明するという展開も別に不思議ではなかった。ラストで観客を驚かせる展開にはなったろう。

解らないのは、当時ロシア人が入国するのは非常に難しかったはずで、スパイが連絡するのも簡単にはいかなかったはず。英国側のスパイとの連絡は、速やかには出来ないだろう。速やかにやれば、情報の管理具合から直ぐに人物を特定されてしまう。

だから末端のスパイがどうなるかは気にせず、情報部中枢の大物スパイの保全を最優先して、速やかには動かない方針がソ連側としては正しかったはず。ストーリーの上では、多少の無理があった。

 

 

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