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カテゴリー「い」の41件の記事

2016年12月22日

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌(2013)

Insidellewyndavis

- ヤサグレ -

12月6日、衛星放送で鑑賞。個性あふれる映画で、独特の面白さがある。コーエン兄弟の作品だそうだが、どこに着眼して作品の企画を進めたのか、そこは最後まで分からなかった。

主演のオスカー・アイザックは、スターウォーズのヒーロー役をやるくらいなのに、この作品では全く正反対の情けないヤサグレ男を演じきっていて、しかも本職の歌い手としての力量を見せていて、その歌唱力とともに役柄の広さに感服した。

音楽仲間でジャスティン・ティンバーレイクが出演していたが、彼もちゃんとカントリー調の歌を歌っていて驚いた。どうみても真面目そうな田舎の歌手にしか見えない。元々彼は今のような現代風の歌い手ではなかったそうで、ちゃんとカントリーの基礎があるらしい。

キャリー・マリガンがヒロイン的な役を演じていたのだが、随分と痩せていて、彼女とは気づかなかった。猛烈なダイエットをやったのだろうか?アンニュイそうな歌い方、激しい口論の口調などが素晴らしいと思った。

失敗続きの歌手のどん底ぶりが、あまりに徹底していたのでおかしかった。車でシカゴまで仕事をゲットしようと行くのに、同乗した人間に毒舌を浴びるし、警察沙汰に巻き込まれて立ち去らざるを得ないなど、アンラッキーさがおかしい。

雪を踏みしめ、徒歩で契約のためにプロデューサーに会いに行くが、あっさり断られるなども、実に深刻な話なのだが、観客としてなら笑える。そこで主役が泣いていたりしたら笑えないが、酷い目に遭っても結構我慢できている主人公なら、安心していられるのだろうか?

この作品は実際のフォークシンガーの実話が元になっているそうだ。カントリー・ミュージックの市場が大きいアメリカでは、当時はフォーク・シンガーが多数活躍してたという。ボブ・ディランの出現の少し前だったわけで、あまたのシンガーのほとんどは、この主人公のように埋もれていったのだろう。ロックやソウル・ミュージックなどに主流が移って、職を変えたのだろうか?

歌のシーンは本物の凄さを感じる。本職の歌手を選んできたからだろう。その点は作品のレベルのために絶対に重要だった。さらに主人公の描き方も、悲惨になり過ぎないように、もの悲しいがおかしいという路線をキープして、よく出来た作品とは思う。しかし、映画祭でグランプリに選ばれるべき作品とは感じない。何か見逃した点があるのだろうか?

 

 

2016年1月19日

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才科学者の秘密(2014)

Gagaetc

- 異能の利用法 -

数学者アラン・チューリングは、暗号解読の仕事に携わる。しかし解読器の制作は遅れ、人間関係も上手くいかず、解雇が迫っていた・・・・

・・・ベネディクト・ガンバーバッチの素晴らしい演技が光る作品。明らかに異常と言える個性を演じていながら、主人公の純真さや理性、知性も表現され、彼を襲う不幸な運命に同情せざるを得なかった。

国家に対しては忠実で真面目な人間だが、異常者、障害者、狂人を演じていたとも言える。普通の人の心の動きを表現するよりもオーバーで、通常ならやり過ぎと言える演技でもあった。しかし今回の演技によって、これ以上望みようのないくらいに強烈な映像表現を出すことができたと思う。

異形とも言えるガンバーバッチは、この役にはうってつけだった。表情も素晴らしい。主人公は、ある意味では邪心のない繊細な感性の持ち主として描かれていたが、困難な問題に接すると浮かべる悲しげな表情も、実在感たっぷりだった。

エニグマという機械があったことは聞いていたが、意外に小さいので驚いた。タイプライターのような機械で、解読が難しい暗号を作ったという発明のほうが、それを解読した機械より凄い気もした。複雑に暗号化すれば、受け取る側も困ると思うのだが、互いにどうやってバージョンを変える連絡をしていたのか分からなかった。

現代の暗号はどうやっているのだろうか?特定健診のデータは暗号化して送っているが、どんな風に加工しているのかは分からない。おそらく、単純な方法だろう。国家機密の場合は、レベルの違う処理が必要。

ISなどが情報交換をやれているらしいので、おそらくCIAでも把握しにくい情報交換の方法はあるのだろう。日本の自衛隊は独自の方法を持っているのだろうか?米軍も知らないようなモノは、作ることを許されないだろうが・・・

気になったのは、実際に主人公のような天才が日本にいた場合、その日本版アラン君がどのように扱われるかという点。普通に考えると、よほどな偶然がない限り、軍の研究機関に彼のような人間は雇われない気がする。

そう考えた理由は、国内の重要ポストの場合、既に定評のある業績を挙げた研究者で、しかも上司の覚えが目出度い人物でないと、話が来ること自体が珍しいからだ。日本の場合は、東大教授の部下の講師あたりが選ばれるだろう。ところが、教授も講師も口だけ達者なわりに、役に立たない傾向がある。学習能力と発明の能力は、また別物だからだろう。

日本版アラン君が排除されやすい傾向は、おそらく劇場主の思い込みだけじゃなく、確実である。特に戦時中の日本の思考パターンなら、士官学校の講師か東大の学者以外からは選ばれにくい。その系列に入っていない異能の持ち主は、存在すら知られないままの可能性も高い。欧米の国との最終的な力の違いが、そんな点では出てしまう。

失敗が目立つ究極の仕事(例えば天皇陛下の心臓手術)の場合は、責任を逃れるため、あっさり優秀な人物に依頼することがあっても、ポストが関係する仕事には、出世競争や派閥意識などのほうが強く影響する。自分の立場の保護が、国の将来より大事・・・想像だが、その日本的構造の弊害は、いたるところにあるはず。

また、特にアラン君は発達障害や愛着障害のような問題を持つ独特の個性と思える。集団行動が必要と考える人物が上司につけば、能力ウンネンに目が行く前に、感情的に足を引っ張ろうと暗躍する動きが必ず出る。「貴様のように勝手なヤツは、俺らの仕事の邪魔になるから排除する!」ってな調子だ。たしかに個人がバラバラで仕事の効率が上がらない場合はあり、作業効率優先の時には団結が最重要。でも、そうでないケースもあることを忘れてはいけない。

団結力が全て、組織の一員として動かない人間は排除して良いという宗教めいた感覚を持つ人は、共同行動が不得意な人間を許せない。それは感情となってしまうから、その上司の説得は難しい。いかにアラン君が必要か論じても理性的になれず、感情的になって許さない、そんな人間が多数派を占める。それじゃあ、最終的な戦いに勝てっこない。

イギリスだって理解のない上司はいるだろう。作品中も出ていた。でもエリートのレベルでは、優れた判断を下す人物がいたようだ。イギリスの戦略は、米国より鋭い。おそらく首相の周囲の人物によって、アラン君は仕事を続けられたのだろう。日本の場合、そんな判断は期待できない。その点が違う。エリートの選ばれ方が違う。本当に稀に、有能な上司を得た人物が幸運を得ることもあるが、頻度は高くないと思う。

暗号を解読した後も問題。手柄を公表したい人物は多い。公表しないと、自分の評価が下がり、将来を失ってしまう。こっそり、責任を問われないような形でなんとか業績を知って欲しい・・・そんな欲求はあるだろう。それでも冷酷に、民間人の犠牲も厭わず情報を握りつぶし、勝利に賭ける強い意志の力には感服する。犠牲になる人間にとっては許しがたい行為だが、勝利のための情報管理はそのような現実も伴うものだ。

日本では、おそらく管理が難しい。上層部の都合で情報が利用され、国家の利益が阻害される。映画のように敵の攻撃目標が分かった場合、上層部の家族は助かるが、他は殺される。そしてこちらの動きは敵に気づかれる。それでも、上層部は処罰されない。

そのことを部下が認識している場合、部下の行動、組織全体の判断能力や成果は決まってくる。規律が重要なのは、結局は勝ち残るためなのだから、こういった問題を排除できる組織のルールを作らない限り、勝ち続けることは難しい。常々そう感じている。今日も過去も、日本ではそのルールを作ることが難しい。

 

 

2016年1月16日

インサイド・ヘッド(2015)

Dhizneypixar

- CGアニメ大作 -

ある少女の意識を動かしているのは、感情の元である小さな存在であった。その「喜び」、「悲しみ」らが危機に陥り、少女にも危機が迫る。「喜び」らは、少女を救えるか?・・・・

DVDで鑑賞。正月の時間つぶしのために借りたのだが、時間つぶしにはもったいないほど良くできた作品だった。CGアニメ大作とでも言うべきか。子供の成長や、親子の愛情などに関して健全な精神が感じられた。ディズニーらしい映画。

記憶から失われるものが、深い谷に埋まっているという設定、思い出がお城のようにそびえているという話も、それが壊れて谷底に落ちていくという話も非常に分かりやすく、実際の脳内処理を連想させて面白かった。

子供映画だから当然子供も観て良い作品。子育て中の夫婦も、きっと感動できる。家族で楽しめるし、若いカップルだって面白く感じるだろう。ただ、この作品が非常にヒットしたとは聞いていない。かなりのヒットとは言えるようだが、インパクトには欠けた印象。不思議な感じもする。

キャラクター達に独特の味わいが足りなかったので、それが理由かも知れない。「悲しみ」という言い方より、愛称を使って、より個性が目立つようにすべきだったのかも知れない。ギリシア神話の女神や妖精の名前などを使えば、それぞれの親近感が違ったかも知れない。

ヨロコビらが、少女の成長に合わせて成長していたらどうだったとも思った。それぞれが思春期独特の変化を見せていたら、それもまた印象を変える要因になれたかもしれない。あるいは、カナシミが極端にドジで、良かれと思って大失敗を繰り返し、ドリフのギャグみたいに状況を悪化させるドタバタ劇を延々と続けても良かったかも。

人の感情をどう表現したらよいのか、考えてみると難しい。喜び、悲しみ、怒り、恐怖などが中心とは思うが、好き嫌い、慈しみ、勇気、ねたみや恨み、いろいろありそうに思う。たった4人のキャラクターで表現するのは単純化しすぎだったかも。

イジワルの虫かスネ夫みたいなキャラクターが登場して、よろこびらを皮肉って邪魔する、そんな学校で起こりそうなドラマが、脳の内部で再現されても良かったのかも。勇敢な人でも、能の内部では葛藤が何かしら起こっていると思う。そんな内容を描くと、複雑になりすぎると考えて単純化したのだろうか?

あるいは物語を変えて、少女がもっと大きな試練に立ち、危機にどう立ち向かうか、そこをクライマックスにしたストーリーなら、もっと良かったかも知れない。親子の危機のストーリーなら、親も活躍させるほうが良い。危機も、本当の危機のほうが良い。誰か悪人に騙されて、犯罪に巻き込まれそうになるなら、緊迫度が違っていたのでは?その意味で、盛り上げ方の基本から、少し外れていた。

新しい友人と知り合うまで、例えば最初は喧嘩し、疎外され、やがて友人となるといった劇的な展開が実社会で進み、それが互いの脳の中でどう進んだのか、それを愉快に解説できたら、やはり達成感が違っていただろう。実社会での出来事が、少し易しすぎた。

 

 

2015年10月16日

イントゥ・ザ・ウッズ(2014)

- 大物勢ぞろい -

赤ずきんちゃん、シンデレラ、‘ジャックと豆の木’のジャック、ラプンツェル、そして魔女らが森に入って繰り広げる童話のような話を、ミュージカルで描いた作品。ブロードウェイの作品の映画化だろうと、直ぐ分かる作品。DVDで鑑賞。

よくできた話で、アイディアが良かった。出演者がやたら大物だったのも、そのせいか?。おそらく舞台が非常に人気があって、予算が充分集まったからか?あるいは、役者達が出演を希望してきたのかも。発想が楽しい物語なので、演じたい歌いたいという欲求が生まれそうに思う。

このストーリーは一人の作家が考えたのだろうか?随分と複雑で、しかも洒落っ気に満ちた流れで、複数の人達がアイディアを出し合って進めた企画のような、そんな匂いを感じる。単なる童話の集合体に留まらず、不倫話や現代風ギャグや、様々な要素がてんこ盛りになったミュージカルスタイルが、実に上手く構成されている。不倫の要素が確かに必要だった。

歌詞は理解できなかった。かなり省略や比喩が多くて、文語とは違って理解しにくい。歌は、日本人の劇場主の耳には非常に上手く聞こえたが、役者本人の歌かどうかは判別できなかった。たぶん、音響技術で高度に処理された本人の歌声だったのでは?

主人公は子供ができない夫婦だったようだが、中心になって一番活躍するのは魔女役のメリル・ストリープであった。ちゃんと歌も歌っていた様子だが、彼女の歌は「マンマ・ミーア」の時もそうだが、非常に上手いのか判断できなかった。でも、この作品の性格を考えると、充分な歌唱力だったろう。

ミュージカル映画の場合、声量があるかどうかは大きな問題だと思う。本職のミュージカル俳優の場合は、やたら声量があるので、映画に出演しても声を張り上げる傾向がある。ところが、我々からすれば劇場で観ているわけではないので、声の大きさは音量で調節すれば良い。大仰に声を出されると、場にふさわしくない印象が生じる。映画用の歌い方があると思う。

もう一人、大スターのジョニー・デップも出演し、ちょっとした端役だったが、楽しそうに演じていた。でも、チョイ役すぎてもったいない印象も受けた。話題作り、彼目当ての観客を期待したことなどが想像された。

話の流れは面白かった。どうも米国の観客は、この種の物語が大好きのようだ。テレビシリーズで、魔女や魔法使いと戦う物語が長々繰り返されているし、オオカミや吸血鬼のなんとかサーガというシリーズも多い。安定的なファンがいるのだろう。

日本の童話がテレビシリーズになった例は知らないが、逆に日本の場合は鬼太郎シリーズが人気だったから、あれが代わりになっているのだろうか?

 

 

 

2015年4月16日

インターステラー(2014)

Warnerparamount1

- STAY! -

食料不足と砂漠化で滅亡に瀕した人類。存続の希望を賭けて宇宙探検に出る主人公だが、娘とは辛い別れとなる。そして彼らが知った事実は、厳しいものだった・・・

・・・もし自分が人類を救うため、家族と別れる必要が出たら、そして旅が失敗と判明したらどうするか、自らのこととして考えざるをえなかった。個人的感情と、人類愛のバランス・・・映画の出来が良くないと、なかなか考え込んだりはしないはず。

インターステラーとは星の間の旅、もしくは旅する者といった意味らしい。「インセプション」という言葉もあったくらいだから、ちょっと気取った音の調子が気に入ってタイトルに使われたのかもしれない。一般的に使われるのは、おそらくスペース~とか~ワープなど、他の言い方ではないか?

この作品は変わっていた。普通は宇宙冒険の話の場合はヒーローと怪物や悪役科学者との戦いの物語が多い。その中で友情や愛情が大きな問題になることはあるし、悲しい別れや死の恐怖、または人類や生命に関わる深い哲学が語られる場合も多いが、この作品のように親子関係を中心に描いた話は少ないと思う。

宇宙の旅より、親子関係の比重が大きかった。

Warnerparamount

もしかして、スタッフの年齢が関係していたのかも。原案はノーラン兄弟が考えたものらしく、原作小説はないようだから、おそらく子育て世代のはずの兄弟には、娘との心の結びつきに関して思い入れがあったのではないか?あるいは、兄弟の親に対する独特の思い入れがあるのか?

子育てが終わった世代、あるいは若者世代の場合は、ちょっと感覚が違うかも知れないので、筆者(劇場主)が感じたほどの強い感情が湧いて来ないかも知れない。筆者には強い感情が起こった。子供との別れを連想させる話には弱い。

アイディアが素晴らしかった。愛、夢、冒険心、自己犠牲の精神、恐怖、別れ、それらが物語に上手く盛り込まれ、美しく悲しい流れになっていた。

映像も美しかった。ワープを映像化する方法には色々ある。スターウォーズのように放射線状の光で描くのが格好良い。でも怖さや迫力を出せるのは、今回のような手法だろう。もっと重力を表現できたら良かったかも知れない。ひずみを上手く表現したら、きっとさらに進化した映像が誕生するに違いない。

親子の別れの場面が秀逸だった。ただのお涙頂戴のシーンにならないようにと考えてあったに違いない。

娘がすねてとうとう顔を合わせないのだが、実際の別れもそんなもの。仲の良い友達と別れる時、うちの子供たちもプイとどこかに行ってしまったりしていた。挨拶しなさい、礼儀よなどという言葉を無視して行儀の悪い行動をとる、怒りと悲しみの暴風雨のような精神状態。あれを適切に表現できていた。

マシュー・マコノヒーの演技も素晴らしかった。近年の彼は凄いダイエットで病人を演じたり、ヤク中の異常者や犯罪者を助演したり、極端な役柄が多かった。元々はタフなヒーロータイプの役を演じたりもしていたのだが、それを捨てていることで次々と良い役が回っている。既に大スターになったと言える。

マット・デイモンが大事な役柄を演じていた。彼のキャスティングは意外性があって良かったかも知れないが、イメージとしては‘人類の存続のために主人公と対決するヒーロー的人物’が望ましかったと思う。好敵手が目立てば、作品のスリルは確実に増す。だから、とことん大真面目に対立する、タフな敵がいたほうが良い。

氷の惑星の撮影は、アイスランドの氷河を使ったそうだ。水の惑星も面白いアイディアだったと思う。でも、強い波が始終襲ってくる惑星の場合、やはり探査機の残骸は広範囲に拡がっていないとおかしい。作品中では時間の問題で片付けていたが、考え直すべきだったと思う。

そして重力や加速度の表現に関しては、おそらく改善できる点は多かったはず。CGでゆがみや軋みを微妙に描いても良いのでは?そして本棚を使った意志伝達の方法は、謎めいて印象的なイメージになりにくい欠点があると感じた。

宇宙を舞台にしてスリリングな映像を見せていた近年の作品では、「ゼロ・グラビティ」がある。あれも深遠な精神的要素がある作品だったが、この作品より単純でリアルだった。この作品は、下手するとオタク映画に陥ってしまう危険性があるところを、踏みとどまってまとめた点が素晴らしい。

現実問題、人類全体の存続を危うくする危険は、何が考えられるだろうか?

温暖化や寒冷化はまず考えうる。巨大隕石の襲来、過去にない規模の宇宙線飛来も考えられる。過去の映画はそのパターン。砂漠化、病害による作物の不振は、新味に欠けるし、恐怖の対象としてやや弱い印象もある。ただし、徐々に人類に迫ってくるという点から考えると、現実的な危機だったかも。

放射性物質はどうだろうか?福島原発から漏れ出た物質は、地球全体から見れば少量だし、急な害は出ないと思うが、海洋を通じて摂取され、積もり積もれば未だ知られていない病気が多発し、人類全体に及ばないとも限らない。でも、滅多にはないことだと思う。海洋の影響が少ない値域は生き残れる。

もし、本当に対処不能な問題が発生したら、多くの人は家族と過ごしたいと願うだろう。若者の中には無茶したいと願う人がいるかも知れないが、子供を持つ親なら、たいていは子供と過ごすことを選ぶに違いない。

家族の愛情が関係すると、人に強い感情が生まれる。作品中でも言っていたが、家族のためなら逆境にも耐えうるし、無理して会いに行こうとしたりもする。人類のためよりも強い行動への動機となる。それを大きなテーマとした点が、この作品の優れた点。

想いを伝えたいという願いや、それが達成されない場合の悲しさ、無慈悲な別れ、それらを表現する流れとして、この作品のストーリーは最高だった。SFに留まらない内容で、家族のドラマが心をうつ。

 

 

 

2014年7月18日

イーストウィックの魔女たち(1987)

Warner

- 魔女に関して -

田舎町イーストウィックに住む三人組の熟女たちは、魅力的な男の登場を祈った。すると、彼女らの前に突然現れた人物が、彼女らと奇妙な関係を結ぶようになる・・・

作家ジョン・アップダイクの原作があるのだそうだ。確かに小説の匂いのするセリフが多く、結構くどい印象を受けた。ストーリーも最初の段階で予想がつき、裏切らないから安心して楽しむことができる。奇抜さが足りないと言うことが出来るかも知れないが、喜劇なんだから安心感は必要。大ヒットを狙うなら、二転三転の読めない展開があったほうがいいけど。

ブラックコメディであり、悪魔や魔女的な人間が登場するダークな笑いの映画。でも、昨今の映画のように血まみれには誰もならない。一応は家族で観ることも狙ったかもしれない、大人しい作風。いっぽうで性的な関係のセリフは結構露骨で、教育上は全くよろしくないかもしれない。基本は大人が友人~恋人といっしょに観るのが向いていると思う。真面目な人には勧められないタイプのギャグ映画。

個人的に気に入ったのは、貴婦人フェリシアを演じたヴェロニカ・カートライトという女優さん。毒々しいセリフの言い方、しつこい呪いの表現が実に作風に合っていた。「エイリアン」の時には弱々しい体格の隊員役で、これまた恐怖におののく表情が素晴らしかった。今思えば、主役級になり損ねたスター候補だったような気もする。おそらく彼女こそ魔女役には向いているのでは?

この作品の主役は、ジャック・ニコルソン。三人の女優が話の中では中心なんだが、一番の悪役のデイル氏を演じたニコルソンが重要人物だった。およそ女性に持てそうな風貌ではないと思うのだが、あちらの感覚ではセクシーなんだろう。毒のあるコミカルさが、女性達の何かをくすぐるのかもしれない。生真面目な男は確かに直ぐ飽きるだろうから、悪そうな部分は魅力的なのかも。 強くてタフそうに見える彼が、3人の女の魔法にかかって風で飛ばされそうになるシーンや、教会や車の運転の途中で酷い目に遭うシーンは面白い。この種の映画でのお約束のようなものだ。汚れて服もボロボロになったほうが面白い。もっとドタバタ劇を繰り返した方が良かったと思うくらい。

3人の女優達は、それぞれが適度にセクシーで、音楽教師に独特な真面目さを表現したり、性的な悩み、欲求をうまく表現したり、退廃的な生活を演出したり、それぞれの役目を充分に果たしていた。グラマー系の女優を使わなかったのは正しかったと思う。お色気過剰では、話がポルノチックになりすぎる。センスが良かった。

でも感じるのだが、魔女を扱った映画は、なぜか日本では大ヒットしないような気がする。テレビの「奥様は魔女」だけが例外では?魔女は所詮、外国の存在だし、ブラックコメディに出てくる魔女はパターン化していて、やや興ざめする傾向があるからかもしれない。魔女映画は、おそらく欧米が主な市場だろうから、日本の趣味に合わせても仕方ないかも。

魔女裁判は近年まで行われていたそうで、それを扱ったドキュメンタリータッチの怖い作品も宣伝では見たことがある。テレビ番組もあったようだ。例えばの話、資産を奪いたい女を対象にして噂をでっち上げる、夫との不倫関係を疑って復讐のため裁判に持ち込む、そんな例があったのではないか?

個性的な人間や、対人能力に欠ける人は、訴えられる側になる可能性はあったろう。悪意を持つ勢力から、マトモなセンスを持つ少数派の人達が吊るし上げられる危険性も高い。日本でも裁判の形式は採らないとしても、イジメのような個人攻撃の伝統はある。

仮に私が自民党の議員だったとして、集団的自衛権容認は許し難いと言えるかどうか、自信はない。今の自民党は勢力が安定しているから、公認を外されたらまず選挙は勝てない。自分の信じるところを貫くためには、家族の運命をも巻き込んだ大きな決断が必要になる。地盤がよほど恵まれた人以外は、結局は党の流れに従うしかない。

党議に拘束されるという点は、党の首脳が間違った選択をした場合に、歯止めがかかりにくいという欠点になる。戦前、軍国化や戦略無視の政策が決定されようとしている時、何度か歯止めをかけようと努力した政治家はいたが、流れを変えられなかった。あの時代を反省するなら、党議拘束はしない、基本的に政治家個人の自由意志に基づいて投票するようにする、それが真摯な態度だろう。

もし本当に戦争が起こったら大変。好戦的な投票をした議員は賞賛されるか犯罪者になるかのどちらか。勝利すれば英雄。敗戦したら殺されかねない。相手国を友好的に言っていたら、能天気な楽観論者として非難される。当然だが選挙は落選して、復活は全く無理だし、自分も家族も白い眼で見られることになる。

何か偽装行為を行っている会社の内部にいても同じ。告発が空振りに終わったら、ただバカをみて解雇され、経済的にも社会的にも葬られ、一生をやけ酒で過ごさないといけなくなりかねない。 出世競争に敗れた会社員、研究者、選挙にやぶれた政治家は、闘争心を維持して新しい戦略に打って出るかどうかが大事。でも、失意のまま引退していかざるを得ない場合も多い。良心に従って、自分の信条のままに生きるか、悪魔に魂を売って勝負を優先するか・・・まあ、たいていは流されてる人が多いのでは?妥協がないと、地位を維持するのは難しいから。

落選は、でも魔女裁判よりはマシだろう。何事も、魔女裁判よりは良し。 ぜひとも、信条に従って行動して欲しいし、選挙民もそんな人しか選ばないことが必要。なんで、そんな基本的なことが徹底されないんだろうか?所詮、人間の弱さや愚かさ、保身の身構えが我々を支配してしまうのか?

2014年4月28日

インポッシブル(2012)

Telecincocinema

- 危機管理 -

スマトラ沖地震の津波に被災した家族の物語。津波に流された家族はバラバラになり、母親は傷を負ってしまう・・・・

・・・4月22日にDVDで鑑賞。

この作品を観ようと思ったのは、韓国の客船事故がきっかけ。事故は残念な結果に終わりそうだが、大きな災害に巻き込まれた人の心を思っていたら、不謹慎なことにディザスター映画を観たい気になってしまった。

気の毒ではあるが、外国の災難は同情しながらも他人事で、自分が嘆き悲しむ対象ではないからだろうか?あるいは不安感から、何か教訓を得たい気になったからか?東日本震災の報道とは違った感情で見ている自分に気づく。本当は正しいことではないのだろうが。

この作品は家族で観ることもできそうな気はするが、怪我のシーンは結構リアルで、気持ち悪くなる子もいるかも。恋人と観る作品として、全く楽しくはない点が気になる。でも、陳腐な作品ではないし概ね悪趣味でもない。基本として、災害を描くこと、特に最近の災害の場合は描き方が難しい。

CGの出来は非常に素晴らしい。おそらく、波が襲ってくるシーンは総て合成だと思うが、どう見ても実物の波としか思えないほど良くできていた。あのシーンは、東日本震災の被害者には良い印象を与えないかも知れない。リアルで直接的過ぎる。

怪我も非常にリアル。津波に流されながら怪我をする様子を、とがった枝などを解りやすく写しながら、克明に描いていた。そこまでやる必要があったのか疑問には思ったが、リアルである点は確か。

子供達の描き方は、充分だったとは感じなかった。ヒロインの話が、この作品の中心だったからかもしれない。通常のメロドラマ路線なら、子供を中心にするだろう。子供が被災する様子を描けば、簡単に涙頂戴の作品になる。バランス的には、離れ離れになった幼児の表情に中心をおいたほうが良かったと思う。

思えば、外国で被災した場合に、幼児を他人に預けて自分が他の家族を探索するなど、やってはならない行為。この作品の御主人は、会社から干されても仕方ないアホウである。何があるか解らない混沌とした状況では、幼児は絶対に手元から離してはいけない。子供がいかに不安になるか、考えてみれば解るだろう。

長男や奥さんなら大怪我してなければ助かるが、幼児の場合は人身売買される危険性だってある。助かった命を大事にしないといけない。

メーキャップが激しかった。ヒロインのナオミ・ワッツの顔色が徐々に悪化していく様子が、オーバーだとは思うが、丁寧に再現されていた。ICUで亡くなる患者さんの場合は、失血で青白くなるとしても死相がはっきり出ることは稀。でも、設備も薬も足りない場合は、画像のような酷い顔になる場合もあるのかも。

悪液質になって、DICや多臓器不全の状況になったら、意識の方がまず悪化し、会話など難しくなる。だから作品内の描き方にはたぶん演出があったのでは?

もし、ヒロインのような怪我をしたら、とりあえず圧迫して止血することが優先される。太ももの裏側は酷い状態だったが、肉を寄せて圧迫してしばらくすれば、おそらく止血する。感染でうなされるだろうが、あの地域の地理を考えると、1日以内には救助がくる可能性が高い。動かない方が良い。

余震での津波は、比較的軽い傾向がある。大型余震が頻発しないかぎり、津波は数回程度やり過ごせばいいので、無理に木に登らなくても良かったのかもしれない。一人が登って、襲ってくるかどうか監視する役目を負うほうが現実的かも。その土地の状況にもよるが。

プーケット島あたりでは、地震の情報は伝達されないのだろうか?日本の海水浴場の場合、小規模なところでも監視員が複数いることが多い。ラジオなどで情報を得て、近海発生の津波以外なら退避も可能だろう。近海の場合は、揺れで直ぐ解る。管理体制に問題があったのかもしれない。

さて、韓国の客船の事故だが、積載されていた荷物が極端に多かった、改造して重心が高くなっていた、操船が無茶だった、管理者がいなかった、訓練が行われていなかったなど、怖ろしい情報が伝わっている。本当の原因は解らないが、怖い話。韓国旅行には行きたくなくなってしまった。

真相の究明のためには、とにかく真実を語らせるために容疑者への保障が必要。真実を言わないと殺すといった脅迫は逆効果。責任者は、なんとか助かろうと嘘を重ねたり、誰かに罪をなすりつけたり、必ずのように言い逃れをしてしまう。嘘によって真相が闇に葬られると、再発の予防策も立てられない。

確か韓国内では、もっと大型の船で大人数が亡くなった事故があったはず。再発予防の策が足りなかったのではと疑われる。

極悪の犯人がいるとしても、正しい情報と引き換えに命は保障するしかない。でも韓国の国民は、なかなかそんな路線に向くのは難しい気がする。報道でそう思うだけだが。

 

 

 

2013年2月28日

一枚のめぐり逢い(2012)

Warner

- 不自然さ -

イラク戦争で九死に一生を得た主人公は、助かるきっかけとなった女性の写真を手に、帰還する。問題の女性を探して、はるばる旅した彼だったが・・・・

・・・「ザ・ラッキー・ワン」という原作があるんだそうだが、帰還兵を描く作品は戦争の後遺症を題材に、仮に勝利しても精神的に深く傷を残す人々を描いて、いつも考えさせられる。身内の誰かが亡くなった場合は、特に激しい後遺症を残すと思う。

主人公を演じていたザック・エフロン君は、得意のダンスは封印して、腕を激しく鍛えていたようで、かろうじて兵隊の雰囲気も感じたが、やはり得意分野の役柄ではなかった。彼のような個性の兵士は、勇敢に戦いそうな気はしない。

その代わり、ドラマの部分では素晴らしい演技派ぶりだったと思う。メロドラマに関しては、青春モノの数々で演じたキャリアがあり、実に上手い。涼しく悲しげな目だけで、女性ファン達はまいってしまうのだろう。恋愛物に出させたら、今のナンバーワンかもしれない。

共演者の女優テイラー・シリング嬢は、なかなか美しく、動物を世話しているといった役柄も良かったこともあって魅力的に写った。ゴージャスそうな女優では話がおかしくなってしまうし、逞し過ぎても恋愛ドラマが成立しない。細身で色気もあり、適度な年齢となると、イメージとして彼女は最適だったようだ。

自分がもし戦場に出ないといけなくなったら、おそらく無事で済んだとしても心には大きな傷を残すだろう。仮に誰かを殺したり、拘束したりしたことがあったら、悪夢にうなされるのではないか?でも戦地で人道的な行動にこだわっていたら、真っ先に敵の攻撃にさらされるだろう。そうしないように行動したら、今度は過激な残虐行為に走ってしまうのを止めにくい。細かい判断で迷うことだろう。

仲間の兵士が吹き飛ばされて自分だけ生き残っても、遺族に顔向けはできないだろう。主人公が戦地のことをなかなか打ち明けられなかったのは、ある程度は理解できる。

でも、この映画の流れの場合は、ストーリーのためだと思うが、やや不自然に感じた。兵士が突然訪れてきたら、普通は怪しいと考え、どこの部隊でどこで戦ったか、根掘り葉掘り尋ねるし調べもするのではないか?ヒロインの兄が亡くなった状況が気になるなら、必ず詮索すると思う。その辺に不自然さは感じた。ラストの川のシーンも不自然だった。都合よく行き過ぎたのでは?

原作のせいか、監督のキャラクターのせいかは判らなかったが、音楽や映像が一体となって悲しく美しい物語になる、その流れを掴みそこなったような、多少の期待外れに近い感覚はあった。でも、悪い作品とは思わない。恋人と観るのはオススメ。ロケ地は美しく、舞台として素晴らしかった。

2012年12月31日

イヴの総て(1950)

20fox

- デイヴズ・アイ -

栄えある演劇賞を勝ち取った女優イブには、隠された過去がある。大女優、脚本家と妻、演出家、批評家を巻き込んだバトルを経て、彼女はスターになったのだ・・・

・・・という有名なストーリー。アカデミー賞を取っている。同じ年の「サンセット大通り」よりもリアルさにおいて勝っていたように感じた。比べて二つの作品を観たら、確かに「イヴの総て」に票を入れたくなるのが自然かもしれない。演劇と映画界の違いはあっても、内幕ものであることは同じで、何か偶然でもあったのか、もしくはどちらからか作品の情報が漏れたのか?

この作品も長いこと探していたのだが、リバイバル上映会の情報もなく、ビデオが出たのか出ないのかも知らないまま。今回は「サンセット大通り」を見つけた流れで、思い出して比較するためにDVD版を鑑賞。

イヴを演じたバクスターよりも、踏み台役になったベティ・デイヴィスのほうが本当のヒロインだったと思う。出番も多かったし、迫力や存在感では断然勝っていた。もしかして、アン・バクスターはミスキャストだったのかも知れない。迫力が足りなかった。

このイヴ役には、しおらしい仮面をかぶったシーンと、本性を表して人を強請る怖いシーンとをいかに上手く演じきれるかが重要。アン・バクスターは良い娘を演じる間は良かったが、急に怖い顔をするシーンの迫力があったとは感じない。もちろん非常に上手かったが、元々の顔つき、眼力が凄かったとは言えない。

その点、眼力の教祖さまであるベティ・デイヴィスは凄すぎる。まさにベティ・デイヴィスの瞳でもって、怖い存在をアピールしていた。

Bette

若い頃の天使のような顔の彼女と後年の彼女を比べると、目の周りの肉がたるみ、ややタレ眼のようになって眼が座ったかのような印象になっている。このへんがベティ・デイヴズ・アイの特徴につながっているのだろうか?

Bette2

日本人にも似たようなタレ気味の目つきの人は多い。縄文人系~南方系の人種が持つギョロメ系統の目つきである。熊本県ではデイヴィス系の眼は珍しくない。朝鮮系の人が見たら、たぶん何考えているか判らなくて気味が悪いだろう。

もしデイヴィスが始終イヴと喧嘩をしていたら、物語は面白い展開にはなっていただろうが、やはりオーバー過ぎて現実味を失ってしまっただろう。恋人を奪ったりが現実のものに・・・という展開もありえたと思うのだが、激しすぎないほうが良かった。

演出家や脚本家といっしょに座っていた店に、イヴがやってくるシーン。彼女をにらむかのように見つめる視線がリアル。このシーンで、グロリア・スワンソン風に眼をむいてにらんだら、周囲の人の視線の手前おかしい。リアルな演出を目指すなら、冷たくじっと視線を向けるほうが望ましい。そのセンスの差が、「サンセット大通り」との違いのように思う。

ただクールに冷たく視線を向けるだけでは、よほど上手く撮らないかぎり、監督が何を言いたいのか判らず、この人物達がイヴにどんな感情を持っているのか曖昧に思う人もありうる。4人の中にベティ・デイヴィスがいなかったら、ちょっと判りにくいシーンになったかもしれない。

この作品を監督したマンキウィッツ氏は、ビリー・ワイルダーほどの大監督とは思えないのだが、この時期は連続して賞を取って乗っていたらしく、ベテランらしいソツのない仕事だった。原作も脚本も良かったに違いない。

フランスやイギリスの高級そうな店に入ろうとした時、チラと視線を向ける客達の顔を見た時に、自分に対する彼らの嫌悪感を確かに感じる。我々が外人の誰かを見ても、うるさく騒いだりしないかぎり嫌悪感を感じないのとは違い、彼らは外見や人種そのものに対して何かを感じる部分が多いのだろう。気にしない人もいれば、ただ嫌悪する人もいるようだ。

原作があるのだそうだが、よくできた話。実話がモデルになっているという噂もある。途中で若いマリリン・モンローや、最後にも次のスターを狙う新しい女優志願の女が登場したりして、話の流れがよく出来ている。今でこそ、当然の設定のように感じるが、この作品が古典的になって、今私達が鑑賞すると流れを予想通りに感じるのだろう。

翻訳のせいかもしれないが、ナレーションの言葉のセンスも素晴らしかった。ついつい気取りすぎたり、冗長になったりしそうだ。なかなかできるものではない。

この作品は、おそらくだが今の若い方達が観ても結構受けるような気がする。現代の大げさなドラマと比べると、特にその嫌悪感を示すシーンのクールさなどがちょっと物足りない印象を受けるだろうが、やや大人の人達にはニヤリと笑いたくなるリアルな印象につながると思う。ただし、静か過ぎて子供にはあんまり受けないかも。

 

2011年7月12日

依頼人(1994)

- 厳しい状況の話 -

死体の隠し場所を知ってしまった少年は、マフィアから命を狙われる。いっぽう、彼から情報を聞き出して名を上げようと目論む検事も、非合法スレスレの手段で少年に迫る。少年が選んだ道は・・・

・・・てな、いかにも小説らしい筋書き。何といってもグリシャム原作の作品らしいから、当然そうなる。

この作品にはテレビシリーズ「ER」の役者達がいろいろ登場している。製作スタッフにテレビ出身者がいたからだろう。でも、何と言ってもスーザン・サランドンのギョロメと、トミー・リー・ジョーンズの嫌らしい顔の対決が凄い迫力。

サランドンの身の上話が、作品のリアリティに貢献していた。ありきたりの話だったが、ギョロメが演じると迫力が違うのだ。

ブラッド・レンフローという役者が子役を演じていたが、彼はこの後は大成しなかったそうだ。大変な演技力のように感じたが、子役の人生は厳しいものが多い。

厳しいと言えば、菅総理。野党からも与党からも辞めろコールが合唱している。マスコミで総理を擁護するような論調のものは皆無。少数派でかろうじて中立、ほとんどはボロクソに述べている。

映画の検事の口調のように自民党の役員からは脅され、仲間であるはずの民主党役員とも、映画の弁護士のように喧嘩。一刻も早く辞めろという、感情的な言い方。でも、とにかく粘っている。何を目指しているのかは解らないが、粘りには感心する。役人達のほくそ笑む顔を思い浮かべて、戦おうと考えているのか?

好印象は受けない。場当たり的な対応になってしまったと思う。ストレステストを原発にやることになったらしいが、誰の発案だろうか?保安院の考え?総理自身?

責任が発生する決定なんで、誰が推進した意見なのか明確にすべき。もう責任逃れなど考えなくて良い状態だと開き直って、「誰々の責任で方針を転換します。」と宣言したほうが良い。いまさら支持や理解を求めても無駄。責任と必要性だけから提示すべき。

官邸内でどのように意志決定されたのか解らない。

責任を取るのを怖れながらでは、協力を得ようと思っても難しいのでは?記録をしっかり残し、自分の非も役人の非も明確にしたほうが理想的。

少なくともスタッフがアドバイスした内容は残して欲しい。誰が無能か歴史に残すのは義務だ。保安院は間違いなく役に立たなかったはずだが、記録がないと問題点が残ったままになる。それは国家のためにならない。

ただし、原発事故対応に関しては総理を批判できない。ほとんどは最初から勝負は決まっていたはずだから、悪いのは自民党と、原発、電力関係者、役人。素人の政治家の対応策に問題があれば、保安院が的確なアドバイスをできなかった責任がある。

消費税に関しては、総理に重大な責任がある。唐突に値上げを持ち出して納得できる人間はいない。時期や民意をよく練って対処すべきだった。不自然な印象を受けたが、あれも某国からの要求によるものだったのか?それとも財務省の力か?

未だに本当に消費税上げが必要なのか、自分には理解できない。

米国からどのような評価を得ているのかも興味がある。大統領が直接会いたがらないことからすると、クビを切ろうという前提があるような印象を受けるが、高官達は支持しているようにも見える。

一部のスタッフで支持して好条件の取引をやり、利用価値がなくなれば、あっさり切るという手法も予想される。

マスコミの論調が組織だっていて、総理への攻撃に反論する動きがないのは不自然。政府を無視して意見を統一しているのは、某国諜報部が指導していると考えるべきか。証拠はないが、不自然さは明白。

情報操作は、あちらの政治家は遺伝子レベルでやりたくてしょうがないくらい得意らしい。常に人を騙し、情報を自分に有利な方向に持って行き、勝ち逃げを目指しているようだ。

哀れ、いたいけな少年や菅総理は、生贄として利用されるのだろう。映画のような良い弁護士の役割の仲間を探そうと総理が考えても、弁護士出身の身内が一番先にクビを切ろうと迫っている現状だから、やはり厳しい。

もうここまで来たら、とことん粘って解散に持っていくのも面白いかも。 

 

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