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カテゴリー「い」の47件の記事

2018年11月12日

犬ヶ島(2018)

Isle_of_dogs

- Fox -                    


近未来の日本のある都市。犬の病気を理由に、犬たちは犬ヶ島に追放されていた。そこに少年が乗りこみ、愛犬を探す・・・DVDで鑑賞。         


和太鼓の演奏で映画が始まり、ラストでも再び演奏のシーンになる。監督の趣向でああなったのだろう。面白い仕掛けだった。 観終わった後に思ったのは、せっかくだから歌舞伎や狂言の手法に則って、狂言師などにストーリーテラーをさせたらどうだろうかという点。 より作品の特徴が際立ち、印象を上げたのではないだろうか? 講談口調でも良い。馴染みの薄い海外の観客が理解できるような工夫は必要だろうけど・・・    


この作品はストップモーション映画だろうと思うが、画質が変わっていた。 「インクレディブル・Mr.フォックス」の時と同じ手法だろうか? CGとアニメの中間のような、味わいはあるが手抜きのようにも見える独特の背景。縫いぐるみを動かす手法。それより、むしろピクサー映画のような画風ではどうだったろうかと、少し考えた。    


どちらが良いのか分からない。この作品の画風を見た時に感じる懐かしい感覚、童話を見るような印象は、ストップモーションのテレビ番組を見ていた記憶から生まれ出るのかも知れない。幼児の頃の記憶と結びついて、嫌悪感を感じにくい特徴があるようだ。この作品でも成功していたのかも知れない。特徴がないと生き残れないから、この手法が使われたのだろうとは思うが・・・    


少年アタリの風貌は気になった。ヒーローらしくない。セリフの言い方も妙だ。棒読みのように、あえてさせていたようだったが、その効果が分からない。普通に感情を込めて話したほうが良くなかったかと思う。この作品では犬がヒーローだから、少年は気持ち悪い顔で構わないのだろうか?少年にも観客が感情移入できたらよいと思う。               


明らかに七人の侍にオマージュを捧げていた様子だった。少数の仲間で強大な敵に立ち向かう点で共通点もあった。そして舞台が日本だし、太鼓のシーンもあるので、おそらく敬意を抱いているのだろう。    敵と犬達が乱闘になった時、ホコリが舞い立って詳細が見えなくなるシーンがあったが、あれは日本アニメの手法のままだ。ちゃんとした映画で観るのは珍しい。特に最近のCGでは詳細に描くことが重要だから、ホコリで誤魔化すことをしない。あのシーンは、かえって斬新に写った。昭和の時代の手法で、久しぶりに見た気がする。赤塚不二夫のアニメではよくあった。  

2018年9月 3日

一気に読める戦争の昭和史(2018)

Photo         

 

-小川榮太郎著、扶桑社新書 -          

 

2015年に発刊された同書の新書版。「一気に読める・・」のタイトルの通り、複雑になりすぎないように簡潔に書かれた本で、とても読みやすかった。視点が優れていると思う。太平洋戦争、日中戦争の時代に限定して書くことで、問題点に焦点を集め、内容をまとめやすい構成になっていた。明治から連続して歴史を書いてしまうと、どうしても焦点がぼやける傾向がある。歴史が当然明治からつながっているとしてもだ。どこかで時代を切り取らないといけないから、良い選択をしていた。 


著者は本物の学者ではないようで、そのせいか記載内容の正確さには疑問を感じた。また、特定の政治思想に偏らないよう注意したと書かれていたが、それにも限界はあったと思う。著者もそのことを断っている。しかし、あえて断り書きをする必要はない。他の本はもっと偏りが酷い。くどくど断るのは、気にしすぎだ。    


しかし誰かを賛美したり非難したりするのは、歴史を振り返る時に好ましいものではない。難しいことではあるが、分析をするからには常に第三者の立場に立つよう努力し、日本人以外の人物が考えるかのような態度が望ましい。その点については、この本と言えども問題があったと思う。失敗した作戦について、悔しい、情けないといった感情を伴って書いてはいけない。それでは検証のレベルを下げる。突き放したクールな書き方が、本当は必要だった。   


全体の格調の高さというか、記載された内容、完成度についても、第一級品とは感じなかった。良い読み物であり、公正な立場に立とうと努力はしていても、質の点で残念な面はあったのではないだろうか。たとえば「ローマ人の物語」の塩野氏の文章の格調の高さと比べると、かなり質が低い印象を受けた。本のボリュームに限界があるから、思ったことを書けなかっただけかもしれない。あるいは、そもそも分析のレベル自体が違っていたのかもしれない。そうだとしても、他の新書の歴史ものよりはずっと上の内容だとは思う。    


劇場主は米国や中国の首脳たちがどのように考え、日本軍を葬ろうと考えていたのか、その点に一番興味がある。日本の敗戦は自滅だったのかもしれないが、敵の戦略が成功したから日本側が負けたと考えるべきだろうから、どのような戦略を立てていたのか、真の姿が分かると良いのだが、米国も中国もすべてを公表しているはずはなく、実像を上手く隠しているように思う。    


民主主義のために日本を退治したといった宣伝によって、真実は隠されているはずだ。宣伝戦は実際の戦争の勝敗によって形成も決まるから、途中の段階での最前線の外交交渉内容が分かると、本当の姿が見えて来るだろう。しかし、それは難しい。時々古い記録が発見されて、NHKのドキュメンタリー番組などで解説されることがあり、米国が日本側を追い込んでいった様子を垣間見れるが、米国は事実の隠し方が非常に上手いようだから、番組が調べた内容さえ本当なのか分からない。 


ルーズベルト政権が何かのコメントをしていたとしても、それは宣伝の一環であって真実ではないことも多いだろう。誰かが回顧録を書いたとしても、自分の責任を回避するために真実をゆがめているかも知れない。大量虐殺を命じた場合は、記録を改ざんしたり、処分したりしていると考える。その歪んだ記録を見つけているにすぎない可能性もあるから、真実を知ることは本当に難しいものだと思う。   


旧日本軍は見通しを誤り、作戦は後手に回り、運にも見放されたりしたはずだ。もっと上手く立ち回れた可能性はあると思う。しかし、どうやれば良かったのか、どうやれば敗戦しないで済んだのか、戦わないで済んだのか、その答えは、おそらく国際情勢が変わって、記録がもっと公表されないと分からないだろう。   

 


 

 

 

 

 

 

 

2017年10月14日

怒り(2016)

Ikari

- 東宝 -

吉田修一氏原作小説の映画化。監督は李相日氏。夫婦惨殺事件の容疑者と疑われる3人の男達。誰が犯人なのか?それぞれ、どんな謎を持っているのか、徐々に明らかになるストーリー。DVDで鑑賞。

劇場では鑑賞しなかった。映画館が閉まっていたせいもあるし、あまり興味を持てなかったからだ。犯罪を扱った映画が面白いとは、あまり感じない。でも、この作品は犯罪よりも犯罪者を疑った時の人間の反応のほうを中心に描いているので、人間ドラマに比重があり、まったくの犯罪映画ではなかった。

同じ監督の作品「悪名」と同様、楽しい作品ではなかった。社会の底辺にうごめく人達が悲しい思いをするのを執拗に描くような、笑いがかけらもないような作り方。もう少し楽しいシーンがあったほうが悲しさが引き立つと思うのだが、暗いばっかりの話だった。テンポや気分を変える工夫に、前作と同じような問題があった。

真面目な作品だが、これは家族で鑑賞できる内容ではないと思う。友人といっしょに観ても辛くなるだけ、恋人と観て何か良い気分になれそうな気もしない、そんな作品。たぶん、独りで観るしかない映画だろう。

宮崎あおいが障害者を演じていて、非常に上手かった。邪気のない笑顔が、障害を感じさせる。逆に、暗く表情に乏しい人物を演じた俳優たちは、少しオーバー過ぎたかも知れない。渡辺謙などは、もっと笑顔を見せて無理している様子が垣間見れたほうが自然だったろう。普通の人間は無理して笑うはずだ。高畑充希が少しピントのずれた娘を演じていたが、こちらは良い味が出ていた。

いろんな怒りが登場していた。

派遣社員の虐げられた境遇、自分や社会の体制に対する怒り。沖縄がおかれた米軍に支配された仕組み、米兵に虐げられ、対等な地位を確保できない怒り。借金に追われる自分の境遇に関する怒り。知的障害を抱えて生きて行かざるを得ない怒り、その障害者の家族が抱える怒り。どれも深刻で、しかも解決が難しい問題。そこに焦点を当てた点が、優れた点ではなかろうか?

景気回復、地震からの復興、忖度問題、芸能界のスキャンダルなどが延々と報じられ、興味がそちらに向かってしまう傾向があるが、底辺での深刻な問題も多いのだから、対処、改善は常に必要なはず。さまざまな視点を持つべきだ。「あんな人達」などと、冷たい態度をとるべきではない。

昔も様々な、激しい怒りがあったと思う。でも希望が大きければ、暴発はしないで済むかも知れない。たとえば経済的に豊かになれるとか、家族が次々誕生し、一家が繁栄しうるなど、怒りより希望が勝れば良い。今の日本は縮小社会であり、そこが一番のネックになって、怒りの発散が難しい気がする。

怒りは本当に様々だ。

北朝鮮内部にも、おそらく怒りが渦巻いている。米国が代表している勢力が、北のような狭い地域にまで圧力をかけるのが憤りの根本原因だろう。いっぽうで、北朝鮮の国内にも豊かで自由な暮らしがしたいと願う人は多いはずだ。国内に怒りは渦巻いているに違いない。日本側にも、同国に対する怒りが充満している。暴発が非常に怖い現状。

もし武力衝突が起こったら、もしミサイルを本当に攻撃に使ったら、怒りはさらに増すだろう。戦闘が一段落した後にも、後遺症を残すに違いない。怒りを諦めが勝るくらいまでの激しい戦い、理不尽な殺戮が行われて、またさらなる怒りを残したまま終わることになるのだろうか?

理想としては、北朝鮮内部で鮮やかに政権が変わり、軍部の集団指導体制になることだろうか?平和的に安定した政権が誕生し、対外的戦争にならないことだが、よほどなウルトラCが起こらないかぎり、難しそう。おそらく米国は、軍の幹部と打ち合わせをしていると思う。北朝鮮では、そんな動きを徹底的に洗っているだろう。

軍事クーデターが、軍の支配的な立場の人達によって起こらないかぎり、政権転覆は難しい。軍部が決め手になる。あるいは現指導部が事故に遭うなどして、全く動きがとれなくなり、誰の目にも明らかに集団指導体制に移行しないと仕方ない事態が生じるなどだが、それでも国内の混乱は酷いだろう。

どうか暴発が起こらないように、祈っている。

 

 

 

2017年10月 5日

インターンシップ(2013)

The_internship

- 20C.Fox -

ヴィンス・ヴォーン氏の原案によるらしきコメディ。 共演はオーウェン・ウィルソン。DVDで鑑賞。

真面目な内容の、大人しいコメディだった。懐かしいハリウッド製の喜劇映画の伝統に則り、シチュエーション、職場が今風なだけで、つまらないと言えばそうだが、安心して観れるとも思えた。おそらく家族で鑑賞しても、ほとんど問題にならないだろう。

テーマは非常に健全だった。健全すぎたと思う。主人公の二人がちゃんとしたセールスマンだったという点が、そんな流れになったのだろうが、もう少しヒネたあくどい職業の二人であったほうが、話は面白くなったと思う。どうしてそうしなかったのか?グーグルか、あるいは出資者の意向だろうか?

グーグルにとっては、自社が舞台になったコメディは、良い宣伝になる。この作品には出資するだけの価値があったと思う。ただし、企画が面白くないとわざわざ資金を投入する意義は低くなるから、実際にどうしたのかは分からない。

ヴィンス・ヴォーンは、過去にいろんな映画で見ているはずだが、あまり印象に残っていなかった。悪役のような顔をしているし、主役を演じるには少々魅力に欠けるように思える。おそらく企画、脚本だけに留めて、この役はベン・スティラーあたりに譲ったほうが、絶対にヒットしたろう。

オーウェン・ウィルソンのほうは、役柄と個性が合っていたように思う。でも、過去の出演作と比べて、今回が特に魅力的に感じたかと言えば、そうでもない。そつなく演じていたに過ぎないと思う。もう少しドジで、酷い目に遭遇したほうがおかしくなれたろう。

敵役はいやらしい個性ではあったが、わざとらしかった。普通はもっと陰険で、表立って敵対したりせず、裏から足を引っ張ろうとしたり、それとなくバカにしたり、上流ぶった慇懃無礼な態度をとるものだ。口調があからさま過ぎて、不自然だった。彼の魅力が大事だったと思う。悪さが不足していた。

劇場主がこの作品に興味を持ったのは、自分の今後について考えることがあったからだ。そろそろ人生の終わりのほうについても考えないといけない年齢になってきた。幸い職にあぶれることのないまま終わりそうだが、資金的な余力がないので、老後は非常に心配だ。でも、まだ良いほうだろう。

30代ならともかく、40~50代で転職するのは勇気が要る。給料も下がることが多い。よほど恵まれた職場以外は、年金がなかなか降りないのだから、この作品のように面接を受け、試験採用される側の立場に立つこともあるだろう。採用されなかったら・・・考えただけでも怖ろしい。そんなことが気になって、鑑賞した。勇気づけられそうな内容だった。

 

 

2017年8月 9日

インディペンデンス・デイ:リサージェンス(2016)

Independencedayresurgence

- 20C.Fox -

先日、前作(1996版)がテレビ放映されていた。まだ見たことがなかった末っ子は熱心に鑑賞していたが、改めて感じたのが、とても盛り上がる作品だったこと。テレビ放映も毎年やっている気がする。魅力があったからだろう。

それで気になりだして、無視していた本作を鑑賞する気になった次第である。DVDで鑑賞。劇場公開していたのかどうか、記憶にない。

前作ではウィル・スミスが最も格好良かった。若々しくて運動神経が良さそうで、冒険精神や批判精神を感じさせて、その後のスター街道につながったと思う。今回はギャラが折り合わなかったのか、彼は死んだことになっていたという驚くべき設定で、あっさり排除は済まされていた。英雄は、ギャラが安くないといけないのか?

そうなると、主役のリアム・ヘムズワースのギャラはまだまだ低いということになる。彼はウィル・スミスよりずっと良い男だと思えるが、まだまだネームバリューでは負けているし、キャラクター的にもふてぶてしさ、ユーモアが足りていない。この作品でも非常に魅力的なヒーローに成りきれていなかったように思った。

resurgenceという単語は知らなかった。口語として普通に使われる言葉だろうか?再上昇、復興といった意味らしいが、戦いが再び巻き起こるという意味では、少し言葉の感覚が合わない。お祭りを復活させ再開するのとは意味合いが違うはずで、ニュアンスがよく分からない。

このシリーズの良い点のひとつは、活躍するヒーロー達が、ずるかったり、だらしなかったり、様々な欠点を持っていることだろう。圧倒的なエリートではなく、個性的すぎるはみ出し者が実力を発揮するから、観客が共感しやすいようだ。自分達も何か活躍できるのでは?そんな気分にさせてくれる。特に第一作では、それが顕著だった。

CG技術は、1996年版よりまたさらに進んだように感じた。宇宙船の大きさは、前作でも充分すぎるくらいの規模だったが、今回はまさに地球規模の大きさで、あれでは宇宙船の艦内を移動するのに新幹線が必要になり、非合理的だ。大きさにはこだわらず、形や機能面で斬新さを出すべきではなかったか?

アリや蜂のように女王が存在し、兵隊は全てその意志に従っているというのも良いアイディアだった。また、敵の攻撃方法なども、無理がないように設定を引き継ぎ、もしかすると次回作につなげようというほどの一貫性を感じた。大ヒットした前作から、本作を作らないのは確かにもったいない話だ。次ができるかどうかは分からないが、新しい味方と共闘する派手な作品ができるかも知れない。

でも、その場合は荒唐無稽さもアップするだろう。今の時点で、あまり観たいとは思わない。でも、エメリッヒ監督は不思議な能力を持っているから、凡作のはずの企画を傑作に変えるかも知れない。

 

 

2017年5月29日

インフェルノ(2016)

Inferno

- Imagine, Columbia, Sony etc -

考古学者ラングドンは何者かに襲われ、激しい幻覚と記憶障害を残す。彼を助けた女医と行動しつつ、襲って来る敵と戦うが・・・・

・・・ラングドン教授が活躍するシリーズの映画化作品。設定されたアイディアに感嘆する。作者自身も考古学の知識が豊かなのか、あるいは誰かアイディアを提供する仲間がいるのか、歴史的な遺物や遺跡を題材に、謎解きの要素や裏切り、逃走劇などを絡ませる流れが素晴らしい。

しかし、シリーズ化されているために、こちらとしては予想もしやすい。予想通りの「予想外を狙った展開」となってしまった。さすがにコジツケ的な謎解きも多い・・・・と言っても、充分に面白い作品だ。教授が障害に苦しみながら謎を解く流れも良かった。

シリーズに共通していることだが、歴史的に有名な人物や物に関して、常識と違った観点で何かの提示があると、それだけで勉強したような気になる。なんだか自分が現場証人にでもなったかのような、発見者の興奮というのだろうか、ワクワクする感覚を覚える。それが繰り返させるわけだから、シリーズ化される人気もあるのだろう。

トム・ハンクスは、アクション映画には向かない気がする。もともと動きが良い役者ではないし、過去の出演作の役柄もそうだった。どちらかと言えば、喜劇の際の表情のほうが印象深い。だから敵に襲われて恐怖の表情を浮かべても、迫真の演技ではあるものの、「殺されるかな?」というまでの懸念にはつながらない。

そのような個性の俳優に対し、アップで表情を撮ったのは、少し問題があったのでは?少しカメラを引いて、声や動作で恐怖を表現したって悪くはないと思うのだが?恐怖の表情が合う俳優、そうでない俳優はいると思う。使い分けが必要。

アップの場面の構図やカメラの位置に関しては、他の俳優達についても少し違和感を感じた。美術品の重厚な雰囲気が大事な作品だから、普通のサスペンス映画とは演出の手法が違ったのだろうか?緊迫感を盛り上げること以外に、いろいろ計算することが多かったのかも知れない。

人類にとって破滅的な病原体は、はたして実際に出現するのだろうか?歴史を見る限り、今後も危険な未知のウイルスが発生しないはずはないとは思えるのだが、どの程度危険なのかが分からない。

古代と違うのは、今は人の移動が活発で、感染が一箇所に留まらず、急速に地球全体に拡がることだ。ワクチン生産が間に合わず、一気に人類の大半が死んでしまう条件は出来上がっている。鎖国に近い国、たとえば北朝鮮だけが生き残ることもありえるのではないか?

一般的には毒性が強い病原体は、感染者が直ぐ死ぬので、伝播能力が低いはず。でも、昔より人が動けば、その制限をかいくぐる病原体があっても不思議ではない。微妙な潜伏期間、強い感染力、やっかいな毒性などの条件を全て有するのは、今までのところは天然痘、麻疹やインフルエンザくらいか?

インフルエンザウイルスなら、ある程度の対処法が分かっている。全く違うタイプのウイルスで増殖方法は違い、感染力と毒性が強いとなると、そう簡単には出現してこないと思う。でも、予想外の厄介なウイルスが出るかも知れない。エイズでさえ、ちょっと前には誰も想像すらしていなかったのだから、今後のことは分からない。

 

 

2016年12月22日

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌(2013)

Insidellewyndavis

- ヤサグレ -

12月6日、衛星放送で鑑賞。個性あふれる映画で、独特の面白さがある。コーエン兄弟の作品だそうだが、どこに着眼して作品の企画を進めたのか、そこは最後まで分からなかった。

主演のオスカー・アイザックは、スターウォーズのヒーロー役をやるくらいなのに、この作品では全く正反対の情けないヤサグレ男を演じきっていて、しかも本職の歌い手としての力量を見せていて、その歌唱力とともに役柄の広さに感服した。

音楽仲間でジャスティン・ティンバーレイクが出演していたが、彼もちゃんとカントリー調の歌を歌っていて驚いた。どうみても真面目そうな田舎の歌手にしか見えない。元々彼は今のような現代風の歌い手ではなかったそうで、ちゃんとカントリーの基礎があるらしい。

キャリー・マリガンがヒロイン的な役を演じていたのだが、随分と痩せていて、彼女とは気づかなかった。猛烈なダイエットをやったのだろうか?アンニュイそうな歌い方、激しい口論の口調などが素晴らしいと思った。

失敗続きの歌手のどん底ぶりが、あまりに徹底していたのでおかしかった。車でシカゴまで仕事をゲットしようと行くのに、同乗した人間に毒舌を浴びるし、警察沙汰に巻き込まれて立ち去らざるを得ないなど、アンラッキーさがおかしい。

雪を踏みしめ、徒歩で契約のためにプロデューサーに会いに行くが、あっさり断られるなども、実に深刻な話なのだが、観客としてなら笑える。そこで主役が泣いていたりしたら笑えないが、酷い目に遭っても結構我慢できている主人公なら、安心していられるのだろうか?

この作品は実際のフォークシンガーの実話が元になっているそうだ。カントリー・ミュージックの市場が大きいアメリカでは、当時はフォーク・シンガーが多数活躍してたという。ボブ・ディランの出現の少し前だったわけで、あまたのシンガーのほとんどは、この主人公のように埋もれていったのだろう。ロックやソウル・ミュージックなどに主流が移って、職を変えたのだろうか?

歌のシーンは本物の凄さを感じる。本職の歌手を選んできたからだろう。その点は作品のレベルのために絶対に重要だった。さらに主人公の描き方も、悲惨になり過ぎないように、もの悲しいがおかしいという路線をキープして、よく出来た作品とは思う。しかし、映画祭でグランプリに選ばれるべき作品とは感じない。何か見逃した点があるのだろうか?

 

 

2016年1月19日

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才科学者の秘密(2014)

Gagaetc

- 異能の利用法 -

数学者アラン・チューリングは、暗号解読の仕事に携わる。しかし解読器の制作は遅れ、人間関係も上手くいかず、解雇が迫っていた・・・・

・・・ベネディクト・ガンバーバッチの素晴らしい演技が光る作品。明らかに異常と言える個性を演じていながら、主人公の純真さや理性、知性も表現され、彼を襲う不幸な運命に同情せざるを得なかった。

国家に対しては忠実で真面目な人間だが、異常者、障害者、狂人を演じていたとも言える。普通の人の心の動きを表現するよりもオーバーで、通常ならやり過ぎと言える演技でもあった。しかし今回の演技によって、これ以上望みようのないくらいに強烈な映像表現を出すことができたと思う。

異形とも言えるガンバーバッチは、この役にはうってつけだった。表情も素晴らしい。主人公は、ある意味では邪心のない繊細な感性の持ち主として描かれていたが、困難な問題に接すると浮かべる悲しげな表情も、実在感たっぷりだった。

エニグマという機械があったことは聞いていたが、意外に小さいので驚いた。タイプライターのような機械で、解読が難しい暗号を作ったという発明のほうが、それを解読した機械より凄い気もした。複雑に暗号化すれば、受け取る側も困ると思うのだが、互いにどうやってバージョンを変える連絡をしていたのか分からなかった。

現代の暗号はどうやっているのだろうか?特定健診のデータは暗号化して送っているが、どんな風に加工しているのかは分からない。おそらく、単純な方法だろう。国家機密の場合は、レベルの違う処理が必要。

ISなどが情報交換をやれているらしいので、おそらくCIAでも把握しにくい情報交換の方法はあるのだろう。日本の自衛隊は独自の方法を持っているのだろうか?米軍も知らないようなモノは、作ることを許されないだろうが・・・

気になったのは、実際に主人公のような天才が日本にいた場合、その日本版アラン君がどのように扱われるかという点。普通に考えると、よほどな偶然がない限り、軍の研究機関に彼のような人間は雇われない気がする。

そう考えた理由は、国内の重要ポストの場合、既に定評のある業績を挙げた研究者で、しかも上司の覚えが目出度い人物でないと、話が来ること自体が珍しいからだ。日本の場合は、東大教授の部下の講師あたりが選ばれるだろう。ところが、教授も講師も口だけ達者なわりに、役に立たない傾向がある。学習能力と発明の能力は、また別物だからだろう。

日本版アラン君が排除されやすい傾向は、おそらく劇場主の思い込みだけじゃなく、確実である。特に戦時中の日本の思考パターンなら、士官学校の講師か東大の学者以外からは選ばれにくい。その系列に入っていない異能の持ち主は、存在すら知られないままの可能性も高い。欧米の国との最終的な力の違いが、そんな点では出てしまう。

失敗が目立つ究極の仕事(例えば天皇陛下の心臓手術)の場合は、責任を逃れるため、あっさり優秀な人物に依頼することがあっても、ポストが関係する仕事には、出世競争や派閥意識などのほうが強く影響する。自分の立場の保護が、国の将来より大事・・・想像だが、その日本的構造の弊害は、いたるところにあるはず。

また、特にアラン君は発達障害や愛着障害のような問題を持つ独特の個性と思える。集団行動が必要と考える人物が上司につけば、能力ウンネンに目が行く前に、感情的に足を引っ張ろうと暗躍する動きが必ず出る。「貴様のように勝手なヤツは、俺らの仕事の邪魔になるから排除する!」ってな調子だ。たしかに個人がバラバラで仕事の効率が上がらない場合はあり、作業効率優先の時には団結が最重要。でも、そうでないケースもあることを忘れてはいけない。

団結力が全て、組織の一員として動かない人間は排除して良いという宗教めいた感覚を持つ人は、共同行動が不得意な人間を許せない。それは感情となってしまうから、その上司の説得は難しい。いかにアラン君が必要か論じても理性的になれず、感情的になって許さない、そんな人間が多数派を占める。それじゃあ、最終的な戦いに勝てっこない。

イギリスだって理解のない上司はいるだろう。作品中も出ていた。でもエリートのレベルでは、優れた判断を下す人物がいたようだ。イギリスの戦略は、米国より鋭い。おそらく首相の周囲の人物によって、アラン君は仕事を続けられたのだろう。日本の場合、そんな判断は期待できない。その点が違う。エリートの選ばれ方が違う。本当に稀に、有能な上司を得た人物が幸運を得ることもあるが、頻度は高くないと思う。

暗号を解読した後も問題。手柄を公表したい人物は多い。公表しないと、自分の評価が下がり、将来を失ってしまう。こっそり、責任を問われないような形でなんとか業績を知って欲しい・・・そんな欲求はあるだろう。それでも冷酷に、民間人の犠牲も厭わず情報を握りつぶし、勝利に賭ける強い意志の力には感服する。犠牲になる人間にとっては許しがたい行為だが、勝利のための情報管理はそのような現実も伴うものだ。

日本では、おそらく管理が難しい。上層部の都合で情報が利用され、国家の利益が阻害される。映画のように敵の攻撃目標が分かった場合、上層部の家族は助かるが、他は殺される。そしてこちらの動きは敵に気づかれる。それでも、上層部は処罰されない。

そのことを部下が認識している場合、部下の行動、組織全体の判断能力や成果は決まってくる。規律が重要なのは、結局は勝ち残るためなのだから、こういった問題を排除できる組織のルールを作らない限り、勝ち続けることは難しい。常々そう感じている。今日も過去も、日本ではそのルールを作ることが難しい。

 

 

2016年1月16日

インサイド・ヘッド(2015)

Dhizneypixar

- CGアニメ大作 -

ある少女の意識を動かしているのは、感情の元である小さな存在であった。その「喜び」、「悲しみ」らが危機に陥り、少女にも危機が迫る。「喜び」らは、少女を救えるか?・・・・

DVDで鑑賞。正月の時間つぶしのために借りたのだが、時間つぶしにはもったいないほど良くできた作品だった。CGアニメ大作とでも言うべきか。子供の成長や、親子の愛情などに関して健全な精神が感じられた。ディズニーらしい映画。

記憶から失われるものが、深い谷に埋まっているという設定、思い出がお城のようにそびえているという話も、それが壊れて谷底に落ちていくという話も非常に分かりやすく、実際の脳内処理を連想させて面白かった。

子供映画だから当然子供も観て良い作品。子育て中の夫婦も、きっと感動できる。家族で楽しめるし、若いカップルだって面白く感じるだろう。ただ、この作品が非常にヒットしたとは聞いていない。かなりのヒットとは言えるようだが、インパクトには欠けた印象。不思議な感じもする。

キャラクター達に独特の味わいが足りなかったので、それが理由かも知れない。「悲しみ」という言い方より、愛称を使って、より個性が目立つようにすべきだったのかも知れない。ギリシア神話の女神や妖精の名前などを使えば、それぞれの親近感が違ったかも知れない。

ヨロコビらが、少女の成長に合わせて成長していたらどうだったとも思った。それぞれが思春期独特の変化を見せていたら、それもまた印象を変える要因になれたかもしれない。あるいは、カナシミが極端にドジで、良かれと思って大失敗を繰り返し、ドリフのギャグみたいに状況を悪化させるドタバタ劇を延々と続けても良かったかも。

人の感情をどう表現したらよいのか、考えてみると難しい。喜び、悲しみ、怒り、恐怖などが中心とは思うが、好き嫌い、慈しみ、勇気、ねたみや恨み、いろいろありそうに思う。たった4人のキャラクターで表現するのは単純化しすぎだったかも。

イジワルの虫かスネ夫みたいなキャラクターが登場して、よろこびらを皮肉って邪魔する、そんな学校で起こりそうなドラマが、脳の内部で再現されても良かったのかも。勇敢な人でも、能の内部では葛藤が何かしら起こっていると思う。そんな内容を描くと、複雑になりすぎると考えて単純化したのだろうか?

あるいは物語を変えて、少女がもっと大きな試練に立ち、危機にどう立ち向かうか、そこをクライマックスにしたストーリーなら、もっと良かったかも知れない。親子の危機のストーリーなら、親も活躍させるほうが良い。危機も、本当の危機のほうが良い。誰か悪人に騙されて、犯罪に巻き込まれそうになるなら、緊迫度が違っていたのでは?その意味で、盛り上げ方の基本から、少し外れていた。

新しい友人と知り合うまで、例えば最初は喧嘩し、疎外され、やがて友人となるといった劇的な展開が実社会で進み、それが互いの脳の中でどう進んだのか、それを愉快に解説できたら、やはり達成感が違っていただろう。実社会での出来事が、少し易しすぎた。

 

 

2015年10月16日

イントゥ・ザ・ウッズ(2014)

- 大物勢ぞろい -

赤ずきんちゃん、シンデレラ、‘ジャックと豆の木’のジャック、ラプンツェル、そして魔女らが森に入って繰り広げる童話のような話を、ミュージカルで描いた作品。ブロードウェイの作品の映画化だろうと、直ぐ分かる作品。DVDで鑑賞。

よくできた話で、アイディアが良かった。出演者がやたら大物だったのも、そのせいか?。おそらく舞台が非常に人気があって、予算が充分集まったからか?あるいは、役者達が出演を希望してきたのかも。発想が楽しい物語なので、演じたい歌いたいという欲求が生まれそうに思う。

このストーリーは一人の作家が考えたのだろうか?随分と複雑で、しかも洒落っ気に満ちた流れで、複数の人達がアイディアを出し合って進めた企画のような、そんな匂いを感じる。単なる童話の集合体に留まらず、不倫話や現代風ギャグや、様々な要素がてんこ盛りになったミュージカルスタイルが、実に上手く構成されている。不倫の要素が確かに必要だった。

歌詞は理解できなかった。かなり省略や比喩が多くて、文語とは違って理解しにくい。歌は、日本人の劇場主の耳には非常に上手く聞こえたが、役者本人の歌かどうかは判別できなかった。たぶん、音響技術で高度に処理された本人の歌声だったのでは?

主人公は子供ができない夫婦だったようだが、中心になって一番活躍するのは魔女役のメリル・ストリープであった。ちゃんと歌も歌っていた様子だが、彼女の歌は「マンマ・ミーア」の時もそうだが、非常に上手いのか判断できなかった。でも、この作品の性格を考えると、充分な歌唱力だったろう。

ミュージカル映画の場合、声量があるかどうかは大きな問題だと思う。本職のミュージカル俳優の場合は、やたら声量があるので、映画に出演しても声を張り上げる傾向がある。ところが、我々からすれば劇場で観ているわけではないので、声の大きさは音量で調節すれば良い。大仰に声を出されると、場にふさわしくない印象が生じる。映画用の歌い方があると思う。

もう一人、大スターのジョニー・デップも出演し、ちょっとした端役だったが、楽しそうに演じていた。でも、チョイ役すぎてもったいない印象も受けた。話題作り、彼目当ての観客を期待したことなどが想像された。

話の流れは面白かった。どうも米国の観客は、この種の物語が大好きのようだ。テレビシリーズで、魔女や魔法使いと戦う物語が長々繰り返されているし、オオカミや吸血鬼のなんとかサーガというシリーズも多い。安定的なファンがいるのだろう。

日本の童話がテレビシリーズになった例は知らないが、逆に日本の場合は鬼太郎シリーズが人気だったから、あれが代わりになっているのだろうか?

 

 

 

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