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カテゴリー「い」の45件の記事

2017年10月14日

怒り(2016)

Ikari

- 東宝 -

吉田修一氏原作小説の映画化。監督は李相日氏。夫婦惨殺事件の容疑者と疑われる3人の男達。誰が犯人なのか?それぞれ、どんな謎を持っているのか、徐々に明らかになるストーリー。DVDで鑑賞。

劇場では鑑賞しなかった。映画館が閉まっていたせいもあるし、あまり興味を持てなかったからだ。犯罪を扱った映画が面白いとは、あまり感じない。でも、この作品は犯罪よりも犯罪者を疑った時の人間の反応のほうを中心に描いているので、人間ドラマに比重があり、まったくの犯罪映画ではなかった。

同じ監督の作品「悪名」と同様、楽しい作品ではなかった。社会の底辺にうごめく人達が悲しい思いをするのを執拗に描くような、笑いがかけらもないような作り方。もう少し楽しいシーンがあったほうが悲しさが引き立つと思うのだが、暗いばっかりの話だった。テンポや気分を変える工夫に、前作と同じような問題があった。

真面目な作品だが、これは家族で鑑賞できる内容ではないと思う。友人といっしょに観ても辛くなるだけ、恋人と観て何か良い気分になれそうな気もしない、そんな作品。たぶん、独りで観るしかない映画だろう。

宮崎あおいが障害者を演じていて、非常に上手かった。邪気のない笑顔が、障害を感じさせる。逆に、暗く表情に乏しい人物を演じた俳優たちは、少しオーバー過ぎたかも知れない。渡辺謙などは、もっと笑顔を見せて無理している様子が垣間見れたほうが自然だったろう。普通の人間は無理して笑うはずだ。高畑充希が少しピントのずれた娘を演じていたが、こちらは良い味が出ていた。

いろんな怒りが登場していた。

派遣社員の虐げられた境遇、自分や社会の体制に対する怒り。沖縄がおかれた米軍に支配された仕組み、米兵に虐げられ、対等な地位を確保できない怒り。借金に追われる自分の境遇に関する怒り。知的障害を抱えて生きて行かざるを得ない怒り、その障害者の家族が抱える怒り。どれも深刻で、しかも解決が難しい問題。そこに焦点を当てた点が、優れた点ではなかろうか?

景気回復、地震からの復興、忖度問題、芸能界のスキャンダルなどが延々と報じられ、興味がそちらに向かってしまう傾向があるが、底辺での深刻な問題も多いのだから、対処、改善は常に必要なはず。さまざまな視点を持つべきだ。「あんな人達」などと、冷たい態度をとるべきではない。

昔も様々な、激しい怒りがあったと思う。でも希望が大きければ、暴発はしないで済むかも知れない。たとえば経済的に豊かになれるとか、家族が次々誕生し、一家が繁栄しうるなど、怒りより希望が勝れば良い。今の日本は縮小社会であり、そこが一番のネックになって、怒りの発散が難しい気がする。

怒りは本当に様々だ。

北朝鮮内部にも、おそらく怒りが渦巻いている。米国が代表している勢力が、北のような狭い地域にまで圧力をかけるのが憤りの根本原因だろう。いっぽうで、北朝鮮の国内にも豊かで自由な暮らしがしたいと願う人は多いはずだ。国内に怒りは渦巻いているに違いない。日本側にも、同国に対する怒りが充満している。暴発が非常に怖い現状。

もし武力衝突が起こったら、もしミサイルを本当に攻撃に使ったら、怒りはさらに増すだろう。戦闘が一段落した後にも、後遺症を残すに違いない。怒りを諦めが勝るくらいまでの激しい戦い、理不尽な殺戮が行われて、またさらなる怒りを残したまま終わることになるのだろうか?

理想としては、北朝鮮内部で鮮やかに政権が変わり、軍部の集団指導体制になることだろうか?平和的に安定した政権が誕生し、対外的戦争にならないことだが、よほどなウルトラCが起こらないかぎり、難しそう。おそらく米国は、軍の幹部と打ち合わせをしていると思う。北朝鮮では、そんな動きを徹底的に洗っているだろう。

軍事クーデターが、軍の支配的な立場の人達によって起こらないかぎり、政権転覆は難しい。軍部が決め手になる。あるいは現指導部が事故に遭うなどして、全く動きがとれなくなり、誰の目にも明らかに集団指導体制に移行しないと仕方ない事態が生じるなどだが、それでも国内の混乱は酷いだろう。

どうか暴発が起こらないように、祈っている。

 

 

 

2017年10月 5日

インターンシップ(2013)

The_internship

- 20C.Fox -

ヴィンス・ヴォーン氏の原案によるらしきコメディ。 共演はオーウェン・ウィルソン。DVDで鑑賞。

真面目な内容の、大人しいコメディだった。懐かしいハリウッド製の喜劇映画の伝統に則り、シチュエーション、職場が今風なだけで、つまらないと言えばそうだが、安心して観れるとも思えた。おそらく家族で鑑賞しても、ほとんど問題にならないだろう。

テーマは非常に健全だった。健全すぎたと思う。主人公の二人がちゃんとしたセールスマンだったという点が、そんな流れになったのだろうが、もう少しヒネたあくどい職業の二人であったほうが、話は面白くなったと思う。どうしてそうしなかったのか?グーグルか、あるいは出資者の意向だろうか?

グーグルにとっては、自社が舞台になったコメディは、良い宣伝になる。この作品には出資するだけの価値があったと思う。ただし、企画が面白くないとわざわざ資金を投入する意義は低くなるから、実際にどうしたのかは分からない。

ヴィンス・ヴォーンは、過去にいろんな映画で見ているはずだが、あまり印象に残っていなかった。悪役のような顔をしているし、主役を演じるには少々魅力に欠けるように思える。おそらく企画、脚本だけに留めて、この役はベン・スティラーあたりに譲ったほうが、絶対にヒットしたろう。

オーウェン・ウィルソンのほうは、役柄と個性が合っていたように思う。でも、過去の出演作と比べて、今回が特に魅力的に感じたかと言えば、そうでもない。そつなく演じていたに過ぎないと思う。もう少しドジで、酷い目に遭遇したほうがおかしくなれたろう。

敵役はいやらしい個性ではあったが、わざとらしかった。普通はもっと陰険で、表立って敵対したりせず、裏から足を引っ張ろうとしたり、それとなくバカにしたり、上流ぶった慇懃無礼な態度をとるものだ。口調があからさま過ぎて、不自然だった。彼の魅力が大事だったと思う。悪さが不足していた。

劇場主がこの作品に興味を持ったのは、自分の今後について考えることがあったからだ。そろそろ人生の終わりのほうについても考えないといけない年齢になってきた。幸い職にあぶれることのないまま終わりそうだが、資金的な余力がないので、老後は非常に心配だ。でも、まだ良いほうだろう。

30代ならともかく、40~50代で転職するのは勇気が要る。給料も下がることが多い。よほど恵まれた職場以外は、年金がなかなか降りないのだから、この作品のように面接を受け、試験採用される側の立場に立つこともあるだろう。採用されなかったら・・・考えただけでも怖ろしい。そんなことが気になって、鑑賞した。勇気づけられそうな内容だった。

 

 

2017年8月 9日

インディペンデンス・デイ:リサージェンス(2016)

Independencedayresurgence

- 20C.Fox -

先日、前作(1996版)がテレビ放映されていた。まだ見たことがなかった末っ子は熱心に鑑賞していたが、改めて感じたのが、とても盛り上がる作品だったこと。テレビ放映も毎年やっている気がする。魅力があったからだろう。

それで気になりだして、無視していた本作を鑑賞する気になった次第である。DVDで鑑賞。劇場公開していたのかどうか、記憶にない。

前作ではウィル・スミスが最も格好良かった。若々しくて運動神経が良さそうで、冒険精神や批判精神を感じさせて、その後のスター街道につながったと思う。今回はギャラが折り合わなかったのか、彼は死んだことになっていたという驚くべき設定で、あっさり排除は済まされていた。英雄は、ギャラが安くないといけないのか?

そうなると、主役のリアム・ヘムズワースのギャラはまだまだ低いということになる。彼はウィル・スミスよりずっと良い男だと思えるが、まだまだネームバリューでは負けているし、キャラクター的にもふてぶてしさ、ユーモアが足りていない。この作品でも非常に魅力的なヒーローに成りきれていなかったように思った。

resurgenceという単語は知らなかった。口語として普通に使われる言葉だろうか?再上昇、復興といった意味らしいが、戦いが再び巻き起こるという意味では、少し言葉の感覚が合わない。お祭りを復活させ再開するのとは意味合いが違うはずで、ニュアンスがよく分からない。

このシリーズの良い点のひとつは、活躍するヒーロー達が、ずるかったり、だらしなかったり、様々な欠点を持っていることだろう。圧倒的なエリートではなく、個性的すぎるはみ出し者が実力を発揮するから、観客が共感しやすいようだ。自分達も何か活躍できるのでは?そんな気分にさせてくれる。特に第一作では、それが顕著だった。

CG技術は、1996年版よりまたさらに進んだように感じた。宇宙船の大きさは、前作でも充分すぎるくらいの規模だったが、今回はまさに地球規模の大きさで、あれでは宇宙船の艦内を移動するのに新幹線が必要になり、非合理的だ。大きさにはこだわらず、形や機能面で斬新さを出すべきではなかったか?

アリや蜂のように女王が存在し、兵隊は全てその意志に従っているというのも良いアイディアだった。また、敵の攻撃方法なども、無理がないように設定を引き継ぎ、もしかすると次回作につなげようというほどの一貫性を感じた。大ヒットした前作から、本作を作らないのは確かにもったいない話だ。次ができるかどうかは分からないが、新しい味方と共闘する派手な作品ができるかも知れない。

でも、その場合は荒唐無稽さもアップするだろう。今の時点で、あまり観たいとは思わない。でも、エメリッヒ監督は不思議な能力を持っているから、凡作のはずの企画を傑作に変えるかも知れない。

 

 

2017年5月29日

インフェルノ(2016)

Inferno

- Imagine, Columbia, Sony etc -

考古学者ラングドンは何者かに襲われ、激しい幻覚と記憶障害を残す。彼を助けた女医と行動しつつ、襲って来る敵と戦うが・・・・

・・・ラングドン教授が活躍するシリーズの映画化作品。設定されたアイディアに感嘆する。作者自身も考古学の知識が豊かなのか、あるいは誰かアイディアを提供する仲間がいるのか、歴史的な遺物や遺跡を題材に、謎解きの要素や裏切り、逃走劇などを絡ませる流れが素晴らしい。

しかし、シリーズ化されているために、こちらとしては予想もしやすい。予想通りの「予想外を狙った展開」となってしまった。さすがにコジツケ的な謎解きも多い・・・・と言っても、充分に面白い作品だ。教授が障害に苦しみながら謎を解く流れも良かった。

シリーズに共通していることだが、歴史的に有名な人物や物に関して、常識と違った観点で何かの提示があると、それだけで勉強したような気になる。なんだか自分が現場証人にでもなったかのような、発見者の興奮というのだろうか、ワクワクする感覚を覚える。それが繰り返させるわけだから、シリーズ化される人気もあるのだろう。

トム・ハンクスは、アクション映画には向かない気がする。もともと動きが良い役者ではないし、過去の出演作の役柄もそうだった。どちらかと言えば、喜劇の際の表情のほうが印象深い。だから敵に襲われて恐怖の表情を浮かべても、迫真の演技ではあるものの、「殺されるかな?」というまでの懸念にはつながらない。

そのような個性の俳優に対し、アップで表情を撮ったのは、少し問題があったのでは?少しカメラを引いて、声や動作で恐怖を表現したって悪くはないと思うのだが?恐怖の表情が合う俳優、そうでない俳優はいると思う。使い分けが必要。

アップの場面の構図やカメラの位置に関しては、他の俳優達についても少し違和感を感じた。美術品の重厚な雰囲気が大事な作品だから、普通のサスペンス映画とは演出の手法が違ったのだろうか?緊迫感を盛り上げること以外に、いろいろ計算することが多かったのかも知れない。

人類にとって破滅的な病原体は、はたして実際に出現するのだろうか?歴史を見る限り、今後も危険な未知のウイルスが発生しないはずはないとは思えるのだが、どの程度危険なのかが分からない。

古代と違うのは、今は人の移動が活発で、感染が一箇所に留まらず、急速に地球全体に拡がることだ。ワクチン生産が間に合わず、一気に人類の大半が死んでしまう条件は出来上がっている。鎖国に近い国、たとえば北朝鮮だけが生き残ることもありえるのではないか?

一般的には毒性が強い病原体は、感染者が直ぐ死ぬので、伝播能力が低いはず。でも、昔より人が動けば、その制限をかいくぐる病原体があっても不思議ではない。微妙な潜伏期間、強い感染力、やっかいな毒性などの条件を全て有するのは、今までのところは天然痘、麻疹やインフルエンザくらいか?

インフルエンザウイルスなら、ある程度の対処法が分かっている。全く違うタイプのウイルスで増殖方法は違い、感染力と毒性が強いとなると、そう簡単には出現してこないと思う。でも、予想外の厄介なウイルスが出るかも知れない。エイズでさえ、ちょっと前には誰も想像すらしていなかったのだから、今後のことは分からない。

 

 

2016年12月22日

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌(2013)

Insidellewyndavis

- ヤサグレ -

12月6日、衛星放送で鑑賞。個性あふれる映画で、独特の面白さがある。コーエン兄弟の作品だそうだが、どこに着眼して作品の企画を進めたのか、そこは最後まで分からなかった。

主演のオスカー・アイザックは、スターウォーズのヒーロー役をやるくらいなのに、この作品では全く正反対の情けないヤサグレ男を演じきっていて、しかも本職の歌い手としての力量を見せていて、その歌唱力とともに役柄の広さに感服した。

音楽仲間でジャスティン・ティンバーレイクが出演していたが、彼もちゃんとカントリー調の歌を歌っていて驚いた。どうみても真面目そうな田舎の歌手にしか見えない。元々彼は今のような現代風の歌い手ではなかったそうで、ちゃんとカントリーの基礎があるらしい。

キャリー・マリガンがヒロイン的な役を演じていたのだが、随分と痩せていて、彼女とは気づかなかった。猛烈なダイエットをやったのだろうか?アンニュイそうな歌い方、激しい口論の口調などが素晴らしいと思った。

失敗続きの歌手のどん底ぶりが、あまりに徹底していたのでおかしかった。車でシカゴまで仕事をゲットしようと行くのに、同乗した人間に毒舌を浴びるし、警察沙汰に巻き込まれて立ち去らざるを得ないなど、アンラッキーさがおかしい。

雪を踏みしめ、徒歩で契約のためにプロデューサーに会いに行くが、あっさり断られるなども、実に深刻な話なのだが、観客としてなら笑える。そこで主役が泣いていたりしたら笑えないが、酷い目に遭っても結構我慢できている主人公なら、安心していられるのだろうか?

この作品は実際のフォークシンガーの実話が元になっているそうだ。カントリー・ミュージックの市場が大きいアメリカでは、当時はフォーク・シンガーが多数活躍してたという。ボブ・ディランの出現の少し前だったわけで、あまたのシンガーのほとんどは、この主人公のように埋もれていったのだろう。ロックやソウル・ミュージックなどに主流が移って、職を変えたのだろうか?

歌のシーンは本物の凄さを感じる。本職の歌手を選んできたからだろう。その点は作品のレベルのために絶対に重要だった。さらに主人公の描き方も、悲惨になり過ぎないように、もの悲しいがおかしいという路線をキープして、よく出来た作品とは思う。しかし、映画祭でグランプリに選ばれるべき作品とは感じない。何か見逃した点があるのだろうか?

 

 

2016年1月19日

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才科学者の秘密(2014)

Gagaetc

- 異能の利用法 -

数学者アラン・チューリングは、暗号解読の仕事に携わる。しかし解読器の制作は遅れ、人間関係も上手くいかず、解雇が迫っていた・・・・

・・・ベネディクト・ガンバーバッチの素晴らしい演技が光る作品。明らかに異常と言える個性を演じていながら、主人公の純真さや理性、知性も表現され、彼を襲う不幸な運命に同情せざるを得なかった。

国家に対しては忠実で真面目な人間だが、異常者、障害者、狂人を演じていたとも言える。普通の人の心の動きを表現するよりもオーバーで、通常ならやり過ぎと言える演技でもあった。しかし今回の演技によって、これ以上望みようのないくらいに強烈な映像表現を出すことができたと思う。

異形とも言えるガンバーバッチは、この役にはうってつけだった。表情も素晴らしい。主人公は、ある意味では邪心のない繊細な感性の持ち主として描かれていたが、困難な問題に接すると浮かべる悲しげな表情も、実在感たっぷりだった。

エニグマという機械があったことは聞いていたが、意外に小さいので驚いた。タイプライターのような機械で、解読が難しい暗号を作ったという発明のほうが、それを解読した機械より凄い気もした。複雑に暗号化すれば、受け取る側も困ると思うのだが、互いにどうやってバージョンを変える連絡をしていたのか分からなかった。

現代の暗号はどうやっているのだろうか?特定健診のデータは暗号化して送っているが、どんな風に加工しているのかは分からない。おそらく、単純な方法だろう。国家機密の場合は、レベルの違う処理が必要。

ISなどが情報交換をやれているらしいので、おそらくCIAでも把握しにくい情報交換の方法はあるのだろう。日本の自衛隊は独自の方法を持っているのだろうか?米軍も知らないようなモノは、作ることを許されないだろうが・・・

気になったのは、実際に主人公のような天才が日本にいた場合、その日本版アラン君がどのように扱われるかという点。普通に考えると、よほどな偶然がない限り、軍の研究機関に彼のような人間は雇われない気がする。

そう考えた理由は、国内の重要ポストの場合、既に定評のある業績を挙げた研究者で、しかも上司の覚えが目出度い人物でないと、話が来ること自体が珍しいからだ。日本の場合は、東大教授の部下の講師あたりが選ばれるだろう。ところが、教授も講師も口だけ達者なわりに、役に立たない傾向がある。学習能力と発明の能力は、また別物だからだろう。

日本版アラン君が排除されやすい傾向は、おそらく劇場主の思い込みだけじゃなく、確実である。特に戦時中の日本の思考パターンなら、士官学校の講師か東大の学者以外からは選ばれにくい。その系列に入っていない異能の持ち主は、存在すら知られないままの可能性も高い。欧米の国との最終的な力の違いが、そんな点では出てしまう。

失敗が目立つ究極の仕事(例えば天皇陛下の心臓手術)の場合は、責任を逃れるため、あっさり優秀な人物に依頼することがあっても、ポストが関係する仕事には、出世競争や派閥意識などのほうが強く影響する。自分の立場の保護が、国の将来より大事・・・想像だが、その日本的構造の弊害は、いたるところにあるはず。

また、特にアラン君は発達障害や愛着障害のような問題を持つ独特の個性と思える。集団行動が必要と考える人物が上司につけば、能力ウンネンに目が行く前に、感情的に足を引っ張ろうと暗躍する動きが必ず出る。「貴様のように勝手なヤツは、俺らの仕事の邪魔になるから排除する!」ってな調子だ。たしかに個人がバラバラで仕事の効率が上がらない場合はあり、作業効率優先の時には団結が最重要。でも、そうでないケースもあることを忘れてはいけない。

団結力が全て、組織の一員として動かない人間は排除して良いという宗教めいた感覚を持つ人は、共同行動が不得意な人間を許せない。それは感情となってしまうから、その上司の説得は難しい。いかにアラン君が必要か論じても理性的になれず、感情的になって許さない、そんな人間が多数派を占める。それじゃあ、最終的な戦いに勝てっこない。

イギリスだって理解のない上司はいるだろう。作品中も出ていた。でもエリートのレベルでは、優れた判断を下す人物がいたようだ。イギリスの戦略は、米国より鋭い。おそらく首相の周囲の人物によって、アラン君は仕事を続けられたのだろう。日本の場合、そんな判断は期待できない。その点が違う。エリートの選ばれ方が違う。本当に稀に、有能な上司を得た人物が幸運を得ることもあるが、頻度は高くないと思う。

暗号を解読した後も問題。手柄を公表したい人物は多い。公表しないと、自分の評価が下がり、将来を失ってしまう。こっそり、責任を問われないような形でなんとか業績を知って欲しい・・・そんな欲求はあるだろう。それでも冷酷に、民間人の犠牲も厭わず情報を握りつぶし、勝利に賭ける強い意志の力には感服する。犠牲になる人間にとっては許しがたい行為だが、勝利のための情報管理はそのような現実も伴うものだ。

日本では、おそらく管理が難しい。上層部の都合で情報が利用され、国家の利益が阻害される。映画のように敵の攻撃目標が分かった場合、上層部の家族は助かるが、他は殺される。そしてこちらの動きは敵に気づかれる。それでも、上層部は処罰されない。

そのことを部下が認識している場合、部下の行動、組織全体の判断能力や成果は決まってくる。規律が重要なのは、結局は勝ち残るためなのだから、こういった問題を排除できる組織のルールを作らない限り、勝ち続けることは難しい。常々そう感じている。今日も過去も、日本ではそのルールを作ることが難しい。

 

 

2016年1月16日

インサイド・ヘッド(2015)

Dhizneypixar

- CGアニメ大作 -

ある少女の意識を動かしているのは、感情の元である小さな存在であった。その「喜び」、「悲しみ」らが危機に陥り、少女にも危機が迫る。「喜び」らは、少女を救えるか?・・・・

DVDで鑑賞。正月の時間つぶしのために借りたのだが、時間つぶしにはもったいないほど良くできた作品だった。CGアニメ大作とでも言うべきか。子供の成長や、親子の愛情などに関して健全な精神が感じられた。ディズニーらしい映画。

記憶から失われるものが、深い谷に埋まっているという設定、思い出がお城のようにそびえているという話も、それが壊れて谷底に落ちていくという話も非常に分かりやすく、実際の脳内処理を連想させて面白かった。

子供映画だから当然子供も観て良い作品。子育て中の夫婦も、きっと感動できる。家族で楽しめるし、若いカップルだって面白く感じるだろう。ただ、この作品が非常にヒットしたとは聞いていない。かなりのヒットとは言えるようだが、インパクトには欠けた印象。不思議な感じもする。

キャラクター達に独特の味わいが足りなかったので、それが理由かも知れない。「悲しみ」という言い方より、愛称を使って、より個性が目立つようにすべきだったのかも知れない。ギリシア神話の女神や妖精の名前などを使えば、それぞれの親近感が違ったかも知れない。

ヨロコビらが、少女の成長に合わせて成長していたらどうだったとも思った。それぞれが思春期独特の変化を見せていたら、それもまた印象を変える要因になれたかもしれない。あるいは、カナシミが極端にドジで、良かれと思って大失敗を繰り返し、ドリフのギャグみたいに状況を悪化させるドタバタ劇を延々と続けても良かったかも。

人の感情をどう表現したらよいのか、考えてみると難しい。喜び、悲しみ、怒り、恐怖などが中心とは思うが、好き嫌い、慈しみ、勇気、ねたみや恨み、いろいろありそうに思う。たった4人のキャラクターで表現するのは単純化しすぎだったかも。

イジワルの虫かスネ夫みたいなキャラクターが登場して、よろこびらを皮肉って邪魔する、そんな学校で起こりそうなドラマが、脳の内部で再現されても良かったのかも。勇敢な人でも、能の内部では葛藤が何かしら起こっていると思う。そんな内容を描くと、複雑になりすぎると考えて単純化したのだろうか?

あるいは物語を変えて、少女がもっと大きな試練に立ち、危機にどう立ち向かうか、そこをクライマックスにしたストーリーなら、もっと良かったかも知れない。親子の危機のストーリーなら、親も活躍させるほうが良い。危機も、本当の危機のほうが良い。誰か悪人に騙されて、犯罪に巻き込まれそうになるなら、緊迫度が違っていたのでは?その意味で、盛り上げ方の基本から、少し外れていた。

新しい友人と知り合うまで、例えば最初は喧嘩し、疎外され、やがて友人となるといった劇的な展開が実社会で進み、それが互いの脳の中でどう進んだのか、それを愉快に解説できたら、やはり達成感が違っていただろう。実社会での出来事が、少し易しすぎた。

 

 

2015年10月16日

イントゥ・ザ・ウッズ(2014)

- 大物勢ぞろい -

赤ずきんちゃん、シンデレラ、‘ジャックと豆の木’のジャック、ラプンツェル、そして魔女らが森に入って繰り広げる童話のような話を、ミュージカルで描いた作品。ブロードウェイの作品の映画化だろうと、直ぐ分かる作品。DVDで鑑賞。

よくできた話で、アイディアが良かった。出演者がやたら大物だったのも、そのせいか?。おそらく舞台が非常に人気があって、予算が充分集まったからか?あるいは、役者達が出演を希望してきたのかも。発想が楽しい物語なので、演じたい歌いたいという欲求が生まれそうに思う。

このストーリーは一人の作家が考えたのだろうか?随分と複雑で、しかも洒落っ気に満ちた流れで、複数の人達がアイディアを出し合って進めた企画のような、そんな匂いを感じる。単なる童話の集合体に留まらず、不倫話や現代風ギャグや、様々な要素がてんこ盛りになったミュージカルスタイルが、実に上手く構成されている。不倫の要素が確かに必要だった。

歌詞は理解できなかった。かなり省略や比喩が多くて、文語とは違って理解しにくい。歌は、日本人の劇場主の耳には非常に上手く聞こえたが、役者本人の歌かどうかは判別できなかった。たぶん、音響技術で高度に処理された本人の歌声だったのでは?

主人公は子供ができない夫婦だったようだが、中心になって一番活躍するのは魔女役のメリル・ストリープであった。ちゃんと歌も歌っていた様子だが、彼女の歌は「マンマ・ミーア」の時もそうだが、非常に上手いのか判断できなかった。でも、この作品の性格を考えると、充分な歌唱力だったろう。

ミュージカル映画の場合、声量があるかどうかは大きな問題だと思う。本職のミュージカル俳優の場合は、やたら声量があるので、映画に出演しても声を張り上げる傾向がある。ところが、我々からすれば劇場で観ているわけではないので、声の大きさは音量で調節すれば良い。大仰に声を出されると、場にふさわしくない印象が生じる。映画用の歌い方があると思う。

もう一人、大スターのジョニー・デップも出演し、ちょっとした端役だったが、楽しそうに演じていた。でも、チョイ役すぎてもったいない印象も受けた。話題作り、彼目当ての観客を期待したことなどが想像された。

話の流れは面白かった。どうも米国の観客は、この種の物語が大好きのようだ。テレビシリーズで、魔女や魔法使いと戦う物語が長々繰り返されているし、オオカミや吸血鬼のなんとかサーガというシリーズも多い。安定的なファンがいるのだろう。

日本の童話がテレビシリーズになった例は知らないが、逆に日本の場合は鬼太郎シリーズが人気だったから、あれが代わりになっているのだろうか?

 

 

 

2015年4月16日

インターステラー(2014)

Warnerparamount1

- STAY! -

食料不足と砂漠化で滅亡に瀕した人類。存続の希望を賭けて宇宙探検に出る主人公だが、娘とは辛い別れとなる。そして彼らが知った事実は、厳しいものだった・・・

・・・もし自分が人類を救うため、家族と別れる必要が出たら、そして旅が失敗と判明したらどうするか、自らのこととして考えざるをえなかった。個人的感情と、人類愛のバランス・・・映画の出来が良くないと、なかなか考え込んだりはしないはず。

インターステラーとは星の間の旅、もしくは旅する者といった意味らしい。「インセプション」という言葉もあったくらいだから、ちょっと気取った音の調子が気に入ってタイトルに使われたのかもしれない。一般的に使われるのは、おそらくスペース~とか~ワープなど、他の言い方ではないか?

この作品は変わっていた。普通は宇宙冒険の話の場合はヒーローと怪物や悪役科学者との戦いの物語が多い。その中で友情や愛情が大きな問題になることはあるし、悲しい別れや死の恐怖、または人類や生命に関わる深い哲学が語られる場合も多いが、この作品のように親子関係を中心に描いた話は少ないと思う。

宇宙の旅より、親子関係の比重が大きかった。

Warnerparamount

もしかして、スタッフの年齢が関係していたのかも。原案はノーラン兄弟が考えたものらしく、原作小説はないようだから、おそらく子育て世代のはずの兄弟には、娘との心の結びつきに関して思い入れがあったのではないか?あるいは、兄弟の親に対する独特の思い入れがあるのか?

子育てが終わった世代、あるいは若者世代の場合は、ちょっと感覚が違うかも知れないので、筆者(劇場主)が感じたほどの強い感情が湧いて来ないかも知れない。筆者には強い感情が起こった。子供との別れを連想させる話には弱い。

アイディアが素晴らしかった。愛、夢、冒険心、自己犠牲の精神、恐怖、別れ、それらが物語に上手く盛り込まれ、美しく悲しい流れになっていた。

映像も美しかった。ワープを映像化する方法には色々ある。スターウォーズのように放射線状の光で描くのが格好良い。でも怖さや迫力を出せるのは、今回のような手法だろう。もっと重力を表現できたら良かったかも知れない。ひずみを上手く表現したら、きっとさらに進化した映像が誕生するに違いない。

親子の別れの場面が秀逸だった。ただのお涙頂戴のシーンにならないようにと考えてあったに違いない。

娘がすねてとうとう顔を合わせないのだが、実際の別れもそんなもの。仲の良い友達と別れる時、うちの子供たちもプイとどこかに行ってしまったりしていた。挨拶しなさい、礼儀よなどという言葉を無視して行儀の悪い行動をとる、怒りと悲しみの暴風雨のような精神状態。あれを適切に表現できていた。

マシュー・マコノヒーの演技も素晴らしかった。近年の彼は凄いダイエットで病人を演じたり、ヤク中の異常者や犯罪者を助演したり、極端な役柄が多かった。元々はタフなヒーロータイプの役を演じたりもしていたのだが、それを捨てていることで次々と良い役が回っている。既に大スターになったと言える。

マット・デイモンが大事な役柄を演じていた。彼のキャスティングは意外性があって良かったかも知れないが、イメージとしては‘人類の存続のために主人公と対決するヒーロー的人物’が望ましかったと思う。好敵手が目立てば、作品のスリルは確実に増す。だから、とことん大真面目に対立する、タフな敵がいたほうが良い。

氷の惑星の撮影は、アイスランドの氷河を使ったそうだ。水の惑星も面白いアイディアだったと思う。でも、強い波が始終襲ってくる惑星の場合、やはり探査機の残骸は広範囲に拡がっていないとおかしい。作品中では時間の問題で片付けていたが、考え直すべきだったと思う。

そして重力や加速度の表現に関しては、おそらく改善できる点は多かったはず。CGでゆがみや軋みを微妙に描いても良いのでは?そして本棚を使った意志伝達の方法は、謎めいて印象的なイメージになりにくい欠点があると感じた。

宇宙を舞台にしてスリリングな映像を見せていた近年の作品では、「ゼロ・グラビティ」がある。あれも深遠な精神的要素がある作品だったが、この作品より単純でリアルだった。この作品は、下手するとオタク映画に陥ってしまう危険性があるところを、踏みとどまってまとめた点が素晴らしい。

現実問題、人類全体の存続を危うくする危険は、何が考えられるだろうか?

温暖化や寒冷化はまず考えうる。巨大隕石の襲来、過去にない規模の宇宙線飛来も考えられる。過去の映画はそのパターン。砂漠化、病害による作物の不振は、新味に欠けるし、恐怖の対象としてやや弱い印象もある。ただし、徐々に人類に迫ってくるという点から考えると、現実的な危機だったかも。

放射性物質はどうだろうか?福島原発から漏れ出た物質は、地球全体から見れば少量だし、急な害は出ないと思うが、海洋を通じて摂取され、積もり積もれば未だ知られていない病気が多発し、人類全体に及ばないとも限らない。でも、滅多にはないことだと思う。海洋の影響が少ない値域は生き残れる。

もし、本当に対処不能な問題が発生したら、多くの人は家族と過ごしたいと願うだろう。若者の中には無茶したいと願う人がいるかも知れないが、子供を持つ親なら、たいていは子供と過ごすことを選ぶに違いない。

家族の愛情が関係すると、人に強い感情が生まれる。作品中でも言っていたが、家族のためなら逆境にも耐えうるし、無理して会いに行こうとしたりもする。人類のためよりも強い行動への動機となる。それを大きなテーマとした点が、この作品の優れた点。

想いを伝えたいという願いや、それが達成されない場合の悲しさ、無慈悲な別れ、それらを表現する流れとして、この作品のストーリーは最高だった。SFに留まらない内容で、家族のドラマが心をうつ。

 

 

 

2014年7月18日

イーストウィックの魔女たち(1987)

Warner

- 魔女に関して -

田舎町イーストウィックに住む三人組の熟女たちは、魅力的な男の登場を祈った。すると、彼女らの前に突然現れた人物が、彼女らと奇妙な関係を結ぶようになる・・・

作家ジョン・アップダイクの原作があるのだそうだ。確かに小説の匂いのするセリフが多く、結構くどい印象を受けた。ストーリーも最初の段階で予想がつき、裏切らないから安心して楽しむことができる。奇抜さが足りないと言うことが出来るかも知れないが、喜劇なんだから安心感は必要。大ヒットを狙うなら、二転三転の読めない展開があったほうがいいけど。

ブラックコメディであり、悪魔や魔女的な人間が登場するダークな笑いの映画。でも、昨今の映画のように血まみれには誰もならない。一応は家族で観ることも狙ったかもしれない、大人しい作風。いっぽうで性的な関係のセリフは結構露骨で、教育上は全くよろしくないかもしれない。基本は大人が友人~恋人といっしょに観るのが向いていると思う。真面目な人には勧められないタイプのギャグ映画。

個人的に気に入ったのは、貴婦人フェリシアを演じたヴェロニカ・カートライトという女優さん。毒々しいセリフの言い方、しつこい呪いの表現が実に作風に合っていた。「エイリアン」の時には弱々しい体格の隊員役で、これまた恐怖におののく表情が素晴らしかった。今思えば、主役級になり損ねたスター候補だったような気もする。おそらく彼女こそ魔女役には向いているのでは?

この作品の主役は、ジャック・ニコルソン。三人の女優が話の中では中心なんだが、一番の悪役のデイル氏を演じたニコルソンが重要人物だった。およそ女性に持てそうな風貌ではないと思うのだが、あちらの感覚ではセクシーなんだろう。毒のあるコミカルさが、女性達の何かをくすぐるのかもしれない。生真面目な男は確かに直ぐ飽きるだろうから、悪そうな部分は魅力的なのかも。 強くてタフそうに見える彼が、3人の女の魔法にかかって風で飛ばされそうになるシーンや、教会や車の運転の途中で酷い目に遭うシーンは面白い。この種の映画でのお約束のようなものだ。汚れて服もボロボロになったほうが面白い。もっとドタバタ劇を繰り返した方が良かったと思うくらい。

3人の女優達は、それぞれが適度にセクシーで、音楽教師に独特な真面目さを表現したり、性的な悩み、欲求をうまく表現したり、退廃的な生活を演出したり、それぞれの役目を充分に果たしていた。グラマー系の女優を使わなかったのは正しかったと思う。お色気過剰では、話がポルノチックになりすぎる。センスが良かった。

でも感じるのだが、魔女を扱った映画は、なぜか日本では大ヒットしないような気がする。テレビの「奥様は魔女」だけが例外では?魔女は所詮、外国の存在だし、ブラックコメディに出てくる魔女はパターン化していて、やや興ざめする傾向があるからかもしれない。魔女映画は、おそらく欧米が主な市場だろうから、日本の趣味に合わせても仕方ないかも。

魔女裁判は近年まで行われていたそうで、それを扱ったドキュメンタリータッチの怖い作品も宣伝では見たことがある。テレビ番組もあったようだ。例えばの話、資産を奪いたい女を対象にして噂をでっち上げる、夫との不倫関係を疑って復讐のため裁判に持ち込む、そんな例があったのではないか?

個性的な人間や、対人能力に欠ける人は、訴えられる側になる可能性はあったろう。悪意を持つ勢力から、マトモなセンスを持つ少数派の人達が吊るし上げられる危険性も高い。日本でも裁判の形式は採らないとしても、イジメのような個人攻撃の伝統はある。

仮に私が自民党の議員だったとして、集団的自衛権容認は許し難いと言えるかどうか、自信はない。今の自民党は勢力が安定しているから、公認を外されたらまず選挙は勝てない。自分の信じるところを貫くためには、家族の運命をも巻き込んだ大きな決断が必要になる。地盤がよほど恵まれた人以外は、結局は党の流れに従うしかない。

党議に拘束されるという点は、党の首脳が間違った選択をした場合に、歯止めがかかりにくいという欠点になる。戦前、軍国化や戦略無視の政策が決定されようとしている時、何度か歯止めをかけようと努力した政治家はいたが、流れを変えられなかった。あの時代を反省するなら、党議拘束はしない、基本的に政治家個人の自由意志に基づいて投票するようにする、それが真摯な態度だろう。

もし本当に戦争が起こったら大変。好戦的な投票をした議員は賞賛されるか犯罪者になるかのどちらか。勝利すれば英雄。敗戦したら殺されかねない。相手国を友好的に言っていたら、能天気な楽観論者として非難される。当然だが選挙は落選して、復活は全く無理だし、自分も家族も白い眼で見られることになる。

何か偽装行為を行っている会社の内部にいても同じ。告発が空振りに終わったら、ただバカをみて解雇され、経済的にも社会的にも葬られ、一生をやけ酒で過ごさないといけなくなりかねない。 出世競争に敗れた会社員、研究者、選挙にやぶれた政治家は、闘争心を維持して新しい戦略に打って出るかどうかが大事。でも、失意のまま引退していかざるを得ない場合も多い。良心に従って、自分の信条のままに生きるか、悪魔に魂を売って勝負を優先するか・・・まあ、たいていは流されてる人が多いのでは?妥協がないと、地位を維持するのは難しいから。

落選は、でも魔女裁判よりはマシだろう。何事も、魔女裁判よりは良し。 ぜひとも、信条に従って行動して欲しいし、選挙民もそんな人しか選ばないことが必要。なんで、そんな基本的なことが徹底されないんだろうか?所詮、人間の弱さや愚かさ、保身の身構えが我々を支配してしまうのか?

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