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カテゴリー「か」の55件の記事

2017年3月 6日

神様メール(2015)

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- 恨み -

ブリュッセルにお住まいの神様は、パソコンを使って人類をもて遊んで楽しんでいた。しかし、神の娘は反抗し、人類に自分達の寿命を教えてしまう・・・

・・・・秀逸なアイディアの作品だった。似たような神様の話は過去にも漫画などで見た記憶があるが、メールやパソコンが上手く使われたのは今回が初めてかも知れない。アイディアが作品の出来映えを決していた。

新しい聖書が出来るという展開も素晴らしい。ただ神様が酷い目にあうだけじゃなく、話に皮肉をこめたユーモアが生まれる効果があった。教会関係者が怒らないなら良い展開という条件がつくだろうが、作品が公開されたということは、たぶん許可されたんだろう。

ヒロインの女の子は、際だって可愛らしい気はしなかったが、意志の強そうな印象が、この役によく合致していた。

カトリーヌ・ドヌープも登場していたが、完全にコメディエンヌとしての役割で、もともと凄い美人女優だった彼女が演じると笑える。分かりやすいキャスティングだった。

神様のキャラクターが問題になる。あまりに情けない人物にすると、カトリック勢力からリアルな攻撃を受けてしまうだろう。この作品も、かなりマズイ表現は多かったように思う。よく許されたものだと感じた。神様はさておき、イエスを立派な存在として描いていたからだろうか?神はユダヤ教の中心で、キリスト教はあくまでイエス中心?そんなに簡単には分けられないだろうけど・・・・

確かに神は人類に対して、無慈悲な運命をもたらすことが少なくない。去年の熊本地震で揺れている時も、ここまで揺れないといけないのかな?といった、もて遊ばれた側の感覚を覚えた。揺れが終わるのを待つしかない立場は弱い。倒壊した家屋の下敷きになった方達が、特に罪人だったはずはない。ただ無慈悲に被災しただけだ。

神に慈悲を請いたい感情はある。そこは万人に共通するものだろう。この作品で神様が酷い目にあう姿で笑いを得ていたのは、その裏返しかも知れない。どうやら神は、洋の東西を問わず、実は相当恨まれているようだ。

 

 

 

2017年2月11日

帰って来たヒトラー(2015)

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- 笑えない -

タイムスリップして生き返ったヒトラーが、現代のドイツに現れる。彼はコメディアンと勘違いされ、人気者になる・・・・

・・・・DVDで鑑賞。ドイツで制作された作品というから驚いた。ユーモアで済まされるとは到底思えない内容も多く、作り手に抗議や脅迫が来なかったはずがない。その蛮勇に感心した。日本や米国でなら笑えても、現地のドイツではどうか?

この作品は、いちおう子供でも鑑賞できそうな内容と思ったが、妙な勘違いを起こす子がいないとも限らない、そんな演出である。家族で楽しむために、あえて選択すべき作品とも思えない。恋人といっしょに鑑賞して、はたして相手が喜んでくれるのか?そこも疑問に思う。基本は独りで、皮肉な笑いをイヒイヒと浮かべながら、静かに鑑賞すべき作品ではないか?

主人公を演じたのはコメディアンらしいが、かなり実際のヒトラーに似ていた。皮肉るために演じているのだろうとは感じはしたが、そのためにかなり本格的に所作を真似ていたようで、彼を賛美する目的の映画と誤解され、本気で不快に感じる人も多そうだった。普通なら、もうちょっと揶揄したメイクにするのではないか?

途中ではインタビュー形式で、町の人達や実際の政治関係者と思しき人達と話をさせていた。笑いで済まされないような深刻な場面もあり、部外者の私達から見れば面白かったが、画面に出て来た人達は後で激しく怒ったのではないかと思った。

あらためて驚いたことに、ヒトラーの理屈は今日でもかなり通用し、説得力がある。似たようなことを言っている政治家も多い。戦前の時代に支持が集まったのは当然。今日だと東欧や中東からの移民の増加が大きな問題で、もっと制限をかけないとトラブルが増えると、国民の多くが怒っている。ヒトラー的に、自国の利益優先だと訴えれば、簡単に支持を集められる時代である。

欧州では、ヒトラー的な戦略が必ず有効だと思う。今度はユダヤ人を敵視する必要がないので、米国からの反発は少ない。課題はイスラム問題だから、本当にイスラム圏の人を排除する方向になるかも知れない。イスラム圏に同情してくれる国は、おそらくイスラム諸国だけだ。イスラム側の対抗策はテロしかないので、テロを起こせば、また政権が支持される。

経済的にもそうだ。EUに管理されるのではなく、各国が自国で有利な条件を作らないと、一方的に強大な勢力から利権を奪われ、民衆は底辺でうごめくのみといった事態に陥る。反グローバリズムには根拠がある。人道や美しい理念など、クソッくらえだあ!と、怒るのも無理はない。保護主義の衝動は、当然のものだろう。論客が名演説でもやったら、直ぐに支持が集まり、大きな政治力が生まれる。

欧州と中東の関係が変化しそうな要因が考えにくい。SNSで革命が起こり、政権が変わった国々も、経済が一気に変わったりはしない。経済面は欧州が支配し、中東は苦々しく思う状態が続く。イスラム圏では原理主義が常に優勢になりやすい。したがって、今後は極右政権が長い間、維持されるかも知れない。日本も似たようなものだろう。

日本の場合は反日勢力に、国内の右翼が力づけられる悪循環に陥っている。そして日本の右翼が反日勢力を勢いづかせる傾向もありそうだ。双方がエスカレートして、無駄な論争を起こしている気がしてならない。

トランプ大統領の解説本を読んで思ったが、彼の選挙対策チームは、過去の大統領の選挙対策を入念に学習し、真似るべき点をちゃんと真似て成功している。放言、暴言もちゃんと戦略的にやれば良い効果が得られる。そんな時代になったと彼らは分析しており、そして大成功したと思われる。欧州や日本でも、同様の傾向はあるだろう。中国でこれが現実のものになったら、その悲惨さは想像を絶するものになりそうだ。

 

2015年12月18日

介護ビジネスの罠(2015)

- 長岡美代著 岩波新書 -

介護保険施設に絡んで不正を働き、要介護者を食い物にする仕組みを解説した本。

介護施設は急に増えてきた。かって、老人ホームの入居希望者は非常に多く、数年待ちもザラだったが、昨今では入居者の奪い合いに近いような状況を感じる。おそらく、建設業者などが多数の老人アパートを建てたからだろうか?介護制度が上手く動き出したからとも言えるが、本当に上手くいっている気はしない。

建設業者に限らず、異業種からの参入は多い。多数の施設を作り、県内外から入居者を集め、介護保険や健康保険からの収入と、利用者の負担金の両方を集めれば、凄いビジネスになるからだろう。本業で儲けなくても、建設費用などで金が動けば、節税対策にもありうる。

かっては病院が老健施設を建てる、老人病院を作るといった風に、複合型の施設群を作るのがパターンだった。利益が出るように患者に施設間で移動してもらい、囲い込みをやっていた。あれも酷かったが、今でも似たようなものということになる。

要介護度の高い人には、当然ながら高額の介護費用がかかるので、特別養護老人ホームが適応のはず。現実的な入居費用にするためには、公費の補助も望ましい。ところが、動けるけど認知症がひどい方は、介護度判定で老健への入居が認められないために、質の悪い施設でも我慢せざるをえないのが現実。そういった判定の不備と、入居待ちによる施設需要が、ビジネスにつながる。

介護保険が始まる前、その計画を知るにつれ、憤りを強く感じた。成り立つはずのない制度を、欲にかられて強引に作ろうとする姿勢、隠された意図の存在を感じた。「看護婦が介護要員に替わることで給与水準を下げ、社会保障費が安くなるのでは?」といった安易な意見も多かった。「介護の整備は、待ったなしです!」という論調も多かったが、そう話す人間の能力不足がそうさせると思った。

当時テレビで語られた話は、かなりの部分が卓上の空論に思えた。新しい基準は、新しい施設を要する。新たな建物を建てれば、基本的に金は業者に回り、患者には回らない。異業種は、本来が営利企業であることが多く、不正や人権侵害の発生リスクが高まる。本来が営利目的では困る。それに、そもそも安い人件費の職種を作ることを政府が目指すなんて、国力を考えたら最悪としか思えない。最悪を目指して突っ走るなんて・・・・

もともと医療も介護も、内向きの産業。一般的な意味で、生産的商売ではない。内向き産業に金を回すのは、基本的にはマズイ方向性。才能や労力が医療や介護にばかり集中するのは、産業全体を考えるとジリ貧確実の現象。才能は生産的な産業に向かうべきである。建物も制度も既存のものを有効利用し、無駄を省きつつなんとかしのぐ、それが基本たるべきと劇場主は思った。高成長の時代ではないのだから。

当時、建設業に予算を回せないので、介護業界に人を移そうといった理屈も述べられていた。確かに製造業も海外移転しないと厳しい時代、工場は中国や東南アジアに移し、国内の雇用は介護の世界に回す苦肉の策が必要と考えられなくもなかった。でも、その考えはジリ貧政策の言い訳のように思う。そして建設業が介護業界に進出し、介護の質を上げたとは思えない。

今日の介護保険制度は、とりあえず成立しちゃってるので、劇場主の不安は、ちょっと過剰だった。倫理面にこだわりすぎていたし、貧乏性の考え方だった。でも、大間違いでもなかったようだ。問題が顕在化して、予想の正しさが分かる。若い介護者達には気の毒だが、彼らは頑張って働いているものの、その頑張りは報われていない。営業活動をしている連中のほうが、実際の介護人より羽振りが良いので可哀相に思う。政府が彼らをブラック職場に誘導したのである。

利益をちらつかせる → 営利企業が参入する → 施設が充足する → 業界の規模が大きくなる → 無駄や矛盾、予算不足が明白に → 保険料負担アップと報酬の制限 → 業者の撤退、地域の崩壊・・・・これは業種を問わず、国が何かを進める時に伝統的にやられてきたこと。介護業界も、おそらくそのようだ。この流れは弊害が大きい。営利目的の事業の手法なのである。殖産興業時代の名残だろうか?

いまだに分からないのは、例えばケアマネージャーの在り方。権限が集中するはずだが、公平性はどのように担保するつもりだったのだろうか?業者に雇用されたケアマネージャーなど、理屈から考えておかしい。公平であるはずがない。ケアマネージャー評価機構、処罰規定など聞いたことがないが、有効な管理ができているのか?

権限を持つ人間は、選挙で選ぶか厳しい罰則で縛るしかないと思う。特定の業者との癒着が明らかになれば、全財産を介護保険の基金に納めさせるくらいの規則が必要。政府に何かの失策があれば、政府も責任をとらないといけない。担当する役人の一定数が全財産を納めたって良い。これは彼らにとっては人道に反する意見だが、より多数の人々の人権を考え、財政や各々の責任問題を考えれば、残虐な意見とは言えない。

導入を急いだ関係で、業者に甘い仕組みを作り、参入者が集まるようにしたようだ。日本の政策の伝統的な欠陥。誘導する方面には優しすぎ、肝心の国民には危険を及ぼし、真面目な業者は不利益を被り、役人は天下る、そんな仕組みが基本になっている。

施設を非常に細かく分けた理由も分からない。実態に即していないことは明らかで、計画が最初から破綻している印象だが、何を狙っていたのだろうか?制度を複雑にすることで、患者の囲い込みを許容しようと考えたのか?管理者を増やし、効率を悪くしてでも、役人が関与する部分を確保しようとする意図があったのか?

こうまでなったら、梯子外し的な手法で業界を適正化すべきかも知れない。急に規制を作り、公的監視下に置くわけである。

おそらく破綻する業者が増える。そうしたら無慈悲に強制的ローンを組ませて囚人のごとく、施設は維持させながら飼い殺しする。撤退を法的に許さない。金を貸していた銀行もついでに飼い殺しにする。資産を介護保険基金に移す・・・・鳥肌が立つような怖ろしい仕組み。これだけでも、儲け主義業者の参入は減る。まともに管理を受けて、適正な施設にしたほうが利口と考えるに違いない。

これに近い規定を作らない限り、現行の規制では悪質業者は生き延びてしまうか、安易に撤退する。社会保障にたずさわる者は、一般企業とは違ってしかるべき。行政には、その感覚が欠けている。人口が減りつつある時代の社会保障は、一世代単位で考えられるほど甘くない。成り立たせるためにはウルトラCが必要。金を押さえて、金融面から長期間監視すべき。

 

2015年12月 6日

下流老人 一億総老後崩壊の衝撃

- 朝日新書 藤田孝典著 -

年金制度や賃金形態の変化により、中流層が破壊され、生活レベルの低い老人が増えていくといった内容の本。

下流老人という言葉は、流行語大賞を取っても良いかもしれない。それくらい評判になった。この本は文章が非常に美しく、学者達が書いた本よりも読みやすい。学者の文章は難解で専門用語が多めで、その解説を怠る傾向があり、素人には理解しがたい。この本は読みやすいし、説得力もあった。

老人問題は、筆者も述べておられるように、結局は若者問題である。劇場主は、著者以上に若者の将来に不安を持つ。30年も不安を持ち続けて、気がおかしくなりそうなのだ。下流若者の今後のほうが重要と思う。我が子達の将来が心配なこともあるが、劇場主が若い頃から徐々に明白になりつつある長年の懸念でもある。

若者が低賃金になると、結婚、出産が難しくなり、やがて国力に影響する。これには反論する経済学者がいて、高度な理屈で解説している文章を読んだことがあるが、なんだか騙されたような気分になる文章で、心底から理解はできなかった。

普通に考えたら、人口が減って経済活動が大きくなることは稀だと思う。子供のために無理な借金をして家を建てたり、学費を出したり物を買うことが、金の大きな流れを生むので、その状況がないと、移民や画期的な投資を受けないかぎりは、経済規模の縮小が確実。日本に画期的な投資は期待できないと思う。

人口動態の安定、急な減少がないことが大事、それが劇場主の意見。30年間も前から対処すべき問題と危機感を持っている。学者の高度な専門的理論に耳を傾けても、結局は無駄になりそうに思う。普通に考えるべきだ。一般的な感覚のほうが正しいと、やがては判明するだろう。根拠は示せないが。

予算は、若者が仕事を確保し、家庭を維持できるように配分すべきと思う。本の筆者も、そこを基本と考えているようで、その意見には充分納得できた。その考えに、現状は反対する意見が多いということになるが、いったいどんな理屈を使えば、反論が可能なのだろうか?

反論の第一は、予算不足だろうか?今の予算に新たなものは加えられないので、若者支援は無理・・・そんな理屈が政府内では主流になっていることになる。将来のジリ貧を生む理屈だとは思うけど・・・

第二に、まず景気を改善する必要があるので、財政出動し、公共事業を復活させるべき。社会保障費は増やせないという理屈・・・それも、さすがに無茶であることに多数の人が気づいている。昨今は、地方の人だって公共事業が財政負担になることが気になっている。借金の連続を怖く感じるのが当然。景気は簡単に良くならないし、一時的に良くなっても企業や投資家に有利なだけという面がある。

第三に、やはり自助努力が必要だし、現在の保証制度でも、ほとんどの人は何らかの援助が得られ、最低水準に近い生活は可能という理屈もある。そして、その考え方は概ね正しい。役所の目が届かないところで貧困ビジネスの餌食を生んでいるのは事実だろうが、細かい点まで自治体が管理はできないというのが本音では?

第四に、現行の権益に触る部分の改正に反対する勢力があることも大きい。例えば住宅ローンのシステムを変えて、若者に安い家を提供しようとしたら、商売に影響する業界から反発が来ることは確実。そのほかにも多くの分野で、今日の体制を作っている利権があり、反発が来る。

第五に、国単位、企業単位の競争においては、低賃金の人間がいて、低コストで生産して他の企業と対抗する必要があること。低賃金労働者が、利益を得るためには必要という現実。労働者優遇の方向に変えると、企業が競争に負けてしまう。そうであっても、出産数が増えて来ないと、あらゆることが悪化するのは確実。企業や投資家が生き残っても、国民が減ればジリ貧は間違いない。やがて企業も投資家も消えていくか出て行くしかなくなる。それが望みなのか?

第六を忘れていた。自分や自分の家族が低所得になるのは嫌だが、他人が低所得であっても、それは努力が足りなかったか運が悪かったからで、仕方ないこと・・・・そのような意識が働くことも大きな要因だろう。「若者の未来を回復しよう!」といった意見には、自分で何とかせいよと無関心になる人が大多数。集団全体の運営や、基本方針には利害が関係しない限り無関心。なので、真に戦略的な政策を進める集団には、やがて敵わなくなるのが伝統。

結婚、出産、育児がスムーズにできるよう、若者の自助努力が可能なように、国も地方自治体も活動して欲しい。そのためには、あらゆるシステムの改正が必要。富める集団から若者へ、金の動きを作らないといけない。既得権益を持つ者、企業には耐えがたいことだろうが、行き過ぎた資産の格差は是正する必要がある。資産家でさえ感じることだろう。

実際の利害調整は、でも非常に難しいだろう。正当と思える権益を、考え方を変えて削り取られるという認識をされたら、激しく抵抗するに決まっている。国の状態を説明し、まだ起っていない危険を理解してもらい、協力しないと国も自治体も持たないのだと認識してもらう必要がある。認識を変えるのは、並大抵のことでは無理。

でも訴え方によっては、既得権益を持つ人達も理解を示してくれると思う。もう少し真剣に、政治家が述べるだけで、金を若者に配分することにコンセンサスが得られると思う。そして何より、NHKなどの放送局、週刊誌から新聞から総動員して、社会を維持するためにすべきことを訴えるべきだろう。

もっと早くからやっていれば良かったと思うのだが、数十年も遅れているので、かなり革命的な、激しい資産の移動が必要になりつつある。激しい変化は好ましくないと思う。早ければ、変化は軽くて済むはず。激しい変化は暴力沙汰を増やしかねない。

 

 

2015年11月30日

華氏451(1966)

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- クリスティ女史のために -

思想管理が徹底した未来社会。本を没収して焼く消防士の主人公は、ある女性と知り合ったことで、読書に目覚めてしまう・・・

・・・DVDで鑑賞。50年も前の映画だから、さすがに古い。でも画質や音質に関しては何も問題を感じなかった。リマスタリングされていたかどうかは知らない。最近の「図書館戦争」に通じる、管理への抵抗がテーマになっていることが感じられる。

テーマは素晴らしい。焚書坑儒のような思想管理は、圧政を象徴する。問題点を浮き彫りにできれば、素晴らしい作品になる。

主人公は、パッと観て風采の上がらない人物のように感じた。小役人の雰囲気が出ていて適役かもしれないとは思ったが、まさか人気が出そうな役者には思えない。演技力も特に感じなかった。当時は、こんな俳優が人気だったのだろうか?

対するヒロインのジュリー・クリスティのほうは充分に目立っていた。でも濡れ場の表現などがあまりに簡素すぎて、他の出演作と比べたら、印象の面ではそうまでないようにも思った。当時の倫理規定では仕方なかったのか?でも充分に美しく、いつも以上に理屈っぽく、当時の彼女の雰囲気が出ている。

おそらく、この作品は彼女のための映画なのだ。ヒーロー氏は盛り立て役に過ぎないから、ハンサムすぎてはいけない。反体制派の代表格の女傑ジュリー嬢がいかに魅力的に映るかが大事だったのだ。

そう考えると、さらにもっとヒロインが目立っても良かった。二役を演じていたうち、短髪のほうの活動家が政府と戦って活躍するとか、怪我するとか、何か演出があっても良くなかったか?政府側の上層部が登場しないので、究極の悪役、嫌悪の対象がいない。それは映画としては好ましくないと考えるのが普通。

消防隊や警察の追及が軽すぎたように思う。予算不足なのか、乗っている車も破壊力不足のようだ。作品が盛り上がるためには、要するに管理者サイドが嫌われる必要があるので、残虐で執拗、無抵抗の容疑者達に暴力がふるわれるなど、非人間性を強調した方が良い。暴力が軽すぎた。

撮影のスタイルや、金のかけ方、小道具などに、何か安っぽさを感じるのは私だけだろうか?どぎついリアルな路線は、表現上の問題があったのかも。ナチスを直接連想させてはならないとか、子供に見せられる映像に留めないといけないなど、何か法的な問題があったのかも。

日本でも思想管理めいたものはある。ネットで炎上するなども、一種の思想的圧力だろう。炎上した方が酷いことを言っている場合が多いとは思うが、実は特定の政治勢力が暗躍して、政敵を攻撃する手段にしている場合もあると思う。

中国や東南アジアの一部の国がやっているという管理は、大勢の隊員が監視して削除したり検索に制限をかける方法らしいが、これは日本では可能だろうか?もしかすると、TPPでも何か決めてあるかも知れない。日本がやるとしたら、検索エンジン管理者に圧力をかけ自主的な規制を図る方法が現実的だろう。今後は都合の悪いサイトが自主的に排除される、閲覧不能になる、あるいは閲覧者を自動的に記録し、その趣向を把握し、管理に役立てるなどが考えられる。

政府に批判的な人物には、ネットを介して自動的な攻撃、炎上を上手に形成し自然に見せるソフト、そして実際の犯罪立件など、複合的に攻撃することは可能。いざとなったら、公権力が力を見せ、個人では対抗できないと思う。

もちろん書物や新聞にも、いろいろ圧力をかける方法があるだろう。管理が強化された時、はたして自由を守ろうと考える日本人が多いかどうか、あまり期待しすぎてはいけないように思う。

日本は妙に整然とした国で、立場や雰囲気に敏感すぎる。それに流されてしまう人は多いから、簡単に管理されてしまう。本当は憲法で誰からも守られていることが自覚できたほうが良いのだが、政府が憲法解釈をいじっても反発が少ないので、守られないと考えてしまう結果、流されてしまう伝統から抜け出せないようだ。

権利を守るために戦った人間を賛美し、抑圧した人間は、たとえ偉人と思われていたとしても排斥する、そんな作業を小さい子にさせないかぎり、事態が悪化した際に歯止めがかからないだろう。

 

2015年8月20日

眼下の敵(1957)

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- 理想的 -

第二次大戦中の南大西洋。ドイツ潜水艦を発見した米駆逐艦は、さっそく攻撃を開始する。相手もしぶとく、双方が裏をかこうと奮闘するが、最後に逆転劇が待っていた・・・

・・・・8月2日、BS放送で鑑賞。実話に基づいているそうだが、勇敢な戦い方、知力を尽くした作戦の応酬、仲間との友情や敵との相互理解など、理想的すぎるという印象を感じるほど良い話だった。

描き方も素晴らしい。実際の駆逐艦で、おそらく本物の爆弾を使って撮影されたらしい。爆発の威力が凄いので、映画にも迫力が出ていた。それにしても、戦争映画ばっかり放映されているなあ・・・

主演はロバート・ミッチャムで、いかにもタフそうな艦長役を、キャラクター通りに上手く演じていた。表情は分かりにくい。オーバーに演じると迫力を損なうし、映画の重みが失われてしまうから、ほとんど無表情で、最小限のセリフを言うスタイルで良かった。

敵役のクルト・ユンゲルスも素晴らしい存在感を示していた。

この作品は何度かテレビで観た記憶がある。印象に残っていたのは、爆雷の爆発のシーン、ラストで救助を協力しようとするシーン。後は、ほとんどのシーンがスタジオで撮影されたと思えるドラマで、迫真の演技なんだが、やはり演技臭い。臨場感を感じさせるほどではなかったと思う。

爆雷と言うのは、今も使われているのだろうか?今日では、敵の位置を把握する技術が進んで、遠くからミサイルを応酬する戦闘が多いのではなかろうか?爆雷は、正確に狙うのが難しい武器のように思う。補助的な使われ方ではないか?真上に近い位置にいたら、今は潜水艦のほうが攻撃しやすいとも思うのだが、どうなっているのだろうか?

イージス艦の性能がどれくらい進んでいるのか知らない。たぶん数キロ先の潜水艦は、位置も深さも把握できるのでは?敵の魚雷を防ぐ能力も、仕組みは知らないが、おそらく迎撃するシステムがたっぷりあるのではないか?

実際に戦闘が起こるようなことがないと良いが、帝国主義的な発想は今も根強く残っている。軍事評論家達の言動は、戦前の軍人達のノリをそのまま写したかのような内容。防御に努めないと危険だというのが彼らの理屈の根幹で、それを主張する際の言い方が、昔の軍人のそれと全く同じ。人間の能力が数十年でそうそう上がることはないから、同じレベルの発想で論じ合うことになっているようだ。

もちろん、防御ができる準備は必要と思う。ただし、敵国の経済規模が数十倍の場合は、まともに戦うことを避けないといけないはず。防御能力に限界があることも忘れてはいけない。無意味に敵国を作り出すかのような過激な言論は、入念に検討して避けておくべき。数十年前の言動をほじくり出されて、敵の攻撃材料にされる危険性もあるのだから、勇ましいだけでは語る資格に欠ける。

加えて、武器も戦法もどんどん進化しているのだから、防御の概念も進歩しないといけない。防御は口で言うほど簡単ではないと思う。防御しようがない戦いもあるはず。いきなり核攻撃されたり、前兆なく同時多発テロが起こることもありうる。

 

 

2015年3月20日

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014)

Marvel

- ギャグセンス必要 -

宇宙盗賊の一員、戦闘用女性、アライグマ型賞金稼ぎ、怪力男、植物人間の異色メンバーが仲間となり、残忍な宇宙の怪物達と戦う話。

DVDで鑑賞。この作品の元となったマンガのアイディアは実に素晴らしいもの。でもアライグマは日本人では考えにくい。ネコかタヌキならありうるが、アライグマは親しみが薄いから・・・

・・・・と、思っていたらそうでもなくなったようだ。動物園を逃げたアライグマが日本でも土着して増えているらしい・・・・とにかく、そもそも日本人を観客の対象として考えた作品ではなかった。基本は米国人が対象だろう。マンガを観た親と、その子供が客数として安定的に観てくれると考えたのでは?

この作品は、日本ではあまり宣伝していなかったように思う。劇場のCMを観なかった。たまたまかもしれないが、日本では少し受けにくいタイプの作品だから、最初からビデオ直行の企画として、宣伝費をケチったのか?おそらく、それで正解だったのでは?この作品に興味を持つのは、かなり映画好きな人間だろうから。

作品のセンスに好感を持った。筆者のギャグセンスは古い。まずBGMになるのが80年代頃のロックなのが嬉しい。主人公のキャラクターにも関係していて、当時のスターであるケヴィン・ベーコンの話などが作品の中で語られると、筆者には笑える。ただし観客がケヴィン・ベーコンを知らないと話にならないので、この手のギャグは年齢を選ぶ。80年代頃に若かった人間でないと通用しないだろう。子供には通じない話となってしまう。他のシーンで笑えれば良いので、年齢限定のギャグも悪くはないだろうが・・・

今の子供にはギャグが半受け、若い人たちにも部分的な理解となるとしても、この作品は家族全体でそれなりに楽しめる映画だろうと思う。エログロのシーンはないし、濡れ場も健全路線。ギャグ満載の痛快SFとなりうる。

アライグマが外見と違って凶暴で、平気で怖ろしい武器を作っては攻撃してくるのがおかしい。マンガでよく見るタイプのギャグでもある。可愛らしい小動物が性格は残忍というのは、「ガッシュ」でもよくあった。相棒の植物人間が「私はグルート」しか言わないのも、考えてみるとよくあるギャグだが、やはりおかしい。「ウガー」しか言わない成海頁二や、江田島高校校長などと同じギャグ。マンガの世界はグローバル化=パクリが進んでいる。

主人公は、かなり肉がだぶついていて、映画のヒーローには全然合っていない気がした。アクションだけは得意であって欲しい気がするのだが、製作者達にはそうではなかったようだ。最近のスターだとテイラー・キッチュなら最適と思ったが、どうやら違ったイメージで作られたようだ。主人公はマトモな肉体派キャラクターで、アライグマなどにギャグを担当させるのはいかがだろうか?

ヒロインは、「アバター」に引き続き、またまた緑色の顔をしたゾーイ・サルダナだった。スタイル抜群だが、顔の表情が読み辛い。メイクを少し軽めにすると分かりやすかったかも。顔が分からないなら、彼女を選ぶ必要はない。もっとスタイルの良い、アクションが得意な新人を連れてきてもよいことになる。実際、彼女のアクションに感嘆することはなかった。もっと演出できたと思う。

空中戦はかなり壮大なCG映像だったが、昨今のCGは低級映画でも凄いレベルなんで、特に優れているとは感じなかった。殴り合い、切り合い、銃撃戦、いずれのアクションもそこそこという印象。この映画のウリは、やはり特異なキャラクターと、毒のあるギャグ、懐かしいポピュラーソングだろう。

かなりヒットしたようだから、きっと次回作が企画される。敵の親玉の怪物が直接登場するに違いない。少なくともギャグには期待できる。またビデオ屋で遭おうぜ。

 

 

2015年2月12日

かぐや姫の物語(2014)

Touhou

- 自由と管理  -

かぐや姫の物語を、スタジオジブリがアニメ化。DVDで鑑賞。姫が屋敷を飛び出していくシーンが劇場宣伝で使われて、作品のことは知っていた。最近流行のCGめいたアニメではなく、手書きでしかも荒っぽい作図のスタイルが独特。

ストーリーのほとんどはオリジナルのかぐや姫と同じ。ただし、かぐや姫の物語は地域によって時代によってもバリエーションがあるそうだから、これもオリジナルのひとつなのかも。途中で村の幼馴染との再会がある点、月から迎えに来るのが仏の姿をしている点は多少の意外感。筆者が見た絵本では極楽のイメージより、王様女王様が座っていたような印象がある。

天にどのような存在が鎮座しているのか、その点を誰か民俗学者が研究しているのを読んだ記憶がある。少なくともジブリの頭の中では仏教の菩薩や仏が、天の最高に位置する存在だろう。中国の王様のような格好の絵も見たことがあるから、絵描きによっても違うのだろう。

ヒロインのキャラクターは、映画用に多少の脚色があったようだ。オリジナルでは自意識に目覚めるような話は聞いていない。性格がよく分からないが絶世の美女であり、自分の運命はかなり前から知っている。だから求婚されても無理難題をふっかけるという風に、辻褄が合っていた。でも、この作品ではなぜ無理な要求をしたのかが、やや不可解な印象を受ける。

オリジナルを知っている我々なら構わないが、かぐや姫のことを知らない人間には、物語がチャチに見えてしまうという欠陥につながる。不可解な点は、海外向けに極力排除した方が良いと思う。単純に、天からある日知らせが来て、姫は自分の運命を知ってしまうという設定のほうが分かりやすい。

この映画のテーマは何だろうか?筆者は残念ながら感じ取ることができなかった。この作品をあえて企画した意図、狙い、成果、それらが分からない。だが、駄作だなんて全く思わなかった。適度なユーモア、友情や愛情、人生訓になりそうな物語の展開は、ちゃんと描かれていて、きっと家族で楽しめる映画だと思う。

恋人とはどうか?恋の話が出てくるので、観ても悪くないかも知れないが、恋はこの作品の最大のテーマとは言えないようだ。成就しない幼い恋心は大きな要素だったようだが、時間的には小さめのテーマだった。二人が手をとって空を飛ぶシーン。「ハハハ。」と、爽やかに笑っていたが、演出の流れを考えると、少女のほうは泣いていたほうが良い。それにハハハは、今の時代は流行らない。「青い山脈」の時代まで。

画風を変えて、親子の断絶と理解、別離、介護問題や教育問題を連想させる極めて真面目で、暗めのリアルなマンガにする手があったかも。簡単に人が死んでいく時代、京都の町にも疫病や災害が押し寄せる時代だったはずなので、リアル路線は歴史的にもおかしくはないはず。笑いを排除するのも良い一手だったかも。

幼馴染の声援の青年のキャラクターに違和感。簡単に家族を裏切って、新しい恋愛に逃げ込むなんて、随分とうらやましい・・・じゃなくて、酷い話。彼らの思い切りを尊敬する・・・じゃなくて、道義的にまずいと思う。

芸能界ニュースで知ったが、高橋ジョージ氏と三船夫人が離婚調停中らしい。ロック好きの私も実は高橋氏の曲はよく知らないのだが、彼ら夫婦のコマーシャルは知っている。仲の良い夫婦だとばかり思っていたが、意外に分からないものだ。浮気があったかどうかなどは知らない。興味もない。でも、離婚は思い切りが要るだろうとは思う。子供のことを思うと、やはり我慢するのが普通だろう。

筆者は我慢を知っている。今週の日曜日、筆者の奥様は「銀行に金が振り込まれていないから何も買えない!」と怒って、料理をサボタージュしていた。筆者が買ってきたパンなどを子供達は食べたから、飢え死にはしないのだが、筆者としては金は既に振込み済みで家内の勘違いと思った。それに、先月分の数十万円はどうしたの?まさか、もう使った?

日曜に言われても、家内がキャッシュコーナーに行かない限り確認しようがない。筆者が料理する時間もない。その場で解決できない時に糾弾するのは破壊工作者の常套手段だ。でも、筆者は我慢を知っている。

たぶん、ただのサボタージュの都合のこじつけに違いないと思い、高橋三船夫妻のように性急に判断は下さなかった。賢い筆者は何も答えず・・・まあ無視させていただいたわけだが、翌日に銀行で振込み済みを確認し、家内の策略と挑発には乗らなかった。挑発に乗るようでは、結婚生活は続かない。

挑発と言えば、安倍政権はイスラエルや中東諸国に経済的援助や、商取引ガラミの交流をやっている。これがイスラム国には挑発と写ったようで、先日の不幸な事件へとつながったようだ。確かに刺激してもおかしくはない動きではあった。でも、どっちみち敵は機会を狙っていたに違いない。

イスラム国が挑発するから周辺諸国に援助したとも言えるので、双方が対立をエスカレートさせる方向に行っている。困ったことだが、イスラム国は既に宗教の教理を外れた性格が強く、周辺の宗教家の仲介も考えにくい。米軍に頼っても、事態を悪化させる可能性が高い。この種の事件の解決策が、今後見つかるだろうか?

仮にイスラム国が壊滅しても、彼らの残党は必ず他の地域に行って、そこで復活する。次々と新しい兵士が育ち、人質事件やテロを繰り返すに決まっている。住民がいる限り、テロは必ず続く。欧米に被害が及ばないようにするためには、フセインのような圧制者を誕生させて、民衆を抑えつけるしかないのか。

かの地に民主主義は向いていないと思う。意見を自由に言わせたら、それは結果的にテロや拉致を正当化させてしまうだけで、穏便な意思決定にはつながらない。それは歴史が物語っている。略奪やテロは紀元前からの伝統。部族単位の地域があるかぎり、民主主義の浸透にはよほどな幸運が必要。

対策のひとつとしては、根本的なことではないのだが、再発予防のために邦人の独断行動は、いかなる理由をもっても許さないのは大事。ジャーナリストにとっては明らかな邪魔になっても構わないので、誘拐のチャンスを減らすことは必要。イスラム国はジャーナリストだろうと何だろうと気にせず、ただの人質にしか考えていない様子。自由意志で行っても、身代金要求の道具にされたら、国の責任。自由にさせておくことは許されない。

報道の規制は、本来ならやるべきではない。例えば政府内部の情報をスパイしようとしても、よほど歴史的な機密を除き許容すべき。情報保護法でジャーナリストの自由を奪うと、為政者の都合によって何時か来た道に進む原因になる。国内か国外か、政府の管轄範囲か外か、常識が通用するか無理か、そのへんで対応を決めるべき。

残念なことだが、紛争地域やイスラム国のような特殊な地域の人の場合、自由な移動を許すのは後々の災いを生む。逃れてきた個人には気の毒だが、その人の子供が過激派に変わるのが現実なので、人道主義の意味は一世代のその人だけで考えることはできない。ただし、このような考え方は現行の法律からすれば違反になることが多いだろう。

 

 

 

2014年9月16日

鑑定士と顔のない依頼人(2013)

Pacocinemato

- アイディア勝負 -

ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品。高名な美術・骨董品鑑定士が、謎の依頼人から財産の鑑定を依頼される。そして依頼人と鑑定士は、ついに面と向かい合うことになる・・・

・・・DVDで鑑賞。予告編が良くできていたので観てみたいと思っていた作品。トルナトーレ監督作品なら、涙が確実な大悲劇がラストに来そうな気がするし、おそらく入場料くらいの価値は確実にあると予想される。でも上映時間が合わなくて観れなかった。

この作品は、アイディア勝負の映画だと思う。謎の依頼人はどんな人物か、依頼人が病気を克服することができるか、鑑定士が幸せをつかむことができるか、古い機械を修復し、動けるようにできるかどうか、そんな点に興味が湧くように作られていた。

数字に特異な能力を示す女性の存在も良かった。独特の雰囲気が出ていた。ただ、せっかく美術品を扱う映画だから、もっと重厚感のある暗い画質で描いても良くなかったろうか?静かさ、重厚感のようなものには欠けていた気もする。

まだ観ていない方にはネタバレになって申し訳ないが、途中から展開が変わって、予想とは違った方向に話が進んだ。でも一回流れが変ると、ラストの展開は読めてしまう。後半1/4くらいは興が冷めてしまった感もあり、盛り上げ方に問題があったかもしれない。余計な部分を省き、呆然とする主人公の驚きで話を終えても良かったのでは?

トルナトーレ監督は、アイディアに集中しすぎてラストの編集が苦手なのかも知れない。「ニュー・シネマ・パラダイス」でも、終盤は安っぽいドラマになっていた。強烈な印象を残してさっと終了するのが、客商売のこつのように思う。

さらに言えば、古い町の映画館や幼少時代の想い出、または極めて悲劇的な境遇など、誰もが共感するような強烈な設定があったほうが良い。はたして、この作品の主人公に多くの人の共感が集まると考えるだろうか?企画の基礎の部分が大事と思う。

主演はパイレーツシリーズで悪役を演じていたジェフリー・ラッシュだったが、動作が少々おかしい。長い顔、渋すぎる表情にいかり肩で、スタイルの面では魅力的とは言い難い。競りの壇上でも、さっそうとしているとは感じなかった。何かリズムや素早さに欠けていた。役柄から考えると、さっそうとしていないが有能、もてないし偏執狂のような愛情を美術品に持っているから、彼の演じ方で良かったかも知れないが、演出のちょっとした加減で、もっと良い味が出せたかも知れないと思った。

主人公は、観客に好感を持ってもらわないといけない。仮に悪役であるとしても、何かの魅力があるか同情を買わないといけない。この主人公の場合、例えば過去に不幸があったとか、女性恐怖症で話せないといった条件が必要だったと思う。上手く同情を買えていただろうか?

ジム・スタージェスが鑑定士の相談に乗る人物の役で、これは少々若すぎ、キャラクターとしても現実感があるのかどうか、ちょっと理解に苦しんだ。女性達に優しくして料金をサービスする人間らしいが、そのような信頼関係を作るには相当な時間がかかる。特に欧州の町の広い通りに面した場所で開業できるためには、商売として成り立つだけの原則があると思う。彼の店が成り立ちそうかと考えると、無理な気がした。客と話している時間があるようでは、基本的に経営は苦しいはず。

仕事上のパートナーのもう一人、ドナルド・サザーランドのほうは、大きな資金を持ってそうには思えない。主人公から得られる分け前だけが収入かも知れない。売れない画家は裕福ではないはず。彼が何か大きな計画を練ることができるだろうか?他に意外な黒幕がいたほうが自然な流れだったと思うが・・・

空き家に家具を持ち込んで古い屋敷に見せるとすると、埃や蜘蛛の巣など、様々なものをそれらしく仕上げないといけない。でも、それは現実的に難しいと思う。そもそも、そんな設定は必要ない。どこかの屋敷をそのまま使えば良い。

また、数年暮らした部屋には、それなりの臭いや汚れが生じるはず。自分で全て管理することは、どんな潔癖症の人でも難しい。家具の縁などは壊れるだろうし、天井なども汚れてくる。どれくらい暮らしているか、おおよその推測はできると思う。だから、その点に関しても設定に無理があったと思う。

古いロボットが大事な要素だったが、あれは元々は誰が持っていたものだろうか?考えてみると、これも少々不自然な気がする。希少価値のある物を元々持っていたなら、それを売ったほうが利益は確実で、しかも大きいのでは?もし最初から作ったなら、その色合いや肌触りは、プロの目をごまかすレベルで作らないといけないが、それは主人公の特殊能力から考えて難しいのでは?

主人公のキャラクターにも少し違和感を覚えた。欧米の場合は特異な能力があれば50代でも会社組織を持つ鑑定業者が誕生しうるのだろうか?日本では60代くらいにならないと、その道の大家としては評価されない気がする。美術品の場合は、おそらく長い伝統があることだろうし、相当な高齢者にならないと主人公のような立場にはならないのでは?

だから、そんな人物が若い娘と恋におちることは少し無理な設定。もう少し設定が違って、例えば新進気鋭の鑑定人で、大御所達から能力を認められているが、いっぽうで敵も多いような、もっと自信過剰でギラギラした人物のほうが自然だと感じた。

そんな男の失敗のほうが、ドラマとしても盛り上がるはず。生意気、強気の人間が失敗するパターンは、よくトム・クルーズの映画にあった。転落の大きさが際立つという意味では、主人公はもっと若い方が良い。

 

2014年5月13日

狩人と犬、最後の旅(2004)

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- なぜ出演? -

実在の狩人ノーマン・ウインター氏の、伝記または記録のような作品。BSEテレで鑑賞。開発によって狩場を失いつつある狩人は、今年を最後に引退を考えている。最後のはずの旅で、彼は氷の湖に転落してしまう・・・

・・・カナダかアラスカだろうと思うが、ロッキー山脈のどこか、湖や高い山々が点在する地域で生きる狩人の物語。美しい自然や、ドラマ展開に感動した。途中の流れも美しい話だった。監督とノーマンは知り合いらしく、エピソードも実体験かもしれない。

とにかく、山々や湖の光景が非常に美しい。指輪物語の映画で見るニュージーランドの山の光景も美しいが、さらに広範囲に山が広がった感じで、その壮大さに驚く。景色をみるだけでも意味がありそうな作品。

この作品は、ドキュメンタリーの要素が強いので、子供達の理解を得られるかは解らない。おそらく小学校高学年にでもなれば、感動するかもしれない。生き方の提示をされているかのような、そんな路線。恋人といっしょに観るのには向いている。だからヒットしたんだろう。

奥さん~同居人役はインディアン系の女性だったが、本物か役者なのかは不明。日本人みたいな顔だった。昔の青春映画の女優のように飾り気がない。彼女が実際のパートナーだとすると、主人公のパートナーとしては最高だろう。白人女性だったら、おそらく喧嘩別れになるはず。

わざわざ山の中で、ほとんどの時間は一人で過ごす生活になると思うが、インディアン女性もよく意義を見出しているなと感じざるをえない。せめて子供でもいれば違うだろうが、子供の教育問題や資産問題が出てくると、実際のところ、別れ話が発生するだろう・・・

途中のBGMで何度かカントリー調の曲が流れたが、この作品には似つかわしくない印象。自然に対する敬意を表す場合、効果音や管弦楽のような音楽のほうが良かったはずだ。何人かで旅をする物語だったら人間が中心になるのでカントリーでも良い。所詮、欧米人達には、そのセンスがないのか?

この作品にはいろんな制作会社が関わっていたようだ。日本の会社らしいロゴも出ていた。面白い企画と考えたのだろうし、監督が有名な冒険家らしいので、協力者も多かったのだろう。

買い物をするドーソンという町は、たぶんカナダ北西部の町だろう。近くにはインディアンの居留区があるようだ。同居人もそこいらの御出身かも。

主人公のノーマン氏が、この作品を作ることに同意した理由が気になる。普通なら、こんな生活をしたい人は、そのまま放っておいて欲しいだろう。自分の生き方を公表されて、もしかすると誰かが邪魔をしに来るかもしれないとは考えなかったのだろうか?殺しに来る変態だっているかも。

カヌーや犬ぞりで移動する姿には魅力を感じた。普通、北米の住人はエネルギー問題には興味なく、ガソリンを大量に消費する車やスノーバイクを乗り回すだろう。バイクなら移動できる距離が違うはず。よほどの変人でないかぎり、犬ぞりにはこだわらない。こだわりは魅力であるとともに、何かの偏狭さもあるのかも。

ただし、悪く言ってはならない。その生き方を実践しきれているなら、それは立派なこと。もし妻を残して死んでしまったら、残された者が可哀相・・・といった考え方をせず、死んだらその時さ、と割り切れるなら、何の問題もない。やはり、子供がいるかどうか、奥さんが元気で自活できるかどうか、そのへんの事情が大事なのだろうか?

もし奥さんも高齢で、一人になったら行くところもなく生活が成り立たないなら、そんな状況で危険な旅を繰り返す夫は、偏屈者の役立たず、考えの足りない人物と言われても仕方ない。そこを覚悟しないと、あんな生活はできないし、伴侶を得る資格もないことになる。

もし本当に一人で暮らしていたら、どうだろうか?途中で登場した老狩人はそうだった。彼の場合、犬も手放しているから、本当に孤独で、映画にしても絵が成立しない、味気ないという面はある。孤高だから良いとは言えないようだ。

アラスカを旅して亡くなった若者を描いた映画「イントゥ・ザ・ワイルド」の時も思ったが、荒野で暮らすのは魅力を感じる生き方であっても、彼らが何を求めていたのかの理解は難しい。そこで成長する、学ぶ、何かが完結する、そんなものが期待できないと、価値を見出しにくい。私の感覚が凝り固まりすぎているからだろうか。

社会の掟に縛られた感覚。放浪の自然児の場合は、責任まみれの縛られた生き方で考える必要はない。こんな生き方もありうるということ。

犬とのかかわりを大きく描いた点は非常に効果的だった。仮にエスキモーが犬を大事にすることを描いても、それは当然なんで興味を惹かない。エスキモーでない人間の場合は、その意外性もあって、孤高の存在のような、気高いものを感じる。

犬の一頭一頭に、よく頑張ってくれたなどと声をかけるのは良いシーンだった。実際にも命がかかっているから、ただの飼い主とペットとは関わり方が違う。

日本の山の場合、山が険しすぎることもあって、犬ぞりでの移動は難しい。北海道なら可能かも知れないが、それでも既に開発が進みすぎて、スノーモービルのほうが現実的。動物を採取すると、鹿以外の場合は法律に触れそうだ。マタギたちが活躍した時代の復活は無理。

明治時代までは成立していたと思うのだが、人口密度や土地の広さから考えて、狩を中心とした生活は無理だろう。おそらく農業がメインで、農閑期の冬場だけ狩をする程度だったのでは?

主人公の理屈、「自分が余分な動物を処理するから、生態系が成り立つ。」は、本当に正しいかどうか確かめようがないと思う。学者達と連携して、「今年は熊何党、鹿何頭、シャケ何匹捕獲。」といった計画性がないと、正しいバランス作りに役立つかどうか解りようがない。

実際に役立っているかもしれないが、日本の捕鯨と同じく、ご都合主義の理屈ではないかと思えた。少なくとも人間の狩人がいない時代も、なんらかのバランスは成立していたはず。

 

 

 

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