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カテゴリー「か」の62件の記事

2019年4月21日

佳子さまの御発言(2019)

報道によれば、秋篠宮家の佳子様の発言が問題になっているという。姉上の真子様の結婚のめどが立っていないことに心を痛め、姉君の味方をされる内容だったらしい。劇場主は実際の文章は読んでいない。

文章の内容はともかく気になったのは、複数の人物が内容を批判し、皇室の一員としての自覚が足りないのではないかという批判をしていたことである。どのような人物が批評していたのだろうか? 

劇場主の感覚では、皇族を批評できる人間は限られている。皇族の一員である三笠宮家などの宮家と、宮内庁職員のうち、直接宮家の世話をする人々、特に教育担当者なら、責務上、ものを申し上げる必要がある。苦言を進言して職を辞することも、必要があればやらなければならない。

それ以外の人物が、表立って皇室を批判して良いとは思えない。皇室は、そこらの著名人家族とは性格が異なる存在である。伝統ある日本の象徴的存在であり、誰かが高い位置から批評できる相手ではない。 批判記事を書いたのは、どのような人物だろうか? 皇室の歴史の専門家か? 有名な憲法学者か? 劇場主が知らない方達だったようだが、皇室をネタに商売するような人物ではないと願いたい。たとえノーベル賞を何度もとるような大学者であっても、皇室を論じうると劇場主は思わない。学識による権威と、ものを申してよい権威は別物だと思う。

もし佳子様の意見の内容がとんでもないものなら、批判も仕方ない。憲法や法規定に反した内容なら、それは法律違反ですと進言しないといけない。皇室と言えども自由勝手にものを言ってよいわけではない。でも、自分の姉の幸福を祈ることを批判されるというのは、通常の感覚では理解しがたい。家族の幸せを祈る権利はある。どのような表現をされるかが問題だ。

宮内庁などに対して、姉の結婚を認めよという直接的な言い方をされたなら、さすがに問題発言だろう。でも報道機関に対して、自制を求めていけないかどうかは、その文言による。「家族の気持ちとして、過剰なバッシングは止めて欲しい。」と願うのは、劇場主の感覚ではもっともな内容である。「いっさい報道するな。」といった内容ではないはずだから、表立って批判すべきではない。佳子様と親しい間柄の人間を通じて、アドバイスする程度が望ましい。 

皇室は特殊である。自由は制限される運命にある。国民からの目は厳しい。だから人間的な権利を侵害されるのも当然?死ぬまで働き続ける必要がある?・・・そんなはずはない。

皇室には国家予算から大きな金が入るという。結婚の時の祝い金も1億くらいだそうだ。国費を使うのだから皇室の人間は勝手にふるまうなという論調の文章があったが、人を金でしばる前時代的考え方ではないか? 皇室から出ようという意志を持っておられるはずの宮様に対して、劇場主は行動を縛りたいとは思わない。どうか御意志のままに事が進み、できれば幸福であって欲しいと願う。そのために報道を自制する必要があるなら、もし劇場主が報道関係者ならばだが、自粛する。  

政治的な問題と結婚の問題を、同じ理屈で考えてはいけない。 結婚に際しては、基本としては御両人の気持ちを重視し、幸せを願いたいと考える。

 

2019年3月 5日

輝ける人生(2017)

Finding_your_feet


Fending Your feet -    


夫の浮気を知って家を飛び出したヒロインは、疎遠になっていた姉の家に転がり込む。姉や周囲の人々に影響され、輝きを取り戻しそうになる主人公だったが・・・DVDで鑑賞。  


ハリー・ポッター・シリーズで意地悪な先生役をしていたイメルダ・スタウントン女史が主演。彼女は独特な風貌をしており、あまり良い性格ではなさそうなところが役柄に合致していた。ダンスが得意という点では、少し無理があったかも知れない。ダンスの本当の上手さは必要だったと思う。大事なシーンで、年齢を感じさせない鮮やかな踊りを披露できるかどうかで、観客たちの印象は全然変わって来る。他にもっと上手い女優がいたはずだ。顔や体形から想像もできないような優雅な踊りができたら、観客に訴えかけるものがあったに違いない。  


ヒーローに相当するのはティモシー・スポールで、ハリー・ポッターシリーズではネズミのような風貌の小太りな男にしか見えなかったのだが、今作ではそこそこの風貌の、美男ではないが味のある顔つきの人物になっており、その演技力やメーキャップの力に驚いた。   


ヒロインの姉役は知らない女優だった。役柄が良すぎた印象もあり、もっと人間的な部分、たとえば妹を毛嫌いしていた理由を明かし、互いに罵り合いになるとか、暗い部分もあったほうが良かったのではないかと思う。この作品は喜劇なので、リアルな兄弟喧嘩は作風に合わなくなる可能性もあるにはあるが、悲しいシーンを手短かに済ませれば、後で喧嘩の際の言葉を後悔するシーンが生きて来るだろう。悲しいエピソードは、最後に心にしみる物語を作る効果があると考える。それで喜劇のシーンも、より印象が強く残るというものだ。   


そういった抑揚の面で、この作品は一段階超えていない印象を受けた。また、演出も少しわざとらしい。お約束の笑いに持ち込むための、段取りのようなものを勘付かれてしまいそうだ。テンポに問題があったのかも知れない。 でも総じて良い話だった。悲喜劇を、ジョーク豊かな会話でつないでおり、雰囲気が良い作品だと思う。ジョークのセンスを感じる。ドタバタ劇にない味わいを感じる。 

2019年2月 9日

カメラを止めるな!(2017)

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-EMBUゼミナール-          

 

新進監督の上田慎一郎氏が、舞台劇から着想を得て作ったゾンビ映画だそうだ。DVDで鑑賞。


30分程度のゾンビ劇と、そのメイキング編の二部構成になっている。第一部はアングラ映画のような感覚の少々間の抜けた劇だったが、第二部は通常のドラマになっており、画質も違う。ラストでは確かな達成感を感じる盛り上がりがあり、たいていの人がそれなりに満足できると思う。  


着想が全てだったかも知れない。よく出来ていた。主演は元コメディアンらしい。登場した場面では演技が激しすぎて、シーンにそぐわない印象を受ける。いかにも素人映画の出演者という感じがした。後半部では、善き父親、映像の世界の片隅で懸命に生きている業界人の雰囲気がよく演じられており、その演じ分けが素晴らしかった。 


この演じ分けについては他の俳優もそうで、いかにも下手くそな若手の主演女優、恋人役の若者が、後半部分ではクセのあるアイドルや、妙に理屈をこねる人気俳優と、まったく違う個性で演じられていて、それぞれが実在感のある演技だった。  


ただし、この作品に出て来た俳優たちは全く知らない人ばかりだった。この作品の企画自体が、低予算で舞台俳優たちを集めて実験的な作品を作ろうという、なかばNPOのような制作スタイルだったそうなので、有名俳優を連れて来ることはできなかったのだろう。  


その点が難点だと思う。本物の演技力を持つ俳優を集めたら、もっと凄いドラマになったのではないだろうか? もちろん、そうすると作品が最初から有名になって、興味を持つ観客が逆に減ったかも知れないし、素人くさい味わいも失われてしまったかも知れないので、どちらが良かったかは分からない。 この作品の成功は、かなり微妙な偶然の部分もあったかもしれない。 


少し思ったのだが、第二部を先に回し、本当の時間系列で進めたらどうなったのだろうか? テーマは少し変わってしまうかも知れない。「ラヂオの時間」のように、メイキングのドタバタを描く作品になっただろう。それではオリジナリティの面で、特色が何もないということになるかもしれない。あるいは、メイキングと映像作品を交互に織り交ぜる手もある。分かりやすく解説できる利点はあるかも知れない。さらに、本物のゾンビが混じって出演して来るというブラックコメディの路線もありうる。   


でも、そんなアイディアを使っても、普通に考えて、300万円の低予算映画で30億円以上の興行収入を得られるとは思えない。奇跡に近い成功だろう。   

 

 

 


2019年1月18日

韓国軍艦艇のレーダー照射問題(2018)

Photo

- 韓日劇場? -        

 

連日のように、この問題が報道されている。ドラマじゃないので、穏便に解決して欲しい。2018年の12月20日に、事件は起こったそうだ。事実関係がよく分からない。韓国軍艦艇が北朝鮮の漁船乗組員の救助をしていたらしく、その点は自衛隊が撮影したビデオでもそう見える。ところが、そこに自衛隊の偵察機(哨戒機)が近づいて、どの程度の距離だったかは不明だが、周辺を旋回したらしい。      

 

その際、日本側によれば実弾発射の誘導の際にしか使わないレーダーが照射されたというが、韓国側は普通の探索用レーダーしか使っていないと主張しているようだ。また自衛隊機が不当に近づいたと韓国側は主張し、自衛隊側は通常の高度と距離を保ったと言うなど、食い違いが様々ある。    

 

救助に軍の船で行くというのは不自然な気もする。普通は海上保安部隊が行かないと、周辺の軍事行動を誘発する危険がある。この点は、問題ないのだろうか? 何か秘密作戦をやっていた可能性もある。普通の救助活動なら、何でも公表できるだろう。強硬に否定するのはおかしい。スパイの収容などは考えられないだろうか?   

 

また韓国側に自衛隊機が無線で尋ねても、返答がなかったらしい。この点は事実のようだが、無線が聞き取りにくかったか、日本側の発音が悪かったかなどの点でも食い違いがあるようだ。日本側がスイッチを入れずに叫んでいただけという可能性も残る。劇場主は、よくそんなミスを犯す。もしかして作戦中は、返事しないのがルールなのだろうか? 北朝鮮の航空機が、日本の自衛隊機だと偽る可能性もあるので、安易に返事はできないと考えたのか?    

 

劇場主は海上偵察の現場に行ったことがないので、通常の行動がどのようにされるのか知らない。素人考えでは、近づいた時点で無線によって「自分は自衛隊機だ。そちらは何しているの?」など、聞いてもよさそうな気がするが、無駄な会話をしないのがルールなのかも知れない。しかし、そうだとすると目視できる距離まで行かないと、ひょっとして北朝鮮の艦艇が漁民を襲っていることも考えられるので、かなり近づく必要はある。それがルールになっているのなら、近づいたことに問題はないはずだが、どんな対応がルールなのか?あるいはルールが明確でないのか?そこらが分からない。     

 

韓国軍としては、付きまとう自衛隊機が邪魔で、脅して追っ払う意図で攻撃用レーダーを当てたい気になったのかもしれない。たとえば北朝鮮の船に対しては常にそう行動してきたとしたら、日本相手では危険だということを認識していなかった可能性もある、でも、あくまで可能性の話で、その現場が何を感じてどう判断したのか、今のままでは分からない。    

 

攻撃用のレーダーを使うのは、示威行動として普通にやられることなのだろうか?一般人としては、誘導ミサイル用の照準をされたら、それは敵対行為としか思えない。でも、現場では日常茶飯事なのかもしれない。 明確なルールがあるなら、韓国軍がルール違反をしたことになるが、ルールすらない場合、韓国側が違法とは言えない。もしかして、明確な取り決めがないのではないか?   

 

そして日本の官邸は、韓国側の譲歩を引き出す狙いで、この問題を考えているのかも知れない。先日、韓国の法廷で終戦前の徴用工問題で判決が下り、個人への賠償をどうするかが問題になっているので、官邸は機嫌を損ねている。何か譲歩を引き出せる問題があれば、それを利用したいだろう。韓国側も、そのへんの意図を認識しているから安易に謝罪できない、そんな状況かも知れない。   

 

レーダーの記録を発表するかどうか、そこは取引の材料になるだろう。おそらく発表はできると思う。発表されても、「このデータは合成だ!」と言い張って、解決に向かわないかも知れないが・・・     

 

軍関係者だけの話し合いで解決するのは難しくなったようだ。もし韓国側の虚偽報告と分かれば、現場の船長は処罰されるだろうし、韓国政府も軽く謝罪はするだろう。でも、結局は違法行為だったとまでは言えないかも知れない。そして、双方の怒りや不信感は残るだろう。漁民を装った韓国軍スパイの活動だったなどと判明したら、沈静化するかも知れないが、そう認めることは考えにくい。韓国軍としては、今回の件を認められない事情があると思える。 

 

 

 

 

2018年7月26日

株価暴落(2004)

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- 池井戸潤・文春文庫 -               

 

銀行員の坂東は、スーパー一風堂への融資に危機感を感じていた。そして一風堂を脅迫する文書が届き、爆破事件が起こる・・・文春文庫を購読。   


この作品はドラマ化されているそうだが、観たことはない。池井戸氏の本にはドラマ化されたものが多いが、映画化はまだ少なめで、「空飛ぶタイヤ」が最初らしい。あの人気だった半沢直樹シリーズも、TVドラマだけで今のところは映画化に至っていないようだ。この作品も映画化されてよさそうな気はするものの、銀行を舞台にした作品はアクションに限度があるし、この作品が過去の企業ものの作品と比べて著しい特徴があるとは言えないので、企画が通りにくいのかも知れない。日本を舞台とせず、中国や米国を舞台としたら、かなり受ける要素もあると思う。でも、とりあえずは文庫本での鑑賞だ。   


この作品では銀行員の仕事内容が、銀行員だった作者によって詳しく書かれているようだ。銀行員というと、あまり派手なことはせずに、一日中パソコンや書類をチェックし、見落としがないか確認するだけの疲れる仕事ではないかと思っていたが、外商のような活動もやっているように書かれている。銀行員が自分から企業を訪問し、融資の際の判断材料にすることもあるだろうとは思うが、大きな企業の場合は査定は相当複雑で、行って見たから分かる事は、そんなにはないかも知れない。でも見てみること、経営者に会ってみることも重要だと思う。見落としは避けたいものだから。  


スーパーなどに脅迫が来ることは珍しくないだろう。お惣菜が腐っていたといったことなら、毎日あったっておかしくない。事件として報じられるもの以外に、闇に埋もれている事例も多いと思う。  異物を混入したといった話は、しばらく毎年のようにあった。   


この作品で使われていた空売りを組み合わせるアイディアは、おそらく米国などでは昔からあったと思う。この作品ではやや単純すぎる上に、キャラクター的に無理を感じる設定がなされており、奥の深さ、情念の怖さを感じるような壮大さはなかったが、少し工夫して本格的な陰謀を考えれば、もっと凄い作品になっていたかもしれない。犯罪者を主役にしても良かったのでは?と、少し考えた。 恨みを持つ人間を利用することさえできれば、自分が逮捕されることなく、たまたま儲けたと言い張ることもできる。その利用の仕方に工夫が欲しかった。自分がそそのかした、あるいは計画したりしたという証拠を残さないなら、すり抜けることができるかも知れない。犯罪者の立場になって、そこに重点を置いてほしかった。 


「マネー・ショート(2015)」は、リーマンショックの際の空売りで儲けた人物たちを描いていたが、彼らが倫理的に問題なかったのか、どうも釈然としない部分は感じた。犯罪者とは言えないだろうが、何も生みだしてはおらず、ただ情報を得て賭けに乗って勝っただけではないか? 賭けたリスクに相当する利益を得ても悪くはない、しかし尊敬に値するとは、どうしても思えない。  


 



2018年1月 3日

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー: リミックス(2017)

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- Marel  -

個性派ぞろいの仲間が、異星人たちからの襲撃を乗り越え、宇宙の平和を守り抜く物語の第二弾。今回は主人公の父親が登場し、主人公の誕生の経緯が明らかとなるストーリー。DVDで鑑賞。

 

このシリーズはギャグ満載、極めて個性豊かなキャラクターが喧々諤々、仲たがいしながら暴れまくるのがウリの、まあ品は良くない作品。同世代の友人たちと観るのに最適な作品。ギャグの感覚が日本人のそれに近く、その関係で分かり易いと思うが、米国の観客にはどう写るのだろうか?笑いは共通化しつつあるとは思うが、少しシュールすぎるシーンも多かったのでは? 

 

80~90年代の音楽満載、テープレコーダーを大事に扱っている点も前作と同様、笑いを呼ぶ仕掛けのようだ。 わずかな間にテープのない記録媒体が主流になり、 素晴らしいアイディアと思っていたウォークマンですら時代遅れの象徴としてギャグに使われる時代が来るなんて、この分野の進歩には驚かされる。 

今のウォークマンはMP4方式になっているのだろうか?古いタイプの機種が使えなくなっている。MP3~MP4間での変換がパソコンを介さずにできると良いのだが、厄介な手作業を要する。わずか5年くらいで専用のスピーカーが使えなくなるとは思わなかった。SONYも生き残るために色々やっているようだ。泣いて馬謖を切るがごとく、劇場主のようなヘビーユーザーを切り捨てているのか? 

 

スタローンが出演していて驚いた。でも、完全な老人になっているし、この種の映画では迫力負けしてしまうように感じる。もはや、SFでは完全に価値が失われたようだ。 体格や、セリフの言い方、年齢、それらの総合力で無理がある。全盛期の「ジャッジ・ドレッド」の時でさえも違和感があった。実社会を舞台にすればサマになっても、SFでは個性が生きてこないタイプの俳優なんだろうか?  

 

今作では敵役のひとり、ヨンドゥのキャラクターが目立っていた。権威が失墜して裏切りに遭うことや、自分の過去を語ること、そして主人公らとの共闘など、彼のための映画だったようだ。もともと、ヨンドゥというキャラクターの個性は光っていた。善き悪役がいると、作品の魅力が増す。本当に良い働きをしていた。 妙な矢の武器の使い方も面白かった。 マカロニウエスタン映画の悪役と同じようなキャラクターだと思う。 

 

この調子だと、きっとシリーズ第三作が作られるだろう。まだまだ素晴らしいアイディアが生まれ、新しいキャラクターが魅力的な敵を演じてくれそうな予感がする。    

 

 

2017年12月 4日

家族の肖像(1974)

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- CIC Gaumont -  

高齢の教授の住まいに、価値観の違う若者達が暮らすようになり、老教授が体験する混乱、心の交流、そして別れを描いた作品。 

公開当時、劇場で鑑賞した。かなり大がかりに宣伝され、いろんな雑誌で紹介されていたと思う。印象に残ったのは調度品や絵画、住居の豪華さ。ストーリー自体は、それほど感動するようなものではなかったと記憶する。

劇場主も還暦が近くなり、感じ方が違う今回の鑑賞では、少し理解が深まるかも知れない。そう期待して鑑賞したが、やはり話の内容について感動するには至らなかった。DVDで鑑賞。

部屋の見事さには、再度感動した。天井がとんでもなく高い上に、部屋のひとつひとつが広大で、おそらく一部屋に我が家族全員が寝泊まりすることも可能であろう。いかに温暖なローマと言えど、冬は暖房が効かず、寒すぎるだろうと想像した。

時代設定はいつ頃だろうか?母親が戦時中に亡くなった、自分は兵隊から帰ってきたと言っていたから、終戦時に20~25才として劇中で65~75才としたら、ほぼ同時代を描いていたことにならないだろうか?この作品の公開当時、ファシストの生き残りがいたのか?イタリアの事情はよく知らない。

テーマが切実なものに思えなかった。高齢の人間の、若い人間に対する感覚、自分の生い立ちや結婚生活に関する後悔の念や思い出など、おそらく監督自身が感じる感覚を、そのまま映像化したに過ぎず、私小説のような作品ではないかと思えた。

描き方についても、どこまで計算したのか理解できない部分が大きかった。「ああ、このカメラの位置は考えたなあ」と、感心してしまうシーンは少ない。この作品の当時、監督のビスコンティは脳卒中で動きが制限されていたらしいので、あたかもそんな人物の視点を再現したような、固定的で斬新さに欠ける構図のように思えた。

調度品や部屋の広さだけでは話が持たない。若者役のヘルムート・バーガーは確かに美男子だとは思うが、色気が漂うほどのイケメンとは感じないので、俳優の魅力で引っ張られる作品にもなれていないように思う。これはホモセクシャルな感覚がない劇場主だから、鈍いだけかも知れないけど。

若い娘役が絶世の美女だったら、作品の魅力が大きく変わったかも知れない。可憐な美少女が幸せになって欲しいといった老人の感情が浮き出ると、多くの人が感情移入できるはず。美男子への愛情だと、そのへんでついて行けない人も多い。監督のセンスに限界があったのかも知れない。本物の貴族だった監督のセンスは装飾品に魅力を持たせる力があったが、もっとダイナミックなストーリーがないと、万人には伝わらないだろう。

 

 

 

2017年3月 6日

神様メール(2015)

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- 恨み -

ブリュッセルにお住まいの神様は、パソコンを使って人類をもて遊んで楽しんでいた。しかし、神の娘は反抗し、人類に自分達の寿命を教えてしまう・・・

・・・・秀逸なアイディアの作品だった。似たような神様の話は過去にも漫画などで見た記憶があるが、メールやパソコンが上手く使われたのは今回が初めてかも知れない。アイディアが作品の出来映えを決していた。

新しい聖書が出来るという展開も素晴らしい。ただ神様が酷い目にあうだけじゃなく、話に皮肉をこめたユーモアが生まれる効果があった。教会関係者が怒らないなら良い展開という条件がつくだろうが、作品が公開されたということは、たぶん許可されたんだろう。

ヒロインの女の子は、際だって可愛らしい気はしなかったが、意志の強そうな印象が、この役によく合致していた。

カトリーヌ・ドヌープも登場していたが、完全にコメディエンヌとしての役割で、もともと凄い美人女優だった彼女が演じると笑える。分かりやすいキャスティングだった。

神様のキャラクターが問題になる。あまりに情けない人物にすると、カトリック勢力からリアルな攻撃を受けてしまうだろう。この作品も、かなりマズイ表現は多かったように思う。よく許されたものだと感じた。神様はさておき、イエスを立派な存在として描いていたからだろうか?神はユダヤ教の中心で、キリスト教はあくまでイエス中心?そんなに簡単には分けられないだろうけど・・・・

確かに神は人類に対して、無慈悲な運命をもたらすことが少なくない。去年の熊本地震で揺れている時も、ここまで揺れないといけないのかな?といった、もて遊ばれた側の感覚を覚えた。揺れが終わるのを待つしかない立場は弱い。倒壊した家屋の下敷きになった方達が、特に罪人だったはずはない。ただ無慈悲に被災しただけだ。

神に慈悲を請いたい感情はある。そこは万人に共通するものだろう。この作品で神様が酷い目にあう姿で笑いを得ていたのは、その裏返しかも知れない。どうやら神は、洋の東西を問わず、実は相当恨まれているようだ。

 

 

 

2017年2月11日

帰って来たヒトラー(2015)

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- 笑えない -

タイムスリップして生き返ったヒトラーが、現代のドイツに現れる。彼はコメディアンと勘違いされ、人気者になる・・・・

・・・・DVDで鑑賞。ドイツで制作された作品というから驚いた。ユーモアで済まされるとは到底思えない内容も多く、作り手に抗議や脅迫が来なかったはずがない。その蛮勇に感心した。日本や米国でなら笑えても、現地のドイツではどうか?

この作品は、いちおう子供でも鑑賞できそうな内容と思ったが、妙な勘違いを起こす子がいないとも限らない、そんな演出である。家族で楽しむために、あえて選択すべき作品とも思えない。恋人といっしょに鑑賞して、はたして相手が喜んでくれるのか?そこも疑問に思う。基本は独りで、皮肉な笑いをイヒイヒと浮かべながら、静かに鑑賞すべき作品ではないか?

主人公を演じたのはコメディアンらしいが、かなり実際のヒトラーに似ていた。皮肉るために演じているのだろうとは感じはしたが、そのためにかなり本格的に所作を真似ていたようで、彼を賛美する目的の映画と誤解され、本気で不快に感じる人も多そうだった。普通なら、もうちょっと揶揄したメイクにするのではないか?

途中ではインタビュー形式で、町の人達や実際の政治関係者と思しき人達と話をさせていた。笑いで済まされないような深刻な場面もあり、部外者の私達から見れば面白かったが、画面に出て来た人達は後で激しく怒ったのではないかと思った。

あらためて驚いたことに、ヒトラーの理屈は今日でもかなり通用し、説得力がある。似たようなことを言っている政治家も多い。戦前の時代に支持が集まったのは当然。今日だと東欧や中東からの移民の増加が大きな問題で、もっと制限をかけないとトラブルが増えると、国民の多くが怒っている。ヒトラー的に、自国の利益優先だと訴えれば、簡単に支持を集められる時代である。

欧州では、ヒトラー的な戦略が必ず有効だと思う。今度はユダヤ人を敵視する必要がないので、米国からの反発は少ない。課題はイスラム問題だから、本当にイスラム圏の人を排除する方向になるかも知れない。イスラム圏に同情してくれる国は、おそらくイスラム諸国だけだ。イスラム側の対抗策はテロしかないので、テロを起こせば、また政権が支持される。

経済的にもそうだ。EUに管理されるのではなく、各国が自国で有利な条件を作らないと、一方的に強大な勢力から利権を奪われ、民衆は底辺でうごめくのみといった事態に陥る。反グローバリズムには根拠がある。人道や美しい理念など、クソッくらえだあ!と、怒るのも無理はない。保護主義の衝動は、当然のものだろう。論客が名演説でもやったら、直ぐに支持が集まり、大きな政治力が生まれる。

欧州と中東の関係が変化しそうな要因が考えにくい。SNSで革命が起こり、政権が変わった国々も、経済が一気に変わったりはしない。経済面は欧州が支配し、中東は苦々しく思う状態が続く。イスラム圏では原理主義が常に優勢になりやすい。したがって、今後は極右政権が長い間、維持されるかも知れない。日本も似たようなものだろう。

日本の場合は反日勢力に、国内の右翼が力づけられる悪循環に陥っている。そして日本の右翼が反日勢力を勢いづかせる傾向もありそうだ。双方がエスカレートして、無駄な論争を起こしている気がしてならない。

トランプ大統領の解説本を読んで思ったが、彼の選挙対策チームは、過去の大統領の選挙対策を入念に学習し、真似るべき点をちゃんと真似て成功している。放言、暴言もちゃんと戦略的にやれば良い効果が得られる。そんな時代になったと彼らは分析しており、そして大成功したと思われる。欧州や日本でも、同様の傾向はあるだろう。中国でこれが現実のものになったら、その悲惨さは想像を絶するものになりそうだ。

 

2015年12月18日

介護ビジネスの罠(2015)

- 長岡美代著 岩波新書 -

介護保険施設に絡んで不正を働き、要介護者を食い物にする仕組みを解説した本。

介護施設は急に増えてきた。かって、老人ホームの入居希望者は非常に多く、数年待ちもザラだったが、昨今では入居者の奪い合いに近いような状況を感じる。おそらく、建設業者などが多数の老人アパートを建てたからだろうか?介護制度が上手く動き出したからとも言えるが、本当に上手くいっている気はしない。

建設業者に限らず、異業種からの参入は多い。多数の施設を作り、県内外から入居者を集め、介護保険や健康保険からの収入と、利用者の負担金の両方を集めれば、凄いビジネスになるからだろう。本業で儲けなくても、建設費用などで金が動けば、節税対策にもありうる。

かっては病院が老健施設を建てる、老人病院を作るといった風に、複合型の施設群を作るのがパターンだった。利益が出るように患者に施設間で移動してもらい、囲い込みをやっていた。あれも酷かったが、今でも似たようなものということになる。

要介護度の高い人には、当然ながら高額の介護費用がかかるので、特別養護老人ホームが適応のはず。現実的な入居費用にするためには、公費の補助も望ましい。ところが、動けるけど認知症がひどい方は、介護度判定で老健への入居が認められないために、質の悪い施設でも我慢せざるをえないのが現実。そういった判定の不備と、入居待ちによる施設需要が、ビジネスにつながる。

介護保険が始まる前、その計画を知るにつれ、憤りを強く感じた。成り立つはずのない制度を、欲にかられて強引に作ろうとする姿勢、隠された意図の存在を感じた。「看護婦が介護要員に替わることで給与水準を下げ、社会保障費が安くなるのでは?」といった安易な意見も多かった。「介護の整備は、待ったなしです!」という論調も多かったが、そう話す人間の能力不足がそうさせると思った。

当時テレビで語られた話は、かなりの部分が卓上の空論に思えた。新しい基準は、新しい施設を要する。新たな建物を建てれば、基本的に金は業者に回り、患者には回らない。異業種は、本来が営利企業であることが多く、不正や人権侵害の発生リスクが高まる。本来が営利目的では困る。それに、そもそも安い人件費の職種を作ることを政府が目指すなんて、国力を考えたら最悪としか思えない。最悪を目指して突っ走るなんて・・・・

もともと医療も介護も、内向きの産業。一般的な意味で、生産的商売ではない。内向き産業に金を回すのは、基本的にはマズイ方向性。才能や労力が医療や介護にばかり集中するのは、産業全体を考えるとジリ貧確実の現象。才能は生産的な産業に向かうべきである。建物も制度も既存のものを有効利用し、無駄を省きつつなんとかしのぐ、それが基本たるべきと劇場主は思った。高成長の時代ではないのだから。

当時、建設業に予算を回せないので、介護業界に人を移そうといった理屈も述べられていた。確かに製造業も海外移転しないと厳しい時代、工場は中国や東南アジアに移し、国内の雇用は介護の世界に回す苦肉の策が必要と考えられなくもなかった。でも、その考えはジリ貧政策の言い訳のように思う。そして建設業が介護業界に進出し、介護の質を上げたとは思えない。

今日の介護保険制度は、とりあえず成立しちゃってるので、劇場主の不安は、ちょっと過剰だった。倫理面にこだわりすぎていたし、貧乏性の考え方だった。でも、大間違いでもなかったようだ。問題が顕在化して、予想の正しさが分かる。若い介護者達には気の毒だが、彼らは頑張って働いているものの、その頑張りは報われていない。営業活動をしている連中のほうが、実際の介護人より羽振りが良いので可哀相に思う。政府が彼らをブラック職場に誘導したのである。

利益をちらつかせる → 営利企業が参入する → 施設が充足する → 業界の規模が大きくなる → 無駄や矛盾、予算不足が明白に → 保険料負担アップと報酬の制限 → 業者の撤退、地域の崩壊・・・・これは業種を問わず、国が何かを進める時に伝統的にやられてきたこと。介護業界も、おそらくそのようだ。この流れは弊害が大きい。営利目的の事業の手法なのである。殖産興業時代の名残だろうか?

いまだに分からないのは、例えばケアマネージャーの在り方。権限が集中するはずだが、公平性はどのように担保するつもりだったのだろうか?業者に雇用されたケアマネージャーなど、理屈から考えておかしい。公平であるはずがない。ケアマネージャー評価機構、処罰規定など聞いたことがないが、有効な管理ができているのか?

権限を持つ人間は、選挙で選ぶか厳しい罰則で縛るしかないと思う。特定の業者との癒着が明らかになれば、全財産を介護保険の基金に納めさせるくらいの規則が必要。政府に何かの失策があれば、政府も責任をとらないといけない。担当する役人の一定数が全財産を納めたって良い。これは彼らにとっては人道に反する意見だが、より多数の人々の人権を考え、財政や各々の責任問題を考えれば、残虐な意見とは言えない。

導入を急いだ関係で、業者に甘い仕組みを作り、参入者が集まるようにしたようだ。日本の政策の伝統的な欠陥。誘導する方面には優しすぎ、肝心の国民には危険を及ぼし、真面目な業者は不利益を被り、役人は天下る、そんな仕組みが基本になっている。

施設を非常に細かく分けた理由も分からない。実態に即していないことは明らかで、計画が最初から破綻している印象だが、何を狙っていたのだろうか?制度を複雑にすることで、患者の囲い込みを許容しようと考えたのか?管理者を増やし、効率を悪くしてでも、役人が関与する部分を確保しようとする意図があったのか?

こうまでなったら、梯子外し的な手法で業界を適正化すべきかも知れない。急に規制を作り、公的監視下に置くわけである。

おそらく破綻する業者が増える。そうしたら無慈悲に強制的ローンを組ませて囚人のごとく、施設は維持させながら飼い殺しする。撤退を法的に許さない。金を貸していた銀行もついでに飼い殺しにする。資産を介護保険基金に移す・・・・鳥肌が立つような怖ろしい仕組み。これだけでも、儲け主義業者の参入は減る。まともに管理を受けて、適正な施設にしたほうが利口と考えるに違いない。

これに近い規定を作らない限り、現行の規制では悪質業者は生き延びてしまうか、安易に撤退する。社会保障にたずさわる者は、一般企業とは違ってしかるべき。行政には、その感覚が欠けている。人口が減りつつある時代の社会保障は、一世代単位で考えられるほど甘くない。成り立たせるためにはウルトラCが必要。金を押さえて、金融面から長期間監視すべき。

 

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