映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主


Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

カテゴリー「か」の65件の記事

2019年8月14日

風の歌を聴け(1979)

Photo_20190724101501

-村上春樹・講談社文庫 -

文庫本で購読。村上春樹、最初の長編小説らしい。ハードボイルド小説の日本版、あるいはハードボイルド映画の文学表現といった趣の描き方。映像が見えるような気がする作品で、観たことはないのだが、実際に映画化されたらしい。なので、この劇場で評価しても良いだろう。

クールな人間たちが、洒落たジョークや皮肉を語り合い、男女が気取った会話を交わす、イカシタ・・・という表現はもう流行らないが、そんな小説だ。でも文学的な価値、意味合いはよく理解できない。何か比喩的な意味があるのかも分からないストーリー。おそらく、いかに洒落た雰囲気を表現するかに重点があって、社会の問題点を突くとか、普遍的な男女の問題を論じるとか、重いテーマは一切ないだろうと思うのだが、よくは分からなかった。若者らしい無鉄砲で不安定な考え方は、うまく表現されていたように思う。 

ハードボイルド小説は、何度か読んだことがある。たいていは映画化された作品の原作だ。夜の都会のバーか探偵事務所に主人公が独りでいると、突然謎めいた美女が何か相談をしてくる・・・そこで主人公はドギマギしたりしない。劇場主なら、おそらく声がハイトーンになって、多少どもりながら、言わないほうが良かったと後で後悔することになるセリフを吐くに違いないのだが、ハードボイルドな男は低い声で短く、クールに返答しないといけないらしいのである。少し仲良くなったら、シビれるような愛の表現も欠かせない。そこいらが、まったく真似できそうにない。  

主人公の友人がイタリア車を飲酒運転で壊してしまうシーンがあった。国産車ではいけないし、ベンツでもダメだ。ベンツで事故ったら、それは成金の失敗に過ぎず、クールじゃない。飲酒運転は無謀で、当時としても確実に違法で、若気の至りでは済まない所業だが、ハードボイルドな人間は、違法かどうかを気にするより、何事にも動じないでいられるかが大事なようだ。

現実にそんな生き方をしたら、重大事故で後遺症に苦しむか、軽率で尊大な人物と思われて社会的制裁を受け、酷い目に遭うかも知れない。たいていの人間は、少なくとも下っ端の間はヘコヘコと、情けない生き方をするものだ(そんな生き方に怒りを覚えつつだが)。できればスリルをクールに処理したい・・・だからだろうか、時々チキンレースで事故ったような痕跡を、峠道などで見かける。阿蘇の外輪山の一部には、まともなガードレールが残っていないところが何か所もあるが、あれは夜中にハードボイルドな運転を試みた連中の仕業だろう。

彼らは単なる暴走趣味で、意味をはき違えただけのように劇場主は思うが、本人たちは自分をクールな冒険家と思っているかもしれない。 そもそも都会のバー以外で、どのような場所にハードボイルドの面々は存在するのか? まさかカラオケで歌ったりはしてないだろう。たぶん峠道でもない。 毎日バーにいたら、肺癌か肝硬変になってしまう。健康に注意するハードボイルドな田舎人は存在しうるのだろうか? なんだか笑いの対象にしかならないような気もする。現代のハードボイルド的あり方が、劇場主には掴めていない。

それに、ハードボイルドな医者をイメージすると、患者が殺されそうな気がするので、そんな方向を目指してはいけないとも思う。生き方が違うのだ。

 

 

2019年7月17日

かがみの孤城(2017)

Photo_20190621133501

-辻村深月著 ポプラ社-

登校拒否の少女が鏡を通して出合った子供たちは、それぞれが問題を抱える学生だった・・・書籍を購読。

これは間違いなく映画化~ドラマ化されるであろう小説。実際にはそんな情報をまだ聞いていないが、おそらく権利関係が調整できたら、きっとそうなる。アニメだろうか? 実写化されたら、ヒロインは、また広瀬すずだろうか? さすがに年齢的に無理もある。たまには他の女優でも良いような気がするが・・・・ 広瀬と勝手に決めつけても仕方ない。ヒロインが誰に決まるにせよ、この劇場でも取り上げてみるべきと考えた。 

本屋大賞を取った作品。非常に面白く、テーマもプロットもよく出来ていた。少女らしい感性、女学生が体験しそうなエピソードなど、実社会を反映した部分が非常にリアルだった。そして少年少女の間で生まれる連帯感、友情の話は非常に美しい物語を生んでいた。そして子供たちの希望につながる物語だった。

友人関係に悩む学生は多いと思う。これは彼らを勇気づける作品だから、もっと多くの人に読んで欲しい。でもパラレルワールドらしき鏡の部屋の設定については、もう少し工夫が必要だったかも知れない。 

たとえば今の時代は流行の変化が早い。少し時代が違っただけでも、日常の会話は随分変わるものだと思う。テレビに影響された流行の言葉使いは、流行りすたりが激しい。「マジ」「メッチャ」といった言い回しは、そんなに昔から使われていたわけではない。流行歌やアイドルの話題になれば、歴然と年代の違いが出る。言い回しが違う人との会話は、調子が狂ってしまうものだ。普通の会話だけでも、「お前はいつの時代の人なんだ?」と、ギャップに気がつくのが自然だ。 

店の流行りすたりも激しい。人気があって、よく利用していたミスター・ドーナッツなどの店舗も、不採算や経営形態の変化などで、すぐに閉店、別な店に変わったりする。どこに何の店があるかどうかは、時の違いをすぐ連想させる。その点に気づかないのは、よほど変わった感性を持つ人間だけだ。だから無理に時間の要素を織り込む必要はなかったと思う。

そもそも人間の顔形、声の質などは、中学生の頃と大人になってからとでまったく変わるものではない。小学校時代から会ってなかった人に偶然遭遇した時、見たことある人のような気がするのが普通だ。整形でもしない限り、何か気づくものはあるだろう。そこも考えるなら、違うストーリーがあっても良かったのではないか? 細かい点だが、その点の調整で完成度が上がると思う。 

 

2019年6月 3日

華氏119(2018)

Agc-internationaletc

- Michael Moore -

マイケル・ムーア監督がアメリカの政治制度を論じたドキュメンタリー映画。DVDで鑑賞。説得力があった。過去の作品よりユーモアは減り、迫力は増していた。迫力の理由は、銃規制を訴えた高校生たちの活動や、ミシガンの町フリントで起こった水道の水質問題が詳細に描かれていたためだろう。描き方が良かった。編集、構成が素晴らしい。

銃業界から金をもらわないと誓うように迫る高校生に対し、有力政治家がまともに答えられないシーンは、現状を鮮やかに写している。政治家に幻滅せざるを得ない、その現実がよく理解できた。水道水をめぐる問題も強烈に描かれている。ひどい話だ。鉛の血中濃度のデータをいじって虚偽の報告をさせたという証言があったが、本当なら完全に犯罪だ。

どうしてそんな行為をとったかは不明だが、おそらく正確な報告をすると予算の関係で水道事業自体が成り立たないという危惧からではないか? 担当者たちは、進行中の計画を続けることを優先したに違いない。だが不思議な点がいくつもある。州知事は、水道の水質問題をどの時点で知ったのだろうか? 民間活力の導入で市の経営を再生することを狙い、結果として汚染を引き起こしたのが真相と思えるが、衛生問題が疑われたら、普通なら対処は保健所や水道局が自動的にするのでは? いちいち知事の判断を仰ぐ時間的余裕はない。そうでないとしたら、その仕組みに問題があり、知事は諸悪の根源と言い切れないのかも知れない。  

財政が厳しい市が、なぜ新たな水路を建設しようとしたのか? そこも不思議だ。湖の水の権利より建設費のほうが安いとは考えにくいので、公共事業によって地元の仕事を増やすケインズ経済学的意図が働いたのかもしれない。それにともなって、業者と何か取引があったのかもしれないし、そこは確認しづらい。 

市の担当者は、なぜ偽装という危険を冒したのだろうか? 普通に考えれば、ことが露見しないはずはない。その時に、自分の刑務所行きは確実と分からなかったのだろうか? 明らかに損する仕事であり、不可解だ。日本の役所ならともかく、米国で隠ぺいはありえないと思っていた。勘違いだったようだ。恐ろしい力が働き、真相が隠される仕組みが浸透しているようだ。 

また、オバマ政権が問題の解決を図ったらしいのだが、水道水を飲むパフォーマンスをしようと誰が考えたのか? 問題が解決した後なら効果的だと思う。しかし、害は未解決のはずだ。救うためには、犯罪者達に裁きを下し、補償の目途を立てる必要がある。解決した後なら、パフォーマンスもできる。そうでない時には、別な表現をすべきだ。明らかに間違った対応をとった。
フリント市の市街地で軍事演習をしたというのも分からない。他の町で例があるのだろうか? もし、その演習の許可と引き換えに、水道問題に国の介入を認めたりしたなら、話のつじつまは合うかも知れない。末期的なほど酷い取引だが。 

トランプ政権も酷いようだが、民主党の運営も非民主的というムーア監督の訴えは、非常に説得力があった。構造的な問題があるのだろう。すさまじい力を持つ勢力が互いに争い、力で権力を奪い合ってきた歴史が米国を作ってきた。理想主義の入り込む隙は大きくない。民主主義は、昔から常に危機に瀕してきたのだろうが、今もそうだ。おそらく、サンダース議員が大統領になっても、体制の欠陥はそのまま残ると思う。欠陥が根深く、構造的だからだ。日本よりはマシと思うが、矛盾に満ちた米国政治は、誰か新しい政治的ヒーローが待望される状態。ただし、その彼が独裁者になる可能性も確かにありそうだ。

 

2019年4月21日

佳子さまの御発言(2019)

報道によれば、秋篠宮家の佳子様の発言が問題になっているという。姉上の真子様の結婚のめどが立っていないことに心を痛め、姉君の味方をされる内容だったらしい。劇場主は実際の文章は読んでいない。

文章の内容はともかく気になったのは、複数の人物が内容を批判し、皇室の一員としての自覚が足りないのではないかという批判をしていたことである。どのような人物が批評していたのだろうか? 

劇場主の感覚では、皇族を批評できる人間は限られている。皇族の一員である三笠宮家などの宮家と、宮内庁職員のうち、直接宮家の世話をする人々、特に教育担当者なら、責務上、ものを申し上げる必要がある。苦言を進言して職を辞することも、必要があればやらなければならない。

それ以外の人物が、表立って皇室を批判して良いとは思えない。皇室は、そこらの著名人家族とは性格が異なる存在である。伝統ある日本の象徴的存在であり、誰かが高い位置から批評できる相手ではない。 批判記事を書いたのは、どのような人物だろうか? 皇室の歴史の専門家か? 有名な憲法学者か? 劇場主が知らない方達だったようだが、皇室をネタに商売するような人物ではないと願いたい。たとえノーベル賞を何度もとるような大学者であっても、皇室を論じうると劇場主は思わない。学識による権威と、ものを申してよい権威は別物だと思う。

もし佳子様の意見の内容がとんでもないものなら、批判も仕方ない。憲法や法規定に反した内容なら、それは法律違反ですと進言しないといけない。皇室と言えども自由勝手にものを言ってよいわけではない。でも、自分の姉の幸福を祈ることを批判されるというのは、通常の感覚では理解しがたい。家族の幸せを祈る権利はある。どのような表現をされるかが問題だ。

宮内庁などに対して、姉の結婚を認めよという直接的な言い方をされたなら、さすがに問題発言だろう。でも報道機関に対して、自制を求めていけないかどうかは、その文言による。「家族の気持ちとして、過剰なバッシングは止めて欲しい。」と願うのは、劇場主の感覚ではもっともな内容である。「いっさい報道するな。」といった内容ではないはずだから、表立って批判すべきではない。佳子様と親しい間柄の人間を通じて、アドバイスする程度が望ましい。 

皇室は特殊である。自由は制限される運命にある。国民からの目は厳しい。だから人間的な権利を侵害されるのも当然?死ぬまで働き続ける必要がある?・・・そんなはずはない。

皇室には国家予算から大きな金が入るという。結婚の時の祝い金も1億くらいだそうだ。国費を使うのだから皇室の人間は勝手にふるまうなという論調の文章があったが、人を金でしばる前時代的考え方ではないか? 皇室から出ようという意志を持っておられるはずの宮様に対して、劇場主は行動を縛りたいとは思わない。どうか御意志のままに事が進み、できれば幸福であって欲しいと願う。そのために報道を自制する必要があるなら、もし劇場主が報道関係者ならばだが、自粛する。  

政治的な問題と結婚の問題を、同じ理屈で考えてはいけない。 結婚に際しては、基本としては御両人の気持ちを重視し、幸せを願いたいと考える。

 

2019年3月 5日

輝ける人生(2017)

Finding_your_feet


Fending Your feet -    


夫の浮気を知って家を飛び出したヒロインは、疎遠になっていた姉の家に転がり込む。姉や周囲の人々に影響され、輝きを取り戻しそうになる主人公だったが・・・DVDで鑑賞。  


ハリー・ポッター・シリーズで意地悪な先生役をしていたイメルダ・スタウントン女史が主演。彼女は独特な風貌をしており、あまり良い性格ではなさそうなところが役柄に合致していた。ダンスが得意という点では、少し無理があったかも知れない。ダンスの本当の上手さは必要だったと思う。大事なシーンで、年齢を感じさせない鮮やかな踊りを披露できるかどうかで、観客たちの印象は全然変わって来る。他にもっと上手い女優がいたはずだ。顔や体形から想像もできないような優雅な踊りができたら、観客に訴えかけるものがあったに違いない。  


ヒーローに相当するのはティモシー・スポールで、ハリー・ポッターシリーズではネズミのような風貌の小太りな男にしか見えなかったのだが、今作ではそこそこの風貌の、美男ではないが味のある顔つきの人物になっており、その演技力やメーキャップの力に驚いた。   


ヒロインの姉役は知らない女優だった。役柄が良すぎた印象もあり、もっと人間的な部分、たとえば妹を毛嫌いしていた理由を明かし、互いに罵り合いになるとか、暗い部分もあったほうが良かったのではないかと思う。この作品は喜劇なので、リアルな兄弟喧嘩は作風に合わなくなる可能性もあるにはあるが、悲しいシーンを手短かに済ませれば、後で喧嘩の際の言葉を後悔するシーンが生きて来るだろう。悲しいエピソードは、最後に心にしみる物語を作る効果があると考える。それで喜劇のシーンも、より印象が強く残るというものだ。   


そういった抑揚の面で、この作品は一段階超えていない印象を受けた。また、演出も少しわざとらしい。お約束の笑いに持ち込むための、段取りのようなものを勘付かれてしまいそうだ。テンポに問題があったのかも知れない。 でも総じて良い話だった。悲喜劇を、ジョーク豊かな会話でつないでおり、雰囲気が良い作品だと思う。ジョークのセンスを感じる。ドタバタ劇にない味わいを感じる。 

2019年2月 9日

カメラを止めるな!(2017)

One_cut_of_the_dead

-EMBUゼミナール-          

 

新進監督の上田慎一郎氏が、舞台劇から着想を得て作ったゾンビ映画だそうだ。DVDで鑑賞。


30分程度のゾンビ劇と、そのメイキング編の二部構成になっている。第一部はアングラ映画のような感覚の少々間の抜けた劇だったが、第二部は通常のドラマになっており、画質も違う。ラストでは確かな達成感を感じる盛り上がりがあり、たいていの人がそれなりに満足できると思う。  


着想が全てだったかも知れない。よく出来ていた。主演は元コメディアンらしい。登場した場面では演技が激しすぎて、シーンにそぐわない印象を受ける。いかにも素人映画の出演者という感じがした。後半部では、善き父親、映像の世界の片隅で懸命に生きている業界人の雰囲気がよく演じられており、その演じ分けが素晴らしかった。 


この演じ分けについては他の俳優もそうで、いかにも下手くそな若手の主演女優、恋人役の若者が、後半部分ではクセのあるアイドルや、妙に理屈をこねる人気俳優と、まったく違う個性で演じられていて、それぞれが実在感のある演技だった。  


ただし、この作品に出て来た俳優たちは全く知らない人ばかりだった。この作品の企画自体が、低予算で舞台俳優たちを集めて実験的な作品を作ろうという、なかばNPOのような制作スタイルだったそうなので、有名俳優を連れて来ることはできなかったのだろう。  


その点が難点だと思う。本物の演技力を持つ俳優を集めたら、もっと凄いドラマになったのではないだろうか? もちろん、そうすると作品が最初から有名になって、興味を持つ観客が逆に減ったかも知れないし、素人くさい味わいも失われてしまったかも知れないので、どちらが良かったかは分からない。 この作品の成功は、かなり微妙な偶然の部分もあったかもしれない。 


少し思ったのだが、第二部を先に回し、本当の時間系列で進めたらどうなったのだろうか? テーマは少し変わってしまうかも知れない。「ラヂオの時間」のように、メイキングのドタバタを描く作品になっただろう。それではオリジナリティの面で、特色が何もないということになるかもしれない。あるいは、メイキングと映像作品を交互に織り交ぜる手もある。分かりやすく解説できる利点はあるかも知れない。さらに、本物のゾンビが混じって出演して来るというブラックコメディの路線もありうる。   


でも、そんなアイディアを使っても、普通に考えて、300万円の低予算映画で30億円以上の興行収入を得られるとは思えない。奇跡に近い成功だろう。   

 

 

 


2019年1月18日

韓国軍艦艇のレーダー照射問題(2018)

Photo

- 韓日劇場? -        

 

連日のように、この問題が報道されている。ドラマじゃないので、穏便に解決して欲しい。2018年の12月20日に、事件は起こったそうだ。事実関係がよく分からない。韓国軍艦艇が北朝鮮の漁船乗組員の救助をしていたらしく、その点は自衛隊が撮影したビデオでもそう見える。ところが、そこに自衛隊の偵察機(哨戒機)が近づいて、どの程度の距離だったかは不明だが、周辺を旋回したらしい。      

 

その際、日本側によれば実弾発射の誘導の際にしか使わないレーダーが照射されたというが、韓国側は普通の探索用レーダーしか使っていないと主張しているようだ。また自衛隊機が不当に近づいたと韓国側は主張し、自衛隊側は通常の高度と距離を保ったと言うなど、食い違いが様々ある。    

 

救助に軍の船で行くというのは不自然な気もする。普通は海上保安部隊が行かないと、周辺の軍事行動を誘発する危険がある。この点は、問題ないのだろうか? 何か秘密作戦をやっていた可能性もある。普通の救助活動なら、何でも公表できるだろう。強硬に否定するのはおかしい。スパイの収容などは考えられないだろうか?   

 

また韓国側に自衛隊機が無線で尋ねても、返答がなかったらしい。この点は事実のようだが、無線が聞き取りにくかったか、日本側の発音が悪かったかなどの点でも食い違いがあるようだ。日本側がスイッチを入れずに叫んでいただけという可能性も残る。劇場主は、よくそんなミスを犯す。もしかして作戦中は、返事しないのがルールなのだろうか? 北朝鮮の航空機が、日本の自衛隊機だと偽る可能性もあるので、安易に返事はできないと考えたのか?    

 

劇場主は海上偵察の現場に行ったことがないので、通常の行動がどのようにされるのか知らない。素人考えでは、近づいた時点で無線によって「自分は自衛隊機だ。そちらは何しているの?」など、聞いてもよさそうな気がするが、無駄な会話をしないのがルールなのかも知れない。しかし、そうだとすると目視できる距離まで行かないと、ひょっとして北朝鮮の艦艇が漁民を襲っていることも考えられるので、かなり近づく必要はある。それがルールになっているのなら、近づいたことに問題はないはずだが、どんな対応がルールなのか?あるいはルールが明確でないのか?そこらが分からない。     

 

韓国軍としては、付きまとう自衛隊機が邪魔で、脅して追っ払う意図で攻撃用レーダーを当てたい気になったのかもしれない。たとえば北朝鮮の船に対しては常にそう行動してきたとしたら、日本相手では危険だということを認識していなかった可能性もある、でも、あくまで可能性の話で、その現場が何を感じてどう判断したのか、今のままでは分からない。    

 

攻撃用のレーダーを使うのは、示威行動として普通にやられることなのだろうか?一般人としては、誘導ミサイル用の照準をされたら、それは敵対行為としか思えない。でも、現場では日常茶飯事なのかもしれない。 明確なルールがあるなら、韓国軍がルール違反をしたことになるが、ルールすらない場合、韓国側が違法とは言えない。もしかして、明確な取り決めがないのではないか?   

 

そして日本の官邸は、韓国側の譲歩を引き出す狙いで、この問題を考えているのかも知れない。先日、韓国の法廷で終戦前の徴用工問題で判決が下り、個人への賠償をどうするかが問題になっているので、官邸は機嫌を損ねている。何か譲歩を引き出せる問題があれば、それを利用したいだろう。韓国側も、そのへんの意図を認識しているから安易に謝罪できない、そんな状況かも知れない。   

 

レーダーの記録を発表するかどうか、そこは取引の材料になるだろう。おそらく発表はできると思う。発表されても、「このデータは合成だ!」と言い張って、解決に向かわないかも知れないが・・・     

 

軍関係者だけの話し合いで解決するのは難しくなったようだ。もし韓国側の虚偽報告と分かれば、現場の船長は処罰されるだろうし、韓国政府も軽く謝罪はするだろう。でも、結局は違法行為だったとまでは言えないかも知れない。そして、双方の怒りや不信感は残るだろう。漁民を装った韓国軍スパイの活動だったなどと判明したら、沈静化するかも知れないが、そう認めることは考えにくい。韓国軍としては、今回の件を認められない事情があると思える。 

 

 

 

 

2018年7月26日

株価暴落(2004)

Photo_2

- 池井戸潤・文春文庫 -               

 

銀行員の坂東は、スーパー一風堂への融資に危機感を感じていた。そして一風堂を脅迫する文書が届き、爆破事件が起こる・・・文春文庫を購読。   


この作品はドラマ化されているそうだが、観たことはない。池井戸氏の本にはドラマ化されたものが多いが、映画化はまだ少なめで、「空飛ぶタイヤ」が最初らしい。あの人気だった半沢直樹シリーズも、TVドラマだけで今のところは映画化に至っていないようだ。この作品も映画化されてよさそうな気はするものの、銀行を舞台にした作品はアクションに限度があるし、この作品が過去の企業ものの作品と比べて著しい特徴があるとは言えないので、企画が通りにくいのかも知れない。日本を舞台とせず、中国や米国を舞台としたら、かなり受ける要素もあると思う。でも、とりあえずは文庫本での鑑賞だ。   


この作品では銀行員の仕事内容が、銀行員だった作者によって詳しく書かれているようだ。銀行員というと、あまり派手なことはせずに、一日中パソコンや書類をチェックし、見落としがないか確認するだけの疲れる仕事ではないかと思っていたが、外商のような活動もやっているように書かれている。銀行員が自分から企業を訪問し、融資の際の判断材料にすることもあるだろうとは思うが、大きな企業の場合は査定は相当複雑で、行って見たから分かる事は、そんなにはないかも知れない。でも見てみること、経営者に会ってみることも重要だと思う。見落としは避けたいものだから。  


スーパーなどに脅迫が来ることは珍しくないだろう。お惣菜が腐っていたといったことなら、毎日あったっておかしくない。事件として報じられるもの以外に、闇に埋もれている事例も多いと思う。  異物を混入したといった話は、しばらく毎年のようにあった。   


この作品で使われていた空売りを組み合わせるアイディアは、おそらく米国などでは昔からあったと思う。この作品ではやや単純すぎる上に、キャラクター的に無理を感じる設定がなされており、奥の深さ、情念の怖さを感じるような壮大さはなかったが、少し工夫して本格的な陰謀を考えれば、もっと凄い作品になっていたかもしれない。犯罪者を主役にしても良かったのでは?と、少し考えた。 恨みを持つ人間を利用することさえできれば、自分が逮捕されることなく、たまたま儲けたと言い張ることもできる。その利用の仕方に工夫が欲しかった。自分がそそのかした、あるいは計画したりしたという証拠を残さないなら、すり抜けることができるかも知れない。犯罪者の立場になって、そこに重点を置いてほしかった。 


「マネー・ショート(2015)」は、リーマンショックの際の空売りで儲けた人物たちを描いていたが、彼らが倫理的に問題なかったのか、どうも釈然としない部分は感じた。犯罪者とは言えないだろうが、何も生みだしてはおらず、ただ情報を得て賭けに乗って勝っただけではないか? 賭けたリスクに相当する利益を得ても悪くはない、しかし尊敬に値するとは、どうしても思えない。  


 



2018年1月 3日

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー: リミックス(2017)

Gurdians_of_the_galaxy_vol2

 

- Marel  -

個性派ぞろいの仲間が、異星人たちからの襲撃を乗り越え、宇宙の平和を守り抜く物語の第二弾。今回は主人公の父親が登場し、主人公の誕生の経緯が明らかとなるストーリー。DVDで鑑賞。

 

このシリーズはギャグ満載、極めて個性豊かなキャラクターが喧々諤々、仲たがいしながら暴れまくるのがウリの、まあ品は良くない作品。同世代の友人たちと観るのに最適な作品。ギャグの感覚が日本人のそれに近く、その関係で分かり易いと思うが、米国の観客にはどう写るのだろうか?笑いは共通化しつつあるとは思うが、少しシュールすぎるシーンも多かったのでは? 

 

80~90年代の音楽満載、テープレコーダーを大事に扱っている点も前作と同様、笑いを呼ぶ仕掛けのようだ。 わずかな間にテープのない記録媒体が主流になり、 素晴らしいアイディアと思っていたウォークマンですら時代遅れの象徴としてギャグに使われる時代が来るなんて、この分野の進歩には驚かされる。 

今のウォークマンはMP4方式になっているのだろうか?古いタイプの機種が使えなくなっている。MP3~MP4間での変換がパソコンを介さずにできると良いのだが、厄介な手作業を要する。わずか5年くらいで専用のスピーカーが使えなくなるとは思わなかった。SONYも生き残るために色々やっているようだ。泣いて馬謖を切るがごとく、劇場主のようなヘビーユーザーを切り捨てているのか? 

 

スタローンが出演していて驚いた。でも、完全な老人になっているし、この種の映画では迫力負けしてしまうように感じる。もはや、SFでは完全に価値が失われたようだ。 体格や、セリフの言い方、年齢、それらの総合力で無理がある。全盛期の「ジャッジ・ドレッド」の時でさえも違和感があった。実社会を舞台にすればサマになっても、SFでは個性が生きてこないタイプの俳優なんだろうか?  

 

今作では敵役のひとり、ヨンドゥのキャラクターが目立っていた。権威が失墜して裏切りに遭うことや、自分の過去を語ること、そして主人公らとの共闘など、彼のための映画だったようだ。もともと、ヨンドゥというキャラクターの個性は光っていた。善き悪役がいると、作品の魅力が増す。本当に良い働きをしていた。 妙な矢の武器の使い方も面白かった。 マカロニウエスタン映画の悪役と同じようなキャラクターだと思う。 

 

この調子だと、きっとシリーズ第三作が作られるだろう。まだまだ素晴らしいアイディアが生まれ、新しいキャラクターが魅力的な敵を演じてくれそうな予感がする。    

 

 

2017年12月 4日

家族の肖像(1974)

Conversation_piece

- CIC Gaumont -  

高齢の教授の住まいに、価値観の違う若者達が暮らすようになり、老教授が体験する混乱、心の交流、そして別れを描いた作品。 

公開当時、劇場で鑑賞した。かなり大がかりに宣伝され、いろんな雑誌で紹介されていたと思う。印象に残ったのは調度品や絵画、住居の豪華さ。ストーリー自体は、それほど感動するようなものではなかったと記憶する。

劇場主も還暦が近くなり、感じ方が違う今回の鑑賞では、少し理解が深まるかも知れない。そう期待して鑑賞したが、やはり話の内容について感動するには至らなかった。DVDで鑑賞。

部屋の見事さには、再度感動した。天井がとんでもなく高い上に、部屋のひとつひとつが広大で、おそらく一部屋に我が家族全員が寝泊まりすることも可能であろう。いかに温暖なローマと言えど、冬は暖房が効かず、寒すぎるだろうと想像した。

時代設定はいつ頃だろうか?母親が戦時中に亡くなった、自分は兵隊から帰ってきたと言っていたから、終戦時に20~25才として劇中で65~75才としたら、ほぼ同時代を描いていたことにならないだろうか?この作品の公開当時、ファシストの生き残りがいたのか?イタリアの事情はよく知らない。

テーマが切実なものに思えなかった。高齢の人間の、若い人間に対する感覚、自分の生い立ちや結婚生活に関する後悔の念や思い出など、おそらく監督自身が感じる感覚を、そのまま映像化したに過ぎず、私小説のような作品ではないかと思えた。

描き方についても、どこまで計算したのか理解できない部分が大きかった。「ああ、このカメラの位置は考えたなあ」と、感心してしまうシーンは少ない。この作品の当時、監督のビスコンティは脳卒中で動きが制限されていたらしいので、あたかもそんな人物の視点を再現したような、固定的で斬新さに欠ける構図のように思えた。

調度品や部屋の広さだけでは話が持たない。若者役のヘルムート・バーガーは確かに美男子だとは思うが、色気が漂うほどのイケメンとは感じないので、俳優の魅力で引っ張られる作品にもなれていないように思う。これはホモセクシャルな感覚がない劇場主だから、鈍いだけかも知れないけど。

若い娘役が絶世の美女だったら、作品の魅力が大きく変わったかも知れない。可憐な美少女が幸せになって欲しいといった老人の感情が浮き出ると、多くの人が感情移入できるはず。美男子への愛情だと、そのへんでついて行けない人も多い。監督のセンスに限界があったのかも知れない。本物の貴族だった監督のセンスは装飾品に魅力を持たせる力があったが、もっとダイナミックなストーリーがないと、万人には伝わらないだろう。

 

 

 

より以前の記事一覧

無料ブログはココログ