映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主

  • 乙女座 AB型 どの占いでも最悪の運勢 内科クリニックやってます。

Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

カテゴリー「あ」の116件の記事

2017年6月19日

ある戦争(2015)

A_war

- Nordisk Film -

アフガニスタンで警戒にあたっていたデンマーク軍部隊が、急に攻撃を受ける。なんとか生き延びた隊長だったが、その結果戦争犯罪で告発される・・・・

・・・・DVDで鑑賞。優れた小品と思った。夫と離れて母国に暮らす母子の様子がリアルで、妻や夫の心情が分かりやすく表現されていた点が特に優れている。子役は、もしかすると親役の本当の子かも知れない。表情がとても自然で、演技のにおいが全くしなかった。戦場の様子もリアルだった。単調な警戒警備、突然襲ってくる爆発の恐怖、仲間を失う悲しみ、敵意に満ちた住民の視線、善意が徒労に終わる空しさなど、その表現が的確だった。

全くと言って良いほど笑いの要素がない。それに負傷した兵士の様子が無残だったので、小さな子供に鑑賞させるのは気がひける。家族を描いた作品とは言え、この映画は家族で楽しむタイプの作品ではない。娯楽の性格が乏しいので、おそらくは小さな映画館で、芸術作品を好む落ち着いた年輩の方々といっしょに、静かに鑑賞するのが本来のスタイルではないか?

軍の裁判というものは、この作品に描かれたようなものなのだろうか?攻撃する際の根拠は確かに確認するのが望ましいと思うが、敵を確認しようとすると部隊を全滅させる危険性が高い場合も要求されるべきか、そこは難しい。攻撃を野放しにすると住民の虐殺を助長するだろうが、実際の戦場で敵を確認するのは簡単じゃないだろうから、攻撃の是非の判定も簡単ではない。

自衛隊の規則がどうなっているのか気になった。そもそも自衛隊は現実に存在し、役立っているのに法的には微妙な立場。そのため隊の規定は、理論的に矛盾したものも多いかも知れない。実際の戦場で使い物にならない規則があれば、隊員は生き残るために違法行為をやらざるを得ない。日本に限らず、現実から遊離した法律がEUの中にあって、その弊害で困っている人がいるのだろう。この作品も、実際の兵士が出演しているそうだから、現場の不満がアイディアの元になったのかも知れない。

海外に派遣されていた自衛隊員は、今までは幸い誰も殺されてはいないようだが、おそらく衝突に巻き込まれるのも時間の問題だろう。規定により何もやりようがなく、ただ殺されましたという実情が明らかになった時、世論はどう反応するだろうか?

(加計学園問題に関連して)

もし何者かが侵略をふっかけてきたら、総理は明日にでも自衛隊に出撃を命じないといけない。極論で言えば、その時に総理の友人達だけ避難させ、一般人を見殺しにしても仕方なしか?まさかの話だが、全員を助けられない場合、万が一の時の想像をめぐらせると、そこが気になる。加計問題は、そういった国防の大問題とは違う・・・・たぶんそうだ。でも疑念は沸く。それが自然な流れだ。総理の友人だけではなく、例えば自民党の関係者だけならどうか?

おそらく、権力者に有利な選択がなされたらしいことは皆が感じたはずなので、そんなものなのかという認識は残る。そして、それならば自衛隊員だって自分の都合を優先したくなってくるのではないか?国のトップの腐敗を許したら、モラルは崩壊する。下々はやりたい放題になっても不思議ではない。だからこそ、厳しすぎるくらいのモラルが、権力者には要求されるべきと思う。つまり、違った問題ではないはずだ。

総理の関与具合は、これを書いている時点では分かっていない。分からないで済ませようとしていると言うべきか?政府は徹底調査に消極的だと報道されている。なんて傲慢な態度だろうかとは思うが、確かにこれは政治の主題と離れた問題だ。大事な国会論議が、証拠を出すか出さないかの議論で費やされ、時間と場が無駄になるのもいけない。これは与党の首脳が言う通りだろう。小さな問題と、言えなくもない。

それでも常識として、個人的関係が認可に影響するのは許されない。友情と収賄は、区別するのが難しい。疑わしいことは避けるのが伝統的な考え方だ。官邸に不公正な利益誘導の疑いがあれば、とうぜん国会として証拠を探すべきだし、内閣の側は妙に隠し立てしない、そもそも疑われる事はしないこと、第三者に判断させることも望まれる。国会は責務を果たしていないし、潔くもない。

友人を優遇するのも心情的には理解できるが、官邸の立場を考えると甘え、認識不足と言われても仕方ない。もちろん収賄の具体的証拠はないだろう。総理自身は何も指示せず、副大臣などを介して意向を伝えたはずだ。殿様のような手法だろう。事件としての立件はできないだろうが、総理への敬意は、かなり損なわれた。人格面を評価するのは、もはや難しい。彼が何か崇高な事を述べても、信用はできない。

いっぽうで、官邸と役人の権力闘争の面からも考えないといけない。

現政権の功績は、景気回復のお膳立てをしたことと、官僚支配の弊害を打破し、政治家主導で行政を推進しようとしたことにあると思う。内閣人事局が役人の人事を握ったから、古い体質に風穴が空いた。「岩盤規制の打破」という文句は、なかなか格好良い。つい最近まで役人の都合が最優先され、国の発展が阻害された感があった。もし総理が失脚し、官僚の人事権が元に戻るようなことがあれば、万事の停滞は覚悟しないといけない。経済的なチャンスも狭まるだろうから、投資だって減るだろう。景気は悪化するはずだ。

総理のスキャンダルが表に出てくるのは、官僚から情報が漏れているせいだ。今回は特に、文科省が逆襲した形になる。親玉を失脚させようと、まるで時代劇で老中を追い落とそうとする連中のように暗躍していると思う。我々は、彼らの怪情報に踊らされている。この問題の本質はモラルの問題ではなく、単純な権力争いなのかも知れない。総理失格などと攻撃すると、それは役人達の思うつぼ。でも、役人の天下りや岩盤規制も望ましくない。どう考えるべきだろうか?よく分からない。

あらためて感じたが、政治家や役人にモラルを期待するのは難しい。だから優れた規則で縛るしかない。結構な歴史があるくせに大事な規則ができていないことが、我が国の大きな欠点。そして良い規則を作ることに国民の多くが無関心で、政治は役人に任せるものと思っている。そこが最大の欠陥だろう。

問題点が判明 → 対策作り、これはセットである。それができないことは無能の証で、対策決定こそが議員の仕事なのだという認識が希薄のようだ。斡旋、口利きが仕事と思っていて、そればかり期待するからだろう。モラルがないことが共通認識だから、議員と選挙民と役所が互いに忖度しあって、互いの利益を求めてしまう構造だ。

役人の人事権をどうすべきか全く分からないが、内閣に集中させると今回のような忖度事例が発生するから、権限を裁判所に移すか、あるいは国から独立した機関に移動、分散させることが望ましいのかも知れない。権限を1年ごとに移すのも面白いかも知れない。とにかく、権力が集中しないような上手いルールが必要だ・・・・・が、それが認識できていない。

他の業界でやられているように、利益相反の公表、あらゆる文書の完全な保存など、基本的な対策を地道に義務化することも望ましい。でも、これにも反対意見のほうが多いだろう。明文化は難しい。選挙民だって、国のことより自分の仕事のほうが大事だから、政府のモラルハザードは気にならない。都議選はともかく、おそらく国勢選挙結果は大きくは変わらない。よって問題点は改善されない。

何かもっと驚くべき事態の変化がないかぎり、証拠はありませんでした、騒いで面白がって、でも政局に影響なしで終わるだろう。そして我々の心がいっそう荒む。問題に対して対策をとることが期待できなくなり、モラルなど吹き飛び、希望が失われ、自分のことだけ考えたくなる。隊員達もそうだろう。その結果どうなるか、考えないのだろうか?

 

 

 

2017年4月23日

アルジェの戦い(1966)

La_battaglia_di_algeri

- Casbah  Films - 

レストランで優雅に食事を楽しむ市民・・・・しかし、突然の爆発で多数の犠牲者が出る。無差別テロだ。犯人は現地のテロ組織。組織に対抗するため、フランスから空挺部隊が派遣される・・・

・・・・アルジェリア独立前のフランス軍とテロ組織の戦いを中心に描いた作品。カンヌ映画祭や、日本のキネマ旬報などの映画賞を独占した作品。強烈な映画だ。「シェルブールの雨傘」を観ていて、そういえばギィ君はアルジェリアに行ったのだと思いだしたのでDVDで鑑賞。

臨場感にあふれている。ドキュメンタリー映像のようだが、記録映像を使わないで、全て映画のために再現したそうだ。でも、実際の事件を写しているとしか思えないリアルな映像。おそらく、アルジェリア政府の援助、市民の無償の協力があって初めて成功した企画だろう。

大勢の人達が映像の中で真剣な表情を保ち、エキストラと思しき人達も演技臭くない表情を見せ、ちゃんとリアルな映像を作ることに参画している。俳優達ばかりでは、街の雰囲気の再現は難しい。エキストラこそが、この作品で最も重要な出演者だったと思う。

独立運動の記憶がないと、こういった企画は成立しにくい。いわば、この映画も独立運動のひとつだったと言える。

フランス軍の大佐も、テロ組織側も、使命に忠実な存在として描かれており、視点が素晴らしい。素晴らしい・・・・ということは、反発されやすいということも意味する。公平な見方をすると、その理想主義が鼻について、激しい攻撃を受けるのが必定だ。昨今の炎上騒ぎをみると想像がつく。この作品も、フランス側からは批判されたらしい。

独立が善なのか?考え方はいろいろある。欧州の支配から脱出しても、ただ封建政治や貧困を生む国が多い。それに政治的に独立しても、輸出しなきゃ金は得られない。貿易にともなって、経済面では支配を受ける。アラブの春の経過をみてみると、革命は混乱を生んだだけのような気もする。でも、だから支配下にいるままで良いはずもない。民衆の意志に従うべきとしても、結果は単純な成功につながらない。

独立後が一番難しいのだ・・・・と、映画の中でも指導者が言っていた。その通りだろう。経済をどう運営するか、その結果次第では大失敗に終わることもある。

アフリカ側とヨーロッパ側の関係がそもそも複雑で、互いに侵攻を繰り返してきた歴史があり、どちらが正義、どちらが悪者と決めつけるのも難しい。今は主にシリア難民とイスラム過激派のテロが問題だが、60年前までは一方的な欧州側の支配こそ最悪の権利侵害。数百年前はイスラム海賊こそ最悪。二千年前はローマ軍が最悪だったろうか?

描かれていたフランス軍も勇敢で優秀だった。彼らなりの価値観に基づき、任務を遂行していた。しかし、残酷な拷問もやったようだし、結果的には敗北し、徒労に終わり、意義の低い行為だったのかも知れない。劇場主がフランス軍の兵士だったとして、進んで命を賭けられるだろうか?強制されないと、普通の人なら無理だろう。愛国心だけでは嫌になる。

テロ組織側も、命を賭けた意味がどの程度あったのか疑問。第一に、無差別テロが許容されるべきとは思えない。そして、独立後の治安を守るためには、おそらく欧米の手先を排除するために、強権的な政権が必要になる。実際に多くの発展途上国がそうなっていた。そうなると、勇敢な行為も優れた政治的判断も、実質ただの権力闘争の様相を呈してくる。

昔からそうだったのだろう。解放や政権交代の後にも、圧政と貧困が待っているのだ。

 

 

2017年2月13日

ある終焉(2016)

Chronic


- 無理解 -

DVDで鑑賞。監督はミシェル(マイケル)・フランコというメキシコの方で、36歳だそうだ。

絵になるシーンが多く、画像の作り方に関するレベルの高いセンスを感じた。しかし、シーンの転換は全般に唐突で、つながりを考えていなかったように思った。センスはあるが、完成度、余裕や技術の面で改善点がありそう。

主人公は看護師のようだが、介護を本業にしており、終末期の患者のケアを、ほとんどマンツーマンでやっている。いちおう交代要員はいるようで、訪問看護ステーション的な事務所を介して派遣されたようだが、主人公の場合は患者との関係が非常に深くなり、家族を上回るほどの信頼を得ている。

日本の訪問看護は、数人の看護師が交代で回り、かなりは事務的に仕事しているような印象を受ける。熱心な方も多いのだが、彼らにも家庭生活があり、泊まり込むなどは滅多にしないはず。それに終末期の患者にのめり込む仕事ぶりでは、やがて精神的に保たなくなる。もっとドライな関係に留まるほうが続くと思う。

原題の「CHRONIC」は、慢性疾患の意味だろうか?

主演のティム・ロスは、この作品の制作者を兼ねているそうだ。ホームページによれば、監督の実体験が元になって、この企画が考えられたそうだが、ティム・ロスが制作にからんだ理由は分からない。

介護の現場の汚い部分もリアルに演出されていた。病人と介護者との関係についても、ひとつの理想型を表現したと言えるかも知れない。少なくとも、ひとつのプランを提起していたと思う。自分が介護されるなら、事務的な態度より家族的なほうを希望したい。それに問題がないとは思わないが、ドライすぎるのも嫌だ。

ただし、この作品の場合と同じく訴訟沙汰を覚悟しないと、心のこもった深い介護はできないのかも知れない。医療の分野でもそう感じることがある。劇場主は常に良かれと思って行動しているのだが、丁寧すぎる説明を家族は疎ましく思っていたと、後で看護師から聞くこともある。つまり難解になりすぎたということか?説明の時には当方の心情を気にして反論しないだけで、実は反感を感じていたりすることは多いものらしい。

理解を得られないことも非常に多い。昔、まだ傷の治療法が古かった頃、ガーゼに肉が着くので治癒を遅らす、交換はかえって良くないと言ったら、もめたこともある。外科の院長に呼び出しを喰らって、酷く怒られた。問答無用で交換せよという。昔の医者が考えたように感染が怖いのは確かだが、今は通用しない考え方だった。テーピングやラッピングの技術も、世間に知れ渡る前にやったら、変人扱いされてしまった。介護に関しても、様々な誤解、偏見に満ちた習慣がある。新しい考え方は徐々に浸透していくものだから、皆に理解されることは、難しいのかも知れない。

安楽死の問題も描かれていた。回復不能で苦痛にあえぐ人達に、ただ耐えろというのは酷な話だが、通常そんな人達は苦しみながら死んでいき、発言することができなかった。死者に人権なし→死にそうな人にも人権なし、生きてる自分らの都合が大事・・・のような観念がある。これは否定できない。死にゆく人に同情したために、自分が反感や訴訟を喰らうのが嫌なのだ。大半の医療人、多くの家族がそうだった。

ラストシーンは驚いた展開だった。でも、あれで意味があったかどうか、劇場主には理解できない。むしろ反感を持った患者家族に殺されたり、訴訟で敗訴になるなど、悲劇を際立たせるような流れのほうが良かったのではないかと感じた。

 

 

 

2017年1月15日

アイ アム ア ヒーロー(2015)

Toho


- 後味は良し -

漫画アシスタントの主人公は、仕事も恋愛もまったく上手く行かない情けない状況。ある日、彼は自分の同棲相手や職場の人間から突然襲われ、街中に病気が蔓延していることに気づき、逃走を開始する。

漫画の映画化作品らしい。ゾンビ映画、それも日本製となると、おそらく映像技術に限界があろうから、学生映画の延長線程度のマニアックな作品だろうか?と思ったが、予告編を観たら意外に期待できそうだったのでDVDで鑑賞してみた。技術的には素晴らしいレベルだったと思う。

良かった点の第一は、ゾンビ達の動きが海外のゾンビ映画と少し違い、関節をくねらせる気味の悪いものだった点。あれは、もしかするとお化け映画の動作を転用したのかも知れない。動きに関しては、本家のハリウッド映画を越えたと感じた。

ゾンビ達が無残にやられるシーンも相当によくできていた。ショットガンで爆発的に頭が飛び散るシーンは、過去の日本映画だとはっきりとは描けない。R15指定にして、観客を絞ってでないと無理だから、制作サイドからの圧力がかかりやすい。無難なおとなしい表現になって、そのせいで迫力を失うという悪弊があった。この作品は、そこを避けた点で出来は良い。

ゾンビ達が生前の記憶にしたがって行動していた点がおかしい。あの設定は話が進むのにも役立っていたし、面白さを増した点でも正解だった。原作のアイディアらしい。

主演の大泉洋は非常に役柄と合っていたと思う。彼を意識して漫画を書いていたのかと思えるほど、情けなく頼りない雰囲気が出ていた。今回は喜劇的な部分はほとんどない役柄だったが、充分に演じきれていた。

長澤まさみと有村架純がヒロイン役だった。彼女らの個性と役柄が合致していたようには感じなかったが、こちらも充分に演じていたのではなかろうか?

残念ながら、この作品は小さい子供には全くよろしくない。やはり残虐路線でゾンビ達は無残にやられるし、描き方がリアルで、かなり気持ち悪い。恋人と観れるレベルに、少し表現を落とすこともできたと思うのだが、そうするとつまらなかった過去の路線に陥ってしまう。

R15映画にする選択を選ぶのは、勇気が要ったのでは?あるいは作者の希望、事前の読者調査、そういった内容を考えて、R15しかないと考えたのだろうか?技術レベルの向上と併せて、作品は一段抜けた高い出来映えになったと思う。気味悪いけど、後味は悪くない。

 

2017年1月12日

「アベノミクス」私は考え直した(文藝春秋2017新年特別号)

- 浜田宏一氏著 -

文藝春秋の29年新年号に掲載されていた文章。熊日新聞で紹介されて表題を知り、まさかそんな内容を書くはずがないと驚いて購読。

アベノミクスがどのような結果になるのかは、まだ分からない。今までは、劇場主の予想通り。アメリカの景気が良かったのと、タイミング良く円安を宣伝できた関係で、株価や大企業の利益の面では非常に効果があったと思う。

第三の矢は、もともとから速効性を期待できない。だから成果が目立っていない点は、仕方ない。今後もしかして効果は足踏みし、借金が大きくなり、アメリカ次第では大きな景気後退がやってきて、非難がゴウゴウと起こる危険性もある。でも、そうであっても予想通りではないか?何を考えなおす必要が?

幸いにして、アメリカの景気はどんどん良くなっている。株主心理は理解は出来ないが、トランプ氏への期待が理由らしい。したがって、当面は何もしなくても日本の状況は改善する。トランプ氏によって、輸出産業の中には右往左往する会社も出てくるだろうが、全体としての景気さえ良ければ、最悪ではない。

それにしても、経済ブレーンが「考え直した」と放言をするのは、さすがに酷いのではないか?無責任すぎる。放言は、トランプやデュテルテ大統領だけに許されるもの・・・・いいや、誰にも許されるはずはない。特にブレーンがやってはならない。

文章の概要は、他の学者の指摘によって、自分達の過去の意見と現実との整合性が取れたといった流れ。金融緩和だけじゃダメなど、常識的な内容。じゃあ、そんなことも理解しないでブレーンをやっていたの・・・と、背筋が寒くなる低レベルな内容でもある。

企業が内部留保をため込んで、投資や給与に反映してくれない点は氏には誤算だったようだ。でも、バブル以降は、もともとそうだったはずだ。経営者達にとれば、中国の先行きに不安があり、確実で有望な投資先が限られ、金づかいに二の足を踏むほうが当然。政策でどうなるものでもないのでは?

ソフトバンクのように大胆な投資ができる企業は少ない。あの会社は鋭いセンスでやっていると思うが、やはり無茶だと思う。ほとんどの会社は忍耐、チャンスを待つ、安定優先といった判断が主流なのでは?

国がやるべき政策で有望なのは、第一に人口を増やすことを目標としたものであるべきだ。これは市場の維持、生産力維持のためだけじゃなく、国の維持に関わる投資であり、無駄に思えるほど資金を投入しても、やがては返ってくるものと思う。第三の矢は、本当は重点をそこに置くべきだったと思う。

そして、金を貯め込んで動かさないことは不利になると明示して欲しい。内部留保に税金がかかるなら、企業も必ず考え直す。一般家庭でもそうで、資産が大きい家庭には、金を動かす必要性を認識させないといけない。資産に対しては、課税を強化するしかない。外国に資産を移されないように、かなり難しい対策は必要だろうけど・・・

資産税は、少子化対策の目的税にするというのも、どうだろうかと思う。あるいは、寄付扱いにしても良いのでは?理解は得やすくなると思う。納得できる政策を採るなら、希望を生む効果が期待できる。安倍政権の政策は、他の選択肢が乏しくて仕方なく廃案にできないものだらけで、納得は見込めていない。だから希望が持てない。そこに最大の欠陥があるように思う。

 

 

2016年12月28日

アーロと少年(2015)

Dizney


- 涙が足りない -

文明を持つ恐竜と野生児の人間との旅物語。家族から離れてしまった恐竜アーロは、野生の能力を持つ人間の少年と旅をする・・・

・・・立場が逆になった設定がおかしい作品。主人公の恐竜アーロの成長物語であり、健全な精神に基づき、ギャグ調を中心とした伝統的な作風。

その作風ゆえ、この作品は家族で安心して観ていられる映画と感じる。ディズニー・ピクサーの伝統に則っている。革新的な点は少ない作品かも知れないが、この種の話には根強い需要があるはずだから、おそらく興業的には安定的な小ヒットだったのではないだろうか?

映像も美しかった。明らかに美しい映像によって観客を魅了しようと狙っていると分かるような、そんな蛍のシーンの演出で、その手法には少し嫌悪感のようなものも感じた。それでも、実際に美しく夢あふれるシーンだった。

画像の立体感、細やかさも素晴らしかった。夜のシーン、自然を映し出した映像も実写より美しいくらいだった。

この主の映画では悪役の存在も大事で、当然それはティラノザウルスが演じるものと思っていた。それが裏切られてしまう。そこの意外な設定や、カウボーイをやっているとした設定がおかしかった。誰のアイディアだろうか?

もしかしての話だが、話をさらに盛り上げ、観客の共感を確実なものにするには、さらにもうひとりのキャラクターが旅を共にすべきだったと思う。そして、そのキャラクターの犠牲によって彼らが生き延びたら、彼らの成長は一段と重いものになり、感動的になっただろう。

少年との別れが、涙なしに観れないほどになる、そのための工夫が足りなかったような気もした。

2016年10月20日

アルフィー(1966)

Paramount1966

- ライフスタイルに関して -

青年アルフィーは性に奔放なプレイボーイ。しかし、恋人が妊娠し、自分は病気をして、考え方が変わらざるをえなくなってくる・・・・

・・・・1966年発表の、マイケル・ケイン版。後年のジュード・ロウ版よりも気取った話し方が目立つ印象。よくは分からなかったが、主人公は英国の庶民の話し方をしていたはずと思う。あるいは、上流階級を気取る下層階級の人間の話し方か?そのせいか、ハリウッド映画のアクセントと少し違う感覚。

原作は舞台劇用だったらしいので、おそらくイギリスで上演されていたのだろうか?

主題歌がバート・バカラック作曲だったとは知らなかった。この映画ではシェールが歌っていたそうだが、後年のヴァネッサ・ウイリアムスのものは非常に美しい楽曲になっていて、聞き惚れてしまう。ジャズ部分はソニー・ロリンズが担当していて、アルバムにもなっているという。でもメインテーマ以外の曲、サントラ盤全体は聞いたことがない。テーマ曲が、この映画のテーマに合っているかも、少し疑問に思う。

この作品は、どことなく「ティファニーで朝食を」と似た雰囲気を感じる。都会で暮らす若者が、夢と現実の間で迷い、変化していく流れについては同じだ。主人公は上流階級の人間ではないが、上流の人との接点があること、前半部分で調子の良い生活をするが、問題が発生すること、また豊かさに関して肯定的で貪欲でさえあることも同じと思う。制作年代も近い。

教訓めいた流れを感じる。主人公が教訓を得ながら、ちょっぴり反省したり、独自の理屈で対処したり、実際に若者が体験しそうな経験、学びそうな教訓を自然な流れで散りばめ、話を展開させているのに感服する。

昨今の映画だと、教訓めいた流れになると受けないと考えられているようだ。悪者が試練を切り抜け、悪いままであるのが普通。不幸が襲ってくる人物が、とことん不幸のまま何も光明が見えないでも当然といった、一種の観客の心情への裏切りが主流になっている印象。それで良いのだろうか?誰でも教訓話は嫌なものではあるが・・・

この作品は、家族で楽しめるタイプの映画ではないように思う。グロテスクなシーンはないのだが、主人公が明らかにグロテスクな死体を見ているだろうといった演出は結構きつい。子供には向かない映画だろう。恋人と楽しめる内容かどうかも、付き合い方によるかも知れない。

劇場主は、かって生意気な青年だった。自分の考え方、生き方が断然正しいだろう、少なくともそれを目指しているように思っていた。なんでそんな感覚を持っていたのか分からないが、自信過剰な部分と本当の自信がない部分があり、バランスをとれていなかったように思う。女子を気にして、恰好づけていた面もあった。

勘違いした感覚は、しかし誰でも持つものと思う。ある程度自信過剰でないと、自分の能力を発揮する機会さえつかめない。勘違いしてトライし、失敗して初めて事情が分かるものだろう。勘違いは仕方ないし、ある意味で当然で必要なものだったと思う。アルフィー君のセンスによる判断が、微妙に狂って危機を生じる様子は、劇場主にも思い当たる点があった。

スポーツの世界では、体力的に桁が違う選手と対戦して、自分の能力をはっきりと自覚しやすい。でも実社会は違う。社会における処世術、ライフスタイル、生きがいや一日の時間の使い方などに関しては、解答、客観的な結果というものがつかみにくい。失敗しても単なる不幸に過ぎず、失敗と認めないこともできる。失敗で生き方を変更する必要を、頑として認めないこともできる。

だから、この映画の主人公の場合、自分の理念を理路整然と述べる。自分が間違いを犯していた、最悪の人間だったとは認めていないようだ。その言い方がまた重要で、無理を感じつつ、理屈で言い訳めいた解説をする、そんな姿に劇場主は共感する。自分が、まさにそうだったから。

 

 

 

2016年9月23日

アントマン(2015)

Marvel

- 敵に問題 -

富豪の屋敷に侵入した主人公は、自分が持つ能力と富豪が開発した技術を生かして、ヒーローになる。しかし、敵の企業家が彼を邪魔してくる・・・・

・・・原作はアメコミらしい。小さい主人公が活躍するアイディアは昔から色々あった。子供の頃の記憶では「親指トム」だったか?なかなか痛快なアニメだった。一寸法師など、小さな主人公は古くから考えられてきた話だから、今の映画館では今日的な工夫をしないと観客は満足しないだろう。

主人公を演じていた俳優はポール・ラッドという方だそうだが、印象は薄かった。でも、娘思いのよきパパという善良そうな雰囲気は確かに感じられた。コメディ俳優としては、主役には向かないが、主役の相手方として比較的マトモな役柄で引き立て役に回ると良い味を出しそうな、脇役的な印象。無茶を積極的にやっていくツッコミタイプの個性ではなく、相方の印象。ヒーロータイプではない。でも、アントマンのキャラクターが元々積極的にヒーローになったわけではなく、その意味では役柄に合致していたのかも知れない。

ヒーローだから直ぐに人気が出る時代ではない。悩み続ける、精神的に成長していく、あるいは技能を深めて新しい技を開発していくなど、何かの修行めいたものが望まれている。主人公も厳しいトレーニングを経ていたし、やむを得ない事情とは言え犯罪歴があるなど、影の部分、必死にならざるをえない点があって好感を持った。

さらに言えば、養育費を稼ぐサラリーマンとして戦っていたら、もっと共感を得たかも知れない。正義の組織の一員だがサラリーをもらっており、大活躍の後になけなしのサラリーをもらって別れた妻に手渡し、その時だけ娘と再会できる。したがって狂ったように無茶苦茶な努力をするし、危機に陥るたびに娘のことを想う・・・そんなヒーローでも良いかも知れない。ささやかな昇給闘争をやったりしたら、さらにおかしい。

CGの技術は確かなもので、映像は充分に楽しめた。残念だったのは、敵のキャラクター設定。敵も充分にトレーニングしており、何度も主人公を凌駕する仕事をしていたという設定がなかったこと。それがないと、敵がいかに優れた武器を出してきても、訓練不足の相手だから、戦いぶりは知れてしまう。

盛り上がりのための鉄則は、相手が圧倒的に強力でしぶとい、あるいは性格的にも残虐か執拗で、主人公がだまされ充分に痛めつけられるということ。その点が、少し足りていなかった印象。でも、このシリーズは、既に続編が作られることが決定したか、または既に完成しつつあるそうだ。ヒットが見込めると判断されたようだ。

どのように工夫していくのか、興味がある。

 

2016年8月18日

アメリカン・ドリーマー 理想の代償(2014)

Filmnationetc

- 非武装 -

80年代のアメリカ東部。石油運搬業に参入した実業家は、会社を急成長させたものの、謎の敵によって絶体絶命の危機に陥る・・・・

・・・ハードボイルドタッチの推理小説のようでもあり、夫婦や家族の関係を深く描く話でもあり、ギャング団が暗躍する暗黒街映画のようでもあり、上級のビジネスマン映画あるいは法廷闘争になる話かと思われたり、それぞれのジャンルの間隙を狙ったかのような、独特の映画だった。

似たジャンルで言えば、「ウォール街」は近いかも知れない。黒幕が誰かを探る展開の中に、ビジネスの成功、親子の断絶、騙し合いや裏切りなどの要素が絡む話で、ビジネスに成功するか失敗か?という緊迫感に満ちた点が同じ。

主役はオスカー・アイザックという俳優で、最新作のスターウォーズで格好良いパイロットを演じていた。でも、この作品ではキャラクターが全く違う。

個人的には、彼はこの役には若すぎたかと思えた。あるいは、役柄としてもっと弱い個性か、あるいは逆に激しい個性に設定されたほうが、リアリティが増したのではないかと思った。主人公は意志の力が強い魅力的なキャラだったが、深く洞察力を働かせ、逆転を狙っていく能力がありそうな迫力には欠ける点も感じた。

「ゴッドファーザー」におけるアル・パチーノは、少し似たキャラクターだったが、冷酷さがもっと強く感じられ、必要なら人を殺すだろうと思わせる、そんな迫力があった。そんな印象がないと、社員は従わない傾向があるものだ。実際、従わない社員が出ていた。それが現実。理想の代償があった。

業界の連中を集めて強奪を止めろと忠告する場面は、いろんな意味でよろしくなかった。映画にとっては、主役の迫力不足を露呈してしまう。根拠のない脅し、相手が困らない主張は効果がないことくらい、観客だって知っている。ただ警告だけするのは、弱さを意味する。個別に会って探りを入れ、敵の動揺を誘うといった戦略が普通の道だ。

演技力より、元々の設定の問題もあったのだろうか?例えば、怪しい人物を追跡して倒す人間は、主人公以外の人物が良い。ボディガード担当者か、それこそ逃げていた社員などの若い人物が最適だ。頭脳で勝負するタイプの人間に、アクションまで求めてはいけない。007のような映画なら構わないのだが、この話の性質上、スーパーマン的な大活躍をさせると、かえって漫画的になってしまう。この作品は強いて非武装の方針をとるヒーロー像にこだわっていたから、過去のヒーローとは性質が違っていたのだろう。

ジェシカ・チャスティンは、近年最も売れている女優。確かに、売れるのも当然の存在感を感じた。この役は一種の悪役でもあるので、迫力が必要だった。彼女は、一般的な感覚では悪女の顔をしている。そこが迫力につながっている。美貌は、あまり必要ない。人を殺しそうな迫力が欲しかった。充分に役柄に合致していたと思う。

逃走することになる若いドライバー役の名前が分からなかったが、素晴らしい演技だった。ラスト近くの緊迫した画面では、過呼吸になっている状態がよく理解できた。

この作品の一番の魅力は、苦難にさらされた経営者の恐怖、あがきではないか?会社を興して運営、発展させていくのは本当に大変で、経営者の一人として、劇場主も自然と共感していった。・・・・と申しても、劇場主は呑気にブログなんぞを書いているくらいで、時々経営をほったらかしにしている。普通の会社の場合は大成功か破産か、勝訴か示談かといった厳しい試練を経ている。厳しさが違う。

石油業界というと、巨大企業が独占的に支配し、この映画のように個人が参入できる余地はないもののように思っていた。まず仕入れの段階で大手の会社に管理されているはずなので、新規にルートを作り、メジャーから独立したタンカー運営会社と交渉し、さらに他の会社と競争して販路を開拓しないといけない。一代でそれを成し遂げるのは非常に難しいはず。

おそらく凄く成功したとしても、40代後半か50代でやっと台頭したというくらいがせいぜいではないか?IT業界と違って、急成長にも限度があると思う。二代目なら分かるが。つまり、設定にリアリティが欠けていたかも知れない。または、実際に急成長した会社があってモデルがいるのに、劇場主が知らないだけかもしれないけど。

急成長に対しては、抵抗勢力も凄いと思う。銀行を強請って、融資を引き上げさせるくらいは平気だろう。ギャングを使っての車の強奪、営業部員への暴行なども、ビジネスの一環として、ごく普通に行われるものと思う。

その際に武器を携行すべきかどうかだが、主人公が言っていた通り、銃を持てば殺し合いになるし、大事故につながって命取りになるのは確か。普通はガードマンを雇おうと考えるだろう。二台以上で移動することを原則にして、単独で移送する車にはガードマンをつける。二人が乗っている車を襲うのは、簡単なことではない。

近年なら、カメラで撮影すること、GPSで追跡できるようにすること、そして犯行の証拠が残ることを犯罪者側に分からせると思う。おそらく、犯行に使う車は道路の監視カメラで直ぐ特定されるから、この作品のような犯行では直ぐ捕まる。銃は、かえって危ないし、使い慣れていないと抑止効果に乏しい。

しかし、銃なしで敵と向き合うのは勇気がいる。不安でしょうがないだろう。緊張状態にある海域で、敵の軍艦と向き合う海上保安官達もそうに違いない。ついつい先に発砲・・・ってことはありうる。よほど厳格な職場管理をし、シミュレーション訓練を施し、法的な確認をがっちりやらないと、日本側から攻撃したといった宣伝にやられてしまうだろう。それをいかに徹底できるかが、勝負になる。

理想の代償がどのようになるか、そこを心配している。

 

 

2016年8月 6日

アルバート氏の人生(2011)

Albert_nobbs

- 女傑登場前 -

ダブリンでホテルに勤務するアルバート氏は、男装の女性。彼女は秘密を隠しながら、事業を始める計画を練っていた。計画のために若いメイドを誘うが、彼女には恋人がいて邪魔される・・・・

・・・・DVDで鑑賞。女性が男装して何かの目的を果たそうとする作品は多い。逆もそうだ。異性を演じようとすると、それを知っている観客には滑稽に写るし、いつか秘密がバレないかとハラハラするのが普通なんで、そのハラハラ感で物語が盛り上がりやすい傾向がある。

この作品は、そんな男装物語の中ではかなり異質で、笑いの要素がほとんどない。一貫して静かで、悲劇的な調子に終始していて、単調と言えばそう。ハラハラすることを目標にはしていなかったようで、安っぽい緊迫感がウリになった物語ではなく、真摯に女性の境遇を描き、その権利に目を向けようという目的があったように感じる。

でもヒロインのグレン・グロースの男装は、体格の関係か今ひとつの印象を受けた。もう少し大柄の女優のほうがリアリティが出たはずだ。顔だけとれば元々フェミニンではないので、適役だったのかも知れないが、動きが写り、他の俳優との体格差がはっきり分かる映画の場合は、ガタイも重要。ただし具体的に誰が好適な俳優と挙げることはできない。

この役は、意外に男優が演じても面白かったかも知れない。細身で美しい顔の俳優なら可能だと思う。あちらには実際にホモセクシャルだったり、性的な嗜好が独特の人は多いから、たぶん凄い才能の人がいたと思う。有名女優に演じてもらう必要はない。女形が演じることで、表現が派手になることは可能では?

悪役でアーロン・テイラー=ジョンソンが出演し、非常に好演していた。アメリカに脱出せざるをえない境遇や、メイドに悪だくみを命じる思考過程が実に自然に演じられていた。彼は「アンナ・カレーニナ」でもジゴロ的な役を演じていたから、はまり役なんだろう。メイド役のミア・ワシコウスカも、素朴で痛々しい雰囲気がよく出ていた。この役は絶世の美人が演じる必要はなく、お色気が濃厚である必要もないが、庶民的な感じや飾り気の少ない印象がないといけない。よく彼女を選んできたと感心した。

ストーリーとしては、もう少し激しさがあっても良くなかったかと思えた。対決、裏切り、騙し合いなどがあったほうがハラハラするはず。そこを懸命に乗り越えようとする主人公の姿に、我々は共感するものだと思う。成功するか、失敗するか最初から分かっているような話は、感情移入が難しくなる。もっとトラブルが多いほうが良かった。

この当時のアイルランドの状況はよく知らない。少なくとも経済的には好調だったはずはない。英国の支配があって、地域社会として破綻に近い状態で、絶えずテロと権力の対決が蔓延し、希望はアメリカに行かないと掴めない、そんな状況ではなかったかと想像する。でも、ホテル内部を子供が自由に歩けるということは、IRAが活躍してない時代もあったのだろうか?

映画で出てくる子爵連中は当然イギリス人であろう。何をするためにダブリンに来ているのか知らないが、あまり仕事はやってなくて、資産で生活できている人種らしい。農場をアイルランドに持っていたということだろうか?大戦後には没落した人達もいたのだろうが、当時は階級が固定し、格差が激しかったろう。

しかも、女性の権利も酷く侵害されていたようだ。まさか本当に男装が一般的だったはずはないけれど、待遇は戦前の日本よりも酷いように感じた。同時代の日本でも、独身女性が一人で生きていくのは大変だったはずだが、店を営む女傑はいたはず。男装も現実的ではない。あくまで物語だけの話。事業主でない女中、奉公人には、いちおう生計が独立した女性もたくさんいただろう。

北アイルランドは歴史の中心ではなかったので、歴史をよく読んだことがない。いちおう法治国家だったろうが、参政権は資産家にしかなかったのだろうか?ほとんどは英国出身の企業関係者、ごく一部は現地のエリートだろうか?進んでいたはずの欧州でも、参政権は意外に限定されていたらしいから、現地の女性の権利は酷い状況だったろう。

気づかないうちに、自分も女性の権利を侵害しているのかも知れない。権利に関する感覚は、時期によって凄く変わるものだ。子供の頃の感覚は、もしかすると戦前には一般的だったが、今では時代遅れのものかも知れない。我が家の家内が寝っ転がっていると腹が立つが、その感覚のどこかに女性蔑視が含まれているかも知れない。そんなことはない、性に関係なく、人間として怠惰を怒ると自分では思っていても、客観的にどうかは分からない。

平成28年7月31日に、小池百合子氏が都知事に決まった。立候補した後、石原元知事が、彼女のことを「厚化粧」と皮肉ったらしい。石原氏は放言癖の激しい人間ではあるが、何を言っても許されるわけではない。あれは、おそらく皆から諦められている特殊な存在。だから、気にする価値もないのだが、公的な場所で許される発言ではない。そこを許してしまう勢力は、やはり時代錯誤の連中なんだろう。

いかに都民のため、国家のため行動すると彼らが言おうとも、時代錯誤の認識に基づく人間のこと。言葉の解釈、発現の意味合いは、違う認識に基づくと考えたほうが良い。言葉通りでは通用しない。何か崇高な提案があろうと、それは彼らの欲の発現ができた上でという条件付きであって、違う認識から発する言葉に信用、信頼はおけないと、如実に表れている。

小池氏は人生を戦い抜いてきた女傑だから、彼らとも上手くやって行けそうな気はする。でも、選挙のしこりは、相当残っているはず。手打ちのような交渉が必要だろう。都連の大物が小池氏に頭を下げて引退すれば、形として分かりやすく、スッキリすると思う。

都には渦巻く利権があるらしい。小池氏は、それにメスを入れると述べたらしいが、本当にやると大変な騒動が起こるだろう。味方が多ければ、敵を作って抵抗勢力に仕立て、都議選で一気に勝負をつける手法も可能かも知れない。でも、それは本当の改革にならない。小泉氏の改革がそうだった。派手だけど、その意義は結局のところ、大したことなかったように思う。

 

 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |