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カテゴリー「あ」の127件の記事

2018年8月 4日

アメリカン・ソルジャー(2017)

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- Universal -


戦争後遺症を描いた作品。マイルズ・テラー主演。DVDで鑑賞。   


イラク戦争から帰還した兵士たちの、それぞれの家庭の様子を描いている。原作があるそうで、その中では映画に登場していたような人物のドキュメンタリーが複数語られているらしい。非常にマイナーな、およそ興行成績を期待できないタイプの作品だと思うが、それでも映画製作ができる米国は、やはり健全性を持つ国だと思う。   


イラク戦争は結局、戦後に現地が混乱した状況を残し、ISのような予想外の敵が登場したりして、出征した米兵にとっては後味の悪い結末になったはずと思う。自分が正しい事のために命を懸け、貢献し、その対価を得たということを実感できないと自己満足は難しい。仲間を失ったショックからは立ち直れないと想像する。その精神の状態の描き方が大事だった。  


この作品は、微妙な障害を描くことに成功していた。普通の映画なら、妄想によって激しく暴れる人物を描いて、それで上手い演技だと訴えたいところだろう。それを極力避けて、静かに狂っている様子、笑顔で後遺症に悩んでいる様子を描いていた。その視点、演出方法には感心する。  


マイルズ・テラーは兵隊には向かない顔をしていると思う。彼が演技力のある俳優なのか、劇場主はいまだに分からない。「セッション」は素晴らしい作品だったが、助演者のほうが素晴らしかったように思う。あの作品が有名なので、マイルズ君は過大に評価され、この作品にも当然のように主役としてキャスティングされたものの、本当に適役だったのかは分からない気がする。表情が分かりやすいとは感じなかった。 


もっと純朴そうで体力がありそうな、いかにも兵士然とした俳優のほうが良くなかったろうか? この作品の性格から考えると、純朴な人物が酷い目に遭い、悩み苦しみ、病的になっていく姿をリアルに描いたほうが良い。たくましそうな若者が、無残にやせ衰えて病的になることで観客の側に哀れだと感じることが期待されているはずだ。そんな方向性は狙っていなかったようで、それで話が深刻になりすぎなかったとも思えるが、訴える力も損なっていたかも知れない。


日本の自衛隊員にも、おそらく派遣の後遺症に悩む者が出ているだろう。作品の中で、米軍の巨大な病院が描かれていたが、日本の場合はあんなに立派な施設はないはず。各地の自衛隊病院は規模が小さい。対応は一般の病院がせざるをえないだろう。派遣を本格的にやるなら、直ぐに厚生施設が機能するように事前に考えておくべきだ。精神科医やカウンセリング関係の人間が多数必要だろう。スタッフはすぐには集まらないので、事前に計画を練って、一気に稼働できるようにしないといけない。 


もちろん、派遣などないほうが良いのだが・・・




 

 


 



 

 

2018年6月 9日

ある決闘 セントヘレナの掟 (2017)

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- Mississippix Studio etc. - 

 

テキサスレンジャーに所属する主人公は、メキシコ国境の事件を探る目的で町に到着。しかし怪しげな宗教団体が彼を邪魔することになる・・・DVDで鑑賞。 

 

主役はウッディ・ハレルソン。悪役側の中心人物だったが、「地獄の黙示録」のカーツ大佐をイメージしたらしく、マーロン・ブランドのような口調で怪人物を演じていた。 この悪役のキャラクター設定が素晴らしかった。ただの暴力男であったなら、二級品のアクション映画になる。宗教家としての性格を持ち、有能かつ大胆で戦争では活躍した人物として描かれ、悪の魅力あふれる人物だった。

 

最近のハレルソンの活躍は素晴らしい。大作映画で、主に悪役として第一級の存在感を維持している。気味の悪い表情が狂気を感じさせるので、使いやすい役者なのだろう。今回は妙なメイキャップをして登場していたが、メイクなど必要もないほど役柄に合ったキャスティングだった。はっきり言えば、主人公は誰でも良かった。ある程度の体力が感じられるなら、他の俳優でも充分だったろう。

 

戦いのシーンが非常にリアルだった。銃撃シーンは、かなりリアルだと感じた。リアルでないと、いかに凄いシーンでもしらけてしまう。銃撃の腕がない人たちは、銃を持っていても怖いはずだ。 最近の映画では銃撃戦が過剰に劇画化され、リアルさを損なったと思えるものも多い。過剰な演出はいけない。実際の銃撃戦では、よほど安定した姿勢から狙わないと、敵に当たるものではないはず。数百メートル離れた敵を次々と倒してゆくのは不自然だ。失敗ばかり繰り返すのが正しいと思う。専用の、狙撃用の銃なら最近は高精度で敵を倒すだろうが、西部劇の時代では難しいはず。 

 

いっぽうで、この作品でも無理をしたシーンが色々あったことも間違いない。ラスト近くで主人公がやられそうになるシーンは、安っぽいアクション映画を連想させる。あんな展開の作品は多いので、もう少し万人が納得できる描き方が欲しかった。せっかくの作品が、最後にレベルを下げてはもったいない。 

 

主人公の奥さんが洗脳されていく流れにも、少し無理を感じた。主人公と危険な旅に出るような女性が、いとも簡単に宗教にのめりこむものだろうか?過去に何か宗教的な経験をっしているか、あるいは病気をして悪役側に助けられるなど、自然な流れと認識させる描き方が必要だったと思う。高品質な作り方はしていなかったようだ。   


深いテーマも感じそこなった印象。宗教がかった集団と理性の戦いをテーマにする手もあったと思うのだが、ただ不気味な連中が人道に反した商売をやり、正義の味方がそれを倒すという話では、満足を狙うのも難しくないだろうか?


 

 

2018年4月22日

アトミック・ブロンド(2017)

Atomicblonde

- Focus Features  

 

MI6から派遣された女性スパイの活躍を描いた作品。活動の舞台は東西ドイツ統一直前のベルリン。そこでKGBや現地エージェントとの闘いが起こる・・・・DVDで鑑賞。   

 

デビッド・リーチ監督はデビッド・リンチとは別人のはず。まぎらわしい・・・。もともとはアクション部門を担当していたようだが、独特のセンスがあるらしく、アクション映画の総監督になっている。確かに斬新だった。殺陣に関しては、現在の最高峰かも知れない。  

 

階段で敵が倒れる時、後ろ向きに落ちていた。あれは観ていても本当に恐ろしいアクションだ。頭を打つことは確実で、下手すると首を損ねて一生寝たきりになりかねない。あんなシーンを考えつくなんて、よほどな技術がないと無理だろう。凄いシーンだった。   

 

「ジョン・ウィック」シリーズを監督していたから、動きが遅い俳優でも立派なアクションスターに仕上げることができると分かっている。 殴り合いの途中で互いにへたばって、よろけながらも戦うシーンも何度かあった。他の作品でも似たような描き方は見たことがあるが、特にへたばり具合に特徴があったと思う。少し強調しすぎて、かえって不自然になった印象も受けたが、カンフー映画のように一方的に敵を倒すばかりではおかしいので、リアルな格闘シーンの描き方と言えるかも知れない。  

 

この作品の制作の中心は主演のシャーリーズ・セロン御自身だそうだ。漫画の映画化権を買って、長い時間をかけて作品に仕上げたらしい。彼女も40歳くらいの歳になって、この種の作品のヒロインとしてはかなり無理もあったはずだが、もともとが凄いスレンダー美人なので、ギリギリながら体力がもっていたようだ。動きも素早く見える。でもヌードは、若い女優さんだけが担当したほうが良いかも知れない。スレンダーだが、特にヌード向きの体型ではなかったように思った。  

 

この作品は結構売れたらしいが、続編が作られるだろうか?セロン嬢の年齢を考えると、数年以内に作らないと難しいだろう。もし作ることが決まった場合、どのようにアクションを仕上げるのか、その点は腕の見せ所になる。顔の演技に関しては問題ない。動きがどうかに注目してみたい。偏見かも知れないが、セクシーで動きの良い新人女優が演じたら、もっとヒットしていたのかもしれないと思う。スパイと女優には賞味期限があると、偏った視点でだろうが思う。   

 

2018年3月14日

アメリカン・ヒーロー(2015)

Americanhero

 

- Amateur Distribution Ltd -

 

ドラッグとパーティーに明け暮れる主人公は、超能力で物を動かすことができる。彼は息子との生活を取り戻すべく、犯罪者たちと戦う覚悟をするが・・・

 

DVDで鑑賞。この種の作品はDVDでないと観れないだろう。メジャー路線から完全に外れたB級ヒーロー映画だ。東京あたりなら公開されるだろうが、地方都市ではまず期待できない。よく出来た作品だと思うが、かなり観客を選ぶ性質の映画なんで、R指定がついてしまったり、興行主たちが敬遠したり、世界的大ヒットが狙いにくい企画だろうと思う。

 

主人公のキャラクターが素晴らしいと、劇場主は思う。でも子供の多くは、彼を格好良いとは感じないだろう。基本、ヒーローは酔っぱらったり、ヤクに依存したりしてはならない。大人でも、こいつはあまりに酷いねと感じる人は多いだろう。多少のだらしなさは許容できても、完全なヤク中でアル中、ほぼ浮浪者姿では、さすがに限度を超えていると感じても当然だ。限度を超えた情けない人物がどう動くか、そこを上手く展開できたら、話は意外な感動を生むことになる。

そこを狙っているのは間違いない。劇場主の感覚では、それに成功していたと思う。ただし、あくまで劇場主の感覚で、である。演じていた俳優の風貌が、いかにも役柄を感じさせていたし、手持ちカメラを多用した撮影スタイルもリアルな感覚につながっていたから、悩める等身大ヒーローになっていたと思う。

同じように悩むヒーローとして、バットマンもよく深刻そうな顔を見せるが、あちらは大作映画のヒーローで、悩み方まで洗練されている。哲学書などを読みそうである。こちらはヤクにはまって、酔っぱらって道端で寝転んでいるのだから、B級らしく行動している。

 

最終的にはヒーローになれたようだった。でも、随分長くかかった。途中、これは改心したかな?と、思えたら直ぐにヤクのパーティーに参加したりして逆戻りもしていて、あれは悩んでいる主人公の心を表現したつもりだったかも知れないが、話の流れを分かりにくくしてしまったかもしれないと思った。観客の感情が変化するタイミングは考えないといけない。

「あ、これは主人公の気持ちが良い方向に向かったかな?」と、何げなく感じさせ、少しずつ明確にしていき、主人公の気持ちが高まっていることを強く表して・・・といった風に、徐々に表現を強めることが原則と思う。観客の感情を無視した編集は、良くない反応を生むと思う。「この作品は、どうも盛り上がりのタイミングが遅い。」・・・そんな印象を生むだろう。

 

さらに、戦いの規模、激しさについても、少し物足りない印象を受けた。建物が破壊され、想像を絶する圧倒的なパワーを見せて敵が戦意を喪失するくらいの派手さも必要だったのでは?敵が逃げていくだけでは、盛り上がりの点ではいただけないと感じる。血しぶきをあげるような派手さは必要ないが、予想を裏切る活躍は欲しかった。

 

 

 

 

2018年3月 5日

ありがとう、トニ・エルドマン(2016)

Toni_erdmann

 

- Komplizen Film etc. -

 

ドイツ人の教員である父と、コンサルタント会社で活躍する娘の物語。父親は娘が仕事するルーマニアに勝手に押しかけ、邪魔を始める・・・DVDで鑑賞。

 

静かな笑いに満ちた作品。爆笑シーンはほとんどないと思う。ギャグも古めで、日本人の感覚ではさえない喜劇と思えてしまうかも知れない。欧州、特にフランスでないと受けにくいような伝統的雰囲気の作品。芸術の匂いが漂うと誉めることもできるし、テンポに問題ありとけなすことも可能。

 

主役のペーター・ジモニシェックが変装する際に、しょっちゅう入れ歯を出し入れしていたが、少し意味が分からない時もあった。変装の最中は、ずっとはめ続けていたほうが良かったのではないだろうか?

 

イタズラの手法、演出手法にも疑問を感じた。米国流の喜劇映画の場合は、主人公がいたずらに失敗し、迷惑をかけて雰囲気を悪くし、誰かが真剣に怒って騒動を起こしたり、明らかにマズイ状況になることが多い。この作品では娘以外は誰も怒鳴ってきたりはしなかったが、もっとトラブルになっていたほうが哀愁が漂い、観客には受け入れられたのではないだろうか?

 

ぬいぐるみの帽子が抜けなくなったり、手錠のカギを失ったりの失敗は、米国流ならもっと悲惨に描かれるだろう。主人公が泣き出したりするほど、派手なドタバタ劇が展開されるはず。そこがないというのが欧州流なのだろうか?

 

場面の切り替わり方にも疑問を感じることが何度かあった。そして全体に少し長すぎる印象もあり、もっとスピードを上げて、シーンを限って編集したほうがテンポのことを考えると良かったのではないかと思う。そのいっぽうで、ゆっくりした流れは、親子の情愛のイメージには合致していた。あまりにドタバタしすぎると、味わいは損なわれただろう。

 

主役も存在感ある俳優だったが、娘役のザンドラ・ヒュラー女史も素晴らしかった。不機嫌そうな顔つき、きつい目つきが役柄に合っている。よく選んできたなと感心した。この役は可愛らしい女優である必要はなく、気の強そうなクセのある女優のほうが面白くなる。

 

東欧をEU圏に入れて欧米の企業は進出し、好調を保っていると聞く。安い労働力、豊かな資源と市場が陸続きでボーダーレスにあれば、発展はするだろう。現地の状況がどうかは気になるところだが、ビジネスマンたちは活発に活動して、この作品のようなドラマが各地で繰り広げられていると想像する。

 

でもビジネスウーマンの娘さんは、日本人よりは働いていなかったようだ。日本人のOLよりも条件が良い気はする。言葉、距離、歴史と伝統、人種、政府の方針など、ほとんどの点でドイツ人は優位な立場にあり、自然と労働生産性も高くなると思う。働き方改革の機運が高まっているというが、評価のもとになる各種の統計は、条件が異なる国々と比べているように思える。

ちょうど「ゆとり教育」と同じレベルの勘違いをしているように思える。条件が違う国の学者が言うことを、そのまま素直に深く考えずに政策として取り入れようとしても失敗する。深く考え、正しく検討して欲しいものだ。

 

 

 

2017年12月25日

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う(2015)

Demolition

 

- Phantom Film -

ジェイク・ギレンホール主演のラブストーリー。と、言っても純愛映画ではなく、感情が虚ろな男の再生を中心に描いたストーリー。タイトルのデモリションは、主人公が家具や家電製品をバラバラにしたくなる衝動を差したらしい。DVDで鑑賞。

あまり前評判を聞いたり読んだりしたことのない作品。でもギレンホールが主演する映画には、あまり外れがないだろう。そんな理由で鑑賞する気になった。

 

この作品には原作があるのだろうか?調べていないので分からないのだが、誰かの体験が話の元になっているような気がする。家族を亡くすと、普通なら茫然自失とするか、細かい段取りで頭がいっぱいになって動転してしまう人が多いはずだ。でも葬式から納骨に至るまで冷静にこなす人もたまにいる。連れ合いの葬式でも、自分の仕事の一環のように感情を大げさに出さないまま、クールな態度でやれる人の話もよく聞く。たまには笑顔さえ見せ、軽いジョークを飛ばせる人もいるくらいだ。 そんなクールな自分に気づいたとき、この作品のアイディアが生まれたのではないかと、勝手な想像をしてしまった。  

 

主人公に深くかかわることになる女性をナオミ・ワッツが演じていた。母子家庭だが、本人はマリファナ中毒、しかも息子は性的マイノリティという設定で、さすがに話が難しくなるように無理して作られた話のように感じる。  いかにも小説家が考えそうな匂いがするではないか。 原作がないなら、きっと誰か脚本家が小説タッチに考えた話だろう。   

 

主人公が物を分解する衝動がどこから発生しのか、完全には理解できなかった。義父がセリフで「分解して考えろ。」みたいなセリフを吐くシーンが一回だけあったが、それが追想場面であったせいで印象付けが足りなかったのか、衝動的行動をとる主人公の感覚を理解するのは難しいように感じた。 何かを分解し、何かを発見する喜びを、もう少し時間をかけて描けば分かりやすかったに違いない。 

 

もしかすると、この作品の主人公はコメディアンのほうが良かったのではないだろうか?狂った行動をとる場合、ユーモラスに演じてくれたほうが、後の悲しさが惹き立つと思う。 バカそうな男が、ショックで頭の調子を変にして、トンチンカンな行動をとるという演出にしたほうが、観客受けは良かったろう。チャップリン映画のイメージだ。ギレンホールでは、それが難しい。 そこが、残念な結果につながったのではないか?  また、ぜひとも主人公には男性の友人が欲しい。話をリアルな方向、実生活をイメージさせる方向にしたいなら、彼を心配してくれる常識に満ちた同性の人物がいたほうが良いはずだ。   

 

発達障害がある人間は、肉親の死においても、独特の感じ方をするのではないかと思う。ちょうど、この主人公のように仕事に関しては非常に有能で、立派な社会人であったとしても、人間関係に関しては心の底からの愛情、友情を形成できない場合はあると思う。劇場主も、自分にそんな傾向がないか気になる。

 

親の死の数年前に、お迎えが確実に来そうだと感じた時の劇場主は、親の前で泣いてしまった。親の死に方を予想できたからだ。でも、いざ本当に死んだときは、「覚悟の通りだ、悲惨な時間が短くて済んだ」という安堵感のほうが大きく、泣き崩れるほどの強い悲しみは感じなかった。予想の時のほうが悲しく、実際は安心~納得に近い。ごく自然に、無理なく「覚悟の通りだ、さあ為すべきことをやらねば」と、思った。クールすぎたかもしれない。あるいは、単に諦めていたからだけかもしれない。 でも、もしかすると感情に欠ける部分があったのかもしれないと、少し気になる。

肉親の死に際しては、自分が成すべきこと、話す内容から所作に至るまで、改めてどうすべきか再考してしまい、頭の整理がつかない時間がある。それが普通だろう。 それを練習していくのが運命なんだと思う。

 

 

2017年12月16日

アメリカンドリームの終わり(2017)

- ディスカバー・トゥエンティワン -

 

ノーム・チョムスキー作の政治評論。似たようなタイトルの本は多い。彼は雑誌などで繰り返し政治の話を述べていたから、劇場主は彼が言語学者だと認識していなかった。もしかすると一度くらいは著者紹介の欄で彼の本職について読んでいたのかも知れないが、記憶は不確かなまま。思い込みで、彼は純粋な政治学の専門家だろうと思っていた。

 

経済学・・・まったく素人の領域。しかし、倫理に関して考えていくと、経済学を抜きにしてはいられない。富の偏りは良くないという認識は、倫理に直結する。共産主義や資本主義、イスラム教の戒律との間で対立が起こる時に、多くの場合は富の偏在をどう分析したかに応じて、その理屈の微妙な違いが過剰な対立に結びついているような、そんな感覚を持っている。狙いは同じでも、解決法が違うだけだと・・・

 

この本の主題は、米国の政治は一貫して民衆の権利を侵害し、力を阻害しようとしてきたということ。民主主義のチャンピオンのイメージがある米国が、まさか・・・、そんな感覚の人がどうしても多いはずだが、この本の内容は間違いではないはず。確かに計画的に民衆の権利を抑え、企業や支配的な人達を優遇してきた歴史があると思う。ただ、さすがに少し誇張もあるかも。民衆の側の権利が確保された時期がないわけではない。権利の要求と圧迫のせめぎあいがあるというだけだろう。

 

公民権運動や性的マイノリティの権利は大きく報道されていた。でも、それらに注目が集まる中で、気づかぬうちに中間層以下の経済的な立場への関心が薄れ、気がつけば抜き差しならぬことになっていたのかも知れない。計画的にそうしたわけじゃなく、利害関係と力関係、そして米国独特の法体系や歴史がそうさせたのだろうと思う。少しずつ、ほんの少しずつ、資産家の権利が確保されて来たようだ。

 

米国の場合はイメージ戦略=大規模キャンペーンの力が強く反映されると思う。感覚が似かよった集団が大規模に作られている。それによって、イメージとしては民主主義のためと訴えつつ正反対の行為を行い、それでも裁判で負けない勢力のパワーが、他の地域より維持されやすい。計画的な宣伝が大衆のイメージを作りやすく、世論操作しやすいのだ。歴史ある国ではちょっと難しい。日本は、米国の影響が強いので、イメージ戦略に弱い点は似ている。

 

立法や裁判に関わるシステムが、そんなえげつない姿勢を助長してきたし、それが基本的なルールとなって、他国にさえ影響してきたように感じる。法律のルールが今日の結果を生んだのだろう。裁判所の力が強いので、裁判に勝ちさえすれば、強欲を抑えつける仕組みがなくなり、悪行もビジネスとして認められ、誰も手出しできなくなる。その結果が積もり積もったらどうなるか、それを我々は見ているのではないか?

 

歴史上の強国は、常にそうやってきたのかもしれない。征服はしなくても、そうするぞと圧力をかけ、相手側から譲歩を引き出すのは難しくない。劇場主がビジネスマンなら、ビジネスの一環としてきっとそうする。それによって富をつかみ、名声を得て、市民たちから大いに感謝されることも期待できる。ますます劇場主は有力者になるが、気の毒な現地人のことは気にする必要はない。ビジネスなのだから。そんな感覚ではないだろうか? 

 

こんな流れは、例えばアフリカの小国の誰かが考えついても実現されることはない。米国独特のものだろう。米国では、このような仕組みは成功体験として支持され続けている。覇権国の一時的な大成功の例、それがアメリカンドリームなのかもしれない。

米国や米国人の利益を追求した場合は、かなり強引に法的には保護されている。企業集団、生産者集団の要求によって、米国政府は他国と交渉し、権利を確立してきた。過去に、そのような欲求を持った人たちがたくさんいたのだろう。権利の追及を可能にしたことで、アメリカンドリームの数々が可能になったが、それらは力を持つ国の法の強引な規定による流れかも知れない。

 

ただの流れに過ぎない・・・そんな印象はある。米国人が弱者をさげすみ、いつも悪意を皆持っているわけではなく、ほとんどの市民は善意に満ちているのだろうが、ちょっとした論理の方向性、イメージ戦略の影響で極端な利益偏重が許され、大多数の市民は一部のビジネスマンの悪行に気づいていないのでは?と思う。

 

アメリカンドリームと我々が思っていたものは幻想のようなもので、国が発展する中で一時的に出没する奇跡のようなものかも知れない。どの国でも発展の途中は熱病のように富を目指すものだ。多くの夢のような成功が達成される。他の地域が大きな力を持てば、きっと夢の場所は変わるのだ。それが自然の流れで、アメリカンドリームだけが特別じゃない。英国の貴族社会だって、数々の成功体験を持って確固たる立場を持っていたのである。中国の富裕層もすさまじい資産を形成している。今はチャイナドリームのほうが勢いがある。それだけのことか?

 

でも、さすがに資産に関しての問題点が浮き彫りになったことで、世界的に金持ち優遇を制限する具体策が望まれるだろう。多国籍企業への課税が始まろうとしている。企業側だって何かやってくるだろうが、世界中の経済が極めて好調で、庶民の収入も伸びないかぎり不満は解消されない。政策の修正は必要のはずだ。きっと、このままじゃ済まないと思う。どう転ぶかが分からない。

 

 

 

 

2017年10月29日

「安倍は保守」とは言ってはいけない(2017)

 

- 橘玲著、文藝春秋(2017) -

 

文芸春秋を読んでいたら、作家の橘玲氏の政治評が掲載されていて、興味深い内容だと感じた。元々は早稲田の学者が何かの研究をした結論らしい。自民党政権の政策が、リベラル化しているという内容だった。確かにそんな気がする。民主党が訴えていた内容が、いつの間にか自民党の政策になっていることが最近多い。

 

橘氏の書かれた本では、「言ってはいけない」を読んだことがある。独特なまとめ方をしているが、間違った内容とは思えない。氏はもともと経済問題を中心に、いろんな形の作品を出しているようだ。今回の文章は、より鋭い内容で、説得力のある文章だった。ただし、タイトルの言い回しは、少し妙な気もする。

 

サイコパスらしき人物との交渉を何度か経験したが、彼らは他人の意見を自分の発想だと言い出すことにこだわりがない。こちらが何か意見を言うと激しく反論し、とんでもない!大間違いだ!などと言っているが、次に会った時には「俺は前からそう考えていたんだ!」と、また激しく訴える。「ええ~?そう来るか!」と、こちらが怯むのを期待しているかのようだ。

 

おそらく彼らの頭の中では、こちらの意見を検討し、自分が有利になる案だと判断できれば、それを学んだ自分を肯定的に認識しているのではないかと思う。意味を理解できたら、元々知っていた気になり、自分の発想のような気になる。意地を張って反対し続けると、やがて不利な結果に終わるので横取りするが、横取りの自覚は乏しく、とにかく自分の有利な方向に持っていくほうが良い、そんな感覚らしい。

 

総理の個性がそうなのかは分からないが、現政権はそんな態度のようだ。でも間違ってはいない。政治家は、常に自分の有利な方向を目指すべきだ。そうしないと選挙で負ける。節操がないと言えばそうだが、こちらとしては法案は通りやすい勢力から提出してもらったほうが都合が良い。民主党から提出すると、おそらく政府がつぶしてしまう。ここは与党から提案されたほうが良い。そもそも民主党は瓦解してしまったようなので、余計にそう言える。ただし、政府案は骨抜き法案に変わっていくだろうけど・・・

リベラルだった労働運動は、一定の既得権を生んでしまった。劇場主もそう感じる。かっては大まじめで命がけだったと思える労使交渉も、長い年月繰り返されると、慣例でどの程度融通するか決まってきやすい。要求する際の人間関係、流れ自体が既得権益化してしまう。そして、保守化してしまうという流れはある。団体交渉は、さながら舞台劇みたいな雰囲気で、茶番のようだ。結論の落としどころが最初から決まっている。

 

政治的な概念も、文化人類学的な原則からは逃れられない。理論に基づいて権利を主張した斬新かつ清廉な意見も、慣れや人間関係、そして活動家自身の年齢的変化によって、パターン化した意見に変わっていくものだ。運動家だって自分を守りたい。それは成熟、老練化ととらえることもできる。活動家が、老練な保守的人物になることは仕方ないのだろう。交渉を繰り返していくと、敵から影響を受けるものだ。   

 

いっぽう、リベラル活動家達と交渉している保守勢力も、世間からの印象が気になるのだろう、強面路線を続けてはいない。こちらも懐柔と譲歩によって世論の人気を得て、敵に力を与えないように、折り合いをつけることに慣れる。それを恥じらいもなくやらないと、隙を生じるから仕方ないと感じているのでは?馴れ合いと出し抜く意図、それらの結果がパターン化したように思える。

選挙に勝たないといけないので、客受けする内容を公約に盛る必要があり、一度失敗したことで、そこを決して忘れないようにしている。本来は投資家に有利な政策を基本として、印象を操作する手段の数々を、おそらく専門家達と相談しながら練っているのではなかろうか?米国の大統領選がまさにそうだから、参考にしないはずはない。安倍政権の戦略は本当に優れている。

 

憲法改正を目指す人間が、グローバリズムの片棒を担いで格差を助長しつつ格差是正を訴え、本音は隠してリベラルな政策を盗み、財政を悪化させつつ若者世代の支持を得る・・・おそらく、完全に自己矛盾しているはずだ。皆は勘違いしてしまっているのだろう。臆面もなく訴えると、大きな矛盾に気づかれないままやれる。サイコパス連中が、そんな技術を持っていた。あれを技術というべきか?彼らは異常で、認識障害を持っているようにも思えたが・・・?

 

 

 

 

2017年10月 8日

アラビアの女王 愛と宿命の日々(2015)

Queen_of_the_desert

- Atlas Distribution,  GAGA.etc -

イギリスの学者にして諜報員的役割だったガートルード・ベル女史の伝記物語。DVDで鑑賞。

「アラビアのロレンス」を意識したのか、高尚で叙事詩的な作り方の作品。誇り高い雰囲気を随所に漂わせ、古い名作映画のような高級な感じがする。その分、現代風の軽いノリのようなものはない。若い観客は、きっとソッポを向いたのではなかろうか?

ニコール・キッドマンは50才近いはずで、ヒロインを演じるには無理があったと思う。でも照明や化粧などを工夫したのか、充分に美しく、気品の漂う女優ぶりだった。古い時代の名女優、大スターの雰囲気が感じられ、名演だったと思う。彼女は、古いタイプの女優のようだ。

演出が、少しテンポに欠けるような気がした。特にヒロインと、ジェームズ・フランコ演じる外交武官?とのデートシーンは、冗長ではなかったろうか?会話が多すぎ、濡れ場になっていない印象を受けた。印象をよくするためには、ロマンチックだが時間は短めにすべきだったと思う。

領事を演じたダミアン・ルイスがまた良い味を出していた。この人は役人を演じさせると抜群に雰囲気が良いようだ。恋愛専門の役者やアクションスターなどにはならないと思うが、この役には向いていた。

しかし、ベル女史がいかに優れた学者、官僚だったとしても、今日の中東の混乱を招いた英国政府の一員だったとして考えたら、やはり罪はあると思う。ベル女史の意見が通らなかった点も多かったろうが、責任は免れ得ない。

英国が、どのように考えるべきだったのか分からない。どう対処しても、アラビア半島は常に部族対立、宗派対立を繰り返し、殺し合っていたのかも知れない。関与しようとしまいと、何も大きくは変わらなかった可能性はある。

シリア、ヨルダン、イラクなどに分割したことや、その国境線の決め方などは、展望を開きにくい悪いタネをまいてしまったように思う。ISの誕生にも、英国の政策は関わっている。呪われて然るべきかも知れない。

そんな政策に関与した女史を描く場合は、違った描き方もあったのではないか?恋愛に重点を置いたのは、正しかったのかどうか?

 

 

2017年9月 8日

アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場(2015)

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- Entertainment One -

イギリス出身のテロリストを狙う英国軍。ついに居所を突き止めたが、攻撃するには民間人の犠牲が問題となる。司令官達の間で緊迫したやりとりが続く・・・

・・・・DVDで鑑賞。緊迫感が素晴らしかった。緊迫するように、上手い盛り上げ方をしているなあと感心。さらに何か求めるとしたら、もう少しユーモアのあるやりとりがあれば良かったかも知れない。

登場したカメラ型の鳥、虫型のドローンはすごかった。あんなのが飛び回ったら、情報を隠すのは難しい。本当にあそこまで性能が上がっているかどうかは分からないが、かなり現実的なメカになっているのだろう。

英国と米国、現地部隊との間で、細かい連携がなされていることに驚いた。実際にはどうだろうか?通信は傍受される可能性も高いし、時差や機器の性能の問題もあり、それに描かれていたように、担当者が不在で連絡ができないことも多いはずだから、もっと限られた人だけで事を進めているのではないだろうか?映画のように話し合っていたら、作戦は上手くいかないだろう。

米軍が主体の場合は、おそらくもっと簡単だ。CIAと軍の上層部はモニターを見ているかも知れないが、議員やホワイトハウスの高官は指示する場所にはいないと思う。妙な政治的判断をされたら、作戦は失敗する。ゴーのサインが出たら、よほどな支障がないかぎり作戦は遂行されるはずだ。

作品が問題としているのは、「ドローン・オブ・ウォー」とほぼ同じ問題。上空からの爆撃でテロリストを狙う時、関係のない民間人、特に少年少女が犠牲になる。法的にどう処理されるのか、犠牲をどうやって避けるべきか、そこが人道的に大きな問題になる。

以前だったら、地上部隊が包囲するか、あるいはヘリがミサイルをぶち込んで、民間人ごと殺戮しても仕方なしという考え方だった。犠牲を避ける方法がないから、仕方ないというわけだ。攻撃方法が進化し、米英軍の犠牲が極端に減った現在では、危険を冒さずに敵を攻撃できるようになり、人道面に注目が集まるようになってしまった。

ドローン攻撃をどう考えるべきか、さっぱり分からない。欧米でも法律が追いついていないのかも知れない。戦争状態になった地域と、民間人が平穏に暮らす地域で、攻撃のあり方は違って当然だろう。民間人が暮らす地域では、いかに高性能で周辺の害が少ない武器でも、使うことは望ましくない。でも、それが法律化されると、テロリストは必ず民間人の中に潜り込む。

潜り込むことは民間人を人質に取ることであり、旧来の軍法ではそもそもが違法行為、軍法の対象外の連中といった理屈があった。正式な軍人ではなく、凶悪な殺人者であるから、残虐な方法で殺しても軍事法廷では裁かれないといった論調。でも、ほとんどがそんな戦場になったら、旧来の軍法を持ち出しても通用しないように感じる。

たぶん、国連で何か決まっていくのではないだろうか?有力国の都合に応じて、「何年度版のソフトによって犠牲が50%以下と判定されたケースでは、攻撃は許される!」「何年版ソフトによってテロリストの可能性70%以上と判定された人間は殺して良い!」といった、冷酷この上ない内容にならざるを得ないということだろう。

NATO諸国の首脳が参加したSNSで、「殺す?殺さない?」のタグに対し、「殺せ!」→「イイネ!」の支持が何件集まったら許可・・・ああ、考えただけでも怖ろしい話。

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