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カテゴリー「あ」の82件の記事

2020年1月13日

アルファ 帰還リし者たち(2018)

Alpha

- Sony -

原始時代、狩りに出かけた主人公は仲間から取り残されてしまい、一人で故郷を目指すが、オオカミに襲われてしまう・・・・DVDで鑑賞。 

あまり大手の作品ではなく、大作でもなかったはずで、大スターが出演しているわけではなく、ストーリーにも映像技術にも取り立てて斬新なものはなかった。でも、そんな単純な作りながら、納得できる作品に仕上がっていたと思う。身の程をわきまえていたのだろうか、予算と技術、スタッフの質やマンパワーを考えて、うまくまとめられていたのかも知れない。 

CGではなかったようだが、スタジオでの撮影と屋外の光景が、かなり緻密に合成されていたようだ。メイキングを紹介する部分で、上手く合成された映像を確認することができた。 

オオカミ役の犬の表情が非常に良かった。何かを与えようといても警戒して唸り声をあげる時に、いかにもオオカミらしい敵意を持つ表情、声質だったが、もともとオオカミに近い品種の犬だからできたことだろう。よく選んで来ていたし、調教も非常に上手くできていた。 

主人公の演技がとても良かったとは感じなかったが、酷いものでもなかった。この作品は人間の演技力を問われるタイプのものではなかったのだろう、普通のテレビドラマのような演技でも特に大きな問題を感じなかった。

BBCのドキュメンタリー映像などで感じられるような、荘厳な雰囲気はなかった。苦しい旅を表現するためには、もう少し演出に工夫が必要だったのかもしれない。 

人間たちの来ている衣類には大きな欠陥があったはず。どうみても、この作品の時代のものとは思えない、縫製の痕が見えそうな布だった。あの当時、機織り機のようなものがあったとは考えにくい。当時なら、獣の皮を単純につないだり、重ねたりしかできなかったと思う。獣を素材にしていない物もあったかもしれないが、それは布というより、紐をより合わせて体に結びつけるような物だったはずだ。すこし興ざめする衣装だった。 

犬と人間の結びつきが、この作品のテーマだった。非常に単純で、分かりやすい。大きな感動を生む内容だとは思えない。作った意義や、何を目指して作ろうと思ったのか、そこも分からない。でも、犬の名演技を見るだけでも、この作品には意味があると思う。俳優たちの演技や衣装に足を引っ張られても、犬や猫の姿には、見るだけで心を和ませるものがある。

あのワンちゃんにはアカデミー賞を与えたい。

 

2019年11月18日

アラジン(2019)

Aladdin

- Disney -

ウィル・スミス主演のCG実写版アラジン。歌はアニメ版とかなり共通していたが、ダンスは最近の流行を取り入れており、少しインド映画も意識したような作り方だった。DVDで鑑賞。

CGの出来栄えは素晴らしかった。街並みや、その上空を飛ぶ絨毯の動き、風の抵抗の表現など、細かい部分の処理が丁寧で、観ていて無理が感じられなかった。ダンスも素晴らしい。インド映画とのレベルの違いを感じる。なんといってもディズニーは毎日パレードをやって鍛えられている会社だ。伝統が違う。 

設定に違和感は感じられなかった。大まかな点では伝統に従っていて、安心して観られる作品だ。この作品を劇場で観るのは、親子連れだけではないかと思うが、今の親子はウィル・スミスに満足してくれるだろうか? その点を少し疑問に思った。

たしかにウィル・スミスは順調にキャリアを重ねている。スキャンダルも聞かない。アクション俳優には違いないはずだが、コメディ俳優の要素も大きい。今回の魔人役は、コメディアンが演じるべき役柄だから、キャスティングはスムーズに進んだのかもしれない。でも劇場主の感覚では、ミスキャストではなかったかと思えた。微妙なところかもしれない。

おそらく、本来ならもっと肥満体の、悪役の顔つきの俳優が一番おかしく、魅力的に感じられるだろう。キャラクターとしては、いかにも無茶なことをやりそうな、乱暴者の雰囲気の役者が良いだろう。ジョン・ベルーシやジャック・ブラックのような体形が欲しい。ひねた個性を売っているロバート・ダウニー・Jrやジョニー・デップでも面白かったかも知れない。ラップ調の曲には合わないかも知れないが、歌が外れても、この作品の個性を考えると問題ないと思う。

あるいは有名俳優でないほうが良いかも知れない。その代わり、アラジンや王女役をアイドルにしたら良いだろう。アラジン役は、もっと背の高い、王子役をやれそうな役者のほうが良かったはず。そのほうが昔ながらのディズニー映画の雰囲気に近くなる。子供が喜んでくれることは第一の目標なので、子供受けするための配役、ストーリーにすべきである。少し、ピントがずれていたのかもしれない。

劇場主の記憶では、本来の物語ではランプの魔人と、指輪の魔人が出て来て、指輪の魔人のおかげでアラジンが戦える話だったような気がするのだが、映画用に設定が変えられているようだ。この作品を見る限り、魔人が複数出て来る必要はないかも知れない。そもそもアラジンの話は、もともとは中国あたりの話かも知れないそうだ。アラビアンナイトの原典に、この物語はないという。いかにもアラビアチックな話だが、途中で加えられた話らしい。

 

2019年10月29日

アリータ:バトルエンジェル(2019)

Alita-battle-angel

- Fox -

空中都市から吐き出されたサイボーグ少女アリータは、賞金稼ぎやプロスポーツ選手として活躍し、自分の秘密に迫る・・・DVDで鑑賞。これは、おそらく大人が劇場で鑑賞するタイプの映画ではないだろうと思うが、恋人といっしょになら、悪い作品ではないはずだ。純愛路線の物語だった。 

主役の少女の目はCGで描かれていたが、体の動きは主にキャプチャーモーション技術による実写だったようだ。処理が丁寧なので、表情などに関して違和感はなかった。でも、目をCGにしなくても別に構わないような気もした。ヒロインを特色ある姿にすることや、アニメの感じを出すためには目を大きくした方が良いと判断したのだろうが、違和感はどうしても残った。

この作品は日本人の木城ゆきと氏という、どちらかと言えば知る人ぞ知る漫画家の作品や、そのアニメ化作品が原作になっているそうだ。劇場主は原作漫画を全く知らなかった。 

格闘シーンは素晴らしい。劇場主は、タイの少女格闘家が主演した「チョコレート・ファイター」を思い出した。体格から考えて、少女役はあの映画の主役が演じているのかと思ったが、別の女優が演じていたようだ。動きはなめらかで、美しかった。 

ストーリーは、特に斬新な感じではないと思う。似たような話は色々あったのではないか? 記憶を失った戦士の話、支配階級の世界とスラム街で暮らす下層の世界の間で対立する話など、元になった設定が似た作品は多数あった。独特な点は、失われた古代の格闘技術と武器を扱う点と、少女の顔くらいか? 特色の面で、もっと新しい感覚が必要だと思う。 

悪役には素晴らしいキャラクターがいた。ヒロインには簡単に負けるし、刀も取られてしまうが、嫌らしい性格で執拗に追って来る賞金稼ぎは実に魅力的なキャラクターだった。すぐ負けるが、弱いものを執拗に迫って残虐行為をはたらく、世の中で最悪の嫌われ者キャラである。彼だけは、この作品がシリーズ化されたら、また活躍して欲しい。

できればヒロインと交代して、彼が主役になると面白いかも知れない。逆説的だが、彼の視点でヒロインをいかに追い詰めるか、罠をどう仕掛けるか、ヒロインの仲間をどのように殺してゆくか、いかに汚い手を使うか、その工夫を延々と描くと面白い。そんな彼が家に帰れば、ささやかな家庭を持っていて、よきパパだったりすると、話が複雑になって来ると思う。

 

2019年9月 7日

アクアマン(2018)

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- Warner Bros -

海の女王と人間との間に生まれた子供が成長し、アクアマンとして活躍する話。DCコミックシリーズの中で一番売れた作品で、ダークナイトよりも興行収入が上だと聞いて、DVDで鑑賞。劇場には行かなかったが、そもそも上映されていたのかどうかも知らなかった。  

この作品は、中国系のジェームズ・ワン氏が監督していて、彼のセンスが生きていたようだ。美術的な面が素晴らしい。海底都市の映像は、今までにも様々な映画で描かれてきたが、この作品の都市像は特に見事なものだった。おそらく、東洋系や中南米、アフリカ系など、センスが異なる監督を連れて来ると、作品に新しい魅力が生まれる。今後は、マイノリティーが映画界の主流になるべきなのかもしれない。 

センスとともに、技術も進んできたからだろう、海中で移動する際の髪の毛の流れ方、周囲の浮遊物の動きが実に自然に表現されていて、CGの手が感じられないほどの完成度だった。少しでも不自然な動きがあれば、たちまちのうちに二級品の、マンガをただ映画化した作品という評価につながってしまう。圧倒的な技術が、この種の映画では必要とされるようだ。 

主人公を演じていたのはハワイ原住民の血が入ったモデル出身のジェイソン・モモア。演技力はよく分からなかったが、体格や顔つきが素晴らしく、一見しただけで海のヒーローにぴったりだった。彼は今後、イメージを変えて俳優を続けることは難しいかも知れないが、こんな役に出合えたなら、それで十分なのかも知れない。相手役のアンバー・ハード嬢も目つきがきつく、勇敢そうな印象が役柄に上手く合致していた。こちらのほうは、スパイ映画やヒーロー映画、SFからメロドラマまで、ヒロインも悪役も、いろんな役柄を演じられそうだ。総じてキャスティングが成功していた。 

ストーリーは省略されていて、主人公が戦いの技術を学ぶシーン、途中の成長の場面はほとんどカットされており、いきなり大人になって激しい戦いぶりを展開する。順番的には逆になってしまっていたが、冒頭部分で主人公の強さが大変なものと分かり、一気にヒーローとしての魅力を訴えかけられるので、観客の心をつかむ効果があったと思う。時間通りに成長のシーンを延々やられたら、観客は退屈してしまっただろうから、上手い展開だった。  

主人公が一方的に勝ち続けないことも常識的な判断だし、家族愛がストーリーの根底を成しているし、仲間や恋人が主人公を助ける友情、恋愛の要素もちゃんと織り込まれているし、ストーリーの完成度が非常に高かった。そしてCG技術が凄いし、俳優たちも有名な人が多かった。かなり資金的にも力が入っていたように想像する。

 

 

2019年6月19日

アリー/スター誕生(2018) 

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- Warner Bros. -

場末のバーの歌手アリーは、スター歌手のジャクソンに見いだされ、デビューする。アリーがスターになるとともに、ジャックは薬物依存症の泥沼に陥る・・・・この作品、映画館では観なかった。 それほどヒットした報道がなかったからだ。でも、興行的には成功した作品らしい。何度目かのリメイクで、レディー・ガガが映画に進出した作品。

監督を兼ねていたブラッドリー・クーパーは、意外に歌もうまかった。本物の歌手に近い雰囲気が出ていて、それが作品のリアリティーにつながっていた。レディー・ガガの迫力も役立っていた。やはり、この種の映画では歌の上手さが前提になるようだ。俳優が歌手を真似て演じても、ステージシーンで学芸会なみのレベルでは、作品のレベルが落ちる。歌唱力は絶対条件だ。

ただし、ヒロインは他の人で良かったのかも知れない。この企画は、もともとはビヨンセがヒロインの予定だったそうなので、実力のある歌手なら他の人でも良かったと考えられる。若くて美しい新人歌手でも、要するに歌の実力があるなら通用する可能性はあったと思う。レディー・ガガで良かった点は、スタイルが良すぎないこと、浮世離れした美人でないことで、それによって実在感、生活感が感じられた。いろんな曲調にそつなく対応できる歌い手であることも、キャスティングの理由ではないかと思う。演技も自然だった。もともと奇抜なパフォーマンスで売っていた彼女なので、歌だけじゃなく、演技をしていたようなものだ。違和感がない。

鼻のことを気にしたのは、もしかしてバーブラ・ストライサンドのことが影響していたかもしれない。バラードの出来栄えが勝負になる映画だから、旧作でヒロインだったバーブラは自然と連想される。きっと相当意識していたはずだ。ジュディ・ガーランド版を観ていないが、昔から鼻の話は使われていたのだろうか?

ヒロインの境遇は、映画的にはどうだったか、少し不満を感じた。ドライバー業を営む父親と、その仲間たちと暮らしているという設定だったようだが、今までの映画なら、もっと汚い家に暮らし、イザコザややっかいごとに辟易としながら幸せを夢見る女といった演出が常道だと思う。亡くなった母親の話で涙を流す、そんなシーンも必ずあったろう。でも、このヒロインは不幸そうに見えない。仕事が気に入ってないことと、自分の鼻にコンプレックスがあることだけが不満のようだ。不幸な境遇から、一転してスターになり、そして悲しい別れ・・・その流れを際立たせることは、今の時代だとあざといと考えたのだろうか?

確かに、そうかも知れない。あまりにメロドラマ路線に走りすぎると、韓流映画みたいになってしまう。今どきの映画は、ステージの迫力で勝負するべきなのかもしれない。でも、歌だけで感動させるのに、限界はあると思う。献身的な妻の話だけでも、やはり感動は限られる。さらなる要素、心揺さぶられる要素が欲しかった。もしかして、主役の二人に子供ができて、その子も絡む展開になったらどうだったろうかと、少し考えた。

 

 

 

 

 

2019年6月 7日

アベンジャーズ/エンドゲーム(2019)

Mavel

- Dizney -

生物の半数が殺された後、生き残ったアベンジャーズは傷つき、後遺症を抱えていたが、時空を超えて戦う方法を見出す・・・6月2日、劇場で鑑賞。
 
鑑賞した理由は、この作品が歴代一位の観客動員数に迫っていると聞いたからだ。一位になるからには、出来が悪いはずはない。そう期待して行ってみたのだが、意外にも劇場はガラガラだった。日本人の趣味に合わないのだろうか? 

確かに米国人とでは、感じ方に違いがあるはずだ。
 
①キャプテン・アメリカは主役の一人だが、日本人にとっては妙な衣装を着ただけで、特殊能力があるわけではないので、弱小キャラにしか見えない。滑稽だ。 
②キックや銃だけで宇宙人と戦えるなんておかしい。ブラック・ウィドウの力量にも違和感がある。 
③キャプテン・マーベルなんて、取って付けたようなキャラクターではないか? もう少し違った名前があろうし、宇宙船を簡単に破壊する力があるなら、ついでに敵の全部を一発で退治することもできるだろうから、設定に無理がある。 ・・・他にも妙なところがたくさんある。それらが気になって、最後まで満足できなかった。この作品はブルーレイを借りて、家で鑑賞するのがお勧めだろう。劇場鑑賞が良い点は、迫力の点かな?と思えるだけ。  

ストーリーは工夫してあった。タイムトラベルを持ち出して来たが、最初はなかなか上手くいかないので失敗するギャグのシーンが何度かあって笑えた。途中で敵がこちらの計画に気づき、罠を仕掛けて反撃を喰らう展開も良かった。逆転に次ぐ逆転の流れになっていて、よく考えてあったと思う。 

でも、この作品の難しい点は、基本が大きな悲劇の克服、戦いがテーマなので、どこまでギャグを盛り込んでよいかのセンスが問われる点である。各キャラクターごとの映画の場合は、ギャグを中心にしたり、戦い中心にしたりできるが、様々なヒーロー達が共同で戦う場合、それが非常に難しくなる。 神であるはずのソーが、精神的に参ってアル中体形になった点は笑えたが、太ったままで普通に戦えるのはおかしい。作品全体の趣向が曖昧な印象を受けた。

米国人なら、そして子供なら、そういった点は気にならないかも知れない。仲間が集まり復活し、敵を倒す工夫をこらし、作戦の成功が危機に陥り、勝利は厳しいかと思われたが、最後には勝利をおさめる。貴重な犠牲をはらいつつ・・・・伝統的な物語だったと思う。細かい点を気にしない人達になら、大うけしても不思議ではない。日本やドイツ、ソ連さえ打ち負かし、今は中国やイランと戦っている国の国民は、こんな作品が大好きなのだろう。劇場主としては、断然「アバター」のほうが映画的価値は高いと思う。米国の特別な事情がないなら、アバターこそが最高観客動員数だったろう。

 

 

 

 

2019年5月26日

アンダー・ザ・シルバーレイク(2018)

Under-the-silver-lake

- David Robert Mitchell -

主人公が恋心を抱いた美貌の隣人が失踪したことで、隠れた謎を調べる主人公。しかし、謎ときには都市伝説がからんで、展開は複雑になって行く・・・DVDで鑑賞。 

アンドリュー・ガーフィールドが主演していたが、作品自体はかなりマイナーな路線だったようで、大々的に興行した様子はない。ビデオ屋に並ぶ前は、作品のことを何も知らなかった。セクシー女優がたくさん出演していて、妙な友人、怪しい伝説の話も絡み、怖い話だが笑えるシーンも多いという独特の魅力を持つ作品。でも編集に失敗したのか、話が長くて回りくどい印象も受けた。結局の真相も、説得力には欠ける印象で、全体として観客を納得させる力に欠けていたように思う。もっとコンパクトな作り方もできたのではないだろうか? 

ストーリーに幅を持たせる味付けに関しても、検討が不足していたように思う。たとえば、通常の映画ではアパートの大家さんは主人公を絶えず追い詰め、部屋代を払えと督促してくる悪役でありながら、意外に人情深くて主人公の将来を心配しているなど、ちょっとした味付けがなされていることが多い。それが観客の心の落ち着きに影響したりして、観終わった後の心象も違ってくるものだ。この作品には、そのような心の救いが不足していた。庶民的な描写も、奇想天外な話の基礎には必要と思う。  

パトリック・フィッシュラーという俳優がオカルトに詳しい漫画家か作家?の役で出演していた。独特の風貌が、この作品には実に合っていた。もっとも映画的な魅力を感じる役者だった。主人公の恋人役で女優を演じていた方、こちらも役柄と個性が非常にマッチしていたと思う。ハリウッドでは、おそらく彼女が演じたような端役の女優たちがたくさんいると思う。その雰囲気が実に自然だった。

この二人以外にも、脇役に素晴らしい存在感を感じた。 失踪したヒロイン役はライリー・キーオという方で、マリリン・モンローを真似たメイクをして、同じようなポーズをしていたようだ。

ジェームズ・ディーンや、ヒチコックなど、古い映画に関わる人々、その墓などがたびたび登場し、オマージュを感じさせるとともに、急死した有名人の謎をも連想させる、そんな意図も感じられた。オカルト趣味に満ちた記号も登場していた。子供映画などに使われる場合はインチキくさい印象を与えるに過ぎないが、この作品の雰囲気の中では怪しい雰囲気につながり、良い材料になっていた。

 

 

 

 

2019年2月25日

アニー・イン・ザ・ターミナル(2018)

Terminal

- Terminal -          


ある駅に、死期が近い元教師、殺し屋の二人組、怪しいウェイトレス、清掃担当の老人などが行きかい、暗殺劇が展開する・・・・DVDで鑑賞。こんな作品を劇場でわざわざ鑑賞する気にはなれない。これはビデオ専用のVシネマ路線だろう。     


ヒロインはマーゴット・ロビー嬢で、今作品には制作も兼ねて出演していたそうだ。いろんな服装、メイクで登場していたから、彼女の意向が反映されたのかもしれない。悪女の雰囲気が立派に出ていて、怪しい人物としての役割は充分に果たしていたと思う。この作品は彼女のためにあったようだ。   


残念ながら、ネオンを強調したかったのか、色彩が派手で怪し過ぎていて、よほど好みが合わない限り、大半の人間には気味の悪い印象を残すだけの、グロテスクな映画に終わってしまった印象がある。描き方さえ変えれば、恐怖の殺し合い、スリルあふれる逆転劇にもできたような気がする。ヒチコックやデ・パルマ監督作品のような静かな映像でも良かったのではないか?    


そしてヒロインが、いったんは敗北するシーンもあったほうが良かったと思う。すんなり作戦が進んだら、盛り上がりを損なってしまう。入念に作戦を練ったヒロインだが、敵もさすがに鋭く、用心深くふるまわれて意図した結果が出ない。逆にヒロインのほうが攻撃を受けて傷を負う、絶体絶命の危機・・・そのような展開が欲しかった。   


二人組の殺し屋の年配なほうは良い味を出していた。デクスター・フレッチャーという人で、監督としてのほうが有名になってしまったようだ。若いほうの人物は、もう少し活躍できたほうが良かったと思う。ヒロインの感情が動いてしまい、冷酷になれないほうが話として面白い。逆に彼のほうが怒って逆襲して、あやうくヒロインがやられそうになる・・・・そのほうが観客の心情に訴えかけるものはあると思う。   


サイモン・ペグが老人役を演じていたが、意外なほどの名演だった。メイクのせいもあったろうが、どう見ても死にかけた老人にしか見えない。演じているのは喜劇なんだが、ストーリーは怖い、そんなひねったシーンでは彼の味が出るようだ。

2019年1月21日

頭にきてもアホとは戦うな!(2014)

Photo

-田村耕太郎著、朝日新聞出版 -    

ベストセラーだったというので購読。元参議院議員で、現在は大学教授を務める田村耕太郎氏の著書。    


田村氏のことは全く知らなかった。おそらくテレビなどで一度は見ているはずなのだが、忘れてしまっているのだろう。自民党や民主党に所属していたらしい。その政治哲学は、よく分からない。一定の政治思想のようなものは持たないタイプなのかも知れない。もともとはビジネスマンらしく、様々な大学で学び、MBAなど多数の資格を持ち、様々な会社で活躍してきた人物のようだ。  


おそらく旧来の政治家とは少々違っていて、欧米型の、機を見るに敏なタイプの人物ではないかと思える。それは悪いことではない。速やかに問題を整理し、過去の政治的立場に固執せず、次々と処理していくタイプの人間も必要で、時には過去の行動との整合性がない事で批判されるとしても、スピード感のない族議員よりも実務的で役立つ場合もあるだろう。   


この本は少し短絡的すぎたり、繰り返しが多かったり、完成度の点では難があったと思うが、取り上げ方が優れている。欧米型の考え方と孫子など、古来からの伝統的な考え方が上手く融合した内容のように思った。孫子については著書の中でも書かれているから、影響を受けているようだ。欧米でだって研究されているはずだから、そのエッセンスは世界共通で学ばれている。足を引っ張る人間にこだわらずに、頭を整理して問題解決を目指すのは、ビジネスマンには必要な能力である。  


アホ・・・という表現に問題はある。アホとこちらが思っても、その人物は過去の経緯や確固たる信念によって、著者らと異なる意見を持っているに過ぎないのかも知れない。時間が経てば、そのアホウ氏のほうの意見が達観であった、その当時は間違いとしか思えなかったが、後になれば正しかったと分かるのかも知れない。いかに優秀なMBAであっても、しょっちゅう間違った判断を下しているのが実情である。問題処理の仕方、頭の使い方、処理のスピードや流儀、こだわりや信念、プライドや人格、それらは一様には評価できないので、簡単にアホウと断じてはいけない。 


ただし・・・劇場主も君子ではないから、「このアホウ!」と感じることは多い。主に運転中だ。狭い道の一番狭い所で停車して、こちらの車に進めと合図する人がいるが、あれはさすがにアホウであろう。劇場主は前後の状況を瞬時に考え、他の車を邪魔しないように、運転の王道を達成する所存である。しかし、現実はアホウ車の連続で、無理に突っ込んだ後に動けなくなって、劇場主にも後続にも負担をかける連中が多い。あれは、ほぼ確実に、かなり客観的にアホウである。職場にだって、きっと多数いるに違いない。自分の出世や見栄を大事にするあまり、同僚に負担をかける連中が。そんな連中にどう対処するか、この本を参考にすべきかもしれない。

2018年12月30日

アルペンライン・ツアー3日目(2018)

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- 読売旅行 -      


⑱富山市→黒部峡谷 バスに乗って富山の平野を東に向かう。連休中なのに混雑がなくて、移動はスムーズだった。富山の平野からは南側に延々と北アルプスの山々が見える。そびえたつ屏風のように、平野から一気に高い山が連なっている感じ。富山は独特の地形で、海の産物にも特徴があると聞くが、おそらく古い時代、山からの土砂が積もるまで、海のそばに断崖絶壁が続いていたに違いない。   

 

⑲黒部峡谷 渓谷の入り口は宇奈月駅。そばから温泉を引いてあるそうで、駅の傍に湯気が立っていた。そこからトロッコ列車で移動になったのだが、意外なほどの寒さで、防寒着を置いてきたことを後悔した。険しい渓谷を抜けて、鐘釣駅まで約1時間ほど。鐘釣駅の傍には万年雪の残骸が残っていた。黒部渓谷はあまりに地形が険しすぎるのか、九州の山にあるような谷間の集落がない。川の流れが穏やかな場所に、昔は住んだ人がいたのかもしれないが、米を作るには無理がある地形が邪魔して集落として残らなかったか、あるいは江戸時代に加賀藩が立ち入りを禁じた関係で、立ち退いたのかも知れない。

川の水は、岩石の色のせいか白みがかっていて、そのせいもあって非常に美しく見えた。九州地方の普通の川は、上流でも緑色が目立つ。藻が生えにくいのか、岩石の成分の違いのせいか分からないのだが。    

 

⑳ 白川村 峡谷から白川村を目指して再び高速道路をバスで移動。かなりの距離を移動したはずだが早く着いた。白川村は絵葉書などに載っている雪化粧した集落のイメージが強かったが、普通の季節でも幻想的、牧歌的な風景で、本当に人が住んでいるとは考えにくいくらい浮世離れした地域だった。

時間の関係で、建屋の内部には入らなかった。観光客が窓から外を覗いている様子を、こちらから眺められた。内部の様子は、おそらく古い田舎の農家のそれと同じようなものだろう。けして美しくはないはずだが、時間が許せば見てみたかった。

劇場主が子供の頃も、茅葺は珍しくはなかった。茅葺の家に1年ぐらい住んだこともある。でも、さすがに新しく茅をふき替える家を見たことはない。葺き替えがされないと、維持するのは難しい。部分的にトタン屋根にしたりした家も多かったが、今では郷里の村に茅葺の家は見ない。

白川村が維持されたのは、平野も結構あって稲作がかなり続けられたことや、観光収入のおかげもあったのだろう。合掌作りのような独特な作り方をしていなかったら、観光が成り立たないので、直ぐに普通の家だらけになり、もしかすると限界集落になっていたかも知れない。かなり偶然の面があったのではないかと思う。    

 

ツアーは金沢駅から急行列車に乗って、新大阪からふたたび新幹線で帰ってきたが、帰宅は非常に遅くなった。白川村から名古屋に出て新幹線に乗るか、もしかすると飛行機で名古屋に降りて、そこから初日に白川村、高山に行くルートもあり得たかもしれない。そして金沢⇔大阪間に新幹線が通れば、とても便利になるだろう。時間の余裕が生まれる。でも連休中でないなら、今回のルートでも余裕があり、待ち時間で困ることもないだろう。よく考えられたツアーだった。もう一度行けるかどうか、そんな元気と暇があるかどうか分からないが、今度はもっと余裕を持って楽しめるかも知れない。

 

 

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