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2020年8月22日

グリンゴ(2018)

Gringo

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製薬企業に勤務する主人公は、メキシコ出張中に誘拐される。でも、それは復讐を狙った狂言のはずだった・・・DVDで鑑賞。 

なんどか観た記憶があるようなストーリー。でも、主人公や会社の上司、彼らを取り巻く連中を演じた役者たちが、すべて非常に個性のある人物で、うまくまとまった作品だったとも思う。大ヒットはしなかったようだが、ビデオ鑑賞で後悔するような酷い作品では全くない。面白かった。

シャーリーズ・セロンが演じた人物は特に魅力的だった。お色気や冷酷さ、明晰な頭脳と度胸、負けん気を武器にのし上がり、生き残って行く姿が実にえげつないが、姿勢が一貫していた。そんな彼女が涙し、危機に陥った場面は、彼女がどのように戦ってきたのかを上手く表現した素晴らしいシーンだったと思う。

だから映画全体のことを考えると、彼女を主役にしていたほうが良かったのかも知れない。彼女のえげつなさをメインテーマにしたほうが、より今日的な作品になったろう。そうしないと、普通の喜劇で終わってしまう。

本作の主人公は、いわばエディ・マーフィー的な役割を担っていた。妻からも友人からも蔑まれ、いいように利用され、騙されており、このままでは自分だけが酷い目に遭うことを確信するという、とことんツイてない人物。そんな主人公が徹底的にひどい目に遭うと、彼には気の毒なことだが、観客としては非常におかしい。酷ければ酷いほど、笑えてしまう。

中途半端に気の毒だと、可哀そうだという感覚が生まれるが、酷さを徹底すると笑うしかない。そんな変な感情が劇場主にはある。おそらく一般的なものだろう。残酷な感情だが、なにか我々が集団生活をおくるようになった時代から、何かの理由で培われた反応だろうと思う。

たとえば、「尊い犠牲で他の人間が助かれば生き残れる、いつも同情していると群れが全滅するから、仕方ない。」そんなサバンナの現実から生まれたものかも知れない。ライオンに襲われるシマウマの群れの論理だ。 

今回、その生贄の役割を演じたのはデヴィッド・オイェロウォという俳優で、エディ・マーフィーほどのスターではなかった。この点も問題だったかもしれない。観客が彼に共感してくれないと、作品はヒットしない。その点から考えても、主役はシャーリーズ・セロンのほうが良かった。

彼が黒人である必要はなく、弱そうな細身の若手俳優、あるいは肥満体の好人物で、誰が彼を見ても頼りがいのある印象を受けないような個性のほうが良い。たぶん、白人の喜劇俳優が主演したほうが良かったのではないかと思う。せっかくシャーリーズ・セロンのようなスターが出演していたのだから、あの役にも客を呼べる俳優を連れて来ると良かっただろう。

 

 

 

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