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2020年7月 8日

迷路の外には何がある?(2019)

Fusosha

- スペンサー・ジョンソン著・扶桑社 -

前作「チーズはどこへ消えた?」の続編。著者は同じくスペンサー氏だが、彼は2017年に亡くなっているそうで、彼の意志を継いだ御家族や前作のスタッフらが共同で完成させ、出版した作品のようだ。

前作は小さくまとまった素晴らしい書物だったが、そういえば迷路に残った小人のヘム君がどうなったのか、何も書かれていなかった。新しいチーズを探し当てたホー君は良い状況で終わったが、立ち止まった人間は、そのまま飢え死にしてしまってよいのか?自己責任の問題?・・・それは、あんまりじゃないか? 

それに、迷路の中だけの成功物語だと、迷路の外に出る必要はないといった勘違いを生みかねない。おそらく前作を補い、発展させる意味で、この作品は書かれたに違いない。  

この2作品は、映画化されるには短すぎるが、出来ないことはないかも知れない。まだ企画が成立していないだけじゃなかろうか? 誰か優れたプロデューサーが、童話タッチかスリラータッチか知らないが、映像作品を作り上げることがあるかも知れない。 

信念が、本書の大きなテーマだと思う。日本人の信念と、この本で扱われた信念の意味は、少し違うかも知れない。日本人の感覚では、信念のない人間は尊敬されない。苦しくとも信念を貫き、最後に逆境をはねのけて成功する人物が最も尊敬される。信念を変えた場合は、苦しさに負けた敗北者か風見鶏、裏切り者といった負のイメージが浮かぶ。

仮に主流派として生き残っても、経済的に成功しても、「でも、彼には信念が欠けていた。要領よく渡り歩いただけ。」そんな評価を浴びることが多い。それを気にして、古い考えにしがみつかざるを得ない人も多いことだろう。周囲の視線を気にしながら、この本のように行動できるかどうか、状況を考えないといけない。 

状況の例として、①~③の三種類を考えた。

①数百年の歴史がある家族経営の店。→大きく商売を替え、異業種に参入すべきか? 伝統が長いほど、信念の重みも違う。価格がネックだからと、工場を海外に移転したら品質が変わるかも知れない。若い世代が店に寄り付かないので、経営は厳しくなりつつある。・・・仕事内容を変えにくいパターンだ。 

②工業製品で名をあげた会社。映画産業に参入し、映像ソフトやキャラクターグッズ、テーマパーク業に発展・・・これは実際に多くの会社がやっていることだ。多角経営のパターン。映画は夢のある商売だが、作品がこけたら撤収しないといけない。ネット映画が主流になれば、やはり再考が必要かも知れない。事業売却は残念だろうが、よくあることだ。

③ネット販売会社で急成長。しかし同業他社が多数参入し、ジリ貧の状況。急成長で歴史は浅いから、信念を変えるのに躊躇は要らない。扱う商品を変えるか、商売の条件を変えるか、会社を売るか、実店舗を購入するか、その場合のコストは重荷になるが、より安定するかも知れない。大金を手にして、次の商売ができるかも知れない。 

①~③は、信念の重みも、それからの縛られ方も全く違うと思う。古い商店でも、細かい企業努力を続け、新商品を編み出しつつ、伝統を大事にして、それで生き残れているところは多い。だが規模が成長し続けていない場合は、いわば迷路の中での努力に終始しているように見えるかも知れない。

劇場主は、そんな努力が間違っているとは考えない。著者が問題としたのは、もっと大きな変化が訪れているのに迷路にはまり込んで、確実に破綻する方向なのに、こだわりから抜け出せない、そんな状態だと思う。迷路の中で良いか外に出るべきか、そこの判断が大事だ。判断は非常に難しい場合が多いと思う。外に出たがために破綻することも少なくないはず。

コロナウイルスの流行は大きな変化だ。飲食業や観光業では、売り上げ9割減といった被害が出ている。圧倒的な力の波に対し、転業、廃業、営業形態の変更、規模の縮小、人員整理など、頭を使って対処する必要がある。劇場主も、ぼんやりとはしていられない。常に考え続けないといけない。

 

 

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