映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主


Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

« マザーレス・ブルックリン(2019) | トップページ | にがい米(1949) »

2020年7月 2日

新型コロナウイルスへの対応 その8

- 7月2日現在 -

東京都の感染者数は50人程度が続いている。なかなかゼロにはならず、むしろ増加傾向のようだ。主に新宿区の歓楽街で発生しているから、やはり夜の街は不衛生な環境なんだろう。

でも店の人間も感染が怖いはずだし、客だってバカじゃない。国などから衛生面の指針が提示されるらしいので、それが順守されれば、やがて収束する可能性もゼロではないと思う。

劇場主も気が緩んだわけじゃないが、数カ月ぶりにスポーツジムに通いだした。ジムは窓が少なく、感染の巣窟になりやすい。事前に着替えをして入館し、拭き取り用のタオルを借りて自分が触る場所を拭いて回り、誰ともしゃべらず、着替えないまま帰るようにした。  

(ステイホーム)ステイホーム運動の効果について、JAMAに掲載された論文を読んだ。米国の隣り合う州であるアイオワとイリノイ州で比較したら、規制によって一か月後の感染者数は6割程度に減っていたそうだ。

6割は意外に効果がない気もするし、少しでも減ったなら、おそらく次の一か月でさらに差が出るだろうし、やはり規制に意味はあると考えられる。東京都だって、5月に急に感染者数が減った。もし感染力の強いウイルスがまた流行ったら、今後も外出規制が発令される根拠となるだろう。 

(中国と韓国) 中国では6月から北京付近で患者が増えだした。海外から再流入したのだろうか? 北京は封鎖しにくいので、武漢のように管理できるかどうか分からない。

韓国も同様で、どこかから持ち込まれた感染クラスターが散発している。感染に勝利したかのように見える地域でも、油断できないことが分かる。人の移動を完全に遮断することは難しい。

そこから考えると、なにかしらの自粛、規制は続けざるを得ないと思われ、流通や人の移動に関しては、今後数年間は元に戻らないんじゃないかと推定される。観光、飲食関係では、商売を諦める人も増えて来るだろう。 

(ドイツ) ドイツは、EUの中では感染者数が少なかった。雑誌やネット記事で見ると、対策が実に鮮やかで、理屈に従って行動できている点で、最も参考にすべき地域と思う。

日本より被害は大きかったが、日本の成功は、元々の衛生習慣や、ちょっとした幸運によるものと思われる。日本の政策も滅茶苦茶ではないとは言えるものの、理論に関しては脆弱で、冗談のような施策もあった。

日本政府には危機を想定して準備し、国民を守ろうという意識が、そもそも欠けていた。ドイツのような法律、職を続けられる補償、検査体制、それらは必須であることが明らかだ。さすがに今後は今回の失敗から学び、改善する政策を打ち出してほしい。第二波に間に合わせることが必要だ。 

(スウェーデン) スウェーデンの政策も参考になる。 あまり規制をしなかったことで、徐々に感染者数は増えているようだ。だが、経済破綻、医療崩壊には至っていないので、もしかすると適切かつ、理性的な対応をできたのかも知れない。少なくとも無駄な予算は使っていない。

現在の免疫獲得率は7%前後らしい。日本よりは高い。7%だと、次の大流行を防御することは難しいが、このままの状況を維持できれば、数割までゆっくりと持って行き、ワクチンができるまで我慢できるかもしれない。

もし結局ワクチン開発が難しいと判明したら、スウェーデンこそが最善の策をとったと言えるだろう。コロナウイルスは免疫が成立しにくい性格を持つ。だから、まだ結論は出ていない。

(日本)コロナの感染管理は、誰にもできないと思う。個人の能力では無理だ。劇場主が首相や厚生大臣であっても、感染をゼロにはできない。ただ、結果が同じとしても姿勢は違っていたはずだ。

残念ながら流行の前に、感染症の分野は、自民党や省庁の利益には、あまり関係ない領域だった。

日本の政界の構造は、①財界の特定分野に有利な予算が組まれる、②予算に関わる役人と政治家が影響力を強める、③影響力の強い人物に忖度する人間が増える、④権力におもねるルートが構造化し、関係ない分野の問題は無視される、そのように出来上がっている。

感染症の管理は、通常の状態では構造の中にいる人間にとっては興味がない問題のはずだ。オリンピックやリニアモーターカー建設、付き合いのある企業の利益のほうが重要に思えたことだったと思う。他のことに予算を回したりしたら、仲間から自分が排除される可能性もある。流れに調子を合わせないといけない。

そのため、危機管理意識がはたらかなかったのだろうと思う。危機というと、自分の失脚や選挙で負けるなど目先のことが最大で、あとは近隣の国々による武力攻撃くらいしか想定できないはず。起こりうることを想定し、それに対して準備する、その当たり前のことを、構造が阻んでいる。

劇場主はそこを心配していたが、今回は予想通りの当然の結果が出てしまっているようだ。こんなに問題点が明らかなのに、根本的構造改革に考えが及ぶ人は少ない。もっと酷い目に遭わないと目が覚めないのだろう。 

 

 

 

 

« マザーレス・ブルックリン(2019) | トップページ | にがい米(1949) »

無料ブログはココログ