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2020年7月 5日

にがい米(1949)

Riso-amaro

- Giuseppe De Santis -

水田地帯に出稼ぎにくる女たちの中に、宝石泥棒が紛れ込んだ。愛憎と欲が絡み、やがて悲劇に発展する・・・・DVDで鑑賞。名画紹介の本で読んでいて、作品に興味は持っていたが、名画座で公開された記憶がなく、今日まで鑑賞していなかった作品。リマスタリングされているのか、画質が良かった。

最初に感じたのは、イタリアには米の需要がそんなにあるのかという疑問。リゾットなどで使うとしても、日本のように大量に食べることはない気がする。出稼ぎの需要があるほど米を食べているのか? 

劇場主が子供の頃は近隣の農家の手伝いに、親戚や集落の皆が駆けつける習慣はあったが、大規模な出稼ぎ人員を雇うほどの人数は必要なかった。規模が小さかったからだ。農地が広いロンバルディアあたりでも、人間がそんなに要るのか? もしかして映画用に作られた設定なのか? そこらへんが分からなかった。

今回、ネットであらためて調べてみると、1800年代にミラノ周辺の灌漑が進んで、広大な田んぼが作られたらしい。そこで、季節労働者として出稼ぎ人を集め、米を作る大規模な事業が可能になったという経緯があるようだ。たぶん、輸出もしていたのではないだろうか?

戦前のイタリアの国民一人あたりのGDPの記録を見ると、フランスやイギリスなどとは全然違い、日本のレベルに近い。欧州の発展から取り残された地域であったわけで、新大陸に渡るか、あるいは出稼ぎで現金を得ようという、そんなバイタリティが生まれざるをえない状況だったのだろう。そんな時代の意識が、この映画の基礎にあると考える。雨の中でも作業しちゃおうと言い出す意識は、貧困の辛さから生まれるものだ。 

この作品の主演がシルヴァーナ・マンガーノだったことは記憶していなかった。ヴィスコンティ映画では、ハイソな痩せた叔母さんというイメージしか持てなかったが、この作品ではグラマーでダンスが上手い娘役を好演していて、作品に占める役割が非常に大きかった。

おそらく彼女なしでは、作品自体が成立しなかっただろう。他の俳優たちは、すべてエキストラに近い存在だった。貧しい生活から抜け出そうという欲求、自分の若さや魅力に対する自信、そんな生命力あふれる娘の気質を上手く表現していた。 

物語の筋は、古来から何度も演じられてきた演劇の流れの通りだった。ギリシア悲劇がオリジナルだろうか? 流れ者が一般の住民の中に紛れ込み、恋愛のもつれ、浮気や嫉妬が絡む争いが発生し、最後は悲劇的結末を迎える、きまって犠牲になるのは最も生命力があった娘さんだ。古典的なストーリーだが、舞台の設定が良かったので、名作になったと思う。

ただし、ダンスは今日と比べると酷く単調で、学芸会か運動会のそれに近い。ハリウッドのミュージカルのような洗練された様式でないのは、この作品の性格も関係しているだろう。ミュージカル風だったら妙だ。それに70年も前だと、踊りが古いのも仕方ないかもしれない。 

 

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