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2020年6月29日

マザーレス・ブルックリン(2019)

Motherless-brooklyn

- Warner -

チックの持病を持つ主人公が、恩人の死の真相を暴こうと苦闘する物語。主演のエドワード・ノートンが、監督や制作も兼ねており、力の入った演技を見せていた。 

もともとの原作小説があるらしい。ハードボイルドタッチの推理小説なのかなと思う。映画も懐かしい雰囲気を感じた。主人公に持病がある点で個性的なキャラクターになるので、映画化してもいけると判断し、権利を買ったのだろう。極めて独特の個性の主人公だった。

汚い言葉を叫びながら、冷静に推理を進めるというのは対極的な性格に見える。まるで心がすさんだ人間が正義を目指すかのようだ。実際に身の回りにいられたら迷惑だが、映画のキャラクターとしては魅力を感じる。

でも、人の話を記憶する力が優れているというのは、本来ならチックとは関係ない能力ではないかと思う。少し作り過ぎたキャラだったかも知れない。

チックを見たヒロインは笑っていたが、持病によって好きな人を怒らせるような悲しいエピソードがあれば、もっと共感を得ることができたのではないかと思った。

ジャズが効果的に使われていた。古いハードボイルド映画の雰囲気を思い出す。トランペットはウィントン・マルサリスが演奏していたそうだ。20代の頃のイメージしかなかったが、メイキング編で見たら、えらく肥満体になっていた。ルイ・アームストロング体型に近づいている。 

共演者たちが、それぞれ味を出していた。ボス役のブルース・ウイリスは、最近の彼の出演作の中では最もクレバーな役柄を演じたと思う。結果的に大活躍はできなかったが、能力の高さが上手く表現されていた。  

アレック・ボールドウィンの役柄には実在感があった。実際、彼の演じたような人物は多いのかも知れない。彼のような人物がいないと、巨大事業は進まない。ある程度、犯罪に至らないまでならば、必要な個性だと思う。田中角栄を思い出す。 

スキャンダルにまみれる政治家を見ていると、どうして犯罪と分かっていることに足を突っ込むのか、巨額の資金集めに奔走するのか、劇場主には理解できない。平凡な人間とは違い、強い権力欲、達成感にこだわる人間は、平凡に喜びを感じるなんて、実につまらないことだと感じているのかも知れない。それが向上心につながる。

権力を持ち、金と支持者を集め、やりたい事業をやって達成感に浸りたい、それができない人生に意味を見いだせないから、犯罪行為をも厭わないのかも知れない。米国もそうだろうが、日本中も、そんな欲に満ちている。

与党の中枢には、党内の政治家や官僚がすり寄り、各々がやりたい事業や欲しい予算、役職を得るために力を貸す。それに県議会の議員も連なるから、上層に忖度する構造になる。一連の流れに関係しない事業は無視。その構造の中でしか予算が動かない体制が、しっかり出来上がる。事業欲、成功欲の成せる構造だ。 

そんな構造が国家的な欠陥になっていると思う。意欲が、国力を消耗させるという妙な現象だ。

弊害の第一は、社会の閉塞感が高まること。構造から外れた人間は、絶望せざるをえない。正しかろうと能力があろうと、中枢の外のまま。社会が固定化するので、未来が明るくなる気配すら感じられなくなる。

社会の気配、雰囲気、希望は大事だと思う。中枢の人間が、「自分が希望をつぶしてないかな?」と、気にすればよいのだが、「そんなの関係ない」と思っているはず。そして予算が固定されるので、イノベーションが起こりにくい。だから国際競争には勝てない。

第二は、本来必要な戦略が後回しになること。構造内部の利益にならないことは、たとえ重要であっても軽視される。たとえば少子化問題は、利益につながらないので無視されている。

第三は、自浄能力がなくなること。事業遂行が優先されるので、それによる弊害を許容する雰囲気が生まれてしまう。事業を止めてはいけないので、問題点は見逃せよといった圧力が生じる。

・・・そんなことに、この作品から思いがつながってしまった。たぶん日本のコロナウイルス対策に呆れていたからだろう。

コロナウイルスのような感染症に対し、事前にもっと準備していれば、給付金支給やPCR検査などがスムーズにできたかもしれないのに、社会構造が邪魔していた。そんな準備をするなんて、政府中枢の人間には思いもよらなかったのだろう。

安倍総理を個人攻撃しても意味はない。彼とて構造の中の象徴的存在に過ぎない。政権が代わっても、それだけじゃダメだ。構造自体を改革しないかぎり、失敗は繰り返されるはず。  
   

 

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