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2020年6月13日

翔んで埼玉(2019)

Toei

- 東映 -

娘の結婚を控え、東京に向かう家族は、ラジオから流れて来る物語を聞く。それは伝説の埼玉県民の戦いの話だった・・・・DVDで鑑賞。感動など全くありようもない、くだらないギャグ映画なので、かなりとばしながら鑑賞した。でも面白かった。 

テレビで何度も繰り返される県ごとの特徴を笑う路線のひとつだが、ディスリ路線をとことん追求すると、かえって愛情を感じてしまうという不思議な現象が、この映画において完成されていた・・・というと大袈裟か? あざ笑うのではなく、田舎を残す良い土地柄であることを念頭にし、自虐的な言葉をエンターテイメントとしてとらえる、そんな楽しみ方も、今はできるようになった。

ちょっと昔だと、そんな表現には危険を伴なったと思う。本気で怒って来る連中がいたからだ。おそらく、同じ地域住民同士なら、昔から自虐話で盛り上がってきたはずだ。劇場主の場合だと、四方が山で囲まれた土地で空が狭いとか、信号機が一個しかない、近所に電気が通じていない家もあった、鶴屋デパートを見あげて首が痛くなったなど、田舎である故郷を笑うのは、同級生同士なら普通のことだった。

他の市町村でも同じ感覚はあったはず。出身県を扱う自虐ネタがさまざまな形で繰り返され、エンターテイメントとして確固たるジャンルとなったからこそ、何かのセリフにも我々は瞬時に反応できるようになった。「テレビという公共の場で、県民をバカにするなんて許せない、モラルに反してる。」という反応が起こりにくくなったのは、「ひどい言葉だが、これは自虐ネタであって、本気でディスってはいないのだ。」と、すぐ分かるからだ。

そんな反射のレベルが上がるまで、多くの漫才師たちのギャグ合戦、県民ショーなどの番組、はなわの歌などが、我々の感性に影響を与え続けたのだろう。原作マンガの影響もあったかもしれない。変わり種漫画家として知られる魔夜峰央は、気味の悪い画とナンセンス、非常識ギャグがウリだったから、どぎつい話を作っても諦められる面があった。 

作品の中で使われたネタは、基本としては漫才風のネタである。それを延々と繰り返しながらも、観客を退屈させないように物語を構成したセンスは大変なものだと思う。そのためには、千葉県や神奈川などとの対比を使うなど、地域の特徴を際立たせる必要もある。自虐だけではなく、対決の構図を持ち込んだのは、優れたセンスのなせる業だ。テレビでも県民同士が互いに相手をけなす構図はよく使われている。自虐ばかりでは、話が続かないからだ。  

上手く作らないと、興行的に失敗しかねない企画だったと思う。ギャグだけで映画として成り立つのか、反発を生まないのか、考えればかなり難しい路線のキワモノ作品だったと思うが、結果的には大成功している。ギャグの質やキャスティングも含めて、充分に検討しつくされた作品だった。

劇場主から見ると、埼玉は都会だ。東京から境目なしに家々が続き、駅のそばで学会があった時にも便利の良さを感じた。九州とは全然違う。東京までちょっと遊びに行くのも気軽にできるだろう。それは過去に埼玉県民が戦って得た権利だ・・・・ということはなく、普通にそうなっちゃったんだろう。

もし、今後世界が平和であるならば、埼玉を欧米人が笑える日が来るかも知れない。そして埼玉県民が、逆にパリやニューヨーク近隣の田舎町を笑える日も、もしかしたら来るかもしれない。そうなれば、「世界埼玉化計画」は達成されたことになる。でも、コロナウイルスへの対応が上手くいかないと無理だろう。今は東洋人というだけで差別され、本気で「そこらへんの草でも食え!」と言われそうだ。笑えない。

 

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