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2020年2月 2日

ベトナム戦記(1965)

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- 開高健・朝日文庫 -

開高健が、ベトナムの人々や町の様子、米軍やベトナム軍の人々との会話などを綴った手記。ラスト近くでは実際の戦闘に参加し、九死に一生を得て、その報告をしている。文庫本を購読。初版本の発売は1965年らしい。  

ベトナムの風俗を、自身の飲み食いの解説とともに記した文章は面白い。著者の個性も面白いし、現地の人々とのジョークまじりの会話だけでも充分に読みごたえがある。

ただし文章は、必ずしも質の高いものではないと感じた。記録、日記だから流暢な語り口である必要はないが、クセを感じる。開高健は賞を取ったこともある有名著作家だが、文章に文学的味わいのようなものが感じられない。それは戦時中に教育を受けた人の文章の特徴かもしれない。簡潔で明解だが、論理の運び方がスムーズではなく、感覚に頼って飛躍する部分があるように思う。 

戦前の文豪の文章は読みやすくても、開高健らの書く文章は、少し時間をかけないと流れをつかみにくい。 開高氏だけではなく、当時の文章の流行りなのかもしれない。論理を無視した時代の教育の、何か独特な影響があったのかもしれない。 

開高らがベトナムを訪れたのは1964年で、既にディエンビエン・フーの戦闘から10年くらい経っている。10年間も混乱に次ぐ混乱が繰り返され、当時も安定していなかったということに驚く。そして最終的に米軍が撤退したのが1975年くらいなので、それからまた10年後に相当する。そこまで戦闘やクーデター、テロが長い期間にわたって日常となったベトナムの歴史には同情を禁じ得ない。

大戦中に日本軍が侵攻した時期もあることから、日本もベトナムの不幸に責任がある。冷戦の時代に、米ソの対立の実験台のような目に遭っていると思うし  仲間だったはずの中国から、その後攻められたり、踏んだり蹴ったりされるのも、ベトナム独特の事情があったからだろう。  

事情のひとつは国土の特徴だろう。もしベトナムが森林豊かな国土でなかったら、軍備の整った米軍に蹴散らされて、抵抗は難しかったと思う。森林が抵抗を可能にした。日本のように、ある程度工業化された国では、米軍の武器は有効だ。森林では攻撃の効果が薄い。そのせいで混乱が長引いた面もあるだろう。 

農耕地帯で人口が多く、平均すると貧しい人が多い国だった点は、共産主義が浸透するのに好都合だった。ある程度豊かな国なら、戦争より商売を望み、すぐ降伏する。貧しい国は、厳しいゲリラ戦でも、日常よりマシだったりするので続けられる。植民地主義によって被害を被った人達は、反対の共産主義に流れるしかない。共産党が力をつけるには有利な条件だった。 

もし共産主義が、もっと早くベトナムの国土を支配していて、仏軍や米軍が介入するには遅すぎたら、あれほど長く戦闘が続かないで済んだかもしれない。ちょうど運悪く、米国が共産主義の勢力拡大を阻止しようと躍起になっていた時代に当たってしまった点は、不幸な要因だったと思う。  

さらにもし、ソ連が援助する余力もないような時代だったら、やはり戦うこともできないまま、フランスや米国の支配下に陥らざるをえなかっただろう。ソ連にも予算があったという条件が、混乱を長引かせるために揃っていた。

米国は勘違いをしていたと思う。ベトナムを失っても、米国にとって大きな損害がないことに気づくべきだった。共産化を恐れる恐怖心が、過剰反応を生んでしまい、戦略を間違ったのだろうと思う。米国の間違いは、最悪の条件だったと思う。 

もしベトナムが共産化しなかったら、どうなっていただろうか? 経済発展は早かったと思う。そのせいで、格差などの問題が大きくなり、政府はより不安定になっていたかも知れない。

中国共産党が軍事侵攻していた可能性も非常に高い。そうしたら今ごろ、ベトナム人たちは収容所に入れられて、ウイグル族のように思想教育を受けていたかもしれない。どう転んでも、酷い時代を過ごさないとすまない運命にあったのかもしれない。

 

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