映画評

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2020年1月 5日

マチネの終わりに(2019)

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- 文春文庫・平野啓一郎著 -

映画は令和元年の年末時点である現在、劇場公開中らしい。でも、あえて映画は鑑賞せず、文庫本を買って講評してみたいと思った。書籍の初版は2016年、文庫本は2019年に発売されたようだ。 

劇場主が映画館に行かないのは、インフルエンザをもらいたくないのもあるが、主演の福山雅治の演技力や、日本人監督の演出に期待ができない気がするからだ。ただし、劇場主の先入観だけの問題であり、実際には素晴らしい作品ができているのかも知れない。書籍ほどの出来栄えではなかろうという、ただの思い込みの可能性はある。 

この小説の登場人物のような人は、実際にはどれくらいいるのだろうか? 才能あふれる音楽家は多い。海外の有名なコンテストで日本人が賞を取るのも普通のことになっている。でも劇場主はクラシックの音楽家の名前をほとんど知らない。ギターのCDは持っているが、村治佳織のものと誰かのフェルナンド・ソル作品集だけ。

おそらく、ほとんどの人は誰のCDも持っていないだろう。指揮者や声楽家、ピアノ演奏家は有名でも、ギターはマイナーだと思う。この作品の場合、そこが良かったのかもしれない。有名なバイオリニストだったら、おそらくテレビに出るくらい名前が知られてしまう。そうではなくギター演奏家だったことに、美しい話が出来上がる基礎があったように思う。 

この作品の主人公は、もしかすると最初から福山雅治をイメージして描かれたのかも知れないと感じた。福山雅治は50歳を超えてるはずだから、主人公の年齢からするとかなりおじさんになってしまったが、ミュージシャンでよくギターを弾いているのだから、イメージ的には合致する部分もある。福山以外で、客を呼べそうなミュージシャン、ギタリストはいるだろうか? 長谷川博己や高橋一生では、ロマンス映画にはちょっと違和感が生じそうな気がするし、はたして誰かいるのか? 

よく出来た物語だった。文章も非常に美しく、本格的な学識も感じる。村上春樹氏とも共通するものがあるかも知れない。村上ワールドのような奇怪な現象を描いたりはしていないので、この作品に限ってみれば、全体の雰囲気は全く違うのだが、精度の高い理屈、会話の自然な流れを維持できていることなど、無理のないスムーズな流れに、似かよったセンスや教養を感じる。 

平野氏のほうがノーベル賞のような賞には向くかも知れないと感じた。もちろんロマンス小説ばかり書いていたら無理な話だろうが、平野氏が今後、壮大なテーマの小説を書くとしたら、文章の美しさやしっかりした学問的裏付け、考察力を感じさせて、村上氏よりも受けいられやすいような気がする。村上作品のような怪奇シーンが何度も繰り返されると、海外の批評家の中には敬遠する人もいるだろう。

 

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