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2019年8月22日

羊をめぐる冒険(1982)

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- 村上春樹 -

羊の写真をめぐり、奇怪な黒服の男や耳が美しい女性らが関わり、北海道を旅することになった主人公の物語。文庫本(2004年版)を購読。「騎士団長殺し」をきっかけに、初期の村上作品を読みたくなって買ってみた。

そもそも羊の話を題材にしたのは、日本に羊がいるかいないかという点を問われ、作者が興味を持って調べたことがきっかけだそうだ。魔力を持つ羊というアイディアは、ヒントになる伝説がいくつかあった。草原で熱病に罹った場合に羊が乗り移ったと言われた風説や、Q熱の感染には実際にも羊が関わっているらしいことなどは読んだことがある。大人しそうな羊をめぐって、怪しげな人物が跋扈する展開は、小説でも映画でも、材料として素晴らしい。  

面白い作品で、退屈しなかった。しかし、ノーベル文学賞の作家の作品として、その受賞に値する作と言えるかどうかは疑問に思う。推理小説としては高尚すぎるが、純文学的にはどうだろうか? ハードボイルド小説からスタートした文学は、文学界では扱いが低いのかも知れない。おそらく、もっと古い時代を舞台にすれば、文学的価値を上げる方法はあったと思う。現代を描くと、そこが難しい。  

それに気になったのは、黒服の男と主人公では、考え方や生き方が違うはずなので、使う言葉やセリフの癖、句読点の位置なども違って当然と思う。しかし、この二人はどう見ても作者自身の言葉で語り合っているようにしか見えない。話し方のクセを表現できていない点で、単に未熟なのではないかと感じる。個性が違う人間の間でとっさには通じない会話、意味を理解できないやりとりを、もっと表現すべきだった。  

途中で児玉誉志夫らしき人物の話が出て来て、ロッキード事件の頃に報道された彼の伝説が題材になっていることがうかがえた。事件の頃、劇場主は子供だったが、子供から見ても、児玉氏は奇怪な人物だった。せいぜい30歳くらいの時期に軍事物資の商売を引き受け、巨万の富と人脈を作れたという流れは、現実のものとは思えないほどの運を感じさせる。それこそ、何かにとりつかれない限り、出来なさそうだ。その謎を文学的に表現したい場合、この作品のような物語が必要なのかも知れない。

人智を越えた力をめぐり、黒服の男のような人物が暗躍すると、ハードボイルド風の推理小説ばりの展開になり、独特の緊張感が生じる効果がある。このストーリーを作る際にも、その意図があったに違いない。 チャンドラーの小説でも、怪しい伝説や恐怖のギャング集団などが跋扈している。あれを真似たようだ。 

実際に児玉氏が大物になれた理由は、日本独特の事情があったからだろう。

①当時の日本では愛国が圧倒的な善であったことが第一だ。今でも愛国は、たいていの国で正しいことだ。列強の行為は許せない・・・だから愛国のためになら、悪いことをしても仕方ない・・・それが、彼のような人物が容認される理由になる。たとえ犯罪者でも、愛国者を名乗れば生き残れる時代だった。 

②軍が彼のような人物を必要としたこと。情報網を作り、物資を集め、作戦を成功させるためには、彼のような存在が絶対に必要だ。彼以外にも、たくさんの軍属、大陸浪人がいた。軍の予算は大きいので、巨大な利権を引き受けて一気に発展するチャンスがあったはずだ。児玉氏の機関も、その一つだったろう。  

③中国が舞台だったこと、軍が国政を支配していたこと。 中国の利権を狙う勢力が、軍や経済界には存在していたはずで、軍事と商売が結託する条件が揃っていた。軍事的進出は、大きなチャンスになる。満州に渡ったことがある右翼青年には、またとない好都合な時代だった。韓国や東南アジアが舞台だったら、いかに才覚があっても、得られる利権の規模は小さくなっていたはずだ。

④そして、彼の親分筋は、戦争で失脚したり腹を切ったり、処刑されたりした。軍人あがりには敗戦の責任があるので、発言することも難しく、その影響力に限度がある。いっぽうの児玉氏は軍人ではないから、敗戦の将でないと言い張れる。そして上がいないから、彼がトップになりえた。

⑤もともとスパイ活動が専門だから、表に出ないで仕事するのが得意だった。もし表に出たら、すぐに潰される。隠れていたほうが利口だし、もともと政治家になる個性ではなかったようだ。もともとの個性、特徴が、力を維持するのに有効に働いた。

・・・つまり、児玉氏は羊に取りつかれる必要もなかったはずだ。

 

 

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