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2018年9月24日

バース・オブ・ネイション(2016)

The_birth_of_a_nation

- Fox -                      


ネイト・パーカーという俳優が主演、監督、脚本、製作の一部を兼ねて作った作品。日本では劇場公開されず、映画祭でのみの上映だったそうだ。マイナー路線の作品だから仕方ない。作品はナット・ターナーという黒人奴隷にして宗教的指導者、反乱指導者を描いている。     

 

今日という時代を考えると、この作品の主題には特に大きな意味があると思う。トランプ政権の誕生で、米国は人種差別の勢いが戻った印象がある。もともと酷いものはあったのだろうが、差別用語が糾弾されなくなり、発言者の責任が追及されずに終わることも増えた印象だ。最高権力者が明らかに人種差別主義者だと思われるから、末端にもその影響が出てしまうのだろうか?       

 

この作品は国の独立とは関係ないので、古の映画「国民の創生」と同じタイトルを付けたのは、古い観念への対決姿勢を示したためだろう。黒人たちの反乱こそ、新しい国家の形を示したものだという訴えも兼ねていると思う。日本と韓国との対立も根が深いが、米国の人種差別は、その歴史的規模が違う。それでも国家としてまとまっているのは、宗教と法律の成せる奇跡のようだ。      

 

ネイト・パーカーは、この作品の制作のために他の作品への出演を断り、賭けに出たそうだ。クラウド・ファウンディングのような手法で資金を集めることに成功し、十億円以上の製作費をかけて作ったのだから、完全にのめり込んでいたに違いない。俳優たちの中には、気に入った企画に金と名誉と時間のかぎりを費やし、壮大なイノベーション的作品を作り出す人がいる。「ガンジー」を作ったリチャード・アッテンボローがそうだったし、日本の本木雅弘が「送りびと」を作った時も、予想外の力量を示していて驚いた。一人の人間の強い意志が、こんな思い切った作品を生むのだと、改めて思う。その強さは、尊敬に値する。       

 

この作品の場合、差別への怒りが意志に力を与えたのだろう。ただし、怒りによって冷静さを損なうと、作品の出来栄えに関わって来る。人種差別主義者でさえ納得させるだけの名作になるためには、完成度が必要だと思うが、少し力不足だったかもしれない。    

 

最近、「ある奴隷少女に起こったこと」を読んだ。本を読んで奴隷制について再考していた時期だったので、この作品に興味が湧き、借りることになった次第である。奴隷の描き方がどんなものか、注目して鑑賞。所有主によって、奴隷たちの扱いが随分違うように描かれており、物置き小屋のような所に殴られて横たわる者もいれば、独立した小屋に家族で暮らす人達もいるという描き方だった。あれは、おそらく実像に近いと思う。「ルーツ」など、他の作品でも所有者は残虐な人間ばかりではない。金銭問題や周囲の白人たちとの関係に応じて、黒人たちへの扱いはピンからキリまで違っていたのだろう。             

 

ネイト・パーカーは聖書に忠実に行動した、それが作品の視点であるようだ。確かに、彼のセリフはモーゼら預言者たちの発言内容と大きくは変わらない。虐げられた人々が支配者たちに立ち向かおうとする時は、時代や民族に関係なく、仮に聖書がなくても言葉は同じになるのだろう。  

 

いっぽう、支配者側の行動原理は上手く描けていないように感じた。同じ聖書を読んでいるはずの白人たちは、自分たちの行動をどう考えていたのだろうか? 不信人な連中ばかりだとは思えない。おそらく積極的に奴隷制度を支持してはいなくても、奴隷所有者の権利が法的に認められている限り、それを奪えないはずで、黙認したくなくても、そうなってしまう。そのような構図が大きな力となって、根深いものになったのではないか?            

 

経済的理由と法的な面が、悪しき制度を守ってしまう。奴隷所有者が広大な農園を経営して社会的立場が上にある場合、権力や財力におもねる周囲の人間は必ずいる。出世や商売のためだ。人道的な立場で糾弾しようとしても、奴隷の労働で農園の経営が成り立っているのだから、地域経済を危機に陥れる可能性があるという理由で訴えは潰されるのではないか? 

基地や原発を支持するかどうかで町がもめるのもそうだが、立場や考え方は、同じ地域に住む人間でも正反対になる。奴隷制の維持か廃止についても、結局は自力での解決はできなかったのでは?という風に理解する。自分が白人農場主だった場合、どのように行動するかろうか?生半可な考え方はできない。

 

 

 

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