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2018年1月10日

わたしはダニエル・ブレイク(2017)

Idanielblake

 

Sixteen Tyne Limited etc. -

 

大工として長年働いてきた主人公は、心臓発作によって職を失い、支援を請求する。しかし、制度の狭間にはまってしまい、破産目前となる・・・・

社会制度の不備、貧困、格差と助け合いを描いた作品。DVDで鑑賞。

ケン・ローチ監督の作品は、劇場で観ることは難しい。地方都市ではDVDが基本になる。おそらく名画座は、福岡市くらいでないと経営的に成立するのが難しくなっているのだろう。熊本市では、かろうじて1軒が頑張っているのが現状。レンタルビデオに押された面もあるだろうし、DVDのおかげでマイナー作品を鑑賞できる状況を考えるとビデオ屋さんも大事ではあるし、ビデオ業界は諸刃の剣となっていて、難しいところ。

 

主人公の境遇は非常に不幸で、悲劇を演じているのだが、演じ方が喜劇的なので救われる面がある。これを本当にシリアスに演じていたら、観客も観ているのが辛くなるだけだろう。コメディアンの主人公がユーモラスに演じていたことで救われていた。

 

人として誇りを保つには、自分は自立した存在であり、税金を払い、社会的な義務を果たしてきたといった自負も必要だろうと思う。もし明らかな障害を持って生まれたり、精神的か身体的に重篤な病気で仕事が難しくなった場合は仕方ない、誇りを大きく損なわずに権利として支援を請求することも当然と感じることができる思う。問題は、そんな要求が多数になって、制度の維持が難しくくなった時にどう対処すべきかという点。権利ばかり主張する人間も多い。

 

旧共産圏の場合は、強力な管理によって制度を維持しようとして、結局は破綻してしまったように思う。自由に頑張ろうとすると密告されるから、皆が過剰に働くことを止める。そのツケが、社会全体にのしかかると、国が破綻するはずだ。働くなくても良い、うまく立ち回ったり権力者へのツテがあるなら楽できるとなれば、普通の人間は頑張ろうとは思わない。労働に対するモラルは破綻する。社会保障にも、どこかで制限を設ける必要はある。

 

でも、その制限が難しい。支援を要求している人間の本当の資産を把握することが難しいし、仕事をする能力、体力の認定も時間がかかる。素早く判定するためには判定組織を大きくする必要があるが、それでは管理者ばかりが肥大化した組織になってしまう。

 

日本の介護認定だってそうだ。現実とかけ離れた判定がされている。診断書を書いてはいるのだが、認定会議に行ってみたら無視されていて驚いた。使われているソフトが、これまた怪しい。ケアマネージャーら管理側が判定した内容に引っ張られ、真面目な人が損する結果になっている。事務する人が多すぎて効率も悪い。請求がややこしいから、事務専門の人間が多数必要で、旧共産主義社会の運営を連想させる。

 

介護保険の財政についても、最初から疑問に感じる。ドイツの制度を手本にしたそうだが、どこを見てきたのだろう。新しい建物を建てさせることが前提になっており、各施設が維持されるためには、建設費に介護保険料を回す大きな流れを作ったことになる。それでは介護のためではなく、建設業界のための資金を集めただけだ。介護する人、自分たちで努力する人に手厚くするよう、なぜやらなかったのか。大きく方針を買えない限り、財政を維持できる可能性は低い。

 

 

 

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