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2018年1月13日

たかが世界の終わり(2016)

Its_only_the_end_of_the_world

 

- Entertainment One etc. -

 

自分の死を家族に告げるために家を訪ねた主人公。しかし、家族を前にすると話を切り出せない。家族の間にギクシャクした空気が流れる・・・・DVDで鑑賞。

監督と原作はグザヴィエ・ドランという方で、フランスの有名な俳優がごっそり出演したか?と思えるほど豪華な出演者が演技合戦をやっていた。特に強い印象を受けたのは母親役。子供達から敬意をはらってもらっていなかったが、それに対抗できている点がよく表現されていた。

 

遠近を強調した映像、小津安次郎ばりのアップを使った会話のシーンが印象的だった。でも、失敗作では?という印象も強い。アイディアは良かったはずだが、少しテンポに問題があって、観客が観ていて耐えられなくなる間合いではなかったかと思う。

 

しっくりいっていない家族の関係はよく分かった。表現が良かったからだろう。主人公が家出同様に都会に出て以後が疎遠であること、性的な問題により理解されていないことが大きな原因らしいが、残った家族の間でも諍いが多い元々の家風のようなものが、妙な雰囲気からよく分かった。実際にも、あんな感じになるのかもしれない。

 

でも、それでストーリーが転ぶ流れ、帰結に至るまでの必然の経過は表現できていないと思う。観客が、「ああ、こんな家族関係なら、こんな結末になるだろうね。それでも、こんな家族は好きだなあ。」と納得できないと、満足感に浸れないはずだ。

 

深刻な内容の話であるから、基本はアップテンポなほうが、鑑賞に堪えやすいという点では好ましい。基本は喜劇タッチであるべきだ。それに時々テンポを遅くして涙を誘ったり、時々笑える話を持ち込むといった調子の変化は必要だろう。気まずい家族の雰囲気を延々と演じられると、観客も気まずいというものだ。

 

家族の関係とは、なんと難しいものだろうか。許されるなら、人は自由に人生の選択ができるべきで、何を選んでも批判されないほうが良いのだが、私の父も兄の生き方を激しく、しかも執拗に批判していた。兄夫婦もしまいには腹を立てて絶縁状態になってしまったが、わが家があんな風になるとは子供の頃は考えていなかった。仲が良く、希望に満ちているような感覚だったから。

 

おそらく成長していくに従って、親の希望と子供の現実の違いが明らかになり、憤懣が募って悪い関係がどんどん重症化していくのだろう。劇場主自身も子供に大きな期待を持っていたが、障害が明らかになってからは無理なことは言えないと悟った。でも障害が軽かったら、もっと腹が立っていただろう。どうしてできないんだ!などと怒っていたに違いない。

 

子供を誇れないことは悲しいが、もちろん世界の終わりを意味するほどのことではない。子供だってなんとか生きていけるだろう。常に尊敬されながら雄々しくとはいかなくても、それなりには生きていけると信じる。諦めというのだろうか、自分ができることやるべきことには限りがあるように思う。

 

 

 

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