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2017年12月16日

アメリカンドリームの終わり(2017)

- ディスカバー・トゥエンティワン -

 

ノーム・チョムスキー作の政治評論。似たようなタイトルの本は多い。彼は雑誌などで繰り返し政治の話を述べていたから、劇場主は彼が言語学者だと認識していなかった。もしかすると一度くらいは著者紹介の欄で彼の本職について読んでいたのかも知れないが、記憶は不確かなまま。思い込みで、彼は純粋な政治学の専門家だろうと思っていた。

 

経済学・・・まったく素人の領域。しかし、倫理に関して考えていくと、経済学を抜きにしてはいられない。富の偏りは良くないという認識は、倫理に直結する。共産主義や資本主義、イスラム教の戒律との間で対立が起こる時に、多くの場合は富の偏在をどう分析したかに応じて、その理屈の微妙な違いが過剰な対立に結びついているような、そんな感覚を持っている。狙いは同じでも、解決法が違うだけだと・・・

 

この本の主題は、米国の政治は一貫して民衆の権利を侵害し、力を阻害しようとしてきたということ。民主主義のチャンピオンのイメージがある米国が、まさか・・・、そんな感覚の人がどうしても多いはずだが、この本の内容は間違いではないはず。確かに計画的に民衆の権利を抑え、企業や支配的な人達を優遇してきた歴史があると思う。ただ、さすがに少し誇張もあるかも。民衆の側の権利が確保された時期がないわけではない。権利の要求と圧迫のせめぎあいがあるというだけだろう。

 

公民権運動や性的マイノリティの権利は大きく報道されていた。でも、それらに注目が集まる中で、気づかぬうちに中間層以下の経済的な立場への関心が薄れ、気がつけば抜き差しならぬことになっていたのかも知れない。計画的にそうしたわけじゃなく、利害関係と力関係、そして米国独特の法体系や歴史がそうさせたのだろうと思う。少しずつ、ほんの少しずつ、資産家の権利が確保されて来たようだ。

 

米国の場合はイメージ戦略=大規模キャンペーンの力が強く反映されると思う。感覚が似かよった集団が大規模に作られている。それによって、イメージとしては民主主義のためと訴えつつ正反対の行為を行い、それでも裁判で負けない勢力のパワーが、他の地域より維持されやすい。計画的な宣伝が大衆のイメージを作りやすく、世論操作しやすいのだ。歴史ある国ではちょっと難しい。日本は、米国の影響が強いので、イメージ戦略に弱い点は似ている。

 

立法や裁判に関わるシステムが、そんなえげつない姿勢を助長してきたし、それが基本的なルールとなって、他国にさえ影響してきたように感じる。法律のルールが今日の結果を生んだのだろう。裁判所の力が強いので、裁判に勝ちさえすれば、強欲を抑えつける仕組みがなくなり、悪行もビジネスとして認められ、誰も手出しできなくなる。その結果が積もり積もったらどうなるか、それを我々は見ているのではないか?

 

歴史上の強国は、常にそうやってきたのかもしれない。征服はしなくても、そうするぞと圧力をかけ、相手側から譲歩を引き出すのは難しくない。劇場主がビジネスマンなら、ビジネスの一環としてきっとそうする。それによって富をつかみ、名声を得て、市民たちから大いに感謝されることも期待できる。ますます劇場主は有力者になるが、気の毒な現地人のことは気にする必要はない。ビジネスなのだから。そんな感覚ではないだろうか? 

 

こんな流れは、例えばアフリカの小国の誰かが考えついても実現されることはない。米国独特のものだろう。米国では、このような仕組みは成功体験として支持され続けている。覇権国の一時的な大成功の例、それがアメリカンドリームなのかもしれない。

米国や米国人の利益を追求した場合は、かなり強引に法的には保護されている。企業集団、生産者集団の要求によって、米国政府は他国と交渉し、権利を確立してきた。過去に、そのような欲求を持った人たちがたくさんいたのだろう。権利の追及を可能にしたことで、アメリカンドリームの数々が可能になったが、それらは力を持つ国の法の強引な規定による流れかも知れない。

 

ただの流れに過ぎない・・・そんな印象はある。米国人が弱者をさげすみ、いつも悪意を皆持っているわけではなく、ほとんどの市民は善意に満ちているのだろうが、ちょっとした論理の方向性、イメージ戦略の影響で極端な利益偏重が許され、大多数の市民は一部のビジネスマンの悪行に気づいていないのでは?と思う。

 

アメリカンドリームと我々が思っていたものは幻想のようなもので、国が発展する中で一時的に出没する奇跡のようなものかも知れない。どの国でも発展の途中は熱病のように富を目指すものだ。多くの夢のような成功が達成される。他の地域が大きな力を持てば、きっと夢の場所は変わるのだ。それが自然の流れで、アメリカンドリームだけが特別じゃない。英国の貴族社会だって、数々の成功体験を持って確固たる立場を持っていたのである。中国の富裕層もすさまじい資産を形成している。今はチャイナドリームのほうが勢いがある。それだけのことか?

 

でも、さすがに資産に関しての問題点が浮き彫りになったことで、世界的に金持ち優遇を制限する具体策が望まれるだろう。多国籍企業への課税が始まろうとしている。企業側だって何かやってくるだろうが、世界中の経済が極めて好調で、庶民の収入も伸びないかぎり不満は解消されない。政策の修正は必要のはずだ。きっと、このままじゃ済まないと思う。どう転ぶかが分からない。

 

 

 

 

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