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2017年12月25日

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う(2015)

Demolition

 

- Phantom Film -

ジェイク・ギレンホール主演のラブストーリー。と、言っても純愛映画ではなく、感情が虚ろな男の再生を中心に描いたストーリー。タイトルのデモリションは、主人公が家具や家電製品をバラバラにしたくなる衝動を差したらしい。DVDで鑑賞。

あまり前評判を聞いたり読んだりしたことのない作品。でもギレンホールが主演する映画には、あまり外れがないだろう。そんな理由で鑑賞する気になった。

 

この作品には原作があるのだろうか?調べていないので分からないのだが、誰かの体験が話の元になっているような気がする。家族を亡くすと、普通なら茫然自失とするか、細かい段取りで頭がいっぱいになって動転してしまう人が多いはずだ。でも葬式から納骨に至るまで冷静にこなす人もたまにいる。連れ合いの葬式でも、自分の仕事の一環のように感情を大げさに出さないまま、クールな態度でやれる人の話もよく聞く。たまには笑顔さえ見せ、軽いジョークを飛ばせる人もいるくらいだ。 そんなクールな自分に気づいたとき、この作品のアイディアが生まれたのではないかと、勝手な想像をしてしまった。  

 

主人公に深くかかわることになる女性をナオミ・ワッツが演じていた。母子家庭だが、本人はマリファナ中毒、しかも息子は性的マイノリティという設定で、さすがに話が難しくなるように無理して作られた話のように感じる。  いかにも小説家が考えそうな匂いがするではないか。 原作がないなら、きっと誰か脚本家が小説タッチに考えた話だろう。   

 

主人公が物を分解する衝動がどこから発生しのか、完全には理解できなかった。義父がセリフで「分解して考えろ。」みたいなセリフを吐くシーンが一回だけあったが、それが追想場面であったせいで印象付けが足りなかったのか、衝動的行動をとる主人公の感覚を理解するのは難しいように感じた。 何かを分解し、何かを発見する喜びを、もう少し時間をかけて描けば分かりやすかったに違いない。 

 

もしかすると、この作品の主人公はコメディアンのほうが良かったのではないだろうか?狂った行動をとる場合、ユーモラスに演じてくれたほうが、後の悲しさが惹き立つと思う。 バカそうな男が、ショックで頭の調子を変にして、トンチンカンな行動をとるという演出にしたほうが、観客受けは良かったろう。チャップリン映画のイメージだ。ギレンホールでは、それが難しい。 そこが、残念な結果につながったのではないか?  また、ぜひとも主人公には男性の友人が欲しい。話をリアルな方向、実生活をイメージさせる方向にしたいなら、彼を心配してくれる常識に満ちた同性の人物がいたほうが良いはずだ。   

 

発達障害がある人間は、肉親の死においても、独特の感じ方をするのではないかと思う。ちょうど、この主人公のように仕事に関しては非常に有能で、立派な社会人であったとしても、人間関係に関しては心の底からの愛情、友情を形成できない場合はあると思う。劇場主も、自分にそんな傾向がないか気になる。

 

親の死の数年前に、お迎えが確実に来そうだと感じた時の劇場主は、親の前で泣いてしまった。親の死に方を予想できたからだ。でも、いざ本当に死んだときは、「覚悟の通りだ、悲惨な時間が短くて済んだ」という安堵感のほうが大きく、泣き崩れるほどの強い悲しみは感じなかった。予想の時のほうが悲しく、実際は安心~納得に近い。ごく自然に、無理なく「覚悟の通りだ、さあ為すべきことをやらねば」と、思った。クールすぎたかもしれない。あるいは、単に諦めていたからだけかもしれない。 でも、もしかすると感情に欠ける部分があったのかもしれないと、少し気になる。

肉親の死に際しては、自分が成すべきこと、話す内容から所作に至るまで、改めてどうすべきか再考してしまい、頭の整理がつかない時間がある。それが普通だろう。 それを練習していくのが運命なんだと思う。

 

 

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