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2017年10月29日

「安倍は保守」とは言ってはいけない(2017)

 

- 橘玲著、文藝春秋(2017) -

 

文芸春秋を読んでいたら、作家の橘玲氏の政治評が掲載されていて、興味深い内容だと感じた。元々は早稲田の学者が何かの研究をした結論らしい。自民党政権の政策が、リベラル化しているという内容だった。確かにそんな気がする。民主党が訴えていた内容が、いつの間にか自民党の政策になっていることが最近多い。

 

橘氏の書かれた本では、「言ってはいけない」を読んだことがある。独特なまとめ方をしているが、間違った内容とは思えない。氏はもともと経済問題を中心に、いろんな形の作品を出しているようだ。今回の文章は、より鋭い内容で、説得力のある文章だった。ただし、タイトルの言い回しは、少し妙な気もする。

 

サイコパスらしき人物との交渉を何度か経験したが、彼らは他人の意見を自分の発想だと言い出すことにこだわりがない。こちらが何か意見を言うと激しく反論し、とんでもない!大間違いだ!などと言っているが、次に会った時には「俺は前からそう考えていたんだ!」と、また激しく訴える。「ええ~?そう来るか!」と、こちらが怯むのを期待しているかのようだ。

 

おそらく彼らの頭の中では、こちらの意見を検討し、自分が有利になる案だと判断できれば、それを学んだ自分を肯定的に認識しているのではないかと思う。意味を理解できたら、元々知っていた気になり、自分の発想のような気になる。意地を張って反対し続けると、やがて不利な結果に終わるので横取りするが、横取りの自覚は乏しく、とにかく自分の有利な方向に持っていくほうが良い、そんな感覚らしい。

 

総理の個性がそうなのかは分からないが、現政権はそんな態度のようだ。でも間違ってはいない。政治家は、常に自分の有利な方向を目指すべきだ。そうしないと選挙で負ける。節操がないと言えばそうだが、こちらとしては法案は通りやすい勢力から提出してもらったほうが都合が良い。民主党から提出すると、おそらく政府がつぶしてしまう。ここは与党から提案されたほうが良い。そもそも民主党は瓦解してしまったようなので、余計にそう言える。ただし、政府案は骨抜き法案に変わっていくだろうけど・・・

リベラルだった労働運動は、一定の既得権を生んでしまった。劇場主もそう感じる。かっては大まじめで命がけだったと思える労使交渉も、長い年月繰り返されると、慣例でどの程度融通するか決まってきやすい。要求する際の人間関係、流れ自体が既得権益化してしまう。そして、保守化してしまうという流れはある。団体交渉は、さながら舞台劇みたいな雰囲気で、茶番のようだ。結論の落としどころが最初から決まっている。

 

政治的な概念も、文化人類学的な原則からは逃れられない。理論に基づいて権利を主張した斬新かつ清廉な意見も、慣れや人間関係、そして活動家自身の年齢的変化によって、パターン化した意見に変わっていくものだ。運動家だって自分を守りたい。それは成熟、老練化ととらえることもできる。活動家が、老練な保守的人物になることは仕方ないのだろう。交渉を繰り返していくと、敵から影響を受けるものだ。   

 

いっぽう、リベラル活動家達と交渉している保守勢力も、世間からの印象が気になるのだろう、強面路線を続けてはいない。こちらも懐柔と譲歩によって世論の人気を得て、敵に力を与えないように、折り合いをつけることに慣れる。それを恥じらいもなくやらないと、隙を生じるから仕方ないと感じているのでは?馴れ合いと出し抜く意図、それらの結果がパターン化したように思える。

選挙に勝たないといけないので、客受けする内容を公約に盛る必要があり、一度失敗したことで、そこを決して忘れないようにしている。本来は投資家に有利な政策を基本として、印象を操作する手段の数々を、おそらく専門家達と相談しながら練っているのではなかろうか?米国の大統領選がまさにそうだから、参考にしないはずはない。安倍政権の戦略は本当に優れている。

 

憲法改正を目指す人間が、グローバリズムの片棒を担いで格差を助長しつつ格差是正を訴え、本音は隠してリベラルな政策を盗み、財政を悪化させつつ若者世代の支持を得る・・・おそらく、完全に自己矛盾しているはずだ。皆は勘違いしてしまっているのだろう。臆面もなく訴えると、大きな矛盾に気づかれないままやれる。サイコパス連中が、そんな技術を持っていた。あれを技術というべきか?彼らは異常で、認識障害を持っているようにも思えたが・・・?

 

 

 

 

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