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2017年6月19日

ある戦争(2015)

A_war

- Nordisk Film -

アフガニスタンで警戒にあたっていたデンマーク軍部隊が、急に攻撃を受ける。なんとか生き延びた隊長だったが、その結果戦争犯罪で告発される・・・・

・・・・DVDで鑑賞。優れた小品と思った。夫と離れて母国に暮らす母子の様子がリアルで、妻や夫の心情が分かりやすく表現されていた点が特に優れている。子役は、もしかすると親役の本当の子かも知れない。表情がとても自然で、演技のにおいが全くしなかった。戦場の様子もリアルだった。単調な警戒警備、突然襲ってくる爆発の恐怖、仲間を失う悲しみ、敵意に満ちた住民の視線、善意が徒労に終わる空しさなど、その表現が的確だった。

全くと言って良いほど笑いの要素がない。それに負傷した兵士の様子が無残だったので、小さな子供に鑑賞させるのは気がひける。家族を描いた作品とは言え、この映画は家族で楽しむタイプの作品ではない。娯楽の性格が乏しいので、おそらくは小さな映画館で、芸術作品を好む落ち着いた年輩の方々といっしょに、静かに鑑賞するのが本来のスタイルではないか?

軍の裁判というものは、この作品に描かれたようなものなのだろうか?攻撃する際の根拠は確かに確認するのが望ましいと思うが、敵を確認しようとすると部隊を全滅させる危険性が高い場合も要求されるべきか、そこは難しい。攻撃を野放しにすると住民の虐殺を助長するだろうが、実際の戦場で敵を確認するのは簡単じゃないだろうから、攻撃の是非の判定も簡単ではない。

自衛隊の規則がどうなっているのか気になった。そもそも自衛隊は現実に存在し、役立っているのに法的には微妙な立場。そのため隊の規定は、理論的に矛盾したものも多いかも知れない。実際の戦場で使い物にならない規則があれば、隊員は生き残るために違法行為をやらざるを得ない。日本に限らず、現実から遊離した法律がEUの中にあって、その弊害で困っている人がいるのだろう。この作品も、実際の兵士が出演しているそうだから、現場の不満がアイディアの元になったのかも知れない。

海外に派遣されていた自衛隊員は、今までは幸い誰も殺されてはいないようだが、おそらく衝突に巻き込まれるのも時間の問題だろう。規定により何もやりようがなく、ただ殺されましたという実情が明らかになった時、世論はどう反応するだろうか?

(加計学園問題に関連して)

もし何者かが侵略をふっかけてきたら、総理は明日にでも自衛隊に出撃を命じないといけない。極論で言えば、その時に総理の友人達だけ避難させ、一般人を見殺しにしても仕方なしか?まさかの話だが、全員を助けられない場合、万が一の時の想像をめぐらせると、そこが気になる。加計問題は、そういった国防の大問題とは違う・・・・たぶんそうだ。でも疑念は沸く。それが自然な流れだ。総理の友人だけではなく、例えば自民党の関係者だけならどうか?

おそらく、権力者に有利な選択がなされたらしいことは皆が感じたはずなので、そんなものなのかという認識は残る。そして、それならば自衛隊員だって自分の都合を優先したくなってくるのではないか?国のトップの腐敗を許したら、モラルは崩壊する。下々はやりたい放題になっても不思議ではない。だからこそ、厳しすぎるくらいのモラルが、権力者には要求されるべきと思う。つまり、違った問題ではないはずだ。

総理の関与具合は、これを書いている時点では分かっていない。分からないで済ませようとしていると言うべきか?政府は徹底調査に消極的だと報道されている。なんて傲慢な態度だろうかとは思うが、確かにこれは政治の主題と離れた問題だ。大事な国会論議が、証拠を出すか出さないかの議論で費やされ、時間と場が無駄になるのもいけない。これは与党の首脳が言う通りだろう。小さな問題と、言えなくもない。

それでも常識として、個人的関係が認可に影響するのは許されない。友情と収賄は、区別するのが難しい。疑わしいことは避けるのが伝統的な考え方だ。官邸に不公正な利益誘導の疑いがあれば、とうぜん国会として証拠を探すべきだし、内閣の側は妙に隠し立てしない、そもそも疑われる事はしないこと、第三者に判断させることも望まれる。国会は責務を果たしていないし、潔くもない。

友人を優遇するのも心情的には理解できるが、官邸の立場を考えると甘え、認識不足と言われても仕方ない。もちろん収賄の具体的証拠はないだろう。総理自身は何も指示せず、副大臣などを介して意向を伝えたはずだ。殿様のような手法だろう。事件としての立件はできないだろうが、総理への敬意は、かなり損なわれた。人格面を評価するのは、もはや難しい。彼が何か崇高な事を述べても、信用はできない。

いっぽうで、官邸と役人の権力闘争の面からも考えないといけない。

現政権の功績は、景気回復のお膳立てをしたことと、官僚支配の弊害を打破し、政治家主導で行政を推進しようとしたことにあると思う。内閣人事局が役人の人事を握ったから、古い体質に風穴が空いた。「岩盤規制の打破」という文句は、なかなか格好良い。つい最近まで役人の都合が最優先され、国の発展が阻害された感があった。もし総理が失脚し、官僚の人事権が元に戻るようなことがあれば、万事の停滞は覚悟しないといけない。経済的なチャンスも狭まるだろうから、投資だって減るだろう。景気は悪化するはずだ。

総理のスキャンダルが表に出てくるのは、官僚から情報が漏れているせいだ。今回は特に、文科省が逆襲した形になる。親玉を失脚させようと、まるで時代劇で老中を追い落とそうとする連中のように暗躍していると思う。我々は、彼らの怪情報に踊らされている。この問題の本質はモラルの問題ではなく、単純な権力争いなのかも知れない。総理失格などと攻撃すると、それは役人達の思うつぼ。でも、役人の天下りや岩盤規制も望ましくない。どう考えるべきだろうか?よく分からない。

あらためて感じたが、政治家や役人にモラルを期待するのは難しい。だから優れた規則で縛るしかない。結構な歴史があるくせに大事な規則ができていないことが、我が国の大きな欠点。そして良い規則を作ることに国民の多くが無関心で、政治は役人に任せるものと思っている。そこが最大の欠陥だろう。

問題点が判明 → 対策作り、これはセットである。それができないことは無能の証で、対策決定こそが議員の仕事なのだという認識が希薄のようだ。斡旋、口利きが仕事と思っていて、そればかり期待するからだろう。モラルがないことが共通認識だから、議員と選挙民と役所が互いに忖度しあって、互いの利益を求めてしまう構造だ。

役人の人事権をどうすべきか全く分からないが、内閣に集中させると今回のような忖度事例が発生するから、権限を裁判所に移すか、あるいは国から独立した機関に移動、分散させることが望ましいのかも知れない。権限を1年ごとに移すのも面白いかも知れない。とにかく、権力が集中しないような上手いルールが必要だ・・・・・が、それが認識できていない。

他の業界でやられているように、利益相反の公表、あらゆる文書の完全な保存など、基本的な対策を地道に義務化することも望ましい。でも、これにも反対意見のほうが多いだろう。明文化は難しい。選挙民だって、国のことより自分の仕事のほうが大事だから、政府のモラルハザードは気にならない。都議選はともかく、おそらく国勢選挙結果は大きくは変わらない。よって問題点は改善されない。

何かもっと驚くべき事態の変化がないかぎり、証拠はありませんでした、騒いで面白がって、でも政局に影響なしで終わるだろう。そして我々の心がいっそう荒む。問題に対して対策をとることが期待できなくなり、モラルなど吹き飛び、希望が失われ、自分のことだけ考えたくなる。隊員達もそうだろう。その結果どうなるか、考えないのだろうか?

 

 

 

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