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2017年4月 2日

コンカッション(2015)

Concussion


- Columbia etc -

監察医の主人公はアメフト選手の解剖に携わり、選手達の脳に独特な後遺症があることを発表する。しかし、業界からの激しい反発が待っていた・・・・

・・・・DVDで鑑賞。実話に基づくという。問題提起した人間に待ち受ける試練を描いていた。極めて娯楽性の少ない作品で、しかもフットボール業界には有難くない映画。よくこんな企画が通ったものだと思う。たくさんの制作会社が参入していたのは、もしかして各事務所がリスクを嫌って、少額の予算に限定した結果ではないかと疑った。

コンカッションというのは脳震盪のことらしい。恥ずかしながら、劇場主は知らなかった。コンツージョンと記憶していたが、よく考えてみればコンツージョンは打撲や脳挫傷の意味だから、脳外科が言うのを間違って覚えていたようだ。

ウィル・スミスが訛りの強い発音と、アフリカ人らしい表情で主人公を演じていた。彼と主人公のキャラクターは合致していなかったように思ったが、他の黒人俳優よりメームバリューがあるし、映画の興業面を考えたら、良いキャスティングだったのかも知れない。できれば、本物のアフリカ人のほうがリアルで印象も強く残ったかも知れないとも思うが・・・・

奥さん役や、同僚、上司役、共同発表者役など、味のある俳優が多数出演していた。静かな戦いを淡々と描いた印象だったが、ドラマとしての盛り上がりを考えたら、酷い仕打ち、白眼視や心ない中傷などをもっと強調して、悲劇として強調しても良かったかも。あるいは、監視や尾行されたりの恐怖をサスペンスタッチで描くと、さらに効果的だったかも。少し演出が足りない印象を受けた。

ナイジェリアから米国に留学し、複数の博士号を持つ主人公は、猛烈に優秀な人だろう。おそらく、病態に気づくのは時間の問題だったろうが、いざ発表となると、その仕方は非常に難しい。洋の東西を問わず、権力を持つ勢力を相手にする時は、反撃を覚悟しないといけない。自分の業績や倫理的な事情と、力関係をバランスにかけないといけない。主人公は敗北したとも言えるから、現実は甘くない。

米国の場合、個人の権利意識が高いから、個人を守る法律は充分にありそうだ。でも、さすがにFBIを介して圧力をかけられると、よほどな人を除いて社会的に葬られる危険はある。ただ、それでも主人公を支援する上司がいたのは有難いことだ。日本では、そうはいかない。権利意識が違う。主人公は狂った学者か、売名や営利目的の人物とキャンペーンを張られる。したがって、日本で同じような問題が発生しても、無視されるかも知れない。

日本では上司も部下も、警察も近隣の住民も、家族も親戚も、皆が敵に回る可能性が高い。町の大事な事業を破綻させてはならない・・・・そんな意識がはたらいて、主人公は直ぐに解雇され、孤立無援の状況になる。同僚の連中が連日押しかけ、問題を起こすなと圧力をかけ、家族もその片棒を担ぐ。社会の和が大事だからなど、色々な理由づけはあるのだろうが・・・

どこでも一般に、問題解決より利害が優先されている。人を動かすのは、言葉の正しさよりも忖度を上手く働かせるかどうか、忖度させることができるかどうかと考えたほうが良い。出世する人は、公的な精神より私的な利害、情動を重視する人が多い。気持ちの問題、人は気持ちで動く・・・と言うと聞こえは良いが、それが習慣化すると、悪しき面もある。友人関係は情の人と付き合ったほうが心地良いが、公的な関係は思考法を変えないといけない。

森友学園や、豊洲市場、各地の原発の問題を見ていると、どれも病態が似ていると感じる。忖度で成り立つ思考習慣が関与していて、明らかに悪影響を及ぼしている。権力者側は忖度して欲しいから、状況の改善は、よほどなことがないと無理。まあ劇場主自身も、上司の顔色をうかがって、忖度をしっかりやってきた。誰でも自然に、強者におもねる感情が起こるものと思う。

忖度する人に忖度し、その人にまた忖度し・・・とやっていたら、もう組織の体を成さない。忖度する人させる人は、排除しないといけない。倫理が残るように努力すべき。これは、国家の生き残りのために必要な策と考える。だが、皆にそのセンスが育たないと、改善は難しい。政府首脳が「忖度は違法じゃない。」などと答弁するなんて、公の精神があれば、考えられない。そんな言葉が出るなんて、公共精神がないよと言うようなものだ。

小学校の道徳では、森友問題を例にとって忖度の害を解説すると良い。公共精神を培う、良き題材になる。公的な精神は、教育勅語では育たない。昨今の報道を見る限り、それは証明されたと思う。それを明らかにするために、彼らは活動しているのか?だとしたら、尊敬に値する。

 

 

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